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評価 ★★★

 十年あまり前に出た本。出た当時すぐ研究費で買っておいたのだが、ずっとツンドクになっていた。今回、必要があって読んでみた。著者は1951年生まれ、パリ第一大学教授、専門は近現代における知識人および文化制度の歴史。

 タイトルから何となく予想されるのとは、やや内容が違っていた。一般に、「知識人」という言い方はフランスの19世紀末から20世紀初頭にかけて起こったドレフュス事件を機として生まれたということは、或る程度ヨーロッパの歴史や文化を勉強した人間には広く知られているが、この本はそのあたりの事情を詳しく述べているというよりは、ドレフュス事件やその当時のフランス文化・社会について或る程度の予備知識を読者が持っていることを前提として、社会学的な細かい分析を行っているところに特色がある。分析対象はあくまでフランス(知識人・社会)であり、知識人一般ではない。

 第1章では知識人の先祖について述べられている。文人、芸術家、および科学者がそれにあたるようだ。文人は古い概念で、作家や詩人だけでなく哲学者や科学者も含んでいたが、近代ではあまり使われなくなった。また、昔は芸術家崇拝がよく見られたが、近代が進むにつれてそれが科学者崇拝に変わっていくということである。「知識人」という言い方は、1890年代に文芸雑誌で政治にケチをつける若い人間が他への優越性を示すために使った、というのが始まりらしい(58-59ページ)。

 第2章では、19世紀も後半になると、それ以前の名望家支配が低下し、教育の浸透により能力主義が前面に出てくるという背景が指摘されている。つまり、かつては貴族などの富や名声を持つ者でなければちゃんとした教育も受けられず、したがって支配層に入ることはできなかったものが、富と知との関連が薄くなり、純粋に知を根拠として指導者層に達する人間が増えてきたわけだ。ただし金融財閥を牛耳っているユダヤ人への反感も強くあり、また細かい論点をめぐる諸派の対立も多いので、大筋はそうでも、具体的な政治的過程がすっきりとこれで説明できるわけではない。著者の記述はかなり細かく、屈折しており、非フランス人からするともう少し整理して書いて欲しいという気がする。

 ただ、グランド・ゼコールの学生(卒業生)やいわゆるノルマリアン(高等師範学校生・卒業生)のエリート意識を含む政治性が増大していった点は重要。

 第3章では、それ以前の「芸術のための芸術」論が衰退し、芸術家にあっても政治性が強まっていった時代背景が論じられている。また、検閲制度があった当時、検閲による表現の自由への規制に対して抗議するという形での政治性も生まれやすかった。

 第4章では、ドレフュス派・反ドレフュス派とも署名集めをしたわけだが、その内容や、どのような立場の人がどちらに加担したか、知名度や地位ではどうか、などかなり細かい分析がなされている。

 第5章では左派知識人と右派知識人の分析である。ドレフュス派が左派で、ノルマリアンや高等研究院、古文書学校などの所属者が多く、右派=反ドレフュス派は法科(法律を学ぶ者は既存の権力に近かった)である。年長の正教授は反ドレフュス派に多く、若手はドレフュス派が多い。むろん、統計的に見てそういう傾向があるということで、こちらなら絶対(反)ドレフュスと決まっているわけではない。また、パリはドレフュス派が多く、地方は、場所にもよるが、反ドレフュス派が多い。宗教では、カトリックは反ドレフュス派、ユダヤ人やプロテスタントはドレフュス派。さらに、作家で名のある人は反ドレフュス派が多かった。ゾラはどちらかというと例外的存在だったわけだ。

 最後近くで著者は興味深い具体例をふたり挙げている。靴職人の息子として生まれ、努力によって大学の正教授となった人物は、反ドレフュス派だった。つまり下層階級の生まれである彼は、既存のエスタブリッシュメントに肩入れすることで自分の地位を確認する必要があったのだ。これに対して、裕福な家庭に生まれいわゆる文化資本に恵まれた育ち方をし、高等研究院の教授をしていた人物は自由主義者で、ドレフュス派であった。(254ページ)

 知識人、という言い方はフランスではポジティブな意味だが、ドイツやアングロ=サクソン諸国では軽蔑のニュアンスを帯びる、と著者は言う(261ページ)。ロシアではまた別の事情があるとも。日本ではどうだろうか。 

 また、19世紀後半、ドイツの大学教授は親が大学人や知的職業(医者・文人・聖職者)である比率がフランスより高い、という指摘もある(264-265ページ)。ただし、これはフランスの特質を強調するための指摘で、ドイツ知識人について分析をしているわけではない。

 巻末付録には各種データの数値や、ブルデュー式の、ドレフュス派と反ドレフュス派の4象限の図も載っている。

 以上、本書は内容がかなり細かく、また知識人といってもドレフュス事件当時のフランスのことに限定して論述しており、ドレフュス事件を或る程度知っていることを前提にして記述が進むので、そういう前提を承知で読むなら或る程度の知識は得られる本である。

 訳は、もう少し分かりやすくできないかな、という気がした。