元海兵隊員による「リナさん殺害事件」を悼む
「密約法体系」がある限り、悲劇は何度でもくり返される
矢部宏治
2016年06月23日
今週の日曜日(6月19日)、沖縄で開かれた県民大会(*)に参加した。いうまでもない。4月に起きた元海兵隊員による暴行殺人事件をうけての抗議・追悼集会だ。主催者発表で6万5000人もの人びとが、那覇の陸上競技場に集まる大規模な集会となった(*「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」於:奥武山(おうのやま)陸上競技場)。
うっかり東京から半袖で来てしまった自分の両腕が、みるみる赤く火ぶくれしていく強烈な日差しのなか、壇上でスピーチをつづける県民の代表たち。
本土の政治集会とちがって、そこにはウソくさい建前も、政治的ポジショントークも、いっさい存在しない。みな、いちように心に深い傷を負っていることが痛いほど伝わってくるからだ。
思えば無理もない。21年前の少女暴行事件、あえて正確に書けば「米兵3名による女子小学生への集団強姦事件」が起こったあと、県をあげて「もう二度とこんな事件を起こさない」ことを誓ったはずだった。事件の背後に存在する、米軍関係者の犯罪を正当に裁けない歪んだ法的関係を、必ず変えると誓ったはずだった。日米両政府に対して全力で働きかけ、米軍基地問題の解決に力をつくしてきたはずだった。
それなのに今回、やはりまだ少女と呼んでもいいような、あどけない笑顔をもつ20歳の女性が、無惨に暴行・殺害されてしまったのだ。いつもは快活な沖縄の友人たちも、いままで見たことがないほど表情が暗い。県民代表のスピーチで「(娘を)最後の犠牲者にしてください」という遺族の言葉が伝えられたときには、眼鏡をはずして、汗と混じりあった涙をタオルでぬぐう人たちの姿があちこちでみられた。
リナさんが、殺害されるまで
沖縄の尊敬すべきジャーナリストたちにならって、私も彼女を「リナさん」と呼ぶことにする。「20歳の女性」と書くことで、沖縄では当然のこととして共有されている激しい心の痛みが、本土に届かぬまま消えてしまうことを恐れるからだ。
まだ成人したばかりで、これから長く充実した人生を歩んでいくはずだったリナさん。大切な恋人もいた、両親にとっては一人娘だったリナさん。
「思い出も涙も、尽きることはありません」と題された、告別式(5月21日)の参列者宛ての礼状には、次のように書かれている。
「一人娘の里奈は、私達夫婦にとって、かけがえのない宝物でした。これは親のひいき目かもしれませんが、素直で明るくて、いい子に育ったと思っています。沢山の友達にも恵まれ、好きな人と心通わせ、今が一番楽しい時期だったのに…。このような形で人生を終えるはずではありませんでした。
今となっては娘の身に一体何が起こったのか、本人に直接話を聞くことも、にこっと笑ったあの表情を見ることもできません。今はいつ癒えるのかも分からない悲しみとやり場のない憤りで胸が張り裂けんばかりに痛んでいます。
娘に私達の言葉が届くのであれば『怖い思いをしたね、後のことは心配しないで安らかに…』そう伝えたいと思います(後略)」
リナさんが殺害された経緯については、まだ完全に解明されたわけではない。しかし逮捕直後の容疑者の供述や、現在の県警の捜査状況から見て、おそらくそれは次のようなものだったと思われる。
4月28日の午後8時ごろ、ウォーキングのために自宅を出たリナさんは、交通量の多い、新しくできたバイパス道路を経由して、大手ディスカウントストア・ドンキホーテへ向かういつものルートを歩いていた。ところが店に到着する200メートルほど手前の路上で、突然うしろから棒で殴られ、抵抗力を奪われたあと、県道わきの草むらでレイプされ、その後、殺害された。そしていくつかの隠蔽工作がおこなわれたあと、その死体は遠くはなれた山中に遺棄された。
容疑者である元海兵隊員のケネス・フランクリン・シンザト(32)は、現在、犯行現場から車で20分ほど離れた嘉手納空軍基地内で「軍属」として働いており、帰宅時に通常のルートから大きく外れてこの凶行におよんだことがわかっている。
「日本の右翼」が叫ぶ奇妙なメッセージ
政治家である翁長知事や稲嶺・名護市長だけではない。まだ若い世代の人たちもふくめて、集会の参加者全員が、強く強く自分にこう問いかけていることがわかる。
「自分には、もっとできることがあったのではないか」
「こうした状態を放置した自分にも、責任があるのではないか」
しかしもちろん、沖縄県民のみなさんに責任があるはずがない。沖縄の政治家の問題でもない。そのことは集会を終えたあと、駅に向かう途中ですれちがった「右翼」の街宣カーがくりかえしていた次の言葉に、いちばんよくあらわれている。
「今回の悲劇を政治利用するな。大げさに騒ぎたて、遺族の感情を傷つけるな」
これほど悲しい「右翼」が世界のどこにいるだろう。
無限の未来をもつはずだった自国の若い女性が、外国軍の元兵士にレイプされ、殺害されたうえ、死体を山のなかに遺棄されてしまったのだ。しかも事件の背後には、外国軍兵士の犯罪を公正に裁くことができない、あきらかな不平等条約が存在する。
そういうとき、まちがいなくほかの誰よりも早く、強く、怒りだし、その怒りを具体的な行動であらわすのが世界標準の「右翼」というものではないのか。それゆえにかれらは、ときに法律の枠を逸脱することがあっても、あらゆる民族社会のなかで一定の尊敬を勝ち得ているのではないのか。
しかし、この奇妙な「日本の右翼」のメッセージは、実は日本の「保守派」全体、いわゆる「安保村」全体のメッセージでもあるのだ。
かれらのメッセージは、よく耳をかたむけてみると実にシンプルだ。つまりかれらは、くり返しくり返し、
「とにかく米軍には逆らうな。米軍に逆らう人間は、反日主義者だ」
とのべているのである。そして一見、論理的に矛盾するこの奇妙なテーゼこそ、「戦後日本」という国家の真実なのである。
実は今回の県民大会に、自民党と公明党は参加しなかった。どんな悲劇が起ころうとも、どんな民意が示されようとも、大会の決議案に書かれた「沖縄からの海兵隊の撤退」を求めることなど、かれらには絶対にできないからだ。その姿は、どれだけ国民が反対しようと、ひたすら安保法案を成立させるしかなかった安倍総理の姿と、まさに二重写しになっている。
米軍がウラ側で行使しつづける3つの巨大な権利
前回の記事(「連載 戦後日本・最大のタブー「指揮権密約」とは何か [1]戦争になれば、自衛隊は米軍の指揮下に入る」)でも少しふれたように、日米安保条約や地位協定の本質は、はるか昔、まだ日本が占領中だった1950年に起きた朝鮮戦争にある。この大戦争で苦境に立った米軍が、日本の国土や資源を自由に使いつづけるために結んだ「完全な不平等条約」、それが日米安保条約や地位協定(当時は行政協定)だったのである(『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル)。
それらの条文は米軍自身が書いており、そこには米軍が日本を使って戦争をするために必要な権利がすべて盛りこまれている。そのジャンルには、大きく分けて次の3つがある。
(1)日本の国土全体を自由に使用するための「基地権」
(2)日本の軍隊を自由に指揮するための「指揮権」
(3)日本の法によって米軍関係者が裁かれないための「裁判権」
この3つの巨大な権利を米軍が、日本の社会システムのウラ側で行使しつづけたことが、現在のような自民党を中心とした「米軍への完全従属体制」や、「憲法よりも米軍との取り決めが上位にある歪んだ法的構造」を生みだした最大の原因となっている。その象徴が、米軍の軍事上の要請にもとづいて結ばれたさまざまな密約なのである。
今回の事件でいちばん不思議なのは、なぜ「裁判権放棄密約」というすでに完全に証明された密約について、真正面からそれを破棄するという議論が起きないのかということだ。たしかに冒頭でふれた県民大会の決議文には、たんなる「地位協定の改定」ではなく、「地位協定の根本的改定」を求めるという項目が入っていた。その「根本的」という3文字に、おそらく密約の問題もふくまれているのだろう。
しかし、それでは弱すぎる。それでは本土の人間には、まったく伝わらないのである。
「裁判権放棄密約」とは何か
くわしくはまた、別の機会に書くことにするが、「裁判権放棄密約」とは、ひとことでいえば、
「とくに重要な事件以外は、米軍関係者への裁判権は放棄する」
という、本当にとんでもない密約のことだ。しかし1953年にむすばれたこの密約が、その後現在にいたるまで効力をもちつづけていることは、すでに複数の公文書によって証明されている。
そして最大の問題は、どの事件が「とくに重要な事件」かを認定するのが米軍自身だということだ。そのため地位協定本文の文言がどう改定されようと、米軍関係者の犯罪が日本で正当に裁かれる可能性はない。
論より証拠。4年前に沖縄で起きた米軍兵士による強姦事件で、犯人の米兵は「自分が女性をレイプしても警察につかまることはない」という認識を、はっきりともっていた。そのことが、すでに裁判記録のなかであきらかになっているのである。
地位協定もふくめて現在の歪んだ日米関係の根っこには、すべてこのような、民主主義国家のシステムを根幹から破壊する米軍との軍事上の密約が横たわっている。この裁判権放棄密約を中心とする「密約法体系」の問題を論じることなく、リナさんを「最後の犠牲者」とすることなど、絶対に不可能なのである。
「密約法体系」がある限り、悲劇は何度でもくり返される
矢部宏治
2016年06月23日
今週の日曜日(6月19日)、沖縄で開かれた県民大会(*)に参加した。いうまでもない。4月に起きた元海兵隊員による暴行殺人事件をうけての抗議・追悼集会だ。主催者発表で6万5000人もの人びとが、那覇の陸上競技場に集まる大規模な集会となった(*「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」於:奥武山(おうのやま)陸上競技場)。
うっかり東京から半袖で来てしまった自分の両腕が、みるみる赤く火ぶくれしていく強烈な日差しのなか、壇上でスピーチをつづける県民の代表たち。
本土の政治集会とちがって、そこにはウソくさい建前も、政治的ポジショントークも、いっさい存在しない。みな、いちように心に深い傷を負っていることが痛いほど伝わってくるからだ。
思えば無理もない。21年前の少女暴行事件、あえて正確に書けば「米兵3名による女子小学生への集団強姦事件」が起こったあと、県をあげて「もう二度とこんな事件を起こさない」ことを誓ったはずだった。事件の背後に存在する、米軍関係者の犯罪を正当に裁けない歪んだ法的関係を、必ず変えると誓ったはずだった。日米両政府に対して全力で働きかけ、米軍基地問題の解決に力をつくしてきたはずだった。
それなのに今回、やはりまだ少女と呼んでもいいような、あどけない笑顔をもつ20歳の女性が、無惨に暴行・殺害されてしまったのだ。いつもは快活な沖縄の友人たちも、いままで見たことがないほど表情が暗い。県民代表のスピーチで「(娘を)最後の犠牲者にしてください」という遺族の言葉が伝えられたときには、眼鏡をはずして、汗と混じりあった涙をタオルでぬぐう人たちの姿があちこちでみられた。
リナさんが、殺害されるまで
沖縄の尊敬すべきジャーナリストたちにならって、私も彼女を「リナさん」と呼ぶことにする。「20歳の女性」と書くことで、沖縄では当然のこととして共有されている激しい心の痛みが、本土に届かぬまま消えてしまうことを恐れるからだ。
まだ成人したばかりで、これから長く充実した人生を歩んでいくはずだったリナさん。大切な恋人もいた、両親にとっては一人娘だったリナさん。
「思い出も涙も、尽きることはありません」と題された、告別式(5月21日)の参列者宛ての礼状には、次のように書かれている。
「一人娘の里奈は、私達夫婦にとって、かけがえのない宝物でした。これは親のひいき目かもしれませんが、素直で明るくて、いい子に育ったと思っています。沢山の友達にも恵まれ、好きな人と心通わせ、今が一番楽しい時期だったのに…。このような形で人生を終えるはずではありませんでした。
今となっては娘の身に一体何が起こったのか、本人に直接話を聞くことも、にこっと笑ったあの表情を見ることもできません。今はいつ癒えるのかも分からない悲しみとやり場のない憤りで胸が張り裂けんばかりに痛んでいます。
娘に私達の言葉が届くのであれば『怖い思いをしたね、後のことは心配しないで安らかに…』そう伝えたいと思います(後略)」
リナさんが殺害された経緯については、まだ完全に解明されたわけではない。しかし逮捕直後の容疑者の供述や、現在の県警の捜査状況から見て、おそらくそれは次のようなものだったと思われる。
4月28日の午後8時ごろ、ウォーキングのために自宅を出たリナさんは、交通量の多い、新しくできたバイパス道路を経由して、大手ディスカウントストア・ドンキホーテへ向かういつものルートを歩いていた。ところが店に到着する200メートルほど手前の路上で、突然うしろから棒で殴られ、抵抗力を奪われたあと、県道わきの草むらでレイプされ、その後、殺害された。そしていくつかの隠蔽工作がおこなわれたあと、その死体は遠くはなれた山中に遺棄された。
容疑者である元海兵隊員のケネス・フランクリン・シンザト(32)は、現在、犯行現場から車で20分ほど離れた嘉手納空軍基地内で「軍属」として働いており、帰宅時に通常のルートから大きく外れてこの凶行におよんだことがわかっている。
「日本の右翼」が叫ぶ奇妙なメッセージ
政治家である翁長知事や稲嶺・名護市長だけではない。まだ若い世代の人たちもふくめて、集会の参加者全員が、強く強く自分にこう問いかけていることがわかる。
「自分には、もっとできることがあったのではないか」
「こうした状態を放置した自分にも、責任があるのではないか」
しかしもちろん、沖縄県民のみなさんに責任があるはずがない。沖縄の政治家の問題でもない。そのことは集会を終えたあと、駅に向かう途中ですれちがった「右翼」の街宣カーがくりかえしていた次の言葉に、いちばんよくあらわれている。
「今回の悲劇を政治利用するな。大げさに騒ぎたて、遺族の感情を傷つけるな」
これほど悲しい「右翼」が世界のどこにいるだろう。
無限の未来をもつはずだった自国の若い女性が、外国軍の元兵士にレイプされ、殺害されたうえ、死体を山のなかに遺棄されてしまったのだ。しかも事件の背後には、外国軍兵士の犯罪を公正に裁くことができない、あきらかな不平等条約が存在する。
そういうとき、まちがいなくほかの誰よりも早く、強く、怒りだし、その怒りを具体的な行動であらわすのが世界標準の「右翼」というものではないのか。それゆえにかれらは、ときに法律の枠を逸脱することがあっても、あらゆる民族社会のなかで一定の尊敬を勝ち得ているのではないのか。
しかし、この奇妙な「日本の右翼」のメッセージは、実は日本の「保守派」全体、いわゆる「安保村」全体のメッセージでもあるのだ。
かれらのメッセージは、よく耳をかたむけてみると実にシンプルだ。つまりかれらは、くり返しくり返し、
「とにかく米軍には逆らうな。米軍に逆らう人間は、反日主義者だ」
とのべているのである。そして一見、論理的に矛盾するこの奇妙なテーゼこそ、「戦後日本」という国家の真実なのである。
実は今回の県民大会に、自民党と公明党は参加しなかった。どんな悲劇が起ころうとも、どんな民意が示されようとも、大会の決議案に書かれた「沖縄からの海兵隊の撤退」を求めることなど、かれらには絶対にできないからだ。その姿は、どれだけ国民が反対しようと、ひたすら安保法案を成立させるしかなかった安倍総理の姿と、まさに二重写しになっている。
米軍がウラ側で行使しつづける3つの巨大な権利
前回の記事(「連載 戦後日本・最大のタブー「指揮権密約」とは何か [1]戦争になれば、自衛隊は米軍の指揮下に入る」)でも少しふれたように、日米安保条約や地位協定の本質は、はるか昔、まだ日本が占領中だった1950年に起きた朝鮮戦争にある。この大戦争で苦境に立った米軍が、日本の国土や資源を自由に使いつづけるために結んだ「完全な不平等条約」、それが日米安保条約や地位協定(当時は行政協定)だったのである(『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル)。
それらの条文は米軍自身が書いており、そこには米軍が日本を使って戦争をするために必要な権利がすべて盛りこまれている。そのジャンルには、大きく分けて次の3つがある。
(1)日本の国土全体を自由に使用するための「基地権」
(2)日本の軍隊を自由に指揮するための「指揮権」
(3)日本の法によって米軍関係者が裁かれないための「裁判権」
この3つの巨大な権利を米軍が、日本の社会システムのウラ側で行使しつづけたことが、現在のような自民党を中心とした「米軍への完全従属体制」や、「憲法よりも米軍との取り決めが上位にある歪んだ法的構造」を生みだした最大の原因となっている。その象徴が、米軍の軍事上の要請にもとづいて結ばれたさまざまな密約なのである。
今回の事件でいちばん不思議なのは、なぜ「裁判権放棄密約」というすでに完全に証明された密約について、真正面からそれを破棄するという議論が起きないのかということだ。たしかに冒頭でふれた県民大会の決議文には、たんなる「地位協定の改定」ではなく、「地位協定の根本的改定」を求めるという項目が入っていた。その「根本的」という3文字に、おそらく密約の問題もふくまれているのだろう。
しかし、それでは弱すぎる。それでは本土の人間には、まったく伝わらないのである。
「裁判権放棄密約」とは何か
くわしくはまた、別の機会に書くことにするが、「裁判権放棄密約」とは、ひとことでいえば、
「とくに重要な事件以外は、米軍関係者への裁判権は放棄する」
という、本当にとんでもない密約のことだ。しかし1953年にむすばれたこの密約が、その後現在にいたるまで効力をもちつづけていることは、すでに複数の公文書によって証明されている。
そして最大の問題は、どの事件が「とくに重要な事件」かを認定するのが米軍自身だということだ。そのため地位協定本文の文言がどう改定されようと、米軍関係者の犯罪が日本で正当に裁かれる可能性はない。
論より証拠。4年前に沖縄で起きた米軍兵士による強姦事件で、犯人の米兵は「自分が女性をレイプしても警察につかまることはない」という認識を、はっきりともっていた。そのことが、すでに裁判記録のなかであきらかになっているのである。
地位協定もふくめて現在の歪んだ日米関係の根っこには、すべてこのような、民主主義国家のシステムを根幹から破壊する米軍との軍事上の密約が横たわっている。この裁判権放棄密約を中心とする「密約法体系」の問題を論じることなく、リナさんを「最後の犠牲者」とすることなど、絶対に不可能なのである。