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みなさんリクビダートルってご存知ですか? チェルノブイリの事故が起きたときに事故対応の初動に駆り出された作業員のことです。日本でもFukushima50の人々が注目されていましたが、リクビダートルだと言っていいでしょう。ただ規模が違います。日本は50人でしたがリクビダートルは数十万人以上と言われています。

今回ご紹介するのは、リクビダートルたちの事故後の人生を追ったドキュメンタリーです。あるリクビダートルは体中の肉が溶け落ちながら家族に看病される一生を送りました。生きている間の彼の声、と死んだあとの家族の声は見るものの胸を苦しめるほど悲惨極まりないものです。私はこのドキュメンタリーは、経済や政治に対抗する、れっきとした歴史的事実だと思っています。

動画


犠牲者ー事故処理作業者(リクビダートル... 投稿者 egg_rice

YouTubeはこちら。2つの動画にまたがっています。
http://www.youtube.com/watch?v=bhvDSqNJ31M
http://www.youtube.com/watch?v=fKRjZp7g0kE

動画内の、リクビダートルとその妻の言葉を書き出しました。長くなりますが、改めて御覧ください。

リクビダートルの言葉
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男「俺はしきりに倒れるようになってしまった。」

男「車椅子を使ってくださいと妻が言った。それで車椅子にした。それだけのことだ」

男「今は車椅子生活者だ」

男「知ったことじゃない」

男「思い出したら辛いだけ。忘れてしまう方がまし」

男「太陽は輝く。美しく輝く」

男「思い出したら地獄を見る」

男「忘れてしまったほうがましさ」

男「『今は昔、夢かうつつか』というだろう」

男「もしかして、外国の誰かさんが、自動車をくれたりしないかな」

男「中古でもいい。どんな型でもいい」

男「外に出かけて野山を走りたいだけだ」

男「こんな有様で自然に接しないままなのは厳しい」

男「全く悪夢だ」

男「車がたまらなくほしい。そんなのは夢。叶わない夢だとわかってはいても」

男「しかしそれにしても、ベッドの上に板切れみたく平たく横たわっていると、飼い犬がやってきてじっと見てるんだ。そこで『なんで俺のこと見てるんだ?』俺はやって見せる。ワン! 犬は思ってるんだ、この親父終わってるなと。構やしない。」

男「犬は離れていって台所に行く。そして戻ってくる。『どうしたんだ?』『ワン!』」

男「また離れていく。そしてまた戻ってくる。もう三度目だ。」

男「俺が『ワン!』犬も『ワン!』」

男「これで話が通じたね。何たる悪夢」

男「人間が一人、全く徒に終わった」

男「俺達は何もかも断念あるのみ」

男「本当はまだ若い……」

男「38だが60歳だといってもかまわない。何が違うんだい?」

男「チェルノブイリがあってからというもの、希望も何もなくなったんだ」

男「ヴォドラズスキーが死んだ。」

男「ミゴラク・クリモヴィッチも死んだ」

男「リオンカ・ザトゥラーノフも死んだ」

男「まだ生き残っているのは、コルカ・ヴェルビツキーと俺だけ」

男「俺達五人のなかでなぜかまだ生きているんだ」

男「白いカラスのように取り残されてね」

男「どうでもいい」

男「チェルノブイリは確かに起きた。でもいうじゃないか」

男「『今は昔、夢かうつつか、嘘かまことか』と」

男「あの頃のことは忘れるに越したことはない」

男「昔は大人の男だった。昔は歩けた」

男「昔は車も運転した。今となってはもぬけの殻だ」

男「これにはなにかわけがあるに違いない」

男「神様の前でそんなに多くの罪を犯したとも思えないが・・・」

男「とにかく全部大丈夫」

男「悪夢だよ」
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2001年の妻の言葉

妻「私たちは83年に結婚。早くも86年には夫はチェルノブイリ行き」

妻「全ての厄災はそこから」

妻「夫はいつも入退院を繰り返し」

妻「夫の左腕は麻痺し、次は左足も麻痺」

妻「なのに言われました。『仮病だろう? ふざけてるんだろう』」

妻「大の大人が歩けないので、明らかではありませんか」

妻「夫はしきりにつまづいて倒れました」

妻「医者は『風邪でも引いたんでしょう」

妻「『運転手をしていると激しい風に当たりますしね」と」

妻「でも実際にはぜんぜん違う病気だったのです」

妻「チェルノブイリは悲劇。まだ理解されていない悲劇」

妻「放射線被曝によるkの病気は実質上治療不可能で」

妻「患者たちはサンプルにされているのです」

妻「夫は6か月間寝たきりでその後……」

妻「いわば生きながらにして体が崩壊したのです」

妻「肉体組織がすべて崩壊しはじめ」

妻「腸骨がみえるほどになりました」

妻「私は医者に指導された通りのやり方で」

妻「夫の看病をしました。」

妻「女の医師のところに出かけて方法の説明を受けました」

妻「夫の心臓が止まるまでそんな調子で続けました」

妻「肉がすべてそげ落ちて背中はぺたんこで骨がむき出しでした」

妻「太ももの関節も手でさわれるほどでした」

妻「私は手袋を使って手で骨の消毒をしました」

妻「分解し腐乱した、骨の残骸を取り除きました」

妻「何故か分からないのですが、急に容態が悪化しました」

妻「医師に助けを求めたり大学教授に頼ったりしました」

妻「可能なかぎり誰にでもすがったのです」

妻「しかし言われました、『こんな病気は初めてでよくわかりません』」

妻「『症状を緩和することしか出来ません』といった調子なのです」

妻「骨髄が駄目になっていくのに直面して彼らはお手上げでした」

妻「なすすべがなかったのです」

妻「夫はもう死なせてくれと頼みました。苦しまなくてすむようにと」

妻「痛くてたまらなかったのでしょうね」

妻「寝返りを打たせると、歯ぎしりをしたりうめいたりしました」

妻「でも彼は絶対に叫び声を上げたりせず、耐えぬいたのです」

妻「意志の強い人でした」

妻「娘には腎臓の異常があります」

妻「息子は少し吃音があり目も病気です」

娘「片方の腎臓が下垂しています。痛いです」

妻「これは私たちだけの悲劇ではありません。ベラルーシ全体の悲劇です」

妻「そしてあの人たちの悲劇」

妻「とりわけ、人を救い全てをこなし、そしてたちまち全く忘却されていった人々の悲劇です」

妻「今住んでいるアパートの部屋を得るためにも、ハンストせねばなりませんでした」

妻「夫が入院したとき、そこでは人々が権利を獲得するために断食していました」

妻「助けを獲得するためにです」

妻「労働者集めの時お偉方は大層な約束をしました」

妻「住む家とか子供たちの託児所とか」

妻「でも結局はすべて空手形でした。」

妻「胸がつかえます。すべての出来事を目の当たりにして辛いばかりです」

妻「(なんの罪もないのに)なぜなのか分かりません」

妻「そうですとも。」

妻「夫は誰にでも何についてでも語ることはできたでしょう」

妻「どんなことについて誰かに話をさせることもできたでしょう」

妻「夫のような人を伴侶にしてよかった」

妻「彼はすべてを理解し、すべてを人の命のために捧げたのですから」

妻「なかには足るを知って静かに生きることができる人もいます」

妻「『私にはあれとこれがある。それで充分だ』と」

妻「しかし夫は人生になにかそれ以上のものを求めたのです」

妻「何かそれ以上の物、遥かなものを見つめていたのです」

妻「夫は生き急ぎました」

妻「埋葬が終わってから一年も経ったころ、チェルノブイリ・アソシエーションが電話をしてきて、ご主人の様子はいかがと尋ねました」

妻「もう亡くなりましたと伝えました。そのことすら知らなかったのです」

妻「夫は言っていました『チェルノブイリから13年間は生きたいものだな』」

妻「それが生きがいだったのでしょう。そうでもなければ」

妻「どうしてあんなに長い間闘病生活ができたでしょう」

妻「ここには事故直後に亡くなった人たちも眠っています。」

妻「私たちの親友ヴォドラズスキーは指揮官で、ヘリのパイロットでしたが」

妻「事故が起きて間もなく世を去りました」

妻「彼も同じような肉体組織の崩壊に見舞われたのです」

妻「ヴォドラズスキーは原子炉の真上を飛行しました」

妻「兵士たちが原子炉を封印しているときは、その場から離れませんでした」

妻「彼は一緒に勤務に当たっていた兵士たちを非番にしようとしました」

妻「兵士たちを飛行に関与させず自分で操縦しようとしたのです」

妻「そんなことしていたらどうなるかも彼はわかっていました」
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いかがでしたでしょうか。私は登場人物の男性も妻も詩人だと思いました。自分の悲しみを身近な言葉で表現しています。どんなマスメディアやジャーナリストたちの言葉よりも、私の胸を打ちました。優れたドキュメンタリーは私たちの心を動かし、何かを考えようというきっかけにさせてくれます。おそらくリクビダートルの彼は様々なことを話したでしょうが、おそらくその中から動画内の言葉を監督がチョイスしたのでしょう。監督の手腕が光るドキュメンタリーでした。

歴史的な犠牲者であるリクビダートルの言葉をきっかけにして、私たちは賢くなれるでしょうか。私は絶対に賢くならねばならないと思っています。

彼らは程度の差こそあれど、Fukushima50の人生の延長線上にいます。Fukushima50は日本人の労働者の中の犠牲者であると言っていいでしょう。そういう風に考えると、リクビダートルの運命について身近に捉えることができます。リクビダートルの伴侶の女性の言葉についても他人ごとではなく、身近なものとして捉えることができます。このドキュメンタリーは、チェルノブイリ事故を「夫婦愛」という文脈を用いて伝えています。そこが優れているのです。

話は飛びますが小出裕章氏の著書「原発はいらない」の中で、私が一番胸を打った箇所は、『被ばくしてどうしようもなくなったら愛する人と一緒にいましょう』、というQ&Aでした。小出氏の言葉もまた、原発事故を出来る限り身近な問題にしています。そこがやはり優れていると私は思います。

「死」について向きあうきっかけは、現代社会ではどんどん少なくなっていると私は思っています。そういう意味でも、このリクビダートルを追ったドキュメンタリーにしろ、小出裕章氏の著書にしろ、稀有な存在だと私は思っています。

愛とはなにか。

この根源的な問いについてまっすぐに考えることこそが、僕らが賢くなれる手段だと私は思っています。そして、それが原発停止、核廃絶につながる道をつくると思っています。

「原発はいらない」の読者レビューがすごい
genpatsuhairanai-koidehiroaki