2010年12月10日

 前回書いたhttp://blog.livedoor.jp/amuro001/archives/1849067.html日本における官僚と政治家の関係の続きです。現在の民主党政権は政治主導を主張し、これまでの官僚と政治家の関係を根本的に変えようとしました。しかし、結果として、うまくいっておらず、方向性がはっきりしていないのでないかというのが私の私見です。


 自民党時代の両者の関係について少し考えてみてみたいと思います。55年体制という言葉に代表されるように、自民党は1955年に自由党と日本民主党が保守合同をして結党されたわけですが、党内にはいろいろな者を抱えておりました。よく言われるのが、
吉田茂らに代表される「官僚派」と、鳩山一郎らに代表される「党人派」の対立です。


 多数の者が公職追放されたこともあり、吉田茂は高級官僚を多数登用しました。元官僚は実務を長年担当してきたが故に、政策立案能力に優れ、高級官僚だったが故に、出身母体である省庁(官僚)に対し、にらみをきかせることができたと考えます(逆にこれこそ、官僚主導の最たるものだと言えるかもしれませんが)。


 党人派は党人派で選挙に強く、大衆の望んでいることをいち早く嗅ぎ取る嗅覚に優れており、(選挙に強い者は必然的に)人付き合いに優れていたが故に、根回しがうまく、党内調整、野党との話し合いなどで力を発揮しました。


 ただ、どうしても政策立案となると、前者の官僚派の方が強く、それを法案として成立させる過程の野党や党内調整の中で、後者の党人派が力を発揮していたというのが実情で(実際
、大野伴睦や河野一郎といった大物はこの過程を通しかなりの力を蓄えていきました)、両者はこうしたバランスをとりながら、野党に対して自民党としての勢力拡大を図っていったと考えます。


 しかし、当初こうしてバランスがとれていた両者の関係も次第に変化が見られるようになります。公職追放があり、政治家に空きがあったからこそ、官僚派が政界で力を発揮できる余地があったのであり、社会が安定してくると、大臣になるには、当選回数がものを言うようになってきます。官僚が出世をしてから(高級官僚になってから)、政治の世界に入ってきたとしても、年齢的に当選回数は制限され、以前ほどの権力を保持できなくなりました。その結果、政界入りを考える官僚は、比較的若い者が多くなり、コネも地位も限られているため、以前ほど官僚に対し睨みをきかせることができなくなりました。


 党人派にしても同じで、代替わりをして、二世議員が登場してくるわけですが、彼らは親の地盤を引き継いだが故に当選できたわけで、以前のような党人派が有していた独特の調整能力を保持しているかというとかなり疑問です。


 その結果、官僚に対し、睨みをきかせることができる政治家が減り、官僚が政治家に対して優位に立つようになってきたと考えます。当然政治家がこうした流れを望ましいものと考えているはずはなく、経済がうまくいっているときは特に表面化しませんでしたが、バブル崩壊後はそうはいかなくなりました。


 バブルが発生した原因そのものが、大蔵省による
円高対策の失敗とされただけでなく、その崩壊後の金融危機についても、金融機関に対し、不良資産処理の先送りを示唆した大蔵省の責任が追及されました。実際、1995年の大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件に対する不手際、住専問題処理に伴う巨額の税金の投入、1998年の第一勧銀に対する検査の目こぼしの対価としての接待などに代表される、金融機関などからの大蔵省職員への過剰接待等、大蔵省の不祥事が立て続けに明らかになりました。


 この結果、橋本首相は世論の支持を得て、「行革」に取り組むこととなり、金融ビックバン政策を実施し、金融分野の規制緩和を行うと共に、省庁再編の流れの中で、金融監督庁を創設し、民間金融機関に対する検査・監督の権限を大蔵省から分離して、大蔵省の力を弱めました。
 

 その後、小泉内閣の時代に内閣の政策方針を経済財政諮問会議が議論し、「骨太方針」で決定するなど、大蔵省が従来、予算編に併せて有していた権限を奪い取るなどの動きがあり、政治家(首相)の力が強化されました。しかし、小泉内閣後の首相は短命で、政治家が主導権を発揮できなかったことや、政治が安定せず、政治家が政局に労力を費やしていたこと等から、官僚は徐々にまきかえしをしてきていたと考えます。



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凜amuro001 at 08:42│コメント(0)トラックバック(0)日本政治 │

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