2005年08月

2005年08月25日

 台風、そろそろか。

 午前中から打ち合わせ。テンションが上がらなかったかも……。課題については、追って考えることにする。

 パソコンをかえたので音楽データを入れ忘れてしまった。インターネットラジオを聞きながら仕事をする。テキトーにダイヤルを合わせた(という比喩が通用するのって何歳までだろう)だけなのだが、ゴキゲン(死語)な音楽が流れてくる。ASID JAZZというカテゴリーなんだが、こんなのだっけ?

 今朝方、読み終えた一冊↓

兇眼
兇眼
posted with 簡単リンクくん at 2005. 8.25
打海/文三??著
徳間書店 (2005.6)
通常2??3日以内に発送します。


 打海文三は『ハルビン・カフェ』から新刊が出るたびに読んでいる。新しい作品ほどいいと勝手に思っていたが、この旧作もいい。以前はこちらの読む力が足りなかったのかもしれない。

 主人公は、12歳の少女に関係を迫られ、断ったことから眼を切られる。そのうえその少女に自殺されてしまうという、きわめつけの不運に遭った40代の男である。

 大学助教授の職を追われ、警備員をやっていたが、そのマンションで起こった殺人事件がきっかけで、「きざはし」なる新興宗教が起こした集団自殺事件と、その事件の後に起こった信者の殺害事件、教団解散後残された子供たちの失踪事件を追うことになる。

 やがて男は、子供たちの消息をつかむのだが、そこまででまだ半分までしか物語が進まない。

 12歳の少女と中年男の話から、新興宗教の集団自殺、教団の金の消失、子供たちの失踪と、ストーリーは一見、とんでもない方向に逸れていくように見えるのだが、その逸れ方が悪くない。いや、悪くないどころか、面白くてたまらない。

 ウネ子なる女が仕切るアンダーグランドの探偵業「アーバン・リサーチ」シリーズの1編だそうだが、そんな予備知識もとくに必要がない。しかし、ウネ子ら、「アーバン・リサーチ」の活躍はまた読んでみたいとも思う。登場人物がみな「濃い」のだ。細胞が堅牢にできている感じがする。

 ストーリーが外れていくのも、彼ら登場人物が呼吸しているからではないか。そして、最後に印象的な結末を持ってくるのだから、打海文三、おそるべし。

 これから、旧作をぼちぼち読んでいこう。

(00:00)

2005年08月24日

 台風が近づいている。蒸し暑い。

 ノートパソコンの無線LANが使えなくなってしまい、修理に出した。仕方なく、一台前のノートパソコンにPCカードを突っ込んで無線LANに接続する。それだけで、労力を費やしたという感じ。

「あ、WORD入ってない!」(ふだんは使わないが、週に1度だけ使う仕事がある)と、妻のマックを借りると、WORDを起動させるたびにフリーズ。ノートパソコンに急遽、Open Officeを入れて代用することに。

 このPCの環境はWin98。XPを使い慣れた目で見ると、骨董趣味にすら感じられる。ドッグ・イヤーという言葉を痛感させられる。

 写真家の田村彰英さんに取材。カメラのこと、近著について、写真の「プロ」と「アマ」について。企画のヒントをいくつかもらって帰る。

スローカメラの休日
田村/彰英??著
〓出版社 (2005.5)
通常2??3日以内に発送します。

 田村さんの近著。エイ(「木」編に「世」で)文庫のカメラ趣味シリーズ。
 「スローライフ」「スローフード」の次は「スローカメラ」、というのが田村さんの主張である。
 本書では、国内外に「ぶらり」と出かけた田村さんのカメラ選びと、美しい写真のマッチング。文庫ではもったいない、もっと写真を大きくみたいと思わせられる。
 カメラ趣味の本としては大胆に写真を採り入れていることで人気のシリーズ。田村さんの写真がぴったりハマっている。

(23:58)
小説浦山桐郎
小説浦山桐郎
posted with 簡単リンクくん at 2005. 8.24
田山 力哉〔著〕
講談社 (1996.11)
この本は現在お取り扱いできません。

 映画監督、浦山桐郎の評伝である。

著者の田山力哉はカンヌ映画祭などのレポートで知られる映画評論家で、映画人を扱った評伝に『市川雷蔵 かげろうの死』(表題作のほか、田宮二郎と中平康についての作品が収録された中篇評伝集)がある。

 浦山は1930年(昭和5年)兵庫県相生市生まれ。旧制姫路高校を出て、名古屋大学に進み、戦後に製作を再開したばかりの日活に入社、今村昌平らに師事する。監督デビュー作は吉永小百合主演の『キューポラのある街』(1962年)。その後、寡作ながら、『非行少女』、『私が棄てた女』などの傑作を残している。

 本書の浦山桐郎は一言で言って、ダメ人間である。マザコンで酒乱、妻のほかに愛人が二人。子供は家と外に一人ずつ、死ぬまで3軒の家を転々としていたというから、困った人である。映画監督としては上記のような傑作も撮っているが、映画の斜陽時代に監督になったこと、芸術家肌で作品のテーマにこだわったことなどの理由から、作品の数は少ない。しかも、初期の作品ほど評価が高い。晩年の評価はいささかさびしいものだった。

 しかし、浦山が残した『キューポラのある街』や『非行少女』、『私が棄てた女』という傑作の評価は揺るがない。門下には小栗康平という鬼才も育った。教養主義、芸術至上主義を隠さず、映画を芸術として撮ろうとした浦山桐郎は、いまの世の中から見るとアナクロを通り越して、異彩を放っている。いかにも戦後民主主義の映画監督というか……。

 時代とズレたことで、浦山の才能は生かされなかったともいえる。しかし、そういった特殊性こそが、浦山桐郎だったのだとも思う。そんなことをこの評伝を読みながら考えた。

 ちなみに、すべての浦山映画を見ているわけではないが、個人的に好きなのは、やっぱり『非行少女』か。和泉雅子の瑞々しい魅力と北陸のすさんだ風景が刻み込まれたモノクロ映画だった。『キューポラのある街』と『私が棄てた女』とそれぞれ違った魅力を持った映画である。

(23:37)