宮川博孝【Hirotaka Miyakawa】 Blog

映画

今日は実写版攻殻機動隊を娘と観ました。
アニメ攻殻機動隊が公開された時に実写版をまさか娘と観る事になるなんて思いませんでした。

面白かったです。
良い意味でハリウッド映画になっていて、娘には観やすかったかも。

続編に期待。

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肥える

最近体重がめっちゃ増えた。
試合が終わってからちょっと別の仕事をしてて、それが夜しか飯食えなくてまずは3Kg太る。
その後ちょっと怪我したんですが、仕方ないから筋トレ。
さらに好きな物を食べてたら4Kg。

と言うわけで現在75Kg。

生活しにくいレベル。

明日から練習復帰するからまずは60Kg台にしなきゃな。

2ヶ月

この2ヶ月、一生分いろいろ考えた。
やっぱり助けてくれるのはともかくにきつい思いをした先輩。
いなくなった、離れていった人達に俺の頑張りが伝わればと。
頑張るしかない、仕事と、ファイター。
与えて貰えるように自分が努力。
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凛々しい

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日常と非日常

日常ってのは生活。
非日常っとは格闘技。
高齢になった親の事、自分の将来設計。

格闘技のマネージャーの仕事もどんどん入って来る。


それでもリングに立つ事を選んだ。

と言うかリングに向かって動き出した。



まずは、悪意で最初にくっついた脂肪をとるか?

T2 トレインスポッティング2

発売された。
この映画が上映される少し前に、レントンを地で行く地元の友人が死んだ。
警察は自殺だって言うけど、俺はいつもみたいに酒を飲み過ぎてドラッグをやり過ぎて死んじまった事故だと思うようにしている。

17歳の時に二人でこの映画を観に行ったよ。
一緒に行った映画がそうさせるのが、一緒に人がそうさせるのか、トレインスポッティングは忘れられない映画になった。
例えばアラジンも。いつだっとて好きな気持ちを思い出す。M.

そんな相棒が死んでこの映画を観た、この映画に出てくるキャラクターと同様、俺たちはクソで短気で、何にも変わってないけど、やっぱり最高な映画だと思った。
何にも変わらないクソ野郎が一人か生き残って一人が死んだ。
世間にはそれだけ。
CHOOS LIFE か CHOOS DIE だ。

たけお、来年の夏にはお前のイベントやろうと思ってるよ。

この文章を読んだ奴の中にはノスタルジアに浸ってるって笑う奴がたくさんいるだろう。

おれがきっちりわからせてやるからな。

化けて出なくても良いよ。

ゆっくり休んで。

お前が言う通り俺の文はオナニーみたいな文章だな。

そこも、何にも変わっちゃいない。

減量中

ちょこっと違う仕事をしていた事で生活が不規則になり、かなり体重が増えた。
半年競技から離れていたが
がっつりとは触れてなかったから戻し方は知ってるつもり。
内山くん、佐々木さんと小口さんのボクシング、高阪さんに教わった気持ち、仲間が教えてくれた俺の不甲斐なさ全部、知る事が出来たのギリギリ間に合った。
もうしばらくこの仕事させてもらったらどんな仕事だって家族を生活させる為にやるから。
そんな遅咲きの人間がいても面白いかなと。
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愛してるぜ東京!

剣道

剣道を始めようと思います。
剣道好きってのもあるけど、格闘技での間合いをもう一度見直す為、定期的に刺激を入れたり試合に出る為です。
これでも全国大会出て武道館で試合してるんですよ。
ただ20年ぶりだから出来るか心配だなぁ。

PC

最近、とある理由があってPCと睨めっこしています。

何と言うか誰かに期待をして頂いてチャンスを貰えるって事は今の自分にとっては、本当にありがたい事です。

やりたいと思う事と、やると言う事は全く違う事で、さらにやったと言う事と出来たて言う事では随分と差がある事、出来る様になりたいもんです。

格闘技、コツコツと稼ぐ事、チャレンジする事、頑張って行こうと思います。

こやつがちょこちょこPCに乗って来て和ませてくれます。

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パンクラス

8/20はパンクラスでした。

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‪ニグロパンチこうた17歳は気合いの判定勝ち。ネオブラチャンプに。‬
‪猫大好き伸樹は久しぶりにリアネイキッドチョークで元UFCファイターに一本勝ち。伸樹も数年前のネオブラチャンプ。‬
‪ハンサムよしのりは圧倒的なKO勝ち。ネオブラチャンプ。‬
‪ALLIANCE強いでしょ?って1日でした。‬

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自分は一度は業界を離れようとしました。
でも、戻って来ました。
誰かの為にではなく自分の為にです。
往生際が悪いと言われようが、何を言われようが、自分の中で理由があって、自分が選んだ選択肢です。その理由を他人に理解してもらおうなどとは全く思いません。
自分の意思で選手を続けます。
だから、試合を見て早く自分がやりたくなりました。

話は変わりますが、彼らはきっと実績で言えば僕よりも上に行く確率は高いでしょう。伸樹に至ってはすでに。

彼らはこれから壁にぶち当たる事があるかも知れません、そんな時に自分が彼らをサポートをする事が出来る事があると思います。それが格闘技の事かもしれないし、生活の事かも知れない、全く関係ない事かも知れない、そんな時に誰かに相談する事を俺は弱いとは思いません。
例えばひどい怪我や病気をする、それを治したくて誰かに頼る事が弱いとしたら、世の中に強い人はいないでしょう。
自分は身体を治したい人がいたら、ドクターを紹介します。感謝されようがされなかろうが、それが僕の性分だからです。

チームワークなどとは別に自分が治って欲しいと思うからです。

それと同じで自分はこれからもサポート出来る事があれば彼らの為にやります。

もう一つ、自分はアライアンスから給料をもらって彼らの試合を組んでいます。
高阪代表の試合から、オープニングファイトまで。
だから、仕事として各団体と話して試合を組みます。もちろん勝率が高くなる様な試合が組めれば良いのですが、今の業界ではなかなか難しい、だから、ある程度まで自分で上がってもらって、そこからは勝ったらどのくらいその選手のキャリアにとって意味があるものかを考えて試合を組みます。
今回の藤井が良い例です。今回の試合を組むにあたってはかなり難しい仕事でした。
組めた時にはほっとしました。
でも、勝ったのは彼なのであって自分は仕事として彼に試合を組んだわけです。
もちろん可愛がっている後輩ですから、嬉しいです。

試合を組む事、結果を出した事に対して自分はやってやったぜ!などとは思った事はありません。
ただ、伸樹が試合で勝った時に抱きついて来て感謝の気持ちを述べてくれる時はとても嬉しいです。

この文章を読んでて何が言いたいのか?と思ったり矛盾を感じる事があると思います。
自分はそれこそが人間だし、一つの言葉や道理だけで生きては行けないものだと思っています。だから、自問自答しながらこの文章を書いています。

焦ったり、もがいたり、誰かに不快感をもたれたり、矛盾だらけの行動に自分に失望したり、色んな自分とここ数年付き合って来ました。それでも自分と言う人間をやめるわけにはいきません。
だから、出来る事を一つ一つやりながら、明日からもまた自問自答しながらやるべき事をやろうと思います。

笑顔

ステカセ帽子と悪魔将軍Tシャツを着る娘。

この笑顔が見たくて生きてるんですよ。

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母親

母親に感謝
以上

20170813

今日はパーソナル指導してから、試合前の伸樹のミット持って、距離を確認。
伸樹絶好調。
パーソナル受けて下さる方々には本当に感謝。

今は毎日毎日出来る事をしっかりやろう。
それからだ。

20170812

今日は仕事の後に、娘とランニングと筋トレ。
バレー部で毎日鍛えてる娘はだいぶ体力が付きました。
レギャラーにもなれそうなんで、頑張って欲しいです。

俺は東京に残りますが家族は実家に帰りました。しばらく一人です。

暇だ。

両親

うちの親父は寡黙で仕事人間でした。
ゼネコンで上の方にいたのですが、俺にはずっと「建設業」としか教えてくれませんでした。


母親は自分の事より家族のことや困っている人の事を一生懸命にする人です。
それは今でも変わっていません。


親父はちょっとしかない休みに俺を車に乗せてクワガタやカブトムシを捕りに行ってくれました。
その車中で聞いたラジオで巨人の試合をいつも聞いてました。
俺は今でも巨人ファンです。


母親は優しくも厳しく、俺にちゃんとした教育を与えてくれました。
それを思うと申し訳ないなと思います。
やっぱり一番優しいのは母親だと思います。

俺は人との距離感を取るのがすごく下手くそです。一生懸命やればやるほど、距離が遠くなる。そんな俺を変人扱いせずに常に支え続けてくれているのが妻であり両親です。


良い妻と良い孫と会わせる事出来たのが俺の唯一した親孝行です。

今年の夏は仕事で実家に帰れないっぽいですが、妻と娘と猫を連れて少しは顔を見せに行きたいです。
Title Photo by Fujisato Ichiro



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Profile

宮川 博孝
所属:ALLIANCE
生年月日:1979年6月17日
出身地:静岡県三島市
身長/体重:165cm/60kg

幼い頃から類まれな運動神経を発揮。その後も剣道を続ける傍ら空手にも興味を持ち、高校3年時に極真空手に入門した。

20歳で総合格闘技に目覚め、2001年4月にはリングス前田道場に“通い”入門すると、当時シアトルで修行中だった高阪を訪ね、2001年10月に高阪が創設したALLIANCEに参加。数々のアマチュア大会を経験し、2004年9月のZST6でプロデビューを果たした。

以後、ZSTではリトアニアのアンジェ・クジェネフスキーを開始わずか42秒ヒールホールドで秒殺すると、同年11月から始まったZST-GP2に参戦。初戦のマイク・フレンチを1R4分フロントチョークで下すと、準決勝ではレミギウス・モリカビュチスに敗れはしたが、ZST-GP2ベスト4に入る活躍をみせた。

2006年からは主戦場をDEEPに移して、闘いを続けてきたが、ケガにも悩まされ長く戦列から離れていた。それでも、厳しいリハビリと絶え間ない努力を続け、2009年にケージフォースで復帰を果たすと、グレイシーバッハの金内裕哉を下して復活の勝利。2010年8月のDEEP49では、寒天健士をKO で下した。


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