隗より始めよ・三浦淳のブログ

「新潟大学・三浦淳研究室」の後続ブログが、この「隗より始めよ・三浦淳のブログ」です。2018年3月末をもって当ブログ制作者は新潟大学を定年退職いたしましたが、今後も更新を続ける予定です。2019年2月より週休2日制となりました(日・水は更新休止)。 旧「新潟大学・三浦淳研究室」は以下のURLからごらんいただけます。 http://miura.k-server.org/Default.htm 本職はドイツ文学者。ドイツ文学の女性像について分かりやすく書いた『夢のようにはかない女の肖像 ――ドイツ文学の中の女たち――』(同学社)、ナチ時代の著名指揮者とノーベル賞作家との対立を論じた訳書『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング)が発売中です。 なお、当ブログへのご意見・ご感想は、メールで以下のアドレスにお願いいたします。 miura(アット)human.niigata-u.ac.jp

読書と映画については★で評価をしています。☆は★の半分。
★★★★★=最高、★★★★=かなり良質、★★★=一読・一見の価値あり、★★=芳しからず、★=駄本・駄作

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今年映画館で見た110本目の映画
鑑賞日 9月28日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★★

 原田眞人監督作品、138分、深町秋生の原作小説は未読。

 駆け出しの警官だった頃、銃を携帯している男たちを目撃しながら、先輩警官の訳知り顔に忖度して殺人事件を阻止できなかった男(岡田准一)が、上部からの指令で、兼高昭吾の偽名を用いて日本有数の暴力団・東鞘会(とうしょうかい)に潜入し、やがて会の若手サイコパスである室岡秀喜(坂口健太郎)とコンビを組む。二人は若くして会のボスの座についていた十朱義孝(MIYAVI)の信頼を獲得して、そのボディガードとなり・・・

 暴力団に潜入捜査する警官の物語ではあるが、暴力団側の登場人物が多彩で、警察の動きと合わせて全体の構図はかなり複雑であり、一筋縄ではいかない映画となっている。暴力団側と潜入捜査官の欺し合いや心理的な抗争よりは、むしろ多様な登場人物とそれを演じる俳優の個性を味わい、また場面場面で入念に選ばれている書き割りの魅力を楽しむ――そんな映画になっている。加えて、兼高昭吾が危険な任務をあえて引き受けた動機、及びそれに関連して暴力団と警察以外の人間関係にも光が当てられているところに、妙味がある。多数の俳優、そして様々な建物や風景を惜しげもなく使っている、ゴージャスな映画だ。

 新潟市では全国と同じく9月16日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。

・6月7日(火)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20220607-Y3VU5I5SNFLORA4OQFBRFI6UBQ/
 わたつみの国語り 第2部
 (番外編)「白鯨」と「日本永代蔵」 捕鯨文学が描く資本主義の原像
 2022/6/7 08:00
 坂本 英彰 産経WEST

 格差拡大など資本主義の弊害に注目が集まる昨今だが、捕鯨を扱う日米古典文学の金銭への洞察が鋭い。ハーマン・メルヴィルの「白鯨」(1851年)と井原西鶴の「日本永代蔵」(1688年)。産業革命期の米国も「天下の台所」となる大坂も「マネー」が力の源泉だった。古式捕鯨をめぐる連載第2部「クジラがいた風景」の番外編として、捕鯨文学に現れた資本主義の原像を探った。

 米国の捕鯨船は19世紀半ば、世界の海を股にかけてクジラを捕った。潤滑油や灯火に使う鯨油の獲得が目的だ。日本に開国を迫ったのは、捕鯨船に水や食料を補給する港を確保する思惑もあった。ところが経済が時代を塗り替えていく。

 黒船来航(1853年)の前年、サンフランシスコ湾で撮られた写真には何十、何百という廃棄された捕鯨船が写っている。この直前の1848年にカリフォルニアで金が発見されると突如、ゴールドラッシュが始まったのだ。人やマネーの流れが急変した。

 「もうかる方に躊躇(ちゅうちょ)なくお金が動き、米捕鯨産業は急速に衰えました。東部の港を出て世界の漁場を巡った捕鯨船は、東部に帰らず西海岸に遺棄された。投資も人も金鉱に向かい、捕鯨船の墓場ができたのです」

 かつて米捕鯨の拠点だったマサチューセッツ州ニューベッドフォードにある捕鯨博物館の顧問学芸員も務める、和歌山県太地町歴史資料室の学芸員、桜井敬人氏はそのように解説した。

 ■新たな投資先
 「白鯨」が描くのは米捕鯨の黄金期で、作家になる前のメルヴィル自身も船員として経験している。

 捕鯨船ピークォド号の義足の船長、エイハブは、自らの片足を食いちぎった白い鯨を探して殺すことに執念を燃やす。その動機は稼ぎのために乗り組んだ船員たちには異様だった。エイハブと対照的に常識的な人物として描かれる一等航海士スターバックが、船長に詰め寄る場面もある。

 「(復讐(ふくしゅう)を果たしたとしても)いったい幾樽の油がとれますか?」「大した儲けにもなりますまい」

 そんな金まみれの実利主義こそエイハブが蔑(さげす)む対象だ。ところがエイハブは、この復讐は地球の周囲に並べたギニア金貨より価値が高いと相手の土俵で語ってしまう。何より16ドルのスペイン金貨を帆柱に釘付けし、こう宣言するのだ。

 「白い鯨を見つけた奴だぞ、その野郎にはこの金貨をくれてやるわ!」

 何のことはない。エイハブ自身も金勘定が席巻する枠組みの中にある。マネーが持つ巨大な力から、何人も誰も逃れられない構造が明るみにされるのだ。

 1859年に米東部ペンシルベニア州で地下からの石油採掘が成功すると、投資はどっと石油に向かう。海のオイルから、地下のオイルへ。米捕鯨産業を繁栄させ、そして壊滅させたマネーは、新たな獲物を見つけて乗り移ったのだ。

 ■西鶴の作品も
 西鶴が活躍した元禄期の大坂は商業資本家が台頭し、生まれながらの身分に関係ない新しい基準としてカネが重要になった。西鶴は「日本永代蔵」の一編「天狗(てんぐ)は家名風車(いえなかざぐるま)」で、骨から油を搾る知恵によって財を築く捕鯨家の天狗源内を描いた。物語はそこで終わらず、後半は一変する。

 --源内は毎年、西の宮の十日えびすに参詣していたが、その年は深酒がたたり寝過ごした。身代が傾くかもしれないと不吉なことを言う部下を切って捨てたい衝動を抑え、船を飛ばして神社に着く。夕闇が迫るなか神主たちは賽銭(さいせん)勘定を始めようとしていた。神楽を頼んだがおざなりに済まされ、立腹した源内は船に戻ると寝込んでしまう。

 すると、えびす様が船に乗り込んできて、こんなことを言う。世の人はせっかちで願い事だけ言ってさっさと帰ってしまう。気分次第で知恵を授けてやろうと思っていたが、そんな暇もない。遅く来たおまえは幸せ者だ、と。そこでえびす様は源内に、釣った鯛の鮮度を保つ方法を耳打ちした。弱った鯛の腹をとがった竹で突けば生き返るといい、これを実践して源内の商売はますます繁盛した--。

 シニカルを通り越した不条理といえる。源内が幸運にでくわしたのは深酒で遅参したためだった。神主は祈禱(きとう)よりも賽銭勘定に忙しく、えびす様でさえ「気分次第」で福を授ける投げやりな神様なのだ。

 ■スターバック
 経済小説の先駆などと前半を持ち上げる評論は多いが、実は後半こそ、浮世の気分を鋭くかぎ取った西鶴の真骨頂ではないか。「永代蔵」の別の箇所で西鶴は「人の本心が元来、空虚なもので、何かの事柄に応じて、心は善ともなり、悪ともなる」と書いている。

 カネは身分から人を解放するが、なまじ開かれたチャンスだけに誰もが競争に巻き込まれる。身分のような安定はないため、人は寝ても覚めても金への執着から離れることがない。庶民は時間に追われて働くが、なぜかカネは素通りして金持ちにばかり回っていく。思い当たるフシは多くの現代人にもあるはずだ。

 「日本永代蔵」から約330年、「白鯨」から約170年を経たが、その洞察はグローバル資本主義の今日も照らし出す。世界を股にかけるコーヒーショップチェーン「スターバックス」の名は、勘定高い常識人である一等航海士スターバックに由来するという。メルヴィルがそれを知ることができたなら、感慨を催さずにはおられまい。

 ◇参考文献 「新集世界の文学11 メルヴィル 白鯨」(メルヴィル、野崎孝=訳者、中央公論社、1972)▽「新版日本永代蔵」(井原西鶴、堀切実=訳注、KADOKAWA、2022)

  
・6月8日(水)  毎日新聞インターネットニュースより2件。

 https://mainichi.jp/articles/20220608/ddl/k01/020/037000c
 ミンククジラ7.9メートル、大型捕獲 オホーツク海沖で漁始まる /北海道
 毎日新聞 2022/6/8 地方版 

 北海道のオホーツク海沖で6日、小型捕鯨船によるミンククジラ漁が始まり、1頭を捕獲した。水産庁によると、今年のミンククジラの漁獲枠は133頭で、同海域で6月末にかけて、32頭の捕獲を目指す。日本は2019年に国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、それまでの調査捕鯨から商業捕鯨に切り替えており、今年で再開4年目。

 6日は和歌山県の太地町漁協の1隻が体長約7.9メートル、重さ約6.6トンの雌のミンククジラを捕獲した。紋別港で水揚げされた後、網走市内に運んで解体。競りにかける。

   太地町漁協の東欣哉さん(49)は「発見できた数は少なかったが大型を捕獲できた。好調な漁に期待したい」と意気込んだ。この海域は、ほかに宮城県石巻市の鮎川捕鯨なども操業中だ。

 日本小型捕鯨協会(福岡市)や水産庁によると、今年のミンククジラ漁は4月に三陸沿岸で始まり、クジラの生息域に合わせて北上して操業。昨年は漁獲枠120頭に対し、全国で91頭を捕獲した。


 https://mainichi.jp/articles/20220609/ddl/k34/040/336000c
 商業捕鯨操業の第3勇新丸出航 母船と三陸沖へ 尾道 /広島
 毎日新聞 2022/6/9 地方版

 沖合で商業捕鯨を操業する共同船舶(東京)の「第3勇新丸」が7日、尾道市の瀬戸田のドックから出航した。捕獲したクジラを加工し運搬する母船「日新丸」も8日に出航。2隻は13日から三陸沖合で捕鯨を開始する。仙台港と下関港で水揚げした後、11月中旬に広島に戻る。

 太平洋側の日本の排他的経済水域(EEZ)内で操業し、ニタリクジラ150頭とイワシクジラ25頭の捕獲を予定している。市場では出回ることの少ない生肉も水揚げする。昨年は下関で競りにかけられた生肉に1キロ当たり最高値12万円がついた。

  コロナ禍で激減していた外食需要も、現在は供給が追い付かないほど回復。所英樹社長は「捕鯨業界全体を盛り上げるきっかけにしたい」と話した。


・6月15日(水)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20220615-6SZVZRJOFBJTHCUHGTTKYDPWCQ/
 クジラの消費回復へ、新しい食べ方を提案 19日に新大久保でイベント
 2022/6/15 20:25

 令和元年に商業捕鯨が再開されたクジラの消費拡大を目的としたイベント「バレニンミートダイニング東京’22 in 新大久保」(主催・鯨食向上委員会)が19日、東京都新宿区のJR新大久保駅ビル3階にある「Kimchi,Durian,Cardamom,,,」で開かれる。

 バレニンは疲労回復に効果がある栄養素で、鯨肉に多く含まれている。「鯨食」は古くから日本の食文化で、31年ぶりに商業捕鯨が再開されたものの、消費は回復していない。イベントには、「らじっく」(あきる野市)、「鯨の胃袋」(港区)など、鯨料理店や加工品メーカーの5店が出店。ステーキやラーメン、すし、カレーなどを販売し、鯨食未経験者でも食べやすい新しい食べ方を提案する。開催時間は午前11時~午後6時。

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今年映画館で見た109本目の映画
鑑賞日 9月26日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★☆

 タイ映画、バズ・プーンピリヤ監督作品、128分、英題は"One for the Road"。「プアン」はタイ語で友だちの意味。

 タイ人の青年ボス(トー・タナトップ)はニューヨークでバーを経営していた。或る日、故国に住む友人ウード(アイス・ナッタラット)から是非会いたいとの連絡が。帰国してみると、友人は白血病で余命幾ばくもない身だから、かつての恋人たちとの再会を果たしたい、ついては運転手役を頼みたいと言われる。ボスはしぶしぶ友人に付き合って、時には手助けもしながらウードの恋人巡礼が実現するようにはからうのだが・・・

 前半はそういう筋書きだけど、後半で思いがけない方向に話が行く。筋書きの都合上、タイ美人が何人も出てくるので、その辺を楽しみながら鑑賞するのがいいかも知れない。

 それから、二人はウードの父が使っていた古いタイプのBMWセダンでタイをめぐるのだが、このクルマに味がある。最近の日本で流行している醜悪なSUV車だとかやたら背が高くて強風でひっくり返りそうな軽自動車にうんざりしている私からすると、昔のクルマは美しかったなとしみじみ思ったことであった。

 ほか、出てくるカクテルや音楽にもこだわりがある、らしい(私には十分理解できなかったけれど)。

 東京では8月5日の封切だったが、新潟市では7週間の遅れでユナイテッドにて単独公開中、10月6日限り。県内でも上映はここだけ。
 私は月曜午後(といっても上映は1日2回)に足を運んだのだが、ユナイテッドでいちばん狭いホールが割り当てられていたけれど、観客は15名ほど入っていた。

 前回以降、コロナ感染者数は増加の一途をたどり、お盆の頃には東京では1日2万人以上、新潟県でも3千人程度まで増えた。

 9月になってから漸減の傾向は見えてきたが、それでも東京は1日に5千~1万人程度、新潟県も5百人~1千人強程度と、数で言うと昨年のピークくらいの数値で推移している。

 それにもかかわらず、コロナ疲れというのか、日本人の行動はあんまりコロナ対策を考えていないように見える。

 コンサート会場では開演前や途中休憩の時間におしゃべりをするオバサンや男女の老人が多い(新潟ではクラシックコンサート会場には若者が少ない)。映画館に比べるとマナーがきわめて悪い。

 老人やオバサンだけではない。ウォーキングで私立体育館に行くと、フロアでバドミントンや卓球の練習をしている高校生はマスクもせずに大声でしゃべっている。

 いちど、夏の暑い盛りに、鳥屋野の市立体育館にウォーキングに行って(なぜ中央区の鳥屋野体育館に行ったかというと、中央区で映画を見た直後で、加えて西区の体育館はたまたま使えない日だったからである)、終了後に更衣室に隣接したシャワー室で汗を流してから更衣室で着換えをしていたら、直前までフロアでバスケットの練習をしていた男子高校生が多数入ってきて、マスクもせずに大声でしゃべっているので、こりゃたまらんとばかり、着換えを完了しないままに急いで更衣室を出て、廊下で着換えを済ませた。あっちは若さの盛りにいるから新型コロナに感染してもくたばらないだろうけど、こっちは古稀になる年齢で、潰瘍性大腸炎や狭心症の基礎疾患を抱えている身だから、感染したらどうなるか分からない。まだ仕事をし残しているから死にたくはないのである。

 おしゃべりばかりではない。日本全国のワクチン接種率を見ると、第2回までは80%強だったのに、3回目は65%程度で、それ以上増えない。

 以上をまとめるなら、日本人は新型コロナ疲れで、かなり弛緩していると言えるのではないか。

 私のことを言えば、先日4回目のワクチン接種をした。オミクロン株対策用のワクチンではないが、接種券は市から送られてきており、前回からちょうど6ヵ月を経ようとしていたので、3回目と同じく信楽園病院で接種を受けたのである。信楽園病院は同院の診察券を持っている人間しか受け付けないが、持っている人の予約は楽々である。私は接種の数日前に予約して大丈夫だった。第1回目のことを考えると、これまた隔世の感、である。何しろ昨年の6月頃には第1回目の接種予約が全然とれなくて、いったいどうなることかと危ぶんでいたのだ。詳しくはこちらを

 まとめてみると、私のワクチン接種は以下のようになっている。ワクチンはいずれもモデルナである。

 第1回: 2021年6月19日 朱鷺メッセ(新潟県の設置した会場)
 第2回: 2021年7月17日 朱鷺メッセ(同上)
 第3回: 2022年3月9日  信楽園病院
  第4回: 2022年9月9日  信楽園病院

 言えることは、新潟市の設置した会場と個人医院はアテにならなかった、ということである。1回目のときは、いずれでも予約が全然とれず、新潟県の設置した会場でようやく予約がとれた(2回目は1回目が決まると自動的に決定)。3回目のときは、新潟市が独自の会場を日時と共に指定してきたが、2022年3月下旬であり、これだと2回目の接種との間が8ヵ月以上空いてしまう。また、市の指定してきた会場は不便な場所にあるのに駐車場スペースが狭いといった欠点もあった。なので、潰瘍性大腸炎で8週間に一度通っている信楽園病院でネット予約をしてみたら新潟市の指定より半月早い日が取れたので、市の指定は電話で断りを入れて変更したのである。

 もう一つ別の話をすると、新潟大学では今年度後期からは、原則として通常の授業形態、つまり非接触型ではない授業形態で行くということである。ただし教員が申し出れば、非接触型でも構わないという。

 しかし、私も第3ターム(10・11月)に非常勤で教養科目の西洋文学講義を受け持つ予定になっているのだが、何しろ定員150名の授業だし、仮に少し広い定員250名の講義室を使ったとしても学生が十分な相互距離をとることは不可能なのである。それで、私としては2020年度からやっているように、非接触型の授業形態で行くと決めた。実際、新潟大学のある(そして私の自宅のある)西区では最近でも連日50~100人くらいの感染者が出ているのである。

 これでどうなるのか、まだまだ予断を許さない。

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9月25日(日)午後2時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
入場無料

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 新潟大学管弦楽団のOB・OGで作られたオーケストラで、年一回公演を開いています。
 客の入りはまあまあ。
 一階後ろ半分と二階正面Cブロックは、コロナ下なので多少の空席はありますが、かなりの入りでした。一階前半分と三階正面Iブロックもほどほど入っています。そのほか、二階のB・Dブロック、三階のH・Jブロックにも客が。私はBブロックのCブロックに隣接したあたりで聴きました。

 指揮=工藤俊幸、チェロ独奏=江口心一

 バッハ/山岡重信編: G線上のアリア (追悼演奏)
 ドヴォルザーク: チェロ協奏曲
 (アンコール)
 鳥の歌 (チェロ独奏+弦楽合奏版)
 (休憩)
 チャイコフスキー: 交響曲第6番「悲愴」

 席について舞台を見て、「あれ?」と思いました。予定では最初にチェロ協奏曲が演奏されるはずなのに、指揮台とコンサートマスター席の間に独奏チェロ奏者用の場所がもうけられていなかったからです。

 やがて代表の鈴木理氏より、1995年から18シーズンにわたってこのオケの指揮を単相された山岡重信氏がこの6月に91歳で逝去されたという報告があり、その追悼として山岡氏編曲によるバッハの「G線上のアリア」(オーケストラ版)が演奏されました。

 弦楽器の配置は、観客席から見て左側から、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの順でしたが、ヴィオラが9名なのにチェロが12人もいるところが、アマチュアオーケストラならではなのでしょう。ちなみにコントラバスは8名。

 さて、それから本来のプログラム。都響チェロ首席奏者の江口氏を迎えての、ドヴォルザークのチェロ協奏曲です。

 独奏チェロが音を奏で始めるところを聴いたときから、うん、いける!と思いました。やわらかな、しかしよく通るいい音です。実際、この日のこの曲の演奏は名演の名に値するものだったと思います。江口氏はいうまでもなく、バックのオケも健闘していました。第三楽章でチェロ独奏とコンマス(女性)のヴァイオリンが掛け合いをやるところも見事でした。こういう演奏に出会えるから、コンサート通いはやめられないんですよね。

 アンコールの「鳥の歌」もよかった。江口氏の演奏は、またどこかで聴きたいな。

 後半のチャイコフスキー「悲愴」は、さすがに前半ほどの見事さはありませんでしたが、アマオケとして十分なレベルに達していたのではないでしょうか。特に木管陣が健闘していました。数日前に古稀に達したばかりの私は、生きている間にこの曲の生演奏にあと何回出会えるだろうか、と妙なことを考えてしまいました。惜しむらくは最後でフライング気味の拍手があったことと、ケータイの呼び出し音みたいなのが響いたことでしょうか。指揮者が花束を受け取る前にコンマスがフライングで客席にお辞儀をしてしまったのは、まあご愛敬ということで。

 来年の演奏会も楽しみにして待つことにしましょう。
 このオケの母体(?)である新潟大学管弦楽団も、新型コロナでしばらく活動を休止しており、今年の初夏には厳しい観客制限下で演奏会を開いたようですが、ウイズ・コロナの時代になっているのですから、何とか通常の活動を再開して欲しいものです。

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評価 ★★★★

 出たばかりの新書。著者は1960年生まれ、東大文学部史学科卒、同大学院博士課程単位取得退学、日本中世史・古文書学専攻、東大史料編纂所教授。著書多数で、当ブログでも『歴史をなぜ学ぶのか』(SB新書)を紹介したことがある。
   
 さて、本書は著者のこれまでの生涯をたどり、自分が現在の地位に至った経緯を説明した上で、師や出会った学者を紹介しながら、歴史学とは何か、歴史学者とはどうあるべきなのかを、歴史学の過去にも触れつつ、著者なりに明らかにしようとした書物である。

 著者は東京の下町・亀有に生まれ育ち、父は大企業勤務、母は専門学校で有機化学を教えていた。家には祖父母と二人のおばも同居していた。幼い時から文字が読めて、偉人伝をよく読んでいたという。母の意向で越境入学で麹町小学校に入る。小学校4年生になる春休みに家族と十日間ほど奈良・京都旅行をして、そこで仏像や薬師寺東塔の美しさに目ざめたという。(余計なことを付け足すと、こういう感受性を持っていた著者はやはり稀な人だったのだと思う。私なんぞは高二の秋に修学旅行で初めて奈良京都に行ったけど、特段の感銘も受けなかった。それに十日間も家族旅行ができるというのは、やはり著者の家庭が裕福だったからだろう。私の高二の修学旅行は三泊四日だった。家族旅行というと、小六のとき東京と箱根に二泊三日で行ったくらい。)

 もっとも、その頃の著者は医者になりたいと思っていたという。そして中学受験を目指して(というか母の差し金で)四谷大塚という有名な受験塾に通い始める。しかし解剖実験でどうしてもメスでフナを切ることができず、医者志望を断念する。他の塾通いもしていた著者は、第一志望の東京教育大付属(現在は筑波大学付属)駒場中学には不合格となったものの、武蔵中学高校に合格する。しかし合格後は、幾何と物理が全然できなくて、それまで抱いていた「体育は不得手だが学科目では優秀」という自信もなくなってしまう。だが数学は解法を丸暗記して乗り切ったという。この時代、文学書もそれなりに読んだ。また、この学校の「民族文化部」なるクラブに入り、そこでできた友人たちから色々と刺激を受けて文化や教養に目が開かれていく。これに限らず、武蔵という学校には(私のような地方都市の中学・高校を出た人間からすると)ちょっとびっくりするくらいの文化的な蓄積を持つ生徒がいたようだ。

 もっとも、著者は歴史の教師が唯物史観だったと述べて、封建社会という生産構造を持つに至ったのはヨーロッパと日本だけだとその教師が教えたと書いているのだけれど(43ページ)、これって唯物史観かなあ? 梅棹忠夫の「文明の生態史観」じゃないのかね?

 それはさておき、武蔵では劣等生だったと言うけれど、とにもかくにも東大に合格したわけだから、(非東大の)他人から見れば「何をぬかす」だろう。そして東大で優れた教師に出会って日本中世史を専攻し、大学院にも行き、しかも東大にそのまま残るという離れ業(ちなみに東大卒もしくは東大大学院卒でそのまま東大に残れるのは法学部の学部卒で助手に抜擢される者と、東大史料編纂所に採用された者だけだそうである。それ以外はいったん外に出て業績を積んでからでないと東大に戻れないようだ)をやってのけたわけだから、いくら奥さんの本郷恵子さんのほうが優秀だしとか何とか書いても、あまり説得力がないんじゃないかな(奥さんも東大に残っているようですけどね)。

 以上、本書の最初のあたり、著者の若い時分のことばかりここでは紹介したが、それは私より8歳年下の著者の育ち方が、地方都市で育った私とは根底的に異なっていることに良くも悪くも感心したからである。小学校高学年では中学受験をめざして塾通いと習い事ばかりで過ごしていたというが、それじゃ友人だってできないだろうなと思う。いや、私だって小学校のときはいくつか習い事はしたけれど、そして読書も好きだったけれど、学校から帰宅すると大抵は野球をやるか(あの時代の少年スポーツは野球しかなかったので運動神経の鈍い私も始終やっていたのである)、友人と海辺に行って遊んでいた。私もあんまり人付き合いが得意な人間ではないが、最低限の社交性が身についたとするなら、小学校時代の遊びを通じてであったと思う。著者はそういう経験がないらしいので、大丈夫なのかと勝手に危惧するのだが、そうはいっても無事に東大教授となり、著書も多数出して有名人にもなっているし、人間はこういう育ち方をしても大丈夫なのだと(著者には失礼ながら)納得してしまったのである。もっとも、上述のように奥さんは大変に優秀な方なようで、現在も東大では著者の勤務する部門の長を務めていて、つまり著者の上司なのだそうだが、でもそういう女性と結婚できたわけだから(一度いきなり結婚指輪を差し出して振られ、それからしばらくして受諾してもらったが、改めて別の結婚指輪を買わされたという)、やっぱり「大丈夫」な人だったのだろうと思う。

 肝心の部分、つまり歴史学者と歴史学という学問について書いた部分も、それなりに面白いがここでは省略するので、各自読んでいただきたい。戦前の皇国史観、戦後の唯物史観、そして史料に基づく実証的な研究というような流れである。しかし史料をもとにするといっても、やはり研究者により方向性は異なるので、色々あることも分かる。なお、戦後になってマルクス主義史観が日本の歴史界を牛耳るあたりの事情については、伊藤隆『歴史と私』(中公新書)に詳しい。
          
 私の考えを言うと、文系の学問では「優れた論文・著作とはどういうものか」「学問的であるというのはどういうことか」についての統一した見解というのは存在しない。文学では最近は作家の伝記的研究が盛んになっているけれど、要するに事実にしがみつけば学問という傾向からそうなっているわけで、作家が生きた時代的・文化的背景という視点も大事であるからそれも文学研究だとは思うけれど、文学作品が作家の伝記からのみ説明できるわけではない以上、一定の限界があると言わざるを得ない。それは著者が述べているような、歴史部門では史料に基づく実証ということが強調されるようになってきていることと、同じではないだろうか。

 むろん、著者の主張するように、史料が過去の歴史をすべて伝えているわけではない以上、過去の歴史を再現するためには、十分な実証をふまえた上でさらに想像力や構築力が必要なのだが、世の中にはそういう方向を全然理解しない学者もいるから――それはつまり著者に理数系のセンスが全然ないのと同じで、先天的な素質の問題なのである――著者のように「アンタはバカだ」と言って罵り合いになるのを避けようとすれば、分からない人間は無視、という原則で行くしかないのである。私は或る時点からそういう原則でやっている。

 とはいえ、最近は申請して科研費をとらないと研究もできなくなっており、仲間の多い人間が得をするというか、仲間が多くないと研究費をもらえない傾向が強くなっていて、これは著者の言うように研究の没落を招くわけだが、文科省(および保守系マスコミ)に研究のやり方が分かっている人間がいない以上、日本は必然的に没落すると諦観をもって見守るしかないだろう。ただし、基礎資料の電子化による研究基盤の整備といった事業そのものは必要だと私は思うけど。要するにそういう事業にしかカネを出さない文科省がバカなのである。

 あと、小見出しに法学部至上主義を槍玉に挙げているのかと思われるところがあって、東大法学部を全面的に批判するのかと期待したのだが、法学部至上主義が歴史学では法制史中心主義になっていると話がずれてしまい、肩すかしだったのが残念。

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今年映画館で見た108本目の映画
鑑賞日 9月21日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★

 田口智久監督作品、83分、アニメ、八目迷の原作小説は未読。

 男子高校生・塔野カオルは、幼い妹を亡くし、母は家を出て、飲んだくれの父と二人暮らし。たまたま高校に隣接する駅で見かけた女の子・花城あんずに傘を貸したことで接点ができる。彼女は事情があってカオルの高校に転校してきたのだが、心の傷を抱えていた。二人はしかし、駅から程遠からぬところに謎のトンネルを発見。その田舎町には「ウラシマ・トンネル」の伝説があり、そこに入ると願いが叶うものの、願った本人は年寄りになるというのだが・・・

 SF的な設定の下に、ボーイ・ミーツ・ガールの物語が展開される。副筋やサブの人物の設定が欠けているので、幅のある作品ではないが、主役2人の話と割り切れば、まあ悪くはないアニメだと言えるだろう。絵もそれなり。

 新潟市では全国と同じく9月9日の封切で、Tジョイ新潟万代にて単独公開中。県内ではほかにTジョイ長岡でも上映している。

 最近の産経新聞に載った福井義高・青学大教授の論考。

 https://www.sankei.com/article/20220916-7AO3GQSNZJK2HIC5HEY4MBIDQM/
 大物リベラル学者を謝らせた米版自虐史観 福井義高
 2022/9/16 07:00
 (以下の引用は一部分です。全文は上記URLから読めますが、有料会員記事です。紙媒体の産経新聞にも掲載されており、新潟の統合版では9月18日に掲載されています。ただし掲載期日は地域により異なる可能性があります。)

 ■「ウォークネス」 現代米国によみがえった文化大革命
 米国では近年、「ウォークネス(wokeness)」が大きなうねりとなっている。この「社会正義への目覚め」とでも訳すべき意識がリベラルの若い世代を中心に広がり、人種差別や性差別などの社会的不正を根絶するため、毛沢東時代の中国の「文化大革命」にも似た、米国社会のあり方を根本的に変革しようとする動きにつながっている。

 ウォークな「社会正義の戦士」(social justice warrior)が、不正とみなす言論や活動を居丈高に糾弾するさまは、文化大革命の紅衛兵を思い起こさせる。反黒人差別運動「ブラック・ライブズ・マター」(BLM)はその中核に位置するといってもよい。しかも、こうした動きは単なる運動の枠を超え、米国人の歴史認識にも大きな影響を与え始めた。どの社会にも存在する負の側面を指摘するというレベルを超え、自国の歴史を全体として否定的にみる米国版「自虐史観」とも言えるまでに発展し、言論界のみならず公教育の場にも広がっているのだ。

 この流れを決定づけたのが、2019年8月18日付『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』(米紙ニューヨーク・タイムズ日曜版別冊)で黒人ジャーナリスト、ニコル・ハナ・ジョーンズ氏が立ち上げた「1619プロジェクト」である。米国史の原点は、英国の清教徒が北米大陸に移住し、自由と平等を求めて独立したことではなく、最初のアフリカ人奴隷が到着した1619年だという歴史観に基づく一大プロジェクトである。

 (中略)

 「自由と平等という我々の建国の理想は、それが記された〔清教徒がアメリカ大陸に上陸した〕時点では偽りであった。黒人米国人がこの理想を本当にするためにたたかったのだ。この苦闘がなければ、米国にはデモクラシーなど全くなかったであろう」というのが、このプロジェクトの基本認識である。

 (中略)
 
 米国版「自虐史観」を主張するリベラルたちは保守派のみならず、リベラルであって歴史を完全に政治に従属させることを良しとしない知識人を見つけると、攻撃対象にし始めた。

 それを如実に示すのが、今夏繰り広げられた米歴史学会会長であるジェームズ・スウィート教授(ウィスコンシン大)をめぐる騒動である。

 (以下、略)

                             

 このあとは、およそ以下のように論旨が展開する。
 スウィート教授は、歴史を善悪だけで二分する思考法や、歴史研究者がこの手の政治的プロジェクトに加わって歴史学の土台をかえって危うくしていることを批判した。しかし、この批判に対する非難が殺到したために、スウィート教授は学会ホームページで謝罪を余儀なくされたというのである。
 詳しくは産経新聞の当該記事をお読みいただきたい。

 要するに、今の米国はスターリン時代のソ連と類似した状況になっていると見てよい。
 唯物史観を徹底すればスターリニズムになることは、中国や北朝鮮、或いはかつてのカンボジアの歴史を見れば明らかであるが、米国もそういう方向をたどりつつあるわけだ。

 或いは、「弱者」中心史観というべきか。フェミニズムもその一種だから用心すべきだというのが私の見方である。マルクス主義の階級闘争史観の一変種なのである。現実の社会の中で不平等を解消していこうという努力と、過去の歴史をすべてそういう見方で割り切ることとは全然別のことだけれど、それが分からない人間が増えているのである。

 日本ではかつて小浜逸郎が『「弱者」とはだれか』(PHP新書、1999年)でこの問題を取り上げた。小浜は最近は『ポリコレ過剰社会』(扶桑社新書)という、その続編を出している。福田ますみ『ポリコレの正体』(方丈社)も同じテーマを扱っている。

 また米国の大学やアカデミズムがおかしくなってきていることは、当ブログでも取り上げたジェイソン・モーガン『アメリカン・バカでミズム』や、マックス・フォン・シュラー『アメリカはクーデターによって、社会主義国家になってしまった』などでも紹介されているが、福井義高氏の今回の論考もそういう米国の(おかしな)趨勢を指摘しているわけである。

 まあ、私なんぞは、「歴史学者は日米を問わずイデオロギーの奴隷になりやすい連中だ」という偏見(?)を持つ人間だから、そんなものだろうと思うけれど、特に米国の場合は世界一の超大国だから、米国の謬見がめぐりめぐって他国にも(はた迷惑な)影響を及ぼしかねないわけで、したがって日本人としてもあちらの動向を慎重に注視していく必要はあるだろう。

 例えば、第二次世界大戦後に中国で国共内戦が起こったとき、米国は本来なら蒋介石の国民党を支持すべきだったのに、当時の米国の学者が「中国共産党はソ連共産党とはまるで異なっており、むしろ自由主義国家の社会民主党に近い」という、今からすれば噴飯物のトンデモな認識を持っていたこともあって、トルーマン政権は国民党に冷淡な態度をとり、それもあって中国には共産党の政権が成立した。米国の東アジア政策はこれに限らず間違いの連続だったというのが私の見方だけど、今後も米国が間違える可能性は十二分にあり、それが米国学者の歴史認識によって引き起こされかねない以上、用心するに越したことはないのである。

 ついに満で70歳の大台に乗ってしまった・・・というような表現は大げさではあろう。いまどきは日本人男性の平均寿命は80歳に達しているのだし、「古来稀」どころではなく、70歳以上の人間はゴロゴロしているからである。

 とはいえ、60歳以降を振り返ると、必ずしも順調だったわけではない。
 50歳くらいのとき、頭脳と身体がそれまでより一段階衰えたと実感し、信長の時代に「人生五十年」と言っていたことに納得が行ったのだったが、満63歳に達するころ、身体がまた一段階衰えたなと思った。今から振り返ると、50歳までは中年前期、63歳までは中年後期、そして63歳から老年期に入ったということであろう。

 しかし63歳の私が常用していた薬は、高血圧用の2種類だけであった。
 2018年春、満65歳で新潟大学を定年退職したときも同じだった。
 しかし退職してから一年少々を経た2019年夏、下痢が止まらなくなり食欲も激減して半月間入院する羽目になり(生まれて初めての入院生活)、潰瘍性大腸炎と診断された。それ以降、この病気のために2種類の薬を追加して常用することとなった。

 また、潰瘍性大腸炎で入院した前後に白内障の手術を受けている。最初は右目で、一ヵ月をおいて左目も手術するはずが、間に潰瘍性大腸炎での入院が入って、左目は退院後となった。

 さらに、それからあまりたたない時期に左腕があまり上がらなくなる五十肩の症状に見舞われた。整形外科に通ってマッサージなどを受けたが、完全には治らないのでやがて通院はやめた。しかしそこで教えられた左腕の運動は今も続けている。そのせいか、完治とはいかないが、あまり気にならない程度には回復している。

 だが、昨年秋、満69歳になるころ、今度は早朝に胸の圧迫感に悩まされることとなった。この圧迫感は、大学生の頃から時々起こっていたが、それまでは数ヵ月に一回程度、日が照っている時間帯であった。継続時間も10分程度だったと思う。ところが昨秋から始まった圧迫感は2日に1度か3日に2度程度の頻度で起こり、時刻から言うといつも早朝で、20~30分くらい続くものであった。

 血圧の薬をもらいに通っていたかかりつけの医師に相談したら、大きな病院で検査をするようにと勧められたので、潰瘍性大腸炎で入院した(そして今も8週間に1回その病状を報告しに通っている)病院で専門医にかかったが、3種類の検査(エコー、心電図、胸部レントゲン)をしたものの、異常なしということだった。

 しかし、異常なしと言われても、胸の圧迫感という症状が現にある以上、どこかおかしいところがあるはずなのである。ところが検査をした大病院の専門医も、かかりつけの医師も、検査結果がそうだからと言って何もしてくれないのである。医師と患者の常識が根底的にズレているのだな、と痛感させられた。以上は昨年末から今年初めにかけてのことである。

 それで私はどうしたかというと、今春になってからネットで調べて、心臓専門の内科医院が中央区にあるのを知り、自宅からはやや遠かったが(上記の大病院とかかりつけ医院はいずれも私が住んでいる西区にある)、そこに行って今までの経緯を説明した。すると別の検査をしてみましょうということで、心臓の周囲の血管を撮影する検査をしてくれた。その結果、重くはないが動脈硬化の症状が出ているとのこと。それによって血液の流れが悪くなり、狭心症が生じているのではないかという。そしてニトログリセリンを処方してくれ、胸の圧迫感が出たら舌の下にその錠剤を入れてみるよう言われた。試してみると胸の圧迫感が収まったので、ならば狭心症と見ていいでしょうということで、別の薬(2種類)を処方してくれ、結果、今のところ胸の圧迫感はなくなっている。

 しかしこれにより私が常用する薬はまた増えた。(狭心症用の薬との関係で)高血圧用の薬は従来2種類だったのが1種類に減ったが、潰瘍性大腸炎の薬は今までと同じく2種類、そして狭心症用の薬が2種類加わったから、合計5種類となったのである。やれやれ、薬によって生きているというわけなのだ。

 25年あまり前、私の故郷であるいわき市で開かれた中学の同窓会に出席したとき、途中で郡山市に住んでいた一人暮らしの伯母(父の姉)宅を訪問したことがあった。当時伯母は80代になっていたが、「医学で生かされているような気がする」と言っていた。そしてその数年後、満89歳で世を去った。伯母の言葉が実感できる年齢に私もなったわけである。

 薬のことは措くとして、身体では腰の調子が気になる。中年時代から腰は悪く、時には歩けなくなることもあったが、最近はそれほどひどい状態にはならない。しかし鈍い痛みが続くときがあり、そうなると歩行もいくぶん老人的になる。逆に腰の調子がよいと歩き方もまあ普通となる。社会人卓球の練習がない日は必ず1日4.5キロのウォーキングをしているが、腰の調子によって所要時間が多少異なってくる。ただし、脚は確実に衰えてきている。玄関で少し離れた位置におかれたサンダルをつっかけるとき、以前なら片脚だけで悠々身体を支えてサンダルを履くことができたが、最近はちょっと怪しくなってきているからである。

 65歳で定年退職したとき、私はひそかに目標を立てた。「75歳までは、ボケず、寝込まず、杖も使わず、仕事をする」というものだ。仕事についてはまた別に書くこともあろうが(今までも年末のあいさつに記しているけど)、身体面ではどうだろうか。杖のご厄介には今のところなっていないが、それがいつまで維持できるか。65歳で定年退職してからこの5年で、潰瘍性大腸炎、白内障手術、左腕の五十肩、そして狭心症と、言うならば次から次へと病いに見舞われた経験からすると、予断を許さないと言うしかないのである。

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今年映画館で見た107本目の映画
鑑賞日 9月20日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★

 川村元気原作・監督・脚本作品、104分。

 葛西泉(菅田将暉)は同じ会社に勤める香織(長澤まさみ)と結婚しており、香織は妊娠していた。泉はときどき一人暮らしの母・百合子(原田美枝子)の家を訪れていたが、老いた百合子にはアルツハイマーの症状が。やがて施設入りが決まるものの、泉と母の間には過去のわだかまりがあり、また母の言動から忘れられていた記憶が・・・

 予告編から漠然と想像していたのとは違う映画で、それも悪い方向に、だった。ネタばれになるから詳しくは書けないけど、原作者で監督も務めた川村元気は何かとんでもない勘違いをしているとしか言いようがない。大切なことが何なのか分かっておらず、どうでもいいことで母子関係の本質を表現しようとしているのだから、始末に負えない。感動どころか腹が立ってくる映画だ、と言っておこう。

 東京では9月9日の封切だったが、新潟市では一週間の遅れでイオン西を除くシネコン3館で公開中。県内他地域ではTジョイ長岡でも上映している。
 私が足を運んだ火曜午後の回は、5人の入りだった。まあ、この出来じゃ当然でしょう。この日、新潟市は早朝に台風14号が通過したけれど、たいしたことはなく、午後はやや風が強い程度で雨もやんだので、ちょうど古稀を迎えたこともあり、映画でも見ようと思って出かけたのだが、その甲斐もない駄作だった。とほほ。

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9月18日(日)午後2時開演
新潟市江南区文化会館ホール
800円(全席自由)

 この日は標記の演奏会に出かけました。

 指揮=若林康之、フルート=榎本正一、コンマス=奈良秀樹
 モーツァルト: 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
 モーツァルト: フルート協奏曲第2番
 (アンコール)
 フォーレ: コンクール用小品(初見用)
 (休憩)
 ハイドン: 交響曲第104番「ロンドン」
 (アンコール)
 シベリウス: アンダンテ・フェスティーヴォ
 新潟市民歌「砂浜で」

 発足してまだあまりたたないオーケストラですが、チェロを除く弦楽器には「賛助出演」が目立ちます。ホルンも、新潟のアマオケの演奏会でおなじみの方が。新潟市のオーケストラというと、新潟交響楽団と新潟室内合奏団が息の長い活動を続けており、最近は区のオケも登場。新潟大学管弦楽団のOBOGで結成された新潟メモリアルオーケストラもありますし、一段レベルの高い演奏をめざす新潟セントラル・フィルも結成されるなど、いささか乱立(?)気味ですが、そういう中でこの団体が存在意義をどの辺に求めているのかが問われるのではないかと。

 そういう面倒くさい議論はさておき、400人定員のホールには、150人強くらいの聴衆が入っていたでしょうか。私は12列目(つまり後方)の中央右寄りの席に坐りました。
 しかし、左隣りの女性客がおしゃべりの連続で、新型コロナ流行下でのコンサート客のマナーには問題ありの感が。

 演奏は、総合的に言えばまあまあ。
 しかし、フルート協奏曲では、独奏者のテクニックはともかくとして、音量に問題があるかと。榎本氏が新潟の音楽界でフルート演奏で多大な貢献をしてきたことは誰もが知る通りですが、大学卒業年から判断するに私より一歳年下、つまり69歳の氏のフルートには、あまり豊潤な音は感じられませんでした。

 後半のロンドン交響曲では、速い楽章はそれなりに良かったと思いますが、ゆっくりの楽章では、弦楽器のアンサンブルの精度に問題ありという印象を受けました。

 東響新潟定期を初めとして、プロオケの演奏を聴く機会が増えており、なおかつアマオケのレベルも向上している新潟で、このオケがいかなる位置を目指しているのか、その辺が問われているように思いました。

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今年映画館で見た106本目の映画
鑑賞日 9月16日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 西谷弘監督作品、130分、東野圭吾の原作小説は未読。

 天才物理学者でガリレオとあだ名される湯川学(福山雅治)が難事件を解決するシリーズものの映画化。前回映画化されたのは『真夏の方程式』で、9年ぶりの劇場版ということになる。

 かつて少女殺害事件の犯人として逮捕されながら黙秘を貫き、裁判で無罪になった男・蓮沼(村上淳)。彼は最近、数年前に失踪した女子学生の遺体が彼の死去した老母宅から発見されたために再度殺人容疑で逮捕されていたが、ふたたび黙秘を貫き、証拠不十分で釈放されていた。両事件で捜査を担当した草薙刑事(北村一輝)はこうした事態に苛立ちを隠せない。また、釈放された蓮沼は女子学生の家族や知人が住む町で暮らし、住民たちの憎悪をあおっていた。その地域の祭りの日、蓮沼が殺される。街の住民に蓮沼殺しの動機は十分にあったが・・・草薙の同僚である内海薫(柴咲コウ)から相談を受けた湯川は、事件の真相を究明しようと・・・

 ミステリーとしてはそこそこよく出来ている。特に街の祭りの模様と、その裏で殺人が進行するというプロットの組合せがいい。

 ただし、事件の真相はさておき、そこに見られる人間関係の描写はいささか弱い。特に第二の殺人の犠牲者となる女子学生・佐織(川床明日香)の心理があまり説得的とは思われない。あと、蓮沼が黙秘を貫き無罪になったり釈放されたりするという設定、つまり客観的な証拠不十分という設定が、科学捜査技術の進歩や、街なかに監視システムが浸透しているという現況からして、これまた説得性にやや欠けている感じがある。

 新潟市では全国と同じく9月16日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。私は封切日の午後の回に足を運んだのだが、30名ほどの入りだった。

評価 ★★★★

 著者・尾崎秀樹(おざき・ほっき:1928~1999)は文芸評論家。父・秀真が台湾に移住していたため、台北で父の愛人の子として生まれ、やがて父の正妻が死去したため母と共に入籍した。台北帝大付属医学専門部中退。戦後は日本に帰って著述業を営んだ。腹違いの兄・秀実(ほつみ:1901~1944)は朝日新聞記者でゾルゲ事件に関わり、処刑されたことで有名。

 本書は戦前・戦中に日本の一部であった朝鮮半島や台湾、および満洲でどのような文学的営為がなされていたのかを明らかにしようとした書物である。

 最初に「植民地文学の傷痕」という序文がある。戦前・戦中の日本の帝国主義を文学的にしっかりと総括しない限りは先に進めないという意味のことを述べている。鶴見俊輔の「朝鮮人の登場する小説」(桑原武夫編『文学理論の研究』所収)を引用し、また中野重治や啄木の植民地主義批判を取り上げ、さらに時枝誠記の「植民地現地人はすべからく日本語を統一言語とすべし」といった帝国主義的言説に対する論難を行うなどして、著者のとろうとしている方向性を明らかにしている。
 
 もっとも、実際に本論で個々の作品を取り上げるに際しては、必ずしも単純な「植民地主義=悪」論がとられているわけではない。植民地に流入してきた日本人は、いかに現地人に対して優位を誇ろうとも、内地では食い詰め者であり下層民だったという二重の視点は確保されている。

 全体は三部構成で、最後にさらに雑文が二つ収録されている。
 第一部では大東亜文学者大会が取り上げられている。中国大陸での長期戦争の中で、それに対応する文学者たちの組織や姿勢が取り上げられている。1942年に満蒙華台朝を含めた代表者が集まって開催された大東亜文学者大会では、日本と日本語の支配を強調する姿勢が濃厚であった(そして日本語を使用言語とした)のに対し、その60年前、明治初期である1882年に上野で中国の著名文学者を招いて行われた「日支文人大会」においては、漢文の筆談で相互の意思疎通がなされ、また支那の文化的優位に媚びを売るような日本側の姿勢が見られたという。60年間で日本側の姿勢がまったく変わっていたわけだが、むろん著者は明治初期に見られた卑屈さとその60年後の尊大さは表裏一体であると見抜いている。

 また、大東亜文学者大会には「バスに乗り遅れまい」とする時局便乗的な文学者の動きも見られたわけだが、竹内好と武田泰淳の中国文学研究会だけは参加を断ったという。それについての竹内好の発言も引用されている(48-49ページ)。また、この大会を主催した文学報国会にはいくつもの部会が設けられていたが、その中では外国文学部会が最も協力体制を構築するのに遅れていたという指摘が興味深い。尾崎秀樹は、「外国文学部会の中でもドイツ文学者と英文学専攻の織田正信らの間にはあきらかな溝が存在していただろう」と述べている(67ページ)。英文学者の名は挙げてあるのに、ドイツ文学者の名が挙げられていないのは、なぜだろうか。

 大東亜文学者大会を開いた日本文学報国会は、この大会で出された大東亜建設要綱に従って、それに相応しい文学作品を創作刊行していこうと試みた。そしてそれに従って、太宰治の小説『惜別』と森本薫の戯曲『女の一生』が生み出された。本書第一部の後半で尾崎秀樹はこの二作を分析している。そして前者を失敗作、後者を成功作と評価している。一見時局迎合的に見える作品でも、実際にはその内実はそれほど単純ではないので、あくまで作品内部の論理にしたがって分析を進めているところに、著者の真骨頂がはっきりと表れている。そして太宰の『惜別』が失敗に終わったのも、別段時局に便乗した底の浅い作品だからではなく、魯迅を材料として取り上げながらそれがあまりに太宰的な人間観に染め上げられていて、魯迅が持っていた(直前に竹内好の『魯迅』が出ていた)中国的な問題性に太宰がまったく迫ることができずに終わったからだ、としている。森本の『女の一生』はこれに比べれば、森本が本来持っていた特質ゆえに中国の本質に迫ることができているという。

 第二部では「満洲国」における文学の諸相が論じられている。
 これも場所により(当初は大連、やがて新京)、人により、また出身により色々な特徴が見られるわけではあるが、中国・満洲出身者は総じて民族的な文化意識を保持しており、「五族協和」的な新文化、という方向性には向かわなかったようだ。

 第三部は台湾における文学が取り上げられている。この第三部は著者の出身地でもあり、比較的詳細で陰影に富む記述が目立つ。日本人作家の作品でも、現地人に対する微妙な意識を反映した佳作がそれなりにあり、具体的に作家名や作品名を挙げて紹介がなされている。台湾出身作家が日本語で書いた(日本語で書くということについても色々考察がなされているが)作品も取り上げられているし、また台湾内部で流通していた二大文学雑誌の傾向の違いについても説明がある。加えて台湾の現地人といっても一様ではなく、先住民族である高山族と、大陸から来た外省人とではまた違っているわけで、日本人作家でもそのいずれを台湾現地人と見なすかにより作風が異なってくるという。高山族が叛乱を起こしたいわゆる霧社事件についても本書は紹介している。なおこの事件は数年前に『セデック・バレ』として映画化されている。

 必ずしも深刻な話題だけではなく、一般には謹厳実直のイメージが強い乃木希典も若い頃は芸者遊びに興じていて、といった話題も盛り込まれている。これがなぜ台湾と関わってくるかというと、乃木は一時期台湾総督を務めていたからで、そのときに日本から台湾にやってきた芸者屋の女将が、公式的に台湾に入った日本女性第一号だったというのである。(台湾が日本領になった当初、日本女性の渡航は厳禁されていた。)

 本書全体として見て、今日ではほとんど名も知られていない作家や作品が多数紹介されている点ではきわめて優れた書物だと思う。本書を道案内として、自分なりに当時の植民地文学を読んでいくことができるであろう。

 一方で、半世紀前の書物であるだけに、日本の植民地主義に対する贖罪意識が濃厚に漂っている本書は、当時の良心的知識人の姿勢がうかがえることは分かるが、その後の歴史的展開(中国の経済的軍事的強大化、北朝鮮の王朝化と悲惨な内実、歴史観が邪魔になってうまくいかない日韓関係など)を知っている現代日本人からすれば、知識人の未来への展望がいかに甘かったか、ということの実証にもなってしまっている、ような気がする。そう書くのは著者に対して酷ではあろう。ただ、「アジアの民衆」といった用語が散見される本書には、時代の限界もまた濃厚に感じられることは確かなのである。

 ネット上の古書店から買って読みました。

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今年映画館で見た105本目の映画
鑑賞日 9月15日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 韓国映画、ピル・カムソン監督作品、94分。

 韓国の有名映画俳優であるファン・ジョンミン(本人役)が誘拐された。その直前にも誘拐事件が起こっており、男女二人が誘拐され、男は殺されていた。ファン・ジョンミンも同じ犯人グループに誘拐され、前回生き残った女性と同じ地下室に監禁される。犯人グループは有名俳優から多額の金銭をむしり取ろうとしていたが、ファン・ジョンミンは何とかそれを免れようとして・・・

 誘拐事件を描いた映画だが、進行はかなり暴力的である。つまり、暴力シーンが非常に多く、誘拐犯と誘拐された側、或いは誘拐犯と警察の知恵比べといった側面は少ない。とはいえ、脚本的には色々な工夫が凝らされているので、まあまあ面白く見られるのではあるが、ここまで暴力性を前面に出す必然性があるのかなあ、という疑問もつきまとう。

 あと、有名俳優のセキュリティの問題があって、二流の俳優ならともかく、超有名俳優が、居住するマンションにちゃんと自家用車で専用駐車スペースに乗り入れるというのではなく、コンビニに車をあずけて後は街路を徒歩で・・・という設定自体に、あんまり説得性を感じなかった。

 他方で、誘拐された俳優が脱出して、途中で急な傾斜を転がり落ちるシーンなどには相当な迫力があり、韓国映画のいい面もしっかりと盛り込まれてはいる。

 新潟市では全国と同じく9月9日の封切で、イオン新潟西にて単独公開中。県内でも上映がここだけ。私が足を運んだ第一週最終日である木曜夜の回は、観客は私を入れて3名だった。

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今年映画館で見た104本目の映画
鑑賞日 9月15日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 フランス・英国合作、ローランド・ジョフィ監督作品、135分、1992年、原作はフランス作家ドミニク・ラピエールの小説『歓喜の街カルカッタ』(邦訳あり、私は未読)、原題は邦題に同じ。

 アメリカの青年医師マックス(パトリック・スウェイジ)は、幼い命を救えなかった自分に愛想を尽かし、医師をやめようと決意、故国を離れてインドのカルカッタにやってくる。そこの貧民街で極貧の人々のために医療所「シティ・オブ・ジョイ」を開いている英国女性ジョアン(ポーリーン・コリンズ)と知り合い、気が乗らないながらもそこで仕事をすることに。また、田舎で先祖伝来の土地を借金で取り上げられ、妻と子供三人を連れて大都会カルカッタに出てきたハザリ(オム・プリ)とも懇意になる。ハザリは貧民街を牛耳る地主から人力車の車夫の仕事をもらって生計を立てるようになるが、地主の息子は強欲で貧民街の人々に威圧的に振る舞っていた・・・

 インドの貧民街の様子などは結構リアルだが、物語そのものは分かりやすく、よくも悪くも通俗的。善と悪がはっきりと分かれている。或いは古典的な映画の枠内にとどまった作品、と言うべきか。30年前に公開された当時評判になったものの、その後DVDにもならずに来て、今回4Kデジタル・リマスター版でリバイバルというので、未見だった私も劇場に足を運んだ。佳作かも知れないが、傑作と言うほどではないなと思った。

 今回のリバイバル上映は東京では2月11日の封切だったが、新潟市では7ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定公開された。県内ではほかに上越市の高田世界館で上映されたが、すでに終了している。

 最近の新聞書評欄から面白そうな2冊を紹介しよう。
 最初はこちら。

 https://www.sankei.com/article/20220904-MUQLLOYWSBNM3FG6OFORP7KQK4/
 石井幸孝著『国鉄 「日本最大の企業」の栄光と崩壊』 (中公新書・1210円) 
   評 = 寺田理恵(産経新聞文化部)
   2022/9/4 13:00
 (以下は記事の一部分です。全文は上記URLか、紙媒体の9月4日付け産経新聞でお読み下さい。)

 ■有事は貨物 国境4線守れ
 
 (前略)

 日本の食料基地・北海道では、鉄道はタマネギやジャガイモなどの農産物を本州へ送る長距離・大量輸送も担っている。その鉄路が存続の危機にある。

 長い赤字路線を抱えるJR北海道は平成28年、営業路線の半分を同社「単独では維持困難」と表明、廃線が相次いでいるのだ。人口密度が低い上、厳しい自然条件下での線路維持は困難で、除雪費用もかかる。だが鉄道貨物からトラック輸送へ切り替えるには、長距離ドライバーの人数確保が課題となる。

 (中略)

 本書によると、日本は「旅客鉄道大国」でありながら「貨物鉄道小国」でもある。どこの国も「平時旅客」「有事貨物」で、平時は旅客需要が優先。だが鉄道は軍事力でもあり、戦争時は兵器や軍用資材を輸送する。有事にはパンデミックや災害も含まれる。鉄道を含めた物流の能力を平時も保持しなければ、強い国にならないという。

 著者は国境に面した「北方4線」約1200キロを国策上から廃線にしてはならず、線路設備維持費を国が負担すべきだと主張する。4線はJR北が単独で維持困難とする石北本線など。沿線は食料供給地でもある。

 なぜ民営化後もうまくいかない面があるか。著者は一因として、車や航空機、船舶では輸送業者が道路・空港・港湾の経営責任を負わない一方、国鉄が線路整備も担った点を指摘する。

 (以下略)

                                       

 最近、JRの赤字ローカル線の存続が改めて問題になっているが、人間の輸送だけでなく、貨物の輸送における鉄道の役割も改めて考える必要がある――ということがよく分かる書評である。
 
 日本の物流は(昔と違って)トラックが主体になっているけれど、肝心の運転者数が不足しており、その解消は容易ではないらしい。
     https://news.yahoo.co.jp/articles/8b3f0e3ff16b4c6cc27de6ec138ccd1464dc6adc
 
 なお、昭和期には鉄道主体だった貨物輸送がトラック主体になってきていることは、以下のサイトで分かる。
     https://www.totokyo.or.jp/academy/data

 鉄道と自動車の役割分担、ということを、将来を見据えてしっかりと構想していかなければ、と痛感させられる本なのであろう。


 お次はこちら。

 ニコル・ルメートル著、佐藤彰一・持田智子訳『村の公証人』 (名古屋大学出版会・6380円)
 評=鹿島茂(仏文学者)
 (以下は記事の一部分です。この書評はネット上の毎日新聞には載っていないようなので、全文は紙媒体の9月10日付け毎日新聞でお読み下さい。)

 ■家政書からたどる歴史家の考察
 日本では実印が契約書類を支えているが、フランスでは、実印の代わりに公証人のサインが契約を法的に有効なものにする。

 (中略)隔絶した寒村フレスリーヌにはアンリ四世の時代から三代にわたって公証人を営むテラード家の家政書(経理出納帳)が保存されていた。本書はこれを深く読み込むことで公証人一族のミクロストリアを復元し、同時に、そこから近世フランスというマクロストリアまで浮かび上がらせることに成功した傑作である。

 家政書を描き始めたピエール・テラード(一世)は同時代のモンテーニュとは異なり、感情は一切語らず、ひたすら動産・不動産の移動や賃貸借を細大漏らさず記載してゆく。(中略)

 ピエールはバルザック『人間喜劇』のグランデ爺さんのように抜け目なく狡猾で、三代前に分割された一族の資産を取り戻すべく、貧しき縁者へ麦、金銭、家畜などを高利で貸し付けて土地を次々に取り上げてゆく。農地を失った親族はピエールと分益小作農の契約を結び、「生産手段」を持たない農業労働者に身を落とす。(中略)

 「親戚間の格差は、それぞれの家族に読み書き能力があるかどうかと直接関係している」。(中略)それは識字文化と口承文化の対立であり、後者は必敗を運命づけられている。

 (以下、略) 

                    

 フランスの小説を読んでいると、よく「公証人」というのが出てくるのだが、日本には存在しないこの職業がどういうものであったかが、まず理解できる書物らしい。

 そして資本主義下での「格差」がいかに作られていくか、ということの一例が詳細にたどられてもいる。そしてその際に識字能力や、きちんと文書を作ってそれを証拠として後世に残す能力が重要な役割を果たすことも。

 ここでは省いたが、鹿島氏の書評はこのあと、直系家族の問題と、教育投資が広がると相続人である長男だけでなく、次・三男や娘もその恩恵をこうむり、しかも農村部ではなく都市部で教育を受けた場合は、哲学や医学など「畑違い」の領域に進む者も出てくる、と指摘している。つまり、資本主義は格差拡大だけでなく、文化や科学の発展にも寄与している、ということである。

 日本との比較を含めて、色々と考える材料が含まれていそうな書物。

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今年映画館で見た103本目の映画
鑑賞日 9月13日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 ハンガリー、ドイツ、フランス、イタリア合作、イルディコー・エニェディ監督・脚本作品、169分、英題は"The Story of my Wife"、原作はハンガリー作家ミラン・フュストが1942年に発表した同題の小説。

 第一次世界大戦が終わってまもない1920年。貨物船の船長をしている英国人ヤコブ(ハイス・ナバ―)は、体調の不良は妻を迎えれば治るというコックの助言に従おうとする。寄港したマルタ共和国(シチリア島の南に浮かぶ島嶼の共和国)で友人とカフェで話をしていた彼は、「今から最初にこの店に入ってきた女性に求婚する」と宣言。最初に入ってきたのは、うら若い美人リジー(レア・セドゥ)だった。見知らぬ男からいきなり求婚された彼女は、意外にもそれを受け入れる。まったく知らない同士で結婚したふたり――しかも船長という職務上、長らく自宅を留守にしなければならないヤコブの結婚生活はうまくいくのか・・・

 原作小説は読んでいないのだが、多分、小説としては面白いのだろうと思う。しかし映画としてはどうだろうか。そもそも170分近くあって長すぎる。リジーという女性の、不貞なのか貞淑なのかよく分からない性格で作品は持っているわけだが、またそういう女性を演じるレア・セドゥも悪くはないが、それにしても男女ふたりの物語としては焦点が定まらない、いや、焦点は明らかなのだがそれが煮詰まらない点に、いかがなものかという評言を与えたくなる映画。

 人間関係より、マルタ共和国の傾斜の大きな街並みや、後半の舞台である北ドイツの大都会にしてドイツ第一の港湾都市ハンブルクの様子など、景観を楽しむ映画かも知れない。マルタやフランスの都市の光あふれる街並みに比べると、ハンブルクは茶色い建物が多いこともあり、いかにも暗い感じがする。実際にはハンブルクだって街を歩けばそんなに暗い印象であるはずがないが(私は数日滞在しただけですけど)、映画内での扱いが、主役ふたりがたどる運命の末路としての舞台と規定されているからかも知れない。

 冒頭と最後でヤコブのモノローグが出て来るが、「私に息子がいたら」という部分がすべてを物語っているのじゃないか? 子供がいない夫婦だからこうなるんだよ、とおせっかいな忠告をしたくなる。

 東京では8月12日の封切りだったが、新潟市では3週間の遅れでユナイテッドにて単独公開中、本日(9/15、夜)限り。県内でも上映はここだけ。
 私が足を運んだ2週目火曜日の夜(上映は1日1回)の観客は、私を含めて2人だった。

 毎日新聞インターネットニュースに、芸能人が受けるハラスメントを取り上げた記事が載っている。セクハラやパワハラもそれなりに多いのだが、ここでは報酬についての問題に限定しよう。

 https://mainichi.jp/articles/20220912/k00/00m/040/181000c

 【俳優やモデル、美術・音楽家、映画製作スタッフら文化芸術分野などで働く人たちを対象に、一般社団法人「日本芸能従事者協会」がインターネット上で実施したアンケートから、業界特有ともいえるハラスメントの実態が浮かび上がった。

    (中略)

   ある回答では「不当にギャラを下げられる。何度聞いてもギャラを明示せず、最終的にとても安い金額を提示される。先にギャラを提示するよう求めると仕事の話自体がなくなる」と訴える。

 別の回答だと「一銭も支払いを受けないまま2年間仕事をさせられた。やめたかったが、別のビジネストラブルに巻き込まれて手伝っていた。最後は鬱になり、一銭も受け取れないまま」という被害もあった。】

 芸能界の前近代的な体質をうかがわせる話ではあるが、こういう体質は実は日本全国津々浦々に見られるのではないかと思う。

 例えば今年初めに当ブログでは『田舎はいやらしい』という新書本を紹介したが、その「いやらしさ」には仕事をするにあたって書面化されている条件が有名無実だ、ということが田舎では常識になっている、ということがあった(以下)。
      
 【仕事の募集があっても、そこに書かれている条件は有名無実である、というか有名無実であることが「常識」になっている。サービス残業は当たり前で、断ると嫌がらせを受ける。以上は純然たる過疎地だけでなく、県庁のある鹿児島市ですらそうだという。】

 しかし、考えてみるとこういう「田舎くささ」は、鹿児島県だけでなく、日本全国にいまだに少なからず見られる現象だろう。芸能界の場合はそれが極端だが、それほど極端でなくても類似の体験をした人間は多いのではないかと思う。

 大学だって例外ではない。
 現在日本の大学で専任教員をしているあなた、あなたはその職に就くにあたって給料がどのくらいの額になるのか、あらかじめ提示を受けましたか? おそらく、提示を受けたという教員はごくごく少数ではないか。

 かく言う私にしても、新潟大学に採用されたとき(1980年)にその種の提示は受けなかった。もらってみないと給料の額は分からないのである。私は公募で採用されたわけだが、公募書類にその手のことは一切記されていなかったからだ。

 ついでに書けば、世の中には大学教員はすごい高給取りだという先入観を持っている人間が少なくないが、これはとんでもない間違いである。新潟大学専任講師となったばかりの私の月給は手取りで15万円だった。採用されて数ヵ月後、休暇中に上京したとき友人夫妻と酒を飲む機会があり、給料額を問われたので正直に答えたら、奥さんが「いいわねー」と反応した。冗談ではない! もっとも、当時その友人はプー太郎をやっていたので、つまりバイトで暮らしていたので、収入ということで言えば私より少なかったからでもあろう。(しかしそういうことができたのも彼の父が開業医で、彼は父が都内に所有している3LDKのマンションに無料で住ませてもらっていたからである。もっとも私は学生時代に上京するとよくそこに泊めてもらっていたので、それなりに恩恵をこうむっていたわけだが)しかし定職についていて月給15万円なんてのは、当時として最低ランクの給料に過ぎなかった。だから私は、大学時代のサークルの同期生で某都銀に勤務している男は私の倍の給料を取っているという事実を教えてあげたのである。

 話を戻す。
 しかし、最近はもしかすると日本も少し変わってきているのかな、と思えないでもない。

 日本独文学会から来る定期的な情報メールによると、現在、九州大学人文系でドイツ語のネイティヴ専任教員を公募している。その公募書類によると、ポストは専任講師か准教授で、学歴は最低で修士号所有、給料は年額400~600万円(税引き前)だそうである。つまり、給料額が一応提示してあるのだ。とはいえ400万円と600万円では1.5倍もの開きがあるが、年齢や家族構成によって給料は変わってくるから、この程度の大ざっぱな額しか提示できないのであろう。提示してあるだけでも、私の頃と比べると大きな進歩である。でも、国立大学准教授なんて言っても、年収は最大で600万円ということが分かるわけですよね。

 もっとも、このように収入が明示されているのは、公募対象がドイツ語のネイティヴ、つまり外国人だから、ということもあるかも知れない。
 日本独文学会提供の情報では、他に複数の私大からドイツ文化やドイツ語の教員公募が出ているが、いずれも日本人を前提とした(或いはドイツ語ネイティヴなら日本語能力があるという条件がつく)人事であるせいか、給料額は明示されていない。

 専任教員だけではない。都内の某有名私大付属の高校からはドイツ語非常勤講師の公募が出ているが、やはり給料の額は明示されていない。

 だから、基本的に日本の大学の体質は、私が新潟大学に採用された1980年頃から変わっていないと見ていいだろう。

 非常勤講師といえば、私は新潟大学に採用される直前は母校・東北大の助手として給料とりになっていたが、他に仙台市内の某私大でドイツ語の非常勤講師をやっていた。その給与は、90分1コマを1回やって5000円だった。1年間に授業は30回程度あるから、年間で15万円程度になる。(実際には1日2コマ持っていたので、年間30万円ほどになった。)

 新潟大学教養部にドイツ語教員として採用されて数年後、私より遅れて教養部フランス語教員に採用された方と話す機会があった。その方は東京の私大仏文科の出身で、(東大なら大学院を出てすぐ就職が決まるわけだが、そうはいかず)大学院修了後数年間非常勤で食いつないだという経歴の主だった。「非常勤の給料が安くてね、1コマ5000円なんです」と言うので、てっきり私の場合(1コマを1回やって5000円)と同じだと思って「でもそんなものじゃないですか」と言ったら、「いや、1コマで月給が5000円」という答があって仰天した。年間授業が30回あるとすると、90分授業を30回やって月給5000円、つまり年収が6万円! 私が仙台の某私大でもらっていた非常勤給料の2.5分の1に過ぎない。

 東京は独文や仏文を出た人間が多いので、その分非常勤の給料も安く抑えられているらしい、と気づいた。別の言い方をすれば、非常勤講師は搾取されているのである。
  
 念のために付け足せば、「1コマ90分の授業が年間30回で月給が5000円なら、つまり45時間で6万円で、時給にすると1000円以上だから、いいじゃないか」とのたもうお方はモグリである。1コマの授業をやるには下調べの時間がそれなりにかかるし、また試験をやった後の採点時間は90分の数倍を要するからである。つまり、90分で1000円以上というのは表面上の数値であって、実質的にはその数分の一に過ぎないのである。

 これは必ずしも昔の話ではない。この春、上智大では非常勤講師への給料不払いで事件が起こっている(下記URL)。これは、上記のような非常勤講師に対する搾取が生んだ訴訟なのである。
 https://www.yomiuri.co.jp/national/20220530-OYT1T50151/
 
 芸能界の体質と、大学の体質、案外、似ていませんか?

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今年映画館で見た102本目の映画
鑑賞日 9月12日
シネ・ウインド
評価 ★★★

 英国映画、フィリップ・バランティーニ監督・脚本作品、95分、原題は邦題に同じ(Boiling Point)。

 ロンドンのレストランにシェフとして勤務するアンディ(スティーヴン・グレアム)。クリスマス直前で店はかき入れ時だが、彼は家族のごたごたを抱えて疲労困憊。どうにか出勤してみると、衛生管理検査官が抜き打ち検査に来ていて、従来の評価を下げられてしまう。開店後は客の数がキャパシティを上回っているばかりか、SNSでのフォロアー数を誇る客や、グルメ評論家を連れてやってきた知人のワケありシェフがいて、さらには支配人女性と料理人女性の対立も・・・

 実在のレストランを舞台にワンショットの編集なしで撮影されたというのがウリの映画だけど、そういう技巧的な問題は評論家に任せておけばいいので、映画としての面白さをふつうの観客は問うべきだと思う。その点で言うと、まあまあ、くらいというのが私の評価。

 有名レストランのシェフなのに、調味料などを含めて1日の営業に必要な材料をあらかじめしっかり揃えておかなかった、というのはあり得るのだろうか(これが最終的に事件を引き起こす)? いくら家族問題で悩んでいるとしても、仕事は仕事でしょう。或いは、レストランでやるべき仕事が過多であるというなら、支配人とその点で日頃から色々やりあっているのが普通だと思うけど、この映画では主役シェフは女料理人と支配人の対立には悩まされているが、自分のことに関してどうなっているのか、よく分からない。私はこの業界のことは知らないけど、業務に必要な人員の数を確保し適性に配置する、というのもシェフと支配人の仕事じゃないのかね?

 東京では7月15日の封切だったが、新潟市では7週間の遅れでシネ・ウインドにて上映中、9月16日(金)限り。私が足を運んだ月曜午後の回は、十人台前半の入りだった。

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評価 ★★★☆

 著者は1938年生まれ、岡山大文卒、河出書房編集部を経て、作家・著述業。私はこの人の著作としては、筒井康隆断筆問題が起こったときに筒井批判派として書いたものを多少読んだ程度である。

 本書は島崎藤村の『破戒』が書かれるに至った経緯や、その後のヴァージョンの変遷、また塩見自身とこの作品との関わり、被差別部落に関する個人的な経験などを綴ったものである。

 第一章では藤村(本名は春樹)の若い頃の経歴に光が当てられている。藤村は明治学院に学んだわけだが(明治20~24年:当時の明治学院は大学ではなく専門学校。大学になったのは戦後)、途中で第一高等中学(のちの第一高校、現在の東大教養学部)を受験して失敗し、それが大きな心理的打撃となった、と推測しているところが、ちょっと面白い。
 あとは、長野に生まれた藤村の土地勘みたいなものについても考察がなされている。

 第二章では、部落問題に関心を抱くきっかけとなったのが大江磯吉という教育者について知ったことにあったという事実が指摘されている。藤村より四歳上で明治維新の年に飯田市の被差別部落に生まれ、松本の長野師範学校(現在の信州大学教育学部)を二番の成績で卒業、さらに東京の高等師範学校(のちの東京文理科大学、現在の筑波大学)を出て、母校の長野師範学校の教員となるが、そこで彼が穢多の出身だと騒ぐ者がいて、大阪師範学校、そして鳥取師範学校主事に転じた。鳥取で大江は「自分は部落の出身だが、学問の道に上下はない。生涯を教育にかける」と発言したという。やがて兵庫県の現在でいう丹波市にある柏原中学(現在は柏原高校)の校長となるが、明治35年、35歳にしてチフスに感染して没している(44~45ページ)。藤村はこの大江から、『破戒』に登場する二人の人物、つまり瀬川丑松と猪子廉太郎を創造したのではないかという。

 第二章ではこれに続いて、『破戒』以前に被差別部落を扱った文学作品があったことを紹介している。もっとも塩見が自分で調べたわけではなく、川端俊英『「破戒」とその周辺』(1984年)などの先行研究に依拠している。具体的な作品としては、徳田秋声『藪こうじ』(明治29年)、泉鏡花『貧民倶楽部』(明治29年)、小栗風葉『寝白粉(しんおしろい)』(明治30年)、清水紫琴『移民学園』(明治32年)などが紹介されている。その多くで部落出身の若い娘は絶世の美女という設定になっており、当時の部落をめぐって作家に共通する通俗的な想像力がうかがえる。また『移民学園』の筋書きはいくらか『破戒』と共通性があるという。なお藤村が『破戒』の構想を練り始めたのは明治36年ころ、出版は明治39年(自費出版)である。

 第三章では、『破戒』の中で丑松が父から言われたこと、つまり自分たちの出自は穢多といっても「古(むかし)の武士の落人」であって、「東海道の沿岸に住む多くの穢多の種族のように、朝鮮人、支那人、露西亜人、または名も知らない島々から漂着したり帰化したりした異邦人の末とは違」う、という言葉についての分析がある。塩見はここに幕末の尊王攘夷思想から連綿として続き日露戦争期に台頭したナショナリズムの影を見ている。実は被差別部落民はもともとは海外から渡来した民だ、という説は(現在は否定されているが)明治時代にはそれなりに受け入れられていた。本書はその点に少し触れてはいるが、あまり深入りしていない。

 第四章では『破戒』に対する同時代人の評価が取り上げられている。大塚楠緒子や小川未明の否定的な評価。また近松秋江は、この作品に描かれているようなひどい差別は現実には存在しないと述べながら、部落民差別は「結婚はしないまでも案外早く薄らぐかも知れない」と書いた。「結婚はしないまでも」と差別意識丸出しなのにそれを自覚していない脳天気ぶりを、塩見は痛烈に批判している。柳田国男も近松と似たようなことを書いているという。与謝野晶子は、堺の旧家の子女である自分の体験として、「穢多という言葉を聞くだけで目を逸(そら)して奥へ逃げ入りました」と述べて、『破戒』にも、丑松ひとりならともかく、他にも何人も穢多が出てくるので耐えられなかったという意味のことを書いているという。当時の関西に住むお金持ちのお嬢様の感じ方が分かる。
 これに対して漱石は、「後世に伝うべき名篇なり」と高く評価している。

 もっとも、被差別部落に関する知識自体が明治時代には一般人には広まっておらず、大正時代に入ってからようやく学術的な研究がなされるようになったと塩見は指摘している(110ページ以下)。

 『破戒』は初版が刊行されて以降、しばらくは再刊されることがなかった。しかし藤村の文名が上がり、大正になって藤村全集が刊行されたとき、久しぶりに本として世に出た。大正11年のことである。このとき、藤村は微細な語句の修正は行っているが、問題にするほどのものではない。問題になるのは、昭和4年に新潮社の『現代長篇小説全集』に『破戒』が収録されたときである。ここで藤村は「穢多」を「部落民」に直した(116ページ以下、および132ページ。132ページでは版の変遷を分かりやすく要約している)。

 さらに昭和14年、新潮社の「定本版藤村文庫」として出されるとき、『破戒』には大幅な修正が加えられた(本書の副題にある「再刊本」は、このヴァージョンを指している)。上で述べた、穢多の起源を海外出身民族とする記述も削除され、「落人」の部分だけが残った。この修正には水平社の関与と新潮社の配慮(或いは臆病ぶり)があった。ただし、水平社と言っても全国水平社と各地の水平社の考えは異なっており、この場合は関東水平社という地域の団体であり、そこに所属する小林綱吉という人物が主導していたのではないかという(130ページ)。全国水平社でも昭和13年に大会で『破戒』再刊支持を決議するのだが、この段階ではゲラでの修正が済んでいたのではないか、と塩見は推論している(130~131ページ)。

 新潮社は昭和29年に『破戒』を新潮文庫に収録したが、それはこの昭和14年に大幅な修正を加えられた版(塩見の言う再刊本)であった。『破戒』の冒頭として有名な「蓮華寺では下宿を兼ねた」という文章も、「蓮華寺では広い庫裏(くり)の一部を仕切って、下宿するものを置いていた」という、説明的な文章になっていた。
 新潮文庫の『破戒』が明治39年の初版の形に戻るのは、昭和46年になってからである。
 ただし塩見は、再刊本より初版がすぐれている、という評論家の言説には必ずしも賛成していない(いわゆる差別語の修正に賛成しているわけではない)。

 しかしこれに先だって、昭和28年、筑摩書房が『現代日本文学全集』の第一回配本として『破戒』を刊行したとき、初版本のヴァージョンで収録した。野間宏が朝田善之助(当時部落解放委員会常任中央委員、のちに部落解放同盟委員長)に働きかけた成果だという。しかし、そのようにして旧水平社の同意をとりつけたはずだったのに、翌昭和29年に部落解放全国委員会は初版本の形で『破戒』を出した筑摩書房を批判した。そして筑摩書房の側もわびをいれたという。塩見は、部落解放委員会を事実上取り仕切っていた朝田善之助の性格が原因ではないかと推測している。

 以上のように、本書は『破戒』のたどった運命を、当時の文芸思潮や、著者自身の被差別部落民との関わりなども交えながら語った本で、『破戒』に興味を持つ人には悪くない本である。初版本と再刊本の文章の違いについては一覧表が巻末に収録されている。また、依拠した文献も明示されているから、より詳しく知りたい場合はそちらを読むのがいいだろう。

 『破戒』は先頃久しぶりに映画化された。これを機に原作を読んでみるのも一興かと。

 新潟県立図書館から借りて読みました。

 先日の産経新聞の記事から。

 https://www.sankei.com/article/20220902-B2GLSXZKQZJTBKBSIYITL6ZYSU/
 第二次大戦の戦争損害183兆円 ポーランド、独政府に賠償交渉要求
 2022/9/2 10:03

 ポーランド政府は1日、第二次大戦中のナチス・ドイツの侵攻と占領による損害は約6兆2200億ズロチ(約183兆円)に上るとの試算を発表した。ドイツ政府に賠償交渉を求める。

 83年前の1939年9月1日にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第2次大戦が始まった。45年の終戦までにポーランドでは約600万人が犠牲になったとされる。

 欧州メディアによると、ポーランドは2015年に愛国主義的な保守与党「法と正義(PiS)」が政権を取って以降、ドイツに対する賠償請求論を主張。ドイツ政府はポーランドが1953年に賠償請求を放棄したため請求権は消滅したとの立場で、賠償問題は解決済みだとの姿勢を崩していない。

 PiSのカチンスキ党首は「ドイツは甚大な損害をもたらした」と訴え、賠償金を受け取るまで「長く困難なプロセス」になるだろうと述べた。(共同)

                                  

 ここから分かることは色々ある。
 
 まず、ドイツは第二次世界大戦での敵対する相手国への賠償をしていなかった、という事実である。

 むかし、ドイツは日本と違って第二次大戦での自国の行動を反省しているという、まことしやかな言説が流されたが、それは完全な間違い。

 ドイツの補償は、ユダヤ人虐殺などの人種差別的な災厄に限られていた。だから、日本がドイツを見習うのではなく、逆にドイツこそ日本を見習うべきなのだ。

 もう一つは、ポーランドの賠償請求がドイツのみに向けられていること。
 歴史を知る人なら、「変だ」と思うはずだよね? (思わないあなた、世界史をもう一度、勉強し直しましょう!)

 なぜなら、ドイツは1939年にポーランドを侵攻して、それにより第二次世界大戦ヨーロッパ戦線が始まったわけだが、それに少し遅れて、ソ連もポーランドに侵攻したからだ。

 ナチ・ドイツのポーランド侵攻は、その少し前に結ばれた独ソ不可侵条約の秘密議定書によっており、秘密議定書はドイツとソ連がポーランドを二分割して支配することを定めていた。(さらに、東欧をドイツとソ連で二分割することも、である。)

 したがって、ポーランドはドイツに戦争の損害賠償を請求するなら、ロシアにも請求しなければおかしいのである。

 その辺が、産経の記事に書かれていないのが困るのだが、常識的に判断して、現代のドイツに損害賠償を求めても戦争をふっかけられる恐れはないが、ロシアに同じことをやったら戦争をしかけられる可能性があるからだろう。

 しかし、筋を通すなら、ポーランドはあくまでナチ・ドイツとソ連=ロシアを同列におかなければならないはずなのだ。

 ポーランドのご都合主義、と言っては失礼か。でも、いわゆるホロコーストにはナチ・ドイツだけじゃなく、ポーランドの反ユダヤ主義もそれなりに関与していたわけだから、ポーランドを純粋な犠牲国家と見るのは当を得ていないんだけどねえ。

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今年映画館で見た101本目の映画
鑑賞日 9月8日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★★☆

 フランス映画、ファビアン・ゴルジュアール監督・脚本作品、102分、原題は"La vraie famille"(本当の家族)。

 アンナ(メラニー・ティエリー)は夫ドリス(リエ・サレム)との間に小学生の息子と娘がいるが、さらに里子のシモン(ガブリエル・パヴィ)を引き取って育てていた。シモンは5年前、まだ一歳半の時に、実の母を亡くし、残された父親も妻を失ったショックで育児不能という状況下におかれたため、里子として引き取られたのだった。

 シモンを含む一家5人は楽しく暮らしていたが、或る日、シモンの実父が息子を引き取りたいと申し出る。シモンを実の子のように可愛がっていたアンナはその申し出に反発するのだが・・・

 里親制度にからむ人間模様を描いた映画。日本でも生みの母が育てられない子を里子として引き取ったところ、その後実の親が現れてという映画が作られており、いずれも秀作だったけれど(『朝が来る』『夕陽のあと』)、このフランス映画もよくできている。日本の上記2作はいずれも未婚の母から生まれた子だったが、本作品では正式の結婚から生まれた子供であり、基本的な条件が異なっている。里子制度を司るフランスのお役所の機能なども興味深い。

 それ以外にも、夫ドリスを演じるリエ・サレムがアラブ系(頭髪は黒い縮れ毛で肌も浅黒い。アルジェリア出身だそうである)で、その長男も同じような外見を持っているなど、多民族化しているフランスの様子がうかがえるし、アンナとドリスの夫婦は経済的には中流で一戸建てに住み、夏や冬には休暇旅行に出かける余裕があるのに対して、シモンの父は労働者で高層アパートの10階に住み、クリスマス休暇も自宅で過ごすしかないといった経済的な格差問題も盛り込まれている。

 ラストも、一応ハッピーエンド(らしきもの)ではあるのだが、これで良かったのか、という気持ちが残る。結局、誰にとっても100%満足のいく解決策はないということだろう。色々と考えさせられる、大人向けの映画である。

 東京では7月29日の封切だったが、新潟市では5週間の遅れでイオン西にて単独公開中。県内でも上映はここだけ。
 私は一週目の最終日である木曜の夜の回(1日2回上映の2回目)に足を運んだのだが、観客は私を含めて2人だった。うーん・・・秀作なんだけどねえ。新潟の映画ファンの奮起を期待したい。2週目は1日1回の上映になってしまうけれど。

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9月6日(火)午後7時開演
りゅーとぴあ・スタジオA
1500円

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 山際ひかりさんは新潟市の出身、京都市芸術大学を卒業後、カールスルーエ音楽大学の大学院に在学中。
 ピアノは新潟大学教授の田中幸治氏。
 山際さんにとっては公開でのリサイタルはこれが初めてだそうです。

 会場であるりゅーとぴあ・スタジオAに開演10分前くらいに行ったら、すでに空き席がほとんどなく、最前列右端から二番目の席にすわりました。あらかじめ出していた椅子が足りなくて、開演直前になって追加で椅子を出していました。50人くらい入っていたでしょうか。この会場としては盛況と言えるでしょう。

 山際さんは青のドレスで登場。膝から下に花柄模様が入っています。

 バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番BWV1006
 ベートーヴェン: ヴァイオリンソナタ第5番「春」op,24
 ラヴェル: ツィガーヌ
 (アンコール)
 エルガー: 愛の挨拶

 何しろ演奏者から10メートルと離れていない位置で聴いたのですから当然かもしれませんが、第一曲のバッハでヴァイオリンの音が鳴り出すと、脳天を突き抜けるような感じがしました。非常によく通る高音。やや鋭い音色。そうした音色に添うように、奏でられる音楽もどちらかというと鋭角的でくっきりとしています。まあ、音色は会場によっても違ってくるので、もう少し大きなホールだとまた異なる印象になるのかも知れませんが。

 高音だけでなく、第3曲のラヴェル冒頭では、中低音の迫力もしっかりと聴かせてくれました。音の出方にはまったく問題を感じさせません。技巧的にもほぼ安定しています。

 逆に言うとベートーヴェンでは、特に緩徐楽章で暖かみを感じさせる表現が欲しいなという気はしました。ピアノの田中氏が、その辺をうまく補っていたようですが。

 初めてのリサイタルとして、立派に成功を収めたと言えるでしょう。
 でも、トークはもう少し練習したほうがいいかな。練習は楽器だけでなく、トークにも必要でしょうから。

 途中休憩なしで1時間をちょっと超える演奏会でした。ソナタをもう一曲追加すれば、途中休憩をはさんでの通常のリサイタルに持って行けますね。次回は、ぜひそういうリサイタルを聴きたいと思いました。

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今年映画館で見た100本目の映画
鑑賞日 9月5日
Tジョイ新潟万代
評価 ★★★☆

 片岡翔監督・脚本作品、100分。

 心理療法の医師・窪司朗(玉木宏)には妻、そして二人の娘があった。しかし5年前に交通事故に遭い、妻は意識不明のまま入院中で、次女・月(ルナ)は顔に大きな傷を残して自宅で仮面をつけての生活、窪司朗自身も足に障害が残った。ただひとり、ほぼ無傷で済んだ長女・花(南沙良)も心の傷を抱えて生きていた。

 そんな或る日、司朗は「お母さんの意識が戻ったんだよ」と言って女性(桜井ユキ)を自宅に連れてくる。顔が変わったのは事故後の整形手術のためと言うのだが、長女・花には彼女が母だとはどこか思えないところがあった。花はその頃、偶然同年代の少年・純(大西流星)と知り合うのだが、彼の母もかつて司朗の診察を受けたことがあり・・・

 最初は筋書きの展開がうまくつかめないが、徐々に核心がどこにあるのかが分かってくる。ホラーめいた味もあるけれど、ちょっとトリッキーなSF作品。ただ、ラストの直前あたりはゴタゴタしていて、もう少しスマートな持って行き方ができなかったのかと思う。タイトルの意味は最後で判明するようになっている。

 ヒロインの長女・花を演じる南沙良が魅力的(ポスターの画像はあまりよく撮れていない)。まだ二十歳だそうで、今後に期待。

 新潟市では全国と同じく9月1日の封切で、Tジョイ新潟万代にて単独公開中。県内では他にTジョイ長岡でも上映している。
 私が足を運んだ月曜午後の回は、観客が4人だった。作品の知名度が低いためだろうか。

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9月4日(日)午後2時開演
りゅーとぴあ・能楽堂
1000円 (全席自由)

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 バッハの主要曲を全曲演奏することをめざした立ち上げられた新潟県内の団体。
 その後、新型コロナウイルス感染症の拡大など、色々あって活動も思うにまかせないようではありますが、活動は続いています。

 新型コロナウイルスが流行し始めてからの新潟市での演奏会ではりゅーとぴあのスタジオAが使われましたが、さすがに狭いということで、今回は能楽堂での開催。
 りゅーとぴあのポジティブオルガンは外部への持ち出しを禁じているので、りゅーとぴあ内で音楽会をポジティブオルガン込みでやろうとすると、スタジオAでなければ、能楽堂か劇場しかないわけです。

 それはさておき、今回の演奏会です。前回、長岡で久しぶりの公演を聴いてから1年2ヵ月ぶり、りゅーとぴあのスタジオAで開催された公演からは2年9カ月ぶりで聴きました。もっとも、この7月には新潟市の憲政記念館で演奏会を開いたようですが、そちらは行かなかったので。

 会場の能楽堂は、100人くらいの入り。


 指揮=若林康之

 バッハ: モテット「イエスよ、私の喜びよ」BWV227
 (休憩)
 パーセル: ファンタジア「グランド上の3声」Z.731
 パッヘルベル: カノン
 バッハ: G線上のアリア
 バッハ: 2本のフルートと通奏低音のためのトリオソナタBWV1039
 (休憩)
 バッハ: カンタータ「キリストは死の棘に縛られて横たわった」BWV4

 バッハの声楽曲を最初と最後において、中間には器楽曲をおくというプログラムです。

 編成は小さく、合唱は10人に満ちませんし、合奏も、弦楽器はヴァイオリンが2名という小編成。

 私の感想を言うと、声楽は独唱も合唱も健闘していたと思いました。
 今回は、久しぶりにと言うべきか、指揮者をちゃんと(演奏者とは別に)たてたのが、良かったのかも知れません。

 楽器のほうは、それに比べるとどうでしょうか。
 特にヴァイオリンとヴィオラは、やや問題ありのような気がしました。
 演奏者数が少ないということは、言い換えれば個々の演奏者の力量がそのまま出るということでもある。

 最近の新潟県の音楽会では(少なくとも新潟市では)、弦楽器の力量が向上しています。
 そういう傾向が、あまり反映されていないような。
 実はこの団体の弦楽器は以前から人数やレベルという点で問題含みだったという気がしますが、その点が改善されていないのですね。
 今後の課題なのかなと。

 あと、マタイ受難曲の全曲公演(ヨハネ受難曲はすでに演奏しているので)が現在の目標のはずですが、その辺がどうなっているのかと。

 とはいえ、新型コロナの流行で色々と困難が多いわけですから、とりあえずは活動を続けていることを良しとして、今後に期待したいと思います。

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評価 ★★★★☆

 著者は1981年生まれ、一橋大大学院経済学研究科修了後、2006年から共同通信記者。本書執筆時はエルサレム支局長。

 難民の日本における扱い、およびそれを管理する入国管理局、いわゆる入管のあり方をめぐって、入管に収容されていた外国人が死亡するなど、色々な問題が指摘されている。そうしたテーマでいくつか映画も作られており、当ブログでも紹介したが(『東京クルド』『マイスモールランド』『牛久』)、映画はこの種の社会問題を詳細に論じるのには不向きな媒体であり、分からないことが多いので、本書を読んでみた。

 本書を読むと、例えばクルド人がなぜ日本に難民として来ているのかがよく分かる。クルド人は自民族の国を持たず、トルコやシリアなどに居住している。シリアなら内戦、トルコなら国内政策や情勢の結果として国内にとどまると身の危険性が高くなり(これも時代により変化している。現在のエルドアン大統領の対クルド人政策も一貫していない)、国外に出ざるを得なくなり、たまたま日本の蕨市にはクルド人が一定数居住していたこともあって、親戚や知己のツテをたどって日本へ、ということになるわけだ。蕨市が昔から鋳物業で外国人労働者(当初は映画『キューポラのある街』に描かれているように在日コリアン)を受け入れやすい土地柄であることも説明されている。バブル時にイラン人が(非正規滞在の)肉体労働者として入り込み、取り締まりが厳しくなるとそれに代わってクルド人が増えたらしい。蕨市は東京に近い割りには家賃が安いことも魅力なのだという。

 クルド人だけではない。例えば南米出身のLGBTの青年(男として生まれたが女と自認)は、故国にいるとLGBTだと身に危険が及ぶので、そういう心配がない日本にやってきたのだという。この青年は映画『牛久』にも登場していたが、映画ではその辺の事情がよく分からなかった。本書はそのような、個々の難民の抱えている事情を含めてしっかりと説明してくれているので、説得性が高い。

 『東京クルド』の冒頭に映し出されていたトルコ人とクルド人の乱闘も、その背景がきちんと記されている。要するにトルコでは国政選挙で在外トルコ人の投票を認めているので(クルド人もトルコ出身の場合は国籍はトルコである)、トルコ人からすれば反体制派であるクルド人の投票を阻止しようとして、ということらしい。

 こうした「不法滞在者」の扱いについて、実は入管の管理は一定していない。現在は日本における不法滞在者の労働は禁止、という原則がかなり厳格に守られている。だから不法滞在者が労働をしていると入管の収容所に入れられてしまい、厳しい管理下で過ごさなければならなくなり、それに対してハンストによる抗議がなされたり、逆に入管の職員による肉体的な拘束がなされたりする。そうした拘束の過程で病気や怪我も生じがちであり、場合によっては死亡事故にもつながるわけだ。なお入管に収容された外国人の死亡は少し前に大々的に報道され裁判にもなった事例にとどまらない。ここ数十年で十数人の外国人が死んでおり、闇に葬られたケースも含めればもっと多いのではないかという。

 しかし過去においては、入管の管理がそれほど厳しくない時代もあった。バブルの頃は、日本では肉体労働者が不足していたので、観光ヴィザで来日してそのまま居残り、労働者として稼いで祖国の家族に送金、といった例が多かった。つまり、入管側も国内の労働力不足を承知しており、外国人の不法労働を事実上容認していたのである。

 バブル崩壊とともに労働力不足も言われなくなり、そうなると入管の管理も厳しくなる。最近では、東京オリンピック(新型コロナのせいで2021年にズレこんだが)の開催が決定した2010年代に入ってから入管による規制が厳しくなったという。それ以前は、不法滞在者は労働に従事してはならないという建前があっても、定期的に入管に行って報告を行うときに、「働いていませんね」という職員の問いに対してうっかり「働いています」と答えてしまっても、職員が小声で「働いていません、と答えないとダメですよ」と注意してくれたという。つまり、不法滞在者の労働を入管は黙認していたわけだ。しかし東京オリンピックの開催が決まって、国内の治安を維持しなければということが強く言われるようになって、入管の態度も厳しくなったのだという。

 それだけではない。入管の管理が厳しさを増しているのは、最近世界的に難民の数が増えているからで、日本に入り込もうとする外国人を水際で食い止める、という意識が働いているためだ。入管の職員はそうした、いわば国を守るという自分の仕事にそれなりのプライドを持っているという。日本は国際的な難民条約に署名しているが、難民の申請に対する認定率は1%未満であり、50%台のカナダ、30%台の米国と英国、20%前後のドイツとフランス、そして7%弱のイタリアなどと比べて極端に少ない(243ページ)。国際条約に署名していながら事実上それを守っていないわけだ。(ただし、半分以上認めているカナダを別にすれば、各先進国もそれなりに難民に対する規制を行っている現実は知っておくべきだろう。)

 入管の仕事は担当する役所の権限で決まる度合いが高く、その非人道的な扱いを裁判に訴えても却下される場合がほとんどである。また、幼いときに日本に来て日本語で育ち、したがって日本で暮らしていきたいと考えている青少年ですら、日本の居住権が認められる例は多くない、事実上日本語しかできなくても強制送還されてしまう場合が珍しくないし、また裁判に訴えても、裁判官の「人間性」により判決は左右されていて、入管の方針に追随するだけの裁判官も多いという。

 こうした裁判所の体質は、1978年に出されたいわゆるマクリーン判決によっている(206ページ)。外国人の日本滞在を認めるかどうかの決定権は日本の国家にある、とする判決(一審はこれと逆の判決だったが、高裁で逆転し、最高裁も高裁を支持)であり、これが、国際的な難民数の増加といった世界情勢の変化にもかかわらず、40年以上にわたって日本の裁判官を束縛しているのだという。

 以上、大事な部分をかいつまんで紹介したが、本書には入管での非人道的な扱いの事例も豊富であり、食事のひどさ(業者委託で単価が安いからである)などの指摘もあり、また外国の入管についても紹介があり、多様な視点からこの問題が検討されている。ヴェトナム戦争終結時のボートピープルが日本の国籍をとった例も挙げられている(224ページ以下)。したがって、入管に関する問題を知りたい人には必読書と言えるだろう。

 ただし、入管問題の背後には難民問題があるわけで、その点について本書はほとんど触れていない。日本の入管が現在のような方策をとっているのは、難民問題を人道的な見地だけで扱うことはできず、難民を多く入れれば国内に様々な別の問題が生じるからだ、という視点も必要である。ヨーロッパの難民問題については別に本が出ているから(墓田桂『難民問題』中公新書)、そちらを併読しておく必要はあろう。

 新潟県立図書館から借りて読みました。

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今年映画館で見た99本目の映画
鑑賞日 9月3日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 松本優作監督・脚本、121分。

 川崎の児童養護施設で暮らしている少年・優太(白鳥晴都)。幼い時分に施設に預けられ、当初は母が時々面会に来てくれたものの、最近はご無沙汰。そこで彼は施設から逃げだし、房総半島の港町で暮らす母(松本まりか)のもとを訪ねていく。母は男を作っており、数日は泊めてくれたものの、一緒には暮らせないと言う。優太はやがて、ホームレスの松本(オダギリジョー)が居住している軽トラに身を寄せる。松本は優太と似た境遇で育っていた。また、地元の女高生・詩織(川島鈴遥)も、経済的には不自由のない暮らしをしていたが、幼いときに母を失ってその喪失感から松本と優太に共感を抱き・・・

 居場所がないと感じている三人の物語。漁港・大原を舞台に繰り広げられるドラマにはそれなりの雰囲気があるけれど、坂本と詩織については設定が中途半端な感じがある。特に詩織については、経済的には何ら不自由していない彼女が、母が幼い頃に死んでいるというだけの理由で通常の生き方から逸脱するというのは、よく分からない。もう少し設定を綿密に考えるべきだった。

 東京では8月11日の封切だったが、新潟市では3週間の遅れでイオン西にて単独公開中。県内でも上映はここだけ。
 新潟での封切翌日の土曜日午後に劇場に足を運んだが、観客は10名だった。

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9月2日(金)午後7時開演
新潟市音楽文化会館
3000円 (前売、全席自由)

 この日は標記の演奏会に足を運びました。新潟セントラル・フィルハーモニー管弦楽団は、2011年に活動を開始したオーケストラ。現在の新潟にはプロのオーケストラが(残念ながら金沢や山形や仙台とは異なり)存在しないわけですが、「地元のプロ奏者を中心に編成するオーケストラ」と自称しています。プロとは何かという面倒くさい議論を抜きにするなら、要するに音大卒のレヴェルの高い奏者を中心にして、従来の新潟のアマオケよりはっきり格上のオーケストラをめざす、ということでしょう。

 ふつうの管弦楽の演奏会と並んで、少し前には室内楽のコンサートもやっています。私は残念ながら他の演奏会とかぶって行けなかったのですが。

 そして今回は弦楽のみのコンサート。色々な試みをする幅の広さを持つオケ、ということでしょう。もっともヨーロッパの著名なオーケストラでは(そして日本のプロオケでも)団員が室内楽など、通常のオーケストラ演奏会以外の色々な試みを行うのはよくあることではあります。

 前置きが長くなりましたが、そういうわけで弦楽合奏のコンサートです。

 指揮=磯部省吾、コンミス=佐々木友子
 モーツァルト: ディヴェルティメント KV.138
 ホルスト: セント・ポール組曲
 (休憩)
 バルトーク: ルーマニア民俗舞曲
 チャイコフスキー: 弦楽セレナーデ
 (アンコール)
 チャイコフスキー: アンダンテ・カンタービレ

 客数はさほど多くなく、150人いたかどうか。
 私は12列右ブロック左端にすわりました。音文ではだいたいこのあたりにすわっています。
 第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが各6名で左右両端。第一ヴァイオリンの右隣りがチェロ4名、第二ヴァイオリンの左隣りがヴィオラ4名。後ろにコントラバス2名。

 音を聴いてみると、第一ヴァイオリンの6名が音をよく出していました。単にヴァイオリンの6名が楽器を弾いているのではなく、音に力があるのですね。ちゃんとした音を出せる奏者が揃っているということ。この辺は新潟の従来のアマオケとはっきり違うところでしょう。ただしぴったり息が合った合奏という点では、東響や紀尾井ホール室内管弦楽団(井上静香さんが入っている)の域には達していませんが、プロでも東響ほど弦がぴったり合っていないオケもありますから、仕方がないことでしょう。

 曲の随所でソロの出番があり、そこでも奏者の実力が発揮されていました。特にコンミスの佐々木さんの美音が光っていました。

 味わいの異なる4曲を並べたプログラムは悪くなかったのですが、チャイコフスキーを除くと短めの曲ばかりですね。前半は30分で終わってしまったし、もう1曲くらいあっても良かったのでは、と思いました。

 何にしても、新しい試みがなされるのは好ましいこと。今後も続けていって欲しいものです。

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今年映画館で見た98本目の映画
鑑賞日 8月31日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 日本映画、トーマス・アッシュ監督作品、87分。

 日本の入管に問題があるということはかねてから指摘されているが、この映画は、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに収容された人々を映し出すことで、日本の入管収容所の実態を告発したドキュメンタリー。

 この施設に収容された難民が受ける非人間的な扱いを、隠し撮りという手段を用いて映像化しているところがミソ。

 入管で死亡事故があるなどして、その内実には最近批判的な声が高まっているが、このドキュメンタリーもその一つ。
 隠し撮りを通して日本の閉鎖的な難民行政の実態を明らかにしようとした意図は買うが、映画ならでの限界もまたこの作品は露呈している。例えば、難民がいかなる理由で日本に来たのか、なぜ彼らが難民認定されないのか、なぜこのような非人間的な施設が容認されているのか、などは、この映画を見ても必ずしも「よく分かる」わけではない。

 思うに、この種の問題をしっかり勉強しようと思うなら、映画は残念ながらそれにふさわしいメディアではない。この映画を見ると、そのことがよく分かる。

 当ブログでも、難民問題を扱った映画『東京クルド』『マイスモールランド』をすでに紹介しているが、それらと比べても本作品は難民問題をしっかり伝えることに成功しているとは言えない。隠し撮りもいいが、難民問題を取り上げようというなら、問題自体を広く深く把握した上で、その急所を捉えるよう工夫すべきなのだ。

 私は最近、この問題について論じた書物、平野雄吾『ルポ入管 絶望の外国人収容施設』(ちくま新書)を読んだのだが(近く当ブログで紹介します)、映画を3本見るより、300ページの新書を1冊読むほうがはるかに多くの、そして本質に迫った情報を得ることができる。映画3本見るには6時間を要するが、6時間あれば300ページの新書本は楽に読めるのだから、そちらのほうが勉強になるよ、と言っておきたい。

 東京では本年2月26日の封切だったが、新潟市では半年の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定公開された。観客は20名弱くらいだったか。

 岸田総理が突然(と見えた)、原発推進を言い出したので、驚いた人は多いだろう。

 かく言う私もその一人である。福島であれだけの事故を起こしておいて、しかもその処理がまだまだ済んでいないのに、すでに建設された原発の早期再稼働くらいならいざ知らず、それを超えて積極的な建設を、と言いだしたのだから、なにかワケがあるんじゃないかと首をひねった・・・というのが一般的な人間の対応だろう。

 この点について、毎日新聞の山田孝男・特別編集委員がそのコラム「風知草」で重要な情報を提供してくれている。

 https://mainichi.jp/articles/20220829/ddm/002/070/082000c
 【風知草】原発新増設、浮上の経緯
 特別編集委員=山田孝男
 毎日新聞 2022/8/29 東京朝刊 
 (以下の引用は一部分です。全文は上記のURLから、または8月29日付けの紙媒体の毎日新聞でお読み下さい。) 

  (前略)

 24日、岸田文雄首相が政府の会議で「次世代革新炉の開発・建設について、年末に結論が出せるよう検討の加速」を指示した。

 「革新炉」という言葉は耳慣れないが、要するに新しい原発である。岸田政権が「原発の新増設は想定しない」という従来の政策を転換――とメディアは伝え、世間は驚いた。

  首相側近によれば、首相指示の背景はロシアのウクライナ侵攻である。侵攻後の3月、政府は経済産業省に専門家会議を設け、原発新増設の検討へ動いた。

 その会議とは、総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の中の原子力小委員会の、そのまた下にある革新炉ワーキンググループ(WG)である。

 原子力専攻の学者、日本原子力研究開発機構職員、経団連職員、みずほ銀行産業調査部員ら11委員と、電気事業連合会(電力10社で構成)の原子力部長ら3専門委員から成る。

 脱原発側の委員は、民間シンクタンク「原子力資料情報室」の事務局長ただ1人。司会進行は経産省の原子力政策課長。4月の初回会合には原発メーカーの三菱重工業、東芝エネルギーシステムズ、日立製作所の幹部が参加した。

 7月29日、4回目の会合で革新炉WGの中間報告が出た。首相はこれを念頭に先週、官邸で開いた脱炭素社会移行の会議で「革新炉建設の検討」を指示。これが大報道になった。

 専門家会議の議事録、資料は「革新炉WG」でネット検索すれば読める。中間報告「革新炉開発の技術ロードマップ」骨子案(全29ページ)を読んでみた。

 委員の顔ぶれで察しがつくが、産業政策の関心から見た未来技術の評価が中心である。核融合炉を含む五つのタイプの「革新炉」のうち、技術成熟度、経済性などで最も評価が高いのが革新軽水炉だった。

 経産省によれば、革新軽水炉とは、「新しい安全技術を盛り込んだ原発」のこと。新技術とは「原子炉格納容器の強靱化」「非常用電源の多重化」など――だと資料にある。

 つまり報告は、大筋で既存メーカーによる既存原発の建て替えを推奨していると読めるのだが、来し方を顧みれば、今日、メーカーと行政が言う<安全>を誰が信じるか?――という問題にたどり着く。

 (以下、略)

                *

 「今日、メーカーと行政が言う〈安全〉を誰が信じるか?」と山田氏は書いている。そう、誰も信じないだろう。

 福島の原発事故とは、単に東電という会社の失敗ではなかった。日本の原発にかかわるあらゆる技術者や学者の敗北であった。絶対に起こしてはならない事故を起こして「想定外」などと言っていた無責任ぶりは、つまりは原発にかかわる「専門家」はこの程度であって全然アテにならないという実態をあらゆる日本人に分からせてくれたのである。   

 しかも、岸田総理の言う「次世代革新炉」なるものは、上の記事を読めば分かるように、従来の(原発事故を防げなかった)技術に多少のお化粧を施した程度のシロモノに過ぎない。省略した部分で山田氏も指摘しているが、原発に伴う諸々の懸案はなんら解決されていないのである。

 「革新」どころか「旧態依然」なのだ。こんなものを信じるほうがおかしい。

 他方で、当ブログでも書いたけれど、原発推進派の産経新聞は先日、原発建設を改めて訴える識者(?)の記事を載せたが、原発事故を飛行機事故と同列におく程度の、低レベルぶりが際立つ論考であった。だったら東京に原発を作りなさい、っていうの! あの記事は、考えてみると、山田氏が指摘しているウクライナ戦争をきっかけとする総理の動きに呼応していたのかも知れないね。

 何にしても山田孝男氏の指摘は貴重である。毎日新聞でコラムを持っている記者は何人もいるけれど、その中で山田氏はピカイチというのがかねてからの私の評価だが、今回改めてそのことを確認したのであった。

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今年映画館で見た97本目の映画
鑑賞日 8月29日
イオンシネマ新潟西
評価 ★

 アメリカ映画、ジャニクザ・ブラヴォー監督作品、86分、原題は邦題に同じ。R18+。

 デトロイトに住む黒人の女の子ゾラ(テイラー・ペイジ)は、ストリッパーと食堂のウエイトレスで暮らしをたてていた。たまたま食堂で白人の女の子ステファニ(ライリー・キーオ)と知り合い、フロリダで稼げると言われてその気になる。ゾラとしてはストリッパーの仕事のつもりだったが、実際は売春業で・・・

 ・・・というだけの映画。進行も、途中のエピソードも、今どきの(学歴のない)アメリカの若い女の子ってこのくらい壊れているのかな、と思われるシロモノ。映画を作る側も壊れているのかも。こういう悲惨な映画を見ると、アメリカという国自体が壊れつつあるのかも知れないな、という感慨に囚われる。R18+だけれど、その方面での期待もしないように。もっとも、男のナニを見ることに趣味がある人は別だけれど(笑)。

 カネ返せと叫びたくなる映画・・・と言いたいところだが、タダ券(イオンの社債を買ったら送られてきた)で見たのでカネはかかっていないのだけれど、しかし「時間を返せ!」と叫びたくなる映画ではあった。或いは、「なに、これ?」かな。主役ふたりが黒人と白人の女優で、ほかにサブの男優も黒人と白人がひとりずつだから、「政治的正しさ」だけは守っているみたいだね。だからなおさらダメ、と罵倒したくなる程度の作品だけど。

 新潟市では東京と同じく8月26日の封切で、イオン西にて単独公開中。県内でも上映はここだけ。
 私が足を運んだ月曜午後の回(1日2回上映)は、観客数4人だった。この出来じゃ、当然だろうな。

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評価 ★★★★

 出たばかりの本。出版社が毎日新聞だから、出版後にすぐ毎日新聞の書評欄で取り上げられ、それで私もその存在を知ったが、先日新潟県立図書館に行ったら入ったばかりの本書が書棚に(新刊書だからか、目立つように表紙を前向きにして)置かれていたので、借りて読んでみた。
 著者は1957年ソウル生まれ、韓国・世宗大学教授。日本では『帝国の慰安婦』(私は未読)の著者として有名だが、私は先日ここで紹介した『引揚げ文学論序説』で初めてその著書を読んだ。

 徴用工問題と慰安婦問題について詳述しつつ、日韓が歴史的対話を促進すべきだと主張した本である。ただし、私が本書を読んでも、「対話促進は当分無理だな」という感想しか湧かなかったと、最初に率直な感想を述べておきたい。

 なぜかというと、いかに韓国の学者や法律家、或いは市民運動家が異常な歴史認識しか持っていないかが、本書からははっきりと浮かび上がってくるからである。

 その異常な歴史認識とは何か? 要するに日本は朝鮮半島を植民地にはしていなかった、というものである。じゃあ何だったのかというと、韓国併合は非合法であり、日本が朝鮮半島を支配していた時代にも両国は交戦状態にあった、というのである。その根拠として、日本の韓国併合は暴力的に行われ韓国側の自主的な合意をとりつけたものではないから成立しないとか(他にも色々な細かい手続き論がある)、中国大陸に(自称)亡命政府があったから韓国は併合されていない、という・・・まあ無茶苦茶なものなのである。この論理で行くと、欧米の(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ、オセアニアでの)植民地主義はすべて不成立で、いわゆる植民地はどれも全部実は独立を保っていた、ということになるわけですよね。欧米にはありがたい論理かも知れないね(笑)。もっとも、この奇妙奇天烈な理論は、後述する日本人弁護士のアイデアらしい。

 こういう変な説を鵜呑みにする輩が、少数だけどいるというなら分かる。どんな国にも変な歴史家や知識人は一定数存在しているからだ。いわゆるホロコースト否認論者などは比較的よく知られた例だろう。ところが、韓国の場合はそうではない。こういう変な理論を一流大学の学者が唱えて、少なからぬ知識人や運動家が信じ込んでいるのである。

 韓国のこうした状態が変わる(変わると信じたいが)ためには、時間が必要だろう。日本だって私の学生時代(1971年に大学進学)には経済学者の半分はマルクス主義(いわゆるマル経)だった。日本経済も、日本と結びつきが強い米国やヨーロッパ先進国も資本主義でやっているのに、日本の経済学者の半数はそれを見ようとしなかったのである。そういう状態が変わるためには時間が必要だった。だから結論としては「日韓の対話は当分無理」となるしかないのである。

 さて、本書は徴用工問題と慰安婦問題について著者の主張を掲げているが、つづめて言えば、前者については改めて日本側からの補償があってもいいのではないかとし、後者については韓国側のあまりに単純化され歪曲された慰安婦像に多くの問題があるとしている。

 しかし、仮に徴用工問題で著者の主張に肩入れしたいと善意で考えてみても、無理だろうという結論に落ち着くのは必至なのだ。なぜなら慰安婦問題から明らかなように、韓国側は外交交渉のイロハが分かっておらず、いったん合意してもそれを平気で破り、蒸し返したり新たな要求を持ち出したりすることを日本側は身にしみて知っており、また多くの日本人にもそのことが分かって来ているからである。これは徴用工問題や慰安婦問題だけのことではない。また、半島の韓国・朝鮮人だけではなく、いわゆる在日についても言えることである。

 最初は善意で在日コリアン支援の運動をしていた佐藤勝巳が、やがて在日コリアンを批判する『在日韓国朝鮮人に問う』を出版したように、或いは朝鮮研究の泰斗である古田博司・筑波大名誉教授が「韓国(人)はまともな国家(民族)ではないから、一切関わらないほうがいい」という結論に達したように、韓国人とはまともな交渉や話し合いは不可能だ、というのが、平均的な日本人の認識になってきているからだ。

 もっとも、慰安婦問題について本書は色々なことを教えてくれる。『帝国の慰安婦』と内容的に重複があるのかも知れないが、私は上述のように『帝国の慰安婦』は未読なのでその辺は分からない。
 この問題が慰安婦の実態から大きく離れて誇大妄想的な(20万人の性奴隷など)域に達したのは、一つには日本人側の左翼偏向イデオローグの活動があった。慰安婦が強制連行されたという証拠はいまだに挙がっていないのに「広義の強制性があった」などと強弁する歴史学者(だから日本の歴史学者は日本人から信用されなくなるのだよ)もさることながら、戸塚悦朗を代表例とする日本人弁護士の活動によって「性奴隷」説が喧伝され、またそうした活動は国連の委員会にも食い込んでおり、それが例のクマラスワミ報告となったという(44、178、203、259ページ)。反日日本人の活動が日韓関係をこじらせたわけである。

 もう一つの要素は、北朝鮮の慰安婦に関するイデオロギー的宣伝である。北朝鮮の主張によれば、日本軍人は慰安婦を多数残酷な方法で殺したというのである(169ページ以下)。著者はむろんこの説に疑義を呈している。戦争中に敵国の女性を強姦したり殺したりすることは、戦時中の敵方に対する憎悪感情によって説明できるが、そもそも朝鮮半島は日本の一部だったのであり、地元民が内地の日本人より格下と見られていたとしても、慰安施設にとっていわば商売道具として貴重な存在である慰安婦を殺す理由などどこにも存在しない、というのである。まったくそのとおりだと思う。

 しかし韓国側は自分の主張に、というより日本を攻撃するのに好都合な材料であるならデタラメな主張でも平気で採用した。また、上述のような「韓国は日本に併合されたのではなく交戦状態にあった」というイデオロギーがその矛盾を見えなくした。「白人は〔韓国〕併合が何なのか知らないでしょう」と述べて、植民地の慰安婦を戦時中の交戦国同士の暴力と同一線上に置こうとした韓国の教授は、欧米が東アジアの実態をろくに知らないだろうことを見据えて、瞞着を行おうとしたわけである(165~166ページ)。

 今現在、日本国内の「表現の不自由展」で問題になっている慰安婦「少女像」も、そうした慰安婦の実態を無視したイデオロギーの産物である。実際には慰安婦には30歳の女性も、子供を生んだ女性もいたのに、「純粋な少女」と表象することであたかも不法な暴力が行われたかのように見せかける。「日本人慰安婦は売春婦、朝鮮人慰安婦は汚れなき少女」というような、トンデモな見方が横行する。

 以下は私の見解だが、慰安婦制度は戦前は合法だった売春制度の延長線上にあったと見るべきなのだ。むろん、売春業に身を置く女性は日韓を問わず経済的に恵まれない環境で育っていた。疲弊した農村の娘が家族を救うために身売り、といった例は戦前の日本でも珍しくなかった。しかしそれは「強制連行」などという妄想とはまったく別次元の現実である。現代でも、ドイツやオランダなどヨーロッパでは売春が合法である国がいくつか存在する。そうした現実の中で売春について考察するべきなのだ。日本では戦後は一応売春は非合法化されたが(それが売春業の実態を誤解させることにつながったと見るべきだろう)、実際にはなくなっていないことは大人なら誰でも知っている。「世界最古の職業」は、人間の性本能が根本的に変わらない限りなくなることはないだろう。

 ともあれ、本書は慰安婦問題については教えられるところが多いので、一読に値するであろう。最初に書いたように、日韓の話し合いは、著者の主張にもかかわらず、当分は不可能だと私は思う。しかし、もし著者が――その善意を私は疑わないが――日韓の話し合いをあくまで主張したいなら、本書は日本ではなく、韓国でまず出すべきだろう。韓国人がいかに変なイデオロギーにまみれているかを、韓国人の左派(日本とは逆で、韓国では左派ほどナショナリスティックである)が認識してその病いから回復しない限り、まともな話し合いは不可能だろう。私は、世代が変わらないと韓国側の変化も起こらないと見るものである。

 慰安婦問題については、実態からかけ離れた韓国や反日日本人の主張が国連に受け入れられ、その結果欧米の議会まで日本に謝罪を求める決議を出すようになる(183ページ)。これにきちんと反論してこなかった日本人政治家と日本人歴史家の罪は重い。ドイツはよく日本と比較されるが、第二次世界大戦中の「カチンの森事件」でポーランド人軍人を多数殺戮した嫌疑をかけられたときには、犯行はソ連によるものとあくまで主張して謝罪などはしなかった(実際、ソ連崩壊後にソ連の犯行と判明した)。日本の安倍首相(当時)はそれに比べてきわめて臆病であり、筋を通すことをしなかった。このことを指摘する日本の保守論客がいないのは、まことに不思議と言うしかない。保守誌は安倍元首相の提灯持ち記事ばかり載せるのではなく、こういうところはしっかり批判すべきだろう。日本の保守論客よりも、朴裕河のほうがはるかに勇敢で筋を通している。もっとも、そのために彼女は韓国で裁判にかけられて有罪(罰金刑)となったのであるが。韓国では司法もナショナリズムの奴隷なのである。そのことを、日本人は肝に銘じておくべきだ。

 なお、私は本書の内容に100%賛成なわけではない。例えば著者は夏目漱石が朝鮮半島への日本の侵略的な態度に賛成していたことを批判している(218ページ)。しかし当時の世界情勢は現在とはまったく異なっていたことが著者の視野には入っていない。当時はアジアの大半は欧米の植民地になっていた。日本の明治維新はその危機感の中で(何しろ東洋の盟主的存在である清がアヘン戦争によってヨーロッパの軍門に下っていたのである)行われた。
 日本はかろうじて植民地にこそならなかったが、不平等条約を押しつけられた。近代化とは、当時にあっては「弱肉強食」の世界の中で生き抜いていくことであり、狼たち(=欧米列強)に伍して生きるためには自分も狼になる以外の道はなかったのである。韓国も近代化によって狼に食われない存在になる可能性はあった。しかし残念ながらその可能性をつぶしたのは、韓国人自身だった。閔妃の殺害はそうした流れの中で起こったのであり、個人的な感傷で捉える(この事件に関する著者の筆致はそういうものでしかない)と間違える。英国に留学した漱石は、当時の世界が弱肉強食の原理で動いていることをよく知っていたのである。
 著者は触れていないが、福沢諭吉が「脱亜入欧」を説いたのも最初からアジア蔑視の偏見を持っていたからではない。福沢は韓国の近代化をめざす金玉均を支援していた。しかし韓国の近代化が失敗に終わったとき、失望した福沢はアジアの悪友とは手を切るしかない、と考えるに至ったのである。

 以前も書いたことがあるけれど、産経新聞地方版には、同県内の記事が少なく、他県に関するまとまった記事がしばしば載る。要するに県内の情報は地元紙などにまかせて、もう少し広い視野から、他地方の特質などを知っておくのも悪いことではない、という方針によって地方版が作られているのであろう。

 先日の産経新聞新潟版には茨城県のニュースが載った。これは大学関係者などにも有用な記事だと思うので、紹介したい。
 (以下の引用は一部分です。全文は下記のURLから産経新聞のサイトでお読み下さい。また、紙媒体の産経新聞新潟版では8月28日付けに掲載されています。)

  https://www.sankei.com/article/20220827-GHOIYX4P55NCPNUDPL43MTR5YA/
 【深層リポート】
 茨城発 視覚・聴覚障害者が学ぶ筑波技術大 学生たちの経験、行政・企業が参考に
 2022/8/27 08:00

  視覚障害者と聴覚障害者のための唯一の国立大学である筑波技術大(茨城県つくば市)。健常者が入学できず学生数が少ないこともあり、知る人ぞ知る大学だ。その大学に、ここ数年、自治体や企業から関心と期待が寄せられている。誰もが過ごしやすいまちづくり「ユニバーサルデザイン」(UD)の視点で事業を見直す行政や企業に、学生たちの経験が参考になるからだ。

 ■随所にユニバーサルデザイン

 筑波技術大は昭和62年に3年制短大として設立、平成17年に4年制大学になった。視覚障害者のための保健科学部と聴覚障害者のための産業技術学部があり、計約300人が学ぶ。

 (中略)

  一般の大学と異なるのは、キャンパスのあらゆる場所が、障害があっても安全に過ごせること。車と人の動線分離や部屋の配置のわかりやすさ、音や光を使ったサイン、けが防止クッションなど、UDの視点が随所に生かされている。

 学習面では障害を補完するさまざまな支援機器を導入。例えばコンピュータープログラミングの授業ではディスプレーの文字を音に変換したり、離れたところに表示された文字を拡大したりする機器を使い、学ぶことができる。

 その結果、昨年度までの直近7年間の同大の理学療法士国家試験合格率は93・5%。あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家試験合格率は昨年度、100%を達成した。

 ■情報共有方法の開発
 同大では健常者と障害者の情報共有方法の開発にも取り組んできた。その一例がウェブアプリケーション「ISeee タイムライン」。

 実は聴覚障害のある人と健常者がスポーツ観戦の面白さを共有することは案外難しい。会場のアナウンスを含めた音情報が多いからだ。アプリでは参加者がお互いに見たり聞いたりした情報をリアルタイムに投稿し共有できる。

 東京都やつくば市の障害者スポーツ大会で使用実績があり、今秋開かれる国立民族学博物館(大阪府吹田市)の特別展でも使用されることになり、2025年大阪・関西万博の共創チャレンジへも登録した。「投稿内容を音声や他言語に変換することで、視覚障害者や聴覚障害者はもちろん、高齢者、外国人も楽しみを共有してほしい」とISeeeプロジェクトの白石優旗リーダーは話す。

 ■新規採用職員研修に
 UDの視点を同大とその学生からいち早く学ぼうとしたのは地元つくば市だ。大学開学の年に協定を締結し、平成19年から職員にUD研修を実施。近年は新規採用職員向けにUD研修を行う。

  (以下、略)

        ◇

【ユニバーサルデザイン】 ユニバーサルは「普遍的な」「すべてに共通の」と訳されることから「すべての人のためのデザイン」を意味する。年齢や障害の有無、体格、性別、国籍などにかかわらず、できるだけ多くの人に分かりやすく、できるだけ多くの人が利用可能であるようにデザインすることをいう。対象者を障害者や高齢者に限定していない点が「バリアフリー」とは異なる。

             
 
 正直言って私もこういう大学があることを知らなかったのであるが、視覚・聴覚障害者のための大学だから一般の大学には関係ない、ということにはなるまい。情報共有法の開発などは、いわゆる健常者にもものを考える際に有用なことだからである。また一般の大学であっても障害を持つ学生が入学してくることはあるのだから、そうした学生への対応策を考えるのにも参考になろう。

 また、高齢化社会日本においては、いわゆる身障者ばかりではなく、老齢者もそれに準じた存在になっていく。そういう社会においては、身障者を対象にした研究が、老齢者にも適用される場面が増えていくだろう。

 そういう意味でも、筑波技術大学の存在は注目に値するのである。

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今年映画館で見た96本目の映画
鑑賞日 8月28日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★☆

 三木孝浩監督作品、128分。池井戸潤の原作小説は未読。

 創立百年を数える名門大企業の御曹司として育った階堂彬(かいどうあきら:横浜流星)と、社員数人の町工場を経営していた父が銀行から融資を断られて倒産に追い込まれた経験を持つ山崎瑛(やまざきあきら:竹内涼真)。階堂は同族企業の身内の争いを逃れるようにして家督を弟に譲り、そして山崎は真に企業や人のためになる銀行マンをめざして、いずれも東大卒業後はメガバンクである産業中央銀行に就職する。対照的な人生観を持つ二人の「あきら」。階堂は順調に出世街道を歩み、山崎はいったんは上司の意向に逆らったため地方支店に飛ばされたものの、やがて東京本社に復帰する。しかしそこに思わぬ事態が・・・

 正反対の境遇で育った二人の若者が、メガバンクを舞台にそれぞれの生き方を模索するストーリー。主役二人を初め、銀行の上司や階堂の親族など、キャスティングが非常によくできており、楽しんで見ることができる。脚本も悪くないが、最初に主役二人が対決するシーンなど、もう少し複雑さが欲しいと感じた部分もあった。

 上白石萌歌が女子行員役で登場するとはいえ、最近では珍しい「男のドラマ」になっている。

 新潟市では全国と同じく8月26日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。
 私は、ふだんはなるべく混まない平日に映画館に行くようにしているのだが、今回は都合があって日曜午後の回に足を運んだところ、30名ほどの入りだった。

・5月2日(月)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20220502/ddl/k35/040/206000c
 下関くじら食文化を守る会 児童向け啓発DVD寄贈 /山口
 毎日新聞 2022/5/2 地方版 

 「下関くじら食文化を守る会」(和仁皓明会長)が、小学校高学年の児童を対象とした啓発DVD「下関とくじらの歴史・文化」を制作し、下関市内の小学校などに寄贈した。

 同会は2001年、鯨食文化を次世代に受け継ごうと、市内の文化人らを中心に結成された。これまでにも小中学生向けの捕鯨に関する書籍を小中学校へ寄贈するなどの啓発活動を実施している。

 寄贈したDVDは、下関市立大経済学部の岸本充弘特命教授が監修。捕鯨方法の変遷や捕鯨と下関市との関わり、唐戸市場の店頭に並ぶ鯨肉といったクジラに関する歴史や文化を映像などで分かりやすく説明している。制作費は50万円で、半額は県の補助を受けた。

 市役所で開かれた贈呈式で、和仁会長が前田晋太郎市長らに手渡した。前田市長は「いただいたDVDを子供たちにしっかりと見せて、地元のクジラに関する考え方を理解してもらいたい」と謝辞を述べた。

 和仁会長は「食習慣がなければ、食文化は成り立たない。子供たちには(鯨食という)郷土に自慢できるものがあると誇りを持ってほしい」と話していた。同会では第2弾の制作も検討している。
 【部坂有香】 〔山口版〕


・5月5日(木)  産経新聞インターネットニュースより。

 https://www.sankei.com/article/20220509-4QVBYFGWAZPITC3FWPBYHAW5FQ/
 くじら日記 新館長の思い「五感でクジラ知って」
 2022/5/9 20:18
 産経WEST

 令和4年4月1日、筆者は歴代9人目の和歌山県太地町立くじらの博物館館長職を拝命しました。

 くじらの博物館は、昭和44年、故庄司五郎町長の「捕鯨に関する資料を網羅して展示し、かつ鯨類の生態の調査研究をする」という強い思いが込められて建設されました。以来、8人の館長それぞれの考えが加わり、53年の歴史が刻まれました。

 今、町は、三軒一高町長を先頭に、「過去、現在、未来」にクジラとかかわり続けるという決意のもと、くじらの学術研究都市を目指して環境整備を進めています。くじらの博物館は、その町づくりの中枢施設の一つとして、鯨類に関する教育研究と飼育展示の役割を果たすことが求められています。

 館長に就任して以降、マスコミから取材を受ける機会をいただきました。「クジラの魅力は何か?」、「なぜくじらの博物館に勤めたのか?」、「飼育を専門とする館長としてできることは?」などという質問を受け、筆者のクジラ人生を振り返る機会にもなりました。

 思い起こすと、今から17年前の平成17年、筆者は東京海洋大学在学中に、クジラに出会いました。

 海洋生物への興味と島の生活への憧れから、長期休暇を利用し、小笠原諸島の父島(東京都)にある小笠原海洋センター(NPO法人エバーラスティング・ネイチャー運営)でボランティアをしました。同センターは、主にウミガメとザトウクジラの調査研究に努め、今も活動が続いています。

 滞在中、ザトウクジラの調査船に乗る機会を得ました。ザトウクジラは大きくなると14メートル以上になる比較的大型種ですが、限られた時間しか水面にとどまらないため、その姿を捜すことは容易ではありません。

 手掛かりは、呼吸によってできる巨大な噴気です。鼻の穴である噴気孔が頭頂部にあり、息を吸うために水面に上がると呼気が潮を吹くように見え、場所がわかります。これによって姿を発見すると、その方向に船を走らせ、次の浮上を待ち、少しずつ距離を縮めます。そして、とうとう、クジラを目の前にしました。

 まず、鼻がある頭頂部が現れました。同時に噴気が立ち上がり、生温かさとクジラ特有の匂いがあたりを包みます。続いて見えてきたのは真っ黒でどっしりとした背中で、潜水艦の浮上を思わせます。そして、尾びれを高々と上げ、ほとんど波を立てずに水中へと姿を消しました。その姿は、なんて美しいことか。

 水中にいるクジラを箱眼鏡で追うと、ようやく全身をとらえることができました。小笠原のブルーの海の中を、威風堂々と、圧倒的な存在感を放つその姿形は、今も鮮明に覚えています。当時の調査経験ですっかりクジラに魅了され、「でっかいクジラを飼いたい!」と思うまでには時間はかかりませんでした。

 17年経(た)った今も、クジラへの「思い」は変わりません。くじらの博物館を訪れた方々も、私の初めてのクジラとの邂逅(かいこう)のように、五感でクジラを知り、学び、海やそこに暮らす生き物に関心を持つきっかけになってほしいと願っています。

 (太地町立くじらの博物館館長 稲森大樹)


・5月13日(金)

 雑誌『望星』2022年6月号(東海教育研究所)が発売となった。
 内容は以下のとおり。

 【特集 新・クジラと日本人】
 ●醬油と味噌とクジラ肉の幸福な出合い
 クジラを抜きに食を語るなかれ 
 立読みコーナー 小泉武夫
 ●いまの捕鯨の世界を知れば、あなた、どうします?
 スーパーヘルシーフードは未来をも支える 所 英樹
 ●クジラ研究の最前線を聞く
 南極海から日の丸を降ろしてはいけないワケ 松岡耕二
 ●第三勇新丸の十五年
 捕鯨の現場を訪ねる 立読みコーナー 山川 徹
 《ミニコラム》
 捕鯨の歴史 
 「突取式捕鯨」から「ノルウェー式捕鯨」へ


・5月27日(金)

  佐々木正明『「動物の権利」運動の正体』(PHP新書)が発売になった。

  内容は当ブログのこちらで紹介。 


・5月31日(火)  毎日新聞インターネットニュースより。

 https://mainichi.jp/articles/20220531/ddl/k41/040/377000c
 「親子鯨の山車」寄贈 「呼子くんち」33年ぶり復活へ 活性化に地域文化不可欠 /佐賀
 毎日新聞 2022/5/31

 ■唐津市坊主町出身の父の遺志果たす
 唐津市呼子町の捕鯨文化を伝える県重要文化財「鯨組主(くじらくみぬし)中尾家屋敷」で28日、今年33年ぶりに復活する秋祭り「呼子くんち」で使われる「親子鯨の山車」2台が披露された。屋敷で常設展示し、10月16日の祭りで朝市通りなどを練り歩く。

 呼子沖を泳ぐセミクジラをモチーフに全長は親が3・85メートル、子が1・85メートル。樹脂製の型を使って和紙を立体的に漉(す)き上げ、車輪のある台車に載せている。内部のLED(発光ダイオード)が点灯し「雄大で幻想的な美しさ」(峰達郎市長)だ。京都市の和紙作家、堀木エリ子さん(60)が手がけた。

 制作費を負担し、2台を呼子町の八幡神社に寄贈したのは、横浜市で雑貨の輸入販売を手がける進藤さわとさん(46)と母宏子さん(78)。先代社長で2016年に亡くなった父幸彦さん(享年77)=唐津市坊主町出身=の遺志を果たしたという。

 八幡神社の八幡崇経(たかつね)宮司(63)によると、呼子くんちでは各町が趣向を凝らしその年の祭りに合わせて山車を作ってきたが、人手不足などから1989年を最後に途絶えていた。

 一方、幸彦さんはタイやシャチなどを模した曳山(やま)14台が旧城下町を巡行する「唐津くんち」に親しんで育った。しかし、地元の坊主町には曳山がなかったことから「鯨」の創作を思い立ち、15年に捕鯨でかつて栄えた呼子への寄贈・活用を打診したという。

 屋敷でのお披露目式後、さわとさんは幸彦さんについて「地域活性化には地域性のある文化が不可欠との信念を持っており、そのために必要な山車を絶対完成させるぞ、との思いだった」と振り返った。

 呼子くんちの実行委員会は、引き手の法被など備品代や運営費にあてるため700万円の調達を目指し、インターネット上で寄付を募るクラウドファンディング(CF)に取り組んでいる。

 実行委代表の山下正雄・木屋社長(71)は「呼子が盛り上がり、子どもたちが愛着、誇りを持って育つ希望から、呼子くんちを挙行したい」と、お披露目の参列者らに協力を求めた。【峰下喜之】

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評価 ★★★☆

 著者は1965年生まれ、1996年から英国のブライトンに在住、英国の下層階級などの実態を綴った本により日本でエッセイストとしての地位を確立。アイルランド系の男性と結婚して男の子をもうけ、その公立中学での体験などを描いた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が評判を呼び、当ブログでも紹介した。本書はその続編。

 最初から移民問題が出てくる。著者の夫(著者は「配偶者」と記している)はモノが捨てられない人で、それも日曜大工の材料などが家の中にゴロゴロしているという有様なのであるが、ルーマニアからの移民がその手の大きなゴミを拾って金属部分を業者に売って生活を維持しているということを知り、移民のためならと積極的にその手のゴミを出すようにしたところ、近所からクレームがついた、という話である。玄関先においてある自転車などのゴミではないモノまでルーマニア人が持っていく、というのである。これは信憑性に問題がある噂だと書かれているが、それはさておき、そのルーマニア人の家庭ではまもなくベイビーが生まれるというので、著者の息子も小さくなって着られなくなった服を上げた(いらなくなったモノだけを上げるのがいいことなのか、という問題がここにはある、と指摘されている)のはよかったが、まもなく「ベイビーは死んで生まれたから」と返却されてしまったという。移民への援助もなかなか難しいのだ。

 まあ、モノが捨てられないというのは私もそうで、私の場合は買った本をなかなか処分できないという形で表れるのだけれど、昔、マンガ家ささやななえの夫はそういう傾向が極端な人で、買った雑誌を処分できずに、そのためにワンルームのマンションを借りて保管場所にしているというエッセイを読んで、私としては「うーむ、そういうことができるだけのお金を持っている人もいるんだな」という変な感心の仕方をしたことがあった。私もお金があったら、定年退職したときに(自分のカネで買って研究室に置いておいた)書籍を大部分、所有したままでいられただろうに・・・とほほ。

 かと思うと、移民の少女が学校に溶け込めないでいたが、音楽部に入ることでその悩みが解消されたという報告もある。日本でもウクライナからの戦争難民が来ているけれど、やはり子供が学校になかなか溶け込めないという問題が出ているようだ。音楽とか美術などの、言語の壁があまり気にならない活動を通して解決の糸口が見いだせれば、と思う。

 もっとも同じエッセイには、NZの若い女性首相がイスラム女性のスカーフをつける演出をしたら不評を買ったという指摘もある。首相は、NZでイスラム信者に対するテロが起こったので、宗教の壁を超えた国民の一体感をと訴えるためにスカーフをつけてみせたのだが、信者でもないのにスカーフをつけるのはいかがなものか、という批判が出たようだ。移民や難民との宥和は、口で言うのは簡単だけど、実際にはなかなか困難ということだろう。

 英国ではかつての福祉重視の政策が見直されて、貧困者の居場所がなくなってきているが、公立図書館だった建物をホームレスのシェルターにしようとしたら、近所の住民からクレームがついたという。要するに近所にそんなものができると治安が悪くなる可能性があるし、自宅の資産価値も下がるから、ということである。これ、日本でもよくある話ですよね。自宅近くにゴミ処理場ができるという計画に反対、というアレである。

 かと思うと、息子の学校の試験で、「ビートルズのメンバー4人の名を挙げよ、またその中心となっていた2人は誰か」という出題がなされたそうである。ビートルズも古典になったかと感慨を覚えたが、著者の息子は正解を出せなかったようだ。そういえば私も少し前にクルマを運転しながらFMをかけていたら、日本の若いミュージシャンが、ビートルズのメンバー名を知らないしビートルズをあまり聴いたことがないと言っていたので、ちょっとびっくりしたが、時代は変わっているのかも知れないな。

 英国保守政権が労働者を「自営業者」に誘導しているという問題も取り上げられている。これは映画でもケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(当ブログで紹介)で描かれているが、「自営業者」になると給料や労働条件についての保障がなくなり、過重労働になりやすく、加えて最低限の収入すら得られない「自己責任」の世界で暮らさなければならなくなる。かつて、多くの人間が役所や会社に雇用されていた時代なら、労働者は貧しくとも生きていくのに必要な給料と労働条件を得て暮らしていけたわけだが、そのシステムが崩壊しつつある。学校教育でもそういう方針での授業が行われているというのだから、私としても暗澹たる気分にならざるを得ない(83ページ以下)。日本人も他山の石として警戒すべきだと思う。(左派政党はそういうところをちゃんと政策にとりこんでアピールしないとジリ貧になるばかりですよ。)
          
 ほか、人種差別的なジョークはいけないが、それを完全に排除してしまうと逆に息苦しくなる(人間はそういう、ちょっとした違法行為を楽しみながら生きていくのだ)という話や、やはり現在では差別的とされる表現を含む歌が学園祭で歌われていて、これについては議論が色々あるけれど、どんな場合にもどんな時代にも一律に当てはまる「正解」はないという指摘(177ページ以下)など、色々と考えさせるエピソードが紹介されている。

 でも率直なところ、前回に比べるとやや面白みが減ったかな、という気もする。
 新潟市立図書館から借りて読みました。人気があるようで、申し込んでから数ヵ月後にようやく借りることができました。

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8月26日(金)午後7時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
2000円

 この日は標記の演奏会に足を運びました。
 山縣さんは2002年生まれの二十歳。第89回日本音楽コンクール・ピアノ部門第一位。東京芸大3年に在学中(宗次徳二特待奨学生)。

 シューベルト(リスト編): 《12の歌》S.558より「アヴェ・マリア」
 リスト: 《詩的で宗教的な調べ》S.173より
      「眠りから覚めた御子への賛歌」
      「愛の賛歌」
   フランク: プレリュード、コラールとフーガM.21ロ短調
 (休憩)
 シューベルト: ピアノソナタ第18番「幻想」D894ト長調
 (アンコール)
 ショパン: バラード第4番

 会場に入って、客の少なさに愕然。一階はほどほど、二階正面Cブロックは最初の数列に数人ずつ、後半の列はすかすか。私は二階BブロックのCブロックに隣接した席をネット予約していましたが、BブロックとDブロックはそれぞれ数名程度。合計して200人を少し上回るくらいの入り。

 うーん・・・たしかに知名度という点ではまだまだで二十歳の学生ではあるけれど、若手注目株の演奏を聴いてみようという好奇心が湧かないのかなあ。或いはプログラムのせいか? しかしピアノというといつもベートーヴェンの三大ソナタだとかオール・ショパンだとかばっかりの最近のりゅーとぴあにあって、クラシック・ファン待望のプログラムじゃないかと私は思うんですがね。いや、偉そうなことを言っても、私もリストの2曲を聴いたのは多分初めてですけど。

 山縣さんは前半は純白のドレスで登場。まるで花嫁衣装みたい。こう言っては失礼ですが、写真で拝見していたのより実物のほうがはるかにチャーミングです。また、プログラム後半では群青色のドレスで登場。これまたよく似合っていました。

 さて、ピアノの音ですが、音の粒を重視するというより、ややウォームトーンというのか、響きのほうを大切にした音作りになっていました。

 私はリストの2曲目「愛の賛歌」で山縣さんの音楽にうまく入り込めるようになり、リストの(ダイナミズムや超絶技巧にとどまらない)宗教性が感じ取れるようになりました。

 フランクの曲は、彼のピアノ曲の代表作ですが、実演ではめったに聴く機会がありません。山縣さんの演奏は曲の特質(オルガニストだったフランクはバッハをよく知っており、そこにフランクなりの近代性がこめられている)に真摯にアプローチしていることがよく分かるという点で深い満足感を与えてくれました。

 最初のシューベルトの曲が終わった後、トークがありましたが、話も上手ですね。演奏はよくても話し方に知性が感じられない演奏家には幻滅を感じてしまうものですが、そういう心配も皆無。

 後半はシューベルトのソナタ「幻想」。私はこの曲が好き、いや大好きなんですが、やはり実演ではめったに聴く機会がありません。後半にもトークがありましたが、サントリーホールで内田光子さんのオール・シューベルトのリサイタルを聴いて感銘を受け、自分もシューベルトをリサイタルで弾きたいと思ったとか。

 トークによるとこの曲は「愛と傷」を表現しているというのが山縣さんの解釈。私に言わせると「みやびと絶望」なんですが、山縣さんの演奏はシューベルトらしい親密な優しさと隔絶した絶望感との入混じりを丁寧に、フレーズの意味を自分なりにしっかりと把握しつつ表現していました。私の趣味で言うと、内田光子さんみたいにオール・シューベルトでやってもよかったんじゃないかと。

 アンコールの前に、今後の希望について話がありましたが、その言葉どおりに、これから留学や国際ピアノコンクールなどに挑戦し、コンクールでは優勝もしくは上位入賞を果たして、また新潟に来て欲しいものです。そしてその時は、今回のせめて3倍くらいの聴衆で迎えたいものです。

 プログラミングも演奏家の実力のうちというのが私の持論ですが、こういうプログラムによるこういう充実した演奏会が、毎月とは言いませんが2~3ヵ月に一回くらいあれば、新潟市のクラシック音楽シーンもずいぶん充実したものになるんだけどなあ、と思いながら会場を後にしました。

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今年映画館で見た95本目の映画
鑑賞日 8月24日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 アメリカ映画、アリソン・エルウッド監督作品、120分、原題は"Laurel Canyon"。

 1960年代半ばから70年代半ばにかけて、ロサンゼルスの中心部から遠からぬ、しかし当時は人家もまばらだったローレル・キャニオンに多数のミュージシャンが住みつき、お互いに往き来をしながら音楽作りに励んでいた。本作品は当時の彼らを捉えた映像を編集して作られたドキュメンタリー。

 バーズ、ドアーズ、ママス&パパス、イーグルスなどのグループや、ジョニ・ミッチェル、リンダ・ロンシュタットなどグループを組まずに活動した歌手、グラハム・ナッシュやニール・ヤングなどグループと個人の狭間で活動した歌手など、様々なミュージシャンが登場する。

 当時のロスには彼らを出演させる店があり、当初はそこが活動の中心になっていたが、ロスという都市の音楽的なステイタスが向上し次第に客が増えると、ストリートに面した店では収容しきれなくなり、巨大なスタジアムなどが用いられるようになる。

 音楽的にも、最初はフォーク色が強く楽器も電気を使わないアコースティックが主流だったが、ビートルズの影響でエレキが浸透していく。

 住宅に鍵をかけずに自由に往き来する、一種音楽家の共同体的な地域だったローレル・キャニオンは、しかしレコードの売り上げなど商業的な要素が入り込むにつれ雰囲気が変化していき、また過度に売れることで身体を酷使し早世するミュージシャンも出てくる。

 そうした、ローレル・キャニオンという場所の時代による変遷を追った貴重なドキュメンタリー。

 東京では5月6日の封切だったが、新潟市では約3ヵ月半の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定公開された。私が足を運んだ水曜日(夜)の回は15人ほどの入りだった。
 なお、シネ・ウインドではこのところ1970年代頃のミュージシャンを取り上げたドキュメンタリー映画を上映しており、当ブログでも「リンダ・ロンシュタット」「スージーQ」を紹介している。

 最近の毎日新聞書評欄から、面白そうな2冊を紹介しよう。
 まず、こちら。
 (以下の引用は一部分です。全文は毎日新聞のサイトからお読み下さい。)

 https://mainichi.jp/articles/20220806/ddm/015/070/026000c
 工藤晶人・著『両岸の旅人』 (東京大学出版会・3300円)
 評 = 本村凌二 (東大名誉教授・西洋史)
 毎日新聞 2022/8/6 東京朝刊

■ユルバンからたどる地中海近代史
 戦後十年経ったころの歌謡曲「カスバの女」には「ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く」という切ない歌詞がある。極東の日本人には「地の果て」かもしれないが、アルジェリアは一九六二年にフランスの植民地支配を脱した北アフリカの独立国である。

 一九世紀にあって、地中海周辺の人々は政治、経済、文化の大きな構造変化を経験した。トクヴィルやマルクスと同じ時代に生きた人々のなかに、仏領アルジェリアの官吏となり、栄達も望まれながら、日陰の人で終わった男がいた。

 一八一二年、フランス出身の商人の父と黒人奴隷の血をひく母との間に南米の仏領ギアナに生まれたイスマイル・ユルバンは、波乱にとんだ生涯をおくったらしい。八歳でフランスに渡り、南仏のマルセイユの寄宿学校で教育を受け、数年後にはリセ(高校)で学んだという。富裕な商人の私生児としては十分すぎる学歴であった。

 一八歳のとき、ユルバンはギアナに帰郷し、生誕の地を再訪した。 (中略) 経営者として奴隷制を肯定しながらも、肌の色による差別には落胆したらしい。数カ月の滞在の後、ふたたびマルセイユをめざし、二度と生地の土をふむことはなかった。

 やがて友人の紹介でサン=シモン主義の思想を知り、パリにいる思想運動の指導者たちに会うことを熱望するようになったという。

 (中略)

 ここには改革思想の一種にはおさまりきれないものがあり、「サン=シモン教」という宗教でもあった。(中略)

 後年、エジプト滞在中の二二歳のとき、ユルバンはイスラームに入信した。改宗の動機は恋人との死別であったという。とはいえ、この人物のなかでは、教義よりも信仰心という魂の活動が傑出していたように思われる。

 これらの期間にアラビア語の習得に心を砕き、やがてフランス軍が占領するアルジェリアの地で通訳として働くことを志す。従軍通訳として経験を積み、三三歳のころ陸軍省本省の事務官として採用され、一八七〇年に退職するまで植民地官僚として歩む。こうしてアルジェリアとフランスの間で、西地中海の両岸を往復する旅人の生活がくっきりとしてくる。

 ユルバンは決して英傑ではなかったが、文筆活動を通じて彼にとっての「現代」を後世に伝えている。 (以下、略)

                                 

 歴史に名を残すような存在ではなくても、その生涯をたどると歴史の複雑さが見えてくるような、そんな人物がいる。この本はそういう人間に光を当てた書物であるようだ。

 地中海をはさんで対峙するフランスとアフリカ。キリスト教世界とイスラム世界。奴隷制や植民地主義が色濃かった時代。
 近代的な国民国家が形成されていく中で、特定の民族や宗教の枠からはみ出した人間は、どういう生き方を強いられるのか。必ずしも「歴史の犠牲者」という見方をせずとも、端境期に、或いは狭間で生きる人間の一例をくっきりと示してくれるのが本書なのではないかと、興味をかき立てられた。

 地中海世界を生きた作家アルベール・カミュ(彼をフランス作家と規定するのではなく、地中海作家と規定する見方は近年強まってきているのではないか)のことを想起するまでもなく、また地中海に限定せずとも、ポスト・コロニアリズムの視点を手放さずにコロニアルな世界の複雑さを理解することは、必要不可欠になってきているような気がする。戦争難民が大量に出ている今だからこそ。


 お次はこちら。

 https://mainichi.jp/articles/20220813/ddm/015/070/003000c
 坂野徹・著『縄文人と弥生人 「日本人の起源」論争』  (中公新書・1034円)
 評 = 村上陽一郎 (東大名誉教授・科学史)
 毎日新聞 2022/8/13 東京朝刊
  
■様々な研究者をたどり新たな解釈
 日本人の起源を巡って、最近のゲノム分析などを通じての、自然人類学的研究の進展は目覚ましいし、また、遺跡の発掘が進んで、考古学的な知見の増大も顕著だが、そうした諸論点を充分踏まえているとはいえ、本書の主題はそこにはない。

 明治以降、日本人の起源に関して、今日にいたるまで、様々な研究者たちが、様々な仮説を展開してきた。しかし、この主題は、日本という国家の起源や、それを編み込んだ歴史観とも結びつく性格のものだけに、純粋に学問的な範囲を超えて、時代や社会の状況との関係が露わにされるような領域でもあった。本書は、歴史家としての著者が、丹念に文献を発掘・渉猟し、分析し、新たな解釈を加えて、そうした状況史を構築しなおした、ユニークな労作である。

 (中略)

 それはともかく、明治時代にすでに、大和民族の起源を遡ることへの忌避があり、それは日本人という「人種」概念への様々な関わり方を生んだ。その辺の事情に関して、著者は、文献学的知見を動員して詳細に検討を重ねる。そこに登場するのは宗教学者高木敏雄であったり、哲学者井上哲次郎だったりする。

 重く扱われるのは、問題の多かった京大医学部教授清野謙次で、統計学的手法を本格的に採用、人類学と考古学との漫然たる混淆状態から抜け出すと同時に、日本人論にも一石を投じた。同時に大正期、津田左右吉が登場して、記紀を日本人論から切り離す論を立て、和辻哲郎らにも影響を与えることになる。ただ、こうした一見リベラルな、日本人論は、外来説やアイヌ説などから一線を画したがゆえに、その後の歴史の展開の中で、日本人一元論とでもいうべき、国粋イデオロギーと手を結ぶ側面があることを著者は見逃さない。特に清野は、寺院の秘蔵品などを無断で持ち出した罪で、京大を追われた後は、翼賛的なイデオローグに傾く。むしろ純粋日本人の概念は後景に退き、種族開放説によって、大東亜共栄圏の理念との親和性を強調するに至る。

 (以下、略)

                

 考古学も歴史学の一部と考えるなら、昔から歴史学はイデオロギー性が高い分野である、と文学研究者である私には見えていた。

 本書のタイトルとなっている縄文人と弥生人にしても、縄文人は戦争をしなかった、弥生人が(農耕により財産を貯えることで)戦争を日本列島にもたらしたのだ、というまことしやかな説が昔は(少なくとも一部で)唱えられていた。
 
 そのような、歴史学につきまとういかがわしさの一端を解明した書物らしい。
 歴史学にこそ歴史学が必要なのだ、歴史学者のイデオロギーの歴史をたどることは、歴史を考える場合に欠かせない。いや、学問はすべてそうだとも言えるけれど、歴史学の場合はそれがきわめてはなはだしい・・・そう私は考えている。
 本書は、そういう事情を知るために有用な書物なのではないか。

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今年映画館で見た94本目の映画
鑑賞日 8月22日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 瑠東東一郎監督作品、111分。原作のコミックは未読。

 菊野ケイ(橋本環奈)は専門学校に通う一見平凡な女の子で、日商簿記検定二級合格をめざしている。しかし実はバイトで殺し屋をやっており、大の男たちを次々となぎ倒す凄腕だった・・・

 ・・・という、いかにもマンガチックなお話。冒頭からヒロインとコワモテの男たちとの対決シーンが繰り広げられる。小柄で可愛いヒロインが表情を変えずに任務を遂行するところがミソ。

 悪役を含めて癖のある人物が多数登場するので、その辺を楽しんでおくのがこの作品の正しい鑑賞法なのだろう。

 ただ、橋本環奈は私には女としての魅力が感じられない。仲間の殺し屋「だりあ」を演じている太田夢莉(ゆうり)が私ごのみ。今後に期待したい。

 新潟市では全国と同じく8月19日の封切で、市内のシネコン4館すべてで公開中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。私は月曜午後の回に足を運んだのだが、観客は数名だった。

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評価 ★★★

 梶山季之(かじやまとしゆき、1930-1975)は、今の若い人は名も知らないだろうが、私が高校や大学に通っていた時代(1970年前後)には日本全国に名の通った作家であった。ただしいわゆる純文学作家ではなく、エロ小説や企業小説などを多く手がける通俗的な流行作家という位置づけであった。働き盛りの45歳で急逝したこともあり、私は彼の作品を今まで読む機会がないままに来た。

 それがここに来て読むことになったのは、日本人の朝鮮体験(朝鮮半島が日本領であった時代の)を描いた小説に興味を持って探してみたところ、本書に行き着いたからである。梶山は父親が朝鮮勤務の官吏であり、京城(これがいわゆる差別用語でないということについては先に当ブログに掲載した下川正晴『忘却の引揚げ史』の書評を参照)で生まれ、当地の小学校を出て中学(旧制の京城中学)に進んだが、日本の敗戦により15歳で日本本土に移っている。その後は両親の出身地であった広島県の旧制中学をへて広島高等師範学校(現・広島大学)を卒業し、上京して最初は教員、それから喫茶店を経営しながら小説を書き、やがて作家として認められるに至った。
             
 さて、そういうわけで梶山は15歳までを朝鮮で過ごし、後年、ここに収録されている一連の朝鮮小説を書いている。それを文芸評論家の川村湊がまとめて、詳細な解説をつけた上で刊行したのが本書である。小説だけでなく、1960年代前半に梶山が戦後初めて韓国に旅行したときの見聞記もいくつか収録されている。

 ただし、解説で川村湊も述べているが、一連の朝鮮小説は梶山の15歳までの朝鮮体験をそのまま綴ったものではなく、成人後の勉強や、戦後の朝鮮半島に対する贖罪意識によって少なからず規定されている。15歳までの体験もそれなりに活かされてはいるが、そもそもその年齢の少年が現地人の実態をどの程度把握できたのかという問題がある。小中学校時代の、自宅と学校や近隣の街々という限定された空間での体験や見聞には制約があり、それだけで小説が書けるわけではない。その辺の限界は、本書に収録された小説を読んでみてもはっきりと感じられる。

 冒頭に載っているのは『族譜』という40ページほどの作品である。いわゆる創氏改名を扱っている。創氏改名は表向きは強制ではなかったが、なるべく多くの現地人に日本的な名を与えることがよしとされたので、そのために現地人の中の有力人物(大地主)をターゲットにして様々な工作が行われた。大地主が創氏改名に応じれば、小作人などもそれに倣うからである。この作品では、500年に及ぶ家族の系譜を誇る裕福な現地人がそのターゲットとなり、本人は親日家で日本人の統治にも協力的ではあったが、創氏改名にだけは従えないと頑強に抵抗したものの、娘の結婚などを含めて多方面から圧力をかけられてついに屈服し、しかし先祖に申し訳ないと死を選ぶという筋書きである。圧力のかけ方や、日本人の高級官吏とターゲットとなった現地有力人物の間に立って右往左往する日本人下級官吏の心理が、たくみに描かれている。実際にあった話をもとにしているということだが、モデルについては必ずしもしっかりした研究がなされているわけではないようだ。

 次に掲載されているのが『李朝残影』という、本書全体のタイトルともなっている40ページほどの作品。元軍人の父と宿屋経営の母をもつ日本人青年・野口は、軍人にという父の意向に添わずに東京の美校(現在の東京芸大美術学部、当時は東京美術学校)を出て京城で学校の美術教師をしていたが、たまたま現地人の美しい妓生(キーサン)・金英順と知り合い、彼女が朝鮮舞踏を舞う様に魅せられて、それを絵に描きたいという強い希望を持つにいたる。彼女は日本人に対する反感もあってなかなか応じてくれなかったが、やがて彼の熱意に負けてモデルになることを承諾し、その結果出来上がった絵画は朝鮮の展覧会で最高賞を受ける。また野口と金は画家とモデルという関係には終わらずに親しくなっていくが、やがて・・・という筋書き。
 妓生は、ふつうの娼婦とは違い、酒席などで一緒に過ごす場合は相当のお金がかかるということがこの作品を読むと分かる。要するに両班(貴族)や大金持ち向けの存在なのであり、今どきの日本の教師風情(つまり私)などは到底相手にしてもらえないのだ。この作品は妓生のそうした「高嶺の花」ぶりや、その舞踊や服装の美しさを描いていて、特に前半部分は非常によくできていると感心した。惜しいことに、最後近くになると憲兵の横暴や日本軍人の残虐といった、言ってしまえば公式的で図式的な方向に作品が収斂していき、前半の陰影に富んだ魅力がなくなってしまうのが残念である。日本統治の不当性を表現する部分はむろんあっていいが、作中にそれを導入するやり方がきわめて安易で、このあたりがやはり通俗作家・梶山の限界だったのかなと思わざるを得ない。前半の調子が維持されていたら、日本語の純文学作品として一級品になっただろうに。

 『さらば京城』は10ページほどの小品。京城で生まれ育ち、第一高女4年生のときに敗戦により日本に引き揚げた日本人女性・小田康子の物語。康子が京城に暮らしていたとき、隣りに朴正善、日本名・木下正善という現地人とその家族が暮らしていた。彼の妻は青野ツル子という日本人で、息子は富雄といって京城中学に通っていた。あるきっかけで康子は富雄に恋をするのだが、富雄は現地人と日本人の合いの子ということで別の中学の生徒から制裁を受けていた。しかし二人は日本の敗戦で康子が日本に引き揚げたため、その後会う機会もなくなった。康子は日本で胸を病んで20歳から32歳までを療養所で過ごし、未婚のままである。1971年、42歳の彼女は思い立って韓国に旅行し、富雄に自分の処女を差し出そうと考える。それで「内鮮一体」が実現されるのだという奇妙な感情にとらわれて。しかし、韓国で探してみると、富雄の母は生きていたが、富雄は朝鮮戦争のときに北朝鮮軍により殺されたと知る・・・というストーリーである。
 
 『木槿(むくげ)の花咲く頃』は35ページほどの作品。東京帝大の英文科を出た池田信吉は、乞われて京城中学の英語教師となる。京城中学には現地人は1クラスに1名程度しかいないが、池田が受け持った4年生(旧制中学は5年制)のクラスに趙哲仁という抜群の秀才がいた。その父親は息子の教育ために京城に引っ越したという、裕福な両班で農園主であった。池田はその父親から誘われた酒席で、李錦珠という美しい妓生と知り合う。朝鮮半島に多い木槿の花を連想させる彼女と、池田はやがて親しくなる。趙哲仁は卒業後にアメリカのエール大学に留学する。池田は李錦珠と結婚したいと考えるが、妓生と暮らすにはその親や弟など身内の経済的な面倒を見てやらなければならないと知り、中学教師の給料ではとても不可能と思い知る。120円の月給の池田には、たとえ翻訳で多少の収入を足したとしても、一ヵ月200円以上かかるという妓生との結婚生活は維持できるはずもないからだった。
 やがて池田は内地の兄から呼ばれて帰省し、兄の紹介した女性と見合いする。必ずしも気に入ったわけではなかったが、美貌と持参金付きという条件もあり承諾して、すぐに祝言を挙げる。妻は娘を産むが、結婚から八ヵ月ほど、つまり月足らずで生まれた子だった。しかし池田は、娘が自分の胤ではなく、妻が既婚者と通じて妊娠したために急いで見合いし持参金もつけて、池田という結婚相手を確保したのだと知る。
 そんな中、池田はたまたま朝鮮の陶器を購入して友人の美術専門家に見せるのだが、友人はそれを利用して朝鮮陶器に関する論文を発表する。これに触発された池田は朝鮮の陶器を購入して日本で売ってみたところ、日本の陶器とは異なる素朴な美しさが評判となって高値で売れ、やがて池田は教師を辞して陶器商となり多額の収入を得て、李錦珠をその家族と一緒に囲うようになる。妻との間は、娘のこともあり冷え切っていた。妻は、アメリカから帰国した趙哲仁と不義の関係となり、しかし罪悪感から娘を道連れに自殺する。日本の敗戦で池田は内地への引揚げを余儀なくされるが、李錦珠を正式の妻として一緒に連れ帰ろうとするものの、彼女は「あなたを愛しているが、私は朝鮮人であなたは日本人だから、それぞれ自分の国に住むべきだ」と言って泣いて別れを告げる・・・というストーリー。
 特に後半、池田の妻が池田のかつての教え子趙哲仁と関係するあたりは展開が急だし描写も簡便に過ぎ、また趙が国際情勢について述べるところなども分かりやす過ぎる。もう少し肉付けして150ページくらいの作品すれば、通俗小説としてそれなりに読み応えのある作品になったのではないか。朝鮮陶器については、専門家の書物を参考にしたと最後に断り書きが入っている。実際、この小説で読み応えのあるのは朝鮮の陶器に関する部分だろうと思う。

 以上、4作品を紹介した。他にも5作品が入っているが、モチーフや筋書きには同工異曲と言いたくなる部分もある。

 これ以外に、上述のように1960年代前半に著者が戦後初めて韓国を訪れたときのエッセイが収録されている。すでに朴正熙大統領の時代になっているが、1965年に日韓基本条約が結ばれる以前である。韓国は全体的に貧しく、貧富の格差が大きいこと、朴大統領の政策はインフラの整備や道徳の涵養という点では成功しているが経済的にはうまく行っていないこと(韓国の経済が浮上し始めるのは日韓基本条約締結後である)、李承晩の時代のほうが経済的には楽だったが、それは李承晩政権が米国などから得た資金をばらまいたからで、将来を見て投資に回さなかったからであること、人口のわりに大学が多いが、大学を出てもよい就職口がないことなどが記されている。この時代の韓国を(韓国にシンパシィを感じている)日本人がどう見ていたかを知るためには、それなりの資料だと思う。

 巻末の川村湊の解説も貴重。
 新潟県立図書館から借りて読みました。

 地元・新潟日報紙の記事から。

 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/100126
 連載[あの頃の空気と今 ~歴史から学ぶ]<上>異論認めない政治は危険、「法」の整備は進む
 愛媛大・井口秀作教授(憲法学)=新潟・南魚沼市出身=
 2022/8/16 12:00
 (最終更新: 2022/8/16 12:07)

 息苦しさが日々、増していないか。将来への不安は膨らんでいないか。近年、起きている事柄を見つめると、77年前(1945年)の社会に重なっていると思えてくる。今を捉え直し、あの頃を知れば、同じ過ちを避けられるかもしれない。社会のあり方、政治との距離、経済の不安、平和と非核-。歴史から学んでいく。

 (中略)

 「多数派だけが正しいわけではない。少数派も価値は同じなのに、今は追い込まれている。戦前の雰囲気に似てきている」。憲法学が専門で愛媛大法文学部の井口秀作教授(58)=新潟県南魚沼市出身=は警鐘を鳴らす。

 井口教授は、現在に至る起点を1991年の湾岸戦争に置く。クウェートに侵攻したイラクに対し、米国を中心とした多国籍軍が攻撃した戦争だ。日本は130億ドルを支援したが、自衛隊は派遣しなかった。「ショー・ザ・フラッグ(日の丸を見せろ)」。日本の国際貢献のあり方が、国際社会から冷ややかに見られた。

 (中略)

 以降、自衛隊の海外派遣に踏み切った。湾岸戦争終結後の91年4月にペルシャ湾へ掃海艇を派遣した。92年にはPKO協力法に基づくカンボジア派遣、2001年はテロ対策特措法によるインド洋派遣、03年はイラク特措法によるイラク派遣と続いた。15年には集団的自衛権の行使を認める安保法制が成立した。

 防衛費のGDP比2%以上を目指す動きも一連の流れの中にあるとする。「政府と与党はウクライナ侵攻や中国の軍拡などをうまく使って、国民に『必要でしょ』と呼びかけている」

 (中略)

 井口教授は「民主国家は異論があることがノーマル。しかし今の政治は、選挙で勝った方が正しい、負けた方に正当性はないと捉えている」と問題視する。

 象徴的な一件を挙げる。亡くなった安倍晋三氏が首相在任中の17年都議選の街頭演説で、ヤジを言った市民を指さし「こんな人たちに負けるわけにいかない」と言い放った件だ。井口教授は「異論を挟ませない政治であり、選挙で勝った多数派が正当という考え方は危険だ」と考える。

 (中略)

 今を将来の分岐点にしないために、どうればいいのか。「政治的少数派の意見も国民に見えるようにする。根本的な異論を言える社会が重要だ。ここに憲法の核心がある」

 ◎井口秀作(いぐち・しゅうさく)1964年、南魚沼市(旧六日町)出身。一橋大大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。2012年4月から現職、今年4月から法文学部長。専門は憲法学。共著書に「改憲の何が問題か」(岩波書店)など。

                

 私が購読しているのは毎日新聞と産経新聞で、地元紙である新潟日報は取っていないが、ネットで見ることはある。たまたま目に付いたので取り上げる。なお、無料登録はしているので、新潟日報から定期的に「お薦め記事」の紹介メールが届くのだが、先日の「お薦め記事」にこの記事が取り上げられていて、「地方紙のレベルはヤバいな」と思ったものである。

 いや、毎日新聞にだって2回目で取り上げた富田武氏のような見解が載るわけだから、地元紙だけをレベルが低いと見なすのは不当だろう。ただ、それを「お薦め」にしてしまうところに、半世紀前から「こういう書き方をすれば通用するだろう」と思い込んでいる新聞社や記者の旧態依然たる体質が露呈してしまっている。1970年頃ならこういう記事でも(左翼のマスコミでは)それなりと思われたわけだが、その後の情勢の変化でそうではなくなっていることが、全然見えていないようだ。

 で、井口氏の見解だが、憲法学者というのは、この程度で今も通用するのだろうか、と思う。井口氏は1964年生まれだから、私より12歳年下で一回り下の世代である。しかしこの論法は1945年生まれの富田氏(2回目を参照)とまるっきり同じで、世代を問わずこういう思考しかできない「学者」はなくならないものだと実感できる。

 例えば湾岸戦争をきっかけとした自衛隊の海外派遣である。経済大国となった日本がそれにふさわしい(カネを出すだけではない)国際貢献を求められた結果であり、時代の要請に沿った変化であって、当然のことだと私は思う。日本が国際的な情勢を無視して自国だけ軍拡に走ったわけでは全然ないのである。その辺の認識が、井口氏にはまるでないらしい。戦前と湾岸戦争期との情勢の違いを見る目が完全に欠落している。

 「ウクライナ侵攻や中国の軍拡などをうまく使って」日本が軍事費を増やそうとしているとも井口氏はのたもうているが、ウクライナ侵攻や中国の軍拡は事実であって、ウクライナと同様の事態が日本に起こらないという保証はないのである。前回読売新聞の記事を引いて説明したようにソ連=ロシアは北海道に対する領土的野心を持っているわけだし、中国の尖閣諸島近辺での横暴は今では広く知られている。

 (なお、中国の尖閣諸島への侵出については最近も産経に記事が載った。こちらから最初のあたりだけ読むことができる。有料会員記事だけれど、会員以外の方は8月20日の紙媒体の産経新聞で全文を読むことができる。)
       
 井口氏の主張には、ではどうすればロシアや中国の横暴を防ぐことができるのか、という視点がまったく欠けている。氏の頭の中にあるのは戦前の日本が犯した逸脱だけであり、それから75年あまりが経って国際情勢が大きく変わってきていることはまるで見えていないのである。これで「学者」として通用するのだから、「憲法学者」とは楽な商売だと言いたくなってしまう。

 安倍(元)首相の発言にしてもそうである。安倍(元)首相の発言を批判したら懲罰を喰らうのだろうか? そんな馬鹿な話はない。安倍(元)首相の言葉が気に入らなければ批判すればいいだけの話であり、実際に井口氏はそれをこの記事で行っている。いや、安倍批判などはむしろマスコミにあっては日常茶飯と言っていい。それが少数意見かどうかは疑問だが、つまり首相批判は日本ではこのように容易にできるのである。意見の多様性を認めていないのは、むしろ憲法に関わる大学人ではないかと私は思う。

 例えば新潟大学生協書籍部は、数年前、私がまだ専任教員だったときに「憲法特集」としてその方面の書籍をまとめて店舗に並べたが、護憲派の本だけに限られていた。改憲派の本は一冊も含まれていなかった。こういう大学生協の体質のどこに意見の多様性があるのだろうか。ちなみにこれは新潟大生協だけのことではなく、新潟大生協は中部地区にある有力国立大学の例に倣ったらしかった。つまり日本の大学生協は意見の多様性を排除しているのである。問題にすべきは、国立大学生協のこういう「学問の自由」に逆らうような体質ではなかろうか?  井口氏は新潟大学生協に即刻抗議すべきだろう。

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今年映画館で見た93本目の映画
鑑賞日 8月18日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 アメリカ映画、ジョージ・A・ロメロ監督作品、103分、1973年、原題は邦題に同じ("The Crazies")。

 ジョージ・A・ロメロ(1940-2017)はゾンビ映画の祖として知られている(「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド ゾンビの誕生」、1968年)。そのいくつかの作品がリバイバル上映された。私はゾンビ映画は趣味ではないが、この『ザ・クレイジーズ』はパニックものながらゾンビ映画ではないらしいので、この作品だけ見に行ってみた。上記のように1973年の映画だけれど、日本での初公開は2010年1月16日だそうである。今回のリバイバルでは、東京では2021年10月15日が封切日だったが、新潟市では10ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて3回だけ上映された。

 舞台はアメリカの田舎町。その近辺で飛行機の墜落事故が起こるが、実は兵器用に開発中のウイルスを搭載しており、町の住民はこのウイルスに感染して異常な行動を取り始める。軍が派遣されて町民を隔離しようとするが、しっかりとした説明もなされず、軍に反発した住民との銃撃戦も。青年デヴィッド(ウィル・マクミラン)は、看護婦で妊娠している婚約者のジュディ(レイン・キャロル)、友人のクランク(ハロルド・ウェイン・ジョーンズ)と一緒に町から脱出しようとする。途中で中年男ボルマンとその娘キャシーを拾い5人となるが、やがてキャシーはウイルスに感染し・・・

 ウイルス感染を防ぐために白い防護服で身を包んだ兵士が不気味。軍側もしっかりした作戦を立てているわけではなく、政府筋の対策もかなり・・・で、救いのないラストとあいまって、人類の未来へのペシミスティックな想像をかき立てられる映画。展開が早く、昨今のダラダラ長い映画と違って観客を惹きつけて離さない迫真性がある。新型コロナウイルスが世界中に広まっている現在、或る意味、非常にタイムリーな作品ではある。女学生キャシー役のリン・ローリー(Lynn Lowry, 1947-)がセクシーな美人。

 上述のように新潟市では3回だけの上映で、私は3回目(木曜夜)に映画館に足を運んだのだが、観客は10名ほどだった。

 昨日も紹介した毎日新聞の「論点」では、富田武氏のカビの生えた見解の次に、リアルな国際認識に基づいた識者の意見が紹介されている。

 https://mainichi.jp/articles/20220817/ddm/004/070/002000c
 ウクライナだけに決定権
 東野篤子・筑波大教授(1971年生まれ)

 即時停戦論は現実から乖離している。今のロシアはウクライナを軍事的に圧倒していると思っている。まだ勝ち進められる戦争をやめる国はない。日本には、ロシアに停戦を呼びかければ、戦闘がきっちりやんで平和が訪れると信じる人もいるが、これまでロシアに攻撃されてきた国や地域は、むしろ停戦・休戦後、悲惨な事態に直面している。

 ウクライナでも、3月の停戦交渉中にブチャなどで虐殺が起きた。人道回廊は停戦とセットでなければ機能しないが、マリウポリから民間人が本格的に脱出したのは、ロシア軍が同市を破壊し尽くした後だった。であるから、ウクライナは「できるかぎり侵攻を押し返した後でなければ停戦交渉はできない」と考えるのが論理的だ。

 ロシアに(領土などの)「お土産」を渡さないと戦争は終わらないとする論者もいる。なぜ「お土産」でロシアが満足すると言い切れるのか。1938年のミュンヘン会談で、英仏などはナチス・ドイツにチェコスロバキア領の一部割譲を許した。これでドイツは増長し、第二次大戦を招いた。逆に、第一次大戦後はベルサイユ条約でドイツを締め上げすぎた結果、ヒトラー台頭の余地を生んだ。この二つの失敗を教訓に持続可能な停戦への道筋を考えるほかない。

 いずれにせよ、戦争を継続するか否かを決定できるのはウクライナだけだ。他国に「戦争をやめろ」と言う権利はない。その後に起こりうる殺りくや破壊も受け入れろと言うのと同義だからだ。こう主張するだけで、「徹底抗戦させる気か」と非難する人もいるが、その人たちは停戦を強制された後の事態に責任が取れるのか。

 (以下略)

                                           *

 東野氏は、もう少し詳しく見解を述べた別のバージョン(毎日新聞のサイトに東野氏の名を入れて検索すると出てくる)では、世代論を否定しているが、私に言わせると世代の問題は或る程度は否定できないと思う。富田氏が第二次大戦の終わった1945年生まれであるのに対して、東野氏は日本が戦後の復興期を終えて経済大国への道を歩み始めた戦後25年という時期に生まれている。

 むろん、富田氏のような現実から遊離した見解は世代論だけで済まされるものではない。1970年代末に関嘉彦(1912年生まれ、当時都立大名誉教授)と森嶋通夫(1923年生まれ、当時ロンドン大教授)が防衛問題で論争したとき、(侵略にはしっかり武力で対応すべきだとした)関が日本は防衛するに値する国だと述べたのに対し、(日本が侵略されたら降伏しろと主張した)森嶋はそれを否定した。それに対して評論家の福田恆存(1912年生まれ)は、いったい世界のどこに自国が防衛するに値するかしないかを問題にする国があるか、といわば呆れ果てて、日本の知識人が救いがたくズレていることを慨嘆したのである(「孤独の人、朴正熙」)。なお、森嶋のトンデモな主張(この手の主張は今でもあるわけだが)については福田は「人間不在の防衛論議」で徹底的に論駁している。

 しかし、戦後の特殊なイデオロギーに染まった人間は――すでにあの世に行っている関や福田や森嶋の世代は除いて考えるなら――昭和10年代から20年代前半生まれに多いと私は見ている。現在、「左翼老人」と呼ばれる世代である。同世代でもそういう傾向に染まらなかった人間は一定数いるけれど、1971年生まれの東野氏の論法には、戦後の特殊なイデオロギーから距離を置くことが当たり前になった世代の息吹が感じられる。

 ここでは改めて紹介しないが、毎日新聞の「論点」には、岩下明裕・北大教授(1962年生まれ)の見解も載っている。日本人の反戦意識がかなりユニーク(私は「おかしい」)の同義と読んだ)こと、ソ連=ロシアとその周辺国との歴史に触れている。一読をお薦めする。

 なお、偶然だが、最近の読売新聞に、第二次世界大戦後に北海道がソ連(ロシア)領になっていた可能性を示唆する資料が発見されたという記事が載っていたので、以下に紹介する。いわゆる北方領土問題は、第二次世界大戦末期のどさくさに紛れて生じたわけだが、ソ連=ロシアという国の体質を知っておくことは日本人にとっても必要不可欠なのだと分かるだろう。

 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220815-OYT1T50285/
 ソ連軍、北海道全体の占領を検討・対馬や済州島にも野心…ロシアの公文書に記録
 2022/08/16 09:01

 第2次世界大戦の日本の敗戦を機に、当時のソ連軍が北海道全島をはじめ、対馬や朝鮮半島南部の港など広範囲の占領を検討していたことが、ロシア連邦外交政策文書館がオンラインで公開している公文書に記録されていた。記載内容を、岩手大の麻田雅文准教授(東アジア国際政治史)が確認した。

 確認されたのは、1945年8月16日にソ連首相のスターリンが、北海道北半分をソ連軍の占領地域とするよう米側に要求した内容の基になった草案。ソ連の赤軍参謀総長アレクセイ・アントーノフらが同日にモロトフ外務人民委員に提出したもので、「日本の主要な島々を、連合国のための占領地域に分割し、特にソ連には北海道を割り当てる」と、北海道全島占領を求める内容が記されていた。

 トルーマン米大統領は要求を拒否したが、麻田准教授は「北海道北半分の要求は、スターリンの欲深さを示すとされてきたが、見つかった草案ではソ連軍部が大きな野心を持ち、スターリンはそのうちの一部をアメリカ側に伝えたにすぎないことが分かった」と話す。

 一方、同8月27日、海軍軍令部国際法部長ニコライ・ボロゴフが作成した文書では、「海軍としては日本の以下の地域の管理に関心を抱く」として南樺太、千島列島、北海道、朝鮮半島北部、釜山港、対馬が挙がっていた。北海道全島がソ連の占領地域となれば、宗谷海峡と津軽海峡に加え、函館、小樽、室蘭などの港を自由に利用できるとも記載されていた。

 また、赤軍参謀本部特別部長ニコライ・スラヴィンが同8月29日に作成した報告書は、朝鮮半島はソ連が北緯38度から北を占領する形で連合国で二分し、個別の占領地域として対馬や済州島も含めるべきだと提言していた。

 こうした点について麻田准教授は「ソ連軍部は太平洋の出入り口となる海域で、航行の自由につながる戦略的拠点は全て押さえたかった」と分析する。

 (以下、略)

640[1]
今年映画館で見た92本目の映画
鑑賞日 8月18日
シネ・ウインド
評価 ★★★★

 アメリカ映画、ブレイク・エドワーズ監督作品、133分、1982年、原題は邦題に同じ(Victor/Victoria)。音楽担当はヘンリー・マンシーニ。

 40年前のミュージカル映画がリバイバルで上映された。私も今回が初鑑賞。また、この映画自体がリメイクで、原作は1933年にドイツで作られた"Viktor und Viktoria"(邦題は『カルメン狂想曲』。私は未見。ラインハルト・シュンツェル脚本・監督)である。

 舞台は1933年のパリ。売れないソプラノ歌手ビクトリア(ジュリー・アンドリュース)は、偶然ゲイの芸人トディー(ロバート・プレストン)と知り合い、同居するようになる。トディーは、彼女を男装させてビクターと名のらせ、その上で女装の芸人として売り出すアイデアを思いつく。これが当たってビクトリアならぬビクターは一躍スターに。しかしその彼女(彼?)に富豪のキング(ジェームズ・ガーナー)が惚れてしまう。キングは男に惚れた自分に悩むのだが・・・

 男が女装する、或いは女が男装するならまだ分かりやすいのだが、女が男装した上で女装するという、錯綜した設定のコミカルなミュージカルである。率直なところ、主演のジュリー・アンドリュースは「男装」しても男には見えないけれど、コメディーと割り切れば目くじらたてるのは野暮だし、副人物の設定や小ネタの巧みな使い方など、非常によくできたエンタメである。サブのヒロイン・ノーマを演じるレスリー・アン・ウォーレンが、ジュリー・アンドリュースと正反対な色気むんむんの女優役で登場しているのも見もの。

 ゲイや女の男装を通じて、性的同一性とは何かという、現代的な問題もそれなりに追求されている。そういう意味では先進的な作品と言えるかも。
 歌や踊りのシーンも楽しい。

 今回のリバイバル上映は、東京では今年の2月25日が封切だったが、新潟市では約5ヵ月半の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定公開された。私が行った木曜日(午前中)は、15人ほど入っていた。

 8月17日の毎日新聞に「論点 即時停戦は「正義」か?」という特集記事が載り、識者三人の意見が載った。この記事の趣旨は最初の数行にまとめてあるとおり。

 ここでは、その数行と、最初に載っている富田武・成蹊大名誉教授の見解の一部を紹介する。
 (以下の引用は同記事の一部分です。全文は下記URLの有料会員記事〔毎日新聞の定期購読者は無料〕で、もしくは8月17日付けの紙媒体の毎日新聞でお読み下さい。)

 https://mainichi.jp/articles/20220817/ddm/004/070/002000c
  【論点】 戦争と平和 即時停戦は「正義」か?
 毎日新聞 2022/8/17 東京朝刊

   ロシア軍のウクライナ侵攻開始後、日本で歴史学会の重鎮らが両国に即時停戦を求める声明を発表して、「侵略した側とされた側を同列に扱うな」などと批判を浴びた。平和は誰もの願いだが、即座の実現が絶対的な正義と言い切れない場合もある。海の向こうの侵略戦争と私たちはどう向き合うべきか?【聞き手・鈴木英生】

 ■露に利益ない公正な講和を 富田武・成蹊大名誉教授(1945年生まれ)

  私も参加する「憂慮する日本の歴史家の会」が3月15日に出したロシアとウクライナ双方に即時停戦を呼びかける声明は、ツイッターなどで「侵略する側とされる側を同列に置くものだ」と批判された。会には、さまざまな意見があり、声明は当時の最大公約数的な内容だ。会の周辺には、宗教者や被爆者ら「どんな戦争も即刻やめるべきだ」との主張もある。

 ロシア軍によるウクライナ侵攻は紛れもなく「国際法違反」であり、私たちはこれを一刻も早くやめさせるべきだと考えて行動した。日本や、ロシアとの関係が悪くない中国、インドが停戦を仲介すべきだと、日本の外務省、露中印3国の大使館に申し入れた。しかし、ロシアは自国の正しさを言い募るばかり、中印両国は外交的打算から仲介に動こうとはしない。

 (中略)

 「ベトナムに平和を!」は、侵略国アメリカに北爆(北ベトナムへの爆撃)中止や米軍の撤退を要求し、日本政府には戦争協力=「侵略加担」をやめよと訴えるスローガンだった。米本国を含む全世界の反戦運動は米軍と戦うベトナム人民と連帯し、パリ和平交渉も支持しつつ、ついに米軍をベトナムから撤退させた。

 (中略)

 日本に何ができるか。憲法第9条をもつ国として軍事的支援はできないし、すべきではない。避難民支援だけでなく、復興支援はノウハウをもつ自衛隊とNGOが貢献できる。この戦争に悪乗りした軍備強化も許してはならない。

                

 まず、この手の声明や申し入れで戦争が終わるのか、というきわめて素朴な、しかし最大の根拠を持つ疑問が生じる。言うまでもなく、学者や宗教人のこの手の声明が功を奏することはほとんどないからである。

 次に、リード文にもあるように、侵攻したロシアと侵攻されたウクライナを同一線上で捉えるのが適切かという問題がある。

 しかし、この文章の最大の特質は、「ベトナムに平和を!」運動が成功したと見ている点にある。つまり、国際世論が戦争を終結に追い込んだ前例があるのだから、今回もその線で行くべきだ、と考えているわけだ。

 こうした見方は、ベトナム戦争を侵略戦争と規定し、間接的な協力をした日本政府に「侵略加担」のレッテルを貼り、「米軍と戦うベトナム人民と連帯」という表現をしているところに、はっきりと表れている。

 ベトナム戦争には二面性があった。一方ではそれは長らくフランスの植民地とされていたベトナムの独立戦争だった。その限りで、ベトナム側には全面的な正当性があった。しかし他方ではベトナム戦争は米国とソ連の代理戦争だった。米国が「旧宗主国」フランスに代わって戦争当事者となったのはそのためである。資本主義・自由主義圏と社会主義圏がベトナムという小国を舞台にして陣取りゲームをやっていたというのが、ベトナム戦争のもう一つの側面である。だから、ベトナム戦争が北ベトナム(つまり社会主義側)の勝利に終わったとき、南ベトナムからは多数のボートピープルが出た。つまり住み慣れた国から逃亡するベトナム人(或いは華僑)が続出したのである。

 1960~70年代に西側で高揚したベトナム反戦運動は、社会主義圏の宣伝に西側が乗せられたという一面があった。当時の西側先進国(米国、英国、フランス、西ドイツ、日本)ではこれに限らず反体制運動が広がっていた。それは戦前から続いてきた権威主義的な社会への反発として生まれたものではあったが、そしてその限りでは正当性を持つと言えたが、他方で社会主義圏への見方を極度に甘くした。例えばベトナム反戦運動は西側でこそ高揚していたが、なぜ社会主義圏では起こらなかったのか? 「とにかく戦争には反対」というなら、ソ連でも同じ運動が起こってもよかったはずだが、むろん起こるはずもなかった。ソ連で反体制運動をやればどういう目に会うかは、今なら誰でも知っていることである。またベトナム戦争で北ベトナムが勝利することはソ連にとっては社会主義圏の拡大に向けた戦略の一環だったのだから、戦争をやめさせる理由などあるはずもない。西側の反体制運動家は、それが分からないほどにナイーブだったのである。

 富田氏の上の発言は、そうした点で典型的な旧タイプ知識人のものと言える。西側の反体制運動家が社会主義圏の宣伝に乗せられた、というベトナム反戦運動のダークな側面を見まいとする見解だからである。

 そしてその後の米国は何度も戦争をしている。典型的なのはクウェートへのイラク侵攻をきっかけに起こった湾岸戦争だろう。それ以外にも米国は中東やアフリカに何度も軍事介入している。むろん、その後も米国内では(そしてそれ以外の国でも)米国の戦争や軍事介入に批判的な声は上がっている。けれども、そうした声はベトナム戦争の場合とは異なり、米国の軍事的な行動を止める力を持たなかった。なぜだろうか?

 一つには、米国やその軍部が、ベトナム戦争での国内反戦世論の高まりを教訓として、国内外への世論対策をそれなりに強化したことがあるだろう。しかし、それにもまして重要な要素は、ベトナム戦争が米国とソ連の代理戦争であり、(言論の自由がある)西側でのみ「反戦」の声を上げれば、どういう結果になるかが、西側の人間にも分かったからだったのである。つまり、「ベトナム反戦運動」は、反面教師ともなったのだった。

 富田氏の上の見方は、ベトナム戦争が終結した時代の、日本の(或いは西側の)左派知識人の典型である。あの時代ならこういう見解は説得的だったろう。しかし、ベトナム戦争が終わって半世紀近くがたつというのに、氏の目には上記の「ベトナム反戦」運動のダークな面ばかりか、それ以降の、例えばソ連の崩壊や中国の軍事大国化などの情勢変化も全然見えていないようだ。半世紀近く前の「ベトナムでの勝利」で歴史が止まってしまったかのようである。

 そして最後のあたりで氏が日本の軍事力強化を批判する筆致は、まさに「これだけや、これだけ」の世界である。「これだけ」で、日本の知識人は戦後75年間を食い続けてきたのだ。氏が1945年生まれであることは、氏の世代の限界を端的に示すものと言えるだろう。

 (毎日新聞の記事「論点」についてのコメントは、次回も続きます。)

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評価 ★★★★☆

 ジャーナリスト福田ますみの本。先日ここで紹介した『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』が面白かったので、同じ著者の本をまた読んでみた。
          
 学校で起こった、モンスターペアレント(今回は母親だけなので、タイトルにあるようにモンスターマザー)の振りまくデタラメによる、学校への冤罪事件である点で、前作と共通している。

 2005年12月、長野県の県立丸子実業高校(その後校名が変更になっている)の一年生男子生徒Tが自殺するという事件が起こった。Tは母親(以下、T母)および一歳年下の弟と三人で暮らしており、学校ではバレーボール部に所属していた。自殺以前、Tは二度家出をしていた。二度目の家出のあと、不登校にもなっていた。二度目の家出のときから母親はそれが部活のイジメによるもので、したがって学校の責任だと言い始め、この主張に長野県会議員・今井正子が乗った。今井はT母の言い分を鵜呑みにして、学校に謝罪を求めた。しかし当時から校長など学校側はTの家出や家庭事情についてはリサーチをしており、問題は家庭に、つまりT母の性格や息子への対応にあるという認識を持っていた。Tの自殺後、T母の訴えを聞いた人権派弁護士・高見澤昭治は、校長を殺人罪で訴えると共に、T母は学校や校長、Tをいじめたとされる生徒を相手取って数千万円の損害賠償訴訟を起こした。(やがて逆に学校や校長がT母と弁護士を名誉毀損で訴えることになる。)

 この事件が前回の『でっちあげ』と共通しているのは、モンスターペアレント(モンスターマザー)に起因しているということだが、違っているのは学校側の対応である。前回の事件では校長がモンスターペアレントの言い分を鵜呑みにして担任教師にむりやり謝罪をさせるという、完全に誤った「初期対応」をしたことが事件解決の妨げになったわけだが、今回の事件では校長を初め、学校や県教委などの対応はしっかりしており、また問題とされたバレーボール部の保護者会の応援もあって(保護者もT母の日頃からの非常識には呆れ果てていたからだ)、事件はモンスターマザーに原因があるという認識でほぼ固まっていた。(それでも生徒の親との関係を良好に保つという目的から、相手の不当な言い分を或る程度認めるような文書を作成するなどしている。この辺は日本人のお人好しぶりがよく分かる箇所だ。こういう譲歩は決してよい結果をもたらさない。)

 したがって問題は、上記の県議と弁護士、そしてマスコミの対応である。
 TV局は校長の記者会見の映像を恣意的にカットして、学校側の説明には問題が多いかのような印象操作を行った。新聞もどちらかというとT母の言い分に重きをおいた報道を行った。
 『週刊金曜日』とジャーナリストの鎌田慧は、学校側の言い分をまったく無視し、T母側の言い分を鵜呑みにした報道を行った。
 その結果、丸子実業の(実力のある)バレーボール部は世間からの非難を受けて、大会への出場を断念せざるを得なかった。強豪であった同部へはその後入部者が減り、見る影もない状態になってしまう。

 本書で最も興味深いのは、T母の実像だろう。比喩ではなく、「モンスター」そのものである。虚言癖があるというだけでなく、世間に対して嘘で固めた主張をメールや文書や電話で流しまくり、子供を支配下におき、といって食事や洗濯などの世話はろくにしておらず(Tは学校には自分で弁当を作って持ってきていた。小学生時代は服が汚れていて悪臭を放っているのに近所の人が気づいていた)、しばしば激昂して「死ぬ」と口走る。シングルマザーで大変だからだと思いたくなるが、三度にわたり離婚をしている。最初の結婚については本書には書かれていないが、二人の子供は最初の結婚生活で生まれており、二度目の夫はネットで知り合って結婚し子供を養子縁組までしたのだが、結婚したとたんに妻が凶暴になり、家事はろくにせず、暴言や暴力を振るうので離婚手続きに入り、それがちょうどTの自殺による訴訟の少し前のことであったが、訴訟中にT母は三度目の結婚をしている。やはりネットで知り合ってT母の言い分を鵜呑みにした男性がいたからだが、5ヵ月でまた離婚している。経過は二度目の夫のときと同じ。いずれの場合もT母は夫側が持ち込んだ物品等を返却していない。

 Tの自殺は、結局はこういうモンスターマザーの支配下におかれたことが真因だった。そもそも、Tは高校に入ってまもなく二度家出をしていたわけだが、学校が嫌なら不登校になるはずで、家出は家庭に問題がある場合がほとんどだという。二度目の家出のあとにTは不登校になるわけだが、これは「学校のイジメのせいで息子が不登校になった」というT母のでっちあげた筋書きにより、母から強いられたものだと見られる。

 Tはイジメを受けたという内容のノートも残しているが、これもT母に強いられて書いたか、或いはT母自身が書いたものだったという。Tはバレーボール部では、一度先輩による軽い体罰はあったものの、基本的に部員とうまくいっていた。家出事件のあと同学年の部員がTに自宅に泊まりにくるよう誘って、Tが来たのはよかったが、T母までついてきたという(!)。部員は、T母から離れた機会を見てT自身から家出のことなどを聞いたが、母親との関係に問題があるらしいという感触を得た。

 裁判は、ほぼ学校や校長側の勝訴に終わった。しかしT母は損害賠償をまったく支払っていないという(カネがないわけではない)。高見澤弁護士は支払ったが、判決には新聞への謝罪広告も含まれていたのに、無視しているという。法律に従わない弁護士もいるわけだ。なお、この件で高見澤弁護士は東京弁護士会から戒告処分を喰らっている。

 世の中には、本書に書かれたようなモンスターも実在するのだということ。法律家やマスコミや政治家は、人間についてのそうした洞察をもって仕事にあたってもらいたいものだ。

 私も、平気で嘘をつく人間が少なくないことは70年近く生きてきて知っているつもりだったが、さすがにこれほど凶暴性のあるモンスターには出会ったことがない。本書でまたひとつ人間についての知識を得られたことは・・・幸い、と言うべきなのかな。

 (私は県立図書館から借りた単行本で読みましたが、現在は文庫化されています。)

 ウクライナ戦争が起こり、日本の知識人の戦争館が改めて問われている。
 先日の産経新聞の記事から。

 https://www.sankei.com/article/20220814-75RLHVE5SJMMLCKB5FPA4DA3XQ/
 【主権回復】 第4部 戦争とどう向き合う(3) 軍事研究 忌避する大学
 2022/8/14 08:00
 (産経新聞の以下の記事は有料会員記事ですが、8月14日付けの紙媒体産経新聞第一面で読むことができます。以下の引用はその一部分であり、紙媒体第三面にもその続きが掲載されています。) 

 ■安保=悪 戦後イデオロギーの残滓
 「すべての科学者に告ぐ」 5月15日付の全国紙5紙と一部地方紙に、ある全面広告が掲載された。黒一色の背景に赤い文字、手塚治虫の漫画を意識したような書体で大書された言葉の下には「命を救うための研究が兵器に応用され、いとも簡単に人命を奪う」などと、科学技術の軍事利用に反対する文章が並んだ。

 広告を出したのは私立の千葉工業大学(千葉県習志野市)だ。(中略)

 同大は昨年、「軍学共同」に反対する市民団体から抗議を受けた。防衛装備庁が民間の基礎研究を支援する制度に応募したためだ。宇宙環境を汚染しない固体ロケット燃料に関する研究だったが、「ミサイル開発に応用し得る」と批判された。

 日本学術会議は平成29年3月の声明で、軍事科学研究を「絶対に行わない」とした過去の声明の継承を宣言し、支援制度にも疑問を呈した。全国の大学から同制度への応募は27年度の58件から令和2年度は6分の1以下の9件に激減、昨年度も12件にとどまった。

 (中略)

 ■自衛官への反発

 (中略)

 神戸市のホテルで7月9日、安全保障に関するシンポジウムが開かれた。自衛隊の元幹部らが登壇し、会場には制服姿の現役自衛官を含む約100人が集まった。約半数は学生だ。主催したのは(中略)NPO法人「インド太平洋問題研究所」。(中略)神戸大(中略)教授の簑原敏洋が立ち上げた。

 簑原が平成14年に授業に現役自衛官を招こうとした際、一部学生が反対運動を起こし、学内での開催を断念した。雑誌でも批判された。

 (中略)

 授業で「安全保障」を扱う大学は10校前後と見られるが、(中略)大半の大学では国際政治全般を扱う「国際関係論」などの一部として扱う場合が多く、専門科目となっていることは少ない。

 (中略)

 ■リアリズムの重し

 神戸大の簑原は、米カリフォルニア州南部の米軍基地のある町で育った。米国では軍が将校育成のため全米の大学で運営する「予備役将校訓練過程」(ROTC)があり、軍服姿の学生も珍しくない。日本で感じたのは、自衛隊と民間人の間の距離だった。

 簑原は「軍事を身近に置かないとむしろ危険だ。文民統制というが、現場の現実を知らずに統制ができるのか」と語る。軍事力の行使に慎重な世論も、有事には逆方向に極端に振れかねないと懸念を示し、「それを防ぐのがリアリズムの重しのはずだ」と訴えた。

 (以下、略)

                 

 日本の学者の軍事アレルギーは相当に重症だ。上記の産経新聞の第三面に続く部分では、中国や英国の例も挙げて、時代遅れになりつつある日本の現状が指摘されている。

 私自身は、新潟大学の専任教員だった最後の十年間ほど、「国際教養演習」という半年の教養演習(全学部向け、定員15名)を毎年出していた。国際問題や海外事情を扱った新書本などを実質4ヵ月で5冊読むという内容だったが、軍事関係の新書を1冊入れることを通例とした。「シビリアン・コントロールなのだから、軍事のことを知らなければコントロールできるはずがありませんからね」というのが私の決まり文句であったが、この授業はそのシビアな内容にもかかわらず(*)人気があり、新学期当初には定員の3倍以上の学生が履修を希望するのが常であった。軍事関係の本が入っていることにクレームを付けられたことはない。まあ、5冊のうちの1冊だけだったからかも知れないが。

  (* 「4ヵ月で5冊新書を読むというのは厳しすぎる」と、クレームをよこした学内某センターの教授がいた。怠け者の学生の訴えに媚びを売るどうしようもない三流学者であったから、私は新聞記事の切り抜きを入れて「東大では毎週ハードカバー1冊を読む演習をやっている。4ヵ月で新書5冊のどこが厳しいのか?」と書いてやったら、返事は来なかった。)

 そもそも、現代において、軍事転用がまったく不可能な学術研究などあるのだろうか? 理系はもとより、文系の学問だって、その気になれば軍事に転用できるものが大部分だろう。例えば私はドイツの20世紀前半に活躍した作家マン兄弟をやっているわけだが、マン兄弟が生きたのはちょうど二度の世界大戦が起こった時代にあたっている。第二次で大戦はヒトラー批判で歩調を合わせた兄弟だったが、第一次大戦のときは自国ドイツを擁護した弟トーマス・マンと、敵国フランスを支持した兄ハインリヒ・マンは大げんかをして数年間断交している。戦時中に作家はいかに振る舞うべきか、その気になれば二人の主張からプロパガンダ文書を作成することは十分に可能だろう。下手をすると、だから私も日本学術会議からお咎めを受ける可能性がないとは言えないことになる。

 また、現在私たちが当たり前のように使っているEメールは、もともとは軍事技術から来ている。戦闘中にスムースに連絡がとれるようにと開発された技術が、民間に転用されたのだ。絶対平和主義者は、だからEメールは使ってはいけないはずだが、そういう人がいるとは寡聞にして聞いたことがない。

 そもそも、第二次世界大戦が終わったばかりの頃と、21世紀の現代とでは世界状況は大きく変化しているのだ。そのことが分からない「学者」が多すぎる。つまり、学者ほどものを考えない人間はいない、のかも知れないのだ。
  
 自衛隊への、学者の奇妙な忌避感情といえば、私が新潟大学の教養部解体後に人文学部に移ってまもない頃(1994年)の教授会が思い出される。人文学部の教授会で、日本史の教授が、自衛隊員が制服姿で学内に入っているのがケシカランと発言し、あれは学内をスパイしようとしているのだ、と述べた。私は噴飯もののこうした発言に仰天した。(教養部では、理系や体育系を含めて色々な分野の教員がいたから、こういう露骨なイデオロギー的発言をする教員はあんまり――皆無ではないが――いなかったのである。)新潟大学で「スパイ」をするほどの重大な機密研究がなされているのかどうかはともかくとして、スパイをするなら、自衛官の制服姿でするわけがなく、教員や学生と同じような服装で潜入(?)するのが当然であろう、というような常識が、この日本史教授には欠けていたからである。ついでに、こういう変なイデオロギーに犯された大学教員は、史学系に多い。教育学系や、理系にも多い。理系に多いのは、自然科学者はカンチガイをしていて、自然科学のような絶対的で普遍的な理論が人文・社会科学系でも成り立つと思い込んでいるから、つまりマルクス主義を自然科学的な意味で絶対的な真理と盲信する傾向が強いからである。

 まあ、学者は専門バカで、自分のやっている狭い領域以外のことはロクに知らないから、戦後半世紀以上続いてきた日本固有の状況にしがみついているだけなのだろうが、そういう「内弁慶」ぶりの異常さも、今回のウクライナ戦争で明らかになりつつある。(内弁慶というのは、例えば憲法9条を守れと国内で叫ぶ「学者」は多いが、不思議なことに、アメリカや中国やロシアに出かけて行って「見習いなさい」と叫ぶ学者がいるという話は、これまた寡聞にして聞かないからである。つまり、日本の知識人は、ことほどさように外国に対して卑屈なのである。)

 新聞を読んでいると、内弁慶のままである人間と、そうでない人間の差がかなり見えやすくなってきていると思う。(いや、見えない人間もいるけれど、内弁慶の人間にはそもそも内弁慶ということが理解できないから、やむを得ないわけである。)そういう例を、今回を手始めにいくつか挙げてみよう。

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今年映画館で見た91本目の映画
鑑賞日 8月15日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 川本貴弘監督作品、135分。

 舞台は1985年、大阪の西成区北部に位置する公立中学校。生徒は「部落と朝鮮と沖縄しかおらん」荒れた学校では、蒲益男(かばますお:山中アラタ)をはじめとする教師たちが奮闘していた。そこに、若い女性講師の加藤(折目真穂)が赴任してくるが、初日から荒っぽい生徒たちの洗礼を受けて自信を喪失してしまう。多様な問題を抱えた生徒たちは、学校の内外で色々な事件に巻き込まれ、さらには卒業生も・・・

 実在の教師や学校をもとにした映画だそうである。多様なルーツを抱えた生徒、ワケありの生徒を相手に教師が奔走するストーリーだが、いわゆる青春物映画にありがちなキレイゴト感がなくて、日本のいわば「下層民」の実態が公立中学(およびその周辺)という場所に露呈している実態が浮かび上がってくる。とはいえ映画なので、筋書きにはやや甘いところもあるが、エンタメを通して社会の一面を垣間見ることができる作品と考えれば、重箱の隅をつつく必要もあるまい。

 主役の山中アラタは、身体が大きく包容力のある容貌で(画像参照)、いかにも教師に向いていそうである。教師は、外見が大切という点で、俳優と同じなのである(笑)。

 東京では昨年7月24日の封切だったが、新潟市では約一年の遅れでシネ・ウインドにて公開中、8月19日(金)限り。
 お盆の真っ只中に劇場に足を運んだのだが、20人以上入っていた。(座席は、他の客との距離を考えて選んだのだが、後から入ってくる客に距離感が全然ない奴がいるのが業腹。こういう奴だけ新型コロナに感染させて往生させる手段はないものですかね?)

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評価 ★★★★

 著者は1957年ソウル生まれ、慶大文卒、早大大学院博士課程修了、日本文学専攻、韓国・世宗大学教授。

 朴は日本では『帝国の慰安婦』の著者として有名だが、それも含めて私がこの人の本を読むのは初めてである。生年が私の5年後、ということはだいたい同じ世代と言っていい。或いは隣接する世代だろうか。本書の結論にあたる「まとめ」を読むと、柄谷行人や上野千鶴子を愛読し、柄谷の『日本近代文学の起源』を1997年に韓国語に訳して出版したが、これは同時代の日本知識人の紹介としては初めてのもので、それ以前は田麗玉の『日本はない』(1993年)のようなナショナリズムをあおる本が売れていたそうである。

 柄谷の『日本近代文学の起源』が出たのは1980年で、私が新潟大学のドイツ語専任講師になった年にあたる。私はそれ以前から柄谷に注目していたので、すぐに買って読んだが、柄谷が日本で高く評価されるようになるのはこの本が契機だったと言っていい。私の前の世代(団塊の世代、及びそれ以前)は吉本隆明信者が多く、柄谷嫌いが多かった。私は柄谷を評価した最初の世代にあたるだろう。朴のように、私より5歳年下のあたりの世代で、柄谷評価は定着したのではないか。

 本書をひもとくと、目次に「「交通」の可能性について」といった表現があって、いかにも柄谷を読んで育った世代、という感じがする。また、著者は本来文学研究者であって、物事を単純なイデオロギーで割り切ることをせず、テクストの細かい読み、或いは現実の複層性への認識を基盤として思考を進めていくが、彼女のそのような特質は「文学」に由来するものだと分かる。最初から社会科学や(イデオロギー臭の強い)歴史学をやった人間にはなかなかこういう叙述はできない。

 前置きが長くなったが、私が本書を読む気になったのは、当ブログで先日紹介した下川正晴『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』によって「引揚げ者」の問題に目を開かれたからである。第二次世界大戦で日本が敗北したときに、満洲や朝鮮半島などから日本に引揚げた人間は数百万に及び、帰国の際には様々な困難に際会し、死に至った男女や、性的暴行により妊娠した女性も多かった。そうした日本人の体験は、『忘却の引揚げ史』にも書かれていたように必ずしも日本人の(例えば原爆や沖縄のような)公的な歴史体験とはならなかったし、またそうした体験を綴った文学作品も少なくはないが(逆に沈黙を守った文筆家――例えば埴谷雄高――もいることはこの『引揚げ文学論序説』でも指摘されている)、これまた主流の文学史からは無視されてきた。本書は、書き残されたそうした体験を「引揚げ文学」と名づけて、その意義を評価すべきだと主張した本である。

 構成は、序文と第一部が総論、第二部が各論となっている。

 序文で著者は、引揚げ文学への関心が日本でなかったわけではなく、70年代には尾崎秀樹『旧植民地文学の研究』や、雑誌『諸君!』(1979年7月)の「日本の”カミュ”たち」というルポ、朝鮮出身である日野啓三と五木寛之の対談「異邦人感覚と文学」(『文学界』1975年4月)が出ていたが、そうした関心がその後受け継がれることはなかったという。

 ここのところで、私は改めて、カミュが「植民者」の子孫であり――曾祖父がフランスからアルジェリアに渡った――、或る意味では「引揚げ者」でもあった――アルジェリア独立戦争によってフランス「本土」に帰還したわけではないが――という事実を想起せざるを得なかった。そして、かつてサイードがその著書でカミュの『追放と王国』の中の一編をイスラム差別的と批判しながら、同短篇集に含まれる『客』に言及していないことに、違和感を覚えたときのことを思い出した。つまり私は、サイードは自分にとって都合の悪い作品には触れなかったのだと感じたのである。

 話を『引揚げ文学論序説』に戻すと、引揚げ者である文学者は数多い。年齢順でいうなら、埴谷雄高、湯浅克衛、森敦、五味川純平、古山高麗雄、清岡卓行、安部公房、村松武司、小林勝、森崎和江、日野啓三、澤地久枝、梶山季之、後藤明生、五木寛之、生島治郎、池田満寿夫、宇能鴻一郎、三木卓、大藪春彦、天沢退二郎、別役実などがいる、と著者は述べる。もっとも村松武司については「今日ではほとんど忘れ去られている」とも述べている(15ページ)。たしかに、私も村松の名は知らなかったし、小林勝も知らなかった。作家ではなく評論家・ジャーナリストも含むなら、尾崎秀樹や山崎正和や本田靖春もいる。

 「引揚げ文学」は、引揚げ時の悲惨さだけを対象にしているわけではない。「内地」に「帰還」したとき、初めて目の当たりにした本土がいかに貧弱に映ったかも重要な体験であった。朝鮮半島や満洲では先進的な教育施設や建築物が作られていたのであり、日本人は現地人に対して特権階級だったから中流以上の暮らしができた。しかるに、日本本土の教育施設や建物は案外に貧弱で、日本人でも労働者として貧しい暮らしをする人間が多数に及ぶという、「植民者」からすれば「まさかの現実」が衝撃的だったのである(40ページ以下)。

 他方で、植民地からの帰還者はずっと内地で暮らしていた日本人から差別的な眼差しで見られた。朝鮮人と言われることもあったし、内地の「日本的な掟」が身についていないので周囲から浮いてしまうことも多かった(42ページ以下)。

 そもそも、植民者とは、内地からすれば棄民だった。食い詰め者や、農家の(田畑を継げない)次男三男が半島や大陸に渡ったのである(58ページ)。著者は、そうした「植民者事情」は英仏でも変わりがなかったことにも言及している。

 以上が前半の総論である。
 後半の各論では、漱石、小林勝、後藤明生が取り上げられている。
 漱石では『明暗』の小林が、最終的には朝鮮半島に流れていくことの意味が問われている。
 また、小林と後藤については、杓子定規に見るなら朝鮮で現地人に対して優位にあるはずの日本人が、様々な局面で朝鮮人に対して「劣」の立場、或いは感情を強いられる微妙な状況への眼差しにより叙述がなされている。

 なお、『竹林はるか遠く』(日本語版は、ハート出版、2013年)という、引揚げ時に朝鮮人により日本女性が性的暴行を受けるという内容の書物が、アメリカ在住の韓国人たちにより問題視され、いったん韓国で訳書が出ながら出版禁止に追い込まれるという事件に言及がなされている(109、202ページ)。

 また、外務省は敗戦直後には、大陸在住の日本人は現地に帰化するという方針をとっていた(107ページ)。まさに棄民だったのである。実際、引揚げが不可能で現地にとどまった人間や、日本人と朝鮮人の混血(「内鮮一体」!)として生まれた人間たちも現地にとどまらざるを得なかったが、彼らにはいかなる光も当てられていないという指摘もあり(105ページ)、貴重。

 最後に細かいことで済みませんが、索引の「川村三郎」は「川本三郎」でしょう。なお、索引は本文についてだけで、注には「川村二郎」も出てくるけど、索引にはない。

 あとがき最後の「二〇一六年九月 ソウルにて 第二回目の刑事公判を前に」が、著者が韓国でおかれている立場を端的に示している。

 新潟県立図書館から借りて読みました。

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