2011年01月23日

 どうもここのところ、ネタ元が『環球網』ばかりとなっておりますが、今日も『環球網』からになります。

 『環球網』に、「你生活在“好中国”,还是“坏中国”」(あなたは「良い中国」に住んでいますか、それとも「悪い中国」に住んでいますか)という社説が掲載されておりhttp://opinion.huanqiu.com/roll/2011-01/1451719.html、これが大変興味深いものだったので、これについて少し。

 この社説の言いたいことは、一言でいうと、確かに中国には悪い面もあるが、良い面もあるので、悪い面だけでなく、良い面も見ていこう。それが物事を全体像を見るということではないか、というものです。

 自分の主張を裏付けるためには、例示(根拠)が必要なので、この社説でも、確かに中国には高級幹部の子弟や、金持ちの二代目等、生まれながらして特権を有するものがおり(教師が生徒に謝罪(湖南省)参照)、公務員試験でもこうしたものに優遇が図られたことがあるが(中国の縁故採用参照)、統計によれば、国家公務員の9割は普通の家庭出身だし、大学入試試験も公平に行われている、ことを挙げております。

 その上で、どこの国に行っても完全な平等などは存在しないのだから、我々のすべきことは、ここから「より公平」な社会を目指すことではないのかと主張しております。

 外国との比較も「きちんと」行われており、中国にはインドのようなカースト制(奴隷階級)もなければ、金が有っても西側諸国の貴族階級のようになることはないし、中国の政治家はアメリカや日本のように、親の地位を受け継いだ「世襲議員」が、全議員の17%から半分近くを占めているというようなこともない、と述べております。

 なかなか、うまい論評です。おそらくこの社説を書かれた方はかなり頭の良い方で、文章を読むとすんなり頭に入ってきて、「そうか、そうか。」、という気になってしまいます。しかし、どう考えてもおかしいのは間違いなく、どこが納得いかないのか、こうしたある意味筋の通った文章を批判するのは骨が折れます。

 もっとも簡単な批判は、中国のところは、良い面も悪い所も見なくてはいけないと言っているのに、外国のことは悪いところしか見ていないこと。中国を全面的に見なくてはいけないと言うのなら、外国も同じはずで、こうした一面だけから外国を批判するのはあきらかに間違っていると考えます。

 論旨そのものですが、ある意味この考え方は仏教に近く、物事は考え方次第でどうにでもなると言っているのだと思います。つまり雨が降っているが、これを客足が遠のくと考えるか、農作物にとって恵みの雨だと考えるかによって、受け止め方は全く異なり、人が苦しでいるのは、自分自身が悪い面を見ているからで、良い面を見れば、楽しく生きていくことができるという発想です。

 ただし、こうした発想は、あくまで内面の、精神の問題であり、苦しまずに生きていくための知恵のようなものに過ぎません。それで納得してしまえば、社会の発展もなければ、改革もありません。

 話として良い面も見なくてはならないというのはわかるのですが、それを権力にある側がいうのであれば、話は全く異なってきます。確かに中国には良い面もあれば、悪い面もある、これは当たり前のことです。しかし、悪い面を何とかしてほしいから、皆悪い面を論じているのであり、良い面だけを論じても、その悪い面が無くなることがない以上、より活発に悪い面が論じられなければならず、為政者たる者、こうした議論を封じてはならないというのは、中国の帝王学の書「貞観政要」にもあったように記憶しております。


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凜amuro001 at 09:35│コメント(0)トラックバック(0)マスコミ(中国) │

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