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チェルノブイリ事故の5年後を記したドキュメンタリー「チェルノブイリ小児病棟~5年目の報告~」を文字に起こしていく。第2回目は、子どもの甲状腺癌の詳細。3年後の子どもの甲状腺癌増加で、公開する医者の姿。1つの細胞に核が20個存在する事実。そして、甲状腺摘出後は、一生ホルモン剤を飲み続けなくてはいけないという悲しい現実だ。

このエントリーは、以下のエントリーからの続きです。まだの方が御覧ください。

 受診小児100人中、甲状腺疾患62人…ドキュメンタリ「チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜【動画&文字おこし1】

ドキュメンタリ「チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜」【全動画&全内容文字おこし】

(文字おこし、続き)

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広島の医師達は、貧血や甲状腺肥大が特に著しかった6人から血液を採取し、日本に持ち帰ることにしました。

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広島では被爆者治療の経験で、染色体の傷つき具合から病気との因果関係を推定することが出来ます。

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子供達の病気が放射能によるものなのかどうか、因果関係を知るには染色体レベルでの精密検査が必要です。ソビエトではこれまで、こうした詳しい検査は殆ど行われていません。

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【ブラーギン地区病院 ペレウ・ワシーリ院長】

「残念なことに私たちの力では完全な治療をすることができません。ですから子供達の親の中には、私たちに不満をぶつける人が少なくありません。子供が重病であると判断したら、ミンスクの総合病院に送って治療して貰う以外に方法がないのです。」

34)

「今後の対応をどうしていくのか検討しているところですが、医薬品は不足しており、医療設備も不十分で、自分たちの力が及ばないことを思い知らされるばかりです。残念です。」

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【ミンスク】

白ロシア共和国の首都、ミンスクです。

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【ミンスク第一病院】

甲状腺がんの疑いがあると診断された子供は、ここ、ミンスクの第一病院に送り込まれてきます。

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この病院ではこれまで25年間、甲状腺の研究に取り組んできました。

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13)

事故後増え始めた患者に対応するため、去年、甲状腺がんを専門に手術するチームを作りました。

31)

この6歳の男の子は高濃度汚染地帯から来ました。

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組織検査の結果、甲状腺がんと診断され、手術を受けることになっています。

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超音波検査のモニターには、医師が外から触っただけではわからない甲状腺内部の様子が詳しく映し出されます。

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この子はすでに、がん細胞がリンパ節に転移していました。

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「だからここにあのー、甲状腺の××が一つあって、」

43)

「んで、左の方のリンパ節が3つ腫れている。ま、あのー、転移となる、みられるのが3つある。」

「どうですかー、あのー、日本の病院だとこういう症例はあるんですか?」

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「あ、こどもで?いや、診たことありませんね。」

「ご覧になってどう思われますか?」

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「だからあのー、日本では無いからびっくりしてますよ。」

43)

甲状腺がんは、放射性物質のヨウ素131と密接な関係があります。

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ヨウ素131が体内に入った場合、甲状腺に集中します。特に成長期の子供は甲状腺の働きが活発なため、多くのヨウ素が取り込まれます。

17)

ヨウ素が出す放射線によって、周囲の正常な細胞が傷つけられ、

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やがて甲状腺がんになります。

56)

ミンスクの医師達はチェルノブイリ事故で放出されたヨウ素131によって甲状腺がんが引き起こされたとみています。

05)

ヨウ素は、放射能の強さが半分になる半減期が8日とごく短く、

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37)

事故から5年も経った今では、子供達がどれぐらいヨウ素を体内に取り込んだか、確かめることはできません。

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7歳になるこの少女は、3日前に甲状腺がんの手術を受けたばかりです。

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1年前幼稚園の健診で甲状腺の肥大が見つかりましたが、痛みもなく、そのままにしていました。

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しかし、腫れが大きくなったため心配した母親が、組織検査を受けさせたところがんがわかりました。

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この病院に来たときは、すでに甲状腺一帯にがんが拡がっていたのです。

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「事故の影響だと思う。」

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「以前はこんな小さな子供にガンはなかった。」

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【甲状腺がんの患者数(18才以下)ーミンスク第一病院ー】

チェルノブイリ事故の後、ミンスク第一病院で手術を受けた18才以下の甲状腺がんの患者数です。1989年までは年に数人でしたが、昨年28人に急増、今年は4月までで既に34人、早くも去年の患者数を上回りました。

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【ミンスク第一病院 ビクトル・レベコ部長】

「私たちは放射能が人間に与える影響というものを、事故後10年から15年経って出てくるものだと考えていました。しかし実際には1988年から89年にかけて、子供達の甲状腺がんが急激に増えてきました。」

「事故から2,3年しか経っていないのですから、私たちの考えは間違っていたわけです。過去にこうした経験がないのですから、しかたがないといえばそうなのですが、医師として不注意でした。どう対応していいのかわからなかったことが悔やまれてなりません。」

49)

「子供達の甲状腺がんを予防することが大切だと思いますが、今ではもう間に合いません。子供達はもうすでに、大量の放射性ヨウ素を甲状腺に取り込んでしまっているのです。もう間に合わないのです。」

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この少女は2日前、350キロ離れた汚染地帯から入院してきました。

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今年11歳。甲状腺がんの手術を翌日にひかえていました。

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母親は仕事の都合で付き添えないため、少女は1人で手術を受けます。

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「ちょっと注射をするだけだからね。」

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「手術はこわくないよ。」

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「元気になれるよ」

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手術の朝です。少女には前の晩睡眠薬が与えられました。

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しかし、不安と緊張の余り一睡も出来ず朝をむかえました。

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手術は少女の気持ちが落ち着くのを待って、午前9時に始まりました。

53)

子供の場合がんの進行がはやく、肺や脳への転移を防ぐためには一刻も早く摘出しなければなりません。

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がんは大人の親指大までに大きくなっていました。

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このため少女の甲状腺はすべて摘出することになりました。

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「腫瘍はすべて取り除いた。もう大丈夫だ。」

26)

「核は数えたら20ありますね」

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佐藤教授は手術で取り出された甲状腺の組織を調べました。

12)

中央にみえる黒い点ががん細胞の数です。

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正常の細胞を押しやるようにがん細胞が拡がっています。

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「あのですね、あのー、わたしもあまり診たことないんですけれど、」

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「一つの細胞質の中に、今数えたら、核が20個ぐらいありますよ。」

26)

「それで、多核細胞といってもいいし、んと、リンチチューム、合胞体。」

39)

「要するに、一つの細胞に一つの核が、あの、普通なんだけど、」

54)

「こういう風に、異常細胞ですよね。」

28)

「甲状腺で、子供の甲状腺で。私はこういうのはあのー、あの、みたことありません。あの子供の甲状腺では。木村先生、どうですか?」

43)

「そういう、そのー、異常な細胞があるって事はどういうことなんですかね?」

54)

「ということは、やっぱり悪性っていうことです。」

「がんですか?」

13)

「がん、がんですね」

31)

甲状腺を摘出すると、ホルモンの分泌がなくなってしまいます。

08)

この少女は、これから一生ホルモン剤を飲み続けなければなりません。

(文字おこし、ここまで。続きは以下のエントリーから)

※このエントリーは有志の方にお手伝いいただきました。ありがとうございます。

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