らんにんぐ☆がーる(完)

「39度」
 母は私の様子がおかしいと熱をはかってくれた。
「明日は走るのも、学校もお休みしなさい」
「え……」
 母は渋る私に「疲れたのよ」と優しく声をかけた。
 熱は3日ほど下がらず、学校もランニングも休んだ。その間、深雪から心配するメールが届いた。
 ショックで休んでるんじゃないかと……
熱が出て休んでることをメールすると、安心したような絵文字が1つだけ送られてきた。

このタイミングじゃね……

 私は走るのを辞めた。
体調は良くなったが、心の具合が悪かったのだ。
胸と喉のあたりにモヤモヤしたものがあってスッキリしない。
 学校では優ちゃんに自分から話しかけることが少なくなっていた。
 深雪はそのことを気にしていたようだが、優ちゃん本人は糸川と同じ高校に行けるよう必死に勉強をしていたから、気づいていないようだった。

「お前、走るの辞めたの?」
 放課後、糸川が話しかけてきた。
 教室には、私と糸川しかいない。
 深雪はある程度分からないところを教えると、用事があると早めに帰って行き、優ちゃんは先生に呼ばれ職員室に行っていた。
「なんで辞めた?」
 私が無言でいると、もう一度訊き直してきた。
「体調がおもわしくなくて……」
「ホントにそれだけか?」
「うん」
「そっか」
 糸川はいつも深雪や優ちゃんが座って教えてくれる椅子に腰をかけると、ホッとした表情を見せた。
「走るの嫌いになったのかと思ってさ」
「そんなことないよ」
 私は深雪が教えてくれたことをノートにまとめながら答えた。
「オレさ、お前と走るの楽しかったよ」
 字を書くスピードが遅くなった。

……なんでそんなこと言うの?

 胸の鼓動が高まる。
「優が紹介したいって言い出した時『止めよう』って言ったんだ……それなのに、こんなことになってしまって……何て言うか、その……」
 糸川の声が徐々に小さくなっていく。
「えっ?」
「だからホントは、お前がオレのこと好きなんじゃないかと思って」
 糸川が大きな声で言い直したのと同時に、私の顔がみるみる熱をもっていった。
「勝手な分析だけど、もしそうだとしたらオレと優のこと知ったら、一緒に走るのを……」
 糸川は言葉を詰まらせた。
 私は、ノートとペンケースを鞄にしまうと「優ちゃんに用事あるの思い出したから、先に帰るって言っておいて」
と糸川に告げた。
「ああ」
 糸川は下を向いたまま頷いた。
 廊下に出ると後ろから「オレ、新聞配達辞めたから! あの時間はもう走っていないから!」と糸川の声が聞こえた。


「よし!」
 現在の時刻3時20分。腕時計の針は私にそう教えてくれた。
 久しぶりの早起きは体に堪えたが、外に出ると清々しい気分になった。
 大きく深呼吸をする。
胸と喉のあたりにあったモヤモヤがどこかへ流れていく感じがした。
 門扉を開けると、いつも糸川を追いかけていた道を走り出す。
 初めは歩くので精一杯だったこの道も、今では軽やかに走れていた。




 絶好調だ。勉強もランニングも。
 新聞配達の彼と同じペースで走れるようになっていた。というか、彼が私と同じペースで走りながら新聞を配達してくれるようになっただけなのだが。
 彼が走る後を私が追い掛ける。それだけで幸せだった。

 今朝もいつものように追い掛けるように走っていた。
「走るの早くなったね」
 挨拶以外で声をかけられることが滅多にないので驚く。
「そうですか?」
「うん、初めは歩いてたもの」
「そこから比べれば確かにですね」
 彼は小さな声で笑うと「それじゃ」と片手を軽くあげ走り去っていった。

もしかして進展した?

 その日は嬉しくて、にやついた顔が直らなかった。何を訊かれても「秘密」で通した。
 放課後、深雪に勉強を教えてもらっていると、いつまでもにやついている私に深雪が「何があったか教えなさい」と頬っぺたをつねってきた。
「深雪ちゃん止めてよ」
「止めて欲しかったら教えなさい」
「教える教える」
「じゃあ離してあげる」
 深雪は頬っぺたから手を離した。
「で、何があったの?」
 私はつねられた頬っぺたを撫でながら「彼と少し話ができたの」と答えた。
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「嘘でしょ?」
「なんで嘘つかなきゃならないの?」
 深雪は呆れた顔をしていたが「良かったね」と笑った。
 二人で話をしていると、優ちゃんが見慣れない男子生徒を一人連れてこっちにやってきた。
「爽のにやつき原因、分かった?」
「うん、分かったよ。で、糸川連れてどうしたの?」

糸川? ああ、同じクラスの……

「二人に紹介したいと思って」
「紹介?」
深雪と私は顔を合わせた。
「私の彼氏、糸川くんです!!」
「彼氏ーっ?」
 深雪は叫び、私は開いた口が閉じなかった。
「糸川ってカッコいいんだよ。ほら」
 優ちゃんは糸川の長ったらしい前髪を掴みあげる。
「あ……」
 私の声に気づいたのは深雪だけだった。
優ちゃんは恥ずかしそうに馴れ初め等を一通り話すと「秘密だよ」と言い、糸川と教室を出ていった。
「ふたりとも陸上部だったもんね」
二人が歩いて行った廊下をぼんやり眺めながら深雪は呟く。
「そうだったんだ」
上の空で答えた私に「さっきの『あ……』は何?」と訊いてきた。
「聞こえてた?」
大きく頷く深雪に私は「彼だったみたい」と呟いた。
「えっ?」
「彼が新聞配達の人だったみたい……」
 深雪は言葉を失っているようだ。
 手の甲に涙が落ちた。

私、なんで泣いてるんだろう……

「同じクラスにいたのに全然気付かなかった。私ってホントにバカだね」
「爽……」
「深雪ゴメン。今日はもう帰る」
「うん、勉強どころじゃないよね」

 私は家まで走った。
いつもよりもスピードをあげて。
そうしないと、涙が全部こぼれ落ちそうだった。

 私はおばあちゃんに教えられた通り、分からない言葉をノートに書きまくった。
「爽、お風呂」
「はーい」
 私は鉛筆を机の上に転がすと、お風呂場へ向かった。
 湯船の中で、足や腕をマッサージする。

あれ?

 手に今までとは違った感触がある。ぶよぶよの太ももが若干引き締まったような気がした。
 お風呂上がり、体重計に乗る前に鏡で全身を見る。気のせいではなかった。少しだけど、全体的に引き締まっている。

なんかいい感じだ。

 私は着替えるとリビングに顔を出し「おやすみ」と声をかけた。

 今朝もいつもの通り起きた。玄関前で準備運動をしていると「おはよう」と声をかけられる。
「おはよう」
「今朝はなんだかご機嫌だね」
どうやら私の顔がにやついていたようだ。
 新聞配達の彼は笑顔を見せると、新聞をポストに入れ走っていった。
 私も一緒に走り出す。今日も充実した1日が過ごせそうだ。

 学校では昨日のうちに書き出した分からないことを深雪や優ちゃんに訊いた。
深雪と優ちゃんは「これどういう意味だっけ?」「習ったっけ?」など二人で話している。
「なんかゴメンね」
「何が?」
「こんなこと頼んで」
「いや、いいよ。私達の勉強にもなるしね」
 深雪と優ちゃんは顔を合わせる。
「うん、教えるのは自分の為になるって言うし」
「……ありがとう」
 また二人で顔を合わせると「爽って可愛い」と笑った。

 家に走って帰ると、二人に教えてもらったことをノートに整理する。そして、また分からないことを書きまくる。
 朝起きて走って、整理したノートに目を通す。
 そんな毎日を繰り返していると、あっという間に夏が過ぎていき、秋になっていた。

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