隗より始めよ・三浦淳のブログ

「新潟大学・三浦淳研究室」の後続ブログが、この「隗より始めよ・三浦淳のブログ」です。2018年3月末をもって当ブログ制作者は新潟大学を定年退職いたしましたが、今後も更新を続ける予定です。2019年2月より週休2日制となりました(日・水は更新休止)。 旧「新潟大学・三浦淳研究室」は以下のURLからごらんいただけます。 http://miura.k-server.org/Default.htm 本職はドイツ文学者。ドイツ文学の女性像について分かりやすく書いた『夢のようにはかない女の肖像 ――ドイツ文学の中の女たち――』(同学社)、ナチ時代の著名指揮者とノーベル賞作家との対立を論じた訳書『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング)が発売中です。 なお、当ブログへのご意見・ご感想は、メールで以下のアドレスにお願いいたします。 miura(アット)human.niigata-u.ac.jp

読書と映画については★で評価をしています。☆は★の半分。
★★★★★=最高、★★★★=かなり良質、★★★=一読・一見の価値あり、★★=芳しからず、★=駄本・駄作

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評価 ★★★☆

 著者は1959年生まれ、早大文卒、編集者をへて文筆家。当ブログでも『女と男 なぜわかりあえないのか』『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』を紹介したことがある。
         
 さて、本書のタイトルになっている「無理ゲー」という言葉だが、攻略がきわめて困難なゲームのことを指す。もっとも著者はゲーム・マニアでは全然ないそうなのだが、現代社会は無理ゲーになってきているのでは、と編集者に言ったら共感されたので、このタイトルを選んだという。

 で、本書は何を言っているのかというと、現代社会はリベラル化してきていて、誰もが「自分らしく生きる」ことを目指しているけれど、実際には収入が低いままで、いくら努力しても年齢が上がってもかつかつの生活から脱することができず、死にたいと思っている人間が現実には増えている。なぜそうなるのか、という問題を追究したのが本書である。

 たしかに経済学的な問題、つまり格差の問題で、富が特定の少数者に集中して、その他大勢がワリを食い、低い収入に留め置かれている、という問題もある。しかしなぜそういう社会になったのかというと、リベラルな社会では富は知的能力が高かったり特殊な才能を持つなどの少数者に集まるようにできているからで、知的能力が低い一定数の男女(特に男)は誰もやりたがらない仕事を低い賃金でやるしかないからだ、というのがその答である、という。

 かつて個人は、国家、或いはムラなどの中間共同体、或いは家族や親族といったものに帰属を余儀なくされていた。しかしリベラル化が進むとそうした絆、或いは面倒くさくて個人の自由を阻害する抑圧的存在は後方に退き、或いは消滅する。それは個人の自由が実現したことを意味するが、逆に言えば個人を保護してくれるセーフティネットが消滅したことでもある。そこでは個人の知的能力や才能がむき出しにされ、それに欠けている人間は下層社会を形成するしかないのである(社会と言ってもバラバラな個人に過ぎない)。国家や政治家が悪いからそうなるのではない。リベラル化という左派の主張が実現しているからこそ、そうなるのだという。

 「自分らしく生きる」ことは、当たり前の考え方ではない。比較的最近になって生まれた価値観なのである。それを著者は、チャールズ・ライクという米国人の人生を紹介しながら説明している。ライクは1960年代から70年代にかけて米国で起こった文化革命、つまりカウンター・カルチャーを体現するような生き方をした人物だった。

 ライクは1928年にNYのリベラルな医師の家庭に生まれた。名門イェール大学ロースクールを最優秀の成績で卒業し、法律事務所に勤務したものの馴染めず、やがて学究の道に転じ、32歳の若さで母校イェール大学の教授となる。
 ライクが法律事務所を辞めたのは、アイヴィーリーグを出て仕事ではライヴァルを叩きのめすのを良しとする白人男性エリートたちのハビトゥスに違和感を覚えたからだが、もう一つの理由は彼が同性愛者だったからである。今と違って1960年頃の米国社会では同性愛は認められておらず、そうした性的嗜好を公言することはできなかった。彼はまた、自分の性的嗜好に最初から自覚的だったのではなく、人並みに結婚しようとして女性と付き合いもしたのだが、ぎりぎりになると女性に嫌悪感を覚えて別れてしまうといった行動を繰り返していた。
 そんなライクに転機が訪れる。1967年にサバティカルを与えられたので、西海岸に暮らしてみたのである。当時の西海岸はカウンターカルチャーの聖地だった。ワスプの価値観とは無縁のヒッピーたちの行動や文化に衝撃を受け、またそれまで自分を縛っていた東海岸のエスタブリッシュメントとしての生き方から解放された彼は、「自分を発見して生まれ変わ」った。
 やがてカウンターカルチャーの波は、彼が勤務する東海岸にも押し寄せてくる。ライクはそういう波に洗礼を受けた教え子たち(その中にはクリントンとヒラリーもいたという)にも教えられつつ、新しい生き方を提唱する『緑色革命』(邦訳あり)を出版して一躍有名人となる。しかしそうなってもなお、彼は自分が同性愛者であることを完全には自覚できず、また公言もできなかった。
 そんな彼は四十代になってようやく男性相手に性的な体験をし、やがてイェール大学教授の職も辞してしまう。「自分らしく生きる」ために。

 著者はライクの生涯を紹介しつつ、しかしそれは社会の桎梏が強固に存在し、それを打破して自己実現することに喜びを覚えられた時代だったからこそ可能な生き方だったと指摘する。同性愛が公認されるなど、リベラルな価値観が浸透してくると、上述のように、「自分らしく」生きることは知的能力や特殊な才能に恵まれた人間にのみ許容されたことだという、国家や中間共同体による「抑圧」が存在した時代には見えにくかった事情が顕在化してくる。そして「自分らしく」生きられないが故に人生に絶望する若者が目立ってくるのである。

 以上、この本でいちばん印象深かった部分をやや詳しく紹介した。
 これは本書のほんの一部分で、他にも色々面白い指摘や最新の知見の紹介がある。
 「メリトクラシー」の語源や、その提唱者の先見的な洞察。つまり伝統的な階級社会から訣別して人間が知的能力で評価されるようになると何が起こるか、という問題。
 大ヒットした映画『ジョーカー』での黒人の描かれ方についての指摘。
 一夫一婦制は性的な平等主義から生まれた制度だが、社会がリベラル化すると「モテ」と「非モテ」の差が拡大するから、非モテの男性がテロに走るのは必然となるという洞察。

 少子化に悩む日本だが、処方箋はあるという。つまり、ベーシックインカム制度を導入し、例えば一人に毎月10万円を支給することにすると、南米などには中流の暮らしができれば外国に行ってもいいという女性が沢山いるから、彼女たちを日本に呼んで日本人の(モテない)男性と結婚させ、子供を5人作れば自動的に月70万円入るから、楽々暮らしていくことができる・・・という。うーん、そううまく行くかな?

 日本の農家は嫁不足に悩んでいて、そのために他のアジア諸国の若い女性が日本の農家の男性と結婚し・・・という現実が存在する。それも結構大変なようだけど、私はこの問題については農家に行かない日本女性が悪いという立場なので、そういう現実への批判は控える。前にも書いたことがあるが、「女性は働く意欲があるのに男性社会がそれを妨げる」という言説はウソである。だったら女性はどんどん農家の男性と結婚して汗水たらして働いているはずだ。日本の女性は農家で「働く女」になることより、都会でサラリーマンと結婚して「専業主婦」になることをはるかに魅力的だと思っている(思っていた)のである。でなければこういう事態は起こらない。

 話を戻すと、マイナンバーカードが有効に活かされていないなど、日本のIT化がきわめて遅れているという指摘もあって、共感した。

 経済的な格差の問題については、MMT、つまり国家が赤字国債をいくら発行しても大丈夫だから財政出動で解決しろという見解と、富裕税を設けよという見解とがあり、その点についても説明がある。私としては、MMTは怪しげな理論だから富裕税で行け、という意見なんですが。

 最後には、知的能力に劣る男性(女性も)はサイボーグ化で解決できるかも知れないという、SFめいた見解も紹介されている。もっとも、人間は差異にこだわる生きものだから、そうなっても社会はよくならない、というのが著者の醒めた洞察である。

 橘氏の本は、これに限らず眉に唾付けてと言いたくなるところもあるが、色々な知見を紹介しているので、勉強になる。いずれにせよ、現代社会の問題をリベラル化によって解決することはできず、むしろリベラル化は生きることに困難を覚える人間を増やす、という本書の主張には、基本的に賛成である。

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今年映画館で見た102本目の映画
鑑賞日 9月12日
J-MAX THEATER(上越市)
評価 ★★★☆

 ノルウェー映画、エイリーク・スヴェンソン監督作品、126分、原題は"DEN STORSTE FORBRYTELSEN"(最大の犯罪)。

 第二次世界大戦中、ノルウェーはナチ・ドイツに侵攻されて支配下におかれた。しかし名目上はノルウェーのナチ政党「国民連合」が政権を担っていた。
 この映画は、そのノルウェーでユダヤ人狩りがノルウェー人自身の手によって行われていたという史実を描いている。この事実は長らく忘れられており、冷戦終結後にようやく明るみに出て、2012年にノルウェー首相が公式に謝罪している。

 ここではユダヤ人の家族であるブラウデ家(実在の家族をモデルにしたという)に焦点を当てて、ユダヤ人の運命を追っている。初老の夫婦と息子3人娘1人の家族だが、中心になるのは非ユダヤ人と結婚した息子チャールズと、母親である。当初は成人男性のユダヤ人だけが収容所に入れられて、強制労働と虐待を受けていたが、女と子供は対象外だった。しかし、やがて女子供も対象とされて、巨大汽船でポーランド(有名な絶滅収容所アウシュヴィッツがある)に送られてしまう・・・

 ユダヤ人の一家族が中心になっているので、ユダヤ人が受けた扱いについてはリアリティが非常に感じられる映画だが、逆に言うと上層部の政策や、ナチ・ドイツとノルウェー傀儡政権の関係などにはあまり触れられていないので、或る程度予備知識がないと分かりにくい箇所もある。

 その辺はパンフレット(850円)で知識を補うのもいいだろう。パンフレットにはノルウェーやナチズムの専門家が執筆していて色々と教えられるところがあるが、ユダヤ人犠牲者数については、パンフの数字と映画で挙げられている数字が合わなかったりして、どうしてかなと疑問を覚えた。例えば、ノルウェーから隣国スウェーデンに亡命したユダヤ人は映画では1200人と言われているが、パンフでは630人となっていて、かなり差がある。

 また、当ブログでも紹介した映画『ヒトラーに屈しなかった国王』も併せて鑑賞すると、第二次大戦期のノルウェー事情がよく分かると思う。

  なお、観客数は私を入れて7人。上越市は人口が20万弱とはいえ、日曜の午後としてはちょっと淋しいですかね。
 
                                  

 この映画は上述のように、上越市まで遠征して鑑賞した。
 前に書いたように、新潟市の映画館はスクリーン数だけは多いが、持ってくる作品数がそのわりにはきわめて少ないからである。
 
 そういうわけで、先日の日曜、新潟市から上越市にクルマで出かけた。
 日曜日にしたのは、映画の時間設定が平日だと11時過ぎ(だけ)で、高速を使わないと間に合わない時間帯だったからである。土日は15時台だから、午前中に家を出れば高速を使わずとも間に合う。

 というわけで、日曜日の午前10時過ぎに新潟市西区の自宅を出た。海沿いの国道402号線を南西に向かって走る。新潟市から上越市までは直線距離で100キロ。ふつうに考えれば高速を使わないなら国道8号か116号と思うだろうが、海沿いの402号のほうが信号が圧倒的に少なくスムースに走れて、早いのである。大河津分水を渡るとまもなく観光客向けの魚介類の店が並んでいるので有名な寺泊に着く。寺泊は、昔は独立した町だったが、平成の大合併以降は長岡市の一部となっている。私もここまでは来た経験があるが、ここから先は初めて走る経路である。寺泊までで1時間弱。

 402号を寺泊を越えて先に行くと、途中の出雲崎町で352号線に変わる。そのあたりに道の駅「天領の里」があるので、一休み。ここまで1時間少々。トイレや土産物屋が並んでいるが、日曜日とあって広い駐車場はほぼ満車。バイクも多い。ここに来るまでの間にも走っているバイク群を何度も見かけていたのだが、海沿いで風光明媚なこの国道はバイクにとっては恰好のツアー経路になっているらしい。

 出雲崎の先が西山である。やはり昔は独立した町だったが、今は柏崎市の一部である。ここで352号線は北陸自動車道の西山ICに近づく。なので、国道だけ走ってどの程度の時間がかかるか分からなかったこともあり、国道だけでは時間がかかりすぎるようならここで高速に乗ろうかと思っていたのだが、ここまで1時間半なので、そのまま352号を行くことにする。

 危惧していたのは、352号線は柏崎の市街地で8号線につながるので、柏崎の中心地を通るときに信号や渋滞などで時間を食うのでは、という点だったのだが、杞憂に過ぎなかった。柏崎の中心街をそれまでとほぼ変わらないスピードで通り抜け、国道8号線に入る。しかし、見方を変えれば、地方都市の中心街に元気がない、ということかも知れない。日曜日の昼頃だというのに。自宅を出てから8号線に入るまでで2時間弱。

 8号線に入れば、あとはまっすぐ上越市に向かうだけである。8号線から、直江津と高田を結ぶ上新バイパスに入る(上越市は、直江津市と高田市が合併してできた都市)。少し行くと上新バイパスと北陸高速道路が交差する地点に入る。めざすシネコン「J-MAX THEATER」はこの交差地点のすぐ脇にある。

 シネコンに行くには、この交差地点に入る前に一般道に下りるのがいい。実はその点が分からず、交差地点を過ぎてから一般道に下りようとしたら、しばらく先まで行かないと一般道に下りられる分岐路に着かないことが判明し、下りてから少しく後戻りする結果となった。新潟市の自宅からJ-MAXまでは、2時間50分ほどである。

 午後1時頃になっていたので、シネコンのすぐ近くにあるイオン・モールで昼食をとる。ついでに、何かうまそうな地酒がないかと食品売場をのぞいてみたら、ちゃんと地酒コーナーが設けられていたので、4合瓶を3種類購入。「君の井」など新潟市でも有名なメーカーのものもあったが、こういうのは新潟市内でも探せば入手できるから、知らないメーカーの酒にした。いずれも1000~1200円程度。私は吟醸酒は好きではなく、本醸造くらいがちょうどいいと思っている。というか、本醸造で「うまい」と思わせる酒が造れない酒蔵はダメだと思っている。もっともまだ9月で残暑の季節だから、晩酌に日本酒を飲むのは2ヵ月半くらい後になりそう。晩酌は、季節を問わず発泡酒から始めるが、そのあとは暑い季節だと芋焼酎のロック、もう少し涼しくなると赤ワイン、寒い季節には日本酒、というのが私の定番である。

 映画が始まる時刻までにはなお時間があったので、クルマの中で持参した本を読んでいたが、気温が30度近くあって暑い。冷房を効かせればいいようなものだが、そのためだけにエンジンを付けっぱなしにするのは私の趣味ではない。シネコンの中で読めないかなと思い、イオンからJ-MAXに移動して、中に入ってみた。このシネコンに来たのは初めてである。新潟市でやらない映画を見るために長岡市に行ったことはあるが、さすがに上越市となると遠いので。

 ロビーはさほど広くはないが、すわれる場所がそれなりにあったので、そこで本を読む。日曜日だけど、ロビー内の人間の数は多くない。30分ほどして入場時間が近づいてきたので、チケットを購入。係員のいる窓口と、自動券売機と双方で購入が可能だが、私は券売機にした。新潟市でもイオンシネマとTジョイは券売機があるが、それと違うのは、こちらは現金のみで、クレジットカードが使えないこと。うーん、今どきカードが使えませんか。

 チケットを購入してから、ロビーに隣接するトイレに入ったら、これが狭くて、男性用は大用1、小用1しかない。あまりの狭さに驚く。しかし、チケットを係員に見せて、左右にホールが並ぶ通路に入ってみたら、そこにもトイレがあった。映画を見終えてから入ってみたら、こちらのほうがはるかに広い。大用が3、小用は10以上ある。入るならこちらがお薦めである。

 映画の終了が午後5時45分頃。外はやや暗くなりかけている。新潟に戻るためにクルマを走らせて、最初は8号線を走っていたが、やがて完全に暗くなったこともあり、柿崎で高速に乗る。高速を1時間弱走って、中之島見附ICで下りる。高速料金が1740円。こちらはカードで支払いができるから便利だ。

 中之島見附から分水町に出て、そこから116号線で自宅まで走る。中之島見附から自宅までの経路は、映画やコンサートで長岡との間を往復するときによく走っているから、道は熟知しているのである。中之島見附から自宅まで、1時間弱。時刻は午後8時近くになっていた。

 というわけで、上越市まで映画を見に行って1日をつぶした、という話でした。高速を100%使っていれば半日で済むところだが、時間とお金と、定年退職した人間にとってどちらが貴重かということである。今回は高速料金とガソリン代を合わせて3000円程度だった。これが往復とも高速を100%使うと7000円以上かかる。高速バスで往復するという手もあるが、バス停とシネコンがやや離れているのに加え、料金が往復で約4000円、加えてバス内で新型コロナに感染する危険性もある。自分のクルマで行けばそういう危険性はない。その辺を勘案して、今回のような行き方を選んだ。

 映画1本のために100キロ移動するのは贅沢なようだけど、何しろ新型コロナのせいで「県をまたぐ移動はなるべくお控え下さい」のご時勢である。私も、一昨年11月に上京したのを最後に、新潟県を出ていない。新潟市を出たのすら、ほんの数回(5回にならない)である。海外旅行はもとより、国内旅行も上京もできない中では、たまにこのくらいのことはしないと、気晴らしができない。

 ちなみに、J-MAXで映画の予告編『沈黙のレジスタンス』を見たのだが、これが面白そう。2週間後、また上越に遠征しようか・・・

 先週の毎日新聞報道より。なお、同趣旨の報道は読売もやっていた。

 https://mainichi.jp/articles/20210908/ddg/041/040/004000c
 新型コロナ 生徒に挙手させ接種の有無調査 奈良の中学校
 毎日新聞 2021/9/8 西部夕刊

 奈良県五條市の市立中学校で1日、2年生の担任教諭2人が各学級の生徒たちに、新型コロナウイルスのワクチン接種を受けたかどうかを、手を挙げさせるなどして調査していたことが分かった。教諭らは翌2日、「聞くべきことではなかった」と生徒に謝罪した。

 同校によると、2年生2学級の担任がそれぞれ、始業式後の学級活動の時間に、みんなの前で生徒に挙手させたり、個別に聞き取ったりしてワクチン接種の有無を調べたという。

 市教委からの連絡を受けて校長が担任らに確認したところ、「学校行事や生徒の生活の把握のために調べよう」と2年生の担当教諭らで話し合い、調査を決めたという。校長は毎日新聞の取材に「調査すること自体間違ったことで、申し訳ない」と述べた。

 文部科学省は学校現場に対し、生徒の行事への参加などに際してワクチン接種などの条件を付さないよう求めている。【高田房二郎】

                             

 というわけで、毎日新聞は生徒が新型コロナウイルスのワクチン接種を受けているかどうかを学校が調べてはいけない、と考えているらしい。調査した教諭は「聞くべきことではなかった」と生徒に謝罪し、校長も「調査すること自体まちがったこと」と言ったそうだから。

 むろん、この場合は挙手で、つまり教室にいる全員に分かるような方法で調べたわけだから、その点はまずいと私も思う。紙に書かせて折りたたんだものを回収するなど、やり方を工夫するべきだった。

 しかし、学校内でのクラスター発生が珍しくなくなっている現在、生徒が接種を受けているかどうかを学校が調べるのは当たり前のことだと私は考える。

 例えば或るクラスやクラブでクラスターが発生したとすると、感染した生徒がワクチン接種を受けているのかいないのか、感染のしかたが接種を受けている生徒とそうでない生徒で差があるのか、差があるなら学校としてはどのような対策をとればクラスターの発生や拡大を防げるのか・・・といったことを学校で把握し対応を考える際に、この種の調査が有用なことは明らかだろう。

 こういう毎日新聞の姿勢は一種の蒙昧主義ではないか。新型コロナ対策では学校側は何も知らなくていい、お上の指導に任せておけばいい、と主張しているのと同じことだからである。校長や教師は自分の頭で新型コロナ対策を考案してはいけない、そう毎日新聞はこの記事で言っているのである。

 この種の調査は、単に学校側の対策に有用というだけではない。きちんとした方法でデータを集めれば、医学者や行政側が新型コロナ対策について学校に適切なアドバイスをすることだって可能になるだろう。

 とにかく、データを集めることに一種のアレルギー反応を示す日本のマスコミは、異常だとしか思えない。

 ところで、学校ではないが、アメリカのNYでは、各種施設を利用する場合にワクチン接種証明書を求めることになった、という記事が一昨日の産経新聞に載った。

 https://www.sankei.com/article/20210914-DFGKPY4W5FJYVPSKTYUYMZPAPY/

 (前略)
 また、〔ニューヨーク市では〕13日から屋内の飲食店やスポーツジム、映画館や劇場、美術館などの施設を利用する12歳以上の客にワクチン接種証明書の提示を求めることが義務付けられた。違反した場合、施設側に最大5000ドル(約55万円)の罰金が科せられる。

 劇場街ブロードウェーでは14日から収容人数に制限を設けず公演を始める予定で、観覧客はマスクの着用を求められる。健康上や宗教上の問題でワクチンを接種できない人には陰性証明書の提示を求めている。(ニューヨーク 平田雄介)

                                  

 NYでは以上のように、学校ではないものの、人の集まる施設ではワクチン接種証明書あるいは陰性証明書の提示が求められるようになった。

 「自由の国」アメリカではワクチンに対する忌避感情を持つ人間もそれなりにいるようだが、他方で行政側はこういう「強権」を発動してもいる。

 疫病流行に対する対策は、プライヴァシーの重視といった近代主義の原則を場合によっては凌駕する。そういう危機管理の基本としてのデータ収集は、推進するべきことではあっても、非難すべきことではあるまい。

                                    

 このようなマスコミの変な姿勢は、個人情報の保護ということが言われるようになってから目立ってきている印象がある。このブログでも「個人情報漏れを大騒ぎするバカ」という記事を載せたことがあったけど、こうした状況はひどくなる一方のようだ。

 昔話をしよう。
 私が高校一年のとき(1968年)、クラス名簿(当時なのでガリ版刷り)が50人の生徒全員に配布された。生徒の氏名と住所はもとより、保護者(ほとんどは父親)の名と職業まで記してあった。私の父なら「会社員」である。

 ところが或る生徒の父の職業欄には、「社長」と書かれていた。それでクラス内では、「あいつは社長の息子なのか」といった話題が出るなどした。

 むろん地方都市の高校だから、社長といっても小規模な地場産業の社長である。職業欄は生徒が提出した書類に基づいて記載されたようだが、その生徒に多少の常識があれば、「会社経営」だとか「水産物加工業」といった表現になったと思われる。その生徒は私と同地区の中学(私の出た中学の隣接学区)の出身で、そこは港町だったから、彼の父は水産物を加工して土産物にして出荷する会社を経営していたのである。

 その生徒は高校卒業後、東京の私大を出て父の会社に入り、やがて常務となった。彼は次男だったからで、専務は長男である。そういう同族経営の小さな会社だった。

 何にしても、親の名と職業まで生徒名簿に載っている牧歌的な時代ではあった。

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評価 ★★★☆

 著者は1984年生まれ、北大法卒、同修士課程修了、英国サセックス大学博士課程修了、関大准教授。本書は著者の博士論文の一部を書籍化したもの。

 人道主義というと、一般によいものとしてイメージされるが、実際にはヨーロッパの植民地主義においてはその支配を正当化したり、その後は第三世界の開発や、第二次大戦後のいわゆる平和構築運動活動を、必ずしも芳しくない側面から支えたりしてきたという視点をもとに、実際に人道主義がどういう場面でどのように機能してきたのかを明らかにした書物である。

 ここで重きをなすのがトラスティーシップ(trusteeship)という概念である。これは、国際社会において「介入」「統治」をする側とされる側の非対称的な関係、および介入・統治の場を指している。これはもともとはイギリス帝国がみずからの植民地支配を正当化するために作った言葉であった。「非ヨーロッパ人の保護、福祉、発展に寄与する責任」を宗主国が担う、という意味合いである。要するに文明化されたヨーロッパには、非文明的なアフリカやアジアなどを教化・指導する義務がある、というわけだ。これはさらに第二次大戦後の国連による信託統治制度にも適用された。また冷戦後の国際的な管理体制にも同じ概念が使われた。本書では触れられていないが、アメリカが撤退を決めたアフガンにおけるここ数十年の歴史(アフガンへのソ連侵攻開始は1979年)も、そうした概念なしでは理解できないかも知れない。

 一般には植民地主義は宗主国が自国の利益のために搾取を行うことであり、第二次大戦後の「人道的介入」や平和構築作業はあくまで現地人のため、と峻別されがちである。しかし、では植民地統治には人道的な視点が全然なかったのか、「人道的介入」には介入する側の利益が全然計算に入っていないのか、というと、そうではないと著者は指摘する。そして両者の共通項が「人道主義」なのであり、そこに焦点を当てることで共通した問題点を摘出できるのではないかというのが、本書のモチーフである。人道主義は必ずしも政治と無縁で中立的な考え方・行動ではないというのである。

 以下、著者は五章に分けてこの問題を実例とともに追求する。
 第1章は「英領インドと人道主義」である。
 インドに対する英国の植民地主義的支配は、当初は東インド会社を通じて行われた。しかしこれが腐敗し現地人のためになっていないという声が18世紀末に強まり、英国が直接インドを支配したほうがいいという声が高まった。その際に、インド人は野蛮と独裁に苦しんでいるから、英国が植民地統治により救わなければならないのだ、という見解が功利主義者によって広められた。このように、支配する対象には自力だけでは更生しがたい欠点や未熟さがあると規定するやり方を、著者は「病理化」と呼んでいる。支配する側は必ず、被支配側には病理があるから、支配することで治癒しなければならないのだと主張するのである。

 具体的な政策としては、女性に関する慣習(未亡人の自殺、女児の殺害など)の廃止、キリスト教の強制(東インド会社は現地の宗教には不干渉の態度をとっていた)、英語の公用語化、などである。

 しかし1857年に起こったインドの大反乱は、楽天的な啓蒙主義に深刻な打撃をもたらした。単純な文明化理論では大反乱は説明できなかったからである。そのため、現地の宗教も現地人にとっては社会的な安定に資するものだったという、一種の伝統擁護論が強くなる。だがここから、新たな病理化が生じた。「伝統」を尊重するために、カースト制度などが固定化・強化されてしまう。もともと曖昧で多様だった社会が、英国の視線によって単純な階級社会に変貌してしまうのである。またこれによって間接統治が採用されたために、インド人は英国人と同じレベルには到達しがたいという本質論も強くなる。

 次の第2章が「アフリカと人道主義運動」である。
 まず、反奴隷運動について。
 反奴隷運動は英国から始まった。しかし、最初は自国やヨーロッパの奴隷売買を批判していた論調は、やがてアフリカ人に向かう。アフリカ人による現地人の奴隷化や奴隷売買も多く行われていたからだ。これによってアフリカの「病理化」が行われる。アフリカ人は野蛮人とされ、これによって帝国の支配、そしてキリスト教化や農地改良などが正当とされる。こうした言説には宣教師も多く加担していた。
 もう一つ、アフリカで目立つのは「現地人保護」という思想である。ここでも宣教師が大きな役割を果たし、宣教師を受け入れた部族は植民者(つまり宗主国の人間)に戦争を仕掛けたりはしない(要するに宗主国に都合がいい)などと賞讃された(94ページ)。しかし他方で植民者側だけの都合を考えた政策はしばしば現地人の反発を買い、紛争の種にもなった。そしてそういう場合、宗主国は情容赦ない弾圧をもって応えたのである。

 第3章も、アフリカ分割につながったベルリン会議の内実、第一次大戦後の委任統治制度の導入にあたっての米欧の利害関係の対立、ヨーロッパとアジア・アフリカでは二重基準がとられたことなどを紹介していて興味深いが、ここでは詳細は省く。

 第4章は第二次世界大戦後から冷戦期にかけての分析、第5章は近年のボスニア・ヘルツェゴビナやコソボへの介入政策の検討である。

 終章の結論部分で著者は、人道主義の過去のマイナスをふまえて、しかし思慮に満ちた人道主義を、慎重に採用するしかないと控えめな主張を行っている。言うまでもなく、不介入で行っても地球上の紛争が収まるわけではないからだ。

 私の読んだ印象では、第3章までは人道主義につきまとう陥穽がそれなりの説得力をもって展開されている。しかし時代が近くなる第4章と5章は、たしかにコソボ空爆がまたしても特定地域の「病理化」により行われたという説明も分かるが、要するに対象地区に関する情報を正確かつ客観的に捉える能力がこの期に及んでもヨーロッパ先進国に欠けていたということで、その辺は今後の課題であることはたしかだが、「人道主義」概念だけで物事を説明するのには限界があるように思う。

 また、最近の香港情勢に見られるように、植民地化は必ずしもマイナスではなかった、と主張することも可能な現象が起こってきている。アフリカの混乱にしても、アフリカの年と言われた1960年からすでに60年がたっている。アフリカの「近代化」がうまく行っていないのは、むろん植民地主義の爪痕や、グローバル企業の無責任な収奪、経済学者(世銀・IMFも含む)の単純すぎる理論など、様々な理由があるにせよ、アフリカ人自身の「自己責任」を無視することもできないだろう。ルワンダ虐殺は先進国が介入を強化していれば防げた、という指摘もまた真実なのだ。
 
 人道主義の長所と欠点を指摘した本書にはそれなりの意義があるが、それだけでは問題は解決しないというのが、私の感想である。

 新潟県立図書館から借りて読みました。

 先週の月曜日の午後から、使っているパソコンの右下に変な表示が出るようになった。それも一種類ではない。
 いずれも、「ウイルスに感染している、詳細はこちらを」という表示で、消しても消してもしつこく出る。Windows10のマークが入っているものもある。マイクロソフトからの通知だと称している。

 なので、クリックしてみたら、「トロイの木馬」に感染しているから、こちらに電話を、という警告が出た。しかし、その電話番号が050で始まるケータイ電話なのである。
 
 怪しいとは感じたが、しつこく警告が出るのでもしかしたらと思い、電話してみたところ、外国人とはっきり分かる話し方の女性が出た。ますます怪しいと思ったが、いちおう話をしてみたら、パソコンの内部に入らせてもらわないとウイルス除去が出来ないと言う。「だけどウイルス・ソフトは入れているはずなんですが」と答えたら、そこで電話が切れた。

 これ以外に、やはりウイルスに感染しているから対策ソフトを購入しろ、という警告もしつこく出る。

 ふつうにパソコンで作業をする分にはさほど支障はないけれど、しつこく出るのがうるさいし、本当に「トロイの木馬」に感染しているとまずいこともあるかも知れないと思い、木曜日に新潟大学に用事を足しに行った(10月から非常勤で講義を受け持つので、テクストをPDFファイルで配布しなければならず、そのための予備作業)ついでに、情報処理センターに寄って、その相談室でパソコンを調べてもらった。

 やはり、詐欺だという。最近、こういう詐欺が増えており、あちらは最終的にはビットコインか何かでカネを払えと要求してくるのだという。

 しかし相談室にいた若い女性はそれ以上のことができず、別室から若い男性を呼んで、このインチキ掲示が出ないようにしてもらった。ウイルス・ソフトは入れているはずだが、と私が言ったら、それも調べてくれて、どうも機能していないようだという。さらに調べたところ、そのソフトはこの春に期限が切れており、私はクレジットカードで代金を支払って更新したつもりだったのだが、その際にあちらからメールで送付されてきた番号を入力しないと更新作業が完了しないところ、うっかり入れ忘れており、そのせいで機能していなかったと判明。その男性が番号を入れる作業もやってくれて、ようやくパソコン・ソフトも機能するようになった。

 そのソフトはとりあえず大事な箇所についてはウイルスを除去する作業はすぐに終わらせたが、パソコン全体についての作業は2時間くらいかかるとその男性に言われたので、パソコンの電源を切らずに自宅に持ち帰り、全体の作業をやることにした。

 しかし自宅で作業を開始したら、30分とかからなかった。多分、理系で複雑な計算などをするソフトをいくつも入れているパソコンの場合は2時間もかかるのかも知れないが、私は文系だから、サイト閲覧、メールの送受信、ワープロでの文章作成、Excelでの表作成、それにこのブログの更新、程度しかパソコンを使っていない。だから作業が早く済んだのであろう。

 何にしても、新潟大学情報処理センターの方々にはお世話になりました。
 また、こういう詐欺が流行しているそうだから、このブログを読んでいる皆さんも注意しましょう!

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今年映画館で見た101本目の映画
鑑賞日 9月11日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 堀江貴大監督作品、119分、「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM 2018」 の準グランプリ作品だとか。

 早川俊夫(柄本佑)と佐和子(黒木華)はマンガ家の夫婦。かつては佐和子が俊夫のアシスタントだったのだが、今は佐和子が人気マンガ家、俊夫は数年来作品を発表しておらず、佐和子の作画に協力するだけとなっている。或る日、佐和子は若い女性編集者・千佳(奈緒)が駐車場で夫と抱き合っている姿を見てしまう。

 それからまもなく、茨城県で一人暮らしをしていた佐和子の母(風吹ジュン)が倒れたとの知らせを受けた夫婦は、当面は母の家に逗留して仕事をすることに。しかし佐和子は運転免許を持たなかった。地方都市では運転ができないと不便なので、自動車教習所に通い始める。ほどなく、俊夫は妻の仕事部屋で新作マンガの下書きを見つけるのだが、それは人妻であるヒロインが自動車教習所でイケメンの若い教員と出会い、不倫に走るという筋書きだった・・・

 妻の描く不倫マンガが事実か虚構か・・・というあたりで、夫婦がひそかに心理戦を繰り広げるところが見どころの映画。ほどほど面白い。ただし突き抜けた面白さ、というレベルにまでは達していないと思う。

 新潟市では全国と同じく9月10日の封切で、ユナイテッドにて単独公開中。県内では他にTジョイ長岡でも上映している。

ヤフオク! -中野重治全集 中野重治の中古品・新品・未使用品一覧
評価 ★★★☆

 中野重治の作品を読んだことがなかった。これは、私が親から買ってもらった文藝春秋版の日本文学全集である「現代日本文学館」に中野重治が収録されていなかったせいもある。むかし、日本文学全集はいくつかの出版社から出ていたが、出版社や編集者の考え方により収録作家や、どの作家に重きをおくかが異なっていた。集英社版は巻数が88と多いこともあり(文藝春秋版は43巻)、その分多数の作家を収録しており、また文藝春秋版とは異なって詩人をも対象としていた。

 この集英社版日本文学全集の「中野重治」は、いつだったか新潟市の古本屋である文求堂で購入したもの(だから私が新潟大に赴任した後で、つまり1980年以降である)。裏表紙の見返しに文求堂と押韻されたラベルが貼ってあり、¥350の値段が鉛筆の横棒一本で消されて¥300となっている。ずっとツンドクになっていたが、今回ようやく読んでみた。といっても全部ではなく(作品部分は400ページ弱で、注と解説と年表がついて全部で450ページほど)、とりあえず短篇の『村の家』(四六版二段組で23ページ)と中篇の『歌の別れ』(同73ページ)の二作品。

 中野重治は明治35年(1902年)福井県生まれ、家は自作農で小地主でもあり、重治は次男だった。ただし父は煙草専売局に勤務していた。旧制福井中学(現・藤島高校)から旧制第四高校(金沢)に進学。三年制の学校を五年間かかって卒業し、大正13年(1924年)に東京帝大文学部独逸文学科に進学した。高校時代から文学青年で文学で身を立てたいと思っていたが、東大在学中からマルクス主義に惹かれ、プロレタリア芸術の方向性をとるようになる。昭和2年(1927年)に東大を卒業し日本プロレタリア作家同盟に加わるなどして活動を続け、昭和6年に日本共産党に入党。それまでにも逮捕された経験があったが、昭和7年に逮捕されてからは獄中生活を続け、昭和9年に共産主義運動から身を引くと警察に誓約(いわゆる転向)して出所する。『村の家』はその翌年、昭和10年の作品であり、『歌の別れ』は昭和14年の作品である。昭和20年、日本の敗戦により日本共産党に復帰し、昭和22年から3年間参議院議員を務めた。以後も日本共産党系の文学者として活動し、昭和54年(1979年)に死去。

                        *

 『村の家』は、中野重治の転向体験を綴った私小説。文学史的には有名な短篇なので、私も評論などを通じておおよその内容は知っていた。中野重治の父が孫蔵、中野自身が勉次という名で登場する。獄中にいた勉次が転向を決意し、弁護士や父の協力も得て釈放され、その後に父から長い説諭を受けるところが圧巻。ここで父は、単に次男である勉次が転向したということだけではなく、いかに生活が大変で、また当時は人が若くしてよく死んでいたことを(勉次の兄も大学卒業直後に死去している・・・これは実際に中野家がそうだったのである)語っており、その辺に生きるというのはどういうことなのかがしみじみと感じられて、重い読後感が残る。
 
 一見すると小地主で経済的には恵まれたように見える家(実際に二人の息子を大学まで進ませたのだから大正期としては裕福な部類である)が、実際には借金だらけであり、他方で貸しているカネもあるものの、いつ戻ってくるかは分からないという状況にある。

 また、父は息子のように「学問」があるわけではないが、物事が分かっていないわけでもない。村では寺の僧侶がそれなりの地位を占めているが、寺の坊主が共産党の悪口を言うけれど、「共産党のことも何にも知らんでいて悪口じゃ。お父つあんじゃって何にも知らん。知らんけれども、坊主どもの話しを聞いていて、奴らアお父つあんよりもまだ知らんことがわかる」と語るなど、それなりの判断力を持っている。

 孫蔵は最初は逮捕された息子の件には関わらないつもりだった。だが嫁のタミノ(勉次の妻)に懇願されて息子の出所を援助することになる。父は戻ってきた息子にしかしこう言う。「転向と聞いた時にゃ、おっ母さんでも尻餅ついて仰天したんじゃ。すべて遊びじゃがいして。遊戯じゃ。(…)お前がつかまったと聞いた時にゃ、お父つあんらは、死んでくるものとしていっさい処理してきた。小塚原で骨になって帰るものと思て万事やってきたんじゃ。」

 父は息子が文学をやっていることを咎めているわけではない。しかし、次のように言う。
 「輪島なんかのこのごろ書くもな、どれもこれも転向の言いわけじゃってじゃないかいや。そんなもの書いて何しるんか。(…)今まで書いたものを生かしたけれゃ筆ア捨ててしまえ。それゃ何を書いたってだめなんじゃ。今まで書いたものを殺すだけなんじゃ。」
 「土方でも何でもやって、その中から書くもんが出てきたら、その時にゃ書くもよかろう。」

 勉次はそうした父の言葉が身にしみて分かるものの、しかし「いま筆を捨てたら本当に最後だと思」い、父には「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います」と答える。父は「そうかい……」と「侮蔑の調子で」言う。

                          *

 『歌の別れ』は、中野重治が金沢の第四高校の学生だったとき、及び東京帝大に進学したばかりの頃を描いた自伝的な作品である。

 学生が寺の二階に下宿している様子は、島崎藤村の『破戒』の冒頭を飾る有名な文章「蓮華寺では下宿を兼ねた」を想起させる。つまり昔は寺がよく下宿をやっていた、ということである。ちなみに織田信長は明智光秀の謀反により命を落としているが、信長が本能寺に宿泊していたのは、当時も寺が宿泊施設を兼ねていたからである。

 カネがないと言いながら、店に入ってよく飲食をしているのが戦前の旧制高校生の生活ぶりを鮮明に印象づける。「街が狭いため、学生、役人、学校教師、新聞記者などのうち、酒屋やバアでしょっちゅう顔を合わせる連中はいつのまにか一種の知合い関係になっていた」とある(92ページ)。

 金沢の医科大学や高等工業学校(いずれも現在は金沢大学。第四高校もである)にも言及があり、丘陵地帯や川の位置も含めて金沢という街の様子がそれなりに描写されている。
 「特殊部落」の地名に関する話題も出てくる(116ページ以下)。

  学校では、ドイツ人教員に関する記述が面白い(100ページ以下、「手」と題された章の冒頭)。

 主人公の安吉(中野重治自身)は文科の学生だが、理科の友人がいて、開業医の息子であり、別の家に養子に行く話がすでに決まっている。しかし友人は落第が確定的で、しかも自分は医者には向いていないからと、養子の話を破談にしようと考えている。そこで友人が「開業医なんて、おれゃ自分の家がそうだったから知ってるが、そりゃひどいんだ。九十パーセントはインチキだよ」と言っているのが、案外真実を衝いているのかな、と思う(少なくともあの時代には)。(115ページ)

 女学校も出てくるが、小柄な一年か二年の生徒を「四年ぐらいの生徒が抱くようにして接吻をしている」なんて描写がある(110ページ)。大正時代、女学校の同性愛は公認だったんだな、と改めて痛感させられる。

 安吉は学校では雑誌を出しているのだが、マイヨールの彫刻の写真を表紙に使ったら、問題になるかも知れないと言われたというエピソードは、時代を感じさせる(103ページ以下)。
 
 中野重治は三年制の旧制高校を五年かけて卒業した。つまり二回落第しているわけだが、この小説でも進級できるかできないかは学生の話によく出ており、その点について親しい教授から情報を得たり、退学になったら(同一学年で二回落第すると退学)どうするかという話題も登場する。安吉は、退学になったら大学の選科に行けるだろうかと思い、教授に相談したりする。旧制高校は文科と理科に分かれていたが、理科には関西の人間が多いとも書かれている。金沢は東京よりは関西に近いから、(今も)関西文化圏なのである。(北陸で、福井、金沢、富山は関西圏だが、新潟になるとちょっと違ってくる。)

 時代的には、金沢時代は関東大震災(大正12年)が起こった直後で、「片口なんかア(…)去年落ちないで大学に行っててみろ、地震にその面じゃア――危い、危い」なんてセリフも出てくる。東京の大学に進学した友人が、震災のために京都大学に転学したという話題も。安吉が東京帝大に進んでからは、震災の爪痕が残る東京の様子も描かれている。

 この小説はいくつかの章題により構成されているのだが、全体のタイトルである「歌の別れ」は最終章の題である。東京帝大に進学した安吉は東京で酒屋を営んでいる親類の家においてもらうことになる。
 そこで、安吉が初めて東京に来たときのことが回想として語られている。ちょうど中学を出たところで、四高受験を前にした安吉は「試験に対する度胸をつくるため」に高等商業(東京高等商業学校)の入試を受けてみるのだが、不合格となる。中野重治が四高に進学したのは大正八年だから、当時の東京高商の入試がかなりの難関だったことが分かる。ちなみに東京高商はその翌年、大正九年に東京商科大学に昇格している(戦後に一橋大学となる)。
 大学で時間割を組むのに苦労する話、名のある作家に会いに行くが無愛想な対応を受ける話などが出てくる。

 「歌の別れ」という章題(そして小説全体のタイトル)は、最後のエピソードから来ている。大学生となった安吉は、金沢時代にも短歌の会に参加していたのだが、東京に来て同様の会があると知り、出てはみたものの、出席している人たちの歌の質にあまり感心できない。それがきっかけで短歌ではなく、文学をやるにしても別の方向性をとることになるのでは、と安吉が予感するところで、この作品は終わっている。

 この続きは『むらぎも』という別の小説になっている。これも(この本に収録されているので)読むつもりだが、ちょっと長いので(230ページほどある)、いずれ別の機会に紹介します。

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今年映画館で見た100本目の映画
鑑賞日 9月8日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 日向史有(ふみあり)監督作品、103分。

 首都圏に住むクルド人青年やその家族を映し出したドキュメンタリー。現在、首都圏にはクルド人が1500人近く住んでいるそうである。

 青年は小学校三年生時に家族と共に日本に来て、その後日本で小学校から高校までを出たものの、今も定期的に入管に手続きに行かねばならず、しかも「日本から出て行け」的な言葉を投げられたりしている。高卒後も手に職を付けようとして努力しているのだが、日本国内に永住し普通に働く権利自体が認められていない現状では、将来への見通しが立たない。結局、裁判に訴えて(支援してくれる弁護士はいる)・・・とならざるを得ないのである。

 先頃、スリランカ人女性が入管局の中で病死して問題になったが、入管局の建物には長期にわたり閉じ込められた状態の外国人が多数いて、一種の刑務所のような状態になっている。この映画にも、青年の叔父がそこに入れられていて、途中で体調を崩して救急車を呼んだところ、入管局側が救急車を拒否して追い返す、といったシーンが出てくる。

 この映画を見ていると、たしかに子供の頃から日本に住んでいて将来も日本で働きたいという意向を持つクルド人青年に永住権を与えないのは、よろしくないと思えてくる。その辺は、人道上の理由を優先して対処すべきであろう。

 ただし、この映画は日本に住むクルド人に寄り添う形で作られているので、日本におけるクルド人問題、或いはそもそもクルド人とは誰なのかがこの作品を見て分かるわけではない。例えばなぜクルド人は、地続きのヨーロッパや中東ならいざ知らず、遠い日本にやってくるのか、なぜクルド人はもともとの居住地にいられないのか、なぜ日本の入管は難民に対して厳しいのか・・・といった疑問には、この映画は全然答えていない。

 したがって、この映画だけでクルド人問題が分かるわけではない。というか、分かったと思うのは危険である、ウィキペディアに「在日クルド人」という項目があるので、これを読むと簡単にクルド人が置かれている状況や日本政府がなぜ彼らを難民として認めないのか(つまり永住権を与えないのか)が分かる。

 また、難民や移民の大量流入によりヨーロッパで色々な問題が起こっていることは周知の事実である。映画でも、ダルデンヌ兄弟による『その手に触れるまで』が作られ、日本でも昨年公開されている。ベルギーに住む移民二世の少年がイスラム教原理主義にとりつかれて・・・という物語である。「移民や難民を受け入れれば多様な価値観が浸透して社会は活性化し平和が実現する」なんて単純な話を信じているヨーロッパ人は、今どきはいないだろう。

 だから、人道上の理由によりクルド人に日本での永住権を認めるのはいいが、ヨーロッパのような混乱や犯罪がそれによって起こることを覚悟の上ですべきだ、くらいの認識は持っていなければならない。
    
 この『東京クルド』でも、冒頭で在日のトルコ人とクルド人との間で乱闘事件が起こったことが紹介されている。難民を受け入れるとは、つまりそういう事件が増えるということなのである。

 なお難民問題については、墓田桂『難民問題 イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題』(中公新書、2016年)が出ている。こういった本を読んで、難民問題をしっかり把握しておくことが大事なのである。映画一本だけで判断しないように。

 東京では7月10日の封切だったが、新潟市では8週間の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定上映された。

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今年映画館で見た99本目の映画
鑑賞日 9月2日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★

 タカハタ秀太監督作品、119分、原作の佐藤正午の小説は未読。

 主舞台は現代の富山市。富山に住む作家・津田伸一(藤原竜也)はかつてはヒット作を出したが、最近ぱっとせず、アルバイトにドライバーをしている。その津田が新しい小説『鳩の撃退法』の構想を編集者・鳥飼(土屋太鳳)に話し、原稿も少しずつ渡していくが、鳥飼にはその内容がどことなく怪しげに思え、現実の闇をそのまま描いているのではないかと危惧する。

 他方、津田は行きつけのカフェでバーのマスターである幸地(風間俊介)と知り合うが、幸地はまもなく失踪してしまう。そして津田の小説にはその事件が登場する。

 さらに、津田と顔なじみの古本屋経営の老人(ミッキー・カーチス)が急死し、津田にスーツケースを残す。その中には一万円札が3003枚入っていた。津田はそのうち3枚をとりあえず財布に入れて・・・

 ・・・と前半の筋書きを紹介したが、とりとめもない感じで、何がこの作品の核心なのかが見えてこない。なので前半は(先行きが読めないので)まあまあ面白く見られるのだけれど、後半に来ると3枚の一万円札を軸に作品が展開されることになる。しかし、逆に言うと後半はそれだけであり、単調で映画としての魅力に乏しい。後半には富山闇社会のボス(豊川悦司)も登場するのだけれど、その動きもまた単調。

 原作は未読だが、かなり複雑な仕掛けの作品らしいので、脚本化(タカハタ監督と藤井清美)の段階で失敗しているのかも知れない。とにかく、映画作品としての面白みや深さに欠けていると言うしかない。

 新潟市では全国と同じく8月27日の封切で、Tジョイを除くシネコン3館で公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映されている。

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評価 ★★★

 出たばかりの新書で対談本。工藤は1960年鶴岡生まれ、東京理大卒、山形県公立中学教員と東京都の公立中学教員を歴任し、都の教育委員会などをへて横浜創英中学・高校長。中学教育改革に携わってきた人だそうで、著書が何冊か。鴻上は1958年新居浜生まれ、早大法卒、作家、演出家、著書が何冊か。

 最初に校則問題が話し合われている。変に厳格な校則をなくすべきだという点では二人の意見は一致しているが、工藤は、教師の決めた校則を変えさせることにエネルギーを費やしすぎるのは良くない、と述べている。つまり教師側が作った問題意識に乗ってしまうからで、校則よりもっと大事なことがたくさんあるはずだから、そういうことに時間を使ったほうがいいというのである。と言っても「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」なんて教師得意のフレーズが完全に間違っていると明言してはいる。また、校則を変えさせるにしても戦略が大切で、いたずらに正面から教師にぶつかってもうまく行くはずがないとも。それはまあそうだろう。教師は生徒に対しては権力者なんだから。

 私が読んでいて共感した部分をいくつか挙げると、教師の職組は労働条件を一番の課題にするのが筋で、思想的な事柄は措いておくべきだという鴻上の発言(89ページ)。これには工藤も同感しており、また工藤は別の箇所で、自分はヒラ教師時代も職組に入っていなかったと述べている。当ブログ制作者も入っていなかった。いちど、職組系の歴史学教授で当時人文学部長だった人に「職組は労働条件と研究条件に限定して活動したら」と提案してみたが、「そういう考えは受け入れられない」という答だった。職組がイデオロギー団体である限り、じり貧から抜け出せないだろうし、またそれは労働者の労働条件を守るという、職組の最大の目的に反することだと私は思うんだけどね。

 野球の応援を強制するのもよろしくない、と工藤は述べている。だから野球は見に行かないそうである。全体主義の臭いがすると。私も大いに同感である。野球部の応援なんて、行きたい人間だけが行けばいいのに、なぜか野球部は日本では特権的な存在になっており、野球に興味のない人間まで応援に駆り出すのが当然、ということになっているのは明らかに変。朝日新聞あたりはそういうことをちゃんと問題にするように。それとも朝日新聞は全体主義を支持するのか!?

 「集団責任」を批判している箇所にも共感した(164ページ)。一人の責任がどうして無関係な全員の責任になるのか、まったく不明。私の中学時代、生徒が共同で使っている謄写版印刷機(いわゆるガリ版である。当時はワープロもコピー機もなかったから、これで印刷物を作ったのである)があったのだが、あるとき、その使用規則を守らなかった生徒がいたというので、三十代くらいの男性音楽教師が「集団責任」だと言ってその謄写版印刷機を全面的に使用禁止にしてしまった。この男、バカだと私は思い、軽蔑した。55年後の今も軽蔑している。私は学級新聞を作っていたので、謄写版印刷機が使えないと困る立場だったからだし、私は使用規則をちゃんと守っていたからだ。幸い、その音楽教師の授業を受ける機会はなかった。とにかくバカな教師は一生生徒から軽蔑され続けるものなのである。

 それはさておき、本書での工藤の主張は、要するになんでも規則で縛るのではなく、なるべく生徒に自分で決めさせるようにすること(自分で決めたのだから自分で守らなければならない)、その際に多数決で決めるのではなく、少数派が割りを食わないような方策を考えさせる、ということである。

 もう一つ注目すべきは、クラス担任制をやめたことだ。工藤が校長をするようになったとき、或る学年では4クラスのうち3クラスが学級崩壊していた。唯一していないクラスの担任はいわゆるスーパー教師で、しかし残りの3クラスの担任にしても普通の教師だったという。つまり、生徒にはどうしても教師を比較する習性があるので、それでスーパー教師が担任でないクラスでは不満がたまってしまったということらしい。複数担任制にしても二人のどちらが優れた教師かという比較が働くので、担任制自体をやめてしまい、問題のある生徒に関しては教師同士で情報を共有するようにしたという。これでうまく行くようになったそうである。

 定期試験も止めにして、その代わり単元が終わるごとの試験にしたという。また再試験もあり、にしたという。大事なのは生徒が授業内容を理解したかどうかであって、点数で序列をつけることではないのだから、というのはなるほどと思った。

 他方、物足りないところもあるのだが、やはりイジメの問題を正面切って論じていないことだろう。イジメの数はイジメの定義次第で変わるから、それを数えることに意味はないというのは分かるけど、イジメでいちばん大事なのは不登校や暴力や金銭収奪、さらには自殺にもつながってしまうイジメをどうすればなくせるのかということのはずだが、そういう肝心の問題には触れていない。それからイジメ問題で学校側がしばしば情報を隠蔽するのはなぜか、という疑問にもである。

 あと、東京の麹町中学の校長として改革に取り組んだとき、東大や上智大や外部の一流の専門家に協力してもらったと述べているけど(85ページ)、そんな真似が田舎の中学にできるはずはないんだから、発言に普遍性が欠けているという自覚くらいは持ってもらいたいものだ。ボランティアなのか謝礼を払ったのか、後者なら財源はどうしたのかなど、挙げるべき情報が不足している点もどうかなと。

 もっとも、工藤が山形県から東京に移って、公立ながら名門とされる中学に勤務するようになった頃は、かなり荒れていたという。また、教師が保護者からバカにされているのにも驚いたという。これは山形県と東京の違いだろう。地方では中学教師はそれなりの職業だが、都会だと高学歴のエリート役人や民間大企業の高給取りなどが多いから、中学教師なんてと蔑まれるのである。

 対談本のせいか、全体的にやや密度が薄いきらいがあるし、もっと突っ込んで論じて欲しいと思える箇所も散見されるのが惜しい。

 定年退職後のお金の問題を扱う「年金は分かりにくい」シリーズです。
 さて、今年も6月から7月にかけて、税金や保険料の請求が届きました。

(1)住民税
  今年の住民税の請求額は8800円でした。昨2020年が10900円だったので、すこし安くなりました。なお、これは前回記したように、年金以外の収入にかかる税金です。年金以外の収入とは、私の場合は新潟大学で少々やっている非常勤講師としての収入です。年に35万円(税引前)ほどなのですが、それでこのくらい住民税がかかります。なお、別途3%ほどの所得税が最初から天引きされています。
 年金にかかる住民税は、年金から直接差し引かれます。昨年は総額で6万4千円だったので、おそらく今年もそのくらいではないかと予想しています。つまり隔月支給の年金から1万円強を引かれるであろうということです。
      
 ちなみに私が定年退職したのは2018年3月ですが、その年の住民税請求額は586500円。前2017年はずっとフルタイムで働いていたからですね(住民税は前年の所得に対して課税される)。そして2019年の請求額が113000円。これも前2018年の3月まではふつうの給与を得ていたから。やっと2020年から年金生活者としての住民税額になったわけです。

(2)国民健康保険料
    今年の請求額は276200円でした(女房と二人分)。昨年は282700円だったので、ちょっとだけですが安くなりました。

(3)介護保険料
  今年の請求額は119400円です。年金から差し引かれるので、年金は隔月の支給ですから、支給ごとに約2万円の年金が減額される勘定になります。
  なお第9段階という評価は昨年と同じですが、額は昨年が114300円だったので、介護保険料自体が少し値上がりしたということです。

 私の課税対象前年所得金額は200万円以上250万円未満(この層が第9段階になるわけです)。それで約12万円とられるのはどうも高額な気がします。現実に介護を受けているならともかく、現在のところ受けていないわけですから、なおさらです。ちなみに最高の第15段階だと課税対象前年所得が1000万円以上の人間で、介護保険料が18万3100円。私の該当する第9段階と比較して保険料が安すぎるのではないでしょうか。他方で、生活保護を受けている人間でも年間1万6千円の介護保険料をとられるのです。

 昨年も書きましたが、介護保険料という制度自体がうまくできておらず、不公平になっているのではないでしょうか。以上の数字が該当するのは65歳以上の人間ですが、65歳以上で所得金額が年300万円以上というのはかなり恵まれた人だと思います(所得金額というのは総収入額ではなく、そこから一定の額を差し引いた額です)。それ以上の層からはもっと高額な介護保険料を徴収し、逆に年250万以下の層については減額、さらに生活保護を受けている人からはとらないなど、抜本的な改正が望まれます。

 政治家のみなさん、ちゃんとした政治をやって下さい。

(4)思わぬ伏兵・・・火災保険料
    ・・・と、これで終わりになるはずだったのが、思わぬ伏兵が控えていました。
   火災保険料です。
 私の自宅は今秋で建ててちょうど30年になります。建てるときに30年の火災保険に入っていた(というか、自宅を建てるに際しては住宅金融公庫からカネを借りる必要があったので、強制的に加入させられる)のでした。それがちょうど切れる時期になっていたのですが、すっかり忘れていました。

 それで損保会社から連絡があり、いくつものプランを提示されたのですが、昨今の住宅保険は色々な項目がついていて、その分高価になっています。水害対策だの家具保障料だの何だのを付けると高価になるばかりなので、そういうのは付けないシンプルなプランを選びました。それでも10年分で20万円に少し足りない程度のお金がかかります。
 このプラン、普通の火災保険以外に地震保険も付いているのですが、これを選んだのは火災でも地震要因の場合はこれを付けないと保障されないと聞いたからです。しかも、地震については保険金が半額しか下りず、おまけに10年プランの前半5年しかカバーしておらず、後半の5年については5年後に追加料金を、ということでした。地震は広い範囲で被害が出るので、損保会社も色々条件を付けているというわけでしょう。セコいですね。

 というわけで、思わぬ出費が。
 自宅についてはこれに限らず色々とお金がかかります。
 このブログのどこかに記しましたが、昨年末から今年初めにかけて風呂を全面的に入れ替え、隣の着替室の洗面台も入れ替えたので、260万円ほどかかりました(単なる湯船と洗面台の交換ではなく、風呂場と洗面室の土台の改修を含んでいるからです)。
 年金暮らしも楽じゃない。
 貯金は絶対に必要です。

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今年映画館で見た98本目の映画
鑑賞日 9月2日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 フランス映画、ピエール・ピノー監督作品、96分、原題は"LA FINE FLEUR"(極上の花)。

 エヴ(カトリーヌ・フロ)は父から受け継いだバラ園を経営する初老の独身女性。しかし最近は大企業に押されて経営状況は悪化するばかり。大企業から買収に応じるよう誘いがかかっている。そんな中、格安で労働力を入れるために、会計担当のヴェラ(オリヴィア・コート)は刑務所を出所したばかりのフレッド(メラン・オメルタ)など3人を雇用する。バラ作りにはまったくのシロウトの3人を教育するためにエヴは四苦八苦。だが新種を育てて由緒あるバラ・コンクールで優勝しようともくろむ彼女は一計を案じ・・・

 バラ作りの話に、手作りをよしとする小企業vs大規模企業化を志向する経営者、普通の労働から疎外された人たちの再教育と生きがいの発見、といった要素が加わってできている映画。物語としてはありがちなパターンで、ユーモアもまじえて手堅くまとめてはいるけれど、「悪くない」を出ないような。

 なお、シネ・ウインドの上映では最初に新潟の観客に向けた監督のメッセージ映像が出る。新潟上映だけの特典(?)かな。

 東京では5月28日の封切だったが、新潟市では3ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて上映中、9月10日(金)限り。

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 映画『くじらびと』の上映が、新宿ピカデリーなどで、先週末から始まっています。
 インドネシア・ラマレラ村で、鯨を捕獲しながら生活している人々の様子を、写真家で映画監督でもある石川梵(いしかわ・ぼん)氏が映像化したものです。

 なお、この映画については当ブログの「捕鯨問題」でも紹介しています。2019年9月22日をごらん下さい。

 目下、東京では5館で上映されているのを始め(上映館については作品サイトをごらん下さい)、さいたま市、三郷市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市で公開されています。今週末から福岡市でも上映が始まるなど、全国各地で上映が予定されています。
     
 新潟県でも、上越市の高田世界館と佐渡のガシマシネマで上映が予定されていますが、新潟市の映画館は例によってダメで、今のところ上映予定が入っていません。新潟市の映画館関係者の鈍感さには度しがたいものがあると言わなければなりません。

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評価 ★★★★

 ちょっと必要もあって読んでみた本。だいぶ以前に新本を購入したのだけれど、ずっとツンドクになっていた。著者は先に『二葉亭四迷と明治日本』を紹介したときにも記したが、1932年生まれ、一橋大社会学部卒、文藝評論家、元・東洋大教授。
 ちなみに、あとがきで著者は「今度は伊藤整を書くと言ったら、友人知人に怪訝な顔をされた」と述べている。しかし伊藤整は東京商科大学(今の一橋大)中退で、つまり著者の先輩に当たるから、そういう意味で不自然ではないような気がした。むろん、同門だしといった安易な学閥意識からという意味ではなく、社会科学系の大学を出て文学の仕事をしたという意味での共通性がある、ということである。
      
 実際、本書は伊藤整の生涯を時代順にたどり、いくつもの問題点を指摘しているのだが、伊藤整が小樽高商に通っていた時代の分析は、いちじるしく社会科学的なのである。ここで著者は、伊藤整が自伝的な小説『若い詩人の肖像』で、当時小樽高商で一学年先輩だった小林多喜二、そして同校の教員だった大熊信行について書いていることが事実に反すると指摘し、それは単なる記憶違いではなく、捏造と言うべき操作なのではないかと述べている。小樽高商学生時代の小林多喜二は文学に興味を持っていてもまだ「左傾」はしておらず、また大熊の教師ぶりについて伊藤整が書いていることも実際とは違うとし、それは学校の雰囲気を自分の都合に合わせてずらす意図があってのことではないか、と言うのである。

 そのため、著者は大熊信行の生涯についてもかなりの筆を費やしている。大熊は明治26年に米沢に生まれ、母の文学好きもあって米沢中学時代に石川啄木を愛読し自分でも短歌を作るなどしていた。明治45年に米沢中学を卒業して東京高商(東京商大に昇格するのは大正9年)に進学した。もっとも文学青年だったからこの学校の専門科目にはほとんど興味が持てなかったらしい。しかしこの頃から社会主義思想に惹かれていく。大学卒業後はいったん民間企業に就職したが、辞職して故郷で商業学校の教師となる。小説を書くなどしたが精神的危機は収まらず、東京高商卒業から4年後に母校の専攻科(東京商大昇格以前の東京高商に存在した二年制の課程。東京高商卒業後ここに進んで修了すると学士号が得られた)に入り福田徳三のゼミに所属する。そして専攻科修了後に小樽高商に赴任するのである。しかし伊藤整が書いているのとは異なり、学校で小林多喜二と文学論を交わすことなどはなかったという。

 この辺への桶谷秀昭のこだわりが、私には異様に思われた。というのは、『若い詩人の肖像』には確かに小林多喜二や大熊信行も出てはくるが、小樽高商時代の伊藤整は(大熊と同じく商業系の科目には興味を持てなかったから)英語の授業や、詩を書くことや、女性との交際などに関心を向けていたからである。社会科学への興味自体が伊藤整にはあまりなく、たしかにこの自伝的小説には時代に沿った社会主義の影響への言及もありはするが、それが主要な骨格をなしているとは言えないからである。『若い詩人の肖像』で小樽高商時代について生き生きと描かれているのは、英語教員(ネイティブを含む)との交流や、文学趣味を同じくする同級生との友情なのであるが、桶谷はそういう部分はほぼ無視している。そこが私に言わせれば、社会科学の大学を出た文芸評論家ならでは、なのである。

 『若い詩人の肖像』には、伊藤整が東京商大に合格して上京してからのことはあまり書かれていない。下宿が同じだった関係で梶井基次郎など京都の第三高校を出て東京帝大に学んでいた(或いは卒業した)文学青年たちと交流があったことについては述べているが、東京商大での文学活動についてはまったく触れていない。しかし桶谷の本書を読むとその辺の事情がよく分かる。東京商大にも文学サークルは存在し、伊藤も出入りしていたのである。そしてそこで瀬沼茂樹と知り合っている。瀬沼は伊藤整と同年齢で、東京商大卒業後は出版社に勤務し、やがて文芸評論家となった。伊藤整がライフワーク『日本文壇史』を途中まで出して死去したので、その後を受け継いで完成させている。東京商大(一橋大)というと実学系、或いは社会科学系というイメージが強いけれど、桶谷自身も含めて案外文学系の人材をも生み出していたのである。

 本書は、その後さらに戦時中のこと、戦後のこと、チャタレイ裁判のこと、その直後に起こった伊藤整ブームのことなど、重要な時期の伊藤整に視点をおきつつ、その発言や作品を検証しながら、伊藤整の本質に迫ろうとしている。
 チャタレイ裁判については、『チャタレイ夫人の恋人』の全訳を出すにあたっての伊藤整は小心翼々としており、問題になったら出版社が全責任を負って欲しいと念をおしていたという。また、伊藤は文藝家協会が自分を支援していると知って驚いたこと(文藝家協会なんてお上の言いなりだと戦時中の体験から思っていたし、戦時中に「あの作家は反体制」といった垂れ込みをするのは同業者である文筆家に少なくなかったから)、伊藤整側で裁判に参加した正木ひろし主任弁護士や特別弁護人として加わった中島健蔵や福田恆存ともウマが合わなかったことなど、なるほどと思う指摘が多い。
 その他、女性関係や、最晩年の小説についての評価なども興味深い。

 最近の新聞書評欄から、面白そうな本を二冊紹介する。
 まずはこちら。(以下の引用は一部分です。全文はURLからお読み下さい。)

 https://mainichi.jp/articles/20210828/ddm/015/070/028000c
 菅野賢治『「命のヴィザ」言説の虚構』 (共和国・5720円)
 毎日新聞 2021/8/28 東京朝刊

  ■ユダヤ難民を救った史実
 第二次大戦中に外交官の杉原千畝がリトアニアで出した日本通過ビザ、いわゆる「命のビザ」は多くのユダヤ難民をホロコーストから救ったと言われてきたが、「当時の難民が恐れたのはナチス・ドイツの脅威ではなく、ソ連による共産化だった」ことを一次資料を基に検証した。タイトルを含め「読者の抵抗に遭うことも十分覚悟した」という長編学術ドキュメントだ。

 1939年9月に祖国ポーランドがドイツとソ連に分割・占領され、中立国リトアニアに逃れたユダヤ難民は翌40年夏、ビザを求めて日本領事館に詰めかけた。東京理科大教授でフランスのユダヤ世界を研究してきた著者は、「アメリカ・ユダヤ合同分配委員会」(JDC、本部ニューヨーク)の現地代表として難民支援にあたった米国人ベッケルマンが残した電文やリトアニア古文書館の記録などを詳細に分析。ユダヤ難民が国外脱出を図ったのは、ソ連が40年6~8月にリトアニア併合を進める中で「財産没収や宗教の禁止、思想弾圧を懸念したため」と結論づけた。

 (以下、略)
 
 <文・田中洋之>

                               

 日本の外交官・杉原千畝が多数のユダヤ人にヴィザを発給して命を救った話は近年はよく知られるようになっており、映画化もされている
    
 ユダヤ人が杉原の勤務するリトアニアの領事館にヴィザを求めてやってきたのは1940年夏のこと。
 歴史をおさらいすると、1939年8月に独ソ不可侵条約が締結され、9月にナチ・ドイツはポーランドに侵攻し、英仏はドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まった。スターリン治下のソ連はドイツに少し遅れてポーランドに侵攻し、ポーランドは独ソ両国により二分割されたが、これは独ソ不可侵条約の秘密議定書で決められていたことだった。

 1940年6月、リトアニアはソ連に侵攻されて独立を失う(リトアニアは19世紀にはロシア領であり、第一次世界大戦後に独立していた)。これまた独ソ不可侵条約の秘密議定書が定めた東欧における独ソの勢力範囲に基づいていた。

 ナチ・ドイツのユダヤ人差別・虐殺は有名だが、ソ連のユダヤ人政策はそれほど有名ではないとはいえ、かなり問題を抱えていた。スターリンの粛清(1930年代後半)では、ユダヤ人が標的にされることもあった。(この点については、ウィキペディアで「ロシアにおける反ユダヤ主義」、特にその中の「スターリンの時代」の項目を参照。)

 リトアニアの日本領事館にユダヤ人が多数やってきたのは、そうした情勢下のことだった、と菅野賢治氏は述べているのであろう。
 第二次世界大戦時代の東欧情勢はかなり複雑だから、これに限らず先入観での判断は慎重にしたいものだ。

 
 次はこちら。

 https://www.sankei.com/article/20210829-QGOMQ4N53NPZJOGY6Z54RXFKEI/
 江崎道朗『緒方竹虎と日本のインテリジェンス 情報なき国家は敗北する』 (PHP新書・1320円)  評=久保田るり子(編集委員)
 2021/8/29 10:20

 ■情報戦略の在り方再考
 北朝鮮崩壊、台湾海峡紛争、尖閣有事は一寸先に現実になりうる。しかし日本はいまだに先進国並みの対外情報機関を持たない。その日本に1950年代、米CIAに匹敵する情報機関を作ろうとした政治家がいた。自由党総裁で保守合同を成し遂げた現在の自民党の生みの親、緒方竹虎(たけとら)である。

 緒方は吉田内閣で官房長官、副総理としてソ連、中国、アジアの共産化に備え本格的な新情報機関の創設を目指した。本書は国際情報戦や昭和軍事史に造詣の深い江崎道朗氏が、自由保守陣営が置き去りにしてきた緒方の志の軌跡を豊富な文献史料をつかって丹念に描いた。緒方構想は68年前、頓挫した。

  (中略)

 東條英機内閣は戦況も把握できずに国民を死に追いやっていた。「独立とは自衛力」「それを可能にする憲法改正」「正確な情報収集・分析能力」など緒方にとって新情報機関の創設は、「独立の気魄(きはく)」として必至の課題となった。米CIAとも接触し日米インテリジェンス連携を模索した。しかし構想は社会党左派や世論の抵抗で縮小を重ねた。現在の内閣情報調査室である。

 自民党は中曽根、橋本政権で情報機能強化を図った。最も熱心だった安倍政権は機密情報を保全する特定秘密保護法を成立させている。だが、具体的なプランは実現していない。

                                   

 軍隊もそうだが、戦後日本は色々な意味で普通の国家からかけ離れた状態にある。
 インテリジェンスに関する本は最近わりによく出ているし、ゾルゲ事件などは知っている人も多いけれど、あれがソ連スパイによる事件で日本の進路を左右しかねない出来事だったのだと切実に考えている人間はどの程度いるのだろうか。007だって、映画ではカッコよく女にモテるアクションスターみたいな存在に描かれているけれど、現実に英国には諜報機関が存在しており、そのスパイの物語なのである。

 現実の政治との関連で、日本のインテリジェンスを真面目に考案する政治家が、今どの程度いるのだろうか。別段、中国やロシアや北朝鮮だけがその対象とは限らない。スノーデン事件(映画化されている。こちらこちらで紹介)でも分かるように、「同盟国」である米国だってしっかり日本を監視しているのだ。外国はすべて潜在的な敵国、くらいに思っておかないと、世界ではやっていけないのである。

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今年映画館で見た97本目の映画
鑑賞日 8月30日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★★

 白石和彌監督作品、139分。3年前に公開された同監督による『孤狼の血』の続編。R15+。

 広島県の呉原市(呉市を暗示)を舞台に、出所した若いヤクザによる残虐な事件、ヤクザ同士の抗争、そして事件の解決と抗争の終焉を目指す一匹狼的な刑事(松坂桃李)の努力を描いている。

 主演の松坂桃李など、若干の俳優は前作と共通しているが、出所したヤクザを演じる鈴木亮平を始め、新たな俳優が何人も加わっている。筋書きは、前回のそれを多少引きずってはいるけれど、焼き直しではなく、第一作の枠から抜け出せないというような第二作にありがちな限界も感じられない。加えて単なるヤクザの抗争を描いているのではなく、筋書上の工夫がある点で、第一作といい意味で共通している。

 しかし本作品で見るべきは、何と言っても悪役の鈴木亮平である。その狂気を含んだ残酷な行動の数々が観客を圧倒する。暴力の描写が過激だからというよりは、鈴木亮平の恐るべき存在感、そして何をするか分からないという不気味さが、この映画を支配しているのである。

 なので、映画としての迫力や密度や強度はかなりあるのだが、残酷な暴力表現を好まない人にはお薦めしない。

 新潟市では全国と同じく8月20日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内では他にTジョイ長岡と上越のJ-MAXでも上映している。

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評価 ★★★

 ちょっと必要があって読んでみた本。
 現在は小樽商科大学となっている学校は、もともとは小樽高等商業学校として明治44年(1911年)に設立された。その初代校長だった渡邊龍聖の伝記が本書である。小樽商科大学創立100周年記念出版と銘打たれている。
 著者は1941年生まれ、慶大経済卒、同大学院修了、長らく小樽商大教授を務めた人。

 渡邊龍聖は文久二年(1862年)に越後の加藤家に生まれ、その後養子に出て渡邊姓になった。東京専門学校(今の早大)を出て明治20年に帝国大学(今の東大)文科大学の選科生となった。(本書には文学部と書かれているが、当時は学部制ではなく文科大学のはず。選科生とは、今なら聴講生みたいなもの。)やがて米国に留学し、複数の大学で学んだのちにコーネル大学哲学科大学院で修士号と博士号を取得し、明治27年に帰国した。
 翌明治28年に高等師範学校(今の筑波大)の講師、そして教授となる。さらに東京音楽学校(今の東京芸大音楽学部)の校長を兼任。その頃に滝廉太郎とも接触があり、滝が留学を果たしたのには渡邊の尽力が大きかったという。その後、清の袁世凱に乞われて同国の教育顧問となった。やがて高等師範学校の教授として戻り、ベルリン大学留学をへて、新設の小樽高等商業学校校長となる。

 小樽高商は、東京高商(今の一橋大)、神戸高商(神戸大)、山口高商(山口大)、長崎高商(長崎大)に次ぐ官立第五高等商業学校として設立された。設立にあたっては、従来の高商四校が東京以西に偏っていたため、東京より北東に作ることが前提とされた。それでもいくつかの都市が名乗りを上げたが、小樽が設立に必要な資金を少なからず負担すると申し出たため、小樽に決定した。もっとも、金策をしっかりたてずに資金負担だけを先に決めてしまったので、後で色々苦労したらしい。

 当時の小樽は商業都市として繁栄していた。北海道の石炭の積み出し港として、また北海道産の農水産物の集積地として、さらに日露戦争以降は南樺太をも後背地として、日本でも指折りの貿易港となっていた。小樽高商はそうした都市の学校だったのである。

 小樽高商は北海道唯一の文系高等教育機関だった。北海道には他の高等教育機関というと北大しかなく(戦前の高等教育機関とは、中学卒業後に進む学校のことで、つまり小樽高商のような専門学校、〔旧制〕高等学校、及び大学のことである)、北大には明治44年当時は農学部しかなく(その頃は東北帝国大学農科大学と言った。大正7年に北海道帝国大学となる)、やがて医学部、工学部、そして理学部も作られたが、文系学部は戦後になってようやく設置されたからである。小樽高商の学生は地元北海道出身者が三分の一程度であった。

 校長となった渡邊の方針は、高商は大学とは異なるから実用主義で行くが、ただし狭い意味での実用主義ではなく、広い教養に裏打ちされた実用主義でなければ、というものであった。実用主義という点で、渡邊は後年、高商の大学昇格問題が起こったとき(東京高商と神戸高商は大学に昇格した)、小樽高商の昇格には反対している。高商は高商だから存在意義があるのであり、大学と同じになってはいけないという考えだったのである。

 この学校は外国語を重視したから、英語のネイティブ教員も複数雇用されていたし、それ以外の科目にドイツ人が雇われて英語で授業を行ったりした。その模様は、小樽高商を出て作家・翻訳家・評論家として活躍した伊藤整の自伝的小説『若い詩人の肖像』にも描かれている。マッキンノンという米国人教師が日本人の奥さんと共に市内に住んでいて、という話も出て来るのだが、伊藤整のこの小説にはマッキンノン氏のその後の人生が書かれていない。『諸君を紳士として遇す』によれば、マッキンノン氏は戦時中にスパイの疑いをかけられ、警察で暴力を振るわれ、結局は強制送還されたという。親日的な米国人にひどいことをしたものである。

 もっとも、外国人教員の待遇はかなり良かったようだ。上記ドイツ人教員の月給は450円だったという。日本人のエリートサラリーマンの月給が100円だった時代である。また、小樽高商校長には大きな権限があり、人事や待遇を取り仕切っていたようである。

 本書のタイトルは、渡邊校長が学生に対して与えた言葉であり、伊藤整も入学時に校長の挨拶でこういう言葉を聞いたと書いている。ただし伊藤が入学したのは渡邊が転任したあとだったから、おそらく初代校長の方針を次代の校長も引き継いでいたのであろう。

 渡邊は十年間小樽高商校長を勤めて教員の充実に努め、その後は名古屋に転勤して新設の名古屋高商の校長となった。名古屋高商は現在の名大経済学部である。渡邊は戦時中は三重県桑名に疎開し、そこで亡くなったという。

 80ページほどの、本と言うよりは小冊子と呼びたくなる書物だが、渡邊龍聖と小樽高商について手早く知識を得るには便利。明治から大正にかけて、渡邊龍聖のような人物が、このようにして日本の重要な教育機関を創り上げていったのだということが、改めてよく分かる。

 新潟大学図書館から借りて読みました。
 それにしても、小樽商科大学には出版会がちゃんとあるんだよねえ。新潟大学はなんで作らないのかなあ、と改めて嘆息。渡邊龍聖みたいな学長がいないからか?

 いつも同じようなことをここに書いているのだが、全然改善されていないので、しつこくまた書く。

 新潟市の人口は約80万人、近隣の市町村を入れれば新潟市圏の人口は100万を超える。
 そして映画館は市内にシネコン4館とミニシアター1館がある。スクリーン数で言うと合計37に及ぶ。
 にもかかわらず、上映される映画作品はスクリーン数に比べて少ない。
 つまりシネコン4館すべて、或いは3館で共通して上映される作品が多く、新潟市内の他館でやらない映画を映画館がしっかりと持ってくる、というケースが少ないということである。市内唯一のミニシアターであるシネ・ウインドでも、最近はシネコンで一度上映された作品の再上映が目立つようになっている。

 例えば現在なら、『孤狼の血LEVEL2』は4館で、『鳩の撃退法』は3館でやっている。『孤狼の血LEVEL2』は昨日私も見に出かけたが(作品評はいずれアップします)、ユナイテッドの一番大きなホールが使われていて、しかし定員約380人のホールに入っていたのは20名程度だった。市内の4劇場でやっているのだから、いくら世評が高くても平日午後ではこの程度だろう。

 これに対して、東京やその他の地域ではすでに上映が始まっているのに、新潟市では予定が入っていない映画作品がいくつもある。
 例えば、この7月から8月にかけては偶然、東京ではナチ物映画が3作あいついで上映されているのだが、新潟市では今のところどこも上映予定がない。

 『アウシュヴィッツ・レポート』はスロヴァキアの映画で、戦時中にスロヴァキア人の告発でハンガリー系ユダヤ人が多数救われた史実に基づくそうである。東京では7月30日から上映が始まっている。

 『沈黙のレジスタンス』は、やはり大戦中にフランスのレジスタンスに身を投じ、百人以上のユダヤ人孤児を救ったパントマイム俳優を取り上げた、実話に基づく映画。東京では8月27日から上映されている。

 『ホロコーストの罪人』は、大戦中にナチ・ドイツに占領されたノルウェーでユダヤ人狩りが行われ、ノルウェー人やその政府も協力していたという史実に基づく映画だそうである。東京ではやはり8月27日から上映している。

 この3作とも、なぜか新潟市では今のところ上映予定が入っていない。
 新潟県では、ではない。なぜなら新潟県でも上越市のJ-MAX Theaterでは3作とも上映予定が入っているからだ。それぞれ、8月27日、9月24日、9月10日に上映開始となる。
 上越市唯一のシネコンにできることが、なぜ新潟市の4つもあるシネコンや、1つのミニシアターにできないのであろう? 実に不思議な話である。

 上越市のシネコンが特に殊勝なのだろうか?
 しかし、これらの映画は、東北地方でも秋田を除いた5県ではいずれも上映予定が入っているのである。新潟と同じ北陸の富山県でもやはり3作とも上映予定が入っている。福井県は2作品が上映予定になっている。
 ここからも、新潟市の映画館がいかにダメであるかは明らかだと思う。

 ナチ物映画だけではない。
 例えば台湾映画『返校 言葉が消えた日』は、これは上越市でも上映予定がないけれど、新潟市でも上映予定がない。東京では7月30日から上映が始まっている。
 
  要するに、新潟市は政令指定都市なんて言っているけれど、映画上映に関してはまったくの僻地なのである。
 新潟市の映画館関係者は少しはおのれを恥じて、鋭意努力してもらいたいものである!

 実はナチ物映画については、上越市まで遠征して鑑賞しようかとも思っているのだが、何しろ3作品の上映開始日が(上記のように)2週間ずつズレている。つまり、おそらく3作品が重複して上映される日はないし、2作品の重複日すらもないということであろう。長岡あたりならともかく、上越は新潟市からは直線距離で100キロ離れているし、行くとなると時間とお金を食う。(高速バスで往復約4000円。自家用車で行くにしても部分的に高速を使うことになるからガソリン代と合わせて同じくらいはかかる。)せめて一日上越市まで遠征して2作品を見られるならいいのだが、1作品だけのために行くのは大変すぎる。といって新潟・上越間を3回往復する気にはさすがになれないし・・・。

 僻地に住んでいるとこういう悩みが出てくるのが、困ったところなのである。

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今年映画館で見た96本目の映画
鑑賞日 8月26日
イオンシネマ新潟南
評価 ★★☆

 沖田修一+菊池カツヤ監督作品、138分、原作のマンガは未読。

 美波(上白石萌歌)は水泳部所属の高校生女子。家では、実母(斉藤由貴)と義父(古館寛治)および弟(義父と実母の間の子)と一緒に暮らしているが、義父とも某TVアニメのファンという共通の趣味があるのでうまくいっている。
 或る日、美波はやはり某TVアニメのファンという点で意気投合した書道部男子の門司(細田佳央太)と知り合う。彼の兄(千葉雄大)が探偵をしているというので、幼い頃に母と別れた実父(豊川悦司)を探してもらうことにする。かつて実父は某宗教の教祖となって家を出たのだった・・・

 原作のマンガは未読なので原作起因なのか映画の作りが悪いのか分からないが、まるで葛藤というものがない作品である。
 ヒロインは義父とは趣味が一致して仲がいいし、実父と再会しても特に問題は生じない。タイトルの「子供はわかってあげない」が示唆するとおり、この作品では大人は(仲良くなる高校生男子も)皆ヒロインの都合のままに動いている。世界はヒロインを中心に廻っているのだ。悪人や悪意の不在。善意と善意のぶつかり合いから生じる軋轢の不在。こういう作品が作られる日本って、やっぱり平和なんですね、と皮肉を言いたくなってしまうのでした。

 唯一評価できるのは、「子ども」じゃなくちゃんと「子供」と標記していることくらいかな。大人はそこをわかってあげます(笑)。

 新潟市では全国と同じく8月20日の封切で、イオン西とイオン南の2館で上映中。県内では新潟市のみの公開。
 全国でも公開劇場は80館ほどなので、ミニシアター系ではないがどちらかというとマイナーな映画かと。マイナーでも頑張ってくれればいいのだが、これじゃね。

・5月8日(土)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20210508-STPIFNE22FJCLKCYAXP24PPVE4/
 深層リポート
 クジラと高速船の衝突低減 新潟大名誉教授が残した功績
 2021/5/8 08:00

 新潟県佐渡市と新潟市などを結ぶ離島航路を運営する佐渡汽船(本社・佐渡市)が、高速船ジェットフォイル(JF)を導入したのは昭和52年のこと。導入直後から直面した課題が大型海洋生物との衝突事故だった。この課題を解決しようと、長年にわたり調査分析してきたのが平成27年に亡くなった新潟大学名誉教授の本間義治氏だ。その功績もあり事故は減っていった。世界遺産登録を目指す佐渡島が観光地として注目されつつある中、その功績を振り返る。

■目撃情報を収集
 JFは、ガスタービンエンジンで動くウオータージェット推進機により、吸い込んだ海水を船尾から勢いよく噴射し高速航行する。最高速度は時速約80キロ。主要航路の新潟港(新潟市)-両津港(佐渡市)をカーフェリーの半分以下の約1時間で結ぶ。

 一方、佐渡島を含めた新潟の沖合では鯨類がたびたび目撃され、JFとの衝突事故も起きている。新潟市の水族館「マリンピア日本海」の獣医師、岩尾一氏によると「新潟沖では、体長5メートル前後になるオウギハクジラが比較的多く目撃されているほか、ツチクジラやミンククジラ、コククジラなどの目撃例もある」という。

 岩尾氏は本間氏らとともに鯨類の目撃・漂着情報の報告書作成に参加した一人だ。

 乗客にけが人を出す事故も複数発生したことから、佐渡汽船の乗員を中心に6年から、航路付近での鯨類の目撃情報を本格的に記録に残すようになり、本間氏を中心にその情報を分析し、報告書としてまとめてきた。

■餌場が航路に
 情報収集では、新潟港-両津港などの航路を5つのポイントに区切り、どのポイントで鯨類が頻繁に目撃されているかを調べた。その結果、航路の中間点より佐渡島寄りでの目撃数が圧倒的に多く、月別では5月をピークに4~6月に多く目撃されていた。

 本間氏らが鯨類研究者のネットワーク組織「日本セトロジー研究会」の会誌に寄稿した報告書によると、佐渡汽船のJFが昭和52年に就航して以降、平成18年5月までに17件の衝突・接触事故が発生。その中には、衝突した物体がDNA型鑑定によりオウギハクジラと特定されたケースもあった。

 「オウギハクジラは佐渡沖の特定海域で深く潜り、豊富にいる深海性のイカを食べる習性があり、息継ぎなどのために海面に急浮上してくる。この海域がJFの航路と重なり、高速航行するJFを避けきれず衝突することがたびたびあった」(岩尾氏)

 そこで、JFがこの海域を通過するときには減速するようにし、急浮上してきたクジラがJFを避けやすくしたところ、クジラとの衝突リスクが低減した。

■報告書を書き上げ
 本間氏は、25年に寄稿した報告書をこう締めくくっている。

 「5区分(point)した航路程に減速区間を設定した後も(中略)度々減速区間を拡張したりしてきた。2012年も3~4points(航路の中間点から佐渡島寄りの海域)に目撃個体数が多かったが、衝突事故がなかったことから、初期の目標は達成されたといえる」

 JFとクジラの衝突事故を減らすべく調査・分析を続けてきた本間氏は、この報告書を書き上げた2年後、85歳で他界した。
        ◇
【本間義治(ほんま・よしはる)】 元日本セトロジー研究会顧問。新潟大理学部教授として海洋生物などを研究し、同大臨海実験所(新潟県佐渡市)所長も務め、平成7年に退官。著書は「日本海のクジラたち」「漂着動物の自然誌-新潟と佐渡の海辺から」(いずれも考古学堂書店)など多数。27年10月に死去、享年85。

【当ブログ制作者からの追記】 私もかつて(捕鯨問題への興味から)日本セトロジー研究会に所属していた関係で、本間先生にお目にかかったことがあり、その後先生は論文などを送って下さり、律儀に年賀状も下さった。数年前に逝去されたが、謹んでご冥福を祈りたい。


・5月10日(月)  日経新聞インターネットニュースより。

 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC107CB0Q1A510C2000000/?unlock=1
 共同船舶、鯨肉の卸価格を2割値上げ
 2021年5月10日 21:30

 沖合捕鯨と鯨肉販売を手がける共同船舶(東京・中央)は10日、6月から鯨肉の卸価格を現状より2割高い1キログラムあたり1200円にすると発表した。2019年7月から再開された商業捕鯨の採算を改善する。

 同社は捕鯨母船「日新丸」の後継となる母船の新造も予定する。所英樹社長は10日の記者会見で「卸価格を4年前の水準に戻し、商業捕鯨を次世代に引き継げる産業としたい」と話した。


・5月15日(土)  毎日新聞インターネットニュースおよび日経新聞インターネットニュースより各一件。

 https://mainichi.jp/articles/20210515/ddl/k35/040/318000c
 鯨文化の歴史知って JR下関駅の土産店に史料展示ブース /山口
 毎日新聞 2021/5/15 地方

 下関市竹崎町のJR下関駅構内の「おみやげ街道しものせき店」の一角に、下関の鯨文化を伝えるブースが設置された。県内では現在の長門市を中心に1670年ごろに「鯨組」をつくって近海の鯨を網ともりで捕らえていた歴史もある。ブースには市と鯨の関わりなどを記した年表などが展示され、同店ストアマネジャーの松井政恵さんは「新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着いたら、市外の人はもちろん、地元の人にも見てほしい」と話す。

 下関市には戦前戦後、南氷洋捕鯨基地が置かれ、鯨肉や鯨油、加工食品などの流通の中継地としての役割を果たして「くじらの街」としてにぎわっていた。だがその後、国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨一時停止や鯨肉離れなどから、市民の認識や理解は下がっていった。そんな中、店を運営するジェイアールサービスネット広島は、あらためて市内外の人に下関市と鯨の歴史を知ってもらおうと、市と下関市立大の協力を得て「おみやげ街道しものせき店」での展示を決めた。

 ブースでは、1936年ごろに建造され、南氷洋に出航した捕鯨母船「日新丸」の積量図(複製)が展示され、図には11の鯨油タンクが描かれ、鯨油生産の盛んだった当時の状況が読み取れる。他にも長さ約2メートルのセミクジラのヒゲ板や、ヒゲ板で作った靴ベラや茶たくといった加工品も並ぶ。市のくじら文化振興室の岸本充弘室長は「(今回の展示を通じて)下関市が『くじらの街』という事を知ってもらいたい」と話す。8月末までの展示を予定している。【大坪菜々美】
〔下関版〕


 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE06CDR0W1A500C2000000/?unlock=1
 自然界のシャチ 海の王、鯨類好き魅了
 海と水辺の散歩
 2021年5月15日 5:00
 〔以下の記事は一部分です。全文は上記URLからお読み下さい。〕

 鯨類との交流を好む人たちが、いつかは水中で出会いたいのがシャチ。自然界で出会うのは難しいのだが、実は広範囲に生息している。

 英語名はKiller whaleで、自分より大型のクジラだけでなく、アザラシ、トド、イルカ、ペンギン、魚、エイ、カモメなど獲物は多岐にわたる。あの「人食いザメ」と恐れられるホホジロザメでさえ捕食の対象となる。

 海の生物界の頂点に立つシャチは、最近まで、人間も襲うのではないかと考えられ、偶発的な遭遇以外で、シャチ狙いで泳ぎに行くことなどなかった。

 学名の「Orcinus orca」は、なんとラテン語で「冥界からの魔物」。人間からも恐れられる存在だったが、最近ではシャチと泳ぐことを目的としたツアーも行われるようになった。

 有名なのが、いてつく寒さの中で泳ぐノルウェーでのシャチスイム。水温が低く、ドライスーツでのスイムとなるため、海中でただでさえのろまな人間は、さらに機動力を奪われた状態になる。海中は透明度も悪く、暗い。「それでもシャチに逢(あ)いたい! 泳ぎたい!」という鯨類好きが集まってくる。

 不安に思う人もいるかもしれないが、水族館で飼育されているシャチがストレスからトレーナーを水槽の外に放り投げて死亡させたという話はあっても、自然界で野生のシャチが捕食のために人間を襲った例はない。

 また、ノルウェーで泳ぐシャチはニシンの群れをメインで捕食する魚食者。シャチはそれぞれの地域で独自の文化を形成し、研究者の中には、海域や生態によって、亜種、あるいは別種として分類すべきだとする考えもある。

  (中略)

 「寒いところでしか逢えないのか?」といえば、そうでもなくて、僕が撮影を目的に行ったスリランカやメキシコでも遭遇したことがある。

 (以下、略)

 (水中写真家 越智隆治)

9784594088064[1]
評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は1970年生まれ、東大理(生物化学)卒、東大大学院(工学系)博士課程修了、筑波大教授、メディア工学専攻、著書は何冊かあるが、『学者のウソ』は私の旧サイトでも紹介したことがある(ここの2月の最後を参照)。
   
 本書は大きく分けて二つの部分から成り立っている。
 まず、目下世界的に猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症が、中国の生物兵器として開発され、誤って外部に漏れて感染が始まってしまったのではないか、という問題を扱っている。(過去にソ連で類似した事故が実際に起こっていることなど、本書は実例も挙げつつ、外国学者の主張もふまえて議論を展開する。)

 著者はウイルスの起源が生物兵器であると断言はしていない。しかしその可能性は少なからずあり、中国がそれを否定するのであれば、外部からの調査を認めたり、データを隠さずに提供したりしなければならないのに、むしろデータを隠蔽する方向性をとっており、それが逆に「新型コロナウイルス=中国の生物兵器」説を有力にしていると指摘する。

 問題は中国にだけあるのではない。流行の初期にWHOが中国寄りの姿勢をとっているとして批判されたが、そもそも世界のマスコミも中国批判には及び腰なのである。だから、米国のトランプ前大統領が「中国ウイルス」と言ったときに世界中から批判されたが(しかし実際にはトランプ発言は中国高官が「ウイルスは米国起源」というデタラメを言ったための対抗措置だった)、マスコミは「イギリス変異株」などでは国名を付けることをためらっていないのはおかしい、と著者はマスコミのダブル・スタンダードを非難している。

 ウイルスが中国で生物兵器として開発されたものではないか、という研究をすること自体にもタブー意識があるという。世界的な生物系の学術誌はこうした論文は掲載しない方針をとっているのだそうだ。また生物学の世界では生物を武器に転用する可能性がある研究もなされており、鳥インフルエンザ・ウイルスを強毒化する研究を最初期に行ったのは日本人学者だったという。その辺の倫理的規制が、生物学研究の世界ではしっかり構築されていない、ということらしい。
 日本人学者は日本政府が相手だとモノを言うが(日本政府は基本的に学者に圧力を加えないからである)、中国相手だととたんに臆病になるという辛辣な指摘もある(49ページ)。またそれは日本人だけに限ったことでもないようだ。

 以上が第一章の内容である。
 第二章以降では科学に関する問題点や、特に文系学者のイデオロギー性を俎上に載せている。

 特にフェミニズムに対しては厳しい批判がなされている(ただし以前出した『学者のウソ』と重複しているところもある)。女性が高齢になると妊娠しにくくなるばかりか、染色体異常の発生確率が目に見えて高くなるということは明らかなのに、若いときに子供を生むようにしようという発言がマスコミなどからタブー扱いされているのは非科学的だとする。
 また、そもそも男女には明らかな性差があるにも関わらず、上野千鶴子や小倉千加子といったフェミニストがそれを無視して、性差は後天的に作られたものだとする発言を行ってきたのは、彼女たちが科学者ではない(つまりイデオローグに過ぎない)証拠だと述べている。東大は非科学者を教授に迎えたわけだから、東大の大学としての責任も大きいということになろう。なお、上野千鶴子が学者失格の発言を平気でしている、という指摘も本書ではなされている。
 また、女性の就労率が高くなると出生率も上がるという主張がしばしばなされるが、著者はこのような主張はデータをとる対象国をどのように選ぶか(経済力、人口など)により左右されるのであり、実際には日本に近い条件の国だけでデータをとれば、女性就労率と出生率の間には有意な関係はないと指摘している。そもそも、この手の主張は女性就労率と出生率に相関関係があるというデータ上の結果から来るものであるが、著者は、相関関係は因果関係とは別であり、仮に女性就労率と出生率に相関関係があったとしても、だから因果関係があるということにはならない(つまり、女性就労率が高いから出生率も高くなる、或いは出生率が高いから女性就労率も高くなる、と主張することはできない)と喝破している。

 というわけで、内容的には面白い箇所が多いのだが、逆にどうかなと思える部分もある。
 例えば日本人の学者がなぜダメかを言うのに、日本語は非論理的だというチャーチルの言葉を引用しているところなど(120ページ)、いかがなものかと言いたくなる。この手の発言は白人優位を疑わない旧式の発想によるもので、それならそもそもなぜ最近日本人からノーベル賞受賞者が多数出ているのかが説明できない。志賀直哉は敗戦直後に日本の言語をフランス語にしろと言って馬鹿さ加減をさらしたけれど、作家がバカなのはともかく、現代の自然科学者がこんな主張をしていたら、上野千鶴子同様、クビになってもおかしくないのである。(どちらもクビになっていませんけどね。)

 キリスト教が自然科学の母胎だとか、英語は否定疑問文に日本語と逆の答え方をするから論理的だとか(あのね、ドイツ語は否定疑問文に答えるとき、答に英語で言うnotが入っていれば英語と同じだけど、入らない場合は日本語と同じなんですぜ)、かなりおかしい発言も本書にはある。

 また、米国の大学では「ポリティカル・コレクトネス」が猛威を振るっていて、そのせいで「有色人種だけがキャンパスに来られる日を設けるのは人種差別」と発言した教授がクビになったりしていて、これはおかしいと述べているのだが(そこまではいいけれど)、しかし米国の大学はリベラルアーツをメインにしているからそうなる、という主張(254ページ)はどうですかね。日本の大学は教養学部を廃止したから大丈夫とも述べているのだが、立花隆氏もそうだったけど、東大出身者は教養部と教養学部の違いが分かっていない。教養学部とは日本の国立大学では東大だけの特殊な制度であり(教養部と専門学部が一緒になっているから。埼玉大の教養学部は要するに専門学部)、また東大の教養学部は別段なくなってはいない。加えて上野千鶴子を採用したのは東大でも教養学部ではなく文学部の社会学科である。偏向しているのは教養(学)部ではなく専門学部のほうではないか。

 というわけで問題もあるけれど、一読には値する本だと思う。

 地方都市に暮らしていると自家用車は必需品である。
 私も勤務先を定年退職した身ではあるが、映画館やコンサートホールに出かけるとき、公立図書館や市役所(の支所)や病院に出かけるとき、週2回社会人卓球クラブに通うとき・・・などなどには車が欠かせない。

 車を運転するとき、夜間なら当然ながらライトをつける。
 ライトの向きには普通と上向きの二種類がある。上向きだと遠方まで光が届くが、対抗車のドライバーはまぶしくて逆に前方を見るのに支障を来す。
 したがって通常は普通で運転して、対抗車がなく、なおかつ何らかの条件で前方が見づらい場合に限って上向きにするのがルールである。

 ところが、である。数年前から警察は「ライトは上向きが基本です」というトンデモ・キャンペーンを始めた。市内の道路にある電光掲示板などで「上向きが基本」という文句をこれでもかと言わんばかりに流すようになった。

 警察はバカだと私は思った。新潟市は人口約80万の政令指定都市である。ふつうに市内を運転していれば、夜間でも対向車がないなんてことはない。対向車ドライバーの目くらましをすれば、事故を誘発する恐れがある。交通警察ともあろうものが、その程度のことが分からないのだろうか?

 警察の言い分では、遠くまで光が届く「上向きライト」にすれば歩行者が早くから発見できるから事故が減るというのだが、市の中心部では車道と歩道は完全に分離されている。郊外なら警察の言い分も分からないではないが、車社会である地方都市では郊外でも対向車がしばらく来ないなんて状況は珍しいのである。警察は何も考えてないな、と私は思った。

 その後、そういう苦情が持ち込まれたからかどうかは知らないが、警察のキャンペーンは「ライトの向きはこまめに切り替えましょう」に変わった。要するに対向車がなければ上向き、そうでなければ普通、これを始終切り替えろ、というのである。

 しかし、である。ライトの向きを変えるにはハンドルの右側に付いているライト操作用の機器で切り替えを行わなければならない。「こまめに」そんな切り替えをするのは面倒くさくて仕方がないというのが人間のサガであろう。

 したがって、まともなドライバーなら、私と同様、ふだんは普通にして、どうしてもという場合のみ上向きにしている――はずだった。

 ところが、警察のバカなキャンペーンをそのまま実行に移すヤカラが最近増えてきているのである。つまりライトを上向きにしっぱなしで運転するヤカラである。これは明らかに警察の責任問題である。

 警察は言うかも知れない。「こまめに切り替えろ、と変更しました」と。しかし、上にも書いたようにこまめにライトの向きを切り替えるという操作は非常に面倒くさい。だからライトの向きは変えずに運転する人間が圧倒的に多い。ふつうに常識があるドライバーなら私のように普通を基本にするのだが、中には上向きにしっぱなしで運転するバカも出てくる。そういうバカが増えているのである。

 警察は、だから、二度間違いを犯したのである。まず「ライトは上向きが基本」というトンデモなキャンペーンをやったとき。次に、それを「こまめに切り替えろ」に修正したとき。最初の誤りが致命的だったわけだが、二度目の誤りは、要するに人間はそんなに「こまめに」できていないという、これまた常識を欠いていて、自分の都合だけでキャンペーンをやったのが原因なのである。警察は人間というものを知らない。

 ライトの向きは、運転しているときだけの問題ではない。
 私は63歳になる頃から身体の衰え、つまり老齢化を痛感してウォーキングを始めた。
 最近は社会人卓球のない日は、日沈後に50分歩くことを日課としている。
 なぜ日沈後なのかというと、特に現在のような夏は日中だと陽光がきついからである。だから、日が沈んで少し涼しくなってから歩いているのである。

 雨の日などは市の体育施設に出かけて、そこのランニングコースを利用しているが、そうでなければ自宅近くの道路を歩いている。
 私の自宅は一戸建て用に造成された住宅地の一角にある。つまり、住宅街の中を暗くなってから歩いているわけである。
 ところが、その住宅街の中を走る車が、しばしばライトを上向きにしているのである。

 一戸建て用に造成された住宅街だから、道路はほぼ直線である。また街灯も整備されている。加えて住宅街の中だから車もそんなにスピードを出さない。ふつう30キロ、向こう見ずなドライバーでも40キロ程度である。なのに、ライトを上向きにする。

 こういう車が私の前方から走ってくると、ライトがまぶしくて顔を前に向けていられない。迷惑この上ないのだが、「ライト上向きドライバー」にはそういう想像力も働かないのであろう。中には、自分の自宅前に車を駐めて、何らかの理由でしばらくそのままの状態にしておくドライバーもいる。つまり駐車中もライトを上向きにしてつけっぱなしなのである。こういう奴は、私がスーパーマンかバットマンなら殴り倒してやりたいところである。

 とにかく、警察のバカなキャンペーンのせいで私は運転中もウォーキング中も大迷惑をこうむっている。こういうキャンペーンを考えた奴は、さっさとクビにしてもらいたい!

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今年映画館で見た95本目の映画
鑑賞日 8月23日
シネ・ウインド
評価 ★★

 入江悠脚本・監督作品、88分。

 埼玉県某市の市役所に勤務している鴉丸未宇(からすま・みう:福田沙紀)は、寝たきりの祖父と二人暮らしの若い女性。市長は「移民排斥条例」を施行して日本人だけが住む市を実現すると公言している。この条例に反対する市民は「自警団」により暴力を振るわれる。寝たきりの祖父も条例反対派なので、或る日、襲われてしまう。加えて、市役所内では文書改竄を迫られた職員・間野(井浦新)が自殺に追い込まれる。そこで未宇は・・・

 埼玉県の某ミニシアターが出てきたりして、いかにも地方に根ざしたマイナーな映画という感じの作品。低予算でもそれなりの映画もあるけれど、これは残念ながら違う。

 そもそも、今どき地方都市で「移民排斥条例」を作る動きが出たら、新聞やテレビなどマスコミで話題にならないはずがない。まして暴力事件が起これば、ニュース種にならないはずがないし、警察だって動かないはずがない。この映画ではしかし、市長派や自警団はやりたい邦題で、マスコミも警察もいっさい登場しない。

 この映画は東京から遠くない埼玉県が舞台だから(車は熊谷ナンバー)過疎化の問題は出てこないが、人口減少に悩む地方都市なら、むしろ移民を労働者として入れて活性化しようと考える場合だってあるだろう。例えば群馬県大泉町の例は有名だ。
 先日当ブログでも紹介した映画『海辺の彼女たち』は、技能実習生として来日した若いヴェトナム人女性たちが青森県の小さな漁港で労働に従事する様子を描いていた。また彼女たちが辺鄙な町で働くに際してはヴェトナム人ブローカーが介在している事実も、である。

 この『シュシュシュの娘』は、現代日本における移民問題のそうした常識や先行作品(『海辺の彼女たち』に先行する外国人労働者映画が日本でも製作されていることは、当ブログでも紹介)についての知識をまったく欠いている。悪い意味でマンガチックな設定と筋書きがあるだけ。小学生が作った映画なのか!?

 加えて、登場人物の声が聞き取りにくい。俳優の発声が悪いのか、録音技術に問題があるのかは不明だが、こういう基本的なところがナッテナイ映画は、所詮は三流作品の域を出ないのである。

 この程度の映画を、3週間にわたり、しかも第1週は1日2回上映にしたシネ・ウインドの判断力が疑われる。『ブータン 山の教室』が1日1回で2週間上映だったのと比べると2倍の回数上映するわけだ。「市民映画館」の名が泣くんじゃないかね?

 新潟市では東京と同じく8月21日の封切で、シネ・ウインドにて上映中。県内でも上映はここだけ。

評価 ★★★

 こないだ坪内逍遙の『当世書生気質』を読んだので、その理論編とも言うべきこちらも読んでみた。昔どこかの古本屋で購入した筑摩書房の全集本端本に収録されていたので。
 菊版(A5よりわずかに大きい)の全集本で、昔風の小さな活字(1ページ29行もある)を用いて二段組54ページの長さ。

 内容をまず見出しで紹介するなら――

 緒言
 上巻
  小説総論、小説の変遷、小説の主眼、小説の種類、小説の裨益
 下巻
  小説法則総論、文体論(第一 雅文体、第二 俗文体)、小説脚色の法則、時代小説の脚色、主人公の設置、叙事法

 緒言では、江戸期以来日本では小説が盛んであるが、必ずしも好ましい状況であるとばかりは言えないから、敢えて自分の小説論を世に問う、というようなことを言っている。

 上巻に入って、最初の「小説総論」では、小説は芸術の一つであるが(ただし逍遙は「美術」という言葉を現代の芸術の意味で用いている)、芸術は実用目的ではなく、人の心と目を楽しませ、また人の気格を高尚にするものであると定義する。そして芸術の各ジャンルにはそれぞれ特質があるが、小説は人情世態を描くところにその特質があるとする。その点で小説は絵画や演劇や詩歌をも凌駕して芸術最大の位置を占めるのである、と。

 次の「小説の変遷」では、小説をまず仮作物語の一種で奇異譚の変体だと定義する。奇異譚は英国で言うローマンスのことである、とする。それからローマンスと歴史記述を異なるものとしつつも、古代ギリシャのホメロスのように、古代における歴史は詩歌の形をとっていたから、神代の歴史を小説の始まりと見ることもできるとする。しかし荒唐無稽なローマンスはやがて飽きられて、そこに物語(ノベル)が起こる、とする。だがノベルの説明に行く前に、寓言の書(fable:逍遙はフヘイブルと表記)と寓意小説=アレゴリイ(allegory)の相違の説明が入る。前者(例えばイソップ)は後者(例えば『天路歴程』)に移行する、とする。それからようやくノベルの説明に入るのだが、日本の小説・稗史は文化文政のころから隆盛を極めてはいるが、勧懲(勧善懲悪)小説だから「真の小説にはあらざるなり」。時代の進展とともに、人間は知力を増し、感情を抑制し、また情事でも戦いでも複雑な要素が入り込み、演劇によっては人間世界の複雑さを十分に表現できなくなるに至って、ようやく小説(ノベル)の登場となるのである、と。「優劣必敗、自然淘汰の然らしむる所」というように、ダーウィニズムかと思える表現が使われている。要するに芸術の進化の結果としてノベルが生まれてくるのだ、というわけなのだ。

 「小説の主眼」では、小説の主眼は何と言っても人情で、世態風俗がそれに次ぐ、とする、人情というのはここでは人間の抱く考えや感情、或いは外に現れた行動のことである。『八犬伝』のような伝奇小説が描く現実離れしたヒーローではなく、現実に生きている人間を写実によってありのままに描き出すのが小説のなすべきところなのである。この部分の最後で本居宣長が『源氏物語』の本質を突いた発言を取り上げて、小説の主旨をよく理解していると賞讃している。

 「小説の種類」では、まず小説を勧善懲悪小説(ヂダクチック・ノベル)と模写(写実)小説(アーチスチック・ノベル)に分類している。そのあと、以下の図式を示している。
 すなわち、仮作物語が奇異譚(ローマンス)と尋常の譚(ノベル)に分かれ、ローマンスはさらに厳正(まじめ)と滑稽(おどけ)に分かれる。またノベルは一方では勧懲(勧善懲悪)と模写(写実)に分かれるが、他方で往昔(時代:ヒストリカル)と現世(世話:ソシャル)とに分かれ、現世はさらに描く対象により上流社会、中流社会、下流社会に分かれるという。ここで現世を描く小説を「世話」としているのが、いかにも江戸時代の文芸や歌舞伎を愛好した逍遙らしい。むろん、現在なら現代小説とでも言うべきところだが、当時は世話物という表現しかなかったのであろう。

 「小説の裨益」では、一「人の気格を高尚になすこと」、二「人を勧奨懲誡(懲戒)なすこと」、三「正史の補遺となること」、四「文学の師表となること」。三は、普通の歴史記述が及ばない部分を小説は描くことができる、とする。四は、要するに文章表現の模範が小説の文章に求められるということである。最後に、東洋の小説はローマンスにとどまってきたと述べて、改めて西洋のノベルに学ぶべきことを強調している。

 以上、上巻は文学史・小説史として、19世紀が終わりかけていた時代に英国などで行われていた一般的な文学認識を紹介しており、21世紀に生きている人間が読んでもとりあえず勉強にはなるといった印象である。20世紀にはむろんジョイスなどのこうした認識に収まり切れない小説も生まれたわけだが、それはそれとして、19世紀までの西洋文学の流れを押さえて、明治時代に日本文学に新しい方向性を与えなければと考えていた人間の認識としては妥当なところではないだろうか。

 これに対して下巻のほうは、読んでいてあんまり面白くなく、説得もされなかった。
 なぜかというと、こちらは小説の実作にあたっての細かな技法や注意点を述べているのだが、上巻は西洋文学の流れを押さえた上での分析になっていたのに対して、下巻での技法分析は、西洋文学も出てはくるが、主として逍遙が豊富な知識を持っていた江戸文学やそれ以前の日本文学を例として挙げているからである。だから、明治期以降の日本近代文学の主要な流れを知っている者からすれば、また逍遙の時代以降に豊富に邦訳が出た西洋近代小説を読んでいる人間からすれば、「こういう技法論は今じゃ使えないな」という内容になってしまっているのだ。
 例えば「文体論」での「雅文体」では、江戸期の滑稽物と『源氏物語』を例にして分析を進めているのだが、文体はもちろん、描写の方向性も、さらには読者に想定される知識もまったく異なるものとなったその後の日本文学に馴染んだ身からすれば、古色蒼然と言うしかないのである。
 下巻は、上巻とは違って、多少生硬でも西洋の文物をとにかく模範とすることで新時代を切り開こうというような先進性が稀薄である。新しい革袋に古い酒を入れているような具合なのだ。

 結局、少なくとも『小説神髄』を書いた頃の逍遙は、西洋文学に関する文学史的で概略的な知識は多く持っていたが、馬琴その他の江戸文学に親しんだようには西洋文学に親しんでいなかったのではないか。むろん当時は西洋近代文学の邦訳はほとんど出ていなかったから、英語その他の西洋語で原書を読むしかなかったにせよ、実際に西洋小説を心躍らせながら読んで、その描写に感心したり、人物の心情に共感したりといった読書体験を積んでいるようには見えないのである。彼のそうした読書体験は、あくまで江戸文学に限られていた。東京大学に進んで外国人教員から西洋文学を教えられる以前の段階で、彼の根底的な文学体験は終わってしまっていたのではないか、そんな読後感を持った。

 新型コロナウイルス感染症の流行で開催が一年遅れ、しかも開催を中止しろという声も挙がっていた今回の東京オリンピック。
 しかし実は前回、1964年の東京オリンピックだって結構反対意見があったのだ、という事実を少し前に新聞記事から紹介した。
  
 だが、オリンピックをめぐるゴタゴタは何も東京大会だけに限らない。
 1928年、今から93年前に開催されたオランダ・アムステルダムのオリンピックもそうだったのだ、ということを最近本を読んでいて偶然知った。

 桜田美津夫『物語 オランダの歴史』(中公新書、2017年)である。
 通読したのではなく、ちょっと必要があって両大戦間のオランダがどうだったのかを知りたくて、その辺にだけ目を通していたら、オリンピック開催に関する記述が目に付いたのだが、これが結構面白いので、以下で紹介したい。

 クーベルタン男爵により近代オリンピックの第1回大会がアテネで開かれたのが1896年。第9回大会はオランダのアムステルダムで1928年に開催される予定になっていた。

 オリンピック開催に際して、1912年のストックホルム大会では宝くじで資金を集めたという例があったので、オランダはこれに倣おうとしたが、当時の内閣は理由を明示せずに拒否した。
 
 それで、次には政府から補助金を毎年出そうという法案が1925年に国会に提出された。ところがこれも否決されてしまう。
 
 その理由が、今日的観点からすれば面白い。キリスト教系の政党から、「異教的な」競技会には補助金を出す必要などない、オリンピックは聖書の教義と合わない、といった声が多く出たからだという。今からするとびっくりものの理由付けだが、キリスト教を真面目に奉じている人間からすれば、多神教であるギリシャ神話をベースにした競技会=オリンピックは「異教の」催しに他ならない。キリスト教系の政党では、これ以外に、女性が手足をむき出しにして競技することへの反感も根強かったという。(この大会から正式に女性がオリンピック競技に参加した。)

 一方、マルクス主義政党からは、オリンピックは「遊惰な連中のブルジョワ的気晴らし」であるとして、やはり否定的な見方をされていた。
 だから、補助金に賛成したのは社民党と自由主義政党だけだったという。
 結局、国会では反対48,賛成36で補助金案は否決される。

 ではどうしたかというと、オリンピック委員会は新聞での募金の呼びかけ、アムステルダムの商店主だちの寄附、日本なら旧・郵政省にあたる省庁による寄附金付き記念切手発売、前回大会だったパリ・オリンピックを映した短編映画の上映会とそこでの寄付金集め、などなど、あらゆる手段を尽くしてお金を集め、何とかオリンピックを開催したという。

 オリンピックはこのように、案外反対勢力も強いという状況下で開催されてきたのだ。

 ちなみに、オランダは前回の1928年から100周年になるからという理由で2028年のオリンピックを再度オランダでと運動している、とこの『物語 オランダの歴史』には記されている。しかし2021年である現在、残念ながら2028年の大会開催地はアメリカのロサンゼルスに決定している。ロスでは1932年と1984年にもオリンピックが開かれている。84年の大会は記憶している日本人も多いだろう。それだけアメリカの政治力(そして資金力)が強い、ってことなんでしょうね。

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今年映画館で見た94本目の映画
鑑賞日 8月21日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 濱口竜介監督作品、濱口竜介・大江崇允脚本、179分。カンヌ国際映画祭脚本賞(および3つの賞)受賞作。村上春樹の同名の短篇が原作だが村上の他の作品からも持ってきている部分があるという。いずれも私は未読。

 家福悠介(かふくゆうすけ:西島秀俊)は舞台俳優・演出家。妻の音(おと:霧島れいか)は元女優で現在は脚本家。華やかな職業をもつ似合いの夫婦のように見える二人だったが、妻は問題を抱えていた。悠介はことを荒立てないように暮らしていたが、やがて妻は急死してしまう。
 妻の死後、広島でチエーホフの『ワーニャ伯父』を演出家として上演することになっていた悠介は、愛車のSAABで現地入りする。運営側はしかし、運転手として渡利みさき(三浦透子)を使ってほしいと要求。そして今回の上演には、韓国や台湾の俳優たちも採用されているので、思いがけず多様な人間関係が悠介には生じ・・・

 『ワーニャ伯父』の上演に向けて俳優を選び脚本読みをしてさらに演技の練習を・・・というふうに、いわば劇中劇を扱った映画であるが、他方で悠介が仕事を離れても運転手や日本人・外国人俳優と交流を持つという筋書きも含まれている。

 広島での『ワーニャ伯父』上演に向けての作業だけでなく、映画の前半には悠介が俳優として『ゴドーを待ちながら』や『ワーニャ伯父』に出演している場面がある。西洋人俳優も共演していて、自国語でセリフを言い、日本語訳が舞台の字幕に出るという仕組になっている。

 私は演劇のことにうといので、こういう言わば国際的な方式が実際どの程度採用されているのか分からないのだが、広島の『ワーニャ伯父』も同じく、韓国人や台湾人俳優の共演により「国際化」した舞台劇が企図されている。さらに、唖の韓国人女優(聾ではないので他人の声は聞こえる)が韓国式手話により出演し、日本語を解する韓国人が手話を日本語に訳しながら練習が進む、という設定になっている。「国際化」に加えて「バリアフリー」も取り入れられた演劇なのである。
 (30年ほど前だったろうか、映画監督としても有名なベルイマンに率いられたスウェーデンの劇団が東京で三島由紀夫『サド侯爵夫人』を上演したとき、私も観劇した。セリフはスウェーデン語で、当時は劇場に字幕システムがなく、イヤホンで日本語を聴く装置を有料で借りる方式だった。)

 一種の劇中劇だから、『ワーニャ伯父』のセリフと、演出家や運転手や俳優の人生が二重写しになるようなシーンもある。ただしそれがどの程度成功しているかは、判断が難しい。ソーニャの最後近くのセリフ「ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。(…)そしてその時が訪れたらおとなしく死んでいきましょう。あの世に行ったら、私たちは苦しんだ、涙を流した、つらかったと神様に申し上げましょう」がどの程度身にしみるか・・・うーん、どうだろうか。

 それから細かいことを言うと、最後近くで悠介とみさきは、みさきの故郷である北海道に(SAABで)向かうのだが、どうやら高速道路を使って広島から新潟に行き、そこから車ごとフェリーに乗って小樽に上陸し、小樽からまた車で・・・という経路をとったようだ。だけど、運営側から「二日のうちに決めてくれ」と言われているのに、車とフェリーを使うのでは時間が足りないんじゃないですか? 普通、ああいう場合は広島・札幌間の飛行機を使い、札幌からレンタカーで、というふうにすると思うなあ。じゃなきゃ、二日じゃなく一週間の余裕があるという設定にするとかね。

 新潟市では全国と同じく8月20日の封切で、イオン西にて単独公開中。県内では上越市のJ-MAXでも上映されている。私は封切翌日の土曜日午後の回に足を運んだ。平日は午前と夜遅くの2回しか上映がないが、土日だけ午後の回が設定されていたからだ。私と都合を同じくする人も多いようで、40人ほど入っていたから、ハリウッドや邦画大手の娯楽映画じゃないことを考えればまずまずの入りだろうか。やはりカンヌ国際映画祭で受賞ということの宣伝効果はあるようだ。

 最近の新聞書評欄から面白そうな本を二冊紹介しよう。
 最初はこちら。(以下の引用は一部分です。全文はURLからネット上の各新聞サイトでお読み下さい。)

 https://mainichi.jp/articles/20210814/ddm/015/070/008000c
 小松美彦・市野川容孝・堀江宗正・編著『<反延命>主義の時代』(現代書館・2420円)  評=村上陽一郎(東大名誉教授・科学史)
 毎日新聞 2021/8/14 東京朝刊

■個人の思いが政治利用され得る危険
 先進圏を中心に安楽死やPAD(医師の助けを借りた死、本書ではPAS)解禁の傾向が広がり、日本でも難病の五十代の女性がスイスで自死を遂げた事情を、NHKが密着ドキュメンタリーとして放映、同じく密着取材した宮下洋一氏の著作(『安楽死を遂げた日本人』小学館)も刊行されて、一つの社会問題になっている。本書は、そうした状況を「反延命主義」と名付け、三人の編者ほか多くの論客の文章や対談を盛り込んだ、反論・批判の書である。

 第Ⅰ部「<反延命>主義の現在」、第Ⅱ部「<反延命>主義を問う」となっているが、第Ⅰ部で、特に編者の一人堀江氏の序章は、「<反延命>主義とは何か」と題されながら、その定義や現状の描写からは離れて、厳しい批判の文章である。世界や日本の状況の客観的な分析は、第三章児玉真美氏の論述で果たされる。

 やはり編者の一人小松氏の第一章は、前述のスイスで自死を遂げた日本女性のTV番組の、極めて詳細な分析が主題だ。小松氏は、番組プロデューサーの姿勢に、長い取材期間中、微妙な変化が起こり、番組は、結果的に、自死を遂げた女性の価値判断の一方的な代弁になった、とする。つまり、「いのち」と「生き方」とを分断し、後者を優先させることを問題視する。

 (中略)

 「政治的」側面の一つは、それがナチズムにおける優生思想と重なる、という点である。しかし、ナチズムは百パーセント悪である、ゆえにナチズムに重なるものも、議論なく悪である、という論理は正しいか。また堀江氏は<反延命>に加担するのは「医療右翼」だと断じるが、小松氏も指摘するように、日本で優生保護法(現母体保護法)制定に尽力したのは、当時の左翼政党の人々だったこと、またヨーロッパでも、現在安楽死法制定に反対しているのは、保守色の強い勢力であることを考えれば、話は一筋縄ではいくまい。

 (以下、略)

                                    

 安楽死の問題それ自体は古くからあり、森鴎外の有名な『高瀬舟』が主題としていたのを始め、志賀直哉の『暗夜行路』の中でもそうした議論がなされていた。

 しかし最近のヨーロッパの一部で認められている「尊厳死」は、この書評でも言われているように、「今耐え難い苦しみに七転八倒しており、それを除く方法は、死そのもの以外にない」から選ばれるわけではない。現在の苦しみはほとんどないが、致命的な病気にかかっており治癒する可能性がないから、という理由による選択なのである。
 その是非を問うたのが本書、ということになる。

  この問題を扱った映画もドイツで作られている。当ブログでも紹介した『君がくれたグッドライフ』である(ドイツでは2014年、日本では2016年公開)。ドイツでは安楽死が認められていないので、認めているベルギーに行って・・・という話である。もっとも本書のようにそれが倫理的に許されるのかという問題を突きつめた内容にはなっていないが、ヨーロッパの現状を知るためには有用だろう。

 評者の村上陽一郎氏が最後で、ナチズムや右翼と尊厳死の単純な結びつけを戒めているのも、印象的である。米本昌平・市野川容孝ほか『優生学と人間社会』(講談社現代新書、2000年)は、優生学がナチズムの専売特許ではなく、他の「民主主義国家」でも推進されていた事実を指摘した好著であり、こうした問題を考えるに際しては必読書である。


 次はこちら。

 https://www.sankei.com/article/20210815-ZO5HVZLS6RJ3DEI5J2IACBWFQM/
 リチャード・オウヴァリー著、河野純治、作田昌平訳『なぜ連合国が勝ったのか?』 (楽工社・4345円)  評=潮匡人(評論家)
 2021/8/15 09:15

■日本の敗北 必然ではない
 本書は『Why the Allies Won』第2版(2006年刊)の邦訳である。第1版刊行(1995年)から四半期以上がたつ。すでに第二次世界大戦を分析した古典的名著となっている。著者は第二次大戦史を専門とする歴史学者。英学士院特別会員であり、世界で唯一「戦争学部」を設ける名門「キングス・カレッジ」(ロンドン大学)でも教鞭(きょうべん)を執った。『ヒトラーと第三帝国』(河出書房新社)他多数の著書を上梓(じょうし)、数々の受賞歴に輝く。

 およそ戦争における勝因と敗因は表裏一体であろう。『なぜ連合国が勝ったのか?』(本書邦題)という問いは、「なぜ枢軸国(日独伊)は負けたのか?」という問いとも重なる、はずだ。ところが、日本では「なぜ負けたのか」を問わず、そもそも「なぜ圧倒的な物量を誇るアメリカと戦ったのか」と問う。案の定この夏も、そうした歴史認識が日本列島を覆った。

 他方、本書はこう指摘する。「なぜ連合国が勝利したかを理解するためには、資源、技術、兵員といった物質的説明だけでは不十分だ」「戦争には倫理的側面があり、それはいかなる結果の理解からも切り離すことはできない」「戦争の歴史には、物質的に不利な小国が、より大きく、より豊かな敵を打ち負かした例がいくつもある」

 日本人こそこう主張すべきではないのか。それなのに、この夏も「なぜ無謀な戦争を始めたのか」「なぜ負ける戦争をしたのか」等々の問いに終始した。

 (以下、略)

                                     

 英国人の歴史家は奥が深い、と思うことがある。かつて私はクリストファー・ソーンの『太平洋戦争とは何だったのか』(草思社、1989年)を読んで、英国人である著者が日本に対しても非常に公正な見方をしていることに驚いた記憶があるが(日本人歴史家のほうがよほど「反日的」なのである)、この『なぜ連合国が勝ったのか?』もそうした一冊なのであろう。

 先日桶谷秀昭の『二葉亭四迷と明治日本』を紹介した際にも書いたことだが、明治時代、日本がロシアと戦争をすると決めたとき、日本の政治を背負っていた伊藤博文や山県有朋は体調を崩した。ロシアの国力が並々ならぬものであることを彼らは承知しており、日本がロシアと戦うなら下手をすると自国を滅亡させかねないことを理解していたからである。それでも当時の日本はロシアとの戦争を選ぶしかなかった。結果として辛勝したわけだが、日露戦争を「無謀な戦争」と評する人間は(あまり)いない。
 結果論で戦争を評するのは、あまり賢明な人間のすることではない、と私は思う。

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今年映画館で見た93本目の映画
鑑賞日 8月12日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★☆

 松本壮史監督作品、97分。

 ハダシ(伊藤万理華)は女高生で、学校では映画部に所属している時代劇オタク。自分でも時代劇映画の脚本を書いたものの、映画部としての制作作品は男女高校生同士の恋愛ものに決まってしまう。だが或る日、イケメン男子高校生・凜太郎(金子大地)と知り合い、彼を主役に抜擢し映画部とは別に映画を作ろうと決意。凜太郎にはしかし映画出演を引き受けられない理由があった・・・

 時代劇映画オタクの女高生という設定に加えて、もう一つの設定をプラスして出来ている作品で、全体として悪くない仕上がりになっている。最近時代劇映画はあんまり流行らないけれど、こういう女子高生が出てくると流れも変わるかも、なんて気がした。

 ただし、大きな欠点がある。ヒロインを演じる女優に魅力がないのである。華もなければ器量の大きさというか、存在感みたいなものも感じられない。こういう女優を主役に選んでしまうのは、現在の邦画界がどこかで大きな勘違いをしているからか、或いはシステム障害を繰り返す某メガバンクみたいに根本的な体質上の問題を抱えているからじゃないかというのが、私の感想です。

 新潟市では全国と同じく8月6日の封切で、Tジョイにて単独公開中。県内でも上映はここだけ。

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今年映画館で見た92本目の映画
鑑賞日 8月12日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 ドイツ・フランス合作、クリスティアン・ペッツォルト監督作品、90分、原題は"UNDINE"(ヒロインの名)。

 舞台は現代のベルリンとその郊外。
 ベルリンの歴史博物館でガイドをしている若い女性ウンディーネ(パウラ・ベーア)は、別れ話を持ってきた不実な恋人に「別れたら殺す」と脅しをかけるが、やがて新しい恋人クリストフ(フランツ・ロゴフシキ)ができて矛先を収める。クリストフは郊外の貯水池などで水中の作業を行う潜水夫をしていた。或る日、ウンディーネにクリストフから電話がかかってくるのだが・・・

 ウンディーネ、というヒロインの名は、多少ドイツ文学に親しんだ人にはすぐぴんと来るだろう。フケーの短篇『ウンディーネ』が『水妖記』の邦題で岩波文庫に収録されているからだ。この映画でも、ヒロインは水との不思議なつながりを持つという設定になっているが、フケーの作品とは直接的なつながりはない。

 しかしこの映画を見ていると、水中の場面もそれなりに出てくるが、他方で鉄道や駅など、映画としては古典的と言いたくなるシーンが多い。もともとペッツォルト監督がそういう作風の人だから分からないでもないが、ヒロインと水との関係はもう少し詰めたほうが良かったのではないかという気がした。(ただし、ベルリンという都市名が語源的にはスラヴ語で沼沢地の意味だったと、ヒロインが歴史博物館の客にレクチャーするシーンは示唆的である。)どちらかというと、厳密な脚本をもとにしているというよりは、雰囲気を優先した映画になっている。

 監督のペッツォルトは1960年ドイツの生まれで、国際的にも知られた存在であり、当ブログでも『未来を乗り換えた男』(2018年)と『あの日のように抱きしめて』(2014年)を紹介している。『未来を乗り換えた男』は今回と同じ俳優二人を主演とした映画である。他に日本では『東ベルリンから来た女』が公開されている(2012年、ベルリン国際映画祭銀熊賞〔監督賞〕受賞、ただし新潟には来なかったので私はDVDで鑑賞)。

 東京では3月26日の封切だったが、新潟市では約4ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて2週間上映された。

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評価 ★★★★☆

 著者は1932年生まれ、一橋大社会学部卒、文藝評論家、元・東洋大教授。

 先日、中村光夫の『二葉亭四迷伝』を読んだのに続き、また二葉亭四迷の評伝を読んでみた。中村の本は1958年に出ており、桶谷の本書はそれから二十年以上をへて書かれているので、内容的に中村の本を修正する形になっている部分もある。

 例えば、二葉亭が松江変則中学に通っていた時期に英語を習ったかどうかという問題だが、中村は習ったと書いているのだが、桶谷は色々調べた結果として、二葉亭が在籍していた当時の松江変則中学には英語の授業がなく、彼が東京に移った直後にようやく導入されたと指摘している。
 ちなみに変則中学とは日本語で授業をする中学のことで、正則中学なら外国語(主として英語)で授業をする学校のことである。明治初期には西洋近代の知識を身につけるための日本語の本はほとんどなく、英語などの教科書を用いて外国人が授業をするケースが多かった。また二葉亭が中学に通っていた明治8~11年という時代はまだ中学校が整備されておらず、その内容も地域ごとにまちまちであった。中学という学校が制度として一律化されるのは明治19年に森有礼の中学校令が出てからである。

 また、二葉亭が陸軍士官学校を三回受験していずれも失敗していることについて、本人は視力が悪かったからと言っているのだが、肉体的条件で落ちるなら最初から基準が決まっているはずで三回も受験するのはおかしいと中村は述べるにとどめている。これに対して桶谷は、他の評論家の説を引用しつつ、最初の二回は学科試験で、三回目は体力検査で落ちたのではないかと推測している。二葉亭は数学が不得手だったらしい。

 さらに、二葉亭は在籍していた東京外国語学校(ロシア語科)が東京商業学校(のちの一橋大学)に吸収合併されるのを不満として退学しているのだが、これについて中村は、二葉亭の武士気質(当時の上級学校には士族が多く、二葉亭もその一人)が商店の丁稚の多い商業学校と一緒になることを許さなかったからとしていた。一方、桶谷は二葉亭が必ずしも武士気質ではなかったと述べて、学生たちの退学運動が起こったときに説得にあたった校長(実際、それで多くの学生は翻意した)の性格がへそ曲がりの二葉亭に反発心を喚起したからではないかと述べている。

 むろん中村光夫の説を否定する箇所ばかりではなく、同意している部分も多い。

 読んでいて気づいたのは、桶谷はロシア文学とロシア語に造詣が深く、ロシア文学から多大な影響を受けた二葉亭の作品や発言をそうした視点から細かく読み解いていることである。例えばロシアのインテリゲンチャというものの特質を、アイザイア・バーリンの指摘を引用しつつ、ベリンスキイのような典型的なロシア・インテリゲンチャを例に挙げて説明し、そこから二葉亭の性格に踏み込んでいくあたりは、なかなか読ませる部分だろう(48ページ以下)。

 また、最晩年の二葉亭がロシアのペテルブルグに行き、最初のホテル住まいを切り上げて下宿したのがストリャールヌイ街で、これは『罪と罰』のラスコーリニコフが下宿していたのと同じ場所だという指摘も(『罪と罰』ではC街となっているが)、なるほどそうだったのだ、と思わされた。ここは下層階級の住む場所だったのである。貧しい大学生であるラスコーリニコフは、そうした場所で犯罪の構想を練ったわけだ。(311ページ以下)

 当時文豪として世界的に注目されており、それ故に思想上の葛藤から家出して亡くなったトルストイ、そして二葉亭のトルストイ観にも言及がなされている。トルストイが死去したのは、二葉亭がロシアで発病して日本に船旅で帰国する途上で亡くなる一年後のことであった。(291ページ以下)

 それ以外にも、例えば『日本之下層社会』で知られる横山源之助との関係を述べた部分など(172ページ以下)、興味深い箇所が多い。

 二葉亭はロシア通だったからロシアの国力や軍事力にも精通しており、日露戦争に際してはこれが日本にとって容易ならざる戦いになることを予見していた。むしろ帝大教授たちのほうが脳天気に「ロシア討つべし」などと国民を使嗾していたのである(193ページ)。
 政治家も学者よりはるかに現実を直視していた。ロシアと戦争をすることが正式に決まったときに伊藤博文や山県有朋が体調を損ねたという指摘(231ページ)は、結果的には辛勝となったこの戦争が下手をすると日本の滅亡につながりかねないという正しい認識を彼らが有していたことを示している。
 とはいえ、日露戦争は避けられない戦争であった。第十・十一章を読むと、日露戦争前夜、ロシアがいかに権益を求めて東に進出し清に圧力を加えていたかがよく分かる。またそうした地域で活動していた日本人の姿も描き出されている。他方、著者は第十五章では日露戦争以後の日本がはっきりと帝国主義に傾いていったと述べて、その辺を見抜けなかった漱石の旅行記を批判している。

 二葉亭の複雑な人間像、そして彼の生きた時代を活写した優れた書物だと思う。
 新潟大学図書館から借りて読みました。

 『白水社の本棚』は、白水社が自社の出版物を紹介するために出している印刷物だ。
 
 以前はタブロイド版の新聞形態だったが、今年になってから雑誌化された。A5版で、自社の出版物の宣伝はもちらんだが、それ以外にエッセイなどが載っている。新聞形態のときも載っていたけれど、雑誌形態になって落ち着いて読めるようになった気がする。

 こうした出版社のPR雑誌としては、新潮社の『波』、岩波書店の『図書』、講談社の『本』、東大出版会の『UP』などがある。私は昔はこういう雑誌が好きで、何種類も購読していた。といっても購読料は年500円かせいぜい1000円くらいでたいしたことはなかったが、その出版社だけでなく他社の出版広告が載るし、本や読書に関するエッセイも掲載しているので、出版物の情報をキャッチし、また読書その他に関する幅広い知識を得るために有用だったからである。30~40代の私は、そうした雑多な知識を増やすことに貪欲だった。

 しかし50代に入る頃から、この手の雑誌に丹念に目を通す精神的なエネルギーが衰えてきて、一誌また一誌と購読を止め、60代に入る頃にはまったく読まなくなってしまった。

 これは古本屋に対する関心とほぼ軌を一にしている。30~40代の私は古本屋を見かけると必ず立ち寄って、面白そうな本やずっと探し求めている本がないかどうか店内を一巡りして確認するのが習慣だった。その頃はまだネット検索なんて便利なものがなかったからでもある。だが50代後半になると古本屋めぐりから遠ざかり、60代になるとほとんど行かなくなってしまった。本の置き場が大学にも自宅にもないし、という事情もあったけど。

 この『白水社の本棚』は、もともと白水社が無料で送ってくれていたので、読み続けていたわけである。月刊ではなく年4回発行だから、出す側もそれほどコストがからないのであろう。本年初めに雑誌化するにあたって、改めて「送付を続けますか?」という問い合わせの葉書が付いていたが、定年退職してからこの手のPR雑誌を全然読んでいないのが淋しく思われてきていたので、「継続」に○をつけて返信した。

 最近送られてきた『白水社の本棚』は雑誌化して2号となるが、これが面白いのである。

 冒頭、岡崎武志氏の「愛書狂」というエッセイが載っている。送られてきた某古書店の通販カタログに目を通して、という話なのだが、「昭和十二年、尾道高女の「愛国」少女夏休み日記が7000円だけど、読みたいなあ」と書いている。岡崎氏は個人の日記を収集しているのだそうだ。といっても書籍化されている有名人の日記ではなく、無名人の自筆日記で、したがってこの世に一部しかなく、しかしそれを読むと時代の息吹と個人の魂がうかがえる、のだそうだ。なるほど。それにしても、古書店が個人の自筆日記まで販売しているとは、知りませんでした。

 北村紗衣氏の「積ん読は世界の言葉になるか?」なんてエッセイもある。
 私も世の読書家と同じく(?)、買ってもすぐには読まない「積ん読」が結構あるのであるが、北村氏によるとこの言葉はtsundokuという表記で海外でも知られるようになっているのだという。英語、ドイツ語、スペイン語などで使われているそうだ。そう書いてから、北村氏は海外で使われている日本語の単語にどういうものがあるか、というふうに話を続けていく。オクスフォード英語辞典には、そうした単語が540語ほど載っているのだそうだ。そんなにあるのか、と私はびっくりしたけれど、具体的にどんな単語があるのかは、『白水社の本棚 2021夏』を読んでみて下さい。

 もちろん、白水社の本の紹介もある。
 イアン・アービナ『アウトロー・オーシャン 海の「無法地帯」をゆく(上・下)』は、海での密漁や乱獲、不法投棄、奴隷労働、人身売買、妊娠中絶(多分、国内ではできないということなのか)などを取り上げ、犯罪行為の温床となっている実態を告発した本だという。

 城山英巳『マオとミカド 日中関係史の中の「天皇」』は、1920年代から50年代にかけての米ソ日中の関係に焦点をあてた本。毛沢東や周恩来の天皇に対する関心、そしてそれを喚起したのが野坂参三だったという指摘など、一筋縄ではいかない国際関係論になっているらしい。

 オレーク・V・フレヴニューク『スターリン 独裁者の新たなる伝記』は、ロシアの学者が現地文書館の資料を博捜して執筆したスターリン伝。この独裁者についてはまだ分からないことも多いわけだが、新しい発見も期待できそうだ。

 ジュディス・ヘリン『ビザンツ 驚くべき中世帝国』は、日本では文献が必ずしも多くない、しかしヨーロッパ史を正しく捉えるためには無視できない中世ヨーロッパの帝国を多方面から描き出した労作だという。

 ドイツの現代小説もある。ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』である。大学を定年退職した古典文献学(古めかしいね!)の教授が、現代ドイツのアフリカ難民と関わりをもつという筋書きだそうだ。「トーマス・マン賞受賞作」と書いてあるのだが、私は(トーマス・マンとその兄ハインリヒをやっている人間なのに)トーマス・マン賞なんてものがあるとは知りませんでした。不勉強で済みません(汗)。調べてみたら、2010年に始まった賞で、まだできてそんなに経っていないのだね。Thomas Mann Prizeで検索するとウィキペディア英語版に説明が載っています。もちろんドイツ語版記事(Thomas-Mann-Preisで検索)もある。日本語の情報は、ネット上にはないみたい。

 こういう広告に目を通すと、どれも読みたくなってしまうが、年金生活の身では片っ端から購入して、とはいかない。公立図書館に期待するしかないかな。

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今年映画館で見た91本目の映画
鑑賞日 8月12日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 日本・台湾・フランス合作、黄インイク監督作品、101分。

 沖縄の西表島に、橋間良子という女性が住んでおり、数年前、九十代で亡くなった。
 彼女は台湾の生まれで、十歳の時に(だから日中戦争の時代である)父に連れられてこの島に移住した。やがて日本名を名のり、死ぬまでこの地で暮らした。父がこの島に移住したのは、炭坑があったからである。炭坑では、囚人や台湾出身者(朝鮮半島出身者もいたという)が苛酷な条件下で働かされていた。

 この映画は、平成時代に西表島で暮らす橋間良子の日常や、過去の記憶、周辺の人々、西表島の景観などを映し出しているドキュメンタリー(一部、再現ドラマが使用されている)。

 ただし、過去のダークな歴史を追及するとか、発掘して分かりやすく提示するというよりは、台湾出身の老いた婦人の現在と過去を、西表島の風景と一体化させて、一つの芸術作品としてまとめあげた、といった印象の強い映画になっている。
 西表島の炭坑の歴史は作品サイトに分かりやすい記述で載っているから、そちらを読むのが手っ取り早い。また書籍『緑の牢獄 西表炭坑に眠る台湾の記憶』(五月書房新社)も出ているそうな。

 黄インイク監督は1988年台湾生まれ、ドキュメンタリー映画の撮影に力を注いでおり、本作品は台湾が日本領だった時代に八重山諸島に移住した台湾人の軌跡をたどるドキュメンタリー三部作の第二弾だそうである。第一作は『海の彼方』だが、私は未見。

 東京では4月3日の封切だったが、新潟市では4ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定上映された。

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今年映画館で見た90本目の映画
鑑賞日 8月10日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 山田洋次監督作品、125分。松竹映画100周年記念作品だそうな。

 ギャンブル好きで借金だらけの老人(沢田研二)は、妻(宮本信子)や娘(寺島しのぶ)からも見放されかけている。しかし彼が若かった昭和40年頃には、映画作りに情熱を燃やしており、書いた脚本が採用されて初めて監督を務めるところまでこぎ着けたことがあった。結局撮影は途中で打ち切りになってしまったのだが、あの脚本が・・・

 救いようのない老人が、若い頃は映画作りに携わっていたという筋書きを軸に、昭和40年頃の映画会社の様子と、映画への情熱を甦らせようとする現在の物語とが並行して映し出されている。主人公の若い頃を菅田将暉が演じているほか、妻の若い頃を永野芽郁が、主人公の親友を小林稔侍(現在)と野田洋次郎(過去)が、また昭和40年頃の人気女優を北川景子が演じている。どちらかというと、脇役の存在感が重きをなす群像劇かなという印象。

 悪くない映画ではあるけれど、「悪くない」を突き抜けて賞讃するほどの作品でもない。山田監督らしく中庸を行っている、と言うべきか。

 新潟市では全国と同じく8月6日の封切で、Tジョイを除く市内のシネコン3館で公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。

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評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は1942年生まれ、東大経済卒、同大学院満期退学、上智大教授、学習院大教授を歴任し、2013年から5年間日銀副総裁、著書多数だそうだが、私はこの人の本を読んだのは初めて。

 本書の最も核になる主張は、要するに日本をデフレから脱却させなければならない、ということである。バブル崩壊以降の日銀の政策(長期デフレを呼び込んだ)を批判して、マネタリーベースとマネーストック(その意味については本書を参照)を抑えたのが根本的な間違いであり、リーマンショックの時にアメリカがとったような、日銀とは逆の金融緩和政策をこそとるべきだったのであるし、今もそれは同じであると述べている。基本的にアベノミクスを支持しており、それによって日本の雇用は一定の改善を見たが(58ページに表で分かりやすく示されている)、とにかくデフレの克服をしなければ日本経済は立ち直れないとする。
 また、アトキンソンを批判して、日本の生産性が低いという、近年よく言われる指摘は当たっていないとも述べている。

 この主張が正しいかどうか、経済にうとい私には正直言ってよく分からないのだが、本書はいわゆる新自由主義政策が格差を拡大したという一般の理解を否定し、少なくとも日本に関してはデフレ政策が間違っていたから雇用も悪化し格差も拡大したのだ、と主張している。

 以上を基本として、本書は日本の格差を克服するためとして多方面にわたる政策を提言している。
 例えば(他の人間も指摘しているが)日本では子供の相対的貧困率が高く、つまり政府の税制による格差是正が子供や若者に関してはうまく行っていないのである。逆に年金を初めとして、高齢者は政府から優遇されている。また、少子化が進む中、このままでは年金は破綻することが明らかであるから、相続税の引き上げによって年金財源をまかなうようにすべきだと主張している。相続は、要するに親から子供への財産移動で、不平等を絵に描いたようなものであるし、相続税を引き上げても子供がしっかり自立して働いていれば悪影響をこうむることもないからだという。
 もっとも、著者はどこか感覚がズレているところがあり、2018年度で見れば日本では相続財産が2億円未満の人が89%で、言い換えれば相続財産が2億円を超える人は11%しかいないと述べているのだが(340ページ)、私は11%もいるのかとびっくりした。言うまでもなく私は(私の子供も)11%には入らないからである。

 ズレているといえば、著者は日本では正規雇用者と非正規雇用者の格差が大きいと述べて(そこまではいいが)、正規雇用者を特権階級と述べているのだが、日本の正規雇用者が海外先進国に比して過大な収入を得ているわけでもないのに、特権階級と呼ぶのは完全におかしいと思った。また、著者は日本では正規雇用者のクビを切るのが難しいから非正規雇用者にしわ寄せが行くのだとして、首切りが簡単にできるようにしろと主張しているのだが、それで雇用が守れるのだろうか。法律の保護がある下ですらブラック企業というものが厳然として存在している日本で、法的な保障をはずしたらどうなるかは歴然としているのではないか。もっとも、著者は企業に対する公的な監視を強めるべきだとは述べているのだが、そうなれば公務員を大幅に増やさなければならず、「小さな政府」を金科玉条とする新自由主義を批判しなければならないはずだと思うのだが。

 要するに著者は、年金や雇用などについて色々なことを言っているのだけれど、外国のいいところだけを切り取って持ってきているので、だからスウェーデンの雇用政策(首切りが容易だが再就職のための技術習得を政府が支援)を見習えと言っているのに、北欧のように税金を高額にしろとは言わない(むしろ消費税増税を逆進的だとして批判)のである。世界各国の経済政策は、本来その国の税制や雇用に関する考え方や福祉制度と密接につながっており、切り取って一部分だけ持ってきても説得性が薄いという考えに、著者は至らないようだ。

 本書は色々な側面から日本の経済的特質を明らかにしようとしているので、相互に矛盾した部分もなくはない。例えば日本の格差は、「富の分布」の国際比較表を見ると、比較的小さいように思われる。アメリカでは上位1%のリッチ層がアメリカの富全体の42.5%を所有しているのだが、ノルウェーは20.1%、フランスは18.7%、日本は10.8%である。同じく、上位10%のリッチ層が所有している富の割合では、アメリカ79.5%、ノルウェー51.5%、フランス50.6%に対して日本は41%である。アメリカの格差の大きさはよく言われるが、平等な福祉社会のイメージのある北欧のノルウェーで意外にリッチ層による富の独占状態が目立つことが分かる(128ページ)。

 また、分からないことというのもあるわけで、例えば最低賃金の引き上げが良いか悪いかについては、色々な研究がなされているが、要するにはっきりしないのだという。最低賃金が引き上げられれば底辺労働者の所得が増えるから好ましいという意見と、最低賃金が引き上げられれば企業はコストの高騰を嫌って雇用を抑えるから良くないという意見と両方あるのだが、どちらが正しいとも言えないらしい。

 というわけで、多方面の事柄に言及していて、なるほどと思うとこともあるけれど、完全に納得したかというとそういうわけでもなく、参考にはなるかな、といったところだろうか。

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8月6日(金) 14時(昼の部)、18時30分(夜の部)
りゅーとぴあ・スタジオA
5000円(昼の部・夜の部通し券)、全席自由

 この日は標記の音楽会に出かけました。
 ソプラノの柳本幸子さんがパリゾッティ版のイタリア古典アリアを歌う演奏会の3回目。私は第1回は行っていないのですが、第2回目は拝聴しています。感想はこちら
  
 新型コロナウイルスのせいで、第2回をやってから今回の第3回まで少し時間がかかりました。
 昼の部と夜の部がそれぞれ18曲で、昼夜共通の曲も若干ありましたが、基本的には昼と夜は別の曲目というコンセプト。演奏する側としてはなかなか大変でしょう。
 昼の部が特に入りが良く、70人は入っていました。夜の部は40人程度。

 加えて、今回は写真家の渡部義則氏の写真が会場に展示されました。「星夜の記憶」と題して、渡部氏が長年取り組んでこられた夜空の星を撮った写真が、昼の部と夜の部で作品を替えてそれぞれ十数枚ずつ展示されました。
 また、各部の最初と途中休憩後の2回ずつ(したがって合計4回)、一枚の写真について撮影したときの苦労話が渡部氏から紹介されました。何気ない写真でも、それを写すにあたってはかなりのご苦労があるのだということがよく分かりました。

★昼の部
 1.アマリッリ麗し  カッチーニ
 2.私を死なせて(歌劇「マリアンナ」より)  モンテヴェルディ
 3.愛するひとの側にいることは  マンチア
 4.お前は私をまだ苦しめ足りない  カプローリ
 5.貴女は知っている  トレッリ
 6.私を傷つけるのをやめるか(歌劇「ポンペーオ」より)  A・スカルラッティ
 7.フロリンドが誠実なら(歌劇「女もまた忠実」より)  A・スカルラッティ
 8.すみれ(歌劇「ピルロとデメートリオ」より)  A・スカルラッティ
 9.お前を讃える栄光のために(歌劇「グリセルダ」より)  ボノンチーニ
 (休憩)
 10.樹木の陰で(ラルゴ)(歌劇「セルセ」より)  ヘンデル
 11.ああ、私の心のひとよ(歌劇「アルチーナ」より)  ヘンデル
 12.愛に満ちた処女よ  ドゥランテ
 13.踊れ、優しい娘よ  ドゥランテ
 14.ニーナ  伝ペルゴレージ
 15.私を燃え立たせるあの炎  マルチェッロ
 16.ああ、私の優しい情熱が(歌劇「パーリデとエレナ」より)  グルック
 17.もはや私の心には感じない(歌劇「妨げられた恋(水車小屋の娘)」より)  パイジエロ
 18.愛の喜びは  マルティーニ
 (アンコール)
 カロ・ミオ・ベン  ジョルダーニ
 歌劇「サムソンとデリラ」から”あなたの声に心は開く”  サン=サーンス
 歌劇「カルメン」から”ハバネラ”  ビゼー

★夜の部
 1.アマリッリ麗し  カッチーニ
 2.翼をもつ愛の神よ  カッチーニ
 3.ああ、愛らしく美しい瞳  作曲者不明
 4.愛しいひとのまわりに(歌劇「オロンテーア」より)  チェスティ
 5.眠っているのか、美しいひとよ  バッサーニ
 6.貴女への愛を捨てることは  ガスパリーニ
 7.たとえつれなくても(牧歌劇「愛の誠は偽りに打ち勝つ」より)  伝カルダーラ
 8.親しい森よ(牧歌劇「愛の誠は偽りに打ち勝つ」より)  伝カルダーラ  
 9.私は蔑ろにされた妻(歌劇「パヤゼット」より)  ヴィヴァルディ
 (休憩)
 10.陽はすでにガンジス川から(歌劇「愛の誠」から)  A・スカルラッティ
 11.姿を隠さないでほしい(歌劇「エラクレーア、別名、サビーニ族の女たちの略奪」より)  ボノンチーニ
 12.美しい唇よ、お前は言ったのだ  ロッティ
 13.ニーナ  伝ペルゴレージ
 14.愛しい妻よ(歌劇「リナルド」より)  ヘンデル
 15.私を泣かせてください(歌劇「リナルド」より)  ヘンデル
 16.私を燃え立たせるあの炎  マルチェッロ
 17.ああ夜よ、神秘の女神よ  ピッチーニ
 18.もし貴方が私を愛してくれて  パリゾッティ(?)
 (アンコール)
 踊れ、優しい娘よ  ドゥランテ
 以下、昼の部のアンコールと同じ

 一日で合計40曲も歌うのは、繰り返しますが歌手は言うまでもなく、ピアニストも大変でしょう。
 聴いているだけの私も、夜の部の後半になったら尻が痛くなってきました。
 とにかく合計4時間あまりを歌い切った柳本さんと、ピアノの石井さんを讃えたいと思います。
 スタジオAが狭いせいか、歌声は朗々として響き、ピアノも以前のだいしホールに比べて音色に深みが感じられました。

 バロック期のオペラは、最近ようやく復興のきざしがあるわけですけど、この演奏会でA・スカルラッティのオペラ・アリアを何曲か聴いて、永遠のオペラ初心者である私も少し勉強しないと、と思ったことでした。
 私は生では、モンテヴェルディ(この作曲家がルネッサンスかバロックかは微妙ですけど)の『ウリッセの帰還』を2018年晩秋に東京で聴いたくらいかな。
   
 ちなみに柳本さんは昼の部は前半赤、後半黒のドレス。夜の部は前半青、後半黒。
 石井さんは昼の部と夜の部で異なるドレスでしたが、色はいずれも黒。ピアニストは控えめに、ということからでしょうか。

 なお、12月初めに同じコンビで今度はフランスものの歌で演奏会を予定しているそうで、アンコールには予告ということか、フランスものが披露されました。4ヵ月後が楽しみです。

 というわけで充実した音楽会でしたが、ちょっとだけ懸念を書いておくなら、途中休憩で客席のおしゃべりが非常に目立ちました。
 最近新型コロナウイルス感染者が全国的に再度増えてきており、新潟も例外ではありません。
 柳本さんによる曲の解説、そして写真家の渡部さんのお話はいいとして、休憩中の客席のおしゃべりを抑える工夫が必要かと思いました。

 新型コロナウイルスの感染が始まって、しばらくクラシックのコンサートは中止ばかり。最近、色々な制限付きでようやく旧に復しつつあるわけですから、仮にコンサートが感染源になったりしたら、元の木阿弥になってしまいます。
 私は映画館にもよく行きますけど、音楽会の休憩時間のようなおしゃべりは見られません。音楽愛好家は映画愛好家を見習ってほしいものです。

 (甲子園では夏の高校野球が行われていますが、新潟県でも感染で予選出場を辞退したチームがありました。また、この音楽会の後のことですが、某合唱コンクール新潟予選で感染者を出した合唱団があり、とりあえずは感染者だけ除く措置がとられたそうですが、今後合唱団内部での感染が広がれば、仮に予選を通過しても本選出場そのものが危うくなるでしょう。また、新潟市内のジュニア合唱団の演奏会が中止となりました。こういう事態になっていることに、音楽関係者と音楽愛好家は自覚的であってほしいものです。)

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今年映画館で見た89本目の映画
鑑賞日 8月6日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 黒崎浩監督作品、111分。タイトルに「映画」と付いているのは、同名のテレビドラマがあるから(私はそちらは未見)。
 
 第二次世界大戦中に京大で原爆の開発が行われていたという事実をもとにした作品。
 京大生として原爆開発の下支えをしている青年(柳楽優弥)、士官として従軍しているその弟(三浦春馬)、二人の幼なじみである若い女性(有村架純)の三人を軸に、兄弟の母(田中裕子)や研究室の教授(國村隼)などで脇を固めている。

 この映画のポイントは、最新鋭の研究が最終的には大量破壊兵器の生産につながるという非情な事実を、若い京大生の姿を中心に、あくまで理工系研究者の立場から追求しているところだろう。安易に戦後的なヒューマニズムで割り切ることはしていない。

 ただし、作中には色々な要素が混入していて、だからヒロインである有村架純のセリフは、純粋に戦後的価値観によって作られている。その分、底が浅い面もある。

 しかし、無理に一つの価値観で統一しようとしていないところが買いだと言えなくもない。

 亡くなった三浦春馬がこの作品にも登場している。改めて、色々な映画から引き合いがある俳優だったんだなと痛感させられる。合掌。

 新潟市では全国と同じく8月6日の封切で、Tジョイを除くシネコン3館で公開中。県内他地域では、イオン県央とTジョイ長岡でも上映している。

 毎日新聞の特徴として、書評欄など本の紹介が充実している点が挙げられる。毎週土曜日には三ページの書評欄が掲載されるが、それ以外にもビジネスやエンタメに特化して本を紹介するページが随時設けられるし、一面では時々、大学出版会の本だけを集めた広告特集が組まれる。

 その他、先日(8月10日)にはやはり書籍紹介として、「地方・小出版の本」という1ページ大の広告が載った。
 
 地方都市の出版社や、ごく小規模な出版社の本をまとめて36冊、表紙の写真と簡単な(70字程度の)内容要約によって紹介した広告である。

 例えば、シクルシイ著『まつろはぬもの 松岡洋右の密偵となったあるアイヌの半生』なんて本が出ている。寿郎社という出版社の本で、税込3080円。

 『真のキリスト教(上巻)改訂版』なんて本もある。あのスヴェーデンボルイの著書で、その進学の集大成だそうな。アルカナ出版から、4400円。

 井上智重『山頭火意外伝』なんて本もある。著者は熊本近代文学館の元館長。種田山頭火と熊本の関わりを明らかにした本だとか。熊本日日新聞社から、2200円。

 弘前大学出版会の本も、三冊登場している。その一冊が、弘前大学人文学部附属・亀ヶ岡文化研究センター編『成田彦栄氏 考古・アイヌ民族資料図録』。縄文土器や土偶の作り方や細部の特徴が分かる本だそうな。3080円。

 大学出版会は、以前は東大や法政、或いはその他の有力私大や旧帝大などにしかなかったが、現在は多数の大学に設置されている。弘前大学もその一つで、地味ながらこうした本を出しているわけだ。

 以前にも書いたけど、私は長年、新潟大学に出版会を作らせようとして運動してきたが、ついに成功しなかった。地方大学だからこそ出版会を作って研究成果をどんどん発信していかなければならない、という認識を、新潟大学上層部はついに持つことがなかった。情けないことである。(大学の出版会は、とにかく上が決断しないとできない。下がいくら騒いでも駄目なのである。)弘前大学だけでなく、新潟の近隣県では山形大学や富山大学もちゃんと出版会を作っているというのに。
  
 定年退職した私には、今も時々新潟大学から宣伝のパンフレットなどが送られてくるけれど、研究成果として特集されているのはおおむね理系に限られている。新潟大学の文系が何をやっているのか、全然分からないのだ。これじゃ将来は明るくないんじゃないですか!?

 何はともあれ、毎日新聞のこの広告を見て、少しやる気を出して欲しいものだ。なお、これは広告なのでネット上の毎日新聞には載っていない。新潟では8月10日の統合12版(18面)に載ったけど、他の地域ではどうかな。とにかく、紙媒体の毎日新聞で探してみて下さい。

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今年映画館で見た88本目の映画
鑑賞日 8月4日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 宮崎彩監督作品、66分。なお宮崎彩は是枝裕和監督の弟子で、これが長編映画のデビュー作になるそうな。

 ヒロインは若い女性・上埜さくら(福田麻由子)。母(小林麻子)と二人暮らしをしている。父は母と別れて遠い場所で一人暮らしをしており、しばらく会っていない。
 さくらは友人の紹介を受けて無認可保育所で働くことになる。いつも一番遅い時間に幼い娘を迎えに来る父親(池上幸平)がいた。二人の家庭事情を知らないまま、さくらは彼に父親のイメージを重ねて・・・

 ヒロインの家庭事情、幼い女の子とその父親の家庭事情、それぞれが少しずつ分かるようになっている。淡々とした進行の中で、父が身近にいない若い女性が保育園に勤務しながら無意識に父親像を追い求めていく様子が映し出されている。派手なところや奇抜なところはないけれど、丁寧に作られた映画だと思う。
 
 1995年生まれだという宮崎監督の次作に期待したい。

 東京では4月3日の封切だったが、新潟市では4ヵ月弱の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定上映された。

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評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は1953年生まれ、早大一文卒、東北大大学院博士課程退学、早大社会科学部教授、著書多数。

 全9章からなり、近現代史で一般にそうと思われてきた事柄を新資料に基づき正すとする内容。フェイクとされているのは、章立てに従えば、「チャーチルは真珠湾攻撃を知らなかった」「戦争が長引いたのは日本軍の頑迷さのせい」「日本はソ連の対日参戦を知らなかった」「アメリカは原爆投下を事前に警告した」「原爆はアメリカが開発した」「ソ連は原爆投下とは無関係」「日本は無条件降伏した」「中国の尖閣諸島に関する主張」「(いわゆる従軍慰安婦に関する)クマラスワミ報告書」である。

 このうち、私が興味深く読んだのは、まず「アメリカが原爆を開発したというのはフェイク」とする第五章。広島や長崎に原爆を投下したのはアメリカ軍だが、原爆の開発にはアメリカだけでなく、英国とカナダも加わっていたという事実である。
 戦後、日本は(原爆ではなく)原発を所有するようになり、これは読売新聞の正力松太郎が積極的に動いたからだという事情は知る人ぞ知るところであるが、正力に原発を売り込んだのが英国だった。アメリカは日本が核武装するきっかけとなるかも知れない原発技術の輸出には消極的だったのに、なぜ英国は積極的だったのか。つまりそこに、原爆の開発にはアメリカだけでなく、英国とカナダも加わっていたのに、最終的にアメリカの巧妙な政策で、また英国ではチャーチルが戦争末期に選挙に敗れて情報の受け渡しがうまく行かなかったこともあり、あたかも原爆がアメリカの専有物であるかのような具合になってしまったという事情が絡んでいるのだ、というのが著者の主張である。詳しくは本書をお読みいただきたい。

 もう一つ興味深かったのは、最終章の「クマラスワミ報告書は最悪のフェイク文書だ」。いうまでもなく、いわゆる従軍慰安婦に関してデタラメの報告を行った問題だらけの文書だからで、国連でこういう文書が出る現状からして、国連関係者の知性の程度が知れるからである。
  この点については、日本の外務省はそれなりにまともな対応をとったということ、アメリカ側は当初は事情が分かっていなかったが、やがて理解するようになったものの、クマラスワミ報告書を正面から否定するのは得策ではないという認識から日本を抑えにかかったという流れが説明されている。
 詳しくは本書をお読みいただきたいが、きわめて乱暴に要約するなら、国連に出入りしている(多数の国家の)人間の知的レベルはそもそもがそれほど高くないということである。だから、戦前戦中の時代に売春婦が国際的に見てどういう状況下に置かれていたかを理解する知的能力、そして過去を現代的な価値観で裁断するのはバカげているという、歴史を見る場合に最低限必要な認識すら持たない場合が多い。クマラスワミも要するにそういう人間に過ぎなかった。しかしいったん国連の文書として出た以上、頭からそれを否定すると、認識力に劣る人間が多数である国連ではむしろ悪い結果が生じる。つまり、バカが多数である場では、「知に働けば角が立つ」のである。民主主義だから、バカが多数なら、少数の正しい人間は負けるのである。アメリカはそうした事情を把握した上で、「正しさ」にこだわる日本を抑えにかかったのだ、というのが著者の述べているところである。
 
 しかし、それで日本は満足していいのだろうか。私にはそうは思えない。
 すでにアメリカの学者からも従軍慰安婦の強制連行説を否定する見解が出ているのである。クマラスワミは日本語ができないから、ヒックスなどの偏向した英語文献に頼ったという指摘が本書にあるが、要するに日本側がもっと英語でこの問題(だけではないが)に関する情報を積極的に発信していくべきなのである。外務省など、一部の人間が主張するのではなく、英語文献の世界を渉猟すれば正しい知識が得られるようにするべく、日本の歴史学者(もあんまりアテにならないけどね)も頑張るしかない。

 他の章も第二次大戦に関するものが多いけど、例えば最近になってロシアがアメリカの原爆投下を批判したなんて話を聞かされても、ふうんという感じしかしない。ソ連が戦争末期に火事場泥棒として振る舞ったことは、今では日本人にはほぼ常識なのであって、最近のロシアの発言は要するに場当たり的で夜郎自大的な振る舞いに過ぎないことは明らかだからだ。またソ連が戦争末期に対日参戦の動きに出て、それを日本側も早くから認識していたことは、先頃ここで紹介した立花隆の『天皇と東大(下)』でも指摘されており、必ずしも目新しい情報とは言えない。第二次大戦末期の細かい事情は、面白いと言えば面白いが、大きな流れは所詮は変えられなかったのだという気持ちに収斂するしかない、と私は思う。

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今年映画館で見た86本目の映画
鑑賞日 8月2日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 韓国映画、キム・ミレ監督作品、74分。

 1974年の日本で大企業に爆弾をしかけて少なくない死傷者を出した「狼」などの極左グループ。彼らの活動とその後に焦点を当てたドキュメンタリー。

 要するに彼らの「戦後も日本は東アジアを資本主義=帝国主義によって支配しようとしている」という主張と、爆弾テロ事件以降は刑務所に入ったり、パレスチナに逃れたりしてからの活動、或いは反省などを映し出している。

 1974年、私は大学生だったが、あの頃の日本には「大企業=悪」という観念が大学生の間に強く存在した。三菱重工爆破事件は夏のことで、私は実家に帰省していたのだが、テレビでそのニュースに接した父は「馬鹿なことをする奴がいる!」と怒りを隠さなかった。夏休みが終わって大学に戻ってから、同級生との雑談のおりに三菱重工爆破事件にも話が及んで、私が「オヤジが怒っていてね」と言ったら、女子学生が「ふうん、三菱重工に対して?」と答えた。今なら笑い話だが、つまりそれほど当時の大学生の間には大企業を「悪の根源」視するイデオロギーが支配的だったということだ。

 この映画はそういう過激派グループの人間や、その支援者などに限定して光を当てているので、或る程度戦後日本の(或いは戦前からの)思想的流れを知っている人間には、かなり物足りない感じがした。

 テロリズムは戦前の日本にも存在していた。当時は官憲による苛酷な左翼弾圧が行われていたから、テロは主として極右イデオロギーに染まった人間によって実行された。5.15や2.26などの軍人クーデターもその一端である。

 戦後は左翼に対する取り締まりは弱くなり、また1955年の六全協により日本共産党は武装闘争路線を放棄したため、日共から離反した左派学生が武装闘争路線を尖鋭化させていき、1971年から1972年にかけて浅間山荘事件と内部の殺し合い(山岳ベース事件)、つまり一連の連合赤軍事件を起こし、挙げ句の果てにこの映画で描かれているような爆弾テロに走り、結局は自滅した。しかしこのドキュメンタリーではそうした流れはまったく捉えられていない。

 むろん、戦後日本の思想の流れ全体を捉えると作品が長大化するからということもあろうが、多分、監督はそういう外延部分には目が行っていないのではないか。

 また、この映画に登場するテロリスト以外の人間は基本的に彼らの支援者だから、「人を殺したこと」への反省はあっても、そもそも彼らが抱いている世界観そのものに問題があるのではないかという深い洞察に至ることがない。
  
 ドイツ文学者(元・京大教養部教授)の池田浩士氏も登場するけれど、池田さん、ドイツ文学者としての仕事をかなりし残しているんじゃないですか? そっちをちゃんとやって下さい!

 監督は1964年生まれの韓国女性。韓国や日本の労働者問題などに興味を持ち映画作りをしている人だそうだ。私は、韓国人が監督と聞いて、現在韓国で日本企業に戦時中に動員された人間が訴訟を起こしていることとの関連でこういうテーマを選んだのかなと思ったのだが、そして戦時中日本で朝鮮・中国出身者が苛酷な労働に従事させられたという話も出て来るのだが、韓国的な視点の片寄りはそれほど感じられなかった。
 ただし、上述のように勉強が足りていないという弱点は隠しようもなく、テロリストの支援者だけに取材している限り、そうした視点の狭さから脱出することは難しかろうと思ったのであった。

 東京では3月27日の封切だったが、新潟市では4ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて2週間上映された。私が見に行った回は観客が4人。受付の斉藤氏も「客が少ない」とぼやいていたけど、まあこの出来じゃ仕方がないでしょうな。この作品も、『ブータン 山の教室』も、いずれも1日1回の2週間上映って、シネ・ウインド運営側の鑑識眼が問われると思うなあ。

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今年映画館で見た87本目の映画
鑑賞日 8月4日
シネ・ウインド
評価 ★★★★

 鑑賞順が前後しますが、いい映画なので先に紹介します。
 
  ブータン映画、パオ・チョニン・ドルジ監督作品、110分。

 非常に珍しいブータンの映画。
 ブータンの首都に住むウゲンは、オーストラリアへの移住を夢見る現代的な若者。しかし(はっきりとは描かれていないが、大学で学ぶに当たって奨学金を得たことの代償として、一定年数教師を勤める義務を負っているからであろう)一年間、ブータンでももっとも辺鄙な田舎で教師をやるよう命じられる。

 しぶしぶ赴任したウゲンだったが、目的地は標高4800メートルの高地にある、人口100人に満たない村ルナナ。そもそも、そこに行き着くまでに一週間を要し、一日目はバスだが、二日目以降は徒歩での行程なのである。

 ようやくたどり着いた村の学校には黒板すらない。恐れをなしたウゲンは、こんなところにはいられないから即刻帰りたいと訴えるのだが、翌朝、「先生」である彼を迎えに来た少女ペム・ザム(非常に可愛い! ルナナに住む実在で同名の女の子が演じている。画像を参照)に導かれて生徒たちを目の当たりにするや、心境の変化が・・・

 実際にルナナ村に住んでいる子供たちが出演している。首都から数日間歩かないとたどり着けない辺鄙な村という、今の日本からすると想像を絶する環境に生きる子供たちの様子を見ていると、生きる意味と、教育という人間の営みの原点を考えさせられる。

 辺境の村をいたずらに理想化しているわけではない。家族崩壊もあるし、また冬期の積雪が最近減っているという指摘もある。地球温暖化の影響がブータンの高山地帯にも及んでいるわけだ。

 そういう面も含めて、色々と考える材料を提供してくれる貴重な映画だ。

 東京では4月3日の封切だったが、新潟市では4ヵ月弱の遅れでシネ・ウインドにて公開中、8月13日(金)限り。

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評価 ★★★★☆

 先に上巻を紹介した立花隆氏の『天皇と東大』の下巻である。本文が700ページあるので(ほかに参考文献表が二段組の小さな活字で30ページ以上。これでも一部省略したそうである。また上巻と合わせた索引もついている)、読むのに時間がかかりました。
   
 下巻は、昭和八年に起こった滝川事件から始まっている。京都帝大法学部の滝川幸辰教授が時の文部大臣・鳩山一郎から発言不穏当を理由に辞職を求められた事件である。大臣の要求は、帝大の人事権は教授会にあるという大原則を崩す暴挙であったが、色々あった末に結局滝川教授は文部省から休職させられ、他の京大法学部教授たちがこれに抗議して辞職した。
 これ以前にも政府や文部省と帝大の人事をめぐる抗争は存在したが、それまでは大学側が実質的な勝利を収めていた。しかしこの事件を境に、帝大の人事に外部から横やりが入るようになってしまう。
 しかし実は滝川教授のいかなる発言が不穏当とされたのかは必ずしも明らかになっていないのだという。立花氏はこの問題を色々と検討し(文部省の背後に軍部あり、ということらしい)、また京都帝大でのこの事件でなぜ東京帝大の教授たちが動かなかったのかというもう一つの問題にもメスを入れている。

 次に来るのが美濃部達吉の天皇機関説問題である。要するに天皇を近代的な立憲君主制の中に位置づけようとした学説であり、昭和天皇もこれを支持していた。そもそも美濃部の天皇機関説は明治の末の頃に出たもので、右派学者である上杉慎吉との論争もあったものの、当時は当たり前の近代的な学説として一般に受け取られていた。そして東京帝大法学部内では、上杉よりも美濃部のほうが圧倒的に学生の人気が高かった。それが、昭和十年になって問題視されるようになったということは、大正デモクラシーの時代はもちろん、それ以前と比較しても、昭和初期の、特に5.15事件以降の日本が異常な国粋主義的イデオロギーに染まってきていたという趨勢があったからである。国粋主義者の主張は、一部のイデオローグや扇動家だけでなく、軍部の圧力となって日本全体を覆い、また一部の政治家が国会でそうした極右的な演説を行うなどすることで、言論の自由や常識的な近代主義が露骨に抑圧されていったのである。天皇機関説問題とは、そうした時代の産物だった。

 陸軍の内部にも、天皇の意向が日本のすべてを決めるべきという皇道派と、近代的な立憲君主制を支持する統制派が存在したが、満洲などで無鉄砲に戦火を拡大していった皇道派は、実際は天皇の意向を無視していた。昭和天皇は中国大陸の戦火拡大に消極的だったからだ。つまり、皇道派は言っていることとやっていることが逆だったのである。彼らは自分の脳内にある天皇を崇めていたのであって、実在の天皇の意向などどうでも良かったのである。5.15や2.26でクーデターを起こそうとした軍人も、要するに「行動の評価はどうあれ、行動を起こした自分の心情は純粋なのだから、陛下も分かって下さるはず」と、マックス・ウェーバー言うところの心情倫理に陥っていた。この辺、戦後日本で爆弾テロなどを起こした極左の言い分と、天皇の位置づけを別にすれば(極左では「人民は分かってくれる」となる)、まるっきり同じなのだ。この辺から変えていかないと、日本は永久に駄目なままじゃないかな。(なお、ウェーバー云々は、立花氏ではなく、私の感想である。)また、本書にはクーデターを起こした将校のバイブル(理論上の指導者)的な存在だった北一輝は天皇機関説をとっていた、という重要な指摘もある(200ページ)。

 その次には、東大文学部国史科教授であり、やはり国粋主義者だった平泉澄(きよし)についての論考が来る。「皇国日本最大のイデオローグ」だった彼の思想やその影響力が説明されている。詳しくは本書に譲るが、東條英機も平泉に心酔していた一人だったという。
 平泉と歴史的事件との関わりで興味深いのは、2.26の時に、当時弘前の連隊に勤務していた秩父宮(昭和天皇の弟宮)が鉄道で上京しようとした際、平泉は東京から上越線で下り、途中の水上駅で秩父宮と会って話をしているのだが、その話の内容である。
 実はこの会見の内容はこれまで明らかにされておらず、色々な説が存在した。秩父宮は、兄・昭和天皇とは違って中国大陸での軍部の動きにも是認的であり、皇道派の将校からの受けもよかった。だから、2.26でクーデターを起こした将校の中には、昭和天皇が自分たちの行動に批判的であるなら、弟宮である秩父宮を立てて新しい政府を樹立しようという構想もあったとされる。だから、水上で秩父宮と会見した平泉教授は、そういう方向性で意見を述べた、つまりクーデターの後ろ盾となれと使嗾したのだ、という説が一方にある。他方、これと逆の見解もある。その後の実際の秩父宮の行動を見るなら、昭和天皇との会見を経て、基本的に兄の対応、つまりクーデターを批判するスタンスを支持した。それは、平泉教授が水上で秩父宮と会ったとき、皇族が二手に分かれて争うことだけは避けなければと諫めたからだ、というのである。立花氏は後者の見解に分があると見ているようだ。

 以下、矢内原忠雄教授が東大から追放された事件や、津田左右吉(早大教授だが東大にも出講していた)が槍玉に挙げられた事件を経て、東大経済学部で権勢を振るった右派の土方成美教授、マルクス主義の大内兵衛教授、自由主義者(マルクス=レーニン主義を批判して議会制の社会民主主義を支持した)河合栄治郎教授が登場する。

 それぞれの思想や活動の説明にも十分なページが割かれているが、興味深いのはこれら三者の三つ巴の権力抗争劇である。土方は軍部の動きを基本的に支持した右派の革新派だったが、当時の名声では大内や河合を凌いでおり、多数の著書を驚異的なスピードで上梓していた。超人的な仕事ぶりだったわけだが、そのカラクリは、ドイツ語のできる何人かの助手にドイツの専門書を訳させて(土方自身はドイツ語ができなかった)、それを自分の著書として刊行して多額の印税を懐に入れ、実際の仕事をした助手にはスズメの涙ほどの謝金を出しただけだったという。もっともそういう助手にはそれなりのポストを用意してやったようだが、ボス的な教授というものの典型がここにあると言えそう。
 しかし、自由主義の河合栄治郎にしても、自分の息のかかった人間を何人も東大経済学部の助教授に就けようと動くなど、結構強引な人だったようだ。

 とにかく、右派とマルクス主義者と自由主義者の三すくみ状態で、経済学部の教授会ではごたごたが続き、何も決められず、機能不全に陥った。マルクス主義の大内は政府から目をつけられてやがて東大を去ることになるが、残った右派・土方と自由主義者・河合は、平賀譲総長によるいわゆる「平賀粛学」により、やはり経済学部教授の座を追われることになる。この「平賀粛学」については従来不明な点が多かったが、実は平賀の前の長與又郎総長時代から工作が始まっていたらしい。その背後にいたのは、法学部の田中耕太郎教授(戦後に最高裁長官、国際司法裁判所判事を歴任)だった。(平賀は工学部教授で、戦艦大和や長門を設計した、当時の日本軍部にとってもきわめて重要な存在だった。)こうした事情が分かってきたのは、21世紀になって長與又郎の日記が刊行されてからであるそうだ。しかしそれでも今なお細部には不明の点が残っているというのだから、歴史を調べる仕事は困難だと改めて痛感させられる。「平賀粛学」については、時代の趨勢に迎合したというマイナス評価と、一部を切り捨てて東大全体を守ったというプラス評価がある。詳しくは本書を実際にお読みいただきたい。

 終戦時の東大教授たちの工作という貴重なエピソードもこの後に出てくる。敗戦をもって、天皇制と東大を論じた本書は終わりとなる、

 まとめるなら、特に5.15事件が起こった昭和7年以降、日本の言論界は天皇絶対主義(これが必ずしも昭和天皇の意向に添わなかったことは上述のとおり)を奉じる極右に支配され、帝大教授の言論も大幅な制限を受けたし、またそうした傾向を主導する教授が東大内部に存在しており、また学生や卒業生にも極右言論界に加担する人間がいた。結局それは、明治維新と共に始まった新時代において、天皇制を近代的な立憲君主制へ進化させていくことに失敗し、逆にアナクロ的な天皇崇拝が極右により、そして戦時体制により定着していってしまった日本の根本的な失敗だった、というのが立花氏の見解である。

 しかし、戦後になって新憲法により言論の自由が保証されて、それで大学教授の態度は変わったのだろうか。戦前の東大教授にも色々なタイプがいたが、大多数は時代の趨勢に異を唱えることなく、黙って波風を立てずに生きていく職業人であっただろう。それは戦後も変わらない。むろん戦前の東京帝大教授と戦後の東大教授ではスタイタスが違うし、まして大衆化して同世代の若者の半分が大学に行くようになっている現在、東大以外の大学教授のステイタスは戦前の旧制中学教員程度であるのも当然と言えるのかも知れないが。

 戦後の大学教授には言論の自由はあるけれど、その分、文部省(現在は文科省)の圧力が強くなっていると言えるのではないか。少なくとも国立大学は文科省の奴隷である。さすがに人事権はまだ大学にあるけれど、学内の制度をいじる場合は文科省の承認なしでは動けない。文科省の構想をそのまま実行に移して、それを「わが大学は(学部は)、時代の流れを見てかくかくの新しい学科を創設することにいたしました」と言っているのが国立大学の実態なのである。新潟大学で言えば、1994年の教養部解体も、その直後の人文学部に「情報文化課程」なる新学科ができたのも、全部文科省の差し金だった。

 日本独文学会は第二外国語潰しを方針とする文科省の意向にまっこうから逆らうことがついになかった。それどころか第二外国語潰しに躍起になるドイツ語教師を事実上支援するという、倒錯した態度を学会理事たちがとったのである(これについては当ブログですでに述べたので詳しくはそちらに譲る)。言うまでもなく、ドイツ語は日本の第二外国語の中で最大勢力であり、ドイツ語教員の多くが所属する日本独文学会は第二外国語維持に対して大きな責任を持っていたはずだが、学会理事たちにそういう責任感はなかったと言える。

 戦後長らく、大学教授会は何か事件が起こるたびに(多くは反政府的な)「声明」を出すことを習慣としていた。しかし、「声明」は自分たちの日常的な業務に無関係だからこそ出されていたのである。声明を出しても(戦前と違って)自分の身に危険性はなかったからだ。先の日本学術会議問題で多くの学会等が政府を批判する声明を出したのも、文科省ではなく総理大臣の態度が問題だった(その点には私は賛成だが)からこそ、出されたのである。これが文科省の措置だったら、報復が怖くて声明など出せない学会が多いだろう(*)。自分の大学教員としての業務や直接関わる制度のことで、いわば上司である文科省にたてつく根性を持っている大学教員はきわめて少数である。大学教員とは、言っていることとやっていることがまるで違う人たちの謂である、というのが長年大学教師を勤めた私の結論だ。

* 例えば、第二外国語潰しに走る文科省を批判すべきだとした私の意見に対して、その時の日本独文学会理事長だった井上修一氏(当時一橋大学教授、東大独文出身)は「それはできない」と言下に答えている。戦後半世紀を経ても日本の大学教授(それも学会理事長という立場にある人物)の意識はこの程度だったのである。

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8月1日(日)午後2時開演
新潟市音楽文化会館
3500円 (全席自由)

 この日は標記の演奏会に出かけました。毎年恒例のカルテット演奏会。
 第一ヴァイオリンが岩谷祐之(関西フィル・ソロコンサートマスター)、第二ヴァイオリンが平山真紀子(元・南オランダ・フィル第二ヴァイオリン副首席)、ヴィオラが鈴木康浩(読響ヴィオラ・ソロ首席)、チェロが上森祥平(相愛女子大准教授)、そしてゲストがヴィオラの島田玲(岡山フィル奏者)。

 ヘンデル(ハルヴォルセン編): パッサカリア ト短調HWV432
 レフラー: 単一楽章による弦楽五重奏曲
 ヤナーチェク: 弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」
 (休憩)
 バーバー: 弦楽四重奏曲ロ短調op.11よりアダージョ
 ドヴォルザーク: 弦楽五重奏曲第3番op.97
 (アンコール)
 レナード・バーンスタイン: 「キャンディード」から終曲

 今回も非常に多彩なプログラム構成。特に二番目に出てくるレフラー(LOEFFLER)という作曲家は名前も知りませんでしたし、むろん聴くのは初めて。解説でトークをした鈴木康浩氏もその存在を知らなかったそうです。平山さんがプログラムに入れるよう提案したそうで、日頃からの研究ぶりがうかがえます。名前の綴りからして独墺系かと思ったのですが、1861年にベルリン生まれだからドイツ系ではあるものの、その後パリに留学、その後アメリカのボストン響で演奏したという経歴の主だとか。
 曲を聴いた印象は、ドヴォルザークを少し緻密かつ重厚にしたような感じ、でしょうか。

 個人的には、前半最後のヤナーチェクを最も興味深く聴きました。ディスクでは時々聴くけれど、生の演奏会では(少なくとも新潟では)めったにやらない曲だからです。この団体の実力が見事に発揮された名演でした。また、ヤナーチェクという作曲家の独特な語法を堪能できました。

 後半のバーバーの有名なアダージョ、そしてドヴォルザークの五重奏曲もよかった。私はドヴォルザークってあまり好きじゃないんですけど、第二楽章で鈴木康浩さんがさすがと言いたくなるヴィオラの朗々たる響きを聴かせてくれました。
 アンコールでは、第一ヴァイオリン岩谷祐之氏の歌唱も入るという意表の大サービス!

 このカルテット、ずいぶん以前から新潟で演奏会を開いていますが、現在のメンバーになったのは10年前のこと。それ以前は平山さん以外はメンバーがよく替わっていたと記憶しますけれど、2011年以来同じメンバーで来ています。そして現在のメンバーは過去と比べてもベストだと思います。
 ぜひ、今のメンバーでこれからも演奏会を開いていって欲しいものです。

 終演後は、いつものように元知事の平山氏がロビーで律儀に挨拶をされていました。 

 なお、私は12列目の右ブロック左端に席をとりました。
 客の入りは良かったのですが、またコロナ感染者が増えている中、隣や前後との間隔を空けて座席を選んでも、開演間際にやってきて、意図的に空けているのに気づかず坐ってしまう無神経なヤカラもいました。
 映画館では「距離感覚がないな」と思う客は若い人に多いのですが(他にも空席があるのに当方のすぐ近くに坐ってくる)、クラシックの演奏会は全体的に年齢が高めなので、老人でも距離感覚がないなと思い知らされますね。
 クラシック音楽ファンはコロナ時代でもマナーがいい、と言われるようであって欲しいものです。

 今回もすばらしいヴィオラの音色を聴かせてくれた鈴木康浩氏のヴィオラ・リサイタルが、今年の11月16日(火)に同じ音文で開催されるとか。よほどのことがない限り、行くつもりです。

 毎日新聞の7月29日付け「ナビゲート」欄に、浜崎洋介氏が以下のような見解を述べていた(首都圏では前日の夕刊に掲載。新潟は夕刊がないので、翌日朝刊〔統合版〕に掲載)。

 https://mainichi.jp/articles/20210728/dde/014/070/001000c
 【ナビゲート】 夫婦別姓を考える=浜崎洋介(批評家

 6月23日、最高裁は夫婦同姓は憲法に違反しないという決定を出したが、そのニュースを巡って、先日ネットテレビで、選択的夫婦別姓論者と議論する機会があった。珍しい機会だと思って耳を傾けてみたが、気になったのは選択的夫婦別姓論者の視点が、「自分の自由」に固着しているように見える点だった。確かに、女性の社会進出が進んだ現在、婚姻を機に、妻か夫が姓を変えなければならない夫婦同姓に不便や不満が出てくるのは分かる。が、どちらの姓を選んでもいい現行法が不公平とは言えない以上、問題は、夫の姓に変えることが多い日本の文化・慣習だということになる。しかし、文化・慣習が問題なら、それも慣習的に、つまり漸進的に変えていくべきで、それを無理やりどうにかしようとする姿勢には違和感を覚えざるを得なかった――実際、既に運転免許証、パスポート、マイナンバーでの通称(旧姓)併記は認められており、不便の改善は文字通り漸進的に進んでいる。

 しかし、だとしたら制度変更を考える上で最も顧慮されるべきなのは、特定の個人感情ではなく、その制度が支えている現在の有機的文化的連関の方ではなかろうか。たとえば、選択的夫婦別姓を法制化した場合、両親(過去)との間に要らぬ摩擦を生んでしまう可能性があるし、別姓夫婦(進んだ夫婦)と同姓夫婦(遅れた夫婦)との間に要らぬ分断を醸成してしまう可能性もある。あるいは、子供に対しても要らぬ「選択」を迫ってしまう場合もあるだろう。が、選択的夫婦別姓論者が、それらのことを十分に顧慮しているようには見えなかった。

 その点、一つの制度変更が、<当事者以外の人間の共同性=計算し切れぬ無意識>に少なからぬ影響がでることを考えることは至って自然な心の動きである。この心の動きを無視して、一方的に選択的夫婦別姓が「政治的に正しい」とする態度は、果たして人間的に「正しい」態度なのだろうか。

                            

 家族が同姓であるということは、家族の一体性の保証など、色々な意味合いがある。夫婦別姓は、夫と妻の平等を確保するという観点からのみ、いいように見えるのである。浜崎氏の指摘は、そのあたりを衝いている。

 「見える」というのは、夫婦別姓は他国の歴史を顧みるなら、必ずしも夫婦の平等を意味しなかったからである。中国や韓国では歴史的に見れば、夫婦別姓だった。それは、夫婦が平等だからではなく、妻は夫の家には最終的に属さないという、究極的な男女差別を意味していたからである。つまり、夫婦別姓は現実を見るなら必ずしも男女平等にはつながらないということだ。

 妻の側が主として姓を変えるのは不平等だ、という意見はそれなりに傾聴に値するところを持ってはいる。しかしそれは、姓を子供時代から維持することが「個人」の自覚を生み出すからではない。姓とは、親の姓であり、つまりはいつまでも親のくびきから逃れられないことをも意味しているからだ。

 フェミニズムの主張がアナクロに響くのは、このせいである。いつまでも親、特に同性である母親の影響から逃れられない人間が女性に多いことは、或る程度年をとった男性なら多くが意識していることと思う。私の「独断と偏見に満ちた意見」を率直に言うならば、家族制度が女性を交換する形で営まれてきたのは、女親と切れない女性の性質からして、新しい家族を創成するためには女性を交換する形式のほうが適しているからではないだろうか。

 とはいえ、男女平等がやかましく言われる現在、女だけが姓を変えるのは不公平だ、という意見にも或る程度は納得できる。

 ではどうすればいいか。女性も旧姓を維持するという方式の最大の難点は、姓が別であることにより家族の一体性が損なわれるということではなく、子供がではどちらの姓を名のるのかという別の問題が生じるからである。子供には自分の名(姓ではないほう)を選ぶ権利がないが、「自分の姓を維持する権利」を主張する人間が子供の名を押しつける権利に固執するのはおかしい、ということは、少し考えるなら自明であろう。

 では、こうした矛盾を解決する手段はないのかといえば、あるのである。
 しかも、二つの手段がある。

(1)姓をなくす。つまり、姓があるからこういう問題が生じるのであって、姓をなくしてしまえばこの手の問題は生じない。
 姓をなくすことに、まさか男女平等主義者は反対しないだろうと思う。「姓をなくしたら親との血縁が関係が分からなくなる」なんて言い分は、要するにファザコンかマザコンから夫婦別姓を主張していることがバレてしまうに過ぎないからである。
 姓をなくして、ついでに夫婦関係に国家から付与されている様々な特権もなくしてしまえばいい。(その代わり、子供の教育や養育に関する国家支援は今より増やす。)
 マルクス主義フェミニズムは、エンゲルスの主張するように、家族を搾取の手段と見なしており、人間の基本的な単位は個人であると言っているわけだから、姓をなくすことにまさか反対はしないだろうと思う。

(2)結婚したら、夫の姓でもなく、妻の姓でもなく、新しい姓を名のらなければならない、という法律を施行する。
 これは、少なくとも日本においてはとっぴな案ではない。
 恐れ多くも天皇家に言及させていただくが、現在の秋篠宮家は、独身時代は礼宮と名のっていた天皇家の次男坊が、結婚して新しい宮家を創出するに際して名のったものなのである。他にも、昭和天皇の弟宮であった三笠宮家の三男坊が、結婚して高円宮を名のった例がある。
 皇族である宮家と一般人の姓を一緒くたにするなとお叱りを受けそうだが、皇室に見習うことは日本人にとってはいわば伝統の拡大であり、しかもそれが男女平等につながるならば、まことに喜ばしいことと言えるのではあるまいか。フェミニストはこれにより、先進的な(?)思想と日本の伝統の融合を発見して、感激すること必定であろう。

 フェミニストは、上記の2案のいずれかを主張するのが筋であろう。欧米がどうだとかいうのは、所詮は自分の頭で考えていない愚かな頭脳の所有者であることの証拠にしかならない。

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今年映画館で見た85本目の映画
鑑賞日 7月29日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 石井裕也監督作品(脚本も担当)、144分。

 三十代の田中良子(尾野真千子)は中学生の息子・純平(和田庵)と二人暮らし。夫(オダギリジョー)は7年前に信号無視のクルマにはねられて死去していた。加害者である老人はそれなりの地位にある人物だったが、アルツハイマーということで罪に問われなかった。良子は賠償金受け取りを拒否し、風俗嬢とスーパーの店員を掛け持ちして家計を支えている。何しろ、息子だけではなく、施設に入っている老いた義父、そしてもう一人の人間の金銭的面倒まで見ているからだ。

 という設定で、良子や息子が出くわす様々な事件を描いている。もう一人、重要人物として登場するのが、風俗店での同僚である若い女性・ケイ(片山友希)。彼女は育ちや日々の暮らしに問題を抱えていて・・・

 社会の下層に生きる人々を描く、というコンセプトなのだろうけれど、部分的には面白いところもあるのだが、全体として見ると一つ一つのエピソードにあまり新鮮味がなく、ありがちな話をつなげただけのような感じが残る。実のところ、石井裕也の監督作品にはあまり感心したことがないのだけれど、本作品も例外ではなかった。

 東京では5月21日の封切だったが、新潟市では2ヵ月の遅れでユナイテッドにて単独公開中、8月5日(木)限り。

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今年映画館で見た84本目の映画
鑑賞日 7月27日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★

 アメリカ映画、エメラルド・フェネル監督作品、113分、原題は邦題に同じ(将来性のある若い女性、の意味)。

 キャシー(キャリー・マリガン)は30歳を迎えながら両親と同居し、カフェで働いている独身女性。かつては優秀な医大生だったのだが、仲良しの女学生が性的な事件により退学・死去したのがトラウマとなって中退。今は男をなぶる日々を送っていた。或る日、かつて医科大で同級生だった青年と偶然再会する。彼は卒業後は小児科医になっており、彼から好意を寄せられたキャシーは生き方を改めようかと思うのだが・・・

 アカデミー賞脚本賞を受賞という映画だけど、ヒッチコック的な意味ではまあ面白い筋書きかも知れない。念のために言い添えれば、私としては、筋書きに不自然さが目立つという理由により、ヒッチコックの作品をあまり評価していない。

 それは別にしても、ヒロインと仲がよかった女学生の事件を追及することと、男嫌いを実践に移すことは、私からすると違う次元のことじゃないかと思うのだが、フェミニズム映画の欠点でその二つが一緒くたにされており、あんまり評価できないなというのが率直な感想である。マゾの傾向のある男にはいいかも(笑)。

 全国では7月16日の封切だったが(東京の一館のみ1週間先行)、新潟市では1週間の遅れでTジョイにて単独公開中。県内では他に上越のJ-MAXでも上映予定。

・4月3日(土)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/life/news/210403/lif2104030015-n1.html
 再開3年目の商業捕鯨開始 青森・宮城から出漁
 2021.4.3 09:17

 宮城県石巻市の漁港で3日未明、小型捕鯨船2隻がミンククジラ漁へ出発、再開3年目となる今年の商業捕鯨が始まった。青森県八戸市からも2隻が出漁。6月に北海道網走市からもう1隻が加わり、10月末ごろまで計5隻が北海道や三陸沿岸で120頭の捕獲を目指す。

 夜明け前の石巻漁港から、地元の鮎川捕鯨が運航する漁船2隻が仙台湾へ向かった。見送った伊藤信之社長は「みんなが待っている。新鮮でおいしいクジラを提供したい」と意気込んだ。6月上旬まで青森、岩手、宮城各県の沿岸で操業後、北海道沿岸へ北上する見込み。

 八戸漁港からは外房捕鯨(千葉県南房総市)と和歌山県の太地町漁協の計2隻が出漁した。水産庁によると、沿岸から離れた沖合での商業捕鯨は6月前後にスタートする。

 商業捕鯨は2019年に31年ぶりに再開された。


・4月5日(月)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20210405-HXGZODURPJJ6LLMNREUEJNTGHU/
 【くじら日記】 迷いイルカ(2) 正体解明の手掛かり 
 2021/4/5 21:34

 小型鯨類(げいるい)飼育施設を備える和歌山県太地町森浦湾に、2019(令和元)年11月30日から突如姿を見せるようになった種不明の「迷いイルカ」。その種判別の手掛かりとなる便や表皮探しが始まりました。しかし、いつどこに現れるか見当のつかないイルカから、それらを採取することがいかに困難か。しかも、イルカの便は水溶性で、タイミングは一瞬です。

 機会がないまま、幾日かたちました。しかし、その間に観察された迷いイルカの行動はどれも興味深いものでした。人や船に興味を示し、接近することもしばしばありました。また、湾内の飼育イルカと生(い)け簀(す)網越しにコミュニケーションをとるようにもなりました。同じリズムで並泳(へいえい)する同調行動や、口を開けたり、威嚇音を出したりする威圧行動、体の一部をこするラビングと呼ばれる社会行動などです。

 そして、採餌(さいじ)行動にも驚かされました。湾内に生息するマアジやブリ、ボラなどを生け簀の網際に追い込み、行き場をなくしたところを捕らえていたのです。普通、イルカは集団で、連携して餌生物を捕食します。しかし、迷いイルカは1頭で、地の利を生かして餌を捕らえていたのです。

 この頃から、町外からもイルカの発見情報が寄せられるようになりました。2020(令和2)年1月2日には那智勝浦町で、2月9日には新宮市で、いずれも漁港内です。撮影された写真の中には、頭や背中、背びれが鮮明に写っているものもありました。

 自然界における鯨類の個体識別調査では、体の模様や傷痕などの自然標識が目印として役立っています。早速、町外のイルカと迷いイルカの写真を見比べると、背びれ後縁(こうえん)にある2カ所の傷痕の位置と形が一致し、同一個体であることがわかりました。どうやら迷いイルカは、森浦湾から約10キロ離れた沿岸も生活圏としているようです。悠々自適の暮らしの断片が見えてきました。

 いよいよ便採取のチャンスがやってきました。湾内を船で走行中、数メートル先で迷いイルカが排泄(はいせつ)したのです。粘性が強い便で、溶けるのも遅いです。たまたまウエットスーツに着替えていたスタッフは海に飛び込み、少し潜ったと思うと、見事漂う便を手ですくい取りました。迷いイルカの正体解明に、一歩近づきました。

(太地町立くじらの博物館副館長 稲森大樹)

評価 ★★★

 二葉亭四迷の『浮雲』『其面影』を最近読んだので、ならばとばかり、もう一つの小説『平凡』も読んでみた。これで二葉亭の代表的な小説三作を全部読んだことになる。最初の『浮雲』の二十年後に発表された作品で、長さから言うと、『浮雲』が四六判の二段組印刷で110ページほどだったのに対し、『平凡』は80ページ弱である。『其面影』は文庫本で200ページ強だから、三作の中では『平凡』が最も短い。
  
 ちなみに『平凡』が朝日新聞に連載された明治40年とは、漱石が朝日新聞社に入社した年であり、漱石の『虞美人草』が同年6月から10月にかけて同紙に連載され、その直後に二葉亭の『平凡』が12月末まで連載されたのである。
 また明治40年とは、田山花袋の『蒲団』が発表された年でもある。中村光夫が『風俗小説論』の中で、この時期に『蒲団』と藤村の『破戒』の対決がなされて、前者の勝利に終わったために日本文学が本来とるべき社会全体を捉えた小説ではなく作家の身辺雑記に終始する私小説の方向に行ってしまった、と論じたのはよく知られたことだが、『平凡』も「文学」や「自然主義」を問題にしている。つまり、この小説の主人公は生涯の一時期において作家であり、そこから文学論が作中に入ってくる余地が生じているのである。

 この小説は平凡な中年男・古屋が一人称形式で過去を回想する、という体裁をとっている。
 主人公は田舎で中学まで終えて、親に無理を言って上京して法律学校に入る。本当は政治に興味があったのだが、食っていくためには法律を学んだ方がいいと親に言われて妥協したのである。錦町の某私立法律学校と言われているので、当時は神田錦町にあった中央大学のことであろう。中央大は、明治18年に英吉利法律学校として設立され、その後、東京法学院(明治22年)、東京法学院大学(明治36年)と改称し、明治38年に中央大学という名になった。ただし大学と名のっていても実質的には専門学校で、法律上の大学となったのは慶應や早稲田と同じく大正9年のことである。この小説は明治40年発表で、39歳の中年男が過去を回想する形式だから、主人公が入学した当時は英吉利法律学校という名だったのだろう。

 上京した語り手は遠縁の家に寄宿し、そこの娘である雪江に好意を抱く。この辺、『浮雲』とまったく同じ構図である。親戚の家では書生として色々な雑用をさせられて、主人公はそれを不満に思うが、雪江がいるので我慢してそこで暮らす。しかしやがて雪江は他の男に嫁いでしまい、それを機に主人公は別の下宿に移る。

 しかし東京に来てから主人公は「同県人で予備門から後(のち)文科へ入った男」の影響で文学に興味を持ち始める。つまり帝国大学の文科大学(今の文学部)に進んだ友人ということであるが、実際に(帝国大学となる前の)東京大学で学んで二葉亭の終生の友人となった坪内逍遙を思わせる人物。そして主人公は色々な文学作品を読むにとどまらず、自分でも小説を書き始める。有名作家を訪ねていき、自分の作品を読んでもらい、助言を受けて書き直すなどして、やがて雑誌に掲載される。そして学校は辞めてしまう。

 そのうちそれなりに注文が来る作家となるのだが、といって収入はさほどではなく、実家からは「お前を東京の学校に行かせるにあたって借金をし、現在そのせいもあり金銭事情が悪くなっているのだから、送金してくれ」と言ってきても、申し訳程度の送金しかしない。それは女のせいもあった。商売女だけでは物足りないので、もっと高尚な恋愛がしたいと考え、新しい下宿にたまたま勤務し始めた二十代らしい女に目をつけて、贈り物などして或る程度仲良くなるのだが、ぎりぎりのところで「父危篤」の電報をもらってあわてて故郷に帰るものの、父はすでに亡くなっていた。反省した主人公は女と別れて(この辺がちょっとあっけないのである)、平凡な結婚をして、作家業とも縁を切り、役所勤めをするようになる・・・という筋書きである。

 他愛ない筋書きではあるが、上述のように「文学」に対する疑念がしっかりと書き込まれており、当時主流になりかけていた日本的な(田山花袋流の)自然主義に対する見方も盛り込まれていて、「文学」を一生の仕事として選んだわけではない二葉亭四迷という人間の姿が見えるような作品になっている。

 それから、上京して最初に書生として住んだ家の娘・雪江、そしてその後別の下宿で本気で接近を試みた若い女(お糸さんという)への感情や、彼女たちのコケットリーな態度などがしっかり描かれているのに加え、実家に過ごした少年時代に飼犬を可愛がったという話にも少なからぬページが割かれている。しかし犬は、当時存在していた犬殺しの犠牲になってしまう。この辺、明治の風俗が分かるエピソードだな、と思った。

 というわけで、平凡な男の半生を描いた小説として、まあまあ面白いと言えるかな。

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今年映画館で見た83本目の映画
鑑賞日 7月23日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 ドイツ・イスラエル合作、ドロン・パズ&ヨアヴ・パズ監督作品、110分、原題(英題)は"PLAN A"(計画A)。

 実際に立てられた計画をもとにした映画だそうである。監督二人はイスラエル人の兄弟。

 第二次世界大戦直後のドイツ。ユダヤ人マックスは何とか生き延びたものの、妻子は行方不明、自宅は自分たちを親衛隊に密告した男とその家族に奪われてしまっていた。連合軍に占領されたドイツで、英国軍のユダヤ人部隊がナチ親衛隊員を密かに殺していること、しかしそのユダヤ人部隊も警戒している別の過激なユダヤ人グループがあることをマックスは知る。ほどなく、自分の妻子がすでに殺されている事実を突き止めたマックスは、その過激なグループに加入してドイツ人全体に復讐しようと・・・

 ナチのユダヤ人虐殺は映画でもよく取り上げられるが、これは逆に、復讐のために戦争直後のドイツで一般住民を無差別に殺戮しようと計画するユダヤ人たちの物語である。この計画そのものは実際に存在したが、登場人物はフィクションだそうである。

 単なる復讐物語ではなく、復讐そのものの正当性も問われている作品である。また、上述のようにそれとは別に英国軍ユダヤ人部隊によるナチ親衛隊員処刑(これまた実際にあったこと)も描かれていて、興味深い。ナチを扱った映画は多いが、そこに新しい側面を描いた作品が加わったと言えるだろう。

 戦時中の爆撃で破壊された町の様子が生々しい(ドイツではなくウクライナで撮影したそうである)。ただ、ドイツが舞台なのに、監督がイスラエル人であるせいか、使用言語は英語。そこがちょっと物足りない。

 なおパンフ(720円)に掲載された監督インタビューと夏目深雪(批評家・編集者)の記事が、関連文献や関連映画に触れていて参考になる。学習院女子大教授・武井彩佳(ホロコーストを専門とする)の書いた文章は、やや期待外れだった。映画パンフに載った学者の文章にはあんまり満足感を覚えたことがない。学者よ、奮起を!(はっきり言うなら、もっと勉強しなさい!)

 新潟市では東京と同じく7月23日の封切で、ユナイテッドにて単独公開中、8月5日(木)限り。県内でも上映はここだけ。

 先日の産経新聞書評欄から、面白そうな2冊を紹介しよう。
 (以下の引用は一部分です。全文は下記のURLから産経新聞のサイトでお読み下さい。)

 https://www.sankei.com/article/20210724-3MATRCRSABPVVJE4TDZSD3MFY4/
 【編集者のおすすめ】
 はせくらみゆき著『一寸先は光です 風の時代の生き方へ』 (青林堂・1760円)
 2021/7/24 08:00

■日々を豊かにする安心感
 世間的には閉塞(へいそく)感の漂うこのご時世に「一寸先は光」とうたう本書では、著者の経験に基づくエピソードがエッセー風に書かれています。

 ハラハラドキドキしつつも最後には最適な結果となる。そのような経験が読者にもあることを思い出させてくれると同時に、逆境の中での心のあり方をごく自然に導いてくれます。「わかりやすいのに内容が深い!」との声が多数寄せられているのも、その辺が要因でしょう。

 (中略)

 また、本邦初公開となる、西洋の「黄金比」に対する「大和(やまと)比」についての解説は必読です。黄金比の偶然性はよく知られていますが、日本には大工さんの使っていたかね尺などの比率である大和比が存在します。

 (中略)

 読後には「今はいろいろあっても、悪いことには決してならない」という安心感が生まれ、その安心感がさらに読者の日々を豊かなものにしてくれることでしょう。
 (青林堂編集部 渡辺レイ子)

                              

 産経新聞の書評欄には「編集者のおすすめ」というコーナーがある。編集者が自社の出した本を紹介するコーナーである。自社が出版した本だから、いきおいヨイショになる傾向は否めないが、一律に「要するに自己宣伝でしょ」と片づけるのもどうかなと思う。

 編集者に限らず、何かを苦労して創り上げた人間が、その何かの真価を他の人たちに知ってもらいたいと考えるのは、自然なことではないだろうか。

 加えてこの本は、お堅い学術書でもないし、最新の学問や科学研究の成果を分かりやすく一般人に伝える新書のようなものでもないし、芸術的な価値が高い純文学でも、読み始めたら止められない娯楽小説でもない。

 私も未読だからこの紹介文だけでの判断だけど、この本は一種の哲学書ではないかと思う。哲学書といっても、カントやヘーゲルと言った大哲学者の著書、もしくはそういう有名哲学者に関する研究書や入門書ではない。

 平凡な人間がふつうに生きていく過程の中で出会う問題や悩みをどう捉え、どう乗り越えていったらいいのか――これを扱うのが、そもそも哲学というものなのではないか。本書が哲学書だと私が推測するのは、そういう意味においてである。

 人間は悩む生物だから、どうしたって哲学は必要になる。しかし、大学の哲学講座で扱っているような本や思想だけが哲学なのではない。むしろこうした本のほうが、本来的な意味での哲学書なのではないか、という気がする。

 お次はこちら。

 https://www.sankei.com/article/20210724-6AAZL567OBLWROSY3K45W3PC5E/
 【話題の本】
 稲垣栄洋著『はずれ者が進化をつくる』 (ちくまプリマー新書・880円)
 2021/7/24 08:00

■人気歌手発言で〝追い風〟も

 著者は雑草の研究者。人間が手を加えた鑑賞用や食用の植物は、ほぼ想定通りに生育するが、雑草はまったく想定できないという。自然とはそもそもがバラバラなのだ。ところが、バラバラな状態をそのまま理解することの苦手な人間は、対象を整理・分類・比較することで対処しようとする。この性癖は人間に対しても向けられ、人間を観賞用の植物のように手なずけようとする。

 雑草の生存戦略を通して、人間の多様性や個性についてしなやかな思考をめぐらせた本書は、令和3年度中学入試の国語試験でもっとも多く使用されたという。さらに歌手・俳優の星野源さんが6月下旬にリリースした新曲「創造」をめぐるインタビューで、星野さんが書いた歌詞「進化を君に 外れ者に授ける」を本書が肯定してくれたと語ったことも手伝って一気に注目されている。

 (以下略)

 (桑原聡)

                              

 以前、ダンゴムシについて、以下のような記述を読んだことがある。ダンゴムシといっても、外部からの刺激に対する反応は個体により異なっている。一律な対応をするわけではない。なぜか。もしも外部からの刺激に全個体が一律な反応を示すなら、その刺激が致命的な結果をもたらすものだった場合、種として全滅してしまう。「他者と異なる」反応を示す個体があれば、そういう危険性を回避できる。つまり、外部からの刺激に対する反応が個体によって異なるのは、そういうちゃんとした理由があってのことなのだという。

 また、以下のような指摘も読んだことがある。働きアリを観察すると、全体の3割は実は怠け者で全然働いていない。では、実際に働いているアリだけを集めれば効率的なアリ社会ができるかというと、そうではない。働いているアリだけ集めた社会を作っても、やはりそのうち3割は働かなくなってしまう。逆に、働かないアリだけを集めた社会を作ると、そのうち7割は働き始めるのだという。つまり、アリ社会構成員のうち3割は働かないという実態は、アリ社会が必要とする一種の「余裕」なのではないか。怠け者を一定割合で含むのは、効率だけを考えるなら芳しくないわけだが、実際は何かが起こったときのための予備軍を持っていることに等しいというのである。

 この『はずれ者が進化をつくる』というタイトルを見て、そんなことを思い出した。

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