2011年5月16日(月)、BS1の番組「世界のドキュメンタリー」で放送された「終わらない悪夢 前編」を文字に起こしました。核廃棄物処理の現状を伝える番組です。今回文字に起こした箇所は、過去の各廃棄物処理。世界の核廃棄物の海洋投棄をグリーンピースが証言。また、アメリカのハンフォード核施設の現状を元社員が証言。汚染水が地下に漏れ続け、今も、汚染が進行中です。
(文字起こし始め)
今年3月に発生し、今も続いている東京電力福島第一原子力発電所の事故では、大量の放射性物質が周囲への環境に放出され、人体への影響の懸念や農業漁業の混乱などを引き起こし、チェルノブイリ事故と同じ国際評価基準レベル7の世界を揺るがす大災害となりました。
世界的なエネルギー不足、地球温暖化が徐々に進行する中で、その解決策の一つとしての原子力エネルギーに世界の目が集まっているさなかの出来事でした。今後私たちは原子力エネルギー都道向き合い、リスクを克服し未来に向けて行動していけばいいのでしょうか。
今日お伝えする番組は、電力の80%近くを原子力に頼るフランスで製作されたものです。原子力発電が抱える課題を放射性廃棄物の処理という観点から追っています。福島の原発事故が起きる前に製作されたものですが、多くの新事実やリポートを積み重ねるもので考えさせる内容になっています。ご一緒に見てみたいと思います。
「不安の現況は放射性廃棄物です。原子力開発にはブレーキが?」
文字「仏 原子力企業 アレバ社 CEO アンヌ・ロベルジョン」
「皆さんは家庭のゴミにさえ神経質なのですからー」
「放射性廃棄物には恐れさえ抱いているはずです」
「怖がり過ぎかもしれませんが 当然とも言えるのでは?」
「これまで原子力業界は 確かに配慮が足りませんでした」
「透明性にかけていた?」
「ええ 社会の不安に鈍感で こう言い続けました」
「心配するな 我々に任せておけばいい」
「皆さんは もっと知る権利があると 我が社は考えます」
「怖いものは怖いという権利も」
「タブーや秘密にされるテーマではありません」
「対話を始めましょう!」
でははじめましょう。原子力産業は生まれた時から物議をかもしてきました。いくら説明されても安心はできませんでした。EUヨーロッパ連合の最近の世論調査によると、原子力産業に不信感をいだいている人が75%に上りました。その根源には放射性廃棄物に対する恐怖があります。
2000年6月に撮影されたこの映像は、放射性廃棄物がもたらす問題を目の前に突きつけました。
文字「1950年〜60年に廃棄されたと推定」
海底に放射能を帯びたボロボロのドラム缶が散らばっています。この中には何が入っていたのでしょうか。
最も危険な廃棄物は原子炉で生まれます。
発電所の原子炉にはウランを詰めた燃料棒が炉心に置かれます。燃料棒の内部でウランが反応を起こします。核分裂です。ウランの原子が中性子と飛ばれる粒子を放出しそれが他の原子にぶつかって次々に分裂。大量のエネルギーを解き放つのです。
こうして燃料棒が熱を発することで原子炉が水を沸騰させ、タービンを回し電力を生み出します。
燃料棒を数年断つと使えなくなり炉心から取り出されプールに沈められます。
そこで時間を変えて冷却されます。これが使用済み核燃料です。使われた燃料棒の内部には新たな放射性物質が生まれています。
プルトニウム、セシウム、アメリシウム、クリプトン、などです。放射線を出す器官は1000分の数秒のものから数百万年のものまで様々です。
文字「使用済核燃料貯蔵プール」
放射性廃棄物は危険なので隔離しなければなりません。少しでも接触したものは汚染されます。
使用済みの燃料棒はもちろんそれに触れたもの全て。
水も設備も作業服もです。
私たちはこれから世界中で放射性廃棄物が軍隊や民間でどのように管理されているのか。住民に危険性はないのかを調べていきます。
調査は国際的な環境保護団体グリーンピースの本部から始めます。冒頭で紹介した海底のドラム缶を撮影したのはグリーンピースです。ビデオ保管室には彼等にとって貴重な資料があります。
マイク・タンズリーは長年、放射性廃棄物の海洋投棄に反対する運動に参加してきました。
「私たちはフランス北西部の原子力施設ラ・アーグの沖、英仏海峡の深い海域に潜りました。すぐそばに漁場や人々が集まり浜辺があります。」
「海底で何を見つけたんですか」
「さびたり壊れたりした放射性廃棄物用のドラム缶です。空っぽになったドラム缶ですよ。その中にうなぎなどが住み着いていました。そこで疑問なのは放射性廃棄物はどうなったかということですが、外に漏れ出してしまったんです。何が起きたかわかるでしょう。」
「暗い海の底に消えたわけではありません。食物連鎖の中に取り込まれたんです。その連鎖の一部となったものはいつ私たちの食卓に上ってもおかしく有りません。」
食物連鎖に入った放射性物質は危険なのでしょうか。人間は絶えず自然界の弱い放射線にさらされています。例えば飛行機に乗ったり花崗岩の多い地域を歩くときもそうです。原子爆弾が落ちたあとや放射線を出すもののすぐ近くにいるときには強い照射を受けます。
また放射能で汚染された食べ物や水を摂取したり、気体やちりを吸い込めば放射性物質が臓器に付着します。放射線はいわば小さな粒子や電磁波の機関銃のようなものです。細胞に入りDNAを傷つけます。
放射線が弱ければ体はDNAを修復します。しかしあまりに強い放射線を浴びると修復出来ません。そして消化器官や心臓欠陥の病気、あるいはもっと深刻な癌や遺伝子の変異を引き起こしかねません。
放射性物質を不用意に捨てると私達自身が被害を受ける可能性があります。「海洋投棄は一般的でしたか?」
「かつてはどこの国もやっていました。イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本。ドラム缶8ごと海に捨てていました。廃棄物を海に登記していたんです。」
「当時は何の関心もありませんでした。海は世界最大のゴミ箱と考えられていたんです。」
国際原子力機関IAEAの発表によると50年足らずの間に様々な国が10万トン以上の放射性廃棄物を海洋投棄しました。イギリスだけで全体の80%を占めています。そして海を持たないスイスが2番目となっています。放射能汚染に直面して多くの国が海洋投棄に反対し、民間の反核運動を支援しました。
「こうした衝撃的な映像によって、この問題が世界中に伝わりました。しかし反対運動が勝利を収め、海上での船からの放射性廃棄物の投棄に、終止符が打たれるまでには更に10年かかかりました」
1993年国際条約によって放射性廃棄物の海洋投棄はついに全面禁止になりました。しかし廃棄物の管理については未だに曖昧な部分が残っています。
核開発は軍の手動で行われました。しかし軍が抱える放射性廃棄物の多くは機密とされています。
「ハンフォード核施設」
私たちはアメリカワシントン州にある、かつて世界で初めて本格的なプルトニウム生産に成功した施設に向かいます。
第二次世界大戦中の1942年、時のルーズベルト政権はハンフォードをマンハッタン計画の核兵器製造拠点の一つに選びました。
砂漠の奥深くに建設された核施設は、兵舎などが立ち並ぶ人口51000人の町となりました。
プルトニウムを得るための原子炉と再処理施設が大急ぎで建設されました。
現在のハンフォードは見捨てられ歴史上の異物のようになっています。見たところ軍事施設の殆どは閉鎖されているようです。ハンフォード核施設を管理するアメリカのエネルギー省は私たちの立ち入りを拒否。
そこでハンフォードの環境問題に取り組む地元の団体の代表トム・カーペンターに話を聞きました。許可無く施設に近づくにはコロンビア川をボートで行くしかありません。
「政府がこのような辺鄙な場所を選んだのは、もし事故が起きても犠牲者が少なくて済むからです。汚染が進んでも文句をいう人は殆どいません。」
「これが世界で初めてプルトニウムを生産した原子炉です。1943年に核兵器ヨウのプルトニウムを生産するために建設されB炉と呼ばれました。長崎に落とされた原爆のプルトニウムは個々で作られました。」
文字「1945年8月9日」
「ハンフォードは長年秘密の場所でした。過去にこの施設で何回放射能漏れや火災が起きたのか風下の街に住む住民がどれほど被ばくしたのか。誰も知ることは出来ませんでした。ここは平気を作るための施設だったので放射性廃棄物のこと深く考える人もいませんでした。」
「近くに川があったことも軍にとっては都合のよいことでした。原子炉の冷却にはこの冷たい川の水が使われ、使用後の廃液はそのまま川に流されたのです。こうしてこの川はひどく汚染されてしまいました。」
住民は気づいていましたか?
「もちろん気づいていませんよ。全てが秘密でマンハッタン計画のもとで行なわれました。アメリカ軍の作戦だったのです。」
コロンビア川の川底は放射性物質に覆われています。今も川の水は汚染され続けていますが、取り除く方保は誰にもわかりません。衝撃的なのはこの映像です。
ハンフォード核施設の責任者たちは職員の家族が川で遊ぶことを許可しその危険性を知らせませんでした。施設から数キロのところにある町、リッチランド。ここに済むアランボルトはかつてハンフォード各施設の原子力技師でした。
「私は1963年にハンフォードにきました。21歳で大学を卒業したばかり。まだ若かったので、上司の説明をすべて信じていました。しかし20年間ここで聞かされてきたことは、事実とはかけ離れていることがわかりました。」
「ハンフォードは実はひどい施設で出した廃液で周囲を汚染していたのです。私はその濃度が高く、拡散していたことにショックを受けました。あたりはすっかり汚染されました。」
1943年以降、最も危険性の高い廃液を貯蔵するため、170個の巨大なコンクリートのタンクが作られました。それぞれがビル1つすっぽり入るほどの大きさでした。
その後リスクを減らすため一時的な処置としてタンクは地中に埋められました。
1980年代、60個のタンクから廃液が漏れ出した地下水を汚染していることが発見されます。そのまま放置すべきでない、放射能レベルが高い廃液は今も2億リットル残っています。
タンク内部のカメラで見ることが出来ます。廃液を安全に処理するのは、溶けたガラスの混ぜたあと固めます。ここにはその工場が建設中ですが、完成までのあいだタンクのそこでは放射性物質が漏れ続けます。
「ここは砂漠地帯で一年に175ミリしか雨が降りません。それでも廃液を土に染み込ませ、地下水を汚染するには十分な量です。この先数十万年、施設の下にある地下水は有毒なままです。」
(文字おこし、ここまで。以下のエントリーに続く。)
CGで世界の核廃棄物処理の実態を伝えるドキュメンタリ「終わらない悪夢 前編」【動画&文字おこし2】(近日中に文字に起こします)
コメント
コメント一覧 (4)
人間が、再び核エネギーを使用出来るまでは、つまり人間が科学の力を以てこの核を克服出来るまでは数100年の時間が必要であろう。原発においては世界各国とも放射能大気汚染を誰一人の科学者をも、此れを克服出来ないのが現状の世界である。人類は今この間違ったエネルギーを、青ざめた顔で使い続ける事よりも今新しいエネルギーの転換を行い、如何に人間社会の生存を人類が成し得るのか ? を考え構築して行かねばならない。
大変な労力を惜しまず、私たちに情報を与えてくださっていることに
感謝いたします。ここ2か月半、私が思い描いていた日本がガタガタと
崩れていっています。これから何代も続いてくれるであろう子供たちのためにも何とかしなくては・・・。焦る気持ちとは裏腹に、なんの知識もない自分にかえり落ち込む毎日です。
皮肉な話だな・・・
それにしてもフクシマ周辺からの膨大な放射性の廃棄物を政府と東電はどうやって『国内』で『安全』に処理するつもりなんだろうな?
国内の原発の将来的な全廃と引き換えでの海洋投棄を国際社会に認めてもらう位しか現実的な処理方法がないんじゃないかと思うんだが・・・
有益な情報でした。