Alpinist・Gentleman Ultra

日本復活の解決策を持つ男。エコでパワフル。欧州の山々を巡り、自然と調和していく、新しい『山都男児』の生き方を模索。最近は 『山デジ』のジャンルを切り拓き、人とは違う旅を実践中。

ノーカーデー2022

OKNW
前回の一時帰国ではこんな風景見てたのでその話を書きたいところだが、戻ったら自分の右腕は完全にフェードアウト(転職は知ってたけどね)しており、ボス不在中に終わらせておくべき仕事を全部残していやがった...僕なら楽勝で出来ると思ってるんかね、マジで。
とは言え、彼はすごく丁寧な引継ぎ資料を残していってくれたので、やはりありがたい存在だったなと思う。
しかし、常人の倍は仕事ができる一人が抜けた後の戦力は0.5(ようやく普通の半分)と-0.25(全くの新卒で仕事を教える段階)なので仕事量はいやでも自分にのしかかる。
というわけで、戻ってから毎日ほぼ半日労働と化し、この一か月まだ一度もクライミングはしていない。もともと4人でやっていた仕事を回すのは結構きつい。

はてさて、それでもやってきました2022年ノーカーデー(歩行者天国の日)。
この日は市内の車道がすべて「ほこてん」に変わる日である。

前日は風邪気味で一日中寝込んでいたが、この日には完全復活を果たした(笑)
いや、完全復活には程遠く、例年の半分くらいしか活動していない...
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僕はこの日に必ず、普段は入り込むことができない「犯罪多発地区」や「低所得層区域」などを走る。そうやって皮膚感覚でいろんな暮らしを知り、本当の景気を観測する。
所得が高い地域では歴史的建造物の保全や文化遺産のために平然と税金が投入されている姿を目の当たりにするのに対し、犯罪多発地区では廃墟と化したまま放置されている物件が多くある事に気づく。低所得の人々はエッセンシャルワーカーが多かったり、大家族で専業主婦層が多かったりする事にも改めて気づくが、思った以上にタフに生きていることをも知る。

自分はこういう現実を常に知っておこうと思う。
家族でこういう事をするのは僕だけだ。
相棒は僕が遠征する方向は自分の関係ない世界とみているようで、子供達もその様子だが、ブリュッセル市内住民の70%はあちら側に属しているのだ。
だが、人は努力の程度次第でどちら側にも行く可能性がある。あるいは(生まれなどの)運も多く作用しているだろう。ただ、それだけでもないかもしれない。貧富を分け隔てる要因を可能な限り細かく見極めたいと思う。あるいは自分はどちらに属していたのか、またこれからの可能性も占う自分なりの儀式みたいなものかもしれない。


そして、この日は同時に文化遺産の日でもあり、今回は区役所の区議会会議室などを見た。続きを読む

so so good !  〜モテたいオジサン達に告ぐ〜

オジサンになってからモテたいですか?
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モテる方法最近見つけた!という男の話を聞いたので公開しちゃいます。
いや、厳密にはモテるという程ではなく、オジサンなのに構ってもらえるくらいの話でしょう(笑)
奴の話なんで、あまり真に受けない方がいいです(笑)
まあ、それでも充分でしょう。
基本的にアラフォーとかアラフィフとかのオジサンって若い子の視界に入ってませんから...

焦らしてもしょうがないのでいきなり結論書いときます。
今からユニクロを着るのやめて、
「そうだ!京都に行こう」実行するか、Webショップで「sousou」の服を買うとええやんね、事らしいです。いやいや、ステマでも、ある種の広告でもありません。
別に「sousou」側は彼のことを知りもしません(笑)
僕もそれに乗っかる理由もないし、何のメリットもないんで。

彼曰く、近年特にコピーロボットのように見えるユニクロを着るのをやめたとさ。人民服じゃあるまいし、何が悲しくて無個性に埋没しないといけないのか、と思ったらしいのですが、そもそも考えてみたら、ユニクロの服はそれほど着心地が良いわけでもない。「感動パンツ」とかあんまり感動しないし...素材もなんだけど、シルエットがあれじゃあ...
何より褒めてもらえる要素ゼロです。それに、オジサンたちはユニクロの服を小綺麗に着こなしてところで、異性同性問わず視界に入れてすらもらえません。断言してもいい、褒めてもらえるのは若いイケメン男子のみでしょう。
彼も言っています。「まず、現実を認識しないとね」と。また、彼曰く、やたら主張しすぎたり、アウトドアやってんねんみたいに「ノースフェイス」や「パタゴニア」でまとめるのも余りおすすめしないとのこと。アーバンジャングルってのは死語だし、アースカラーに寄った服とかゴツいアウトドアウェアは正直小綺麗に見えません。むさくて、汗臭そうやん。おじさんってどうせそういう生き物ではあるんだけど( ノД`)
まあ、ただでさえ小綺麗そうでないのに自分でトドメを刺してどうすんねん、という彼のツッコミには自分も同意

そこで、続きを読む

「背番号の無いエース」世代の再会

もう20年近い歳月が経っている。
僕がクライミングを始めて、最初に得たクライミング仲間の中に「エースかん」はいた。
その仲間「BJCC(在ベルギー日本人クライミングクラブ)」で最も早くその頃超難関グレード「7台」に達した男、それがエースかん。最も軽やかに華麗なムーブを繰り出し、軽いノリでハードなルートを終わらせるヤツ。間違いなく、他者を圧倒していた。ドイツやオランダに遠征に出かけても、それは変わらなかった。それがエースかんの存在PSX_20220814_184429だった。

フォンテーヌブローで開眼して、次々と有名ボルダーに挑んだチュージと双璧をなすBJCC黄金時代のツートップ。彼らは僕の憧れでもあり、目標でもあった。
BJCCは5代くらいまで続いたが、その中でも初代メンバーが黄金期と言ってよかった。
僕達は今でも連絡を取り合うことがあり、ほぼ1年前にはZoomで会ったりはしている。
しかし、今回はリアルで会うことになった。
まさに天の配剤なのか、僕が近況を知るべく連絡を取った時に彼は「近いうちにアフリカ勤務になる」と打ち明けた。僕はなんとしても今回彼と会っておくべきだと感じた。なので、他の予定はすべてなくして、短い東京滞在は彼と再会することに絞った。(今回の帰国は法事と双方の実家関連が主目的であったため、僕は殆ど友人と連絡を取っていない)
さて、彼は誰もが一番に頭に浮かべるであろう有名な商社で管理職をしている。そして、国際畑を歩み続け、多くの大陸を踏んでいる。世間でいわれるところのスーパーエリートである。だが、彼は以前と同じような気軽さと気さくさで僕との再会を喜んだ。
そして、僕との共通点もある。父親としての娘との距離感に悩むところや、バカロレア絡みのお受験問題だ。娘の進路に関しては父親は気をもむ。世間の人が思っている以上に、父親は娘の行く末を心配するものなのだ。また、「俺達花のバブル組」世代の国際派日本男児は老後問題にも悩んでいる。語学の問題をクリアしていたとしても、「老後を何処で生きるのか」には常に悩む。ぶっちゃけ言ってしまえば、日本人女性は海外に出ることで「男女格差」が解消され、伝統的男尊女卑の世界からオサラバできてハッピーなのかもしれないが、男の方はそうでもないのだ。仕事ではバブル時代の日本男児スペック=社畜を求められ、私生活では欧州風家事育児折半みたいな世界を求められる故…
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「背番号のないエース」世代の実態は「男はつらいよ」だったのだ。

とまあ、僕の方はアラフィフのぼやきみたいになってきたが、

エースかんは決してネガティブな話をしない。彼は基本的に前向きであり、現在も未来を建設的なものにしようと進んでいる。

僕は数年前チュージと再会を果たし、その力強い生き方にたくさんの元気をもらい、その後大学院進学やウルトラトレイル完走で自分自身を少しずつ取り戻してきたが、今回のエースかんとの再会で迷いを断つことができそうだ。僕も彼のように自然体でいいと悟った。IMG_20220814_125456534_HDR

日本社会の典型的エリートである彼は実は孤高で唯一無二のケースで生きており、その人生はとても独自性の高いものだ。それでも彼はそれを王道として進んでおり、そこで霞んだりしていない。僕はそもそも亜流だし、独自性ははじめから担保されている。そうだ、僕も自分の道を開拓しながら進んでいけばいい。世間体とかそういうものを気にしたりしなくていい。僕は良い友に恵まれている。それが自分にとって最高の財産だ。




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巴里の恋人

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僕が最近テーマにしている撮影題材に「欧州の邸宅とそこにある車」というのがある。
21世紀に入って、邸宅に住むような人が乗る車とはどれなのかを見極める試みだ。
日本人の多くの人の想定に反し、自分が住む周辺にあたる仏語圏やオランダ語圏の富裕層の住宅街では、思いの外レンジローバーやジャガーのSUVが存在感を増していた。P7160124
おそらくメルセデスベンツはその方向性を誤り、顧客を失っているのではないか。
 (ディスカバリー&アバルト500)
欧州のSUVの躍進は長らく、不況による道路整備状況の悪化と治安の不安定化が関係している。この推論を行動経済学に絡めて論文の一つでも書けばかなり興味深いものになると思うのだが、現在仕事に忙殺されたままであり、そこに着手できるタイミングは当分来そうにない。
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さて、導入が長引いたが今回は撮影テーマである「邸宅と車」の舞台をパリとした。
撮影場所はNAP地区すなわちNeuiily-Auteuil-Passy間の超高級住宅街だ。自分はかつてNeuillyに住んでいたことがあるのでここは駆け足で回れることから、Passyを丁寧に巡ることから始めた。逆にBCはモントルイユというパリ郊外の移民地区に定め、来訪場所とは真逆の環境とした。皮膚感覚で自分に強烈に何かを感じられる状態を作るのは自分の旅スタイルでもある。IMG_20220715_211200862

タリスでパリに着くと、もうこの都会の街はマスクレスの世界になっていた。
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田舎の中規模都市ブリュッセルがそうであっても驚かないが、パリの人混みでコロナが忘れ去られたような様を見るとかなりの驚きだ。P7160079

さて、撮影を開始する。

パリの幾つかの区は文化・文明の粋を極めている。街並み、人々の装いや身のこなし。そんなもの全てに様式美があり洒落ている。これに比肩しうる都市は多分京都とイタリアのいくつかの都市だけだろう。僕がFIREに到達した時点で滞在していたい都市はこういった場所だ。だが、パリの経済格差はコロナを経て凄まじい状態にあるとも感じた。
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ところでPassyを歩いていて懐かしい記憶が蘇った。この辺りのメトロの駅は視界が開けた空間となっており開放感がある。多くの地下鉄駅にあるような閉塞感や陰気臭さがないのだ。このハイソな開放感に覚えがあった。懐かしい記憶が蘇る。フランスに留学した当初、夏季期間にロワール地方の語学学校にいた日本人の何人かはパリ駐在員の子息子女だった。彼らは週末にパリに帰ることがあり、そのタイミングで僕らもパリに向かい、一緒にパリで遊んだり、時には彼らのアパルトマンに立寄った。泊めてもらった訳ではない。それにしても、彼ら駐在員の住む15、16区は明らかに他の地区とは違ったし、経済大国の名を恣にしている当時の日本の勢いを感じさせる暮らしぶりだった。彼らもそこに暮らしていることに誇らしげでもあった。同じ経済大国に生まれていても、こういう形で出自や立場の違いを明確に感じさせられた。P7160128
(トヨタIQやスマートが連なる場所も多かった☝)続きを読む

さようならアベンシス

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僕はトヨタ製のアベンシスという名の車を3台乗り継いだ。
そしてその最終モデルと最近お別れした。

トヨタ車といってもこいつは欧州専用モデルのため、マイナーすぎて知らない人のために解説するならば、アベンシスは欧州トヨタにおけるフラッグシップ車。車格は概ねカムリに相当する。
ただ初代モデルはカリーナ後継(カルディナ)ベースなのでサイズはかなり小ぶりだった。
何故、欧州モデルを専用設計する必要があるかというと、それは欧州内には「アウトバーン」など日本国内よりも遥かに速度の高い領域を走る道路があり、それに合わせたトヨタ車が必要という事情だった。実際、トヨタ車はアベンシスが出るまで欧州の高速を快適に走れる車が少なかった。これについては単純に車幅が日本向け設定だったからだろうと僕は思っているが、そんな単純な話ではないと理系の人には怒られるかもしれない(笑)

ところで、僕はトヨタ車を買う場合にはカローラ以上の車にするのだと高校生の時点で勝手に決めていた。それは自分の父がカローラ以上の車を買えなかったからだ。カローラ以上の車を買うことが我が家の悲願であり(笑)、父が自分に託した引継ぎ事項だったのだ。父は外車販売の会社にいたこともあり、彼の時代でもすでにクルコン(非電子デバイス式)やディスクチェンジャー(CDではなくレコード!)を搭載している車を見知っていた。言わばカローラは妥協の産物として購入していたのである。本来乗りたい車は別にあったのだ。だからこそ、僕がパリで5気筒のアウディに乗っていた頃にはエンジンルームや車の下に潜り込んでどういう作りなのか何度もチェックしていた。

そんな父だがアベンシスには唸った。本当に欧州車然とした作りだと思ったのだ。特にかれは独立懸架方式にこだわっていた。それが乗り心地を左右する絶対的な要素だと信じ込んでいた。両親は2代目の白鷺城型(T250)のリフトバック、それから(T270)のステーションワゴンに乗車したことがある。僕はステーションワゴンを10万キロ程度乗った後に大型マイナーチェンジを経た最終版をもセダンで乗り継いだ。

つまり僕や僕達家族の大旅行の大半はトヨタ・アベンシスを用いて行われてきたとも言えるのだ。アベンシスを乗り継いできた記憶がそのまま僕の冒険譚となっているのだ。042d85f0続きを読む

再興

PSX_20220528_133624自分が一つの壁を克服した事で見えてきたことがある。
やはり人生という道においても立ち止まるよりは走り続けたほうが僕らしいということだ。
僕はこの数年停滞していた。それは日本という国が停滞していて、多くの人の思考が停止していることとも無関係ではない。或いはここに来て思考が守りに傾いていたのかもしれない。

また、根底の部分で自分の能力に疑問を持ち始めていたのかもしれなかった。

だが、真実としては、新たな道を開拓しなければ新たな山や目標は見えてこない。

年を経て、自分に欠けていたピースが少しずつ揃ってきた。多分、無意識下でもこういう感じに自分に欠けていた要素を少しずつ集めてきていたのかもしれない。

機は熟した。

そろそろ攻めに転じよう。何故ならば攻撃こそが最大の防御だからだ。

僕はr>gの中でr側を目指す。

それは自分が目指す生き方の中継点であり、最終地点ではないが必要な給水所みたいなものだ。紆余曲折があったにせよ。進むべき道は初めから知っていた。

人生はクライミングのハードルートみたいなものだ。
絶妙なバランスを保たない限りフォールしてしまい、完登に繋がらない。
知力、体力、人間関係、時間それに運。
それらのどれを欠いてもうまく行かない。
それらをうまくハンドリングしながら生きていくことでしか進歩を得られない。
ここにきてようやくそれを理解した。

悲願だった再興への道筋をつけよう。

そして、長男は僕の期待を遥かに超える形で成人した。

なので、僕は安心して僕の道を進んでいく。
幸いにして、僕には人生の手本とすべき友人・知人がいる。
同じ道を進んでいるわけでないけれど、その存在自体に励まされる。
最近、旧BJCC(在白日本人クライミング部)のメンバー1期、5期がそれぞれアルピニストになったのを知った。いきなり冬山とか、いきなり高山縦走とかデビューの仕方がそれぞれ尋常じゃない気がするが、やっぱりこう言う人々に巡り合って今の自分がいるのだと思った。
人は孤独を感じやすい生き物だが、未来に向かって歩み続ける仲間がいる限り、決して一人ではないのだ。一定の速度で走り続け、自分からリタイヤを告げない限り遠いゴールにたどり着ける可能性はある。
諦めさえしなければ…


ところで、僕は今後山とどう関わっていくか。
今後の山への取組みが明確になった。

アルピニストとしてはまずアコンカグアを目指そう。

そして、自分が目指している他の山の殆どはトレイルでやり遂げよう。
リュックすらもういらない。
トレラン用ベストで完結できる。
長年思い描いてきたライト&ファストの究極系が少しずつ見えてきている。
アイゼンを必要とする山以外は、全て1Dayアセントで進むのだ。

撮影機材も望遠レンズ以外はもはや必要ない。広角レンズですら今やスマホのもので十分だ。
いろいろな事がクリアになってきた。PSX_20220528_133508

帰ってきたウルトラマン 後編

(正式版RoadBook2022より)
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始まるのは金曜日と土曜日の境目。
その日は早退し、一路フランスを目指す。

幸いにして前日の嵐の被害は思っていたほどでなく、大会は開催されるとのことだった。
嵐が来るまでのこの週の外気は30℃を上回っていたのだがその熱気が少し軽減された。幸先はいい。スタート地点には4時間30分前についた。ここに残置され、3時間ほどを一人で過ごした。かつての悔しさを噛み締めながら、今回はどんなことがあっても諦めまいと誓った。

22:45 ゴール地点から大型バスで高速に入り45分程度かけて、スタート地点に移動する。
このバスに乗り込んで来ている連中はみんな猛者に見えた。自分はタンクトップにアームウォーマー、トレラン用軽量ジャケットという状態だったが、皆はもう少し考え抜かれたウェアだった。フリースにネックウォーマーという感じだった。そう、外気は思いの外低く5℃程度だったのだ。しかも、嵐の過ぎた後でまだ風も強かった。自分は始まるまでに体温を失い気味になる。幸いにして、レースが始まる前のブリーフィング時にそれなりの密となり、他者の熱気を受け、凍える寒さからは脱した。

真夜中にレースが始まる。月夜かと思ったのだがそうでもなく、森の茂みがひたすら暗かった。多くの人が大容量バッテリーをベルト部分に装着するようなヘッドランプを使用して煌々と前方を照らしていた。自分のヘッドランプは10年以上前に最新型だったブラックダイヤモンド製で高輝度LEDと通常LEDが切り替えられるものだった。高輝度にすると数時間で電池が死ぬ。だから、僕は可能な限り通常LEDのまま大容量バッテリー保持者と並走する。それでもかなりのんびり目のペースだ。ここで跳ばすとろくなことがない。自分が辛酸舐め後に学んだことだった。嵐の後なので、森の道の多くは泥濘んでいた。自分は靴にトレラン用ゲイターをセットしており泥や水の殆どはそれで防げていた。この状況は想定内で、まさに今回もっともうまく機能した部分だ。明るくヘッドランプで照らしていなかった者だろうか。最初の15分くらいで捻挫したのか、転倒してうずくまっていた。大丈夫だろうか。彼の仲間が様子を聞いている。自分も気をつけなければ、と思う。

嵐がもたらしたのは気温の適正化という良い面と地面の泥濘という負の側面があった。が、更なる負の側面にはもう少し深刻なものがあった。嵐のせいで目印が「飛ばされる、消失している」のだった。10数キロを経た頃だったか、先頭集団が僕達のところまでも戻ってきた?何事だろうと思うと、ルートをロストしたとのことだった。ということは僕達もこれに巻き込まれている可能性はある。スマホからトレラン用トラッキングアプリを立ち上げてオフィシャルサイトからダウンロードしたGPXデータをトラッキングするか、と考えていると、もうそんなものをとっくに済ませていた連中がいて、腕時計を眺めながら誘導する何名かが正しい方向へ進んだ。僕は彼らの顔を覚えて基本的に彼らが進んでいく方向から遅れないようにした。midnight
しばらくすると最初の硬山が現れた。この低山は油断をすると足をとられる。夜半でもあり、草木が絡みつく坂という意味で100m強の低山だとしてもそれなりに気を使う。前半のうちは集中力も高いのでそれなりの速度で何とか乗り越え、真夜中の低山から街を眺めると夜景が思いの外綺麗だった。19kmで最初の給水所(エイドステーション)に到着。まだかなり元気だった。バナナとオレンジを頬張る。他にはTUC(塩味のクラッカー)をかじった。チョコやお菓子、蜂蜜パンなど糖分の高いものはすべて避けた。自分の胃は長距離を走ると糖分を分解できず、徐々に弱っていく。また、汗をかいて失われた塩分こそ何らかの形で補給しなければならないとも分かっていた。
さて、一時的に村のような場所に出ると必ずボランティアの人々がそれぞれの曲がり角で応援していた。これは110kmの全行程でそうだったこともあり、とても感動した。このトレイルイベントはこの地方の住民皆が支えているということなのだ。彼らの声援にどれだけ励まされたことだろう。
本当にありがたい。terril5

ここからも森 ー 硬山 ー 村 というパターンが繰り返される。森を抜ける間の走りは疲れが少ないと感じた。適度な柔らかさはスピードを出すには適さないが足への負担は少ないのかもしれない。35km地点の給水所ではここまで輸送されてきていた自分のバッグに必要のなくなったジャケット、過剰装備出会った500mlの水筒を置いていくことにした。固形の行動食・補給食もすべて置いていく。僕はまだ先頭集団からそう遠くない30位程度に留まっていた。83km地点でも同じことが出来るはずなのでその際にはヘッドランプやアームウォマーなども外して更に身軽になるだろう。同じ速度をキープできるだろうか。

そして、サプライズがこれ
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帰ってきたウルトラマン!前編

goalほぼ半年の時を経て、ついに帰ってきた!
そう、ウルトラマンとして!!!


巷ではシン・ウルトラマンが大ヒット中だそうだ。
ほんとにこの傾向はつまんないなと思う。

ゴジラだの、ウルトラマンだの、仮面ライダーだの古き良きイケてた頃の日本のノスタルジーにどっぷり使って「いいよねー」みたいなのばっか。

なんなのか。

こういうのに反応しているのはまさに自分の世代だろうが、「昔の俺の記憶」「輝いていた昔の日本を振り返る」みたいなことばっかりやって、今の自分はそんなに枯れてるのか?まだ出来ることあるんじゃないか!
現実逃避するな、君が戦え!

さて、と。
僕はコロナのロックダウン時期から、『駄目な自分、劣化した自分』をアップデートする機会、昔風に言うなら起死回生の機会を伺っていた。なんなら過去自分が成し遂げられなかったこと、あるいは挫折を感じた過去を乗り越えたい気分になっていた。

そう、自分が超えられなかった壁。
アルピニストを名乗って早々の躓きだった。
「ウルトラトレイル」での挫折だ。

14年ほど前の夏。僕は「UTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)」のCCC(3カ国横断トレイル)に挑戦した。まだ若く、体力も万全だったはずの自分が完全に体調を崩して失速し、時間制限にかかって失格となった。長い人生の中で最も手痛い自分自身への敗北だった。僕はこの後も多くの困難を乗り越えて来たが、ウルトラトレイルの失敗を忘れたことはなかった。だが、かと言って、リベンジを図りたいからというだけで1日に半日以上をランニングに費やし、かつその日や翌日の家事・育児をこなせるような状況ではなかった。夏休みの時間を僕のリベンジのみに絞って使えるような状況ではなかった。
だが、誰も想定していなかったコロナが流れを変えた。
長いロックダウンの期間中で唯一公的に許されていたランニングイベントに参加する中、トレイルを走る機会はどんどん増えて来ていた。また、トレランイベントに参加してくれる仲間にも励まされ、たくさん元気をもらった。

そして、この前春スキーに出かけた1ヶ月半前、帰路のガソリンスタンド内キオスクで何となく目に入って買った「ネイチャートレイル・マガジン」をパラパラとめくっていると、それは特別号で「厳選、参加すべきウルトラトレイル」という特集のものだった。そこには近いうちに行われるウルトラトレイルの大会が載っていた。今夏は日本に帰るのでUTMBへの参加は無理だが、5月なら参戦は可能だ。心が踊った。

この日から自分はクライミングをやめ、ウルトラトレイルに特化したトレーニングを送ることとした。イベントまで2ヶ月をきっていたが、春のアルプスで毎朝ランニングをしてきた自分は絶好調だった。b
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