2008年09月13日

気になったことあれこれ

書き手:赤龍

思えば結構な長い間、こちらに投稿させていただいてますが、ろくに文章も、説明の技術も上達しないのが悩みの種。どうすれば、すっきりと分かりやすい文章が書けるのだろう、と毎回苦戦しています。

そこで気になる点の一つに、勝手に自分の文章の語句や用法の定義づけを決めつけてないか?ということがあります。それについて今回はお話します。要は私の文章の言い訳特集(笑)いや、こんなの書くなって話でしょうが…


まず第一に「三国時代」について

最初に清岡美津夫さんの「三国志ニュース」の記事
http://cte.main.jp/news/blog.cgi?n=1002
三国志城での、満田剛先生の講演レポート。非常に面白くためになる記事です。私の文を読むのをここでやめてもいいので、しっかり読みましょう。

そこから一部引用させて頂きます(無断転載すみません)
「話が変わって「三国時代」の定義の話。いろんな見解を紹介しつつ、厳密に言えば魏が起こった220年からになるが、大まかに言えば黄巾の乱の184年から呉の滅亡の280年で良いのでは、と説明。」

歴史の世界には、どうしても時代区分の話がついてまわります。
「教科書なんかには、はっきり区分されてるから何の問題もないだろ」とお思いの方もいるかと思いますが、これは結構ひと悶着の末の暫定案だったりするんですね。

鎌倉時代の始まりと言えば、私らなんかには「いい国つくろう鎌倉幕府」1192年というのが常識です。「なくよウグイス平安京」と並ぶ、二大語呂あわせですね。しかし、最近の教科書では1185年らしい。鎌倉幕府の成立の基準を、将軍就任に置くか?実質的な政権成立に置くか?といった論争が、実は研究者の間ではあったんですね。その結果、教科書も変わったらしい。
もうガッツ石松さんの「よいくにつくろう鎌倉幕府」ネタは若い子には通じないんだろうか?そして、今の小学生は、どうやってこの年を覚えてるんだろう?これが一番気になります(笑)

三国時代の定義は、そんなややこしい話でもないんで安心してください。

三国志の物語といえば、黄巾の乱と劉備三兄弟の桃園結義(184年)からスタートしますよね。しかし、このころはほんとは後漢の世。献帝が曹丕に禅譲する漢魏交替の220年までは正確には後漢時代。三国時代といえるのは、それ以降である。ということです。
いやいや、孫権が独自の年号を使った222年からだ。孫権が帝位についた229年からだ。と小うるさい人もいますよ。まあ、細かいことはこの際無視しましょう。

でも、そうすると曹操も、関羽も、周瑜も、呂布も、実は三国時代の人じゃあないことになります。
しかし、三国時代を語るには、こうした人々は無視できない。正史『三国志』も彼等の伝をしっかり立ててる。なにより、三国志演義で特に面白いのは、三国時代に入るまで。というわけで、満田先生の「大まかに言えば184年から」というお言葉につながるわけです。

はい、ここからやっと本題。
私も文章書いてて、この「三国時代」の定義に悩むわけです。満田先生の「大まかに」のお言葉は大変心強いが、後漢時代は後漢時代と書きたいときもある。
そこで思いついたのが、220年以後の厳密な三国時代を「三国時代」と書き、184年からを「三国志の時代」と書き分ける。なにも私の発明じゃなく、これくらいのこと思いついた人はいくらでもいるでしょうが…

実は、ある時から勝手にこの定義で文章書いてたんですね。なんの断りもなく。
まあ、普通に読んでてあまり気にする人もないと思うし、だからどうした?という話ですが…



もう一つは「年齢」のお話。

色々歴史関係のサイトを見てまわってると「年齢は数え年で書いてます」という説明や、丁寧に数え年の説明をしておられる方までいました。

私は「昔の人の年齢は数え年だ」というのが当然と決めつけて、なんの断りもなく書いてきました。
でも、よく考えれば、現代人にとって「満年齢」が常識。数え年なんて全く縁がないですよね。
「歴史だと数え年が当たり前」と思ってたけど、よく考えたら歴史教科書(古典でもいいけど)で年齢の話が出た覚えは全く無い。あれだけ、くだらないと思うような細かいことまで覚えさせる教科書が(問題発言かな?)、年齢の話は一切しないんですよね。
「織田信長(1534〜1582)」とか書いても、「享年49」なんてことは絶対書いてないんですね(私の時代の教科書基準)よって、数え年なんて教える必要も無い。『庭訓往来』やら『節用集』やら、確実に一生読むどころか、口にしない書名覚えさせるくらいなら「人生五十年でしられる信長は、その一歩手前の49歳で死んだんだよ。この年齢は数え年で〜」なんてこと教えた方がよっぽどましだろうに。

いや、余談がすぎましたね。現代では、「数え年」なんて知らない方が当たり前だと。

「満年齢」つまり、今の常識では、産まれた時が0歳。誕生日が来るたびに1歳、2歳と加算されていく。話すまでのこともないですね(笑)

「数え年」は、産まれた瞬間に1歳。年が代わって翌年の1月1日になると、一斉に2歳。1月産まれだろうが、12月産まれだろうが2歳。誕生日は関係ありません。以下年が代わる度に年齢加算。高島俊男先生のお言葉を借りると「数は一からはじまる」(『お言葉ですが 2』より)1世紀は1年から。年は1月から、月は1日からはじまる。人間だけ、この世に確かに存在してるのに0歳というのは、たしかに不合理な話かもしれないですね。

昔の人は数え年を使ってた。これは日本も中国も一緒。三国志の人たちだって、史料に見える年齢は全部数え年。だから、歴史上の人物は数え年を使う。これが基本方針みたいなもんですが、もう一つ現実的な理由があります。
歴史上の人物で誕生日が分かる人なんて、ほんのわずか。つまり、満年齢だとはっきり年齢が示せる人なんてほとんどいないんですね。三国志で誕生日がわかる人なんていたかな?

ついでに補足。
よく「諸葛亮(181〜234)」なんて生没年表記があるけど、正史見たって、諸葛亮の生年なんて実は書いてないんですね。建興三年(234)の記述に「時年五十四」と書いてあるから、数え年で逆算して181年にたどりつく。他の人物も基本的にこの要領。
ここで満年齢を持ち出せば、誕生日が分からないから、生年の決定もできない。そもそも、没年齢が54歳ということ自体が崩壊しちゃうんだから、手のつけようがない。
数え年というのは、誕生日に左右されない、大変明確なものといえるんですね。

上記、数え年の生年の簡単な計算法は「没年−(年齢−1)」
208年の諸葛亮の年齢が知りたければ「208−(181+1)」

というようなわけで、私の文章中(というか、ほとんどの歴史モノの本がですが)に出てくる歴史上の人物の年齢は、特に一々ことわることなく、全て数え年で表記されています。

よし、ちゃんとこの場で説明したぞ。これで、これから私が文章を書くとき、以上の2点について「ちゃんと通じるかな?」と悩むことなく「前に一度ちゃんと話したからよし!」と、勝手に自分で納得し、スムーズに書き進むことができるわけです。
そう、私の自己弁護を目的とした駄文。ここまで読んでくださった方、申し訳ない。



aka5442 at 09:48│Comments(0)TrackBack(0)三国志雑感 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
記事内容
月別記事