隗より始めよ・三浦淳のブログ

15年近く続けてきたサイト「新潟大学・三浦淳研究室」が、WindowsXPへのサポート中止により終了となったため、その後続ブログとして立ち上げたのが、この「隗より始めよ・三浦淳のブログ」です。 旧「新潟大学・三浦淳研究室」は以下のURLからごらんいただけます。 http://miura.k-server.org/Default.htm 本職はドイツ文学者。ドイツ文学内に登場する女性像について一般人向けに分かりやすく書いた『夢のようにはかない女の肖像 ――ドイツ文学の中の女たち――』(同学社、1500円+税)、そしてナチ時代における著名指揮者とノーベル賞作家の対立を論じた訳書『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング、2500円+税)が発売中です。 なお、当ブログへのご意見・ご感想は、メールで以下のアドレスにお願いいたします。 miura@human.niigata-u.ac.jp

読書と映画については★で評価をしています。☆は★の半分。
★★★★★=最高、★★★★=かなり良質、★★★=一読・一見の価値あり、★★=芳しからず、★=駄本・駄作

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今年映画館で見た104本目の映画
鑑賞日 7月20日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 米林宏昌監督作品、103分、アニメ。

 みずからジブリの後継者を名のっている米林監督。これまで『借りぐらしのアリエッティ』と『思い出のマーニー』という劇場アニメを世に贈っている。今回は英国のメアリー・スチュアートの作品を原作としている。

 訳あって伯母と暮らしている女の子メアリが、ふとしたことから魔女の力を手に入れ、そこから始まる冒険劇。

 ジブリの伝統を引き継いだ細かな背景の描き込みがいい。
 物語も途中までは悪くないが、終盤、やや尻すぼみになるのが惜しい。
 しかしジブリのいいところを守りつつ、そこに自分なりのオリジナリティを加えて、劇場用アニメを作り続けていって欲しいと思う。

 新潟市では全国と同じく7月8日の封切で、市内のシネコン4館すべてで上映中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。

 7月15日(土)は半年に一度の大形卓球大会の日。大形卓球クラブの主催で、東地区総合スポーツセンターを会場に、ダブルスの親善卓球大会が行われた。

 午前中と午後、それぞれパートナーを変えて、男女のペアが数ペアでリーグ戦を行う。私は今回は午前・午後とも1勝3敗であった。相手に花を持たせるフレンドリーな態度だったと言えるであろう(笑)。

 今回は、いつもよりリーグごとのペア数が少なかった。いつもなら7~8ペアあるのが、5ペアしかなく、そのため午前中は時間が余った。

 あと、大形卓球クラブの方々にはいつもお世話になっているので僭越ではあるが、「こうしてみては」という提案をお許しいただきたい。

 組む相手と所属リーグを決める抽選に時間がかかって、そのため試合時間が短くなっている現状を何とか改善出来ないだろうか、ということである。

 現行では男と女がそれぞれ1列になって受付と抽選の関門を通過しているが、これを男女ともそれぞれ2列にできないものか。

 現在も午後の抽選は所属クラブごとに行っているが、午前午後とも所属クラブ名の最初の音の五十音順で2列に分けられないものか。例えば「あ~そ」と「た~わ」という風に二分する。そうすると、「あすなろ卓球クラブ」は「あ」だから「あ~そ」の列に行き、私は「浜浦卓球クラブ」で「は」だから「た~わ」の列に行く、ということになる。こうすれば時間を半分にできるのではないか。

 あと、朝の受付では、会費納入受付と抽選の関門が近接しているため、どちらに並んでいるのか分かりにくい。会費納入受付と抽選の関門は場所を離してはいかがであろうか。例えばだが、会費納入はロビーで行うなど。

 以上、勝手な言い分ばかり並べたが、よろしくご検討をお願いいたします。

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今年映画館で見た103本目の映画
鑑賞日 7月14日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 台湾映画、エドワード・ヤン監督作品、119分、1985年。監督の没後10周年を記念して日本では初公開とか。

 同棲している男女を軸に、それぞれの過去のしがらみや現在の職場での苦労、他の異性との交流などを淡々と描いた映画。

 筋書きはいちおうあるが、筋書きよりは情感で見せるタイプの作品で、最初のあたりはそれなりかなと思って見ていたのだが、同じような感じで延々と続くのでしまいには飽きてしまった。情感で勝負するなら、タルコフスキーくらいの独自性を持たないとダメじゃないですかね。

 東京では5月上旬の封切で、新潟市では2ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて上映された。

・4月5日(水)  産経新聞インターネットニュースより。

 http://www.sankei.com/west/news/170405/wst1704050017-n1.html
 2017.4.5 08:02
 水族館ブームの中国へ、イルカ飼育技術輸出で研修生受け入れ 和歌山・太地町

 和歌山県太地町の町立くじらの博物館で先月から中国人の研修生がイルカの調教訓練を受けている。日本動物園水族館協会(JAZA)から4施設が退会するなど、新たな動きが出ているなか、この研修はイルカだけでなく、イルカのための技術も一緒に輸出しようという珍しい試み。成功すれば、“ビジネスモデル”としても注目されそうだ。(菊池昭光)

 研修を受けているのは、中国福建省から3月初旬に来日した20~30歳の女性2人、男性4人の計6人。

 昨夏、中国側から海をテーマにした複合的なレジャー施設を今年6月までに建設し、水族館も併設するためイルカの譲渡を打診された。中国は国土の面積に対して海岸線が短いため、中国人には海へのあこがれが強いといい、水族館建設がブームになっている。

 博物館側が14頭のバンドウイルカを譲渡することを快諾したところ、中国側は「レベルの高い日本の飼育技術を取り入れたい」と、飼育員の研修も要請してきた。

 くじらの博物館の桐畑哲雄副館長(57)によれば、イルカには個性があり、水槽や飼育員がまったく違うと戸惑うこともあるという。博物館の職員が中国に出向いて技術を伝達することも可能だが、むしろ留学して研修した方が効果的と判断、研修生の受け入れが決まった。

   研修生たちは1日3千円の研修費を払い、午前7時から夕方まで厳しいスケジュールをこなしている。主に、餌作りから始まり、動物の観察、イルカの飼育に取り組むクールを1日3回こなす。調子が悪くなったイルカの対応をしたり、いけすを移動させたりする突発的な仕事もある。宿泊施設に戻ると日本語の自習をするなど前向きだ。レジャー施設のオープンは6月から10月に延期されたため、少なくとも半年は研修が続く。

 ホテルの従業員だったという黄坤斌(ホアンクンビン)さん(24)は「海の知識とイルカの訓練技術を学びたい。日本の文化や言葉も勉強しています」と話した。

 桐畑副館長は「イルカの調教は簡単に学べるものではない。半年間の研修でベテランになるわけではないし、完璧な飼育というものもない。研修生には仕事への考え方も教えていきたい」と語る。今回の試みで良い結果が出れば、制度化することも視野に入れているという。


・4月13日(木)  産経新聞インターネットニュースより。

 http://www.sankei.com/life/news/170413/lif1704130036-n1.html
 2017.4.13 14:25
 相次ぐ協会退会で水族館が真相激白! 追い込み漁のイルカ購入禁止「デメリットの方が大きい」

 日本動物園水族館協会(JAZA)を退会する水族館が相次いでいる。JAZAが日本伝統の「追い込み漁」でのイルカ入手を禁じた騒動以降、5施設が退会。中には、JAZAが推し進めているイルカの繁殖に実績を上げてきた水族館の名前もあり、関係者に与えた衝撃は大きい。退会の決断に至った施設の内情を探った。(夕刊フジ・4月6日掲載)

 JAZAは国内の動物園や水族館で構成され、貴重な動物の保護や繁殖を目指す組織。このJAZAから退会を決めた施設の一部で、大きく作用したとみられているのが、国際組織の世界動物園水族館協会(WAZA)との間で生じた“軋轢”だ。

 WAZAは2015年、和歌山県太地町で行われているイルカの追い込み漁を「残酷だ」と問題視し、JAZAの会員資格を停止。JAZAは残留のため、追い込み漁で捕獲したイルカの購入を禁止した。

 JAZAは以降、繁殖中心へと舵を切ったが、3月31日付で退会を決めた下関市立しものせき水族館「海響館」(山口県)の石橋敏章館長は、「国が認めている漁法で捕獲したイルカの入手を禁じることは、イルカの安定的な飼育・展示に支障となる可能性がある」と語る。

 石橋氏によると、イルカを繁殖するには、一定の技術のほか、出産するイルカを手厚く保護する専用施設などの整備も欠かせない。だが、「繁殖専用のプールを持たない施設も多くある」などとして、繁殖が必ずしも順調に進んでいない実態があると指摘する。

 新江ノ島水族館(神奈川県)もJAZAの決定に不安を抱き、3月31日付で退会を決めた。

 同館はバンドウイルカの繁殖に日本で初めて成功した施設として知られる。すでに、繁殖により4世、5世のイルカが誕生しているといい、繁殖実績は高い。

 それでも、同館は「鯨類の繁殖研究を続けるには、地元(和歌山県太地町)の『太地いさな組合』などとの関係を維持していく必要がある。将来を見据えると、自然界から個体を入れるという選択肢は残しておきたい」と説明する。

 退会組の中には、JAZAに加盟することのメリットが薄れてきていると指摘する声もある。

 退会を決めた蒲郡市竹島水族館(愛知県)は、JAZAの一連の騒動以降、加盟施設がサイバー攻撃にさらされるリスクが高まっていると説明する。「うちは市の施設の一部であり、サイバー攻撃で万が一にも個人情報が流出すれば、取り返しがつかない。会員施設に課される負担などを考えても、JAZAの会員であることのメリットよりデメリットの方が大きくなっている」(同館)と退会理由を明かす。

 気になるのは、JAZAを退会するデメリットだが、ある施設関係者は、「実は各水族館はお互いにとても仲がよく、情報交換は日常的に行われている。一部の水族館がJAZAを退会したとしても、こうした人間関係が無くなることは考えられない」と話す。

 別の関係者によると、「JAZA退会で影響が大きいのは、どちらかというと動物園だ。一部の動物の入手が厳しくなる中では大きなネットワークに加入していることが重要になっている」といい、退会しても水族館への影響は限定的だという。

 JAZA退会の波はさらに大きくなるのか。


・4月24日(月)  産経新聞インターネットニュースより。
 
 http://www.sankei.com/economy/news/170424/prl1704240115-n1.html
 2017.4.24 12:25
 国際ハッカー集団の攻撃から1年:4月26日(水)主要配信会社から国内一斉配信!  捕鯨問題ドキュメンタリー映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』

 合同会社八木フィルム
 【アノニマス攻撃から1年…あの話題作が国内配信を皮切りに、いよいよ世界へ展開】

 ドキュメンタリー映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』は、2016年の劇場公開時には、捕鯨問題という作品テーマゆえに国際的ハッカー集団“アノニマス”に名指しで狙われ映画公式サイトのホームページ、さらには上映を公開した劇場のサーバーがダウンされ物議をかもした。海外ではセールスエージェントが付かず海外への展開が難航し、国内においても難色を示す劇場などが出て本作を観る多くの機会を奪われてきた。

 その事件から約1年が経過した今年、国内、外資系を含む主要な映像配信会社の16社が本作を4月26日(水)一斉配信し、手軽に本作を観る機会を得る事となった。
 日本国内での配信開始日は4月26日(水)から。全世界189ヶ国に今夏配信予定。

 この作品は2010年アカデミー賞を受賞した『ザ・コーヴ』に対するアンサームービーとなり、今回の全世界配信で国際ハッカー集団や反捕鯨団体はどのように反応するのか、動向が注目される。

<本作品配信会社>全16社
◇Netflix(国内&全世界189ヶ国・22言語にて配信予定)※但し、海外配信は今夏・3年間SVOD独占
◇iTunes Store ◇アクトビラ ◇Amazonビデオ ◇GooglePlay/YouTube(有料配信)
◇GYAO!ストア ◇クランクイン!ビデオ ◇J:COMオンデマンド(ビデオパス、ミルプラス等含む)
◇TSUTAYA TV ◇DMM.com ◇dTV ◇ひかりTV ◇ビデオマーケット ◇VIDEX.jp
◇U-NEXT ◇楽天SHOWTIME ◇LEONET

 詳細は八木フィルムまでお願いします。

 【お問い合わせ先】◆配給・宣伝:合同会社 八木フィルム 【八木】
 TEL:090-4120-4321 (専用回線) MAIL:behindthecoveJAPAN@gmail.com


・4月26日(水)  毎日新聞インターネットニュース、および産経新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20170426/k00/00e/040/236000c
 捕鯨 真実に迫る「ビハインド・ザ・コーヴ」ネット配信
 毎日新聞2017年4月26日 09時44分(最終更新 4月26日 09時44分)

  和歌山県太地町の鯨類追い込み漁を批判的に描いた米映画「ザ・コーヴ」に対する「反論映画」とされる日本のドキュメンタリー作品「ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る」(105分)が26日、有料番組としてインターネットに初めて配信される。上映予定だった映画館ではホームページがサイバー攻撃を受けるなど困難にも直面してきた。同日が50歳の誕生日という八木景子監督=東京都渋谷区=は「伝えたいのは、どちらが正しいということでなく、捕鯨問題の真実。ようやく広く見てもらえるチャンスに恵まれた」と喜ぶ。

 ザ・コーヴは2010年に米アカデミー賞を受賞した。これを機に国際的な反捕鯨の機運が高まり、国際司法裁判所が14年3月、日本に南極海での調査捕鯨の中止を命じた。

 八木監督が「ビハインド~」の撮影を始めたのは同年8月。勤務先の外資系映画配給会社の日本撤退に伴い退職を余儀なくされ、失意に陥っていたさなか、太地の追い込み漁のことを知り、撮影のため単身現地入りした。撮影は初めてだったが、4カ月間滞在して捕鯨の推進・反対両派に密着し、カメラに収めた。

 国内外で物議を醸したザ・コーヴの反論映画ということもあり、作品は上映前から国際的な注目を集めた。しかし、「ビハインド~」の公式ホームページが国際ハッカー集団「アノニマス」のサイバー攻撃を受けるなどして上映が思うように進まず、国内での上映館は昨年1月の封切り以降、15館にとどまる。自ら借金を重ねて配給や自主上映を続けてきたが、劇場から「関わりたくない」と断られるなど作品に対する厳しい反応に苦悩も深めてきた。

 自主上映を続ける中で、映像配信大手「Netflix」から提案があり、今回の初配信が決まった。

 八木監督は「捕鯨問題を複雑化させているのは反捕鯨側の責任だけではないと今は感じる。事実を知り、問題の背景にある原因を考えてほしい」と話している。

 作品はNetflixのほか、iTunesStoreやGooglePlayなど16社で26日、一斉に配信が始まる。今夏から海外向けに22の各言語でも配信される予定。【稲生陽】


 http://www.sankei.com/world/news/170426/wor1704260026-n1.html
 2017.4.26 13:38
 捕鯨会合でニュージーランド情報機関が日本を傍受か 一部報道にNZ政府は否定

 ラジオ・ニュージーランド(電子版)などは26日、過去の国際捕鯨委員会(IWC)の会合で、ニュージーランドの情報機関、通信保安局が日本代表団の通信傍受などを行っていたと報じた。米ネットメディア「インターセプト」が公開したスノーデン容疑者が持ち出した機密書類に記されていたとしている。

 同ラジオによると、得られた情報は反捕鯨の立場を取る米国などと共有していた。同ラジオの取材に、当時のニュージーランド政府代表は報じられた内容を否定した。

 2007年に米アンカレジで開かれたIWC会合で通信保安局は、捕鯨支持国への働き掛けをする日本の行動や、各国の反応について情報収集し、米国の国家安全保障局(NSA)に提供していたという。米英豪とニュージーランド、カナダの5カ国は「ファイブ・アイズ」と呼ばれる国際通信盗聴網を構築しているとされる。(共同)


・4月27日(木) 毎日新聞の報道(ネット上になし)、および産経新聞インターネットニュースより。

 捕鯨委でNZが日本の通信傍受 現地報道 (毎日新聞)

【シドニー共同】ラジオ・ニュージーランド(電子版)などは26日、過去の国際捕鯨委員会(IWC)の会合で、ニュージーランドの情報機関、通信保安局が日本代表団の通信傍受などを行っていたと報じた。米ネットメディア「インターセプト」が公開した、米中央情報局(CIA)元職員のスノーデン容疑者が持ち出した機密書類に記されていたとしている。
 

 http://www.sankei.com/west/news/170427/wst1704270034-n1.html
 2017.4.27 12:25
 「捕鯨の理解深めて」 追い込み漁批判の反証映画「ビハインド・ザ・コーヴ」世界へネット配信

和歌山県太地町で行われているイルカの追い込み漁を批判的に描いた米国映画「ザ・コーヴ」の反証映画として制作されたドキュメンタリー映画「ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~」のインターネット配信が始まった。八木景子監督(50)は「より多くの人に見てもらい捕鯨問題への理解を深めてほしい」と話している。

 ■太地町に4カ月

 八木監督は2014(平成26)年、国際司法裁判所(ICJ)で南極海での調査捕鯨について、日本側が敗訴した判決を契機に、捕鯨問題に関心を持った。

 同年夏には、反捕鯨団体からの批判の的となっている太地町を訪れ、撮影を開始。映画撮影は初めてだったが、4カ月滞在して関係者らの取材を重ねた。

 その後も「ザ・コーヴ」の監督や主要な出演者らに精力的に取材を実施。それらの内容を盛り込んだ反証映画を完成させ、第39回モントリオール世界映画祭に正式に出品した。

 ■サイバー攻撃

 映画は昨年1月から国内15カ所、米国などでも上映されたが、公開当初から国際的なハッカー集団「アノニマス」によるとみられるサイバー攻撃を断続的に受け、映画の公式ホームページが一時閲覧できなくなるといった被害を受けた。

 「標的にされたら困る」と国内の映画館や外国に映画を売り込む代理人に断られることもあったといい、八木監督は「反捕鯨の考えの人であっても映画を見たいという人もいる。反対の意見を知ろうとすることが大事ではないか。ネット配信がその機会になれば」と話している。

 映画は、米国大手動画配信会社「Netflix(ネットフリックス)」など16社が配信。今年夏には、22言語で世界に配信される。


 ・4月末発売の雑誌記事より                                        
 雑誌『Hanada』2017年6月号(4月末発売)に以下の論考が載った。
 【捕鯨は日本の文化】
 梅崎義人  反捕鯨は「国際世論」ではない

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評価 ★★★
 
 1990年以降に推し進められてきた日本の大学改革を若手研究者が批判的に吟味した論集である。私も90年代以降の日本の大学改革は大失敗で、むしろ大学をダメにしてきていると痛感しているので、一読してみた。13人の若手研究者の文章が収められている。

 以下、私の興味を惹いた部分に限定して紹介する。

 第一章は古川雄嗣の「PDCAサイクルは「合理的」であるか」である。
 私は不勉強でPDCAサイクルという言葉自体知らなかったのであるが、著者は冒頭、大学教育に携わっている者であればこの言葉を聞いたことがあるだろう、と書いている。スミマセン、聞いたことがありませんでした(汗)。

 もともと経営学の概念で、Plan、Do、Check、Actionのイニシャルをとった用語だそうだ。ある活動をこの四段階に整理することで、ものづくりの管理や品質管理を行うもので、それが2000年代になって教育に転用されたという。客観的な教育目標を設定し、その実現のための計画Planをたて、それを実効Doした結果を点検Checkし、次の目標や計画の改善Actionにつなげる、ということである。
 実際、2009年の大学基準協会の『新大学評価システムガイドブック 平成23年以降の大学評価システムの概要』では、PDCAサイクルの重要性が力説されているという。また教育学者の神藤貴昭も、教育活動にPDCAサイクルを導入するのは合理的だと述べているという。

 しかし、古川は本当にPDCAサイクルは教育活動に適用できるのかと問い、これに対する批判を紹介している。
 根源的な批判と思われるのは、このPDCAサイクルという考え方が、人間の行動はすべて刺激と反応の原理で説明できるとする行動主義心理学に基づいているという点である。はたして人間をそう捉えることが妥当なのか。モノ作りの品質向上を目指す経営の観点と、人間を育てる教育学において同一原理を用いることが可能なのか。この点で、経営学サイドからも疑問が投げかけられていることを著者は紹介している。
 それだけではない。実は経営学方面においてもPDCAサイクルという考え方には疑問が投げかけられている。80年代、欧米を凌駕した日本企業の管理方法を研究したアメリカ人学者は、日本がPDCAサイクルという考え方サイクルとはまったく異なる原理で営まれていると指摘していた。
 さらに、経営学で有名なピーター・ドラッカーの「目標管理」とは、いわゆるトップダウン方式を指すのではなく、むしろ逆であって、上位部門の目標とは下位部門の自己目標の総合としてある、ということだという。
 以上のような事柄を紹介した上で、非合理をも含む高次の合理性を大学は追求すべきだと著者は結論づけている。

 第二章では宮野公樹が産学連携について論じている。全体の紹介はしないが、大学の論文は公開が原則となっているのに、産学連携が進むと企業秘密に関わる研究が増えるため、大学のオープン性が損なわれるという指摘が貴重だろう。
 また、京大の山中伸弥教授がのちにiPS細胞につながる研究を開始したのは1980年代であり、このテーマで科研費採択がなされたのは90年代になってからのことだった。そして2016年段階でこの細胞はまだ産業化されていない。企業の想定する実用化までの時間とは、5~10年程度であり、それで言えば大学の研究と産業は到底ソリが合うとは言えないという。

 第三章は二宮祐「大学教育と内外事項区分論 「利益の供与」による行政指導の問題」である。
 ここで著者は、いわゆる大学設置基準の大綱化は、大学独自の判断と個性の発揮を目指したものであったはずだが、大学が自由に使える運営費交付金が減少の一途をたどり、他方で文科省の募集する補助金に大学が応募して資金を獲得する傾向が強まっている現状を指摘し、これは要するに文科省が大学の改革を一定の方向に誘導しようとするものであるから、大綱化の目的にはむしろ反する方策であると述べている。

 第四章は藤田尚志「パフォーマティヴの脱構築 デリダの『哲学への権利』における哲学的大学論」である。
 要するにデリダの大学論の紹介である。
 アメリカ合衆国では、多くの財団やさらには海軍も、直接的な利益や実用につながらない研究にそれなりに助成を行っている。デリダの議論は、しかしそれは人間のあらかじめ予期できない未来(実用につながると思われたものがすぐ役立たなくなる、実用からは程遠いと思われた研究から重要な実用的結果が生まれる)をあらかじめ組み込んだプログラムであると述べてもいる。デリダなのでその辺の議論は単純に進まないが、ここではこれ以上の言及はしない。(詳しく知りたい人は藤田氏の論考、さらにはデリダの論考を自分で読んで下さい。)
 また、何を評価するか、何を評価しないかについての研究こそが大事だ、というデリダの指摘は重要だ。(例えば日本なら、科研費の採択がどういう基準で行われているのか、或る年の採択は後から見た場合に妥当だったと言えるのかどうか、などをこそ研究すべきなのだ。)

 第八章は佐藤真一郎「理工系大学院の価値を問う」。
 日本の理工系では、修士課程はともかく、博士課程進学者が減っている。
 修士課程でも問題はあり、大学院生が教員の研究の手伝いをさせられていることへの不満がかなり強いという。研究成果が出ても、それは教員のものとなるからだ。
 ではなぜ大学院生にそれほど研究の手伝いをさせなければならないのか。日本の理工系大学では近年、技術系職員の数が減っているからだ。1980年と比較すると、その数は半減しているという。
 また大学への運営費交付金が減っており、その分、教員は外部から協奏的資金を獲得しなければならないが、そのためには研究報告だとか多数の書類を作らねばならず、つまり資金を獲得すればするほど余計な仕事が増える、という悪循環があるという。

 第十二章は堀川宏「古典語教育の可能性」である。
 古代ギリシャ語やラテン語を日本の大学で教えることの意義を説いている。同時にヨーロッパの古典語を日本人が習うことの大変さにも言及している。
 かつてラテン語を習ったことのある私も、何となくうなずきながら読んだのではあるが、こういう文章を読むと、新潟大学が全然無縁な場所に来てしまっていることを痛感する。著者は京大文学部その他の非常勤講師をされている方で、常勤職をもたない身で大変だなと思うのだが、新潟大学では古典語どころか、第二外国語(古代ギリシャ語やラテン語とは違い、現在の世界で多数の人間が使っている言葉である)教育もガタガタになってしまっている。さらには、英語の授業も減る一方である。
 著者はまだ大学がある場所にいるのだ。新潟大学は、すでに大学ではない。

 (なお、本書は私のなけなしの研究費を使って購入した本である。急いで読みたかったので消耗品扱いで買ってしまったが、後で大学図書館に寄贈しておくので、読みたい方はそちらでどうぞ。)

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今年映画館で見た102本目の映画
鑑賞日 7月14日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 イラン映画、ジャファル・パナヒ監督作品、82分、原題は"TAXI"。

 表現の自由が先進国ほど行き渡っていないイラン。パナヒ監督も上から映画監督禁止令を食らった身の上。そこで監督はテヘラン市内を走るタクシー運転手となり、車内に据え付けたカメラで乗客の人生模様を撮影する・・・。

 本作品はそういう手段で撮影された映像を編集して出来上がっている。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したとか。まあ、西側の映画人からすれば監督の反骨精神はすばらしいということになるわけで、私も共感するにやぶさかではないが、実際に偶然からタクシーに乗り込んできた乗客を撮影した部分がどの程度あるのか、よく分からなかった。

 監督の姪を学校に迎えに行く場面もあり、早熟らしい姪が映画について述べる部分は面白いのだけれど、逆に言うと意図的な編集じゃないかという気もする。他にも偶然(なのかな?)、監督とつながりを持つインテリ女性が乗り込んできて、イランの現況を伝えてくれる。

 東京では4月中旬の封切だったが、新潟市では3ヵ月弱の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定上映された。

 最近、私の住む住宅地で交通事故があった。小学生の男の子が60代の婦人の車にはねられて亡くなった。私の自宅から200メートル少々しか離れておらず、しかも私が朝夕の通勤時には必ず通る場所である。その日以来、現場には花がそなえられている。

 事故現場はいちおう十字路なのだが、信号はない。一方は住宅地全体を横切って走っている道路で、狭いながら歩道がついている。他方は普通車同士がどうにかすれ違える程度の狭い道路で歩道はない。男の子と車のいずれに非があったのかは、新聞記事でも「警察が調査中」としか書かれていないので不明。何にしても痛ましいことである。

 私も、運転免許は大学在学中にとったけれど、自分で日常的に車を運転するようになったのは結婚して子供が生まれた頃からだから、30歳を少し過ぎてからである。爾来、30年ほど車に乗り続けている。軽微な接触事故や追突事故は経験しているが、さいわい今のところ人身事故は起こしていない。しかし、それも運次第だなと思う。
 
 10年余り前だが、下手をすると大事故になりかねない経験をした。

 夜、自宅から5キロ程度離れた住宅街の中央を走っていた。往復2車線で狭いながら歩道も付いている直進道路である。やがて交差点にさしかかった。交差しているのは幹線道路で、往復2車線はこちらと同じだが道路幅も歩道の幅もこちらより広い。だから交差している道路のほうが言わば格上ではあるが、こちらも歩道付きの道路だし、また交差点には信号が付いていた。そして信号はこちらが青だった。

 ところが、である。こちらが交差点の20メートルくらい手前を走っていたとき、自転車に乗った中学生らしい男の子がふたり、猛烈なスピードで左から右へと交差点を横切っていったのである。私は仰天した。もしこちらが数秒早く交差点に入っていたら、ふたりの少なくとも一方は私の車にまともに衝突していたろうからだ。そうなれば、良くても軽傷、下手をすると人命にかかわる事態になりかねなかったのである。繰り返すが信号はこちらが青だった。しかし、恐らくは自転車でスピード競争をしていた男子中学生には、信号などは目に入っていなかったのだろう。彼らの無鉄砲さに私はぞっとした。

 これに限らないが、自転車利用者は概して交通マナーが悪いし、信号を守らない。
 自転車について、私はこれ以外にも事故になりかねない体験をしている。それについては書かないが、ともかく自転車に乗るに際しての運転マナーは小学校や中学校でちゃんと教えて欲しいと思う。

 しかし、人間、教えられたからその通りにするとは限らない。上述のような無鉄砲な男の子はどこにでもいるだろう。交通事故に遭うか否かは運次第、と私が思うのはだからこそなのである。

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7月9日(日)午後2時開演
だいしホール
2000円(前売)

 この日は午後から標記の演奏会に。
 いずれも新潟県内で活躍している音楽家による室内楽の演奏会。客の入りは半分と3分の2の間くらいか。私は右寄りのやや後方に席をとりました。

 クラリネット=伊奈るり子、ピアノ=山田美子、ヴィオラ=佐々木友子、チェロ=片野大輔

 モーツァルト: クラリネット三重奏曲(ケーゲルシュタット・トリオ)K.498
 ブルッフ: クラリネット、ヴィオラ(チェロ)とピアノのための8つの小品op.83から第2~4番
 (休憩)
 ブルッフ: クラリネット、ヴィオラ(チェロ)とピアノのための8つの小品op.83から第5~7番
 ブラームス: クラリネット三重奏曲op.114
 (アンコール)
 メシアン: 世の終わりのための四重奏曲から

 前半はクラリネット、ピアノ、ヴィオラによる演奏。ブルッフの曲は、私は初めて聴いたけど、なかなかいい曲ですね。
 後半は、ブルッフの曲を今度はヴィオラをチェロに変えての演奏。ヴィオラでもチェロでもどちらでも弾けるように曲が作られているとのこと。いずれにせよ、知られざる名曲だなと思いました。

 最後がブラームス。なかなか実演では聴く機会がない曲ですが、私はわりに好き。少なくとも同じブラームスのクラリネット五重奏曲よりは好きなんですが、解説によるとブラームス自身もそうだったとか。もっとも、私としては2曲あるブラームスのクラリネットソナタはもっと好きですけど。いずれにせよ、充実した演奏で楽しむことができました。

 新潟県内の演奏家のレベルも上がっていて、少なくとも室内楽ではそれなりの演奏会が開かれるようになっています。今後も色々な曲を取り上げてほしいもの。

 アンコールにメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の一部が演奏されました。この曲をやろうと提案されたとき、「マジすか?」と聞き返してしまった、と片野氏は言っておられましたが、たしかにそう言いたくなりますよね。でも、次回はいっそ全曲演奏に挑んでみては(←マジすか?)。

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今年映画館で見た101本目の映画
鑑賞日 7月8日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 アメリカ映画、ヨアヒム・ローニング+エスペン・サンドベリ監督作品、129分。2D字幕版にて。

 ジョニー・デップが海賊ジャック・スパロウを演じる「パイレーツ・ソブ・カリビアン」シリーズの第5作。もっとも前作から6年もたっているので、久しぶりの感は免れない。ハリウッドも新しいアイデアや俳優で映画を作るのが難しくなっているのかなあ、なんて思いながら鑑賞。

 内容的には特に目新しいところもなく、ジョニー・デップの海賊ももともと猛々しい勇猛果敢な、いかにも海賊風のキャラクターではないから、そういうつもりで見ていればほどほど面白いかな。

 少し興味を惹くのは、女学者の役で登場するカヤ・スコデラーリオ。私好みの美人ですね。でももう少し脚本に工夫をすればもっと魅力が出たのではないかと。

 新潟市では全国と同じく7月1日の封切で、市内のシネコン4館すべてで上映中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。

評価 ★★★

 ジュヴナイルをテーマとする授業で学生と一緒に読んだ本。
 山中峯太郎(1885~1966)は陸軍軍人をへて、作家・翻訳家となった人。戦後はシャーロック・ホームズものの少年向けリライトなどで知られていた。
 本作品は1932年(昭和7年)から33年にかけて雑誌『少年倶楽部』に連載されたもの。

 山中が本作の1年前に『少年倶楽部』に連載した『亜細亜の曙』と同じく本郷義昭・陸軍少佐が主人公。満州(満州建国は本作連載開始の直前だった)を舞台に、日本を陥れようとするユダヤ人の国際的な陰謀に立ち向かうという筋書きである。

 タイトルになっている大東の鉄人とは、白ヒゲの謎の老日本人で、作品の最後でその正体が明かされるが、日露戦争で戦死した実在の軍人が実は生き延びて・・・という設定になっている。つまり中国大陸に日本側が根拠を持ったのは日露戦争のときで、満州建国はその延長線上にある、という歴史観が根底にあるわけだ。なお日本軍人以外にも、中国側の実在の将軍名などが多数出てきており、著者が当時の中国大陸の軍事的情勢を或る程度ふまえた上で執筆していることが分かる。

 少年小説なので日本人少年もそれなりに活躍するようになっている。また日本人の味方としてはドイツの将軍やインド人の王子などが登場する。ユダヤ人はこれとは逆に、白人をけしかけて日本を攻撃させようとたくらむ悪の根源として描かれている。

 上述のように実在の人名が多数出てくるし、満州の地名も実在のものが多く出てくるのでそれなりにリアリティはあるけれど、他方でユダヤ人が「ユダヤ語」を話したり、インド人王子が「インド語」を話したりという記述にはちょっと笑ってしまう(でも学生は変と思わなかったらしい・・・もっと勉強しようね)。

 ラストでは日本側が窮地に陥るが、新発明の「活人光線」ですべてが解決する、というのはやや安易な感じが。また登場人物はすべて男で、名前の明らかになる女性はひとりも出てこない。

 シネマヴェーラでミュージカル特集2本立てを3日連続して鑑賞。今回紹介するのは、最後の3日目。これを見てから新潟に戻るために東京駅に向かいました。

若草の頃
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今年映画館で見た99本目の映画
鑑賞日 7月4日
シネマヴェーラ渋谷
評価 ★★★★

 ヴィンセント・ミネリ監督作品、1944年、112分、カラー・スタンダード、原題は"MEET ME IN ST.LOUIS"。

 時代は20世紀初頭のセントルイス。そこで暮らしているスミス一家のファミリーストーりー。夫婦と息子1人娘4人、それに女中1人という家族構成。話の中心になるのは次女(ジュディ・ガーランド)で、隣家の息子と仲良くなるという筋書きはオールコットの『若草物語』と似ている。ただし父親が家庭内にいるところが異なっているけど、邦題はオールコットの小説を意識して付けたのかも知れない。

 クリスマスやハロウィーン、当時実際にセントルイスで行われた万国博覧会の話題、など、色々なエピソードが出てきて、歌のシーンも自然かつ充実しているし、セントルイスという都市の魅力も伝わってくる。

 最後近くで一家は、父の栄転によりニューヨークに引っ越すことが決まるが、しかし家族が実は大都会に移ることを歓迎していないと察した父は、一転してセントルイスにとどまることを決意。いいお父さんですね。大都会よりほどほどの都市に暮らすのが幸せ、という思想もほの見えるかな。

 本作は、戦争中のアメリカで明るいムードの娯楽映画として大ヒットしたとか。現代の日本で見ても、その魅力は十分に伝わってくる。


シンコペーション
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今年映画館で見た100本目の映画
鑑賞日 7月4日
シネマヴェーラ渋谷
評価 ★★★

  ウィリアム・ディターレ監督作品、1942年、88分、モノクロ・スタンダード。

 20世紀初頭のニューオーリンズで、富裕な家庭の令嬢(ボニタ・グランヴィル)がラグタイムに魅せられる。やがて彼女は父とシカゴに引っ越すが、婚約者の青年を第一次世界大戦で失いながらも、音楽好きの別の青年を応援して・・・というようなストーリー。ジャズを演奏したばっかりに裁判にかけられるという筋書きが今からすると驚愕。これとは別に、ニューオーリンズで黒人少年がバンドに雇われて、という副筋が盛り込まれているが、こちらが後半あまり展開されていないのが残念。その点で、ジャズ史を扱った映画ながら、白人中心的な内容になっているのは時代の限界か。2日前に見た『ニューオリンズ』に及ばないのが残念。

 シネマヴェーラのミュージカル特集、実は上京するまでは3日間も通う予定ではなかった。ところが上京して二日目の7月2日に見た『ニューオリンズ』と『姉妹と水兵』に強烈な印象を受けて、結果として3日間通うことになった。お陰で新作を見損なったりしたけれど、シネマヴェーラの存在は貴重だと改めて思ったことであった。邦画の企画物は他の名画座でもやっているけれど、洋画でこういう特集を組んでくれるところは他にない。さいわい、客もわりに入っていることだし、今後も同様の企画を続けてほしいものである。

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評価 ★★★☆

 大学院の授業で学生と一緒に読んだ本。といっても中国人女子留学生ばっかり3人を相手にですけど。著者は1951年生まれ、多摩美大卒、ジャーナリスト。

 副題にあるように、ハリウッド映画でアジア人がどのように描かれているかについて詳細に調べて論述した本である。
 「はじめに」で著者はアジア系移民が長らく米国で差別されてきた事実に触れている。アジア系移民の一世に帰化権が認められるのは1952年になってからのことなのである。
 また、アメリカ映画に出てくるアジア人は長らく「オリエンタル」と呼ばれ、それが「エイジアン」という言い方に改められたのは1960年代後半になってからのことだった。「オリエンタル」は言うまでもなく西洋のオリエンタル趣味がバックになっている。ミステリアス、エキゾチック、犯罪的、といった東洋人イメージと結びついた表現なのだ。

 また、映画で東洋人を演じる俳優は、アジア系の俳優が演じる場合と、いわゆる白人俳優が演じる場合とがあった。本文でも言われているが、白人俳優は他にも、ミンストレルショウで黒人を演じたり、西部劇でインディアンを演じたりする場合が珍しくなかった。そして、米国人(白人)にとっての黒人イメージ、インディアン・イメージ、そして東洋人イメージを再現できるのは、むしろ白人俳優だったのである。その場合の「(黒人・インディアン・アジア人)イメージ」とは、むろん実態に即したものではなく、白人がろくに知識もないまま勝手に想像したものに過ぎない。

 さて、米国映画にアジア人が初めて登場するのは1914年、『タイフーン』という映画における早川雪洲をもって嚆矢とする。彼は本来は留学生として渡米したのだが、やがて芝居に凝り始め、映画にも出るようになる。役どころは、スパイ行為に従事する外交官というもの。これはそれ以前の欧米演劇で定番だった「お菊さん」「蝶々夫人」といった日本人像に比べれば近代的だったが、しかし明治維新によって近代化路線を歩んでいた日本人が欧米においてどのように見られていたかの一端を示すものでもあった。

 そしてこれに限らず、米国映画における日本人や中国人は、悪役であったり、そうでない場合は東洋的な不思議な能力を持つ人物と設定されている場合が圧倒的に多い。そして東洋人と言えば外見的には吊り目と決まっていて、白人俳優が東洋人を演じる場合も吊り目にすればそれらしく見えた、というのだから思い込みの強さは恐ろしい。

 戦時中のプロパガンダ映画についても一つの章(第三章)が割かれている。そこでは日本人は悪として、中国人は善として描かれている。キャプラなど後世に名を残す監督もプロパガンダ映画に手を染めている。
 またこの点でのハリウッドと米国政府の関係について注意したいのは、映画界のほうがむしろ露骨なプロパガンダ映画製作に邁進していた、という事実である。米国政府はワシントンに戦時情報局(Office of War Information、OWIと略記)を作り、「敵は単にドイツ人、日本人、イタリア人なのではなく、ファシズムそれ自体である」として、それなりの配慮を求めた。しかしこのガイドラインはハリウッドにあっさり無視される。20世紀フォックスが作った『リトル・トーキョーU.S.A.』は、米国に住む日系人はすべてスパイであるから強制収容所に入れられて当然、という内容であった。OWIは内容の変更を要請したが、日系人強制収容所は政府の政策だとしてハリウッド側はつっぱねる。このため、OWIでは脚本の段階から映画のチェックをしなければならないと考えるに至ったという(108ページ以下)。また同じ敵国でも、ドイツ人は米国人と対等な敵手として描かれるが、日本人は残忍卑劣な人間として描かれていた(115ページ)。

 中国人は戦時中は米国の友人として描かれていたが、やがて戦後になって中国が共産主義国家に変貌すると、一転して米国の敵として描かれるようになったという指摘もある。大衆文化である映画は、時代に迎合する存在でもあったということだろう。

 このほか、東洋人女性が「蝶々夫人」「ゲイシャガール」としてしか描かれない傾向や、ヴェトナム戦争以降もアジア人をあくまで群れとしてしか描かない傾向について詳しく触れている。

 全体として、日本で公開されていない映画にまで手を広げて数多くの映画作品を紹介しており、作品分析もおおむね冷静公平で、労作というに足りる書物であると思う。

 ・・・が、最後に私なりの不満を述べておく。
 本書は1993年に出版されている。つまり、日本の国力がバブルで頂点に達した直後である。一方でバブル経済ゆえの浮ついた雰囲気が日本にはあり、他方でしかし明治維新以降長らく日本人(特に知識人)に見られた欧米への劣等感が消えた時代でもあった。
 しかしそうした時代背景から見ると、本書での著者の視点は驚くほど旧弊なのである。これは、上述のように個々の映画作品の分析が冷静でフェアであるだけに、いっそう奇妙に映ると言わざるを得ない。

 例えば、バブル経済期の日本を見て、世論調査で「世界制覇を狙う日本人」という答えを出した米国人が72パーセントに及んだというニュースに接した著者は、かつての米国映画の日本人イメージとそれが同じであることを述べた後、「戦時中はともかく、現在に至っても日本がいかに自己表現に劣っているかという証拠にはなるだろう」という驚くべき感想を述べている(136ページ)。
 「自己表現」? 日本の政治家は演説が下手だ、といった話ならともかく、本書は映画の本である。いったい日本で映画が作られていないとでも言うのだろうか。いや、日本は戦前から戦後にかけて多数の映画を作ってきた。多数の日本人映画監督が多数の日本人俳優を使って「自己表現」をしてきたのである。著者はそんなことも知らないのだろうか? 映画による日本人の自己表現を米国人が知らないとすれば、それはいったい誰の責任だろうか? 日本人は戦前戦後を通じて欧米の映画を多数鑑賞することによって彼らの「自己表現」を勉強し取り入れてきたわけだが、米国人も同じことをすべきだと著者はなぜ言えないのであろう? 米国人の不勉強は、いったい日本人の責任だろうか? 

 これはこの箇所だけではない。153ページでも著者は同じような無知をさらけ出しているし、195ページでは以下のような坂本龍一の言葉を無批判的に引用している。
 「インタナショナルな映画でね(中略)登場するのは、残酷な日本兵ぐらいしかないわけですよ、戦後45年たっても。何もしてないんだから、世界で、日本は」
 何もしていないのは日本人ではなく、欧米人のほうであるという事実をまったく見抜くことができず、こうした一見分かった風なことをぬかす半インテリが、いちばんタチが悪いのである。坂本龍一のような存在は世の中にとって百害あって一利なしと言うべきであろう。

 これに比べれば、俳優の小林薫ははるかにまともである。彼はリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』への出演依頼を受けたが、結局断っている。それは以下のような理由からだった。
 「ライターも本を書く前に一回も日本に来て取材していないことにも驚いた、そんなの失礼ですよ。僕は言ったんです、お前らは、別の意味で差別主義者だって、僕達がアメリカを描く時はもう少し勉強するって。物凄く馬鹿にされたように感じた。日本人はエイリアンじゃないって。その論理はベトナム戦争映画はインディアン映画を作る視点と同じでしょう。」
 不思議なことに、著者は小林薫の洞察を鋭いと言って褒めている(276ページ)。ならば坂本龍一は阿呆だと評すべきだろうに、矛盾に気づかないのは困ったものである。

 こういうことに関して日本の(半)インテリがいかにダメか、本書からもう一例引用しておこう。1980年代後半に作られたヴェトナム戦争映画について、「ヴェトナム側が描かれていない」という批判があるが、これについて川本三郎の次のような発言を著者は引用している。
 「『ディア・ハンター』も『プラトーン』もベトナム側が描かれていないからこそいいのだ。多者を理解することがいかに困難かと苦痛に満ちて語っている人間に、第三者がのこのこあらわれて他者を理解しなさいなどということがいかに傲慢で、かつ、のんきなことかということをどうして考えないのだろう。(中略)『プラトーン』ははっきりとそして哀しみをこめて「殺す側」に立ってしまった自分たちのモラルの敗北を見つめた映画だ」
 ヴェトナム戦争映画が登場した時点でなら、こういう言い方にも一定程度説得性があったかも知れない。しかし21世紀に生きるわれわれは、その後の米国映画が米国が中東で行った戦争を扱う場合にどうしたかを知っている。今から見れば、川本三郎より小林薫の発言がはるかに的を射ていたことは明白ではないか。

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今年映画館で見た98本目の映画
7月4日
角川シネマ新宿
評価 ★★★★

 新宿の角川シネマで大映映画の女優特集をやっていたので鑑賞。15~20年くらい前にも東京のどこかの名画座で見た記憶がある。増村保造監督作品、94分、1969年。

 浅丘ルリ子演じるミチという女の生き方を描いた映画。冒頭、ミチは某私大理事長室にねじこんで、あんたのどら息子に犯された、どうしてくれると脅しをかけている。理事長の女婿でもある秘書の石堂(岡田英次)が解決の交渉にあたるが、それまで画家志望の青年・加納(川津祐介)と同棲していたミチは、中年男・石堂の堅実な性格に惹かれ、加納を追い出して石堂と同棲するようになる。しかしミチの男好きはそれで収まらず、やがて石堂の年の離れた妹の婚約者・秋月(伊藤孝雄)を誘惑し・・・

 浅丘ルリ子の美貌と女体(ただし胸と腰は下着で覆ってますけど)が堪能できる映画。同時に、女の魅力と嫌らしさがこれでもかと言うほど表現されている。ヒロインを演じた浅丘ルリ子の健闘ぶりをほめるべきであろう。今どきの女優も浅丘ルリ子に負けないように頑張りましょう(笑)。

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7月3日(月) 午後7時開演
東京芸術劇場
3階E列22番 Bランク 8000円

 今回上京して聴いた3つ目の音楽会。

 チケットはあらかじめイー・プラスで購入しておいたのだが、むしろ当日券で入ったほうが良かったと思った。Bランクにしたのはカネがなかったからではなく、SでもAでも構わなかったものの、パソコンで予約しようとしたところ、イー・プラスで割り当てられた席がランクのわりには良くなかったので、ならばいっそ3階だけど左右で言えば中央に近いBランクのほうがと考えたもの。しかし当日の3階席はガラガラ。1列目は或る程度埋まっていたが、私のいる5列目との間の2~4列目は誰も客が入っていない。5列目になっていきなり客が並ぶのは、もしかすると4列目まではAランクだったからかも知れないが、イープラスで割り当てられたAランクの席は2階ながら左端最後尾だったので、それなら当日券で3階1列目を選んだほうが、と無念な気持ち。

 どうも、コンピュータによる座席の割り当てには問題が多い。以前も日生劇場のオペラで1列目の左端を割り当てられ、同ランクなら少し後ろの席の、少なくとも端っこでない座席が空いているのに、ケシカランと思ったものである。なぜその時点で空いている指定されたランクの最上席をコンピューターは割り当てられないのか。興行側はもっと考えてもらいたい。これではネットで予約することをためらうクラシック・ファンが増えるばかりだと思うが。

 話をこのコンサートに戻す。入りは1階はまあまあだったが、2階はよく見えなかったものの、端のほうはがらがらであった。

 指揮=ユーリ・シモノフ、ピアノ=上原彩子、ヴァイオリン=大谷康子

 ショスタコーヴィチ: ピアノ協奏曲第1番
 プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲第1番
 (休憩)
 チャイコフスキー: 交響曲第6番「悲愴」
 (アンコール)
 チャイコフスキー: バレエ音楽「白鳥の湖」から

 シモノフはロシア人としては小柄。
 弦の編成は、遠目なのでヴァイオリンとヴィオラは違っているかも知れないが、協奏曲と交響曲で差はつけず、左から第1ヴァイオリン13、第2ヴァイオリン12、ヴィオラ9、チェロ8、コントラバス6。

 何しろ後ろのほうの座席なので、ちゃんと聞こえるかなと心配していたのだが、むしろ響きの良さが感じられて、また遠いためにオケの各楽器の音がよく融合して聞こえた。
 最初のショスタコーヴィチ。上原さんは赤いドレス。この曲、私はあまり好きではないのだけれど、けれん味の多い(?)ショスタコーヴィチの曲を特に気張るでもなく、素直に弾きこなしていた、という印象だった。
 オケは、やはり金管がすごい! 突き抜けるような強烈な音は、日本のオケにはちょっと真似ができないシロモノ。

 二曲目のプロコフィエフ。大谷さんは東響のコンマスを辞めてから聴く機会がなかったので、久しぶりの感じ。緑のドレスで登場。
 上にも書いたように、座席が遠いので、ピアノならともかく独奏ヴァイオリンはちゃんと聞こえるかなと案じられたのであるが、杞憂であった。響きよく、しっかりと聞こえてくる。私の好みもあるだろうけど、ゆっくりとした楽章の表現力がことのほか素晴らしい。東響を辞めても相変わらずの実力派、新潟でもまた演奏会を開いてほしいもの。

 後半のチャイコフスキー。特に前半の2楽章はゆっくりとしたテンポ。ゆっくり歌わせるというより、どこか醒めた感じがした。第3楽章はさすがに盛り上がったが、全体を通して聴いて、曲からちょっと距離をおいて冷徹に見つめているような印象が残った。うーん・・・。

 ここまででもヴォリュームたっぷりのプロであるが、ほんの数分とはいえアンコールをやるところがすごい。もっとも、アンコールが済むと、シモノフはすぐコンマスの手を引いて退場し、他の団員もそれに続いて退場。終演は9時15分。途中の休憩は15分。団員も大変だなと思ったことであった。 

 7月2日に続いて、シネマヴェーラでミュージカル特集の2本立てを見た。まとめて紹介する。

ストライク・アップ・ザ・バンド
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今年映画館で見た96本目の映画
鑑賞日 7月3日
シネマヴェーラ渋谷
評価 ★★★

 アメリカ映画、バスビー・バークレイ監督作品、120分、1940年、モノクロ・スタンダード。
 ガーシュイン作曲でブロードウェイでヒットしたミュージカル(1927年)を映画化したものだそうだ。

 主演はミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランド。と言っても、後者はともかく、前者は日本ではあまり知られていない。というか、私は知らなかった。1920年生まれで親が芸人だったために小さい時から子役として映画などで活躍し、この映画が作られた時はちょうど二十歳で、ジュディ・ガーランドと組んでミュージカル映画にたびたび出演しており、人気があったという。ただ、アメリカ人男性としては小柄で、この映画で見てもジュディ・ガーランドのほうが明らかに背が高い。ウィキペディア日本語版はルーニーの身長を160センチとしているが、英語版は157センチとしている。オードリー・ヘップバーン主演で名高い映画『ティファニーで朝食を』でおかしな日系人ユニオシを演じているのがルーニーだと言えば、なるほどと思う日本人も多いだろう(私もそう)。

 さて、本作品は高校生としてバンドリーダーをやりながらドラムも担当しているジミー(ミッキー・ルーニー)が、ガールフレンドのメアリー(ジュディ・ガーランド)の助けを借りながら夢を実現していく物語。

 当時有名だったバンド・リーダーのポール・ホワイトマンが本人役で、また彼のバンドも登場しており、演奏を披露している。ほか、ルーニーの演奏シーンやガーランドの歌唱シーンもあって、音楽的には充実している。ただし筋書き的には、きわめて予定調和的で、特に最後のあたりはあっけない。

 なお、字幕の訳がお粗末。Dukeを男爵としたり、Louis ⅩⅥ.をルイ14世としたり。


青春一座
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今年映画館で見た97本目の映画
鑑賞日 7月3日
シネマヴェーラ渋谷
評価 ★★☆

 アメリカ映画、バスビー・バークレイ監督作品、91分、1939年、モノクロ・スタンダード、原題は"Babe in Arms"で、同名のブロードウェイ・ミュージカルの映画化。

 上で紹介した「ストライク・アップ・ザ・バンド」と同じ監督で、主演二人も同じミッキー・ルーニー(作中ではミッキー・モラン)とジュディ・ガーランド(パッツィ・バートン)である。

 ふたりはともに芸人の子という設定。時代の変化により親たちは興業での人気が凋落し、地方巡業に活路を見出そうとしている。それに対し、子供の世代のふたりは何とか新しい歌や出し物で人気を盛り返そうと提案するが、親たちには受け入れられない。
 しかし地方興行に出た親たちの舞台は受けず、ミッキーの父は廃業を考えるが、若い世代の舞台は人気を呼び、やがて親たちを呼んで・・・とハッピーエンドになる。

 筋書きがご都合主義なのはミュージカルの通例だから仕方がないが、本作はそれを計算に入れてもなお展開がごたごたしている感じがある。音楽は悪くないが。

 アメリカは神の国だとか、独裁者は要らないだとか、日中のチェス合戦(笑)の調停を米国大統領がやるべきだといった、当時の世界情勢を反映した文句が最後近くにやたら出てくるのもちょっと興ざめ。ラストにはアメリカ国旗が出てくる。

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 (昨日の続きです。)

 永渕康之「文化的権威の歴史化とその開示 ――バリにおけるヒンドゥー、法、カースト」は、ヨーロッパの文化研究と植民地支配、および植民地が独立後に持つ文化的自己像との微妙な関係について貴重な示唆を与えてくれる(212-238ページ)。
 現在インドネシアの一部となっているバリ島では、ヒンドゥーの宗教文化が伝統的で本質的なバリ文化としてまかり通っている。オランダによる植民地支配が終わって久しい現代、バリ島のこうした姿ははたしてそう信じられているように植民地支配が始まる以前の本質的なものと言えるのだろうか。
 バリ島北西部にはかつて二つの王国があったが、1840年代にオランダは武力制圧を行い宗主権を認めさせた。その後、1882年にバリ島とその隣のロンボク島がひとつの行政区域となり、バリ人の定義づけがなされた。それによると、バリの原住民、イスラム教徒のバリ人、そしてバリ人以外の東洋人と分けられ、バリの原住民はヒンドゥー教徒とされた。そして法制度はヒンドゥー教の「古くからの宗教法」にのっとって構築された。司法官にはバリ人の祭司をあて、この司法官と司法係官が構成する原住民裁判所を設け、司法官と司法係官の任命権をオランダ人総督が握った。ただしヒンドゥー教徒以外の住民(イスラム、中国系など)はこの宗教法支配の外に置かれた。
 バリ島をヒンドゥー的世界とする見解は、当時のオリエンタリスト(オリエントを研究する学者、およびオリエントに関する言説を生産する者、というサイード的な用法と著者は断っている)の研究によっても支えられていた。しかし1882年に原住民のために作られたヒンドゥー的な法制度は、実際に当時原住民の間で使われていたものではなく、過去の法により作られたのである。当時のライデン大学ジャワ学の教授が、自学に保存されていたジャワ語(バリ語ではない)の文書を大英博物館の文書と比較した上で修正し、作り上げたものであった。つまり、オリエンタリストが過去の文献を復元して再構成した文書が現地で原住民のために使われることになったのである。
 バリ島のヒンドゥー文化は、ジャワ島のヒンドゥー文化がイスラムに押されて消滅し、かろうじてバリ島に移ってそこで保存されたものと見なされていた。バリ島にはもともとヒンドゥー文化はあったが、ジャワ島のそれとは異なっていたとされる。またバリ島の祭司にはジャワ語の文献は読解が困難で、オランダ人学者によるバリ語への翻訳が不可欠だった。当時のバリ島祭司がジャワ語を読めないという事情はヒンドゥー文化の衰退を暗示するものだが、それがヨーロッパのオリエンタリストによって「復興」(もしくは捏造)されたのであった。
 また、ヒンドゥー文化はカースト制度と切り離せないが、オランダはバリ島を支配するにあたってもカースト制度を利用した。最上位の王の位置に自らを置いたのである。しかしカースト制度はバリ島にもともとあったとはいえ、必ずしも厳格なものではなく、オランダ支配以前には称号を持たない(つまりカースト上位でない)人間でも地域の長になっていたものが、オランダの支配と共にカースト制度は強化され固定的なものになっていった。つまりオランダこそがカースト制度を強化し固定化した張本人だった。
 1950年代に植民地時代は終わりを告げ、バリ島はインドネシアの一部として独立した。しかし独立してかえってヒンドゥーをバリ島全体の文化とする見方が強まった。もともと西欧人のオリエンタリストから始まったバリ島文化の本質をヒンドゥーとする見方は、バリ人に転位し、他者による表象は自己表象となったのであった。
 注で著者は付け加えている。多数民族から成るインドネシアが一つの独立国家となり得たのは、オランダによる植民地支配を受けたためだった。その支配からの独立がインドネシアという国家の基盤であるが、国家の基盤が植民地統治にあると認めれば、逆にインドネシアという国家の正統性を疑わせることにつながってしまう。とすると、植民地統治以前に偉大な文化が存在したと言わなくてはならず、そうした偉大な文化とされるものの一つがヒンドゥーなのである。つまりヒンドゥーはそうした逆説的な状況におかれたインドネシアという国家が必要とする文化装置なのであり、しかしその装置を提供したのは、植民地統治を行ったオランダのオリエンタリストだったというさらなる逆説が存在するということなのだ。

 松田素二「植民地文化における主体性と暴力 ――西ケニア、マラゴリ社会の経験から」は、植民地化の語りについての優れた洞察を提供している(276-304ページ)。
 アフリカの植民地化については、かつては単純な二分法が用いられていた。抑圧者(ヨーロッパ)と被抑圧者(アフリカ)という二分法であり、また現地の対応について言えば、ヨーロッパ化に対応して受容していこうという方向性と、古き良き地元の文化を伝統と捉えて回帰しようという方向性とに二分された。
 しかしこうした二分法的な見方は転換を余儀なくされる。ヨーロッパ人支配における現地人の労働も、強制された奴隷労働という見方だけでは捉えきれず、自主的な賃金稼ぎと生活向上を目指す戦略といった見方も生まれてきたし、現地人首長のヨーロッパへの対応にしても抵抗と服従の狭間にあって多様な様相を示していたと見られるようになったからである。ニューヒストリーやカルチュラル・スタディースといった新しい流派は、従来のマクロ的・集団的な視点を、個人・下部へと向けて硬直化した近代主義的な視点を脱しようとした。
 けれども、植民地主義にあって、あくまでヨーロッパは抑圧した側であることに変わりはないのであり、アフリカ側の対応をヨーロッパ側と同じ土俵に載せることはできない。アフリカ側の主体性は、あくまで受容を強いられた中での自主性に過ぎないのである。
 さて、西ケニアが英国に支配されるにあたって、当初は英国側の態度はいささかも暴力的ではなかった。しかしやがて暴力による制圧に至ることになる。英国による西ケニア支配は4段階に分けられるという。共存期(1889-95)、優位期(1895-97)、制圧期(1898-1900)、そしてそれ以降のコントロール期である。制圧期にあって、英国側出兵の最大の理由は現地人の賦役拒否であった。賃労働という考え方に馴染まない現地人を奇妙だと、英国側の行政長官は述べている。
 しかし、コントロール期に入ると懲罰的出兵は必要なくなる。キリスト教会が支配装置として入ってきたからだ。キリスト教会は現地人の祖霊崇拝を禁止しキリスト教の教義を広めると同時に、賃金労働という考え方を現地人に受け入れさせていった。やがて宣教助手として熱心に宣教にあたる現地人(ミッション・ボーイという)も続々と生まれていく。彼らは現地の伝統や習慣を遅れたものとして排撃し、代わりに白人のために賃労働することを文明の名において推奨した。そしてケニアにおける白人世界の維持に奉仕した。やがて現地のギクユ人たちが「ケニア土地自由軍」(当時、マウマウ団と呼ばれた)が英国に反旗を翻すと、ミッション・ボーイは現地人を抑圧する側に加担した。
 ところで現地人はヨーロッパの植民地化にどう対応したのか。ヘーゲルは、アフリカ人が野蛮であることの証拠として、「彼らは売られ、また自分で自分を売る」と述べたが、実際にはアフリカ人はヨーロッパ側に抵抗していた。しかし槍と弓の抵抗では、機関銃に勝てるはずもなかった。ドイツ領タンガーニカで20世紀初頭に起こった叛乱では、白人の死者わずか5名に対し、現地人の犠牲者は10万~25万人に及んだとされる。こうした勝ち目のない初期抵抗を、それ故に野蛮の証明とする見方もヨーロッパ側には存在した。ナショナリズムを掲げ、近代的な組織を構築してこそ、真の抵抗になるというのである。
 しかし初期抵抗をも評価すべきだという意見が出てくる。初期抵抗がナショナリズムの母胎になったからという見解もあるが、他方でいわゆる英雄的で武力をもっての抵抗だけが抵抗ではないとする見方も出てくるのである。
 例えば白人に使われる現地人が組織的なデモやストライキを行うことは困難であった。しかし現地人はわざとゆっくり行動したり、インフォーマルな態度に出たり、逃亡したりというふうに、予想や対応が困難な方法で反抗した。
 また、白人支配の道具と化したキリスト教にしても、それを現地人が取り入れる中で変質していったという。禁じられたはずの祖霊崇拝や死霊祓い、一夫多妻や割礼が、独立教会の中で復活していったからである。
 白人やキリスト教は言うまでもなく圧倒的な強者として君臨した。アフリカの現地人はあくまでそれを受容する弱者だった。弱者として屈服しつつ、しかし押しつけられたものを変質させて生き延びていくところに植民知的主体を見るべきだと著者は言う。

 関根康正「「不可触民」はどこへ行ったか? ――南アジア人類学における「植民地主義と文化」という問題」は、先に紹介したバリ島とヒンドゥーに類似した問題をインドに関して論じている(307-344ページ)。
 英国によるインド支配が、当地の古典に関する知識に依存していたことがまず指摘される。社会の根底をなすのは宗教であり、またブラフマンが社会の中心であり、社会は大きく4つのヴァルナから成ること、カーストという職業集団・内婚集団によりインド社会は構成されていること、といった理解がなされる。
 その上で、インドの古典から読み取ることのでくる社会と、現実のインドの社会の違いをどのように捉えるべきかが検討される。オリエンタリストは古代の理想的な社会が堕落して現代に至っていると捉えたのに対し、宣教師は目の前にあるインド社会を悪と見て、これを(キリスト教及び近代主義)によって改革しなければならないと考える。
 1857年のセポイの反乱以降、国勢調査に基づくインド統治が行われるようになるが、少数派のイスラム教徒と多数派のヒンドゥー教徒を分けた上で、後者についてはカースト制度による区分けがなされたが、カーストなるもの自体が古代インドの教典をもとにしており、「創られた伝統」であったという。英国側がインドの古典をもとにしてカーストの制度化を促進し、やがてインド現地人がそれを内面化させる、という順序。物事を不変なものとして表象するコロニアル・ディスコースこそインドの制度を大きく変化させた、という指摘がなされる所以である。
 また、カーストとは別枠の「トライブ」「不可触民」とされた集団も、西洋人の「高貴な野蛮人」幻想や、反ヒンドゥー感情によって固定的な枠組として創出された面があるという。
 上述のように、オリエンタリストは古代インドの教典の水準の高さを認め、現状はそこからの堕落だと捉えがちであったが、こうしたオリエンタリストは高学歴のエリートに多かった。そしてそうした捉え方は、古代のインドを評価することでナショナリズムを高揚させ反英感情を広めようとする独立派の認識につながっていった。同時にそれは、カースト維持という(反近代)路線につながる。インド・ナショナリストの認識がオリエンタリストのそれと通底しているという逆説。サイードはこれを帝国主義的な文化活動の核心をなすものとして批判し「同一性の政治学」と呼んだ(325ページ)。ガンジーの思想も、揺れ動きながらも最終的にはカーストを容認しているところがあり、限界があったとされる。
 逆に、カースト制度の差別性を批判する思想も存在した。現地人でも「不可触民」のオピニオンリーダーを自認するアンベードカルがそうであり(321ページ)、また上述のように宣教師団がそうであった。宣教師はオリエンタリストとは逆に低学歴者が多かったが、インド社会の問題はキリスト教への改宗によってしかなされないと考えた。また、現地人が改宗するとヒンドゥー社会から締め出しを食うという現象もあり、それがかえって宣教師の「社会改革」熱を高めた。アンベードカルにとっても、インド社会の最大の問題はインド対英国でも、ヒンドゥー対イスラムでもなく、ヒンドゥー・カースト対不可触民であった。不可触民がヒンドゥー・カーストに組み入れられる希望があったかに見えたのにそれが潰えたとき、アンベードカルは仏教に改宗したという(329ページ)。
 「不可触民」は、しかし、英国が植民地統治の必要性から作り上げてきたカースト制度の中で固定化され、自らの社会的位置を自己認識してきた人々であることを忘れてはならないと著者は強調する。つまり、最初から今あるような形でインド社会に存在したわけではないということだ。そうした認識がないと、自らが作り出したものを自らが再確認するだけの浅いオリエンタリスト的認識に終わってしまう。「同一性の政治学」に陥るべきでないのは、不可触民だけでなはく、観察する側でもあるのである。
 なお著者は注で、不可触民という用語は紀元後すぐのヒンドゥー教典にも見られるが、英国植民地期の終わりに保護政策のための行政用語として用いられ、それが最下層の被抑圧民をひとくくりにする概念として定着することになったと述べている。

 (なお本書は新潟大学図書館から借りて読みました。90年代にはまだまともに本を入れていたということでしょう。)

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評価 ★★★★

 (内容的に充実しているので、2回に分けて紹介します。)
 
 序文を別にして、10人の学者による論考を収めた論集。

 編者ふたりによる序文が、論者の基本的な姿勢や思考の枠組を説明している。
 或る地域にはそれ独自の文化があるという固定的な本質主義には疑問が出されていると述べて、フィジーの例が挙げられている。ケレケレと呼ばれる互酬的な慣習だが、これは19世紀の英国植民地主義下で「営利主義的な白人」に対して形成されたものだという(14ページ)。またフィジーの交換財として鯨歯の首飾りが有名だが、白人との交易の過程で大量に入ってきたものと判明している。現在のフィジーでは鯨歯に高い価値が置かれ、その交換は伝統文化だと思われているが、これは白人との接触以降に生まれたものだったのだ(19ページ)。
 以上のような、「伝統文化」が実は欧米人の植民地主義以降の「創られた伝統」だという指摘は、しかし現地人からは歓迎されないという。
 しかし、同時に、植民地主義は現地人からすれば否応なくそれに対応し生きていかなければならない現実としてある。「創られた文化」であろうと、それは強制的に押し寄せてくる欧米人への対応としてあるのであって、それは研究する側に対してもその姿勢を問うてくる性質を持つと言わなくてはならない。

 以下、収録された論考の中で私の興味を惹いたものを紹介していく。

 前川啓治「文化的「主体」と翻訳的対応 ――トレス海峡社会の墓石除幕儀礼を中心に」(65-95ページ)は、「世界システム論者」の認識の欠陥を問題にするところから始めている。彼らは西欧資本主義の拡大が後背地域に変化を迫るという図式でしか物事を捉えず、自律的な文化による変化を認めないが、それだと世界システムに対する地域ごとの対応が異なるという事実を説明できないという。アフリカを無力な存在として、西洋の完全な犠牲とする見方もバカげているという。それはアフリカと西洋の相互作用を、グローバル勢力による包摂という単純な物理学に矮小化することだ、というのである。
 そのような前提のもとに、オーストラリアとニューギニア島の間のトレス海峡に見られる墓石除幕儀礼について著者は次のように述べる。キリスト教宣教師や政府は、もともと葬儀において現地人に見られた頭蓋骨授与式やタイと呼ばれる儀式を禁止したが、現地では墓石除幕式という新たな葬儀儀礼が生み出された。すなわち、建前上はキリスト教が受け入れられたものの、そのキリスト教は土着化したことになる。
 なお著者は注で、文化本質論への批判には注意が必要だと述べている。例えば社会のシステムと言うときのシステムとは実体ではなく、研究者が必要に応じて設定する仮説概念にすぎない。システム一つだけが社会の構造を規定するわけではないし、複数のシステムが複層的に見て取れる場合もある。同様に、文化本質論も異文化理解を旨とする狭義の文化人類学に固有のものなのであって、それは社会学が多様な個人の集合体を「共同体」や「社会」という概念でくくることと同一なのである。

 中山和芳「植民地状況におけるキリスト教の役割 ――ミクロネシア連邦、コシャエ島とポーンペイ島の事例」は、キリスト教がミクロネシアの二つの島で対照的な受け入れられ方をした事実を報告している(99-125ページ)。結論だけを述べるなら、ポーンペイ島ではキリスト教を受け入れつつ首長制を維持し、キリスト教の儀式と島の伝統的な宗教を融合させているのに対し、コシャエ島では首長制を廃止し、伝統的な宗教をも捨ててキリスト教を取り入れた。後者にあってはキリスト教布教以前は暗黒時代とされているという。
 こうした違いが出た理由として、コシャエ島は人口規模が小さく、ポーンペイ島は比較的大きいこと。ポーンペイ島では複数の首長が競い合う状況があったが、コシャエ島ではなかったこと。ポーンペイ島では布教側も複数の教派が対立するなどの事情があったが、コシャエ島ではそれもなかったこと、などが挙げられている。

 春日直樹「「発端の闇」としての植民地 ――カーゴ・カルトはなぜ狂気だったか」は、カーゴ・カルト解釈の歴史をたどっている(128-149ページ)。
 カーゴ・カルトとは、メラネシアの現地人が白人支配の中で抱いた幻想、もしくは信仰である。カーゴとは汽船や飛行機で運ばれてくる積み荷のこと。これらの積み荷は実は現地人のものなのであって、いつかは自分たちのものになるのであり、それは裁きの日で、白人たちが破滅する日でもある、というものだ。キリスト教の最後の審判思想を模倣したカーゴ・カルト信仰については、様々な解釈が行われてきた。
 第一に狂気、精神障害といった解釈で、初期において(1920年代)多かった見方である。
 第二は、カーゴ・カルトを内在的に理解しようとするもの(1950年代から60年代)。白人の富がどのように創られるかを知らず、また植民地状況から脱する手段も持たない現地人たちが、そうした状況を解消する願望として生み出したものだ、というのである。であるから、経済や科学についての知識が増え、植民地状況から脱する見通しが立てば、自ずと解消するはずということになる。
 しかし、独立した国家においてもカーゴ・カルトが消滅しなかったため、第三の説明が生み出されざるを得なかった(1970年代)。つまり、カーゴ・カルトはメラネシア文化の独自性とつながっている、という説明である。
 80年代になると、カーゴ・カルトなる現象自体を、植民地支配者側が被支配者の様々な行動を自分なりに理解しようとして再構成した創作物に過ぎない、という見方が現れる。
 著者はこれらの解釈のどれにも与していない、というか、どれにもそれなりの有効性があるとしている。少なくとも新しい解釈が説得的だとは述べていない。
 その上で著者はミメシス概念による解釈に言及する。もとよりミメシスは被植民者側だけにあるのではない。植民者側も、現地人を「高貴な野蛮人」「残虐な人食い人種」とステレオタイプ化することで、逆に支配する自らの立場をもステレオタイプ化していく。とはいえ、支配側と被支配側の立場は同じではない。しかし「ネイティヴ」が白人を模倣するとき、そこには一つの同一性ではなく、従来の同一性と白人の同一性の双方にまたがって存在を確保し、複数的な自己同一性を持つことの表れだというのである。白人の持つ単一の同一性や近代意識を乗り越えるものがそこにあるという。レヴィ=ブリュールやアドルノ/ホルクハイマーの理論を援用しつつそのような解釈が展開されている。
 他方で、カーゴ・カルトはマルクス主義との類縁性をも感じさせる。実際に「フィジー会社」と自称する運動が起こっている。それは「会社」を設立するための資金集めの運動であったが、その「会社」は近代的な組織や生産性とは無縁の、砂上楼閣的なものに過ぎなかった。しかし白人を倒し現地人が豊かになるための「会社」設立という訴えは現地人を動かし一大運動に発展し、白人社会に打撃を与えたのである。結局この「会社」は崩壊するのだが、このミメシスに含まれる過剰な何かを無視することはできないと著者は見ている。

 山本真鳥「サモア人のセクシュアリティ論争と文化的自画像」は文化人類学者のありかたを問題にするところから論を始めている(152-178ページ)。
 マーガレット・ミードの『サモアの思春期』は1920年代に書かれた本であり、多くの大学で副読本として読まれた人類学入門の古典である。それに対して1996年に出版されたデレク・フリーマンの『マーガレット・ミードとサモア――人類学的神話の形成と解体』はミードを正面切って批判した書物で話題を呼んだ。アメリカではミード擁護の論調が多かったのに対して、フリーマンの牙城であるオーストラリアではアメリカ人類学の権威を批判したというので大受けだったという。他方、サモアの知識人はフリーマン支持が圧倒的に多かった。それは「サモア=楽園」という西洋にありがちな幻想に対する批判でもあり、反植民地的な見解でもあったからだという。
 単純化して言うなら、ミードの主張はサモア人は性におおらかというものであり、フリーマンのそれは、サモア人は西洋と同様に処女に重きを置くというものだった。
 著者はここで、セクシュアリティの問題は微妙であり、その内実について正しい知識を得るのが困難な領域であることを指摘する。外国人から現地の性的な状況について訊かれた現地人が、正しい答えを与えるとは限らない。そもそも、性的な問題は建前と実態が離れている場合も多く、「正しい答え」がその間のどの辺に位置するか、現地人であっても分からないこともある。ではなぜミードの主張は現地では圧倒的に不評なのか。ミードの主張では、サモア人は動物か神かいずれかだ、ということなるからだという。サモア人は「われわれだって人間だ」と言いたいのであって、フリーマンの主張はそうしたサモア人の心理に沿うものだったのである。
 サモアは、独立した西サモアも、米国の海外領土であるアメリカ領サモアも、海外からの援助や本国政府の支援、海外在住サモア人からの送金なくしてはやっていけない国/地域である。そうした中、「サモア=楽園」という見方は観光開発に有利だとも言える。しかし、そうした他者からのイメージで自己を計られることに対する抗議、それがフリーマンをサモア人が支持する態度に端的に表れているといえるのではないかと著者は述べる。またそれはサモア内に見られる、サモア人は(経済や科学技術についてはともかく)少なくともモラルに関する限り白人より上だという言説とも通底している。けれどそうした言説が他方で「サモア=楽園」幻想とつながってしまう部分があるが故に、問題は単純ではない。

 木村秀雄「八人のアマゾニア先住民は民族か ――植民地状況における民族」は、ブラジルの先住民の現在について報告している(182-209ページ)。
 タイトルにあるように、人口八人の先住民族がいるとブラジルではされている。民族とは何かという疑問が当然湧いてくるが、著者はブラジル先住民の現況を報告することで答に代えている。
 1996年の統計がもとになっているが、この統計にどの程度信頼がおけるかも、統計の精度が地域により異なるため、はっきりはしない。ただ、総人口1億5千万人のブラジルで、先住民は30万人を上回ることはないだろうという。また先住民の集団も、先に挙げたように一桁の人数から、1万人を超えるものまで様々だ。
 使用言語による区分もあるが、語族の下位区分の「語」では合計百五十を越える言語が使われている。また使用言語が異なるとお互いの意志疎通も不可能となる。つまり、アマゾニアの先住民といっても、その全体に通じるような言語はなかったし、また先住民はまとまった集団ではあり得なかったということだ。また、独自の言語を失いポルトガル語を使っている先住民も少なくない。なお、かつては宣教師が宣教の必要性から採用したトゥピ語が先住民の共通語的な位置を持ったこともあったが、現在はポルトガル語に押されてほとんど消滅しているという。
 先住民は自分たちだけでまとまっているわけでもない。「森に住む人」「ゴム採取人」と自らを規定し、近隣の非先住民との連帯意識を強く持っている人たちもいる。けれども、「先住民」としてくくられることで逆に先住民同士の連帯が訴えられたり、また「創られた伝統」を意識しつつあえてそれを自分の伝統的な独自性を位置づける「戦略的本質主義」も生まれているという。しかし同時に、先住民と非先住民の連帯にこそ未来があるという見方をとる人もいる。

 今回の上京では、東京メトロ・東西線の西葛西駅近くのビジネス・ホテルであるホテル・サンパティオに宿泊した。

 西葛西駅はいちおう東京のうちで(江戸川区)、都心に出るのに便利だし、そのわりにはホテルの値段もそう高くない。今回宿泊したホテル・サンパティオは土・日・月と3泊して18100円。つまり一泊あたり6000円ちょっとである。都内のビジネスホテルとしては安いと思う。

 少し前の教授会で、新潟大学の規定で出張によるホテル宿泊は1泊1万円以内と決まっているのに対し、医学部から「東京では1泊1万円以内では泊まるところがない」というクレームがついたという報告があったけど、私のようにホテル宿泊は1万円以内と決めている人間からすると、医学部の連中はいったいどこに泊まっているのだろう、と首をかしげてしまう。ビジネスホテルなんかはホテルじゃないからシティホテルにしか泊まらないってことなんですかね?

 そもそも、新潟大学がブラック化してまともに研究費が出なくなって今年で3年目、大学の研究費での出張なんかできなくなっているから、今回も完全自腹で上京しているわけで、1泊いくらであろうと大学から文句を付けられる筋合いはないのである。

 話を戻すと、ホテル・サンパティオは西葛西駅から徒歩2~3分。部屋の大きさやバスルームの広さでは平均的なビジネスホテルである。ベッドの幅は1メートルちょうどくらい。荷物置き台がないのはこれまた日本の標準的なビジネスホテル並み。テレビ、冷蔵庫、湯沸かし器はある。私は今回パソコンは持参しなかったが、無線LANも使える。

 ちょっと目を惹くのは部屋の椅子である。1人掛けながら大きな安楽椅子で、ふつうのビジネスホテルではお目にかかれない。お陰でゆっくりくつろげる。

 受付ロビーには読売新聞がおいてあって(朝は朝刊、夜は夕刊)、「自由にお持ち下さい」となっているのがいい。

 問題は朝食。「軽朝食」となっているのだが、パン、ヨーグルト(紙パック入り)、飲物しかない。飲物は、夏だということでであろうが、冷水、アイスコーヒー、ウーロン茶、オレンジジュース、牛乳、野菜ジュース。これ以外にお湯の用意があって、紅茶とアップルティーのディーバックがある。パンは食パン以外に何種類かの菓子パンが置かれている。食パン用にマーマレードとマーガリン。食パンを焼く機器が3つ。

 飲物は私から言わせると合格点。特に紅茶があるのがいい。何しろ「朝食バイキング」と称しているビジネスホテルでも紅茶のない場合があるくらいで、朝は紅茶、と決めている私には「軽朝食」でも紅茶があるのは、大変によろしいという評価になる。あとは野菜ジュースか牛乳を飲んでおけば足りる。

 問題は飲物以外はパンとヨーグルトしかないこと。タンパク質が(あまり腹にたまらない)ヨーグルトしかないので、パンでも取れればいいのだが、置かれた菓子パンはその辺の配慮が十分ではない。甘い菓子パンは私に言わせれば論外だし、甘くない菓子パンとしてはコロッケ・パンやカレー・パンくらいしかない。あとは表面にチーズが多少かかっている丸パン。最初の日はソーセージ・パンも見かけたけど、2日目以降どういうわけか見かけなくなった。ここら辺になにか工夫があれば、「軽朝食」でも言うことなしなのだが。まあ、朝食の値段も宿泊費に含まれているから、あまり文句も言えませんけどね。

 しかし他の点(立地、価格、設備)ではビジネスホテルとしては十分なので、また泊まってみようと思いました。

 上京したら、渋谷のシネマヴェーラでミュージカル特集をやっていた。2本立てなので、まとめて紹介しよう。

ニューオリンズ
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今年映画館で見た94本目の映画
鑑賞日 7月2日
シネマヴェーラ渋谷
評価 ★★★★

 アメリカ映画、アーサー・ルービン監督作品、89分、1947年、モノクロ・スタンダード。

 時代設定は両大戦間の頃。ジャズの発祥の地であるニューオリンズを舞台に、酒場や賭博場を経営している白人男性ニック(アルトゥーロ・デ・コルドヴァ)と良家の令嬢であるミラリー(ドロシー・パトリック)の恋愛劇が展開される一方で、本人役で登場するルイ・アームストロングや、令嬢の家庭の女中役で登場するビリー・ホリディらによるジャズの演奏や歌唱がたっぷりともりこまれていて、音楽的にきわめて充実している。

 令嬢ミラリーはクラシック音楽を学んでいるが、他方で新しい音楽であるジャズにも理解がある。しかし令嬢の母親や地域社会を取り仕切る白人たちはジャズを認めようとしない。けれども、ジャズはヨーロッパでも受け入れられていき、かえってアメリカの地方都市でヨーロッパ・クラシック音楽を信奉しジャズをバカにしている白人の頑迷固陋ぶりが浮かび上がるという筋書きも巧み。ミラリーがいったんニックと別れるシーンで、たまたま発表会でオペラのアリアを歌っているのだが、それがヴェルディ『運命の力』であるというのが、なかなかいい。

 ドラマ映画としても音楽映画としてもすぐれた作品だと思う。


姉妹と水兵
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今年映画館で見た95本目の映画
鑑賞日 7月2日
シネマヴェーラ渋谷
評価 ★★★★

 アメリカ映画、リチャード・ソープ監督作品、125分、1944年、モノクロ・スタンダード、原題は"TWO GIRLS AND A SAILOR"。

 パッツィ(ジューン・アリソン)とジーン(グロリア・デ・ヘイブン)の姉妹はNYのクラブで歌手として人気を博していた。妹には最近、高価な花が何度も匿名で贈られてくるように。お金持ちからのプレゼントに違いない、もしかしたら理想的な結婚相手からかもと夢見る妹に、(両親がいないので)保護者として振る舞ってきた姉は、金持ちでも愛人探しの老人かもと警戒心を抱く。しかし、やがて姉妹には、古い倉庫がやはり匿名でプレゼントされる。姉妹はその倉庫を買い取って演奏会場に改築するのを夢見ていたのだ。そして・・・

 魅力的な美人姉妹歌手の夢を、お金持ちの匿名男性がかなえる、というストーリー。まさに夢物語として作られているけれど、そういうものとして見れば十分に楽しめるし、姉妹の歌や、トランペッターの見事な演奏ぶり、またかつては人気コメディアンだったものの今は落ちぶれて姉妹にマネージャーとして雇われる初老の男の健闘ぶりなど、様々な人物が配されているから、娯楽作品として極上の出来上がりと言える。

 この映画には(タイトルからも分かるように)アメリカ海軍の兵隊が登場するが、それだけでなく、陸軍と海兵隊の兵隊も出てきて、恋の駆け引きが繰り広げられる。1944年という制作年からも分かるが、もとは米兵の慰問用に作られたのだそうだ。最後のあたりの筋書き展開はかなりご都合主義的ではあるが、現実を忘れて楽しめるミュージカル映画。


 以上の2本を鑑賞して、アメリカのミュージカル映画の真髄を知った気がした。最近のアメリカのミュージカル映画よりよほどよくできているのではないか。

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7月2日(日) 午後2時開演
近江楽堂 (オペラシティ3階)
当日券 3500円

 今回の上京で2つめの音楽会。

 会場の近江楽堂は、私は初めてだったが、初台のオペラシティの3階にあるこじんまりとした演奏会場。全体は釣り鐘の内部のような形になっている。せいぜい60~70名が入るくらい。

 客は50人くらい入っていただろうか。

 バロック・オーボエ = 大山有里子(おおやま・ありこ)
 バロック・チェロ = 高橋弘治
 チェンバロ = 今村朋子

 大山さんは大阪教育大音楽科卒業、同専攻科修了後、関西を中心に古楽や室内楽の活動をしている方。高橋氏は桐朋音大卒、ブリュッセル王立音楽院古楽器科修了で古楽を中心に演奏活動を行っている方、今村さんは東京芸大卒、同修士課程修了でチェンバロ演奏ではすでにCDも出されているとか。

 ヴィヴァルディ: オーボエと通奏低音のためのソナタ変ロ長調RV34
 ヴィヴァルディ: オーボエと通奏低音のためのソナタト短調RV28
 D・スカルラッティ: フーガ ニ短調K.417、ソナタ ニ長調K.96  (チェンバロ独奏)
 サンマルティーニ: オーボエと通奏低音のためのソナタ第3番変ロ長調 (27曲のソナタ集より)
 (休憩)
 アルビノーニ: オーボエと通奏低音のためのソナタ ハ長調
 G・ボノンチーニ: チェロソナタ イ短調
 G・B・プラッティ: オーボエ、チェロと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ト長調 I71
 (アンコール)
 サンマルティーニの曲から一つの楽章を再演

 現代のオーボエとは違い、木目が見えるいかにも木管という印象の楽器で、キーも現代楽器のような大規模(?)なものではなく、ごく簡素。いかにも昔風。音も、素朴な感じ。会場は響きがかなりあり、チェンバロ、チェロを含めて十分な音量だった。

 オーボエ曲だけではなく、前半はチェンバロ独奏曲、後半はチェロとチェンバロによる曲を中間に入れたプログラム編成はなかなか巧み。

 曲としては後半のボノンチーニとプラッティの2曲が印象深く感じられた。いずれも知らない作曲家だけど、昔の知られざる音楽家にも名曲があるんだなあと感じ入った。

 オペラの翌日、こういうこじんまりとした古楽を聴くのもいいものである。

 なお蛇足ながら、この演奏会の直前にオペラシティの2階に入っている丸亀製麺のうどん屋で昼食をとったが、冷たいぶっかけうどんにトッピングとしてイカ天と分厚いかき揚げ天をつけて530円というのは安い。人気があるらしく、行列ができていた。またオペラシティに行く機会があったら寄ってみよう。 

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評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は有名だから今さら紹介する必要もないだろうが、1955年生まれの教育学者で、東大教授からオックスフォード大教授に転身して話題に。

 本書は著者が雑誌等に書いた文章を集め、最終章だけは書き下ろして成立している。

 グローバル化時代、大学も国際ランキングでの順位が話題になり、日本の大学が最近振るわないのが問題視されている。英国の名門大学に勤務する著者がこれに対して提示している解決策、もしくは対応策は、必ずしも単純で分かりやすいものではない。

 例えば、序章で著者は、日本の大学が国際化において欧米はもとより中国や韓国にも遅れをとっている事態をいちおう認めた上で、日本に課題解決型の国際的な人文社会系の大学院を、多くても3つ程度、じっくりと作っていくことを提案している。「人文社会系、多くても3つ、じっくり」というところがミソ。つまり現在の日本の高等教育政策では理工系ばかりに力が入れられていること、文科省はスーパーグローバル大学トップ型と称して十いくつかの大学に(それ以外にグローバル化牽引型の大学二十いくつかにも)予算措置を行っていること、国際大学ランキングの100位以内に10校入れるなどと性急な目標が掲げられていること、に対する批判なのである。

 そもそも、このスーパーグローバル大学については、「外国人教員等」を増やすという目標が具体的な数値を掲げて示されているのだが、著者によればそれは現行の日本の大学における外国人教員のパーセンテージ比べて断然大きな数値であり、しかもそこにはカラクリがあるのだという。つまり「外国人教員等」の「等」がくせもので、実はこの「等」が意味するのは、外国の大学で博士号を取得した日本人、および外国で通算一年以上三年未満の教育研究歴がある日本人、だからである。つまり、抜け道のようなもので、これが本当の外国人教員を増やすことと比較してどの程度意味があるのか、著者は疑問視している。

 著者はまた、日本の大学生の学習時間が海外に比べて格段に少ないことを指摘している。問題はなぜそうなるのか、ということである。一つには日本の大学では少人数で学生に主体的な勉強をさせる演習が少なく、黙って聴いてさえいればいい大人数の講義が多いことが挙げられる。しかしそれだけかというと、究極的には、大学でどの程度勉強したかを、大学卒業生を採用する企業が問題にしていないからではないかとしている。要は入った大学の受験難易度だけで選別し、大学で学んだことは企業にとって重要ではないと見なす風土がそのような学生を生み出すのだという。

 日本は欧米に比べて大学院進学者が少なく、それでも理工系はまだしもだが、文系では欧米との進学率の差がきわめて大きくなる。それも、要は文系大学院で学んだことが社会で役に立つと思われていないことが主要因だという。
 また、日本では大学生が在学しているのに就職活動を行う、つまり学生が授業を欠席して就職活動を行うのが当然視されているが、大学での学習を企業が妨害するこうした慣行は欧米からするとあり得ないという。

 さて、本書の一番の読みどころは、いわゆる大学のグローバル化の実態に触れた終章(本書のために書き下ろされた部分)であろう。
 世界全体で見ると、外国の大学に留学する者の数は、ここ15年(1999年から2014年)で2倍ほどに増えている。その意味でたしかにグローバル化は生じてはいる。だがその中身を見ると、中国人留学生の占める割合が大きいのである。英語圏主要4カ国(英国、米国、カナダ、豪)への留学生数でいうと、中国は1999年には10万人に満たなかったが、2014年には50万人に達している。世界全体の高等教育機関の留学生数に中国が占めるシェアは、1999年には4パーセントに満たなかったが、2014年には10パーセント強となっている。

 つまり、大学のグローバル化は多く中国人によって担われている、ということだ。その原因は、経済発展により中国の富裕層が増加し、そうした層は一人っ子政策による少ない子供に多くの教育投資を行おうとするため、学歴競争は国内の有力大学では終わらず、海外の有力大学で学位を取らせようとするところにまで及んでいるからというのだ。(この辺は、英語圏の有力大学だけにはとどまらない。新潟大学でも中国人留学生が増えており、新潟大学の文系大学院はそのお陰で大幅な定員割れを免れているというのが実情なのである。)

 また、英国は自国の大学に外国人留学生が多く来るような政策をとっており、優秀な留学生の増加は単に自国の高等教育にプラスになるからというだけでなく、留学生が大学のある地域に落とすお金を考えれば、経済的にも大きな効果が見込めるからでもあるという。

 ここで、THEの国際大学ランキングが大きく話題を呼ぶようになった時期が、英国がそのような政策をとった時期と一致していることに著者は注意を喚起している。THEの国際大学ランキングはしばしば英語圏の大学に有利と批判されるのだが、英国製のこのランキングは、自国の大学を上位にランクすることで、海外から留学生を呼び込むのに大きく寄与しているというのである。要は自国の大学を売り出すためのランキングなのだ。したがって日本の大学(および政治家や官僚)がこのランキングを信用しすぎるのは、むしろ害にしかならない。なぜなら日本の大学は英語圏の大学とは違う成り立ち方をし、違う前提で発展してきたからだ。

 著者は、デンマークの教育学者ビエスタによる大学ランキング批判も紹介している。昨今の大学は高等教育市場という外部に基準をおき、自ら何を学生に教えるのかという内部の基準を見失っているというのだ。

 むろん、著者は日本の大学が今のままでいいとは言っていない。しかし「改革」は、大学のグローバル化に乗り遅れるなという現行のやり方ではうまくいかず、かえって日本の大学の持っていた美点を破壊してしまうだろうと警告している。

 大学の現状について考えたい人には必読書と言えるだろう。

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今年映画館で見た93本目の映画
鑑賞日 7月2日
下高井戸シネマ
評価 ★★★★

 石川梵監督作品、108分。

 2015年、ネパールで大地震が発生し、多数の犠牲者を出した。復興は今なお完全にはなされていない。
 この映画は、地震発生直後からしばしば現地に赴いて、現地の様子を紹介すると同時に支援活動を行ってきた写真家・映像作家である今村氏の手になるドキュメンタリーである。

 現地に生きる人々の様子が、生き生きと捉えられている。復興に向けての各人の努力、子供たちの表情、ひとりで数千人の村人たちの医療を引き受けている看護婦の生き方、村を安全な場所に移そうとする行政側と、昔から生きてきた場所を守りたいとする特に老齢の住民側の対立・・・

 上映の後、監督の石川氏と女性フォトジャーナリストのトークも行われ、現地の、特に未成年女子を守るために日本人も募金などで協力して欲しいという要請がなされた。未成年女子は人身売買の犠牲になりやすいから、ということで、これは映画では出てこなかった問題である。

 いずれにせよ、ネパールの現況を知るためにも、またそもそも人間が生きるとはどういうことなのかを改めて考えるためにも、鑑賞をお薦めしたい優れた映画である。

 東京では今年3月下旬の封切で、その後も別の劇場で上映が続いており、私も今回上京して二番館で見ることができた。地方都市でも上映されているところが少なくないが、どういうわけか新潟市では今のところ上映予定がない(ただし上越市の高田世界館では予定あり)。良心的な映画館の英断を望みたい。

 7月2日付けの読売新聞に、三好範英・編集委員が「トルコ系二重国籍の教訓」という記事を書いている。

 それによると、ドイツは1999年に国籍法を改正し、二重国籍を認めるようになった。23歳までに一つの国籍を選ぶよう「選択義務」を残したが、その条件も2014年に削除された。
 二重国籍の容認は、約300万人に及ぶトルコ系の住民がドイツ社会へ同化するのを促進する狙いがあった。トルコ系住民でも、ドイツで生まれ育った二世以降の世代ならドイツが祖国のはずだが、そうは言ってもトルコ国籍を捨てるのには心理的な抵抗がある。二重国籍を認めたほうが同化しやすいのでは、という期待があったという。

 しかし、今年の4月16日に行われたトルコの国民投票が、この期待に水をかけた。トルコ大統領の権限を強化する憲法改正の是非を問う投票だったが、全体では賛成が51%だったのに、ドイツ在住トルコ系の賛成は63%に上ったという。ドイツの(民主的な)教育を受けてきたトルコ系が、なぜ権威主義的な法改正に賛成するのか。

 そもそも、今回の憲法改正を推進したエルドリアン大統領は2008年から4回に及ぶトルコ系住民の集会をドイツで開いている。数万人規模に及ぶこの集会で、エルドリアン大統領は「ドイツ社会に吸収されるな」と訴え、ドイツへのトルコ系住民の同化を阻止するような発言をしていた。国民投票の運動がドイツ内で制限されたことについても、エルドリアン大統領は「ドイツはナチ時代と変わらない」などと非難していた。

 4月にドイツで行われた世論調査では、二重国籍反対が58%に及んだという。それですぐ二重国籍が法的に禁止されるわけではないが、難民問題を抱えるドイツからすれば、トルコ人の同化失敗は、今後難民の国籍をどうするかという難問を検討するに際しても重要な経験とならざるを得ないだろう。

 (以上、三好編集委員の記事を当ブログ制作者がまとめてみました。この記事はネット上の読売新聞には載っていないようなので、紙媒体の読売新聞でお読み下さい。)

          

 日本でも少子化対策として移民を入れろという声が大きくなっているが、朝鮮系の住民を見ても分かるように、異国から入ってきた住民は必ずしもその社会に同化しない。二世三世と世代が進み、「故国」の実際的な在住経験がなくなるにつれ、逆に観念としてのルーツにこだわるケースが見られるようになる。本来なら住んでいる社会に同化して、その社会をよくするために努力するのが筋だが、必ずしもそうはならないということだ。いわゆるイスラム国の勧誘に応じてしまうのは、ヨーロッパに住むようになったイスラム系住民の二世以下に多いという事実もある。

 移民導入を安易に推進するより、少子化に対して根本的な対策を立てるのが先決であろう。保育所問題や子供手当など、本来とっくに解決していなければならないのに、まだ不十分なところが多すぎる。財政難は、富裕層への増税で解決すればよろしい。この点については、森永卓郎・武田知弘『「新富裕層」が日本を滅ぼす 金持ちが普通に納税すれば、消費税はいらない!』(中公新書ラクレ、2014年)を読むべし。代議士で読んでいない奴は、代議士を辞めなさい!

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今年映画館で見た92本目の映画
鑑賞日 7月1日
みゆき座(日比谷)
評価 ★★☆

 スペイン・アメリカ合作、J・A・バヨナ監督作品、109分。原題は"A MONSTER CALLS"で、原作は世界的にベストセラーとなった児童文学なんだそうだけど、私は未読。

 母とふたり暮らしの少年コナーは13歳。父は母と別れてアメリカで暮らしている。母方の祖母が近所にいるが、コナーは嫌っている。だが母は病気のため入院を余儀なくされる。コナーは嫌々ながら祖母と暮らすことになるのだが、その頃から恐ろしい怪物の夢を見るようになる。怪物はコナーに物語を聴かせ、最後にはお前自身が物語を話すのだと言うのだが・・・

 スペインが舞台のはずだが、使用言語は英語。途中まではまあまあかなと思ったけれど、最後のところが物足りない、というか、作品の真意が見えてこない。原作を読まないと分からないんだろうか。

 日生劇場でのオペラ『ノルマ』がはねてから、すぐ近くのみゆき座で上映されていて時間的にもちょうど良かったので見てみたのだが、新潟に来ないのもむべなるかな、という感じだった。

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7月1日(土) 午後2時開演
日生劇場
2階B列14番 Bランク席 (定価1万円のところ、ヤフオクにて1万2千円で入手、パンフ引換券付き)


 上京してオペラ鑑賞。このオペラ、生では初めて。
 チケットを入手しようとした時にはすでに正規券は完売だったので、ヤフオクにて入手。定価より2千円高かったが、パンフ引換券付きなので、実質的には千円高いだけ。また、この座席、非常にいい位置だった。2階の2列目ながら通路のすぐ脇で、正面席と左斜め席の境界に位置しており、そのせいで前の座席がなく、舞台はほぼ全面を見下ろせるし、オケのピットもよく見えて、Sランクでもいいんじゃないかと思えた。
 とにかく、座席が好位置なので、気分良く鑑賞できたのが何より。

 ノルマ = マリエッラ・デヴィーア
 アデルジーザ = ラウラ・ポルヴェレッリ
 ポッリオーネ = 笛田博昭
 オロヴェーゾ = 伊藤貴之
 クロティルデ = 牧野真由美
 フラーヴィオ = 及川尚志

 藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホール声楽アンサンブル
 東京フィルハーモニー交響楽団

 演出 = 栗國淳
 合唱指揮 = 須藤桂司
 美術 = 横田あつみ
 衣裳 = 増田惠美
 舞台監督 = 菅原多敢弘
 指揮 = フランチェスコ・ランツィッロッタ

 正面に巨大な半円形の壁が。ただし模様から判断して、密な森の表現かと。これが二つに割れて左右に退いて、その中間で劇が繰り広げられる。半円形の壁は随時正面に戻り、場面の転換などを表現する。

 ドルイド教の女祭司ノルマ、同じく巫女のアダルジーザ、ローマ人の男ポッリオーネの三角関係を描いたオペラであるが、この主役三人がまず素晴らしかった。

 ノルマを演じたデヴィーアは1948年4月生まれだからすでに69歳。オペラ歌手としてはとうに引退していておかしくない年齢だが、歌唱は高音まで問題なく出ており、技巧的にもしっかりしているし、声量も少なくとも日生劇場では十分であった。
 ただ、年齢をまったく感じさせないかというと、他の歌手たちに比べて声が純粋に声であるような印象だった。というと変かも知れないが、他の歌手は声が肉でできた喉から出ているというか、声の背後に肉体があるということが分かるような歌唱であるのに対し、デヴィーアの歌はまさに声だけが出ているような、肉体を感じさせないような、そんな歌唱であった。ただし私は彼女の歌は初めて聴いたので、若い頃ならどうだったのかは分からない。もともとそういう声なのかも知れないからだ。

 アダルジーザ役のポルヴェレッリも劣らず卓越した歌唱力。ポッリオーネの笛田博昭は声量が十二分で存在感があった。
 脇役ながらクロティルデの牧野真由美も見事な歌唱を見せてくれました。

 ランツィッロッタの指揮と東フィルの演奏も文句なし。

 というわけで、きわめて満足度の高い公演となりました。東京まで赴いて聴いた甲斐がありました。 

 なお、パンフレットも、原作のくわしい紹介や、デヴィーアの歌唱力と年齢との関係についての論考が入っていて、色々と勉強になった。

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今年映画館で見た91本目の映画
鑑賞日 6月28日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★☆

 イラン・フランス合作、アスガー・ファルハディ監督作品、124分。アカデミー賞外国語映画部門賞、カンヌ国際映画祭脚本賞&男優賞受賞作品。

 近年国際的に高く評価され、日本でもすでに何本か作品が公開されているイランのファルハディ監督の最新作。

 舞台はイランの都会。最初、主人公夫妻(シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリドゥスティ)の住んでいたビルが倒壊の恐れがあるというので避難するシーンから始まる。ちょっとびっくりする出だしだが、このビルがラスト近くで重要な役割を果たす。

 主人公夫妻は別のビルに引っ越すのだが、そこには前の住人の荷物が一室に残っていた。さらに、前の住人を訪ねてきたらしい男が、偶然室内に入り込んで、浴室でたまたまシャワーを浴びていた妻と鉢合わせし・・・

 ふとしたきっかけから夫婦の仲が微妙になっていく様子が丹念に描き出されている。

 イランというと日本からは遠い国だし馴染みもあまりないが、少なくともこの映画を見る限りは都会での暮らしは欧米先進国や日本と変わりなく、また主人公夫妻の夫は教師でインテリであり、妻も交えてアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を舞台にかけているなど、芸術活動にいそしんでいる。そうしたイランの日常の様子なども興味深い。

 東京では6月10日の封切だったが、新潟市では2週間の遅れでTジョイ新潟万代にて上映中。県内でも上映はここだけ・・・なんだけど、私が見に行った夜の回(1日2回上映)は、私を入れて客は数人だった。アカデミー賞やカンヌ映画祭の賞を受賞していても、この程度。新潟市の映画ファンの層は薄いと言わざるを得ない。

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今年映画館で見た90本目の映画
鑑賞日 6月24日
イオンシネマ新潟南
評価 ★★☆

 西谷真一監督作品、118分。原作は直木賞作家・井上荒野の小説だそうだが、私は未読。

 若い美男の結婚詐欺師(ディーン・フジオカ)が、何人もの女たちを手玉に取りお金をむしり取る・・・というストーリー・・・なのかなと思って映画館に足を運んだのだが、女をだますのにも結構もたついていて展開にキレが足りず、といって結婚詐欺師の労苦をリアリズムで描く映画なのかというと、そういう点では逆に物足りず、中途半端な出来に終わっているような気が。

 ただし、結婚詐欺の物語と並行して、別のストーリーがあるので、そこでちょっと楽しめるのが救い。もっとも、最近ではありがちな設定ですけどね。

 新潟市では全国と同じく6月24日の封切で、イオンシネマ新潟南にて上映中。県内でも上映はここだけ。

 3日前の産経新聞の記事から。

   http://www.sankei.com/affairs/news/170627/afr1706270004-n1.html
  2017.6.27 10:56
 【池袋暴走事故】
 被告の医師に懲役5年の実刑判決 東京地裁「発作の危険性を軽視」指摘

  東京都豊島区南池袋の路上で平成27年8月、てんかん発作で意識障害となり、乗用車を暴走させて人を死傷させたとして、自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)の罪に問われた精神科医、金子庄一郎被告(55)の判決公判が27日、東京地裁で開かれた。家令和典裁判長は「てんかん発作が起きる危険性を軽視しながら運転していた」と指摘し、懲役5年(求刑同8年)の実刑を言い渡した。

 弁護側は「発作を抑える薬を飲んでおり、てんかん発作は予知できなかった」として、危険運転の故意が成立せず、同罪には当たらないなどと主張していた。

 しかし家令裁判長は「自身も医師として、てんかんについて一般の人より知識を持っていた上、過去にも発作を経験しており、医師から運転しないよう注意されてきたのに運転を続けてきた。厳しい非難は免れない」と指摘した。

 判決によると、金子被告は27年8月16日、池袋駅東口地下駐車場から車を発進させた直後、てんかんの発作で意識障害に陥り歩道上を暴走。歩行者らをはね、東京都板橋区の薬剤師、江幡淑子さん=当時(41)=を死亡させた上、4人に重軽傷を負わせた。

 江幡さんの父、龍司さんは判決後、「娘が亡くなったことに変わりはない。歳月がたつにつれて胸の痛みが大きくなるばかりです」「金子被告には判決を素直に受け入れ、事故について深く考え、いつ、どこで、どんな考え違いをして、何が、どうしてしまったのか本当の意味で反省してほしいです」などとするコメントを代理人弁護士を通じて発表した。

          

 「てんかんの発作を抑える薬を飲んでいた」にもかかわらず、発作を起こし、それが自動車を運転している最中だったために歩行者をはねて死者を出した――結果として、この事件の被告は実刑判決を受けたのである。しかも、被告は医師でもあった。

 この記事を素直に読む限り、てんかんの発作は薬では抑えられない、ということになろう。むろん、てんかんの症状は人によっても異なるだろうし、薬が効くか効かないかは患者次第という面もあるだろう。だから一律に「てんかんの発作は薬では絶対に抑えられない」と決めてかかるのは問題があろうが、少なくとも「抑えられない場合がある」とは言えるのではないか。

 ちなみにウィキペディアで「てんかん」を調べると、以下のような記述がある。

 【難治性てんかん
 てんかん発作を持つ人でもその7割以上は発作が完全に抑制されており、とくに問題のない健全な生活を営むことが出来る。適切な抗てんかん薬2〜3種類以上の単剤あるいは併用療法で、かつ十分量で2年以上治療しても発作が1年以上抑制されず日常生活に支障がある場合は難治性てんかんと考える。Kwanらの報告では最初に使用した抗てんかん薬で発作が抑制される患者が47%、2剤目または3剤目になると13%、2剤併用では3%とされている。このことから2〜3剤で投与効果がないときは難治性てんかんと考える。】

 このウィキ記事では最初に「てんかん発作を持つ人でもその7割以上は発作が完全に抑制されており」と書かれているが、その後では「Kwanらの報告では最初に使用した抗てんかん薬で発作が抑制される患者が47%、2剤目または3剤目になると13%、2剤併用では3%とされている」とある。これだと薬で抑えられるのは63%ということになるはずで、「7割以上」という最初の数値と合わない。どうなっているのだろうか。

 それはともかくとして、この問題に私がこだわるのは、かつて日本全国を騒がせた筒井康隆断筆問題と小さからぬ関係があるからである。

 筒井康隆断筆問題は有名だからここでくだくだしく説明することはしない。必要ならネットで調べるなり、当時の関係者の発言を集めた『筒井康隆「断筆」めぐる大論争』(創出版、1995年)をお読みいただきたい。

 この論争の中で、筒井康隆は「てんかん患者が自分の症状を隠して自動車運転免許を取っている事例がかなりある」という意味の発言をして、「てんかんであった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、彼の運転する車には乗りたくないし、運転してほしくない」と述べた。(『筒井康隆「断筆」めぐる大論争』、30-31ページ)
 (ちなみにこの筒井康隆断筆問題が起こった1995年には日本ではてんかん患者は自動車運転免許所持を禁じられていた。その後、条件付きで許可された。)

 これに対して当時日本てんかん協会会長だった高橋哲郎は、筒井康隆への反論文の中で次のように述べている。

 「この小説〔高校の国語の教科書に採用された筒井康隆『無人警察』〕が書かれたときから約三十年になりますが、その当時とてんかんを取り巻く情勢は大きく変わっています。てんかん医療そのものが飛躍的に発展し、(…)てんかん医療の条件は過去には見られないほど整えられています。その中で、てんかんは治る病気へと変わり(…)」(前掲書、35ページ)

 ここだけ読むと、「要するに昔と違っててんかんは治るのだな」と思いたくなるが、その後で高橋は次のように書いている。

 「(…)自動車は必須の交通手段であり、生活の道具となっています。そうした中でてんかんをもつ人々の免許取得に関しても、「長年発作を見ない場合は、道路交通法にいうてんかん病者に該当しない」という判決も出され、府県によっては公安委員会の扱いにも変化が現れています。日本てんかん学会の調査では、てんかんを持つ人々の免許取得はその約四十八パーセント、そしてその三十九パーセントが実際に運転していること、その事故率は健常者に比べて低いことが報告されています。」(前掲書、36ページ)

 要するに、法律上はてんかん患者には運転免許が与えられていなかった時代でも、実はこっそり運転免許を取得する人が半数近くいた、と述べているのである。
 その上で、高橋は以下のように書いている。

 「発作による事故の心配や、本人や他人の命に危険をもたらす可能性のある本人に対してまで、運転免許取得を認めよなどとは、協会はいっていません。協会の要求は、裁判所の判例にもあり、また、日本てんかん学会の提案にもあるように、長期間発作がなく、運転中の発作による事故の心配がないものに対しては、免許取得を法的に認知してほしいということです。」(前掲書、36ページ)

 つまり、てんかんが全面的に治癒するとは限らないと認めた上で、発作が起こる可能性がほぼない者には運転免許を、と述べているのである。
 そういう主張なら分からなくもない。

 しかし、である。上記の産経新聞記事には、事故を起こした医師が無免許だったとは書かれていない。とすれば、この医師は運転免許を持っていたことになる。そして、薬を飲んでいたにも関わらず、発作を起こして死傷者を出すに至ったのだ。たしかに、医者から運転するなと言われていたとは上記記事にも書かれている。しかし、それほどの重度のてんかん患者に、どうして免許が交付されたのだろう。

 筒井康隆の問題提起は、今なお解決されていないと私は思う。

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今年映画館で見た89本目の映画
鑑賞日 6月24日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★★☆

 アメリカ・オーストラリア合作、メル・ギブソン監督作品、139分。

 第二次世界大戦末期、沖縄での米軍と日本軍との戦いに、良心的兵役拒否の信念を貫くために武器を持たずに衛生兵として参加した米国の青年がいた。本作品はこの実話をもとにした映画である。タイトルのハクソー・リッジとは「のこぎり断崖」の意味で、実際に激烈な戦闘が行われた沖縄の前田高地を米軍がそう呼んだものである。

 デズモンド・ドス(アンデオリュー・ガーフィールド)には、第一次世界大戦に出征して親友を戦場で失った体験を持つ父がいた。母はキリスト教の信仰厚い女性だった。第二次世界大戦が始まると、しかしドスも故国のために出征を決意する。けれども、十戒にある「汝、殺すなかれ」を守るために、武器を持たない衛生兵としてであった。

 映画の前半では、兵士としての訓練を受ける主人公がその信念ゆえに銃を持つことを拒否し、そのために軍法会議にかけられるまでの経過が描かれる。途中色々あるが、結局はドスの信念が認められ、沖縄戦に衛生兵として出陣することが決定する。

 後半は沖縄戦の様子がきわめてリアルに映し出される。近年のアメリカ映画の傾向に沿った、熾烈な戦場の描写が強烈な印象を残す。そういう中で、自分の信念を守りつつ、負傷した兵士を次々と助け出す主人公の姿が感動的だ。

 ただし日本軍の描写という点ではやや古いのは否めない。クリント・イーストウッドが『硫黄島』二部作で見せた、日本軍をあくまで対等の視点で描こうとする行き方からすると後退していると言わざるを得ない。しかしこの作品の核はあくまで、苛酷な戦闘のさなか、主人公のヒューマンな信念と行動を描くことにあるので、作品の決定的な傷にはなっていない。

 新潟市では全国と同じく6月24日のの封切で、ユナイテッドとイオン西の2館で上映中。県内他地域のシネコン3館でも上映されている。

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評価 ★★★★

 出たばかりの新書。著者は1956年生まれ、東大文卒、毎日放送勤務をへて身内の介護のため退社、現在は派遣労働者・ノンフィクションライター。

 という経歴の人なので、自分の体験譚をひたすら綴った本なのかと思ったが、そうではなく、派遣労働者がいかに日本でひどい扱いを受けているかについて、様々な事例を挙げて説明している。

 本書の帯に、「あのう……給料は?」「金なんか払うわけねえだろう」という会話(?)が記されているけれど、実際、著者を含めて多くの派遣労働者が給与の踏み倒しに遭っているということが本書を読むと分かる。踏み倒さないまでも法律で決められた最低賃金が無視される場合も多い。正社員だと様々な法律で守られているから経営側もあまり無茶な真似はしないが、派遣労働者は法的にきわめて弱い立場にあるので、無法行為がまかり通っているのだ。世の中には(或いは、日本には)ひどい人間が多いんだなと痛感する。それを防ぐには法律で派遣労働者を守っていかねばならない。

 こうした劣悪な労働条件は、世間の目があまり及ばない下積みの職種にばかり存在するわけではない。渋谷の一等地にあるファッションビルに入っているアパレル店舗でも同様の例があるという。「憧れの職場」で働けるというので、若い女性は労働条件がいくらひどくても受け入れてしまうらしい。

 その他、有用な指摘が本書には多い。
 例えば失業率である。日本の失業率は最近では3%程度ということになっている。ヨーロッパ諸国では二桁の数字が普通だから、一見すると日本は素晴らしいという結論になりそうだが、実はこの数字にはカラクリがある。日本では正規・非正規を含め1分でも働けば失業者とは見なされないが、米国では正規を希望しながら非正規に甘んじている人や、希望通りの職種に就けないので求職をあきらめた人をも失業者と見なしている。米国流で計算すると、日本の実際の失業率は16%になるという。

 そもそも、派遣労働者を酷使したり騙したりする例が多いのは、派遣制度を日本に導入したことが原因となっているわけだが、著者によればその大元締めになったのはOECDの勧告であるという。
 もともと日本の労働者は法律で守られていてよほどのことがない限り解雇はできなかった。それにより、一人の人間が若い時から定年まで一つの企業で働き続けるという、いわゆる日本的雇用制度が生み出されたのである。これを是正しろと1996年に勧告したのがOECDだった。雇用の安定が労働者間の競争を妨げているから、労働市場の柔軟性(要するに、途中で解雇される人間と途中で採用される人間をともに増やせ、ということ)を高めるべきだ、と提言したのである。日本はこれに従った。その結果が、現在の惨状、ということになる。

 著者によれば、OECDの提言とは「民間職業の紹介と労働者派遣事業=人材業界の拡大」だったという。欧州では人材派遣の対象は技能を持った専門職が多く、待遇や賃金は法律でしっかりと保護されている。しかし日本では労働関係の諸法令が非常に甘く、結果、欧州のような生産的な人材の流動化は起こらず、貧しい派遣労働者が搾取される例が増え、悪辣な企業が得をするだけの結果に終わってしまった。

 むろんそういう結果を生んだのは最終的には日本政府や官庁の責任ではあるが、欧米の猿マネをしても事態は良くならないというのは、バブル崩壊以降の日本を見ていればはっきりしていることではないか。大赤字の財政(ケインズ主義的な国家財政主導の消費拡大路線=結果としての税収増加=国家赤字の再建、という図式は完全に破綻している)、法科大学院の大失敗、独法化による国立大学のブラック化など、実例はたくさんあろう。

 ともかく、OECDであろうがどこであろうが、いわゆる国際機関の言うことはアテにならない。日本人は米国だとか「国際機関」の勧告や忠告に盲従するのではなく、あくまで自分の頭で物事を考えるという習慣を付けるべきであることが、ここからも分かると思う。

 話を戻す。
 生活保護を東京都で受けると、60代の夫婦で年額220万円ほどになる。このほか、医療費が無料、国民健康保険料が無料、都営交通が無料などの措置もあるので、これらを含めるとほぼ年額260万円の収入になるという。
 では非正規労働者はこれだけの額を稼げるだろうか。答えはほぼ否である。2007年の調査では、日本の全労働者の3分の1が非正規で、非正規の7割(約1400万人)は年収200万円未満であった。
 また、仮に上記の生活保護での年収260万円を、月20日間・1日8時間労働という条件で計算してみると、時間給は1300円でなくてはならない。現在の最低賃金は東京都で932円しかない。つまり400円近く足りない、ということになる。

 また、60歳以上というだけの理由で採用を断られる場合が日本、特に都会では多いことも指摘されている。

 とにもかくにも、現代日本の派遣労働は劣悪なのだ。本書は政治家にとっては必読書である。これを読んで、さっさと対策を考えるべし!

 なお、首をかしげた箇所がちょっとだけあった。
 大学医学部進学者はほぼ全員が国立か私立の中高一貫校と書かれているのだが(154ページ)、それだと国立・私立の中高一貫校をあまり(或いは全然)持たない大部分の日本の地方都市からは医者になれる人間がいない、ということになってしまう。新潟県の場合、トップ進学校である新潟高校(県立)からかなり医学部進学者が出ているし、ほかに宮城県の仙台二高、北海道の札幌南高、秋田県の秋田高など、医学部進学者が多く出る(中高一貫でない公立の)高校はそれなりに存在する(下記URLを参照)。首都圏や関西圏などではたしかに中高一貫校が優位にあるが、医学部以外の難関大学への進学も含め、地方では伝統ある名門公立校がそれなりに健闘している。「医学部進学はほぼ全員が国立・私立の中高一貫校」というのは明らかに大げさすぎる言い方だ。

  http://president.jp/articles/-/14449

 また、公立校の野球部は設備が貧弱だから弱くて、「甲子園どころか県大会にも出場できず」とあるが(156ページ)、県大会には9人以上の部員がいればどこの高校でも出場できますよ(笑)。また、甲子園出場ということではたしかに私立校が圧倒的に多いが、昨年の夏の甲子園には大曲工や長崎商のような公立校もちゃんと出ているのだ。

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