2005年07月11日

双発旅客機マーチン202が定期航空路線に就航したのは1951年2

双発旅客機マーチン202


 
  第2次大戦後の日本(1945年〜1951年)は,一切の航空活動が禁止されていたが,民間航空路線は日本航空株式会社が1951(昭和26)年8月1日に新しく設立され,当時日本に乗り入れていた米国系の国際線航空会社ノースウエスト・オリエント航空に日本国内の航空路線の運航を依頼し,同社の旅客機によるチャータ運航を委託し,1951年10月25日から米人パイロットによる米国民間登録記号付きのマーチン202双発旅客機(プ ラット&ホイットニR-2800ダブル・ワスブ空冷式複列星型18気筒2400馬力×2)により定期航空路線の営業を開始した.  登録記号と日本航空での呼称は,「もく星」(N93043)と,「すい星」(N93049),「きん星」(N93041),「か星」(N93061), 「ど星」(N93060)の5機で,1番機となった「もく星」は1951年10月25日に東京〜大阪間の定期航空路線に就航した.


  サンフランシスコ平和条 約の発効に伴い日本航空の自主運航に切換えたのは1952年10月以降だから,それまで約1年間に渡って運航が続けられたが,「もく星」が1952年4月 9日に三原山の山腹に衝突し墜落事故を起こし,搭乗していた37人全員が死亡した.  サンフランシスコ平和条約の発効により占領から日本が独立国に復帰した1952年4月28日,日本国の民間航空機の国籍記号はJAナンバーと決定し,羽 田空港が7月1日に返還され東京国際空港となった.実際にJAナンバーが日本の民間機につけられたのは1952年7月28日からで,マーチン202旅客機 の5機がチャータ運航を終えたのが1952年10月であった.ほかに日本航空がチャータした旅客機には4発エンジンを装備したダグラスDC4「てんおう 星」(N88844)があったが,日本航空が1952年10月に購入して「十勝」(JA6005)となった.マーチン202は1946年11月に原型機が 初飛行した民間旅客機である.

amet1972 at 11:44│Comments(0)TrackBack(0) プロペラ旅客機 | 民間航空機

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