映画トレインスポッティングの思い出




1996年、日本で初めて上映されたのだが、

大阪での上映の予定がなかったので、

大阪在住の私は、

わざわざ、東京まで行くことにした。

まだ若かった私にとって、

東京までの交通費の出費は痛かったが、

それをも乗り越えさせるパワーや魅力があった。

東京で上映されたといっても、

大きな映画館ではなく、

渋谷の小さな映画館だった。

 東京駅で降りて、

キョロキョロしながら、

渋谷駅まで乗り継いだ。

渋谷駅から、確か少し、坂を上った気がする。

映画館の周りには、すごい人だかりで

中に入っても、空いてる席がないどころか、

立ち見が出ていて、

階段上のスロープにすら、人が立っていて

とにかく、すし詰め状態だった。

今なら、消防法で、

たぶんこんな上映の仕方は許されないだろうと思う。

みんな、今か今かと上映を待っていた。

映画が始まると、

そのテンポの速さに、驚愕した。

カメラワークもありえない角度から撮ってる。

たしか、トイレの便器の中から撮ったシーンもあった。

それよりも、何より、

イギリスの国が、こんなに荒廃してることに

ビックリしながら、とにかく

ストーリーを追うのに精いっぱい。

テレビが壊れているのかと思うくらい

画面が変わらない

ゆったりとした

小津安二郎 監督の映画を観てる人が

この作品を観たら、

卒倒しても、全く不思議でない。

泡ふいて死ぬんじゃないかと思う。

映画観たら、すぐ大阪に帰るつもりだったが、

ものすごく興奮して、初めての東京のクラブで1晩踊った記憶がある。

その頃は、今みたいに、

免許証見せろ!とか

うるさいこと言わない時代だったので、

未成年でも余裕で、入店できて、酒が飲めた。

フラフラになりながら、

朝5時に、渋谷から六本木まで歩いた。

近いと思っていたのに、

意外に遠い。

30分以上歩いても、まだ着かなかった。

やっと、六本木について、路上でへたりこんでいると、

ゴミ出しをしていたスーツ姿のお兄さんたちに

声をかけられた。


「おい!大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。」

そこから、会話が始まって、

大阪から今日出てきたこと、

映画を観るためだけに、今日来たこと、

渋谷から六本木まで歩いたこと

そんな話で、仲良くなった。

お兄さんたちいわく、

テリー伊藤が経営してるキャバクラで働いてて、

やっと店が終わったとのこと。

もし、良かったら、

口きいてやるから、一緒に働かないか?

給料いいし、

楽しいぞ!

との話だった。

テリー伊藤って、テレビマンだと思ってたのに、

そんな副業もしてるんだな・・・

と、頭がガンガン痛い中、思った。

お兄さんたちが、水もってきてくれて

ごくごく飲んだ記憶がある。

あの時、そのまま働いてたら、

人生がまた変わったかもしれないとふと思う。

とにかく、六本木から大阪の自宅までの記憶がないので、

どうやって帰ったのか分からない。

それぐらい衝撃のでかかった映画の続編が決まったらしい。

20年ぶりの続編に、

昔の興奮が思い出して、それを抑えられずにいる。

来年1月公開らしいので、

絶対、映画館に観に行こうと思う。

あれだけ、衝撃的な映画を

ミニシアターでしか公開できなかった

出来ない映画マンは、

もういないだろう。

当時の映画購入をする担当者連中は、

あれだけヒットするとは思ってなくて、

悔しがったに違いない。

もう、そんなポカはしないはずだから、

大きな劇場で観れるはずだ。

公開予定日 2017年1月27日