Aminのつれづれなる日記

来し方を振り返りながら日々思うがままに綴る。国内外の旅行、時事問題なども含めて身勝手な感想も差し挟んでみた。

釣りの思い出、小学生からずっと後々ではないことが少しだけあった。中学時代のことである。クラブ活動の厳しさの中をかいくぐったのか、ここでも夏休みに生地の「伯方島」へ帰省したことがあった。そこには親戚の叔父や叔母が住んでいた。叔父の中の一人が無類の釣り好きで、帰省すると食卓にはいつもその時期には「ホゴ=カサゴ」や「ベラ=キュウセン=ギザミ」が並んでいた。恐らく叔父は仕事(石材業)の傍ら趣味の釣りをひとりで楽しみたい、が、子供らにせがまれて無理して釣りに連れってくれたに違いない。叔父はそのころには、木造の伝馬船に発動機を搭載して、網代(アジロ)まで櫓漕ぎで一時間以上もかかっていたのがほんの十数分で到着するので快適であった。
伝馬船1
実際にはこのぐらいの伝馬船に発動機を搭載していた。

釣行の朝は叔父は近くの小川や用水池に網を持って出かけ、釣り餌を採って来るのが常であった。その餌は「シラサエビ」という淡水に生息する1cm前後の身の透き通った小エビである。その餌は淡水の入ったバケツ様の入れ物に生きたまま伝馬船まで持っていき、釣り場へ向うのである。
シラサエビ
シラサエビは生きててこそ価値がある。白く変色したものは直ぐに捨てる。

釣りのスタイルは竿無しの手釣りである。船べりから仕掛けを海底まで落とし込み、底を少し切ったところで当たりを待つだけである。伯方島と北側広島県側の「生口島(イクチジマ)」の狭い海峡の真ん中辺に浅場(水深十数mぐらいか)があり、ほとんどその場で半日以上を過ごすのである。叔父は次々と釣果を重ねるのであるが、一向に自分には当たりは感じるのであるが、取り込むことができない。大概の場合、三十尾を越えるぐらい、日差しが高くなる前には釣りは終えることになる。クーラーボックスも氷もない入れ物(どんな物であったか思い出せない)で家に持ち帰ると叔母さんはいつものように「こんなにどなんすんの?」と文句を言ってたが、ギザミは塩焼きにホゴは煮物になって食卓に上っていたものである。叔父も叔母も他界してすでに三十年、四十年にもなる。余談ではあるが、釣り好きの叔父は他の仲間と一緒にポインター種の猟犬を連れて、冬場には伯方島に限らず、近在の島々まで「雉(キジ)」や「鴨」猟に出かけていた。趣味の多い大正生まれの叔父さんであった。→続く


地方都市の人口3万余りの〇通〇市には数カ所(自分の知る限りではあるが)の出水(ですい)という今振り返ってみると、まことに不思議な池でも川でも、井戸でもない、清水を湛えた水源があった。夏を除く季節にはほとんど関心を引くことはなかったが、八月からの夏休み(1960年代ごろは夏休みの始まりは八月一日からであった)の間には、それぞれ家の近くにある出水に行き、タイヤの浮き袋の中にパンツ一つで体を通し、日がないちにち過したものである。ワイワイガヤガヤ、それでも、騒音だ何だと騒ぎたてる住民がいるわけでもなく、かと言って、監視するような大人がいるわけでもない、まことに平和でのんびりしてた時代であったと思う。出水は人工的に大型の丸太井桁(大概は長方形で一間角ぐらい)で構成されており、深さはその掘られた場所にもよるが、おおかた一間(1.8m)から一丈(3.0m)ぐらいはあった。薄青緑色の清水が年中満々と湛えているためか、真夏には井戸水同様に18℃から22℃ぐらい(多分)で、昨今のような猛暑日や真夏日が続くようなことはなかったとはいえ、この水辺で過ごすことは天然の避暑対策として、理に適ったものであった。近隣住民はこの出水に各自が「西瓜」や「胡瓜」を竹籠に入れてドブンと投げ込み天然冷蔵庫として利用したりもしてた。当時はまだ電気冷蔵庫が家庭に普及している状態ではなく、その役目をしていたものは、大きな銅板を貼り付けた二段式の観音扉をつけた箱の上段に毎日「氷屋」から角氷を買い求め入れて冷気で冷やすのがせいぜいであった。小生ら「団塊の世代」はとに角多勢である。級友でも、兄弟、姉妹が三人ぐらいが普通で、四人、五人というのも居たのである。夏休みなど、いちにち放り出され、この出水で何をしようが、大人たちも気を配ることもなく、ごく当たり前に放置されていた長閑さがあった。
二頭出水1
この出水の名称は「二頭出水」。出水の周辺は整備されて、昔の面影の片鱗ものこされていない。

この「出水」には住人(魚)が居たのを思い出す。先ずは「雷魚(台湾ドジョウ)」である。こ奴は釣り上げてもほとんど食すことはないのであるが、釣りの曳き味が半端でなく強烈で、粗末な仕掛けでは大概はバラスことになる。器量の悪さからも出水での嫌われ者だった。また、フナやモロコもその雷魚から密かに逃れるように(雷魚は肉食である)水面近くで群れていた。ようやく、釣りの話しになるが、そのか弱いフナやモロコを釣る楽しみが夏休みにはあったと思う。市内には釣り道具屋が一件だけあった。弟の同級生がいたので、良くその店で粗末ではあったが、選択肢のない釣り仕掛けを買い求めた。道糸を巻きとるリールなんてものはまだまだ高値の花であり、釣り竿も、竹やぶから切り出した細めの女竹を加工して使ったり、工夫を重ねながら出水に通った。釣り餌は堆肥の中に巣食うミミズがただであり、小遣いの乏しいなか、仕方のないことであった。が、モロコなど小魚となると、どうしても釣具屋で糸ミミズを買わざるを得ないということもあった。
モロコ
メダカと見違えるかも、大型でも数センチぐらい。
雷魚
雷魚、台湾ドジョウと言われていた。獰猛肉食、出水の嫌われもの。

出水での釣りから離れて、小川で釣りをすることもあった。ほとんどは竿を使わない、タモ網を長靴を履いてバシャバシャと浅瀬を歩きまわり、追い込み一気に捕獲するというものである。フナ、モロコ、それにアカマツ(これは思い違いと思われる、恐らく姿形からヤマメと思われる)という鮎に似た少し大型の腹回りに赤い斑点のある魚が偶に採れることがあった。次第にそのアカマツだけを目当てにして川に入ることになったのである。このアカマツが採れた小川のすぐ近くに担任の先生宅があり、その〇家先生にはことさら可愛がられた(と自分では思っているが)ので川遊びの帰りに立ち寄ったりしてお菓子を御馳走になったこともあった。
アマゴ
アカマツと言われていた魚は「アマゴ」だったと思われる。
イワナ
これはイワナ、実際に思い出されるのはこのイワナだったのではないか。

色々と思いだされる釣りの話しであるが、所詮は子供の遊びであり、ボールを蹴ったり、縄跳びや瓦投げなどの延長であった。この遊びは一人でするものではないので、仲の良い二三人で出かけたのであるが、次第に興味は薄れたのか、一人抜け、二人抜け、自然消滅してしまった。その後の釣りは随分と時を経た四十代も終わりころまでお預けであった。


鹿児島県と宮崎県の境の霧島連山の「新燃岳」が先週初めころから目を醒ましたようで、これまでにも何度となく爆発的噴火を繰り返し、今回も報道では折からの降雨に火山灰がまとわり付いて、周辺の町々もどこまで続く分からない活動に不安はますばかりとの市民の声を伝えていた。
もう、6年と8か月になろうとする、2011年の1月25日に新燃岳が大噴火を起こして以来。その月の下旬ころから火山活動に異変の兆候が観測されていたとの報道は何度も耳にしていたので、不届きながら、噴火を見たいとの思いから、車を飛ばしてでも現地に行ってみたい、そういう思いがしていた。当時は仕事もしていたので週末の29日土曜日の朝8時過ぎに高松を発ち、瀬戸大橋、山陽自動車道、九州自動車道と高速道路を走り、えびので分岐宮崎自動車に入り、小林ICで降りたのは午後3時ごろだった。鹿児島県に入ってから高速道路走行中に噴煙でも見えないかと霧島方面に目を凝らしていたものの、それらしき光景は見えないまま、もう終息したのではないかと、期待が萎むのを感じていた。だが、県道沿いに都城方面に向う途中の景色が次第に大きく変わっていったのである。対向車線を走ってくる車両の運転手のほとんどが、白いマスクを被っているのである。天候はほぼ快晴であったが、降灰による粉塵が舞い上がり、景色もぼんやり、路肩には薄らと正しく灰色の細かい火山灰が積っている様子がこの先の都城市まで続いていた。
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高原町のコンビニ駐車場の光景、薄らと火山灰が積ってるのが分かる。
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高原町の町並みは全体的にぼんやり、晴れでも、どこか霞んで、不明瞭な景色。
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都城市郊外から夕陽を見ると、普通じゃないことが分かる。
大噴火からすでに四日も経過していたことから、宙を舞う火山灰や火山礫を見ることは適わなかったものの、都城市内の降灰はそれが僅か1cmであっても、市民生活には大きな影響があるように感じられた。市民への実被害はほとんどなかったのかもしれないが、郊外の農村地帯では少なからずの影響があったはずである。
火山は観光資源として今やなくてはならないものである、一方で噴火の恐怖や降灰被害など、功罪半ばする切り離せない問題であるようだ。
当日は都城市内のショッピングセンターの駐車場で仮眠をとり、元の道を引き返したのであるが、中国自動車道の山口近辺でチェーン規制が出て、ノーマルタイヤのチャレンジャーで冷や汗をかきながらPAエリアに辿りつき、融雪するのを待機した、それでも日曜日の夕方には帰宅できた。数年前のこととはいえ、まだ体力も精神的なエネルギーも有り余っていた、懐かしく思い出される「新燃岳」である。

インターネット、便利であることには異論はないのであるが、これへの関わり合いを持ち始めたころからすでに10年ぐらいにはなるだろうか。2004年ころのデジタルカメラで写した写真がPCのホルダー内に少し残っていることからして、取っ付きは写真を整理することであったと思う。そのデジタルカメラもすでに数台は買い替えている。最初の機種はNIKONのCOOLPIXというコンパクトサイズのものであった。随分と遣いこんだものであるが、今から考えると随分と性能の劣るものであったことが分かる。スイッチをONにしても直ぐには起動しない、ようやくレンズフードが開き、撮影可能となるまでに十秒余り、これでは咄嗟のチャンスを失うことになる、事実何度ももっと早いのがあれば・・・と悔やんだことか。デジカメの進化の度合いは日進月歩、極端に言うならば、それこそ毎日のように各メーカーから次から次へと新機種が入門機からプロ仕様まで、何十台とリリースされていたのである。自分の初代機はその保存画素数は600万というもので、素人には十分過ぎるものであったが、この記録画素数は高級になるほど等比級数的に上昇するのが常であり、NIKON、CANON、SONY、PENTAX、OLIMPUSなど日本メーカーの独壇場、世界中の垂涎の的であり続けているのである。4千万画素を超え、今や万単位になるほどの画素数への執着には驚くばかりである。ノートパソコンの画面上で撮影済みの写真を観る限り、素人には五百万も五千万も見分けが付かないのである。二千万を越える保存を必要とするのは大画面にしたりする、商業用もしくはプロジェクターに投影し大勢で鑑賞する場合など、アマにはほとんど必要のない性能であると思う。
SNS
デジカメ、今まで全て店頭で実機を見ながら購入したことは一度たりともなく、数台の全部をネット上で購入している。しばらくはクレジットカードを持ってなかったので、「着払い」や「銀行振込」などを利用していたが、カードの利便性に負けて止むなくそれを利用することになったのだが、何かと便利でもあるが、不便でもあることを痛感しているのである。「認証」とか「ID」それに「PWパスワード」更には「秘密の質問と答」なんてのもある。10年以上も様々なネット利用をしていると、例えばfacebook、LINE、youtube、Yahoo、livedoor、googleなどのソーシャルネットワークサービスだけでもこれだけある、その全てにID、PWが最低必要であり、PWなどは定期的に変えるように勧告を受けるのである。ある日突然、これらのサイトに入れなくなるということも何度あったことか、その都度、何とかたどり着くのであるが、その際にPWを変更したり、IDを変えたりする場合もあり、そうした操作をしている内は鬼の形相であり、とても、全てを控え置くことが出来てないのである。目的は達するのであるが、途中経過をすっかり忘れ、後日、どれほど苦労しなければならないのか、その繰り返しに辟易する日々が続いている。まだまだある。銀行やクレジットカードの場合は更に手続は複雑であり、もし、PWなどを忘れようものなら、再発行には二週間もの日数を要するのである。セキュリティ上当然ではあろうが、手元に書面でそれが届く頃には、当初の目的を忘れるってこともあり、もうこうなると、自分の預金であっても、金庫に手が出せないという本末転倒の事態発生である。これらは自分だけに限らず多くのネット利用者に共通しているに違いないと思う。仮想の中での取引には万全を期すのが基本であろうが、それにしても面倒くさいものである。几帳面にその都度、IDもPWも変更経過を残すという地道な作業(これが一番の問題なのだが)をするだけで済むことなのに。




八月末辺りから、表題のような膨大な数の「迷惑メール」が自分のところに届くようになった。それまでも「迷惑メール」はひと月にして数十通は受信箱に溜まってはいたのであるが、どうも、心当たりがあるので、その辺の推測をしてみようかと思う。
その頃、期をいつにして、ネット上で旅行予約などを何カ所かでしたことがあるのだ。小生10月下旬ころから、念願の中国西域旅行をしようと計画し、ネットでホテルや鉄道、航空会社の予約をしたのである。当然、取引には自分の個人情報も「厳格に守秘されているのでご安心」とはいえ、記入せねばならないのはご承知の通りである。それが、それが以下の通り中文メールが入りまくり、二日か三日も放置しておくと、何と千件を越すほどになっているのである。ひとつ二つをピックアップして日本語に翻訳しても、意味があまり通じない、推定するかないが、どうも株とかFXなど投資に関するものではないかと思われる。連続して発信したりしているところから、金利の上下に敏感に反応しているのが分かったりする。自動的に迷惑メール箱に入るので、Yahooメールを使用するのに障害はないものの、気持ちが悪い、不快である。遣り取りしたメールの中で、在中国旅行社に帰路の鉄道を予約と支払い清算を依頼したのであるが、この旅行社とはひと月ほど遣り取り無く、10月に入ってから、行程変更に伴う、問合せをした直後から「迷惑メール」が一挙に押し寄せてきたのである。つまり、この旅行社の担当者IDから自分のIDが漏洩していることはほぼ間違いないのではないか。実害が発生したわけでもないが、やはり、情報管理上は大いに問題があることを軽視しているとしか考えられない。担当者は日本語を解する中国人であるが、その通信文面の細部は理解に苦しむような箇所がいくつかあり、それが理由で一度で済むはずの交信が三回四回と続いたのである。こうしたことを責めるつもりは微塵もない、対面で行う契約行為ではないので、こうしたことはある程度は覚悟して行うか、大手の日本の旅行社に依頼すれば事足りるのである。
迷惑メール
この画像は自分の迷惑メール受信箱に入ったものの一部である。左上の件数に注目すればこの時点で1085件となっているのが分かる。
中国では、インターネット規制が実施されており、日本国内で自由に使うことはできないらしいという
噂が拡散しており、旅行期間が短期間とはいえ、厄介やなあ、と内心感じていた。噂はどの程度のものかと自分で調べてみると、中国国内でも場所により、都市により、解放されているともあり、多くの利用者がほぼ問題なしとのレヴューを残しているのである。出たとこ勝負、そこで、中国国内用SIMをAmazonで購入、七日間で1380円、2GBまで対応というものである。
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起動してから七日間なので中国入りしてから利用開始しようと思う。空港内では公共Wifiが使えそうなので、翌日からになりそう。
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SIMカードはこの状態で、携帯挿入パレットがナノタイプなので、内側の部分を挿入する。

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