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自粛は、自ら慎むことだ。

自粛をおこなうくそったれな国民性が、くそったれなメディアの放送自粛を生み出していることを、賢明な人なら気づいているだろう。くそったれな国民性だからこそ、くそったれなメディアと政府を作り上げている。隠蔽と「自粛」を行う国民性の関係について論じる。


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花見の自粛は、空気を読んで行なわれる

自粛を行うとき、私たちは何のために自粛をするのだろうか。東日本大震災の未曾有の被害に対して、具体的に「自粛」はどのような効果をもたらすのか。

自粛をしても被災地に対して何か具体的にいい形で影響をもたらすことはない。経済的にも心理的にも積極的に良い影響をもたらしはしない。つまり消去法で「自粛」を選ぶ。

「自粛」しない場合、被災地の人々の心情を害するのではないか、想定して、つまり空気を読んで、大事をとって自粛していることになる。

「春のパン祭り」を自粛することが被災地に、どのように良い影響をもたらすのか。パン祭りを自粛して被災地が一歩復興に踏み出せる、ということはない。繰り返される「春のパン祭り」中止のお知らせは、空気を読むことに失敗しており、社会に間抜けな空気を漂わせている。だが企業も、消去法で「自粛」を選ぶしかない。

これは、メディアの隠蔽体質と呼ばれる「自主規制」と構造は似ている。それどころか、「隠蔽体質」を作り上げている、とも言える。

メディアの隠蔽体質と呼ばれる報道倫理

隠蔽体質があるといわれるTVなどのメディア倫理は、2つの要素でできている。

1つ目は、放送するもの全体の倫理。報道規制と呼ばれるものなど。2つ目は、個々のテレビ局が損益を出さないための倫理。個々のテレビ局の自主規制など。

この2つは異なるものだ。分けて考える必要がある。

【1】足並みを揃える報道規制

報道規制は、マスメディア全体が足並みを揃えて行うもの。例えば、大事件を警察庁が追っているときに、犯人に伝えたくない情報は、報道規制を敷く。更に具体的に説明する。殺人犯が人質を連れて立てこもっているマンションに、警察側が突入する情報は、報道規制を敷く。犯人に情報を知られた場合、人質の生命にかかわるからだ。最近、Twitterによってこの報道規制が破られることが起きて問題になっている。「マンション裏側に警察が集まって突入間近なう」とつぶやかれてしまっては、危険だ。

原発関連の報道倫理も、メディア全体で足並みを揃えている実態がある。NHKも民放も原発報道のメディア倫理を持っている。このメディア倫理につい て、東電との癒着を上杉隆氏を始めフリージャーナリストたちが指摘している。今のように、原発に事故が起きていて初めて、国民が、フリージャーナリストの 主張に、正当性を感じて支持しているが、彼等は平時から主張を続けている。ただ国民が耳を傾けなかったに過ぎない。

同じ原因が、企業、政府の隠蔽体質をも生み出していると考えていい。

【2】個々の局がおこなう自主規制

自主規制は、個々のテレビ局が「損をしないため」に行うものだ。

筆者が実際に、テレビ局関係者に直接聴いた話だが、震災直後、被災地に飛んで取材したディレクターと、テレビ局に残っているプロデューサーの間では、報道について、鋭く意見を戦わせ続けていた。

「希望の絵を取ってこい」という局側の要請に対して、現地のディレクターは「希望はどこにもない」とし「ありのままを報道することが今必要なのでは ないか」と主張したという。だが、テレビ局側は「理解できるが、それを放送して、局になんの得があるのか」と一蹴し、希望の絵を探させ続けた。このような 状況が多くのメディアであったことは、想像にたやすい。

局側は空気を読んでいる。「今」、被災地状況を報道することで視聴者側(圧力団体など含む)からのクレーム、ネットでの叩き、がメディアにデメリットしかもたらさないと判断した場合、自主規制を行う。

状況が変わり、報道してもOKだと判断出来れば、局側が「ありのまま」に近い報道を行う可能性はある。

これが、メデイア自主規制の実態だ。叩かれないように、目立った主張をせず、頭を低くしておこう、と空気を読むことだ。つまり「報道の自主規制」 は、視聴者の感情と大きく関わっている。スポンサー要請もたしかにあるが、スポンサー要請も広い目で見れば、視聴者感情と関わっているともいえる。これを隠蔽と呼ぶかどうか。時折、この自主規制をくそったれと感じることもあるが、このくそったれな自主規制を作り出しているのは、紛れもなく、くそったれな 国民性なのだ。しかも、被災直後はインフラの関係で被災地に放送を届けられない状況だった。つまり、このくそったれな国民たちは、被災地にいない人たちば かりだったのだ。

ジレンマにまみれた反原発ソング

今、その視聴者たちが、「自粛」を行っている。「自粛」を行う国民性だからこそ、メディアに「報道の自主規制」を要請する。これは、東電などの企業や政府の隠蔽体質、つまり情報公開の自主規制、を生み出す。この悪循環に気づかなければ、隠蔽体質の本質は理解出来ない。

とはいえ、「空気を読む」国民性が、優れた社会を創り上げてきたのは確かだ。しかし、今、その国民性が、生み出す良い影響は少ない。

我々がメディアをくそったれとみなすとき、自分自身が属する国民全体をくそったれだとみなすというジレンマが生まれる。そのどう仕様も無い感を、反原発ソングは感じさせてくれる。

反原発ソングまとめ!忌野清志郎・斉藤和義・ブルーハーツ・佐野元春

体制批判の道具としてこれらの曲を聞き酔いしれていた人たちには、この危機のおかげで賢くなるチャンスが与えられている。

※画像:山崎製パン | キャンペーン | 2011年 春のパンまつり(http://www.yamazakipan.co.jp/campaign/2011/spring/index.html)

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