長野県道24号 上高地公園線
終点(松本市安曇)→上高地トンネル(起点側)
2023年6月10日探索
使用車 徒歩(一般車両通行禁止)
人員 1名
※今回探索の道は、上記の通り一般車両通行禁止(マイカー規制)です。通行は、バス・タクシー等の許可車両への乗車か、徒歩・自転車でしか出来ません。
上高地公園から松本市安曇をつなぐ主要地方道であるが、全線に渡り一般車両通行禁止(マイカー規制)であり、終点付近には門番が立っており、徒歩か自転車でないとアクセス不可能。
冬季は非常に雪深く、通行止め。 徒歩でもそれなりの装備がなければアクセスは不可能。
今回は、岐阜県側平湯からバスで中の湯まで行き、終点側から徒歩で探索した。
終点側、いきなり険道界のビッグネームである、釜トンネルがお出迎え。
平成17年完成。
延長は1,310mで、幅高さ共に十分であるが、勾配10.9%で、バスは唸りを上げて登っていく。
10.9%の勾配がありながらも曲がりくねっており、なかなかヘビー。
カメラを水平にして撮影すると、その勾配のキツさがよくわかる。
息を切らせて、ようやく上高地側抗口へ。
始点側(上高地側)から撮影。
釜トンネルを出るとスグに上高地トンネル。
平成27年完成。
規格は釜トンと同じであるが、こちらも勾配が9%もある。
序盤少しだけ平坦だが、スグに登っていく。
釜トンほどではないが、曲がりがある。
始点側抗口付近から終点側を撮影すると、その勾配のキツさがわかる。
始点側から撮影。
これにて探索終了。
この日は天気もよく、上高地へ訪れる人も非常に多かったようですが、徒歩でアクセスしている人には遭遇せず。
しかし、終始キツい上り勾配だったので、距離としては2kmくらいだったと思いますが、けっこう疲れましたw
ここから先は、旧道レポです。
険道隧道界では、その名を知らぬ者はいないほどの大御所、旧釜トンネル。
聞きしに勝る狭さ。
一部広くなっている場所から、終点側抗口方向を撮影。
その狭さがわかる。
途中で、横穴発見。
入った先にも、なんと隧道!!
こちらは、旧旧道である、昭和2年から昭和12年まで使われた初代釜トンネル、通称「古釜」。
しかし、なんという狭さ。
これでも、開通当初よりも拡幅されているとのこと。
こんなところを小型とはいえバスが通行していたとは、信じられない。
旧道に戻る。残存する、素掘り区間。
老朽化が酷く、照明の残骸のようなものと、岩盤が垂れ下がっている。
今は点いていないが、照明器具。
こんな家庭用の蛍光灯みたいな照明だったかと思うと、心許ない。
カメラを水平にして撮影。
今では許可されない、最大16.5%という驚愕の勾配がよくわかる。
路面は非常に悪く、常に流水、そしてコンクリも剥がれ墜ちている。
トンネルを進むと、突如二股に。
右側は。平成14年に先行して供用された新トンネル上部(当時、釜上トンネル)と接続していたルートで、3年の短期間でその役目を終えた。
今でも現道とは接続している(写真ブレすみません)。
左に行くと、まもなく起点側抗口。
起点側抗口。
銘板などはなかったが、その威圧感たるや、半端じゃない。
ここから先は、シェッドが続く。
交互通行だった現役時代の名残か。
旧道の道程には、凄まじい轟音を上げる、国の登録有形文化財の釜ヶ渕堰堤。
振り返ると、「かまとんねる」の表示。
字体とひらがなオンリーな表示に、時代を感じる。
勾配のあるシェッドは長く続く。
釜上洞門を来た道(終点)方向へ向いて撮影。
現道との出会付近。
次は、上高地トンネル旧道。
路面は見えず、草が繁茂し、落石だらけ。
約7年半前に上高地へ来たときにバスでこの道を通行しているが、この状態を見ると、廃道化処理がなされたと思われる。
現道との出会付近。
起点側から撮影した、現在の上高地トンネルと、約7年半前まだ工事中だった頃の上高地トンネル。
あこがれの旧釜トンネルと、現役時代を実際に通行している上高地トンネル旧道の探索は、たいへん有意義でした。
こんなトンネルを交互とはいえ超多数の車やバスが通行していたのかと思うと、興奮を抑えきれませんでした。
しかし、久しぶりの道路系レポで、準備の不足で少しだけ後悔した部分もありました。
酷道熱が再燃しつつあるので、もう少し探索頻度あげようかと思った、今回の探索になりました。