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評価 ★★★★☆

 昨年春に出た中公叢書の一冊。
 著者は1955年生まれ、京大文卒、同博士課程中退、阪大教授。専門はドイツ近現代史、日独文化史。

 本書はタイトルどおり、ドイツの作曲家ワーグナーがどのように明治の日本で受容されたかを発端として、西洋クラシック音楽の日本への移植そのものが孕む問題について論じたものである。

 明治維新とともに西洋の文化は(欧米の文化は世界標準だという意識とともに)日本に輸入されたが、中でもクラシック音楽は移植が最も困難な分野であった。医学や工学と違い実用性に乏しいということもあるが、何より西洋クラシック音楽の根幹をなす体系(平均律、和音など)は日本古来の邦楽とは相容れないもので、明治初期の日本人には西洋の音楽は(例えばソプラノの独唱は)聴くに堪えない奇妙な音でしかなかった。逆に西洋人、特に日本文化に理解を示した西洋人にとっても、邦楽の音は聴くに堪えない雑音でしかなかった。これは、音楽の美が「普遍的」なものでは決してなく、その体系に慣れ親しむという過程をへないと「美」を感じ取ることなど不可能という事実を示している。

 そんな明治の日本において、作曲家ワーグナーは偉大な芸術家として早くから称揚されていた。不思議なことに、と言うべきであろう。当時はレコードもCDもない。音楽は生演奏でしか聴けない時代だった。そんな明治の日本では、例えばベートーヴェンの英雄交響曲ですら東京音楽学校(現在の東京芸大音楽学部)の学生によって第1楽章だけがかろうじて演奏される程度であった。まして、多数の楽器演奏者だけでなく歌手や舞台美術家などを要し、演奏に長時間を要するワーグナーの楽劇が演奏されることなどあり得なかったのである。実際、ワーグナーの楽劇が日本で完全な形で上演されたのは、第二次世界大戦後のことであった。それまでの日本人は、当時はごく少数者の特権だったヨーロッパ留学や旅行が可能な人間以外は、限られた序曲や、ピアノ版で楽劇の一部を聴く程度のことしかできなかったのである。

 また、ウィーンやベルリンで実際にワーグナーの楽劇を鑑賞する機会があった少数の日本人にしても、クラシック音楽の素養もろくになかったのに、はたして複雑なワーグナーの楽劇をどの程度理解していたのか、怪しいものだった。実際、当時ヨーロッパでワーグナーを生で聴いて感激した日本人の書いた文章を読んでも、音楽の細部を理解しているとはとても思えず、要するに偉大な芸術家の作品に接したという事実に酔っていることが分かる程度だという。

 にもかかわらず、明治時代、ワーグナーを論じる日本人は多数に及んだ。なぜか? 要するに、彼らはワーグナーの音楽を本で読んで理解した(気になっていた)のである。当時はヨーロッパでもアメリカ合衆国でもワーグナーの音楽はしばしば上演され、またワーグナーについて文学者を含めて多数の人間が議論を闘わせていた。欧米ならワーグナーの楽劇を実演で聴くこともできたが、明治の日本ではそれはあり得ない。しかし文献だけは早くから入ってきていたので、ワーグナー論だけは欧米並みに展開されていた、というわけである。

 著者は、しかし、そうした日本のワーグナー移入を必ずしも邪道だとか、上滑りだとか言って非難しているわけではない。欧米のワーグナー熱にしても、実演に接する機会はあったにせよ、はたしてワーグナーの楽劇を十全に(音楽として)理解した上でのことだったのか、と著者は問いかけている。何かに熱をあげて議論を闘わせるという行為には、必ず上滑りや、実態を知らずに論じるという部分があり、その点では日本のワーグナー熱も、むろん欧米に比べればワーグナー知らずのワーグナー熱という度合いが高かったにせよ、本質的には変わりはなかったのではないか、と述べる。そしてクラシック音楽の日本移入にはそういう面が目立つのではあるが、文化を移植するということはそういうことなのだ、とも。

 以上、本書の概要を述べた。本書はしかしその細部においても面白い箇所が多いので、クラシック音楽に興味のある人は是非手にとって読んでみることをお薦めする。明治時代に西洋音楽を日本に移植するのに尽力した伊沢修二の実像や矛盾、お雇い音楽教師の顔ぶれと人脈、初期の音楽留学生たちの葛藤など、著者の筆は広い範囲に及ぶ。
 音楽と言えばドイツ(語圏)というイメージがあるが、戦前、東京音楽学校に招かれた独墺圏のお雇い外国人も、実は英語で講義ができることという条件つきだったという指摘には蒙を啓かれる思いがした。東京帝大の哲学系のお雇い外国人(独墺系)もそうだったという。戦前から日本は外国語というと英語一辺倒だったのだ、と改めて思い知らされました。
 また、芥川龍之介は戦前の文人としてはクラシック通で通っていたが、実はクラシック音楽がどの程度分かっているか自分でも懐疑的だったと知って、驚いた(芥川のエッセイにもワーグナーが出てくる)。逆に言えば、戦前の日本ではクラシック音楽理解はその程度だったということでしょう。

 最後に細かいことで済みませんが――ヴィルヘルム皇帝時代のドイツ(人)の拝金主義や俗物根性や軍国主義を批判する人間が多かったと述べた箇所で、「詩人ホフマンスタールもヴィルヘルム時代の自国人を唾棄した一人である」と書かれているのだけれど(327ページ)、ホフマンスタールはオーストリア人であり、ドイツ人ではありません。

 なお新潟大学はブラック化していて本書も入れていないので、県立図書館から借りて読みました。