再処理工場の闇: 私設原子力情報室

『新ウラン燃料は、原子炉内で約3年間、臨界状態に置かれ、連鎖的核分裂反応を起こします。』

3年間もつのか。だから定期点検の際に使用済燃料プールで、まだ使用中の燃料集合体を保管しておくのね。

『MOX燃料は、最初から強い放射性を帯びていて、発熱もするなど、ウラン燃料にはない危険性を持っています。』

なるほど。7月辺りに、未使用の燃料集合体を4号機の使用済み核燃料プールから試験的に取り出してみるそうですが、これは、未使用の燃料集合体がウラン燃料だから出来る事なのですね。

『しかし、条約や法律の常、ロンドン条約にも抜け道があります。規制しているのが、高レベル放射性廃棄物なので、液状の廃棄物を水で薄めて海に流してしまえば、条約違反にはならないのです。船からの投棄を考えれば、薄めると量が増えてしまって、効率が悪くなるのですが、陸から直接棄てる場合は話が別。「薄めればOK」という、この抜け道を狡猾に利用したのが再処理工場なのです。』

固形ではダメだけれども、液状ならば薄めて捨てればOKという。ロンドン条約はアリバイ作りでしかないと。だって液体で捨てればOKなんですからね。

日本では、固形の放射性廃棄物の処理も、クリアランスによって、骨抜きになっているわけで。骨抜きにしているのが行政ですからねえ。なんでも政治のさじ加減なわけです。

『「核燃料生成物と超ウラン元素はガラス固化体に固めるから大丈夫」というのが推進派の主張ですが、ガラス固化体にする前に、液体を絞らなくてはなりません。その液体まで保管していたら、いくら場所があっても足りませんから。そして、搾り取った後の液体には、必ず核燃料生成物と超ウラン元素が残ってしまいます。
しょうがないから水で薄めて海に流すと… 世界的に有名な再処理工場として、フランスのラ・アーグとイギリスのセラフィールドがありますが、どちらも海の中に数kmという廃液パイプを伸ばして、水で希釈した放射性物質を堂々と流しています。六ヶ所村でも同じ計画です。』

上記のリンク先では、紹介した場所以外の説明もあります。いつもわかり易く説明をして下さっていますから、購読をおすすめします。

【推進も反対も】意見は違ってもする事は変わらない事に気づけますか【たまにはおとなしく】|chocovanillaのページ(ちょこばの原子力ブログ)|ブログ|ちょこば(旧chocovanilla)...

『■ざまあみやがれいさんにお礼を込めて。
おとなしめに、ちょっと大事な事を書いてみたいと思います。』

ありがとうございます(笑)。

『■意志を持ったからと言って意志が通るかと言うと別問題です。ですが…私も含め「意志を持てども意志が通らず」と言う事に少し慣れていくべき時代なのだと思います。

「意志が通らないなら考えない」、多分このツケが今の日本には色々ときているのかもしれません。』

上記リンク先は原発容認の人の考え方ですけれども、廃炉については、原発を今後動かすか動かさないかにかかわらず、避けて通れない道なわけで。その廃炉について個人としての意見をきちんと述べられているのではないかと思います。僕も廃炉に関してはほとんど同意見です(ざっくりですみません)。

関心のある方は読んでみるとよいと思います。

ちょっと内容はずれるかもしれませんが、廃炉は事業者によって行われるものであって、法的にどうこうしろというふうに定められていないのですね。具体的に言うと、原発の下に活断層が通っていて、立地条件に違反している場合は、原発の運転を差止められます。ただ、廃炉にしなくてはいけないという規定はないのです。

国は間接的に上記でも述べた「クリアランス」制度によって、廃棄物の処理費用がかからないように決まりごとを作ってはいます。間接的にというのが国のやり方ですね。ただ、それでも電力会社が進んで廃炉をしたがるとは思えないわけで。

「意志を持てども意志が通らず」

という言葉は多くの人にとって、共感できる言葉であるのではないかと。

例えば、デモをやっても社会が変わらないと悩む人は多いでしょう。やはりデモは社会を変えられるものではないのです。誤解を受ける表現かもしれませんが、正確に書くと、デモは、社会に対して意志を表現する手段なのですね。その表現がまわりまわって社会に影響を与える可能性はあります。直接的に社会を変えられると思っていると、やがてそれは幻想であるということを知ってしまい、デモは役に立たないじゃん、と疲れる人が出てくるわけで。

だけども、デモは役に立たない、ということはないのであって。表現し、それが誰かに伝わっていく、という可能性を持っているという点においては、役に立つわけです。可能性にかけるということは、実はけっこう効率が良いことだと僕は思っていたりします。一人が目の前の人を説得するよりも、不特定多数に向けて表現することで、何かが変わる可能性を作っていくということですね。

僕がブログを書くのが好きなのは、そういうことだったりしますね。人間って一人で部屋で考えたりするときに素直になれるわけで。ブログというのは、そういうメディアです。みんなで読むものではなくて、一人になってる時に読むわけです。

僕にとってはデモはコストが高いので(体力がいるので)ブログを書いているわけですが、だけどもデモには行きたいわけで。逆に、僕がブログを書いていることに対して、よくそこまで頑張ってブログを書くね、と思っている人もいるわけで。それはまあ人それぞれで。

デモって、結論を叫ぶ場所になってしまう場合が多くて。

「子供を守れ」「命を守れ」「原発反対」「即時廃炉」

わかりやすくて伝わりやすい簡潔なメッセージで訴えるという方法論です。

僕は結論だけではなく、その結論に至るまでの考え方を、できる限りわかり易い言葉で人に伝えることが、けっこう大事だと思っています。人間はストーリーに心を動かされると思うわけですから。

ただ、デモで、こんなブログのようにごちゃごちゃ言っていても、それはそれでよくわからんこと言ってるぞあいつら、と言うことになるわけで。

まあ取り留めもなくなりましたからこのへんで。

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