2005年09月26日

台湾の国連再加盟と万博外交

台湾の副総統になられる前に呂秀蓮さんと出会ったのは、今から10年前の1995年、アメリカのサンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジ大学でのNGO会議だった。
95年は戦後50年、国連創設50年でもあった。

今から60年前、サンフランシスコで4月から6月にかけて、第2次世界大戦の連合国側が集まり、戦後世界について討議し、国連憲章が調印された。

50年後のサンフランシスコ市内では、4月から6月まで国連改革などに関する様々なフォーラムや会議がいたるところで行われ、市民ボランティアが世界から会議に集まるNGOたちをサポートし、町中がこのイベントを盛り上げていた。

国連NGO世界連邦の世界大会もこのとき行われ、台湾の呂秀蓮さんと出会ったのも、このときだった。

台湾は国連に加盟しておらず、呂秀蓮さんは台湾の国連加盟推進運動のリーダーとして活躍していた。

国連再加盟のロビー活動の拠点なのか、ニューヨークに事務局があり、その台湾人スタッフ数人もサンフランシスコに駆けつけてきた。

お正月に頂いた年賀状には、国連本部をバックにハドソン川かイースト川か、台湾の国連再加盟を訴える船が浮かぶ写真が印刷されて、国連加盟にかける意気込みを感じさせた。

その効果が出たのは98年ごろ。

西アフリカ小国に台湾支持を表明する国が多く出た。

東アジアから遠く離れるほど台湾支持が増えるのにはわけがある。

北京・中国との関係が少なければ台湾支持が取り付けやすく、少ない援助で大きな効果が得られるわけ。

同じことは日本でも。安保理常任理事国入りを果たそうと、加盟国の4分の1の票田アフリカに積極的にアプローチをかける。

何せ理事国入りには国連憲章の改定が必要だが、その発議は国連総会。

が、中国が切り崩しにかかった。

9月25日、日中友好を演出するのに最高の舞台となったはずの愛知万博は閉幕し、上海に引き継がれるが、万博外交の成果には疑問符がついた。

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