隗より始めよ・三浦淳のブログ

「新潟大学・三浦淳研究室」の後続ブログです。2018年3月末をもって当ブログ制作者は新潟大学を定年退職いたしました。2019年2月より週休2日制(日・水は原則更新休止)。旧「新潟大学・三浦淳研究室」は以下のURLからごらんいただけます。http://miura.k-server.org/Default.htm 本職はドイツ文学者。最新刊は日本文学と学歴についての著書『「学歴」で読む日本近代文学』(幻冬舎)。そのほか、ドイツ文学の女性像について分かりやすく書いた『夢のようにはかない女の肖像 ――ドイツ文学の中の女たち――』(同学社)、ナチ時代の著名指揮者とノーベル賞作家との対立を論じた訳書『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング)が発売中。 なお、当ブログへのご意見・ご感想は、メールで以下のアドレスにお願いいたします。 miura(アット)human.niigata-u.ac.jp

読書と映画については★で評価をしています。☆は★の半分。
★★★★★=最高、★★★★=かなり良質、★★★=一読・一見の価値あり、★★=芳しからず、★=駄本・駄作

640[1]
今年映画館で見た142本目の映画
鑑賞日 12月5日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★★

 中川龍太郎監督・脚本作品、91分。

 悩める女性を救うために、イケメン男子が騎士(KNIGHT)として一夜のデートに付き合うデート・セラピストなる商売がある。ここでは三人の男子(川村壱馬、吉野北人、RIKU: 画像左から)が、それぞれに三人の女性(穂志もえか、安達祐実、夏子)とカップルを作り、彼女たちが抱えている課題や悩みを解決すべく尽力する。女性が救われるだけでなく、救う側の男子もそれぞれに得るところがある。

 三部作ではなく、三つのカップルの話が交差しながら映画が進行する。その交差の仕方がたくみで、また映像も光の使い方など独特の魅力があり、三つのストーリーにもぞれぞれ味や工夫があるので、なかなかに楽しめる作品に仕上がっている。
 配給の関係か上映館が日本全国で100に満たない映画だけど、お薦めである。

 中川龍太郎監督は、『四月の永い夢』は魅力と欠点がないまぜになった作品、『やがて海へと届く』はイマイチという感じだったが、今作では実力を十二分に発揮している。
            
 新潟市では全国と同じく12月1日の封切で、イオン西とユナイテッドの2館で公開中。県内他地域ではTジョイ長岡でも上映されている。
 私が足を運んだ火曜日午後の回は6人の入りだった。

tso135_omote-1449x2048[1]
12月3日(日)午後5時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
3階Gブロック(Bランク)

 この日は標記の演奏会に出かけました。
 それに先だって、正午からのロビーコンサートにも行きました。東響新潟定期のロビーコンサートはふだんは午後1時からですが、この日は正午からと1時間繰り上がりました。想像ですが、この日は午後5時からの本番に新潟市ジュニア合唱団も加わるので、その分、直前の合わせにも時間を食ったのではないでしょうか。

 正午からのロビーコンサートは2階の(正確には3階ですが)バルコニーから見下ろす位置で聴きました。
 曲はチャイコフスキーの弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」 op.70。
 演奏は、ヴァイオリンが辻田薫りと竹田詩織、ヴィオラが小西応興と多井千洋、チェロが蟹江慶行と伊藤文嗣。
 開始40分前にりゅーとぴあに着いたのでチラシ・コーナーを見ていたのですが、そのときに音合わせをすでにしていました。あらためて、りゅーとぴあ・コンサートホールのロビーは響きがいいなと感じました。正午からのロビーコンサート本番でもこの響きのよさが遺憾なく発揮されていました。個々の奏者の技倆がちゃんとしているのは言うまでもないことで、東響弦楽器奏者の力量が改めて痛感させられる素晴らしい演奏でした。弦楽六重奏曲という編成は特殊なので、この曲もなかなか実演では聴くことができませんが、久しぶりに堪能することができました。(と言っても、実は前日のりゅーとぴあではこの曲の弦楽合奏版が新潟シンフォニエッタTOKIにより演奏されていたはずですが、私は予算の関係もありパスしました。)

 上から見下ろしていると、色々なことに気がつきます。まず(これは正面で聴いても分かることですが)第一ヴァイオリンの辻田さんだけが袖のないドレスで演奏していたこと。他の五人はみな手首までおおった服装なのに、寒くないのかなあ、なんて余計な心配をしてしまいました。
 そして、六人中三人は紙の楽譜ですが、残り三人(第二ヴァオリン、第二ヴィオラ、第二チェロ)はノートパソコン画面で楽譜を見ていたこと。最近技術的な進歩のためかこういう形式で楽譜を見る奏者が出てきていることは知っていましたが、今回は半数がテクノロジーの進歩に対応していたわけです。なお、その場合、足元に別に機器があって、それを足で適宜踏みながら楽譜を先に回していたようです。
 それから、チェロは楽器の下に金属製のエンドピンが付いていますが、一人はその先端を舞台に置いた黒く丸いゴム(?)で押さえていたのに対し、もう一人は木の板(だいぶ使い込んだようで何カ所もピンの跡がついていました)で押さえていたこと。人によって色々なんですね。

 さて。午後5時からの本番です。
 客の入りは最近としてはふつう。しかしGブロックの定席にすわった私のすぐ左隣には珍しく客が入っていました(右端なので右隣の席はありません)。合唱団が入って背後のPブロックなどが使えないときはそういうこともありますが、今回は児童合唱団が出たものの客席はふつうにすべて客用に使っていたので、珍しいなと思いました。

 指揮=川瀬賢太郎、コンマス=グレブ・ニキティン、新潟市ジュニア合唱団(指揮=馬場幸)

 チャイコフスキー・プログラム
 組曲《白鳥の湖》op.20aより
  「情景」「ワルツ」「四羽の白鳥の踊り」「情景」「ハンガリーの踊り」「終曲」
 組曲《眠りの森の美女》op.66aより
  「序奏とリラの精」「アダージョ:パ・ダグシオン」「パノラマ」「ワルツ」
 (休憩)
 組曲《くるみ割り人形》op.71aより
  「小序曲」「クリスマスツリー」「行進曲」「雪片のワルツ」
  「金平糖の精と王子のパパドゥ」「金平糖の踊り」「ロシアの踊り(トレパーク)」
  「アラビアの踊り」「中国の踊り」「あし笛の踊り」「花のワルツ」

 弦は左から第一ヴァイオリン14、第二ヴァイオリン12,チェロ8,コントラバス7,ヴィオラ10。
 チャイコフスキーの三大バレエから、メロディアスな曲が次々と奏でられるという、クリスマス・コンサートめいた雰囲気の音楽会となりました。演奏の良さは言うまでもないことですが、たまにはこういうコンサートもいいなと実感。ハープの優雅な音色もふんだんに使われているし、後半はチェレスタも活躍。ただ、後半の新潟ジュニア合唱団の出番が一回だけだったのが、ちょっと物足りないかな。

 それと、次回の東響新潟定期は来年の6月になるんですよね。今年度は今回が最後だから、なんと半年も間が空くことになる。前回の定期から今回の定期まで3週間しか空いていないのと比べると、どうにもアンバランスです。最悪でも4ヵ月くらいにしてもらえないでしょうか。

 今回も(前回の定期と同じく)陸上競技場にクルマを駐めたのですが、今回は出口に係員が入っていました。前回は入っていなくて機械の故障により出るのに時間がかかったので、いつも今回のようであって欲しいなと思いました。

640[1]
今年映画館で見た141本目の映画
鑑賞日 12月1日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 ビートたけし監督・脚本作品、131分。

 戦国時代、織田信長(加瀬亮)が天下統一を進める過程の中で、秀吉(ビートたけし)や明智光秀(西島秀俊)や荒木村重(遠藤憲一)らの配下が強いられる思惑や動き、さらには男同士のエロティックな関係などを含めて描いた映画。

 戦国時代の三大英雄(信長、秀吉、家康)を題材にした映画やTVドラマはたくさんあるわけだが、この映画で目立っているのは信長の造型だろう。

 もともと信長といえば、短気・残酷・決断力といった要素での人物造型が多かったわけだが、本作品では狂気に近い残忍さという点できわめて独自な信長像となっている(尾張弁で話すところも独自かな)。

 これに比べると、ビートたけし自身が演じた秀吉や、家康、或いはそれ以外の人物像は影が薄いというか、まとまった印象を喚起しない。

 タイトルどおり、「首を斬る」シーンが多い映画である。それ以外にも残虐なシーンが目立つ。ビートたけしの素質が表れている作品とも言えるが、作品全体の完成度という点からすればもう一つかな。

 新潟市では全国と同じく11月23日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中、県内他地域のシネコン3館でも上映されている。
 私は第2週になってから金曜日夕刻の回に足を運んだのだが、十名に満たない入りだった。

41wxJjQETZL._SY445_SX342_[1]
評価 ★★★☆

 著者についてはすでに当ブロクでも著書を何冊も紹介しているが、1959年生まれ、早大文卒、編集者を経て文筆家、著書多数。

 2019年、池袋で87歳の男性がクルマの暴走事故を起こして2人を死亡させたとき、入院したこともあり逮捕されず、したがってマスコミでも「容疑者」などの言い方をしないでいたのだが、これはこの男性が元高級官僚であるVIP、つまり「上級国民」だからだという噂がネットで広がった。本書はこれを受けて、日本および外国で上級国民と下級国民の分断化が進行中であることを説明しつつ、それを克服する方策を提言している。

 パート1では、平成時代に何が起こったのかを説明している。 
 かつて経済大国と言われた日本(2001年には一人当たりの名目GDPは世界2位)だが、2018年には一人当たりの名目GDPは26位にまで落ちている。
 これをネオリベや新自由主義のせいにするのは筋違いだと著者は述べる。むしろ日本的な終身雇用の慣行が悪いのだとする。要するにすでに会社に雇用されていた世代(団塊の世代など)は雇用を維持したが、若い世代の雇用が抑制されていわゆるロスジェネを生み出した。団塊の世代が「既得権」を維持し、組合さえも若い世代の雇用や非正規雇用者の待遇に目を向けなかったのが原因としている。

 むろんそれだけではなく、日本企業が生産性の高い製造部門を海外に移転し、国内では報酬の低いサービス業が増えたことも大きいとする。また、日本は必ずしもIT化が遅れているわけではないが、すでに雇用している社員をクビにはできないので、IT化が経済全体の効率化に直結することがなかったことも大きいとする。以上のような分析は経済の専門家の書物などをもとに行われている。

 加えて、失業者には(若くても中高年でも)実は低学歴者が多いという事実がなぜか報道されないと著者は指摘する。しかし、ニートというような若者へのバッシング的なネーミングは雇用にしがみついている中高年の身勝手な言い分だとする玄田有史の主張を著者は支持している。

 なお、著者はオランダの若手雇用政策を紹介して日本とは対極だと述べている。オランダではパートタイム労働と正規雇用との均等待遇が行われたので、(日本の若年労働者のとは違って)非正規雇用になっても生活に困窮することがなかったからだとする。
 しかし最低賃金のアップについては、若年労働者の雇用にはつながらないと述べている。

 私は経済にはうとい人間なので、以上のような著者の説明が正しいかどうか分からない。そういう主張をする経済学者がいることは分かるが、経済学者も人によって主張が異なるので、著者の依拠している学者の説が的を射ているかどうか何とも言えない。

 ただ、日本的な慣行がバブル崩壊後にすぐに切り替えられなかったのは、私に言わせれば当たり前だと思う。人は習慣を急には変えられない。日本的雇用は、学校を出たときに選択した企業に一生帰属して、企業に奉仕すると同時に企業に守ってもらうことが前提になっていた。もともと日本は人材の流動性に乏しい社会だったのだ。その代わり、会社内部での仕事の専門性は稀薄だった。学生時代の専門にかかわらず色々な部署を経験させられるのが日本的雇用の特徴だったはず。したがって、バブル崩壊後に新しい方向性の仕事を開拓してそれにより、単なる延命ではなく企業の積極的な意味での変化をはかることができなかったという点では、経営者の無能をこそ撃つべきではないか。

 私自身の経験を言うと、私が新潟大学で教授に昇任したのは1998年(平成10年)春だが、それから20年後の2018年3月末で定年退職するまで、給料はあまり増えなかった。ベースアップがほぼなくて、定期昇給はあったけれど小幅で、ボーナスの支給率は減少気味だったからである。公務員(国立大独法化以降は準公務員)の給料は民間の給料に準拠しているから、要するにこれが平成10年から20年間の日本国民の収入の動向だったわけだ。1990年代初頭にバブルが崩壊してから、新しい方向性を日本企業が見い出せないでいたことが、ここから分かるのではないか。

 パート2では、社会学者・吉川徹の書物に依拠し、「壮年」と「若年」、「大卒」と「非大卒」、「男」と「女」の三つの二分法を用いて日本社会の現在を明らかにしようとしている。
 ポジティブ感情という点から見ると、総じて大卒は非大卒より高く、中でも若い女性の大卒は高いという。これに比べると若い男性の大卒は、大卒の中では低い。女性のほうが男性よりもポジティブ感情が高いという現象は世界的に共通していると著者は述べている。
 非大卒の中で比較的ポジティブ感情が高いのは若い女性であり、逆に低いのは壮年男性である。やはり社会学者である橋本健二の『アンダークラス』によると、59歳以下の壮年男性の未婚率は三分の二に達しているという。

 もっとも、アンダークラスの若者は親に放任状態で育てられたから低学歴でまともな職に就かなかったのだ、という説明はあやしいという。実際にはそういう若者も口やかましい親に育てられている場合が多いので、つまりは、アンダークラスの若者は親から何を言われても聞く耳を持たない、ということなのである。
 また、低学歴の若い女性が早婚(そして若い時期の出産)の傾向が強いことはよく知られているが、彼女たちは概して専業主婦願望が強く、またいわゆるマッチョな男に惹かれる性向を持っているという。高学歴で安定した職業に就いている物わかりのいい男、なんてのは全然人気がないのだそうだ。
 本書にそう書いてあるわけではないが、ここから私は、近年自分自身の子供であるか否かにかかわらず男が赤ん坊に暴行して死なせる事件が多いことが説明できるかも知れないと思ったのである。なんでそういう乱暴な男を女が自分の伴侶に選ぶのかがよく分からなかったのだが、要するにそういう男でないとダメな女が一定数いるのだろう。他方で、日本では昔の社会的規範がゆるんできていて「動物化」が進んでいるので、低学歴の男の暴力性が顕在化してきているのではないか。

 ところで著者は、女のほうが男より幸福度が高い理由を「モテ・非モテ」で説明できるのでは、と試論的に述べている。男は多数の女との性交を望むけれど、女は「妊娠・出産・育児」という手間のかかる仕事が控えているので(条件のいい)相手を選ぼうとする。また、女は思春期になると男を惹きつける体型になり、英国の社会学者キャサリン・ハキムの言う「エロス資本(エロティック・キャピタル)」を持つようになる(114ページ)。このエロス資本はしかし時期限定で、十代後半から三十代半ばくらいの年齢の女性しか所有できない。したがってこの時期に、資本主義社会下で女が売春やパパ活などで自分のエロス資本をお金に換えようとするのは合理的な行動なのだ、ということになる。つまりこの年齢の女性は若い男より豊かな資本を持っているので幸福度が高い、という結論になるのである。
 また「モテ・非モテ」は、男性の場合は学歴や安定した職に就いているか否かと関係するが、女性はそうではないから、女性のほうが全般的に幸福度が高くなるのだという。(だが、赤ん坊を死なせる暴力男はしばしば無職やフリーターだったりするのを、どう説明するのか?と私は首をかしげる。)

 しかし壮年期の女性も同年齢層の男性より幸福度が高いことはどう説明するのか? 著者によると、一般に女性のほうが男性より「つながり」をもつ能力が高く、それが理由ではないかという。また「つながり」を持つ能力が女性に発達しているのは、男性支配社会の中で女性同士の連帯により身を守るためだ、という。・・・エロス資本はともかく、この辺になるとどうかな、という気が私にはするけれど。私の意見だが、女性は育児という仕事を抱えているから、対人的な能力が男性より発達しているのではないか。実際、幼稚園や保育園や小学校の教員は女性のほうが圧倒的に多い。これは――フェミニストが何と言おうと――幼い子供を育てる仕事が女性に割り振られているからだと考える。

 それはさておき、著者の説では、社会的地位が低い男は「非モテ」で性愛からも排除されてしまうので幸福感が低く、またフェミニストに敵対するのだという。この点に注目して、差別されているのはむしろ男性なのだという説も出ている。そもそも軍隊にとられるのはほぼ男性ばかりだし、自殺率や引きこもり率も男性のほうが高い。なのに知識人やマスコミはそういう女男格差に触れず、LBGTの擁護なんぞばっかりに精力を使っている。ワレン・ファレル『男性権力の神話』(作品社)はそうした男性差別の撤廃により真の男女平等社会が生まれると主張しているそうである。

 非モテはアメリカではインセルと呼ばれるが、そういう男による銃乱射事件が最近増えている。日本でも秋葉原や京都アニメで類似の事件が起こっている。自由恋愛社会では非モテの男は女から相手にされないので(少数派のモテ男が多数の女をモノにするので)、ヤケになってこういう事件を起こすわけだ。厳格な一夫一婦制は非モテの男に有利、自由恋愛社会は一部のモテ男と多数の女にとって有利、という構図なのだ。

 パート3では、世界のリベラル化が進むと、究極の「自己責任」社会となり、知的能力の高い男とそうでない男の格差が拡大するという状況が解説されている。ここではドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック『危険社会 新しい近代への道』(法政大出版局)が参照されている(原著は1986年。日本では当初は88年に抄訳で合同出版から出たが、個人主義化によるリスクを論じた部分は省略されていたという)。またポーランド出身で英国の大学教授を務めているジークムント・バウマン『リキッド・モダニティ 液状化する社会』(大月書店)も紹介されている。

 リベラル化・個人主義化の結果として、アメリカでは白人の寿命が、低学歴層で下がっている。死亡原因はアルコール・ドラッグ・自殺で、こうした層の支持でトランプが大統領に当選するという事態も生じた。ロバート・ライシュ『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』(ダイヤモンド社)によると、伝統的なブルーカラーの仕事はグローバリゼーション(とIT化)によって減少し、また店員や保育士や介護士など人間を介さないとできない仕事は増えるものの賃金は減少するという。要するに高学歴でグローバル化の中で高賃金を獲得する一部のエリートと、こうした人々との格差が拡大するのは必然なのだ。ライシュは対応策として、政府が大企業や高所得者に高額の税を課し、それを低所得者に回して、特に公教育に力を入れることで格差の拡大を防ぐべきだとしたが、現実のアメリカではそれがうまく行っていない。
 保守派の学者チャールズ・マレーは、『階級「断絶」社会アメリカ 新上流と新下流の出現』(草思社)の中でそうした現実を描写している。新上流階級はデイヴィッド・ブルックス言うところの「ボボズ(ブルジョワ・ボヘミアン)」であり(『アメリカ新上流階級ボボズ』、光文社)、ワシントンDCやNYやLAなどの大都会に住み、(アメリカでも新聞購読者は減っているが)ニューヨーク・タイムズ紙やウォールストリート・ジャーナル紙に目を通し、『ニューヨーカー』や『エコノミスト』を定期購読し、テレビやラジオの番組には目を向けず、休暇はラスベガスやディズニーランドではなく中西部やカナダの大自然の中で過ごす。そういう人間は似た者同士で交流し、低学歴層とは話が合わないから付き合うこともない。そしてチャールズ・マレーは、アメリカ人の本来的な美徳である「結婚」「勤勉」「正直」「信仰」は、低学歴層ではなく、エリート層にかろうじて残っているのだ、と指摘しているそうだ。そして著者(橘氏)は、これはアメリカだけではなく、日本や他の先進国でも同じことだと述べている。

 著者はトマス・ソーウェルやシェルビー・スティールなどの黒人保守派の論客についても分析している。彼らは黒人から毛嫌いされてアンクル・サムよばわりされ、代わりに白人からは人気があるが、彼らは白人におもねているのではなく、黒人エリートの立場を代弁しているのだという。アメリカの大学ではアファーマティブ・アクションのためにあまり学力の高くない黒人が有力大学や医学部に進学するという事態が起こっている。そういう医師には、黒人すら診療してもらおうとは思わない。こうした暗黙の声を、黒人保守派が声にして発言しているのだという(205~206ページ)。

 黒人保守派だけではない。ピーター・ティールのようなエリートの大富豪は、「男女は生殖器の形以外には差がない」「どんな子供も知的能力には差がない」と称する左派を批判し、「政治的正しさ」よりも「科学」を優先べきと主張している(逆に言えば、左派は「人間の差異はすべて社会的構築物」とし、生物学などと敵対する)。「オルタナ右翼」とは白人至上主義者ではなく、リバタリアンの理論で武装した右翼なのだという。そのティールは『ゼロ・トゥ・ワン』(NHK出版)で、いわゆるインテリジェント・デザイン説を支持している。聖書のように神が世界を創造したとは言わずとも、何らかの知的な意志が存在してこの世界を創ったとする説である。この方向性は、自分たちエリートが(テクノロジーにより)世界をデザインするという構図に転化されるが故に危険だと著者は述べる。このエリート主義が、トランプ大統領支持のプア・ホワイトと組んで、きれいごとを述べる左派に敵対するというのが、最近のアメリカの情勢なのだそうだ。木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド』(イースト・プレス)がここで引かれている。
 社会学者・片岡えみの調査では、日本でも「他人に迷惑とかけなければ何をしてもいい」という考え方の支持者は、男性では中卒・高卒・大学院卒に多いという。つまり低学歴者と高学歴者がタッグを組む、という構図がここにも見られるというのだ。

 ただし、著者は「反中国・嫌韓」に走るのは低学歴者で、韓国でも中国でもナショナリズムに走るのは類似した層だからと述べているけれど、果たしてそうか。その辺はもっとちゃんと調べたほうがいいのではないかと思う。

 で、「救い」のほうだが、将来AIが発達して人類を上回れば、現在の知的社会は終わるから、低学歴だろうと高学歴だろうと処遇の差はなくなるというのだが・・・そううまく行くかなあ?

 新潟市立図書館から借りて読みました。なお男女の問題については、同じ著者の『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)を当ブログでも紹介していますので、そちらもどうぞ。

640[1]
今年映画館で見た140本目の映画
鑑賞日 11月30日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 アメリカ映画、ロバート・アルトマン監督作品、ギリアン・フリーマン脚本、107分、1969年、原題は"THAT COLD DAY IN THE PARK"。

 三十代の独身女性フランセス(サンディ・デニス)は親から譲り受けた高級マンションに住んでいる。或る雨の日、近くのベンチにすわったまま濡れネズミになっている若者(マイケル・バーンズ)を見つけて、家に泊めてやる。若者は口をきかないが、彼との暮らしに徐々にフランセスは馴染んでいく。ただし若者は時々部屋を抜け出して、貧しい実家を訪れていた(ヒロインは若者の育ったそうした環境を知らないまま)。やがて・・・

 ヒロインを演じるサンディ・デニスが、三十代で独身という微妙な立場の女性を好演。女としての魅力がないわけではないが(初老の医師から言い寄られている)、婚期を逸しかけている年齢で、金銭的には不自由はないがしかし・・・という状況下に生きる女の役どころにぴったり。最初は、貧しい環境に育った若者にお人好しの三十代独身女性がむしられていく話なのかと思うが、ヒロインが徐々に「怖い女」になっていくあたりが見どころ。

 ロバート・アルトマンの3作品を集めた今回のリバイバル上映は、東京では5月26日の封切だったが、新潟市では半年の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定公開された。私はこの作品のみ鑑賞。15人ほどの入りだった。

 先月と先々月の毎日新聞書評欄から面白そうな2冊を紹介しよう。
 (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから毎日新聞サイトからお読み下さい。紙媒体の毎日新聞にも掲載されています。)

 まず、こちら。

 https://mainichi.jp/articles/20231021/ddm/015/070/023000c
 蓮澤優・著『フーコーと精神医学 精神医学批判の哲学的射程』(青土社・3960円)
 評 = 斎藤環(精神科医) 
 毎日新聞 2023/10/21 東京朝刊 

 ■「反精神医学」から治療論を見出す読み
 ミシェル・フーコーという名前から人は何を連想するだろうか。一望監視装置(パノプティコン)? 生権力批判? 「人間の消滅」? スキンヘッドの戦闘的知識人? いずれにせよ、後世に与えた影響という点では、彼ほど「知の巨人」の呼称が似つかわしい存在もまれであろう。

 フーコーは、主著『狂気の歴史』における精神医療への苛烈な批判でも知られている。日本の精神医療における彼の受容も、反精神医学の文脈においてなされてきた。本書はそうした従来の位置付けを批判的に検討しつつ、フーコー晩年の著作に特異な治療論を見出そうとする、きわめて野心的な試みである。

 (中略)

 師であるバシュラールの導きでカント研究に打ち込んだ若きフーコーは、カントの体系に、次のような基本想定を見出す。すなわち、人間とは超越論的な主体性と経験的な主体性との奇妙な二重体であり、両者は交わることのないねじれた関係にある、と。フーコーは、カント以降の思想史では、人間を二重体のどちらかに還元しようとする運動が繰り返されてきたと批判的に述べる。そして、「自己の自己に対する関係を確立すること、自らを規定する権力に働きかけながら自己自身を構成してゆくこと」こそが、先のねじれた二重体の問題を乗り越えさせると想定し、その思考を晩年に再度展開したのである。(中略)

 著者によればフーコーは、自身が同性愛者として「異常者」に分類されてしまう危惧から精神医学の検討に向かった。哲学的、心理学的な探求のもとでは「正常な人間」なるものは存在しない。にもかかわらず、精神医学だけは正常性を科学的に確定し、治療によって人を正常性の鋳型にはめることができると自称する。こうした「規範化」への批判が『狂気の歴史』の基調低音となっている。しかし同書におけるフーコーの記述には問題も多かった。ルネサンス期の「阿呆船」は実在しなかったし、ピネル(精神病者を鎖から解放したとされる医師)が規範化を推進したという批判も史実とは異なる。ついでに言えば中井久夫が批判したように、同書では「狂人」もその対象となった「魔女狩り」についても触れられていない。

 著者が指摘するように、『狂気の歴史』では「狂気の言語」が称揚され、つまるところ狂気に対してはいかなる治療介入も行うべきではなく、そのありのままの発露に委ねることが推奨されている。この徹底した反精神医学の主張には、しかし少なからず問題があった。「狂気の言語」ゆえに他者とコミュニケーションできず、他者からのケアを常に必要とする「狂人」は、決して自由ではないということ。彼が自由と自律を回復する道のりは、一つの「社会化」でありうること。しかしフーコーは、社会化を規格化と同一視して退けてしまう。果たしてそれは正しかったのか。

 (以下略)
 

                                          

 実のところ私はフーコーの本そのものは読んでいない。フーコーの思想について解説した本は何冊か読んだので、それで多少分かった気になっている怠惰な人間に過ぎない。ただ、最近アメリカの大学でフーコーらの思想がいわば悪用される形で過激な左派思想の主が跋扈しているという批判的書物(『傷つきやすいアメリカの大学生たち』)を読んだこともあり、学問的な言葉と実践的な(社会の中で実際に思想を使う場合の)言葉との相違ということを改めて考えざるを得なくなっている。

 学問の言葉と実践の言葉は乖離しがちだ。典型は、戦後日本で半世紀近くの間、マルクス主義経済学が支配的だったことだろう。大学でマルクス主義経済学を学んだ学生は、しかし卒業するとおおかたはマルクス主義にしたがって革命を起こそうとするのではなく、資本主義社会ニッポンの金融機関や企業に就職していった。大学院に進んで大学に残った人間だけが、マルクス主義の使徒として残った。理論と実践の乖離がかくもはっきりと露呈していた例は珍しいが、しかしこれほど極端でなくとも、理論の言葉と実践の言葉は離反することが珍しくない。

 文系学問はたえず現実を参照しないと理論倒れになる。しかし実際にはそういう健全な自己反省をする学者はそう多くない。フーコーはどうだったのか。この書評に見るように、「社会化」と「規格化」を同一視することが果たして正しいのかどうか。

 問題は、文系学問そのものの有効性と存在理由にまでつながっている、と私は思う。


 お次はこちら。

 https://mainichi.jp/articles/20231111/ddm/015/070/009000c
 D・グレーバー、D・ウェングロウ著、酒井隆史・訳『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』(光文社・5500円)
 評 = 松原隆一郎(放送大教授・社会経済学)
 毎日新聞 2023/11/11 東京朝刊

 ■実証実験を繰り返してきた祖先
 文字記録のない先史を人類史としてとらえ直す著作が出版界で快進撃を続けている。歴史学者Y・N・ハラリ『サピエンス全史』や進化心理学者S・ピンカー『暴力の人類史』、進化生物学者J・ダイアモンド『昨日までの世界』等だ。

 本書も書店ではその最新作として扱われるだろうが、それら非専門家による「ポップ人類史」に対しては「子どもたちからはおもちゃをとりあげなければならない」と手厳しい。考古学や人類学が積み上げてきた調査や発見の全体を踏まえていないというのだ。

 だが本来の標的はその先、これらの人類史が暗に依拠する社会科学の古典である。それらは未開社会の「自然状態」を想定し、そこから複雑な現代社会を理論化している。A・スミスの『国富論』(1776年)は、太古において物々交換が行われ、商品群から便利さゆえに貴金属が貨幣に選ばれたとしている。 (中略) 著者の一人グレーバーは2011年の大著『負債論』において人類学の知見にもとづき、「そんなことが起こっていないことの方を膨大な量の証拠は示している」と批判した。 (中略) 本書では政治学の古典であるT・ホッブズの『リヴァイアサン』(1651年)とJ・J・ルソーの『人間不平等起源論』(1755年)が推定した未開社会の「自然状態」にいても考古学と人類学で確認された多くの事実から否定している。

 ホッブズは、国家が成立し政府や裁判所、官僚機構や警察を創設する以前、人々は孤独で貧しく辛く残忍で短い、いわゆる「万人が万人と争い合う戦争状態」にあったとした。ルソーは正反対に、農業と冶金(やきん)の勃興を機に土地の分割と私的所有、貴金属の蓄積と支配隷属関係が始まる前、豊かな実りを採集できる森で小さな集団にしか属さなかった野生人は欲望を競わず平等かつ平穏に暮らしていたとした。だが狩猟採集社会はそんな「原初」形態ではなく、「単一のパターン」も存在しなかったと本書は断言している。

 1990年代にトルコで発掘されたモニュメンタルな世界最古の神殿「ギョベクリ・テペ」では、とくに1トンもある200の巨石の柱が大規模な集団の動員を想像させる。それは農耕が始まる1万年前よりも1000年も前に建造されている。そうした例から著者は、未開社会の多くは獲物の群れを追って移動し、季節によりヒエラルキーを組織しては解体していたと主張する。農耕や国家の選択が可能な状態に達しても導入せず敢えて余暇を楽しんだ、もしくは実証実験を繰り返した創造的な人々が我々の祖先だ、というのだ。

 (以下略)

                                              *

 「狩猟社会では構成員は平等だったけど、農耕社会になって富の蓄積が進んで貧富の差が生じ、戦争も行われるようになった」というような、もっともらしい記述が学者の書く本に見られたのはそんなに昔のことではない。今でもその手のことを書いている人もいるかも知れない。

 そういう、いわば牧歌的な人間観を根底から揺さぶる書物のようだ。ヒト(ホモ・サピエンス)は太古の昔からヒトだったのだ。「認識を新たにする」という言葉は、こういう場合に使うのであろう。

640[1]
今年映画館で見た139本目の映画
鑑賞日 11月25日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 武内英樹監督作品、徳永友一脚本、116分、魔夜峰央の原作は未読。2019年に公開されてヒットした第一作の続編。

 東京都からの言われなき差別を打破した埼玉県民だったが、県内に海がないというコンプレックスを解消しようと、和歌山県白浜から美しい砂を運んで海を作る計画をたてる。麻実麗(GACKT)はそのために千葉県から船出して和歌山に向かうが、そこで大阪府知事(片岡愛之助)が京都や神戸と組んで和歌山県と滋賀県を差別しているばかりか、日本全国を大阪化する陰謀を推し進めていると知る。麻実麗はたまたま知り合った桔梗魁(杏)と手を組んでこれを阻止しようと・・・

 前回と同じく、埼玉県に住む家族がクルマの中でラジオ番組を聴く中で物語が展開する。関西での抗争だけでなく、埼玉県内でも大宮と浦和の対立が尖鋭化する。

 バカバカしいと言えばそれまでだけど、そこそこ面白い。色々な俳優が色々な役で出ているのも見もの。

 新潟市では全国と同じく11月23日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中、県内他地域のシネコン3館でも上映されている。
 私が足を運んだ封切3日目(土曜)の午後の回は40人くらいの入りだったか。

640[1]
今年映画館で見た138本目の映画
鑑賞日 11月24日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 フランス映画、フランソワ・オゾン監督・脚本作品、103分、原題は"Mon crime"(わが犯罪)。

 舞台は1930年代のパリ。著名な映画プロデューサーが殺される。その容疑者として逮捕されたのが駆けだし女優のマドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ: 画像左)。実は彼女は真犯人ではなかったのだが、プロデューサーから映画に出してやるからその代わりに・・・という「真相」を想定した世論が自分に同情的であることを見て取り、ルームメイトである女性弁護士ポーリーヌ(レベッカ・マルデール: 画像右)に教えられたとおりに供述し陪審の共感を獲得して無罪に。一躍有名人になった彼女は女優として売れるようになるが、そんな或る日、「私が真犯人」という人物が訪ねてきて・・・

 分かりやすい喜劇である。ヒロインのマドレーヌが逮捕されるにあたっての警察の捜査はいい加減だし、その他の登場人物もあくまで虚構の人物として動いている。その意味でちょっと古めかしい作りではあるが、肩肘張らずに楽しめるところを評価すべきだろう。ヒロインを演じるナディア・テレスキウィッツも私好みの美人。こういう美人なら、私が陪審でも無罪にします(笑)。

 東京では11月3日の封切だったが、新潟市では3週間の遅れでユナイテッドにて単独公開中、県内でも上映はここだけ。私が足を運んだ封切2日目(金曜日)昼過ぎの回は、20名くらいの入りだった。

・8月1日(火)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20230801/k00/00m/040/296000c
 福井の海岸、イルカが海水浴客かむ 22年度は6人負傷
 毎日新聞 2023/8/1 22:02(最終更新 8/1 22:20) 

 1日午後2時15分ごろ、福井市浜住町の鷹巣海水浴場近くの海岸で、海水浴をしていた富山市の男性会社員(26)が、イルカに手や足をかまれ負傷した。福井海上保安署によると、命に別条はない。

 男性は遊泳区域外の岩場付近で、女性と海水浴をしていた。近づいて来たイルカをなでるなどした後、海から上がろうとした際、左のふくらはぎや、左手の甲などをかまれた。鷹巣海水浴場の浜茶屋に移動し、シャワーで血を洗い流しているのを見た関係者が「足の出血が止まらない」と119番。病院に運ばれ、治療を受けた。

 保安署などによると、鷹巣海水浴場など福井市の海岸では昨年度、イルカによる被害が相次ぎ、少なくとも6人が負傷した。今年5月以降は福井県美浜町の水晶浜海水浴場で被害が続き、7月16日には男性がぶつかられ、あばら骨を折るなどの重傷を負った。

 保安署は、今回のイルカが水晶浜海水浴場に現れたのと同じかどうかは分からないと説明。「イルカを見かけたら、近づかずに海から上がってほしい」と呼びかけている。(共同)


・8月7日(月)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20230807-YI7DN547IROQLEXDCRYEOSWQQQ/
 反捕鯨団体の抗議に備え 和歌山県警が現地警戒所
 2023/8/7 18:13

 和歌山県太地町でイルカなど小型鯨類の追い込み漁が9月から始まるのを控え、和歌山県警は7日、反捕鯨団体などの抗議活動を監視する特別警戒本部現地警戒所を開所した。漁期が終わる来年3月末まで、警察官が24時間常駐し警戒に当たる。

 県警によると、新型コロナウイルスの影響もあり、令和2年から海外活動家の姿は見られなかったが、昨年には国内の動物愛護団体など約50人を確認。違法な妨害はなかったという。

 県警警備部の的場克郎部長は出発式で、コロナ禍が落ち着き外国人の違法な抗議活動によるトラブルが懸念されるとして「住民が安心して生活できるよう、最善を尽くしたい」と訓示した。

 県警は平成23年に追い込み漁が行われる畠尻湾の前に臨時交番を設置していたが、施設の老朽化により、令和2年に現地警戒所を新築した。


・8月8日(火)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20230808/ddl/k30/040/240000c
 太地のイルカ漁解禁前に警戒所 県警が開設 /和歌山
 毎日新聞 2023/8/8 地方版 

  太地町で9月からイルカなど小型鯨類の追い込み漁が解禁されるのを前に、県警は7日、同町に捕鯨を巡る違法な抗議活動を監視する特別警戒本部現地警戒所を開設した。漁期が終わる2024年3月末まで新宮署員らが24時間体制で警戒にあたる。

 開所式で、的場克郎警備部長が「違法行為の未然防止の徹底、関係機関との連携強化の2点に重点をおき、警備に万全を期してください」と訓示した。

 町では、漁を隠し撮りした米映画「ザ・コーヴ」が2010年に上映されたのをきっかけに反捕鯨活動が活発化した。県警によると、20年以降は海外の反捕鯨団体の来町は確認されていない。新型コロナウイルスによる入国制限緩和で、今シーズンは海外の反捕鯨団体の動向にも注視するという。【松田学】


・8月19日(土)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20230819/ddm/008/020/039000c
 くじらストア 鯨肉の無人販売、東京・月島に本店開業
 毎日新聞 2023/8/19 東京朝刊

 商業捕鯨を行う共同船舶(東京)が18日、鯨肉の冷凍食品や缶詰を扱う「くじらストア」を東京・月島に開店した。

 自動販売機による無人店舗で24時間オープン。同様の店舗は大阪、横浜を含め既に4店あり、月島は本店の位置付けだ。同社は5年以内に100店まで増やしたいとの目標を掲げる。

 自販機は3台で赤身肉やステーキ、竜田揚げなどをそろえた。価格は1000~3000円。


・8月24日(木)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20230824-M3UIKVKS3ZIZZMHIMDDBJVLKJM/
 イルカ漁の妨害に備え海保が訓練 和歌山・太地町
 2023/8/24 16:51

 和歌山県太地町でイルカなど小型鯨類の追い込み漁が9月から始まるのを前に、第5管区海上保安本部(神戸)は24日、反捕鯨団体による妨害行為に備えた警備訓練を同町の太地漁港で行った。

 訓練には海上保安官ら約30人が参加。反捕鯨団体の活動家が小型ボートで漁船を妨害したとの想定で、海保のゴムボートが逃走した活動家を追い詰め、海上保安官が乗り込んで取り押さえた。

 太地町は、漁の期間中、漁が行われている湾上空でのドローンの飛行を条例で禁じており、海上保安官がドローンを操縦する活動家に警告し、退去させる訓練もした。

 追い込み漁をしている「太地いさな組合」の副組合長、土山正樹さん(52)は「訓練は大変ありがたい。許可を受けているので、胸を張って漁を続けたい」と話した。


・8月29日(火)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20230829-A4VUSL63LVPBTKDST6H4KFOUQI/
 【くじら日記】韓国・長生浦旅行記③ 交流続ける日韓のまち
 2023/8/29 19:00
 (以下の記事は一部分を省略してあります。全文は上記URLからお読み下さい。)

 今年5月、韓国蔚山(ウルサン)広域市南(ナム)区の長生浦(チャンセンポ)クジラ文化特区で開かれた祭典「2023蔚山クジラ祭り」。筆者も参加し、この祭りの中心地である「長生浦海洋公園」を訪れると、「長生浦鯨博物館」と「鯨生態体験館」、そして捕鯨船が見えてきました。

 この光景は、和歌山県太地町のランドマークである町立くじらの博物館と捕鯨船がある町内のくじら浜公園と似ていますが、偶然ではありません。

 太地町と蔚山広域市南区の交流は20年近く続いており、この交流が長生浦海洋公園の整備に関わっているからです。このため、長生浦鯨博物館には太地町が寄贈したシャチの全身骨格が展示され、鯨生態体験館では太地町からやってきたイルカが暮らしています。

 その鯨生態体験館に足を運びました。トンネルのように水槽の下に続く通路をくぐると、水槽に4頭のバンドウイルカが姿を見せました。うち1頭は、長生浦で2017年に誕生した雄のイルカで、筆者は誕生してすぐ長生浦に駆け付け、状況を見守ったことがあります。南区は、この新たな命に、長生きしてほしいという思いを込めて「コ・ジャンス(長寿)」と名付け、特別に住民登録もしたのでした。コ・ジャンスはすっかり大きくなり、母親と見分けがつかないほどでした。

 2階に進むと、観客席があり、ほぼ満席でした。筆者が座ると、「鯨生態説明会」が始まり、トレーナーが、イルカのヒレを手に持ち体の特徴を説明したり、体温を測って健康管理の方法を説明したりしていました。最後は、イルカがジャンプを披露し、歓声が上がりました。

 4頭のイルカを飼育するのは6人のトレーナーです。技術交流を目的に太地町に来たトレーナーも4人おり、筆者と日本語であいさつを交わしました。

 トレーナーのリーダーを務めているのは別施設で2006年にトレーナーになったキム・スルギさんです。太地町で約1年半、イルカ飼育の経験を積み、2009年にオープンした鯨生態体験館でイルカの飼育や展示の方法を築き上げて中心的な役割をしています。

 (中略)

 ただ、鯨生態体験館によると、韓国では水族館関連法が見直され、鯨類のレクリエーションを目的としたショーを禁止しました。さらに鯨類を新たに保有することも禁じられるといいます。韓国の政策がもっと厳しくなることも考えられ、キム・スルギさんは「水族館でイルカが飼えなくなる日が来るかもしれない」と不安の声を漏らしました。

 (中略)

 太地と長生浦の2つの「クジラのまち」が、これからもクジラと関わり、関係を深めていくことを願わずにはいられません。

(太地町立くじらの博物館館長 稲森大樹)

(当ブログ制作者から: この「韓国・長生浦旅行記」の①は「捕鯨問題/2023年6月の報道から」に掲載されています。6月5日の日付です。)


・8月31日(木)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20230831/k00/00m/040/117000c
 捕鯨母船「関鯨丸」進水式 24年3月操業、南極航海も可能 山口
 毎日新聞 2023/8/31 14:15(最終更新 8/31 18:47) 

 山口県下関市長府港町の旭洋造船で31日、建造が進められている捕鯨母船「関鯨(かんげい)丸」の進水式が開かれた。強風のため実際に船を海に浮かべる「進水」は延期となったが、関係者約120人が見守るなか、命名披露などのセレモニーが開催された。今後は内装などを整え、操業は来年3月を予定している。

 関鯨丸は全長112.6メートル、総重量は約9100トンを誇る電気推進船。最大100人の乗組員の個室を備え、航続距離は約1万3000キロで南極海への航海も可能となっている。船籍は下関市で、捕鯨船団の母船で老朽化が進んでいた「日新丸」の後継となる。建造費は70億円を見込んでいる。

 式典には船の所有者となる捕鯨会社「共同船舶」(東京都中央区)や旭洋造船の関係者のほか、林芳正外相や前田晋太郎市長らが出席。午前9時すぎに船をつなぎとめている支綱(しこう)が切断されると、花火が上がり新造船の誕生を祝った。

 式典後、共同船舶の所英樹社長は、関鯨丸の専用スペースで鯨の解体ができることなどを強調し、「今後30年間にわたって鯨を供給することが可能になる」と話した。【橋本勝利】


・8月31日(木)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20230831-6US7C5D4MRIBPGNBDRU3FEWQBM/
 「30年供給責務果たせる」 下関で捕鯨船の進水式
 2023/8/31 12:00

 世界で唯一、母船を中心とした船団で捕鯨を行っている共同船舶(東京)は31日、来年就役予定の捕鯨母船「関鯨丸」の進水式を山口県下関市で開催した。船団で沖に出てクジラを捕り、関鯨丸の衛生環境が整った専用スペースで解体する。今後、内装を取り付けるなどし、来年3月に完成する予定。

 式典は同日午前中に開かれ、地元関係者ら約150人が参加。強風のため、実際に船を海に浮かべる「進水」は行わなかった。取材に応じた共同船舶の所英樹社長は、新造船の完成で「今後30年間は鯨の供給責任を果たしていける」と意義を強調した。

 関鯨丸は全長112・6メートル、総トン数約9100トンの電気推進船。最大約100人分の乗組員用個室を備える。老朽化で引退する「日新丸」の代わりとして旭洋造船(下関市)が約60億円で建造する予定だったが、一部仕様変更で70億円超となる見込み。

 70トンまで引き上げられるウインチを搭載し、ナガスクジラなど大型のクジラにも対応できる。

51Sk0Lp+36L._SY445_SX342_[1]
評価 ★★★★☆

 原著のタイトルは"The Coddling of the American Mind. How Good Intention and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Frilure"、2018年の出版である。
 著者はいずれもアメリカの学者。
 グレッグ・ルキアノフは1974年生まれ、アメリカン大卒、スタンフォード大ロースクール修了。「教育における個人の権利のための財団(RIRE)」の会長兼CEO。
 ジョナサン・ハイトは1963年生まれ、イェール大卒、ペンシルベニア大学博士課程修了。社会心理学専攻。長年ヴァージニア大で教鞭をとり、現在はニューヨーク大学教授で、「倫理的リーダーシップ論」を専門とする。
 訳者の西川氏は神戸女学院大卒、立教大修士課程修了、翻訳家。

 主タイトルからすると若い世代のアメリカ人が精神的に脆弱になってきていると主張した本かと思うが(そしてそれも誤りではないが)、本書はむしろ『アメリカの大学は病んでいる』というタイトルにしたほうが内容に即していると思う。そして病んでいる原因として、最近の若い世代の特質が挙げられているのである。
 当ブログで以前、ジェイソン・モーガン『アメリカン・バカデミズム』を紹介したが、この『アメリカの大学生たち』はアメリカの大学の陥っている悲惨な状態とその原因について、さらに詳細に論じている。
     
 「はじめに」では現在のアメリカ(の大学と若者)を蝕んでいる「三つの誤った真理」が俎上に載せられている。
 それは、「困難な経験は人を弱くする――苦痛を避け不快感を避けるのがよい」「常に自分の感情を信じよ――自分の直感的な判断がすべてである」「人生とは善人と悪人の闘いである――万事を、そしてすべての人間を善(人)と悪(人)とに分類し、後者に対しては情け容赦なく非難を浴びせなければならない」の三つである。

 そのため、最近の傾向としては大学内で検閲を要求するのは学生側であり、大学当局がそれに引きずられるようにして言論規制を行う場合が増えているという。かつてなら、言論規制を求めるのは管理者側で、言論の自由を要求するのが学生だったのに、それが逆になりつつあるのだ。

 例えば、コロンビア大学のコア・カリキュラムに「西洋文学と哲学の名作」という科目がある。オウィディウス、ホメロス、ダンテ、アウグスティヌス、モンテーニュ、ウルフなどが取り上げられている。ところがこの科目に対して、「これらには排除と抑圧の歴史ならびに物語が含まれており、学生に精神的苦痛をもたらし傷つけかねない内容は、私たちのアイデンティティを軽視している」という異議が学生から出された。こうした本を読んで議論するのは精神的苦痛を伴う場合があるので、そうした学生には支援を用意すべきだ、とも。これは文学正典を多様化すべしとの声ではあるものの、しかし読んだ結果として生じた「精神的苦痛」への支援までも大学側が用意しなければならないのだろうか?

 現代の学生は言論の自由よりも、言論によって自分が傷つく可能性のほうを重視し、そこから逆に、言論の自由を抑圧しても構わないと考えがちになる。アメリカ合衆国憲法修正第一条に対する重大な侵犯であるが、こうした事態がこともあろうに、言論の自由を守るべき大学内で進行しているのである。

 こうした事態を招いたのは、日本ではしばしば「Z世代」と呼ばれるアメリカの若い世代が誤った育てられ方をしてきたからだ、と著者は主張する(本書ではインターネット世代を略した「iGen(アイジェン)」という呼称が用いられている)。

 第1章では例として、ピーナツ・アレルギーが取り上げられている。アメリカの最近の幼稚園ではピーナツおよびピーナツ製品の持ち込みが厳禁となっている。ピーナツ・アレルギーの幼児がいるから、というのである。
 ピーナツ・アレルギーの子供は、90年代半ばまでは1000人中4人程度だった。しかし2008年の調査では14人に増えていた。それが幼稚園の規制を生んだわけだ。
 だが、その後の研究により、ピーナツから幼児を遠ざけるとむしろピーナツ・アレルギーの子供が増えるという事実が明らかになった。あえてピーナツ製品を与えられた子供たちのアレルギー反応は3%だったのに対し、ピーナツ製品から遠ざけられて育った子供のアレルギー率は17%にも及んだのである。つまり、多少アレルギーの気がある子供がいても、ピーナツ製品を与えたほうがピーナツに対する耐性がついてアレルギーは減るのである。

 問題はピーナツだけにとどまらない。先進国では一様に生活環境が清潔になっているが、そのために逆に各種アレルギーに悩まされる子供が増えている。かつては先進国の子供であっても、現在の基準で見れば不潔で不健康な環境下で育っていた。幼児死亡率も高かった。しかしそうした環境下で成長する子供は悪い環境に屈せずに生きていく強さを身につけていたのである。

 病気やアレルギーだけではない。女性の会社進出が進んでいる現代だが、子供の数が大幅に減っているので過保護の子供が増えているという。娘が17歳でも一人で地下鉄に乗ってはいけないと命じる親がいると本書では指摘されている。(237ページ)アメリカ人というと、何となく自主独立の気風で子育てをするというイメージが日本人にはあるけれど、日本人もびっくりするくらい過保護になっているのだ。親だけではない。子供をほんのひととき一人きりにしたために警察に通報されて逮捕されてしまう親もいるという。(239ページ)日本でも先ごろ埼玉でそういう条例を作ろうとする動きがあって、猛反対が起きて撤回されたけれど、埼玉の政治家はアメリカを盲目的に見習おうとしていたのではないか。ダ埼玉だけのことは・・・と言いたくなりますね(笑)。しかしアメリカでは実際にこういう事件が起こっているのだから、笑ってばかりはいられないのである。 

 「マイクロアグレッション」という概念がある。「意図的か否かにかかわらず、日々のありふれた言葉、行動、或いは施設面での屈辱的な扱い」で敵対的・軽蔑的なメッセージを伝えること、と定義されている。最初は有色人種に向けた場合に使われたが、こんにちではマイノリティ一般(女性やLGBTQなど)に用いられている。そしてこの概念を提唱した学者(コロンビア大学のデラルド・ウィン・スー教授)は、これを向けられた側の解釈によって決まると定義したために、相手の言葉や行動に少しでも「差別的なニュアンス」を感じれば大声で非難を浴びせても構わないという若者の傾向を助長した。また、学者の中にもそうした若者を支援する人間がいる。著者は、むき出しの非難をせずとも、もっと穏当な言い方で相手に注意を喚起するやり方もあるのではと常識的な疑問を呈している。(第2章、66~69ページ)

 ここで私のコメントを入れると、日本でも1980年代から猛威を振るった差別語批判=言葉狩りを思い出した。そこでは、部落解放同盟などが「差別的な発言をした人間」を取り囲み、長時間にわたって「糾弾」を行った。差別か否かの判断は「差別される側」にしかできないとされた。「足を踏まれた者の痛みは踏まれた側にしか分からない」という論理がそこでは使われた。上の、「マイクロアグレッション」という概念を提唱したコロンビア大学教授の論理とまったく同じことである。

 このため、アメリカの大学で外部から人を招いて講演を行おうとすると、その講演者の思想が気に入らないという理由で露骨な妨害活動がなされるようになっている。自分の気に入らない思想の持ち主であっても一応はその見解を聞いた上で批判を行うという、言論の自由を守るためには欠かせないルールが破綻に瀕しているのである。こうした妨害活動は、2000年から2009年の間では、右派からのものと左派からのものが同じ頻度でなされていたが、2010年代に入ってからは左派からの妨害が圧倒的に多くなっているという。(77ページ)

 外部から来る講演者ばかりではない。
 2015年、クレアモント・マッケナ大学で以下のような事件が起こった。
 両親がメキシコからの移民である女子学生が、「この大学は裕福な白人で異性愛を標準視する人間の価値観に根ざしている」と全職員あてにメールした。これに対して学生部長である女性が「この問題について私とお話ししませんか。あなたの指摘は重要です。私たちは本学の型(mold)にはまらない人のお役に立てるよう取り組んでいます」という返信を送った。
 ところがこの「型にはまらない」という言い回しを学生は「最も寛容でない方法で解釈した」。そしてSNSに投稿した結果、学生からの抗議行動が起こり、学生部長は自分の表現に至らない点があったと謝罪したが、学生の抗議行動は激しさを増し、大学当局も、学生部長を解雇こそしなかったものの支持するという声明も出さず、結局学生部長はみずから辞職した。(第3章、83~87ページ)

 同じ頃、イェール大学でも類似の事件が起こった。同大学の某センターの非常勤講師で、シリマン・カレッジ(同大学の全寮制カレッジの一つ)の副校長でもある女性が、大学の異文化対策委員会の方針に疑問を呈した。ハロウィーンの衣裳として適切なものと不適切なものがあると大学側がわざわざ学生に指導するのは妥当なのか、学生が大人として意見をたたかわせて自分たちで決めるべきではないか、というのである。この疑問に対して学生の抗議運動が起こった。女性副校長の夫はシリマン・カレッジの校長だったが、彼は学生たちに対して妻が精神的苦痛を与えたことは謝罪したが、妻の見解そのものの否定は拒否した。これに対して学生たちは「人種差別主義者」などの罵声を浴びせるばかり。イェール大学の学長は夫妻への支持はせず、学年度末に夫妻は辞職した。教授たちの中には夫妻を内心では支持する人もいたが、リスクが大きくて公然とは発言できなかったという。(87~89ページ)なおこの事件は、上で触れたジェイソン・モーガン『アメリカン・バカデミズム』でも紹介されている。

 以上のような学生の態度は、他人の発言をすべて可能な限り悪い方向性において解釈し、世の中は善(人)と悪(人)から成り立っているという世界観に基づいて、悪(人)への公然たる抗議行動へと走る、という点において共通している。

 これまた私には既視感がある。1970年代初頭の日本に起こった連合赤軍事件(山岳ベース事件)である。ちょっとした言葉遣いや服装の華美などにより、極左グループ内で同志のはずの12名が殺された。殺されるのと辞職に追い込まれるのは異なると言う人もいるだろうが、「相手の言葉や態度を最悪の可能性で解釈する」点で同じであり、極論に走る人間ほど正当化されやすいという点でも類似している。
 
 話を戻すと、著者はアイデンティティ政治は二種類あるとして、理想的なタイプとして(ノーベル平和賞を受賞しながら暗殺された)キング牧師を挙げている。キング牧師の思想は、国を愛する気持ちや宗教心をベースにして共通の人間性を掲げていた。敵を措定して大声で非難するよりも、差別を克服して皆が一緒になろうと訴えたのである。
 これに対して最近のアイデンティティ政治は、これとは逆に敵を作り戦闘を行う方向性をとっている。或る学生はこう書いた。「存在論的に言って、白人の死はすべての人たちの解放を意味するだろう。」著者は、この種の言説は第三帝国のそれと異ならないとして危惧の念を表明している。(96~98ページ)

 思想的に見るなら、こうした思想はマルクスを発端として、ヘルベルト・マルクーゼによりアメリカにもたらされたと著者は述べている。(99~102ページ)
 現代では、インターセクショナリティという概念がアルクーゼ理論の後継者の役割を果たしている。UCLAのキンバリー・ウィリアムズ・クレンショー教授の提唱した概念で、現代社会においては人種、階級、ジェンダー、性的志向、知的能力、民族、国家、宗教、年齢などにより社会全体を分析し、権力関係が様々な要素の交差により生じていることを明らかにするためのものだが、著者はこの理論自体を批判しているのではなく、「この理論の或る種の解釈」がトライバリズム(部族主義=自分と共通の属性を持つ者だけを仲間と見なす)につながっていると述べている。つまり、極論すれば「白人男性はすべて悪」とするような見方につながるというのである。(102~107ページ)

 第4章でも、大学内で起こった事件が紹介されている。外部から招待された講演者に対する学生の暴力的な阻止行動である。UCバークレー校、ミドルベリー大学、上でも登場したクレアモント・マッケンナ大学、ヴァージニア大学などでこうした騒動が起こっている。左翼だけではなく、ヴァージニア大学ではネオナチのデモにより死者まで出ている。
 この章では、最近の若者が「言葉による暴力」を肉体的な暴力と区別せず、「言葉による暴力」を実力で阻止するのは正当だと考えがちであることが指摘されている。私に言わせると60年代から70年代の日本の学生運動とやはり類似している。そして大学教授でも「言葉は暴力になり得る」という見解を支持する人間がいるという。著者は、本章の最後でオバマ大統領の顧問を務めたヴァン・ジョーンズの言葉を引用して「言葉の暴力=身体の暴力」観を批判している。「君たちには思想的に安全でいてほしくない。感情的に安全でいてほしくない。強くあってほしい。(…)ブーツをはいて、逆境に立ち向かえる術を身につけなさい。」

 第5章では、アメリカの大学内でのイデオロギー的軋轢が、教員の論文評価にも及んでいる状況が明らかにされている。
 2017年、ローズ大学(テネシー州)哲学科准教授レベッカ・テュベルが「人種転換を守るために」という論文をネット上に掲載した。そこでは著名な男性スポーツ選手が女性に性転換したことに対する世間の好意的な評価と、全米黒人地位向上協会(NAACP)の元支部長である白人女性が「自分は黒人としてのアイデンティティを持っている」と発言した際に嘲笑と批判が浴びせかけられたこととを対比して、性転換と人種転換は「同じ留意事項を提起している」と述べた。(分かりにくい言い回しだけど、同じとは言えないが同じ問題を含む、ということだろう。)
 これに対して論文の撤回を求める運動が起こり、別の大学の女性准教授は「トランスジェンダー嫌いと女性嫌いの要素を含んだ暴力的な」論文だとSNS上で書き立てた。
 テュベルを擁護する人間もいたが、内心ではテュベルを支持しながら表向きは逆に彼女を批判する者もいたという。特にフェミニストの研究者にそういう人間が多かったと言われている。一種の魔女狩り現象だと著者は述べている。(151~156ページ)
 なお、論文撤回の別の例が注で挙げられている。ポートランド州立大学(オレゴン州)の政治学者が、植民地主義は植民地となった国々にそれなりの恩恵をもたらしたとする論文を書いたところ、掲載誌の編集者が殺害の脅迫を受け、結果として論文は撤回されたという。(435ページ)

 第5章の後半ではエヴァーグリーン州立大学(ワシントン州)で起こった事件が紹介されている。詳しくは本書に譲るが、やはり学生の暴力的な抗議行動で教授が辞職に追い込まれ、学長などは学生に追随するだけで言論の自由を守ろうとはしなかった。教員の4分の1は当該教授がFOXニュースでことの次第を語ったことを公然と非難した。これまた魔女狩りの典型例だと著者は述べている。(164~172ページ)
 これに関連して、アメリカの大学では女子学生が男子学生より左派の思考に染まる場合が多いという指摘も注でなされている。女子が男子より左派寄りというジェンダー格差は、2011年には6ポイントだったが、2016年には12ポイントにまで差が広がったという。(434ページ)

 以上のような事態は、アメリカの大学教授が全体として左寄りに偏してきていることと無関係ではない。もともと大学教授には左派が多いが、それでも90年代前半には左派と右派の割合は2対1だった。20世紀半ばの段階でも、左派が多かったが極端に片寄っていたわけではなかった。しかし90年代後半からこの割合は変化を始めた。GI世代(第二次世界大戦に従軍、もしくはそれを支えた世代)の教授が退職し、ベビーブーム世代の教授に取って代わられた時期で、左派と右派の割合は2011年に5対1となった。人種やジェンダーの多様性は高まったが、政治思想的な多様性は低くなった。ベビーブーム世代は1960年代の公民権運動や反体制文化の影響を大きく受けていたからだ。教育心理学では30~90年代半ばでは左派と右派の割合は2対1ないし4対1だったが、2016年には17対1になっている。その他の人文・社会科学系の主要分野ではすべて10対1以上に差が開いている。特に名門大学やニューイングランドの大学で偏りが顕著だという。(159~161ページ)
 こうした教員の偏りが、学生の動向にも影響を与えている可能性は高い。

 第6章では、左派の教授が挑発的な発言を行い、それが右翼団体や保守派メディアから叩かれる例が紹介されている。この場合も大学幹部が大学教員を守らないケースが多いという。

 第7~9章では、最初に紹介した子育ての過保護化が取り上げられ、子供に必要なのは自立的で身体を使った遊びだという(或る意味、常識的な)提言がなされている。第12章でも大人に向けて、子供の自主性を尊重した教育をするよう呼びかけている。ネットの利用を制限する必要性も強調されている。

 第10章では、アメリカの大学で強まる管理主義が俎上に載せられている。これは、大学が巨大化し、教員は教育と研究に専念する傾向が強くなり、教員以外の事務職員の数と権限が増大していることから来る現象だという。
 学生が気がふさいでいるので大学のセラピストに相談すると、「あなたは大きな不安を抱えている。大きな不安は下手をすると一生続く」と言われて、癒されるどころか逆に不安をかきたてられる。しかも数日後、副学部長から以下のようなメールが届く。「あなたの抱えている問題や不安を他の学生に話すと、彼らの勉学や人づき合いに支障をきたす恐れがあります。こうした問題を他人に話すことは避けて、支援リソースをお使い下さい。他の学生を巻き込むと、懲戒処分の対象になることがあります。」
 カウンセリングの秘密が守られるどころか副学部長に筒抜けとなり、しかも脅迫めいたメールが送られてくるのである。これはノーザン・ミシガン大学で実際に起こったことで、しかも学期ごとに25~30名の学生が同じようなメールを受け取っていたという。当該の副学部長はマスコミからの取材で自分のやり方は間違っていないと述べ、精神衛生の専門家の意見ははなから無視していた。
 ・・・私がこの部分を読んで思ったのは、90年代に始まった日本の「大学改革」だった。この副学部長を政治家や文科省官僚、学生を大学と読み替えれば、そっくりそのままじゃないだろうか。

 他方で著者は、大学が巨大化して、学生の支払う学費も高騰化しているので、それが学生をお客様扱いすることにもつながっており、上述のような常軌を逸した抗議行動を学生がとっても被害者である教員を学長が守ることをしないといった異常さにつながっていると指摘している。

 「ハラスメント」概念の変化も取り上げられている。本来、ハラスメントは1964年の公民権法に起原があり、1972年教育改正法の第9編(タイトルナイン)において連邦政府の助成を受けている大学が教育機会に関して女性を差別することを禁じるというものであった。そもそもはハラスメントと認定される場合のハードルは高く設定されていた。しかし現実にはそのハードルが下がってきており、人種や性別とは無関係なたった1度の発言が処罰対象になるという事態が生じている。(287ページ)
 或る学生は、KKKの敗北を讃える本(KKKを讃える本、ではない)を読んでいたら、それを見られたというので処罰された。通報した二人は、学生が読んでいる本の表紙を見て不快感を覚えたのだという。(288ページ)・・・ここを読むと、アメリカの大学って、本当に狂っているなと思いますよね。

 しかし、タイトルナインのハラスメントに関する概念が拡大解釈されたことで、やはり大学教授の発言が非難されることとなる。言論・思想信条の自由が脅かされているのだ。ちなみにその発言とは、「私の学生時代のフェミニズムは自主性やたくましさを強調していた。今は学生の脆弱さを聖なるもののように扱う風潮が強まっている。アンチフェミニストのレッテルを貼られないために、誰もそれを問題視しない」というものである。発言者は女性だが、この結果やはり過激な学生の抗議行動の対象となり、しかも身辺調査が2度にわたって行われ、すべてが終息するには2年間を要したという。(289~290ページ)

 第11章では、男子学生に対する差別に言及がなされている。
 著者の一人がヴァージニア大学教員だったときに、男子ボート部の部員を何度かアルバイトに雇った。ところが、よく聞いてみると、男子ボート部は存在せず、その学生たちはヴァージニア・ボート協会に所属していた。所属しているのは全員が同大学の男子学生なのだが、大学からの資金援助はいっさいない。それどころか彼らは年間1000ドル以上の会費を収め、さらにそれ以外の経費をまかなうために仕事をこなす必要があった。これに対して、同大学の女子ボート部は、すべての経費を大学によって賄われていた。
 なぜこういう男子差別が行われるのか? 上記タイトルナインの適用に変化が生じたからだという。当初は機会均等だったのが、「結果の平等」を強要されるようになったのである。
 1979年のカーター政権時代には、あくまで機会均等という理念に沿った運用がなされていた。ところが96年にクリントン政権が成立すると、政府から助成を受けている大学は「平等な結果」を出せと圧力をかけられるようになる。そこで大学は男子スポーツクラブを削減したり、逆に女子チームを増やすように動いた。ヴァージニア大学のボート部男子差別はこういう中で起こったのである。1994年以前は男女ともボート部所属で問題がなかったが、タイトルナインを「結果の平等」にするよう圧力がかかったので、女子だけのボート部を大学代表チームに昇格させ、男子ボート部には同じ措置をとらなかったのである。
 著者は、スポーツをやったり観戦したりすることには男女で明らかな性差があり、この領域で男女の数を同じにしないと差別だという見方はおかしいと述べている。実際、NYタイムズの報道では、このために大学側が女子スポーツクラブの人数を水増ししたり、男子チームと女子チームを合同で練習させて男子を女子に数えたり、といった不正行為が行われているという。(310~314ページ)

 第13章では、アメリカの大学を健全化するための方策が提言されている。
 具体的には、シカゴ大学が2015年に制定した声明を支持すべきだ、ということである。大学は原則的には言論・学問の自由を掲げているが、現代においては上述のように外部から招いた講演者を阻止したり、教授が特に過激とも思われない発言で職を失ったりといた現象が起こっている。シカゴ大学の声明はこうした事情をふまえて、改めて大学における学問・言論の自由を訴えかけたもので、すでに40の他大学によっても採用されているという。そこで最も肝腎な部分は、言論が自分の見解に反するからといってそれを抑圧するのではなく、率直に異議を唱えることであるというものだ。

 「結び」においては、イスラム過激派や欧米極右派の動向をも含め、近年のアイデンティティ政治のマイナス面を改めて指摘している。イスラム国などのイスラム過激派は欧米極右派を西洋全体の代表と見なし、逆にイングリッシュ・デフェンス・リーグなどの極右派はイスラム国などのイスラム過激派をイスラム社会全体の代表と見なす。こうした「アイデンティティ政治」は相互の不信と対立を増長するだけで、決してよい結果をもたらさない。近年のアメリカの大学が陥っている隘路を含め、こうした動向に疑問を呈する学者も増えているという。

 以上のように、本書はアメリカの大学で進行している異常な事態を報告し、それに対処するための処方箋をも提供している。著者ふたりはいい意味で常識的な思想の持ち主であり、大学における思想信条言論の自由を守ることが何より大事だという原則を明確に打ち出している。日本の大学も、東工大が男子差別の入試を平気で実施したりするなど、アメリカの大学の悪い面を追う傾向が出ているだけに、日本の大学教員にとっては必読書であろう。

 モーガン『アメリカン・バカデミズム』を取り上げた時にも書いたが、イデオロギーが先走って実力のない大学教授がアメリカの大学にはいる。日本でも毎日新聞は一時期、そうしたアメリカ人教授の言説を積極的に掲載していた。アメリカの大学教授はバカ揃いなのかと思っていたが、本書を読むとちゃんとした大学教授もいるのだと分かって安心する。

 新潟県立図書館から借りて読みました。新潟大学付属図書館でも所蔵しています。

 11月23日(木・勤労感謝の日)は、市立鳥屋野総合体育館で開催された石山地区卓球大会に出場した。昨年の秋に続いて二度目である。
       
 クジ引きで10チームに分かれ、男女でダブルス5ペアを作り、総当たり戦で勝敗を競う団体戦の大会。なので、1チームが10人で、10チームだから合計100人いればいいわけだが、今回は参加希望者が多くて、1チームが12~13人となった。なので、本来なら総当たり戦だから9回試合ができるはずなのだが、順番で時々休みが入り、私は7回試合をして4勝3敗だった。別段私が強いからではなく、相手が弱かったのです(笑)。あとは、組んだ女性がしっかりしている場合が多かったからかな。

 チームとしても10チーム中第3位に入り、賞品をもらった(昨年ももらったが、中身は同じく台所用洗剤でした)。チームに若い男子がふたりいて、いずれも強かったから。あと、中年男性にも強い人がひとりいた。
 ここからも分かるように、この大会は老若男女が一堂に会しており、腕前も各人各様である。そこがいいのだろう。

 昨年は新型コロナのせいで昼食弁当は出なかったが(各自持参)、今回は幕の内弁当が出た。これがかなり上等で、おかずが沢山はいっているだけではなく、料理の仕方自体が凝っていて(ふつう市販の幕の内弁当では揚げ物と焼き物が多いが、この弁当はそれ以外に酢を使うなど色々な処理をしていた)、店で買うと1000円はするんじゃないか。これにペットボトルのお茶も付いていて、私はそれに加えて3位の賞品ももらったから、参加費1000円以上の見返りがあったということになる。恐縮してしまうのであるが、大会は参加者の会費だけで運営されているわけではなく、公的な補助があるかららしい。

 というわけで、楽しく一日を過ごして会場を跡にした。

640[1]
今年映画館で見た137本目の映画
鑑賞日 11月22日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 荒井晴彦監督・脚本作品(脚本は中野太も)、137分、松浦寿輝の原作小説は未読。

 地方から上京して女優を目指した若い女・祥子(さとうほなみ)について、たまたま邂逅したピンク映画監督の栩谷(綾野剛)と脚本家志望の伊関(柄本佑)がそれぞれに回想して、やがて同じ女と同棲していた過去に気づく・・・というような筋書き。

 祥子が別の映画監督と心中したところから始まって、次に彼女と男たちの過去が・・・という展開だけれど、女優を志した彼女の努力と挫折が丹念に追求されているわけではなく、かといってピンク映画業界もしくは日本の映画界の内実がえぐり取られているわけでもなく、芯のない映画だなという印象だった。ピンク映画業界の話らしく(?)さとうほなみはヌードを披露して頑張ってはいるんだけど。

 それから、私は綾野剛も柄本佑も好きではない。いくら「男は顔じゃない」と言っても映画なんだから、もっとマシな面相の俳優を使ってもらいたい(脇役ならともかく)。そういう基本ができていない。
 なお、タイトルは万葉集から。

 東京では11月10日の封切りだったが、新潟市では一週間の遅れでシネ・ウインドにて公開中、12月8日(金)限り。
 私が足を運んだ第一週水曜日(夜)は、8人の入りだった。

 先月も上京したのだが、あれはオペラを二つ鑑賞するのが主目的だった。
 今回もオペラを一つ鑑賞したけれど、主目的は友人と会うことで、オペラはたまたま日程が合ったので、ということ。

 しかしそのオペラ見物のために、会場である旧東京音楽学校奏楽堂に行こうとして、JR上野駅の動物園口を出たら、以前は駅から東京文化会館前に渡る横断歩道があったと思うのだが、それがなくなっていた。と言うより、横断歩道が設けられていた道路そのものがなくなっていたわけで、したがって駅を出ると東京文化会館や西洋美術館や上野動物園のあるエリアと駅とが歩行者専用のエリアとして一体化されていた。いつからこうなったのだろう。

 初日は昼過ぎに新幹線で東京駅に着き、オペラまでは時間があったので神保町で映画を1本見た。それでもオペラまでには時間があったので、JRお茶の水駅付近でお茶でも飲みながら本を読んで時間をつぶそうとしたが、近くに喫茶店が見当たらない。私はスマホを持たない人間なので路上で調べることもできない。

 なので、たまたま目にとまったサイゼリアに入った。「カフェレストラン」と銘打っているからお茶もあるだろうと思ったのだが、メニューを見るとドリンク・バーのみで、これは食事をとらなくても一定の料金を払えば利用できるようだったが、何となく頼みづらくて、ビールの小とエビ・サラダを注文した。これで650円だから安い。今どき喫茶店で紅茶を頼むと、ポット入りだと800円以上する。しかもエビ・サラダは結構量があった。

 もっとも、ここを出て上野駅に行ったら、上野駅構内にも喫茶店が入っており、また上野駅から旧東京音楽学校奏楽堂に行く途中にも複数の喫茶店が設けられていた。

 翌18日、午前中は墓参りと、老母に顔を見せるため、船橋へ。
 午後は、予定では恵比寿で映画を見るはずだったが、開映時刻に間に合わなかった。少し遅れて始まる別の一本を見てしまうと、大宮駅で午後5時に友人たちと会う約束に間に合わなくなる。仕方なく、大宮駅に早めに行って、午後5時までお茶を飲みながら本を読んで過ごすことに。

 しかし恵比寿まで行く地下鉄の中で或ることに気づいた。
 東京の私立小中高は、土曜日でも授業をやるらしいということである。
 午後1時少し前に日比谷線に乗っていたら、制服を着た小学校低学年らしい男の子が座席にすわって、手にした小さな機器でゲームらしきものに興じていた。その子が下りると、入れ違いにセーラー服を着た女の子がすわり、お握りを食べ始めた。それとは別に、スーツ型の制服を着た高校生らしい女の子が三人、私の前に立ち、新宿に行くかどうするかといった話をしていた。この日は土曜日で、公立学校は休みのはずだから、いずれも私立の小中高生なのであろう。東京の私立学校は土曜日も授業をやるらしいとこれで気づいた。

 大宮駅に着いて、西口に出て喫茶店を探したら、右側のビルの三階にコメダ珈琲店の看板が目に付いた。行ってみたが、満員でしかも待っている客が十人ほどいる。あきらめてビルの一階に下りたら、その端のところにパン屋が入っており、出来たてのパンを食べるためのスペースもあってテーブルと椅子がいくつか置かれている。満席ではない。パンを食べずとも飲み物だけでもいいらしいので、紅茶を頼んだ。300円ちょいだから下手な喫茶店より安い。そこで予定時刻まで本を読んで過ごした。

 午後5時に大宮駅で友人3人と会う。例年11月に会っているが、昨年は一人が手術を受けて入院中だったのでお休みとなり、2年ぶりの再会である。いずれも中高時代の同級生で、一人は小学校も、もう一人は小学校と大学も同じ(大学の学部は別)という腐れ縁である。私以外の3人はいずれも大学は工学部を出て首都圏で理系サラリーマンとして暮らしてきたが、いずれも現在はリタイアしている。

 一人が昨年の今頃は入院中だったことは上記のとおりだが、他の一人は今年に入ってから駅の階段で転落して意識不明となり救急車で病院に担ぎ込まれた。もう一人もこの間に新型コロナに感染したという。この年齢になると色々あって、4人とも完全な健康体というわけにはいかなくなる。かく言う私も3年前に潰瘍性大腸炎で入院したし、1年半前からは狭心症の症状も出て、飲む薬の数が増えている。

 酒を飲みながら中華料理を食べ、その後は別の店でお茶を飲んで、午後8時にお開きとなる。

 私は今回は東横インの川口駅前店に宿をとった。大宮で友人と会うので、大宮から比較的近く、また東京にも遠くないという地理的な理由からである。
 先月上京したときは東横インの西葛西店に泊まったわけだが、こちらの川口駅前に泊まるのは初めてだった。もよりの駅からの距離では同じくらい。部屋の広さや設備もあまり変わらないが、それ以外の点では同じ東横インでも少し違いがある。

 川口駅前店は、バスルームとベッドルームの段差がほとんどないのはいい(西葛西は段差がかなりある)。ただし便器が小さいのは同じだし、トイレ操作用のボタン類が左側の、やや後ろ寄りに付いているのがどうにも不親切。年寄りは体が硬くなっているので見づらく操作しづらい。今どきなのだから、操作用のボタン類はちゃんと壁に付けてほしい。
 浴槽が浅いのも欠点である。身体の首より下が完全にはお湯につからない。膝が出るか、乳首より上が出るかになる。外国人ならともかく、日本人は首から下がお湯につからなきゃ風呂に入った気分にならないわけだから、明らかに設計が悪い。
  
 西葛西では朝食室はロビーとは別にあるが、川口駅前ではロビーが朝食室を兼ねている。それはいいとしても、テーブルとテーブルの間のスペースが狭くて通りづらい。品揃えは似たようなものだが、紅茶がないことでは共通している。ジュースは二種類あり(西葛西は一種類だけ)、こちらのほうがいい。しかしパンが、二日目の日曜日朝は途中で品切れとなり補充もされなかった。外国人客が多いのに、不親切だと思う。仕方なく焼きそばを食べている外国人客も多かった。ちゃんと客数に合わせてパンの量を増やすといった対応が望まれる。それと、西葛西もそうだが、パンが二種類しか置いておらず、いずれも小さくてボリューム面で物足りない。食パンとトースターを置くことがどうしてできないのか、不思議。

 西葛西では、毎日新聞の朝刊と夕刊がロビーにまとめて置かれていて客は自由に客室に持ち帰ることができたが、川口駅前はそもそも新聞をロビーに置いていない。客がロビーで読むために数紙を一部ずつ置いておくということすらしていない。この辺は一考を要するのではないか。ちなみにパソコンが一台置かれていて自由に使えるのは同じ。

 三日目の19日は東京で映画を3本見てから新潟に戻った。本当は4本見たかったのだが、1本目を渋谷のイメージフォーラムで見て、それから阿佐ヶ谷のラピュタ阿佐ヶ谷で可能なら3本を続けて見ようと思っていたものの、最初のには間に合わなかったのである。久しぶりに行ったので、映画館にたどりつくのに道に迷ってしまったこともある。

 帰りの新幹線は、東京駅午後7時36分発には間に合わず、午後8時24分発まで待たされた。今回の上京は、前日の恵比寿でも、この日の阿佐ヶ谷でも、そして東京駅でも、時間的に少しだけ間に合わないという現象が繰り返された。

 しかしである。東京駅のJR東日本・新幹線乗り場の電光掲示板を見たら、午後8時5分発の新潟行きがあることになっていた。日曜日だから臨時便を出したのだろうと思い、これを利用しようとしてホームに上がったら、なんと、ホームの電光掲示板には「全席指定席」という表示が出ているではないか。愕然とした。臨時便なのに自由席が皆無って、JR東日本は何を考えているのか!? 客の利用しやすさを全然考慮していない!

 仕方なく8時24分発まで待ってそれに乗ったが、新潟駅に着いてホームの階段を下りていたら、その壁に「上越新幹線の臨時列車はすべて指定席となりました」というポスターが貼ってあった。勘違い野郎が利用者のことを考えずに変なマネをして得意がっている、という感じしかしない。これを読んでいるJR東日本関係者がいたら、即刻改めるべし!

51EMR1Mv2RL._SY445_SX342_[1]
評価 ★★★★

 著者は1958年生まれ、慶大文卒、同大学院博士課程満期退学、教育学博士、慶大名誉教授、行動遺伝学・教育心理学・進化教育学専攻。

 人間の色々な能力や性癖は遺伝(つまり生まれつき持っている能力)によって影響されるのか(著者は慎重に、決定されるという言い方を避けている。遺伝も社会や時代の中に生きている人間に作用することで「影響」を及ぼすからである)、それとも生後の教育や努力によって方向付けられるのか、という問題を扱っている。

 私自身の考えを言えば、個人の知的能力や運動能力は7~8割くらいは遺伝で、つまり最初から決まっているというものである。

 本書は、主として一卵性双生児に関する研究にもとづいて、人間にとって遺伝と生まれてからの教育のいずれが大きな影響を与えるのか、という問題を解こうとしている。著者自身の、日本人の一卵性双生児(と二卵性双生児)に関する研究や、海外の同様の研究の結果が多く紹介されている。特に欧米の場合、一卵性双生児として生まれながら養子に出され、しかも別々の親に育てられるというケースが少なくないため(日本ではこういう例はあまりないようだ)、「遺伝と教育のいずれが大きく影響するのか」という研究が進んでいるという。

 結論から言えば、「教育は遺伝に勝てない」ということである。
 終わり近くに面白いエピソードが紹介されている。別々の養父母に育てられた男性の一卵性双生児はいずれも非常に几帳面で、約束や時間は厳守し、きれい好きで、服装がきちんとしているだけでなく一日に何度も手を洗わないと気が済まないという性格で共通していた。研究者が「あなたはなぜそんなに几帳面なのだと思いますか?」と質問したところ、一方は「養母が几帳面なので、その影響を受けたのでしょう」と答えたが、他方は「養母がずぼらな性格なので、それに反発したのだと思います」と答えたそうである。
 このエピソードが興味深いのは、単に遺伝の力の強さが分かるというだけでなく、世の中の「説明原理」がアテにならないことをも暴露してしまっているからだ。「養母に似たから」「養母に反発したから」は、それだけを聞けば「なるほど」と思うが、実際は几帳面な性格は生来的なものであり、理由づけは恣意的な、はっきり言えば虚偽のものに過ぎないのだ。

 本書では、もっと細かな点について様々なデータを示しながら、色々な教科目や、嗜好や性格について、遺伝と環境がぞれぞれにどの程度の影響力を持つかが考察されている。教科目については、小学校時代よりも中学時代のほうが環境による影響が大きく、理数系のような、一般には地頭で出来不出来が決まると思われている科目についても必ずしも遺伝の影響力が大きいわけではないというような意外な指摘もなされている。

 ただ、著者の概観では、学校時代よりも社会人になってからのほうが、人間が生来持っている能力の差ははっきりと出てくるもののようである。つまり、学校で学んでいる時代には、教員が各生徒に平等に接して教育を行うし、恵まれた家庭環境の子なら塾に通ったり家庭教師をつけてもらったりするので、生来の能力差は抑制される。ところが社会人になると教員や親はもう影響を与えることはできなくなる。つまり、社会人になってからのほうが、生来持っている能力差は顕在化しやすいのである。それで、私に言わせると、上で言われている中学時代は理数系に関する生来の能力差があまり出てこないという指摘も説明できるのではないかと思う。つまり中学までの理数系科目はあまり難しくないから、或る程度の勤勉さや、塾や家庭教師といった補助装置の力が比較的大きく影響するのではないか。理数系科目(だけではなく英語もそうだけど)が本格的に難しくなるのは高校に入ってからだから、おそらく、高校では中学よりも遺伝の力が大きく出て来るのではないか。

 また、都会と田舎で「遺伝か環境か」に違いはあるかについては、都会のほうが本人が生来持っている能力が出やすく(したがって個人間の差異が大きくなりやすく)、田舎では共有環境の影響力が大きい、という結果が出ているという。

 ただしこうした数値には国による差異もあって、社会や文化の影響力も或る程度は認められるという。欧米とひとくくりにはできず、同じ英語国であるアメリカとイギリスでも違いがあるようだ。日本とスウェーデンの比較で言えば、親の子育てについて、親の持つ「温かみ」「権威主義」は、日本では親の遺伝(生来の性質)によって左右されやすいのに対し、スウェーデンでは共有環境という面が大きい(つまり文化的社会的に「親は子に対してこういう態度をとるべきだ」いう規制が強く働く)という指摘は興味深い(208~209ページ)。著者は、どちらが優れているというような問題ではないと、注意深くコメントを付け足している。

 それやこれやで、色々と興味深く読める本である。

 新潟市立図書館から借りて読みました。

36608515[1]
今年映画館で見た136本目の映画
鑑賞日 11月19日
ラピュタ阿佐ヶ谷
評価 ★★★

 豊田四郎監督作品、八住利雄脚本、モノクロ、144分、1959年、原作は有名な志賀直哉の小説。

 作家である主人公の青年(池部良)は、幼なじみに結婚を申し込んだところ断られ、そこから自分が実は父が欧州に留学している間に祖父と母との間にできた子であることを知る。そもそも彼は幼い頃に両親宅から離れ、祖父の妾だったお栄(淡島千景)に育てられたのだった。やがて彼は京都に移り住み、そこで偶然知り合った直子(山本富士子)に結婚を申し込み、今度は快諾を得る。当初は幸せな結婚生活だったが、やがて生まれた子供を病気で亡くし、さらに妻がその従兄(仲代達矢)と過ちを犯して、それがもとで夫婦仲にヒビが入り・・・

 原作はずいぶん昔に読んだものの、私は志賀直哉は好きではなく、あまり感心しなかった。今回久しぶりに映画という形で鑑賞したわけだが、特に主人公のお栄に対する感情などはどうにも理解できない。直子と結婚してからの夫婦生活はまあ分かるが、主人公が作家でありながら、机の上に原稿用紙が載っているシーンが何度かあるだけで、出版社との交渉や編集者との打ち合わせといった場面もなく、まあこれは原作もそうだから仕方がないわけだけど、生活者としての主人公が全然見えてこない欠点は如何ともしがたい。

 しかし池部良と山本富士子という美男美女の組合せだから、映画として見るとまあまあ楽しめる。時代設定は大正末期だが、この映画が作られた昭和34年はまだそういう設定が無理なくできる時代だったのだと思う。風景や室内の様子などが、今からすると懐かしい。

 ラピュタ阿佐ヶ谷・創立25周年記念の「ニュープリント大作戦」の一作として上映された。

 先月の毎日新聞書評欄から面白そうな2冊を紹介しよう。
 (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから毎日新聞のサイトでお読み下さい。)

 まず、こちら。

 https://mainichi.jp/articles/20231021/ddm/015/070/006000c
 岡本亮輔・著『創造論者vs無神論者 宗教と科学の百年戦争』(講談社選書メチエ・1980円)
 評 = 村上陽一郎(東大名誉教授・科学史)
 毎日新聞 2023/10/21 東京朝刊 

 ■スコープス裁判から解き明かす対立
 ややセンセーショナルな姿勢が目立つが、読んで中々面白い本である。出発点は、ダーウィンの進化論と、キリスト教の、というよりは本来ユダヤ教の中心的教義である「神による世界創造」との軋轢である。通常スコープス裁判と呼ばれ、高校の教師スコープスがダーウィニズムを教室で教えたことで、告発され、裁判にかかった事件が、アメリカにおけるこの問題の象徴のように扱われてきた。一九二五年、テネシー州デイトンという田舎町の出来事だった。(中略) もともとイギリスでダーウィンが『種の起源』を発表した時に、国教会の大司教だったサミュエル・ウィルバーフォースらが、宗教の立場から強力な反対の論陣を張ったときから、進化論と創造説を戴くキリスト教との摩擦は、必然だったと言ってよい。

 (中略)

 科学的な知識と、旧・新約聖書に記された字句とが、しばしば抵触するとされるが、ここでの論点は、本書で詳述されているようにきわめて本質的な性格のもので、妥協点が見出(みいだ)し難い。それゆえ、特にキリスト教原理主義の強いアメリカ南西部諸州では、今日まで、様々な形で尾を引いてきた。(中略) 終章で有名な生物学者スティーヴン・グールドの<NOMA>、つまり「相互に重ならない領域での権威」を認めよう、という一種の妥協案的な提案にも言及されるが、創造説の変形として生まれた<ID>即(すなわ)ち「インテリジェント・デザイン」論は、この宇宙の構成は、何らかの知的デザイナーの存在なしには理解できないことを示唆する、として、間接的に創造論を支えることになる。

 (中略)
 
 一言付言すると、ローマ教会は一九九六年当時の教皇ヨハネ・パウロⅡ世の「教書」のなかで、はっきりと進化論の基礎を承認し、ただし、生物学的人間に神は「魂」を与えた、とする見解を披露している。

                                           *

 結婚式やクリスマスはともかくとして、キリスト教信者が少ない日本では旧約聖書の創造シーンをまともに信じている人はあまりいないと思うけど、西洋では、近代的力学を作ったあのニュートンにしてからが創造説を信じており、聖書研究に没頭して神による世界創造がなされてから六千数百年たっていると真面目に主張したわけだから、創造論者がなかなかなくならないのは分からないでもない。

 最近ではこの書評でも取り上げられている「インテリジェント・デザイン」という、一見すると近代科学と整合するかのような説も出てきているので事態は複雑になる。その辺の事情を考えるのに役立ちそうな本である。

 
 お次はこちら。

 https://mainichi.jp/articles/20231021/ddm/015/070/020000c
 竹沢尚一郎・著『ホモ・サピエンスの宗教史 宗教は人類になにをもたらしたのか』(中公選書・2860円)
 評 = 本村凌二(東大名誉教授・西洋史)
 毎日新聞 2023/10/21 東京朝刊

 ■狩猟採集から農耕へ 変わる祭礼
 考えてみると当然のことだが、人間だけが神なるものを崇めている。ヒトが人間になるのに、宗教は決定的な役割を果たしたのではないだろうか。さらに、人類史の大半は狩猟採集民の時代であり、彼らの根底になる心性は現代の人々にも根強く残っているはずである。

 狩りは運に左右され、脆弱な人間の集団が獲物を得てたらふく食えることもあれば、不猟がつづき餓死しそうにもなる。(中略) これらの集団が集まり祝祭を催して、生存の喜びをわかちあう。そこに、まず宗教の起源がある。

 とりわけ大きな獲物をしとめれば、その喜びの共有のために祝祭が実践される。その根底にはアニミズムの世界観があり、その好例がアルタミラの洞窟などの動物壁画であった。この出発点にある儀礼とは、「それぞれの社会において人間が自分自身に対して働きかけ、その知的能力と身体―生理的能力を開発しつつ、共同性の経験を生み出すためにつくり出した技法の総体である」のだ。

 前九〇〇〇年ごろに西南アジアで生まれた農業は、ほどなく発展しながら、拡散していった。(中略) 農耕が始まり、土地への執着が強まると、先祖への感情が生じ、祖先祭祀がおこなわれるようになる。

 もっとも重要なのは、種蒔き時などの農耕儀礼にほかならない。こうして、神々や精霊に祈願するという慣例が生まれた。狩猟採集民は行為の結果をただちに知れるが、農耕民には、労働の成果が現れるのは数カ月先である。自分たちの行為に確信をもたらすメカニズムが必要とされ、カミがつくられたという。

 (中略)

 こうしてみると、「アニミズム世界にはカミはいない」が、農耕とともにカミが世界にあふれるようになった。そのカミは、民族生活が安定し、生活文化に厚みが出てくると、擬人化されるという。

 (中略)

 やがて、旧約聖書の預言者、インドの仏陀、ギリシアの哲学者が出現し、哲学者ヤスパースの唱える「枢軸時代」とともに世界宗教が誕生する素地ができあがるのだ。

 人間はひとりでは生きられないので、共同生活のために、自己規律を促す宗教改革がくりかえされる。宗教史をふりかえれば、われわれの身体に残る「共同性」の断片に向きあえるという著者の主張には、共感するものがある。

                                           *

 これまた宗教関係の本だけれど、視点のおきかたが異なる書物。宗教が、その時どきの人類の状況と密接に絡んでいるということを明らかにしているようだ。農耕の浸透とともにカミが生まれ、そのカミがやがて擬人化されるという過程こそ、人類史そのものなのだ。つまり宗教について考えることは人類の歴史について考えることと同義である。そういう事情を改めて考えさせてくれそうな書物。

a363016465c14ff2f3cf190c6762b2b7[1]
今年映画館で見た135本目の映画
鑑賞日 11月19日
ラピュタ阿佐ヶ谷
評価 ★★

 木下亮監督作品、井出俊郎・八木柊一郎・伊奈洸脚本、1964年、83分。

 独身の四姉妹(越路吹雪、淡路恵子、岸田今日子、横山道代)を結婚させようと、親戚などの周囲が画策するものの・・・というコメディ。姉妹の弟として坂本九が、一家の女中として中尾ミエが、姉妹の心を惑わすプレイボーイとして神山繁と森雅之が、見合い相手として青島幸男が登場する。

 ・・・有名俳優を色々と取りそろえているけれど、映画としては面白くない。もともとはテレビドラマだったそうだが、そんな感じだ。映画としての十分な構築ができていない。色々な機軸を盛り込んではいるものの、空回りしている。そもそも、四人の女優の魅力があまり出ていない。この種のコメディにはもう少し別の女優を起用すべきだった。

 ラピュタ阿佐ヶ谷の創立25周年記念の「ニュープリント大作戦」の一作として上映された。この映画館を訪れたのも久しぶり。新型コロナが流行して以降は来ていなかった。

640[1]
今年映画館で見た134本目の映画
鑑賞日 11月19日
イメージフォーラム(渋谷)
評価 ★★★

 スロヴェニア・イタリア合作、グレゴル・ボジッチ監督・脚本作品(脚本はマリーナ・グムジも)、82分、原題は"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"、英題は"Stories from the Chestnut Woods"。

 時代は1950年代、ユーゴスラヴィアとイタリアの国境付近に位置する小さな村が舞台。

 大工であるマリオは計算高い人間だが、妻が病いにかかると狼狽して、離れた場所にいる医師のところに連れていくものの、田舎医師で頼りなく、やがて妻は死んでしまう。マリオには一人息子がいたが、他国に移住し、その現状は知れない。マリオは息子に手紙を出そうとするが、書いても送ることができないでいる。

 妻を失ったマリオが森の中を放浪していると、若い女性がひとりで住む住居にたどりつく。彼女はマリオを自宅に泊めてやるが、オーストラリアに移住するつもりでいた。しかし旅費がまかなえない。マリオはそれを知って、彼女が所有していた古風な家具を買い取るという名目で旅費を工面してやる。

 ・・・というような筋書きなのだが、これが現実か夢なのかは、よく分からない。マリオの息子の境遇にしても、現実なのか、老いた人間の夢想なのか、不明なまま。
 つまりは、夢のような映画なのである。

 東京では10月7日の封切で、私は封切後7週間してから鑑賞したわけだが、観客は10人程度だった。現在のところ、新潟での上映予定はない。

41sR-rEfZYL._SY445_SX342_[1]
評価 ★★★

 井上章一は1955年生まれ、京大工学部卒、同大学院修士課程修了、国際日本文化研究センター教授、建築史専攻、著書多数。当ブログでも『ミッションスクールになぜ美人が多いか』『京都ぎらい』を紹介。
     
 佐藤賢一は1968年生まれ、山形大教育卒、東北大大学院文学研究科博士課程単位取得退学、作家。

 本書は世界史について、この二人が対談してできあがった本である。そもそもは、井上章一が日本史学者の本郷和人と対談して『日本史のミカタ』という本をやはり祥伝社新書として出版し(私は未読)、それが大好評だったのでこちらの企画が持ち上がり、井上氏が佐藤氏を指名しての対談が実現したのだそうである。

 章立てを紹介すると、第一章が「神話の共通性」、第二章が「世界史を変えた遊牧民」、第三章が「宗教誕生と、イスラム世界の増殖」、第四章が「中華帝国の本質」、第五章が「ヨーロッパの二段階拡大」、第六章が「明治維新とフランス革命の類似性」、第七章が「システムとしての帝国主義」、第八章が「第一次世界大戦のインパクト」、第九章が「今も残るファシズムの亡霊」、第十章は「社会主義は敗北したか」、第十一章は「国民国家の次に来るもの」。
 以上、多方面にわたる議論がなされているが、290ページの新書本の対談だから、系統立てて詳述するのではなく、ポイントになる部分や、従来の一般的な世界史観では過小評価もしくは無視されていた点を強調するといった行き方になっている。

 例えばアレクサンドロスは世界帝国を築いたが、マケドニア出身の彼はアテネやスパルタなどギリシャの中心部の人間からはバカにされいたという。中東地域への遠征でも、ペルシャ軍に勝利した後はアテネの兵士は帰国してしまい、マケドニアの兵士だけでインドまで行っている。アリストテレスはアレクサンドロスの家庭教師としてマケドニアに来たものの、やはりマケドニア人を野蛮な田舎者としてバカにして差別的な発言をし、数年後には帰国している。また、アレクサンドロスは東方を支配したが、ギリシャ文明を伝えようとする意識が強くあったとは考えられないという。むしろ彼の死後に東方を支配したプトレマイオスやセレウコスが、ギリシャ人だったためにギリシャ風を強制したという。(34~37ページ)

 フランス革命後に頭角を現したナポレオンが皇帝になったのは、古代ローマの模倣だった。古代ローマの皇帝とは役職だから、国王とは違って血筋がつながっていなくてもなれるのである。つまり、王にはなれなくとも皇帝にはなれる。(42~43ページ)

 古代においては中央アジアの遊牧民こそがユーラシア大陸の主役であり、中国の漢帝国は匈奴に頭が上がらず朝貢をおこない(王昭君のような美女も差し出し)、侵攻を防いでいた。一般には中華帝国が周辺蛮族から朝貢を受けていたと理解されているが、実際は逆だった。いわゆる漢民族の中華帝国は漢・宋・明の三つしかない(97ページ)。また、古代ギリシャの歴史観ではギリシャがペルシャからの侵攻を撃退したということになっているが、ペルシャにとってはギリシャはたいした存在ではなく、むしろ黒海の北方にいるスキタイ人こそが強敵であり、実際ペルシャのダレイオス大王の軍はスキタイ人に惨敗を喫している。従来の世界史はユーラシア大陸の東西両端の人間の見方に立っていたが、それが中央アジアの遊牧民への過小評価につながった。(47~50ページ)

 日本の浮世絵を見て、「昔は美人の基準が異なり、細い目と鉤鼻が美人だった」という人がいるが、これは誤りで、要するに美人をリアルに描く技術がなかっただけの話である。なぜかヨーロッパは美術に関してはリアルな表現法を早くから確立していた。(71~73ページ)

 ユダヤ教やキリスト教に対して後発であるイスラム教が急拡大したのは、他宗教に寛容だったからである。またイスラム圏のアズハル大学は10世紀に成立しており、イタリアのボローニャ大学(11世紀)より古い。(78~79ページ)

 十字軍はイスラムと戦闘状態にあったビザンツ帝国がローマ教皇に要請したために始まった。(88~89ページ)

 中国で中華意識、つまりナショナリズムが芽生えたのは唐の終わり頃からで、宋の時代には強い中華意識が成立したが、「中華」という表現を使うようになったのは孫文の中華民国が出来た頃から。しかし漢人は基本的に文弱だった。(106~111ページ)

 外交官は古来イケメンだった。日本の遣唐使もそうだったし、ヨーロッパの外交官は他国の王妃の不倫相手にもなった。最近の日本の外交官はこの点で失格であり、国益にならない。(114~115ページ)

 中国では宋以降は貴族が存在しない。科挙によってエリートを決めていたから、或る意味、民主主義的であり、フランス革命より800年早い。ただし中国では皇帝専制だから、あくまで皇帝に仕えるという形ではあった。(121~122ページ)

 なぜイギリスで産業革命が始まったのか。イギリスでは貴族が囲い込みを行ったため、貧しい多数の人間が大都市に流れ混み工場労働者となるしかなかった。フランスはこれに対してフランス革命で貴族を廃止したため小作農が増え、工場労働者となる人間がきわめて少なかった。イギリスは1810年には工場の国となり、フランスは1800年代半ばにようやく産業革命を開始した。日本の明治維新とあまり時代的に差がない。日本はしたがってヨーロッパで産業革命が出来上がってきた時期に開国し、その新しい制度や技術を取り入れることができた。(146~147ページ)

 イギリスは王室や貴族を残したから帝国主義時代は冷酷な支配が可能だった。また、いわゆる三枚舌外交のような無責任さも貴族的・王室的である。(180~181ページ)

 ペリーが浦賀に来航した時代のアメリカはまだ外交初心者だった。ペリーは海軍の軍人で、外交官ではなく(当時のアメリカには外交官がきわめて少なかった)、ヨーロッパならこういう人選はしない。また日米和親条約は(アメリカからすれば)非常に甘い内容で、仮にイギリスが相手だったらもっと日本に不利な内容になっただろう。(188ページ)

 民主主義を看板どおりに実践に移している国はあまりない。日本の政治家に二世三世が多いのは知られるとおりだが、アメリカでも独立宣言をした当時の指導者の末裔が権力をもっており、ブッシュ(父)大統領の妻バーバラの実家ピアース家はそうした名門であって、第14代のピアース大統領も出している。第一次世界大戦後のドイツがヴァイマル共和国となって民主主義を真面目にやろうとし、その結果がヒトラーだったことを想起せよ。(204~206ページ)

 ・・・などなど、私の興味をそそる部分を抜き出してみた。
 二人とも博識だが、井上氏の博識はこれまでも本を読んで知っていたので、佐藤氏の博識にはびっくりした。プロの作家としてやっていくにはこのくらいの知識がないといけないのかなあ、と痛感させられたことであった。

 新潟市立図書館から借りて読みました。

チラシ表-1-212x300[1]
11月17日(金)午後7時開演
旧東京音楽学校奏楽堂
5000円(全席自由)

 この日は上京し、神保町で映画を1本見てから、夜は標記の音楽会に出かけました。 
 もっとも、今回の上京は友人と会うのが主目的で、この音楽会はたまたまその前夜に開催されたので行ってみたものです。

 会場の旧東京音楽学校奏楽堂は、現在は東京芸術大学音楽学部となっている戦前の東京音楽学校の施設として明治23年に建築されました。その後、昭和62年に台東区が建物を現在の場所に移築・復原し、翌年に重要文化財としての指定を受けました。その後、平成25年から5年ほど修理・耐震工事などのために休館していましたが、現在はまた一般向けの音楽活動に利用されるようになっています。

 私はこの建物には今回初めて入りました。
 JR上野駅の公演改札口から出ますと、すぐ左手前方に東京文化会館、右手に西洋美術館が見えますが、その間を動物園に向かって進んでいき、途中で右に折れて都立美術館の前を通って、少し先の道を左手に曲がるとすぐに見えてきます。
 ホールは二階にあり、客席数は300ほど。新潟で言うと「だいしほくえつホール」より少し広い感じで、もともと音楽ホールとして作られたものですから舞台も相応の広さがあり、中央にはパイプオルガンも設置されています。
 客席は中央の通路で前部と後部に分かれていますが、私は前部最後尾の中央右端(き18)にすわりました。
 客数は全座席の半分ほど。

 最初に澤クワルテットでもおなじみの澤和樹氏が司会を務め、北川央氏(大阪城天守閣前館長)、田中裕氏(上智大名誉教授)、そして西脇純氏(西南学院大教授)の三人がそれぞれ、細川ガラシャ夫人(1563~1600)の生涯やこのオペラの(史実とは異なる)ガラシャ像、この作品に見られる信仰心についてお話をされました。
 なお、中公新書から出ている『細川ガラシャ』の書評は当ブログにも載っています。

 このオペラは1698年にウィーンで初演されました。
 作曲者のヨハン・ベルンハルト・シュタウト(Johann Bernhard Staudt:1654~1712)ウィーンで活動したイエズス会の作曲家。
 台本を書いたヨハン・バプティスト・アドルフ(Johann Baptist Adolph:1657~1708)はウィーン・イエズス会劇場のための劇作家。

 ついで演奏です。歌詞はすべてラテン語ですが、日本語による筋書き解説もついており、またラテン語と日本語の対訳が書かれたパンフも配布されたので、内容については十分理解できました。

 指揮=澤和樹、チェンバロ=鈴木愛美、第一ヴァイオリン=吉川菜花、第二ヴァイオリン=上薗綾奈、ヴィオラ=吉沢知花、チェロ=神倉辰侑、コントラバス=中島澪
 ソプラノ=豊田喜代美(細川ガラシャ・不変)、ソプラノ=大上幸子(ナレータ・侍女いと)、バリトン=加賀清孝(細川忠興・悔恨)、テノール=小貫岩夫(残忍・逆境)、バリトン=小池優介(怒り)、テノール=金沢青児(顕彰・不変)、西山詩苑(不安・不変)

 各登場人物は細川ガラシャとその夫・細川忠興を除けば、抽象的な特性(不変、悔恨、残忍、逆境、怒り、顕彰、不安)の擬人化です。ヒロインのガラシャは基本的に不変ですが、一人の歌手が一人の属性を担当するのではなく、色々な変化がつけられています。
 最終的にはキリスト教の信仰心に裏打ちされた美徳が勝利を収めるという筋書きになっています。途中休憩20分が入っていましたが、実質では1時間くらいの曲です。

 ただ、オペラということになっているのですが、今回の演奏では歌手による演技はなくて、舞台に並んで交互に歌唱するだけなので、オラトリオと言うべきでしょう。

 あと、細かいことですが、ラテン語の発音で、ciはチ、ceおよびcoeはチェ、giはジ、geはジェと発音していました(古代ラテン語読みなら、キ、ケ、コエ、ギ、ゲ――となる)。いずれもイタリア語的な発音で、ネットで調べると教会ラテン語の発音ということらしいのですが、教会ってのはプロテスタントが勃興するまでは西ヨーロッパにおいてはローマ・カトリックのことだったわけですから、つまりはイタリア語に同化する宿命だった、ってことでしょうかね。

 ラテン語の話なんか、まるで一般性がないわけで、私もラテン語は少しかじっただけですから、専門家を気取るには遠く及ばないわけですが、それでもこういう問題にぶつかってしまうわけです。

 その辺で、専門性と習慣との兼ね合いについて、解説があればと思いました。
 いずれにせよ、音楽を楽しむというよりは、勉強になった一夜という印象でした。

 今年10月29日に新潟室内合奏団の第88回演奏会が行われ、そのレビューを11月2日に当ブログに掲載しました。特にハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」の冒頭部分について、私の持っているディスクとは異なる演奏であると記したところ、同楽団のティンパニ奏者である福田俊行氏から貴重なご指摘をいただきました。
 
 他の読者にも勉強になることだからという理由で私が当ブログへの転載をお願いしたところ、一部分を修正した以下の文章を載せてよろしい旨の許可をいただきました。
 以下、福田俊行氏による解説を、いただいたとおりの形で掲載します。
 文章・内容に関する責任はすべて福田氏にあります。

                        *                      *

 第88回新潟室内合奏団演奏会にて、ハイドン(交響曲第103番)のティンパニを担当させていただいた福田俊行と申します。
 この場をお借りして今回の冒頭のティンパニ・カデンツァ(ソロ)について、ご説明いたします。

 この曲の冒頭部分は、1980年代より前は、ppで始めるのが一般的でした。
 しかし近年、特にピリオド奏法(作曲者の時代と同じ楽器や奏法で演奏しようとする方法)では、冒頭をカデンツァで始めることが多くなっております。
 私の知る限り一番古い物では、1987年録音のアーノンクール =コンセルトヘボウのロンドンセット全集が、このスタイルで録音しております。

 冒頭はIMSLPの無料楽譜ではppです。
 しかし最近の研究(といっても30年以上も前ですが)ではad libもしくはintrada(今回の楽譜にはこう書かれております)と書かれております。

 ハイドン自身の録音は、残っておりません。
 また当時は、再演の度に作曲者が楽譜に手を加える事は普通のことでした。
 そのため「これがハイドンの描きたかったこと」と断言することは難しいのです。
 今後も研究が進んで、変化する可能性があり、我々演奏者は柔軟に対応していかなければなりません。

 あとは研究者の意見、指揮者の判断です。
 そして、この2つから「逸脱しない範囲」での「演奏者の裁量」です。

 作曲者と指揮者、そして演奏者の関係は、建築と同じです。
 設計者(作曲家)が全体の設計をします。
 しかし現場に行くと設計通りには作れない時があります。
 また施工上の不都合がある場合や、細部について指示のない事もあります。
 それを現場責任者(指揮者)が判断します。
 また、それ以上に細かいニュアンスについては、現場の職人(演奏者)の判断に任されます。

 研究者は、文献を元に「意見」として「これが正しいのではないか?」という提示をしています。
 作曲者の意見の通訳、もしくは監理といったポジションではないか、と思います。

 この度の第88回新潟室内合奏団の演奏会の場合は、指揮者の指示はもちろんですが、すでにこちらのスタイルの方が一般的であることを鑑みて、このスタイルを導入しました。

 楽譜ですが、特に19世紀以前のものについては研究が進むごとに新しい楽譜が出ます。
 比較的有名な例では、ベートーヴェンをBreitkopfでやるか、Bärenreiterでやるか、Henleでやるか、で微妙な違いがあります。
 お好きな曲をご自身でスコアを買って比較研究されてみると、面白さがわかると思います。

 長々と失礼いたしました。

718lPLwrtWL._AC_SY445_[1]
今年映画館で見た133本目の映画
鑑賞日 11月17日
神保町シアター
評価 ★★★★

 田坂具隆監督・脚本作品(脚本は鈴木尚之も)、137分、1963年、水上勉の原作(同名の小説。同じ作家の『金閣炎上』とは別作品)は未読。

 昭和26年、売春が法律で禁止される直前の日本が舞台。
 京都で夕霧楼という郭を経営するかつ枝(木暮実千代)は、以前の経営者が死去したという知らせを聞いてその終焉の地である丹後半島を訪れるが、そこで地元民から夕子(佐久間良子)という19歳の娘をあずかる。

 かつ枝は夕子の初店の相手に西陣の織元である竹末(千秋実)を選び、竹末は夕子の魅力にのめり込む。かつ枝は、妻を亡くしている竹末の囲われ者になったほうが、不特定多数の客をとるよりも楽な暮らしができると夕子に勧めるが、夕子はふつうに客をとる道を選ぶ。その客の中に僧侶見習いである学生・櫟田(くぬぎだ:河原崎長一郎)がいた。実は櫟田と夕子は幼なじみであり、吃音で苦労をしている櫟田を夕子は気づかっていたのだ。しかし、夕子と学生の関係に嫉妬した竹末は、櫟田が見習いとして勤めている鹿苑寺金閣(映画内では名称を少し変えてある)の上級僧侶に密告する。そのため櫟田は叱責され罰を受けるが、結果として・・・

  前半は田舎の娘が京都の郭にやってきて仕事に慣れていくまでの過程を丹念に追っているが、後半になると三島由紀夫の『金閣寺』でも有名な、金閣寺焼失にからむ展開になる。三島の小説とは異なり、一方では京都の郭の様子を、他方では同郷の幼なじみ同士の関係を基軸としたこの映画は、今の目で見ると非常に面白い。

 女将であるかつ枝の日常生活(朝いちど早起きしてお寺で念仏を唱えるなど)が入念に描かれており、また他の遊女たちの様子も興味深い。新入りの夕子に意地悪をしたりする先輩はおらず、皆が和気藹々と仕事に励んでいる。遊女の組合結成の話が出て来るのも戦後間もない頃の時代相を浮かび上がらせているし、郭が禁止されるのではとの危惧に対して、この商売がなくなったら男はやっていけなくなるのだから禁止されるはずがないという声が出るのも、或る意味、真理かも知れない。新聞には、伊藤整がD・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を訳して猥褻罪に問われた裁判や、翌昭和27年に日本が(サンフランシスコ講和条約により)独立を取り戻すことに関する記事が載っている。

 ヒロインの佐久間良子が美しい。このとき24歳で、当時を代表する美人女優だった。女将役の木暮実千代が55歳。仕事に精通し多方面に気配りも見せる情に厚い女将役にぴったりである。

8da0465f62d6d81a[1]
今年映画館で見た132本目の映画
鑑賞日 11月15日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 岸善幸監督作品、港岳彦脚本、134分、朝井リョウの原作小説は未読、東京国際映画祭最優秀監督賞・観客賞受賞作。

 ふつうの人間とは違って異性に対して性欲を覚えないなどの理由で生きていくことが困難な人々をめぐる群像劇。

 広島に暮らす桐生夏月(新垣結衣)は未婚のまま両親と暮らす日々だが、中学時代の同級生たちは多くが結婚していた。彼女は中学時代の同級生だったものの途中で横浜に転校していった佐々木佳道(磯村勇斗)がこちらに戻ってくると知って驚く。彼と彼女は、或る奇妙な特性ゆえに共感で結ばれた人間だった。

 このほか、検事という職にありながら小学生の息子が不登校になり、その処遇をめぐって妻(山田真歩)と対立する寺井(稲垣吾郎)、イケメンで運動神経も抜群の大学生ながら特殊な性的志向性ゆえに仲間たちから離れて生きている諸橋(佐藤寛太)と、彼に惹かれていく八重子(東野絢香)が登場する。

 いわゆるLBGTQ問題が流行している昨今、映画にも普通とは異なる性的志向性などのために苦しむ人間を描く映画が増えている。しかしそうした映画は、一歩誤ると「マイノリティを差別するな」というだけの、きわめて政治色の濃い独善的な作品になってしまう。以前当ブログで紹介した『そばかす』はそういう意味で残念な出来に終わっていた。

 この『正欲』でもそういう面がないではない。寺井検事が分からず屋の悪役になっているからだ。だが、容疑者への先入観はともかくとして、不登校になった我が子に対する対処法で妻と対立する場面は、私に言わせれば子供一辺倒になっている妻の側にも問題がある。その辺で公正な視点が作り手にあれば良かったのだが、残念ながら検事を類型的な分からず屋として扱ってしまっている。

 桐生と佐々木の性的志向性については、実のところ、見てもよく分からなかった。例えて言うなら、私はカツオの刺身が大好きだが、それが女に対する性欲の代わりになるだろうか? ふつう、ならないと思うんだが、なるというのがこの映画での設定なのだ。うーん・・・

 また、諸橋がどういう性的志向性を持つのか、作品を見ていてもよく分からなかった。ただ、彼と八重子の下りは、この映画の中では説得性が高いと感じられる。お互い、自己主張をし過ぎないからだと思う。
 桐生と佐々木にしても、ふつうに(男女で)セックスする人も結構大変だねというセリフがあって、「弱者=正義」という教条的な見方をハズしているから救いがあるのである。そういう面がもう少しあれば、佳作になっていたと思うのだが。

 新潟市では全国と同じく11月10日の封切で、イオン西とユナイテッドの2館で公開中。県内他地域では、Tジョイ長岡と上越市のJ-MAXでも上映している。
 私は封切り6日目の水曜午後の回(1日5回上映の3回目)に足を運んだのだが、8名の入りだった。

 (以下の産経新聞と毎日新聞からの記事の引用は一部分です。全文は付記したURLから当該新聞のサイトでお読み下さい。最初の産経新聞の記事は登録者のみですが、無料登録で読むことができます。またいずれも紙媒体の新聞にも掲載されています。)

 福井義高・青学大教授が、産経新聞の「正論」欄で外国人労働者の増加にともなう問題点を指摘している。

 https://www.sankei.com/article/20231107-XIXKZMRZAFPSXPZ4JHEYTSUS6Y/?324627
 【正論】外国人労働者増と日本のあり方 青山学院大学教授・福井義高
 2023/11/7 08:00

 ■国家がまずなすべき仕事
 外国からの移住者・観光客が増え、各地で軋轢が生じている。本紙も、クルド人が起こすさまざまな問題を取り上げている。一方、あるクルド人は日本人にも悪さをする人はいるとして、「なぜクルド人だけをやり玉に挙げるのか」と主張する(本紙8月13日付)。

 (中略)

 国家に我々が期待する第一の仕事である社会秩序の維持も、その構成員の一般的性格によって異なってくる。幸いなことに、日本ほど犯罪が少なく安心して暮らせる国は珍しい。

 国連が集計し公表しているデータから具体的数値を見てみよう。比較対象は、米国、治安がよく生活水準が高い国の代名詞であるスイス、多くの労働者を日本に送り出しているブラジル、そしてクルド人の母国トルコである。新型コロナ流行前の2019年(一部16、18年)の人口当たり件数が日本の何倍かで比較する。まず、殺人は米国が20倍、スイスが2倍、ブラジルが83倍、そしてトルコが10倍である。強盗となると「格差」はさらに広がり、米国が61倍、スイスが14倍、ブラジルが493倍、トルコが24倍である。

 日本は文字通り桁違いに安全な国なのである。その結果、人口当たりでみて受刑者の数も際立って少なく、米国は日本の16倍、スイスが2倍、ブラジルとトルコが9倍となっている。

 (中略)

 ■米国のバスの無賃乗車
 殺人や強盗といった重大犯罪だけでなく、日本は日常的犯罪も他国に比べれば少ない。もちろん、日本でも万引はあるし無賃乗車もある。

 しかし、それはあくまで例外的事象であり、だからこそ、外国人による公共交通機関の無賃乗車が問題視されるわけである。一方、米国の首都ワシントンでは、バス利用者の3分の1が無賃乗車しているのである。

 (中略)

 以下、レイモンド・フィスマン教授(ボストン大)らの研究に依拠して、今後の日本のあり方を考えるうえでヒントとなる、意図せず行われた社会実験を紹介する。

 ■NY外交官の違法駐車
 国連本部があり外交官が集まるニューヨークは、東京と同じ悩みを抱えていた。外交特権を乱用した違法駐車と反則金支払い拒否である。

 ただし未払い駐車違反件数は国により大きな差がある。1997年から2002年まで、外交官1人当たりの年平均違反回数はクウェート249回、エジプト141回、チャド126回など、違反が多い国には中東・アフリカ諸国が目立つ。一方、先進国は概して少なく、日本は数少ない違反ゼロの国のひとつである。

 外交特権に守られているため、違反するかしないかは、まさに良心の問題。同一の条件で各国人それも外交官というエリートのモラルを比較する稀有(けう)な機会であり、違反件数と本国が秩序だった社会であるか否かとの逆相関は明らかである。

 (中略)

 こうした状態に業を煮やした当時のブルームバーグ市長は2002年、国務省承認の下、強硬策に打って出る。反則金未払いが3件を超えた外交官ナンバープレートを取り上げることにしたのである。その結果、違反件数は98%減少した。

 すべての前提である秩序だった社会維持のため、ニューヨークの経験から学ぶべき点は多い。

                                           

 日本がきわめて安全性の高い国であるという指摘、また外交官というエリートであっても法律を無視する輩が中東・アフリカに多いという事実。
 「人間なんだからみな同じ」なのではない。こういう当たり前の事実を知るところから、外国人労働者問題を考えていくべきだろう。


 一方、毎日新聞も、最近日本の外国人労働者問題に関する記事をよく載せている。人口減が進む地方にとって外国人労働者は救世主という見方も取り上げられているが、それだけでは片づかない負の側面にも光が当てられている。

 https://mainichi.jp/articles/20231023/k00/00m/040/087000c
 【この国が縮む前に】老いる町で急増する外国人 高齢者と若い外国人が共生する課題とは
 毎日新聞 2023/10/25 08:00(最終更新 10/25 08:00)

 (前略)

 福岡県境に近い〔熊本県〕長洲町は有明海に面し、造船所やサッシ工場が集まる。人通りが少ない昼間と変わり、早朝や夕方は工業地帯と住宅街を自転車で行き来する外国人の姿が目立つ。「ベトナム実習生」と書かれたプレートが付いた自転車も目に付いた。

 町の人口は1998年の1万8627人をピークに減少し、現在は1万5504人。65歳以上の割合を示す高齢化率は全国平均の29%を上回る36・6%だ。

 一方で、町に住む外国人は20年前は36人。今年9月時点で749人に増え、約20人に1人が外国人だ。

 出身国別ではベトナムが半数を占め、フィリピンが続く。造船所やサッシ工場で働き、町の産業を支え、日本人の減少を外国人で補っている。地元のスーパーには輸入食材や調味料などが置いてあり、ベトナム語で書かれた商品案内のポップがあった。

 一見、外国人との共生がうまくいっているように思える長洲町だが、地元住民の間には複雑な感情が生じている。〔地元住民で自治会役員の〕松下さん〔84歳〕は「最初は和気あいあいとした雰囲気だったけど、人数が増えると問題を起こす人が出てきた」と振り返る。

 当初はベトナムの野菜を作りたいという要望に応え、畑を貸して一緒に収穫した。自治会役員としてゴミの分別を教え、地域の祭りにも招待した。

 風向きが変わったのは、外国人が増えだした5~6年前。外国人が多く暮らすアパートでは、夜遅くまで大勢が集まり、カラオケによる騒音が近隣に鳴り響いた。海岸や空き地に集まっても後片付けしないなどのトラブルも起こるようになった。生活文化の違いから、松下さんは以前にはなかった小さな問題が目立ってきたと感じる。

 (中略)

 町は何もしていないわけではない。2021年4月からベトナム語や英語にも対応できる相談窓口を設置し、日本語教室も開催する。まちづくり課の長尾恒心課長補佐は「若い働き手が都市部に流出する中で、税収面などでも外国人に支えられている部分は大きい。外国人に選んでもらえる町にしたい」と意気込むが、「今まで個別に外国人と地域住民のトラブル仲裁はしたことがない」と明かす。

 国は外国人を対象に外国人在留支援センターを設置し、雇用や人権などに関する相談を受けている。外国人を雇用したい企業の支援なども担うが、地域住民同士のもめ事には対応しないのが実態だ。

 (中略)

 従業員の3人に1人が外国人という地元事業所の担当者は「町内にベトナム人が少ない時は周囲に溶け込もうと熱心に日本語を勉強していたが、今は人数が増え日常生活は送れるので日本語習得への意欲は減っている」と実情を明かす。

 (以下略)

【宮川佐知子】

                                         

 最後のところで、外国人が少ないうちは日本語を学習する意欲が強いが、外国人が多くなると自分たちだけで集まってやっていけるので、日本語習得意欲は減少する、という指摘がなかなかリアルだ。
 こうした現象はヨーロッパの移民にも見て取れる。移民だけで大規模なコミュニティを作ってしまうと、滞在国に同化しようとする意識は弱くなる。

 「外国人労働者をちゃんと教育すれば『共生』は可能」というような楽観的な見方よりも、むしろヨーロッパの移民・難民をめぐる様々な問題点を勉強したり、日本の地方に見られる実例を丹念に追っていくことが大事ではなかろうか。

tso134_omote-1448x2048[1]
11月12日(日)午後5時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
3階Gブロック (Bランク席)

 この日は東京交響楽団新潟定期演奏会の日でした。
 客の入りは最近と同じで、半数を少し超えるかといったくらい。特に3階のH・Jブロックあたりはガラガラ。逆に安価な席は比較的よく入っています。

 指揮=ジョナサン・ノット、ピアノ独奏=ゲルハルト・オピッツ、コンマス=グレブ・ニキティン

 ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第2番
 (休憩)
 ベートーヴェン: 交響曲第6番「田園」

 本日はベートーヴェン・プログラム。
 最初は、すでに東響新潟定期その他で何度か新潟を訪れているオピッツの独奏でピアノ協奏曲第2番。
 オケの弦楽器は、左から第一ヴァイオリン12,チェロ6、その後ろのコントラバス5,ヴィオラ8,第二ヴァイオリン12というやや小ぶりな編成。

 ベートーヴェンの5曲あるピアノ協奏曲(ヴァイオリン協奏曲のピアノ編曲版を入れれば6曲ですが)の中ではいちばん演奏されず、第2番といっても実際は第1番より前に書かれた曲ですけど、どういうわけか私はこの曲の生演奏では名演に接することが多く、以前ハイティンク指揮のロンドン響を横浜のみなとみらいホールで聴いたとき、マリア・ジョアン・ピレシュ(ピリス)がすばらいい演奏を聴かせてくれたのですが、この日のオピッツの演奏もそれに負けないくらい充実していました。
 まず、音。文字どおり珠玉のような音。美しく整っていて、しかしそれなりに重みのある音。
 そして演奏。この曲は、ベートーヴェン初期の作品と言ってもそれなりに充実していて、第一楽章の展開は少なくとも中期のベートーヴェンを思わせる部分があるし、第二楽章もベートーヴェンならではの「考える緩徐楽章」と感性的な表現との折衷みたいになっていて、聴き応えがあると思う。そしてそういう面をオピッツのピアノはしっかりと表現していました。
 独奏者アンコールがなかったのは残念。

  後半の田園交響曲では弦楽器は増えるのかなと思っていたら、前半と同じでした。
 もっともベートーヴェンの時代の編成は今よりずっと小さかったらしいので、これでいいのかも知れません。
 第一楽章は速めのテンポで音楽が進みます。「田舎に着いたときの愉快な気分」という表題そのまま。
 第二楽章では音量を全体的に抑えて、「小川のほとり」を散策する静かな情感を出していたように思いました。第二楽章を、前後の楽章と対比的に捉えていたように感じました。
 そして、第三楽章以降は休みなしで連続して演奏されるわけですが、にぎやかな集会、雷雨、そして雷雨が去った後の平安を、リアルに、聴衆が納得できるような精妙な音で表現していました。一人ひとりの奏者の出す音も充実。

 「田園」は、こないだ新潟室内合奏団で聴いたばかりですが、こうしてプロのオケで聴いてみると、改めて名曲だなと痛感させられますね。
 ジョナサン・ノットと東京交響楽団のコンビの真骨頂が示された演奏だったと思います。聴衆も盛大な拍手。

 ・・・しかし、満足して会場を後にしてからトラブルが。
 りゅーとぴあと県民会館の駐車場が満車だったので陸上競技場に駐めたのですが、出る時に私の直前の車が出口の処理機のところで立ち往生。

 9月もシネ・ウインドに映画を見に行って、帰りに駐車場から出ようとしたときにまったく同じ状況になったのですが、あのときは私の直前の車に乗っているドライバーが機械での処理の仕方を知らなかったためでした。なので私が助言したらそれで解決したのです。

 しかしこの夜は処理機械そのものが故障したためで、前の車のドライバーが機械の呼び出しボタンを押してもなかなか係員が来ない。困るなと思いました。

 イベントがあるときはやはり人間が貼り付いているか、それができないなら、処理機械を二台設置して、いざというときも大丈夫なようにしておいて欲しいものです。

 あと、前回の定期でも書きましたが、学生料金が2500円というのは非常識きわまりない設定だから、即刻1000円にしてもらいたいもの。首都圏のプロオケは基本、1000円ですよ。りゅーとぴあの職員は何もご存じないのかなあ。もっと勉強しろと言いたい!

640[1]
今年映画館で見た131本目の映画
鑑賞日 11月11日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 深川栄洋監督作品、松田沙也脚本、97分、五十嵐律人の原作小説は未読。

 法科大学院で学ぶ三人の若者――清義(永瀬廉)と美鈴(杉咲花)と馨(北村匠海)。優秀な馨はすでに司法試験に合格し、清義と美鈴も合格を目ざして勉学に励んでいた。馨は「無辜ゲーム」と呼ばれる、法科大学院生が集まって行う裁判ゲームを主宰していたが、或る日、裁判ゲームの予定日に清義が指定場所に行くと、馨が刺殺されており、その場には衣服を血だらけにした美鈴が立ち尽くしていた。ちょうど司法試験に合格したばかりだった清義は弁護士となり、美鈴が容疑者として逮捕されたこの事件を担当するが、清義と美鈴には秘められた過去が・・・

 三人の法科大学院生のうち、一人は殺され、一人は容疑者に、一人はその弁護に、と役割が分かれるという設定が面白い。展開もまあまあ悪くない。

 ただ、問題は謎が解かれた後にある。「罪には然るべき罰を」という原則が守られていないところが最大の難点。ネット情報によると映画は原作とはこの点で異なっているらしいので、つまり脚本家と監督に問題あり、ということではなかろうか。クリスティの『オリエント急行殺人事件』みたいに犠牲者(殺された男)が極悪人ならそれもアリだろうけど、この映画はそういうわけでもないのだから。

 新潟市では全国と同じく11月10日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。
 私が足を運んだ封切二日目(土曜)の午後の回(1日5回上映の3回目)は、20~30名くらいの入りだった。

4093888442[1]
評価 ★★★

 著者は1965年生まれ、上智大外国語学部卒、ジョージタウン大政治学部大学院修士課程修了、メリーランド大政治学部大学院博士課程修了(Ph.D.)、上智大教授、現代アメリカ政治外交学専攻。

 アメリカにおいて高まっている平等・反差別の動きと、それを「キャンセルカルチャー」と呼ぶ保守派の、政治的分断が大きくなっているという現実を活写して今後の動向を考察した本である。

 第一章では、サウスダコタ州にある4人の大統領(ワシントン、ジェファーソン、リンカーン、Th・ルーズヴェルト)の巨大な胸像が彫られたラシュモア山を紹介した上で、その4人の大統領が現代では批判にさらされているという歴史観の変化から始めている。

 ワシントンとジェファーソンは大土地所有者で奴隷を所有していたから、というのが理由になっている。特にジェファーソンは、女奴隷とのあいだに7人の子供をもうけたり、先住民に対する厳しい同化政策が槍玉に挙げられている。リンカーンとTh・ルーズヴェルトも先住民に対する態度が問題視され、またルーズヴェルトは優生学支持の発言でも批判されている。ルーズヴェルトは、NYのアメリカ自然史博物館入口にある像も非難されるようになった。馬に乗ったルーズヴェルトが先住民男性とアフリカ人男性(いずれも徒歩)を従えているという構図で、これが白人の優位姓を示すモニュメントだとして撤去されることが決定したのである。
 これ以外にアメリカ大陸を「発見」したコロンブスや、南北戦争時の南軍の司令官だったリー将軍についても同様の動きが広がっている。BLM(ブラック・ライブズマター)運動の広がりがこうした傾向を強めたのである。

 こうした動きに批判を浴びせたのが、トランプ前大統領だった。2020年7月4日(アメリカの独立記念日)に、上述のラシュモア山で演説を行い、これらの運動を「キャンセルカルチャー」だとして、公共の銅像や連邦記念物への破壊行為を行った者は10年の禁固刑に処すとの大統領令を発したのである。

 ウォークwokeという言葉がいわゆる「意識高い系」リベラルへの揶揄として使われるのと同様に、キャンセルカルチャーも広く使われるようになっていった。

 ここで著者は自分の基本的な姿勢を明らかにする。いまだにアメリカに差別や不平等が少なからず残っている以上、キャンセルカルチャー批判はありえないというのである。そして上記のラシュモア山はそもそもが先住民の居住地だったのであり、一帯の土地を先住民に返却すべきだという裁判闘争も現に行われているのだから、という。

 もっとも、アメリカで技術革新が進んでいるのは移民を寛容に受け入れジェンダー平等も進んでいるからだと著者は述べているのだが、先住民からすれば「移民」は「白人の侵略者」とあまり変わりがないのでは、という可能性には言及していない。またBLM運動には破壊的な負の側面が含まれていることにも触れない。

 第二章では、アメリカの不平等や差別は、人種差別イデオロギーだけでなく、社会や法制度にそもそも差別が埋め込まれているからだとする「批判的人種理論」が紹介されている。黒人で弁護士・大学教授だったデリック・ベルが1970年代に提唱したものだ。
 ベルによると、南北戦争でのリンカーンの奴隷廃止令は高く評価されすぎているという。北部ではそれ以前から奴隷制は廃止されていたし、それと同時に白人優位な社会でもあった。ドレッド・スコット事件(南北戦争以前)に関する連邦最高裁の判決で奴隷は国民ではなく所有主の財産であるとされたことも槍玉に挙げられる。また南北戦争以降も州法は異人種間の結婚(場合によっては同棲も)を禁じていたし、1960年代に連邦最高裁がこれらの州法を違憲としていっても現実に異人種間の関係は増えていない。有名なブラウン判決(1954年)以降も教育の場での異人種融合も進んでいないとする。

 ベル以降、何人もの学者が彼の示した方向性で学問的営為を続けているという。ベルは1971年にハーヴァード法科大学院の教授(テニュア付き)となった。教え子には大統領となったオバマもいる。しかし同僚にテニュアの黒人女性がいないことに抗議したため、退職を余儀なくされる(別の大学に勤務)。しかしその6年後にマイノリティの女性教授が採用されたという。

 次に「1619プロジェクト」が紹介されている。一般にアメリカの国としての歴史は1776年の独立宣言から始まるとされるが、1619年に当時英国支配下にあった北ヴァージニアに黒人奴隷が上陸した。この事実を起点としてアメリカの歴史を再構築しようというのがこのプロジェクトであり、1619年から400年がたった2019年にNYタイムズの別冊企画として取り上げられ、反響が大きかったので本格的な連載になった。小中高の教材でもこれに基づくものが出てきている。
 プロジェクトの発案者はNYタイムス記者だったニコール・ハンナジョーンズだった。黒人と白人の混血だった彼女は、これでピューリッツァー賞を受賞し、のちに大学教授に転身した。

 しかしこのプロジェクトに対する保守派の批判が2020年から強まり、2022年夏現在で8つの州で公立学校で「批判的人種理論」による教育が禁止され、さらに20近くの州で制限をつける法案が検討されているという。
 そもそも「批判的人種理論」そのものは大学や大学院レベルでの研究・教育に使われてきたのであり、そういう概念や言葉すら知らない人が多かった。これについて著者は、保守派の好むTV番組によって広まったからだろうと推測している。

 第三章では大統領選に見られるアメリカの政治的分断が論じられている。
 かつては共和党と民主党でも意見が重なり合う部分があり、或いは意見を共にする議員がいた。そうした中で議会制政治は健全に行われていたのである。しかし2000年ころを境として、共和党と民主党の意見の相違は大きくなり、重なり合う部分がほとんどなくなった。共和党からは穏健派が減って保守強硬派が増え、民主党からも穏健派が減り左派への傾斜が大きくなっていく。そもそも、下院では共和党議員は半数が南部選出でほとんどが白人であるのに対し、下院民主党では半数近くが黒人・ヒスパニック・アジア系だという。
 保守は小さな政府と自由を、左派は大きな政府と平等を支持する。

 第四章では中絶、マスク、ワクチンをめぐる「文化戦争」が取り上げられている。
 ここでは一点だけ指摘すると、中絶に関して著者が映画『スリーウイメン この壁が話せたら』(1996年)を取り上げて中絶できないことが女性に悲惨さをもたらすと主張しているのは――私はこの映画は未見だけれど――やや一方的ではないか。中絶についてはその後、映画『ジュノ』(2008年)が作られており、そこでは未婚で妊娠した少女(エレン・ペイジ)が迷った末に中絶はせず生んだ子を養子に出す様子が描かれている。また『17歳の瞳に映る世界』(2021年)では逆に、妊娠した女高生(シドニー・フラニガン)が生まれ育った田舎町で民生委員から「生んで養子に出せば」と言われたのに反発してバスでNYに出て中絶手術を受ける。

 しかしいずれにしても、中絶できないことが人生やキャリアを壊すことにはつながっていない。先に当ブログで三牧聖子『Z世代のアメリカ』を紹介する際にも触れたが、中絶を認めた「ロー対ウェイド判決」(1973年)の段階ですでに「生んでも養子に出せる」条件はアメリカではかなり整っていたようなのだ。
 したがって最近連邦最高裁が保守派判事の増加により中絶の条件を厳しくするという判決を出しても、それが女性の人生に大きく悪影響をもたらすとは考えにくいのではないか。

 第五章では、インターネットの発達により誰もが自由に発信できることになったために、むしろ社会の分断化が進んでいると指摘されている。TVやラジオの番組でも分断化が進んでおり、アメリカの左右の差異は、日本の、例えば朝日と産経の差異よりよほど大きいという。陰謀論も蔓延している。

 第六章ではヘイトクライムの歴史とBLM運動が取り上げられている。
 ヘイトクライムでは州による法律が異なり、また或る事件をヘイトクライムと認識する度合いが中西部や南部では小さいという。ここでは黒人によるヘイトクライム事件も、本書では珍しく取り上げられている。

 第七章は銃規制問題が取り上げられている。私にはこの章が最も面白かった。
 日本人はとにかく銃規制を進めればアメリカで多発している銃乱射事件も減ると考えがちだが、必ずしもそうは言えないという。そもそもすでに大量に社会に出回っている銃を規制することは、秀吉の刀狩りの時代ならともかく、現代のアメリカではきわめて難しい。また、銃を持つことは犯罪行為への自衛のためであり、また銃乱射事件が起こってもそれで犯人に反撃できるという主張も、あながち間違いや詭弁とは言えないようだ。また銃を持つことの問題は、乱射のように他人に危害を及ぼすことだけではなく、自殺にも多く銃が用いられていることも見逃してはならないという。
 また銃の所有率は、中西部と南部で高く、西海岸と北東部では低いという。

 第八章では、カレンという女性名が左派による保守派揶揄に用いされているという指摘がある。人種差別的な白人女性を表現する言葉だそうだ。
 逆に、民主党所属で下院議長も務めたナンシー・ロペスや、同じく民主党の若手女性政治家アレクサンドリア・オカシオコルテスが注目すべき存在として紹介されている。しかし民主党の女性副大統領カマラ・ハリスが不人気であるという事実には触れていない。

 移民がアメリカを活性化させているとの著者の認識はここでも強調されていて、非合法移民の摘発を行わないと宣言している地方自治体も200に及んでいる、と指摘されている。しかし、そのうちの一つであるらしいNY市が、非合法移民が多数押し寄せる州の保守派知事により多数の移民をバスや飛行機で送りつけられて音を上げている現実は、紹介されていない。(当ブログでの三牧聖子『Z世代のアメリカ』書評を参照。)
     
 以上のように、本書はアメリカのキャンセルカルチャーや保守派と左派の対立を分かりやすく紹介していて有益だが、左派やBLMが抱える負の側面に対する認識に欠けるきらいがある。『Z世代のアメリカ』の三牧聖子より、本書の著者はやや左寄りの、或いは左派の動向に楽観的な姿勢をとっているというのが、私の読後感である。

 新潟県立図書館から借りて読みました。

 毎日新聞は大学問題に関する記事が充実しているけれど、最近も注目すべき記事が三件載った。簡単に紹介しよう。
 (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから毎日新聞のサイトでお読み下さい。最初の2件は11月6日付けの、最後の記事は11月8日付けの紙媒体の毎日新聞にも掲載されています。)

 https://mainichi.jp/articles/20231106/ddm/002/100/074000c
 【検証】国際卓越研究大 東北大目標達成、至難の業 25年目「論文3.5倍」「知財収入9倍」
 毎日新聞 2023/11/6 東京朝刊 

 世界トップレベルの研究大学を育てるため、政府は10兆円規模の大学ファンドを創設した。その支援を受ける「国際卓越研究大」の第1号は東北大になる見通しだ。正式に認められれば最長25年間、総額数千億円の巨額助成金を受け取ることになる。だが、認定と引き換えに東北大が「約束」した改革目標は極めて高い。成果主義が逆効果をもたらすとの懸念も出ている。

  (中略)

 例えば、東北大から出す論文数を現状の年約6800本から10年目に1万3200本まで倍増させ、25年目に2万4000本にする。研究成果で得た特許などの知的財産収入は現状の年4億8100万円から、25年目に41億7000万円へと9倍近くに増やす。大学独自の基金はゼロから作り、25年目に1兆2862億円を積み上げる計画だ。

 (中略)

 しかし、実現は容易ではない。関西の国立大職員は「率直に言ってかなり無理した目標」と評する。例えば論文数の目標と並んで、引用される回数がその分野でトップ10%に入るような注目論文の割合を25%(現状9・8%)に高める目標も掲げる。「数を増やせば質を高めるハードルは上がる。あれもこれもとなると、いくら助成金が豊富でも難しいだろう」とみる。

 (以下略)
【松本光樹】

                                            *

 国際卓越研究大学という発想そのものがダメだということは、当ブログではもう何度か書いているので、ここでは繰り返さない。とにかく、無理目な目標を掲げてごく少数の大学にお金を出すより、なるべく多くの大学に基本的な業務を遂行するための予算をちゃんとつけて底上げを図ることのほうがはるかに大事なのだが、文科省も政治家もその辺が全然分かっていない。


 お次の記事は、上の記事とも絡むが、こちら。

 (上記記事と同じURLから読めます)
 ■大学ファンド、赤字の船出
 
 大学ファンドは低迷する日本の研究力再浮上の起爆剤として期待される。運用益から最終的に毎年約3000億円を「国際卓越研究大」に選ばれた大学に分配・助成する計画だが、運用初年度は604億円の赤字だった。最長25年間の大型助成は安定して実現できるのだろうか。

 (中略)

 2020年度に創設された大学ファンドは22年3月から運用が始まった。ファンドの積立額は約10兆円。うち約9割は国の財政投融資資金から段階的に借り入れた。

 赤字スタートとなった最大の原因は、運用開始直前に始まったロシアによるウクライナ侵攻の影響だ。物価高対策のため米国などが利上げした結果、ファンドの主な投資先である債券価格が大幅に下落。1263億円の赤字を計上した。

 (中略)

 東北大には24年度、大学ファンドから手始めに最大100億円が助成される見込みで、その分は確保できた。しかし、博士課程の大学院生を支援する国の助成金を24年度以降、大学ファンドからの拠出に切り替える計画は断念せざるを得ず、引き続き国の一般会計予算で手当てする方針だ。

 (中略)

 大学ファンドの運用益の目標は年4.49%。公的年金の積立金を運用している年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)などと比べても高く、その分、大きなリスクを取ることが運用指針で認められている。ただし、目標の適用は31年度から。それまでは手堅く運用して自己資本比率を徐々に高める準備期間だ。

 それでも国はJSTに対し、26年度末までのできるだけ早期に3000億円の運用益を出すことを求めている。谷口氏は「1000億円ならまだしも3000億円は相当に難しい。助成額や助成対象の数を絞ることになるのではないか」とみる。

 (以下略)

【松本光樹】

                                            

 要するに、国際卓越研究大学構想は、そもそもの基本(お金を準備すること)からしてあやしいわけですよね。
 大丈夫なのかなあ、これで。


 三つ目は、こちら。

  https://mainichi.jp/articles/20231107/k00/00m/040/254000c
 瀕死の大学自治にとどめ? 国立大の統治強化狙う法改正案が波紋
 毎日新聞 2023/11/8 09:00(最終更新 11/8 14:38) 

 政府が今国会で成立を目指す国立大学法人法改正案が波紋を広げている。改正案は、予算決定など強力な権限を有する合議体の設置を大規模国立大に義務付ける内容だ。合議体メンバーには文部科学相が承認する学外者の参加が想定されている。「大学のあり方が根本から崩される」。法改正に反対する学者らが7日、東京都内で記者会見し、廃案を訴えた。

 「青天のへきれきだ」。会見に参加した4人の大学教授らは口々に「大学関係者の意見を十分に聞いておらず、法案の前提となる立法事実も不明」「既に瀕死(ひんし)の大学自治にとどめを刺そうとしている」と語気を強めた。

 ■大規模大に「合議体」義務化
 10月31日に閣議決定された改正案の内容はこうだ。収入や学生数などが特に多い国立大を「特定国立大学法人」とし、新たに合議体「運営方針会議」の設置を義務付ける。運営方針会議は、これまで学長や役員会が担ってきた大学の中期計画や予算・決算を決議する。決議に従っていないと判断した場合、学長に改善措置を要求できる。また、学内の学長選考・監察会議に対し、学長の選考や解任の意見をする権限も持つ。

 理事が7人以上いる12大学のうち、東京大▽京都大▽東北大▽大阪大▽名古屋大(東海国立大学機構)――の5大学が当面対象となる見込みだ。

 大学運営のあり方を変える「合議体」はごく限られた大学のみが対象になるとみられていた。初めて政府内で言及されたのは2021年5月、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の会合。政府が創設する10兆円規模の大学ファンドから助成を受ける「国際卓越研究大」が着実に成果を出すためのガバナンス(組織統治)強化の手法として議論され、その後実際に卓越大の認定要件になった。今年9月1日に初の卓越大候補に選ばれた東北大は、合議体の設置を運営方針に掲げた。

 ■突如浮上した拡大案
 ところが同7日、合議体設置の対象をより広げる政府案が明らかになる。文科省がCSTIの会合で示した国大法改正案の資料に「合議体は、一定水準の規模を有する法人は必置」と記されていたのだ。

 なぜ突如、拡大案が浮上したのか。同省国立大学法人支援課の担当者は「合議体の話は卓越大のガバナンスを議論する中で出てきたのは確か」と認めた上で「大学組織が大きくなる中で学長に決定権が集中していることが課題と捉えた。大規模大学には多くのステークホルダー(関係者)がおり、学長だけでなく複数人の議論で運営していく必要がある」と説明した。

 (中略)

 ただし、改正案によると、運営方針会議は学長と3人以上の委員で作るとあり、委員には学外者の参加も想定される。委員は文科相の承認の上で学長が任命する。7日会見した隠岐さや香・東京大教授(科学技術史)は「トップダウン型の大学が多い米国でも、大学は国家から自由だ。学問の自由から遠く離れていくのではないか」と懸念した。

 (以下略)

 【松本光樹】

                                            

 「大学の自治」なんて、日本の国立大学では神話に過ぎないということは、大学に勤務している人間なら誰でも知っている。特に独法化以降は文科省の管理が進む一方で、「学長に権限集中」なんて言っても、学長は文科省のロボットに過ぎないのだから、要するに文科省がすべてを仕切ってやっているのである。おかげで世界の大学ランキングで日本の大学が順位を大幅に落としているのは周知のとおり。
 
 しかし、文科省は「反省」ということを知らない省庁だから、その管轄下にあるかぎり日本の大学はダメになっていくだろう。東北大が国際卓越研究大学に真っ先に選ばれたのも、文科省の「いい子」だったからかも知れないのである。

 「日本の大学行政における文科省の罪」、という視点での新聞報道を私は望む。

640[1]
今年映画館で見た130本目の映画
鑑賞日 11月10日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★★

 山崎貴監督・脚本作品、125分。

 日本のゴジラ映画というと、2016年に庵野秀明による『シン・ゴジラ』が作られていて、優れた作品だったと思うけど、今回のこの『ゴジラ -1.0』も悪くない出来だ。ゴジラ映画はハリウッドでも作られているが、どうも最近のハリウッドは不調だから、逆に日本のゴジラ映画の好調ぶりが目立つのである。

 今回の時代と場所の設定は、第二次世界大戦末期の南洋の島、および敗戦直後の日本。
 敷島(神木隆之介)は特攻隊員だったが、死ぬのが嫌で、小規模な日本守備隊が駐屯している南洋の島に機体の不調を訴えて着陸する。その島にはゴジラという怪獣がときどきやってくると先住民は伝えていた。あるとき実際に怪獣が出現し、敷島は自分の戦闘機から機銃を怪獣に向けて撃つよう駐屯軍隊長から命じられるものの、果たすことができない。
 トラウマを抱えて敗戦直後の日本に帰った敷島は、偶然、係累を失った若い女性・典子(浜辺美波:画像)および身寄りのない赤ん坊と三人で暮らすことになるが、やがて米国の水爆実験で巨大化したゴジラが日本に・・・

 怪獣映画では怪獣の破壊シーンだけでなく、人間側のドラマも重要だけれど、本作品はその点でよくできている。『シン・ゴジラ』が怪獣出現に日本政府が対応しようとするとき様々な問題に逢着することを描いてリアルだったのに対して、この『ゴジラ -1.0』では日本政府は敗戦の混乱から、またアメリカ駐留軍もソ連への配慮から身動きができず、民間の日本人たちが工夫を凝らしてゴジラ対策を講じるという筋書きになっており、いわば『シン・ゴジラ』とは正反対の方向性をとっているところが巧みだ。

 そして、敗戦直後という時代設定や、ゴジラによる破壊にもかかわらず、ポジティブなメッセージが込められていて、鑑賞後に「これからも頑張ろう」という気持ちが湧いてくるのも、本作品の優れたところである。

 新潟市では全国と同じく11月3日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映されている。
 私は上映が2週目に入った金曜日の昼の回に足を運んだのだが、50名近く入っていた。ゴジラ映画はやはり人気があるのだ。

1_large[1]
今年映画館で見た129本目の映画
鑑賞日 11月8日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 アメリカ映画、ジョン・カサヴェテス監督作品、モノクロ・スタンダードサイズ、82分、1959年、原題は"Shadows"。

 カサヴェテス特集では先日『ラヴ・ストリームス』を鑑賞したが、もう一本と思って見てみたのがこれ。カサヴェテスのデビュー作で、あらかじめ脚本を決めずに即興で俳優たちが演技しているという。ニューヨーク・マンハッタン地区に暮らす下層階級青年たちの、場当たり的で先が見えない毎日を綴っている。

 アップが多用され各人物の表情が細かく捉えられていること、チャールズ・ミンガスによるジャズの即興演奏が雰囲気をたくみに裏打ちしていることが特徴か。雰囲気で見るタイプの映画が好きな人にはいいと思うが、この種の筋書きのはっきりしない映画は、私にはどうも合わない気が。

 カサヴェテス特集(合計6本)は東京では6月24日の封切だったが、新潟市では4ヵ月あまりの遅れでシネ・ウインドにて2週間限定公開された。この『アメリカの影』(2回上映のうち2回目)は、15人ほどの入りだった。

4098254573[1]
評価 ★★★☆

 出たばかりの新書。著者は当ブログでもすでに何冊も著書を紹介しているのでおなじみだが、1959年生まれ、早大文卒、出版社勤務をへて作家・文筆家、著書多数。

 本書はキャンセルカルチューについて考察した本である。アメリカではすでにかなり浸透しているが、「政治的に正しくない」言動をした人間がマスコミやネットでバッシングを受け、謝罪したり社会から抹消されたりする現象である。日本でも最近、ジャニーズ事務所の経営者が長年にわたり少年アイドルに性的虐待をしてきたという事件が(本人が死んだあと、初期報道からかなり時間が過ぎてから)大問題となり、当該事務所は社長の交代や名称の変更を余儀なくされた。

 著者はまず、キャンセルカルチャーが生まれ、それによって生きにくい社会が成立する条件を挙げている。第一に、リベラル化により格差が拡大する。知識社会が成立すると個人の生まれ持った能力の差が大きく影響することになり、「格差」が拡大するからである。第二に、リベラル化により社会は複雑化する。昔のようにイエや共同体に所属して伝統や慣習に従って生きていればいいわけではなく、個々人としてバラバラに生きていかねばならず、そのため相互の利害調整が困難になるからである。第三に、リベラル化により私たちは孤独になる。共同体が消滅し個人として生きなければならないのだから。第四に、リベラル化により個々人の「自分らしさ」同士が衝突する。人種、宗教、性別、性的志向などを、特に弱者ほど強く意識して自分のアイデンティティとするので、アイデンティティの異なった個人間の、或いは集団間の軋轢が強まる。――こうして社会は地獄となる・・・本書のタイトルかここから来ている。リベラル化により社会は生きやすくはならず、その逆なのだ、と著者は序文で喝破している。

 第一章(本書では「PART 1」という表記がなされているが、ここではふつうの表現にさせていただく)では小山田圭吾炎上事件が取り上げられている。2020東京オリンピック・パラリンピックの開会式に作曲担当として参加していたミュージシャン小山田圭吾が、学校時代のイジメや障害者への心ない言葉を過去の雑誌インタビューで語っていたことを明らかにしツイッターで謝罪したが、それに対する批判が殺到したために作曲家としての参加を辞退した、という事件である。

 ごく簡単にまとめるなら、十代の頃の小山田がしたとされるイジメは、当該の相手がどういう人間だったかを詳細に吟味し、加えてふたりの交友関係がどういうものだったかを把握しなければ理解できないもので、単純にイジメというような形容で片づけられる関係ではなかった、と著者は分析する。
 また、小山田の「イジメ」を伝えるのにあずかったマスコミは、ふつうに考えればそうした報道が小山田に対するマイナス・イメージを形成するだろうという判断を欠いていた。それは、小山田を貶めるためでの報道はなく、むしろ「きれいごと」への反発という形で、小山田の「《いい子》ではない」一面をポップ的な軽い感覚で売り出すという一面を有していたらしいという。
 ただし、著者はこの問題に関する小山田の発言には世間的に見て受け入れがたい部分はあるとして、結論的に、小山田は東京オリンピックに関するオファーを受けるべきではなかったと述べている。

 第二章はポリコレと言葉遣いである。日米の色々な例が挙げられているが、アメリカでいったん政治的に正しいとされた言葉遣いも、当該の「弱者」からの異議申し立てでまた変更されるというあたりが、この問題のややこしさを示している。

 第三章は会田誠とキャンセル騒動である。
 2013年に現代美術家の会田誠の個展が東京の森美術館で開催されたが、これに対して某NPO法人から、会田の作品の一部は児童ポルノ・性差別・障害者差別であるとして撤去を求められたという事件を取り上げている。
 某NPO法人はあくまで美術館側に撤去を求めたのであり、作品を作った会田誠にではなかった。著者によれば、これは「表現の自由」との兼ね合いからだろうという。仮に作者に撤去を求めれば「表現の自由」を尊重しない団体と見なされかねないので、会場提供側である森美術館にそうした申し入れを行ったのだという。しかし美術館とNPO法人の話し合いは平行線をたどり、会田誠展は最終期日までそのまま行われた。
 これについて、作者である会田誠は著書『性と芸術』(2022年)を出して、自分の意図を明らかにし、理解を求めようとした。著者は会田の自伝的小説『げいさい』をも参照して、会田が美術創作家としてどのような条件で出発しどのような芸術観の下で仕事をしてきたかをたどっている。

 しかし著者は会田の説明を不十分と見なし、現代のポリコレ・コード下では問題となった会田の作品を美術館に展示するのは「受け入れられない」と述べる(125ページ)。
 このあたりの結論は、はっきり言ってかなり微温的であり、私としては、著者もずいぶんポリコレに侵されているんだな、と思った。

 著者はこの章で、会田と並べて2019年の「あいちトリエンナーレ」で企画された「表現の不自由展・その後」を取り上げている。この問題では、慰安婦像や昭和天皇の写真を燃やす映像が批判の対象となった。保守派による批判であり、会田誠の場合のような、いちおう左派であるNPO法人とは逆の政治的立場からの動きであることをふまえ、左右とも同じようなことをやっていると著者は述べているのだが、私はこの問題は「表現の自由」を最優先にして、しかし税金を使った展覧会については「常識」の範囲内に収めるという方法で解決すると考える。
 著者の主張では、「あいちトリエンナーレ」に関しては税金を使わなければいいのだと主張する保守派もいたが、現実には他の方法で「表現の不自由展」の開催が模索されてもそれに抗議する右派はいたから、としてこの観点を否定しているのだが、それは税金を使わないのに抗議する右派がおかしいと断じれば済むことであろう。そういう観点をとれば、会田誠展は森美術館という私設の場所で行われたわけだから、まったく問題はなかったと結論づけることができ、「表現の自由」も併せて守ることができる。

 ちなみに国会議員の山田太郎氏に『「表現の自由」の守り方』という新書がある。児童ポルノを「表現の自由」という観点から、また児童ポルノによってしか欲望を満たされない人間が現実に存在することをふまえ、そうした人々を(現実に児童を相手に性行為をするわけにはいかないから、フィクションである児童ポルノだけは確保してあげないといけないというヒューマニズムに基づいて)守るために、山田氏がどう奮闘したかの経緯を、著者にはぜひ読んでもらいたい。

 言論・表現の自由は、民主主義社会における最大の原理であり、これを制限する場合にはよほどの条件と慎重さを必要とするというのが私の信念である。それは、著者・橘氏も本書の最後で引用しているジョナサン・ローチ『表現の自由を脅かすもの』が力説するところでもある。そのあたりの一線を守る姿勢において著者があやふやであるのは問題ではないか。NPO法人の抗議を受け入れなかった森美術館の見識と比べると、いささか風見鶏的と言わざるを得ない。

 第四章では、アメリカでキャンセルカルチャーが蔓延しているのが大卒の過剰により、高学歴でもそれに見合ったステイタスや収入が得られにくくなっていることが原因ではないかと分析している。ために人種・ジェンダー・性的志向性などでアイデンティティ政治に同化し、「社会正義」を叫んで、それに敵対すると思しき者を激しく攻撃する行動に出るのだという。
 しかし、アメリカでは社会的・経済的に成功しているかどうかで同じ白人(黒人)でも態度が違ってくる。白人男性でも成功者は「アメリカ社会は今も黒人に差別的だ」という見解に鷹揚だが、プア・ホワイトは逆にそうした見解に反発する。これが黒人になると逆で、社会的に低い地位にある黒人は「黒人の犯罪率は白人よりかなり高い」という主張にあまり反発しないが、高学歴でエリートの黒人は激しく反発するという。
                     
 第五章は「社会正義の奇妙な理論」。
 ここでは(当ブログでも紹介した)福田ますみの著書からの引用で始まっている。
 北朝鮮で生まれ、中国、モンゴル、韓国、アメリカ(の大学)と居住地を買えたパク・ヨンミの「北朝鮮は本当に狂っていた。でもこのアメリカほどではなかった」という言葉が紹介されているのである。パク・ヨンミはあるときアメリカで黒人たちに財布をすられたが、その一人である黒人女性を取り押さえたところ、「あんたはレイシストだ。黒い肌の私が泥棒であるわけがない」と叫ばれ、集まってきた白人たちは黒人女性に味方したため、その黒人女性を解放するしかなかったという。
 つまり、その白人たちは「黒人差別はいけません」という理論だけで状況を判断し、事実関係には全然注意を払わなかったわけだ。

 それに続いて名門のイェール大学で起こった事件に言及がなされている。(著者は別の本から知ったようだが、この事件は『傷つきやすいアメリカの大学生たち』という書物――著者はこの本も読んでいるようだが――でも取り上げられており、この本についてはいずれこのブログで紹介する。)ハロウィンのときに学生たちは色々な仮装をするが、「白人がインディアンに扮する」など政治的に正しくないとされる仮装もあるので、大学側が「おすすめ」「非おすすめ」の仮装を学生たちに提示した。これに対して或る女性教員が「大学がそこまで学生に指示する必要があるのか」という疑問を投げかけたところ、学生たちから猛反発を食らった。その女性教員の夫もイェール大学教員だったので、彼が妻に代わって、妻の発言が学生たちに「痛みを与えた」ことは謝罪したが、言論の自由は開かれた社会の基盤であるという理由で妻の発言の撤回は拒んだところ、学生の攻撃は激しさを増し、しかも大学側は夫妻を擁護することを一切せず、結局妻のほうはイェール大学を辞めることになったのである。

 左派がリベラルを「キャンセル」したわけだ。アメリカの大学はここまで狂っているのである。Z世代にはこうした、政治的に過激な行動に走りやすい傾向があり、またそれはこの世代に精神的な鬱症状が多く見られることと並行関係にあるのではないかという。アメリカの大学では「極左あるいは進歩主義」の教員比率が一貫して増えており、「中道」「極右または保守」の教員は減少している。この原因として著者は、アメリカの大学では白人教員の割合が圧倒的に高いので、この不都合な事実により自分が「キャンセル」されることを防ぐためには過剰に左派的な言動に身を投じなければならないのだ、と述べている(185~186ページ)。

 「白人は生まれながらにレイシスト」という過激な理論がアメリカでそれなりに受け入れられているのは、有色人種差別がこれほど長年にわたって問題視されながら、黒人への理不尽な扱いがなくならないアメリカの現実を見れば理解できなくもないと著者は述べている。白人女性ロビン・ディアンジェロの『ホワイト・フラジリティ』というベストセラーがそういう主張をしているという。左派によるリベラル批判にはこういう理論的裏づけ(?)もあるというわけだ。(188~192ページ)もっとも黒人の「自己責任」論もあるのだが――シェルビー・スティール『黒い憂鬱』『白い罪』(いずれも邦訳あり)――著者は触れていない。
 ともあれ、こうした「アイデンティティ」が細分化されていけば――人種・性・性的志向性・文化的特質など――社会は融和どころか逆に大きな対立を抱えるようにしかならない、というのが著者の見るところである。

 もっともこうした左派学者が依拠する社会理論がいかにデタラメかを実証するために、或る学者たちがでっちあげの論文を専門誌に投稿したところ、その一部が掲載され、しかも斯界の権威から絶讃されるという結果になったという(200~205ページ)。ポストモダニズム全盛のころにアラン・ソーカルが試みたのと同じことをやったわけだ。

 第六章ではLBGTのTが取り上げられている。「女→男」(ブルーガール:女性に生まれたが男性に性転換する)のタイプは一つだが、「男→女」は二種類あるという。つまり「女→男」は性愛対象はほとんどが女性だが、「男→女」はピンクボーイ(女性に性転換して性愛対象は男)と、そうでないタイプ(女性に性転換して性愛対象は女のまま)がいる。後者は、自分が女性になることを想像して性的に興奮するタイプなのだという。
 またサモアなど、外見が女の子っぽい少年は最初から女として育てられる文化が地上には存在し、そうするとその少年は自分が女であることに違和感を持たないという。
 以上のような(現実の現象をふまえた)理論を提唱したノースウェスタン大学の学者マイケル・ベイリーは、しかしそのためにトランスジェンダー活動家から非難されることとなった。保守派からの批判に都合がいいと見られたからだ。(こないだの日本の最高裁の判決――「男→女」は性転換手術をせずとも認められる――でも問題になっているが)「男→女」の中には性愛対象が女性である存在がいるとすると、更衣室や公衆トイレで「男→女」による女性に対する性犯罪が起こる可能性がある。これは欧米では日本以上に大問題となっているという(日本でも、例えば毎日新聞は左派だから、そうした可能性自体を「誤解」としているが、果たしてそう言えるのかどうか)。
 実際、フェミニストでも「男→女」の存在を女性とは認めない、或いは少なくとも性転換手術をしなければ認めないという人たちは少なくないようだ。
 もっとも著者は結論として、「男→女」の数自体が少ないこと、男でも性犯罪を犯す人間はやはり多くないことを理由として、こうした批判は妥当ではないとしている。

 しかし、多様性を尊重する社会が実現すればするほど、その多様性は数が増えて複雑化するのだから、そうした複雑きわまりない多様性に全面的に適応できる人間は多くない、と著者は述べる。したがってそういう危険な複雑さからは撤退するのが無難、という、或る意味退嬰的な方向に話を向けている(ように見える)。

 最後に、おしまいのあたりで著者は慰安婦問題を持ち出しているのだが、ここの論じ方にはかなり疑問がある。(252ページ以下)

 まず、慰安婦問題について日本政府は「現代の価値観を過去にあてはめるな」という態度をとってきたと述べている。そしてそれなら奴隷貿易も当時はそれを禁じる法律はなかったし、ナチのホロコーストでもドイツ国外なら治外法権だから責任を問えないことになるという極論を持ち出している。
 これは明確に著者の誤りだ。日本政府が否定しているのは「慰安婦の強制連行」だ。慰安婦(売春婦)制度自体は当時はもちろん、今だって国によっては合法である。オランダ、ドイツ、ベルギーなどでは今でも売春制度は合法なのだ。もしも著者が言うように売春制度そのものが「女性の人権問題」だから日本が慰安婦問題で「欧米や国連」から非難決議を出されたのだとするなら、明らかに欧米や国連はダブルスタンダードだった。当然、まっさきにドイツやオランダやベルギーに対して非難決議を出すべきだからだ。

 実際には「慰安婦の強制連行」は朝日新聞の誤報(先日当ブログで紹介した『「第三者委員会」の欺瞞』を参照)や韓国による歴史歪曲の産物であって、欧米議会や国連はそれに騙された、或いは本書でキャンセルカルチャーについて著者が書いているのと同じことで、「差別されている黒人なら泥棒はしないはず」というような愚劣な先入観で決議を行ったに過ぎない。彼らはこの問題について何も知らない――それだけのことだ。(われわれアジア人が欧米について多くを知っているのとは違い、欧米人はアジアのことをろくに知らない。)
     
 なお、先日の毎日新聞のコラム「風知草」で山田孝男・特別編集委員がこの問題に触れている(11月6日付け紙媒体の毎日新聞にも掲載)。以下、一部を引用する。

 https://mainichi.jp/articles/20231106/ddm/002/070/066000c
 【風知草】「帝国の慰安婦」の無罪 山田孝男・特別編集委員   
   毎日新聞 2023/11/6 東京朝刊 

 元慰安婦に対する名誉毀損を問われた「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河(パクユハ)・世宗(セジョン)大名誉教授(66)が、韓国最高裁の判決で無罪確実となった(10月26日)。
 それに先立ち、国会議員の尹美香(ユンミヒャン)(58)が公金横領などで起訴され、ソウル高裁で有罪判決が出た(9月20日)。尹は「帝国の慰安婦」糾弾の先頭に立った左派の活動家である。
 (中略)
  韓国の活動家は国際人権団体を通じ、慰安婦問題を「戦時の女性への暴力」や「人身売買」と関連づけることに成功。2007年以降、欧米各国の議会が対日批判決議を採択。欧米の諸都市に<慰安婦少女像>が出現した。日本は国際情報戦に負けた。
 朴裕河は日本近代文学の研究者である。「帝国の慰安婦」は13年に韓国で、14年に日本で出版された。著者は、慰安婦は多面的な存在であると考え、「すべて売春婦」という単純化を拒否。戦時の兵士と慰安婦の間には友情や恋愛もあったことを文献で裏付け「性奴隷」説も退けた。
 「性奴隷」否定に猛反発したのが「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(旧・韓国挺身隊問題対策協議会)の中心、尹美香だった。「日本を免罪し、日本の右翼を喜ばせる本」だと批判した。
   (中略)
   20年、尹が革新政党の国会議員に当選すると、運動体内から、尹の助成金横領や北朝鮮からの工作資金受領の疑惑が噴出。尹は横領などで刑事訴追され、この9月、罰金880万円、懲役1年6月、執行猶予3年の高裁判決が出た。
 92年、尹は運動体の報告文にこう書いた。「北(朝鮮)は日本の戦争犯罪賠償を確実にさせようとしている。南(韓国)と北が挺身隊(性奴隷)問題の真相究明促進で賠償を受け取る力量は整いつつある」
 尹が北朝鮮と結びついていたことは疑いがない。
  (以下略)

 新潟市立図書館から借りて読みました。

640[1]
今年映画館で見た128本目の映画
鑑賞日 11月5日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★

 西見祥示郎監督作品、アニメ、95分、原作は手塚治虫『火の鳥』の「望郷編」。

 地球人のジョージ(声:窪塚洋介)とロミ(宮沢りえ)は、わけあって地球から遠く隔たった無人の惑星エデン17にやってくる。水が乏しい惑星で苦労しながら開墾を進めていくものの、或る日事故でジョージは死ぬ。身ごもっていたロミはやがて男の子カインを生むが、子孫を増やすためには自分とカインが交わって子作りをするしかないと考え、カインが成長するまで自分の若さを保とうとして人口睡眠に入る。ところが十数年後に目ざめるはずが、事故による装置の誤作動で千年後に目ざめてしまい・・・

 時間的にも空間的にも壮大なスケールで物語が展開されるが、火の鳥に象徴される宇宙内の生命体についてはもう少し説明があったほうがいい。あと、絵柄は、手塚の原作と現代風の双方の特徴を備えているけれど、このアニメならではという魅力にもう一つ乏しいような気がした。

 新潟市では全国と同じく11月3日の封切で、Tジョイにて単独公開中、県内ではほかにTジョイ長岡でも上映している。
 私が足を運んだ第一週日曜日夕刻の回(1日4回上映の3回目)は5人の入りだった。うーむ、手塚世代は(私のように)老いているからだろうか。

83a44ec49717f8cf4c79736a5f8ed25a[1]
11月5日(日)午後2時開演
だいしほくえつホール
2000円(前売、全席自由)

 この日は標記の音楽会に足を運びました。
 会場のだいしほくえつホール(以前はだいしホール)に入ったのは久しぶりです。新型コロナウイルス感染症で一時期使用できなくなっており、今年度になってから利用を再開したのですが、聴きたいと思う演奏会がなかなか開かれなかったからです。
 数年ぶりに来てみると、椅子のシートが貼り替えられていました。
 中間よりやや後ろの右寄りの席で聴きました。
 客の入りは三分の二から四分の三くらい。若い男性のヴァイオリニストのせいか、若い女性も少なくなかったようです。途中休憩でトイレに行ったら、韓国語も聞こえてきました。

 ヤン・インモは韓国出身で、2015年のパガニーニ国際コンクールと2022年のシベリウス国際コンクールでいずれも第一位。現在はベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で修士号取得をめざしているとか。使用楽器はG・B・グァダニーニ。
 ピアノの田島睦子は金沢出身で、国立音大とその大学院を首席で卒業。ピアノ・リサイタルや室内楽などで活発に活動しているそうです。

 フランツ・リース:ラ・カプリチョーザ
 チャイコフスキー:懐かしい土地の思い出op.42
                      Ⅰ 瞑想曲
                      Ⅱ  スケルツォ
                      Ⅲ メロディー
 ラフマニノフ:ヴォカリーズop.34-14
 ラヴェル:ツィガーヌ
 (休憩)
 フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
 (アンコール)
 クライスラー:ウィーン奇想曲

 ヤン・インモのヴァイオリンは、技巧的にはまったく問題なしで(特にラヴェルでその実力を発揮)、音は、それなりに通りがいいけれど、あまり光沢はなくて、「ヴァイオリンは木でできているな」と改めて感じさせられるような、と言ったらいいのでしょうか。楽器の特性か、本人の持ち味か、或いは会場のせいかはよく分かりませんが。
 後半のフランクでは、曲の叙情性をしっかりと表現していました。

 田島睦子のピアノは、最初はいかにも伴奏という感じで慎ましすぎる気がしましたが、ラヴェルとフランクではそれなりに自己主張していました。外見的にもチャーミングな方なので、お友達になれたらと思いました(笑)。

 ただ、全体として見るとまとまりのよい音楽会ではあるけれど、曲数が少ない。短めの(例えばモーツァルト)ソナタをもう一曲か、或いは小品なら二曲くらい追加してほしかった。

0cf19baf6efaaec2[1]
今年映画館で見た127本目の映画
鑑賞日 11月2日
シネ・ウインド
評価 ★★

 フランス映画、アルノー・デプレシャン監督・脚本作品(脚本はジュリー・ペールも)、110分、原題は"Frere et soeur"(弟と姉)。

 舞台女優アリス(マリオン・コティヤール)とその上の弟ルイ(メルヴィル・プポー)は長らく仲が悪い。弟は作家・詩人だが姉と異なり世に認められるまでにかなり時間がかかった。今は自動車では行けないような田舎で妻とふたりで暮らしている。そんな姉弟が、老いた両親が交通事故で瀕死の重傷を負ったことをきっかけに顔を合わせるのだが・・・

 結論から言って、駄作である。まるっきり面白くない。
 姉弟がなぜ仲が悪いのかが最後まで明らかにされないばかりでなく、お互いの(非)交流にも説得性を感じない。ついでに、最初に老いた両親が交通事故に遭うシーンにも説得性を感じない。姉には、慕ってくれる少女ファンがいるのだが、この設定も活かされていない。

 万事がありきたりで退屈でいい加減。枯渇した映画監督を使うのはやめましょう!
 私はマリオン・コティヤールが好きなので期待して映画館に行ったのだが、がっかりした。

 東京では9月15日の封切だったが、新潟市では6週間の遅れでシネ・ウインドにて公開中、11月10日(金)限り。私が足を運んだ木曜日午後は、十人未満の入りだった。

f748c42097df4f1a0a4570724371649a-1[1]
11月1日(水)午後2時開演
りゅーとぴあ・スタジオA
全席自由 3回券2000円

 フルート=市橋靖子、ヴァイオリン=庄司愛(助演)、チェンバロ=笠原恒則

 この日は標記の演奏会に足を運びました。ガチ・バッハの今年度3回目ですが第1回は笠原氏病気のため中止となったので実質的には今回が2回目。

 J・S・バッハ(C・P・E・バッハ?): フルートとチェンバロのためのソナタ ト短調BWV1020
 J・J・クヴァンツ: トリオソナタ 変ホ長調QV2:18
 J・S・バッハ: 音楽の捧げ物BWV1079より”三声のリチェルカーレ””トリオソナタ ハ短調” 

 最初のフルートソナタはおなじみの曲ですが、最近では息子のC・P・E・バッハの作という説が有力だそうです。

 次が、フリードリヒ大王(フルートが趣味だった)のフルートの先生であり、大王の楽団長でもあったクヴァンツの曲ですが、実はこれ、解説によると大バッハが大王の宮殿を訪れた際に「これをもとにフーガを即興演奏せよ」と大王が課した主題のもとだったとか。つまり、大王の出した主題はオリジナルではなく、先生の曲のパクリだった、ということらしいのだ。バッハの側もそれを悟っていたという説もあるようで、世の中、複雑なんだなと思いました。

 ちなみに今回はアンコールはなし。バッハの「音楽の捧げ物」はやはり難物らしい。練習に時間がかかったようで。

 今回はヴァイオリンの庄司愛さんがゲスト出演。例年ですとフランス・バロック音楽を演奏する「プロジェクト・リュリ」にゲスト出演するのですが、今秋はなぜかプロジェクト・リュリの演奏会はないらしい。これまた気になるところです。

 ちなみに笠原氏の病気療養のため、来年度は「ガチ・バッハ」はお休みで、代わりに「モダン・バッハ」の演奏会が4月と11月のそれぞれ1日に行われるそうです。バッハの曲をもとに後世の作曲家が作った曲が演奏されるとか。笠原氏は欠場するものの、市橋氏のフルートと、それ以外にピアノやパーカッションが加わるとのこと。

ceska_omote-1448x2048[1]
10月30日(月)午後6時30分開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
3階Hブロック1-12、Bランク席12000円

 この日は標記の演奏会に足を運びました。女房同伴。チェコ・フィルの来日公演は以前にも行ったことがありますが、久しぶりです。
 会場のりゅーとぴあは、半分くらいの入りでしょうか。3階脇席のF・GブロックとK・Lブロックは客がたくさん入っていました。チケットが安いC・Dランクだからでしょう。最近の東響新潟定期でも安価な席は客がよく入っています。日本の貧困化の表れでしょうか。むろん私も、SランクからDランクまで5段階ある中では中間のBランク席ですから威張れたものではありませんが、しかし私に言わせればりゅーとぴあでオーケストラを聴くにはH・Jブロックあたりが最適なのです。

 実際、この日は女房の知り合いが2階正面Cブロックで聴いていたのですが、その人の言うところでは弦の音があまりよく聞こえなかったとのこと。Cブロックはりゅーとぴあ・コンサートホールの中では最上等の場所だと一般には思われていますが、必ずしもそうとは言えないというのが私の持論です。

 ちなみに今回のチェコ・フィル日本公演は、新潟以外では東京、横浜、名古屋、大阪で行われています。新潟のチケット価格帯は18000円~8000円なのに対して、横浜は20000円~6000円、大阪は24200円~16500円、名古屋は25000円~9000円、東京(サントリーホール、3回)は25000円~7000円となっています。大阪の高いのが目立ちますが、3ランクしかないこともあるでしょう。東京のサントリーホールは6ランクです。

 まあ、この時期に来日しているベルリン・フィルやウィーン・フィルと比べればまだしもの価格です。ヨーロッパの一流オケがこのくらいの値段で聴けることを喜ぶのが正解なのかも知れません。

 指揮=セミヨン・ビシュコフ、ピアノ独奏=藤田真央
 オール・ドヴォルザーク・プログラム
 序曲「謝肉祭」op.92
 ピアノ協奏曲ト短調op.33
 (ピアニスト・アンコール)
 プロコフィエフ:ピアノのための10の小品op.12から第7番プレリュード
 (休憩)
 交響曲第8番op.88
 (アンコール)
 ブラームス:ハンガリー舞曲第5番

 舞台には弦楽器奏者がたくさん並びました。協奏曲を除いて、第一ヴァイオリン16、第二ヴァイオリン14,チェロ10、その後ろのコントラバス8、ヴィオラ12というフル編成。最近は東響新潟定期でもフル編成は珍しいので、チェコからわざわざこれだけの人数でやってきたことに敬意を表したい気持ちになりました。ちなみに弦楽器奏者(特にヴァイオリン)は、東響交響楽団なら女性が多いのですが、チェコ・フィルは男性が圧倒的に多い。近年、日本は女性雇用が進んでいないなどと新聞は書き立てていますが、どこを見ているんだと言いたくなる。

 実際、まず特筆すべきは弦の音でしょう。ヨーロッパ的というのか、味のある弦の音。整っているということでは東京交響楽団も負けてはいないのですが、味という点でチェコ・フィルの弦はやはりひと味違うのです。管楽器も悪くありませんでしたが、やはり弦の響きで持っているなという印象です。

 協奏曲でのピアノもそれなりでした。ただ、細かいニュアンスを付ける場面はともかく、或る種の骨の太さみたいなものは、もう少し欲しいかなという気もしました。

 メインの交響曲の演奏は言うことなし! 細部まで神経が行き届いた演奏で、大満足です。

 ソリストとオケそれぞれにアンコールがあって、終演は午後8時半過ぎ。
 このあとおそらく団員は新潟駅に急ぎ、東京行き最終の新幹線(9時40分発)に乗るのでしょう。ふつう夜のコンサートは午後7時開演ですが、今回6時30分だったのはその辺を考慮してのことでしょう。翌日はサントリー・ホールでの公演がありますから。ご苦労様です。

 指揮者のビシュコフは1952年生まれだそうですから、私と同年齢です。体の動きがいいんですよね。指揮者は年をとっても元気な人が多い印象がありますが、ビシュコフも例外ではなさそう。
 ちなみにやはり同年齢の有名人としては、ロシアのプーチン大統領や、小池百合子・都知事がいます。私もがんばらないと(笑)。

51Wllv1OooL._SL500_[1]
評価 ★★★☆

 著者は、すでに当ブログでも著書を何冊も紹介しているからおなじみだが、1959年生まれ、早大文卒、出版社勤務をへて作家・文筆家、著書多数。

 本書は著者が若かった時代、つまり1980年代前後の自分を回顧した書物である。

 著者は東海道新幹線と海が見える場所で高校時代を過ごしたという。つまり神奈川県西部か、静岡県か、愛知県東部ということだろう。映画館が二軒しかなかったというから、さほど大きな都市(例えば静岡市や浜松市や豊橋市のような)ではなかったようだ。父は地銀に勤める平凡なサラリーマンだった。

 高校時代にドストエフスキーの小説にイカれて、この作家を原書で読みたいと思い、露文科のある早大文学部に進んだ。早大法学部にも合格したそうで、おじさんからは法学部にしなさいと勧められたのにもかかわらず初心を貫徹して文学部に行ったけれど、卒業時には専攻のせいもあり就職口がまるでなくて、就職課もまともにとりあってくれず、かろうじてちっぽけな出版社に入ったもののうまくいかず、友だちと一緒に別の出版社を立ち上げたが、当初は(妻と子供一人をかかえているのに)月給が10万円でボーナスもなく、しかも仕事が多忙でほとんど家に帰れなかったという。なるほど、大変だったのだと同情してしまう。私も1980年に新潟大学の専任講師になったのはよかったけど、月給は手取り15万円だった。ただしボーナスはあったし、妻子はまだなかったから、貧乏というほどではなかったのである。

 著者はドストエフスキーを原文で、という意欲に燃えて大学に入ったわけだけど、ロシア語を勉強してみるとその難しさに音を上げてドロップアウトしてしまい、授業にはほとんど出ずに映画を見たりジャズ喫茶に入り浸ったり少女マンガを読んだり雀荘で過ごしたりしていた。サークルはロシア語研究会だったそうだが、ここでロシア語ではなくポストモダン思想にめざめたという。しかし大学での専攻は当初の予定どおり露文にした。というのも当時はソ連のアフガン侵攻でロシア語や露文の人気が低落していて、露文の教授から「卒業させてやるから」と言われてそこに決めたのだという。専攻学生数の激減が自分のポスト喪失につながりかねない教授と、何でもいいから卒業という学生の意向とがマッチした選択だったわけだ。まあ、大学教授ってのも人気稼業的なところがあって、専攻希望学生が少ない学科の教授は肩身が狭くなりがちだから――個人的に学生に人気があるのを威張る輩もいる――この教授の生き残り策も分からないではありません。

 勤務していた弱小出版社の編集長が海外の宝くじを日本で販売するという商売を始め、著者もそれを手伝っていたところ、大蔵省(現・財務省)の役人から呼び出されて、資格がなくて宝くじを販売するのは法律違反だと指摘される。「私の所管ではないので、今回は私のほうで処理しておきますが、面倒なことにならないよう気をつけて下さい」と「さわやかな笑顔で」言われ、権力というものがどんなものか少し分かった気がした、と書いている。

 その後、当時人気のあった雑誌『ギャルズライフ』の二番煎じの雑誌を作ったりしたが成功には程遠く、そのうち国会で問題視されて休刊に追い込まれる。

 それからまた別の出版関係の仕事をしたりしているうちに、雑誌『宝島30』の編集に携わるようになる(現在は廃刊。出版社名は現在は宝島社となっているが、当時はJICC出版局)。ここらへんでの流れを見ると、要するに紹介してくれる人がいるから(同じ出版業界内部の)色々な仕事をするようになるわけだが、仕事を紹介してくれる人というのは必ずしもお互いに親しいとかよく知っているというのではなく、一度だけ会ったとかほんの少し一緒に仕事をしただけという場合が多いのだという。その程度の人間を紹介したほうが、仮にダメな人材でも責任をとる必要がなく、或いは仕事がヤバくてもその人間に申し訳ないと思う必要もあまりなく、なおかつ仮にうまくいけば紹介した会社からも紹介した人間からも感謝されるのだから、こうしたやり方こそが「負けないギャンブル」なのだそうだ。これは日本の出版界だけのことではなく、アメリカの社会学者の調査でもそういう結果が出ているという(144~145ページ)。

 『宝島30』は実は私も愛読していた雑誌で、したがってそのあたりの回顧には興味深いものがあった。もっとも著者は最初はJICC出版局(現在の宝島社)の正規雇用ではなかった。東北地方の某私立学校を経営する一族のスキャンダル・ネタを内部告発でつかみ、それを本にする作業に関わったという。一族から名誉毀損・出版差し止めの裁判を起こされたものの、出版社としては言論の自由や内部告発の大切さを主張し対抗した。しかし名誉毀損でないことを証明するのが難しく、出版差し止めの仮処分が出そうな雰囲気になったものの、裁判所は本が書店の店頭に並んだ段階で出版差し止めの仮処分を出したいらしい(そうすれば言論の自由も守られる)という微妙な事情を察知して、さっさと出版に踏み切ったところ、大々的に売れたという。これで著者は正社員になれたのである。30歳だった。

 80年代に出版社に勤務していると、いわゆる差別語問題とぶつかる。「士農工商○○」という表現は差別だ、という抗議が実際に解放出版社から来て、著者はそれに返事を書いたら、珍しいと評価されたそうだ。こういう抗議が来ると、議論もせずに謝罪して本を回収したり記事を取り消したりするのが通例だったという。日本の出版界は、エラソーなことを言っても事なかれ主義だったんだなと改めて痛感させられた。
 こういう日本の出版業界の悪しき「常識」がくつがえされたのは、オランダのジャーナリストであるウォルフレンの『日本 権力構造の謎』が出版されて、解放同盟が例のごとく圧力をかけて出版中止に追い込もうとしたところウォルフレンが激怒し、双方の言い分について解放同盟とウォルフレンが公開で討論会を開き、その内容を小冊子にして当該書籍に挟みこむという形で決着をつけたことが契機だった。著者はその討論会にも出ていて、あまり芳しい印象を受けなかったと書いているけれど、私としては「日本の(悪しき)常識」が「近代化」されたのはいわばウォルフレンという「外圧」によってだったと見ている。なお著者は解放同盟による別の糾弾会にも出たけれど、大手出版社・新聞社ほど糾弾される時間が長く、著者のような弱小出版社の人間は短時間で済んだそうである。(170~191ページ)

 また、当時は(今も)屠殺場という言葉がタブーになっていて、しかし屠場なら構わないとされていたが、著者が知り合いの在日コリア系ライターにその屠場で体験的に仕事をしてもらい、結果を本にまとめたいと提案したら、屠場側から断られたそうである。「前例がない」からだという。そもそも、屠場勤務者は「マスコミは自分たちの話を聞こうとしない」と文句を言っていたからこその企画だったのに、と著者は慨嘆している。(189~190ページ)もっとも、ジャーナリストの鎌田慧が岩波新書から『ドキュメント屠場』という本を出しているのだが、これは1998年になってからのことだ。

 『宝島30』が美智子皇后(当時)を批判する記事を載せたところ、右翼からのものと思しき銃弾が会社に撃ち込まれた事件は、私もよく覚えている。しかし著者によると、皇室や右翼についてよく知らなかったのであまり怖いとは思わなかったという(202~203ページ)。そんなものなんだろうか。もっともこの事件で編集長が代わり、著者が編集長となった。

 その後オウム真理教事件が起こり、『宝島30』もその報道に関わっていく。著者によると、オウム真理教の教義自体は東南アジアなどに伝わる上部座仏教(小乗仏教)で、つまりブッダの教えを直接的に受け継ぐものであり、中国経由で日本に入ってきた大乗仏教よりも正統的なのだという。(著者はこれを、イスラム教では本来は自由や平等といった近代主義とは無縁に、コーランの教えをただただ遵守するのが正統的であることに喩えている。)しかしああいう事件が起こったために、オウム真理教施設の危険性を見抜けなかった宗教学者・島田裕巳が批判され、勤務する大学を辞職することになった。私としては、見事にだまされたんだから、辞職はともかく、一定の責任はとるのが当たり前だと思うけれど、著者は島田氏にかなり同情的で、自分が取材に同行しなかったことを悔いている。また、島田氏を案内した教団内の関係者も本当のところは知らなかったという。(228~229ページ)もっとも、これを機にあることないことを書いて島田氏を誹謗する人間も少なからず出てきたわけで、女性週刊誌に弁護士の書いたものがそれにあたるというので科学史家の米本昌平氏らが東京弁護士会に懲戒請求をしたところ、「女性週刊誌の記事は一般に信憑性がない」として却下されたという(230ページ)。信憑性がない媒体に弁護士が記事を書いたことを罰したらどうかと思うけどね(笑)。

 それやこれやで、色々と面白い部分がある1980年代の回想記ではある。
 著者は最初の奥さんと別れて子供は自分で育て、その後奥さんは再婚して子供を作り、著者も再婚して文筆業にいそしむことになる。最近本が売れているのは周知のとおり。でもそこまで行くのにかなりヤバいところを通過していたんだな、というのが私の感想。

 また、著者が大学時代から80年代にかけて知り合った人たちの「その後」も少なからず出てくるけれど、率直に言ってあんまりまともな人生を送ってはおらず、早死にしている人もいる。そういう中では、著者は「成功者」の部類なのだろう。一将功なりて万骨枯る、というのとは少し(或いはかなり)違うけど、大手ならともかく、弱小の出版業界のいかがわしさを知るのにも有用な本かも知れないね。

 新潟県立図書館から借りて読みました。

1_large[1]
今年映画館で見た126本目の映画
鑑賞日 10月29日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 アメリカ映画、ジョン・カサヴェテス監督・脚本作品(脚本はテッド・アレンも)、139分、1983年、原題は邦題に同じ。

 「インディペンデント映画の父」と言われたジョン・カサヴェテス(1929~1989)の特集が組まれ、新潟市ではシネ・ウインドで上映中である。カサヴェテスの映画はこれまで見たことがなかったので、ためしにと劇場に足を運んだのがこの作品。カサヴェテスとしては晩年の作になるようだ。カサヴェテス自身と、その妻でもあるジーナ・ローランスが主演しているところがミソ。

 中年女性サラ(ジーナ・ローランス:画像左)は夫の間に離婚話が進行中だが、娘は父親と一緒に暮らしたいと言い出す。傷心のサラはヨーロッパ旅行に出かけるが、また戻ってくる。一方、サラの弟のロバート(ジョン・カサヴェテス:画像右)は有名な作家だが、酒と女に明け暮れる放埒な生活を送っている。或る日、昔付き合っていた女が男の子を連れて突然尋ねてきて「あなたの子よ。私は今夜は用事があるから一晩預かって」と言い残して去ってしまう。やがて帰国したサラが弟を頼ってくるが、彼女の振る舞いは狂気の度合いを増していき・・・

 予定調和的なところがいささかもなく、各人物が狂気と放埒さの中で生きていく様子が描かれている。私としてはロバートの、有名作家としての勝手気ままな暮らしにちょっと「いいな」と思えるところがあった。女をとっかえひっかえして暮らせたら、ということである(笑)。一方、中年女性サラの右往左往は「はた迷惑」という印象のみ。こういう女性とはお付き合いしたくありません。

 ただし、前半はまあまあ面白く見られたけれど、後半はだんだん飽きてきた。20分くらい削ったほうがいい。

 カサヴェテス特集(ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ)は、東京では6月24日の封切だったが、新潟市では4ヵ月あまりの遅れでシネ・ウインドにて公開中。この「ラヴ・ストリームス」は本日(11/4)午後6時からが最後。カサヴェテス特集そのものは11/10(金)まで。

 最近の産経新聞と毎日新聞の書評欄から面白そうな2冊を紹介しよう。
  (以下の引用は一部分です。全文は付記したURLから各紙のサイトでお読み下さい。)

 まず、こちら。

 https://www.sankei.com/article/20231008-BIXZPT4H5NPKJNTYNC2NEA6XWA/
 【ロングセラーを読む】
 リチャード・ニクソン著、徳岡孝夫訳『指導者とは』(文春学芸ライブラリー・1980円)
 評 = 花房壮(産経新聞文化部)
 2023/10/8 12:30

 ■政治家よ、悪を飼い慣らせ

 (前略) 永田町で解散風が徐々に吹き始めた今、本欄で紹介したいのは元米大統領、リチャード・ニクソン(1913~94年)の『指導者とは』だ。政治家並びに政界を目指す人にとっての必読書として知られる。ウオーターゲート事件により任期途中で辞職するなど今でも毀誉褒貶(きよほうへん)あるが、その書の影響力は衰えていない。訳者あとがきに「負け犬の悲哀も味わったニクソンの回想は、いつの時代にも、指導者たらんと志す者の耳に、響くものを持っている」とあるように、平成25年(単行本は昭和61年)刊行の本書は現在7刷。偶然入った都内の書店には3冊も並んでいた。

 まず断っておくが、本書は清廉潔白な政治家のための指南書ではない。「一つだけ、はっきり書いておきたいことがある。偉大な指導者は、必ずしも善良な人ではない」。こう記すニクソンの念頭にあるのは「権力を壮大な規模において行使し、国家や世界の歴史の流れを変えた人々」。本書で取り上げたチャーチル、ドゴール、マッカーサー、吉田茂、アデナウアー、フルシチョフ、周恩来はいずれも権力への強烈な執着を貫いた指導者だが、中でも激論を交わしたフルシチョフの人物描写と共産主義体制の分析は出色だ。

 「人々は、偉大な指導者を、あるいは愛し、あるいは憎む。だが、どっちつかずではいられない」。指導者と国民との関係性をこう見抜くニクソンの筆は、指導者のリアルな条件についても明示する。不可欠なのは一般的に悪とされる「陰険さ」「虚栄心」「権謀術数」だ。なぜなら、陰険さがなければ、互いに対立する派閥をまとめていくことはできない。虚栄心がなければ、国民に自己の地位を正しく印象づけることはできない。そして権謀術数を用いなければ、大事にあたって目的を達成できない場合が多い。

 (以下略)

                                            *

 政治家について論じた本としてはマックス・ヴェーバーの『職業としての政治』が有名だけれど、本書もその系譜に連なる書物らしい。といっても私はこの書評を読むまでその存在すら知らなかったのではあるが。

 一般にはニクソンはウォーターゲート事件で失脚したこともあり、悪役のイメージで捉えられることが多いが、実際はなかなか複雑な人物だったようである。そもそもそういう人間でなければ政治家には向いていない。

 本書はその意味で政治家を深く理解するために役立つのではないか。


 お次はこちら。

 https://mainichi.jp/articles/20231028/ddm/015/070/018000c
 五味文彦・著『明日ヘの日本歴史 全4巻』(山川出版社・各2750円)
 評 = 三浦雅士(評論家)
 毎日新聞 2023/10/28 東京朝刊 

 ■地政学的都市論としての日本通史
 通読して感銘を受けた。四百頁前後の本が四冊、日本通史の圧縮版だが、生きた人々の息遣いが感じられて、読みやすい。

 歴史が魔力を持つことは、現在の国際紛争を見るだけで分かる。魔力は人々の幻想が力を持つことから生じる。学校で隣国への憎しみを教える国は少なくない。歴史はつねにプロパガンダと紙一重であり、その手法をマルクス、ラサールから学んだのがビスマルクであり、引き継いだのがヒトラーであると言われる。いまなお、歴史はプロパガンダの汚名を引き摺(ず)っているわけだが、それでは学問としての歴史は成立しえないのか。著者は、いや、成立しえる、と答える。叙述の仕方にその思想が滲み出ている。

 半世紀を超える昔、実存主義を標榜するサルトルが、新登場のレヴィ=ストロースの構造主義を痛烈に批判した。構造主義には歴史がないというのだ。だが、それに対してレヴィ=ストロースは、大昔のことは数千年、数万年の時間軸で測り、現代のことは年単位、月日単位で語って恥じない歴史など、そもそも科学とは言えないと反論した。構造主義人類学は歴史をも考古学的視線のもとに見る、と。論争は、歴史と考古学の対立関係をよく示している。フーコーの『知の考古学』の背景だ。

 本書の主題を端的に言えば、歴史と考古学の対立、さらには民俗学、神話学、人類学との対立の解消であり、総合である。膨大な時間を生きてきた人間が成してきたことの集積として見れば、すべてはひとつになるはずだ、と。

 著者は『古事記』冒頭の神話から語り始める。その後に縄文時代、弥生時代、古墳時代の記述が続き、さらに王朝の人々の生き方に移る。祖述が違和感を与えないのは生きてゆく人間の姿を追うことにおいて一貫しているから。神話を構想した人々、土器にその生活を反映させた人々、国というまとまりを作った人々。中国の史書の視線が導入されても、そこに同じ等身大の人間の所業を見ることにおいて変わりはない。神話学、考古学、歴史の手法が寄り合わさって、一回り大きい歴史の叙述を作る。

 (以下略)

                                          *

 評者である三浦雅士氏の「歴史はつねにプロパガンダと紙一重」という言葉が鋭い。
 
 歴史学者は信用できるか、というのが一般の読書人が抱いている疑問であることに、歴史学者はどの程度気づいているだろうか。菅義偉・前首相が日本学術会議の推薦した新会員候補のうち6名について任命を見送って大問題になったが、その中に歴史学者が含まれていたのは、偶然ではない。念のため、私は菅・前首相の任命見送りは妥当性を欠くと考えるものである。しかし一般に流布している歴史学者への不信感がなければ、菅・前首相も敢えてああいった行為には走らなかっただろうとも思う。この不信感を、歴史学者はもっと真剣に受けとめたほうがいい。

 そういう意味で、「信用できる」歴史学者の書物が紹介された本書評は、注目に値する。歴史学は、人間の営みを総合的にとらえて初めて可能になる。単に時間の軸に沿って表面的に事件をなぞっていけば歴史記述になるわけではない。そうした洞察力のない歴史家は、存在する価値がない。

c2f09a66cca1de798dce0fb2f984fa08[1]
10月29日(日)午後2時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
1000円(前売、全席自由)

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 新潟室内合奏団の演奏会はこれまでは午後6時45分開演が恒例だったと思いますが、今回は昼過ぎに変更になりました。同時に、配布されたパンフレットのデザインも従来とは違っていました。ポスターもです。

 1階と2階にのみ客を入れていましたが、1階の後半と2階正面Cブロックはまあまあの入り。1階前半と、2階B・Dブロックはぱらぱらでした。それでも400人くらいは入っていたでしょうか。私はBブロックのCブロックに隣接した席で聴きました。

 指揮=近藤高顕、コンマス=井口歩
 モーツァルト:「劇場支配人」序曲
 ハイドン:交響曲第103番「太鼓連打」
 (休憩)
 ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

 今回は古典派三巨匠を並べたプログラムです。私のお目当てはハイドン。いい曲だと思うんですが、なかなか生で聴く機会がありません。もっともベートーヴェンの「田園」も久しぶりです。ただし、11月の東響新潟定期でもジョナサン・ノットの指揮で「田園」が演奏される予定。地方都市の演奏会は一回一回が貴重なんですが、なぜかこういう「重複」現象がおこりがち。

 そのお目当てである「太鼓連打」なんですが、最初の太鼓連打の部分を聴いてびっくり。ダイナミックに大きな音を立ててティンパニが鳴り響いています。
 「えっ、この曲、いつからこういうふうに演奏されるようになったんだ!?」と思いました。私の持っているディスクはオイゲン・ヨッフム指揮のロンドン交響楽団によるLP(ロンドンセット全12曲)と、アダム・フィッシャー指揮のオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団によるハイドン交響曲全集のCDに入っているものですが、いずれも最初の太鼓連打の部分は慎ましやかに、小さな音で叩いているからです。

 あとでパソコンで調べてみたら、ネット上に載っている新しい演奏では今回のようにダイナミックに叩いているものもありました。しかし、どうなんでしょう、ウィキでこの曲を調べても、最初の太鼓連打の部分の楽譜にはPPという指示があるんですよね。つまり、小さな音で叩け、ということです。それとも、最近の楽譜ではそのあたりが修正されているんでしょうか? ちなみに配布されたパンフではその辺については何も書かれていません。
 まあ、それはさておき、全体の演奏は悪くありませんでした。

 後半の「田園」も、久しぶりに生で聴いたこともあり、音楽の情感にひたることができました。
 アンコールはなし。これもこの団体としては珍しい。


【追記(2023・11・20)】 ハイドン「太鼓連打」の演奏について、この楽団のティンパニ奏者である福田俊行氏から貴重なご意見をいただきました。こちらに掲載してあります。 

640[1]
今年映画館で見た125本目の映画
鑑賞日10月27日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 石井裕也監督・脚本作品、140分。

 折村花子(松岡茉優)は若くして自分の発案した映画の監督に抜擢されたが、業界の常識を振りかざす男性助監督とことごとく対立して、しまいには下ろされてしまう。花子はたまたま知り合った青年(窪田正孝)と一緒に実家を訪れ、映画のモチーフとなっている自分の母のことを父(佐藤浩市)に尋ねる。母は行方不明になっていたが、詳しい事情を知らなかったからだ。しかしそこに花子の長兄(池松壮亮)と次兄(若葉竜也)が加わって、もともとまとまりが悪かった家族は紛糾し・・・

 前半は悪くない。空気を読まない若手女性監督と、万事を「常識」「慣行」で片づけようとする男性助監督の丁々発止が見どころ。ここをもっと徹底的に、映画業界全体の問題として展開していたら傑作になっていたと思う。

 しかし後半の家族物語は凡庸。特に、最初は仲の悪かった4人がまとまっていくあたりの展開がきわめてありきたりで、うんざりしてしまう。

 石井裕也は先日紹介した『月』が(例外的に)秀作だったのだけれど、この『愛にイナズマ』で元の水準に戻ったようだ。『月』は原作が優れていたから映画も出来が良かったんでしょう。

 新潟市では全国と同じく10月27日の封切で、ユナイテッドにて単独公開中、県内他地域ではTジョイ長岡と上越市のJ-MAXでも上映されている。
 私は封切日の昼の回(1日4回上映の2回目)に足を運んだのだが、20人くらいの入りだった。

640[1]
今年映画館で見た124本目の映画
鑑賞日 10月26日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 岩井俊二監督・脚本作品、178分。

 東日本大震災を背景に、家族を亡くした人間が他者とつながっていく様子を描いている。また、歌手のアイナ・ジ・エンドが二役(姉妹)を演じつつ、歌も披露しており、この作品は歌手としての、そして女優としての彼女に大きなものを負っている(画像左)。

 ほかに松村北斗(画像右)、広瀬すず、黒木華なども登場するけれど、アイナ・ジ・エンドに比べると影が薄い。私はこの映画を見るまでアイナ・ジ・エンドの名前すら知らなかったけれど、とにかく彼女によって成り立っている作品である。

 三時間という長尺の映画だが、退屈せずに見ることができる。

 新潟市では全国と同じく10月13日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中、県内他地域のシネコン3館でも上映されている。
 もっとも、私は封切後2週間してようやく劇場に足を運んだせいか、木曜日の午後の回の観客は5名ほどだった。

・7月5日(水) 産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20230705-M2UDTU6IYJJ5RASEIVR4PN3LBQ/
 【くじら日記】韓国・長生浦旅行記② 太古の「盤亀台岩刻画」
 2023/7/5 13:00

 今年5月、韓国・蔚山(ウルサン)広域市南(ナム)区の祭典「2023蔚山クジラ祭り」が長生浦(チャンセンポ)クジラ文化特区を舞台に開かれました。鯨類の学術研究と教育を目的に南区と協力関係を結ぶ和歌山県太地町からは筆者が参加し、交流を深めました。

 捕鯨で栄えた長生浦のクジラとの関わりは1890年頃からですが、クジラ捕りの起源については、さらに時をさかのぼります。1970年代に発見された1つの岩刻画(アムガクファ・岩面彫刻、線刻画)から、その歴史がひもとかれたといいます。その遺跡「盤亀台(パングデ)岩刻画」がある蔚州(ウルチュ)郡へと向かいました。

 長生浦から西側に進むと、起伏に富んだ農村地帯へと景色が変わりました。標高千メートル以上の山々が連なります。1時間ほどで蔚州郡の「盤亀台」に着きました。山と川が織りなす周辺の地形が、カメが伏せた姿に似ていることから、その名がついたと言います。

 車を止め、遺跡までは徒歩で移動します。小川を越え、竹林を抜けます。途中、比較的原始的な形質を残すチョウセンスズガエルがいたり、恐竜の足跡が残された岩があったりと、移り行く景観とともに、時をさかのぼっていくかのような行程でした。15分ほど歩くと視界が広がり、大谷川(テゴクチョン)の対岸に幅8メートル、高さ5メートルほどの岩壁が見えました。

 岩壁に目をこらすと、一面に何かが描かれているのがわかりました。ガイドのキム・ギョンスクさんは「岩にはクジラを始め、海や陸、空の動物、そして狩猟の様子など約300点が描かれている」と説明してくれました。そして「この岩刻画は3500年前から7千年前である先史時代に刻まれた。切り立つ岩が屋根の役割をし、雨風から守られたことで今も残っている」と力強く言葉をつなぎました。

 日は次第に傾き、西日が岩刻画を照らし始めました。すると、陰影が浮かび上がり、絵がはっきりと見えてきたのでした。クジラはコククジラなど数種類が特徴的に描かれ、また子連れで泳ぐ姿もありました。

 しばらく岩刻画に見入り、先史時代のクジラ捕りの暮らしと、長い年月にわたりそれを形に残してきた岩刻画に思いをはせました。

 韓国の国宝にもなった盤亀台岩刻画ですが、問題も抱えています。大谷川下流の太和江(テファガン)は蔚山広域市の飲料水に使われており、岩刻画が発見される以前にダムが建設されたのでした。つまり、ダムの貯水によって、岩刻画は年間約40日間、水に浸っており、浸食の危機にあるようです。キム・ギョンスクさんは「先史時代から伝わる岩刻画を守りたい。しかし、太和江の水は蔚山の生命の水でもある」と苦しい胸の内を明かしました。

 蔚山岩刻画博物館と長生浦鯨博物館では岩刻画の研究を進め、資料の保存と展示を通して後世に伝える役割も担っています。先史時代に刻まれた岩刻画が後世に残るかどうか、彼らは懸念しているのではないでしょうか。(太地町立くじらの博物館館長 稲森大樹)


・7月7日(金)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20230707/orc/00m/200/082000c
 クジラをめぐるドキュメンタリー『鯨のレストラン』公開決定
 2023/7/7 14:00(最終更新 7/7 14:00)

 日本の高度成長期時代、日本人のタンパク源のトップだったクジラ。牛や豚、鳥よりもクジラが多く食されていた。クジラは今では輸入に依存しているが、「輸出」までしていた。全盛期の日本での消費量と比べて現在では1%までに衰退したクジラ産業。そんなクジラを“食”と“科学”の側面から語り尽くすドキュメンタリー『鯨のレストラン』が9月2日より、東京・新宿K’s cinemaで公開されることが決定した。

 監督を務めたのは、世界中のメディアが報じた『ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~』の八木景子。もともとクジラとは何の所以もなかった。ましてや、映画製作の経験すら全くなかった2011年、東日本大震災時に奇しくも石巻市でボランティアに参加していた。後に、和歌山県・太地町を舞台に処女作である映画『ビハインド・ザ・コーヴ』の撮影をしていた14年に石巻市が「日本最大の捕鯨基地」と知り、驚愕したという。多くの偶然が起き、人生の転換期にひょんなことから、クジラの問題に関わることとなった。

 八木監督が「今、伝えなくてはいけない」という使命感を持って、8年越しで完成させた本作は、自然資源のルールを決める国際会議と無縁のクジラ専門店の大将と、国際会議の主要人物の証言を記録したもの。

 予告編に登場するのは、国内では手で数えるほど数件になってしまったクジラ専門店「一乃谷」を営む大将、谷光男さん。全国のクジラ店からも一目おかれ尊敬されている彼が、東北から上京して東京・神田に「一乃谷」として、お店を構えたのは、宮城県・石巻市で東日本大震災が起こる1年前の2010年のことであった。

 映画では、クジラの料理としての魅力だけではなく、環境問題にも触れ、科学的な見地から現代におけるヴィーガンブームからの森林伐採を含め「タンパク源」のバランスの問題にも向き合う。

 動画】映画『鯨のレストラン』予告編(下記URL)
    https://www.oricon.co.jp/news/2286157/embed/video/?anc=014


・7月16日(日)  読売新聞インターネットニュースより。

 https://www.yomiuri.co.jp/national/20230716-OYT1T50105/
 イルカに衝突され、60代男性があばら骨折る重傷…昨年から被害相次ぐ福井・美浜町
 2023/07/16 12:10

 16日午前4時10分頃、福井県美浜町の水晶浜で、遊泳していた岐阜県可児市の60歳代男性がイルカに衝突され、あばら骨を折る重傷を負った。周辺では昨年から海水浴客がイルカにかまれる被害が相次いでおり、県警が注意を呼びかけている。

 発表では、男性はビーチの沖合5メートル付近で家族らと遊泳中、近づいてきたイルカにぶつかられた。両手をかまれて軽いけがも負ったという。


・7月17日(月)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20230717-IIVFC7ZH2FON7FLZHCZNATDHMU/
 JAPAN Forward 日本を発信
 信頼される新メディアへ
 2023/7/17 10:00

 JAPAN Forward Celebrates Six Years of Sharing News From Japan With the World

 (日本のニュースを世界に発信するJAPAN Forwardが6周年を祝う)

               ◇

 英語ニュースオピニオンサイト「JAPAN Forward」(JF)が先月、正式にサービスを開始して6周年を迎えた。まったくのゼロからスタートしたJFは、3年に及ぶコロナ禍を乗り越え、日本発の英語メディアとして急成長を続けている。なぜ、JFなのか―。この場を借りて現状を報告し、その未来像を描いてみた。

 上の英文(日本語訳)は先月29日、日本プレスセンター(東京・内幸町)でJF6周年の夕べが開催されたことを伝えたJF記事の見出しである。

 「夕べ」は、JFの支援者や支援企業などに加え、東京都の小池百合子知事や齋藤健法相といった各界著名人ら約170人が参加して盛大に執り行われた。

 まず、主催者を代表して太田英昭JF代表理事が挨拶し、「日本の姿を世界に伝えようと努力してきた明治の先人たちに思いをいたし、これからも日本と日本人について英語で発信を続ける」と決意を表明。続いて産経新聞社の近藤哲司社長が登壇し、「国益を基本とした産経新聞の主要記事がJFによって英語で発信されることで、欧米を代表とする既存メディアが繰り出す偏見や誤解への強い反論につながっている」とその活動を評した。

 (中略)

 「資金や人材、経験がゼロ」の中、わずか3人でスタートしたJF。当初は、1本の記事を掲載するのにも苦労したが、そのチームは十数人に増えた。主要サイトのJFに加えて、地球環境とSDGsを中心に扱う新メディア「Japan2Earth(J2E)」や日本視点のスポーツ専用サイト「SportsLook(SL)」、そして鯨類研究と捕鯨文化を扱う専門サイト「Whaling Today」の4つのユニークな英語メディアを展開するまでになった。

 現在、毎日7~9本、年間2600本以上のコンテンツを発信。月間PV(ページビュー)は120万を突破し、SNSのフォロワー数は140万と、日本の新聞社系英語メディアでは断トツだ。JFは、小粒でも世界に読者やファンをもつグローバル・ネットメディアに成長した。

 読者の7割は、将来、社会のエンジンとなるアジアや欧米の若者たちだ。日本に関心がある世界の若者たちがJFを通して日本の価値を理解し、世界の変革に寄与してくれることを、私たちは強く望んでいる。

 (以下略)


・7月19日(水)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20230719/ddl/k12/020/110000c
 ツチクジラが今年初水揚げ 南房総・和田漁港 /千葉
 毎日新聞 2023/7/19 地方版 

 全国で4カ所、関東では唯一の沿岸小型捕鯨基地となっている南房総市の和田漁港に18日、今年初めてツチクジラが水揚げされた。

 地元の捕鯨会社「外房捕鯨」の捕鯨船が17日に捕獲した2頭で、ともに全長約10メートルのオス。肉を熟成するため海中に置かれた後、それぞれ同日午前3時、8時ごろから同社作業員たちによって解体された。

 ツチクジラは国際捕鯨委員会の規制対象外。外房捕鯨の水揚げは2020年以降、年間9頭ずつと不漁が続いていたが、今年は操業初日に2頭と好調な出だしとなった。同社の庄司義則社長(62)は「例年より漁の開始が遅くなったが、今年は20頭程度を捕獲したい」と話した。【岩崎信道】

150685[1]
評価 ★★★☆

 3年半前に出た新書。先日ここで紹介した佐藤優『国難のインテリジェンス』で紹介されていたので読む気になったもの。
 著者は1949年生まれ、慶大経済卒、早大大学院商学研究科修士課程修了、慶大大学院商学研究科博士課程満期退学、博士(会計学、青学大)、青学大名誉教授。

 会社や学校などで不祥事が起こると第三者委員会が立ち上げられる。第三者委員会の報告書は、一般には客観的で事件の真実に肉薄したものと受け取られ、新聞もしばしば無批判的に受け入れる。しかし第三者委員会の報告だからといって頭から正しいと信じ込んでいいのか、そもそも第三者委員会を立ち上げるためには必要な条件があるのに、それをクリアしていない第三者委員会が少なくないのではないか、というのが本書の言わんとするところである。

 第三者委員会というと欧米の制度を真似たもののように考えられがちだが、実はそうではなく、よくも悪くも日本的な制度なのだという。欧米では、例えば企業で不祥事が起こると、社外取締役が調査を担う場合がほとんどだという。むろん社外取締役という制度がしっかりと存在していることが前提条件になっているわけではあるが。

 日本の第三者委員会が本当にきちんと機能しているのかどうかを調べるため、「第三者委員会報告書格付け委員会」が2014年に立ち上げられた。著者はそのメンバーのひとりで、唯一会計学の専門家として加わっているという。ほかに弁護士5名、ジャーナリスト2名、法科大学院教授1名が入っていて、合計9名で構成されている。本書はその「格付け」をふまえて書かれている。

 合計10の事案(第三者委員会による不祥事の調査)が取り上げられているが、そもそも第三者委員会を立ち上げるにあたっては基本的に守らなければならない条件がある。
 まず、委員が独立性、中立性、専門性を持つこと。例えば企業の不祥事なら、その企業に利害関係も持つ人間を入れてはいけない。中立的な立場で問題を検討できる人材でなければならない。そして専門的知識がなければ、事態を正確に捉えて、不祥事の原因は何かを突き止めることもできない。
 ところがこういう基本的なところですでに失格である第三者委員会も少なくないと本書は指摘する。

 また、必要なデータや資料をどこから入手するかという問題もある。不祥事を起こした企業からデータをもらっていたのでは、正確な分析や批判ができるかどうか怪しい。不祥事にしても、企業の組織自体に問題があるのか、特定の人間に問題があるのかを正しく見分ける能力がなければならない。そうでないと、例えば組織そのものに問題があるのに、蜥蜴の尻尾切りの如くに、特定の人物に全責任を負わせてその他はすべて免責、ということになりかねないからだ。実際、企業がいちど不祥事を起こしたので第三者委員会を立ち上げたが、その後も性懲りもなく不祥事を繰り返し、合計三回も第三者委員会を立ち上げた企業もあるという。要するに最初の二回は八百長だったわけだ。

 現代では、企業などが不祥事を起こすとマスコミから大々的に叩かれる。そのとき、第三者委員会は一種の逃げ込み寺になるという。「第三者委員会を立ち上げて調査します」と言えば、とりあえずマスコミの批判は沈静化するからだ。そしてやがて第三者委員会が報告書を出すと、マスコミはおおむね無批判的に受け入れる。マスコミ自身が、委員会の報告書をしっかり吟味するだけの能力を持たないからだ。これが日本企業の体質改善をむしろ妨げていることに、気づいている人は少ないという。

 日本企業の不祥事ということで代表的な例はオリンパスの不正会計事件だという。バブル期に本業とは無関係な金融商品に投資して大幅な損益をこうむったのが発端だった。これを隠蔽した結果、社長や副社長が東京地裁で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。監査法人も長年のごまかしを見抜けなかったということで、金融庁から業務改善命令を出された。
 この事件を最初に告発したのは、2011年に社長に就任したマイケル・ウッドフォード氏、つまり外国人だった。これによりオリンパスは「監理銘柄」(上場廃止の可能性がある銘柄)に指定される。この事態に慌てたのが中央省庁だった。低迷が続く日本のものつくり産業の中で盤石の世界シェアを誇るオリンパスが、外資に買われるようなことがあってはならないと考えたのである。東証もここに加わって、第三者委員会がもうけられた。元最高裁判事を委員長とするこの第三者委員会は、わずか一ヵ月で報告書をまとめ、経営陣の刷新や関係者への責任追及を求めたのである。その結果、オリンパスは上場廃止の危機を逃れ、外資に買われる可能性も遠のいた。著者は、「国策」としての第三者委員会が大きく認知されたのはこの事件によっていたと、いささか皮肉交じりの口調で語っている。(216ページ以下)

 本書はそのような、第三者委員会のあり方を原理的に述べ、場合によっては不祥事の隠れ蓑になりかねない委員会の問題点を論じた本として優れている。

 ただし、具体的に取り上げられている事例は、読んでいてもさほど詳しく分析されておらず、やや物足りなかった。実務的な企業についての例は私の判断能力を超える部分もあるので、以下では私が興味を持つ事例に限定して指摘したい。

 まず、事例4の東京医科大学入試差別事件である。女子受験生と多浪生が入試に際して不利な扱いを受けていたことが発覚した事件だった。この件を調べる第三者委員会が、具体的に誰がどの程度の不利な捜査をこうむっていたかを明らかにした点を著者は評価しつつも、その奥にあるもの、つまり理事長や学長へのヒアリングを行わず、責任の所在がどこにあるのかを曖昧にしたことを批判している。
 
 しかし私に言わせれば、この問題には別の光が当てられてしかるべきだろうと思う。つまり「不正入試」は本当に不正だったのか、という問題である。

 多浪生は入学後の成績面で問題がある、ということは大学教師なら誰でも知っている。つまり、「三浪生よりも(少しだけ入試の成績の悪い)現役生をとったほうがいい」と考えることはあり得る。(同じように、都会で小さい時から受験技術を叩き込まれてきた受験生よりも、受験体制が整っていない地方からの出身者を、と考えることもあり得ると思う。)
 また、女子の場合も、実際に医者として勤務してから出産などで欠勤が多くなるとか、女子は外科医を志望する割合が少ない、といった問題もあるだろう。

 医学部・医学科や医科大は、法学部や経済学部と違い、特定の職業人(つまり医師)を養成するための学部である。実際に医師として勤務する場合のことまで考えて入試の合否判定を行うのが悪いと断定していいかどうか、まずそこから考えるべきだろう。

 ところが著者はその辺にはまったく触れていない。大学人でもある著者の見識を疑いたくなる不備である。

 次は事例8で取り上げられている朝日新聞の慰安婦報道についてである。

 著者がそこで展開している朝日新聞への批判や、第三者委員会の報告書の不十分さへの指摘はその通りだと思う。
 しかしこの問題については、読売新聞や産経新聞がすでに批判的検証を行っており、それぞれに本も出している(読売新聞編集局『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』〔中公新書ラクレ〕、産経新聞『歴史戦 朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を撃つ』〔産経新聞出版〕)。
 そうした前提で読むと、本書での著者の記述は、第三者委員会の報告書への不満も含めて展開が不十分だし、この問題が韓国でも朴裕河の著書への裁判という形で広がりを見せていたことにも触れておらず、通り一遍という印象しか残らなかった。

 以上のように、具体的な事例に関する記述には物足りなさがかなりあると言わざるを得ない。

 新潟大学図書館から借りて読みました。

 クレージーキャッツの一員だった犬塚弘氏が26日(27日とも)に94歳で亡くなり、このグループのメンバーは全員が故人となった。

 言うまでもないけれど、この記事の目的は犬塚氏の、或いはクレージーキャッツというグループの活動の全容を述べることではない。あくまで私の個人的な感想を綴ることである。

 私がクレージーキャッツの姿にTVで接したのは1960年代前半のことだった。厳密にいつであったかは覚えていない。彼らが出演しているTV番組「シャボン玉ホリデー」のことであったのか(この番組は1961年に始まり1972年に終わっている)、或いは他の番組だったのか、或いは映画館(当時は2本立てがふつうだったので、例えば怪獣映画を見に親に連れていってもらい、ついでに併映のコメディを見るという機会はあった)でのことであったのか。

 しかし小学校高学年から高校にかけて彼らの活動を毎週のように見ていたのは、やはり「シャボン玉ホリデー」があったからである。歌とコントによって構成されたTV番組だが、ザ・ピーナッツ、布施明、ザ・タイガースなどの歌に加えて、クレージーキャッツによるコントが大きな比重を占めていた。今考えてみても、彼らのコントはモダンで、日本風のいわゆる人情喜劇的なものとはすっぱり切れており、からっと乾いた感覚が新鮮であった。ハナ肇が寝たきり老人を演じる「おとっつあん、おかゆができたわよ」で始まる定番のコントにしても、日本風の湿っぽい設定をいかにしてひっくり返してコミカルな結末へと持っていくかが鍵になっていた。

 日本が高度経済成長をひた走りに走っていたさなかにあって、特大人気をほこった植木等の「無責任男」ぶりは、時代動向へのひそかで軽やかな批判ですらあったような気もする。いわゆる「反体制的な若者」「カウンターカルチャー」というのとは少し違い、サラリーマンらしく背広をきちんと着た植木等がコミカルに「無責任」を表現するとき、いかなる体制からも(反体制という名の体制からも)逸脱していく「個人」の登場とすら言いたくなる身のこなしが感じられたようにも思う。

 クレージーキャッツはこの植木等の人気が突出しており、さらにリーダーのハナ肇と、やや奥手のコメディアンといった印象がある谷啓の人気がそれに続き、この三人以外のメンバーはいわば脇役だった。

 犬塚弘氏も脇役だったが、脇役にもそれぞれのイメージや個性があり、私の印象では犬塚氏は「おじさん」という形容がぴったりする人だった。その辺を歩いている中年男としての「おじさん」である。「おじさん」という言葉に、犬塚氏ほど合う人はいなかった。つまりそれこそが犬塚氏の持ち味だったのである。

 犬塚氏は映画にも多く出ているが、ほとんどはクレージーキャッツの一員として、或いは脇役としてで、主役を演じている作品はほんのわずかである。私はその中では『素敵な今晩わ』(1965年)しか見ていないが、やはり主役よりは脇役で味が出る人だったと思う。

 クレージーキャッツは、リーダーのハナ肇が1993年に亡くなり、以後数年おきにメンバーが故人となっていった。ハナ肇死去は、当時大ニュースとして扱われた。今から振り返ってみると、バブルが崩壊していた時期にあたり、つまり高度経済成長とともに活動してきたクレージーキャッツの時代が終わったことを象徴的に示す出来事だったと見ていいだろう。クレージーキャッツはその5年前に映画『会社物語』に出演しているが、1988年はまさにバブルの時期で、そこで植木等が「今の日本は俺たちが作ったんだぞ」というセリフを吐いているのが印象的だ。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われた最盛期の日本。それを作ったのは、高度経済成長期に猛烈サラリーマンとして働いた人々だった。クレージーキャッツはコメディアンとしてミュージシャンとしてそれに寄り添い、サラリーマンの本音や諧謔を代弁する存在でもあったのである。

 犬塚弘氏はそうした役割をになったクレージーキャッツの、脇役ではあってもなくてはならない一員だった。ハナ肇死去からちょうど30年。一世代分の時間が経過していた。

 つつしんで犬塚弘氏のご冥福をお祈り申し上げる。

d73ee1cfc9d1418a[1]
今年映画館で見た123本目の映画
鑑賞日 10月24日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★☆

 アメリカ映画、マーティン・スコセッシ監督・脚本作品(脚本はエリック・ロスも)、206分、原題は邦題に同じ。原作はデイヴィッド・グランによるノンフィクションで邦訳も早川書房から出ているそうだが(『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン:オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生』)、私は未読。

 1920年代のアメリカ・オクラホマ州。先住民の住む土地に石油が出て、彼らは一転して裕福になるが、そのカネを狙って移住してくる白人もいた。
 青年アーネスト(レオナルド・ディカプリオ)は叔父ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってこの地にやってくる。先住民の女性モリー(リリー・グラッドストーン)に恋して結婚するが、やがてその姉が、そして母が不審な死に方をする。混迷が深まるなか、連邦捜査官がこの町を訪れて・・・

 3時間半もある長尺の映画である。監督がスコセッシ、俳優がディカプリオとデ・ニーロというふうに有名どころが名を連ねた作品なのであるが、出来はよろしくない。

 石油による先住民の富裕化、それによる暮らしの変化、移住してくる白人の思惑、連続殺人事件の様相、地元住民同士の確執や癒着、連邦捜査官の方針と操作手順と組織のあり方(原作の副題から分かるように、この事件がFBI誕生のきっかけになったらしい)・・・などなど、そのつもりになればいくらでも描くべきところがあり、したがって必然的に映画が長くなるのかと思うと、そうではないのだ。同じようなシーンの繰り返しが目立ち、事件の描写も表面的であり、連邦捜査官の組織や捜査の手順もあまり説得的には描かれておらず、全体の構図が(ばらばらなシーンの集積なので)途中まではよく分からず、ようやく最後の裁判になって見えてくるのだが、途中の断片的でありきたりなシーンと、最後の説明とが、しっかり噛み合っているとは思われない。

 スコセッシという監督の力量が疑われる無駄に長い駄作、と言っておこう。

 新潟市では全国と同じく10月20日の封切で、Tジョイを除くシネコン3館で公開中、県内他地域ではTジョイ長岡でも上映している。私が足を運んだ第一週火曜日午後の回は、十名に満たない入りだった。

 ドイツ作家トーマス・マンの生涯や作品に或る程度なじんだ人なら、トーマス・マン(およびその兄ハインリヒ・マン)の父は、代々続く穀物商会を経営していたが、1891年に膀胱ガンによって働き盛りの年齢で死去するに際し、当時20歳だった長男ハインリヒが跡を継ぐ意志を持たないこと、次男トーマスがまだ16歳のギムナジウム生であることなどを念頭において、商会を解散すると決めたことを知っているだろう。

 昔のドイツ文学者はいい加減だったから、トーマス・マンの父の商会は倒産した、なんて間違いを書く輩もいないではなかったが、とにかく父の商会は解散したというのが一般的な理解だったし、私もそう思っていた。

 しかし、最近出た『トーマス・マン年報』(Thomas Mann Jahrbuch, Bd.36, 2023)に載っている論文を読むと、この理解は必ずしも正しくないようだ。

 くだんの論文は、以下のようなタイトルであり、執筆者のRudolf Ernstはハンブルクで三代続く砂糖商会の社長であり共同所有者であるという。

 Rudolf Ernst: Die Liquidation, die keine war. Die Fortführung der Firma Joh. Siegmd Mann nach dem Tode des Senators Mann.  (Thomas Mann Jahrbuch, Bd.36, 2023, S.203-217)
  (ルドルフ・エルンスト: 解散ならざる解散。ヨハン・ジークムント・マン商会は市参事会員マンの死後も維持された)

 市参事会員マンというのはトーマス・マンの父のことであり、「ヨハン・ジークムント・マン商会」というのは市参事会員マンが先祖から受け継いで経営していた商会の正式名称である。なお原文でSiegmdとなっているのは、Siegmundの省略形である。JohannがJoh.と略記されているのと同じで、商会名には略記形が用いられていたのである。

 で、この論文の内容だが、まずトーマス・マンの父が経営していた穀物商会はリューベックで随一の規模であったから、仮にこの商会が解散して業務を完全に打ち切ったとすると、穀物の流通に関して大きな混乱が起こったはずだと指摘している。経営者である市参事会員マンが、そうした事情を知らないわけがなく、したがってその点に配慮をせずに商会を解散するという行為に及ぶはずがないというわけだ。

 この商会には、実際はしばらく前から共同経営者がいた。ハンス・クリスティアン・ヴィルヘルム・エッシェンブルクという人物である。市参事会員マンは、何代か続いた「マン」の名がついた商会は解散したが、その業務はそっくりこのエッシェンブルクという人物に譲り渡した、というのがこの論文の指摘するところである。

 論文には市参事会員マンとエッシェンブルクの関わりや、マン商会の穀物取扱量などについても細かい記述があるのだが、それは略して、簡単な事実だけを引用すると、トーマス・マンの父の商会はリューベックのベッカー通り52番地(Beckergrube 52)にあったが、1891年に父が死ぬと、エッシェンブルクの商会が同じ住所で業務を引き継いでおり、電話番号「リューベック150」もそのまま用いられていたという。そして1905年になってエッシェンブルクの商会は移転したが、業務内容に関してはトーマス・マンの父の時代とほとんど変わりなかったという。

 また、エッシェンブルクはオランダ領事(コンズル)を務めていたが(『ブッデンブローク家の人々』を読めば分かるように、この時代の豪商はしばしば領事職を兼務した)、1915年に辞職してこの役職をパウル・アルフレート・マンに譲った。パウル・アルフレート・マンは市参事会員マンの甥(したがってトーマス・マンの従兄。市参事会員マンの異母兄の息子。トーマス・マンの祖父は最初の妻に先立たれて再婚し、後妻との間に市参事会員となる息子をもうけた)であり、その父はエッシェンブルクの前にオランダ領事職にあったという。

 エッシェンブルクは第一次世界大戦が終わる1918年に76歳で死去した。そのあと商会が運営された、或いはどこかに業務を引き継いだ形跡はないという。したがってトーマス・マンの父の商会は、実質的には第一次世界大戦終了時点まで続いた、ということになるようだ。

640[1]
今年映画館で見た122本目の映画
鑑賞日 10月21日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★★

 石井裕也監督・脚本作品、144分、辺見庸の原作小説は未読だが、2016年に相模原市の知的障害者施設・津久井やまゆり園で元職員により入所者19人が殺された事件が材料になっている。

 堂島洋子(宮沢りえ)は作家だが、最近は書けなくなっており、また夫(オダギリジョー)はアニメ作家ではあるものの売れていない。洋子は収入を得るために重度障害者施設で働き始める。そこには作家をめざす陽子(二階堂ふみ)や、絵を描くのが好きな青年・さと君(磯村勇斗:画像を参照)が勤務していた。やがて洋子は施設内で収容者に対する虐待が行われていることに気づくが・・・

 かつてもうけた子供が障害のために長生きできなかった痛みを抱えた主人公夫婦は、妻が再度妊娠したものの生むかどうか悩んでいる。この夫婦に加えて、それぞれに創作への意欲を持つ人々の姿を通して、人間の生きる意味に様々な方向から光を当てながら、徐々に惨劇へと収斂していく進行が秀逸。事件前に洋子とさと君が交わす会話もよくできている。

 これまで石井裕也の映画を何本か見て、いいと思ったことがなかったが、本作は例外的によくできている。原作が優れているのかな。材料が材料だからかも知れないが。

 新潟市では全国と同じく10月13日の封切で、Tジョイにて単独公開中。新潟県内の他地域ではTジョイ長岡で、そして本日(10/28)から上越市の高田世界館でも上映がある。
 私が足を運んだ2週目土曜日夕刻は十人ほどの入りだった。どういうわけか全国的にも上映館が少ない(100館に満たない)のだが、大人の映画ファンは是非!

a65de7ecf57c5175[1]
今年映画館で見た121本目の映画
鑑賞日 10月20日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★☆

 水田伸生監督作品、久松真一脚本、101分、真保裕一の原作は未読。

 政権政党の有力国会議員・宇田清治郎(堤真一)の幼い孫娘が誘拐された。犯人の要求はカネではなく、「おまえの罪を自白しろ」だった。宇田は、地元で新しい橋が建設されるに際して、有力とされていたルートを変更して友人の地権者に便宜をはかったとの疑惑を持たれていたが、国会での野党の追及には「そのような事実はございません」で通し、なおかつなぜか警察の捜査も途中で打ち切られていた。宇田は娘(誘拐された孫娘の母親)や、自分の秘書にしている次男(中島健人)から、真実を話すようにと強く求められるが・・・

 予告編からは社会派ミステリーとしてかなり面白いのではないかと思われたが、率直に言って期待はずれの映画だった。
 子供を誘拐された母親の愁嘆場など、感傷的なシーンが目立ち、政治家としての生命を絶たれても孫を救うか、或いは、という宇田のおかれた難しい立場の描写が不十分だからだ。「指揮権発動」の可能性が出て来るのだけれど、法相の指揮権発動なんて、戦後間もないころに佐藤栄作を救うために一度発動されて大騒ぎになった(法相は辞任し内閣も総辞職)という実例があり、それ以来敢行する政治家がいたためしがない。その辺でリアリティが欠如していると思う。

 加えて警察が誘拐事件の捜査に関してあまりに無能であり、それには宇田の利権事件、及びその打ち切りが尾を曳いているかのように描かれているのも疑問。警察は、宇田がどういう人間であれ、誘拐という重大事件が起こった以上ちゃんと捜査するものだと思うけど、なんかその辺の、この世の仕組みの基本的な捉え方が、この映画はナッテイナイのである。
 また、宇田とその次男の性格描写が一貫性を欠いているのも作品の印象を弱めている。

 原作のせいか、脚本家のせいか、監督のせいか、いずれにせよ残念な出来に終わった。

 新潟市では全国と同じく10月20日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。
 私が足を運んだ封切日昼の回は、10人強程度の入りだった。

1ae30e999b3875c1e53dc04ee950937d[1]
10月17日(火)午後7時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
Cブロック2-32、Sランク席5000円

 この日は標記の演奏会に足を運びました。女房同伴。
 ジュリアード弦楽四重奏団は以前にもりゅーとぴあに来たことがありましたが、そのときは長年勤めた第一ヴァイオリンが引退した直後で、それまでの第二ヴァイオリンが第一ヴァイオリンに回ったためかどうか、こぢんまりした演奏で、さほど感心しなかった記憶があります。

 ジュリアード四重奏団はジュリアード音楽院の四重奏団ですから、時々メンバーが入れ替わっています。今回は第二ヴァイオリン以外は女性という、昔の団体からするとがらっと変わったメンバー。ウィキ(英語版も含む)によると、第一ヴァイオリンとチェロは2010年代に、ヴィオラは2022年にメンバーに加わったようです(第二ヴァイオリンだけは前回りゅーとぴあに来たときと同じらしい)。チェロが黒人女性であるのも時代を感じさせます。
  第一ヴァイオリン:アレタ・ズラ
  第二ヴァイオリン:ロナルド・コープス
  ヴィオラ:モーリー・カー
  チェロ:アストリッド・シュウィーン

 客の入りはまあまあ。500人くらい入っていたでしょうか。

 今回はベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番を中心としたプログラムです。
 ドイツの作曲家ヴィトマン(1973-)の2曲はジュリアード四重奏団委嘱作品で、今回が日本初演だとのこと。いずれもベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番をふまえて作られています。
 演奏の後半では、ヴィトマンの曲とベートーヴェンの大フーガとが続けて演奏されました。

 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調op。130
 イェルク・ヴィトマン:弦楽四重奏曲第8番(ベートーヴェン・スタディⅢ)
 (休憩)
 イェルク・ヴィトマン:弦楽四重奏曲第10番《カヴァティーナ》(ベートーヴェン・スタディⅤ)
 ベートーヴェン:大フーガ変ロ長調op.133

 最初のベートーヴェンの第13番なんですが、「これでいいのかなあ」という気持ちで聴いていました。第一ヴァイオリンが変化(音量とテンポ)をつけ過ぎるからです。ベートーヴェン晩年の弦楽四重奏曲(特に第13~15番)は、中期の作品と違って四楽章のソナタ形式を脱し、組曲の色合いを濃くしています。しかしそれでいて全体の統一感がむしろ強まっているのは、第一ヴァイオリンが全体を統合する役割を果たしていて、そのためにはあまり変化をつけ過ぎずに、一定の音量とテンポで演奏し、緊張感を保つことが求められます。変化をつけ過ぎるとばらばらな曲の集成という印象しか残らない。まあ、それは私の考え方に過ぎないかも知れませんけど、その辺でどうかな、という気がしました。

 ちなみにジュリアード四重奏団でロバート・マンが長らく第一ヴァイオリンを務めた時代のこの曲のディスク(1969年録音)を聴くと分かりますが、上で私が書いたようなコンセプトでの演奏になっています。
 昔のジュリアード四重奏団だけではありません。ヨーロッパの四重奏団であるズスケ・カルテット・ベルリンのディスク(1979年録音)でも(ジュリアードよりはややニュアンスが豊かですけど)そうなっています。時代が変わったということなのかも知れませんが、好ましい変化なのかどうか、疑問です。

 ヴィトマンの2曲はいわゆる現代音楽で、むろん聴いたのは初めてでしたが、現代の作曲家ってのはこういう曲しか作れないのかなあ、と思いました。これじゃポピュラー音楽に負けて当然でしょう(笑)。

 最後の大フーガはよかった。この演奏会でいちばんいい演奏でした。或る意味、むちゃくちゃな曲なので、第一ヴァイオリンも変なニュアンスをつける余裕がなく、それがかえっていい結果を生んだのでしょう。

↑このページのトップヘ