September 09, 2011
Whale No.12
Newメインブログ「ALOHA DESIGN ON BLOG」を更新しました!
是非、New Blogへどうぞ!
Newメインブログのアドレスのブックマークがまだの方はぜひお願いいたします!(笑)
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村

にほんブログ村
是非、New Blogへどうぞ!
Newメインブログのアドレスのブックマークがまだの方はぜひお願いいたします!(笑)

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
September 15, 2009
New Blog でお会いしましょう!
当Blogはお引越しをさせていただきました。
これからは下記にてBlogを続けてまいりますので、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
なお、これまでの記事はこのまま残しておきます。
いつでも覗きに来てやってくださいませ。
New Blog
ALOHA DESIGN ON BLOG
http://alohadesign.blog.so-net.ne.jp/
マハロ! マハロ!
これからは下記にてBlogを続けてまいりますので、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
なお、これまでの記事はこのまま残しておきます。
いつでも覗きに来てやってくださいませ。
New Blog
ALOHA DESIGN ON BLOG
http://alohadesign.blog.so-net.ne.jp/
マハロ! マハロ!
August 06, 2009
Blog の移転

以前から livedoor の対応の悪さは定評がありますが、
初めて Blog というものを恐る恐る始めた頃から利用してきた Blog なので、
少々ダサくても、対応が悪くても、ずっと使ってきました。
でもねー。
色々あった対応が残念すぎたのでね……………………。
有料プランにしてエクスポート&インポート(データの移動)も試してみたんですが…。
まあ、テキトーな対応が目にあまりましてね。
結構ひいきにして使ってきたんだけども。
それに4年間使っても livedoor ポイントなんてなんにも付いてないし(笑)。
so-net は僕のメインのドメインなので、so-net に移転しようかと。
so-net も Mac 使いにはあんまり優しくないプロバイダなんですけれども、
ドメイン使ってるだけでポイントも結構たまってるし。
Blog なんて実際に使い出してみないとそのプロバイダがいいかどうかなんて分からないんですけどね。
なので結局なんだかんだ言っても livedoor がよかったな、なんてことになるかも知れません。
でもいいんです。
ほんとにいつもlivedoorの対応はがっかりな感じですごく残念なんですから。
まあ心機一転なんて感じもいいかも。
デザインもとっくに飽きてましたから(笑)。
結局すべての記事もコメントも移転、というのは無理なようなので、
この Blog は残しておきますよ。
もちろん有料プランも解約。
過去記事として永遠に存続します。
次回は新しい Blog になってるのかな?
これからも皆様よろしくです!
マハロー!
August 03, 2009
600メートルの精神力

僕の大好きな「チェリオ」というアイスバーが売ってる
100円ローソンに立ち寄りました。
「チェリオ」は売り切れててなかったので、
チョットがっかりしながらついでにお豆腐と納豆と
100円で買えるコカコーラを購入した途端でした。
ギュルルルル〜〜〜。
突然お腹の調子が!
「こ、これはヤバイぞ!」
猛烈な便意!
しかも感じからしてレイドバック(ゆるい)系に間違いない!
急いで帰路についたのですが、歩を進める事自体がまるで修行のような生き地獄。
思い返せば、学生の頃はあんなに悩まされた便意との戦い。
僕らの小中学生の頃なんて、学校でウ○コなんかしようものなら、
まるで犯罪者のように扱われた時代です。
大人になって、しかも会社勤めもしていない自由な日々を送るようになってからは、
そんなに便意を我慢することも少なくなっていました。
久方ぶりの突然ののっぴきならない猛烈な便意。
5〜600メートルくらいの距離なのですが、
オフィスの便器までの距離のなんという果てしなさ。
地面を見つめ、一心不乱に歩み続けるalo-hadさん。
色んなことを思います。
いいおっさんが歩きながらタレるのか?
今日の短パンは薄いベージュだし、漏れたウ○コの痕跡はハンパないぞ。
しかも「チェリオ」も手に入れてないのに?
しかも幼少の頃の経験から、一瞬でも堰(せき)をはずしたら、
出切るまで止まらないウ○コの習性を知っている。
短パンだから裾から容赦なく出切るまで流れ落ちるぞ!
おっさんが泣きながら立ち尽くして出尽くすまでタレている。
そしてそれが僕。
Noooooooooooo----------------------------!!
オーマイガッ!
なんというイメージ!
あり得ない! それは絶対にあり得んぞーーー!
ヌオオオーーー!
そんな感じで必死で歩み続けました。
しばらくすると便意というものはグラフでいうところの平坦な部分に差し掛かります。
その時の精神状態や身体的な運動のリズムを必死でキープしようとするものです。
横断歩道が運良く青信号。
リズムをキープしつつ、余計な雑念を払いながら横断を始めた時、
なんと信号無視の車が突っ込んできたのです!
間一髪よけたので事故にはなりませんでしたが、
車はそのまま猛スピードで行ってしまいました。
僕はとっさのイレギュラーな動きとびっくりしたことと、
その車への怒りで便意が激しく復活。
あやうく膝をつきそうになるくらいの猛烈すぎる便意だ。
顔がゆがむ。
手がペンギンの真似をする時のような格好になっている!
偶然その瞬間を見ていた自転車便の兄ちゃんが心配してくれて
「大丈夫ですか? 当りましたか? 怪我されてますよね?」
そういって駆け寄って来てくれたのですが、さすがに
「いいえ。ウ○コなんです」
とは言えずに「だ、大丈夫です」と鬼の形相で呟きその場を離れました。
後100メートルなんだ。
最後の力を振り絞って最後のコーナーへ!
しかし、常に最後のコーナーは大変な戦いのクライマックスでもあります。
ここで歩みが止まりそうになりながらも、なんとかマンションへ到達。
こんな時はいつも不思議と鍵もなかなか刺さらなかったりする。
そしてビーサンのままトイレに駆け込み……セーフ。
至福の排泄の瞬間。
僕は心の中で「ありがとう!自転車便の兄ちゃん。君はナイスだ!」と
ようやくお礼が言えました。
人はあらゆる時間と場所で、常に戦いを強いられる。
そして常に精神力を問われる生き物なんです。
極限の状態とはいえ礼節を失った僕は、まだまだなんだな。
マハロー!
I can hear music - Kathy Troccoli and Beach Boys
July 28, 2009
ブォンジョールノ!

昨日、目の前で茶紙が破られて完成本が登場いたしましてね。
いつ立ち会っても素敵な瞬間でございます。
バールとは、イタリアのカフェなバーのことで、
イタリアでの生活には欠かせない場所です。
そこで「カプチーノくださーい!」と言ってみましょう…
とまあそんな本なのです。
つまり語学本です。
でもオールカラーという語学本にあるまじき
無駄で贅沢なビジュアル本でもあるのです。
評判も上々みたいです。
いやー。出来たよ、ほんとに。
ビジュアル語学本ということで、スタート時にはどういうイメージになるのか手探りの状態でした。
でも色んな条件や都合でたくさんやり直しましたが、
とっても素敵な本になりましたよ。
世の中に数あるイタリア語の本の中で
一番いい本にするのが編集者とデザイナーのお仕事です。
「とりあえずルーチンなので作りましたよ。イタリア語の本」というわけにはいきません。
目指すのは常に「一番いい本」なんです。
プロフェッショナルが抱く自己満足は実は大切なんですよ。
自分たちが満足しなかったり、達成感がない仕事は、
どうもいいものになっていない可能性が高いのです。
その「残念感」はきっと読者にも伝わるものです。
だから本作りは編集者とデザイナーに任せておけばいいのですけれども(笑)。
まあそういう風に任せてもらえない時もある、という脱線話でした(笑)。
実はこの本を作ったフリーの編集者と、出版元の三修社の担当編集者と僕はmixi繋がりです。
フリー編集者のおはらさんは素敵な本を紹介するブログをやっていて、僕はそのブログのファンだったのです。
で、たまたまmixiで見つけてマイミクになっていただいたのですよ。
でも、いつか一緒にお仕事出来たらいいなぁとは思っていましたが、
そんな感じでゆる〜く2年間程繋がっていただけでした。
そしておはらさんと三修社の担当編集者のまついさんも、
同業ということでmixiで仲良くなったそうです。
企画が盛り上がって、おはらさんが僕を薦めてくれて、
めでたく当プロジェクトがスタートしたというわけです。
前から知っていたのに、初顔合わせはなんか変な感じでしたけれども。
「今さらmixiなんて」と批判もたくさんありますが(笑)、
いいトリオが組めて、
いい仕事が出来て、
いい本を上梓出来て、
とってもいい感じの夏の陣でございました!
さらに当トリオで2冊の出版が決定していますので、
皆様乞うご期待!っちゅうことでございます(笑)。
語学本なので興味のあるなしはあるでしょうが、
書店で見かけたら是非手に取って見てみてくださいねー。
イタリア語での「こんにちわ!」は「Buongiorno!」。
「ボンジョルノ!」ではなく「ブォンジョールノ!」。
この本で最初に覚えたことでございます(笑)。
「ありがとう!」は「グラッツェ!」ではなく「Grazie!=グラーツィエ!」。
マハロ! グラーツィエ! LORRIE MORGAN Feat THE BEACH BOYS - DON'T WORRY BABY
July 24, 2009
デザイナーは魔法使い

少子高齢化に伴う諸問題を国際的・学際的な視点で調査研究して、政策提言を含めたあらゆる貢献活動を旨とする研究機関です。
そのILCのグローバル・アライアンスという組織が発行したレポート『A People of Older Japanese 2009』という刊行物のデザインをさせていただきました。
日本のお年寄り事情のデータや傾向のまとめなどで構成された国際向けのレポート集といった感じです。
なのですべて英語編集の冊子です。
なので中身はよくわかりません(笑)。
なので表やグラフなどで想像するしかありません。
お固い機関なのであまりデザイン性に走ると怒られます。
でもデザインの力は大切なんだと伝えるべく頑張りました。
グラフや表もすべてアロハが組んだので、それもデザインされていないといけない、と頑張りました。
中身もわからないまま(笑)。
こういう研究機関の刊行物と
通常の出版社マターの刊行物との大きな違いは、
クライアントが「出版素人」だということです。
「出版素人」なんて括りましたが、
これは蔑称ではありませんのであしからず(笑)。
事情を知って手加減してくれる出版社仕事ではなく、
自由奔放にリクエストをしてくるクライアントの場合が多い、という意味です。
すべての色をAからBに変えてほしい。
(単純に色を変えるだけでは文字が見えなくなったりしますから調整を…)
変えてくれたけどやっぱりBに戻してほしい。
(すべての作業を逆回転???)
ここの文字はもっと大きく。
(そうすると、こことのバランスが悪くなりますが…)
でもここの文字はあまり目立たなくてもいい。
(じゃあ、こういうバランスがベターかと…)
うーんやっぱり違うような…やっぱり元に戻してください。
(えええ?? わ…わかりました…)
…とまあ終始こんな感じです。
玄人目に見たら不可能だろうと思えるリクエストを
なんとか形にしてゆくデザイナーは魔法使いなんです。
そう思っている(としか思えない)人たちを相手にするのですね。
「これだけの分量をここに収めてくださいな」
「これだけしかないアイテムをここにおしゃれに並べてね」
でもそれはスキルを持ってないのだから仕方ないのです。
根本は「いいものにしたい!」という欲求や希望がそのリクエストを生むのですからね。
出版社クルーのように行く先をある程度想像出来る経験もスキルもないのだから、
(困ったことに、出版社クルーのくせにそういう人もたまにいるんですけれども)
魔法使いであるデザイナーは彼らの吟味につき合ってあげないといけないのです。
なのでデザイナーは、「魔法使いじゃないんだから」なんて愚痴をこぼしてはいけません。
根気よく。
腐らずに。
だって本当に魔法使いなんですから。
時々マジで魔法がかからなくて狼狽したりしながらも(笑)。
そんな仕事でも、出来上がり時に
「デザイン力の大切さを感じました」
などと言っていただけると、魔法使いも木に登るってなもんです。
本当に魔法が使えたらいいな、と思う事があります。
いや。いつも思います。
「アロハバビデブー!」
茶紙に包まれた新刊書籍の包みが出来上がりー!
マハロ。
July 21, 2009
桑田さんのゲリラライブ鑑賞!

少年野球のコーチを終えて帰宅して、
シャワーを浴びてゆっくりし始めた頃。
奥さんの携帯に、
奥さん情報網でキャッチされた有力情報を傍受。
「今からサザンビーチで桑田さんのゲリラライブがあるよ!」
え? ぬなー!! それは行かなきゃ!
ということで子供は興味なく、
奥さんは嵐のゲリラライブじゃないので僕だけ自転車を飛ばしてサザンビーチへ。
到着するともう黒山の人だかり。
とある海の家がステージになっていて、海をバックに歌うというスタイルらしい。
そのバックステージのすぐ後ろの位置を運良くゲット。
そして6時半くらいまでその海側で待っていたら桑田さんが登場。
「茅ヶ崎に背を向けて」からそのゲリラライブはスタートしました。
夕暮れ。
海。
そして桑田さんの生演奏。
サイコーの夏のプレゼントじゃありませんかー!!
「ラチエン通りのシスター」
「チャコの海岸物語」
「夏をあきらめて」
「MY LITTLE HOMETOWN」
「MERRY X'MAS IN SUMMER」
「真夏の果実」…
と茅ヶ崎由縁の名曲を中心に次々と披露されるナンバーに夢見心地満載だ。

昨日の夜の「音楽寅さん」に最初の5曲はもう使われていたから、なんという即編集(笑)。
現地編集でオンエアーみたいな、半生放送状態だったみたいですねー。
このライブの模様は来週も放送されるらしいので楽しみに待っていよーっと!
マハロ!
July 13, 2009
必要な人
腹筋を極力使わない生活は結構辛いものです。
ずっと続けていた週3回のランニングも筋トレも封印。
というよりも椅子に座って仕事をし続けるのも辛いくらいです。
でもまあ日々は容赦ないわけで(笑)。
なんとか乗り切ってここまでやってきましたよ。
折角締まってきた(ような気になっていた)身体もなんだか緩くなってきている(ような気がする)。
早くトレーニングを再開したいもんです。
そんな中、子供達に野球を指導するのは休みたくないので悟られないようにね。
盗塁の練習にピッチャーをやったり、牽制球の練習でファーストに入ったり。
気を失うかと思うくらいでしたが(笑)楽しく頑張りましたー。
最後は遠くの子に指示出来ないくらいに痛かったですけれども(笑)。
でもここにきてようやく痛みがマシになってきた感じです。
その翌日からなんとなく痛みが弱まってきた感じなので、逆によかったんだよ、なんてね。
うん。夏だし。
いいんだよ。それで(笑)。
確実に良くなっているに違いないからね。
仕事や家族以外の繋がりでも人に必要とされるということは、生きる上で大きな喜びです。
無条件に応えてあげようと思えるし、充実感と共に日々を生きるエネルギーにもなります。
人はそういう生き物だと感じています。
本当は誰もが誰かに必要とされているのだけれども、
それを実感出来るかどうかはまた別問題でもあります。
必要とされる。
結局のところ、人生の意味とはそれに尽きるのだと思うのです。
唯一無二ではありませんが、誰かに必要とされていると実感出来るということは、
それだけで生きるという意味を見いだしていると言えるくらいだと思うのです。
だからそれを渇望するし、実感出来ない環境に陥ってしまったとしたらそれは深く悲しいことです。
『「本当に」必要とされているのだろうか?』
そんな風に考えてしまって二の足を踏んでしまう事は僕にもあります。
でもね。
そうなら「本当に」必要とされよう、と踏み出すこともいいかも知れないな、とも思うのです。
色んな関係の中で、色んな状況が絡んで来て現在があるわけです。
その中で、いい感じを目指して進むには、
結局自分で踏み出さないといけない場面もあったりしますからね。
踏み出してはみたものの、やっぱりダメだわ、、、なんていう場面もあるんだけれども(笑)。
仕事に於いても、僕を必要としてくれた(と感じる)仕事なら、
普通よりも要領が悪い進行になってしまってもがっかりしないものです。
「誰かにとって必要な人」になれるようになりたいな。
僕が多くの人を必要としているからね。
それに比例した数か、それ以上に必要とされるように(笑)。
マハーロ!
July 06, 2009
役割
多分(笑)。
息子の所属する野球チームには監督と3人のコーチが付いています。
でも野球経験者が監督だけなので、
「もし時間があれば、是非練習に来て、子供達に野球を教えてやって欲しい」
とお誘いを受けていました。
なかなか時間も休みも不定期なこの仕事柄、なかなか顔を出せずにいたのですけれども。
土曜日の朝にオフィスから帰宅して、すぐに野球の練習のお手伝いに久しぶりに参加させてもらったんですね。
最近、都内で走ってるし、筋トレもしてるから怪我の不安もないし。
なんてタカをくくっていたら、痛めてしまいましたよ。肋骨を(笑)。
死角にあったベースを踏んじゃって、無理な体勢で身体をこらえた瞬間に「ビチッ!」と音が。
最初は腹筋か肋間神経がやられたと思ったんですけど、時間が経つにつれてどうやら肋骨だな、と。
誰もいなかったら間違いなくその場にうずくまるくらいの激痛。
でも子供達の手前そんなの格好悪いから平静を装ってね(笑)。
夜は眠れないくらいに痛かったのですよ。
その代わりと言ってはなんですが、翌日のリーグ戦は優勝候補の相手チームに逆転サヨナラ勝ち!
まあ、息子はレフトで先発しましたけれども、
一度も打球が飛んでこなかったし、守備機会0で1三振で交代したので、
そのサヨナラ勝ちには何の貢献もしていないのですけれどもね(笑)。
それでも「我がチーム」が勝つというのはとっても嬉しいわけでね。
肋骨痛も報われるというものです。
僕のミクシィ繋がりの友人の日記でマヤインディアンの詩を紹介していました。
「お母さんは赤ちゃんを胸にしっかり抱きしめて、人間は信頼できる、世界は平和であることを教えなさい。
お父さんは赤ちゃんを高い丘に連れて行き、高い高いをして、世界はいかに広いか、そしていかにすばらしいか教えなさい。」
という素敵な内容でした。
母親と父親の役割を端的に表現した詩ですね。
母親が人を信頼していなければ、
父親が世界を素晴らしいと思っていなければ、
どんなに子供を抱いて高い高いをしても、
子供はそれを見破るだろう、という親に向けられた教えの詩です。
僕の場合は世界の広さを教えてくれたのは母親でした。
父からは勤労と信念の大切さを学び、
母からは海外ドラマや洋画を通じて海外のカルチャーを。
そして画集などの蔵書でアートを教えられたものです。
小学生〜中学生の頃は海外の国は僕の憧れでした。
アートや絵画は僕が周囲から認めてもらえる大切な才能でもありました。
今の僕は子供に何を与えているのだろうといつも思うのです。
野球を通じて息子に与えられるものは?
コーチの手伝いをして、他の子供達にも僕の野球知識を伝える行為そのものが、
息子に何かを伝え与えることになるんじゃないか、などとも考えるのです。
日々の日常でも、世界の広さ、そして素晴らしさを子供達には一生懸命に教えているつもりなのですけれども。
親になった自分も、いつも試行錯誤しながらも成長を課せられながら生きています。
あの頃、完璧に見えた、自分の親も実はそうだったんだな、と気づきながら(笑)。
マハロ。
July 01, 2009
信じてること

それでも自分が信じるものを生きる指針としたいと思うのです。
「思う」というよりも
「信じているものを生きる指針にして生きてゆくことがいいことなんだということを信じる」という感じ?
いや、「信じる」というよりもむしろそれは、そうであって欲しいという「願い」か。
大きな懐に抱かれたような安心感。
拠り所となる自分の心の居場所。
自分が信頼するものが自分を高めてくれるような感覚。
勤勉や努力や精進にも繋がっている自分の重要な成長装置。
あるいは迷った時や沈んだ時の駆け込み寺。
信じていることや、信じれると判断出来るものを傍らに置いて生きてゆくのは、
とても心地いい日常です。
でも実際は、信じられないことや、
懐疑心や不快感を生み出す得体の知れない邪悪な世界とも
折り合いを付けて生きてゆかなければなりません。
自分を成長させることなど
微塵も考えたことのない(と思わざるを得ないような)人が稀に出現して、
周りの人間を深く傷つけ散らかす事態に巻き込まれたりすることもあります。
自分の信じる世界を他人の信じる世界に凌駕されてしまったり、
いわれのない優先順位に翻弄されることもあります。
上記ほど深刻ではなくとも、そういうことにかするだけで僕らは疲弊するし、
停滞した心で悶々と日々を過ごさなければならなくなるのです。
それでも、信じられることや信頼の置ける万象の全てが、
困難な日常を切り抜ける道標であって、
明日に向かって歩き出そうとする本能的な想いの糧になるのだと思うのです。
自分の信じる世界は振りかざすものでは決してありませんからね。
他人を屈服させるための道具でもありません。
根源的に、そして絶対的に、
自らの内なるジャイロスコープの安定に必要な制御システムであるべきで、
内面のみで信じていればいいものだと思うのですよ。
だから今後も。
自分が信じてることと違うことをしなければならない時でも、
僕は笑って「お仕事」をこなすだろう。
もう随分と前に、
そうすることが僕のデザイナーとしての引き出しを広げてくれるのだと
「信じる」ことにしたから。
そうやって対人することが僕の人間力を高めてくれるのだと
「信じる」ことにしたからです。
若かりし頃は、クライアントが望むものが僕のデザイン・ポリシーに反しているとして、
それが僕の仕事だと露出する事にどうしようもないくらいの恐怖を抱いていました。
でも今は、デザイン・ポリシーを逸脱したお仕事だとしても、
そしてそれが僕の仕事だと露出したとしても、
どうしたって僕のデザイン・ポリシーの根幹は揺るがないことを証明出来るからです。
歴史と実績は時に邪魔になったりもするけれど、
経験としての引き出しを多く生み出してくれるものです。
まあ、それもやっぱり「信じる」というよりは「願い」なのですけれども(笑)。
「願い」だから改めてこんな決意表明みたくなっちゃうんだな(笑)。
えらそうに!
ああ〜〜〜!!
やっぱり今日もオレはまだまだだということか。
マハーロ!
June 25, 2009
海辺の町を走るバス

主人公は夢叶ってバスの運転手さんになった中田さん。
そんな中田さんの生まれ育った田舎の海辺の町を走るバスと、それを巡る人と人とのふれあいと命の大切さを描いた絵本です。
事件の展開にあわせて、ちょっと緊迫感も表現しようと頑張りましたよ。
自分でレイアウトしながら、絵につられてドキドキしながらデザインしました(笑)。
久しぶりの絵本のお仕事でしたね。
最近させてもらえてなかったのでスネてたらお仕事いただけました。
嘘です(笑)。
ちゃんとしたお仕事なんですから大丈夫。
スネてませんから。
不況で大変ですが、それでもお仕事をさせていただけるだけで感謝なのです。
出版社の方々。ありがとうございます。
これからも頑張りますからー!
…で、海辺を走るバス。
この絵本ほど風光明媚でのんびりとした感じではありませんが、我が134号線にもちゃんとバスが走ってます。
江ノ島〜七里ケ浜〜鎌倉間の海辺の134号をのんびり走るバスもあります。
江ノ電よりも海が見えます(笑)。
本数は少ないけれど、辻堂から江ノ島へも行けるみたいです。
この区間の134号はほとんど海が見えませんけれども。。。
逗子から佐島へ行く秋谷経由のバスも海辺を走ります。
ここはちょっと絵本の世界に近いかも。。
夕方は絶景だと思います。(夕方に走ってるのか知りませんけれども)
そういえば、学生時代の観光バス以外で海辺をバスで走ったことないです。多分。
学校帰りや仕事帰りに市バスとか路線バスに乗りながら、海をぼんやり眺める……
なんか、映画みたいです(笑)。
マハロ。マハロ。
June 22, 2009
勧善懲悪

ウィキペディアによると、「勧善懲悪」(かんぜんちょうあく)とは、「善を勧め、悪を懲しめる」ことを意味する四字熟語であり、古典文学上の理念や倫理である、とあります。
水戸黄門や銭形平次などの時代劇や、仮面ライダーを始めとした多くのヒーローものなど、昭和の時代に多く作られた作品で展開された教育上の基本概念でもあります。
なので、僕らは小さいころから「勧善懲悪」を観て「善」を知り、「悪」のしょーもなさを覚えて育ちます。
単純で、幼い心をまっすぐに育てたいと願う大人達には好都合な概念です。
子供も「善」がカッコいいのだと信じ、余計な「ダークサイド」を排除した環境ですくすくと育つわけです。
子供はそれでいいのです。
「勧善懲悪」の「善」の頂きに立つ事がゴールとなるのですから。
でもある時期から当然ですが、世の中は「勧善懲悪」で成り立たない事を僕らは知ってゆきます。
実は「勧善懲悪」には哀しみが存在しません。
でも実際には、僕らは理不尽な世の中の諸事に憤るし、深い哀しみが数え切れないほど世の中を埋め尽くしていることを知ってゆきます。
「勧善懲悪」の「善」のゴールの向こう側には実は何もないことを知ってしまうのですね。
「悪」になった人には「悪」にならざるを得なかった過去があるのかもしれない。
「善」を振りかざす人の背後にある計算や打算が見え隠れして、「善」の意味を信じられなくなることもあるかもしれない。
心の底でサブリミナル的に刷り込まれた「善」への依存がなくなることはないだろうとも思う。
そしてそれは僕らが日々を生きるための安心にも深く繋がっている。
でも、そういう「勧善懲悪」では描けない想いや概念が表現された作品に出会うと、その後味は哀しみに色濃く寄り添ったものになります。
小説でも、漫画でも、ドラマでも、ドキュメントでも、映画でも。

宿命として背負ったものの違いが「悪」と呼ばれるかどうかを決めるという不条理。
哀しみによって「ダークサイド」に落ちるという絶望的な深い哀しみ。
愛する人を救いたいと強く願う心が強大な力を求めてしまうパラドックス。
それらは、ほんとに何日もその後味を引きずってしまうくらいに切ない「哀しみ」だ。
安心を構築するために「善」を基盤に作られた社会に生きてゆく中で「ダークサイド」は恐怖の存在だ。
絶対に「ダークサイド」はなくならないし、いっそ「ダークサイド」に身を委ねて見境なく生きれたらどれほど幸せだろうかなどと考えることもあるかも知れない。
それでも、僕らは鉄腕アトムやアンパンマンで刷り込まれた「善」を信じようと思うのです。
必ずしも世の中が「善」で動いていなくとも、世の中が「善」を信じて構築されている以上、それを「叡智」と呼んで信じて生きてゆこうと考えるわけです。
改めてスター・ウォーズ I 〜 III を観直したくらいで何を。。とか言わないで。。(笑)
単純な僕はここ数日、アナキンの深い哀しみと共にいるのですから。
そして、改めてサスケくんの幸せも願わずにはいられないのです。
マハロ。。
June 16, 2009
可愛いアップル!

昨年のお誕生日から決行して、そんなに苦労もなくここまでやってきました。
でもそのおかげで昨年は激太り。
「少し鍛えればすぐに筋肉質な細マッチョの出来上がり」な人生を歩んできた身としては、色んな意味でがっかりな一年でした。
年齢的なこともありなかなかそうもならず、色々思い知らされながら苦労してきたんですが、最近になってなんとか持ち直し気味かも知れません。
実はこの2〜3ヶ月間、最低週2回は走っているのです。
調子よければ3回。
でも背筋やふくらはぎを痛めると何週間も走れなくなるので無理はせず、というスタンスで。
それでも続いてます。
嘘なしで(笑)。
4kmちょっとの距離を。
仕事の区切りがついたり仕事を終えた夜に都内を走ります。
走り始めた頃は1km辺りで早くも「ああ、、俺は走るのが好きじゃないんだな、やっぱり。。。」なんて思って走ってましたよ。
距離も当初は1.5kmが限界みたいな。。(笑)
でも続けてると「走るのを止めたい」とか「歩きたい」という思いをだんだん抱かなくなるのですね。
それよりも走り終えた後の身体の中の燃焼感というか、
しばらく吹き出し続ける汗と共に脂肪が燃焼している感覚を実感出来ることが病み付きになるのです。
東京は坂が多いから大変なんですけれども。w w
「もしかして、オレって頑張ってる?」みたいな自己満足も満喫出来るというものです(笑)。
走るのにも心肺機能が馴れて来たので、最近は筋トレも再開しました。

ファーストフード系はケンタッキーとかはもっての他です。
時々たまーにハンバーガーを食べるくらいです。
野菜も意識してものすごく採るようになりましたし、
愛用のマーガリンの合間においしい動物性バターというのも止めました。
その愛用のマーガリンとたまーに欲しくなるお気に入りのパイン入りのクリームチーズが売ってるので、広尾のナショナル・マーケットには散歩がてらにたまに行きます。
そこで素敵なジュースを発見。
ジュースなんて滅多に買わないのですが、瓶のデザインが可愛いアップル・ジュースにやられました(笑)。
おいしそー!!
……というわけで、アップル・ジュース(\198)とパイン・クリームチーズ(\198)をゲットしてお散歩終了。
まあ、ちょっとは禁煙前の体型に戻ってきたような気がする〜といっても、
ジュースやクリームチーズを買ってるようじゃ、まだまだだな、俺も。フッ。。。。
折角誰かと食事をする時とかは我慢しないんだしね。
戻ってきた兆候があるといっても全然戻ってないんだから安心は禁物!!
さあ、今晩も走りますか!
え? 雨??
それでも行くよ!
さあ、もっと頑張れ! オレ!
マハロ!
June 12, 2009
イチコロ

DVDを借りに行った時に、なんとなく目に留まり手に採ってみたらなんかよさ気(げ)な感じが。
仕事上がりの夜中にオフィスでぼんやりと見始めたわけです。
いつのまにか僕は夢中で一気にその映画を見てしまいました。
妹の靴を無くしてしまったお兄ちゃんが、妹の靴をゲットするために奮闘するイラン映画なのですが、
それはそれはとってもとっても素敵な映画だったのです。
ウィキペディアによると1997年の作品でモントリオール世界映画祭でグランプリを含む4部門を受賞して、
第71回アカデミー賞でも外国語映画賞にノミネートされたそうですから、まあ納得(笑)。
子供が出てくる映画はズルい、とも思う。
無条件に健気だし、一生懸命だし、浅はかささえも愛らしく美しい。
そんな制作者側のあざとい狙いに簡単に乗せられる単純さや素直さがとてつもなく恥ずかしい年頃は僕にだってあったさ。
ちょっと物事を斜に構えて捉えて、感動する事や泣く事が恥みたいなお年頃。
まあ高学年から中学生〜高校生くらいか。
狙いには乗らないという態度を示すことで、世の中の仕組みのひとつを凌駕したと勘違いするお年頃。
でもそんな鎧やレジスタンスが無意味なものになってとっても久しい、僕みたいに純真無垢なおっさんはイチコロだ。
見ろ。
「イチコロ」なんて言葉を使うくらいにおっさんなんだぞ。
感動をわざわざ抑えていた頃の僕なんて忘却の彼方だし。
なので堂々と感動することになるのです。
でもね。
単純さや素直さを「恥ずかしい」と感じる時期は必要だとも思うのです。
特に男はね。
男はそんなこんなでやせ我慢を覚えてゆくものです。
社会に出たらやせ我慢はとっても大切な鎧となるのですからね。
でもそんなやせ我慢はくだらないと思っていい年齢に達した僕らは心置きなく感動する。
そしてやられると知ってながら、子供にしてやられるのです。
ほんとうに「イチコロ」に(笑)。
いや、むしろやられたくてやられるくらいだ。
静かで一生懸命で綺麗ないい映画です。
お薦めなんですけどね。
お子さんのいる方々には特に。
マハロー。
June 08, 2009
生活のオマケ
振込の用事があって、振込用紙を持って他の用事を一緒に済まそうとコンビニへ。
車のオーディオにCDを記憶させようとCDも車へ。
記憶させた時に、振込用紙が助手席にペランとあるのもなんやしCDと共にダッシュボードの中へ。
そしてコンビニに到着。
用事を済ませ「これもお願いします」と振込用紙をバッグの中で必死に探す。
当然ブツはダッシュボードの中なので見つからず、仕方なく車に戻って帰宅。
CDをダッシュボードから取り出す時に思い出してガックリ。
今度は忘れないようにダッシュボードから出して、すぐに別のコンビニへ。
コンビニに到着してバッグから振込用紙を取り出そうとしたらどこにもない。
今度は車の中に振込用紙を忘れていてまたまたガックリ。
こういう人なんです。
僕の奥さんは。
********
京都に俵屋という老舗の高級旅館がありましてね。
京都に住んでいた僕らでも一度は泊まってみたいくらいの有名な旅館です。
その旅館の石鹸がお土産としても有名で、色んな天然香料をブレンドして作った俵屋さんのオリジナル・ソープなんです。
包み紙も本体も、なんて素敵なデザインなんだろうとウットリしてしまいます。
京都に住む僕の友人が自分のBlogに書いていたのを読んだのですが、彼女はその俵屋の石鹸を芳香剤代わりに玄関先においているそうなんです。
彼女はガタイがでかいくせにそういうセンスがとってもよくて、まあ、印象、アーティスト寄りの羨ましい人間なんですね。
「おお! それはいいアイデアかも!」
早速マネっ子しようと思って通販で買おうと思ったら、偶然にも我が家に俵屋の石鹸がありましたよ。
ラッキー!
包み紙を剥いて玄関に置いてみたら、上品な香りがやんわりと広がりましてね。
ちょっと石鹸自体が古かったので、強い芳香は望めなかったのですけれども。
こういうことは日常のちょっとしたモチベーションを上げてくれる生活のオマケみたいなもの。
でもそのオマケが実は人生を豊かにしてくれるような気がしてね。
つまんないささやかなことを実践してみたら、結構心が洗われたり、嬉しくなったりすることがあるものです。
マネでいいじゃん。
じゃんじゃん採り入れよう!
ガックリくることがあってもそんなことひとつで上がれるもんですから(笑)。
マハロ〜!
****
興味のある人は「ギャラリー遊形」さんで俵屋さんのオリジナル・グッズを扱ってますので、そちらでご購入を。
ギャラリー遊形は中京区姉小路通麩屋町東入ル。ナビに入れても反応はしてくれないそうです(笑)。
参考Blog:京都eco贔屓
車のオーディオにCDを記憶させようとCDも車へ。
記憶させた時に、振込用紙が助手席にペランとあるのもなんやしCDと共にダッシュボードの中へ。
そしてコンビニに到着。
用事を済ませ「これもお願いします」と振込用紙をバッグの中で必死に探す。
当然ブツはダッシュボードの中なので見つからず、仕方なく車に戻って帰宅。
CDをダッシュボードから取り出す時に思い出してガックリ。
今度は忘れないようにダッシュボードから出して、すぐに別のコンビニへ。
コンビニに到着してバッグから振込用紙を取り出そうとしたらどこにもない。
今度は車の中に振込用紙を忘れていてまたまたガックリ。
こういう人なんです。
僕の奥さんは。
********

京都に住んでいた僕らでも一度は泊まってみたいくらいの有名な旅館です。
その旅館の石鹸がお土産としても有名で、色んな天然香料をブレンドして作った俵屋さんのオリジナル・ソープなんです。
包み紙も本体も、なんて素敵なデザインなんだろうとウットリしてしまいます。
京都に住む僕の友人が自分のBlogに書いていたのを読んだのですが、彼女はその俵屋の石鹸を芳香剤代わりに玄関先においているそうなんです。
彼女はガタイがでかいくせにそういうセンスがとってもよくて、まあ、印象、アーティスト寄りの羨ましい人間なんですね。
「おお! それはいいアイデアかも!」
早速マネっ子しようと思って通販で買おうと思ったら、偶然にも我が家に俵屋の石鹸がありましたよ。
ラッキー!
包み紙を剥いて玄関に置いてみたら、上品な香りがやんわりと広がりましてね。
ちょっと石鹸自体が古かったので、強い芳香は望めなかったのですけれども。
こういうことは日常のちょっとしたモチベーションを上げてくれる生活のオマケみたいなもの。
でもそのオマケが実は人生を豊かにしてくれるような気がしてね。
つまんないささやかなことを実践してみたら、結構心が洗われたり、嬉しくなったりすることがあるものです。
マネでいいじゃん。
じゃんじゃん採り入れよう!
ガックリくることがあってもそんなことひとつで上がれるもんですから(笑)。
マハロ〜!
****
興味のある人は「ギャラリー遊形」さんで俵屋さんのオリジナル・グッズを扱ってますので、そちらでご購入を。
ギャラリー遊形は中京区姉小路通麩屋町東入ル。ナビに入れても反応はしてくれないそうです(笑)。
参考Blog:京都eco贔屓
June 04, 2009
よそ行きビーサン


ハワイアナスのビーサンです。
いつもはハナオにブラジル国旗のついた「BRASIL」を愛用してますが、
正装感を出すために国旗モチーフのないバージョン「TOP」を購入しました。
一番安いけど、真っ白で完全な「よそ行き」用。
クライアントや出版社との打ち合わせ用のビーサンです。
「よそ行き用にビーサンを買った」と報告すると奥さんに呆れられました。
ホワーーーイ!!!


なんでアングロサクソンが生み出した変な履物が「よそ行き」で、ビーサンが「よそ行き」じゃないのか!!
「ハワイイなら、アロハシャツでも結婚式でみんな着るじゃないか!

などといきまくも、考えてみればハワイイの正装は
男性=アロハシャツ+長ズボン+革靴。
女性=ムームー+パンプス。
……うむ。
ビーサンは立派に「よそ行き」ではなかったわけで…。

まあ、わかってるんです。
僕もアンダーヘアが生え揃って数十年過ごした立派な大人なんでね。
打ち合わせなど人に会う時に、綺麗なビーサンを履いて行きたかっただけなんです……。
マハロ。
そういえば、今「マリブ+げんぺい」のコラボフェアやってます。
マリブのHPにアクセスして、生年月日とカントリーと言語を入れてENTERしたらOK。
さすがココナッツリキュールなので成人枠なのね。


すぐに出てくるボウリングムービーは無視するか見たら閉じて、
海に浮かぶ双眼鏡をクリックしたら、ゴキゲンなサンダルコラボCMムービーが見れますよー。
June 01, 2009
完璧な人間

別にファンだというわけではありませんが、あくまでも「あんな感じの女性も好み」というくらいの感じです。
まあ、どうでもいい話なんですけれども。(笑)
あの天然ぶりと柔らかい感じが好きなんです。
可愛く見せようとしていないにも関わらず、性根の部分で溢れ出てしまう人間としての隙、とでもいいましょうか。
傍から見たらグズグズの一歩手前くらいの天然ボケがいい。
女性としての天然な可愛さがにじみ出ているあの天然さがいいのです。
しかも天然的に備わっている品もあって。
この品は育ちにも影響されるのでしょうが、多分持って生まれた部分も大きいのではないかと推測します。
教養や教育から生まれるものではない「柔らかい品」みたいなものに惹かれるのです。
相田翔子さんほどではありませんが、僕の奥さんもかなりの天然で名を馳せる人物です。
でも僕が相田さんのような人が好きだから、奥さんを好きになったというわけではありません。
実はもっと完璧な人間側に寄った人だと思っていたのですけれども。
共同生活を始めてから気づいたのですよ。
「完璧な人間なんかいないのだし」と慰めるレベルとはあまりにも無関係な立ち位置だったことを(笑)。
だから僕はそんな彼女の失敗に根気よくお付き合いをする生活に馴れてしまったのです。
何かを忘れて家に引き返すことなど日常茶飯事。
あまりの繰り返しの多さで、なんの反省もしていないのかと疑うのだが、その度に一応は落ち込んでいるらしい。
まあその触れ幅も今や無きに等しい感じなんですけれども。
僕はといえば隣でニヤニヤしながら、その無駄な時間にお付き合いしている、といった風情なんですね。
そんなこんなで僕も随分と怒らない人間になりましたよ。
若い頃の怒り狂う無法者だった自分とはまったくの別人なくらいに(笑)。
それでも僕はいくつもの不徳を重ね、狭い周りの世界で他人や仲間を傷つけたり、
また世の中にそこかしこに小さく絶望しながら傷ついて生きてきた時期を乗り越えてきました。
ささやかな希望や周りからの寵愛や、仲間や愛する人と過ごす充実した時間の力で、何かをひとつひとつ克服してきたのです。
怒るという行為は、ほとんどの場合、大切な何かを隠してしまうものです。
相手よりも自分が上に立っているような錯覚。
「だからあいつはダメなんだ」
「なんであんな奴に」
「なんにもわかっちゃいないよな」
すべて自分が振り向きながら相手を見下す行為に他ならないのですね。
成長しようという本来の自分の抱いていたいはずの感覚はそこにはどうやっても介入できない。
もちろん「ルーキーズ」みたく愛を持って怒るという「青春」の時期にだけ許される状況もあるにはあります。
でも、基本的に誰かの至らない行為に激怒したりすることは、自分の成長には何の徳も生み出さない、と考えるのです。
それよりも、それによって生じた事態をどうやって修復して進めるのがいいのかを考えることの方が大切だと感じるわけなんですね。

すべての事柄を合理的にそつなくこなし、人の期待にきちんと応え、自分を律して世の中の仕組みや戒律から脱することのない人間。。。
いるのか。本当に。そんな人間が(笑)。
いるのだろう。たぶん。
でもそんな「完璧な人間」の条件を書き出してみても、ちっともそんな人間になりたいと思わせるような文言は含まれない。
結局人はそれぞれが描き抱く「完璧な人間」像への道を、ふらふらと彷徨うように歩き続けるものです。
最初から「完璧な人間」への血経限界を持ち合わせていない僕らは、ひとつひとつの愚的要素を克服してゆかなければならない宿命を背負っている。
でもそれは本当にひとつひとつ克服してゆかなければならない代物であって、なにかをまとめて克服出来るようには残念ながら作られていないのですね。
しかも克服出来るとも限らない。
果てしないイタチごっこ。
でもそれでも、何かを克服しようと進むしかないのです。
そしてそれは「自分自身が愛せる自分」になるための旅でもあるわけです。
「完璧な人間」=「自分にとっての理想の人間」=「大好きな自分」。
今でも日常の小さなことにムカついたりするけれど、今でもそんな「つまらない怒り」を克服したいと願う日々です。
ひとつのことを克服するのに何十年もかかっているのですけれどもね(笑)。
でも徐々に、そう、徐々にそうなってるのは分かるし。
それは「慈悲」に繋がり、そこから「愛」へと深く繋がる鍵のような気もしててね。
うん。宗教じゃなく(笑)。
「大好きな自分」に向かって、
まだまだ精進というわけですな。
マハロ。マハロ。
May 25, 2009
マスク率0%?

毎年毎年我が子が一生懸命に競技をこなしてゆく様を見たくて、多くのお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが集結いたします。
土地柄か、お父さんの短パン率やお母さんのキャミ率は若干高めですが、毎年ピーカン率さえも高めなので、日焼け防止ファッションの方々もたくさんおられます。
そんな毎年お馴染みの景色の中、今年は「毎年お馴染み」でいいのか??みたいな違和感が。
木曜日、金曜日の都内の風景が当たり前になっていた僕は、土曜日に異世界に降り立っていたのでした。
それはなにかと訪ねたら。
ベンベン!
そう。
インフル防止のマスクです。
それはそれは、先週の都内の異様なマスク率の高さといったら気持ち悪いくらいの状態でしたよ。
特に人が集まる駅とかでのマスク率は相当に高い印象でした。
でもね。
土曜日の運動会。
なんと見た限り、マスク率0%(笑)。
まあ、僕が発見出来なかっただけだとしても、多分1%あるかないかくらい?(笑)
茅ヶ崎(特に緑が浜&浜須賀辺り)の人たちはそういう人たち。
世の中の喧噪や心配事よりも、今日波があるかないかが重要(笑)。
まあ、それは言い過ぎですけれども、なんとおおらかな。
やっぱり子供達に移したら嫌なのでそういうこともしなきゃいけないのかな?くらいに思ってましたよ。
と言いながらも、もちろん僕もマスクなんてしてませんでしたけれども。
なんか。気持ちいいくらいのマスク率。
こんなに感染防止に躍起になっているご時世に、
そうやって生きてゆくのがいいことか悪いことかは別問題だけれども、
そういう土地柄に属している心地よさや特権的な意識は正直、あるものです(笑)。
のんびりいこうよ、では済まされない場合もある、ことは知っているけれども、みたいな。
うん。
そんなに気にしないでいいんだよ。きっと(笑)。
なんてちょっと安心した土曜日だったのでした。
前回のBlogで嵐ネタを書いたのだけれど、今が旬の嵐のスゴさを慎ましく実感しました(笑)。
僕のこのBlogもスタートして丸4年。
誰も訪れない独り言状態から、それでもコツコツと書き続けて。
アクセス数獲得にも躍起にならず、あくまでもマイペースを貫いて。
今では一日20〜50アクセスくらいで落ち着いている、とってもマイナーなBlogなのですね。
ランキングでも基本いいとこ8000〜9000位くらいのものですよ。
なのにね。
前回の「嵐鵠沼遭遇事件」をアップした日と次の日で、アクセス数は500件を超えて、ランキングで8位に!
どこからどう見つけてきて訪れてくれてるのか(笑)。
しかも誰もコメなし&拍手なし(笑)。
まあ、次の日には1000位くらいに落ちてましたけれども(笑)。
うーむ。恐ろしい。
下手なことを書いてBlog炎上というのをたまに聞きますが、そうなるのも早いんだろうなーと納得。
改めて、人を責めず、腐らず、前を向いて、ちゃんとBlogは書こうと心に決めたのですよ(笑)。
今度もし嵐ネタに遭遇しても書かないでおこう、とも。
多分いろんな人がいるから、アクセス数が増えるのも結構怖いものですからね。
誰も気分を害しませんように。
そんな想いでBlogやってます(笑)。
もう平常に戻りましたけれどね。
マハロ。
May 21, 2009
嵐パニック!

うちの奥さんのお友達(嵐会の一味)の旦那さんが偶然ランニング中にマツジュンを発見して、
「あれ?マツジュン??」
「あ、どうも。」
みたいなとこから速攻帰宅。
この旦那さん。消防士でムキムキなんですけれど、なんと鵠沼から茅ヶ崎まで走って7分で帰ってきたらしい!!
トップアスリート並みの脚力と心肺能力はさすがです(笑)。
で、そのお友達からの連絡でうちの奥さんとたまたま家にいた息子は自転車を飛ばして駆けつけたそうです。
息子に「ママはしゃぎ過ぎだし。気をつけて」とか言われながら鬼のようにペダルを漕いだらしい(笑)。
サイクリングロードの鵠沼手前のトンネルではもう命がけみたいなスピードで。
始めはマツジュンのドラマの撮影かなと思っていたらしく、息せき切らしながら鵠沼海岸に到着すると、なんとそこには嵐全員の姿が!!
もう狂喜乱舞だったそうですよ。
撮影を眺めて、終了後ロケバスに向かう嵐についていって、息子たちは翔くんにヤッターマンのシャキーンをしてもらったそうです。
奥さんは翔くんに「エコ頑張ってください」というと、
「ああ。でもクイズショウも見てね

「毎週見てます!」
「マジで??」
みたいなやり取りをしたそうです。
奥さんはマツジュンファンなんですけれど、
マツジュンはやっぱり「話しかけるなオーラ」満載だったそうです(笑)。
「翔くんってエライなぁ」
滅多にオフィスに電話なんかして来ないとっても自由で薄情なうちの奥さんが大興奮で電話してきたくらいだし。
まあ思うに、お友達からの一報で、「行く行くーー!」みたいにとりあえず乗ってみる。
そういうことに尽きるのだと思うわけですよ。
いい事も悪い事も自分にかすめ過ぎてゆくすべての事柄に、
積極的に関わるか関わらないかで人生は大きく違ってくる、という事です。
よかったね。
乗ってみて。
おめでとう。
娘がフラレッスンのせいで見れなかったのはとっても不憫なのですけれどもね w w
僕もなにかに乗ってみよう、と思うのですよ。
なにかがかすめて来たら。
いい事も、あるかもねー(笑)
マハロ。マハロ。
May 18, 2009
悲しいけれどサヨウナラ

気候に誘われお散歩中に
「お! カエルマシン発見!」
などと一人で喜んでいたらその夜
明治通りを歩いてたらなんと本物のカエルが!
結構な大物。
舗道をピョンコピョンコと跳ねていました。
こんなところになぜ?
チミはどこから来たの??
東京にも野生は残っていたのだね。。。
そんなことを考えながら昼間のカエルマシンの登場に想いを馳せる。
「ふっ。繋がったな…」
そんな風にアロハなカエル・ディは過ぎて行ったのです。

僕は息子が野球で行けないのでお留守番。
奥さんと娘は朝5時くらいにお友達とTDLに向かいました。
早朝ならなんと1時間で着いちゃうんですね。
案外近いことを再認識であります(笑)。
たった一曲踊るのにすごくたいそうなことなんですけれども、TDLを訪れた人々から見たら娘も立派な演者なわけで、そこは効率云々ではないのでしょう。
お昼からは普通にTDLを楽しめたそうです。
でも娘は朝から拘束されてたわけなので、ファストパスもゲット出来ず、開放された時点で楽しみにしていた「モンスターズインク」の新アトラクションは300分待ち。
娘はすごく悲しんでいたそうですが、5時間並ぶわけにもいかず他のアトラクションを3つほど楽しんで帰ってきました。
僕は買い替えた車を取りに行って、練習試合から帰ってきた息子とバッティングセンターとスーパー銭湯へ行ってきましたよ。

とうとう車を買い替えたのです。
13年乗り続けたルノー・トゥインゴちゃん。
我が夫婦&家族のすべての思い出と共にあった愛しの黄色のキャンパストップ。
ついにあらゆる箇所から悲鳴を上げてしまいました。
悲しいけれどサヨウナラ。
で新しい車を探しましたが、僕の欲しい条件に当てはまる車なんてないことが判明(笑)。
*黄色
*外車
*左ハンドル
ここまではトゥインゴと同じ。
これに*6人乗りを追加。
すると。
無いんです。
初期のムルティプラくらいしか。
しかもムルティプラでさえ輸入車しか左ハンドルはなし。
市場で見つかったこともない w w
あったとしても中古で200万越え。
ムリに決まってるじゃないですか(笑)。
そもそも黄色い車自体が少ないのですよ。
なので自暴自棄になった僕は、奥さんに一任。
探索結果、僕の稼ぎで買える現実的な物件でいい状態のモビリオ(?)を奥さんが発見。
該当する条件は*6人乗りだけという暴挙の果てに(笑)。
常々トゥインゴのボロさに毒づいていた奥さんは、
「手放す時はきっと泣いてしまうわ」と言いながらも、
喜々としてあれよあれよと言う間に納車とあいなったのでした。
まったく愛がないのでまだ車種の名前もうる覚えですが、せめていい思い出をたくさん作りたいと思うのです。
さようならトゥインゴ。
君みたいにキュートな車はいなかったよ。
君の事は決して忘れない。。。。
…とまあ、そんな感じで悲喜こもごも。
それぞれに忙しいながらもストレス解消の一日となったのでした。
さあ、欲しい車が買えるくらいに仕事頑張るかーー!!
マハローーーーーー!!!!