実家の隣人が破産する、らしい。
わざわざ親が電話してまで連絡してきた。

僕の実家はなんでこんなところに家建てたんだ?と言いたくなるような微妙な土地で、集団下校ではいつも最終的に1人になっていた。小学校の校区の境界線上にあるような地である。
周囲には何もなく(今は目の前の通りに唐揚げ屋がいくつかあるが・・・)、そんな場所だから隣人と呼べる家は2つしか存在しなかった。
1つは何をやっているのか僕は知らないが、明らかに金持ちというか、品のいい老夫婦の家で、高そうな犬の散歩をしている姿を小学生の頃はよく見ていた。しかし数年前だったか、もう10年くらい前かもしれないが、亭主が癌で亡くなったようでそれ以降は姿を見ていない。

もう1つの隣人というのは食事処を営んでおり、(もう今では営んでいた、になってしまったが・・・)亭主を我が家ではマスターと呼んでいる。地鶏の炭火焼きを看板として掲げていた。正直、自分が大学生活をしていてこの店が隣にあったら滅茶苦茶通うだろうな、と思うくらいには僕はこの店の料理が好きだった。両親は親しい隣人の仲だからこそ、客として足を運ぶと対応が適当というか、おざなりにされることを嫌ってあまり行きたがらなかったが・・・

なんというか、昔ながらの風格ある居酒屋といった感じだ。マスターも風格があり(パレドZに出てきても違和感なさそう)、風格がありすぎるせいか、彼は元々堅気の人間じゃない、と我が家の皆は信じているようだ。真実はわからないし聞くこともないだろうが、奥さんの方が任侠映画とかにそのまま出てきても違和感0な雰囲気だったので僕の中では半々くらいで考えている。マスターの家には雀卓があり、遊びに行くと大人がよく宅を囲んでいた。もしかしたらあの卓を囲んでいた大人達も昔のヤクザ仲間とかなのかもしれない。まあ出自はどうあれ僕の中では気の良いおっちゃんである。

彼らには2人息子がいて、下の息子のK君は僕の2歳年上だ。子供同士の歳がそこそこ近いこともあり、必然的に付き合いが多かった。先に言ってしまうと、今回の破産の原因はK君である(らしい)。

僕が小学校に入ってから彼が卒業するまでの4年間、ほとんど毎日一緒に登校していた。
理由はよくわからないが、僕は小学1~2年の間は自転車を禁止されていた。心配症だったのだろうか、極端に外出する機会を制限されていたような気がする。正直不要な制限だったと思うが、親も共働きしながら初めての子育てだったので色々と手探りだったんだろうな。
放課後に自宅に帰ってからは公文をこなしてから64をしていたはずだ。能動的に外出するようなことを制限されていて虚無だったからかもしれない、正直なところ自分でも小学1~2年の頃の記憶があまりにも希薄で覚えていない。幼稚園のことは結構明確に記憶しているのだが・・・

というわけで僕は小学1~2年生の時期にはっきり言ってしまえば、同級生の友人0だった、ような気がする。そういう状況だったからだろうか、僕にとって小学校低学年の期間ではK君との付き合いが唯一だったはずだ。3年生になって自転車での外出が許可され、同級生と遊ぶようになってからも彼との付き合いは変わらなかった。
彼の家で一緒にFCでジョイメカファイト(皆もSwitchでやってみてくれ)をしたり、どうしてプレイ出来るかはわからなかったがPCでFF6やカービィSDXをやったり(今にして思うとあれはエミュレータだった)、64やPSもやった。
彼は多分友人が多かったはずだ。当然全員2歳年上だが彼の家に集まる友人ともよく遊んだし、彼の友人の家までついていったこともよくあった。
彼が行っていた硬筆教室に通ったし、マスターの軽トラの荷台に乗せてもらって一緒に空手を習いに行った。彼に連れられて校区外のカードショップに行き、一緒に遊戯王をやった。そのカードショップも僕が高校生になる頃には潰れてしまったが、今検索すると何故か和歌山でまだやっているようだ。店のロゴも当時のままだった。

他人がどうだったかはわからないが、小学校において校区外に子どもたちだけで外出することはそれだけでPTAの大人たちから咎められる行為だった。遊戯王は当時出来たばかりで、僕が高学年になる頃にはメジャーな遊びとなりつつあったが、カード1枚に高価な値段がつくこともあり、そんな紙切れ1枚のために金銭のやり取りが子供の間でも発生しうることはけしからん、と大人たちからは良い目では見られなかった。

K君の家は比較的放任主義というか、自主性に任せるという感じだった。空手も結構な頻度で今日はそういう気分じゃないから、と仮病で休んでいた。カードやゲームについても僕が知りうる限りでは何か文句を言われてはいなかったはずだ。
一方で我が家はとにかくうるさく(今でもうるさい)、他人の家ではいいかもしれないけど、貴方の行動で何か問題を起こされると職業的に妬まれやすいからちょっとした事で周りからうるさく言われて評判が下がる、といった旨のことを言われたはずだ。今思うと小学生に言う言葉じゃない気もするが、まあ親も地域に根付こうとそれなりに必死だったのかもしれない。小学3~4年の頃はあまり表立ってゲームとかカードをしているとは言う雰囲気ではなかった。ゲーム脳の恐怖、といった迷信が流行った時期でもあり、そして親は結構本気でそれを信じていた。大学でEBMを習っていなかったのかもしれない。正直、僕の親は今もリテラシー能力低いんじゃないかな、とは思っている。僕にとって当時、ゲームやカードはコソコソとするものであった。

つまり、僕にとってK君は所謂竹馬の友だった、実際に一緒に竹馬をしたこともある(マスターが作った)。
先述したようにK君との遊びは悪いことばかりしていたので、僕の中ではただの友人というより、どちらかというと悪友、という表現がしっくりくる。今思うと本当に悪いことはまったくしていないが・・・

前置きがえらく長くなってしまったが、K君は破産してしまうようだ。
彼の家は放任主義で勉強もまったくうるさくなかった、というか多分まったくしていないはずだが、代わりにK君はよく店の手伝いをさせられていた。地鶏を焼くための炭火を彼が起こしている姿をよく見たし、彼は勉強などせずに、今後も店を手伝ってそのまま飲食店を継ぐのだろうな、ということは子供ながらに考えていた。僕が中学生になってから、たまに店に行くと働いているK君の姿が見られた。

実際に彼は高校を調理科で進学し、大学には行かずに18歳で働き始めた。
進学校を中学受験して中高生を全て寮で過ごし、大学受験しない人など周囲に存在しなかった僕とは対極的な人生だ。

僕が高校を卒業するころには、K君が実質的に店を仕切っており、マスターはほとんど引退状態だった。実際僕が大学1年の頃、実家にいてもただ暇だから、という理由だけで数日だけだが彼の店の手伝いをしたことがある。K君を中心に店はうまく回っていたような気がする。それから1、2年後には店も改装し入りやすそうになり、LINEで情報発信なんかもしていた。大衆的になった一方で、昔ながらの風格が失われたのは個人的には少し残念だったが、市内の駅周辺に系列として大衆酒場的な2号店を作っていて兄弟2人(兄も調理科進学)で上手くやっているのかな、という印象だった。

K君と最後にあったのは2、3年くらい前だろうか。彼はその時には飲食店の仕事は兄に任せてほとんど離れていたようで、何故か電気だか携帯会社の格安SIMだかの営業をしているようだった。どうも知り合いにその手の社長だか起業人だかがいたようだ。彼の家の裏にはやたら太陽光発電のパネルが並んでおり、営業成績でK君が社長から表彰を受けた、とマスターが嬉しそうに語っていた。

一方で、この頃には母親が店について不満を述べていた。兄は地元の結構金持ちらしい娘と結婚したらしく、あまりやる気がないのか料理だけ作って家に帰っているようだ。マスターが仕切ってた頃は営業時間など適当でマスターとゆっくり話が出来る、そんな感じの店だったが今は定時で後はバイトに任せて店をサッとしめるからゆっくりできない、追い出されるから行かなくなった、と。

そして昨日、電話がかかってきて破産を知らされた。
K君の電気だか電波だかの事業で何かをやらかしたのか、それとも方針転換した食事処の方が思ったよりも苦しかったのだろうか。それとも悪い人に騙されたのか。どうやら数千万の負債を抱えているらしい。
勉強なんかはまったくしていないし、やりたいように適当にやってるけど、それなりに要領よく立ち回れる人間なんじゃないか、と僕はK君について評価していたのだが、K君のことをどこか過大評価していたのだろうか。2歳年上ということもあり、彼は遊びを僕に教えてくれた先輩である。彼のことをどこか信頼していた節はあるはずだ。
でも実際のところ、彼は本当は軽薄で、中途半端で、思慮が足りずに新しいことに手を出して、旨そうな話に飛びついて失敗した愚か者だったのかもしれない。

負債を背負うことになった詳細については本人から直接聞かないとわからないが、この話を聞いた時に僕が最初に抱いた印象はそういうものだった。滅茶苦茶ボロクソに言っている感じがあるが、順当に行けば地に足が付きすぎている共産主義的な職業を来年からすることになる身のせいか、そんな考えが最初に浮かんだ。彼の連絡先はLINEに登録されているが、とてもじゃないが詳細を聞きにいく気にはなれない。もしかしたら彼は愚か者ではなく商魂精神溢れたチャレンジャーで、今は沈んでいるがいずれ成功を勝ち取る人間の可能性もあるが。そうであったほうが嬉しいな。

マスターは全てを息子に任せていたので事が明るみになるのが遅かったようだが、連帯保証人として彼も全てを失うようだ。今の店(=家)も手放すことになるだろう、と。
恐らく数十年連れ添ったはずの奥さんとも既に離婚していて、彼女は既に再婚している、とも聞いた。正直こっちのほうが衝撃だった。あのマスターが家も奥さんも失い、小さなお爺ちゃんとして萎んでいくのは不憫だ・・・

破産について正直詳しく知らないが、死ぬわけではない。しかし家を失うということは、これから先、僕の人生において彼らと接する機会は限りなく0に近くなるんじゃないか。それはつまり、死んだも同然ではないだろうか。ともかく、これで僕にとって隣人、親しいお隣さんというものは完全に消滅することになる。これから増えることがあるのだろうか。