評価 ★★★★
出たばかりの新書。著者は1967年生まれ、慶応経済卒、早大大学院博士課程中退。現在、参議院議員、表現の自由を守る党党首。東工大、早大、東大の非常勤講師なども務めている。
本書は、児童ポルノ禁止法によって表現の自由が大きく侵害される恐れがあると訴え、なおかつ著者が国会議員としていかにそれを阻止すべく闘ってきたかを説明した本である。
冒頭、短い物語が掲げられている。或る少女漫画家が、その作品が児童ポルノ禁止法に抵触するという理由で仕事ができなくなったばかりか、すでに描いた漫画の原稿を所持していることも法律違反になるので破棄せざるを得なくなる。電子媒体で海外サーバに所持しても警察につかまってしまう。また日本のマンガ文化に大きな役割を果たしてきたコミケが開催されなくなてしまう。TPPにより著作権違反が非親告罪(著作権を持つものが訴えなくとも警察につかまる)と化し、二次創作(有名作品のパロディ)が不可能になってしまったためだ。
上の物語を受けた序文で、著者はこのような物語は日本でも実際に起こる可能性があると言い切っている。実際、お隣の韓国では、日本の児童ポルノ禁止法にあたる法律が、2011年の改正によってアニメ・マンガ・ゲームなど架空の児童を描いた創作物も児童ポルノとして取り締まりの対象になることになり、結果として2012年には2千人あまりが逮捕されてしまったという。これにより韓国のマンガ産業は壊滅的な打撃を受けた。
日本でも一歩間違えば同様の事態が起こりえるのだ。(現代の日本では、実在の子供を撮影したポルノは違法だが、小説や、架空の児童キャラを描いたマンガやアニメは罪に問われない。)
以下、日本においては児童ポルノ法の制定およびその法解釈において、著者の努力等もあって、韓国と同様な事態はかろうじて避けられたという事情が説明されている。日本の国会議員にはマンガ好きを自称する人も複数いるけれど(元総理の麻生某など)、表現の自由ということについてあまり深く考えていないことが分かる。昔の手塚マンガは健全で最近のマンガは堕落しているという意味のことを言う議員もいるようなのだが、かつて手塚マンガがどれほどPTAの攻撃にさらされたか、そのことを手塚が自伝でどれほど強調しているか、代議士先生はご存じないらしい。日本のマンガ文化を世界に広めようなどとのたもうなら、その程度の勉強はしてもらいたいものだ。
本書はこのほか、上記の著作権侵害非親告罪化の問題、通信の秘密が電子メールに適用されるかという問題、有害図書と軽減税率の問題、青少年健全育成基本法の問題など、関連する問題とそれに対する著者自身の取り組みについて述べられており、非常に参考になる。
しかし、本書の中で最も注目べき部分は、第3章「国連からのふたつの「外圧」」であろう。2015年10月、国連人権委員会の特別報告者であるマオド・ド・ブーア=ブキッキオ女史が、記者会見で「日本の女子学生の30%が援助交際を行っている」と発言した。日本が児童売春大国であると世界に誤解されかねないこのトンデモ発言に対して、著者によると政府や外務省は当初は無関心だったというのだから驚きである。
ここで著者は国連人権委員会の特別報告者がどういう存在なのかを説明しつつ、同時に、日本の表現規制が外圧を根拠としてなされてきた歴史を語っている。2009年に国連女子差別撤廃委員会(上記の人権委員会とは別)から「女性に対する強姦や性暴力を内容とするテレビゲームやマンガの販売を禁止する」よう勧告を受けているのである。2014年に日本が児童ポルノ禁止法を改正しようとした際に、マンガ・アニメ・ゲームの規制を入れようとしたのはこの勧告によるところが大きいという。
ここでまた驚くべきことが指摘されている。勧告は勧告であって強制力は持たないはずなのに、日本国憲法98条は、国内法より国際的な「勧告」を優先すると解釈する余地があるのだという(ただし、文字どおりにそう書いてあるわけではない)。アメリカでは明確に国内法が国際的な勧告より優先することになっているとも。
このあと、著者などの努力もあってブキッキオ女史の発言は撤回されるにいたる。その過程も本書では詳しく述べられている。ともかく海外からの日本に関する間違いだらけの勧告だとか指摘に日本政府や外務省がきわめていい加減な対応しかしていないことが分かる。もっともここで著者は、誰がブキッキオにデタラメな情報を吹き込んだのかという犯人捜しはすべきでないと言っているのだが(132ページ)、私はこれには賛成しかねる。この問題にかぎらず、国際機関の勧告は精確な事実関係をしっかりとふまえないでなされることがある。その理由や、そもそも人選をどのようにやっているのか、きっちり調べたほうがいい。
国連などというとよほど高度な知性を持ち判断力も妥当な人材で構成されているように思われがちだが、今回のこの事件でも分かるように、そうとは限らない。国際主義の名のもとに特定のイデオロギーの宣伝機関に堕していたり、まともな判断力もない人間が重い役割を担ったりという場合もあるのである。そういう人間にいちゃもんをつけられないように、今回の事態がどうして起こったのか、ブキッキオ女史の経歴や、彼女を選んだ側の人間がどういう人たちだったのかを含め、根底的なリサーチを行うべきだと私は思う。
「国際機関」は、下手をすると地球規模のファシズムやスターリニズムの淵源になりかねない。それはIWC(国際捕鯨委員会)の歴史を見ても明らかだ。国連だって例外ではない。われわれは国際機関を自分の頭で評価できるような知性を持たねばならない。