2011年08月03日

 大学などで非常勤講師をなさっている大野左紀子氏のブログをたまたま拝見する機会がありました。実際見てていただければ一番はやいのですが、彼女が体験した経験というのは大体以下のようなことだったそうです。

  「セクシュアルマイノリティへの偏見や差別をなくしていくには、具体的にどんなことをしたらいいと思うか」についても意見を書いてもらったところ、ある生徒が「幼少の時代にそういう教育をさせれば良い」云々と書いてありながら、最後に「はっきりいってヘドがでるけどナ」と書かれており、この「ヘド」は、「(性)教育」に向けられているのか、それとも「男同士、女同士での~事」に向けられているのか、両方なのか判断できない。しかし、いずれにしてもその文面からは、「こういうこと書いておきゃあんたは満足するんでしょ。でも俺はヘドが出るんだよ、悪かったな」という呟きが聞こえてきた。

  一時期ジェンダー論にはまっており、上野千鶴子や小倉千加子等を愛読していた時期もあったことから今日はこのことについて少し。


 こう書くとジェンダー論でもやるのかと思われる方もいるかもしれませんが、自分だったらこの偏見や差別をなくすためにどんなことをしたらよいかという問題にどう回答するかと考えたので、それについてです。

  憲法の講義であれば、かなり早い時期に習うところですが、自由権は制限を受けます。基本的に人は自由権を有していますが、だからと言って何をやっても構わない(自由だ)などと言われれば社会が成り立ちません。実際、殺人の自由や窃盗の自由等がないのは異存のないところかと思います。

  一方、精神(思想)の自由があるので、何を信じ、どのような思想を抱こうが、基本的に自由です。しかし、それを広く一般に公表する(表現の自由)となると、他人の権利を侵害することがあるので、制限を受けます。例えば、他人に対し真実でないこと等を公表すれば、名誉毀損、侮辱罪などの対象となりかねません(「事実」と称して、うその情報により「事実」を摘示し、人の名誉を毀損するのが名誉毀損罪、具体的な「事実」とされるものを明示せずに単なる、侮蔑的表現等を他人に使う場合が、侮辱罪)。

  斯様に刑法罰の制限の対象となるだけでなく、民事的責任に問われる可能性もあります。それ以外にも人はむやみに自分のプライバシーを侵害されない権利を有していますので、プライバシーの侵害、個人情報の保護という観点から制限を受けることもあります。

  ここから先はケーススタディ的にもなってくるのですが、では芸能人の場合はどうかとか、政治家の場合はどうかなども想定されます。政治家であれば、彼らがどのような生活を送っているか、どのような思想を持っているかは公共の利益にも関係するので、彼らのプライバシーは一般人より制限されることになります。

  話が大分それてしまいましたが、これらをそのまま性的マイノリティの議論に持ってくれば、性的マイノリティ(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーなど)に対し、どのような感情(差別)を抱こうが自由ですが、それを表現し、公表するとなれば、制限をうけることになります。

  精神の自由の問題は基本的に「法律」でどうこう言う問題というより、「道徳」の問題かと思っております。法律では、ある方が頭の中で何人殺そうが、どれだけ多くの金を奪おうが行動にうつさない限り全く関与しません。つまり性的マイノリティに対する差別と言ったときに、より根本的に心の底から差別を無くそうと考えるのか、それとも差別的対応をなくすことをメインに考えるかによって、全く意味あいが異なってきます。

  確かに理想を言えば、皆差別意識そのものをなくすということができれば一番良いのでしょうが、あまり現実的とは思えませんし、下手をすると個々人の精神まで思想コントロールのようなことをされることにもなりかねません。

  そうしたことを考えると差別的対応をしないようにさせるというのが現実的なのではないでしょうか(もちろん、道徳教育的なことを放棄してしまえと言っているわけではなく、併存的に行うのが必要なのはいうまでもありません)。

 私は基本的にリアリストで、できもしないことをどうこう言うのはあまり好みません。ネットをやっているとよくわかるかと思いますが、確信をもっている人を説得するのは殆ど不可能です。斯様に、実際問題として人から、偏見をなくすのはかなり難しいと思っております。それに偏見も一種の精神の自由である以上、むげに否定すべきとも思っておりません。

  しかし、上に述べたように、それが差別として行動となって表れた場合は別ですので、その場合は法的措置なり、民事的賠償なり、それなりの負担を負わせる形でも、その行動を制限すべきと考えます。

  繰り返しになりますが、最後に結論としてまとめますと、むろんこうした差別に対する偏見をなくす教育は重要だが、偏見をなくすことは難しいし、思うだけなら何を思おうが基本的に自由です。そのため、実際問題としては、その方が差別という行為をするかどうかで判断し、行為を行うのであれば、それを罰するという形で制限していけば良いのではないか、それが私の答えです。

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凜amuro001 at 21:02│コメント(8)トラックバック(0)思想 │

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この記事へのコメント

1. Posted by 通りすがりの者です   2011年08月04日 01:11
>「事実」と称して、うその情報により名誉を毀損するのが名誉毀損罪

民事と異なり刑事上の「名誉毀損罪」は、事実の真偽は問いません。
2. Posted by ohnosakiko   2011年08月04日 02:04
基本的には同じ意見ですが、偏見は対象への無知から生まれそれが差別的言動に繋がることもありますので、対象についてなるべく広範で正しい情報を提供するということは、教育において大切かと思います。
実際、ゲイに対して、セクシュアリティが異なるだけでそれ以外の点はヘテロと変わらず、またヘテロと同じような多様性も持っているのだと知って、偏見を払拭することができた例を授業で見ています。
教育にできることは「偏見をなくせ」と言うことではなく、知識を与え考えさせるということだと思っています。
3. Posted by    2011年08月04日 06:57
>通りすがりの者です 様

 御指摘誠に感謝します。記憶だけに頼りロクに刑法も確認せずに書いてしまいました。大変失礼しました。信用毀損罪等と混乱していたようです。

 本当にありがとうございました。
4. Posted by    2011年08月04日 07:07
>ohnosakiko 様

 コメントありがとうございました。
 確かにおっしゃるとおりかと思います。偏見をなくすことは難しいかもしれませんが、教育により偏見を減らすことは可能でしょうから。
 
 いろいろな学生がいるかと思いますが、今後も御仕事頑張って下さい。
5. Posted by 高田 亨   2011年08月04日 12:36
今日はまたいつもとは違うテーマですね。
フェミニズムに関心がおありというのは意外でした。

私は米系の会社で働いてきましたから、がちがちのフェミニストの上司もいましたし、ゲイの上司も同僚もいました。
今の上司もちょっと怪しいです。

まあ世界が誇るゲイの都サンフランシスコ界隈の会社なので当たり前かもしれませんが。

また、嫁がタイ人なのでゲイやオカマの友達は沢山います。
そもそも、タイはオカマが第三の性として半ば認められている国ですから。
そういうのを見ていると私自身はセクシュアルマイノリティに対しては、なんとも思わなくなってしまいます。
感覚が麻痺してるということかもしれませんが。

日本にもゲイの方が少なからず、いらっしゃるのでしょうけど
やはり絶対数としては少ない、またカミングアウトしにくい環境なので余計に差別があるのでしょうね。

道徳として言うなら、古今東西セクシュアルマイノリティは非道徳的とされていることも多いですからまた複雑ですよね。

何が良いのかは私にも分かりませんが、ただ世の中の方向としてセクシュアルマイノリティにも権利を与えていくのは間違いないでしょうから
彼らを保護する道徳教育、そして差別行動に対する取締は今後強まっていくことになるのでしょうね。

6. Posted by    2011年08月04日 22:17
>高田 亨 様

 興味深い話をありがとうございました。

 本当こうしたいろいろな方々がいて、皆違っていていいんだということを自然に受け入れることができるのが理想なのでしょう。

 そうはいっても生理的に受け付けないことがあるのは確かで、頭でわかっていても、私もだめなものはだめなので、あまり人のことをどうこういう資格はないかもしれません。
7. Posted by 高田 亨   2011年08月05日 05:59
ちなみに、私はタイで凄まじく綺麗なオカマを見て、オカマへの偏見がなくなりました。
この世のものとは思えないほど綺麗なオカマを見ていると、性別ごときの些細なことに拘っていた自分が馬鹿らしくなりますww

偏見をなくすためには、実体験が一番なのかもしれませんw


8. Posted by    2011年08月05日 21:08
>高田 亨 様

 確かにそういうものかもしれません、残念ながら私はまだそこまで綺麗なオカマに出会ったことがなく、そこまで達観できていないのが実情です。

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