天野ナス。

ぼくは黒っぽい犬。じゅうにん家族。

2016年04月

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ときどきあることだが、先日もじじぃは些細なことをきっかけに自身を抑えきれなくなり崩壊、行き場のない怒りを噴出させたが、その憤りの表現方法が「非常に昭和なプロトタイプを模したもの」だとおかあさんが感心していた。

ぼくは「平成」も四半世紀を過ぎてから生まれたので「昭和のひとの怒りの表現」などというものを知る由もないが、じじぃはその日、ガーデンテーブルをなぜか二度ひっくりかえし、椅子を門から道路へ投げ出していた。
そうゆう仕草を昭和の怒りの表現者の代表=星一徹氏はしていたのだそうだ。
ひっくりかえしたものは「ちゃぶ台」というテーブルのバリエーションだということだ。

ガーデンテーブルに置いてあったぼくたちのハーネスやリードの一部が茶々のほうへ飛んでいった模様で茶々は即時にじじぃに破門を言い渡していた。(入門を許したわけでもないが)

どうせ投げるのならギターとかを投げればいいのに、どうも貧乏くさいとおかあさんが言った。



じじぃの父、ぼくにとっては「ひーじーさん」のライフワークのひとつに
新聞の切り抜きのスクラップというのがある。
とくに料理やそのレシピの記事は重要なアイテムとなっている。
スクラップブックができあがるとそれを持ってきてくれる。

そのなかに簡単にできるボンゴレのレシピがあって、
じじぃが気に入って続けざまにボンゴレを繰り出したので
おかあさんはボンゴレがきらいになった。

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美しかったり可愛かったりすると人間は吸い寄せられてしまうらしい。
すこし美しければ「園芸植物」として大切にされるが
あまり美しくないと「雑草」と呼ばれ、むしりとられてしまう。
しかしこれはあくまでも「人間から見て」という注釈が入る。


人間は単純なので美や可愛さの基準も単純なのだとおかあさんが教えてくれた。
独特の考えの人ももちろんいるが
たいていはその時代時代で流行りがあるのだそうだ。
ぼくにはよくわからないが
ぼくはぼくをたいせつにしてくれるおかあさんがすきだ。

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茶々は通行人に人気がある。
門の前に座り道行く人に「馬鹿っ!うざいのよ!あっちいけ!」と罵声を浴びせることを日課にしているのにもかかわらず、
通行人からは「ちっちゃーい!かーわいいー!元気だねぇ!」などの声援を受けている。
きょうなんか「ちいさくってとってもかわいい」と言われた上に「ありがとう!」と感謝されていた。
小さいことはありがたいのか?
小さい=ありがとう の図式がぼくにはよくわからないが
茶々をみていると妙に説得力があり、「そうなのかもしれない」と思わせる力がある。
じじぃは茶々のことを「師匠」と呼ぶが、それも一理ある思った。

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桜の花が咲くと虫が寄ってくるというのは桜にも利益があって納得できるが
人間が寄ってきて木の下で騒いだりするのがどんなふうに桜の利益になるのか?と ふと考える。
宴の残りかすが肥料になるとか?

とにかく、桜が咲いたと言っては騒ぎ、散ったの、次は八重桜だの、やっぱり山桜は風情があるだの
勝手なことを口々に言って文章を書いたり句を詠んだり写真を撮ったり絵を描いたり歌にうたったり
活発にうごめいているさまはとても正常とは思えない。
いったいなんなのだろうか?
まだ考える余地は充分にありそうだ。

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