一昨日の午後、「本学の将来構想等に関する学長との意見交換」なる会が1時間少々の時間を使って人文学部で開催された。将来構想に関して学長が人文学部教員に対して説明を行い、なおかつ教員と意見を交換するという趣旨である。

 最初に学長から、将来構想について20分間ほど説明があった。内容は別にたいしたことではなく従来言われていたことの繰り返しであり、面白くもおかしくもないし、ましてや斬新でも新鮮でもない。つまりは「学長のリーダーシップ」「選択と集中」というようなことであった。要するに新潟大学の財政は芳しくなく、このまま行くと赤字が拡大して倒産もあり得るので、文科省のウケを良くするために「学長のリーダーシップ」を強調しつつ、カネはあまりないので限られた部分に集中配分する、というようなことである。

 そのために学長裁量経費の割合を、文科省の求める5%から10%へ増額し、その代わり各部局に配分されるお金が激減する、ということらしい。後で再配分するという話も出たのだが、具体的にどうするのかはよく分からない。

 学長の説明のあと教員の意見を聞く時間があったので、私は二番目に発言して、4月21日にこのブログに書いたこと、つまり継続ドイツ語図書の購入について質問した。
 独法化以降、教員に配分される教育研究費は半額以下に激減したが、それをさらに減らすおつもりなのか、と訊いたところ、学長はイエスと答えた。それじゃ、教養部時代から買い続けているドイツ語図書を今後買い続けることがもう私にはできませんから、学長のお金で買ってくれるんでしょうねと問いただしたところ、学長の答えはノーだった。学長曰く、「それはあなたが勝手に買ったんでしょう」と。
 あ、分かってないな、と思ったので、改めて私は説明した。
 私が「勝手に」買うことをきめた図書ではない。これは教養部が存在した時代に教養部ドイツ語科として買うことを決めて購入し続けている図書である。ドイツでは辞書や有名作家の全集は何十年という年月をかけて刊行される。教養部解体によって教養部ドイツ語科という購入名目が消失したため、やむをえず私の名義に書き換えて、私の半減した教育研究費で買い続けてきたものである。しかし私に配分される教育研究費をこれ以上削減されるなら、もう買うことができないから、したがって学長に買っていただきたいと言っているのだ、と。
 すると学長は、本当に必要なのかどうかよく考える必要があるとのたもうた。
 冗談ではない。継続図書には例えばグリム・ドイツ語辞典がある。これは日本で言えば日本国語大辞典のようなもの。日本を研究するのに日本国語大辞典が本当に必要なのかと言う輩はいないだろうように、ドイツを研究するのにはこの辞書が必要なのは自明のことなのだ。
 それでも、学長は「ならば私が買いましょう」とは言わなかった。
 まったく、無責任野郎である。昔なら植木等みたいなものだ。もちろんコメディアンのセンスはゼロだけれど。
  「将来構想」にはグローバル化という、まあ陳腐な言葉も入っているわけだけど、外国の文物を研究するのにいちばんの基礎となる辞書すら「必要かどうか」という学長なんだから、新潟大学のグローバル化なんて、絵に描いた餅だね。
 
 そもそも、最初の「あなたが勝手に買ったんでしょう」という答え、あれは何だ!?
 継続図書は上記のように教養部時代にドイツ語科の意志において購入を決めたものだ。しかし、である。仮に私個人の判断で購入を決めたものだったとしても、研究に必要ならばそれを購入しようと思うのは当たり前であろう。「勝手に買った」だと? ならば訊こう。「勝手に」教育研究費削減を決めたのは誰だ? アンタだろう。その責任はどう取るのだ!?  「勝手に」カネを減らしておいて、「あとは知らないよ」で済むと思っているのか!  ったく、どうしようもなくいい加減な男である。こういうのが学長なんだから、リーダーシップなんて取れるはずもないだろう。

 学長と私との問答は他にもあった。
 今までのやり方をさらに強化するというのが今回の「将来構想」の趣旨だけれど、今までこうやってきていいことありましたか?と私は訊いたのである。今までやってきて、それで財政が危機に瀕した、それは今までのやり方がまずかったからじゃないんですか、なのに今までのやり方をさらに強化って、考え方が間違っているのではないですか?
 しかし、学長からの答えはなかった。
 まあ、学長なんてこの程度である。要は文科省のほうだけ向いているので、現場の教員のことなんか全然考えていないのだ。

 これは、私が抱えている継続図書だけの問題ではない。
 実際、学長裁量経費を大幅に増やし学部に降りるカネを大幅に減らしたため、理系学部では学生に実験をやらせることができなくなっている、なんて話も仄聞している。要するに、基礎から崩壊してきているのである。
 それもこれも、学長裁量経費を増やせば文科省から受けるだろう、という浅はかな判断のためだ。基本的に必要なお金まで削って文科省に受けようという卑しい性根しか見えてこない。

 このほか、他の教員からの質問で、学長が「第二外国語」と発言して修正される一幕もあった。英語以外の外国語のことを、現在新潟大学では(新潟大学以外の大学でもおおむね)初修外国語と言っている。大学に入って初めて学ぶ外国語、という意味である。第二と言わないのは、英語が第一と決まっているわけではないからだ。学生によっては英語以外の外国語が第一であることだってある。
 これ、単なる言い間違いの問題ではない。新潟大学で外国語教育の問題が論じられるときは必ず「英語と初修外国語」というような言い方をしているからだ。つまり、学長は新潟大学の外国語教育問題にはまったく通じていない、ということがここから露見してしまったのである。こういう人に教養教育のリーダーシップなんて、とれるわけがない。
 そもそも、新潟大学の外国語教育は1994年の教養部解体以降どんどんお粗末になってきている。外国語の専任教員が激減しているし、初修外国語は大部分の学部で必修をはずされている。どうしてこれで「グローバル化」なんて言えるのだ!? やっていることと言っていることが逆なんだよ。新潟大学は、教養部解体以降、どんどん田舎化している。

 問題は他にもある。カネがないということで、教員の数がさらに減らされる可能性が高まっている。新潟大学人文学部は2016年3月限りで定年などにより辞める教員が8人に達する見込みになっている。ところが8人分そっくり若手教員の後継者で埋められるかどうか、分からない。
 現在の人文学部教員数は67人である(助教・助手を含む)。1998年の人文学部教員数は84人であった。17年間で17人も減ったのである。これ以上減ればどうなるかは火を見るより明らかだ。単に人文学部の教育が成り立たなくなるだけではなく、外国語教育を含む教養教育は壊滅的な打撃を受けるだろう。

 学長のリーダーシップ、なんてものは虚妄だ、と私は言い続けてきた。なぜか。学長は学内のことを知らないからである。
 この点、大学の学長は、特に総合大学の学長は、大企業の社長とは全然違う。大企業なら、若手有力社員には色々な部署を経験させて、その上で部長や常務、専務などの管理職に登用するというのが日本企業のやり方だろう。しかし大学は違う。学長は学長になる以前は或る学部の教員だったに過ぎない。例えば現在の新潟大学長は医学部の出身だ。だから医学部のことはよく知っているだろう。しかしそれ以外の部局のことは知るはずもない。現に、初修外国語という言い方すらご存じなかったわけで、そういう人間に大学全体のリーダーシップなど期待するほうが間違っているのである。

 現在の学長については、これ以外にも疑問がある。こういうことを書くのはどうかと思わないでもないけど、ついでだから書いてしまおう。
 
 新潟大生協では年2回書評誌『ほんのこべや』を出している。新潟大教員や、一部は学生が本を紹介する原稿を書いて雑誌として出し、最近活字離れが言われる学生に読書の楽しみを教えよう、という趣旨である。こういう雑誌は昔はたくさんの大学で出ていたのだが、最近ではあまり出している大学がなく、新潟大は長続きしていて珍しいと言われるくらいである。そして編集者のひとりは私なのである。
 さて、この書評誌の2015年春の号について、学長に原稿をお願いしたら書いてくれた。そこまでは良かったのだが、問題なのはその中味である。学長自身が学生時代に読んで感銘を受けたという『アルト・ハイデルベルク 小説』と伊丹十三の『女たちよ!』の2冊。
 昔読んで良かった本を紹介すること自体は、悪くないと思う。だけどね、せめて1冊は現代的な問題が含まれた新しい本を紹介してほしかったんですよ。こういう本しか紹介できないということは、「私は日頃あんまり読書をしない人間です。だから遠い昔に読んだ本を紹介します」と言っているのと同じなんですけど(実際にどうなのかは知らないけど)、そのことに気づきませんでしたか? そして学長がそういう人間だと思われるってことは、きわめてマズイのだということにも気づきませんでしたか?
 ちなみに、私以外の編集者も同じ意見であったことを付記します。

 最近出た今野晴貴『ブラック企業2』(文春新書)では、大学のブラック化も指摘されている。東北大学がブラック化して、院生や助手の自殺などが相次いでいるという。新潟大学はまだそこまで行っていないのかも知れないが、このまま行くと間違いなくブラック大学の仲間入りである。
 私はそれでも3年後に定年だからまだいいけれど、若手のためにも、「学長のリーダーシップというバカの一つ覚えはやめろ!」「傾斜配分ではなく、むしろ悪平等を復活させろ!」と叫んでおこう。なお、傾斜配分がいかにダメかは、このブログで紹介したこちらの本でもちゃんと説明されている。新潟大学長は読んでいないかも知れないが、心ある方は最初のあたりだけでいいから、読んでみましょう。