Aminのつれづれなる日記

来し方を振り返りながら日々思うがままに綴る。国内外の旅行、時事問題なども含めて身勝手な感想も差し挟んでみた。

水無月の終わり、6月28日、Napoli着。歌に謳われ、「ナポリを見て死ね」とも言われたNapoliはあまり

にも俗化され過ぎていた。どこへ行ってもどこを見ても感激しなくなった自分がとても悲しく思われる。

6月29日、Capli島へ。観光客が大勢詰め掛けている。誰も彼もが同じような思いながら旅を続けている

のであろうか。とても哀れだ。どうしょうもないほど。

Capli島、観光船は1時間半ほどで到着。「青の洞窟」へ。確かに美しく、とても素晴らしかったのだが、

期待ほどではなかった。その後は登山電車、バス、チェアーリフトに乗ってカプリ島の最高峰へ。そででも

心は晴れない。

6月30日、ポンペイ遺跡を見学、暑かった。約2千年前の栄華の跡、発掘作業をしている青年達はまるで

土木工事でもしているみたいに事務的にワイワイしながらのんびりとやっている。この日、ナポリからバリ

まで。

鷲尾さんは体調が悪く、アテネまで先に行くことに決定。このBariからBrindisiまで列車で行き、その先から

船でアテネまで向かうとのことだ。

僕は車を走らせ、スイス、オーストリア、ユーゴ、ブルガリアを通り、イスタンブールまで行くつもりだ。それが

7月20日までの予定だ。車での一人旅、果たしてどうなるのだろうか。

彼は恐らくアテネで治療後、タイ若しくは東京に帰るのではないだろうか。二人での旅、6月30日で終止符

が打たれたのだろうか。彼の知識を当てにし過ぎていた自分、今では赤子同然の無知なまま世界に放り

だされたようなもの。Bariのユースホステルのロビーで明日からのことを考えていると、全く自信もなくなろう

というものだ。でも、やるぞっ、例え一人でも、酷暑の中近東を通りインドまで抜け、東京まで帰るのだ。何が

起ころうとも。

8月12日のブログで「エアコン」について述べたが、今に至ってもその尾を引いているのである。世間は夏の大型休暇「盆休み」の最中であり、修理については盆休み明けぐらいになろうと諦めてはいた。先にも書いた通り、ネット通販で購入した物件なので、直ぐにフリーダイアルで問い合わせをした。履歴があることで、直ぐにメーカーへ連絡を取ってもらえることになった。そしてメーカーから当方に電話があるという段取りで、ここまではスイスイ。S〇〇〇P製品、高松営業所から点検検査の電話が15日にあり、翌16日の午後一時に訪問受諾で了解した。ジャスト、チャイムが鳴り、直ぐに検査だ。冷媒ガス、フィルター、フィンなど15分ほどで完了し、結果説明を受けた。設置のエアコンには内部洗浄やイオンクラスター機能もあり、当方フィルターさえ定期的に清掃すれば良いものと思い込んでいたら、何と、使用期間が長くなると、コンデンサーや送風ファンにカビや塵埃がこびり付き、能力が次第に低下し、しまいには全く冷暖房が効かなくなることになるそうだ。この秋10月で満四年を迎えるが、フィルター以外を掃除した記憶はない。正しくそれが発症したということに尽きるようだ。つまり、このような掃除は必然であり、これを怠るとエアコンの役目を果たさなくなるということである。検査の方に掃除の依頼もする決心をした(費用が嵩むゆえ、不本意ながら)のであるが、作業は別部門になるとのことで、とても、今日、明日という運びにはなりそうにない。掃除日時については、当日中に連絡するとのことで、効きが最悪のエアコンをこのままいつまで我慢せねばならないのか、陰鬱な気分のまま待っていると、夕刻電話があり、何と19日の土曜日になりそうだというのである。休暇明けで多忙を極めているのでどうすることもできないらしい。泣く泣く了承したのであった。
16日の夜、ネット検索をしてみると、何と即応できるエアコンクリーニング専門業者があった。それに少し安めである。取りあえずサイトから申込をしてみた。翌日17日午前八時過ぎ、その業者から電話が入った。そこに大きな落とし穴があった。⇒続く。
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Roma入りは6月26日午後2時過ぎ、すべての道はRomaに通ず。

Romaはそれほど歴史上中心的な都市であるのだろうか。過去の栄光がこれほどまでに現在に生きている

都市もアテネと共にそれほど多くはなかろうに。Romaもまた車と人の多い街だった。古い街並みに車が

あふれ排気ガスが渦を巻いている。イタリア人はスペイン人と比べると概して親切である。

26日、日本大使館へ行く前に日本航空へ立ち寄り、市内地図をもらった。その後すぐに駆け付けたのであるが

4時到着、大使館の執務は4時15分再開とのことだった。

送金通知は25日付で到着していた。でも期待していた音信はなかった。久しぶりに家族の知らせでも聞ける

ものと期待していただけに残念だった。

鷲尾さんも何もなく、がっかりしているようだった。その後朝日新聞に目を通した。野球のことなどを中心に

日本国内情勢、社会面を見た。吉田拓郎の事件、その他。

しばらくぶりにユースホステルに投宿した。夜間、熟睡できない。そのような状態がもう何日も続いている。

疲労は極限なのに、神経が昂ぶっているのだろうか。

27日、銀行へ行った。2時間もかかり、送金されたイタリア通貨をトラベラーズチェックにしてもらった。20ドル

のアメリカン・エクスプレスのチェックで29枚分、急に金持ちになったように思われたが、日本へ帰国する

までの所持金だ。そんなに無駄使いは出来ないのだ。昼からはバチカンを訪れた。ただサンピエトロ寺院内

のパイプオルガンの響きが印象に残っている。暑さ、日中の暑気には参った、参った。

6月24日、アルル近郊のホテルを出発、追い風に乗り、スイスイと走り、マルセイユ通過、ニース、カンヌ

そしてモンテカルロ(モナコ)を走り抜け、イタリアへ入国した。

Genovaまで一体何が印象に残ったんだろう。コートダジュールの景色は何故か僕たちとは別世界のように

感じられた。映画の世界が眼前にあり、西欧の直の姿がそこには存在していた。なるほどカンヌもニースも

光輝く素晴らしさがあり、保養地のようだった。モナコのカジノ前も車はそのロータリーをくるりと周り、次の

通過地点に向かっただけだ。心の中をフッーと風が通り抜けるように哀れだし、悲しく、寂しく感じていた。

旅の目的が何だというのではなく、そこには、日本とは異種の世界が存在していたことに非常な驚異を感じた

のかもしれない。人間世界における価値判断の基準は美醜だと聞いたことがある。そうだとすると、僕たち

日本人の目からさえも日本が「醜」であり、この現前の世界こそが「美」と感じれたのであった。

彼らの日常生活と僕らのそれとの間の余りにも大きな隔たりはどうしょうもなく感じられた。

Genovaへの途中、高速道路の渋滞に出会い、ガソリンは少なくなってくる。時間はどんどん過ぎ去る。

どうしょうもないと閑念していたところ、渋滞は解消されGenovaに到着した。そして、インターチェンジを

降りて少し街中に入ったところに安ホテル(二人で3500リラ)を見つけて投宿、その後食事に出かけ、名物

のピザ(500リラ)を食す。

ぜいたくな旅が続いているように思われる。連続でホテルに泊まり、でもどんなに安ホテルでもベッドの上に

寝た方が気持ちが良いのだ。イギリスの旅行中は車中泊ユースホステルが多かったがスペイン、ポルトガル

以来ホテルの味をしめてか、だいぶんと数を重ねていたかもしれない。

Genovaを出発、25日午前10時半、フランス時間よりイタリアは一時間早くなっているのだ。Pisaまでの

道程はそれほどなかったが、九十九折、それに小さな町がいくつも続くし、Pisaまでの百キロ余りに四時間

も要した。PisaからRomaまで400kmほど、Pisa以後、道路は直線が続くようになり、今ようやくRoma

まで200km足らずの地点のGrosetoという比較的大きな町のはずれに到着した。一泊二人で3650リラ。

外で食事をしたら何と3380リラもして、少々後悔した。

鷲尾さんの体調はあまり良いとは言えず、とても気分がすぐれない様子だ。見ているのも苦痛なほどで、

既に眠りについている。明日はRoma入りだ。

北朝鮮が日本との対話の意向を明らかにし、核問題の平和的妥結の突破口になるか注目される。 
読売新聞は15日、「北朝鮮の李容浩(イ・ヨンホ)外相が、河野外相と6日にフィリピンのマニラで意見交換した際、『対話』を打診していたことがわかった」と報じた。 
2人の対話は6日夜に開かれたASEAN地域安保フォーラム(ARF)夕食会の直前にあった。河野外相は李外相に対し、核・ミサイル問題だけでなく日本人拉致問題も含めた包括的な解決に向け、2002年の日朝平壌宣言に基づき具体的な行動を取るよう要求し、李外相は「対話したい」との意向を伝えたということだ。 
←韓国中央日報日本語版 8/16配信記事より
ASEAN
恫喝と怒りのぶつけ合い「金正恩委員長とトランプ大統領」、対する日本のメディアや評論家の意見は様々ではあるが、まるで「一触即発」のように国民を煽っているかのように先の「火星14号」ICBM発射成功後過熱気味に続いているのだが、上の記事のように河野太郎新外務大臣がフィリピンで秘密裏?に北の外相と意見交換したとのことで、即発事態は少しは遠ざかった感がある。河野大臣は就任まだ一週間そこそこ、なかなか気骨のある政治家ではないかと常々思っていた。このASEAN会議の間には中国の王毅外相と初会談では、彼に対して、慇懃にも、「大国らしく振る舞うことを望む」という言葉を投げたのである。対する王外相は「貴方の父上は歴史観でも素晴らしい意見の持ち主だった」と。河野外相はまるで、父と自分は父とは違うのだ、と言わんばかりで、さすがの王外相も初対面の日本の若き政治家には一目置くことになったに違いない。ただ、中国国内向けにはある程度は強い態度を示さねばならないという事情(中国共産党人民代表大会を目前に控えていた)があったのではあるが・・・・。
さて、ミサイルの連続打ち上げなどで挑発を続ける北朝鮮人民軍の動向が気になるところではあるが、北朝鮮もトランプ大統領も引き金に掛った指の力が抜けつつあるようだ。北の外相の対話に向けた河野太郎外相との会談もそうした対話へのシグナルかもしれない。アメリカとて、リビアやイラクのようにピンポイントで核施設を空爆するという芸当もできそうにない。在韓米国人数万人をはじめ38度線から40kmのソウルには常時大口径の砲身が向けられている。ロシアや中国の動きも勘案すると、とても戦火の火蓋を切ることはできるわけはない。しかしながら、当事者たる「大韓民国」が北への対話に傾注するあまり、日米韓の軍事協力体制にも綻びが生じている。北が「核」を放棄することは金輪際あり得ないことであり、開発への時間的猶予を与え続けた結果の責任は南が取るのが筋であろう。

*北のミサイルのロケットエンジンはウクライナで製作されたものがロシアに売却され、それが闇取引で北に渡り、ミサイル技術が加速度的に発展したということが暴露されている。自己開発したものではないということ、経済封鎖に大きな抜け道がある証明でもあり、ここに封鎖の核心があると思われる

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