※コメント欄が荒れてます。積極的に発言してスッキリするのはいいことですね。

反原発派、脱原発派によって、大きなデモが行われるようになってきた。そのたびに、デモに対して、否定的な意見がでてくる。YouTubeの反原発デモに対して、否定的なコメントが付くことは多い。賛同者がいれば批判者もいる。ごくごくあたりまえのことだ。そして、その否定的な意見に対して、いらだちを募らせる人もいる。

これらはとてもよくある現象だが、私は、反原発派と脱原発派にエールを送りたいので、この、「否定的意見への苛立ち」を感じる人々に対して、なにかお役に立ちたいと思って、このエントリーを書いた。

いらだつ人へ、気持ちが軽くなるように、ポイントを絞って、考え方をアドバイスといいいますか、戦略といいますか、気の持ち方といいますか、そういったことを書いてみようと、思います。

【1】反原発派、脱原発派の相手は「国」。本丸は国だ。

「脱原発」「反原発」が意見を通そうと願う、最も大きな相手は、国です。電力会社も大きな相手ですので、それに準ずる相手です。国と電力会社、この2者が、相手です。

原発推進派や中立派、日和見派に対して、いらだつこともあります。少なからぬ「反原発」「脱原発」の人が、原発推進派や中立派、日和見派に対して、不満を述べたり、Twitterでバトルになったりしています。気持ちはもちろん理解できるのですが(笑)、私はいつも次のように考えています。

例えばの話なのですが、目の前の1人の考え方を無理やり変えたところで、それはたった1人なのです。それに対して、悪い、とは思いません。それによって社会が変わることがある。もし、その1人が総理大臣だったら、社会は大きく変わります。1人が考え方を変える場合、その人の立場によって効果に差があります。

人間は、人間に興味を持ちます。私もそうですが、考え方が変わるときには、誰かの影響がある場合が多いです。書物だったり、動画だったり、アドバイスだったり、そのような優れたもの、つまり、人間の影響で、自分の考え方がかわります。

「そっちの考え方の方が、いい気がする」

このように誰かに思ってもらえるように、発言し、振舞うとよいのです。例えば、ブログの記事を1つ書くときにも、感情的に思ったことをだーーーっと書くのも良いのですが、ふだん1時間掛けて書くところを、画像を足してみようか、とか、言葉を丁寧にしてみようか、とか、そういうふうに、読みやすさや伝わりやすさに、ひと手間加えると、たとえ読む人が「原発推進派」であっても、余計な反発は少なくなるでしょう。中立派も、意見を変えないまでも、好感をもって読むことでしょう。

「余計な反発」を生み出さないように、一生懸命考えると、伝えたい事が伝わりやすくなるとおもうのです。

先日Twitterでも発言したのですが、私はよく、文字に起こしてそれを記事にします。私も皆さんと同じように1日24時間しかありません。

もし目の前に、次の二つの題材があったとします。皆さんはどちらを文字に起こすでしょうか。

・勝間和代氏が、朝まで生テレビで吐いた暴言、の動画。

・小出裕章氏が、参議院に参考人として意見した、動画。

原発推進派と反原発派です。勝間和代氏の暴言は、ここで具体的には書きませんが、多くの人間の怒りをかって当然の、最低なものでした。文字に起こしてぶっ叩きたい、と私は思いました。傲慢にもほどがあると。

でも私は、小出裕章氏の動画を文字に起こすことを選びました。それはどうしてでしょうか。小出裕章氏の動画を文字に起こしたほうが、原発をやめさせることに、社会が近づくのではないか、と思ったから、なのです。

小出裕章氏の発言の優れているところは、「共感」を生むことです。余計な敵を作りません。私は、小出裕章氏の、「言葉」の包容力というものに、可能性を感じています。皆さんも同じことを感じているのだと思います。「共感」があれば、伝わっていきます。伝えたい、と人が思えば、どんどん、どんどん、伝わっていくのです。

言葉が悪いかもしれませんが、社会を変えるときに、勝間和代氏の暴言の文字おこしは、あまり効果的ではありません。ドライにいうと、勝間和代氏は、今、あんまり社会から求められていません。文字に起こしてもよいのですが、その労力に比べて、割りに合わないのです。

余談ですが、私のブログタイトルは「ざまあみやがれい!」共感しにくいタイトルです。だから私はいつもこのタイトルでいいのだろうかと迷います。ですが、このブログは、忌野清志郎氏の「ざまあみやがれい」という言葉に触発されて、立ち上げたものなので、変えてしまうと大切なモノを失う気がして、なかなか変えられないのです。このブログの理念であり、エンジンだからなのです。

共感しにくいタイトルである以上、共感されるハードルは高いですが、だからこそ、より共感される内容にしたい、という意欲で書いています。

とはいえ、やはり「共感」しやすいタイトルのほうが良い、と思っています。

【2】あなたを否定する人であっても、被ばくしていいだろうか。

2番目は、対立する相手をなるべく減らそうというものです。では減らすためにはどうすれば良いのでしょうか。

具体的に考えましょう。

相手から文句を言われたとき、私たちは、文句を言い返したくなりがちです。相手が他人だろうと、家族だろうと、親友だろうと、恋人だろうと、やはり文句を言い返したくなります。

ですが、知らない相手と、家族や恋人の大きな違いがあります。「死んでほしくない」という情です。原発の問題に置き換えると「被ばくしてほしくない」ということになります。

どんなに喧嘩しても、最後のところでは「被ばくしてほしくない」と思っているわけです。これがとても大切な感情だと思います。

知らない人間が、原発デモに対して文句をいう時、僕たちは、じっと眼を閉じて、この「被ばくしてほしくない」という感情を思い出す必要があります。知らない相手には、家族がいたり、恋人がいたり、するでしょう。そして、その家族や恋人は「被ばくしてほしくない」と思っているでしょう。

それについてイマジネーション出来れば、知らない人からデモを否定されたときにも、文句を言い返さなくてすむでしょう。

敵を作るのは自分です。そして、減らすのも自分です。

なんだか宗教的な発想に近いのかもしれませんが、出来る限り対立する相手を減らし余計なエネルギーを使わないほうが、一つのことに専念できるので、このように書いてみました。

「相手にするな」ということが、今私が書いたことに近いと思います。でもちょっと違うのです。「相手にするな」には「イマジネーションするな」という意味が含まれるのではないかと思います。私は、想像すること、イマジネーションすることが、相手を思いやることにつながると思いますので、「相手にするな」という言葉は、あまり好きじゃないのです。

【3】相手の心が動いたことで、よしとする。

デモをしているとき、一体感が生まれます。それは同時に、デモをしない人との間に壁ができることでも、あったりします。デモをしない人との間に、壁を作ることは、つまらないことだと思う人は多いと思います。

私は、デモに参加した人の気持がイヤというほどわかります。すぐとなりを知らぬ顔で歩いている人が、なぜデモに参加しないのか、不満に思ったりもします。冷たい目で見ている人にいらだって、ことさら、楽しげにふるまって強がってみたりもすることでしょう。安心の拠り所をさがすでしょう。

そこで想像してみましょう。原発事故が起きる前に、原発反対デモがあったとして、それに参加する勇気があったでしょうか。おそらくないと思います。だから、でもに参加している人の多くは、罪悪感も感じているのだと思います。こんなふうに声を上げて、元気に楽しそうにしてるけど、実は数カ月前までは、全然こんなコト考えても見なかった、と思っていると思う、のです。さらに、言うならば、「デモに参加している私は、一人では何も出来ない、勇気がない人間だ」と実は気まずく思っていると思います。

すごくよくわかるのです。

私は、十数年前に、原発の問題点に気づき、一人でいろんなコトを調べて、勉強していました。ほとんど人がいないデモにも参加しました。ほんとに冷たい目で見られました。なかなか、普通では体験できない貴重な経験でした。悩みました。友達にそれを伝えても、飯がまずくなる、といった雰囲気になりますし(笑)。一生懸命説明しても自分が感じている恐怖は伝わらないのです。だから、今、大きなデモが行なわれて、皆さんが参加していることに、「もっと早く参加して欲しかったわー」と思い、そして「すごいすごい」と感動しています。複雑な気持ちもないわけではないですが、時代が大きく変わることに感動しているのです。

皆さんの中には、原発に危機感がない相手に、「原発は危険なんだよ」と説明したことがある人がいると思います。親や友人、恋人に、「危ないんだよ」と説明し、考え方を改めさせようとしたことがあると思います。だけど、なかなか考え方が変わらず、やきもきした人もいると思います。

私が言いたいのは、仕向けても人間は意見を変えないということです。無理やり強制することは出来ません。ではどうすればよいのか。どうなれば、自分の心が満足に感じるのでしょうか。

それは相手の心が動いた時です。

「原発ってあったほうがよい? ないほうがよい?」

と質問してみるのです。相手が、

「そりゃあ、ないほうがいいけど・・・」

と言ったこの時、相手の気持はちょっと動いたのです。この「こころがちょっと動いた」ことは、とてもとても大きな事だと思うのです。その人が原発推進派でも、中立派でも、「ないほうがよい」という気持ちを表現したことは、あなたが満足しても良いことだと思います。

将棋というゲームがあります。この将棋というゲームは、捕った敵の駒を使えるというゲーム、です。何を言いたいかといいますと、反原発派、脱原発派、中立派は、ひょっとすると味方になるかもしれない人たちだということです。

だから、原発をこの世からなくすために、時間を掛けて、少しずつ、「反原発派」「中立派」を仲間にしていくのです。気持ちが動いて欲しい、という願いは大切です。

以上の3つのことは、あなたのやきもきをやわらげるために伝えたことでもあり、なおかつ、反原発、脱原発を戦略的に進めるためでもあるのです。僕らは、まず自分を操れる将になるとよいのです。皆さんが、些細な反論にいらいらしなくなれば、私のこのエントリーは戦略的に有効だということになります。皆さんがこのエントリーの3つのポイントを活かしてくだされば、私はとても嬉しいです。

ここからは余談です。

私はある動画を見たときに、言葉はすごいなあ、と思ったフレーズがあります。

その動画の中で、登場していた人は、大声で次の言葉を繰り返していました。

「世界を変えよう、世界を変えよう」

その人は大きな声で楽しそうに言っていたのですが、私はなかなかぴんときませんでした。

ですがその人は、意図的ではないかもしれませんが、次の言葉を最後に言っていました。

ここから変えよう

いい言葉ですね。「世界を変えよう」よりも、なにかが伝わってきます。

私はなんでだろうと理由を考えました。私の結論は、「世界」という言葉は難しく、「ここ」という言葉は簡単だから、というものです。「ここから変えよう」は、3歳でもわかる言葉です。「共感」知る相手が多い言葉だと思います。

僕らは「ここ」という言葉に、物心が付く前から、親しんで生きてきたのです。いつだって僕らは「ここ」にいるわけですしね。おそらく死ぬ間際まで「ここ」に僕らはいるわけです。

簡単な言葉で伝えることが大事、とよく言われますが、その理由が「ここから変えよう」というメッセージで、わかった気がしました。

私も「ここから」変えていきたいと思います。何を変えていきたいか? 一番変えたいのは、実は自分です。もっともっと真摯になりたい、自分を変えたいと思っています。そしてそのことが、原発をなくすことにつながるのではないかと考えています。

いつだって「ここから」です。

小出裕章・著作一覧

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