隗より始めよ・三浦淳のブログ

「新潟大学・三浦淳研究室」の後続ブログが、この「隗より始めよ・三浦淳のブログ」です。2018年3月末をもって当ブログ制作者は新潟大学を定年退職いたしましたが、今後も更新を続ける予定です。2019年2月より週休2日制となりました(日・水は更新休止)。 旧「新潟大学・三浦淳研究室」は以下のURLからごらんいただけます。 http://miura.k-server.org/Default.htm 本職はドイツ文学者。ドイツ文学の女性像について分かりやすく書いた『夢のようにはかない女の肖像 ――ドイツ文学の中の女たち――』(同学社)、ナチ時代の著名指揮者とノーベル賞作家との対立を論じた訳書『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング)が発売中です。 なお、当ブログへのご意見・ご感想は、メールで以下のアドレスにお願いいたします。 miura(アット)human.niigata-u.ac.jp

読書と映画については★で評価をしています。☆は★の半分。
★★★★★=最高、★★★★=かなり良質、★★★=一読・一見の価値あり、★★=芳しからず、★=駄本・駄作

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評価 ★★☆

 出たばかりの新書。著者は1960年生まれ、同志社大神学部卒、同大学院修了、外務省勤務、鈴木宗男事件に絡む背任容疑やその他の容疑で逮捕され裁判で有罪が確定、その後は文筆業。なお、著者が同志社大神学部に学んでいた時代のことを書いた『同志社大学神学部』(光文社新書)は当ブログで紹介した。

 世界史をやった人はヤン・フスの名は知っているだろうが、宗教改革というとルターやカルヴァンが有名で、ヤン・フスは名のみは高いがその思想や行動についてはよく分からないという人が多い。かく言う私もそのひとりなので、フスについて詳しく論述した本なのかと思い購入した。

 しかし、看板に偽りあり。本書は、著者が監訳で出したヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889~1969)の編著になる『宗教改革から明日へ――近代・民族の誕生とプロテスタンティズム』という本の紹介を第4章において、その前の章でフスについて説明するという構成をとっているが、前半もフスについてはそれほど詳しくなくて、当時のキリスト教会の状況だとか、政治情勢だとか、キリスト教の基礎知識だとか、そういった記述が多く、「これでヤン・フスについての知識は十分!」といった満足感は得られない。

 なお、フロマートカが上記の本を出したのは1956年、社会主義体制下のチェコでのこと。ちょうとフルシチョフによるスターリン批判があった年で、そのために社会主義国(無神論が建前)で神学書を出すことができたのだという。

 まあ、キリスト教会の知識を得るには悪くない本かも知れない。私は一応ヨーロッパ文化をやった人間だから、キリスト教については概略知っているつもりでいたが、本書には結構細かい点が記述されていて、なるほどと思うことは多い。

 例えば、イエスと弟子たちが最後の晩餐でパンとぶどう酒を食したことを範例として、キリスト教会では儀式に際してパン(種なしパン)とぶどう酒を信者に与えると私は理解していたが、カトリックでは種々の理由からパンだけの「一種陪餐」がふつうであり、ぶどう酒は神父のみが飲むのだという。
 プロテスタントではパンとぶどう酒の両方を信者に与えるが、ぶどう酒は小さい杯に分けて一人ひとりが飲む。これは19世紀のアメリカでは大きな杯による回しのみだと梅毒が伝染する懸念があったからだという。いずれにせよパンとぶどう酒両方の場合が「両種陪餐」である。ただ、その神学的な解釈については色々あるのだそうだ。(28~29ページ)

 しかし、キリスト教の知識をちりばめてはいるけれど、読了してあまり満足感がないのは、歴史の進展に合わせてキリスト教の思想も色々変化していることは分かるけど、私のような不信心者からすれば所詮は時流に合わせてテクスト(聖書)の解釈を変えたり、その都度引用するのに都合のいい部分を持ち出したりしているという印象が強いからで、そんな面倒くさいことをするより、さっさと信仰なんか捨てて現実の問題を解決する方策を考えたり実行に移したりするほうが早いし有効なんじゃないのと言いたくなるからである。

 ちなみに本書にはイエズス会はヨーロッパの植民地主義に協力したとはっきり書かれている(84ページ)。また、前述のフロマートカの本は、キリスト教を信じるヨーロッパ人が何世紀にもわたってアジア人やアフリカ人を抑圧してきたとはっきり述べている(152ページ)。

 私に言わせれば、諸悪の根源はイエスである。つまりキリスト教の福音主義であり、「オレの宗教は真理だから、全世界に広めなくてはならない」と思っているからこそ、植民地主義への加担や非キリスト教地域への抑圧が起こるのであって、その根底にあるのがイエスの思想である以上、イエスを疑わなければ本当のキリスト教批判にはならない。でも、キリスト教の神学って、ご本尊のイエスは絶対に批判しないんだよね。まあ、当たり前かも知れないな。それをやったらキリスト教じゃなくなるのだから。

 本書も、そういう限界が非常によく見える本になっている。

 なお、チェコスロヴァキアの歴史記述で、ズデーテン地方のナチ・ドイツによる併合(1938年9月のミュンヘン会談で決定)と、チェコスロヴァキア全体がドイツ軍進駐により属国化(1939年3月)するのは別の出来事だが、本書ではその区別がついていないようだ(104ページ)
 また、昨今の朝鮮情勢や東アジア情勢についても書いているけど(120ページ)、どうかなという気がした。

 マンガ家の桑田二郎氏が今月二日に亡くなられた。昭和十年生まれだから満85歳。ここでは当初のペンネームである桑田次郎と表記する。

 私の世代ではマンガ家・桑田次郎を知らない人間は(少なくとも男なら)まずいないだろう。
 昭和三十年代前半から、少年向け月刊誌に『まぼろし探偵』や『月光仮面』を連載しており、これらは実写でテレビドラマや映画にもなった。もっとも『月光仮面』はテレビドラマのほうがオリジナルであり、脚本の原作は川内康範で、それを少年マンガにするに当たって作画を桑田次郎が担当したのである。
 しかし昭和三十年代前半は、少年雑誌といえば月刊誌の時代だから、複数の雑誌にテレビドラマにもなっているマンガの連載を持つ桑田次郎の知名度はきわめて高かった。

 昭和三十八年(1963年)、桑田次郎は平井和正の原作で「週刊少年マガジン」に『8マン(エイトマン)』の連載を開始する。
 昭和三十年代後半、少年雑誌の主流は月刊誌から週刊誌に移行しつつあった。そしてこのマンガがすぐにテレビアニメ(当時はアニメという言葉は使われておらず、テレビマンガと言っていた)になったのは、時代の趨勢であったかも知れない。(ただしテレビ版では『8マン』ではなく『エイトマン』と表記された。)
 当時は毎週放送される連続テレビアニメとしては手塚治虫の『鉄腕アトム』と横山光輝の『鉄人28号』があり、これらは連続テレビアニメの嚆矢でもあった。『アトム』は昭和二十年代後半から、『鉄人』は昭和三十年代前半から少年月刊誌に連載されていたもので、もともと紙媒体のマンガが持っていた人気を、連続テレビアニメという新しいメディアが利用したのである。これに対して『エイトマン』の場合は、少年週刊誌という新興のメディアに掲載され始めたばかりのマンガがテレビアニメになるという点で、『アトム』『鉄人』とはちょっと違った、今風に言えば新しいメディアミックスの形が表れたものだったと言える。
 とにかく、昭和三十年代末、『エイトマン』は『鉄腕アトム』『鉄人28号』と並ぶ少年向け三大テレビアニメとなった。桑田次郎の名は、だから当時の男の子なら誰でも知っていたのである。

 その桑田氏の名声が暗転したのは、氏が拳銃不法所持事件で昭和40年に逮捕されたからである。『8マン』の連載も打ち切りとなった。
 新聞記事で読んだところでは、名声がありお金もあった当時の有名マンガ家には、拳銃を買わないかという裏世界からの誘いがかかることがあったらしい。当時売れていた別のギャグマンガ家もその手の誘いを受けたが、お金はあったけれどヤバいと思って断ったという。
 事件当時中学1年生だった私が感じたことを書くなら、拳銃を持ちたいというのは男の大多数が抱く願望で、それで実際に人を殺傷したり脅迫したりしたならともかく、持っていたというだけで逮捕され、雑誌連載も切られるのは気の毒だな、というものであった。
 もっとも、これで桑田氏が完全に少年マンガ界から放逐されたわけではない。その後も別の作品を書くなどして仕事は続けていった。ただ、桑田氏の名にはこの事件の影が終生つきまとっていた。一時期マンガ界から完全に足を洗ったこともあったようだが、晩年にはまた仕事をするようになったらしい。もっともその頃の作品については、読んだことがないから何も言う資格はない。

 ちなみに、テレビアニメ『エイトマン』の主題歌は克美しげるが歌ってヒットしたが、克美しげるは後に(昭和51年)殺人事件を起こして懲役十年の実刑判決を受けた。『エイトマン』という作品には不吉な因縁のようなものがつきまとっていたのかも知れない。しかし、「光る海、光る大空、光る大地」で始まる『エイトマン』の主題歌(前田武彦の作詞だそうである)には、先行する『鉄腕アトム』『鉄人28号』の主題歌と比べてきわめて斬新な印象があった。

 桑田氏のマンガ家としての特質は、よく言われるようにシャープで美しい絵にあった。絵のうまさという点で桑田氏をしのぐマンガ家はきわめて少数だったろう。先に述べた三大テレビアニメにしても、『鉄腕アトム』と『鉄人28号』がいかにも当時の少年マンガ風の絵柄であったのに対し、『エイトマン』の絵は大人向けのイラストとしても十分通用する上質で細かいところまで描線が行き届いた絵柄となっていた。
 手塚治虫や横山光輝と違い、桑田氏は当初から原作付きの作品(『エイトマン』や『月光仮面』)が多かったが、絵がうまいという資質がSF作家による原作のマンガ化にはうってつけだったのだと思う。

 なお、桑田氏には『走れ!エイトマン』(筑摩書房、1998年)という自伝もあり、私も読んだはずだが、内容はほとんど覚えていない。

 謹んで桑田氏のご冥福をお祈り申し上げる。

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今年映画館で見た65本目の映画
鑑賞日 8月3日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★★

 鑑賞順序が前後しますが、優れた映画なので先に紹介します。

 フランス映画、ニコラ・ヴァニエ監督作品、113分、原題は"DONNE MOI DES AILES"(翼を下さい)。

 実話をもとにした映画だそうである。
 ヨーロッパでも開発により渡り鳥の生息地が減少し、絶滅に瀕している鳥種もある。
 そんな状況下で、人工的に孵化させたガンに夏の生殖地ノルウェーから冬の生息地フランスまでの飛行経路を教えて、野生の渡り鳥を復活させようとする父子の物語。
 とはいえ、筋書は学問くさくなく、映画チックで、たくみに作られている。

 ミドルティーンの少年トマは、母親パウラと一緒に暮らしている。実父クリスチャンは離婚して別居しており、最近パウラには新しいボーイフレンドができている。
 しかし夏休みになって、パウラは仕事が多忙なため、トマを前夫クリスチャンにあずける。
 変人学者であるクリスチャンは、ガンを人工孵化させて野生の渡り鳥に戻す計画を立てていた。役所の許可が下りない中、クリスチャンは書類を偽造してこの計画に邁進する。

 トマは最初、変わり者の父の行動に閉口していたが、卵から孵ったガンたちの愛らしさに魅了されて、一緒に計画を推進することに。二人はやがてガンたちをクルマに載せて一路ノルウェーに向かうのだが・・・

  役所の規制に逆らうへそ曲がりのフランス人気質、渡り鳥である野生のガンを復活させるという壮大な計画、北欧の美しい景観などなど、見るべきところが多い映画だが、何より少年の冒険譚になっているところが買いである。映画の原点ともいうべき作品の志をほめるべきであろう。

 新潟市では東京と同じく7月23日の封切で、Tジョイ新潟万代にて単独公開中。県内でも上映はここだけ。
 私は月曜日の午後の回に行ったのだが、観客は私だけだった!
 優れた作品なのに、新潟の映画ファンは何をやっておるのか!?
 夏休みだし、親子で見に行くのにも適した映画。子供でも小学校高学年なら理解できると思う。

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7月26日(日)午後5時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
3階Hブロック 無料

 この日は久しぶりで東京交響楽団の演奏会が新潟市で行われました。
 本来は東京交響楽団の新潟定期として行われるはずの演奏会ですが、音楽監督・指揮者のジョナサン・ノットが新型コロナウイルス流行で来日不可能となり、曲目も大幅に変更となったため、定期演奏会ではなく特別演奏会となり、定期会員は無料招待。ただし座席は(一つおきの着席となるので)指定された場所ではなく新潟市側で指定した場所となっています。
 この間、東京交響楽団の新潟での演奏会は、今年3月に予定されていた定期が中止、今年5月に予定されていた定期は延期となりましたので、昨年12月1日以来ということになります。つまり約9ヵ月ぶり!

 私の席は本来はGブロックですが、この日はHブロックとなりました。
 GブロックはBランクであるのに対しHブロックはAランクなのでいわば格上げではあるのですが、指定された2列目の座席にすわったら、後ろの3列目の複数男性がお互い知り合いだったらしく、おしゃべりを始めました。座席でのおしゃべりは禁止のはずですが、どうもマナーが良くないなと思いました。途中休憩時間にもおしゃべりしていたので、私は席をはずしました。この辺、りゅーとぴあ側でも放送などでマナーの徹底を呼びかけて欲しいものです。

 指揮(ヴィデオにより、後半のみ)=ジョナサン・ノット、コンマス=グレブ・ニキティン

 ストラヴィンスキー: ハ調の交響曲
 (休憩)
 ベートーヴェン: 交響曲第3番「英雄」

 編成は、第一ヴァイオリン8、チェロ4、その後ろにコントラバス3、ヴィオラ6、第二ヴァイオリン8という小ぶりなもの。しかしりゅーとぴあの音響特性のためもあって、音量は十分でした。舞台のやや奥まったところにすわり、管楽器奏者以外はマスクをしています。一階の座席も、一列目は客を入れていません。

 前半はコンマスのニキティン氏が演奏しながら適宜右腕で拍子をとりながら指揮者の代役を務めました。
 悪くない演奏だとは思いましたが、私がストラヴィンスキーを好まないこともあり、イマイチぴんとこない演奏でした。

 後半は、ジョナサン・ノットの録画画像による指揮。大きなディスプレイが4枚舞台に登場。舞台正面は管楽器奏者と打楽器奏者向け、舞台向かって左側は第一ヴァイオリンとチェロとコントラバス奏者向け、右側はヴィオラと第二ヴァイオリン奏者向け、そして一階座席側に向けられたディスプレイは、観客向け。

 私は自分では楽器をやらないので、こういう画像での指揮というのが演奏者にとって生身の指揮者によるそれとどのくらい違うのかよく分からないのですが、とにかくこういう形でも指揮者が入っているせいか、非常に引き締まった好演となりました。前半は早めのきびきびしたテンポ、第4楽章はテンポの変化を織り込んだ構成。うん、東京交響楽団が新潟に帰ってきたんだなあ、としみじみ実感できました。

 いずれにせよ新型コロナウイルスの流行がなかなか収まらない中、観客数を制限し、いろいろ工夫を凝らしながら演奏会を行っていくしかないでしょう。観客もマナーを守りつつ、演奏家と一緒にコンサートを盛り上げていきたいなと思いました。

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評価 ★★☆

 著者は1980年生まれ、東京学芸大卒、東大大学院博士課程修了、二松学舎大準教授、障害者文化論専攻。この人の著書『障害と文学 「しののめ」から青い芝の会へ』は以前当ブログで紹介したことがある。

 本書はその『障害と文学』と若干内容的に重なる部分があるが、「青い芝の会」という障害者団体の活動を紹介しながら、障害者差別とは何かについて考えるという体裁をとっている。青い芝の会は脳性マヒ者によって1957年に作られた団体である。脳性マヒとは、脳の損傷により身体機能に障害が生じるもの。程度は人により違い、ほぼ寝たきり状態の人もいれば、歩くときに足を引きずる程度の人もいるという。

 1960年代から70年代にかけて、日本でも障害者向けの施設が多く作られた。また各種障害者団体も50年代から少なからず設立されていった。こうした中、青い芝の会の特徴は、陳情・啓発・親睦・互助よりも、直接的な抗議行動を多く繰り広げるところにあり、それが社会に衝撃を与えたという。

 では具体的に青い芝の会はどういう運動を繰り広げてきたのか。

 1.障害児殺害事件に対する減刑嘆願反対運動
 1970年、横浜で重度障害のある子供が、育児・介護に疲れた母親に殺されるという事件が起こった。このとき、周辺住民や同様の子供を持つ親などにより「気の毒な母親をこれ以上むち打つべきではない」「真の原因は障害児の施設が足りないこと」という理由で減刑嘆願の署名活動が行われた。
 これに対して青い芝の会は、「障害者を殺害した親が無罪もしくは減刑になれば、障害者はいつ殺されるか分からない」という立場から減刑嘆願反対運動を展開した。

 2.優生保護法改悪反対、および「胎児チェック」反対運動
  1972~74年に、政府は妊婦が人工妊娠中絶を受けられる要件を定めた優生保護法に、胎児に先天的な障害が見つかった場合にも中絶可とする条項を入れようとした。また、胎児に障害がないかどうかを調べる目的を含む羊水検査に抗議して神奈川県庁に座り込むなどした。

 3.川崎バス闘争
 1977~78年に、川崎市で車椅子利用者のバス利用が拒否される事件が立て続けに起こり、青い芝の会とバス会社の間で対立が生じた。バス会社は、車椅子利用者がバスに乗るときは必ず介護者がつきそい、車椅子をたたんで座席にすわることを求めたのに対し、青い芝の会は介護者がいつも見つかるわけでもないし、座り慣れた車椅子のまま乗車して固定したほうが安全だと主張。

 4.養護学校義務化阻止闘争
  文部省は1972年度を初年度として、七ヵ年計画で学齢期児童を就学させるのに必要な養護学校の整備を打ち出した。それまでは義務教育すら受けられない障害児が少なくなかったことを受けての計画である。しかし青い芝の会はこの計画に強硬に反対。理由は、障害者を地域の一般社会から隔離・排除することににつながるから、というものだった。

 以上の点について、具体的な論点を挙げたり、運動の経緯を詳しく説明したりして、本書は成り立っている。

 一読して、共感と疑問が半分ずつ、といったところ。
 最初に大きな視点で疑問を述べておくと、著者は青い芝の会の主張に沿った形でしか問題を展開していない。青い芝の会の主張にいわば洗脳されていて、批判意識が欠けているという印象を受けた。

 言うまでもないことだが、障害者が主張するからといって、100%正しいとは限らない。健常者の主張に正しい部分と間違った部分があるように、障害者の主張にも正しい部分と間違った部分とがある。しかし著者はそういう基本的な認識に欠けているので、障害者団体の中でも最も強硬なこの会の主張をほぼ鵜呑みにしてしまっているのである。

 例えば、障害者の動く先に邪魔になりそうなモノが置かれていたので、そばにいた健常者がそのモノをどけてあげたら、「誰がどけてくれと言った!」と障害者に問いつめられたというエピソードが紹介されている(106ページ)。健常者の勝手な忖度を批判した部分なのだが、私に言わせれば、そんなことでいちいち健常者を問いつめる障害者のほうに問題があるのである。「小さな親切、大きなお世話」という言い方があるが、別段障害者でなくとも「大きなお世話」に遭遇することはある。そういう場合、問題があれば「そういうことはしなくて結構です」と言えばいいことだし、言うほどではないと思ったら黙ってやり過ごせば済むことであろう。うっかりやらかした大きなお世話にいちいち問いつめられるのでは、「やっぱり障害者は心も歪んでいるんだ」と思われるのが関の山。障害者が健常者と対等だと主張したいのなら、対人的な常識も健常者並に身につけることだと思う。

 さらに、これとは逆の主張も本書ではなされている。上記のバス乗車がらみの問題だが、介護人がいつも障害者に付き添っていられるわけではないから、そして一般乗客が介護人の付き添いを求められていないのに、障害者のみ求められるのは「差別」だから、青い芝の会の主張は正しいとは著者は述べているのだが(167ページ)、同時に「この社会では健常者すべてが介護人である」という青い芝の会の主張を肯定してもいるのである。しかし上では「小さな親切、大きなお世話」に反発して問いつめる障害者の態度は正しいと言っていたのではないか? それなら、下手に手を貸して問いつめられたら厭だから、車椅子の障害者がバスに乗るのを助けるのもやめようと健常者が考えるのも無理はないという結論になりはしないか。

 意地の悪い書き方をしていると思われるかもしれないが、青い芝の会の主張が、一方では障害者の権利を大々的に打ち出しているのに、実際の社会で障害者は健常者から助けを借りないといけない場面が多いという現実を無視しているのがおかしいと私は言っているのである。バスに乗るとき健常者に手を貸してもらうのは結構、また、だから卑屈になる必要がないというのもその通りである。しかし、著者の論理をそのまま使うと、障害者のみがバス乗車に介護人を必要とするのはおかしいというなら、健常者はバスに乗るときには誰にも手を貸してもらったりはしないのであるから、障害者だけが手を貸してもらうのもおかしいということになるはずであろう。

 つまり、障害者にはハンディがあるという現実を青い芝の会の論理(=著者の論理)が無視しているからそういう矛盾が生じるのである。障害者だって健常者と平等という意味を、「すべて同じようにできるべきで、できないのは社会や健常者が悪い」という論理に無理に落とし込むからそういう矛盾が生じるのである。繰り返すが、ハンディを素直に認めることは、別段卑屈になれという意味ではなく、健常者側が手を差し伸べやすくすることにつながり、両者の日常的な協力関係を育むことに資すると私は言っている。

 同じような論理矛盾をもう一つ挙げておこう。
 障害児の介護に疲れて殺してしまった母親の問題であるが、青い芝の会は障害児を殺す母親を批判すると同時に、施設が増設されればという考えをも批判したという。そしてこれに対して「じゃあ、どうすればいいのか」という反問が来ると、「じゃあどうすればいいのか」という反問は「われわれの問題提起をはぐらかし、圧殺することが目的だから」と拒否したというのである。(138ページ)

 しかし、現実に何もかも揃った環境で生きている人間など、健常者にだって多くない。多数の人間は足りない条件を何とかクリアしたり助力を求めたり妥協したりしながら生きているのである。現実に大きな問題に際会している人間に対して「じゃあどうすればいいのか、と言うな」というのは、駄々っ子の論理である。或いは、「オレの主張を100%認めないなら拒否する」という論理である。

 ところが、青い芝の会は、妊娠中絶が問題になった場面では、まず胎児に障害が認められた場合に中絶を許可という条項に反対し、また女性団体が「経済条項(生んでも経済的に育てるのが無理だから中絶)」を支援しているのにも反対し、「産む、産まないは女が決める」という主張をも批判したという。ここまでは論理的に筋が通っていてよろしいと思ったのだが、結局のところ青い芝の会は、女性団体が「産める社会を、産みたい社会を」というスローガンに変えることで妥協したという(190ページ)。
 ええっ!と私はびっくり仰天した。こういう場合にこそ「じゃあどうすればいいのか、と言うな!」と叫ばなければいけないのではないか。胎児に障害があるから中絶、というのに生命の大切さという観点で反対するなら、経済的理由での中絶にも断固反対するのが筋であろう。女性団体が「経済的に無理です」と訴えたとしても、「じゃあどうすればいいの、とは言うな!」と叫んではねつけるのが筋だと思う。少なくとも青い芝の会の論理からすれば、そうでなければならない。

 付け足すなら、私は妊娠中絶には反対の立場の人間である。その理由は、中絶は人殺しと変わらないからだ。その点では青い芝の会と見解が一致する。であるから私はそれ(胎児に障害がある)以外のいかなる理由でも中絶を人殺しと見なすし、青い芝の会もそうであるべきだと思うが、そうしなかったのはヘンじゃない? 役所やバス会社にはあれほど強硬だったのに、障害者団体は(そして著者も)女性団体には甘いのかね? 「産む、産まないは女の自由」なんてのはナンセンスである、女だから人殺しも自由なんですか!?いつから女はそんなに尊大になったんですか!?と叫ぶべきじゃないか?

 もう一つ言っておけば、青い芝の会の主張には旧左翼的な古さがつきまとっている。障害者が差別される社会を「国家権力、或いは大資本勢力の策動」なんて書いている(199ページ)のがその典型。まあこれは1970年代だから、時代の制約からのことかとは思うけれど、著者がこういうところを2020年に出す本の中で無批判的に引用して何のコメントもつけないでいるのは、いかがなものかと。

 また、青い芝の会は「働くこと=善」という価値観を否定しようとしたということだけど(65ページ)、これなんか、世の中が障害者を中心に回っていると信じているから出てくる論理のような気がする。別段資本主義社会じゃなく、社会主義だろうが原始社会だろうが労働することは人間の基本(的な権利にして義務)であり、「働かざる者食うべからず」は人間社会の一大原理のはずである。障害者の生きる権利を主張したいなら、もっと別の論理を探したほうがいい。本書にはこういう無理筋の論理がわりに目立つ。また、著者が本当に「働くこと=善」を否定したいなら、現職をいさぎよく辞めるべきだろう。私は、自分の生き方によって正当性を主張できない論理は所詮は机上の空論だと信じるものである。

 障害者が多数殺された相模原事件についての考察も、そういう著者の限界が出ている箇所ではないか。著者は、障害者も人間だとして犯人を批判する論理を「人間の範囲を決めつけるもの。障害者に『人間ならこういうことができる』と押しつけている」として批判しているが(235~236ページ)、そのくせ、犯人が被害者を人間と認めていなかったことに対しては「自分の手前勝手な考えで誰かを人間と認めたり認めなかったりする価値観には恐怖を覚える」(237ページ)と述べている。被害者を擁護する側は障害者も人間と認めようとして言っているのに、「人間」が場合によっては抑圧の論理になる(たしかにそういう面もある)から駄目だと言いながら、犯人が独自の「人間」認定基準により殺戮を敢行したことを批判するのは矛盾しているのではないか。

 私の見るところ、相模原事件の犯人は思想犯である。思想犯なのだから、裁判で被害者への謝罪の言葉が出てこないのは当然なのである。(新聞報道などは、事件のそういう面に全然触れておらず、かえって偽善的な印象を与えている。)犯人が障害者施設に勤務する人間だったことを抜きにしてはこの犯行について考えることはできない。彼が「現場」でそういう思想を育んだことは、障害者問題にとってきわめて深刻な事実だと思う。障害者施設に勤務していたということは、当初は障害者を支援したいという気持ちを持っていたのではないか。その「善意」が反転したことの意味を突きつめて考えたほうがいい。

 私はあと一ヵ月半ほどで満68歳になる。2年半前に職場を定年退職し、今もちょっとだけ仕事はしているけれど、無職に近い状態で生きている。中学高校時代の友人に時々会うと、「寝たきりにはなりたくないよな」という話になる。老いても自分のことが自分でできる間はいいが、そうでなくなると生きている価値がなくなるという考えは、普通の人間にも広く見られるのである。西部邁もそうした考えにより自決した。

 だから、相模原事件の犯人の論理は、極端ではあるが特異なものではなく、普通の人間のそれに近いと見るべきなのだ。実際、SNSなどでは犯人に同調する者もいたと著者は述べている(233ページ)。だから、犯人の思想に「恐怖を覚える」(237ページ)のではなく、ハンナ・アーレントがアイヒマン親衛隊中佐を「凡庸」と評したように、ふつうの人間が場合によっては巨悪に走ることもあると見るべきなのだ。

 犯人とそうでない人間の思想にはちょっとした違いしかない、と言うと物議をかもすだろうか。しかし、健常者と障害者にだってちょっとした違いしかないのである。「ちょっとした違い」の有無が、健常者と障害者の(一見すると大きな)差異を生むと見なせば、健常者と障害者が似たようなものという、日常的でヒューマンな(青い芝の会のように平等を大げさに言い立てるのではない)平等性の感覚に至ることが容易になると、私は考えるのであるが。

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今年映画館で見た62本目の映画
鑑賞日 7月24日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★★

 田中亮監督作品、124分。
 人気TVドラマの劇場版第2弾。

 マレーシアに住む世界有数の大富豪レイモンド・フウ(北大路欣也)が死去。
 彼には息子2人と娘1人がいたが、遺言状は意外にも、誰も知らない隠し子ミシェルに全財産を譲ると指示していた。
 ミシェルを名のる人物が次々と現れるが、亡き主人に忠実な執事トニー(柴田恭兵)に偽物だと暴かれる。
 そこで、ダー子(長澤まさみ)、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)の3人は独自にミシェルをでっち上げて巨額の財産をわがものにしようと……

 東南アジアが舞台なのに日本人俳優が多いけど、他のアジア系俳優も出ているので、前回の劇場版よりはチープ感は薄らいでいる。
 脚本は非常によくできていて、十分に楽しめる映画になっている。
 先日亡くなった三浦春馬も脇役で登場。 

 新潟市では全国と同じく7月23日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。

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今年映画館で見た61本目の映画
鑑賞日 7月22日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★☆

 アメリカ・カンボジア合作、ケイリー・ソー+ヴィサル・ソック監督作品、92分、原題は邦題に同じ。

 カンボジアの映画は珍しい。監督のケイリー・ソーはポル・ポト時代にタイの難民キャンプで生まれたカンボジア人女性でその後はアメリカで作家活動をしている。ヴィサル・ソックはカンボジアのミュージシャン。2020年米国アカデミー賞外国語映画部門カンボジア代表作品。

 アメリカに移住したカンボジア人の両親を持つ若い女性が、故郷のカンボジアに伯母(なのかな?)を訪ねていくところから始まる。伯父がクルマで迎えに来てくれたが、しかし途中でクルマが故障したりして、空港のある都市からめざす町までは容易に行き着けない。ここに21世紀のカンボジアの現況がうかがえる。

 その途中で、過去のふたつの時代が描写される。
 1960年代、貧しかったけれど平和に暮らし、若い男女が恋愛をしたり、祭りでの音楽活動もふつうに行われていた時代。
 1970年代、ポル・ポト支配の恐怖政治の時代。人々は奴隷のようにこき使われ、支配者に逆らうと即銃殺され、少年が銃を持って人々を監視する(この映画を見ただけではよく分からないかも知れないが、『共産主義黒書』によると、ポル・ポト時代のカンボジアでは文化大革命期の中国における紅衛兵のように、年少者が支配者の手足となって監視役を勤めることが多かったようだ)。音楽活動も政治に添ったものとなる。

 1960年代、1970年代、そして21世紀の今と、三つの時代のカンボジアが、音楽を軸として映像化されている。

 私の印象では、ポル・ポト時代についてはもう少し説明的に作って欲しい。また作中の家族関係も分かりにくい。監督が作家とミュージシャンで、映画作りという観点からはやや未熟だったのだろう。素材はいいだけに、惜しい。

 東京では7月10日の封切だったが、新潟市では一週間の遅れでイオン西にて2週間上映された。私が行った回の観客は私を入れて2人だけ。うーん……作品の知名度も低いし、出来もイマイチだから仕方ないか。

・4月1日(水)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200401/k00/00m/040/100000c
 クジラ追い込み漁期間、ドローン禁止 海岸沿い撮影で落下も 和歌山・太地町
 毎日新聞2020年4月1日 12時38分(最終更新 4月1日 12時41分)

 和歌山県太地町は1日、小型のクジラやイルカを捕獲する追い込み漁が行われる期間(9~4月)に、入り江上空で小型無人機「ドローン」を飛ばすことを禁止する条例を施行する。漁業者の安全を守るためで、違反者は区域外に退去させる。

 追い込み漁を巡っては、反捕鯨団体などが抗議活動をしており、漁を撮影していたドローンが海岸沿いに落下したこともあった。太地町漁協などが対策を町に要望していた。

 条例では畠尻湾と湾から50メートル以内の場所で、ドローンを飛ばすことを禁止する。3月の町議会で条例案が可決された。規制について説明する日本語と英語の看板を湾周辺2カ所に設置する。

 町の担当者は「施行後の実態を踏まえ、罰則が必要かなど検討していきたい」と話している。【最上聡】


・4月5日(日)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200405/ddl/k30/020/178000c
 大漁期待し商業捕鯨へ 再開2年目、太地漁港を出港 /和歌山
 毎日新聞2020年4月5日 地方版

太地町の太地町漁協が所有する小型捕鯨船「第7勝丸」が3日夜、東北沖など太平洋の商業捕鯨に参加するため太地漁港を出港した。商業捕鯨は2019年、31年ぶりに再開され2年目となる。

 宮城県や千葉県の捕鯨船とともに、5日から宮城県沖でミンククジラ漁を始める予定。青森県沖などで5月末ごろまで漁を続け、その後に千葉県沖や太地町沖で、国際捕鯨委員会(IWC)規制対象外のツチクジラなどを狙う計画だ。

 8月からは北海道の沖合で再びミンククジラ漁をし、水産庁が定めた捕獲枠に達し次第、漁を終える。同漁協の業務部長、〆谷和豊さん(53)は「安全操業を第一にと願っている。大漁を期待したい」と話した。


・4月7日(火)  日経新聞インターネットニュースより。

 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57754220X00C20A4CE0000/
 三陸沿岸32年ぶり商業捕鯨 宮城・石巻、3隻出港
 2020/4/7 13:54
 
 三陸や北海道・釧路の沿岸でミンククジラを狙う小型捕鯨船3隻が7日早朝、宮城県石巻市の石巻漁港から出漁した。クジラはこの時期に餌を追って北上する習性があり、昨年7月の商業捕鯨再開時は既に北海道沿岸に達していたため、三陸沿岸での商業捕鯨は1988年以来、32年ぶり。

 石巻市中心部から1時間ほど、牡鹿半島の南部にある同市鮎川地区は日本有数の捕鯨基地として栄えた。この日は地元企業、鮎川捕鯨などが共同運航する2隻と同地区に事業所を構える外房捕鯨(千葉県南房総市)の1隻が出発。見送った鮎川捕鯨の伊藤信之社長は「いよいよだ。みなさんにフレッシュでおいしいクジラを届けたい」と笑みをこぼした。

 昨年は日本小型捕鯨協会(福岡市)が鯨肉販売を一手に担い、鮎川地区での水揚げはなかった。今回は各社が独自に販路を開拓。鮎川捕鯨と外房捕鯨は主に鮎川地区で水揚げする。
 〔共同〕


・4月12日(日)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200412/k00/00m/020/045000c
 商業捕鯨、32年ぶり水揚げ かつて捕鯨で栄えた鮎川に活気
 毎日新聞2020年4月12日 10時34分(最終更新 4月12日 10時34分)

 かつて捕鯨基地として栄えた宮城県石巻市牡鹿地区の鮎川港で11日、32年ぶりに商業捕鯨で捕獲したミンククジラが水揚げされた。昨年秋に観光交流の拠点施設ができるなど、東日本大震災からの復興が進む鮎川にとって追い風となるニュースで、住民も見物に詰めかけるなど活気にあふれた。【百武信幸】

 昨年7月に商業捕鯨が再開して以来、鮎川を拠点にした捕鯨は今年が初めて。漁は5日にスタート。ただ強風のため、なかなか船が出せず出漁した7、8日も、視界が悪く空振り続きで、この日が三度目の正直だった。

 「鮎川捕鯨」の伊藤信之社長(57)に「ミンククジラ追尾」の連絡が入ったのは午前10時ごろ。午前11時35分ごろ、仙台湾の沖合約40キロ付近で1頭目を捕獲し、約15分後にも2頭目を捕らえたと報告があった。「外房捕鯨」所属の船も1頭捕獲し、計3頭が鮎川港で次々に水揚げされた。

 調査捕鯨時とは違い、鮮度を保って出荷するため内臓の処理などは船上で行われ、港から解体場へ運ばれた後もすぐ解体作業へ。調査捕鯨時に実施していた体長測定や年齢を調べる耳あかなどの採取はしつつ、なぎなたのような大きな包丁で素早くさばいていった。

 「鮎川捕鯨」の2頭はメスで、体長約5.2~5.7メートル。伊藤社長は「感無量。船着き場には老若男女が集まってくれた」と満面の笑みで「クジラを食べたことがない人もいると思うので、新鮮でみずみずしいミンククジラを食卓に上げてもらえたら」と喜んだ。

 地元は、地域経済の活性化に期待する。昨秋開業した観光物産交流施設「cottu(こっつ)」で鯨肉のにぎりずしなどを出す「黄金寿司」店主の古内勝治さん(76)は「今までは冷凍ものを調理してきたが、生ならばより自信をもって出せる。クジラとともにお客さんもたくさん来てほしい」と願った。

 施設は新型コロナウイルスの影響で3月末から客足が鈍り、市は施設に併設して今月下旬に開業予定だった「おしかホエールランド」の開館を延期した。「こっつ」の指定管理者「鮎川まちづくり協会」の斎藤富嗣代表理事(59)は「クジラが安定して捕れるようになれば地域経済も回る。コロナが落ち着いた頃にお客さんに来てもらえるよう迎える準備を整えていきたい」と話した。


・4月15日(水)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200415/ddl/k30/020/315000c
 今シーズン初、クジラ肉入札 太地漁協 /和歌山
 毎日新聞2020年4月15日 地方版

 太地町漁協所属の小型捕鯨船「第7勝丸」が捕獲したミンククジラの肉などが14日、同漁協に届いた。商業捕鯨再開2年目の今シーズン初の入札が実施された。

 届いたのは赤肉や皮など約30キロ。地元の仲買人3人が落札した。同町の飲食店などに卸されるという。

 第7勝丸は11日、宮城県沖で1頭を捕獲。同県の港で水揚げされ、解体された部位が陸路で太地町に運ばれた。

 商業捕鯨は2019年7月、31年ぶりに再開された。捕鯨船は日本の領海や排他的経済水域(EEZ)で、水産庁が設定した捕獲枠内で操業する。【後藤奈緒】


・4月23日(木)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200423/ddl/k02/020/055000c
 捕鯨船、今年初出漁 来月末までに40頭目標 八戸港 /青森
 毎日新聞2020年4月23日 地方版

 青森県沖でミンククジラの捕獲を目指す小型の商業捕鯨船4隻が22日、今年初めて出漁した。5月末までに、40頭以上の捕獲を目指す。この日は、八戸港を午前4時半ごろに出港したが、強風のため漁を諦め、同8時までに全ての船が帰港した。

 昨年7月に商業捕鯨が再開され、昨秋にも八戸沖で漁が行われたが、水揚げには至っていない。

 4隻は、鮎川捕鯨(宮城県石巻市)の船2隻、外房捕鯨(千葉県南房総市)と和歌山県太地町漁協の船1隻ずつ。

 外房捕鯨鮎川事業所の大壁孝之所長(49)によると、水揚げされたクジラは青森県内を中心に全国へ卸されるという。大壁所長は「八戸沖は餌が豊富で良い漁場。目標を達成できるよう頑張りたい」と話した。

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評価 ★★★

 出て間もない本。著者は1959年生まれ、東大法卒、同大学院博士課程中退、東大教授、政治・社会思想史専攻。

 第二次世界大戦以降の「社会科学」の変遷を、日本と海外(欧米)について概略的にたどった本。著者が東大教養学部で受け持っている相関社会科学基礎論という授業がもとになっており、そこにさらに色々と付け足して成立した書物だそうである。

 最初に、戦前は社会科学という言葉がマルクス主義とほぼ同義で使われていたし、戦後すぐの頃は日本の民主化への要請と不可分に結びついていたという指摘がなされている。まあ、私が大学に学んだ1970年代前半だって、経済学の教員は半分はマルクス主義経済学だったし、民主化の要請ということについて言えば、今なら社会学はあらかじめ提示した理想論(例えば男女平等など)をもとに現時点での社会を裁断する道具で、つまり学問ではなくイデオロギーに過ぎないから(つまりマルクス主義理論と同然)、社会科学というものはもともと学問と言い難いいかがわしい性格を持っているというのが私の「偏見」であり、最初からそういうものだと思っていれば別段過大な期待を抱くこともないだろうと考えている。

 まあ、そうは言っても戦後70年以上が過ぎ、この間色々な社会思想が登場したことも事実なので、その歴史を見ておくことも悪くはないというのが、本書を読もうと思った動機である。

 内容は概略、以下のような順序になっている。
 1.「戦後」からの出発 丸山眞男を中心に、マルクス主義との関係も含めて
 2.大衆社会の到来 大衆社会論(ドイツ型とアメリカ型)の検討
 3.ニュー・レフトの時代 1960年代後半の学生叛乱、その歴史的意味
 4.新自由主義と新保守主義 世界のグローバル化との関連 

 一読しての感想を言うと、まず丸山眞男が占める比重がかなり高いということ。
 一般に進歩的知識人の典型のように言われる丸山だが、その発言を検討すると色々な側面があるということが分かる。また、丸山は要するに西洋のことをロクに知らなかったという加藤尚武の指摘など、丸山への批判にもそれなりに目配りしている。ただし、丸山以外の思想家も、大衆社会論などではそれなりの言及があるとはいえ、もう少し欲しかったところだ。

 日本の経済学ではスミスとマルクス、それにM・ウェーバーなどが重きをなし、また欧米ではスミスとマルクスは対照的な思想家と捉えられているが日本では必ずしもそうではなかったという指摘が貴重。

 また戦後ヨーロッパの政治が左派の社会民主主義政党と右派のキリスト教民主主義政党とによって行われるようになったという指摘も大事なところを突いている(101ページ)。このキリスト教民主主義政党の重要性は、日本ではあまり理解されていないきらいがある。単なる保守政党と捉えられることが多いからだが、戦後にあっては保守であっても基本的に民主主義を基盤にしているわけで(普通選挙なのだから当然ではあるが)、したがって社会主義とはいっても(ソ連・中国のマルクス=レーニン主義とは異なり)議会制民主主義を基盤にした社会民主主義政党とは思想的に見ればそんなに大きな相違がないわけだ。それが、戦後の西ヨーロッパ政治の安定に寄与したという面は、もっと注目されるべきだろう。

 また、「歴史の終わり」という表現は、今ではソ連の崩壊を受けたフランシス・フクヤマの発言として知られているが、実際は第二次世界大戦が終わった直後にアレクサンドル・コジェーヴにより唱えられた思想で、「自由民主主義(英米)」と「共産主義(ソ連)」が組んでファシズム(独伊)に勝利したことを表現していた(103ページ)。しかし現実には第二次大戦後は米ソの冷戦が激化したし、ソ連解体後はイスラムの(そして中国の)台頭があって、コジェーブもフクヤマも予想をはずしたわけだけど、まあ、思想家なんてその程度、と思っておいたほうがいいかも知れないね。

 ヨーロッパの思想家ではサルトルの共産主義との関わりの時代的変遷(111ページ)などが、西側左派知識人の言説を追う上で参考になるだろう。

 しかし、感心しない部分もある。ベ平連の活動については肯定的な評価しかしていないが(117~118ページ)、ベ平連がソ連のKGBと接触を持っていたことは現在ではよく知られており、要するに反戦運動と言ってもソ連に都合のいいような運動でしかなかったのである。もし本当に中立的に反戦を叫ぶなら、ヴェトナムを支援しているソ連をも批判しなければならなかったはず。その辺の見方が甘すぎる。

 また、網羅的な本で多数の思想や論客に言及しているからやむを得ないのだが、個々の思想(家)に関する説明が必ずしもこなれておらず、表層的なものにとどまったり、説明を読んでもあまり納得できなかったりする。例えばハイエクについて、市場主義なのにレッセ・フェールには反対というあたりはよく分からないし、また新自由主義が経済的下層階級には不利なのになぜか彼らに支持されているという理由も、色々模索してはいるけれど、説得的な説明には至っていない。

 というわけで、戦後の思想的流れはそれなりに分かるが、個々の記述について見ると浅かったり概説的で納得があまりできなかったりと、必ずしも満足度の高い書物とは言えないのが、ちょっと残念である。

 定年退職後のお金の問題を扱うシリーズ「年金は分かりにくい」です。前回掲載は今年の3月17日

(1)医療費還付
 昨年は夏に潰瘍性大腸炎で半月入院し、入院費用が12万円かかったこと、その前後に左右の目の白内障手術を受けて、合計で9万円弱(その前後の通院費を入れればさらに多額)かかったことは、すでに報告しました。
 そのため、昨年の医療費は合計で約32万円に及び、今年3月に確定申告したら17万3千円ほど還付されたこともすでに記しました。

 しかし、医療費還付はそれで終わらなかったのです。
 1ヵ月あたりの医療費限度というものがあるらしく、昨年は入院費用支払いと白内障手術の一方が重なった月があったため、その月は限度額を超えていました。それで医療費還付が受けられるという通知が、今年の4月末頃に区役所から届きました。
 通知をもらって、医療費を証明する書類などを携えて区役所で手続きをしたら、5月20日に約6万5千円が戻ってきました。
 つまり、確定申告で戻ってきた分と合わせて約23万8千円が還付されたことになります。昨年の医療費が全体で約32万円ですから、3分の2強は戻ってきたことになる。
 日本の医療費制度も、まあ悪くないのかな、と思いました。

(2)住民税
 6月に住民税の請求が来ました。
 昨2019年の住民税は11万3千円でした。退職した年である2018年に請求された58万6千5百円に比べればかなり安くなったとはいえ、年金生活2年目なのにこんなに取られるのか、と内心ぶつくさ状態でした。
 しかし、今年の請求額は1万9百円と、昨年の十分の一以下。多分、前年に医療費がかなりかかったからでしょう。来年どうなるかは、蓋を開けてみないと分かりません。

(3)国民健康保険料
 今月請求が来ました。
 昨2019年の請求額は32万4千円(妻と二人分)でしたが、今年の請求額は28万2千7百円(同前)と、やや安くなりました。

(4)介護保険料
 年金から差し引かれる介護保険料。
 今月初めに請求が来ましたが、今年の分は第9段階で、年額が11万4千3百円。
 この段階と金額は、昨2019年と同じです。
 退職した年である2018年は、最高ランクである第14段階で年額16万百円でした。
 どうも介護保険料というのは、収入が減る割りには安くならないようです。
 制度がよくできていない、という気がします。

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今年映画館で見た63本目の映画
鑑賞日 7月27日
シネ・ウインド
評価 ★★★★

 鑑賞順序が前後しますが、優れた映画なので、先に紹介します。

 韓国映画、キム・ギドク監督作品、122分、英題は"HUMAN, SPACE, TIME AND HUMAN"。R18+。

 「優れた映画」と書きましたが、この形容詞が妥当かどうかははなはだ疑問。「とんでもない映画」「破天荒な映画」と言ったほうが合っているかも知れません。

 キム・ギドク監督はヨーロッパ三大国際映画祭(カンヌ、ヴェネツィア、ベルリン)すべてで賞をとっている韓国の異才、もしくは鬼才、或いは奇才です。

 この映画は、現役引退して観光用に転用された軍艦が多数の客を乗せて航海していたところ、いつの間にか船は空中を漂っており、孤立した状況下に置かれてしまう、というSF的設定で進行します。問題はそのあと客の間に何が起こるか、です。

 人類の歴史を縮めて描いた映画とも言えますし、或いは新創世記かなとも思えます。

 ただし、韓国映画らしくグロいところも多いので、そのつもりで。また、見終えた後に「爽快感」や「感動」を期待してはいけません。見てはならないものを見てしまった、という感覚が残るかも。招待上映されたベルリン国際映画祭でも物議をかもしたそうです。

 日本の俳優も、オダギリジョーと藤井美菜が出演しています。中でも藤井美菜は重要な役どころを担っています。彼女の代表作になるかも知れません。

 東京では3月20日の封切でしたが、新潟市では一度シネ・ウインドで短期間上映されたものの新型コロナウイルス騒動で上映が途中で途切れてしまい、現在アンコール上映されています。7月31日(金)限り。

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今年映画館で見た60本目の映画
鑑賞日 7月20日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 大島新監督作品、113分。

 香川県選出の国会議員である小川淳也の活動を17年間追ったドキュメンタリー。

 小川淳也は1971年高松市生まれ、高松高校から東大法学部に進み、いったん自治省(現在の総務省)の官僚となるが、政治家を志して10年弱で辞職し、地元の香川県から民主党公認で出馬。最初は落選するが、次の選挙では地元では敗れたものの比例代表として国会議員に当選(ただし選挙区当選の議員に比べて、比例代表区選出の議員は発言力が弱いという)。以後、民主党、民進党、希望の党、無所属、立憲民主党との合同会派・・・と所属を変えつつ政治家として活動している。

 政治家になるなら総理大臣に、と大きな志を抱いていた小川だが、四十代も半ばを過ぎて、志半ばといった状態にある。そもそも党内部で出世しないと閣僚への道は開けないが、その点がまず難しいのだという。党内で出世するには政策より人間関係、ということらしい。

 日本の政策を決めているのは大臣ではなく官僚、というのはまあ常識みたいなものだけど、いちばん偉いのは各省庁の官僚トップである事務次官かと思うと、各省庁のOBの影響が大きいという指摘には、「えっ、そうなの」とちょっと驚いた。

 民主党にいたとき、蓮舫党代表の二重国籍問題が浮上したが、小川氏は当初からその問題を指摘していたのに党内の反応は鈍く、蓮舫が代表になってマスコミでこの問題が取り上げられてからやっと騒ぎ始めたというのだから、民主党議員って、やっぱり能力低かったんだなと納得。米国では大統領になるには米国籍だけじゃなく、米国生まれという条件も付いているのに、こんな基本的なことも分かっていない国会議員には危なくて日本の運営を任せられませんね。

 民主党は一度政権をとったけれど、次の選挙で惨敗した。この辺、小川氏も納得だというのだけれど、それなら民主党のどこが駄目だったのかについて、もっとちゃんと分析するべきじゃないかね。

 それだけじゃない。この映画に足りていないのは政策論議だ。日本のどこが駄目で、どこをどうすればいいのか、政治家としてしっかり主張し、数値を挙げて分析しなきゃ、代議士を描いたドキュメンタリーとして価値が出てこないと思うんだが、その辺がこの映画の不十分な点。選挙風景ばっかり映したって政治家の映画にはならないよ。つまり、作る側も駄目だってこと。

 日本の映画人の政治的教養の低さは今に始まったことではないが(だから昨年は『新聞記者』みたいな駄作を日本アカデミー賞に選んでしまうのだな)、この映画を見て、政治家のドキュメンタリーを作るのは30年早いんじゃないか、と監督に言いたくなりました。

 東京では6月13日の封切だったが、新潟市では5週間の遅れでシネ・ウインドにて上映中、8月7日(金)限り。

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評価 ★★★★

 15年あまり前に出た邦訳書(原著が出たのは西暦2000年だから20年前)。購入したのはたしか10年ほど前だが、ずっとツンドクになっていた。今回、思うところあって読んでみた。

 ホロコーストとは、本来は動物を供物とするユダヤ教の大がかりな祭儀(燔祭)のことであるが、そこから大規模な虐殺の意味になり、現在ではナチ・ドイツのユダヤ人大量虐殺を指す言葉として流通している。英語でこの言葉をこの意味で用いる場合、the Holocaustと定冠詞をつけ最初を大文字で書いて一種の固有名詞扱いする。
 なお、この言葉がこの意味で広く使われるようになったのは、1978年に米国でテレビドラマ「ホロコースト」が大きな話題となってからのことだ。

 本書は、ザ・ホロコーストが一部のユダヤ人が不法な利益をむさぼるのに使われたり、政治的に自分を万事に犠牲者扱い=正当化するという、好ましからざる道具として利用されているとして告発した書物である。

 ちなみに、著者は米国に暮らすユダヤ人だが、両親はナチの強制収容所に入れられていた経験を持つ。しかし著者の子供時代、両親も、また周囲にいたユダヤ人たちも、収容所の体験について語ることはなかったという。著者はこれを、気を遣っていたからではない、関心がなかったからだ、と述べている(18ページ)。

 本書はまずハードカヴァーで出て、その後ペーパーバックとして読めるようになった。この邦訳はペーパーバック第二版(最初のハードカヴァー版にさらに情報が追加されている)を底本としているが、ペーパーバック版第一版と第二版のまえがきも収録している。第一版まえがきは、本書が発行以来ヨーロッパ各国やブラジルで大きな反響を呼んでいると報告している。ドイツでは特に大きな反響があったというが、ザ・ホロコーストの当事者であることを考えれば、無理もない。

 ところが、米国では本書はほとんど反響を呼ばなかったという。主要メディアはまったく本書に触れようとしなかった。「さすがにホロコースト産業のお膝元だ」と著者は皮肉っている。つまり、本書が無視されたのは、米国人がザ・ホロコーストに興味がないからではない。むしろ逆で、本書のような内容の書物がタブー扱いされているからなのだ。著者によれば、NYタイムズ紙はホロコースト産業の最大の宣伝ツールだという。1999年で見ると、同紙にホロコースト関係の記事は273件載ったが、これに対してアフリカ関係の記事は(アフリカ全土で)32件だったという(11ページ)。(私は昨日の当ブログの記事で、NYタイムズは必ずしも質が高くないと述べたけれど、ここからも分かりますよね。)

 著者はザ・ホロコーストを「イデオロギー兵器」と呼んでいる。これを用いればユダヤ人は万事に無敵、というわけだ。

 そもそも、ザ・ホロコーストは第二次世界大戦が終わってすぐに現在のように人口に膾炙していたわけではない。上で著者自身が子供時代を回想しているように、戦後まもない頃は米国に住むユダヤ人はこの件にさほど関心を向けていなかった。ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』やフランクルの『夜と霧』のように、この件を扱った書物も少数しか流通していなかった。映画も同様だった。
 1960年代の終わりまで、この問題を扱う講座を有する大学は米国では一つだけだった。1963年にアーレントが『イェルサレムのアイヒマン』を出したとき、英語の引用研究書は二冊しかなかった。その一冊が上記のヒルバーグの名著であるが、ヒルバーグがこの件を大学で研究しようとしたところ指導教員であるユダヤ系教授はやめさせようとしたし、ヒルバーグのくだんの書物もなかなか出版社が見つからなかった。またほとんど注目もされなかった。
 ところが現在の米国では、(自国のことである)南北戦争がいつ行われたかよりも(他国のことである)ナチ・ホロコースト(著者は歴史的事実として指す場合はこのように呼び、ザ・ホロコーストと区別している)がいつ行われたかや、犠牲者数を正確に答えられる大学生のほうが多数だという。それどころか大学での歴史関係講義はほとんどナチ・ホロコーストだけであり、世論調査でも真珠湾攻撃や原爆投下よりナチ・ホロコーストを知っている米国人のほうが多いのである。

 なぜ60年代後半まで米国ユダヤ人はナチ・ホロコーストに興味を抱かなかったのか。著者はこれを、米国の体制に順応しようとするユダヤ人の思惑からだとする。戦後の米ソ対立による冷戦下で、西ドイツは米国の重要な同盟国となった。いたずらに過去に触れれば米国政府のこうした方針に逆らうのがユダヤ人と見られる恐れがあった。
 また、ユダヤ人でも左派はナチ・ドイツの所業を批判することに積極的だったが、同時に東西冷戦にも反対していたので、下手をすると「ユダヤ人=共産主義者」というレッテルを貼られかねなかった。保守派のユダヤ人はマッカーシズムの時代には、積極的に危険分子と疑われるユダヤ人の名簿を政府機関に提出していたという(27ページ)。アーレントは『イェルサレムのアイヒマン』の中でユダヤ人自身が協力したからナチのユダヤ人虐殺はスムースに行われたという意味のことを書いているが、それを思い起こさせるエピソードである。

 ザ・ホロコーストが米国でよく取り上げられるようになったのは、イスラエルと米国の関係が変わったからだという。そのきっかけは1967年6月の第三次中東戦争だった。1948年に建国されたイスラエルは、この時まで米国の国際戦略ではたいした位置を占めていなかった。米国の歴代政権もパレスチナやアラブにそれなりに配慮を見せていた。また米国ユダヤ人の指導層も、イスラエル指導層は東ヨーロッパ出身の左翼だからソ連側につくのでは、と考えていた。そもそもイスラエルが米国ユダヤ人にとっての大きな関心事になることがなかったのである。
 ところが第三次中東戦争でイスラエルが圧倒的な勝利を収めたため、米国はイスラエルを国際戦略上の重要国家と見なすようになる。そして軍事的経済的援助をイスラエルに与え始める。
 この結果、米国ユダヤ人もイスラエルを「再発見」するに至る。そして米国ユダヤ人指導層は米国とイスラエルの絆を強固にするべく努力を開始する。NYタイムズ紙でも、イスラエル関係の記事がぐっと増えて、1955年・1965年と比較すると1975年のイスラエル関係記事は4倍以上になったという。(米国のメディアがユダヤ人に牛耳られている実態が分かりますよね。)1961年のアイヒマンの裁判が国際的に大きな反響を呼んだので、この材料は使えるという判断もあったようだ。

 また、米国ユダヤ人は世俗的な成功を収めるにつれ、保守化していった。かつてはユダヤ人は黒人と同じく米国では差別される立場にあり、同盟を結んでいた。しかし60年代後半になるとユダヤ人は経済的に裕福になり、公民権運動にも敵対し、学校での人種統合を避けるために白人キリスト教徒と一緒に郊外の住宅に逃亡した。アファーマティブ・アクションにも反対した。自分たちの保守的な政策に反対する人間にはすべて「反ユダヤ主義」のレッテルを貼った。こうした中でザ・ホロコーストは大きな役割を担うようになったのである。

 ザ・ホロコーストを支える中心教義は二つあるという(52ページ)。
 1.ザ・ホロコーストは、無条件に唯一無二の歴史的事件である。
 2.ザ・ホロコーストは、非ユダヤ人がユダヤ人に対して抱く不合理で恒久的な憎悪が最高潮に達したものである。
  第二次世界大戦が終わってあまり経たない時分には、ナチ・ホロコーストはユダヤ人だけの事件とは考えられていなかった(ロマ民族やその他の民族も多数殺されたからである)。まして歴史的に唯一無二という位置づけなど存在しなかった。むしろ米国ユダヤ人はこれを普遍的な文脈の中におくことに腐心していたという。それが、1967年の第三次中東戦争でがらりと変わった。「人類史上唯一無二のホロコースト」という認識が大手を振るようになるのである。(53ページ)

 現在の米国でのザ・ホロコーストの扱いは異常だと著者は述べる。
 ホロコースト記念日は全米規模のイベントだし、五〇州それぞれの主催する記念式典が多くは州議会議事堂で行われる。ホロコースト組織協会(AHO)には百以上の機関が名を連ね、米国全体で七つの大きなホロコースト博物館がある。ワシントンDCにある合衆国ホロコースト記念博物館がその親玉的な存在となっている。
 この記念博物館は連邦議会議事堂からリンカーン記念堂までのワシントンDC最大の通りに位置しているが、なぜこの通りに米国の犯罪を記念する博物館がないのか、と著者は疑問を投げかける。
 仮に、ベルリンに米国の奴隷貿易やネイティブ・アメリカン殲滅を記念する国立博物館が作られたら、偽善だという声が米国内に大きく湧き上がるだろう、と著者は辛辣なコメントを付けている。(79ページ)

 以下、ザ・ホロコーストを利用してユダヤ人がドイツやスイスの銀行からばかりか、貧しい東欧の小国からもお金を搾り取っていること、しかし搾り取ったお金が本当にホロコーストの被害者であるユダヤ人にしっかり配分されているとは到底言えないこと、各国からお金を搾り取るようになって以降なぜか収容所から生還したと主張するユダヤ人の数が劇的に増えていること、こうしたユダヤ人の態度こそ「ユダヤ人はカネに汚い」という反ユダヤ主義の主張を証明してしまうものであること、などなどが述べられている。
 また、米国の銀行もスイスの銀行同様に戦時中にユダヤ人の資産を多く預かっていたのだが、なぜか米国についてはスイスと違って返還請求や非難がなされていない、というダブル・スタンダードも批判されている。

 米国が、このように極めて偏った知的状況の下にあることが、本書を読むとよく分かる。NYタイムズにホロコースト関係の記事が載らない週はほとんどないし、米国ではホロコースト関連の研究は一万件以上に達し、ホロコースト研究の講座を設けている大学も多数に及ぶ。しかるに、コンゴの虐殺(1891年から1911年までのコンゴでゴムと象牙の産出をめぐり一千万人のアフリカ人が死んだ)についての英語の文献は二年前に一件あったのみだという。(137ページ)

 本書ではエリ・ヴィーゼル(みずからの収容所体験を綴りノーベル平和賞を受賞したユダヤ人作家)やダニエル・ゴールドハーゲン(ゴールドハーゲン論争については当ブログのこちらを)についても辛辣な批判がなされている。
 本書の序章は、「ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている」と題されていることを付け加えておこう。

 米国及びそのユダヤ人(の一部)の歴史認識のご都合主義と偏りを知る上で、この『ホロコースト産業』は必読書と言えよう。

 先週の産経新聞の報道から。

 https://www.sankei.com/world/news/200715/wor2007150017-n1.html
 NYタイムズ、デジタル拠点を香港から韓国に 国安法で「不確定要素増した」
 2020.7.15 11:53

 【ニューヨーク=上塚真由】米有力紙ニューヨーク・タイムズは14日、中国政府による「香港国家安全維持法」(国安法)の施行を受け、アジアのデジタル編集拠点を香港から韓国に移転すると発表した。

 同紙は、移転の理由について「(国安法が)ジャーナリズム活動にどのような意味を持つのか、多くの不確定要素が生じた」と指摘。「不測の事態に備えて、編集スタッフを分散することが賢明だと考えた」と説明している。

 同紙の香港支局はアジアでの取材、編集の拠点となっている。要員全体の約3分の1を占めるデジタル編集部門は、来年までにソウルに移る。

 同紙によると、移転先として東京、バンコク、シンガポールも検討したが、韓国が「外資企業に友好的で報道の独立性があり、アジアのニュースの中心的役割を果たしている」として新拠点に決めたという。 

                                 

 この報道、私はかなり深刻に受け止めた。

 これまでNYタイムズのアジアの拠点が香港だったことに不思議はない。英国の植民地だった香港は、英語を母国語とする人間にとってはアジアで最も居住しやすい都市であり、また欧米人の情報交換にも適した場所だからである。

 その意味では、シンガポールが香港の後継者になるなら違和感はない。シンガポールもかつては英国の植民地だった歴史を持ち、香港と類似した性格を持っているからだ。

 しかしソウルは香港やシンガポールとは違う。日本の一部になっていた時期はあるが、欧米の植民地になっていた歴史はない。

 近年、欧米で韓国の存在感がいくつもの分野で増してきていることがNYタイムズの選択に影響したのではないか。

 電気電子機器類における世界的なシェア、映画作品や音楽分野での国際的な評価、クラシック音楽コンクールでの上位入賞者輩出、また国際機関でも国連の事務総長(これは大国からは出さない建前になっているということもあるけれど)を出したり、現時点で言えばWTOの新事務局長に立候補者を出したり(日本は出せていない)するなど、多方面で韓国は国際的な評価を受けているのである。国内のIT化が日本よりはるかに進んでいることもよく知られている。

 日本では、韓国の対日外交政策が批判的に見られることが多く、したがって韓国のマイナス面を過大に見積もりがちになる。私は日本でのそのような韓国評価自体は間違っていないと考えるものだが、ただそれはあくまで日本人の見方であり、外国の人間は別の見方をしているということはしっかりと意識しておくべきだろう。端的に言えば、韓国の対日政策がいかに不当であれ、それは日本以外の国にとってはどうでもいいことなのである。

 したがって、今回NYタイムスがアジアの新しい拠点にソウルを選んだという事実も、韓国の国際的な評価がそのまま表れたものと見ておくべきではないか。

 念のため言っておけば、私はNYタイムズをそれほど質の高い新聞だとは思っていない。そもそも、米国の左派知識人は海外の複雑な状況や米国とは異質な文化や思考を十分理解してるとは到底言えず、万事を米国人の狭隘な知見で割り切ろうとする傾向が強い。この新聞について批判的に検討した書物としては、『ニューヨークタイムズ あるメディアの権力と神話』(当ブログでも紹介)がある。

 しかしいかに米国の高級紙に問題があろうと、米国の高級紙は世界一の超大国の指導層に大きな影響力を持っているのであり、それを通して世界的な影響力をも保持しているのである。こういう現実を日本人は認識しておかなければならない。

 また日本のマスコミにも問題がある。しばしば言われるのは記者クラブ制度の閉鎖性である。長らく批判されてきたのに一向に改まらないのは、日本の大手メディアが既得権の上にあぐらをかいているからだろう。日本の保守政権には批判的な言辞を向けるくせに、自社の既得権についてはだんまりというのでは、マスコミ離れを加速させるだけでなく、現在のように海外からの情報入手が容易になっている時代にあっては日本メディアの相対的な地位低下を招くだけであろう。
 
 付け足すなら、韓国に対する日本の見方については、英語での情報発信をもっと強化すべきだ。日韓の様々な問題について韓国側の主張だけを一方的に受け入れている海外メディアは少なくない。そういう意味でも、メディアの国際化を強力に推進することを真剣に検討すべきだし、今回のNYタイムズのソウル移転をそのきっかけと受け止めなければならないのである。

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今年映画館で見た59本目の映画
鑑賞日 7月17日
イオンシネマ新潟南
評価 ★★★★

 フランス映画、フランソワ・オゾン監督作品、137分、原題は"Grâce à Dieu"(神の心のままに)で、邦題はその英訳"By the Grace of God"によっている。ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作。

 実在の事件をもとにした映画。
 21世紀のリヨンに妻子と暮らす中年男アレクサンドルは、少年時代にプレナ神父から性的虐待を受けたトラウマを抱えていた。プレナ神父が年を取った今も少年たちを相手に活動を続けていると知った彼は告発を決意。当初は地区のカトリック関係者を管轄する枢機卿に訴えたが、枢機卿の対処は微温的でプレナ神父の処分に踏み切るものではなかった。そこでアレクサンドルは警察に告訴し、マスコミへも情報提供を行う。かつてプレナ神父から被害を受けた人間は多かったが、アレクサンドルに同調する動きはなかなか顕在化しなかった。だが、いったん仲間が出現すると告発運動の輪はふくらんでいき……

 最初はアレクサンドルが主人公だが、それから何人かの被害者の現在と過去が映像などで再現され、一種の群像劇になっている。現在の職業も家族関係も、また信仰もばらばらな男たちが、意見の相違を抱えながらも、多数の児童を性的に虐待してきた神父を告発する様子がリアリスティックだ。また、告発者の意向を受け入れるように見せて、その実何もしないでいる枢機卿の様子が、所詮はカトリック教会も官僚組織なのだということを痛感させてくれる。

 カトリック神父による児童への性的虐待事件を扱った映画としては、アメリカの『スポットライト 世紀のスクープ』(アカデミー賞作品賞・脚本賞、日本公開2016年)が有名で、アメリカの都市ボストンが舞台となっていたが、ローマ・カトリック教会の「長女」であるフランスでも同様の事件が起こっていたのだということが本作を見ると分かる。

 邦題は、上に記したように原題のフランス語を英訳したものをそのまま使い、それだけだと分かりにくいので副題も添えているが、日本語だけで気の利いたタイトルを付けられなかったものか。

 新潟市では全国と同じく7月17日の封切で、イオン南にて単独公開中。県内でも上映はここだけ。私は封切日の午後の回に足を運んだのだが、観客は6~7名だった。タイトルの付け方が下手なことも影響しているかも。

 7月18日(土)の毎日新聞の書評欄より『ランスへの帰郷』
 評者は鹿島茂氏。

 (以下の引用は書評の一部分です。全文は紙媒体の毎日新聞でお読み下さい。ネット上の毎日新聞には、少なくとも現時点では掲載されていません。)

 「平等」が国是の国フランスにおいて「階級」という壁はかくも分厚く、乗り越え難いものなのか!

 ミシェル・フーコーの伝記作者として、また『ゲイ問題についての考察』の作者として知られるディディエ・エリボンは本書をこう書き始める。

 「父が死んでランスへの帰郷を果たした頃から、ひとつの疑問が私につきまとった。(中略)社会的場面での恥についてなぜほとんど何も書いてこなかったのだろうか?(中略)私には社会的恥より〔ゲイであることの〕性的恥について書くほうが容易だったのだ」

 すなわち、父の死後にランスに帰郷して母の思い出話を聞くうちに、同性愛者としてカミングアウトするという自分の決断は、むしろ労働者階級という出自を強く恥じてこれを隠蔽する「隠し戸棚」として機能していたのではないかという思いに捉えられたのである。なすべきは「階級隠蔽者」としての自己を社会学者として分析することではないのか?

 【中略】

 1929年生まれの父方の祖父は子沢山の家具職人で、低出生率を恐れた支配階級が出産奨励策として作った労働者用多人数家族住宅地区(シテ)に住んでいた。シテでは共産党が強く、「私の祖父、父、その兄弟たちは(中略)党中央の指導者たちが定期的にやってくる公開集会に集団で参加した」。

 しかし、ソ連崩壊後、父たちは敵をブルジョワから移民に変えて国民戦線(FN)の支持者に変わる。

 【中略】

 二歳年上の兄はエリボンのようなトラウマは抱かず、「定められていた運命」に素直に従い、高等小学校終了も待たずに精肉店の見習いになったが、自覚的に階級離脱を目指したエリボンは十一歳でリセに入学、トロツキー派の極左活動家となり、ランス大学の哲学科に登録する。

 だが、そこで深く絶望する。哲学的渇望もまた階級的に規定されたものでしかなかったからである。

 「青春時代の哲学への熱中は、私の田舎暮らしと階級的出自に結びついていた。哲学的思想のタイプを選んだつもりで体験したことは、じつは私の社会的地位が私に書き取らせたものだったのである。(中略)私はグランゼコール進学のための準備学級も、(中略)これらのクラスから入試を受けられるエコール・ノルマル・シュペリウールも、何ひとつ『知らなかった』」。エリート校にいたらサルトルは選ばず、フーコーやデリダを選んだかずなのである。

 【以下略】

 *なお、上記の引用で、(中略)と〔…〕は鹿島氏の書評のまま、【中略】と【以下略】は当ブログ制作者によるものです。

                             

 フランスが表向き言われている「自由、平等、友愛の共和国」などではなく、実際には英国同様の階級社会であることは、或る程度ヨーロッパ文化を学んだ者には常識のようなものだが、それにしてもこの書評を読んだ私は今さらながらにフランスにおける階級と学歴の強い結びつきに驚かずにはいられなかったのである。

 社会学者のピエール・ブルデュー(1930~2002)が、田舎町に生を受けながら、優秀だったためにパリの名門リセ(高校)から、上でも出てくるエコール・ノルマル・シュペリウールに進学し、この過程で「平等」であるはずのフランスが実は都会のブルジョワジーにのみ出世の階梯が提供された国なのだと気づき、これが社会学を専攻して『ディスタンクシオン』などにより「文化資本」という概念を提唱すること、つまり階級と趣味が密接に結びついていることを明らかにする業績などにつながったことは割りによく知られている。

 しかし、ブルデューの場合は、超エリート校であるエコール・ノルマル・シュペリウールに学ぶことができたからまだしもだった。

 このディディエ・エリボンの場合、フランスでエリートたろうとするなら、エコール・ノルマル・シュペリウールのようなグランゼコールに進学しなければならないこと、そのためには準備学級に進まなくてはならないことすら知らなかったのだ。

 フランス事情にうとい人のために付け加えると、フランスでは最高学府は大学ではなく、グランゼコール(英語に直訳するとgrand school)である。サルトルやブルデューなどの文化人を輩出したエコール・ノルマル・シュペリウールや、日産社長だったカルロス・ゴーンの出たエコール・ポリテクニークなどが、グランゼコールの代表格である。ここに進むためにはリセ(高校)卒業後に準備学級に進まなくてはならない。高校から大学に進学すると、準エリート止まりとなる。

 日本でなら、どんなに辺鄙な田舎の高校生であれ、東京大学や京都大学の存在を知らないということは考えられまい。また、仮によく知らない高校生がいたとしても、稀な能力を持つ高校生がいれば、当然教師が生徒にふさわしい進学先を教えてくれるはずである。

 フランスでは、1953年生まれのディディエ・エリボンが、グランゼコールと準備学級の存在を知らなかったのだ! 私(当ブログ制作者)は1952年生まれだから、私より一歳年下になる。

 階級社会フランスの深い闇。それを私はこの書評で今さらながらに知った気がした。

 (なお、上の書評で、ディディエ・エリボンの父方の祖父が1929年生まれとされている。ディディエは1953年生まれなので、祖父が彼より24歳年上というのはいくら労働者階級でもあり得ないように思うが、とりあえずそのままにした。)

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今年映画館で見た58本目の映画
鑑賞日 7月13日
シネ・ウインド
評価 ★★

 フランス映画、アニエス・ヴァルダ監督作品、80分、1954年、モノクロ、原題は"LA POINTE-COURTE"。

 フランスの女性映画監督アニエス・ヴァルダ(1928~2019:一般には映画『幸福』で知られる)の、最初の長編映画である。ヌーヴェルバーグの先駆的作品、だそう。タイトルは舞台となる町の地区名らしい。

 フランスの海辺にある田舎町。本作品はそこの住民たちの様子をドキュメンタリー風に映し出すと同時に、パリからやってきた夫婦が離婚の危機を乗り越えていく様子を描いている。

 率直に言ってあまり面白いとは思えない。夫婦の会話も観念的で浮世離れしている。おまけに妻を演じる女優がどう見ても美人とは言いがたい。この程度の容姿の妻なら別れちゃえば?と乱暴なことを言いたくなってしまう。

 強いて言えば町の祭の様子が見どころか。川に船を複数浮かべて、各船の高所に楯と長い棒を持った男が一人立ち、相互に棒で突き合って相手を川に転落させたほうが勝ち。

 日本では今回が劇場初公開。東京では昨年12月21日に封切られたが、新潟市では半年少々の遅れでシネ・ウインドにて4回のみ上映された。

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評価 ★★★

 著者は1930年生まれ(2006年死去)、古代ギリシャを専門とするフランスの歴史学者。ただし、本書は歴史問題を扱っているものの古代ではなく、20世紀のいわゆるホロコーストに関してデタラメを喧伝している自称学者を批判したものである。
 ちなみに著者は、19世紀末にフランスを揺るがした反ユダヤ主義の大事件、すなわちドレフュス事件ともつながりがある。母方を通してドレフュス大尉と血縁関係にあり、また父方は熱烈なドレフュス支持派だったからである。ここからも分かるように、両親ともにユダヤ系なのだが、そのために1944年、当時マルセイユに住んでいた両親はゲシュタポに拉致されている。著者はたまたま美術館に行っていて難を免れた。本書は、拉致後まもなくアウシュヴィッツで亡くなった著者の母に捧げられている。

 本書は全五章から成り立っているが、最初の二章は主としてフランスの歴史修正主義者を批判している。ただし、「歴史修正主義者」という言葉は使う人間によってその範囲がかなり異なる。1980年代のドイツ歴史家論争(当ブログのこちらを参照)では、主として左派の歴史学者や社会学者が、保守派の歴史家の見解を批判するためにこの言葉を濫用していたが、いくら保守派の学者でもナチの強制収容所で多数のユダヤ人(だけではないが)が殺戮されたことを否定する人間はいない。本書の著者が「歴史修正主義者」と呼ぶのは、「ナチのガス室は存在しなかった」「ナチがユダヤ人を大量虐殺したなんて事実はない(或いは、一般に言われているより犠牲者ははるかに少ない)」といった主張をする人間のことである。

 そうした虚偽の歴史を広めようとしているフランス人を、本書はその手口を含めて分析・批判しているわけである。付随的に、フランスの歴史修正主義者の見解を「言論の自由」という観点から擁護した(と著者は主張している)米国のチョムスキーをも批判している。
 しかし、前半の二章は、はっきり言って分かりにくい。これらフランスの「歴史修正主義者」(ポール・ラスィニエ、ロベール・フォリソンなど)の本が日本語ではほとんど読めないからだ。別の言い方をすれば、本書は読者が歴史修正主義者の本をよく知っているという前提で書かれている。
 それでも、「この人間はこういうことを言っているが、これはここのところがこういう理由で間違っている」というふうに整理した記述になっていればいいのだが、そうなっていない。訳者がていねいな訳注をつけてくれればそれでも分かりやすくなるのだが、これまたそうなっていない。多分、訳者も歴史修正主義者の本を読んでいないのだろう。

 これに比べると、後半は分かりやすくなり、有用な部分もある。
 第四章ではフランスばかりでなく、米国とドイツの、さらには他のヨーロッパ諸国の歴史修正主義者について簡単ながら分析を行っていてそれなりに参考になる。

 例えば、ドイツでは歴史修正主義の本が多いがそれはネオナチなどを読者層にしているのに対し、極左の歴史修正主義はきわめて少なく、パレスチナ民族解放運動を支持して反ユダヤ主義に傾斜しても、歴史修正主義を利用する者はごくわずかだったという。例外的なのは、極左テロリストであるウルリーケ・マインホフの「600万人のユダヤ人は金権体質であったがゆえに殺されてヨーロッパの堆肥になった」という声明で、著者はこれを、ベーベルの「反ユダヤ主義は間抜けな人間の社会主義である」という定式の変奏に過ぎないと述べ、これが歴史修正主義に横滑りする例も少数ながらある、としている。(154ページ)

 他方、フランスでは右翼の反ユダヤ主義が、反シオニズムや絶対平和主義の極左と歴史修正主義で結びつく場合が割りにあるという。(157ページ)

 国連では1948年にジェノサイドに関する国際協約を満場一致で承認したが、これは「国民、民族、人種、宗教」でのグループを対象にしたジェノサイド限定であり、経済・社会上のグループは対象にしていないという。だから、ソ連の階級撲滅的なジェノサイドはこれには含まれない、というわけだ。ちなみにこの協約は一度も実際に使われたことはないという。(223-224ページ)

 訳は、上に述べたように訳注が親切とはとても言いがたいのに加え、なぜか「強制収容所」「絶滅収容所」を一貫して「強制キャンプ」「撲滅キャンプ」と訳している。フランス語の原文がcampだからだろうが、フランス語のcampに「(強制)収容所」の意味があることは初心者向けの仏和辞典にだって載っているのである。訳者は(ヴァレリーが専門だそうだけど)そもそもナチに関する基礎的な本を読んだことがないのではないか。読んでいたらこんな訳をするはずがない。

 それから、共産党「人民委員」の撲滅、と訳している部分(32ページ)だが、ここの「人民委員」はおそらくcommissaireの訳だろうけれど、「政治将校」と訳すべきところ。「人民委員」だと、ソ連初期の大臣相当の役職になってしまう。この箇所は、独ソ戦が始まってからヒトラーにより「commissaire撲滅」の指示が出されたことを指しており、このcommissaireは、ソ連軍が共産党の意向を無視して独自の判断で動くのを抑制するためにソ連共産党から軍隊に派遣された監視用の将校(だから政治将校と訳す)のことである。

 新潟大学付属図書館から借りて読みました。

 7月9日(木)は、午後、加茂市立図書館に出かけた。
  加茂市は、新潟市から南南西方向30キロほどの山沿いにある、人口約2万5千人のこぢんまりとした町である。落ち着いた街のたたずまいから小京都という言い方もされるらしい。

 なぜ加茂市立図書館に出かけたかというと、『実録川端康成』(読売新聞社)という、半世紀前に出た本を求めてのことである。
 
 今、訳あって川端康成の『伊豆の踊子』について調べているのだが、この小説のラストで一高生の「私」は一緒に伊豆を旅した旅芸人の一行と別れ、下田の港から船に乗って東京に帰っていく。船内で「私」は、地元の中学(大正時代の話だから、旧制中学である)を卒業して受験のために上京するという少年と知り合い、話をするのだが、このシーンには川端自身が伊豆に旅行したときの体験が反映しており、実際に伊豆の港から受験のため船で上京する際に川端と知己になった人物がのちにそのときのことを新聞記者に語っているのである。それを記したのが、『実録川端康成』なのだ。

 私がこの文献を知ったのは別の川端研究書からだが、そこでの引用には私の知りたいと思っている点が記されていなかった。実際に『実録川端康成』に当たってみないと、私の求める情報が記されているかどうか、分からない。

 というわけで、『実録川端康成』が新潟市内の図書館にないか調べたのだが、残念ながらどこにもない。新潟大学図書館にはもちろん(?)ないし、新潟市立図書館にも、私が新潟県内の図書館としては最も頼りにしている新潟県立図書館にもない。大学図書館での検索では、県内の大学では柏崎市の新潟産業大学で所蔵していると分かったが、柏崎は新潟市からは直線距離でも80キロくらいある。そこまで出かけると時間とガソリン代を食う。こりゃ、上京する際に(今の情勢ではいつ上京できるか分からないけど)国会図書館に行くしかないかな、と思った。

 しかし、最近の私は年のせいか、明け方、布団の中で目が覚めた直後くらいに各種のアイデアを思いつくことが多い。それで、大学図書館サイトで検索した数日後の7月9日の明け方に、うっかりしてやらないでいた検索があったことに気づいたのである。県立図書館のサイトからは、県内のすべての公立図書館の蔵書を検索できるのに、これをやっていなかったのだ。で、起床してからさっそく書斎のパソコンで検索してみたら、加茂市立図書館が『実録川端康成』を所蔵しているということが判明した。なので、善は急げとばかり、その日の午後、クルマで出かけたというわけだった。

 私の住んでいる新潟市西区から加茂市にクルマで行くには、国道116号線を南西に下り、巻のバイパスを少し過ぎた富岡というところで左折して県道55号線に入る。この県道をまっすぐ進むと途中で県道9号になるが、あくまで直進するとやがて加茂市内に入る。道のりにして35キロほど、1時間弱である。農道に詳しければもっと近いルートがあるかも知れないが、一番分かりやすいのがこの経路である。

 加茂市立図書館は市内を流れる加茂川からほど近い場所にある。駐車場もさほど混んでいない。1階が開架、2階が職員しか入れない書庫になっている。私の求める『実録川端康成』は書庫に入っていたが、市民でなくとも館内で閲覧するだけなら誰でも読めるので、書名を言うと職員がすぐに持ってきてくれた。全部を読むのではなく、必要箇所数ページに目を通すだけだから、閲覧で十分なのである。

 幸いにして、私の求める情報は『実録川端康成』に記されていた。川端康成と船内で知り合った受験生は、その後会社社長になっていた。川端とはその後も付き合いがあったらしい。(ただし、以上の情報が知りたかったわけではない。)

 知りたかったことが分かったので、満足。ついでに、地酒を買おうと、図書館の近くの酒屋に足を運ぶ。来るときに加茂までの経路や市立図書館の位置をネット上の地図で確認しておいたのだが、図書館の近くに酒屋があることに気づいたので、この機会だから地酒を買ってこようと決めていたのである。

 加茂の酒というと、萬寿鏡(ますかがみ)が有名で、これは新潟市の食品スーパーでも売っている。私も飲んだことがあるけど、悪くない。(ネットで購入できますから、興味のある方はどうぞ。)しかしせっかく加茂まで遠征するのだから、新潟市では買えない酒にしたいなと考えた。加茂市には雪椿という、わりに有名な酒造会社があるのだが、ネットで調べたらそこで地元でしか買えない「純米酒・越後加茂雪椿」というのを販売していると判明した。地元でしか買えないのだから、これにしようと決めた。

 で、加茂市立図書館から歩いて5分ほどの、加茂川沿いにある酒屋に足を運んで、引き戸になっているガラス戸を開けようとしたら、開かない。あれ、休店日なのか、それとももうやっていないのかなと一瞬考えたが、オバサンが現れて内側から引き戸の鍵を開けてくれた。何だかやる気が感じられないな、と思った。

 中に入ってみると、酒屋というけれど入口の近くには調味料などが並んでおり、日本酒は奥の棚に十本かそこいらが並んでいるだけ。しかしそこに行ってみると、お目当ての「純米酒・越後加茂雪椿」があるではないか。なので、迷わずこれを一本購入する。

 最近の私は食品スーパーでアルコール類を買うときはいつもカードである。この時もそうするつもりだったのだが、いかにも客のあまり来ない店だし、今どきだからいくら人口2万5千人の田舎町だってカードが使えないということはないだろうけど、このオバサンには現金収入がすぐにあったほうがいいかも、などと気を回して、現金で購入した。といっても千円札2枚で10円お釣りが来るので、たいした額ではないけれど。オバサンはポケットティッシュ一つをおまけにくれた。

 その後、この「純米酒・越後加茂雪椿」を飲んでみたが、なかなか行ける。淡麗辛口だけれど、味もしっかりとあって、うまい。税込1990円という価格からするとコストパフォーマンスが高い。地元でしか買えないので、加茂市に行く機会があったら試してみて下さい。

 今週に入ってからの某日、自宅近くの銀行に出かけた。新潟県トップの例の地銀である。最近新潟県ナンバー2の地銀と合併した。

 着いたのが昼時の12時25分頃。入口から入るとロビーがあり、その右側にあるATM(3台)は稼働していたが、ロビーから内部に通じている部分のシャッターが閉まっている。つまり窓口利用ができない状態になっている。「あれ、今日って、祝日だっけ?」と思ったが、そうではない。ふつうの平日なのである。シャッターのところに掲示板があり、「新型コロナウイルス感染防止のため、当分の間11時30分から12時30分の窓口利用を休止させていただきます。ATMの稼働時間は従来どおりです。」とのことだった。

 えっ!と私は驚いた。要するに昼食時は窓口利用が多く、新型コロナウイルス感染の可能性が高いから、その時間帯は休みます、と言っているのだ。冗談じゃないよ。

 私はこの日、2件の用事があって銀行に来た。うち1件はATMで済むが、もう1件は窓口でないと済まない用件だったのである。まあ、着いたのが12時25分だから、待ち時間はそれほどなかったわけだけど。

 しかし、である。銀行は飲み屋や劇場ではない。つまり、飲み屋や劇場には感染防止のために行かなくとも別段死ぬことはないけれど、銀行に行くのは必要があってのことなのである。昼食時でないと銀行に行けない、という人だっているだろう。なるべく昼食時をお避け下さいという掲示を出すならともかく、昼時の営業を止めてしまうって、どういう発想なんだ!?   銀行は自分の社会的な責任を自覚していないんじゃないか!?

 だいたい、である。感染防止のために銀行に客が来る時間をばらけさせたいから昼時の営業を止めるというのなら、代わりに夕刻の営業時間を延長すべきではないか?

 なのに、単に昼時の1時間はそっくり休むというだけで、午後3時で窓口業務を打ち切るというところは従来通りなのである。要するにこれって、「新型コロナウイルスにかこつけて営業時間を事実上短縮します。銀行員も楽をしたいので」ということと同じじゃないですかね?

 そもそも、である。今どき、午後3時で窓口業務を打ち切る会社が、銀行以外にあるだろうか? お役所だって午後5時までやっているのである。

 昔なら、ATMなんてものはなかったから、通帳からの細かいお金の出し入れもすべて窓口でやらなければならず、1日の営業が終わってからお金の出し入れの総額をまとめるのにそれなりに時間がかかっただろう。だから、その頃なら午後3時で窓口を閉めるのもやむを得なかったと思う。

 しかし、今どきはATMが発達しているからカネの出し入れだけなら客はほぼ全員そこで済ませてしまう。それだけではない。通帳からのカネの出し入れに限らず業務全体がコンピュータ利用によって大幅に手間が省けるようになっているはずだし、お金の流通そのものも実際の紙幣や硬貨のやりとりではなくコンピュータによる数字の差し引きによって済ませるようになっている。1日の業務のまとめをするのに2時間もかかるとは思えない。

 そうでなくとも旧来の銀行は電子マネーの普及や他業界のこの分野への進出(イオン銀行やセブン銀行など)によってその存在理由が問われているのである。送金手数料が高すぎるというクレームが管理省庁からついたのも最近のことだった。私が頭取なら、客へのサービスを拡充するために窓口営業はさっさと午後4時までに延長しますけどね。しかるに、新潟県の地銀はその逆をやっているのである。

 こういう殿様商売やっていて、銀行に未来はあるんだろうか?

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今年映画館で見た57本目の映画
鑑賞日 7月11日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 アメリカ映画、ウディ・アレン監督作品、92分、原題は"A RAINY DAY IN NEW YORK"。

 NYの裕福な家庭に育ち名門大学に通うギャツビー(ティモシー・シャラメ)は、週末を地方都市出身で同じ大学に通っているガールフレンドのアシュレー(エル・ファニング)と一緒に過ごすつもりでいた。アシュレーは学生新聞部に所属しており、当日の日中は著名な映画監督にインタビューをする予定が入っていた。なのでデートは夕刻からのはずだったが、映画監督にインタビューしたアシュレーには次々と予期せぬ出来事が……。一方、ギャツビーも以前付き合っていたガールフレンドの妹チャン(セレーナ・ゴメス)と偶然出会って……。果たしてギャツビーとアシュレーは予定通りデートできるのか?

 メトロポリタン美術館など、NYの名所が色々出てくるのと、人間関係が思わぬことで予定外の方向性に展開していく様子、そして都会人同士の会話などが見どころ。

 ウディ・アレンが好きな人にはいい映画だと思う。私はアレンはそれほど好きではないが、まあまあ楽しめた。

 新潟市では全国と同じく7月3日の封切で、ユナイテッドにて単独上映中。県内では他にTジョイ長岡でも上映している。私は2週目の土曜日午後の回に行ったのだが、12,3人の入りだった。

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評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は1959年生まれ、早大文卒、編集者を経て作家。このブログでもその著書『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』を紹介したことがある。

 本書は男女の違いを、現在分かっている範囲内で説明した書物である。
 最近は男女平等がやかましく言われ、「男と女には先天的な違いがある」などというと「差別主義者」のレッテルを貼られかねないが、これは社会学の「男女の違いは後天的にすり込まれた偏見」という、それこそ偏見が大手を振るっているところから生じた、或る意味、奇妙な現象である。男女の違いは、例えば平均寿命や運動能力(スポーツ大会は男女別に行われているのに、なぜか社会学者は「差別」と言わない)を見ても一目瞭然なのである。

 たしかに「男や女は、個人により違う」のだが、男女それぞれの平均を取ってみれば、男女が先天的に異なっていることは厳然たる事実なのだ。本書は、学術的なデータに基づいて、現時点で判明している男女の相違を明らかにしようとしている。

 最初に掲げられているのは、男女それぞれが好ましいと思う異性の年齢に関する研究である。女の場合、基本的に自分と同年齢くらいの男を好む。二十代前半では数歳上、四十を超えると数歳年下の男性を好ましいと思うという、若干の揺れはあるけれど、自分と大きな年齢差がある男性は好まない、というのが平均的な女性の嗜好なのだ。

 これに対して男性はどうかというと、自分の年齢に関係なく、とにかく若い女性を好む。自分が二十歳だろうが五十歳だろうが、相手の女性は二十代前半が好ましいと考えるのだ。まあ、男である私としては「当たり前じゃん、そんなこと」と感じますけど、女からすれば「男って、どうしようもないわね」かも知れませんね(笑)。

 これと対応する研究が後のほうに挙げられている。
 つまり、男は若い美女のヌードや水着姿が載っている雑誌や写真集を好む。では女は若い美男のヌードや水着姿の写真集を好むのかというと、そんなことは全然ないのである。
 では、男にとっての水着写真集は、女にとっては何なのか? 答は、ハーレクインロマンスなどのロマンス小説である。ロマンス小説の研究というものがあって、そこに登場する男性のタイプや筋書のパターンを明らかにしているのだが、要するロマンス小説とは女の異性に対する好みの型、及び複数の男性に愛されるが最後には最も魅力的な男性と結ばれるという望ましい人生行路の型に沿って作られているわけで、女にとってのポルノに他ならないのである。

 英国の女性作家オースティンの『高慢と偏見』は純文学ということになっているけれど、私に言わせれば要するにハーレクインロマンスに過ぎないから、この指摘、本当にそうだなと思いながら私は読みました。

 また、大学生を対象とした以下のような研究もあるそうだ(アメリカでのデータだけど、アメリカの大学って面白い研究をしているんですね)。キャンパス内で見知らぬ異性から声をかけられて、(1)「今晩デートしませんか?」、(2)「今晩、私の部屋に来ませんか?」。(3)「今晩、私とベッドで過ごしませんか?」と誘いをかけられた場合、男と女がそれぞれ「イエス」と答える確率である。

 (1)については、意外なことに、男はちょうど半数が「イエス」なのに対して、女は男を若干上回る半数強が「イエス」だったという。女性は男性からのデートの誘いを待っている、と結論づけてもいいだろう。しかし、(2)になると女の「イエス」は1割以下だったのに対し、男は3分の2強が「イエス」、(3)に対しては女の「イエス」はゼロだったのに対し、男は4分の3が「イエス」だったのである。男としては、まあそうだろうなと思いますけどね(笑)、

 社会学が男女に限らず万事に「後天的な社会による刷り込み」で説明しようとするのに対し、本書は基本的にそれとは逆の「先天的に決まっている」という見方をとる。まあ、本書に限らず、『言ってはいけない』などでも著者は同じような姿勢をとっているし、私も社会学者よりは著者のほうに理があると考えますけど。

 それでいくと、例えば欧米先進国の白人女性は解放的な環境で育っているのに対して、東洋の女性は欧米白人に比べると伝統や道徳を重視する環境で育っているので、したがって白人女性と東洋人女性では性的な感覚などが異なっているか、というと、本書の掲げる研究によれば、差はないというのが答である。つまり、育った環境よりも、女性に生まれついたという先天的な要素のほうが大きな影響力を持っているのだ。

 色々なことが書かれているけど、まあ残りは自分で読んでみて下さい。
 でも男にとってショッキングなデータも含まれているから、そのつもりで。つまり、女は「生む性」だから、基本的に自分の子は自分が生んだのだと知っている(病院で取り違えられない限り)のに対して、男はそうではないということ。だから、男の場合はそうと知らずに他人の子を育てている可能性があるわけだけど、実際にその割合がどのくらいになるかというと・・・

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 チャイコフスキーのオペラというとまず『エフゲニー・オネーギン』、そして『スペードの女王』だが、それに続く第三のオペラというと、この『マゼッパ』と『イオランタ』だろう。

 ディスク自体はもう何年も前に購入していたのだが、聴かないままになっていた。最近、ようやく聴いてみようという気になった。

 このオペラはプーシュキンの物語が原作。多少史実を反映しているとはいえ、基本的には創作である。場所は18世紀初めのウクライナ。

 コサック軍の司令官でウクライナの代官であるマゼッパは、マリアという若い娘と相思相愛の仲。彼は、友人でありマリアの父である大地主コチュベイに結婚を認めてくれるよう頼むが、コチュベイはマゼッパがすでに高齢であるのに加え、マリアの代父であり、いわばマリアの父親も同然であることから申し出を断る。しかしマゼッパはあくまで自分の意志を貫き通そうとして、マリアに、父母を選ぶか自分マゼッパを選ぶかを迫る。マリアはマゼッパを選ぶ。
 残された父母は悲しみ、父コチュベイはマゼッパを陥れようと考え、マリアに恋していた青年アンドレイを使者としてピョートル大帝のもとに送り、マゼッパが大帝を裏切ってウクライナ独立をたくらんでいること(このこと自体は事実)を告げさせる。
 しかし大帝はマゼッパに味方し、コチュベイは捕えられて拷問にかけられ、やがて処刑される運命。マリアの母リュボフはひそかにマゼッパの邸宅を訪れて、娘に事情を話し、マゼッパに懇願して父の命を救うよう要求する。
 だがリュボフとマリアは間に合わなかった。コチュベイは処刑されてしまう。
 マゼッパはウクライナ独立を試みるが、ピョートル大帝に敗戦を喫する。途中出会ったアンドレイはマゼッパを殺そうとするが、逆にマゼッパに撃たれて瀕死の重傷を負う。
 マゼッパはマリアに再会して連れて行こうとするが、マリアは父が処刑されたショックで気が狂っていた。部下に忠言されたマゼッパはやむを得ずマリアを残していく。マリアは瀕死のアンドレイと出会い、やがてこと切れた彼のために子守歌を歌う。

 何とも救いようのない筋書だけど、いかにもロシア情緒あふれる序曲、それに続く(花摘む乙女らの)などの合唱、第2幕でのマゼッパとマリアの長い二重唱、第3幕のアンドレイのアリアなど、音楽はよくできている。オケの迫力や合唱での盛り上げなども効果的。残念ながら今のところ実演に接する機会がないが、日本のどこかでやってくれないかなと思う。

 歌手もオケもそれなりのレベルの演奏。録音も悪くない。

 マゼッパ: Sergei Leiferkus
 コチュベイ: Anatoly Kotscherga
 リュボフ: Larissa Dyadkova
 マリア: Galina Gorchakova
 アンドレイ: Sergei Larin
 指揮: ネーメ・ヤルヴィ
 イェテボリ交響楽団

 録音: 1993年8月、イェテボリ、コンセルトフセト (支援:VOLVO)
 Deutsche Grammophon 00289 477 5637 (3枚組) EU盤
 英独仏によるトラックごとの筋書付き。3幕で合計2時間50分弱。

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今年映画館で見た56本目の映画
鑑賞日 7月7日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 前田悠希監督作品、63分。NHK京都で製作されNHKBSで2018年7月に放送されたテレビドラマにオリジナル・カットを加えた劇場版。私はテレビドラマ版は見ていないので今回初めて鑑賞。

 京都の一角にある近衛寮。歴史ある京宮大学の学生自治寮だが、建物が老朽化したため、大学側は建て替えを提案。学生側は補修で行けるという立場。学生部長がいったん学生側の要求を呑んだかに見えたが、大学側は学生部長を更迭して強硬姿勢に転じ、両者の対立はデッドロックへ・・・

 最初のあたりは何だかトロい展開だなと思ったけれど、段々面白みが増してくる。大学紛争華やかなりし(?)1970年代初頭に大学生だった私から見ると学生側の態度はずいぶん大人しく感じられるけれど、今どきではこういうふうに大学当局と真っ向から対決する学生自体、希少価値があるのだろう。

 ドラマの中では「京宮大学」となっているけど、医学部もあれば工学部もあり、また印度学(だから文学部ですよね)もあるという、京都の国立大学(交付金が削減されて当局も予算難、という話が出てくるから)といったら、京大しかないわけで、まあ京大なら今どきでもこういう紛争が起こるかも知れないなと思わせるところがミソか。

 私から大人の入れ知恵をすると、学生部長なんかにはそもそも権力はないわけで、単に学生交渉の窓口に過ぎず、私立大なら理事会が権力の本営だけど、京宮大学みたいな国立大学を牛耳っているのは文科省だから、代議士などを通じて本丸(?)に働きかけないと功を奏さないと思うな。国立大学の施設が老朽化した場合、単なる建て替えは認めず、新しい趣向を加えた形で構想しないと建て替えの予算を付けないというのが、最近の文科省の方針だからね(これ、本当の話です)。

 全国では今年5月22日の封切だったが、新潟市では6週間の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定公開された。

・感染者

 新潟県ではしばらく感染者が出ていなかったが、7月4日に新潟市で一人、11日に糸魚川市で一人発見された。前者は東京出張のためと判明しているが、後者は今のところ経路不明のようである。糸魚川市で感染者が出たのは初めて。

・卓球

 私が所属している社会人卓球クラブは3月以降、練習場である某市立小学校体育館の社会人解放が中止されたため、ずっと活動を休止していた。しかし7月1日から体育館の使用が許可されたので、4ヵ月ぶりに練習を再開した。

 しかし、いくつかの制約が課されている。

 まず、練習参加者は表に氏名を記載すること。
 練習では、ダブルスは禁止。ダブルスだと競技者二人の体が密接するという理由からである。
 これまではボールをいくつも使用して練習していたが、一台につき一個だけと制限された。汗がつくと飛沫拡大につながるから、という理由で。
 練習終了後は、卓球台とボールをアルコールで拭かなくてはならない。同じく、練習終了後は体育館の床にモップ掛けをするのだが、済んだらモップの柄の部分をアルコールで拭かなくてはならない。

 というわけで、練習終了後の手間が増えたので、練習自体もやや早めに切り上げるようになった。

・市の体育施設

 新潟市の市立体育施設は6月1日から使用が再開された。

 6月中は比較的天候が良好だったのでウォーキングはずっと外でやっていたのだが、7月に入ってから雨の日が多くなり、市の体育館を利用する機会が増えた。

 しかしここでも、まず入口で体温を測定されるし、その後は用紙に氏名や住所、その他(最近県外に出たか、家族に感染者はいないかなど)の記載を求められる。

 それが済むとようやくふつうに使用ができるのだが、私がウォーキングに使用するランニングコースはいちどきに15人までと制限がついている。

 昼間はどうか分からないが、私の行く夜6時30分~8時くらいの時間帯だとせいぜい7~8人程度なので、制限が実行されたことはない。市立の体育施設を使うのも3ヵ月半ないし4ヵ月ぶりだが、ランニングコースを走って(或いは歩いて)いる顔ぶれは似たようなものである。

 フロアでは卓球とバドミントンができるが、卓球台の並べ方は従来より間隔を空けている。だから台数は減っているわけだが、練習者も減っているようなので、とりたてて支障は出ていないようである。バドミントンをやっている人の数はさほど減っていない。

 以上は大フロアの話で、中フロアでは小中学生向けの卓球クラブがいつも通りに練習をしている。

 着替え室に入ると、高校生が何人もいて、しかも大声でしゃべっている。あちらは若いから感染してもどうってこともないだろうが、こちらは60代後半という年齢なので、なるべく距離を置いて着換えを済ませ、さっさと退出するようにしている。

・左膝を痛めた話

 というわけで、制約はあるものの普段通りの日常に近い暮らしになりつつあるのだが、市の体育施設が使えないでいる間に、私は左膝を痛めてしまった。

 特段変わったことがあったわけではない。なのに6月に入ったあたりで左の膝に痛みが走るようになった。激痛というほどではないのだが、歩くと少し痛む。階段の上り下りだともっと痛む。

 なぜかと考えてみたのだが、新型コロナウイルス感染が拡大した3月以降、市の体育施設が使えなくなり、また卓球の練習も出来なくなったので、運動の手段はウォーキングしかなくなり、そのせいもあって距離を少しだけだけど長めにしていたので、そのせいではないか。また体育館が使えないから街路を歩くしかない、という制約のせいでもあろう。

 幸いにして3月から6月にかけての新潟市は珍しく天候が良好だった。昼間は雨でも夕刻には止む場合がほとんどだった。なので、体育館が使えなくともほぼ毎日せっせとウォーキングに励んでいたわけなのだが、同じ歩くにしても、街路を歩くのと体育館のランニングコースを歩くのとでは条件が異なる。

 街路ではアスファルト舗装の上を歩くのに対して、体育施設のランニングコースは床に薄いゴムが貼ってある。つまり、それだけ足への負担が少ない。

 おまけに、私は体育館で歩くときは、むろんというべきか、スポーツシューズを履いているのだが、街路を歩くとき、従来は普通の靴で歩いていた。これは靴底がスポーツシューズに比べて硬くできている。なので、その分、膝に負担がかかったのであろう。おまけに、卓球ができないのをカヴァーしようとして歩く時間も長めにしていたから、なおさらである。(言うまでもなく、年齢という要素もあろう。若い頃だったら街路を二、三時間歩いても何ともなかっただろうから。)

 というわけで6月初めに左膝に痛みを覚えるようになったので、市販の膏薬を貼り、ウォーキングの時間を短縮するとともに、ウォーキング専用シューズを購入した。新聞の日曜欄に紹介があったこともある。もっとも、新聞で紹介されていたのは一足1万5千円もするような高級品ばかりだったけど、私が近所の靴屋で買ったのは税込4千円弱の品である。靴底が厚くて柔らかい。

 それ以来、ウォーキングの時だけでなく、映画館に出かけたりするときもウォーキングシューズを履いている。そのせいかどうか、6月末に左膝の痛みは消えた。

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評価 ★★★☆

 出て間もない新書。著者は1975年生まれ、北大文学部卒、同大学院博士課程退学、博士(文学)、中世フランス史専攻、秋田大准教授。

 タイトルどおり、百年戦争について書かれた書物である。

 百年戦争は1337年に始まっている。イングランド(今の英国ではなく、アイルランドを除いた島のうち北部のスコットランドと西部のウェールズ以外の地域のこと)の王エドワード三世はフランス南西部の一角(ワインの輸出港として有名なボルドーの周辺)を領地として所有していた。ただし、そこにあってはフランス王フィリップ六世の家臣であった。つまり、エドワード三世はイングランドでは独立国家の王だが、フランスの領地にあってはフランス王の家臣だったのである。戦争は、フランス王がエドワードの領地(フランスの)を没収すると宣告し、エドワードがフィリップのフランス王位継承に異議を唱え、自分に王位継承権があると主張することにより勃発した。
 戦争が終わったのは1453年とされる。イングランドはフランス最北部のカレーを除いてフランスの領土を失った。

 大きな流れとしては、最初はイングランド優勢のうちに戦争が進行し、一時期はパリをも占領していたが、ジャンヌ・ダルクが登場した1430年頃を境にフランス優位に転じ、最終的にはイングランドがカレー以外のフランス領土を失うことで決着したということになる。

 戦争初期には、イングランドは13万平方キロの面積に500万人弱の人口を抱えていたが、フランスは42万平方キロの領土に1700万人が暮らしていた。国力からして大きな差があったわけだが、途中まで軍事的にはイングランド優位で戦いが進行したのは、戦術面での差かららしい。フランス側が古い弩(いしゆみ)を使っており、これはいったん矢を射れば威力はあるものの速射性に欠けているのに対し、イングランドは速射性に優る長弓の部隊を左右両側に配し、これによりフランス側を圧倒したということのようだ。
  戦争も終わり近くに至ると、フランスは常備軍を充実させ、近代的な大砲を使うなどして逆にイングランド側を追いつめていく。

 また、途中までイングランド側が優位に立ったのは、フランス内でブルゴーニュやアキテーヌなどの封建領主がイングランド側に味方したことも大きい。要するに、封建制下にあった当時のフランスは、国家としてまとまっていなかったのである。

 戦争が進む中で、フランス語に対する意識が高まり、フランス語を使う国民は一帯だという意識も芽生えてくる。つまり、百年戦争が近代的な国民国家意識の基礎を作ったわけである。イングランド側でも英語の使用が重視されるようになる。

 また、戦争には多大のカネが必要だが、戦争を遂行するために課税が強化され、当初は臨時税であったものが、恒久化されるなどし、これが国王の財源を安定化させることにつながった。課税は、身分制議会(三部会)で協議されたから、議会がひんぱんに開かれることでその方面の制度も恒久化することになる。

 百年戦争といっても途中休戦の時期も多く、また当時戦争の主体だった傭兵は戦争が休止状態になると収入が途絶えるので、地域社会の中での乱暴狼藉が問題になったり、またお隣りのスペインの国内騒乱に出かけていくなど、国際関係上も色々と影響があったようだ。

 国際関係と言えば、神聖ローマ帝国皇帝との関係や、ローマ・カトリックとの関係(百年戦争の時期に教皇が二人並立するといういわゆるシスマが生じている)もそれなりに重要だった。

 途中何度か和平条約が結ばれているけれど、だいたい守られていない。中世期のヨーロッパ人には、契約遵守なんて観念はほとんどなかったのだ。

 ・・・というように、読んでいるとそれなりに興味をそそられるところもあるけれど、何しろ関係者も多い戦争なので同じ名の王だとか領主だとかが沢山出てきて紛らわしいし、長期間に及び色々な要素が絡んでいる戦いだから途中で脈絡がよく分からなくなるなど、率直に言って期待したほど面白くなくて、読んでいてちょっとうんざりしてしまった。

 著者の記述はおおむね悪くないとは思うけれど、また章ごとに重要人物をあらかじめまとめて提示したりするなどの工夫も凝らされているけれど、例えばジャンヌ・ダルクについては有名だからと記述がきわめて簡略だったり、また(どこまで史実に忠実なのか分からない)映画をもとに説明をしたりするのは、いかがなものかと首をかしげた。

 また、結びのところで戦争を改めて概観しているが、ここではテーマ別に(例えば国民意識とか徴税とか言語の問題とか)もっとすっきりした形でまとめられなかったものか。

 私的な話になるが、遠い昔、私が大学生だった頃、百年戦争を扱った西洋史の講義を聴いた。当時東北大学文学部西洋史学科の助教授だった佐藤伊久男先生の授業で、学生時代に聴いた中でも最も面白い講義として印象に残っている。今では細かいところは忘れてしまったけれど、百年戦争が対等な独立国家同士の戦争なのではなく、イングランド王はフランスの領土ではフランス王の家臣であるという奇妙な(と私は思った)関係下での戦争であること、この戦争にはフランスの封建領主たちがフランス国王に対して起こした叛乱という側面があること、イングランドは最終的にフランスから追い出されることでイングランド内の政治的運営に専念せざるを得なくなるということなど、重要で基本的な指摘は今でも記憶に残っている。本書を読んで、45年前に佐藤伊久男先生から教わったことが現在でも定説として通用していることを知った。

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DVD鑑賞
評価 ★★★☆

 アメリカ映画、ロブ・ライナー監督作品、97分、2016年、原題は"LBJ"。

 ケネディ大統領の下で副大統領を務め、ケネディ暗殺後は大統領に昇格したリンドン・B・ジョンソン(ウディ・ハレルソン)を描いた映画。

 ジョンソンというと、若くてハンサムなケネディ大統領と比べて、あんまり見栄えも良くないし年長だし(ケネディより9歳年上)、一般的なイメージは芳しくない。

 しかしこの映画を見ると、人気が先走っていたケネディに比べて、民主党の院内総務を務めるなど実力派だったジョンソンの政治家としての特質がよく分かる。

 アイルランド系でカトリックという点では異質ながら、北部の裕福な家庭に育ちハーヴァード大を卒業した典型的なエリートであるケネディに対して、ジョンソンは南部のテキサス州出身であり、地元の教員養成大学を出て最初は教員をしていた。

 民主党内でも南部出身議員は保守的で、進歩派のケネディに対しては反発を感じていたことがこの映画を見ると理解できる。

 そもそも民主党は南部を基盤とした政党であり、南北戦争時代は黒人奴隷制を肯定する南軍を支持していた。リンカーンが共和党の大統領だったことを忘れてはならない。当時の共和党は北部を基盤にした連邦主義の政党だった。共和党・民主党の性格は、南北戦争時と現代とでは大きく異なっていたのである。

 この映画の舞台となった1960年代になっても、南部の民主党議員はまだ南北戦争時代のメンタリティをかなり維持していたわけだ。

 ケネディがジョンソンを敢えて副大統領に選んだのは、自分に反発している党内南部選出議員との橋渡しをさせようとの思惑からだった。

 民主党内での大統領候補選挙でケネディに敗れ、また必ずしも政治的信条を同じくしないジョンソンは、しかしいったん副大統領になるとケネディの期待に応えて党内をまとめる仕事に奔走する。共和党議員との意思疎通や、民間大企業に黒人雇用を義務づけるために経営者と話し合いを行うなど、実務派としての力を発揮していく。

 そしてケネディ大統領暗殺(このときジョンソンはケネディに同行しており、ケネディの三台あとの車に乗っていた)の直後に大統領となり、ケネディが念願としていた公民権法を成立させるのである。

 とかくケネディの陰になりがちだったジョンソンだが、本作品はテキサスの裕福ならざる家庭に育った無骨さなどを含めて、ジョンソンの政治家としての実力をしっかりと描き出している。ケネディ政権で大統領の一方の側近だった弟ロバート・ケネディがジョンソンを嫌っていたことも分かる。大統領である兄より、弟のほうが理念優先だったようだ。

 東京では2018年10月6日の封切だったが、新潟市では劇場未公開。だから新潟市の映画館はダメなんだよ、と当時の私は思いました(今も思っているけど)。

 北大の学長がパワハラなどを理由に文科省から解任されたというので話題になっている。

 これについて産経新聞は昨日以下のような「主張」(他紙の社説にあたる)を掲載した。
 日本の保守系マスコミはだいたい大学問題が分かっていないが、この「主張」もその典型である。

 といって、私は別段北大の内部事情に詳しいわけではないし、そもそもこの件について公表されている情報もごく限られているので、外部の人間には判断が難しい。
 以下、「憶測」とお断りして、現段階での私の見方を示しておきたい。

 まず、産経新聞の「主張」。

                         
                        
 https://www.sankei.com/life/news/200708/lif2007080005-n1.html
 【主張】北大学長の解任 象牙の塔の意識を変えよ
 2020.7.8 05:00
 (以下は一部を省略しての引用です。全文は上記URLからお読み下さい。)

 大学改革で学長の役割が重みを増すなか、残念な不祥事である。北海道大学の名和豊春学長が解任された。職員を過度に叱責するなど不適切な行為が理由とされる。

    (中略)
    
 国立大学長の解任は法律に基づき大学の学長選考会議の申し出を受け、文部科学相が判断する仕組みだ。今回、北大の選考会議が学長に関して指摘した30事案について文科省が文書や録音データなどを調査、28件を事実と認めた。

 職員への威圧的な言動や過度の叱責のほか、学外要人との面談を合理的理由なくキャンセルするなど大学の信用を失墜させる行為があったという。萩生田光一文科相は会見で「手続きにのっとり慎重に判断した」と述べた。

 名和氏は「パワーハラスメントをしていないという訴えが認められず残念」などと不適切な行為を否定し、処分取り消しの訴訟を検討するという。

 文科省は不適切とした行為についてプライバシーなどを理由に詳細を明らかにしていない。何があったのか、分かりやすく透明性のある説明が必要だ。

 名和氏は問題発覚後、体調不良を理由に休職し、学長不在が1年半にわたっている。

 (中略)

 学長がリーダーシップを発揮して大学改革を進められるよう、学長の権限強化が図られている。国立大では、学長選考も教授らの投票でなく、学外識者を入れた選考会議が適切な人材を選ぶ制度になっている。その制度が機能しているかどうかの検証も必要だ。

 パワハラ行為については、双方で言い分が食い違うことが少なくない。だが、職員らとの関係がこじれては職務を全うできまい。

 他大学も人ごとではない。教員同士や学生へのパワハラ問題も後を絶たない。独善的、閉鎖的といわれて久しい「象牙の塔」の意識を改めるときである。

                                   

 まず、最も基本的な問題を指摘しておきたい。

 学長の行為に問題ありとして処分を行うためには、基本的な事実を確認する必要がある。そして事実を確認するためには一定の手続きをとらなくてはならないが、その手続き自体がとられていないらしいということである。

 つまり、事実を認定するためには加害者・被害者双方の言い分を聞いた上で、然るべき機関が判断を下すのが常識であろうに、そういう手順を北大がそもそも踏んでいない、ということである。同様に、文科省もその手の手続きをとっていない。

 この点については毎日新聞が以下のように報じている。

 https://mainichi.jp/articles/20200702/k00/00m/040/010000c
 学長解任「いったい何が」 不適切行為28件 「プライバシー」北大説明避け
 毎日新聞2020年7月2日 08時21分(最終更新 7月2日 08時21分)
  (以下は一部分のみの引用です。全文は上記URLからお読み下さい。)

 (前略)

 名和豊春氏は北海道大学長を解任された30日、毎日新聞の取材に「明らかに不当な処分。今後訴訟を起こすことも検討している」と話し、法廷闘争も辞さない構えを見せた。

 名和氏は、大学側が事実認定した不適切行為について「やり取りの経緯や背景が欠落し、明らかに事実と異なる点が多く含まれている」と強調。大学側の調査手法に疑問を呈した。

 名和氏によると、大学側が設置した調査委員会(弁護士で構成)は名和氏にヒアリングをしていない。また、事実関係を裏付ける証拠も示されなかったという。

 大学側は1日の記者会見で「事実を認定するに十分な資料があった」と主張する一方、被害を受けたとされる教職員らにヒアリングをしていないと認めた。だが大学側は「録音記録がある」として、名和氏が訴訟を起こしたとしても対応できるとの姿勢を示した。

 名和氏は、28件の不適切行為を認定した文部科学省の調査も問題視。「文科省の関係者7~8人が28件の事実関係を読み上げる程度だった」として、質疑や詳細なやり取りがなかった不可解さに言及した。

 文科省によると、同省も被害を受けたとされる職員にヒアリングを実施していない。

 (以下、略)

                               

 つまり、大学も文科省も基本的なことが分かっていないと言うしかないのである。日本人って、いまだに近代以前なんじゃないか。

 というわけで、事実認定そのものからして怪しげなわけだが、ここでは学長解任を敢行した北大や文科省の言い分が基本的な線では妥当だった、と仮定して話を進めよう。

 その場合、なぜそういう人物が学長に選ばれてしまったのかが問題になる。

 産経新聞の「主張」は、学長選挙のシステムが国立大学独法化以降、教授たちの投票ではなく、外部の識者を入れて適切な人材を選ぶようになったはずなのに、その制度が機能しているかどうかの検証が必要だと述べている。

 産経新聞がどこまで学長選考のシステムを理解して上記の指摘を行ったのか不明だが、現在の北大の学長選考のシステムは、国立大学独法化以降としては一般の教授などの意向が最大限尊重されるようになっているらしい。

 この点については毎日新聞の別の記事が的確に要約を行っている。

 https://mainichi.jp/articles/20200329/ddl/k01/100/052000c
 北大、事実上の学長不在続く パワハラ疑惑、広がる混乱 文科省調査、自治危ぶむ声も /北海道
 毎日新聞2020年3月29日 地方版
  (以下は一部分のみの引用です。全文は上記URLからお読み下さい。)

 (前略)

 北大では従来、教員20人以上の推薦を受けた候補の中から、選考会議が業績や人格などを考慮して学長を決定。いわばボトムアップ型で決められ、名和氏もこうした過程を経てトップに就任した。

 しかし選考会議は、選考会議委員の半数を占め、理事や研究院長、北大病院長らで構成する「教育研究評議会」も候補者を推薦できるようにする方針を打ち出した。

 かつて北大学長を務めた丹保憲仁氏は「学内で権力を持つ評議会が推薦する候補者が実質的に優位だ」と批判。再考を求め評議会委員に手紙を出した。教職員からも大学の自治を危ぶむ意見が相次ぐ。

 (以下、略)

                            

 要するに独法化以降の流れの中で、大学自治の観点を最大限に活かした形で名和学長は選ばれたわけだ。

 その学長が不祥事を起こしたのだから、学長選考のシステムを変えようとする北大上層部の動きは、一見すると妥当なように見える。

 しかし、産経新聞の主張するように外部の識者を入れれば妥当な人物が学長に選ばれるのだろうか。そもそも、「外部の識者」にどうして(基本的には)大学内で活動してきた学長候補者の人格や有能性が分かるのだろうか。分かるはずがないのである。

 今回の事件は、国立大学独法化によって生じた大学貧困化を見ないとその原因は分からないというのが私の見解である。

 しばしば指摘されているように、独法化以降、運営交付金が削減されることで日本の国立大学の運営は苦しくなる一方である。「旧帝大」であり、本来なら日本を担う基幹大学の一つであるはずの北大もその例外ではない。

 そもそも、学長といっても国立大学においてはその権限は限られている。国立大学は文部科学省の奴隷であり、人事(誰を学長に選ぶか、どの准教授を教授に昇任させるか、新任教員に誰を採用するかなど)を除けば基本的な物事を決めているのは文科省なのである。こうしたなか、昔の国立大学では学長には調整型の人物が選ばれていた。つまり、下手に「リーダーシップ」を発揮するのではなく、各学部・各部局の意向を尊重して内部調整を行うような人物である。学長だけではない。学部長の選考も同様の基準により行われていた。

 だいたい、大学は民間企業とは違うものである。同じ大学内部でも医学部と工学部と法学部と文学部のやっていることはバラバラであり、また同じ学部内でも教授や准教授それぞれが研究していることはバラバラであり、それを無理に一つの原理で統合しようとすれば弊害のほうが大きくなることは誰にでも分かることである。国立大学の収入が、潤沢とは言えなくても少なくとも今のように必要最低限の設備すら整えられない「貧困化」に見舞われないうちは、それでよかった。

 しかし独法化により国立大学の貧困化は進む一方である。私は2年前に新潟大学の専任教員を定年退職したわけだが、最後のあたりになると学会出張はすべて私費で行き(それ以前も出張費の年額は限られていたから学会はすべて公費とはいかなかったけど)、研究室で使うパソコンプリンターも私費で買っていた。つまり、最低限のことすら保障されなくなっていたのである。

 こういう状況となると、学長にも「実力」のある人物が求められる。この場合の「実力」とは、外部からカネを集めてくることができる、という意味だ。

 北大職組は、学長解任問題に関するサイト(以下)を開設している。

 https://hokudai-shokuso.sakura.ne.jp/htm/socho-kainin.html

  ここを見ると分かるが、北大工学部資源系では、学長解任を不当として署名を集めているらしい。つまり、名和学長は本来工学部の教授であり、自分の学科内にいる限りはそれなりに信望を集める存在だったのではないか。カネを集めてこれる、という能力を含めてである(学長解任の理由の一つとして特定業者との癒着が挙げられていた。類似の問題は京大の霊長類研究所でも過日起こって報道された)。だから、一学部の一学科という狭い場所を取り仕切るボスとしては悪くない人物だったのだろう。 

 しかし、大きな所帯である北大全体を率いるとなると、一学部の一学科を率いるのとは異なる能力が要求される。また、国立大学の事務局(各学部の事務ではなく、大学全体の運営に関わる事務部)には文科省系の人材がそれなりに含まれている。彼らは、人にもよるが、自分のボスは文科省の上層部だと思っているから、学長の言うことなどロクに聞かないのである。上で引いた北大職組のサイトには、「全95ページ陳述書から浮き出ている!北大総長解任騒動、深層に事務局の恨み(財界さっぽろ5月号)」なんて記事も(サイトではタイトルだけしか読めないけれど)リンクされている。

 つまり、昔なら調整型の人物を学長に選ぶというコンセンサスが学内にあったのに、国立大学独法化・貧困化によって「稼げる学長」を選ばなければという意識が良くも悪くも高まったからこそ、こういう(権力指向型のアクの強い)人物が学長に選ばれたのではないかというのが、私の現時点での見方なのである。産経新聞の「主張」とは逆に、「リーダーシップ」を基準に選んだからこそ、こういう事件が起こってしまったのである。

 以上の私の見方は、情報が限られているので、臆断かも知れないと再度お断りしておく。

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今年映画館で見た55本目の映画
鑑賞日 7月4日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 英国映画、グリンダ・チャーダ監督作品、117分、原題は"BLINDED BY THE LIGHT"。

 舞台は1987年の英国、地方都市。
 主人公のジャベト(ヴィヴェイク・カルラ)は16歳でパキスタン系の移民。父母および姉と妹とともに暮らしている。
 父は自動車工場で働いており、一人息子のジャベトが高校で優秀な成績をとって実学系の大学に進学することを希望している。
 しかしジャベトはひそかに詩を書いており、学校で先生から褒められたこともあって、作家かジャーナリスト、つまり文章を書くことを仕事にしたいと考えている。

 折りも折り、英国は不況期に入り、父は工場をクビになってしまう。
 パキスタン系の移民は「パキ」と呼ばれて差別もされている。

 そんな中、ジャベトはシク教徒である移民の同級生から米国のミュージシャン・スプリングスティーンを教えられる。Sonyのウォークマンでスプリングスティーンの音楽を聴きながら、その歌詞に鼓舞されて、ジャベトは自分の希望に忠実に生きようと決意するが……

 1987年の英国地方都市の風俗と、スプリングスティーンの音楽、そしてパキスタン系移民である少年が生き方を模索する様子が、オーソドックスな映画技法で描き出されている。

 スプリングスティーンの音楽が好きな人には(私は残念ながらこの映画を見るまで名前も知りませんでした、すみません)いい映画だが、そうでなくとも、サッチャー政権下の英国でパキスタン系移民が出会う差別や、極右政党のナショナル・フロントがデモをする様子など、英国の当時の(今にも続く)状況がしっかりと描き出されているので、それなりに興味深い作品になっている。

 実際に英国で活動しているパキスタン系移民ジャーナリストの少年時代を下敷きにした映画だそうである。グリンダ・チャーダ監督はアフリカ生まれのインド系英国人女性で、『英国総督 最後の家』などの作品がある。
    
 新潟市では全国と同じく7月3日の封切で、ユナイテッドにて単独上映中。県内でも上映はここだけ。私が行った回(土曜日午後)は、10人程度の観客が入っていた。

 新型コロナウイルス感染下の新潟市の、7月上旬での状況を2回に分けてお伝えする。
 今回は音楽と映画について。

・音楽

 6月20日に久しぶりにりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)で音楽会が開かれて、石丸由佳さんのオルガンリサイタルを聴くことができたことは、すでにお伝えした。
     
 しかしこれをきっかけに音楽会が全面的に再開・・・というには程遠い状況である。

 7月に予定されていた音楽会でも中止や延期になっているものが多い。

 7月下旬に予定されていた東京交響楽団の新潟定期演奏会は、曲目を大幅に変更して行われるが、定期演奏会としてではなく、特別演奏会に変更され、定期会員は無料招待となった。

 これは、今年度の東京交響楽団新潟定期演奏会(全6回予定)が休止と決まったためである。

 すでに5月31日に予定されていた第119回定期は来年1月に延期されることが決まっていたが、予定されていた海外演奏家の来日が難しくなるなか、プログラムの大幅変更の可能性があること、また聴衆の座席も、当面は間隔を開けての配置が望ましいとされているため、定期会員の座席も変更を余儀なくされること、などからこの決定になったらしい。

 7月下旬に予定されていた東響新潟定期も、本来は音楽監督であるジョナサン・ノットが指揮を、ロータス・カルテットが東響と共に演奏を担当するはずが、来日ができなくなったため、曲目を大幅に変更せざるを得ず、また定期会員の座席も一部変更しなければならないという事情がある。

 加えて、東響新潟定期会員には本来は6回の定期演奏会以外に東響以外のオケによる特別演奏会が提供されているのだが、今年度はそれが困難になったため(今年度、当初は5月に中国の深セン交響楽団が来る予定だったが、これが新型コロナウイルスで来日中止になったので、代わりに11月にザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団演奏会が行われるはずが、これも来日困難ということで中止となった)、7月下旬の定期演奏会を特別演奏会に変更して定期会員に無料で提供されることになった。

 定期会員にはあらかじめ支払っていたお金が全額返還される。残りの定期演奏会は、特別演奏会と名を変えて、そのつどチケットが発売になる。内容も、今後の発表を待つしかない。

 東響新潟定期は新潟市のクラシック音楽演奏会の中心的な行事であるから、この変更は大きい。もっとも、東京交響楽団は本拠地の東京でも、また東京と並んでフランチャイズにしている川崎でも、苦労しながら音楽活動を再開したところである。先月下旬に久しぶりに開かれた東京と川崎での演奏会は、曲目は予定通りだったが、本来は指揮者もソリスト(ピアノ)も外国人のところを、日本人に変更して行われた。今後も、指揮者、ソリスト、曲目、そして定期会員の座席などについて、そのつど変更を加えながらの活動が続くのだろう。

 新潟市では、これ以外の大きな音楽会としては、明後日に予定されている松田華音のピアノ・リサイタル(ただし私は行かない予定)、8月下旬に予定されている藤田真央のピアノ・リサイタル(行くかどうか検討中)があり、これは行われるようである。

 しかし秋になってからの音楽会がどうなるか、まだはっきりとした予定が決まらず、音楽ファンとしてはじりじりしながら待つ状態が続いている。

 秋に予定されていた演奏会でも、上述のザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団や、9月に来るはずだったロイヤル・リヴァプール・フィルは来日中止が決まっている。

 したがって、秋の演奏会がある程度行われるにしても、日本人演奏家によるものがメインになるのではないか。

 それはそれで、日本人演奏家が力量を示す良い機会だから歓迎すべきだが、やるならちゃんとしたプログラムでやって欲しい。

 7月にもりゅーとぴあでは新潟の地元演奏家たちによる演奏会が行われているのだが、プログラムがどうも、なのである。食指が動くようなプログラムを用意することも、力量のうちである。そのことを忘れないで欲しいものだ。


・映画

 新潟市には4つのシネコンと1つのミニシアターがあるが、いずれも活動を再開している。ミニシアターのシネ・ウインドは5月の連休明けから、ユナイテッドとイオンの2館は5月中旬から、Tジョイは6月1日からである。

 ただし座席は一つおき、また館によっては入口で観客の体温を測定しているところもある。観客にはマスク着用が要請されてもいる。

 まあ、それはいいのだが、問題は上映作品である。

 上映を再開してからすでに一ヵ月以上たっているわけだが、上映作品が限られている。旧作上映が少なからぬ割合を占めているのである。しかも、どこでも同じような品揃えなのだ。『風の谷のナウシカ』などジブリの旧作アニメ4作が再上映されているが、市内のシネコンすべて(4館)でやっている。

 新作でも、予定より遅れたものの先月かかった洋画の『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』は、本来なら新潟市ではシネコンで2館上映程度だったはずだが、新作の配給が限られているためか、市内のシネコン4館すべてで上映されていた。
     
 洋画の『007』や『ブラック・ウィドウ』など集客力がありそうな作品が11月に封切延期になったのは、多分海外の配給会社の意向もあるのだろうから仕方がないが、問題は邦画である。『ドラえもん』など子供向けの作品が夏休み封切に延期されたのは分かるけど、大人向けの作品まで延期になっているのは、いかがなものか。例えば『コンフィデンスマンJP』だとか『糸』などの作品である。

 この辺、邦画配給会社のケチ臭さが際立っている。だいたい、何でも夏以降に延期していたら、逆に競合状態になって一作品あたりの集客力は落ちるだろう。

 ただし、その代わりにと言うべきか、本来なら新潟に来なかった可能性が高いマイナーな作品が上映される。邦画のマイナーにははっきり言ってあまり食指が動かないが、洋画では結構よさそうなものがある。具体的な作品名は挙げないけれど、ユナイテッドで7月から秋にかけて、期待できそうな洋画がいくつかかかる予定になっている。ユナイテッドに比べると数は少ないが、他のシネコンにも面白そうな洋画が若干来る予定。

 というわけで、とりあえずはインディーズ系洋画に期待しつつ映画ライフを続けるしかなさそうである。

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DVD鑑賞
評価 ★★★

 スウェーデン映画、イングマール・ベルイマン監督作品、96分、モノクロ、1951年、原題は"SOMMARLEK"(夏の出来事)。

 スウェーデンを代表する映画監督にして舞台演出家であるベルイマン(1918~2007)の初期の映画である。

 バレリーナであるマリー(マイ・ブリット・ニルソン)は若さを失いかけている。その彼女が、若さの絶頂にあった時代に大学生のボーイフレンドと一夏を海辺の小屋で過ごした体験を回想するという形で映画は進行する。

 若い男女の一夏の恋物語だからありきたりと言えばそれまでだが、本人同士にとってはかけがえのない体験が鮮烈な映像で映し出されている。

 ヒロインにはおじがいる。おじといっても血縁関係にはなく、むかしヒロインの母に恋をしていたという中年男性で、海辺に広壮な別荘を持っており、何かと親切にしてくれる。

 また、映画は枠形式で作られているから、枠の部分は現時点でのヒロインを映し出しているが、若くなくなりかけている彼女にも年下の新聞記者が言い寄ってきている。彼の求愛を受けるかどうか迷う中で、かつての体験が想起されるのである。

 バレエの練習や実演の模様なども興味深い。

 1950年代後半以降のベルイマンの映画はいくつか見ているが、50年代初頭の作品は初めてだった。悪くない出来だと思う。

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評価 ★★★☆

 25年前に出た本だが、当時すぐ購入したものの、ずっとツンドクになっていた。今回、思うところあって書棚から取り出して読んでみた。

 本書は編訳者の三島憲一氏が22人のドイツ人にインタビューした内容を書籍化したものである 
 まず、本書が出版された1994年の時代状況を押さえておく必要がある。

 ソ連がゴルバチョフ政権の下で大幅な規制緩和を進めるなか、特に1989年に入ってからは東欧社会主義圏でいわゆる東欧革命が進行し、民主化の波が押し寄せる。東ドイツでは1989年11月にベルリンの壁が崩壊。これをきっかけに翌1990年10月に東西ドイツの統一がなされ(ドイツでは1871年のビスマルク=プロイセンを中心としたドイツ帝国の成立をドイツ統一と呼んでいるので、1990年のそれは「ドイツ再統一」と言っている。以下、当ブログでも再統一と言う)、1991年12月にはソ連も解体してしまう。

 本書はこうした歴史的な事件から4~5年を経た時期に、旧西ドイツと旧東ドイツの知識人(作家、ジャーナリスト、学者、政治家、企業家)を対象に、戦後ドイツの重要な事件や現在の状況に関する見解を質したものである。インタビュー対象者22人には、旧東ドイツに(少なくとも一時的には)居住していた人物7人、同じドイツ語圏であるオーストリア人1人(ノーベル文学賞受賞者の女性作家エルフリーデ・イェリネク)が含まれている。

 まず、ドイツ再統一という大事件についての感想だが、大部分の人物が問題点の指摘により否定的な感想を述べている。旧東ドイツの人間がそう述べているのは、再統一から時間が経つにつれて東ドイツ居住者にとってのマイナス面が露呈してきていたからだが、西ドイツ側でもそうした見解が目立つのは、1994年の時代状況によるところもあるとはいえ、いわゆる知識人の視点の限界を示すものと私には思われた。

 ドイツ再統一のコストを、当時のコール首相が小さく見積もりすぎていたことは確かだ。実際に再統一がなされてから様々な問題点が浮かび上がり、混乱が少なからず生じた。旧西ドイツからすればカネがかかりすぎる、旧東ドイツからすれば万事を西ドイツの尺度で決定されるという不満が高まった。

 しかし、そうした混乱は、ドイツ再統一が世紀の大事業である以上、やむを得ないものだったと思う。あの時点での西ドイツ保守政治家の決断がなかったなら、再統一はなされず、といってソ連崩壊後の東ドイツは政治的方向性が定まらないままに、再統一による以上の大きな混乱が起こった可能性も少なからずあり、何より二つのドイツが並立するという状況が持続していただろうからである。ギュンター・グラスのように、ドイツはもともと非統一的で多面的な地域だったからと主張するのはアナクロであろう。同一言語の民族が一つの国家にまとまる現象は、19世紀のイタリアを見ても分かるように歴史の趨勢だった。

 そういう点で、まともな判断を下しているのが、作家のマルティン・ヴァルザーである。問題が色々あってもあの時点でドイツ再統一をするのが当然で、左派政治家は「できない理由」を並べるだけで無能極まりなかったという彼の見解は、振り返って見ればそのとおりと言うしかない。問題は山積していても千載一遇のチャンスを逃さなかった保守政治家が正しかったと、21世紀に入った今なら分かるはずである。問題があるから再統一しないのではなく、再統一して問題にはその都度対処していくというのが、政治家としてあるべき姿なのだ。ヴァルザーは、日本では一般にはほとんど無名だが、ドイツでは名の通った作家で(作品の邦訳もいくつかある)、かつては左翼だったのが保守派に転向したというので批判が多い人物だけれども、逆に言えばドイツの知識人はそのくらい政治音痴だということになろう。

 もっとも、ギュンター・グラス(戦後ドイツ最大の作家だから、日本でも知名度が高い)をそれだけでダメと判断してはいけない。本書に収録されたグラスのインタビューにはそれなりに興味深い点がある。グラスは政治的にはドイツ社民党の支持者として言論活動を行ってきたが、マルクス=レーニン主義との訣別を定めたゴーデスベルク綱領には当初から賛成していたと述べている。
 この辺が、基本的には一党独裁を旨とする共産党からなかなか離れられないできた日本の知識人とははっきり違っている点なのである。もっともドイツ社民党には第一次大戦以前からの長い歴史があり、当時からいわゆる「修正主義」路線、つまり議会制民主主義によって労働者のための政治を行うことは可能だという立場をとってきた。それを批判してドイツ共産党を立ち上げたリープクネヒトやローザ・ルクセンブルクは保守派の軍隊に惨殺されたが、それが逆に日本では共産主義を神話化させ、政治体制としての一党独裁に対するまともな思考を阻害したという面がある。もっとも、日本はロシアの中心部であるペテルブルク(レニングラード)やモスクワから遠く、ドイツや他のヨーロッパならロシア革命から逃れてきた人間が少なからずいたから革命の実態を知る手段も多かったわけだけれど(それでも革命幻想は知識人――戦前ならロマン・ロラン、戦後ならサルトルが代表格――に少なからず見られたわけだが)、日本はそういう点で情報が少なく、革命幻想が維持されやすかったという地理的な原因もあろう。

 なお、ギュンター・グラスが若い頃に武装親衛隊に所属していたと告白するのは2006年であるから、本書刊行時にはまだその問題は浮上していない。

 東ドイツの知識人へのインタビューがいくつも収録されているのも、本書の特徴である。まとめての印象で言うと、当初は東ドイツに居住したがほどなく西に移住したヘルマン・ヴェーバー(歴史学者)を例外として、総じて東ドイツの体制のマイナス面に鈍感である。ハンス・マイヤー(文学研究者、63年以降は西に移住)は1907年生まれだから年齢のせいもあるかなとは思うけれど、文化人は東ドイツでは優遇されていたからではないかと思う。ソ連では内戦やスターリニズムの中で知識人も徹底的に殺戮されたが、東ドイツはもう一つのドイツと比較されるという意識を強く持っており、文化国家という体面を保つ必要があった。だから文化人へのイデオロギー的な締めつけはむろんあったものの、ソ連に比べれば文化人は殺されたり投獄されたりすることもなく、せいぜい西側へ追放(ヴォルフ・ビーアマンなど――本書では彼も話題として取り上げられている)されるにとどまったということだろう。ハイナー・ミュラー(1929年生まれ、東ドイツの劇作家)は、ビーアマン事件のとき、同じ抗議行動を起こした人間でもわれわれ文化人は寛大な扱いを受けたが、一般人は解雇されたり投獄されたりしたと正直に語っている(315ページ)。

 ナチ時代が始まった当時(1933年)、共産主義を奉じるドイツ文化人の多くは、共産主義の祖国であるはずのソ連にではなく、米国や、共産主義圏ではない他のヨーロッパ地域に亡命した。考えてみれば不思議なことだが、つまり彼らはソ連が危険だということを十分に承知していたのである。にもかかわらず、第二次大戦後、彼らは西ドイツにではなく、東ドイツを居住地として選んだ。本書ではこの点も問題にされているが、戦後間もない頃の東ドイツは、ソ連のような締めつけの厳しい体制とは異なる国家になれそうな予感があったということのようである。むろん、今から振り返って見ればそれは幻想に過ぎず、ここでも文化人の政治音痴が露呈していると言うべきなのだが。

 旧東ドイツの知識人に対しては、1953年6月17日の労働者叛乱と弾圧(いわゆる東ベルリン暴動。ソ連軍も出動し、のちのハンガリー事件や「プラハの春」弾圧事件の先駆ともされる)についても問いただされているが、総じて体制的、つまり東側の論理でものを言っている。シュテファン・ヘルムリーン(1915年生まれ、東ドイツの作家)などは西側の策動で起こった事件だと、東ドイツ当局の説明をそのまま述べている(289ページ)。

 ベルリンの壁建設についてもヘルムリーンは賛成だったとあっさり述べている(290ページ以下)。今は状況が変わったとも言っているが、自分の当時の見解は時代から見て仕方がないということのようである。

 東ドイツの被インタビュー者の中では、女性作家のクリスタ・ヴォルフ(1929年生まれ)が、あまり鋭い知性の主ではないものの、誠実さを感じさせる受け答えをしていて、好感が持てた。

 旧西ドイツの知識人に対しては、1968年の学生叛乱についての質問が何度も出されている。当時その叛乱を主導した人物(ヨシュカ・フィッシャー、ペーター・シュナイダー)も含まれている。シュナイダーはあっさり、当時はレーテ(ソヴィエト)制度を目指していたと告白している(193ページ)。もっとも、今は改悛(?)しているようではあるが。
 1968年については、当時の大学生の行動には共感できないが、少なくともその後の西ドイツでは政治的な雰囲気が民主的になり、それ以前のドイツと大きく変化したという見解が多数のようである。

 この時代には、左派の学者とみられていたアドルノやハーバーマスも学生からつるし上げを食った。アドルノは恐らくそれが原因で命を落とした。(日本で言えば、丸山眞男が全共闘の学生に研究室を荒らされて激怒したのに類似した事件である。)この点についてはイーリング・フェッチャー(1922年生まれ、哲学者・政治学者)がコンパクトながら的確なコメントをつけている(109ページ以下)。
 学生にも色々な流派があったとはいえ、前述のシュナイダーのようにレーテを目指したというようなしっかりした(?)政治プログラムを持つ人間が主流だったのではなく、むしろ新世代がアナーキーな感情で古い世代に反抗したという面が強かったのではないかと私は改めて感じた。

 本書では「歴史家論争」も取り上げられている。時代の流れで言えば、歴史家論争は1980年代半ば過ぎであり、1989年にベルリンの壁崩壊、1990年にドイツ再統一、1991年にソ連崩壊ということであるから、本書が出た1994年にはすでにやや古い事件になってしまっていたわけだが、日本ではこの論争が『過ぎ去ろうとしない過去』という訳題の邦訳(当ブログでも取り上げた。こちらこちらこちら)により紹介されたのが1995年6月であり、つまり本書より後であるから、訳者として『過ぎ去ろうとしない過去』にも関わった三島氏が「歴史家論争」について複数の西ドイツの知識人に質問をしているのは、日本としては時宜にかなったことだったのである。リベラル派の歴史家ではヴォルフガング・モムゼンが、保守派の歴史家ではミヒャエル・シュテュルマーがそれぞれの見解を披露している。なお、邦訳の『過ぎ去ろうとしない歴史』にはシュテュルマーと、ヴォルフガング・モムゼンの双子の弟であるハンス・モムゼン(やはり歴史家)の見解も収録されている。

 「歴史家論争」については他の西ドイツ文化人も意見を述べているが、冒頭に出てくるマリオン・デーンホフ伯爵夫人(1909年生まれ、リベラル系新聞「ツァイト」の発行人)は、この問題では左派学者の見解に与しているのに(33ページ)、旧東ドイツの政治家や知識人の責任については「過去というものはそもそも克服などできるものでしょうか。法治国家によって不法国家を克服することなどできるものではないでしょう」と述べて東側知識人を擁護し、なおかつポーランドのかつての体制批判派がソ連崩壊後は国内体制派の責任を追及しない方針をとったのは賢明だという意味のことを言っている(30ページ)。これ、リベラル派に多い典型的なダブルスタンダードだなと感心してしまった。

 編訳者の三島氏が高度な語学力と該博な知識でドイツの文化人らから様々な見解を引き出している点には敬意を表する。ただ、例えばアンナ・ゼーガースとヴァルター・ヤンカの問題については(302ページ)、訳注を付けたほうがいいのではと思った。これについてはヤンカの書物が邦訳されている(『沈黙は嘘 暴露された東独スターリン主義』、紀伊國屋書店、1990年)けれど、邦訳があるから訳注は要らないというものでもないと思うのだが。

 第二次大戦後のドイツの歩みに興味を持つ人には、お薦めできる書物である。

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今年映画館で見た54本目の映画
鑑賞日 6月29日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 韓国映画、イ・スジン監督作品、144分、英題は"IDOL"。

 市議会議員のク・ミョンフェ(ハン・ソッキュ)は声望高い政治家で、次期知事選への出馬を狙っていた。ところが或る日、彼のクルマを息子が勝手に乗り回して人をひき殺してしまう。おまけに死体を自宅まで運んできていた。クは考えた末に、死体を現場に戻させて息子に自首させる。ひき逃げと死体遺棄の二重の犯罪ではなく、交通事故による致死だけと見せかけて息子の罪を軽くし、自身は知事選出馬を辞退する意向を公表する。

 しかし、この事件には未解決の謎があった。殺された青年は、当日、結婚してまもない妻リョナ(チョン・ウヒ)と一緒にいたはずなのに、その妻が行方が不明になっていたのである。殺された青年は実は知的障害を抱えていた。それでも性欲は人並にあるので、父親ユ・ジュンシク(ソル・ギョング)が結婚相手を見つけ出してきたのだった。むろん、普通の女性は知的障害を持つ青年と結婚したがらない。リョナは中国の朝鮮族で、韓国に密入国してきたという経歴の主だった。正式に結婚しないと送還されてしまうので、条件の悪い結婚にも応じたのである。

 加害者の父と被害者の父は、それぞれにリョナの行方を捜し始めるのだが……

 最近の韓国映画の好調ぶりを示すように、脚本はよくできている。
 ただし血が目立つ映画でもあるので、そのつもりで。後味もあまり……
 政治家としてそつのない振る舞いをこころがける一方の父親と、小さな工具店経営の、下層民的で直情径行な他方の父親という構図が見どころ。

 新潟市では全国と同じく6月26日の封切で、イオン西にて単独上映中。県内でも上映はここだけ。私の見に行った回(月曜夕刻)は、観客は十人に満たなかった。

 米国で白人警官が黒人を殺した事件をきっかけに、黒人差別に関与したと見られる人物の記念像撤去や、南北戦争時の南軍旗(今も州旗として一部で使用されている)の使用中止などの動きが拡がっているけれど、飛び火と言うべきか、ヨーロッパでも植民地支配に加担した人物の像撤去などの動きが強まっている。

 今回は、ベルギーとその植民地だったコンゴに関する記事をとりあえず紹介しよう。以下は毎日新聞の報道。

 https://mainichi.jp/articles/20200626/ddm/007/030/069000c
 黒人暴行死引き金 ベルギー「自省」再燃 コンゴ支配、象徴撤去に賛否
 毎日新聞2020年6月26日 東京朝刊
 (以下の引用は一部を省略しています。記事全文は上記URLからお読み下さい。)

  米国の白人警官による黒人男性の暴行死事件を受けた抗議活動が各地に広がる中、ベルギーではかつての植民地主義を想起させる元国王の記念碑の撤去をめぐる議論が再燃している。近代史上まれに見る暴虐な搾取が繰り広げられたベルギーの旧植民地コンゴ民主共和国は、今月30日に独立60年を迎える。

 (中略) 今月9日、ベルギー北部アントワープ。屋外で放火された元国王レオポルド2世(在位1865~1909年)の像を市が撤去する様子が、世界各地で報じられた。

 (中略) 5月末以降、ベルギー各地でレオポルド2世の像が相次いで破損されている。「植民地主義と人種差別の象徴」として、元国王像撤去を求めるオンライン署名が始まり、複数の大学が学生の要望などを受け構内の元国王像を撤去した。

 レオポルド2世はコンゴ(現在のコンゴ民主共和国)を「私領地」とした。現地の人々はゴムなど資源採取のため、劣悪な環境で搾取された。ノルマを満たさない労働者の手首を切断する残虐行為もあり、この間に伝染病なども含む死者数は数百万人、人口の3分の1に達したとの見方もある。非人道的なコンゴ支配は当時も国際的な非難を集めた。

 近年ベルギーではアフリカ系の若者を中心に植民地主義への反省や謝罪を求める声が広がり、歴史認識を巡る社会の変化を後押ししている。

 (中略) 19年にはミシェル首相(当時)が、植民地下のコンゴなどでベルギー人男性と現地女性の間に生まれた子供を強制的にベルギーに連れ戻したことを人権侵害だと認め、政府として初めて謝罪した。

 (中略)

 ■教訓消滅に懸念

 右派の政治家からは「21世紀の価値観で植民地主義を非難すべきではない」との擁護論も出ている。またフィリップ現国王の弟ロラン王子は、地元メディアのインタビューで、レオポルド2世はコンゴへ行ったことがないと指摘した上で「どうやってそこにいる人を苦しめることができたのか分からない」と述べて波紋を広げた。

 (中略) 教育史が専門のルーベン・カトリック大学のマルク・デパエペ教授は、公共空間にある像の撤去の是非は「自治体や市民、議会が公開で議論すべきだ」と指摘する。その上で「一部を撤去したり適切な説明文を加えたりする対応は支持できる。しかし、像は歴史や過去の言説の記録であり、すべてを撤去してしまうと(社会から)記憶も消し去られてしまう」と話す。 【ブリュッセル八田浩輔】

  ■コンゴ民主 独立60年、続く政治混乱

 レオポルド2世の像はコンゴ民主共和国の首都キンシャサにもあるが、AFP通信によると今回、国民から撤去を求める動きは出ていない。地元の歴史学者は同通信に対し「撤去はベルギー国内の問題。コンゴには他に優先課題がある」との見方を示した。

 実際、コンゴは独立以降政情不安が続き、腐敗や搾取、人権侵害は現在進行形の問題でもある。その原因となっているのが皮肉にも国内に豊富にある銅や金、ダイヤモンドといった天然資源だ。

 独立直後には、銅やコバルトの産出地を抱える南部カタンガ州が中央政府に反発し、分離独立を宣言。内戦「コンゴ動乱」が1965年まで続いた。同年にクーデターで政権の座についたモブツ大統領は一党独裁体制を敷き、国名も「ザイール」に変更。「反欧州帝国主義」を掲げ鉱山の国有化を進めたが、同時に利潤が大統領個人に流れる仕組みを作って腐敗が進んだ。

 90年代に入ると東隣のルワンダで内戦が起き、敗れた勢力がコンゴ東部に流入すると、ルワンダ政府は取り締まりのためコンゴに軍事介入。ルワンダ政府の支援を受けたコンゴの反政府勢力がモブツ政権を倒す一方、ルワンダやウガンダといった介入国が、電子機器に多く使われる鉱物タンタルや、ダイヤモンドといった鉱山利権を確保して利益を得たとされる。

 コンゴ東部では現在も多数の武装勢力が活動し、政府の支配が十分に及んでいない。国連の専門家チームは今月公表した報告書で、コンゴでは武装勢力・犯罪集団が金の違法な採掘・輸出に携わり、正規の取引よりもはるかに多くなっていると指摘した。住民が受ける虐殺や性暴力被害も深刻だ。

 (以下、略) 【平野光芳】

                      

 上の記事にも書かれているが、ベルギーは、ヨーロッパがアジアやアフリカを植民地として支配することが当然だとされていた時代ですら、現地人の扱いが特に残酷だとして、ヨーロッパの他国から非難されていた悪名高い過去を持つ。

 加えて、この記事の報道では、現国王の弟が、残酷で名を売った昔の国王を、当人は現地に出かけたことがなかったというだけで擁護しているらしい。これは、あまりに非常識。火に油を注ぐようなものだろう。ベルギーの王族って、勉強していないんじゃないか。下手をすると王室制度の存続にも関わりかねない。

 歴史的な像の撤去が妥当かどうかはともかくとして、ヨーロッパが過去の歴史をどう捉えるか、大きな曲がり角にさしかかっていることが一連の現象から分かる。ポストコロニアリズムは、ここ30年ほど、学問上の潮流としてしっかり定着してきているけれど、それが現実政治や一般人の認識の問題にまでなりつつあることも分かる。

 ――しかし、である。問題はそこで終わるわけではない。

 ベルギーから独立したコンゴ民主共和国は、記事にもあるように、今年独立60周年を迎えた。

 コンゴがベルギーから独立した1960年は、「アフリカの年」と言われていた。コンゴだけでなくアフリカの多数の植民地が、ヨーロッパ宗主国のくびきを脱して次々と独立した年だったからだ。当時、アフリカの将来は光に満ちあふれているように思われたのである。

 しかし、それから60年経つ現在、アフリカの現状はどうだろうか。国による違いも大きいとは言え、コンゴを初めとして政治的にうまく行っていない国が少なくない。それがまた、ヨーロッパ方面への多数の難民を生む原因ともなっている。

 むろん、それは現地人だけの責任ではない。ヨーロッパ列強が現地の事情を無視して勝手に国境を決めたり、農作物の種類を宗主国の都合で強制したり、現地人の教育をしっかりと行わなかったり・・・要するに搾取をし続けたから、その後遺症が正常な発展を阻害したという面もあるからだ。また自然環境の変動も小さくない要因となっているだろう。

 けれども、何にしても独立してから60年が経過しているのである。60年あれば、先進国と肩を並べるとまでは行かずとも、もう少し何とかなるはずじゃないんですか、と言いたくなるではないか。つまり、アフリカの政治や経済がうまく行っていないのには、現地人にも責任があるということである。

 実際、上のコンゴ国内に関する記事によれば、現地の学者は「コンゴではベルギー国王像の撤去どころではなく、もっと深刻な問題がたくさんある」という意味の発言をしているのだ。

 つまり、植民地支配で旧宗主国を批判するのはいいが、問題は支配された側にも(少なくとも独立以降は)あるという認識が必要なのである。

 ここで、同時に進行しているアジアの別の問題が想起される。中国の立法措置により、香港の「一国二制度」が風前の灯火になっているという事態である。以下、産経新聞の報道。

                                

 https://www.sankei.com/world/news/200628/wor2006280012-n1.html
 香港国家安全維持法の審議再開 欧米各国が批判も30日可決か
 2020.6.28 16:31
 (以下の引用は一部を省略しています。全文は上記URLからお読み下さい)

 【北京=三塚聖平】 中国の立法機関、全国人民代表大会(全人代)の常務委員会は28日に会議を開き、香港に導入する「香港国家安全維持法」案の審議を再開した。会議は30日までの予定で、香港メディアは同法案が最終日に可決される可能性が高いと報じている。香港の高度な自治を認めた「一国二制度」が脅かされるとして欧米各国は中国に再考を促すが、習近平指導部は早期成立を目指す強硬姿勢を崩していない。

 全人代常務委の会議は18~20日にも開かれており、これほどの短期間に2度も開催されるのは異例だ。 (中略) 香港ネットメディア「香港01」は「会議の閉幕時(30日)に採決される可能性が高い」との見通しを示す。

 中国メディアは、同法案が香港市民の支持を得ているとアピールする報道を繰り返しており、採決に向けた環境が整ったと主張する可能性がある。香港情勢をめぐり米国が26日に対中制裁を表明したことに対し、中国政府は「香港に関する事柄と中国の内政に干渉する覇権行為をやめるよう促す」と反発している。

  (以下、略)


 https://www.sankei.com/world/news/200630/wor2006300030-n1.html
 香港で民主派、独立派組織が解散 黄之鋒氏、周庭氏ら脱退 「香港守り続ける」
 2020.6.30 19:50
 (以下の引用は冒頭の一部分です。全文は上記URLからお読み下さい。)

  【香港=藤本欣也】 香港での言論や集会の自由に制限を加える「香港国家安全維持法」が成立したことを受け、香港の政治団体が30日、相次いで解散を表明するなど、早くも同法の影響が表れている。7月1日には一部の民主派メンバーがデモを強行する構えをみせており、同法成立後初の大規模な抗議活動に発展するかが焦点となる。

  解散を発表したのは政治団体「香港衆志」(デモシスト)。2014年の香港民主化運動「雨傘運動」の主要メンバーらが中心になって16年に結成された。

 この日はまず、香港国家安全維持法が中国で成立すると、幹部の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏(23)や周庭(アグネス・チョウ)氏(23)らが脱退を表明。同法で逮捕された場合の影響を最小限に抑えるための措置とみられる。ただ、これを受けてデモシストも同日、主要幹部が抜けたことで「団体の運営継続が困難になった」として解散すると発表した。

 (以下、略)


  https://www.sankei.com/world/news/200629/wor2006290008-n1.html
  英最後の香港総督パッテン氏、国家安全法に「失望」 全体主義傾斜を批判
 2020.6.29 16:25
 (以下の引用は冒頭の一部分です。全文は上記URLからお読み下さい。)

 【ロンドン=板東和正】 英国統治時代最後の香港総督、クリス・パッテン氏(76)が29日までに産経新聞の電話取材に応じた。中国による「香港国家安全維持法」導入について、一国二制度による香港返還を定めた中英共同宣言と「完全に反しそうだ」と懸念を示し、習近平政権下で「全体主義」に傾斜する中国を批判。香港問題を「良識や法の支配と共産主義の戦い」と位置付け、国際社会に一段の協調対応を求めた。

 パッテン氏は1997年の香港返還まで約5年間、総督を務め、自由選挙の拡大など香港の民主主義の基盤整備に尽力した。中国に返還する前に「可能な限り自由で平等な選挙制度を確保し、法の支配と人々の権利を保護する」ためだったと振り返った。

 (以下、略)

                                      

 香港は長らく英国の植民地だった。しかし植民地主義批判が強まる中、香港が中国に返還されたのも、時代の流れから言えば当然のことではあった。

 けれども、この場合事情はいささか複雑だった。というのは、返還される側の中国は共産党の一党独裁下にあり民主主義からは程遠く、言論や表現の自由が著しく束縛される国家体制であったのに対して、香港は西側民主主義制度に近い体制でやってきたからである。

 若干歴史的なおさらいをすると、英国が当時の中国王朝である清にアヘン戦争を仕掛けて勝利し、香港を「永久割譲」させたのは1841年である。香港はその後、第二次大戦中に日本軍に占領された時期以外は、英国の支配下に置かれてきた。1997年に中国に返還されるにあたっては一国二制度により50年間中国本土とは異なる政治上の自由が認められるとされていたが、ここにきてこの約束は反故同然になってきているのである。

 上の産経新聞の三つの記事のうち、三つ目に出てくるクリス・パッテンは香港最後の総督だったわけだが、記事にあるように在任中に香港の民主主義を強化する政策を打ち出した。これは、本人が上記記事で述べているような理由もあるが、ややシニカルな見方をするならば、英国の植民地支配をその終焉にあたって正当化するための方策だったとも言える。

 しかし理由はどうあれ、香港に対する中国の最近の政策について「香港はもともと中国の領土なのだから、中国が香港の政治体制をどう変えようがそれは中国の勝手である。これに関して外国が口出しするのは内政干渉であり、そもそも英国などヨーロッパの過去の植民地主義を正当化するものであるから、止めるべきだ」というような意見は、西側では(日本でも)ほとんど聞かれない。つまり、近代的な民主主義制度や言論・表現の自由を守るという原理のほうが、植民地主義批判・内政干渉はいけないという原理より重視されているわけなのだ。

 別の言い方をすれば、東西冷戦はソ連の崩壊によっても終わらず、今に至るまで続いているのである。

 これは矛盾だからけしからん、と言いたいのではない。歴史や政治はかくも複雑だから、一つの尺度で論じることはできず、その場その場で尺度を自分で作っていくしかないと言いたいのである。アフリカの例と香港の例は、現時点でそのことを教えてくれる最上の例であろう。

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DVD鑑賞
評価 ★★★

 フランス映画、クロード・ミレール監督作品、112分、1992年、原題は"L'ACCOMPGNATRICE"。

 第二次世界大戦中の、ドイツ軍に占領されたパリが主舞台。
 下町のピアノ教師である母と地味な二人暮らしをしてきたソフィ(ロマーヌ・ボーランジェ)は、著名なソプラノ歌手イレーヌ(エレナ・ソフォーノワ)のピアノ伴奏者として雇用される。イレーヌの夫シャルル(リシャール・ボーランジェ)はヴィシー政権に協力的な実業家。イレーヌにはしかし愛人がいた。やがてソフィはイレーヌ宅に住み込み、小間使い的な仕事もするようになる。

 しかし夫妻はフランスを捨ててロンドンに亡命しようと決意。ソフィも夫妻と共にピレネー山脈を越えて、リスボンから船で英国に向かう・・・

 占領下のパリで歌手としての華やかな活動を続ける美貌の人妻、いわゆるコラボ(対独協力)により妻を支える実業家の夫、妻の愛人・・・といった人々の姿を、貧しく地味な少女の目を通して描いている。少女自身の屈折した心理や道中出会う青年との関係も一つの要素だが、あくまで少女は脇役に過ぎない。また、コラボを扱ったリアルな歴史ドラマというよりは、華やかなソプラノ歌手の暮らしぶり(不倫を含む)や音楽活動を描くという方向性が勝った作品。タイトルは、単に視点人物である少女がピアノ伴奏者であることを示すだけではなく、作中の少女が万事に伴奏者的な存在であることをも暗示している。

 作中何度も使われるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番第2楽章が効果的。

 私の記憶違いでなければ、新潟市では劇場未公開だと思う。

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今年映画館で見た53本目の映画
鑑賞日 6月27日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 吉野耕平監督作品、104分。

 子供時代に交通事故に遭って、七重人格となってしまい、曜日ごとに人格が入れ替わる青年(中村倫也)の物語。

 話の軸になるのは火曜日の人格。真面目で内気な性格だが、直前の月曜日の人格が正反対で、女をベッドに連れ込んだりするので(人格は真夜中に入れ替わる)、その後始末に四苦八苦している。

 ところが、或る日、火曜日の人格がそのまま水曜日に持ち越されてしまう。近所の公立図書館が火曜日定休であるために利用できなかった彼は、図書館に行ってみるのだが、そこで出会った司書の女性(深川麻衣)に惹かれて・・・

 そこそこ面白いけれど、それを超えるものがあるかというと、疑問。監督のオリジナル脚本だと言うが、巷では『セブン・シスターズ』のパクリだという声が挙がっているとか。しかし私は先日見た『ジョナサン ふたつの顔の男』に似ていると思った。あちらは二重人格の話だけど、真面目な人格が奔放な人格の後始末をするという点でそっくり。

 新型コロナウイルスのせいで全国的に公開が遅れたけれど、新潟市では東京と同じく6月19日の封切で、ユナイテッドにて単独上映中。県内他地域ではTジョイ長岡でも上映している。私が行った土曜日(2週目)夕刻の回は、十人台前半の入りだった。

・3月8日(日)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200308/ddl/k35/040/255000c
 「南極海から見た捕鯨問題」語る 石川室長の「鯨塾」が最終回 下関鯨類研究室、今年度閉鎖 /山口
 毎日新聞2020年3月8日 地方版

 鯨文化を後世に伝えようと情報発信や啓発活動を続けてきた下関鯨類研究室(下関市田中町)が、今年度で閉鎖する。室長の石川創さん(60)が2015年から市民向けに毎月開いてきた「鯨塾」の最終回が7日、同研究室で開かれた。【佐藤緑平】

 ■終了時参加者から拍手
 石川さんは1989年から約20年間、調査捕鯨に従事し、2012年から現職。鯨塾は鯨の生態や、捕鯨を巡る社会問題を市民に解説する講座で約60回開いてきた。

 最終回は「南極海から見た捕鯨問題」をテーマに、南極海調査捕鯨の成果や捕鯨賛成派と反対派の考え方の違いを説明。「捕鯨問題と、戦争や差別の根っこは似たようなものと思う。自分の正義は持つべきと思うが、他の人には他の正義がある。多様性を受け入れれば今世界中で起きている問題にも寛容になれるんじゃないか」と語りかけた。終わりに参加者からは拍手が送られ、その後も鯨の生態などについて質問が相次いだ。昨年からほぼ毎回参加したという福岡市早良区の女性は「偏った情報でなく科学的な根拠が分かるので楽しかった。下関に来て、終わった後に唐戸とかを観光するのも楽しみだった」、下関市内の会社員、新宮広典さん(70)は「『日本一の鯨の街』として、石川先生にまた来てもらえるように市民に呼び掛けていきたい」と話していた。
〔下関版〕


・3月10日(火)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200310/ddl/k35/040/367000c
 この1枚で下関知って!! 4月から設置、くじらデザインのマンホール蓋 /山口
 毎日新聞2020年3月10日 地方版

下関市は9日、下関と長門両市の鯨のシンボルマーク「らーじくん」と角島や関門橋など下関の観光名所が描かれた下水道のデザインマンホール蓋(ふた)を、市内4カ所に設置すると発表した。商業捕鯨の推進や鯨文化の振興などが目的。前田晋太郎市長は「下関を1枚に凝縮した素晴らしいデザイン。市民や観光客に明るいイメージで受け止めてもらえるのではないか」と期待を寄せる。【近藤綾加】

 直径60センチ、重さ約40キロの鋳鉄製。らーじくんを囲むように、海峡ゆめタワーや赤間神宮、角島大橋、火の山など下関を代表する観光名所をあしらい、ピンクや黄色など色鮮やかなデザインとなっている。5月の大型連休までに、観光客などが多く訪れる同市あるかぽーと▽市立水族館「海響館」▽海峡メッセ下関国際貿易ビル▽同市長府外浦町の関見台公園にある鯨館近くの歩道――に設置する。

 市生活安全課「下関安全会議」の交通指導員、遠藤亜祐美さん(31)がデザインを手掛けた。似顔絵などを描くのが趣味で、幼稚園児などが対象の交通安全教室で手作りの紙芝居を披露している他、市の防災メールPRキャラクター「ふくまる」や市報の市長コラムで使っている市長の似顔絵なども担当した。

 今回は、市上下水道局の依頼を受けて4案描き、同局職員らの投票で過半数が支持したデザインが選ばれた。

 遠藤さんは「SNSで発信してもらえるような『映える』デザインを意識した」と言い、「この1枚を見ただけで下関に何があるのか知ってもらい、実際に行ってみたいなと思ってもらいたい。下関に活気が出てほしい」と期待を込めた。
〔下関版〕


・3月18日(水)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200318/ddl/k01/040/236000c
 鯨類研究の世界的権威、大隅清治さんしのぶ /北海道
 毎日新聞2020年3月18日 地方版
 (以下は一部を省略しての引用です。全文は上記URLからお読み下さい。)

 日本鯨類研究所(東京都中央区)元理事長で名誉顧問の大隅清治さんが2019年11月2日、89歳で亡くなった。研究所は同年に終了した調査捕鯨の実施主体。大隅さんは国際捕鯨委員会(IWC)の政府代表顧問も務め、ナガスクジラやミンククジラなど鯨類の科学的な資源管理(マネジメント)の基盤を確立した。(中略)北海道ともゆかりが深い鯨類研究の世界的権威の功績を親交の深かった研究者2人に振り返ってもらった。【まとめ・本間浩昭】

 ■指導に「薫陶を受けた」 加藤秀弘・東京海洋大名誉教授(鯨類生態学)

 初対面は北海道大大学院生の頃で、大隅先生は水産庁遠洋水産研究所鯨類資源研究室(静岡県清水市=現静岡市)の室長で、既に鯨類資源学の世界的権威として高名でした。以来、40年余りご指導をいただき「薫陶を受けた」という言葉では語りきれない大きな存在です。

 先生は2019年までIWC科学委員会のメンバーを半世紀以上務められました。鯨類資源の持続的管理をライフワークとされていた先生にとって委員会は国際的議論の場で、他国からも「清治の言いたいことはよく分かるが」が枕ことばになるほど高く評価されていました。「資源を管理しながら利用する持続可能な捕鯨をすべきだ」との主張も明快で一貫し、委員会を代表する科学者でした。

 研究者としては、ナガスクジラの年齢査定法の確立、マッコウクジラの社会生態の解明などの業績がありますが、特に優れていたのは鯨類の間に成り立つ生物特性の関係性を見抜く力でした。数々のフィールド経験に裏打ちされた先生ならではのものです。

 先生は東大大学院修了と同時に1958年、旧鯨類研究所に入所され、遠洋水産研究所で鯨類資源研究担当の中核に抜てきされ、91年に所長を務められた後、日本鯨類研究所で理事長などを務められました。私は北大大学院修了後、後を追うように旧鯨類研究所と遠洋水産研究所に在籍。そういう意味では先生は偉大な先輩です。

 (中略)

 IWCにとどまり、商業捕鯨の再開を願うわが国にとって先生は科学的支柱で、精神的支柱でもあり続けました。一方で資源の持続的利用の原則がIWCから失われつつあることをいち早く見抜かれ、19年の脱退を驚くほど冷静に受け止めておられました。

 亡くなる前日にも「問題はこれからなんだ。具体的にどのような資源管理を行うか。科学的に許容できる捕鯨と捕鯨業の健全な育成をどうやって両立していくかだよ」と話しておられました。それが遺言になってしまいました。先生が望んでいた科学的・持続的捕鯨を今後どのように実現していくかが、ご遺志に報いる唯一の方法かもしれません。

 ■科学的保護管理で共生 大泰司(おおたいし)紀之・北海道大名誉教授(野生動物保護管理学)

 私が北大でシカ類の研究を始めた1964年当時、研究所で耳垢(じこう)(ヒゲクジラ類)や歯の年輪(ハクジラ類)による年齢査定で鯨類の個体数管理に取り組んでおられた。科学的な保護管理の手法を日本で初めて手がけたパイオニア的存在でした。

 当時は哺乳類の研究者が少なく、学会後の懇親会で「国内外の鯨を愛護する団体や活動家から非科学的な攻撃にさらされている」とよく話されていました。10歳年下の私は当時、増え過ぎれば過剰に捕獲し、激減すれば禁猟に転じていたエゾシカも、鯨類のような科学的マネジメントをすべきだとの思いを強くしたものです。

 私は大英自然史博物館でシカ類の頭骨を計測したり、ロンドン大学で歯の標本を作製したりして年齢査定法を検討しました。寿命や繁殖率などから、どの程度間引くのが適当かを把握するためです。さらにシカ類の狩猟管理を実践するスコットランドでアカシカをマネジメントしている現場を視察し、推定30万頭のうち、毎年6万頭を狩猟で間引き、食べている現状を目の当たりにしました。

 帰国後、哺乳類学会などで増えすぎたカモシカやニホンジカを「欧米のように間引いて一定の個体数を維持すべきだ」と提唱しましたが、「かわいそう」「とんでもない」と非科学的な非難を浴びました。

 そんな時、鯨で同様の非難にさらされていた大隅さんは「日本人は鯨を食料だと思っているので資源管理に理解を示すが、欧米人はそうではない。逆に欧米人はシカを食料とみなしていて個体数管理ができているが、日本人はそうではない」と食料かどうかの違いが、マネジメントの可否を左右する旨の話をされていました。

 明治時代半ばまでは道内でエゾシカを食料にしていました。そこで食べて個体数を管理する方策として一般書「エゾシカを食卓へ」を出版、社団法人エゾシカ協会を立ち上げ、少しずつ普及を進めました。保護管理を担う道も食肉化を対策の一つととらえ、普及を進めました。大隅さんが「エゾシカを食料とみるような社会になれば」と提言してくれたおかげです。

 (以下、略)


・3月19日(木)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200319/ddl/k35/040/433000c
 石川創先生の鯨塾
 /12 南極海から見た捕鯨問題 資源か特別な生物か /山口
 毎日新聞2020年3月19日 地方版

 日本が昨年まで行っていた南極海の調査捕鯨は、さまざまな成果を上げる一方で、激しい妨害を受けた。調査員や調査団長として20年以上、現場にいた経験を踏まえ、捕鯨問題について考えたことを話す。

 ■ザトウなど急増

 国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨一時停止の決定に従い、日本は1987年に調査捕鯨に切り替えた。調査の目的は、IWCに対して、鯨が持続的に利用できることを科学的なデータで証明し、商業捕鯨を再開することだった。

 南極海での調査捕鯨は、南極海のほぼ半分に当たる広大な海域で目視調査を行いながら、捕獲した鯨の計測や標本採集など100項目を超える生物調査を行った他、鯨を殺さずに皮膚のDNA標本だけを採る調査などにも力を入れた。第1期の調査で、クロミンククジラの生物学的な特性値を明らかにした一方、ザトウクジラなど絶滅危惧種と言われていた鯨が急増して、クロミンククジラの栄養状態が悪化していることもわかった。

 ■多難だった調査

 第1期の調査結果を基に、南極海生態系の変化をより詳しく調べるため、日本は2005年から第2期調査を開始したが、反捕鯨団体による暴力的な妨害で計画通りに実行できなかった。私が最後に調査団長を務めた10~11年の航海では、さまざまな対策を講じたが激しい攻撃にさらされ、安全のため日本政府の指示で初めて、妨害を理由に撤収することになった。

 14年には国際司法裁判所で、日本の調査捕鯨が違法と訴えるオーストラリアの主張を認める判決が出され、第2期調査は終了となった。日本は調査計画を縮小して1年後に再開したが、19年にIWCを脱退したため、調査捕鯨も終了することになった。当初の目的が果たせなかったことは残念だが、積み上げた科学的データや論文がなくなる訳ではない。南極海生態系の変化を示した調査捕鯨の成果は、正しく評価されるべきだろう。

 ■多様性認めよ

 捕鯨問題を簡単に言い表せば、鯨を「持続的に利用できる海洋資源」と考えるか、「殺してはいけない特別な生物」と考えるかの対立だ。

 イルカや鯨を人間以上の特別な存在と捉えることは個人あるいは国の自由だが、それは他の人に押しつけることではない。ヒンズー教は牛を崇拝するが、インド人は米国人に対して牛肉を食べるなと言わないし、イスラム教徒がキリスト教徒に豚を食べるなと言うこともない。

 文化や食習慣の多様性に寛容になることは、異なる「正義」が対立する他の社会問題解決にもつながるのではないだろうか。

【まとめ・佐藤緑平】=随時掲載  〔下関版〕


・3月25日(水)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200325/ddl/k35/010/477000c
 下関市918人が異動 「くじらの街」、新型コロナに布陣 /山口
 毎日新聞2020年3月25日 地方版

 下関市は24日、4月1日付の人事異動を発表した。異動規模は前年度比42人減の918人で、うち部長級の異動は昇級10人を含む17人。課長級以上の管理職に占める女性の割合は6人減って24人となり、9%(前年度11・2%)となった。

 異動規模は例年通り。「くじらの街 日本一の推進」に向けた体制強化の一環として、新組織を置く。水産振興課に商業捕鯨の母船建造による母港化を進める「捕鯨推進室」を、文化振興課に鯨の食や歴史などの文化について情報発信・振興を担う「下関くじら文化振興室」をそれぞれ設け、室長各1人を配置する。

 (以下、略)

 【近藤綾加】


・3月28日(土)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200328/ddl/k35/020/505000c
 商業捕鯨船団が帰港 下関と東京、ニタリ20頭捕獲 /山口
 毎日新聞2020年3月28日 地方版

 日本の排他的経済水域(EEZ)内で活動していた商業捕鯨の母船「日新丸」と捕鯨船「勇新丸」が27日、約1カ月間の操業を終え、東京港と下関港にそれぞれ帰港した。

 2月24日に下関港を出発し、EEZ内の南東部水域へ。今回はニタリクジラの捕獲に加え、生息状況を調査した。両船を操業する共同船舶(東京)によると、3日に体長約13メートルの雄のニタリクジラを初捕獲した後、22日までに計20頭約100トンのクジラ製品を生産したという。

 同社の担当者は「知見のない海域での操業だったが、生息分布などに関する一定の情報を得ることができ、成果があった」と話した。

 船団の次回出港は5月ごろの予定。母船式捕鯨の2020年の年間捕獲可能量はニタリクジラ150頭、イワシクジラ25頭、ミンククジラ20頭で、いずれも19年と同数になっている。【近藤綾加】
〔下関版〕


・3月29日(日)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20200329/ddl/k35/040/295000c
 石川創先生の鯨塾
 番外編 産業と文化の間で 人生懸けた調査捕鯨 /山口
 毎日新聞2020年3月29日 地方版

 下関鯨類研究室室長の石川創さん(60)は約30年前、水族館職員から捕鯨の世界に飛び込んだ。調査捕鯨や、国際捕鯨委員会(IWC)での議論など、さまざまな現場を経験し、市民に伝えてきた。研究室は3月末で閉鎖し、石川さんは4月から、鯨類研究からはいったん離れるという。鯨と関わってきた半生を語ってもらった。

      ◇   ◇

 調査捕鯨を行っていた日本鯨類研究所(日鯨研)に転職したのが29歳の時。日本獣医畜産大(現・日本獣医生命科学大)を卒業後、獣医師として三重県の水族館に勤めていた。ある時、水族館で新たに搬入したアザラシから伝染病が広がり、もともと飼育していたアザラシも含め数頭が死んでしまった。後に、日本で初めてのアザラシのジステンパー症だとわかったが、きちんとした論文を書く力が無く、悔しい思いをした。この先、臨床の獣医師として一人前になるか、鯨など海産哺乳類の研究者を目指すかと考えた結果、日鯨研の門をたたいた。

 海のことも船のことも知らずに調査捕鯨の仕事に飛び込んだので苦労も多かった。しばらくは目の前の仕事に精一杯だったが、経験を重ねるうちに視野が広がってきた。捕鯨に反対する人が海外にいかに多いかを知り、現場の立場から調査捕鯨をどう改善すべきかを考えるようになった。最たるものが、鯨の捕殺手段の改善だ。獣医師として自分の仕事だと手を挙げ、データ収集や漁具の改良に取り組んだ。約10年かけ、鯨の致死時間は約3分の1、即死率は約2倍に向上した。IWCの会議にも参加し、反捕鯨国の代表たちとは科学データを基に討論した。自分の人生を懸けているとの思いがあったので、調査捕鯨や日鯨研に対して理不尽な批判や中傷があれば、徹底的に反論した。

 下関鯨類研究室に移ってからは、フィールドの調査だけでなく、捕鯨の歴史や文化についても研究した。また自分が経験したことや学んだことを人々に伝えることが重要だと考え「鯨塾」を始めた。鯨塾では、人々が普段から知りたいと思っていることに加えて、鯨の解体ショーや鯨油と宇宙船の話など、自分が面白いと思って研究対象としたことを伝えられたことが良かったと思う。

 鯨塾でも何度かお伝えしたが、現代の日本人の多くが捕鯨の伝統は守るべきだと考える一方で、実際に鯨を食べる人は極めて少ないのが現状だ。しかし鯨を食べる人がいなくなれば、捕鯨産業も、鯨食文化も消滅してしまう。下関は、昭和の時代に捕鯨でとても栄えた鯨の街だ。新しく始まった商業捕鯨と共に、令和の時代の下関が鯨の街日本一を目指すためには、捕鯨船団の母港化や、街をあげて「下関にはおいしい鯨料理がある」ことを目指すことが重要だと思う。

 市民の皆さんが下関と鯨の関係を知り、生物としての鯨や捕鯨の歴史に興味を持つことに、鯨類研究室の活動が少しでも貢献できたとすればうれしい。8年間、鯨類研究室を温かく応援していただき、ありがとうございました。【聞き手・佐藤緑平】=おわり

 <プロフィル>

いしかわ・はじめ
 公益財団法人下関海洋科学アカデミー鯨類研究室長。1960年生まれ。日本獣医畜産大(現日本獣医生命科学大)獣医学科修士課程を卒業後、水族館獣医師を経て90年から日本鯨類研究所に勤務。南極海や北西太平洋の調査捕鯨で調査団長を長年務めた。2012年から現職。捕鯨における動物福祉(人道的捕殺)、鯨類のストランディング(座礁・漂着)が専門。著書に「クジラは海の資源か神獣か」(NHK出版)など。

〔下関版〕

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評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は1969年生まれ、早大政経卒、同大学院博士課程中退、ドイツ・ボン大学博士、政治学・政治思想史専攻、成蹊大教授。

 今年はマックス・ウェーバー(1864~1920)没後百年にあたる。それを記念して出されたマックス・ウェーバーの入門書。

 ビスマルクを支えた政治家であった父と、フランスから宗教上の理由でドイツに逃れてきたユグノーの家系でありきわめて裕福だった母。この二人は必ずしも折り合いの良い夫婦ではなく、その緊張関係の中でウェーバーは育つ。

 ウェーバーは当時のドイツ語圏の大学生がおおかたそうしたように、複数の大学で学ぶ。彼の場合は、ハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの三大学である。主専攻は法学。一般にはウェーバーは社会学者と見られているが、当時(1880年代)は社会学は大学で学ぶべき学問と見られておらず、ウェーバーが学者として活動し始めてようやく大学での専攻に昇格したのである。

 むろん、当時の大学生はエリートだった。本書では当時のドイツの大学生は5万3千人で、男性1万人あたり18人という数字が挙げられているが、この1万人というのは全世代を合わせた数値だろう。同世代の数値を挙げてくれたほうが分かりやすかったと思う。仮に当時の男性の平均寿命が50歳で、大学に4年間在籍すると仮定すると、1万人は50分の1で200人、18人は4分の1で4.5人だから、大学進学率(男性のみ)は2%強という計算になる。

 ちなみにウェーバーの世代では女性の大学進学はあり得なかった。私の知っている範囲で言うと、トーマス・マン(1875~1955)の妻となったカチア・プリングスハイム(1883~1980)は父がミュンヘン大学教授という恵まれた環境で育ったこともあり、マンに見初められた当時(20世紀になって間もない頃)ミュンヘン大学で学んでいたが、南ドイツの中心都市ミュンヘンの女子大学生第一号は彼女だったと言われている。なお本書ではマン夫妻の長女エーリカがミュンヘン大学でウェーバーの講義を聴いたというエピソードも紹介されている(188ページ)。52ページでも、女子が大学に進学するルートが1890年代になって作られたという話が出てくる。

 ウェーバーは教授資格をとってフライブルク教授に就任したが、この際に、当時プロイセンで大学に関する諸々のことを取り仕切っていた文部官僚フリードリヒ・アルトホーフから横やりが入ったという。アルトホーフはドイツの学術のレベルと高めた人物として有名だが、しばしば教授人事などに口出しもしていた。もっともウェーバーの人事に口を差し挟んだのは彼をベルリンに留め置こうとしたためだったらしい。

 以下、有名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を初めとして、宗教社会学や官僚論など、ウェーバーの主たる仕事が紹介されていく。実際の政治への関わりにも言及がある。本書の特徴は、単にウェーバーの仕事を分かりやすく説明するというだけでなく、それが後世の人々のどのように受け取られたのかにまで論及し、ウェーバーの属していた時代から来る限界などにも触れているところである。

 また、カフカ、リルケ、フィッツジェラルド、ゲオルゲ、トーマス・マンなど、同時代の文学者にも言及がなされている。むろん、彼らがウェーバーと直接的な関わりを持ったという意味では必ずしもなく、同時代人としての思考に共通性があるという意味からである。もっとも、カフカはウェーバーの弟アルフレート・ウェーバー(やはり大学教授)の下で法学博士号を取得しているという(132ページ)。

 また、ハンナ・アーレントやジョン・ロールズ(『正義論』)、パーソンズやカール・シュミット、リースマンやサイードといった後世の学者との関連にも触れられている。このうち、シュミットはナチのイデオローグ的な役割を果たした法学者ということで重要性が高く、パーソンズはウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の英訳者でもあって、ウェーバーから小さくない影響を受けているという指摘が貴重(226ページ以下)。

 本書はそのようにウェーバーが後世にどのように受け取られたかを説明しつつ、日本人の学者が受けた影響についても述べている。丸山眞男や大塚久雄の名が挙げられているが、日本人学者のウェーバー受容は欧米人のそれとは違ったところがあった。「美しき誤解」も混じっていたらしいが、外国の学問や芸術を受容するとはそういうことだと著者は達観していて、私も共感した。また、文献学を基盤として総合的にウェーバーの思想の全体像を追求するというのは日本に特有な現象であり、欧米人は現代の問題に役立つ部分を切り取って使うという行き方が多いという。本書の「はじめに」でも、1984年にドイツでマックス・ウェーバー全集の刊行が開始されたとき、注文の三分の二は日本からだった、というエピソードが紹介されている。

 本書は以上のように、様々な視点からウェーバーの仕事に光が当てられているが、惜しむらくはその多様な視点の個々の部分についての論述が短く、一つを見たかと思うとすぐ次へ、という読後感が残ることだ。要するに、或る視点が気になるなら、あとは自分でどうぞ、ということなのである。もっともこれは著者が最初からそのように意図した結果であるようなので(「あとがき」にそう記してある)、やむを得ないだろう。巻末にはブックガイドも載っているし、「入門書」としては悪くない出来であることは間違いない。

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今年映画館で見た52本目の映画
鑑賞日 6月21日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★☆

 アメリカ映画、アルフォンソ・ゴメス=レホン監督作品、108分、原題は"THE CURRENT WAR"。

 19世紀末のアメリカを舞台に、発明家エジソンと企業家ウェスティングハウスが電力の実用化をめぐり、直流か交流かで激しく対立する様子を、実在の事件や人物をもとにフィクションも交えながら描いた映画。
 
 エジソンが電力システムの普及に際して直流に固執したことはわりに有名な事実だが、交流を主張して彼と対立したウェスティングハウスの人物像や行動については一般には知られていない。その意味で興味深い映画になるかと思われたのだが、どうも脚本がすっきりしない。

 二人以外にも、発明家や金融家など様々な人物が交錯するのでごたごたしているし、全体の流れがつかみにくい。もっと人物を整理して、直流と交流の是非に関する理論的な説明などもちゃんと加えた上で映画化すべきだった。

 発明王とされるエジソンだが、電話の実用化はベルによってなされたし、蓄音機ではロール方式をとったためプレスによる大量生産がしやすい円盤方式に負け、映画では機械を覗き込む方式だったため広い劇場で公開する方式のリュミエール兄弟に負けている。アイデアは豊富だけど実用化という点では問題がある人だったのかも知れないなと思ったことであった。

 新潟市では全国と同じく6月19日の封切で、ユナイテッドにて単独上映中。県内でも上映はここだけ。私は日曜日の夕刻の回に足を運んだのだが、観客は6~7人くらいだった。

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6月20日(土)午後2時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
2000円(全席自由)

 新型コロナウイルス感染の影響で音楽会も中止や延期が相次ぐ中、久しぶりの演奏会でした。私としては2月24日にりゅーと新潟フィルの演奏会を聴くために音楽文化会館を訪れて以来だから約4ヵ月ぶり、りゅーとぴあに来たのは2月11日にドグマ室内オーケストラの演奏会を聴いて以来ですから約4ヵ月と10日ぶりということになります。
     
 今回は、りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)の4代目専属オルガニストに就任した石丸由佳さんの、いわばお披露目演奏会。

 前代の山本真希さんは3月に最後のオルガン・リサイタルをやるはずが、コロナウイルスのために5月に延期となり、しかし5月の演奏会も結局中止のやむなきに至りました。最後の演奏会では終演後にファン(私を含む)と一緒にフェアウェル・パーティも行われるはずだったのに、それも中止。何とか今年後半にでも実現してもらいたいものです。

 それはさておき、新しいオルガニストとなった石丸由佳さんは地元新潟市の出身。中学生時代、開館したばかりのりゅーとぴあでオルガン音楽を聴いてオルガニストを志し、東京芸大に進学。さらにヨーロッパの大学で研鑽を積み、フランスのシャルトル国際オルガン・コンクールに優勝。このりゅーとぴあでもすでにオルガンリサイタルを開いていますが、今春から専属オルガニストとなりました。

 りゅーとぴあのコンサートホールは、一つおきに客が座るように、着席不可の座席にはヒモが張られていましたが、客の入りは上々。2階正面のCブロックと3階正面のIブロックは満席、ということはつまり、定員のちょうど半分が入っていたということ。2階脇席のBブロックとDブロック、3階脇席のHブロックとJブロックも満席に近い(つまり定員の半分弱)入り。1階も後半部分は満席。(舞台脇のA・Eブロックと舞台背後のPブロックは客を入れず。)

 つまり、ふだんの二分の一が定員だったわけですが、定員に近い入りだったということ。これ、りゅーとぴあの本格的なプログラムのオルガン・リサイタルとしては、日頃にない入りですね。新型コロナウイルスで音楽会が長らく開かれていなかったので、その渇きを癒やすために来た人が多かったのか、或いは地元新潟市出身のオルガニストということで期待値が高かったのか。

 私は3階Hブロックの、Iブロックに隣接した席で聴きました。

 バッハ: 小フーガ ト短調BWV578
 バッハ: 「われら心よりこがれ望む」BWV727
 バッハ: 幻想曲ハ長調BWV570
 後藤丹: 「大きな古時計」によるバラード
 オスカル・リンドベリ: ダーラナ地方の夏の牧舎の古い讃美歌
 ヴィドール: オルガン交響曲第6番より第1楽章
 (休憩)
 バッハ: 前奏曲とフーガ ハ短調BWV549
 J. P. E. ハートマン: 幻想曲 イ長調
 ホルスト: 組曲「惑星」から第4曲「木星」
 ヴィエルヌ: オルガン交響曲第1番よりフィナーレ
 (アンコール)
 バッハ: 管弦楽組曲第3番より「G線上のアリア」

 今回のリサイタルは、石丸さんのオルガン音楽との関わりをたどる、というプログラムで行われました。中学生時代にりゅーとぴあでオルガン音楽を聴いてオルガニストを志した時代に始まって、東京芸大に進学してオルガンを学んだ時代。さらにヨーロッパに留学した時代。この点については、意外なことに、石丸さんはもともと外に行くことが不得手で、オルガンにしても仮に新潟市にオルガンを学べる大学があったら地元に残っていただろうとのことで、留学も、同級生たちも多くが留学するし仕方なく、という気持ちだったそうです。でも、結果として10年間、ヨーロッパで複数の先生について学び続けることになったわけですから、人間の運命とは分からないものですね。

 シャルトル国際オルガン・コンクールについても興味深い話が聞けました。審査は目隠しで、つまり純粋に演奏のみを聴いて評価が行われること、最終審査に残ったのが、石丸さんと、韓国人男子、ヨーロッパ人男子2名の、合計4人であったこと。石丸さんはフランス語が出来ないので、優勝して名前が呼ばれても全然分からず、他の男子に教えられてやっと理解したこと、など。

 石丸さんはトークが上手ですね。話の筋道がしっかりとしているし、知的で、といってお堅いだけでもなく、変な連想ですがTVのレポーターか何かでも食っていけるのではと思いました。

 演奏も、以前にリサイタルを聴いたときには、アーティキュレーションがちょっと独特な気がしたのですが、今回はそういう感じもなく、正面から作品に挑んだ堂々たる演奏になっていました。

 というわけで、久しぶりの演奏会、満足度100%でした。
 とはいえ、来月のりゅーとぴあの音楽会もすでに中止になっているものがあり、今後順調に音楽会が開かれるかどうか、予断を許しません。
 とりあえず、4ヵ月ぶりに演奏会が再開されたことを喜びたいと思います。

 なお、石丸由佳さんは今までCDを2枚出していますが、1枚目のディスクについての感想はこちらに。

 6月20日付け産経新聞の報道。

 https://www.sankei.com/world/news/200619/wor2006190011-n1.html
 プーチン露大統領、歴史認識で欧州を批判 米誌に寄稿
 2020.6.19 09:40

 【モスクワ=小野田雄一】 米政治外交誌「ナショナル・インタレスト」(電子版)は18日、ロシアのプーチン大統領の論文「第二次世界大戦75年の本当の教訓」を掲載した。「大戦はナチス・ドイツと旧ソ連が引き起こした」との歴史認識を示した欧州議会を批判し、反論する内容。プーチン氏には、ソ連と後継国ロシアが国家の存立基盤としてきた「ファシズムからの解放者・戦勝国」との立場を守るとともに、領土問題を含む戦後秩序を正当化する意図があるとみられる。

 第二次大戦は従来、1939年9月のナチスによるポーランド侵攻が直接的な契機とされ、ナチスと戦ったソ連は「欧州の解放者」と評価される傾向が強かった。しかし欧州議会は昨年9月、「39年8月に不可侵条約と欧州分割の密約を結んだナチスとソ連という2つの全体主義国家が大戦の道を開いた」とする決議を採択。ナチスだけでなくソ連の戦争犯罪も検証する必要性があるとも指摘した。

 決議に対し、プーチン氏は昨年12月、「完全なたわごとだ」と反発。ロシアの立場を論文にまとめる計画を表明していた。

 論文でプーチン氏は「第一次大戦後、欧州はドイツに莫大(ばくだい)な賠償金を背負わせナチスの台頭を招いた」と指摘。英仏を中心に設立された国際連盟はスペイン内戦や日本の中国進出を防げなかったとも述べた。さらに、英仏伊独による38年のミュンヘン会談で、各国がナチスに融和姿勢を取ったことが大戦の「引き金」になったとの認識を示した。

 プーチン氏は「ソ連がドイツと不可侵条約を結んだのは欧州諸国で実質的に最後だった」と主張。同条約締結は一連の国際情勢の帰結にすぎず、「ソ連を非難するのはアンフェアだ」とした。欧州議会の決議は、ミュンヘン会談に一切触れていないとも批判した。

 その上で41年に始まった独ソ戦に関し、「ソ連は多大な血を流し、ナチスの敗北に決定的な貢献を果たした」と評価。対日戦に関しても「完全に(連合国間の)ヤルタ合意に従ったものだった」としたほか、「連合国が日本の軍国主義を打倒した」とした。

 プーチン氏は最後に、大戦後の世界秩序にも言及。国連安全保障理事会の常任理事国5カ国の努力により、第三次大戦が防がれてきたとの認識を示した。その上で、5カ国が持つ拒否権を廃止すれば国連は無力化すると警告した。

                                         

 第二次世界大戦直後の、「連合国=民主主義=正義、枢軸国=全体主義=悪」という図式的史観がほころびを見せるようになって久しい。言うまでもなくこの図式の最大の難点は、連合国側にソ連が加わっていたことだ。

 ソ連がそもそも民主主義国家かという問題もむろんあるけれど、それだけではない。
 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の開始は、1939年9月1日にナチ・ドイツがポーランドに侵攻したことによっているが、ナチ・ドイツはポーランドに侵攻する直前にソ連との間に独ソ不可侵条約を結んでおり、その秘密議定書に従って、ドイツがポーランドの半分を占領した直後の9月17日にソ連もポーランドの残り半分への侵攻を開始したという歴史的事実があるからだ。

 だから、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線は、ナチ・ドイツとソ連とにより開始された、というのが正しい歴史認識である。

 それがそうなっていないのは、英仏はドイツがポーランドに侵攻したのを受けてドイツに宣戦布告をしたが、ソ連がポーランドに侵攻したのに対しては宣戦布告をしなかったからである。英仏がドイツに宣戦布告をしたのは、直前の8月にポーランドとの間に相互援助条約を結んでいたことが根拠となっている。とすれば英仏はソ連にも宣戦布告をしなければならないはずなのに、なぜかそうはしなかった。

 この辺が、国際関係の面白いところ、或いはいい加減なところだろうと私は思う。

 また、この段階では、ソ連は枢軸国三ヵ国、つまり日独伊と同盟を結ぶ可能性があった。これについては、三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日新聞社、2007年)という本がある。つまり、可能性としてはソ連は連合国ではなく枢軸国側であったかも知れないのである。
   
 それがそうならなかったのは、1941年6月に独ソ戦が始まったからだ。ここに来て、本来は強固な反共主義者であるチャーチルははっきりとソ連を支援し始め、またF・D・ルーズヴェルト大統領は1939年11月をもって米国の中立政策を放棄し(1939年11月までの米国は中立法に縛られていたが、法律改定により英国への武器輸出を始めた)、独ソ戦開始後はソ連にも肩入れを始めた。のちにルーズヴェルトの下で副大統領となる(そしてその死後は大統領に昇格する)トルーマンはこの時はまだ上院議員だったが、独ソ戦は盗賊同士の戦いだから放置しておいたほうがいいという見解だったのにもかかわらず、である。

 そして第二次大戦が終わって程なく、いわゆる冷戦が始まり、ソ連は米国を親玉とする西側陣営と対立する社会主義陣営の親玉と目されるようになった。

 東欧の小国家群は、ソ連の一部にされたバルト三国を含め、この時代にはソ連の圧制下で苦しんだ。

 3日前に当ブログに掲載した映画『こころに剣士を』の紹介でも言及した本だけど、橋本伸也『記憶の政治 ヨーロッパの歴史認識紛争』(岩波書店、2016年)は、現在の第二次世界大戦史観には4通りあると述べている。ただし欧米に限定しての史観である。
     
  ① 英米に顕著に見られる認識。ファシズム=ドイツに民主主義が勝利したとする。フランスやオランダではレジスタンスがこれを補完する。
 ② ドイツや中欧に見られる、ホロコーストという無比の人道犯罪に謝罪と悔恨をしめしつつ、自らが体験した二つの独裁体制、つまりナチズムと東ドイツ体制の記憶と、連合軍による爆撃やドイツ系住民の東方からの追放という被害者的な側面への認識が混じる。
 ③ ナチズムとソ連をふたつの全体主義支配と捉え、両者を等しく批判するバルト諸国や中東欧。そこには対ナチおよび対ソ連コラボ(協力)の責任やソ連時代の記憶の扱いが混入する。
 ④ ロシアがソ連から受け継いだ「大祖国戦争」史観。大戦を反ファシズム戦争と捉え、自国民の犠牲的な貢献を称揚する。

 つまり、プーチンの主張はこれら4通りの史観の中の④に他ならないことが分かるだろう。
 むろん、これはロシアにとって都合のいい史観である。ソ連がナチ・ドイツと密約を交わしてポーランドの半分を占領した事実や、その後もバルト三国を初め東欧を支配しみずからの社会主義体制を1991年のソ連崩壊まで押しつけ続けた事実を無視しているからだ。

 また、この記事でプーチンは日本を軍国主義と形容しているわけだが、英米仏にしても帝国主義によって、つまり武力でアジアやアフリカやアメリカ大陸や太平洋地域(ハワイなど)を併合・植民地化して支配してきたことに変わりはない。ヨーロッパの植民地主義については説明するまでもないだろうが、米国にしてもそもそも白人のアメリカ大陸侵略(入植という言い方もあるけれど)によって成立した国家だからである。また、知らない人もいるから書いておくけれど、ハワイはもともと独立国家だったのが、日本で言う明治時代に米国に併合されてしまい、今に至るまで米国領のままである。要するに「連合国」も日本と同じ穴のムジナに過ぎなかったのである。

 今から15年前、2005年5月の欧州会議では、第二次大戦中のファシズムを批判すると同時に、スターリニズムへの批判も決議文の中に盛り込まれた。また、ブッシュ(息子)大統領も第二次大戦中のヤルタ会談での英米ソの決定を、独ソ不可侵条約の秘密議定書につながる内容だったという意味の発言をしている。つまりF・D・ルーズヴェルト大統領の方針を批判しているのである。同じ認識での発言は、欧州議会の議長も行っている。(以上、いずれも上記の橋本伸也の書物を参照。)

 今回の産経新聞での報道、つまり昨年9月、「1939年8月に不可侵条約と欧州分割の密約を結んだナチスとソ連という2つの全体主義国家が大戦の道を開いた」とする決議が欧州議会で採択されたのは、こうした流れを受け継ぐものと言える。むろんこれは、ロシアにとっては都合の悪い史観であるから、プーチンが苛立つのも当然ではあろう。

 しかしプーチンの抗議にもかかわらず、「民主主義国家対ファシズム国家」という単純な第二次大戦史観は、今後も揺らぎ続けるだろう。

 ナチ・ドイツは600万人のユダヤ人を殺戮したと見積もられているが、第二次世界大戦前後を含めて考えるなら、スターリンの殺した人間の数はその2倍から3倍に及ぶと推測されている。中国も連合国の一員で、第二次大戦当時の支配者は蒋介石だが、その蒋介石に代わって支配者となった毛沢東が殺した人間の数はスターリンのさらに2倍から3倍に達すると見られている。にもかかわらず、ロシアはスターリンを、中国は毛沢東を、現在でも否定的に捉えてはいない。ヒトラーをドイツがどう評価しているかと比較してみれば、その評価の異様と理不尽は歴然としている。こうした異様と理不尽こそが、しかし、歴史評価には始終つきまとうものなのである。

 ちなみに日本が国際連盟を脱退したことをもって「国際的孤立化=戦争敗北への道」とする単純な史観も(日本には)あるわけだけど、そもそもソ連は1939年11月にフィンランドに戦争を仕掛けて国際連盟から除名されているのである。「国際的に孤立化」したわけだが、それでもソ連は紆余曲折を経て連合国側に入り、「戦勝国」となった。対して、ソ連に侵略されたフィンランドは日独と同じく枢軸国側だったのである。

 第二次世界大戦は、或いはそもそも歴史は、単純な善玉悪玉史観では理解できない。歴史を知るとは、そうした複雑さの認識に至ることに他ならない。それができない人間は、要は永遠の幼児にとどまる程度の知性の主に過ぎないのである。この記事はそのことを教えてくれる。

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今年映画館で見た51本目の映画
鑑賞日 6月17日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 フランス・NZ合作、ジャスティン・ペンバートン監督作品、103分、原題は"CAPITAL IN THE TWENTY-FIRST CENTURY"。

 2014年に発行されて世界的な話題を呼んだフランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』。この映画は同書の内容を映画の形で分かりやすく説明したもの。ピケティ自身が監修し出演もしている。

 フランス革命が起こる以前のヨーロッパでは、ひとにぎりの貴族階級が富を独占し、一般人はきわめて貧しい暮らしを強いられていた。
 革命後、そして産業革命の進行と共に、労働運動が盛んになり、特に20世紀になると「格差」は小さくなっていく。

 しかし、米国のレーガン大統領や英国のサッチャー首相の登場により新自由主義時代が始まり、格差はふたたび拡大の方向に・・・

 ピケティ自身を始め、フランシス・フクヤマやステイグリッツなどの著名学者が、そしてそれ以外にも何人かの学者が登場して、経済状況の変遷と現状を分かりやすく説明してくれる。

 ピケティの大著をちゃんと読むだけの根性のない人(実は私もなんだけど)にも、その主張がしっかりと理解できるドキュメンタリー映画ではある。

 しかし、ピケティの主張は、彼の大部の書物を読まずとも新聞や雑誌などで解説されているし、格差拡大と新自由主義の関係についてもマスコミではよく論じられているので、そういうものを読んでいる人間(私もそうだが)にとっては、この映画は新鮮味に欠けており、新たに教えられるところは少ない。

 英国の女流作家ジェイン・オースティンの『プライドと偏見』(当ブログでもこちらで紹介)にも触れられていて、男性主役は地主階級だという説明がなされているけれど、あの小説は要するにハーレクイン・ロマンスで、お金のないヒロインがいかにお金持ちで地主階級の青年をつかまえて結婚に至るかという話であり、たいした作品ではないというのが私の見解なので(どういうわけか英文学を代表する小説という評価が多いんだけどね)、「別に」って感じでした。

 東京では新型コロナウイルスで映画館が休館になる直前の3月20日の封切だったが、新潟市では2ヵ月半の遅れで、上映を再開してまもないシネ・ウインドにて2週間上映された。私も久しぶりでシネ・ウインドに足を運んだけれど、観客は10人程度だった。

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評価 ★★☆

 出たばかりの新書。著者は1976年生まれ、米国ウェストヴァージニア州立大卒、スペイン・バルセロナ大学国際論修士、同大・コロンビア・ジャーナリズム・スクール修士。スペインの全国紙勤務を経てフリー。小学館ノンフィクション大賞優秀賞および講談社ノンフィクション賞受賞。

 移民や難民に対する嫌悪感から右翼政党への支持が高まるヨーロッパ。本書は、チェコ、オランダ、ドイツ、イタリア、フランス、英国の六ヵ国に取材してこの流れを把握し、最後に日本における移民の現状と将来について考察したものである。

 結論から言うと、読後感はどこか物足りなくて、褒められない出来映えになっている。著者は、難民・移民を嫌悪する側にもそれなりに理由があるというスタンスで取材を行っていて、その点は評価できるのだが、取材数が少なく、また右翼政党の党首への取材もできている場合とできていない(取材に応じてくれないなど)場合がある。だから、ヨーロッパ各国ごとの事情が必ずしも鮮明に伝わってこない。むろんこうした現象は複雑だから、簡単に割り切れるものではないことは分かるが、多数の取材を重ねた末に見えてくる複雑な諸相、といったところまで達していない本ではないか。

 そんな中で比較的読ませるのは、チェコとオランダの事情を説明した章だろう。

 チェコというと「プラハの春」のイメージが強く、ソ連の圧力下で民主化への努力を敢行した国という印象を日本人は持っているが、チェコはEUには加盟しているが通貨はユーロではない。そのチェコではEUへの懐疑が高まっている。世論調査では、EU加盟各国の平均でEUに疑問を持つ人間は三分の一であるのに対し、チェコでは半数に及んでいるという。チェコ国民は自国文化へのプライドが高く、また東欧の国家が西欧と同一基準でことを決めるのは無理、という考え方が強いようだ。

 そのチェコで、「自由と直接民主主義」(SPD)という右派政党を率いているのが、日系人のトミオ・オカムラだという。先の欧州議会選挙で二議席を得たそうである。ここの記述で、欧州議会選挙で合計七三議席を得た急進右派「国家と自由の欧州」(ENP)は名称を六月に「アイデンティティと民主主義」(ID)に変更した、とあるのだが(34ページ)、オカムラの率いるSPDが欧州議会では他国の右派政党と組んでIDを結成しているという事情が、著者の説明が下手なために分かりにくい。
 オカムラの言うところでは、「われわれは親ヨーロッパ派だが親EU派ではない」「ヨーロッパ各国がそれぞれのやり方でやればいい。それがヨーロッパが長らく採用してきた流儀なのだから。ブリュッセル(EU)支配はごめんだ」ということらしい。

 ここで注目すべき指摘が引用されている。『アフター・ヨーロッパ』(当ブログでも新聞書評を紹介)の著者イワン・クラステフの見解である。中東欧のポピュリスト政治家の態度は、移民第二世代が受入国に対してとっている態度と似ているというのである。私なりに言葉を補うなら、移民の第一世代は受入国に同化しようと努力したのに対して、第二世代は受入国に壁を感じてイスラム原理主義に走ったり「イスラム国」にはせ参じたりする。同様に、EU第一世代の政治家は自国とEUとの理想的な関係を築こうと努力したが、第二世代の政治家はEUへの同化をプレッシャーと感じて自国の民族的アイデンティティを重視する、ということのようだ。

 オランダの事情も興味深い。オランダは人口の20パーセントを移民が占めている。1950年代からトルコやモロッコの移民を労働者として受け入れ、石油危機以降はスリナムやインドネシアからの移民も増えている。移民が家族を呼び寄せるのも容易だ。

 多文化主義によって移民に寛容な国家を目指していたオランダだが、ここに来て右派政党の躍進が目立っている。2017年の下院議員選挙(総選挙)では、150議席のうち右派のウィルダース党首率いる自由党(PVV)が5議席伸ばして20議席となった。逆に労働党は38議席から9議席へと大幅な後退を見せた。与党である自由民主国民党(VVD)は33議席で第一党の座を守ったが、前回比で8議席を失った。

 オランダでは政治的には右派が伸びているわけだが、それに先だって衝撃的な事件が複数起きているという。2002年には反イスラムを叫ぶ極右政治家ピム・フォルタイン(自分の名を冠した政党を率いていた)が動物愛護団体の青年に射殺された。また、2004年には、反イスラム主義者でそうした映画作品を作っていた映画監督テオ・ファン・ゴッホが、イスラム原理主義者の男に殺害された。つまり、右派に対抗する側の暴力行為が起こっているのである。

 PVVを率いるウィルダースへのインタビューも本書には載っている。最初に述べたように、他国では右派政党の党首へのインタビュー自体が成立しなかった場合もある中で、このインタビューは本書で最も充実した党首インタビューとなっている。

 なぜウィルダースが反イスラムであるかというと、イスラム支配下では近代的な原理、つまり民主主義、法の支配、司法の独立が存在しないからだという。近代の原理を守るためにはイスラムを入れてはならないということだ。これは個人的な反感とは違うという。イスラムを奉じている人間の中にも立派な人物はいるとウィルダースは認めている。他方でウィルダースは『コーラン』をヒトラーの『わが闘争』になぞらえて非難を浴びたが、裁判では無罪になったという。

 ウィルダースはそうしたヨーロッパの情勢、つまりイスラムを言論で批判すると多くの非難を浴びたり身に危険が迫ったりするという現状を、EUのエリート政治家が招いた事態だとして批判する。

 ウィルダースはまた、同じ移民でも日本や中国からの移民には批判的ではない。なぜなら極東アジア系の移民はオランダに同化しているからだという。言い換えれば、問題はやはりイスラム系移民なのだ。これは私の考えだが、極東アジアの人間はもともと宗教性があまりないから、受入国に同化しやすいのではないか。イスラム教は(キリスト教と同じく)一神教でいわば宗教性の強い宗教であり、同化の妨げになる。

 むろん、イスラムでも現地に同化している人間も多数いるだろう。この点については、上で述べた「第二世代」の問題への言及、および本書の著者が別の箇所で指摘していることが参考になろう。つまり、移民が少数である間は問題はあまり起こらず、移民も同化に努めるのだが、移民の数が多くなると移民だけでコミュニティを作り、その内部にいれば同化せずとも何とか生きていけるようになる。そうなると、同化の努力をしない移民が多数になる、というのである。

 著者はまたそれとは別のところでこんな体験譚も披露している。むかしスペインに住み始めた頃は、スペインは先進国ではなく、当地では珍しいアジア人である著者は差別的な扱いも受けたが、同時に人間同士の温かい交流も体験でき、住み心地はよかった。時代をへてスペインが経済発展を遂げると、露骨な差別はなくなるが、逆に人間同士の交流は希薄になり、疎外感を感じるようになったという。こうした疎外感は、フランスでも強く感じたと著者は述べている。遠いむかしから移民を多く受け入れてきたフランスであるからこそ、現地人と移民との関係は形式的なものにとどまり、双方の懸隔が強く意識されるのだという。

 本書では、こういった著者の体験譚がむしろ面白い。最初に述べたように各国の「右翼」事情の取材という点では不十分に終わっている。これは、著者のジャーナリストとしての力量にもよるだろうが、本書は雑誌『Voice』に連載した記事をまとめたものなので、『Voice』編集部が著者をちゃんとバックアップできていなかった、或いはそれだけの力量を持っていなかったという面もあるのかも知れない。

 文章にもおかしな箇所が散見される。一例だけ挙げると、「こうした状況〔通貨ユーロの導入で物価が上がる〕は、主にギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルといった地中海沿岸やイベリア半島の国々で多大な被害を受けたが」(114ページ)なんて文章は、編集部でちゃんと直しておくべきだろう。

 以上、やや残念な本であった。
 なお、難民問題については当ブログでも紹介した中公新書『難民問題』(本書でも引用されているけれど)がいい。ただし右派政党の紹介はそんなに多くないけれど。

 それから、本書でも右派政党については、その主張によって著者も「急進右派」とか「極右」といったいくつかの形容を使い分けているが(当然ながら右派政党でも主張は一様ではない)、私はかねてから「極右」という言い方を濫用するマスコミの姿勢には疑問を抱いてきた。例えば左翼なら、「左翼」と「極左」はどう違うだろうか。一般的には、議会制民主主義の枠内で自分の主張を実現しようとするなら「左翼」であり、テロを行ったり容認・使嗾したりするのは「極左」となるのではないか。そうであるなら、右翼についても同じ基準を適用すべきだろう。あくまで議会制民主主義の枠内での活動と主張にとどまるなら「極」は付けるべきではないと考える。フランスで言えば、ジャン=マリー・ルペン時代の国民戦線(FN)は極右だったろうが、その娘のマリーヌ・ルペンが率いている現在の国民連合(RN)は極の付かない右翼でいいのではないか。

 なお、著者は最後の日本を論じた章で、なぜ日本の議会には極右政党が存在しないのかという疑問に対して、某評論家の、日本の自民党はヨーロッパで言う極右を含む政党だから、という説明を採用しているのだが(まあ、自民党にも色々な人がいるけどね)、どうかな?と思う。日本にはまだ移民が比較的少ないし、特にイスラム系移民は(まだ)少数だから、じゃないのかな。

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DVD鑑賞
評価 ★★★

 フィンランド・エストニア・ドイツ合作、クラウス・ハロ監督作品、98分、2015年、原題は"MIEKKAILIJA"(フェンシング選手)。

 舞台はエストニアの海辺にある小さな町ハープサル。エストニア(バルト三国の一番北)が舞台の映画は、日本では珍しい。
 時代は1950年代初頭。当時のエストニアはソ連の一部であった。そしてスターリンが支配していた時代でもあった。

 レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)からエンデル・ネリスという青年がやってくる。
 彼は戦時中はドイツ軍に所属し、その後軍から逃亡したという経歴を持っていた。
 第二次世界大戦でドイツと死闘を演じたソ連では、ドイツ軍に所属したという経歴は大きな汚点となる。ネリスは偽名を使い経歴を隠して、町の学校教師に採用される。

 ネリスはかつてはフェンシングの選手だった。学校では生徒に何かスポーツを教えるよう求められたが、体育館にはろくなスポーツ用具もない。たまたまフェンシングの剣がロッカーに置いてあったことから、彼は生徒たちにフェンシングを教えることになる。

 レニングラードで学校フェンシング部のための全国大会があると聞いた生徒たちは出場を望む。レニングラードに行けば自分の身元がバレる恐れが大きいと知っているネリスは渋るが、生徒たちの熱意にほだされて出場を決意する……。

 実話に基づいた映画だそうである。
 スポーツを通して教師と生徒の絆が培われ、また全国大会での勝利によって生徒たちが自信をつけていくという筋書は日本の映画でもわりにあるから、予備知識なしで見ても理解はできる。
 ただし、或る程度深い理解をするには、エストニアの歴史を知っておく必要がある。

 エストニアなどのバルト三国は18世紀初頭からロシア帝国の支配下にあった。他方、バルト三国には昔からドイツ人が入植し、一方で技術や文化を伝えつつも、貴族階級として地元民を支配していた。
 第一次大戦末期にロシア革命が起こり、エストニアは独立を達成するものの、1939年にナチ・ドイツのポーランド侵攻をきっかけとして第二次大戦が始まると、その直前に結ばれた独ソ不可侵条約の秘密条項(バルト三国はソ連圏、ポーランドはドイツ圏と定めていた)に従って1940年にソ連に併合されてしまう。

 1941年にナチ・ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻して独ソ戦が始まると、ドイツは当初はエストニアを占領してソ連勢力を追い払うが、大戦末期にはソ連が盛り返して再びエストニアを占領した。以後、エストニアは1991年にソ連が崩壊するまでソ連の一部となる。

 この映画を十全に理解するためには、そうした複雑な歴史的経緯を知っておいたほうがいい。ただし映画の中ではその点についてあまり説明がないので分かりにくい。長らく帝政ロシアやソ連の抑圧に苦しんできたエストニアからすれば、独ソ戦が始まってソ連軍を追い払ってくれたナチ・ドイツが「解放軍」と受け取られたことも事実だったのである。この映画で主人公がナチ・ドイツ軍に一時期所属していたという設定になっているのは、そうした背景からだろう。

 また作中には生徒の祖父がソ連の秘密警察に連行されていくシーンがある。この祖父は、ネリスが学校でフェンシングをやりたいと言ったのに対して校長が「フェンシングは労働者にふさわしくない」と拒否的な態度をとりつつも、生徒の父母を集めて意見を聞いた際に、「フェンシングは優れたスポーツだ」と言ってネリスを擁護してくれた人である。フェンシング自体は、レニングラードでフェンシング大会が行われていた事実からも分かるように、ソ連でも決して排除されていなかったのだが、エストニアの田舎町に住む校長にはそのことが分からなかった。校長はソ連体制に「忖度」する人だったのである。そしてこの祖父は若い頃にライプツィヒ大学(ドイツ)で学んでいたという話が出てくる。つまりドイツの文化に敬意を持つ人であり、おそらく第二次大戦中もソ連よりドイツに加担した経歴があったのではないか。だから連行されたのだろう。この映画ではその辺がちゃんと説明されていないのが残念である。またこの生徒の父親も家に不在なのだが、バルト三国からは第二次大戦後、多数の人間が労働者としてソ連に強制的に狩り集められたことが背景になっていると考えられる。

 ネリスや祖父の経歴がちゃんと描かれていないのには、おそらく理由がある。二人がナチ・ドイツに加担したからだ。ソ連崩壊後のバルト三国では、ナチ・ドイツよりもソ連の抑圧体制に対する批判が強い。上でも述べたように、第二次大戦中エストニアに侵攻してきたナチ・ドイツの軍隊は「解放軍」と受け取られたわけだし、歴史的に見て現地人のそういう見方にも一定の正当性がある。しかし国際的に見た場合、ナチ・ドイツを正義と評価するのは問題がある。したがって、ネリスや祖父の経歴はぼかして、共産主義の抑圧体制だけを描いたわけだ。この映画ではしかし、秘密警察はちょっとだけ出てくるに過ぎず、一番の悪役は「忖度する人」である校長ということになっている。ネリスの経歴を疑い、調べるように指示したのは校長だったからである。

 その辺の映画の描写が、歴史の複雑さに届いておらず、まあ無難な線でまとめたということなのだろうけれど、ちょっと残念である。なお、第二次大戦期及びそれ以降のエストニアの複雑な歴史と歴史観についてはこちらを参照

 また、この映画にはフィンランドが制作に加わっており、監督もフィンランド人のクラウス・ハロが担当している。フィンランドは長らくロシアの属領で、第一次大戦後に独立を達成したものの、1939年にソ連から戦争(冬戦争という)を仕掛けられたという歴史を持っている(対フィンランド戦争を始めたという理由でソ連は国際連盟から除名されている)。そのためもあり、フィンランドは第二次世界大戦ではドイツや日本と同じ枢軸国側だった。フィンランド人映画監督からすれば、エストニアもフィンランドも長らくロシア=ソ連の圧制下で苦しんだという共通する歴史を持っているので、共感しやすいのではないだろうか。

 純粋に映画の出来映えということで言えば、悪い映画ではないが、生徒たちがフェンシングに上達していく様子は、もう少し丹念に描いたほうがいい。

 東京では2016年12月24日に封切られたが、新潟市では劇場未公開。

 新型コロナウイルス感染にともなう政府給付金10万円の通知が、三週間ほど前にようやく届いた。出すと言ってからかなり時間が経っている。公的事務の効率にかなり問題があることは明らかだ。

 私としてはマイナンバーを使ってさっさと支給できるようにすればいいと思うのだが、どういうわけか日本ではマイナンバー制度に警戒感が強い。でも、マイナンバーで課税されて困るのはお金持ちじゃないかね? 貧乏人は今だって、少なくともサラリーマンは収入のほとんどを把握されているんだから。脱税の手段を多く持っているのは自営業者を除けばお金持ちでしょう。

 それはさておき、私は10万円をもらわないことに決めているので、返信用の書類には×を付けておいた。もっとも、女房はもらうそうである。高校で非常勤講師をしているのだが、新学期が2ヵ月ほど休校になって収入減だから、だという。

 なぜ私はもらわないのか? もらう理由がないからである。
 私の収入は年金と、わずかながら新潟大学でやっている非常勤の教養科目講義だが、年金はふつうに支給されているし、新潟大学の授業も開始は10日ほどずれ込んだけれど、非対面型授業で4月半ばからつい先週まで8週間、週2回やっていたので、その給料は支払われる。
 つまり私は新型コロナウイルス感染で収入は減っていないのだから、政府からお金をもらう理由がないのである。

 といっても、もらえるものはもらったほうが、という考え方もあるだろう。しかしドイツのように健全財政でやってきて、今回は非常事態だから国債を大幅に発行してでもとりあえず国民の収入を保証するというのならいざ知らず、日本の国家財政はもともと大赤字なのである。これでまた国債を大幅に発行して、いったいどうなる、と普通の人間なら考える。私も普通の人間なので、そう考えて、もらう必要がないならもらわないでおくのが正しいと判断したのである。

 もちろん、職業によってはもらわないと飢え死にしてしまう、という人もいるだろう。その意味で、給付が迅速でなかったのは遺憾だし、それは上で述べたような制度上の問題があるからだろうというのが私の見解。ちゃんとマイナンバー制度を広範に活かすべきじゃないかと思う。

 それはさておき、そもそも新型コロナウイルス感染によって、日常生活ではお金をあまり使わなくなっているのである。

 クラシックのコンサートは軒並み中止だし、映画館も一時休館になっていたから、お金がかからない。映画は、代わりにDVDを借りてきて鑑賞した(今もしている)けれど、映画館だと1本見るのに1100~1200円かかるのに対して、映画のDVDを借りても旧作なら110円だし、準新作でも330円程度だから、映画館に比べると格安で済む。

 例年、私は3月か4月に一度、5月末か6月にもう一度、上京するのを習慣としている。今年も4月に上京して新国立劇場でオペラ「ジュリオ・チェーザレ」を鑑賞するはずだったのが、新型コロナウイルスのせいで上演中止となり、上京も中止した。昨秋購入していたチケットは払い戻し、同じく昨秋予約していたホテルはキャンセルした。
 6月にも新国立劇場のオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を鑑賞しに上京の予定で、こちらはチケットもホテルもとってはいなかったが、やはり上演中止で行かずじまい。

 というわけで、本来なら4月と6月にチケット代・ホテル代・交通費その他でそれぞれ7~8万円程度かかるはずが、その分の出費がゼロだったので、銀行預金通帳の金額も、4月初めより増えているくらいである。

 といっても、一方には困っている人も多くいるので、善根を積もうと、わずかながら寄附もした。東京交響楽団、シネ・ウインド、新潟大学に寄附をしたのを始め、今月はユニセフと国境なき医師団にもわずかながら寄附をした。

 ユニセフと国境なき医師団には、給料取りだった時代には毎年少額ながら定期的に寄附をしていたのだが、定年退職後は中止していたので、久しぶりである。なぜ定年退職すると寄附できなくなるかというと、言うまでもなく収入が激減するからであるが、それ以外に年金生活はやってみないと分からない部分があり、収入と支出がどの程度になるかがつかめないうちは支出はなるべく切り詰めるしかないからである。

 例えば住民税は、前年の収入に対して課税されるので、定年退職した最初の年は多額の請求がいちどきに来る。いちどきに、というのは、給料取りだった時代には住民税は12分割されて毎月の給料から一定額を差し引かれていたのが、給料取りではなくなると請求がまとめて来るからで、分割払いもできるわけではあるが、そうなると年に何度も銀行に足を運ばねばならず、うっかり忘れることもあり得るので、それを避けるためには一年分はまとめて一度に支払ってしまおうと考えるからなのである。ちなみに定年退職二年目になっても、前年の1月~3月は給料をもらっていたので、住民税はそれなりの額を請求される。この点についてはこのブログでも「身辺雑記/年金は分かりにくい」シリーズに記したし、来月改めて記事を載せる予定である。

 住民税のほか、健康保険料もバカにならない額になる。これまた一年分をいちどきに支払うと通帳の金額がかなり減る。

 しかし、今年は新型コロナウイルスのせいで支出が大幅に減っているので、その分は多少寄附に回せた、ということになる。困難な時代にはお金は回さないとね。

 とはいえ、まだまだ新型コロナウイルスのせいで生活は完全に旧には復していない。

 クラシック・コンサートは、本日久しぶりにりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)で石丸由佳さんのオルガンリサイタルがあるので楽しみにしているが、いまだに中止になっている演奏会が多いし、新潟市の映画館はすべて(シネコン4館とミニシアター1館)営業を再開したものの、現時点では旧作上映が多い。

 私の所属している社会人卓球クラブも、練習場として使わせてもらっている市立小学校の体育館使用許可が下りないので、活動を休止したままである。市立スポーツセンターは営業をほぼ全面的に再開しているので、市立小学校の社会人向け体育館開放も同じであっていいはずだが、そうなっていない。

 新型コロナウイルスの感染も、新潟県ではここしばらく発病者が出ていないけど、東京や北海道などでは今も発病者が出ており、今後の展開は予断を許さない。

【追記】 この記事をアップしたのが午前8時30分と9時の間くらいだったが、アップした直後に電話がかかってきて、社会人卓球クラブの活動を7月から再開する、市立小学校の体育館が使えるようになるので、とのことであった。朗報ですね。

 これから暑くなるけど、暑さが落ち着いた秋にはどんな状況になっているだろうか。

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今年映画館で見た50本目の映画
鑑賞日 6月13日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 アメリカ映画、グレタ・ガーウィグ監督作品、135分、原題は"LITTLE WOMEN"。

 何度も映画化されているオルコットの『若草物語』(原作については当ブログのこちらを)が、また映画になった。

 基本的な筋書はもとのままだけれど、現在の視点を、故郷を離れた次女ジョーが原稿を出版社に持ち込むところに置いている。そこから、過去を回想するという形でメインの物語が紡がれる。

 したがって、原作を知っている人にはいいが、未読の人にはやや分かりにくい部分がある。例えば三女のベスは二度病気で臥せるわけだが、二度目はジョーと出版社の交渉が行われている現在で、しかしいずれも親身になって介護するのは同じジョーなので、髪形の相違などがあるとはいえ、場面を混同する恐れが多分にある。

 そうした欠点はあるけれど、姉妹ものとしてそれなりに楽しい作品になっている。四姉妹を演じる四人の女優も見どころだが、今回は四女のエイミー役のフローレンス・ピューが可愛い盛りの女の子にぴったりで、特筆に値する(画像を参照)。

  ジョー役のシアーシャ・ローナンもほめるべきなんだろうけど、私は顔の長い女は嫌いなので……すみませんね(笑)。まあ、この手の顔が好きな人にはいいんでしょう。嫌いと言えばマーチ伯母役のメリル・ストリープも嫌いだが、これはそもそもが嫌われ役だから、許します(笑)。

 本来なら春に公開されていたはずが、新型コロナウイルス騒動で封切が遅れた作品。新潟市では全国と同じく6月12日の封切で、市内のシネコン4館すべてで上映中。県内他地域のシネコン3館でも上映されている。
 新潟市内ではどこのシネコンでもやっているせいか、私が見に行った回の観客は7人だった。

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評価 ★★☆

 出たばかりの新書。著者は1979年生まれ、京大大学院法学研究科修了、野村総合研究所をへて、教育研究家、学校業務改善アドバイザー。

 冒頭、西東京市の市立小学校に勤務し始めたばかりの女性教諭(25歳)が、半年後に自殺をはかり、その二ヵ月後に亡くなったという事件が紹介されている。2年生のクラス担任になったものの、子供の非行を認めようとしないモンスターペアレントの態度に校長らが日和見的な態度をとり、またそれとは別にクラス内でいじめが生じるなどの果ての悲劇だった。しかもこの事件を地方公務員災害補償基金が公務によって生じたと認めなかったため、女性教諭の両親が裁判に訴えて、死後10年以上を経過してから高裁で勝訴を勝ち取ることができたという。

 こうした事件は氷山の一角であり、ここ10年で少なくとも新人教員20人が自殺しているという。実際にはもっと多数に及ぶ可能性もある。

 本書は日本の教師には様々な問題が起こっているとして、多面的に現代の教師世界に生じている危機を明らかにしようとしたものである。最初に著者は、それを五つの「クライシス」としてまとめている。
 1.教師が足りない
 2.教育の質が危ない
 3.失われる先生の命
 4.学びを放棄する教師たち
 5.信頼されない教師たち

 まず第1章では「教師が足りない」危機が論じられている。
 2019年4月に富山市では35人の講師が不足し、始業式にクラス担任を発表できない学校すらあったという。
 ここには色々な要因がある。まず、ここ数年、いわゆる団塊の世代の教師が定年退職期に入っているため、大量の新人を採用しなければならないが、新しく教員になる人間はあまり多くないから、という原因が挙げられる。教員志望者が減っているのは、少子化も関係しているものの、教師という職業の人気薄、という端的な理由がある。つまり、教師が非常に多忙できつい仕事だという事実を若者は知っているので、教育学部を出ても民間企業に逃げてしまうのだという。しかも優秀な若者ほど教師になるのを避けるため、教師の質にも問題が出ている。

 非正規雇用の教員も増えているが、こうした教師への文科省や教育委員会の支援はきわめてお粗末で、教員数を確保すること自体が難しいという惨状はそのためもあるらしい。しばしば指摘されていることだが、教育に対する政府支出の対GDP比は日本では2.9%であり、OECD加盟国中でも最下位なのである。

 他方、日本の教員の勤務時間はOECD加盟国の中でもダントツでトップ、つまり長時間に及ぶ。日本の教育が、労働基準法を無視した教員の個人的な努力に多くを負っている現状は明らかだ。

 以上、第1章をやや詳しく紹介した。私の見るところ、ここが一番まともだと思う。また、第6章ではフランスの例を引いて、教師を多忙から救う方法も提示されている。

 以下、最初の「クライシス」に挙げられたいくつかのテーマに添って教員や教育の問題が論じられていくが、総花的で、個々の問題の掘り下げが足りていない箇所が目に付く。

 例えば日本の教育が創造性を育んでいるかという問題について、中高生に対するアンケート調査をもとに、英米独豪の生徒は「自分は創造的」という答が半数近いのに、日本では8%しかないということを問題視しているのだが(125ページ)、中高生が「自分は創造的」と考えているというだけで、実際に彼らが創造的だと判断していいのだろうか? そもそも創造的とはどういうことをいうのか、何ができれば創造的なのか、中高生の年齢で(稀な才能の主は別として)本当に「創造性」などが発揮できるのか、という根本的な問題を著者は考えようとしない。つまり、それは、教育についてちゃんと著者が考えていない、ということだろう。

 校則が厳しすぎる、いわゆる「ブラック校則」の問題にしても、なぜそういう校則ができたのかをしっかり考えた上で論じているとは思われない。もともと髪が茶色である生徒に黒く染めるよう強制するのが問題であることには同意できるが、そもそも茶髪が問題とされるのは、黒髪を茶色に染める生徒が少なからずいるという状況があってのことであろう。ところが、著者は一方で地毛が茶色なのに黒く染めさせる教員を批判しながら、黒髪を茶色に染める生徒がいるという現実にはまったく触れず、「髪の毛を染めるよう強要するのは、頭皮が傷む、アレルギー反応が出るなどの健康被害が起こる可能性」があるからいけない、と述べるだけなのである(178ページ)。つまり、自分で勝手に黒髪を茶色に染めてしまう生徒がいるからこそ、そしてそれは「健康被害」を起こす可能性があるからこそ校則が設けられているという現実を完全に無視している。この人、これで教育評論家なんだろうか?

 おまけに、「校則をゆるめるくらいで、学校、学級が荒れたり、うまく運営できなくなったりするのなら、たいてい、真の問題は別のところにあります」と著者は述べ、家庭の問題、交友の問題、或いは授業が理解できないなどの理由が考えられるとして、「教員は、真の問題にもっと向き合うべき」だと求めている(182-183ページ)。おいおい、日本の教員は長時間労働に苦しんでいると言ったのはどこの誰だったのだ! 教員が生徒の家庭の問題までも解決しなければならないのだとすると、それこそ教員になる人間なんて誰もいなくなるんじゃないの?
 
 著者は教員の質が落ちているとのたもうているけれど、上のような例を見ると教育評論家の質も落ちているんじゃないかと言いたくなる。

 また、いじめで自殺した川口市の生徒が「教育委員会は大嘘つき、いじめた人を守って嘘をつかせる」というメモを残して自殺した問題について、川口市の教育委員会の対応がまずいと指摘しているのを始め、類似の例をいくつか挙げているのはいいけれど(229ページ以下)、ではどうすれば教育委員会がまともになるのかという具体的な提言には乏しく、誰でも言えるようなこと(「失敗に学ばない」「再発防止に努めるべきだ」など)しか書いていない。

 誰かが言っていたけれど、モンスターペアレントにしっかり対処したり、いじめ問題について実りのある議論と対応をするには、専門の弁護士を雇用しておくくらいのことをしないとダメじゃないかな。

 さらに、学校ではプロジェクト型学習の占める割合を半数程度にせよという某大学教授の主張に無批判的に賛成しているのも(306ページ)、いかがなものか。そういう授業もあっていいとは思うが、義務教育の生徒には知識を与えることも大事で、それはプロジェクト型学習では身につかない。この問題、「ゆとり教育」で提示された問題と類似しているように思うけど、「ゆとり教育」については米国での先例があり、「生徒の質」「教員の質」「学校の設備」の三要素が揃っていないと成功しないという結論が出ているのに、日本の文科省はそれを無視して推進したのである。つまり文科省は知性に欠けているわけで、今どき教育評論をやるならその辺を押さえておくべきだということは常識だと思いますけど。

 むかし、「ワインB級グルメ?」という記事を載せたことがあった。

 その後、私は定年退職した。収入は大部分が年金で、定職に就いていた頃の給与と比べると大幅に減っているので、したがってワイン(或いはその他のアルコール類)にかけるお金も、もともと少なかったものが、一層の経費削減を余儀なくされている。となると、B級どころではなく、完全にC級グルメである。
 
 最近よく飲んでいるのは、以下の4種類。いずれも南米のチリ・ワイン。なお、私は冬は日本酒、真夏は芋焼酎をメインとする。赤ワインをよく飲むのはその中間の季節である。

1 ALPACA(サンタ・ヘレナ) Caberne-Sauvignon+Merlot: 度数13度、ミディアムボディだがフルボディに近く、味のバランスもいい。

2 ALPACA(サンタ・ヘレナ) スペシャル・ブレンド(Syrah+Carmenère+Viognier): 度数13度、フルボディ。上の品より味に華やかさがある。

3 DANCING FLAME      Caberne-Sauvignon: 度数13.5度とアルコール度数が高い。ミディアムボディとフルボディの中間という位置づけだけど、フルボディと見ていい。カベルネ・ソーヴィニョンにしてはやや渋い味だが、その分飽きが来ない。

4 SANTA BY SANTA CAROLINA  Carmenère+Petit Verdot: 度数13度、フルボディ。地味目だが堅実な味わい。

 問題は、価格と、どこで手に入るかということである。

 1は新潟市内の食品スーパーでよく見かけるが、食品スーパーだと税抜きで500円前後の価格になっている。ところが、ホームセンターのHだとそれよりかなり安く売っているのである。このことに気づいたのは最近で、ホームセンターでワインを扱っていること自体を知らないでいたが、たまたま或る製品(食物ではない)を探してホームセンターに寄ってみたら、ワインを売っており(ビールや焼酎や日本酒も)、しかも食品スーパーよりはっきり低価格であることにびっくりしたのである。

 加えて、ホームセンターHでは2も(同じく安く)売っている。2は1と同じ会社の製品だが、食品スーパーではあまり見かけない。どういう理由からかは知らないが。また、4は食品スーパーHでも売っているが、ホームセンターH(どっちもイニシャルはHだけど、別の会社です。新潟市内に住んでいる人にはすぐ分かると思いますが)のほうがはっきり安いのである。(なお、食品スーパーHは支店が多いが、支店によっては売っていない場合がある。ホームセンターHは寺尾の大堀幹線にある店である。)

 3は比較的最近、食品スーパーUで見かけるようになった品。価格も税抜きで400円弱と格安だが、味はいいしアルコール度数も高いので、コストパフォーマンスで言うと非常にお買い得。

 これ以外にも通信販売で11本5980円(税抜き)なんてのも時々購入しているけど(フランスやスペインのワインも入っているので)、通信販売ではいくら安くても1本あたり550円(税抜き)程度はするから、上記のような、税抜きで400円弱からせいぜい400円台前半である品より割高になる。

 上記の製品にしても、通信販売でも入手可能だけれど、例えば4だとAmazonでは税込みで1100円なんて値段が付いている。新潟市内の店なら、食品スーパーHだって税込みで500円以下なのである。私はクルマで映画を見に行くついでに食品スーパーかホームセンターに寄ってワインを買うことにしている。

 とにかく、年金生活者の生きる道はワインC級グルメしかない!
 お互い、情報を交換し合って、ワインのコストパフォーマンスを厳しく追求したいものである。

 前回に続いて、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番変イ長調op.110のディスクを聴き比べてみました。前回と合わせて合計13名のピアニストが取り上げられています。前回紹介したのが5人だったのに、今回は8人でバランスが悪いのですが、前回の記事をブログに載せた後で「あ、これも持ってたんだっけ」があったもので……(汗)。ご参考までに。

・ヴィルヘルム・バックハウス                 1950年代前半
  (キング、London、MZ5010、日本盤、LP)
 CDでの聴き比べが建前だが、これのみLP。貧乏学生だった1970年代前半に廉価盤で購入。ジャケットには「ピアノ奏鳴曲」と記されていて、時代を感じさせる。「鍵盤の獅子王」と呼ばれたバックハウスはモノラル時代とステレオ時代にそれぞれベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音しているが(ただしステレオ時代は第29番「ハンマークラヴィーア」のみ未録音)、これはモノラル時代の録音である(だから廉価盤だったのだ)。特に若かった頃のバックハウスは即物的な、良く言えば思い入れを排した、悪く言えばそっけない演奏が特徴と言われているが、第1楽章はそれなりに抒情的である。第2・3楽章でも緩急はつけており、ただそれが大げさではないというだけ。現代の演奏者のような過度な緩急をつけることはしていないが、当時としては(次のナットと同じく)まあ普通の演奏だったのではないか。前回紹介したシュナーベルは1882年生まれで、バックハウスは1884年生まれだから、同世代。これより前の世代のピアニストの演奏については、録音が残っていても音質に問題があるから、多くは想像するしかない。
 〔5'30/ 2'05/ 9'25〕

・イヴ・ナット       1954年、Adyarホール(パリ)
 (東芝EMI、TOCE-6617、日本盤)
 第1楽章は繊細なタッチで詩的な表現、第2楽章は強いタッチで剛毅、というふうにコントラストをはっきりとつけている。テンポは第1楽章の一部を除くと一定で緩急はほとんどつけていない。第3楽章はごく一部を除いてやや速いテンポで押し切っているが、強弱のコントラストはきっちりつけている。今どきの演奏からすると全体的にやや速めに感じられるが、あの時代には標準的なテンポだったのだろう。モノラル録音時代後期で、音は現在の最先端レベルの録音を要求するのでなければ十分聴くに耐える。ナットは1890年フランス生まれで、前回紹介したシュナーベル、上のバックハウスに続く19世紀末生まれの代表的なピアニスト。
 〔5'27/ 2'05/ 8'46〕

・グレン・グールド     1956年5月、30丁目スタジオ(ニューヨーク)
 (CBS/SONY、28DC-5263、日本盤)
 モノラル最後期の録音(音は明晰)。1932年カナダ生まれのグールドの演奏は、第1楽章はややゆっくりめながら緩急や強弱を微妙に織り込んでいる。アーティキュレーションもやや独特。第2楽章は、逆にと言うべきか、わりに淡々と弾いている。第3楽章は第1楽章と同じくややゆっくりめで緩急と強弱を微妙につけているが、最後のあたりに来ると速めになる。しかし速すぎると言うほどでもない。グールドというと鬼面人を驚かす演奏家というイメージがあるけれど、この演奏は独特ではあるが独特すぎるということはない。下のグルダと同世代のピアニストだと、今回聴き比べて感じた。
 〔6'55/ 2'04/ 10'50〕

・フリードリヒ・グルダ      1967年、ウィーン
   (日本フォノグラム、AMADEO、PCD-8506、日本盤)
 バックハウスやナットに比べると、第1楽章で緩急や強弱を精妙につけているところに、世代の違いがはっきりと感じられる(グルダは1930年ウィーン生まれ)。第2楽章は強弱をつけながらも速めに押し切っている。第3楽章もあまりテンポを落とすことはしていない(上のバックハウスより演奏時間が短い)が、聴いているとそれほど速いという感じがしないのは、やはり表現に精妙さがあるからだろう。録音も、60年代後半だけあって、なかなかいい。
  〔6'05/ 1'53/ 8'59〕

・エミール・ギレリス   1985年8~9月、イエス・キリスト教会(ベルリン)
 (ドイツ・グラモフォン、453 221-2、ドイツ盤)
 リヒテルと並びソ連を代表するピアニストだったギレリス(1916年生まれ)は、ついにベートーヴェンのピアノソナタ全集の録音を完成しないまま亡くなったが、幸いにして第31番は録音がある。全体に非常にゆっくりと弾いている。音の強弱は或る程度つけているが、極端になることがない。音楽の流れを表現することより、音符を引き漏らすことを極度に警戒しているかのような、そんな演奏。
 〔7'30/ 2'20/ 12'15〕

・スヴャトスラフ・リヒテル   1991年10月、オルデンス・ホール(ルードヴィヒスブルク〔ドイツ〕)
 (PHILIPS、日本フォノグラム、PHCP-5119、日本盤)
 ギレリスと並びソ連のピアニストとして一世を風靡したリヒテル(1915年生まれ)の晩年のライヴレコーディング。第1楽章はまあ普通のテンポだが、高音がきらびやかなのはリヒテルの好みの音にピアノをチューニングしているからか。第2楽章はややゆっくり、強弱のコントラストをはっきりとつけている。第3楽章はゆっくりめながら、緩急や強弱を自在につけて、リヒテルの音楽性が最大限に発揮されている。
 〔6'21/ 2'48/ 11'23〕

・デイヴィッド・ブライトマン(David Breitmann)  1996年、マスターヴュー・サウンド・スタジオ(ニューヨーク)
 (Claves CD 50-9707/10、スイス盤)
 ベートーヴェンの時代の楽器(ピリオド楽器)で彼のピアノソナタ全曲(作品番号なしを含む)を録音した10枚組CDのうちの一枚。演奏は7人のピアニストが分担して行っており、使用楽器も曲ごとに異なっているし、ホールも何カ所かに分かれている。この第31番を担当しているのは、カナダのピアニストであるブライトマン。生年が解説に記されておらず、ネットで調べても分からないのだが、ネット情報では1976年にMITの理学士となりその後に音楽院で学んでいるようなので、演奏時には40歳を少し出た頃だったのではないかと思う(つまり、次のオピッツと同世代ではないか)。使用楽器は、1824年頃に作られたConrad Grafのピアノに倣って1995年にRodney Regierにより製作されたもの。演奏は平均的というか、現代の標準からすればやや速めの演奏。ピリオド楽器だから音の強弱は限られているし、現代の楽器ほど長い響きを得ることも難しいので極端な緩急もつけられない。なので、演奏者としては「個性」を出すよりは、努めて平均的な演奏を心がけたのかも知れない。最後のフーガ部分の音の連なりからは、ちょっとチェンバロに近い、不思議な感覚が味わえる。
〔6'07/ 2'05/ 9'45〕

・ゲルハルト・オピッツ   2005年1月、ヒストーリッシャー・ライトシュターデル(ノイマルクト・オーバープファルツ〔ドイツ、バイエルン州〕)
 (hänssler Classics、CD98.209、ドイツ盤)
 1953年南ドイツ生まれのオピッツは、新潟にも複数回来て演奏を披露してくれた、現代ドイツを代表するピアニスト。このディスクで特筆すべきはまず録音である。非常に響きのいい重厚な音で、他のディスクに比べるとマイクがピアノからやや離れている印象。そのような音なので、ゆっくりめの演奏ではあるが響きが豊かだから、遅いという感じがしない。あまり緩急をつけずに、正面からベートーヴェンに挑んだ王道的な演奏。
 〔7'07/ 3'31/ 6'05/ 6'00:ディスク記載通り。第3楽章のフーガ部分以降はトラックを分けている。〕

                                  

 こうして13人のピアニストを並べてみたが、このうち生で聴いているのは4人だけ。リヒテルとハイドシェックとオピッツとメジューエワである。むろん、この作品をという意味ではない。
 しかし前回の「英雄交響曲」で挙げた10人の指揮者のうち、生で聴いたのはカラヤンだけだから、それに比べればマシ。やはり、ピアニストは一人で演奏するから、大人数のオケと一緒でないと来れない指揮者とは違い、日本の地方都市にいても聴く機会が多いのだと思う。リヒテルは仙台で、ハイドシェックは米沢で(ぶりちょふさんの車に同乗させていただいて)、オピッツとメジューエワは新潟で聴いている。ちなみにカラヤン+ベルリン・フィルを聴いたのは上野の文化会館である。

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今年映画館で見た49本目の映画
鑑賞日 6月12日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 ベルギー・フランス合作、ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ監督作品、84分、原題は"LE JEUNE AHMED"(少年アメッド)。

 現代ベルギーのフランス語圏に住むイスラム信者の物語。
 13歳の少年アメッドは、イスラム信者。母はいるが、父は家を出ていた。
 アメッドは近所に住む導師の影響で尖鋭な原理主義的信仰に染まっていた。
 少年はかつては識字障害だったが、その克服に手を貸してくれたのが放課後クラスの女性教師イネス先生。
 しかし原理主義に染まってから、少年はその先生にもよそよそしい態度をとる。
 さらに、先生の教えはコーランに背いているから殺さなければと考えるに至り……

 イスラム原理主義にそまった少年のかたくなな態度と行動をひたすら映し出した映画。
 ヨーロッパ映画ファンにはおなじみのダルデンヌ兄弟の作品で、カンヌ国際映画祭で監督賞をとっているが、たしかにイスラム系移民が増えているヨーロッパの人間からすれば他人事ではない深刻さが感じられるのだろう。
 ヨーロッパに住む若年のイスラム教徒がネット情報に踊らされて「イスラム国」に行ってしまうという事件も、少し前には頻発していた。
 ただし、イスラム教徒が身近にほとんどいない日本人にとってこの映画がどう感じられるかは別問題。
 正直なところ、もう少し親切に、つまりイスラム移民に悩まされていない地域の人間にも分かりやすく作ってくれないかな、という気がした。

 新潟市では全国と同じく6月12日の封切で、イオン西にて単独上映中。県内でも上映はここだけ。この映画、三大都市圏以外で東京と同時封切は少なく、札幌・仙台・福岡といった都市でも上映は遅れているなか、東京と同時封切で持ってきたイオン西の努力には敬意を表したいが、私が足を運んだ回は観客が4人だった。

                       

 なお、本作品はベルギー・フランス語圏に少なからぬイスラム信者が住んでいるという、日本人には馴染みの薄い状況下での問題を扱っているので、多少予備知識を持ってから鑑賞したほうがよい。
 以下のような情報がある。

 https://mainichi.jp/articles/20160330/ddm/007/030/065000c
 (毎日新聞)
 ベルギーのイスラム教徒
 人口1128万人のベルギーは1960年代、労働力不足を補うため、イスラム教徒が多数を占めるモロッコやトルコなどから大量の難民を受け入れた。米ピューリサーチセンターの2013年調査によると、人口の6.5%(約72万人)がイスラム教徒だった。首都ブリュッセルのイスラム教徒比率は22.6%で、集まって住んでいる地域もある。パリ同時多発テロの容疑者の一部が暮らしていたブリュッセル西部モレンベーク地区は38.5%、スカーベーク地区は37.1%がイスラム教徒だ。英キングスカレッジ・ロンドン過激思想研究国際センター(ICSR)によると、ベルギーからISに参加した戦闘員は440人で、人口あたりの比率は欧米で最も高い。

 以下の2つの記事は、各自URLからお読みいただきたい。

 https://toyokeizai.net/articles/-/146050
 ベルギーが「過激派の巣窟」になった根本原因
 首都郊外のモレンベークで起きていること
 (東洋経済 online)

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48286
 ヨーロッパの「理想」はメルトダウン寸前!  なぜ現実への対処能力を失ったのか
 ベルギー同時テロが照らし出すもの
 笠原 敏彦 ジャーナリスト、長崎県立大学教授・元毎日新聞欧州総局長

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