隗より始めよ・三浦淳のブログ

15年近く続けてきたサイト「新潟大学・三浦淳研究室」が、WindowsXPへのサポート中止により終了となったため、その後続ブログとして立ち上げたのが、この「隗より始めよ・三浦淳のブログ」です。 旧「新潟大学・三浦淳研究室」は以下のURLからごらんいただけます。 http://miura.k-server.org/Default.htm 本職はドイツ文学者。ドイツ文学内に登場する女性像について一般人向けに分かりやすく書いた『夢のようにはかない女の肖像 ――ドイツ文学の中の女たち――』(同学社、1500円+税)、そしてナチ時代における著名指揮者とノーベル賞作家の対立を論じた訳書『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング、2500円+税)が発売中です。 なお、当ブログへのご意見・ご感想は、メールで以下のアドレスにお願いいたします。 miura@human.niigata-u.ac.jp

読書と映画については★で評価をしています。☆は★の半分。
★★★★★=最高、★★★★=かなり良質、★★★=一読・一見の価値あり、★★=芳しからず、★=駄本・駄作

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今年映画館で見た70本目の映画
鑑賞日 5月26日
シネ・ウインド
評価 ★★★★

 イタリア映画、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品、1942年、モノクロ、126分。原題は"Ossessione"(妄想)。映画の最初に出る説明では、本来は140分あったが、修復に使えるフィルムが完全には見つかっていないため、現段階ではこの版が最長ということになるという。

 原作はアメリカ作家ジェームズ・ケインの小説で、4度映画化されているそうだが、このヴィスコンティによる映画は2度目にあたる。私はこれまで3度目にあたるジョン・ガーフィールド監督作品(1946年、アメリカ)しか見ていなかった。ヴィスコンティ監督としては長編映画の処女作であるが、原作者の許可を得ていなかったため、上映開始後すぐに中止されたといういわく付きの作品でもある。アメリカと日本で公開されたのは1970年代になってからだという。

 舞台は北イタリアの田舎。放浪の旅を続ける男ジーノ(マッシモ・ジロッティ)は偶然入った食堂で店主の妻ジョヴァンナ(クララ・カラマイ)と出会い、惹かれ合う。店主は妻よりかなり年長だった。故障したクルマの修理を見事に直した腕を認められてジーノは店に雇われ、やがてジョヴァンナと不倫関係になる。ジーノは彼女に駆け落ちを迫るが、彼女のほうは店付きの住居に未練があり、踏み切れない。いったん店を離れて旅に出たジーノだったが、偶然もあって再び店に戻ることに。やがて彼とジョヴァンナは店主の殺害を計画し・・・

 以前見たガーフィールドの映画と比べて、主役男性の肉体的な魅力や、彼の旅への志向と女の定住志向との葛藤など、色々な点から見てよくできていると感じた。

 ただし、女優としては不倫に走る妻役のクララ・カラマイより、作品後半でジーノが知り合う踊り子アニタを演じるディーア・クリスティアーニのほうが魅力的だ。

 なお、日本語タイトルは原作そのままとなっているけれど、実際にはこの映画には郵便配達がベルを鳴らすシーンは出てこない。上記のように映画の原題は原作とは別であり、これは原作者のクレジットを得ていないからだけではなく、原作を変更して内容が元のタイトルと合わなくなっているからだろうが、邦題がその辺を無視しているのは原作を尊重したからだろうか。

 デジタル修復版は東京では1月上旬の封切だったが、新潟市では約4ヵ月の遅れでシネ・ウインドにて2週間限定公開された。ヴィスコンティのネオ・レアリズモ作品特集として、『若者のすべて』、『揺れる大地』と合わせて日替わりの上映だったが、私としてはこの3作の中で最も面白かった。

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評価 ★★★

 出たばかりの新書。著者は改めて紹介するまでもないが1949年生まれのフランス文学者で明治大教授、著書多数。

 本書はタイトルにあるように、近年学者として注目を集めているエマニュエル・トッドの理論を分かりやすく紹介した上で、この理論によって世界史や日本史の重大事件を説明し、最後にはこれからの世界や日本の見通しを語っている。

 エマニュエル・トッドはソ連の崩壊や米国のリーマン・ショック、英国のEU離脱を予言して的中させた学者として有名である。しかしその学者としての理論的枠組が日本のジャーナリズムには必ずしも正確には理解されていないと著者は述べて、トッドの学者としての経歴から始めている。
 
 かつてはモルガン学説のように人類は昔は大家族だったものが時代が経つにつれて核家族に変わってきたと考えられていた。しかし近年ケンブリッジ大学のグループによる調査で、英国では12世紀までさかのぼっても核家族しか見られないことが判明し、人類の家族は最初から核家族だったと主張されるようになった。ところがトッドの調査によりドイツやロシアには昔は複合家族・大家族が存在していたことが分かり、トッドはケンブリッジ大のグループと袂を分かつことになる。

 このようにトッドの学問は家族形態に関するものなのであるが、そのスタートにあったのは別の疑問だった。つまり人類の人口の変遷である。人類は長らく多産多死型社会だったけれど、やがて少産少死型社会へと移行する。ふつうに考えれば、栄養が悪くて医学も未発達だった時代には多産多死型社会になるしかなく、栄養が良くなり医学も発達すれば少産少死型社会に移行するという図式が思い浮かぶ。ところが、実際は少死になってもしばらくは多産のままに社会は続くのだという。その時に人口の大幅な増加が起こるのであり、今でもアフリカはそのような状態にある。
 ではいつ(なぜ)少子化が始まるのか。トッドによれば、子供の数を左右しているのは女性の識字率である。女性の識字率が50%を超えると少子化が始まる。また、男性の識字率が50%を超えると革命や大変革など大きな社会的変動が起こるという。
 さらに、女性識字率を決めるのは、家族システムだという。

 そこで家族システムの話となる。従来は家族というと核家族か大家族かという区別しか考えられていなかったが、トッドはそこに遺産相続システムという要素を導入した。つまり兄弟の平等・不平等ということである。これによって家族は4つのタイプに分類される。

 1.絶対核家族(イングランド・アメリカ型)
 結婚した男子は親と同居せずに独立。相続は1人だけで、兄弟平等ではない。子は早く独立するから親子関係は権威主義的ではない。教育には不熱心(子供の早期独立を促すから)だが、女性の識字率は比較的高い(兄弟の不平等は姉弟・兄妹にとっては平等を生みやすい)。

 2.平等主義核家族(フランス・スペイン型)
 1と同じく子供は早くに独立するが、相続は兄弟間で平等である。親子関係は権威主義的ではない。教育には不熱心で、兄弟が平等である分、女性(姉妹)の地位は低い。

 3.直系家族(ドイツ・日本型)
 結婚した子供の一人(多くは長男)が親と同居するのが原則。親子関係は権威主義的。教育熱心で女性の識字率も高い。

 4.外婚制共同体家族(ロシア・中国型)
 男子は長男・次男を問わず結婚後も親と同居。したがってかなりの大家族となる。父親の権威は大きいが、財産は平等分与なので、父の死後息子たちは独立して家を構える。マルクス・レーニン主義による共産主義国家を生んだのはこの家族型である。教育には不熱心。女性の地位は低く、識字率も低い。

 以上の、例えば4を見れば分かるように、家族の形態は共産主義革命の成否ともつながっており、それだけ大きな、単なる家族類型にとどまらない影響力を持つ、というのがトッドと著者の主張である。また、「そんなこと言っても先進国は今は核家族が主流でしょ」という異議に対しては、こうした家族パターンは、組織を作るときにも影響を及ぼすとされる。つまり社会のあり方そのものを規定しているということである。

 本書後半では著者の鹿島茂が世界史や日本史の重大事件をこの理論と結びつけて説明しているが、面白いとは思うものの、何となく金太郎飴的な感じは消せなかった。つまり、マルクス主義理論や、フロイトやユングの心理学が一応何でも説明できてしまうのと同じじゃないかと思ったのである。何でも説明できる理論というのは、どことなく怪しいものなんだけどねえ。

 ただし最後で日本の最大の問題は少子化だと喝破しているあたりは大いに共感できた。著者は見合い制度の復活、といっても昔風の見合いを今さら復活するのは無理なので、舞踏会を日本に広めるべきだと述べている。実際、一度著者が舞踏会をお膳立てしたら、そこから夫婦が何組か生まれたそうである。

 私も、大学の教養科目の文学講義で、19世紀・20世紀初頭のドイツの小説に舞踏会シーン(もしくはその練習シーン)が出てくると、「舞踏会というのは、要するに身分の釣り合った若い男女の集団見合いなのです。舞踏会だからこそ、ろくに知らない若い男女同士が手を握り合い、顔や体が触れんばかりの近距離で一緒に体を動かすことができるのです。西洋は誰でも恋愛結婚、なんてのは大嘘ですから、見合い制度をバカにしてはいけません」と力説しているのであるが、やってみる価値はありそうだ。

 なお一つだけ疑問を述べておくと、ナチズムとファシズムをドイツと日本の家族型によって説明しようとしている箇所があるが(122ページ)、ファシズムはイタリアの現象であり、日本にはドイツやイタリアのようなファシズムというのは存在しなかった(軍部の横暴や戦時体制〔これは戦争になればどこにでも生じるもの〕はあったけれど)と見るべきではないか。トッド理論によるとドイツとイタリアは家族型が異なるのだから、ナチズム・ファシズムと家族型が本当に結びつくのか、もう少しちゃんと考えてもらいたい。

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今年映画館で見た69本目の映画
鑑賞日 5月24日
シネ・ウインド
評価 ★★☆

 イタリア映画、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品、1948年、モノクロ、160分。

 ルキノ・ヴィスコンティのいわゆるネオ・レアリズモ期の作品。シチリアの漁村に暮らす貧しい家族の反逆と挫折を描いている。

 或る漁民の一家。父はすでに亡く、主として長男が漁師の仕事をしているが、苦労して取った魚が仲買人に安く買い叩かれるのにかねてから腹を立てていた。彼は仲買人を通さずに自力で魚を塩漬けして販売すれば利益が上がって貧しい暮らしから逃れられると考える。そのためには資金が必要だが、自宅を担保にして銀行からカネを借りることにする。

 最初は順調に見えたが、海が荒れた日に無理をして船を出したために遭難しかかり、網などを失い、船も破損して漁ができなくなってしまう。そして・・・

 貧しい漁師の一家が一念発起して貧困から脱出しようとして失敗するお話。しかし見ていて余り説得力を感じなかった。筋書きなどに首をひねるところが多いからだ。

 第一に、上述のように海が荒れた日に無理に船を出して遭難しかかることが転落の第一歩だったわけだが、海の荒れ具合をよく見て漁ができるかどうかを判断することはプロ漁師の基本的な能力であり、それができないという設定には無理がある。そもそも、そんな日に船を出さなければ生活が成り立たないなら、銀行から借金をしてまで新しい仕事を始めた意味がない。荒れた日には船を出さない元の暮らしのほうがマシ、ということになるのではないか。

  第二に、船が破損して生活に窮してから魚の塩漬けを売りに出して買い叩かれているのだが、塩漬けを売りさばくルートをあらかじめ考えておかなかったのだろうか。生魚を買い叩かれるのも魚の塩漬けを買い叩かれるのも原理的には同じことであり、であるなら、わざわざ自分で塩漬けを作っても何も変わらないことは最初から分かっていたはずだ。

 第三に、この映画では仲買人が中間搾取を行っているということが前提になっているようだが、具体的にどのくらいの利益を彼らが得ているのか分からない。金額を表に出さずとも、例えば仲買人の暮らしぶりが漁民とは段違いの贅沢三昧というような描写があればいいのに、それがないから、搾取が観客に実感されないのである。

 第四に、次男は船を出せなくなってから出稼ぎでカネを稼ぐために村を出ていくのだが、彼が具体的にどういう仕事に就こうとしたのか分からない。村に来ていたよそ者に誘われたことは分かるが、よそ者がどんな仕事を提示したのかが不明なので説得性に欠ける。そして次男はそれっきり作品から消えてしまう。

 第五に、最後には長男は仲買人に屈して嘲笑を浴びながらもまた仕事をもらうという顛末なのだが、次男のように村を離れるという選択肢はなかったのか。屈辱にまみれるより、新天地でまき直しを図るほうがまだしもと思えるのだが、それが不可能なのはなぜかが分からない。

 以上、この種の映画を作る時に考えておくべき条件が満たされていない。長いわりには中身がないと感じられる所以である。

 自慢じゃないが、私はパソコン音痴である。パソコンの分かりにくさには日ごろから業を煮やしている。なぜパソコンはこんなに分かりにくいのか? 作る人間が悪いんじゃないか、というのが私の見解である。要するに、使う側の身になって作っておらず、作る側の都合ばっかり優先しているということだ。端的に言えば、バカがパソコンを作っているとしか思えないのである。

(1)
 20年以上むかしのこと。新潟大学の図書館で、それまでの紙カードによる図書検索方式がパソコンでの検索システムに切り替えられた。
 この時の図書検索用パソコン第一号こそ、「作った奴が何も考えてない」ことの見本のような機器だった。なにしろ、暗証番号を入力しないと検索ができない仕組みになっていたのである。
 言うまでもなく、図書館の検索用パソコンとは不特定多数の人間が使うものである。だから、スイッチを入れたらすぐ検索画面が出るようにしておくべきなのに、暗証番号を入れないと検索画面が出ない。そしてその暗証番号は、画面の上部に紙に書いて貼ってあるのである(笑)。
 いや、今なら「笑」で済ませられるけど、当時この機器を使って図書検索をする人間からすればそれで済む話ではなかった。「作った野郎を連れてこい!」と叫びたくなるシロモノだったのだ。ほんと、パソコンを作る奴って、何も考えてないよね。

(2)
 私は今年度限りで定年退職なので、この4月に私費で携帯用パソコンを購入した。退職後に使うためである。退職1年前に買ったのは、慣れるのには時間がかかるからである。
 携帯用パソコンを使うのは十数年ぶりである。以前いちど、まだ新潟大学からもらう研究費が1人あたり年間40万円ほどあった時代に購入したことがあった。しかしその頃の携帯用パソコンは性能が悪く、すぐにフリーズしてしまうので、結局あまり使わないままお蔵入りとなった。
 で、今回久しぶりに購入して使っているのだが、なかなか慣れない。
 先日、ワープロ機能に支障が出た。ボードの左側のキーはいいのだが、ボード右側のキーを打つと数字が出てしまい、日本語が出せない。なにしろ右側にはU、I、Oという母音のキーが並んでいるので、ここがおかしいとワープロの機能を果たさない。たとえば、「す」を出そうとしてSとUのキーを打つと、「S4」と出てしまう。Wordでも一太郎でも同じである。ワープロの設定を再確認しても日本語入力のままだし、パソコンの電源を入れ直しても変わらない。
 仕方なく、大学の情報センターに持っていって助けてもらった。
 要するに、右上にあるNUMLKというキーを(うっかり)押したからそうなるのだ、という。このキーを押すと、右手にあるキーに記されている数字(上記のUキーなら、たしかに4という数字も□に囲まれて記されている)が出るようになるのだという。
 携帯用パソコンを知っている人からすると、きわめて初歩的なことなのであろう。
 だが、デスクトップ型を使い続けてきた私からすると「えっ、そうなの!?」なのである。なぜってデスクトップ型のパソコンでは数字は独立したキーが右端に並んでいるから、そちらを使えば済んだからだ。

 この場合、事情を知っている人に訊かないと解決しない問題であるところが問題なのである。
 なぜって、第一に、私の買ったパソコンには紙の使用説明書が付いていなかったからであり、第二に、ワープロ機能が使えなくなったわけだからネットで検索して調べることもできないからである。ネット検索は言うまでもなく、検索システムに(日本なら)日本語を入力できる、ということが前提になっている。この前提が成り立たなくなれば、検索システムはないも同然なのだ。
 で、問題はそういう状況があり得ることを、機器を作った人間が考えていない、という点なのだ。作る人間がバカなのだ、と言いたくなる。

 じゃあどうすれば?と反問されるかも知れない。簡単である。電源を切ったら、数字限定のモードが消えるように作っておけばいいのである。数字を使いたい人はNUMLKキーを押せば数字が使えることは分かっているわけだから、電源を入れ直して数字機能が使えなくなってもまたキーを押すだろう。また、この機能を知らない人間が数字を使いたい時には、(日本語を入力して)検索システムを使えば知ることができるだろう。一番問題なのは、システムを知らないのに数字機能が作動してしまう場合なのである。だから、一番問題な場合にどうするかを考えて作るべきなのだ。
 パソコン製作者よ、分かりましたか?
 
(3)
 つい昨日のことである。
 研究室で従来から使っているデスクトップ型のパソコンを用いて一太郎により文章を作成し、プリントアウトしようとしたら、できない。
 プリンターは上述の携帯パソコンと同時に私費で購入したものである。それまで研究室で長年使っていた(校費で買った)プリンターがイカれてしまい、新しいプリンターを買うカネは校費から出ないので(新潟大学がブラック化しているから)、仕方なく私費で買ったプリンターを使っているのである。
 私費で買った新しいプリンターが作動するようにパソコンの設定を変える作業は、4月に(私のことなのでだいぶ苦労しましたが)やっている。そしてこれまで一太郎で作った文書をプリントアウトする作業には何の問題もなかった。
 なのに、昨日いきなりそれができなくなってしまったのである。

 ひとつ考えられるのは、Windows10を数日前にヴァージョンアップしたためではないか、ということ。そもそもは、私のOSはWindows7だったのだが、一時期世間で大騒ぎになったように、「NOと入力しないと勝手に10に変更する」というWindowsの強引なやり方のせいで、私のパソコンもある日気づいたら勝手に10への変更作業を始めてしまっていたのである(おまけにずいぶん時間がかかった)。
 お陰で、例えばWindows7はDVD再生機能が最初から付いていたのでDVDを見る時はディスクを入れればそれで済んだのに、Windows10はこの機能が付いていないので、自分でネット上から無料のDVD再生ソフトをダウンロードしなければならなかった。パソコン音痴の私には結構な手間だった。ったく、Windowsの身勝手さには腹が立つ。
 話を戻す。そのWindows10をヴァージョンアップする気になったのは、最近新手のウイルスがはびこっていると聞いたからである。新しいヴァージョンのほうがウイルスに強いだろうというので、面倒くさがりでふだんはこういう作業は避けている私もその気になったわけである。

 多分、そのせいで一太郎のプリンター設定が消えてしまったのではないか。
 Wordではどうかと試してみたら、こちらはプリンター設定は元のままだった。なので文章をWordにコピーして印刷してとりあえずは事なきを得たが、私は日ごろは一太郎をメインに使っているので、印刷機能が使えないと困るのである。(それにしても、ヴァージョンアップすると印刷設定が消えるような杜撰さを、Windows側は反省してもらいたい!)

 一太郎の「印刷機能」項目にはいちおうプリンター設定の部分もあるのだが、そこを見ても候補として現在使っているプリンターが入っていない。そこは自分での入力はできないようになっているので、とするとパソコンの設定からやり直さなければならない。

 それで、「一太郎 プリンター」で検索して、一太郎を作っているジャストシステムのサイトを調べてみた。プリンター設定について、Windows10なら以下のようにしろと書いてある。
 
  1. Windowsの[スタート]ボタンを右クリックし、[コントロールパネル]を選択します。
    (http://support.justsystems.com/faq/1032/app/servlet/qadoc?QID=026447)

   ところが、である。指示通りに「スタート」ボタンを右クリックしても、「コントロールパネル」という項目は出てこないのである。
 ほんと、デタラメなんだよなあ・・・!

 そこで私はどうしたか。また検索してみたのである。「Windows10 コントロールパネル」というキーワードで、である。

  https://www.japan-secure.com/entry/how_to_display_the_control_panel_of_windows_10.html

 で、上記のURLが出てきたので読んでみたのだが、まず、Windows10で「コントロールパネル」項目が見つからないということについて長々と書いてあってうんざりなのである。さっさと要点(どうすれば見つかるか)だけ説明しろ、阿呆、と怒鳴りたくなる。

 で、やっと出てきた説明は以下のとおり。

  【それでは初めに「Windows 10」のコントロールパネルを表示する方法について記載いたします。
 まずは「Windows 10」のスタートメニューからコントロールパネルを表示する方法について記載します。
「Windows 10」のスタートメニューからコントロールパネルを表示する方法に関しては、「Windows 10」のスタートメニューに表示されている全てのアプリという項目から、コントロールパネルを表示するという基本的な方法になります。
そこでお使いの「Windows 10」のスタートボタンをクリックしてください。】

 以上の文章を読んで分かるだろうけど、この人は要領よく簡潔に物事を説明するという能力に欠けている。
 そして、この説明も全然役に立たないのである。
 なぜって、スタートメニューには、この人の言う「全てのアプリ」なんて項目は存在しないからだ。
 仕方なく、先に書かれている次なる方法というのを読んでみた。

  【それでは次に「Windows 10」のデスクトップからコントロールパネルを表示する方法について記載いたします。
「Windows 10」のデスクトップからコントロールパネルを表示する方法に関しては、「Windows 10」のデスクトップ画面にコントロールパネルのデスクトップアイコンを作成することにより、「Windows 10」のコントロールパネルを表示する方法になります。
そこでまずは、お使いのキーボード上の「Windows ロゴマーク」及び「I」というキーを同時に押してから、Windowsの設定という画面を表示してください。
   次に個人用設定という項目をクリックします。】

  この説明で解決したかというと、またも解決しなかった。
 なぜなら、指示通りに「Windowsロゴマーク」と「I」を同時におすと確かに「Windowsの設定」は出てくるが、そこに「個人用設定」という項目は存在しないからである。

 ・・・・以下、もういちいち書くのはやめるが(この後また色々やって、何とかプリンター設定問題は解決はした)、サイト情報もおおかたがこういう具合で役に立たない。恐らく、Window10がヴァージョンアップするときに、スタートメニューなどの基本的な表示をも変えてしまっているからだろう。
 基本的な表示は、簡単に変えてはいけないってことが、Windowsには分かっていないらしい。要するにそれは使う側に無駄な時間を多々使わせることになるわけで、使い勝手の基本は変えずに改良するのがソフト制作者の義務なのに、自分の都合ばかり考えて勝手に設定などを変更するから、ユーザーは四苦八苦する羽目になるのである。

 そもそも、である。
 なぜ新たにつないだプリンターの設定をいちいちユーザーがやらなければならないのだろうか。
 なぜつないだプリンターをパソコン側が自動的に受け入れるようになっていないのだろうか。
 変だと思いませんか? 私は思うんだけどね。
 それで何か支障が起こる可能性があるというなら、画面に「このプリンターを受け入れてよろしいですか?」という質問が出るようにしておけばいいことであろう。でユーザーがOKを出せば、それで終了、というふうに作ってもらいたい。
 パソコン製作者よ、分かりましたか?

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今年映画館で見た68本目の映画
鑑賞日 5月23日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 アメリカ・チリ・フランス合作、パブロ・ラライン監督作品、99分。

 ケネディ大統領の夫人だったジャクリーン(愛称ジャッキー)。夫の暗殺後、ホワイトハウスから転居し、そこでジャーナリストの取材を受けるという形で、暗殺の直前直後や、ホワイトハウスでの様々な体験、夫の死後ホワイトハウスから退去するに際しての経緯、夫の葬儀をどうするかに関する思惑・・・などなど、大統領夫人としての様々な体験を再現した映画。ヒロインを演じるのはナタリー・ポートマン。

 テーマを絞り込んできっちりドラマ化するというよりは、ドキュメンタリーのような生々しさを出すことに重きをおいているようで、ジャッキーの性格や、その時どきの発言・行動も必ずしも一貫性を持たせていない。時間軸に沿った作品でもない。
 ケネディ在任中に、当時世界的なチェリストだったパブロ・カザルスをホワイトハウスに招いて開いた演奏会も再現されているが、その場面もあまり説明的ではないので、そういう事実を知っているクラシック・ファンでないと見ていてよく分からないのではないか。

 というわけで、分かりやすいドラマを望む人にはお薦めしないが、ケネディ暗殺事件の前後を夫人を中心にして再現した映画としては悪くないと思う。暗殺後の様々な局面で大統領の弟ロバート・ケネディが重要な役割を果たしていたこと、夫人は夫の葬儀に際してリンカーン大統領の葬儀を念頭においていたことなども、この映画を見ると分かってくる。

 東京では3月31日の封切だったが、新潟市では1ヵ月半少々の遅れでイオンシネマ新潟西にて上映中。新潟県内でも上映はここだけ。

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 毎年行われている「にいがた国際映画祭」が、今年も6月2日(金)に開幕する。

 以前に比べると作品数が減って小規模になっていることは否めないが、それでもアジア映画を中心にいくつかの作品が上映される。

 この中で私が注目しているのは、オープニングイベントとして上映される「カンダック・セーマー」だ。日本とスリランカの合作映画で、監督の一人が新潟でもおなじみの梨本諦鳴(なしもと・たお)氏。スリランカ女性が日本は新潟の農家に嫁ぐという話で、日本の農家の嫁不足というテーマが盛り込まれている。また上映後は梨本監督によるトークも予定されている。

 この映画は6月2日(金)の18時30分から、クロスパルにいがたで上映される(上映後の監督のトークは20時30分から)。上映はこれ1回だけなので、関心のある方はお見逃しのないよう。

 ほかに、数作品がクロスパルにいがたとシネ・ウインドで上映される。
 作品紹介と上映スケジュールは下記サイトから。

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5月20日(土)午後6時45分開演
音楽文化会館ホール
前売 1000円

 指揮=高橋裕之、ピアノ独奏=小黒亜紀

 ゲーゼ: スコットランド序曲「高地にて」op.7
 メンデルスゾーン: ピアノ協奏曲第1番ト短調
 (休憩)
 メンデルスゾーン: 交響曲第4番「イタリア」
 (アンコール)
 メンデルスゾーン: 「無言歌集」より”春の歌”(オーケストラ用編曲版)
 メンデルスゾーン: 「夏の夜の夢」より”夜想曲”

 新潟市で活動を続けている新潟室内合奏団の公演。会場の音楽文化会館ホールはたくさんの客で埋まっていた。8割は入っていただろう。私は13列目右ブロックの左端に席を取る。

 今回は没後170周年ということでメンデルスゾーンの特集。
 最初に演奏されたのがゲーゼの曲。ゲーゼは、私も今回初めて知ったのだが、デンマーク人でメンデルスゾーンと親交があり、メンデルスゾーン没後はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を引き継いだ人だという。この曲は日本ではつい3年前に初演されたばかりだそうで、なるほど、当時中欧にあって文化都市だったライプツィヒにはドイツ語圏以外からも色々な人材が集まっていたのだな、と改めて納得した。

 次が協奏曲。独奏者の小黒亜紀さんが赤いドレスで登場。文句のない弾きっぷりで聴衆から盛大な拍手が寄せられた。だけど、この曲、曲としてはイマイチ面白くないというのが私の意見。小黒さんにはまた別の機会にもっと面白い協奏曲で実力を発揮してほしいもの。

 後半のイタリア交響曲は気合いの入った演奏だった。
 ただ、今回全般的に感じたのは、この団体、アマチュアながら最近は実力がアップしてセミプロ級になってきたと感じていたのだが、この日の演奏は弦楽合奏の精度や管楽器のミスという点で、ここ数回の演奏会の中ではやや問題ありだったのではないか。私は楽団の詳しい内部事情は知らないけれど、今後の精進に期待したい。

 アンコールを2曲やるなど、サービスは満点。

 次回演奏会は11月11日にりゅーとぴあを会場として(その頃には改修工事も終わっているはずなので)、モーツァルトの交響曲29番、バルトークのヴィオラ協奏曲、ドヴォルザークの交響曲第8番という意欲的なプログラムを組むようだ。大いに期待して待つことにしよう。

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今年映画館で見た67本目の映画
鑑賞日 5月20日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★

 錦織良成監督作品、120分。

 戦国時代の出雲が主舞台。
 出雲で砂鉄から鋼鉄を作る技術を持つ村に生まれた青年・伍介(青柳翔)が主人公。
 自分の境遇に納得していない彼は、戦国の世なればこそ侍に出世することもできるのではという夢を抱いて故郷を旅立つ。しかし彼が見たのは戦場の残酷な現実であった。

 幻滅して故郷に戻った彼は村の伝統に従って生きようとするが、旅の途上で知り合った商人・与平(津川雅彦)はこの村を狙っている者があると言い、自衛のために鉄砲を鋳造するように薦める・・・

 率直に言ってかなりのダメ映画。特に主人公が帰郷して以降の筋書きや展開がきわめていい加減かつ場当たり的で、俳優たちが吐くせりふも足が地についておらず、原案と脚本と監督をすべて担当した錦織良成の無能ぶりだけが印象づけられる。

 なお本作はモントリオール世界映画祭で最優秀芸術賞を受けているそうだけど、こんな映画に賞を出すようじゃあ、モントリオール世界映画祭関係者の鑑賞眼を疑わざるを得ない。ただ、本作には職人が砂鉄から鋼鉄を作る場面が幾度か出てくるので、その辺が評価されたのかも知れない。しかし映画として駄作であることに変わりはない。

 新潟市では全国と同じく5月20日の封切りで、Tジョイ新潟万代を除くシネコン3館で上映中。新潟県内他地域ではイオンシネマ県央とTジョイ長岡でも上映している。

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評価 ★★★★

 出たのは1年以上前だが、最近ようやくその存在に気づいて買って読んでみた新書。
 著者は1966年生まれ、北海道教育大卒、同修士課程修了。札幌で中学の国語教諭をしながら、教師の力量養成や最近の生徒たちの傾向などについての研究会を主催したり、その方面の著書を何冊も出している人。しかし私は今回初めて著者の本を読んだ。

 スクールカーストの実態を現場教師の立場から分析し、教師としてはどのように対処すべきかを述べている。

 最近の傾向として、クラスのリーダーになれるような生徒が減っているという。90年代まではそんなことはなかったのに、である。
 リーダーになれる生徒とはどのような生徒か。著者は森口朗『いじめの構造』を参考にしつつ、いわゆるコミュニケーション能力とは三つの能力からなっていると論を進める。すなわち自己主張力、共感力(他人の立場を思いやる)、同調力(場の雰囲気に合わせる)の三つである。この三つがすべて十分に備わっている生徒であればリーダーにふさわしいのだが、現実にはそういう生徒はごく少ないという。
 
 著者は森口の立論を利用しつつ、生徒のタイプを以下のように分類する。

 ①スーパーリーダー型生徒(三つの能力すべてをもつ) クラスに0または1人(0の場合が多い)
 ②残虐リーダー型生徒(自己主張力と同調力を持つ) 1~3人
 ③孤高派タイプ生徒(自己主張力と共感力を持つ) 0~3人
 ④人望あるサブリーダー型生徒(共感力と同調力を持つ)  2~5人
 ⑤お調子者タイプ生徒(同調力のみ持つ) 15~30人
 ⑥いいやつタイプ生徒(共感力のみ持つ) 2~8人
 ⑦自己チュータイプ生徒(自己主張力のみ持つ) 5~10人
 ⑧何を考えているか分からない生徒(どれも持たない) 2~8人

  ここで、②の残虐リーダー型を、文字どおりに残酷な性格の主と思ってはいけない。こういうタイプは運動部で指導的な役割を果たす生徒に多く、成績も良好である場合が珍しくない。著者によると、以前は成績が良い生徒は学校で皆のために尽力するべきだという暗黙の了解があって、だからこのタイプの生徒もリーダーとして機能していたのだが、最近は成績がいいということが生徒個人の将来の収入に直結して考えられる傾向が強まっており、そのためにリーダーになれる生徒が減っているのではないかという。

 そして、この残虐リーダータイプが生徒の集団を支配している中で、過度の同調圧力がかかりお調子者タイプの生徒たちが追随することで、その意図はないのにいじめになってしまう場合が多いという。

 著者はこのあと、教師にもカーストがあるとして、教師をいくつかのタイプに分けている。そして力量のない教師が、生徒同士には教師が入れない感情の綾が存在するのに(学校は、「教師―生徒」という関係と「生徒―生徒」という関係から成り立っている)、そのことを十分わきまえないままに介入すると、軽いいじめを解決することができないばかりか、かえって生徒間の関係を取り返しのつかないものにしてしまいかねないと指摘する。

 ただし、著者はだから力量のある教師ばかりを揃えろと主張しているわけではない。教師にも、教師全体のリーダーになるタイプとそうでないタイプがいるが、気の弱い生徒の悩みに寄り添えるのは、或いは弱い生徒が悩みを打ち明けやすいのは、非リーダー型の教師だという。リーダー型の教師は、いじめなどで行われた事実関係の解明には力を発揮するが、被害生徒の心のケアなどには必ずしも十分に配慮しない傾向があるのだそうだ。要するに、色々なタイプの教師がいて学校は機能していくのだという現実を認識することが大切なのだという。

 この辺は学校に限らず、企業でも役所でも、色々なタイプの人間がいて、いわゆるエリート・タイプの人間ばかりで成り立ってはいないし、社会や集団には色々な仕事や局面があるから、非エリートをも含めた雑多な人間の集まりのほうが結局は破綻せずに維持されるということであろう。

 著者はまた、長らく「プロ教師」として学校教育に関して論陣を張ってきた諏訪哲二の功績を評価しつつも、21世紀に入ってからの生徒の変質に諏訪は気づいていないのではないかと批判する。
 21世紀に入ってケーターやスマホが普及し、生徒たちはいつでもどこでも互いに連絡をとれるようになった。スクールカーストの違いから生徒たちがいくつかのグループに分かれるという現象は昔からあった(スクールカーストという言葉はなかったが、似たもの同士が友人になりやすいということは半世紀前に中学生だった私の時代でも同じだった)。だが現代では、グループ内での人間関係がケータイの普及により在校中だけではなく、就寝している時間帯以外のあらゆる時間帯にまで広がっているのである。入浴中に友人から連絡が来たらどうしよう、すぐに返事を出さないとグループ内で浮くかもしれないとおびえる昨今の生徒たちは、90年代までの生徒たちとは明らかに違う状況に置かれている。

 その他、いくつかの側面から著者は、現場の教師ならではの指摘を行っている。
 今どきの教師業は昔と比べてはるかに大変な仕事になっているということが本書を読むとよく分かる。著者は、あと十年か二十年したらクラスの秩序維持は力量ある教師にも不可能になるかも知れないと述べている。
 今どきの中学の現状を知るのに非常に有用な本だと思う。

 一つだけ不満を述べておくなら、副題に「いじめ」が入っているわりには、深刻な(カネを取られる、暴力を振るわれる、持ち物を隠される)いじめの事例や解決にはほとんど触れていないこと。仲間からの無視もいじめかも知れないが、世間一般がイメージしている深刻ないじめの実態や解決にページを割いて欲しかった。

・2月2日(木)  産経新聞インターネットニュースより。

 http://www.sankei.com/west/news/170202/wst1702020019-n1.html
 2017.2.2 08:39
 全国に捕鯨文化をPR、日本遺産「鯨とともに生きる」選定記念のシンポ あす東京で開催

   昨春、熊野灘の捕鯨文化「鯨とともに生きる」が文化庁の日本遺産に認定されたことを受けた記念シンポジウムが3日、東京国際交流館(東京都江東区)で開かれる。参加者は観光業者やメディア関係者が対象。太地町などで受け継がれてきた捕鯨文化の歴史をPRし、観光振興につなげるのが目的で、日本文化に造詣が深いタレントで翻訳家のダニエル・カールさんの基調講演などを予定している。

 「鯨とともに生きる」は、太地町や串本町、那智勝浦町などの熊野灘地域で発展してきた古式捕鯨の歴史と現在に受け継がれている19の史跡や祭り、伝統行事で構成され、昨年4月、日本遺産に認定された。仁坂吉伸知事は、日本遺産の認定を契機に関係市町での案内板の整備やガイドの育成などを進め、観光客増や地域活性化につなげていく意向を示している。

 今回のシンポジウムでは、ダニエルさんが「継承していくべき日本の文化」と題して基調講演。また、ダニエルさんや仁坂知事、太地町の三軒一高町長らがパネリストとして参加するパネルディスカッションも行われる。

 このほか、シンポジウムのオープニングには、かつて、捕鯨の際に浜で踊った大漁祝いが起源と伝えられ、「鯨とともに生きる」にも盛り込まれている「三輪崎の鯨踊り」などが披露される。

 シンポジウムを主催する熊野灘捕鯨文化継承協議会の担当者は「シンポジウムをきっかけに、捕鯨の歴史や熊野灘地域の素晴らしさを全国に発信できたら」と話している。


・2月17日(金)  産経新聞インターネットニュースより。

 http://www.sankei.com/world/news/170217/wor1702170042-n1.html
 2017.2.17 14:36
 「米国のアジア関与歓迎」と豪とNZが首相共同声明

   オーストラリアのターンブル首相とニュージーランドのイングリッシュ首相は17日、ニュージーランド南島クイーンズタウンで会談し「アジア太平洋地域の安定と繁栄には米国の関与が不可欠。トランプ大統領の強く活発な関与を歓迎する」との共同声明を発表した。
(中略)
 両国は反捕鯨国で、日本の調査捕鯨に「強い反対」を改めて表明した。(共同)

 
・2月20日(月)  産経新聞インターネットニュースより。

 http://www.sankei.com/west/news/171215/wst1712150003-n1.html
 2017.2.20 12:00
 【関西の議論】中国もびっくり!15頭のパンダ誕生させた和歌山アドベンチャーワールド…繁殖の技術力に国内外から注目

 和歌山県白浜町の「アドベンチャーワールド」で昨年9月、15頭目となるジャイアントパンダの赤ちゃん「結浜(ユイヒン)」(雌)が誕生した。すくすくと成長し、乳歯が生え、歩けるようにもなった結浜。これまでは産室で公開されていたが、1月下旬に母親の良浜(ラウヒン)とともに“運動場デビュー”し、愛らしさを振りまいている。同施設は、エンペラーペンギンの繁殖に国内で唯一成功しているほか、バンドウイルカの繁殖プロジェクトチームを結成するなど、さまざまな希少動物について自然繁殖を重視した保護研究を行っている。人工的な“繁殖”ではなく、人間と同じように自然なかたちの“家族”の中で育む-。それが希少動物の保護につながるという考えだ。(福井亜加梨)

 (中略)

 ■ 鯨類繁殖プロジェクト

 同施設では陸・海・空で140種1400頭の動物を飼育。さらに、さまざまな希少動物の保護研究を進めており、これまでに16頭を誕生させたバンドウイルカについても昨年12月、鯨類の繁殖プロジェクトチームを結成した。

 繁殖を目的に、所有権を各施設に残したまま施設間で動物の貸し借りを行う「ブリーディングローン制度」もあり、さまざまな手法で、計画的な繁殖や育成を目指している。

 担当者は「個体数をただ増やすのではなく、できるだけ自然の流れに沿うことや、母親の手による子育てを重視したい。それが健やかな動物の成長につながり、繁殖研究を持続させることにもにもつながるはずだ」と話す。

 (後略)


・2月26日(日)  このブログでは紹介済みですが、産経新聞に以下のような私の書評が載りました。

 http://www.sankei.com/life/news/170226/lif1702260013-n1.html
 2017.2.26 10:55
 【書評】新潟大学教授・三浦淳が読む『イルカと日本人 追い込み漁の歴史と民俗』(中村羊一郎著) 偏見を批判するための武器 

 (以下のURLからお読み下さい。)

 http://www.sankei.com/life/news/170226/lif1702260013-n1.html



(補遺)

2016年10月14日(金)  yahooニュースより

 http://www.afpbb.com/articles/-/3104383?utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=r1&cx_rss=afp&cx_id=3127395
 イルカ漁の太地町漁師ら、映画『ザ・コーヴ』を語る 釜山国際映画祭
 2016年10月14日 17:04

【10月14日 AFP】 米アカデミー賞(Academy Awards)長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画『ザ・コーヴ(The Cove)』でイルカの追い込み漁を批判的に取り上げられた和歌山県太地町の漁業関係者らが12日、議論を呼んでいるイルカ漁について沈黙を破り、映画が地域に与えた影響などについて初めて海外メディアに語った。

 ルイ・シホヨス(Louie Psihoyos)監督の『ザ・コーヴ』は2009年に公開され、イルカ漁に対する国際的な批判を高めるきっかけとなった。映画では400年の伝統を持つイルカ漁について、イルカを入り江に追い込んで食肉処理する様子や、漁師と環境活動家らとの対立が描かれた。

 韓国・釜山(Busan)で開催中の第21回「釜山国際映画祭(BIFF)」でこのたび、太地町でのイルカの追い込み漁などををテーマにしたドキュメンタリー映画『ふたつのクジラの物語(A Whale of a Tale)』が上映された。映画は、太地町の協力を得て追い込み漁の現場を取材するとともに、漁に批判的な反対派の声も拾って、この問題を取り巻く状況を丁寧に描いた。

 太地町では毎年約2000頭のイルカを捕獲している。『ザ・コーヴ』の撮影時、漁師たちは制作側に対してコメントすることを拒否したが、同町漁業協同組合の貝良文(Yoshifumi Kai)氏はその理由について、制作側の動機が明らかでなかったためだと述べた。漁師たちは、この映画の中で自分たちが残虐であるかのように描かれたことに動揺したという。

 貝氏と一緒に上映会に出席した太地町の三軒一高(Kazutaka Sangen)は、『ザ・コーヴ』に対する国際社会からの反発は追い込み漁という手法に対するものと思えるとしながら、人々の目に触れないところで動物が殺されることには議論が起きないのかもしれないと述べた。その一方で、社会が変化していることや、動物のと殺がデリケートな問題をはらんでいることには理解を示した。

 米ニューヨーク(New York)を拠点に活躍する、『ふたつのクジラの物語』の佐々木芽生(Megumi Sasaki)監督はAFPの取材に、この作品が論争を招くであろうことはわかっていたが、両者の意見を提示することが重要だと感じていると語った。

「観た人に考え、感じ、判断してもらいたい」と、佐々木氏は述べている。(c)AFP/Mathew Scott

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今年映画館で見た66本目の映画
鑑賞日5月17日
イオンシネマ新潟西
評価 ★★★

 アメリカ映画、ケネス・ローガン監督作品、137分。アカデミー賞男優賞と脚本賞受賞作。

 舞台は現代のアメリカ東海岸。
 主人公リー(ケイシー・アフレック)は妻と別れてボストンで一人暮らしをしている中年男。便利屋としてマンションの水回りや電化製品の不調を直す仕事をしている。腕は悪くないが、ぶっきらぼうなのでマンション住民の評判は必ずしもよくない。

 そんなリーに、車で一時間少々の海辺の町マンチェスターに住んでいる兄が死んだという通知が入る。彼はとりあえず駆けつけるのだが、残されたミドルティーンの一人息子、つまりリーの甥をどうするかが問題となる。兄の妻は出奔しており、面倒を見られる親族はリー自身しかいなかった。だが・・・

 家族物語であると同時に、しばしば過去の映像が挿入され、リーがなぜ妻と別れたのかがしだいに分かってくるように作られている。

 ただし、前半はちょっと退屈。アカデミー賞脚本賞をとったという触れ込みだけど、それほどかなあ、というのが率直な感想だ。海辺の町の映像や使われている音楽は美しい。

 新潟市では全国と同じく5月13日の封切で、イオンシネマ新潟西にて上映中。新潟県内でも上映はここだけである。

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評価 ★★★

 著者は1968年生まれ、小樽商大卒、筑波大大学院博士課程中退、博士(文学)、英文学・ポストコロニアル言説専攻、筑波大専任講師(出版当時。現在は准教授)。

 本書はポストコロニアリズムの立場から、日本の英文学者や作家の言説を俎上に載せて検討したものである。著者の博論を大幅に書き改めてものだという。

 序章で著者は以下のように述べる。ポストコロニアリズムによる西洋植民地主義への批判は、日本人にも跳ね返ってくるものでなければならないと。つまり単に西洋植民地主義を批判するのではなく、日本人自らが同じ論理でアジアの植民地化に乗り出した過去を批判するのでなければならない、そこから英文学者のあり方を問う作業も可能になるだろうと。

 第一章では、英文学者・市河三喜が若い時分にアメリカ人研究者に随行して済州島を訪れた際の言説から、朝鮮への差別的な目や、日本人が西洋人に相対する場合のアンビィヴァレントな感情を分析している。
 第二章では1904年に雑誌『英語青年』にコンラッドの作品が邦訳紹介された際に生じた作品の差し替えから、時局との関連を探っている。
 第三章では、1916年の『英語青年』上でスティーブンソンの作品の翻訳紹介がなされた際に、原作の辺鄙な土地およびそこに住む人間を、沖縄および琉球人と訳してしまったことから生じた波紋が取り上げられている。
 なおここではスティーブンソンが西洋帝国主義に批判的な立場から『歴史脚注』という文章を書いていることにも触れられている(63ページ)。
 第四章では、アンドレ・ジッドの『コンゴ紀行』が日本人に与えたインパクト、コンラッド『闇の奥』の中野好夫による翻訳紹介がが西洋植民地主義批判ではあっても自国の植民地主義批判には連ならないと述べつつ、日本の台湾支配とそこで起こった先住民族の叛乱との関連での用語の問題に触れている。
 第五章では、中島敦によるスティーブンソンを主人公にした小説『光と風と夢』が単に西洋植民地主義批判にとどまらず日本植民地主義批判と読める可能性に、中村光夫などの指摘を引用しつつ触れている。

 全体として見て、細かい問題を取り上げて精査してはいるのだが、著者の意識があくまで言説論の枠内にしかないことが最大の難点ではないかという気がした。これには二つの意味がある。

 まず第一に、英文学者に限らないが明治以降の日本の外国文学者は本国(英文学なら英国や米国)に対して恭順な紹介者という意識を捨てきれずに来ているのではないか、という事実に著者が無自覚的であるように見えることだ。外国文学者は要するに紹介屋なのだから変に自意識を持ってはいけないというような暗黙の縛りがあって、それは本国や本国の作家には無批判的に追随するという態度につながっていくわけだが、そういう側面に著者は気づいていないらしい。というと、「西洋の植民地主義批判を学んで、西洋を批判するのではなく、日本の植民地主義を批判するのだから、本国の動きに追随していないじゃないか」と著者は言うかも知れない。違う。西洋の植民地主義批判を学んでも西洋批判を行わないという態度こそ、西洋人に喜ばれやすい日本人外国文学者の態度に過ぎないということを私は言っているのだ。いったい、日本の知識人(洋物で商売をしている人)には明治以降、欧米批判を慎むという傾向があって、これは戦後になっても治らないどころか、敗戦という事実によってむしろその傾向が強まっていったと見るべきなのだが、そういう洋物知識人の偏頗な姿勢を糺すことこそ、「精神の植民地主義批判」に他ならない。植民地主義批判とは、自分の精神のあり方の問題であるはずなのだから。

 第二に、著者は言説論という枠内での思考にとどまっているから、西洋の植民地主義も日本の植民地主義も同じだという前提でしかものを言っていない点である。終章の最初(161ページ)を読めばそれは明白なのだが、しかし本当にそうなのか、と一度立ち止まって考えてみたほうがいいのではないか。私も日本の植民地主義が100%正しかったとは思わないが、「植民地主義」という言葉で何でも一くくりにするのではなく、基礎作業としてまず植民地のそれぞれの実態をしっかりと調べてみるべきではないか。そういう作業を欠いた言説論は底の浅いものに終わらざるを得ないだろう。
 例えばフランスの植民地でも、マルティニク(カリブ海)とアルジェリアとでは、現地人の扱いや諸権利に相当な違いがあったとされている。前者ではフランス本国と完全に平等ではないものの、限定付きで現地人にも諸権利が認められ、現地知識階級のフランス評価も高いらしい。対してアルジェリアでは入植者と現地人の差別が最後までかなり残っていたという。「神は細部に宿りたもう」という。植民地主義批判をやるなら、まず足元から、つまり各植民地の実態を正確にリサーチすることから始めてもらいたい。 

 なお、本書は新潟大学が所蔵していないので、県立図書館から借りて読みました。新潟大図書館の蔵書の貧困さがうかがえますね。

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今年映画館で見た65本目の映画
鑑賞日 5月16日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 深川栄洋監督作品、125分。原作のライトノベルは未読、先月上映された前篇の続き。

 前篇に続き、サクラダという市に生息する超能力者の物語だが、管理局対策室長なる人物(及川正博)が新たに登場し、主人公の浅井ケイ(野村周平)と対決する。しかし筋書きは前篇にも増して難解になっていて、正直、よく分からなかった。

 ただ、前篇の最後でよみがえった相麻菫(平祐奈)と、時間をリセットできる能力の主である春埼美空(黒島結菜)の浅井との一種の三角関係が軸になっている。

 新潟市では全国と同じく5月13日の封切りで、ユナイテッドシネマにて上映中。県内他地域ではTジョイ長岡と上越市のJ-MAXでも上映している。

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5月13日(土)午後6時開演
りゅーとぴあ・スタジオA
前売 2000円 (自由席)

 石井朋子さん(ピアノ)、庄司愛さん(ヴァイオリン)、渋谷陽子さん(チェロ)の美女3人のトリオ・ベルガルモは新潟のクラシック・ファンにはとうにおなじみ。しかし前回から今回の演奏会までにはちょっと間が空いた。まあ、色々とご都合もあったのだろう。

 会場のスタジオAには50人程度の客が入っていた。午後の部、そして夜の部と2回公演があり、私が聴いたのは夜の部。石井さんは赤、庄司さんは青、渋谷さんは黒のドレス。

 ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲第5番op.70-1「幽霊」
 B・ジョラ: Ah! ハイドン
 (休憩)
 ショーソン: ピアノ三重奏曲 ト短調op.3
 (アンコール)
 ドビュッシー: 夢想

 最初のベートーヴェンは、第2楽章の曲想から「幽霊」というニックネームがついているけれど、いわゆる傑作の森が生まれていた時期の作品だけあって、第1楽章や第3楽章はいかにも壮年期のベートーヴェンらしい。そういう曲の特質をよく出した演奏だったのではないか。

 次が、1926年生まれのフランスの作曲家による曲。初演が2009年だそうである。もちろん私は初めて聴く曲である。配布された解説文によると世界的に評価されている作曲家なのだそうだが、いわゆる現代曲で、私としては・・・だった。

 後半がショーソンのピアノ三重奏曲。実は私もディスクを持っておらず、今回初めて聴いたのであるが、結構いい曲だなと思った。全4楽章の中で特に第3楽章が独特の抒情性を感じさせて私好み。演奏も最初から最後までゆるみがなくて、演奏会の締めくくりにふさわしくとても充実していた。この曲のディスクを探そうかな。

 アンコールにドビュッシーの曲が演奏されて、客の満足度も高かったと思う。

 また、そしてあまり間を置かずに、次の演奏会をお願いいたします。

新潟大学の近況をお知らせする。

(1)今年度の予算

 2017年度の予算が決定した。
 人文学部について言えば昨2016年度よりは予算額が増えて、教員1人あたりの教育研究費は10万円となった。
 人文学部教員1人あたりの教育研究費の変遷を改めて示すなら、以下のようになっている。

  2003年度まで    研究費約40万円 + 出張旅費6万円
  2004年度 独法化     出張旅費を含めた研究教育費が20万円
  2015年度      同上 10万円
  2016年度      同上 6万円
  2017年度      同上 10万円

 昨年度よりはマシとはいえ、人文学部全体として苦しい状況であることに変わりはなく、例えば教員によっては(考古学など)学生を泊まりがけで実習に連れて行かなくてはならないが、以前はその交通費と宿泊費が学部から支給されていたものが、現在は支給されなくなっている。要するに出張は自腹でということだから、ここからしても新潟大学は立派な(?)ブラック企業と言える。

 私は以前は人文学部の「教育推進経費」に応募して年に数十冊の本を図書館に入れてもらっていたが、一昨年度からそれがストップしており、図書館蔵書の貧困化が進んでいる。今年度予算でもこの費目は復活しなかった。

 また、私の研究室で使っていたパソコン・プリンターが4月初めに壊れてしまった。以前から要修理の警告表示が出ていたのだが、メーカーに問い合わせても部品在庫がないから修理不可能という返事しか来ないため、壊れるまで使うということで使い続けてきたのである。

 しかし新しいプリンターを大学からもらう教育研究費で買うことは、できない。そもそも、4月初めにはまだ予算額が決まっておらず、昨年度は当初は1人3万円しか支給されなかったので、今年度もその程度の可能性が高いと思っていたからだ。

 ただ、私は2018年3月末限りで定年退職を予定しているので、定年後に自宅で使う目的で、この3月に私費で携帯用パソコンとプリンターとスキャナーを購入していた。退職は1年後でも、新しい機器使用に慣れるのには時間がかかるからである。それで、研究室のプリンターとしてこの私費で買ったプリンターを使うことにした。

 公務を執行するのにも私費購入のプリンターで、というのだから、やはりブラックですよね。

(2)演習は電子化

 人文学部には2年次向けの基礎演習と3・4年次向けの専門演習とがある。
 私の演習のやり方はいずれも同じで、1回の授業で読むテクスト分量をあらかじめ指定しておき、それを前後に二分してレポーター2人に割り当て、演習ではまずレポーターに「内容要約と問題提起」をしてもらい、それをもとに全員で議論するという方式である。

 この「内容要約と問題提起」については、昨年度までレポーター役の学生がA4用紙2枚程度にまとめて、受講生全員と私に配布する、という方式をとっていた。学生は(大学の予算で)年度ごとに一定枚数のコピーを無料で使えるようになっていたので、それを用いれば学生に経済的な負担がかからないからである。
 ところが今年度から学生の無料コピー制度は廃止された。むろん予算難からである。なので、紙で「内容要約と問題提起」を配付させると学生には経済的な負担となる。

 それで、今年度から「内容要約と問題提起」はあらかじめ受講者全員と私にメールの添付ファイルで送ってもらうことにした。そして授業も参加者が各自パソコン(またはスマホ)の画面で「内容要約と問題提起」を見ながらやっている。
 要は紙媒体とはおさらばして、電子媒体でということである。私も上述のように3月に私費で携帯用パソコンを買っていたので、さっそく役に立ったわけである。
 大学にお金がないからこうなったわけではあるが、見方によっては紙を使わないから「地球にやさしい」と言えなくもない。

 なお、コピーの一定枚数無料使用制度は大学院生については維持されているので、大学院の演習では旧来どおりに紙で「内容要約と問題提起」を出してもらっている。

(3)地域手当は増額、しかし規定のパーセンテージには達せず

 給与の話である。
 地域手当が新潟大学では3%付けるべきところ、1%しか付けておらず、人事院勧告が守られていないことは以前からここで報告してきた。
 これについて、この4月に改善がなされ、昨年度にさかのぼって2%に引き上げとなった。
 昨年度分の差額はこの4月に支給された。
 とはいえ、本来は3%支給すべきなのだから、人事院勧告が守られていないことには変わりはない。ちなみに4月に支給された昨年度1%引き上げ分の差額は、私で言えば約7万1千円(2016年度1年間分の総額、税込)である。つまり本来は3%支給すべきなのだから、なお年に約7万1千円損をしているわけである。

(4)学部の改組について――あからさまな理工系重視

 学部改組によって新潟大学の学生募集定員は今年度から少なからず変わった。創生学部が新たにもうけられた他、理工系3学部はいずれも定員が増えた。

    創生学部  新設学部 定員65名
    理学部      旧定員190名 → 新定員200名
    工学部   旧定員480名 → 新定員530名
    農学部   旧定員155名 → 新定員175名 

 これに対して、教育学部は学校教員養成課程以外はすべて廃止となった。この中には、音楽や美術に関して音大や美大並みの教育を行ってきた芸術環境創造課程も含まれている。芸術環境創造課程廃止には反対運動が起こり、私も協力したが、残念ながら存続はならなかった。伝統ある課程(学科)であり、入試倍率もそれなりにあったものをつぶすのは愚かなことだと思う。

  教育学部  旧定員370名 → 新定員220名
        学校教員養成課程        旧定員220名 → そのまま
        学習社会ネットワーク課程 旧定員45名 → 廃止
        生活科学課程       旧定員15名 → 廃止
        健康スポーツ課程     旧定員30名 → 廃止
        芸術環境創造課程     旧定員60名 → 廃止 

 以上の定員の増減は、要するに文科省の方針通りにやりました、ということに過ぎない。大学が自分の頭で判断しているわけではない。

 しかしこのように理工系ばっかり定員を増やして大丈夫なのだろうか。
 昨年度(2016年度)の新潟大学理工系3学部の入試倍率は下記URLのデータによると以下のようになっていた。
  http://www.niigata-u.ac.jp/wp-content/uploads/2016/03/databook_2017.pdf

    理学部 定員190名 志願者数467名 受験者実数377名 合格者数221名 名目競争率2.46倍 実質倍率1.71倍
    工学部 定員480名 志願者数1068名 受験者実数872名 合格者数535名 名目競争率2.23倍 実質倍率1.63倍
    農学部 定員155名 志願者数482名 受験者実数398名  合格者数173名 名目競争率3.11倍 実質倍率2.30倍

 以上のように、農学部だけは実質倍率が2倍を超えていたが、理学部と工学部は少なからず下回っていた。実質倍率が2倍を切ると(学生の質を確保するという観点から)ヤバイと言われているのに、である。

 では今年度(2017年度)はどうか。これについては上記のような詳細なデータがまだ公表されていないが、とりあえず推薦入試を除いた一般入試の定員と志願者数は分かるので(下記URL)以下に掲げる。
 http://daigakujc.jp/apl.php?u=69&h=9

 理学部 定員(推薦以外)165名 志願者数486名 名目競争率2.95倍
 工学部 定員(推薦以外)420名 志願者数1104名 名目競争率2.63倍
 農学部 定員(推薦以外)141名 志願者数349名 名目競争率2.48倍

 というわけで、名目競争率で言うと理学部と工学部は上昇しているが、農学部は下がっている。ただし推薦入試の志願者数が分からないので、正確な数値ではないことはお断りしておく。

(5)職組が集会を開く

 新潟大学職組が5月12日(金)に文科省の天下り問題を含めて「国民に信頼される大学作りを考えるシンポジウム」を開催した。私は出なかったが、チラシは以下URLから見ることができる。

  http://www.ne.jp/asahi/niigata-u/union/other/16/sympo20170512a_annai.pdf

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今年映画館で見た64本目の映画
鑑賞日 5月13日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 イタリア・フランス合作、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品、1960年、モノクロ、179分。原題は"ROCCO E I SUOI FRATELLI"(ロッコとその兄弟)。

 イタリア南部から北イタリアの都会に出てきた母親と五人の息子たちの物語。いわゆるネオ・レアリズモの手法によって貧しいながら必死に生きていく家族の姿を描いている。

 長男のヴィンチェンツィオ(スピロス・フォーカス)だけは先だってミラノに来ており、母と四人の弟がミラノに到着した日は恋人ジネッタ(クラウディア・カルディナーレ)と婚約式を行っていた。しかしこの席で両家の親たちはケンカ別れをしてしまう。

 その後は次男のシモーネ(レナート・サルヴァトーリ)と三男のロッコ(アラン・ドロン)を中心に物語が展開していく。ふたりはともにボクシングで身を立てようとするが、ひとりの女(アニー・ジラルド)をめぐって争いに・・・

 四男のチーロ(マックス・カルティエ)が一番堅実で、アルファ・ロメオ社に勤務するようになる。五男のルーカ(ロッコ・ヴィドラッツィ)はまだ大人になっていない。

 故郷のイタリア南部に郷愁を抱きながらも、生活のためにミラノで暮らさざるを得ない貧しい家族は、日本なら田舎から東京に出てきた人々を想起させる。私としては、ヴィンチェンツィオやチーロなどまともな職業に就いている兄弟の仕事場の描写にもう少し時間をかけて欲しかったという気がするが、悪くない作品だと思う。

 女優ではもっとクラウディア・カルディナーレを活躍させてほしかったところだが、アニー・ジラルドが事実上のヒロインを演じている。

 デジタル完全修復版の上映は東京では昨年末、12月下旬からだったが、新潟市では4ヵ月半の遅れでシネ・ウインドにて上映中、5月25日(木)限り。ただし上映は毎日はないので、ウインドのサイトで確認を。

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(昨日の続きです。)

 第四章は「共和国の人種と国民」である。

 植民地主義を正当化したのが「文明化の使命」という概念だが、それを支えていたのが人種理論である。ヴィクトル・ユゴーを初め、多くの思想家が「人道のための植民地化」を唱えた。(107-108ページ)

 人種とは、ヨーロッパにあっては本来は内部の諸集団(フランク人、ゲルマン人、ノルマン人など)を指す用語で、ヨーロッパ外部の人間を指す言葉ではなかった。しかし19世紀半ばになると歴史家オーギュスタン・ティエリーが『イングランド征服史』を著し、ノルマン人とサクソン人の二つの人種の戦いとしてイングランド史を記述する。この歴史観は大きな影響力を持ち、テーヌの決定論もそこから生まれた理論の一つだった。そして人種概念は階級支配や植民地支配を正当化するために使われるようになる。
 当時の科学者は原住民の人種的劣等性を証明すべく、頭蓋骨の大きさを測ったり、熱帯性気候の元では劣った人種が生まれるとしたりするなどした。

 ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』第一巻は、ヨーロッパの国民概念が政治共同体から人種共同体へと変容したとする。アーレントによれば植民地主義とは暴力の輸出であり、政治空間が公的な交渉を基盤とするのではなく、権力こそがその基盤となったことの帰結である。その権力がおのれを正当化する理論、それが人種理論なのである。(110-111ページ)
 そしてモッブは帝国主義の時代にナショナル・アイデンティティを他者との出会いによって確定する。植民地があるからこそナショナル・アイデンティティが生まれるのである。
 ヨーロッパ大陸でいかに民主的な成果が生まれても、それは植民地に適用されることがない。しかしそれは共和国が二重人格の主だからではない。そもそも共和国は帝国とともに建設されたのであり、帝国と一心同体だからである。共和国の利益とは国民の利益であり、国民の要求を満たすためには植民地の拡大が必要だったからだ。
 帝国主義の最初の二十年の間に、人種概念が確立し、また外国支配の原理としての官僚制も確立した。官僚制は植民地における虐殺を冷徹な文章によって語りいわば中立化する。

 ジュリア・クリステヴァは『外国人 我らの内なるもの』の中で「啓蒙の国フランス」を礼賛しているが、植民地支配の過去やフランス社会の異種混交性をまともに受け止めていない。同化があくまでフランス側の論理であることにクリステヴァは気づいていない。(114-115ページ)

 フランスで人種理論を擁護したのは主として右派だったが、左派にも支持者はそれなりにいた。共和主義者は、「劣等人種」を教育によって自分たちと同じにすることが可能とする立場と、教育によって改善は図れるが自分たちと同じにはならないとする立場があった。

 当時の「人間科学」は人体測定技術が向上し、民族集団の網羅的な分類学を作るという目標もあったため、人種のヒエラルヒーを作るのに貢献した。それは学校の教科書や雑誌を通じて一般に広く流布していった。そして植民者と被植民者を法において区別するという原則は決して崩されることがなかった。(117-118ページ)
 以上を基盤とする現地人に関するイメージは、19世紀後半、識字率の向上にともなって生じた大衆文化、そして写真や映画を通じて、また万国博覧会や植民地博覧会を通じて流通し、植民地に関する「想像の共同体」を生み出していった。(120ページ)

 19世紀前半のロマン主義の時代には、未開民族については「高貴なる野蛮人」という捉え方も存在した。しかし19世紀後半の大衆文化の時代になるとそれは「動物的な野蛮人」へと変貌する。ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」としての国民意識は、否定的な鏡としての原住民の存在によって構築される。大衆文化こそが、国民という意識形成に大きな役割を果たしたのだが、そのことに政治史はあまり注目してこなかった。(121-123ページ)

 共和主義者は進歩、理性、議会制民主主義、市民的平和などをナショナル・アイデンティティの拠り所とする。しかしこれらの価値を植民地に適用することはなく、むしろ植民地拡大に走っていた。当時の共和主義者は王党派など右派勢力と対峙していた。したがって共和主義者はナショナリストとしての立場を鮮明にせざるを得なかったし、また愛国心を発揮する領域を開発しなければならなかった。植民地建設の意義こそがそうした領域を提供したのである。(124ページ)
 また軍隊の存在もあった。ドレフュス事件でも分かるように軍隊は共和政に敵対的だった。その軍隊にしかるべく目標を与えて満足させるのには、植民地征服こそが恰好の材料となった。(125ページ)
 フランスの労働者、労組、フェミニスト、宣教師、社会主義者も「文明化の使命」を担いうるという点で植民地建設に有用な人材になるとされた。実際、マルクスもインドにおける英国の使命は「古いアジア社会を破壊した上で、西洋社会の物質的な土台を据える」ことだと述べていた(「イギリスのインド支配」1853年)。(126-127ページ)

 共和主義者が植民地拡大に走ったのはその「誠意」からだったという言い分がある。しかし実際には上記のような国内事情から拡大に走らざるを得なかったのである。
 また、植民地主義は資本主義の帰結だというマルクス主義の経済決定論も不十分である。
 共和主義者の植民地拡大は、第一に彼らが国内で生き残るために必要だったのである。また、犯罪者などの流刑地としてもである。(127-129ページ)

 フランス国内の学校教育が、植民地主義を正当化するイデオロギーを若い世代に吹き込むのに大きな役割を果たした。植民地拡大問いう十字軍物語は、ジャンヌ・ダルクやナポレオン、フランス革命に比肩する偉大な出来事とされた。こうした教育は、人民戦線政府、ヴィシー政権、パリ解放後の臨時政府、第四共和政において、政権の左右を問わず維持された。(131ページ)
 植民地化による現地の近代化は大いに宣伝された。そのためにまるで植民地は黄金郷のことくに思われるほどだった。そのように、戦間期にかけては、植民地の現実とイメージの乖離が進んだ。(134-135ページ)
 1931年にパリで開かれた国際植民地博覧会こそ、そうしたプロパガンダの到達点であった。おそらく1930年代ヨーロッパにおける最初の大きなテーマパークでもあった。ン客数800万人、うち外国人の割合は15%、チケット販売数3300万枚。
 博覧会の常設展示場では、フランスによる「文明化」の成果が並べられた。原住民の文化も見世物とされた。(135-138ページ)

 ツヴェタン・トドロフはヨーロッパの自民族中心主義を分析している。世界には多様な人間集団があり、普遍的な価値というものがあるかどうか分からない。もし普遍的な価値があるならそれに基づいて判断を下すことができる。だが価値があくまで相対的なものなら、何らかの特殊な条件をもとに判断せざるを得ない。普遍性と相対性という問題がここにはある。自民族中心主義とは、自分に馴染みの特殊を一般化することであり、自分の価値観を「絶対的」価値観とすることである。これによって自分の歴史は様々な経験をへた結果として見えるのに対し、他者の歴史は停滞して見えることになる。こうして、他者は「近代」とは無縁の存在と規定されてしまう。(140ページ)
 また、原住民は善も知らず美も分からない。だから彼らをヨーロッパ人と同じに扱うことは無理があるとされた。差別はこうして正当化されたのである。(140-141ページ)

 植民地博覧会への批判として、対抗展示会が開かれた。労働総同盟とシュールレアリストが開いたのだが、その入場者は5千人に過ぎず、植民地博覧会の800万人に遠く及ばなかった。(142ページ)
 植民地博覧会ほど人々の熱狂を生んだイベントはまれだった。第一次大戦の終了、(第二次大戦での)パリ解放、1989年のフランス革命200周年祭、人民戦線の時代に開催された1937年の万国博覧会くらいではないか。植民地博覧会は、一方で異国趣味を満足させ、他方で「植民地の理想」を語ってフランス的・共和主義的価値観の優越性を観客に納得させるものであった。(143-145ページ)

 前述のように、左派も植民地問題については批判とは縁遠かった。例外は、フランス共産党が1924年から28年にかけて植民地問題に取り組んだ時期だけであった。左派も保守派も植民地における入植者と現地人の扱いに差を設けることには暗黙のうちに合意していた。(145-147-ページ)
 この合意が崩れたのが、アルジェリア独立戦争であった。結局アルジェリアは独立を果たしたが、それを決断したドゴールは、植民地が保守派ではなく共和主義の遺産だったからそれと訣別したと見ることができるのではないか。インドシナや、アルジェリア以外のアフリカ植民地の独立を決断したマンデス=フランスについても同じことが言える。(147-149ページ)

 フランスの国籍制度の歴史はかなり複雑である。本書ではある程度詳細に説明されているが(155ページ以下)、ここでは省略する。要は出生地主義と血統主義の間の綱引きなのだが。 

 第五章は「植民地共和国の遺産」である。

 植民地主義を批判する西洋人は昔からいた。ラス=カサス、コンドルセ、モンテスキュー、クエーカー教徒、トゥサン=ルヴェルチュール、デルグレス、ファノンなどなど。しかし植民地主義をロマンティックに潤色した物語の影響力はこんにちでも消えていない。また、エスニック・ツーリズムなどにより「伝統的な」習俗が維持されてしまうという現象も起こっている。(165-168ページ)

 こんにち、ヴィシー政権時代にフランス人が積極的にユダヤ人摘発に関わったことは広く知られている。ところが植民地主義については記憶の穴のままなのである。「文明化の使命」という理念は疑われてはならないのだ。(169ページ)
 もっとも、学術的な植民地研究は着実に積み重ねられてきた。しかしそれによって得られた知識がなかなか普及しない。これにはメディアの問題も含めて考える必要がある。(170ページ)

 サハラ以南アフリカと西インド諸島の植民地では、フランスに同化した少数の原住民エリートが徐々に登用されていったが、アルジェリアにおいては入植者数が多かったため、彼らがあらゆる改革に反対した。植民地共和国の言説は、どこよりもアルジェリアにおいてその虚妄性と事実歪曲を露呈したのである。(174-175ページ)
 にもかかわらず、或いはだからこそ、アルジェリアは模範的な植民地とされたし、他の植民地と違って「県」とされたのであった。(175ページ)

 しかしフランスだけでなく、旧植民地側もペシミズムとネイティヴィズムを克服する必要がある。旧植民地は「本来の自己」を再発見しなければならないという言説。そしてこの「本来の自己」は、コスモポリタニズム、近代、普遍性に対置されるのが常である。近代や普遍性は、「帝国主義の暴力を隠蔽するための方便」とされてしまう。(178ページ)

 フランスの学校教育は奴隷制の問題を回避し続けている。フランス議会は奴隷制は人道に対する罪とする法を満場一致で採択したのに、である。ただし採択後の具体的な行動はほとんどない。他方で、旧奴隷植民地(現海外県)の住民が教科書の改善を要求しているわけではなく、奴隷制をよく引き合いに出すのは現地の知識人である。それも自らの発言を道徳的に正当化するためであることが多い。これは、われわれの祖先は犯罪の犠牲者となったのだからわれわれ奴隷の末裔は道徳的に上位にある、という誤った発想に基づいている。(182-183ページ)

 現在のフランスでは、イスラム女性のスカーフについて教師や知識人が大騒ぎしている。しかしインド洋のレユニオン島に目を向けよう。ここには19世紀末以来インドから渡ってきたイスラムの共同体がある。彼らはレユニオン社会に溶け込んでいる。その一方で自らのイスラム性にも関心が高まり、モスクや宗教学校が作られた。また多くの少女たちはスカーフをかぶって登校している。だが、カトリック、ヒンドゥー、イスラム、仏教などそれぞれの宗教指導者たちが作る宗教間委員会があり、9・11が起きた時には「文明の衝突」を避けるためにこの委員会がデモ行進を組織するなどした。2002年の選挙の時にはレユニオン島での国民戦線への支持率は「フランス全土」で最も低かった。ところがフランス本土で公立学校におけるイスラム女子のスカーフ禁止が決まると、レユニオン島での各宗教の穏健な棲み分け、別の言い方をすれば多文化主義が崩れる恐れがある(本書の原書が刊行された時点ではまだスカーフ禁止は決まっていなかった。その後決定された)。(183-185ページ)

 真の脱植民地化を達成するためには、ヨーロッパ文明という理念やヨーロッパの使命といった理念に含まれるコロニアルなものを析出し、また17世紀から奴隷制とともにあった他者性のイメージを再検討しなければならない。(186ページ)

 アルジェリアにおけるフランス軍による拷問。それは戦時暴力の問題ではなく、コロニアルな現象である。(196-197ページ)
 入植者は、自分たちは平和と文明をもたらす者と信じていた。だからこそ、現地人の叛乱が起こると仰天し、何倍もの暴力をもって応えるのだった。アルジェリアにおけるそうした残虐行為の数々の例。(197-199ページ)
 植民地共和国は「普遍性」を体現しているとされたため、現地人の反抗は共和国の普遍性への反逆、人間性への反逆とされる。こうして、植民地では拷問が普遍的に見られる現象と化した。(200ページ)

 以上、本書はフランスの植民地主義について、特にその「共和主義」との関係性について詳しく分析している。フランスという国の近代史と特質を知るために有用な書物と言えるだろう。
 ただ、植民地政策に関する具体的な数値が挙げられていないのが残念である。例えば、フランスの或る植民地の学校教育の年ごとの普及率(現地人向けと入植者向けで差があるならそれも)であるとか、病院などの施設の普及率、住民(現地人と入植者それぞれに)の収入が本国とどの程度違ったか、といった数値が挙げられていれば、「文明化の使命」という言説がどの程度まで本当だったのかがすぐに分かると思うのだが。そうした具体的な研究がなされていないのか、或いはなされているのに本書執筆者たちに関心がないのか。

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評価 ★★★★

 (内容が充実しているので、2回に分けて紹介します。)

 かつては大英帝国に次ぐ植民地保有国であったフランス。現在では植民地は独立しているかフランスの海外県となっているが、植民地を保有していた時代のフランス人の意識はどのようなものだったのかを明らかにした本である。

 冒頭、日本語版序文で著者は、第三世界による(植民地主義ゆえの)西洋断罪というワンパターンで不毛な方法とは縁を切るべきだと述べつつ、しかし西洋側も自己愛に満ちた言説を見直す時期だと述べている。非白人・非キリスト教徒を野蛮と見なすような決めつけがフランス知識人の間に今も多く見られるというのである。

 ここで著者は「白人コミュノタリズム」というフィクション、という言い方をしている。これは訳注によると以下のような意味を持つ。すなわち、1980年代以降、非ヨーロッパ系の住民が自らの文化的差異への権利を主張するようになると、「それはフランスに溶け込もうとせず、同胞だけで集まるコミュノタリズム〔共同体主義〕だ」という非難がなされるようになった。フランスは国家編成原理として平等な個人を基礎としているので、利害を共にする共同体による主張は普遍に反するものとされる。「白人コミュノタリズム」とは、異文化や非キリスト教を認めずに西洋文化への同化を強いる態度こそ、西洋文化を守ろうとする白人の「共同体主義」だ、という反批判を意味する言葉である。

 1962年のアルジェリア独立以降、フランス人は植民地主義の過去を忘れ、アルジェリア独立に頑強に反対したフランス人が多かった事実をも忘却していると著者は述べる。過去を克服するためには歴史の正確な知識を基礎として、過去の罪を認めるべきだとする。

 本論に入って、第一章は「植民地共和国」である。

 植民地と共和国を並べることができるだろうか、と著者は冒頭問うている。共和国の住民は市民だが、植民地の(現地人の)住民は臣民である。共和国というものは原則からして植民地を排除するはずだ。だが現実にはフランス共和国は植民地帝国の建設に尽力してきた。共和国という理念を文字どおりに受けとることはもやはできないし、植民地は現実のフランスの内部にも(移民などとして)入り込んでいる。
 単に植民地主義の過去を非難したり贖罪したりするだけではなぜ共和主義者が植民地主義者でもあった(例えばサン=シモンやヴィクトル・ユゴー)のかという問題を解くことはできない。(11ページ)
 こんにち、アルジェリア独立戦争時にフランス側が行った拷問行為はよく知られるようになっている。しかし実際には拷問は植民地化の初期から行われていたのだ。
 われわれがなすべきは、過去の悔悛や謝罪ではなく、過去の研究を奨励し、フランスの歴史が単に共和国史としてあるのではなく植民地・植民地主義と密接に関わる歴史である事実を認識することだ。これは植民地化された世界についても言える。フランツ・ファノンのように、二つの世界が死闘を演じつつ対立するという図式では物事を捉えることはできない。
 しかし植民地史は学問の領域としては低く見られてきたし、最近も講座が削られている。

 フランスが植民地で行った拷問行為をナチの犯罪と同じだと言うことはできないが、しかしそれに比肩しうる行為であるとは言える。ところが、「人権の国」フランスがそんな罪を犯すはずがないという思い込みがしばしば見られる。また、ナチと闘ったレジスタンス闘士たちが作った政府が、アルジェリアのコンスタンチーヌで(ドイツ降伏の日に)起こった現地人の蜂起を容赦なく弾圧しているのである。(この弾圧の犠牲者は1~4.5万人とされる。)(19ページ)

 ヴィクトル・ユゴーはアルジェリア総督に任命されたばかりのビュジョー将軍〔アルジェリア征服戦争の中心人物。残虐な行為を多く行ったとされる〕に寄せて以下のように書いている。「この地を新たに征服したのは、喜ばしく偉大なことです。まさに文明が野蛮に抗して進んでいるのです。蒙昧な人々に、開明的な国民が手を差し延べるのです。私たちの使命は達成されました。私は勝利の歌を歌うばかりです。」(1841年)
 ユゴーはその6年後にもこう書いている。「アフリカは野蛮な状態にあります。輪つぁいはそれを承知している。しかし政治責任者に忘れてほしくないのは、アフリカには野蛮に染まるために行くのではなく、それを解体しにいくということです。」(1847年)(20ページ)
 「第三共和政の父」で、「すべての子供に開かれた公教育の父」でもあるジュール・フェリーは、「劣った民族に対する優れた民族の権利」を主張した。
 人権同盟の会長で、1936年の人民戦線政府の植民地大臣だったマリウス・ムテは、原住民への市民権付与に反対した。第一次世界大戦では多数の植民地出身者がヨーロッパの塹壕で命を落としたのに、である。
 作家ピエール・ロティは、フランス人兵士がインドシナで笑いながら現地人を殺していたと証言している。
 トクヴィルはアルジェリア征服戦争を視察して、暴力と蛮行による植民地化は困難をもたらすだろうと述べている。(20-21ページ)

 1946年に第四共和政政府が海外領土出身者すべてに市民権を与えたが、これも限られた政治的権利を「原住民」に与えたに過ぎず、おまけに国際的な圧力に譲歩した結果だったのであり、当時のフランス政府は現地人と入植者の分離政策を推進していた。(21-22ページ)
 教育の使命、国民主権、平等、普通選挙、〔国民全体の〕一体性と不可分性、これが共和国の中心的価値観だが、それが植民地で十全に適用されたことは一度としてなかった。(25ページ)
 フランス革命の直後ですら、革命の理念が植民地に適用されることはなかった。
 フランスの植民地政策は、入植者の意向に配慮する形で行われた。ヨーロッパ出身者との連帯のほうが、抑圧された現地人との連帯より重要だったのだ。
 そしてしまいにはフランス本国政府自体が入植者のような二重基準的な政策を推進するようになっていく。歴代共和政府の植民地政策を見ればそれは明らかだ。

 フランスは長らく自らを多文化の国とは見なしてこなかった。フランスで生まれる人間は、片親もしくは祖父母のいずれかが移民である率が20%であるのに、である。共和国は「国民 ナシオン」と同一視されてきた。
 現地人に対しては「同化」という約束が与えられても、しかしそれは永遠に実現されることがない。「君はフランス人になれるんだよ。でも本当はなれないんだ」という矛盾したメッセージをフランスは発し続けた。植民地におもむく兵士や教師や医師は一種の伝道師だった。その中には共和主義者が多くいた。人は共和主義者にして植民地主義者であることができる。(32-33ページ)

 植民地主義とは文明化の使命だというイデオロギー。20世紀の末になってもなお、フランスの左派政治家はそうした視点から植民地主義を肯定する言説を弄していた。(35-36ページ)
 だが、ならばなぜ独立した旧植民地にはエリートがほんの少数しかいないのか、技師も医師も教師も指導者もなぜこんなに少ないのか、なぜこんなに非識字率が高いのか、農業を基盤とする国なのになぜ資源が都市にばかり集中しているのか。「植民地化の成果」などなかったという良心的な人物の発言は忘れられてしまっている。(39ページ)
 そして植民地主義の害悪が指摘されても、「英国よりはましだった」という言説にしばしば回収されてしまう。(40ページ)
 ドゴールは1945年5月、法務大臣に地中海出身者と東洋人のフランス流入を制限するよう求めた。そして「黄色いフランス人、黒いフランス人、茶色いフランス人がいるのはたいへん結構なことだ。フランスがすべての人種に開かれていることが分かるし、フランスが普遍的な使命を持っていることを示しているからだ。だがそれは彼らが少数でいるかぎりにおいてである。でなければフランスはもはやフランスではなくなってしまう」と述べた。(43-44ページ)

 第二章は、「『植民地国民』なるものの起源へ」である。

 古代ローマ帝国こそ、ヨーロッパにとってはモデルとなる国家形態だった。ただし共和政のローマである。キリスト教ではなく、共和主義の友愛に基づく普遍性。もっとも共和主義者はキリスト教からイメージや指標を借用はした。そして啓蒙主義者はキリスト教による改宗を批判したが、それは改宗させるべきは共和主義の理想へだからである。自由と平等という理想。ただしフランスが考える意味においての自由と平等であり、フランスのもたらすものである限りにおいてである。フランス文明の優越、という思想こそが帝国主義を支えたのである。
 そうした思想はローマ帝国のキケロにすでに見られる。キケロによれば、世界には命令する立場の人間とされる立場の人間がいるのであり、ローマは文明の中心であるからその文明を広めるのが義務である。野蛮な人々を文明化しなければならない。こうした思想はフランスの共和主義者に受け継がれた。

 とはいえ実際は本国と植民地は二重基準で運営されていた。しかしこうした「自由と平等」という理念が100%空約束だと言うこともできない。現地人はこの建て前をもって逆に共和国を批判できたし、ジッドやジョレスのように現地人に加担する人間もいたからだ。(49-50ページ)
 しかし二重基準は大手を振ってまかり通っていた。フランス側が植民地に押しつけたのは、「共通の協定への自発的同意」の原則だった。ヨーロッパ人からすると、契約の同意を現地人に求めることはできない。なぜなら彼らは共有財産や所有権を守ろうという欲望もないし法に従うということも理解できないからだ。原住民は理性的な存在ではないから、彼らの同意が要請されることもなく、同意を押しつける者が同意が成立したと見なすしかないのである。
 現地人は所有も労働も知らない。だから入植者が土地の所有者となる。
 現地人は目的もない戦争に明け暮れており、それはヨーロッパ人の行う戦争とは別物だ。彼らは暴力的な人間だから、飼い慣らすのでなければ殲滅するしかない。殲滅は浄化ですらある。実際、ドイツのフォン・トロータ将軍は南西アフリカのヘレロ族8万人のうち8割を殺し、「この民族が消える」ことを望むと発言した。(56-58ページ)

 モーパッサンは、アフリカ人が耕すとその田畑の畝はヨーロッパ人が耕すものとは別物になってしまうから、だからヨーロッパ人の所有になるのが妥当だと述べる。
 ユゴーは言う。フランスとアフリカの間には三重の断絶がある。文化的、政治的、宗教的断絶である。両者はあまりに異なっているので交わることがない。住民を文明化するか、大地を植民地化するしかない。そして農耕をする能力は、ヨーロッパ人にしかないのである。
 エルネスト・ルナンは言う。「中国人は労働者の人種、黒人は大地で働く人種、ヨーロッパ人は主人と兵士の人種」と。(58-59ページ)

 植民地はしばしば本国の流刑地となった〔英国にとってアメリカがそうであり、アメリカが独立するとオーストラリアが流刑地となった〕が、フランスにとってはニューカレドニアがそうだった。(61ページ)
 一部、植民地出身者のエリートがいたことは確かである。だが、同化、自由、平等という共和主義的語彙は、植民地にあっては革命の遺産に対する裏切りを含んでいた。(63-64ページ)
 植民地は軍隊にとっては輝かしい戦功の場であった。普仏戦争での敗北は植民地征服の勝利によって忘れられた。植民地での戦いはヨーロッパにおけるより容易だったし、そこで昇進することもできた。(69ページ)
 学校教育は文明化の使命の具現として語られることが多いが、実際にはその恩恵にあずかった現地人はわずかだった。原住民の就学が推進されたのは第二次大戦後のことに過ぎない。数十校ほどの学校が20世紀初頭のアフリカにはあった。他方、フランスの学校では植民地における文明化の使命が高らかに教えられた。(69-71ページ)

 征服期の植民者は将校と兵士だったが、やがて入植者、教師、農民、医師が入ってくる。特に医師は現地人にとっても有用で分かりやすい役割を果たすため、模範的な植民者だった。(71-72ページ)
 反植民地主義思想は、フランスにおいては1890年から1905年の時期を除いてはごくわずかしか見られなかった。(73-74ページ)

 第三章は「文明化の使命の権利と義務」である。

 英米仏の三国はいずれも宣教的な理想を持ち、他の世界に介入して自分の理想を押しつける権利と義務があると確信していた。
 「白人の責務」という表現が英国作家キプリングに由来することは有名な事実である。
 英国の場合、人種としての優越性と帝国の建設は正当化する必要すらないほど自明のものだった。これに対してフランスの第三共和政は、植民地化の「道徳的原理」を力説しなければならなかった。共和主義の理想の礼賛と、外国人への誹謗中傷、人種的優越性への確信、暴動の理想化、フランス人種の宿命への確信など、今の目で見れば矛盾と見える様々な方向性が共存していたのである。

 現地人の抵抗は、しばしば進歩を受け入れない現地人男性の保守性のせいだとされる。入植者は現地人の女性や子供を守る存在と位置づけられる。入植者は近代や女性解放を持ち込むものとされるが、それは要するに西洋化のことなのだ。〔この本にはそうは書いていないが、現代フランスのブルカ論争などにもつながるものであろう。〕(80-81ページ)
 ヨーロッパ人は、他の民族が西洋の信仰や諸制度を模倣する必要があると考えている。自分は誰もがうらやむ普遍性を体現しているのだ、という確信が西洋の特徴なのだ。しかし、非西洋人が必ずしも西洋人になりたいとは思っていないという事実を理解していない。(84ページ)

 他方、植民者と本国の人間との間には深い不信感があった。植民者は本国人が植民地における自分たちの労苦を分かっていないと思うし、本国では入植者は厄介払いすべきごろつきだという本音が語られていたからである。
 もっとも、植民地で暮らす人間はフランス本国では味わえない特権に恵まれていた。遠隔地勤務と言うことで公務員には給与の上乗せや税金の割引があったからだ。(91ページ)

 マダガスカルの征服に際しては、現地の特権階級と人民との戦いでフランスは後者に味方するのだという物語が語られ、マスコミはそのように報道した。現地には奴隷制度も存在した。1896年、フランスはマダガスカルの植民地化と、奴隷制度の廃止とを告知した。翌1897年、マダガスカル征服の任にあたったガリエニ将軍はパリの反奴隷制協会から「人道的行為」に関して栄誉賞を受けた。だが奴隷制度廃止の2ヵ月後、同じガリエニによって現地人男性に強制的な労働が課せられ、6年後にはそのために現地人男性の20%が死亡するという結果になった。いかなる抵抗も徹底的に弾圧された。(93-94ページ)

 当時のヨーロッパ植民地主義を支えたのは、ヨーロッパ人が人種として最も優れているという「科学的」な知見であった。だからこそヨーロッパ人には文明化の使命があるとされたのだ。(95-96ページ)そして植民地化は、十字軍の再来ともされた。(98ページ)
 征服戦争はヨーロッパ側の武器と現地人のそれとには大きな差があったから事実上虐殺行為に過ぎなかったが、それを伝える作家やジャーナリストは英雄的な物語に仕立てた。一部、悲惨さを伝えるものもあったが、それが過ぎると非愛国的だと非難されかねなかった。(99-100ページ)
 だが、英国人に比べればフランス人は公明正大で人間的な植民地主義者だという言説もまかり通っていた。(102ページ)
 本国内部の危険な階級を「文明化の使命」に向かわせることでまともなフランス人にしようという構想もあった。ユゴーはだからこそ1879年、奴隷制廃止を祝う宴の席で以下のように述べた。「南に行くのです。アフリカには人間が住んでいた(…)歴史がありません。見捨てられた野蛮であり、未開状態です。(…)皆さんの有り余る力をアフリカに注ぎなさい。そうすれば皆さんの社会問題なるものも解消されるでしょう。」社会のはみ出し者や下層民がアフリカの入植者となったのである。現地人の土地を奪って農業を営んだが、いかに下層民でも白人には違いなかったからだ。)(103-104ページ)

 一昨日の読売新聞ニュースより。

 http://www.yomiuri.co.jp/science/20170509-OYT1T50002.html
 ストラディバリウス負けた!聴衆は現代製に軍配
 2017年05月09日 07時39分

  【ワシントン=三井誠】 数億円の値段がつくバイオリンの名器「ストラディバリウス」と、現代のバイオリンの演奏を聴衆に聞かせると、聴衆は現代のバイオリンの方を好むとする実験結果を、仏パリ大などの研究チームがまとめた。

  論文が近く、米科学アカデミー紀要に掲載される。

 このチームは5年前、ストラディバリウスと現代の楽器を弾いた演奏家でも、音の評価に大きな差がなかったとする研究を同紀要で発表している。チームは今回の研究で「バイオリンの作製技術が上がったのか、あるいは一般に信じられているほどの音色の違いがなかったのかもしれない」とコメントしている。

 実験は、パリ郊外と米ニューヨークのコンサートホールで、音楽の批評家や作曲家などを含む聴衆計137人の前で行った。ストラディバリウス3丁と現代のバイオリン3丁を、演奏者にはどちらのバイオリンかわからないようにしてソロで弾いてもらい、どちらの音色がよく響くかなどを、聴衆が評価した。

          

 さもありなん、という記事である。
 ヴァイオリンというと、奏者と並んで楽器が、いや、場合によっては奏者よりも楽器が問題にされたりするわけだが、ヴァイオリンの音楽に慣れ親しんだ人間なら誰でも知っているように、そんなバカげた話はない。

 ヴァイオリンの音は楽器にもよるが、それより奏者と会場(ホール)によって決まる度合いが高い。同じヴァイオリンでも奏者が変わると音も変わってしまう。というと、著名な演奏家と習い始めたばかりのシロウトなら差があって当たり前じゃないかと言う向きもあろうが、そうではない。著名なプロの演奏家でも、同じ楽器を弾いても人によって音は異なるのである。

 この辺は天性と言うしかない。つまり持って生まれた才能である。
 その点でヴァイオリンはピアノとは明瞭に違う。ピアノは、筋骨逞しい欧米系の男性が弾くのと、小柄で骨も細い東洋人女性が弾くのとでは音が違うが、おおむね奏者の体の作りがそのまま音量などに反映する。

 ヴァイオリンはそうではない。同じ楽器を大男と小柄な少女が弾き比べても、前者のほうが大きな音が出るとは限らない。プロ奏者でもあまり音量のない人もいれば、国内の音楽コンクール予選にも通らない程度の技倆でも音量だけはあるという人もいる。つまり、ヴァイオリンの音量や音色は奏者の天性の産物なのであって、努力では、或いは楽器を変えても、どうにもならないのである。

 また演奏するホールの大きさや形状、さらには聴衆の座席の位置などで音は変わる。

 だから、ヴァイオリンのよく知られた銘柄にばかり固執するのは滑稽でもあるのだ。現代に作られた楽器にだっていいものは沢山ある。これを機に、ヴァイオリン音楽を奏者の実力で判断する人が増えることを望みたい。

 音楽に限らない。ブランド信仰はだいたいがあやしいと相場が決まっている。

 例えばコメである。10年以上前の話だが、新潟大学生協で学生を対象にコメの食べ比べをやったことがある。ブランドは隠して、新潟県産のコメと北海道産のコメとを学生に食べさせてどちらがうまいかを回答してもらった。結果は、北海道産のほうが味が上と出た。

 何でもそうである。自分の鑑識眼に自信があれば、ブランド信仰はナンセンスと分かるはず。要するに、そういう鑑識眼=実力を養うことが大切なのである。

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今年映画館で見た63本目の映画
鑑賞日 5月6日
ユナイテッドシネマ新潟
評価 ★★★

 降旗康男監督作品、99分。

 富山県警の刑事である四方(しかた:岡田准一)は或る日、旧友の川端(柄本佑)と偶然ラーメン屋で再会し、飲み屋でよもやま話をする。だがその数日後、川端は死体で発見される。川端は現在は東京の小さな硝子会社を婿養子となって経営していたが、財務事情が思わしくなく、やはり旧友である輪島在住の田所(小栗旬)のところに借金をしにいくと語っていた。とすると田所が重要参考人のひとりということになるが・・・

 実は四方と川端と田所の三人は25年前、親に捨てられて若い女性・涼子(安藤サクラ)の家で暮らしていた。だが或る事件が起こり、三人は別々の人生行路を歩み始めたのだった。刑事という立場もあって過去の事件を知られたくない四方は、上司に無断で独自に調査を始めるのだが・・・

 あらすじからすると刑事物ミステリーのようだが、謎解きよりは、過去を引きずりながら生きている三人の男や、その家族などの人生をしみじみと情感をこめて描くことに重きを置いている。ミステリーとしては展開に緻密さを欠いており、降旗監督がすでに80代になっていることもあってか、古いタイプの映画という印象は免れないが、そういう映画が好きな人には悪くないとも言えるだろう。

 新潟市では全国と同じく5月6日の封切で、市内のシネコン4館すべてで上映中。県内他地域のシネコン3館でも上映している。

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評価 ★★★

 ジュヴナイル(少年少女小説)をテーマとする授業で学生と一緒に読んでみた本。言わずと知れた児童文学の名作である。私自身は小学生時代に読んだものの、一部分を省略した訳だったので、完訳版を読むのは初めて。学生は全員初読。昔ならこういう有名作品は、多少なりとも本を読む子供ならリライト版ででも小学生の頃に読んでいたものだが、最近の学生は児童文学の定番的な小説をほとんど読んでいない。

 今回再読して、昔と特に印象が異なったということはないが、この小説の特徴は以下のようにまとめられるのではないかと思う。

 ①キリスト教の教義や教会への批判がこめられている。トム自身も聖書の語句をさっぱり覚えられない(ロビン・フッド物語や海賊物語の内容はよく覚えているのに)。ただしトムは最終的にはキリスト教の教えを完全に逸脱するような真似はしない。

 ②ハックルベリ・フィンは浮浪児で、トムと違い世間からほぼ完全に逸脱した生き方をしている。トムは一面でハックに憧れているが、ハックのように完全に浮浪児になることはできないし、それを望んでもいない。ハックはブッキッシュな知識のある(ように見える)トムに対してはかなり従順。我の強い不良タイプではない。

 ③ハックおよびもう一人の友人と家出してミシシッピー川の中州のような島で暮らす場面でも、トムは一度自宅にこっそり戻ってくる。完全に家族から切れることはしない。また三人のホームシックもしっかりと言及されており、あくまで作者は大人の目で書いている。

 ④宝探しをして、トムとハックが実際に宝(大金)を手に入れてしまうところが、ジュブナイルらしい。作中での記述からして、ふたりはそれぞれ1億円を超えるお金を手に入れている。

 ⑤完全な悪人としてはインジャン・ジョーしか登場しない。しかし彼の悲惨な末路は、悪人は滅びるという図式ではなく、世の中には悲惨な出来事も起こりえるのだという示唆のように思える。

 ⑥ベッキーとトムとの関係、或いは女の子に近づくときのトムの如才なさが羨ましい(笑)。もっとも、先日まで夢中になっていた女の子との関係にも言及されていて、他愛ない恋愛ごっこを距離をおいて見つめる作者の視線が感じられる。

 ⑦トムとベッキーの学校の先生がどことなく怪しげ。ベッキーがうっかりページを破いてしまう医学書はポルノとして利用されていた疑いあり。

  ⑧三人称の語り手は、しばしば時間軸に沿った語りではなく、重要な部分をとばして後になって再現する。トムとベッキーが鍾乳洞で迷子になる場面や、裁判で冤罪の被告が土壇場でトムの証言により救われるシーンなど。

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今年映画館で見た62本目の映画
鑑賞日 5月6日
シネ・ウインド
評価 ★★

 ドイツ映画、ファイト・ヘルマー監督作品、83分。原題は"QUATSCH UND DIE NASENBAERBANDE" (バカ話とハナグマ組)。

 ドイツの小さな村を舞台に、幼い子供たち6人が暴れ回って大人たちを翻弄するメルヘンチックな映画。

 期待したほどではなかった。子供たちが既存のものを破壊しまくるところまではいいけれど、再生はやや安易というかご都合主義。ハナグマ(鼻熊、上の画像で子供たちの上を歩いている)も大活躍するけれど、ちょっと利口すぎはしませんかね。

 ファイト・ヘルマー監督は、1999年の『ツバル』がとても良い作品だったのに、その後音沙汰なしといったところで、今回久しぶりにこの映画を見たものの、残念賞だった。

  東京では2月11日の封切だったが、新潟市では3ヵ月弱の遅れでシネ・ウインドにて一週間限定公開中、5月12日(金)限り。

 さる4月27日に大相撲の50代横綱である佐田の山関(本名:市川晋松)が満79歳で亡くなった。

 最近の私は大相撲への興味をなくしているが、佐田の山関は私が二番目に好きだった力士である。一番は初代若乃花であるが、若乃花が活躍したのは私が幼稚園から小学校中学年にかけてであって、つまり私の若乃花びいきというのは子供が強い者に憧れるという域を出るものではなかったと言える。むろん、そうではあってもひいきの力士への感情は真正なものであったことに間違いはないが。

 それに対して佐田の山関が横綱だったのは私が小学校6年生から中学を卒業する頃までであり、こちらも多少判断力というか、物事の好き嫌いに関して自分なりの鑑識眼がついてからのことであった。

 佐田の山関が幕内力士として活躍したのは、一般には柏鵬時代と称される時代である。横綱の大鵬と柏戸がライバルとして土俵を盛り上げた時代ということだが、優勝回数で言うと大鵬の32回に対して柏戸は5回であり、実績からすれば「大鵬時代」と呼ばれるのが妥当なところであろう。

 その大鵬は1940年5月生まれ、柏戸は1938年11月生まれ、そして佐田の山関は1938年2月生まれであった。だから佐田の山関は柏戸と同年生まれであり、大鵬よりは2歳年上ということになる。
 初土俵と入幕を比べると、柏戸は56年1月・61年1月、大鵬は56年9月・60年1月であるのに対し、佐田の山関は56年1月・61年1月である。同年齢の柏戸と初土俵と入幕がともに一致している。大鵬は3人の中でいちばん若いが、その割りには初土俵は早めだし、入幕は最も早い。つまりそれだけ大鵬は別格の力士だったということだ。

 実際、大鵬は61年に柏戸と同時に横綱昇進を果たすが、その直前の成績では明らかに大鵬のほうが上で、柏戸が大鵬と同時に横綱昇進できたのは、若い新横綱ふたりを立てることで大相撲の人気を維持したいという興行的な理由もあったと推測される。

 これに対して佐田の山関が横綱に昇進したのは65年の1月場所に優勝してからであり、同年の柏戸と比較するといかにも遅かった。そこから、佐田の山関は天才型ではなく努力型の力士というイメージも生まれたのだと思う。

 しかし、繰り返すが大鵬はあくまで別格の力士であり、優勝回数でいうと6回の佐田の山関は5回の柏戸を上回っているのである。また幕内の戦歴では、佐田の山関は435勝164敗61休(44場所)であり、幕内での勝率は65.6%に及ぶ(計算には休も含めている)。柏戸はと言うと599勝240敗140休(66場所)であるから、61.2%。大鵬は746勝144敗136休(69場所)で、72.7%だからやはり別格と言うしかない。しかし勝率で言っても佐田の山関は柏戸より上であることが分かるだろう。

 先に挙げた初代若乃花はどうだろうか。546勝235敗4分55休(57場所)だから、65.3%(引き分けは除外して計算)。つまり、佐田の山関の幕内勝率は初代若乃花とほぼ同じ水準なのである。初代若乃花といえば栃錦とともに「栃若時代」を築いた横綱であり、その優勝回数10回は大鵬が現れるまでは栃錦と並び、伝説的な双葉山の優勝12回に次ぐ記録であった。

 佐田の山関のこの勝率が、大鵬という例外的な力士と同時期に土俵で闘うという条件下で達成されたことに注意して欲しい。大鵬を大横綱と言う人はいても、佐田の山関をそう呼ぶ人はいないが、実際は佐田の山関は一般に思われているよりはるかに強い力士だったのだ。

 とはいえ、佐田の山関の魅力とは、単に強くて横綱にまで上りつめたことにあるのではない。土俵での闘いぶりに、いかにも全力を尽くしている様子が表れていたからであろう。職業として力士を選んだ人間の言うならば誠実さが、その土俵姿から感じられたことが、佐田の山関の最大の魅力だったと思う。
 
 周知のように、佐田の山関は67年11月場所と68年1月場所に連続優勝したが、その後の3月場所で序盤で連敗したのをきっかけに、あっさりと引退を表明した。私は佐田の山関の連覇をテレビ観戦によりリアルタイムで体験した人間だが、あの連続優勝は佐田の山関が自分の全部を出し切ったもののように見えていた。全部を出し切った後、気力をそれまでのように保つことができない自分に気づいたからこそ、潔く引退の道を選ぶことができたのではないか。たしかに名門・出羽海部屋の後継者になることが決まっており、力士をやめても経済的に困ることはないという事情もあったろうが、横綱には不調時には休場という手段もあるところを引退を選んだところに、私は佐田の山関の人間を見る。ちなみに、上に挙げた数字からも分かるが、佐田の山関の幕内休場日数は、大鵬・柏戸と比べて格段に少ない。

 大鵬もそうだったが、佐田の山関も貧しい家庭に生まれ育ち、大相撲の世界で頂点に上りつめることで、当時の少年たちに生き方の見本を示した。しかし大鵬がその天性によって大横綱になったのだとすれば、佐田の山関はそれなりの資質に恵まれながらも、同時に誠実さと努力とによって頂点にまで到達した。或いは、少なくとも同時代の人間にはそのように見えていたのであり、それが、たとえ将来選ぶ道が違っていても、多数の少年たちに暗黙の力を与えていたのだと思う。大鵬が、ロシア人の血が混じっていて美男であったのに対して、佐田の山関はいかにも原日本人風というか、洗練されないが誠実さが感じられる風貌だったことも大きかっただろう。

 慎んで佐田の山関のご冥福をお祈り申し上げる。

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今年映画館で見た61本目の映画
鑑賞日 5月2日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 東伸児監督作品、108分。乃南アサの原作小説は未読。

 人を刺して逃亡途中の若者(林遣都)が、偶然、宮崎県の山道に倒れていた老婦人(市原悦子)を助ける。彼女は乗っていたバイクが転倒して重傷を負っていた。その縁で若者は老婦人が一人で暮らす農家にしばらく逗留する。若者はそれ以前にもひったくりをやるなど、すさんだ暮らしを送っていた。老婦人は夫に先立たれ、都会に出た息子はカネをせびりに時々帰省するロクデナシ。

 やがて若者は近所の老人(綿引勝彦)に誘われて山奥での仕事をするようになる。次第に田舎暮らしに慣れていく若者だったが・・・

 崩壊家庭に育ったせいでまともな生活を送ってこなかった若者が、偶然から宮崎県の田舎の農家で老婦人と暮らすうちにまっとうな生き方を学んでいくというお話。筋書きはやや甘い感じもするけれど、まあ一種のおとぎ話だと思えばいいわけで、まとまりのいい映画になっている。林遣都を囲む二人の老俳優も味がある。

 東京では3月上旬の封切だったが、新潟市では1ヵ月少々の遅れでシネ・ウインドにて3週間上映された。

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評価 ★★★★☆

 出て間もない新書。著者は1964年生まれ、アウクスブルク大学博士、京都大学博士、東洋英和女学院大学教授。

 タイトルどおり、プロテスタンティズムの歴史と影響について述べた本である。帯に、「ルターの宗教改革から500年。現代の保守主義、リベラリズムの源流」と書かれている。プロテスタンティズムはローマ・カトリックに反旗を翻した宗派というのが一般的な理解だから、リベラリズムは分かるが、なぜ「保守の源流」なのかという疑問が当然ながら湧いてくる。私もそうだった。

 第1章では中世のキリスト教と宗教改革前夜の状況について述べられている。キリスト教は一神教だと言われるが、聖人という形で多神教を取り入れており、もとはパレスチナ・地中海沿岸に端を発した宗教ながら、ヨーロッパの様々な事情を取り込むことで現在の形になっていった事情が説明されている。
 また、ルターはカトリックの販売していた「免罪符」に疑問を抱いて宗教改革を開始したというふうに言われるが、正しくは「贖宥状」である。一般人が犯した罪の懺悔を聖職者が代行するという考え方によっており、そこにはゲルマン法の影響があるという。この懺悔代行の証書が、贖宥状なのである。やがてそれは、罪の懺悔代行をしてから発行されるのではなく、あらかじめ聖職者が罪の懺悔代行をして証書を作っておき、それを一般人に販売するという形になっていく。
 さらに、宗教改革前夜の状況として、ローマ教皇が神聖ローマ帝国皇帝の戴冠の権利を持ち、そのために神聖ローマ帝国=実質的にはドイツ人たちの国を政治的に支配できるという状況があった。つまり、ドイツ側からすればイタリアから首根っこを押さえられているわけで、面白くなかった。
 以上のような状況を背景として、ルターが登場する。

 第2章では現在の学問で分かっている限りで、ルターが当時どう行動したかが説明されている。昔の歴史教科書には、ルターがカトリック教会への95箇条の質問状をヴィッテンベルク城の教会の扉に打ち付けて貼りつけたと書かれていたが(私も高校時代そう教わったように覚えている)、現在ではそのような証拠はないとされているそうだ。間違いないのは、ルターが書簡としてこの95箇条をマクデブルクとマインツの大司教を兼ねていたアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクに送ったという事実である。
 このブランデンブルクという人物が問題で、大司教を兼ねることは禁止されていたにもかかわらずふたつの大司教職を兼ねており、まだ大司教は三十歳以上がふつうなのに、それ以前からその地位に就いていた。そのために彼はバチカンに賄賂を送っていたが、その賄賂をまかなう手段が贖宥状販売だったのである。ルターからすれば悪役の見本のような人物だが、当時こういう人間は他にもいたという。

 いずれにせよ、ルターの問題提起は当時のドイツ語圏に大きな反響を呼ぶ。誰がルターを支持したかについての学説も紹介されている。
 けれども、ルターが当初目指したのはあくまでカトリックの軌道修正であり、教皇の権威を全否定して新しい宗派を起こそうとしていたわけではなかった。またプロテスタントという言い方もルターやその支持者が選んだものではなく、カトリック側から名づけられたものであり、ドイツでは今でも一般にはプロテスタントではなく「福音主義 Evangelisch」と言われる。

 第3章では第2章に引き続きルターとカトリック側の対立状況の展開が説明されている。
 カトリック側は当初は穏便な解決を望んでいたが、ルター側の意思が堅かったこともあり、結局ルターを破門する(この破門は現在まで取り消されていない)。
 他方ルターは、カトリックと議論をするより自分の考えを広く世に知ってもらうことが大事だと考え、いくつかの著作を出した。グーテンベルクの印刷術発明によって情報革命が起こった直後のことでもあり、彼の考えはあっという間に世間に流通していく。木版画によってルターの思想が広まった面もあったという。もう少し後のことになるが、ルターは聖書をドイツ語に訳し、一般人が自分で聖書を読めるようにしたほか、近代的なドイツ語を基礎付けることにもなる。
 なお、ルターの教義だが、神による人間の救済をひたすら信じることだけが大事、というものだった。実人生で努力するのではなく、信じさえすればいい。著者はこれを、日本の浄土真宗の「他力本願」と似ているとしている。
 ともあれルターは「アウクスブルク信仰告白」により自分の考えを明確化し、彼自身の意図とは別に新たな宗派が形成されていく。

 第4章では、1555年のアウクスブルクの帝国議会が取り上げられる。「アウクスブルクの宗教和議」とも呼ばれるこの会議では、神聖ローマ帝国内の領邦では領主の宗教がその領邦の宗教となることが決定された。ただし、カトリック側は途中でこの会議を退席しており、この決定は無効だとしている。しかしルター派はこの決定を支持し、ここにルター派はカトリックと別の宗派を形成することが事実上決まったのである。
 教皇という権威を持たないプロテスタントにとって、唯一の権威とは聖書であったが、その聖書をどう解釈するかは人により様々である。よってプロテスタントは聖書解釈により宗派の分裂を生みやすい。
 ルターの後、スイスではカルヴァンなどによる宗教改革も行われたが、偶像崇拝廃止を徹底させたカルヴァン派の礼拝や儀式はカトリックのそれとはかなり異なるものになる。これに比べるとルター派のそれはカトリックにかなり近いという。

 第5章では、もう一つのプロテスタンティズムが取り上げられる。
 ルターやカルヴァンの宗教改革は、いかにカトリックに反旗を翻そうと、一点では守旧派であった。つまり、信仰と地域の結びつきである。宗教はその地域の政治支配と一体になっており、先のアウクスブルクの帝国議会での決定からも分かるように、ひとつの領邦はひとつの宗教にまとまるのが当然だとされた。近代的な意味での個人の信仰の自由はそこにはなく、もしその領邦の宗教が自分のそれと相容れないなら、その人間は住む場所を変えなくてはならなかった。カルヴァンのいわゆる神性政治もこの点ではルターと同じであった。
 これに対して、洗礼主義(バプテスト)と呼ばれる一派は、教会は領主の所有物ではなく、自発的な結社だと理解した。つまり近代的な個人の信仰の自由という思想がここに生まれたわけだ。また彼らはその意味からも幼児洗礼を否定し、成長後に自分の意思で洗礼を受けることを主張した。

 宗教学者トレルチは以上のような構図について、プロテスタンティズムには2つあり、ルターやカルヴァンのそれは古プロテスタンティズムで中世に属し、バプテストは新プロテスタンティズムで近代に属する、と述べている。
 同じプロテスタンティズムでも、古プロテスタンティズムは地域に密着した教会を基盤にしている点でカトリックと同じであり、これに対して新プロテスタンティズムはそうした基盤がない代わりに地域を越えて絶えず信徒を増やしていこうとする。
 「破門」も、カトリックや古プロテスタントにおいては教会からの追放であると同時に地域社会からの追放でもあったものが、新プロテスタントにおいては、教会からの追放ではあっても、他の社会生活は従来と変わらず営むことを認めている。つまり、個人の信仰と地域社会が分離したわけである。
 なお著者は、後の章で、この新プロテスタンティズムが米国の国柄を作り、米国流資本主義を生み出し、現代の新自由主義にもつながっているのではという示唆を行っている。

 第6章は保守主義としてのプロテスタンティズムについて述べられている。
 以上の説明からも分かるように、(古い)プロテスタンティズムは地域と密接につながることでその営為を行っていた。普仏戦争にプロイセンが勝利してドイツ帝国の統一が成し遂げられると、それはプロテスタントのカトリック(フランス)に対する勝利と意味づけられ、またプロテスタントはドイツ皇帝に忠誠を誓いつつ革命(フランス)や唯物主義・啓蒙主義・無神論・人間中心主義と戦わなくてはならないともされた。つまり、プロテスタンティズムと保守主義が結びついたのである。
 第一次大戦でドイツが敗れると、プロテスタンティズムと対立していたカトリック中央党と社民党が前面に出てきたという指摘も面白い。
 ナチに対するプロテスタントの態度は一義的には言えないが、少なくとも明瞭に批判的であったわけではないし、一部迎合する牧師もいたことは否定できない。ルターの反ユダヤ主義もナチに利用された。

 さらに、戦後の西ドイツにあって長らく、プロテスタントとカトリックの二大宗派が特権的な立場を維持し、公立学校での宗教の授業を独占しつつ、税務署経由で教会税を市民から徴収してもらっていた、という重要な指摘が第6章の後半にある。これはドイツという国家・社会を考えるにあたって忘れてはならない点であろう。
 ただし公立学校での宗教の授業に関しては、州によっては現在ではユダヤ教、イスラム教、仏教も取り入れられている。いずれにせよ宗教と公的な場所を分離するフランスや憲法で国教を持つことを禁じる米国とは、ドイツは明瞭に異なっているのである。

 また、ドイツのルター派教会は戦後ずっと礼拝に訪れる市民の数が減り続けてきたが、21世紀になって増加に転じているという。著者は、ドイツは移民が多くなっているので、「ドイツ人しかいないルターの教会」に安らぎを感じる人が増えているのでは、と推測している。

 以上、ルターの改革について現代の学問で判明している限りで分かりやすく説明してくれ、またその後のプロテスタンティズムの流れを、現代米国の資本主義に至るまで関連づけながら多方面から解説してくれる良書であると言えるだろう。

 以下、些末な疑問点を。
 キリスト教はヨーロッパを軍事的あるいは政治的圧力のもとで支配したのではない、と最初のあたりで述べているが(9ページ)、いわゆる北の十字軍が軍事的にキリスト教支配を広めたことは知られているはずで、キリスト教と軍事支配の関連は否定はできないのではないか。

 ワープロの打ち間違いなどに起因するらしい文章のおかしな箇所が散見された。
 ・「ドイツの騎士などには早くから理解され。」(36ページ)
 ・「聖書はラテン語訳への聖書がいわば公認された聖書で」(58ページ)
 ・「解決ための道筋は」(79ページ)
 ・92ページ、後ろから5-4行目の文章
 ・118ページ、3-5行目の文章

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今年映画館で見た60本目の映画
鑑賞日 5月2日
シネ・ウインド
評価 ★★★☆

 英・仏・ベルギー合作、ケン・ローチ監督作品、100分。

  ケン・ローチ(1936~)は英国を代表する映画監督。いったん引退を表明していたものを撤回して本作を撮影したというので話題。カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品。

 いわゆる格差社会のお話である。英国北東部の中堅都市ニューカッスルが舞台。
 ダニエルは妻に先立たれ子供もいない59歳の大工。心臓が悪いので医者に仕事を控えるよう言われるが、生活に必要なお金を役所からもらおうとしても手続きが煩瑣で思うに任せない。
 そんな彼は或る日、手続きのために訪れていた役所で、ロンドンから引っ越してきたばかりのケイティと知り合う。彼女は幼い子供ふたりを抱えたシングルマザー。ロンドンは家賃が高くて暮らせないので、家賃の安い地方都市のアパートを紹介されて移ってきたのだった。しかし幼い子供ふたりに縛られ、特に手に技術があるわけでもない彼女が就ける仕事は限られている。そんな彼女を見てダニエルは手を差し延べるのだが・・・

 英国の役所のいわゆるお役所仕事ぶりにまず驚いてしまう。失職手当てをもらうために仕事を探して得られないという証明が必要だという下りにもである。手続きがインターネット化されていて、パソコンが不得手な老人にはますます煩瑣になっている実情もしっかり描かれている。また、黒人など下層移民もダニエルの隣人として登場する。

 日本も格差社会と言われて久しい。そもそも先進国の中では日本は生活保護を受ける人の割合がダントツで少ないから(日本では生活保護の不正受給ばかりが騒がれるが、こういう事実をちゃんと認識しておこう!)、この映画よりひどい実態もあるかも。そういうところをしっかりと描く映画、日本でも作る人いませんかね。

 東京では3月中旬の封切だったが、新潟市では1ヵ月少々の遅れでシネ・ウインドにて上映中、5月19日(金)まで。

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 この日も前日に続いて2公演を聴いた。

【323】
15時開演
りゅーとぴあ能楽堂
正11列 1500円

プソフォス弦楽四重奏団

シマノフスキ:弦楽四重奏曲第2番
ジョン・アダムス:「舞曲についてのジョンの書」

 第一ヴァイオリンとチェロが男性、第二ヴァイオリンとヴィオラが女性というカルテット。演奏自体は素晴らしかったと思う。

 が、曲が曲なので、シマノフスキはまだしも、ジョン・アダムスの曲は4人以外に録音で別に音が入るというシロモノで、なおかつ曲自体が私にはあまり、いや、全然面白いとは感じられない。正直、寝る寸前であった。
 もう少しオーソドックスなプログラムで聴きたかったな。最初に書いたように、演奏の実力はあるので、次回はぜひ正統派プログラムを携えて新潟に来て欲しい。
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 プソフォス弦楽四重奏団


【334】
17時30分開演
音楽文化会館
12列右寄り 2000円

トリオ・エリオス

チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」

 ヴァイオリンが女性、ピアノとチェロが男性というピアノトリオ。
 最初にヴァイオリンとチェロの音を聴いて、これは行ける!と思った。いずれも音がよく出ていて、ややデッドな音楽文化会館のホールでも十二分に響いている。

 紙のLFJパンフにはこの団体についての解説が載っておらず、当日配布されたプログラムおよびLFJ新潟2017のサイトに載っている説明では以下のようなメンバー。

 ヴァイオリン=カミーユ・フォントゥノ、チェロ=ラファエル・ジュアン、ピアノ=アレクシス・グルネール
 「パリ国立音楽院内で出会った3名によって2014年秋に結成。現在、トリオ・ヴァンダラーとエマニュエル・シュトロッセのもとで室内楽を学んでいる。2015年、イルザック国際室内楽コンクールで第2位および聴衆賞。2016年、パリとレンヌでソリストとしてベートーヴェンの三重協奏曲を演奏した。」

 ヴァイオリンは緊張感に満ちた表現でひたすら音を出していく感じ。チェロも音は朗々とよく響いているが、ヴァイオリンに比べると緩急を心得ているというか、やや余裕が感じられる演奏。ピアノは、もちろん盛り上げるべきところは盛り上げるのだけれど、肩の力が抜けていて、洒脱な感じ。

 この3人の演奏によるチャイコフスキー、ヴァイオリンがチャイコフスキーのロマン性を歌い上げる一方で、チェロが曲の奥行きを出しており、ピアノがフランス的な洒脱感を表現。それでいて全体が非常によくまとまっているのである。

 音楽文化会館の座席にはまだ余裕があったようだが、満席でもおかしくない演奏であった。また新潟に来て欲しい。 
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 トリオ・エリオス

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 前日から始まったLFJ新潟2017。私はこの日から参戦し、2公演を聴いた。新潟の天気は曇りで風が強く一時通り雨だったが、夕刻にはすっきり晴れた。

【213】
15時開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
3階Iブロック1列目 2000円

上野星矢(フルート)
ユリアンナ・アヴデーエワ(ピアノ)
シンフォニア・ヴァルソヴィア
ディナ・ジルベール(指揮)

バッハ:管弦楽組曲第2番
グリーグ:ピアノ協奏曲

 最初に予定されていた庄司紗矢香がキャンセルしたため、レスピーギのヴァイオリン協奏曲のはずが、代役によるグリーグのピアノ協奏曲にと大幅な変更があった演奏会。しかし代役のアヴデーエワは2010年にショパン・コンクール優勝という実力者。短めの緑のドレスと黒いスラックスという恰好で登場。指揮者のディナ・ジルベールも女性で、カナダ生まれだそうであるが、欧米人としては小柄。ショルティ国際コンクール優勝の実績がある。

 前半のバッハは、長身ですらりとした体型の上野星矢が見事なソロを披露。オケも悪くない。バッハなので、6-6-4-4-2という小編成だが、音量には問題なし。バッハの曲の中でも有名な作品だが、実演で聴く機会は案外少ない。ソリストもオケも申し分のない演奏だった。

 さて、後半のグリーグは、さすがショパン・コンクールの優勝者だけあってこれまた申し分のない演奏ではあった。ただ、この曲、2年前のLFJでも別のピアニストでやっており、あの時はシャニ・ディリュカの鮮烈な演奏に目が覚める思いがしたものだが、今回はそこまでの感銘はなかった。まあ、座席がちょっと遠かったせいもあったかも知れない。ちなみにオケはあの時と同じ。弦の編成は大きくなり、12-10-8-6-4。

 客の入りはよく、1階は満席、2階のBCDブロックも満席、AとEも満席に近い。背後のPブロックにも多少客が入っていた。3階も私のいたIブロックとその両隣のH・Jブロックにかなり客が入っていた。

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上野星矢
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ユリアンナ・アヴデーエワ


【214】
17時30分開演
りゅーとぴあ・コンサートホール
2階Cブロック6列目 2000円

辻彩奈(ヴァイオリン)
シンフォニア・ヴァルソヴァ
ディナ・ジルベール(指揮)

サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

 またまたキャンセルあり、しかも今回は演奏会の直前だったよう。そのせいか渡されたプログラムには変更が反映されていなかった。つまり、ヴァイオリンのソリストがニコラ・ドートリクールのはずが、手の故障とのことで、辻彩奈になったのである。
 辻彩奈は1997年生まれで東京音大の学生。昨年、モントリオール国際コンクールで優勝しているそう。赤いドレスで登場。

 最初のサン=サーンスは、技巧的には申し分ないけど音がもう少し前に出てきてほしいかな、と思う。
 が、次のチャイコフスキーになったら、実際に音が前に出てくるようになった。力を籠めて弾いたからか、或いは曲がそういうふうにできているのか・・・?
 第一楽章のカデンツァで、急ぐことなく、腰を落としてじっくりと演奏するのを聴いて、これはすごいと感動した。第一楽章が終わって、指揮者があまり間をおかずに第二楽章に入ろうとしたが、辻彩奈は調弦をしてちょっと指揮者を待たせていて、この辺も大器の片鱗を感じさせたところ。緩徐楽章はむろんそれなりに情緒を籠めて弾いていたが、第三楽章での早い部分も、十分な技巧を見せつつも、とにかく十二分に聴かせてくれるという印象が強く感じられた。演奏が終わると聴衆から大きな拍手と喝采が起こったのも当然であろう。
 日本には優秀な若手ヴァイオリニストがたくさんいるのだなあ。代役ながら、聴いて良かったとしみじみ思えた演奏会だった。

 客の入りも悪くなかったけれど、【213】に比べると少し劣っていたかな。いい演奏会だったのに、聴かなかった人は損をしたね!
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辻彩奈

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評価 ★★★

 出たばかりの新書。著者は1942年ルーマニア生まれのユダヤ人、英国の寄宿学校をへて軍属で英国籍をとり、ロンドン大学で経済学を学んだ後、米国のジョン・ホプキンス大学で博士号を取得。米戦略国際問題研究所の上級顧問を務めるかたわら、各国の大学や士官学校で戦略に関するアドバイスを行っている。本書は、2016年10月に来日したルトワックに訳者がインタビューを行い、それを訳したものを基本とし、ルトワックの論文や講演録からの抜粋を加えてできている。

 タイトルから分かるように、戦争にはそれなりの役割があるのであり、それを無理に中止させると弊害のほうが大きい、という立場から物事を語っている。特に国連創設後は国連がしばしば国際紛争(戦争)に介入して停止させるようになっているが、これはむしろ、戦争が一定期間持続することで当事国の国力が疲弊し厭戦気分が生まれることを阻害しているという。つまり、無理に停止させると当事国の戦意は維持されるので、むしろ紛争が長期間に及ぶのだと。第一次中東戦争(1948-49)や最近のバルカン半島の情勢を見ればそれは明らかではないかと著者は述べる。

 NGOも同様の害悪を流しているという。戦争時に活動するNGOは、基本的に戦争に負けた側に医学的治療や食糧の供給などを行う。これはつまり敗者側の戦力を維持することと同じであり、そのために戦争に決着がつくのが遅れ、戦闘を続けさせてしまうことにつながるのだ、という。

 パレスチナ問題についても、著者は(ユダヤ人だからからかも知れないが)、下手にパレスチナ難民を援助したりせずに放置すれば、今頃はパレスチナ人は遠方に逃亡してそこで新たな居住地域を形成していたはずだと述べる。歴史的に見て、難民というものはそのように振る舞ってきたのに、なまじ国際組織が援助するから問題がいつまでも解決しないのだとする。

 また、国連の平和維持軍が紛争地域に派遣されると、地元の民間人が紛争地域から逃亡する妨げとなり、逆に民間人犠牲者を増やしてしまう場合もあるという。加えて国連軍は自分たちの兵員に犠牲者が出ることを避ける傾向が強いので、現地勢力の強者側につくことになりやすい、という指摘もなされている。

 コソボ紛争におけるNATOによる空爆においても、地上からの反撃を避けてパイロットを守ろうとするあまり、非常に高度を上げてなされたため、爆弾の命中率は低く、何十万人の難民の発生を阻止することができなかったと著者は述べる。

 本書はこのように、戦争というものにはそれなりに存在理由があるし、また下手に阻止しようとすると逆に問題を悪化させたり長期化させたりすると指摘している。

 戦略的な思考というものを学ぶために、一読の価値はあろう。ただ、基本的に口でしゃべったものを本にしているせいか、議論にやや大ざっぱな印象があることは否めない。

 このほか、尖閣問題では日本がはっきりと意思表示をすべきであるとか、北朝鮮問題でも曖昧な態度を続けるのはよくないとか、日本が国連常任理事国になりたいなら、ドイツやブラジルなどと一緒にという戦略はやめて(ドイツやブラジルの常任理事国入りを支持する国などないと著者は述べる)、インドと手を組み、インドと日本が数年交代で常任理事国を勤める案で行くべきだなど、外国人の目から見た日本のとるべき政治的戦略が述べられている。

 なお、疑問箇所を1つ。日本の読者に向けた序文の中で著者は、韓国がベトナム戦争に派兵したのに日本がしなかったのは憲法の制約からではなく自らの独立的選択によってだとしているのだが(4ページ)、はたしてそうだろうか。

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