2005年07月11日
ダグラスDC-4旅客機が民間定期航空路線の主力に

<P> 第2次大戦後は1951年になってようやく再出発できた日本の民間航空における旅客輸送は,まずフィリッピン航空からタグラスDC- 3双発旅客機を日本航空がチャータして航空路線の調査と宣伝のために,1951年8月27〜29日の3日間に限定して関係者に対して遊覧飛行を行なった. <BR>次にノースウエスト航空から5機のマ一チン2O2双発旅客機と,11月2日からは1機の4発旅客機ダグラスDC-4を機材と乗員を一 括チャータして,日本航空として羽田〜大阪〜福岡の定期航空旅客輸送を開始した.
しかしマーチン202「もく星」が大島三原山に1952年4月9日に衝突し墜落し,乗員と乗客37人全員が死亡した.</P>
<P> もく星号墜落事故のあとで日本航空の使用機材はDC-4に切り換えられた.日本人操縦士によるDC-4の自主運航が実現したのは1952年10月からである.<BR>
4発旅客機ダグラスDC-4の量産型の原型は1942年2月14日に初飛行したが第二次大戦のためにすべて軍用輸送機(陸軍向けがC54,海軍向けは R5D)として調達されてしまった.DC-4輸送機シリーズは各型を合計1163機が製作された.戦後に出発した日本航空では米軍が使用していた軍用輸送 機型のC-54と米国民間旅客機型のDC-4の中古機を各型合計11機を購入し,再整備して国内定期航空路線の主力旅客機(乗員3〜4人,乗客60〜69 人:プラット&ホイットニーR2000-D3ツイン・ワスブ空冷式複列星型14気筒1450馬力×4)として投入した.</P>
<P> 日本航空における登録記号と個別の機名(日本の山岳名)は次のようになっていた.なお,初期にチャータした「てんおう星」(N88844)は後に日本航空が購入して「十勝」と改名した.
「てんおう星」(ノースウエスト航空会社機:N88844),「白馬」(C-54E-DC:JA6001),「高千穂」(C-54E-DC: JA6002),「榛名」(C-54E-DC:JA6003),「十勝」(C-54E-DC:旧「てんおう星」JA6005),「阿蘇」(DC-4: JA6006),「穂高」(DC-4:JA6007),「蔵王」(DC-4自動操縦装置付:JA6008),「雲仙」( DC-4:JA6011),「三笠」(DC-4:JA6012),「浅間」( C-54A-DC:JA6014),「天城」(C-54E-DC:JA6015).</P>
<P> こうして日本航空の主力旅客機となったダグラスDC-4は,1952年年11月から1963年4月までの約11年間に合計11機が定 期航空路線に就航した.<BR>DC-4が就航した主な路線は,東京〜大阪〜福岡,東京〜札幌で,のちに福岡〜釜山,東京〜岩国〜沖縄〜台北 の近距離国際線にも使われた.<BR>さらに貨物輸送用として寿命を延長した機体もある.なお最後の「天城」がオーバーホール整備の後で海外 に売り払われたのは1965年3月9日だった.</P>




