カテゴリ:

引用元: ・日本史の面白いエピソード教えろンゴ

1: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)20:54:27 ID:23j
藤原道長は実は関白になってない
小早川秀秋は秀吉の義理の甥

こんな感じの

2: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)20:57:15 ID:91T
チ◯ポ狂いの孝謙天皇

4: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)20:58:09 ID:23j
>>2
でかちん道鏡に魅了されちゃった人やね

3: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)20:57:44 ID:6NC
振袖火事はフィクションやっけ?

5: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:00:25 ID:23j
>>3
明暦の大火やっけ
さすがにフィクションやろなあ

6: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:01:50 ID:23j
なんでもええぞ

和気清麻呂が別部穢麻呂に改名させられたみたいな

7: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:04:09 ID:AaR
新撰組の活動資金は押し借りでなんとかしていた

8: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:04:54 ID:hRR
平家軍勢に源氏は居るし
源氏軍勢にも平氏は居る

10: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:06:18 ID:rSY
>>8
関東には平氏多かったからね

9: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:05:10 ID:6NC
西郷隆盛のあの肖像画もいとこかなんかやったな

11: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:06:27 ID:23j
>>9
よく沖田総司は実はブッサイクやったって言われてるけど
あれも親戚もとにして書いたんだよな確か

souji01
















12: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:07:47 ID:AaR
>>11
姉だかだぞ(うろ覚え)

13: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:08:55 ID:23j
>>12
姉が元ネタやったらなんかその…アレやな

14: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:09:47 ID:AaR
>>13
老いた姉の顔を何となく若返らせて何となく弟っぽくしたくらいだから…(震え声)

15: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:11:07 ID:z0R
四条天皇とかいうドジっ子

18: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:15:24 ID:23j
>>15
碁石で女中転ばせたろ



ファッ!?アタマゴチーンそしてチーン


ま、まだ幼かったし多少はね?

21: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:17:02 ID:z0R
>>18
幼い(12歳)

成長具合とか全然違うやろうけど今の小6がそんなことやってたら完全にアレやな

25: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:18:03 ID:23j
>>21
12歳やったんか(驚愕)
もっと若いかと思ってたわ

16: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:12:41 ID:23j
個人的におもろいと思ったんは
蘇我氏は大臣で物部氏は大連
蘇我氏が権力争いで勝ったから大臣という役職のみ「だいじん」として残った
あくまでも説やけど

17: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:14:10 ID:hRR
浪速商人は、近江からゼニの匂いに釣られてきた商人
大阪商人は古くからの地元の商人

当然、桃山時代から現代まで仲は悪い

19: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:15:40 ID:ruO
帝国憲法は一度盗まれたことがある

20: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:16:09 ID:xQ6
鎌倉で北条氏が滅亡した時、900人が自決した

22: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:17:26 ID:AaR
山県有朋は明治天皇、大正天皇に嫌われていた

27: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:19:15 ID:23j
>>22
なんでなんや?
同じ長州閥でも伊藤博文とも仲悪かったみたいやけど

34: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:25:33 ID:AaR
>>27
伊藤博文とはあれでも山県的にはには仲がいいほうなんやで

金に汚い、でっち上げで失脚させる、明治初期の政変のころのいろんな行いやないか
参内すると何かくれてやるもんないかって追い返したがられてた
明治天皇の路線でも合わないのに反対路線の大正天皇とはそら合わんやろ

40: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:27:40 ID:5yO
>>34
神戸の大倉山公園の
伊藤博文の大きな立像が撤去されたままなんや……( ・`ω・´)

41: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:28:59 ID:AaR
>>40
萩市「返すわけないやろ」

42: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:29:59 ID:23j
>>34
明治天皇と大正天皇の路線ってなんや?
無知ですまンゴ
高校で近現代史やらへんかったから予備知識がなくってな

44: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:38:14 ID:AaR
>>42
明治天皇は日本近代国家の指導者
儀式のときでも顔があんま見れない、声なんて庶民には聞けない、
雲の上の人、権威の象徴
国民にはそんな感じ
大正天皇は気さくなほうで皇太子時代から庶民に声をかけたり、
友人の家を仕事の空き時間で訪れたり
お話好きなのかいろんな人といろいろしゃべる、開かれた皇室みたいな人
皇太子時代は庶民から人気が高かった

山県とかは明治天皇の権威の象徴路線を大正天皇に求めていたからいろいろあった

23: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:17:38 ID:ruO
山田長政非実在説


28: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:19:43 ID:ruO
壬申の乱は天武天皇の妻である持統天皇が指揮していた

29: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:20:34 ID:iZB
戦前まで足利尊氏は極悪人の代名詞

33: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:24:25 ID:TPn
>>29
なお、楠木正成は聖人どころか神レベルの扱いだった模様

30: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:20:42 ID:3OF
明治以降の工業近代化
そもそもあの近代化ペースは当時のヨーロッパからみたら
鎖国してた国がなんで?
ていうほどの異常すぎるスピードでの近代化
背景には日本人が実は相当好奇心が強く新物好きかつ
長年培われた物作りの技術技能が高かったから
しかしその事が学校の授業ではしっかりと教えられていない事実

31: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:20:57 ID:6NC
都市伝説的なのも結構あるよな
天草四郎が豊臣の子孫説とか松尾芭蕉服部半蔵説とか

32: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:23:02 ID:iZB
家康は蒔絵の超豪華な「おまる」を献上されて怒り狂った

36: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:26:51 ID:AKd
>>33
息子まで神格化されるまでのレベルやからな
小楠公の歌が教科書にまで普通に乗ってるし

37: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:27:16 ID:hRR
歴史は昔になれば昔なほどエらい大先生の鶴の一声で決まる

38: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:27:26 ID:3OF
お江戸では鼻紙を集めて
再生紙を作っていた

43: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:35:58 ID:Tyc
小林一茶は性欲強すぎて離婚した
【wikipediaより】
文化9年(1812年)、50歳で故郷の信州柏原に帰り、その2年後28歳の妻きくを娶り、
3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。
きくも痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。
62歳で2番目の妻(田中雪)を迎えるが半年で離婚する。
64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける
(やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えた。1873年に46歳で没)。

残された日記によれば、結婚後連日連夜の交合に及んでおり、妻の妊娠中も交わったほか、
脳卒中で58歳のときに半身不随になり63歳のときに言語症を起こしても、なお交合への意欲はやむことがなかった。
文政10年閏6月1日(1827年7月24日)、柏原宿を襲う大火に遭い、母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。
そしてその年の11月19日、その土蔵の中で64年半の生涯を閉じた。法名は釈一茶不退位。

46: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:43:36 ID:Tyc
あのお金を表す指のサインを考えたのは大隈重信

47: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:45:35 ID:iZB
江戸城中の刃傷事件は結構あった
たいがいはイジメられてた方がキレて斬りかかるという顛末が多い

49: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:47:15 ID:AaR
>>47
細川宗孝「ちょっと待ってくださいよ!」

48: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:47:08 ID:SOc
大正天皇は地方巡回中に一人で抜け出し民家にもらって飯を食べたりしてた
その後、そのときのお礼として多額の礼金をやったそうな

50: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:49:04 ID:AaR
原敬は勘違いで暗殺された可能性がある

51: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:50:07 ID:hRR
飯を食う前の「いただきます」
これ、意外に歴史が浅く、戦中戦後のものらしい
1900年前後に生まれた人にアンケートとると誰も言っていなかった

が、現代の人は9割の人は「言うべき」と思っているので、マナーとしてやろうねウンコども

52: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:51:42 ID:Bbf
こういうスレの日本史=古代~近現代という風潮、無くしていきたい
先史時代にも興味もってもらいたいンゴねぇ

60: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:00:10 ID:23j
>>52
縄文時代にすでに稲作文化が存在した
古墳は前方後円墳が先で円墳・方墳が後

こんなんは当たり前か

先史時代のエピソードってあんまイメージわかん

72: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:39:05 ID:Bbf
>>60
まあそうやろなぁ
縄文縄文時代には稲作文化はないかな
縄文弥生移行期は別にして、あったのは多少の栽培

63: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:08:47 ID:hRR
>>60
九州では独自の縄文文化か花開いていたが、
カス桜島のドカーンで九州(ついでに山口)全土が土石流に流された
また、青森県も独自の縄文文化が十和田に滅ぼされた(ついでに北海道も)

数万年前の話である

71: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:37:40 ID:Bbf
>>63
九州、青森の独自の縄文文化って何をもってそう言えるんや?
あと縄文時代の開始は約1万6千年前だから数万年も前じゃない

53: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:52:12 ID:ilE
戦国武将は基本的にホモ
唯一の例外は豊臣秀吉で、彼は女の子が大好きだったとか

55: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:54:01 ID:R06
伊藤博文は武士ではなく百姓の子

57: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:54:49 ID:AaR
夏目漱石はDV夫
が妻の友人が持ってきた妻へのお土産を食べてブチ切れられたことがある
何も言い返さず黙っていた模様

59: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:58:10 ID:oqv
ベースボールを野球と翻訳したのは、明治時代の・・・
これは有名な話か

61: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:00:20 ID:AaR
正岡子規「江戸時代の俳句は糞、読む価値もない」
弟子・友人「おっ、そうだな」
??「あいつが言うならそうなんやろ」

江戸時代の俳句があんまり残ってない理由らしい

62: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:05:11 ID:iZB
宮本武蔵は島原の乱に従軍したが
参戦早々敵の投石が脛に当たり
それっきり乱の収束までに現場復帰できなかった

64: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:11:33 ID:R06
荒木又右衛門で有名な鍵屋の辻の決闘の原因は
ホモの恋愛の三角関係
【wikipediaより】
鍵屋の辻の決闘は、寛永11年11月7日(1634年12月26日)に
渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を
伊賀国上野の鍵屋の辻(現三重県伊賀市小田町)で討った事件。
伊賀越の仇討ちとも言う。
曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つ。

寛永7年(1630年)7月11日、岡山藩主池田忠雄が寵愛する小姓の渡辺源太夫に
藩士・河合又五郎が横恋慕して関係を迫るが、拒絶されたため又五郎は逆上して源太夫を殺害してしまった。
又五郎は脱藩して江戸へ逐電、旗本の安藤次右衛門正珍にかくまわれた。
激怒した忠雄は幕府に又五郎の引渡しを要求するが、安藤次右衛門は旗本仲間と結集してこれを拒否し、
外様大名と旗本の面子をかけた争いに発展してしまう。


65: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:12:35 ID:8n5
世阿弥と足利義満はやってた(意味深

66: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:14:58 ID:AaR
源頼朝が後白河法皇を恐れた理由は子供のころ掘られて死にかけたからという説がある

67: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:33:05 ID:Tyc
今でこそ「北東」「南西」というがこれは欧米の表記方法に合わせたもの
日本本来の表記方法は東西が先
だから日本の北東部は「東北地方」だし西郷隆盛が九州で起こした反乱は
「西南戦争」

76: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:48:13 ID:PM9
>>67
おおう、これは勉強になったわ。サンクス。
なんで「西南」なのか引っかかってたわ。

68: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:34:21 ID:FVj
明治天皇は山岡鉄舟(身長185cm体重105kg無刀流開祖)と相撲をとろうとした

69: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:35:15 ID:3OF
死生というけど
本来は生死

70: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:36:25 ID:0Q0
日本で最初にバウムクーヘンを売ったのは戦争前の原爆ドーム
(当時の名前は広島産業奨励館)

原爆には50kgのウランが積まれていたが、核分裂したのは1kg未満 それであの威力

73: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:39:36 ID:8q6
本居宣長は鈴マニアにして鈴コレクター

75: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:43:31 ID:8ip
大正天皇は晩年ちょっと病んでて
議会開会宣言のために壇上に上がったのに
資料を丸めて望遠鏡にしてあたりを見回し始めたりしたとか


74: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:40:47 ID:PHl
インパール失敗を受けて
河辺「どうするの?(中止と言ってくれ)」
牟田口「どうしましょう(中止と言ってくれ)」
河辺、牟田口「……」

牟田口「顔で察してほしかった」
河辺「何か訴えようとしていたが何かわからなかった」

79: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:49:16 ID:xQ6
牟田口は晩年まではおとなしくしてたが、
イギリスの将校から貰った手紙を見て名誉回復運動に走った

83: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:52:42 ID:oGq
神武天皇は1日で宮崎から大阪まで移動した(カラスに乗って)

84: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:53:48 ID:PHl
ある某総理大臣は天皇陛下に怒られたショックで死んだ
【wikipediaより】
田中 義一(たなか ぎいち 1864年7月25日(元治元年6月22日-1929年(昭和4年)9月29日)
狭心症の既往があった田中に、天皇の叱責はやはり堪えた。
退任後の田中は、あまり人前に出ることもなく塞ぎがちだったという。
内閣総辞職から3ヵ月もたたない1929年(昭和4年)9月28日、
田中は貴族院議員当選祝賀会に主賓として出席するが、見るからに元気がなかった。
そして翌29日午前6時、田中は急性の狭心症で帰らぬ人となった。 
田中の死により、幕末期より勢力を保ち続けた長州閥の流れは完全に途絶えることになった。

昭和天皇は、田中を叱責したことが内閣総辞職につながったばかりか、
死に追いやる結果にもなったかも知れないということに責任を痛感し、
以後は政府の方針に不満があっても一切口を挟まないことを決意した。

81: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:50:41 ID:MLD
関ヶ原での西軍大将は石田三成じゃない

85: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:53:55 ID:TPn
織田信長は身内と有能に対してめっちゃ優しい
謀反を起こした信勝や松永久秀を一度目は許している
だからもし、明智光秀が本能寺の変に失敗しても一度目は許されたと思う

>>81
確か毛利輝元やっけ?

90: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:55:52 ID:xQ6
>>85
本能寺の変は信長や信忠殺す気だったし許さんやろ
毛利輝元であってるで

91: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:56:31 ID:Tyc
>>85
なお忠勤でも使えない部下には厳しい模様

92: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:58:10 ID:kZd
>>85
佐久間信盛「おっそうだな!」

98: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:02:32 ID:G6Z
>>92
悪いが同僚を見捨てて逃げ出したり包囲網を動かさないやつはNG

87: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:54:53 ID:8q6
武田信玄の居城躑躅ヶ崎館は水洗トイレがあった

89: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:55:43 ID:eLu
>>87
これは治水の神

96: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:01:21 ID:8q6
>>89
ちなみに確かこの水洗トイレは暗殺されないように
かなり広く作られていて中には机もあったんやで

94: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:00:29 ID:By4
広島市で被曝して、地元の長崎市に帰って被曝した人がいる
ちなみに2010年に93歳で亡くなった

これはわりと有名か

97: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:01:40 ID:xQ6
信長は許してくれる時もあるけど絶対に許さない時もある
武田勝頼や上杉景勝は何回も土下座したけど許されなかった

101: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:03:52 ID:8q6
>>97
景勝って確かマジに滅亡すると思って佐竹義重に遺言状まで送ってたんよな

135: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:24:24 ID:xQ6
>>101
ワイ一人で日本中の軍勢相手にするんだから滅亡しても名誉なこととか書いてたな

155: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:40:49 ID:8q6
>>135
佐竹義重とてそれ言われてもどうすれば…って感じやろなあ
政宗台頭前で佐竹に勢いあるとはいえ

167: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:47:45 ID:xQ6
>>155
謙信の頃から親しかったし送れる相手佐竹しかいないし

179: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:53:38 ID:8q6
>>167
なんか佐竹と上杉はくっ付いては離れてを繰り返しとるなんか複雑なイメージやわ
それでも縁ある人間に後を託したかったって事なんかなあ…

182: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:54:48 ID:R06
>>179
佐竹の若殿にぜんそく持ちがいてそのために作られたのが龍角散

185: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:55:52 ID:xQ6
>>179
まあこじれたりはしとるけど基本的には仲のいい逸話が多いで
義重が謙信から刀貰って喜んでたりとか

188: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:57:20 ID:8q6
>>182
知らなかったわ…
>>185
義宣が脇差にしてもうてガッカリしたんやっけ?

191: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:59:30 ID:xQ6
>>188
それ
江戸時代でも政宗が景勝にいちゃもんつけて義宣がキレるとかそこそこある
事実かどうかは知らん

99: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:03:05 ID:ku1
戦国時代は刀傷には傷口に馬糞を塗り込んだりしていた

馬糞をお湯に溶かして飲むこともやっていた

102: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:06:59 ID:R06
西郷隆盛は本当の名前でなく父親の名前
【wikipediaより】
西郷 隆盛(さいごう たかもり 旧字体: 西鄕隆盛 文政10年12月7日(1828年1月23日)- 明治10年(1877年)9月24日)は
日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。
薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。
名(諱)は元服時には隆永(たかなが)のちに武雄、隆盛(たかもり)と改めた。
幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変えた。
号は南洲(なんしゅう)。
隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に
親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名を届けたため
それ以後は父の名を名乗ったためである。
一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの変名も名乗った。

100: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:03:42 ID:zTi
8月6日の原爆の第一目標は小倉
結構有名か

103: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:07:05 ID:lyW
原爆は本来京都も標的に入ってたが当時の陸軍長官が京都ぶっ壊したら
日本人にそっぽ向かれるから止めるように言ったために標的から外された

104: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:07:08 ID:8n5
末期の旧日本軍には風洞実験もしないまま
完成させた戦闘機(キ100)がある

107: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:08:57 ID:lyW
伊藤博文は女癖が最悪だった
で破産して首相ともあろうものが家まで失った

109: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:09:45 ID:By4
縄文後期~弥生が日本の農耕のはじまり(狩猟採集の終わり)とされてるが
沖縄では平安時代まで狩猟採集で生活していた
なので、沖縄には「1000年前の貝塚」がいくつか存在している

110: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:10:15 ID:lyW
>>109
続縄文文化やったっけ?

113: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:11:00 ID:lyW
>>110
それは北海道だった…

114: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:11:40 ID:By4
>>110
>>113
沖縄貝塚文化やね


115: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:12:03 ID:6kB
東京渡辺銀行、破綻と誤報され破綻

117: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:12:30 ID:By4
>>115

118: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:13:45 ID:TOx
>>115
似たような話いくつかあるけど大草原
いや笑い事やないんやけど

121: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:15:51 ID:8q6
石川啄木の嫁は顔がデカい
no title

123: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:17:11 ID:kZd
>>121
え、遠近法やろ(震え声)

122: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:16:45 ID:SOc
>>121
なお啄木は友人に自慢しまくって実際に合わせたりもした模様

129: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:20:47 ID:8q6
>>122
盛岡の私立女学校のソコソコなお嬢さんやからな
なお嫁は学校休んでまでしてヤリまくってた模様

126: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:19:16 ID:lWq
啄木は女を買ったり豪遊したことを日記に書くときに妻にバレないように
ローマ字で書いていた

なお妻はローマ字読めたもよう

127: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:20:11 ID:SOc
>>126
啄木って爪が甘いよな

128: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:20:21 ID:R06
>>126
けっこうエグいこと書いてあるんだよなあ

124: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:17:54 ID:Bbf
アイヌは文字を持たないためその研究は考古学の領域

130: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:21:27 ID:By4
石器時代→青銅器時代→鉄器時代と移行するのが一般的な先史時代の文化の遷移で
ヨーロッパや中東、インド、中国とほとんどの先史文化がこの手順を踏んでるのに対して、
日本は例外的に青銅器時代が存在しない

日本に現存する青銅器といえば銅鐸だが
あれは祭祀用か観賞用みたいなもので、人々の農耕用具なんかは全部石器だった
まもなく大陸から大量に鉄器が持ち込まれ、その生産にも成功したので、
日本には青銅器時代はない

134: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:24:13 ID:SOc
>>130
観賞用ってことは需要量が少なかったんかな

137: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:26:43 ID:By4
>>134
銅鐸自体が用途わかっとらんのんや
元々中国じゃ鐘として使用されとったんやけど、
日本に入ってきてからは大きさとか装飾とかが変わっとる

個人の所有じゃなくて、集落に1個とかで持ってたんじゃないかとか言われとる

138: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:28:31 ID:ku1
江戸時代の武士が街中で町人を切り殺す→よほどの理由がないかぎり切腹

その時一太刀で切り殺せなかった場合→武士の恥として切腹

140: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:30:00 ID:Il6
>>138
よほどの理由があっても左遷されたり役を解かれたりする

136: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:26:17 ID:iZB
水戸光圀はどうしてやっても水戸黄門漫遊記の
光圀像とは結びつかないほどのぐう畜エピソードの持ち主

139: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:29:35 ID:SOc
>>136
DQN脱却の理由が悪友にホームレスを切れと命令されたかららしいで

142: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:31:14 ID:Il6
>>136
父親の頼房も結構ヤバイ人

143: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:31:54 ID:lyW
>>142
父ちゃんに窓から投げられたのって頼房やっけ?

146: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:34:02 ID:Il6
>>143
父親の家康に高いとこから飛び降りたらほしいもんやるって言われて
天下がほしいって言った話だかなら聞いたことある

141: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:30:06 ID:By4
水野勝成とかいうリアル漫画の主人公
出てくるエピソード全部ヤバ杉内

144: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:32:49 ID:g2b
大阪と京都の境には樟葉(くずは)という風光明媚な地名があるんやが、その由来が…

『古事記』崇神天皇条に、武埴安彦命が謀反を起こして崇神天皇の軍に敗れた際に、
逃げ落ちた兵士が恐怖のあまり袴に便を漏らし、
その場所を「くそばかま」と呼んだものが転じて「久須波(くすは)」になったと記されている。
wikiから引用

145: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:33:21 ID:By4
>>144
おんJ民かな?

171: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:49:29 ID:kZd
>>144
古事記って脱糞エピソード多いよな。
上記に加えて
・スサノオがアマテラスから許された後神殿内でそこらじゅうに脱糞しまくる。
・オオクニヌシがスクナビコナとがまん比べ、耐えられなくなったオオクニヌシが漏らす。
陰部にダメージを与える話も多いしファンキーすぎる。

177: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:52:21 ID:rSY
>>171
日本の神々はおんJ民のご先祖様だから多少はね?

147: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:35:21 ID:H7L
信玄と謙信の一騎打ちとかいう捏造

149: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:36:54 ID:lyW
徳川光圀
・本来は水子になる予定だった
・少年時代は吉原通いに辻斬り
・学問に目覚めたのは司馬遷の史記を読んだから
・70近くになっても部下の藤井門太夫を刺殺できる

157: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:42:03 ID:iZB
>>149
・「今度お前の顔見たら斬り捨てな」と言って暇を出した茶坊主と
 ばったり再会した時に本当に斬り捨てる

148: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:36:46 ID:SS6
男信長公、パッパの葬式で位牌に抹香を投げつける

150: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:37:33 ID:y2Y
信長には男色癖があった

151: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:38:05 ID:By4
>>150
実は信長は攻めじゃなくて受けってマジ?

159: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:43:01 ID:rSY
>>151
たぶんガセやろ
当時は身分高い方が攻めやし

152: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:38:32 ID:lyW
森蘭丸は実はゴリマッチョ

154: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:38:57 ID:ySA
織田信長は自分から同盟相手を裏切ったことは一度もない
朝倉と敵対したのが理由で浅井との同盟が手切れとなったが
直接浅井を裏切った訳ではない

153: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:38:39 ID:8q6
山月記で有名な中島敦が作家として活動したのはわずか8ヶ月

156: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:41:51 ID:Msq
神武天皇は皇后と出逢ったその日に
河川敷の掘っ建て小屋で盛りあった

158: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:42:08 ID:TPn
カンニングで退学になったのって石川啄木だっけ?

160: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:43:44 ID:8q6
>>158
せやで ちなみに授業ボイコットや授業脱走も日常茶飯事やった

161: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:43:48 ID:SOc
芥川龍之介は関東大震災の時、友人と震災の影響を受けた遊郭に潜り込み、
裸で死んでいた芸者を見て興奮したらしい

162: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:43:52 ID:xCI
明智光秀と豊臣秀吉とでは明智の方が昇進スピードは速い

163: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:44:26 ID:iZB
信長は濃姫に全く興味を示さなかった
子供おらんのもそのせい

164: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:45:06 ID:Il6
佐久間信盛は功績をあげて今までの失態を取り戻すか出家するか選べと言われて

出家した

165: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:46:54 ID:R06
西軍についた宇喜多秀家は八丈島に流されたが
宇喜多家はその後も存続し明治維新後に子爵になった
生計は前田家からの仕送りでたてていた

168: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:48:08 ID:iZB
斎藤道三の美濃簒奪のエピソードは
父子2代分の話が一つになったもの

166: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:46:59 ID:SOc
芥川が大学の下宿に住んでいるとき一階の共同トイレに向かうのが面倒だったので
したくなったら二回の窓から垂れ流していた

169: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:48:08 ID:lyW
GHQには戦後の日本の公用語を英語にしようという案もあったが
日本の識字率があまりにも高かったため子供に英語を教え込むことを諦めた

170: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:49:11 ID:n0I
西郷隆盛は坊主と一緒に入水しようとしたが
体が重いので自分だけ体が浮いて死ななかった

172: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:49:49 ID:R06
森鴎外は軍医学校に入るとき年齢を誤魔化して入学した

173: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:49:52 ID:8q6
宮沢賢治は肋膜炎になった時に周りに「自分はあと15年で死ぬ」と言いふらしていた

そして本当に15年後に死んだ 生涯独身やったのもこの為

178: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:52:49 ID:8n5
江戸時代、東北地方で飢饉が起きた
諸藩が餓死者を出す中で餓死者を出さなかったとある藩があった
その餓死対策とは大坂でお米を買ってくるというシンプルなものだった

180: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:53:54 ID:R06
>>178
その大坂に米を出荷していたのが東北諸藩

183: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:54:58 ID:SOc
>>178
上杉家だっけ?

181: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:54:17 ID:By4
第二次世界大戦で日本が連合国に宣戦布告したのは1941年12月8日午前4時20分
真珠湾攻撃は宣戦布告1時間前の日本時間午前3時19分

真珠湾攻撃が日本による連合国への最初の攻撃だと思われているが
実はマレー作戦の方が1時間早い(午前2時15分)

184: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:55:47 ID:lWq
李鴻章「日本人は皆お前みたいにチビなんか?(ゲス顔」
小村寿太郎「せやで、まあ日本でもお前みたいな奴おるけど大概知恵遅れやから
大事は任さへんねん(ゲス顔返し」

187: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:57:10 ID:SOc
>>184
外交家って頭の回転が早いよな

186: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:56:13 ID:lyW
本多忠勝
・初首級は14歳
・豊臣秀吉「日本第一、古今独歩の勇士」
「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、
西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」

・小杉左近「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八(忠勝)」

・そんな猛将の辞世の句は「死にともな ああ死にともな 死にともな
深き御恩の 君を思えば」

189: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:58:49 ID:TPn
野口英世の本名は野口清作

206: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:05:06 ID:EFW
>>189
野口英世は上京するときに恩師から大金を貰ったが、酒と女で数ヶ月で溶かし尽くした
留学するときにも方方から借金したりお金を出世払いで都合してもらったりしたが、
酒と女で溶かした
結納金も酒と女で溶かした

なお、お札の肖像画になった模様

217: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:11:01 ID:AK4
>>189
改名理由は坪内逍遥の「当世書生気質」の登場人物「野々口精作」と名前がそっくりな上に
だらしない生活態度まで似ていたのを嫌ったため
もちろん坪内逍遥は当時の野口清作を知らない

190: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:59:26 ID:zTi
実は零戦はB29より遅い

196: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:01:21 ID:yCr
>>190
速いより遅いほうが有利なときもあるし
そもそもゼロ戦はあくまで機動性重視やろ?

199: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:02:51 ID:8Y6
>>196
最高速で振り切られたらお終いなんですがそれは

202: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:04:22 ID:xpu
>>199
零戦は開発当初では高速だったんだよなぁ

204: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:05:06 ID:hNJ
>>199
B29は爆弾抱えとるやろ

192: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:59:37 ID:ySA
「籤引公方」と呼ばれ「万人恐怖」の強権的専制政治を行った足利義教が
延暦寺に苛烈な弾圧を行った結果
24人の僧侶が抗議のため本堂に火を放ち焼身自殺した

なお足利義教は将軍になる前は延暦寺のトップ(天台座主)だった

194: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:59:46 ID:rCy
徳川家茂の本名は徳川慶福

198: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:01:53 ID:58s
与謝野晶子は常に写真でも肖像でもコワモテだったのを親族にたしなめられて
笑顔で撮影した貴重な写真がある
no title

200: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:04:03 ID:ltp
ミッドウェー海戦で蒼龍の艦長が百々、嫌な予感がすると部下にもらしていた

203: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:05:03 ID:o0G
日本海海戦はT字戦法は使ってない
どっちかっていうと イ の形

207: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:06:08 ID:TVK
T字ではなく丁字戦法

210: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:07:18 ID:o0G
>>207
え、英語だと Crossing the T だから許してや…

205: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:05:06 ID:qF7
森鴎外はキラキラネームの元祖
長男…於菟(オットー)
長女…茉莉(マリー)
次女…杏奴(アンヌ)
次男…不律(フリッツ)
三男…類(ルイ)
孫…真章(マックス)
孫…富(トム)
などなど

208: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:06:12 ID:AK4
山縣有朋は死去した時に「死もまた社会奉仕」などと書かれたが
それを書いたのは34年後に総理となる、当時東洋経済新報社の記者だった
石橋湛山だった

209: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:07:09 ID:hNJ
山県有朋は明治天皇と大正天皇の両方に嫌われてた

212: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:08:35 ID:ltp
>>209
特に大正天皇とは仲が悪くて大正天皇は
「お前は要らない」
と言ったという

227: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:20:23 ID:dCi
>>212
ちなみに、山縣は師の吉田松陰にも良く思われてなかった。
松陰の手記に門下生について書かれている項目があるが、
山縣だけ一切言及していない。

211: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:08:07 ID:pwE
ゼロ戦は燃料さえまともなら今でも充分速い部類ってどっかで見た気が

214: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:09:26 ID:oDk
>>211
いくら機体が軽くたって950馬力×1じゃあ・・・。
米なんて2000馬力級やしな。

215: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:10:07 ID:hNJ
>>211
終戦後にアメリカ製のハイオクで飛ばしたらP51よりも早かったみたいやな

220: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:15:22 ID:oDk
>>215
さすがに21型の栄じゃ無理やろ・・・。
64型の金星ならありえるが

213: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:09:14 ID:ltp
江戸時代の銭湯には二階から女湯を覗く部屋があった

216: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:10:56 ID:58s
陸奥宗光の嫁は中々美人
no title

219: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:14:26 ID:ltp
豊臣秀吉が刀狩りをしているとき、豊臣配下と偽り刀を盗むことが横行した

221: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:16:03 ID:QEu
江戸時代の農民でも武士になれることがある

222: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:16:25 ID:AK4
弘文天皇、淳仁天皇、仲恭天皇に諡号(天皇の贈り名)が付けられたのは
明治になってから

223: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:17:42 ID:ltp
明治天皇は即位当時、町民からは名前から明、中国人だと思われていた

224: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:18:58 ID:Y9p
異国船打ち払い令は異国船を打ち払うことが目的ではない

235: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:26:08 ID:Y9p
>>224
誰もつっこまないので自分で付け足し
異国船打払い令は、異国船を打払うことが目的ではない。
日本近海は大砲が打ち込まれる恐ろしい場所だと外国に意識させるためである。
そうすることで外国船の往来を減らし、防衛コストを下げる狙いがあった。

225: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:19:16 ID:WnM
明治天皇が東京へ行幸し皇后へのお土産としてつくられたのが味付け海苔

226: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:20:00 ID:QEu
聖徳太子非実在説が最近の学会では定説になっている

257: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:47:35 ID:Y9p
冠位十二階の制は世襲制度脱却を図った画期的な政策である。
しかし、蘇我氏だけは世襲で上位の位を貰っており例外扱いされていた。
これが聖徳太子は実在しないという説の根拠でもある。

260: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:51:12 ID:Y9p
聖徳太子の生誕エピソードはキリストの生誕エピソードと酷似しているため、
キリスト教の伝承が日本に伝わりそれを日本風に改変したものと言われている。

228: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:20:30 ID:EFW
明治から終戦まで、中ノ鳥島という存在しない島が日本領土として
堂々と国内外に認知されていた
国際的な地図にも、国内の地図にも普通に載っていた
GHQの発行した書類にも北方領土などと並んで
「日本の領土じゃなくなる」島として書かれている

no title

229: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:21:04 ID:AK4
保元の乱で暗躍し、平治の乱直前に木桶の中で殺された信西は
藤原南家の出身

230: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:22:31 ID:Y9p
討幕の詔勅には明治天皇のサインは入っていない
討幕が失敗した時に備えて明治天皇に責任が及ばないようにしていたからである。

231: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:23:48 ID:ltp
三条実ともにはヘタレ説がある

232: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:24:50 ID:ltp
それで征韓論のときにはまったくやくにたたなかった

233: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:25:35 ID:xFU
鳥取の飢え殺し

兵糧攻めに会い、極限状態になった民衆達が
人肉を奪い合って食べた事件

234: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:25:43 ID:58s
徳川慶喜の晩年の写真は家康っぽい
no title

236: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:26:27 ID:eF3
>>234
写真のこってるんだすごいね

238: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:28:46 ID:58s
>>236
若い時の写真もあるけどイケメンやで なお髪

no title

240: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:30:31 ID:WnM
>>236
っていうか明治になってからの趣味は写真撮影やで
死んだのも大正になってから

254: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:44:17 ID:Vj0
>>240
トリビアの泉であったな
なお、写真家としての腕はド素人並の模様

237: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:28:17 ID:xpu
実は西園寺公望は有能だった
本人も後の世がはじめて私を評価するだろうと言い残して死んだ

243: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:31:50 ID:Y9p
>>237
憲政の常道と言われた時代も、唯一の元老であった西園寺公望が
与党の党首を総理大臣に任命してたからな
憲政の常道と言われた理想的な時代は西園寺公望がいたからこそ生まれた

245: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:33:07 ID:WnM
>>243
なので昭和に入ると
住んでた御殿場から上京するだけでニュースになってた

239: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:28:49 ID:ltp
日露戦争、日本海海戦ロシアのある船が白旗を掲げたが
エンジン?を切り忘れていたためしばらく日本艦隊に砲撃されていた

241: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:30:43 ID:AK4
承久の乱は、朝敵側が戦に勝った稀有な例
(南北朝時代は互いを朝敵と呼んでいたので除く)

251: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:40:29 ID:gQE
>>241
他の国なら天皇家丸ごとなくすとかになってたんやろうなあ

247: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:36:34 ID:Y9p
ロンドン海軍軍縮条約で統帥権干犯問題が発生した。
しかし、明治憲法下においては軍の編成権は内閣の権限だったので
別に憲法違反ではない。

248: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:37:22 ID:58s
日本で戦後長く総理を務めた吉田茂も佐藤栄作も癇癪持ち

249: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:38:14 ID:ltp
空母加賀は日本空母で一番陰湿であったといわれている

250: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:38:39 ID:AK4
万葉集や百人一首でおなじみの歌人・大伴家持は貴族としても中納言にまで出世したが
死去直後に起きた藤原種継(長岡京造営責任者)暗殺に連座したとして
生前の官位がすべて剥奪された

家持の父・大伴旅人が大納言になって以来久しくその地位から遠ざかっていた大伴氏だが
末裔の伴善男が130年ぶりに(大)伴氏の大納言となった
なお

252: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:40:41 ID:Y9p
六歌仙の一人である大伴黒主は、大伴家持や大伴旅人などの大伴氏とは関係がなく
全く別物である。

255: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:44:44 ID:AK4
蘇我馬子と物部守屋は激しく対立し、最後には馬子が守屋を滅ぼしたが
馬子の妻は守屋の妹
なお守屋滅亡後、馬子はそれを理由に守屋の領地の相続権を主張した模様

253: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:43:25 ID:58s
佐藤栄作の死因は腹上死

256: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:45:54 ID:SNn
>>253
マ?

259: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:50:27 ID:58s
>>256
料亭で脳卒中で倒れたんやが、倒れた現場には愛人がおったとかなんとか

258: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:48:55 ID:AK4
崇峻天皇は、確定されている唯一の「臣下に殺された天皇」である
なお入水崩御した安徳天皇は除外される模様

261: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:55:43 ID:ltp
坂本龍馬は小説のような人物とは違い江戸上京中に前から来た子供を蹴り上げる、
邪魔だとだからといい女を恫喝。また、当たり屋紛いなこともしたという

264: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:59:54 ID:qZ9
>>261
しかもでかい声で騒ぎながら歩くので家に逃げ帰るひとがいたとか

262: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:59:11 ID:2Vt
「もはや戦後ではない」は、戦後日本の復興ぶりを讃えた言葉ではない

この一節は「一時的な波に乗るだけで経済が回復する時代は終わった」という趣旨で
経済白書に記されたが
件の一文だけが一人歩きしてしまった

269: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:03:02 ID:58s
>>263
足利義満も腹上死やないかと言われとるし偉人さんサイドからしたらよくあることやで

265: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:00:17 ID:AK4
陽成天皇は、直接手をかけて人を殺めた可能性があるとされる数少ない天皇

なお時は降って江戸時代、後水尾天皇は不和だった父帝への贈り名を
上記逸話のせいであまりよろしい名前ではなかった陽成の名が入った「後陽成」とした

267: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:01:03 ID:Y9p
明治天皇の東京遷都は、一種のパレードを行って一般民衆への知名度アップが
メインの目的であったため、東京でなくても良かった。
むしろ大久保らは戊辰戦争で東京を鎮圧したばかりの時期であることを考慮して、
大阪遷都を考えていたくらいである。
また、明治天皇は京都を出るときに「また戻ってくる」との言葉を残している。

268: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:02:02 ID:ltp
>>267
なお、東京についたら
「東京は大きいなぁ」
と家臣に呟いたという

271: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:05:06 ID:AK4
花山天皇は藤原氏に騙されて退位した

花山院はのちに藤原伊周兄弟に矢を射られるなど
なかなかエピソード満載である

272: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:05:33 ID:ltp
夏目漱石は執筆が滞ると鼻毛を剥いて机に並べるとう癖がある

273: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:06:18 ID:Y9p
>>272
鼻毛でくっそぶっとい奴が抜けた時の快感は理解できる

275: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:11:25 ID:ltp
太宰治は人生で7回ぐらい自殺未遂をおかしている

276: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:11:40 ID:AK4
室町5代将軍足利義量は酒浸りで、父親の足利義持にも窘められていた
元々病弱だったのもあって満年齢17歳で没
酒について窘められたのが15歳の頃だったので、今の時代なら炎上必至案件である

277: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:12:15 ID:Y9p
大阪冬の陣は幕府側の大砲が大阪城の天守閣に直撃したことを契機に
淀殿が講話を申し出たことで終結した。
当時の日本で使用されていた大砲では、幕府軍の位置していた場所からだと
大阪城天守閣には到底当たらない。
幕府はイギリスから大砲を輸入し、大阪夏の陣を成功させた。

278: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:13:16 ID:58s
>>277
確かロシアに当時の大砲あるんよな

279: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:17:06 ID:ltp
乃木希典は戦場で自分の陣旗を無くしたことがある

280: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:19:09 ID:WnM
>>279
連隊旗な
旧軍で唯一連隊旗を喪失した事件やな
乃木は腹を切ろうとしたが児玉源太郎にみつかってやめさせられた

281: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:20:06 ID:AzM
武烈天皇の主なぐう畜行為

・妊婦の腹を捌いて中を見る
・指の爪を剥がして芋を掘らせる
・人を木に登らせて弓で射殺
・裸にして座らせた女に馬の交尾を見せる→濡れた女は処刑、
濡れなかった女は自分の妾に

282: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:20:40 ID:ltp
夏目漱石は猫を飼っていたが名前は「猫」であったとう

283: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:20:56 ID:Y9p
大政奉還の理論的根拠となった大政委任論は元は江戸時代には
存在しないものであった。
松平定信の時代になり、幕府権威が動揺した際に、幕府権威を補強するため、
幕府は天皇から政治を任されたという大政委任論を作り上げた。

さらに鎖国意識も当時の幕府にはなく、キリスト教を禁じるための
手段くらいの認識だった。実際、田沼期にはロシアとの通商が
前向きに検討されていたくらいである。
鎖国意識が形成されたのは、ラックスマン来航あたりで、
外国の使節を送り返すときの口実として、
鎖国が幕府を開いた時からの祖法であることを理由にしたことがきっかけ。
そこから徐々に鎖国が意識され始めた。
歴史における嘘から出たまことの具体例である。

285: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:23:07 ID:ltp
>>283
大河で「江」の慶喜が
「あ、そうだ。大政奉還だ」
ていったのには草

286: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:26:30 ID:AK4
吉備真備は右大臣藤原不比等がまだ健在だった716年に遣唐留学生として唐に赴き
19年後に帰国すると間もなく不比等の四子・藤原四兄弟が次々死去
その後の橘諸兄政権で重用されるも、不比等の孫・藤原仲麻呂が政権を握ると左遷され
仲麻呂が孝謙上皇と不和になると仲麻呂追討軍の指揮を任されこれを討伐
孝謙が称徳天皇として重祚するとついに右大臣まで出世
称徳帝崩御・道鏡左遷後の天智系・光仁天皇即位後まで右大臣に留め置かれた

ただ略歴をダラダラと書いただけでスレ内容とズレるかもしれへんが
吉備真備は1つ1つが面白い
留学時代があったものの吉備真備を語ると奈良時代が凡そ語れるんやないかと思う

288: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:30:43 ID:Y9p
>>286
吉備真備が軍事討伐作戦も任されてたのは知らんかった
政治や学問だけじゃなくて、そういう才もあったんやね

291: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:37:28 ID:AK4
>>288
唐で兵学も学んどったはずやからね

敏達天皇の葬儀
蘇我馬子が長い刀を差しているのを見て
物部守屋「まるで矢に射抜かれたスズメやな草」

大王崩御で悲しみに打ち震える物部守屋を見て
蘇我馬子「鈴ぶら下げたらチリンチリン鳴って草不可避」

この罵りあいほんとすこ

287: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:28:04 ID:Vj0
徳川秀忠の妻江は浮気を許さなかったので側室がとれなかった
なお、隠し子はいてその隠し子が4代目当たりの重臣になった

290: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:35:34 ID:ltp
宮沢賢治は小学生高学年ぐらいの時、
宗教にはまりお経を唱えながら町を徘徊するということをしていた

295: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:44:34 ID:yCr
>>290
妹とやってるかもしれないという闇

296: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:45:50 ID:ltp
>>295
宮沢賢治って結構な坊っちゃんだから親父が大反対で
それに反抗するつもりでもあったらしいで

297: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:48:07 ID:qZ9
銀河鉄道の夜は最終稿が一部なくなっていたため
書きなおす前の物を入れて完成させている

299: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:49:52 ID:ltp
宮沢賢治は教師だった時期があり、天気がいい日には生徒たちを引き連れて
川で魚釣りや植物観賞などをしていた

294: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:43:15 ID:ltp
陸軍海軍とで出兵の仕方が違うらしく、
陸軍は派手に見送られ
海軍は朝が明ける前に静かに家を出ていく

298: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:49:43 ID:AK4
左大臣藤原時平と右大臣菅原道真は折り合いが悪く、
道真はのちに大宰府に流されてしまうが
時平の弟でのちの摂関太政大臣藤原忠平と道真の関係は良好だった
これは時平と忠平に確執があったためとも言われる

なお忠平も、道真の案件で悪役扱いされることがある時平も
いずれも政治家としては有能だった模様

300: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:53:31 ID:ltp
伊達政宗と石田三成はあんまりイケメンじゃない
むしろゴツゴツ顔だったという

301: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:56:10 ID:AK4
現在横浜中華街のある場所は
江戸時代末期には日本初の西洋式競馬場があった

302: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)02:02:26 ID:ltp
昭和天皇が崩御して新天皇誕生のための準備をしていたら
過激左翼から脅迫状がいくつも届いた

303: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)02:08:43 ID:AK4
八瀬童子と呼ばれる京都の集団は、室町時代以降の天皇の輿担ぎなどを行い
天皇崩御の際に葬列の棺担ぎを行うことが多かった
大正天皇の大葬の礼でも東京まで呼ばれて棺を担いだが
昭和天皇の大葬の礼では警備上の問題もあって八瀬童子はその任から外された
【wikipediaより】
八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は
山城国愛宕郡八瀬郷(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、
比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。
室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。
伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼の子孫とされる。
寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる大童であり、
履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。
no title

304: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)02:14:26 ID:Jg5
クラーク博士「北海道じゃ寒すぎて稲作は無理やで。やジャガイモN1」
中山久蔵「米が食べたかったから入植したの!」(シコウサクゴー
大久保利通「中山いけるやん!や米凄」
酒匂常明「中山中山雨中山、雨雨中山雨中山」
中山久蔵「ウレシイ…ウレシイ…」

306: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)02:28:57 ID:J1u
桶狭間で信長が言ったのは分捕りは成すべからず

307: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)02:29:41 ID:AK4
足利氏をはじめ北朝に付いた多くの武士にそっぽを向かれた建武の新政
二条河原落書もこれへの皮肉が含まれているとされるが
公家の主流派の多くまでも北朝を支持し後醍醐天皇の施策に批判的だったのみならず
神皇正統記を記した南朝方の北畠親房、その子北畠顕家までもが新政を批判するなど
どうしようもなくgdgdだった

308: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)02:33:59 ID:ltp
一休の最後の言葉が
「死にたくねぇ」

309: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)03:06:23 ID:AK4
律令制における太政官に大納言、中納言、少納言とある
このうち大納言と中納言は三位の地位相当とされ公卿に列せられたが
少納言は従五位でギリギリの貴族扱いに過ぎなかった