2011年10月21日

1 世界中の異議申し立て

 リビアのかつての最高指導者カダフィ大佐が死亡しました。ご承知のとおりこれは2010年にチュニジアで発生し、その後周辺各国に広まった民衆による反政府運動、いわゆる「ジャスミン革命」の影響を受けたもので、これまでチュニジアやエジプトの30年以上続いた長期独裁政権を倒しております。

 アメリカでも「ウォール街を占拠せよ」を合い言葉に千人規模のデモ行為が9月17日から続いています。ギリシアでも緊縮財政に反対してゼネストなどが起こるなど世界各国で様々な形で政府に対する異議申し立てが行われています。


2 日本の異議申し立て

 翻って日本を見ると、確かに反原発デモなどが行われておりますが、世界各国で起こっている反対運動と比べるとどうしても規模的に小さいような気がします。別に大規模なものが起こることが良いわけでもないので、必ずしも悪いことではありませんが、思うことがあったので今日はこれについて少し。

 何故日本でこうした異議申し立てが起こらないかというと、良く言われるものとして、日本人の性格的なものに対する言及があり、日本人は他の国に比べておとなしいので、こうしたことが起こりにくいという意見があります。

 実際良く「他の国だったら既に革命が起こっている」云々という意見を述べる方がおりますが、本当にそうでしょうか。60年安保の時などはかなり激しい反対運動が起こっておりますし、終戦直後も様々な異議申し立てがなされました(労働運動の激化や米よこせ大会及び皇居デモなど)。

 そうしたことを考えると、日本人の気質云々というより、日本人を取り巻く状況が変わったことが原因かと思います。60年安保の「敗北」以降、何をしても無駄といったシラケムードなどの広がりといった分析もそのうちの1つになります。

 ただ思うに「シラケ」云々といった分析は学生が異議申し立てをしなくなったことを分析したものに過ぎないのではないでしょうか。つまり学生が何をしても世の中は変わらないという思いが運動に対する関心を低くしたということだけに過ぎません。


3 異議申し立てに対する共感

 言うまでもありませんが、「異議申し立て」が成功するためには、どれだけ多くの人の共感を集めることができるかが鍵となります。そのためには、その活動を行うコア集団の思想に共感できるかということがかなりのウェイトを占めます。

 日本の場合、以前は冷戦の影響から右と左の思想がかなりはっきり別れておりました。そして自民党による保守政権が続いた状態で政府に対する異議申し立てというと社会党、共産党が後押しをする(中心になる)という状態が続きました。

 その結果、例えば本来右とか左といった思想とは全く無関係だった「平和運動」が左よりの人々によって主催されたために、反自衛隊活動等と結びつくこととなり、結果としてそれ以外の人々を排除することになってしまいました(特にシラケムードに対抗するため、共産党の一部が極左化してからは特にこうした傾向が強かったと思います)。

 右翼団体もデモを行っておりますが、街宣車を繰り出した運動がどれだけ一般国民の共感を得ることができるかというとかなり疑問です。こうしたことから、思うに「デモ=自分達とは異なる過激な政治思想を持つ者によるもの」という形でインプットされてしまったことが、日本においてデモ等、異議申し立てをすることが少ない原因ではないかと考えます。

 それ以外にも「一億総中流」という言葉に代表されるように、皆がそれなりの経済的豊かさを享受できたことも無理をして異議申し立てをする必要がなかった大きな原因であることは言うまでもありません。

 しかし、ジニ係数の増大に代表される格差の拡大や長期に渡る不況、それに伴う社会的閉塞感などから不満が募り、一般の人も政府に一言言いたい人が増えてきた。それが現在の日本の状況かと思います。それが今後どのように変化するか予測は難しいのが実情ですが、願わくば良い方向に向かっていくことを期待しております。


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凜amuro001 at 19:09│コメント(6)トラックバック(0)日本政治 │

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この記事へのコメント

1. Posted by 市民   2011年10月21日 20:08
> つまり学生が何をしても世の中は変わらないという思いが運動に対する関心を低くしたということだけに過ぎません。

学生運動が過激化してあちこち爆破し始めて大量殺戮を引き起こして頻繁に内輪もめで鉄パイプ集団が身体障害者を増やし続けていたあの時期を知らないといういう風に解釈してしまうわけですか。
2. Posted by    2011年10月21日 22:46
>市民 様

 ここでは「シラケ」ということだけを挙げましたが、もちろん後の世代の学生が学生運動に参加しなかった理由は他にもあります。

 
「あの時期を知らない」というわけではなく、逆にこうしたことがあった(ことを知っている)が故に離れていった面もあると思います。

 「共産党の一部が極左化してから」云々と上に書きましたが、これは因果関係を逆にしてもらってもよく、暴力行為とかこういうことがあったから皆「シラケ」てしまい離れた、そういう面もあると私は考えております。
3. Posted by 腰抜け外務省   2011年10月22日 03:10
ご貴殿は何を見て日本ではデモが少ないといわれるのか?

昨年来、NHKの偏向報道、尖閣問題、某放送局等へのデモで1000人から1万人近い、普通の国民によるデモが行われている。

私も参加したことがあるが、特に尖閣の問題の時は4000人程度のごく普通の国民が集まり、都心でデモをしている。日本のマスコミは全て無視したが、外電はデモの事実と、その動画を配信している。

しかも、そのデモに対して、沿道の人々から拍手や、応援の声、或いは飛び入りの参加者までいた。

日本でデモが少ないなどと寝言を言う前に、数千人単位のデモが行なわれているという、その事実をまずご貴殿が認識されるべきではないか?

さもなくばご貴殿は、それらの事実を知る人士から、既存マスメディアの報道を鵜呑みにしている「情報弱者」のレッテルを貼られるのは間違いないであろう。

或いはご貴殿は既存マスメディアの提灯持ちか、太鼓持ちとしてしか、今後存在価値が無い「マスコミ人」ということでしょう。

街宣右翼など、もはや覚醒した日本国民にとっては邪魔ものでしかない。彼らの多くが日本人では無いことを、多くの覚醒した日本国民は知っている。

残念ながら、時代遅れの錆びついたデモや、保守派国民の活動に対する認識を改められることをお薦めする。

これらの大規模な、しかも統制のとれたデモは、社会に対する閉塞感などでは無く、国益の観点、社会的な役割を果たさない政府・政党、企業に対して行われている。

かつての安保闘争の様な、破壊行為を伴わないのは、デモへの参加者の愛国心、祖国の秩序を破壊したくないという気持ちの発露である。

ただブチ壊せばよいというような、幼稚な世代と、現在の成熟した保守派国民を、同列に扱わないで頂きたい。
4. Posted by    2011年10月22日 09:03
>腰抜け外務省 様

 今回のエントリーを行うにあたり、昨年のデモのことも想定して書いており、参加された方から意見をもらえたらとも思っていたので、コメントうれしく思っております。

 「社会に対する閉塞感」とだけ書いておきましたが、そこには政治(政府や官僚等)に対する抗議も含めて書いたつもりです。

 「一般の人も政府に一言言いたい人が増えてきた。」というところは、だからこそ最近のようにデモを行う人も出てきたという意味で書いたものです。

 それでも欧米のデモに比べるとどうしてもまだ日本は数は少ない、それは何故か、これまでのこうした歴史的原因があるのではないかというのは論旨です。

 デモが良いものかどうか一概には言えませんが、政府などへの異議申し立てをしたい方は、いろいろな方法でできるようにすべきで、そういう意味でデモもその1つであり、「良い方向に向かって」くれたらというのが私の思いです。
5. Posted by 腰抜け外務省   2011年10月22日 17:24
> 「社会に対する閉塞感」とだけ書いておきましたが、そこには政治(政府や官僚等)に対する抗議も含めて書いたつもりです。

> 「一般の人も政府に一言言いたい人が増えてきた。」というところは、だからこそ最近のようにデモを行う人も出てきたという意味で書いたものです。

先のコメントでは失礼を申し上げました。お詫び申し上げます。

ただ、私が申し上げたいのは「政治に対する抗議」、或いは「一言言いたい」
というレベルでは無く、日本の国益・名誉を平然と棄損し、他国に無用に媚びへつらう勢力に対する、「市民」などという無国籍集団ではなく、覚醒した日本国民たちの抗議行動であるということです。

私も含め、あまりにも日本人は政治に対して無関心であり続けました。そのつけが回ってきたのでしょうが、情報革命により、我が国の置かれている状況が容易に入手できるようになったことが、状況の変化の最大要因でしょう。(その意味では「日本の春」?)

これからデモは増え続けるでしょうし、規模も大きくなっていくでしょう。

ただ、ヨーロッパの様な、お祭り騒ぎ的な感覚のデモは御免ですが。(あれの大半は単に騒ぎたいだけの連中です。)
6. Posted by    2011年10月23日 09:41
>腰抜け外務省 様

 人にはいろいろな思い(信念)があり、それに基づいた行動している方について私がどういう資格などはなく、私もそれについて何か申し上げるつもりもございません。

 ただ、確かにデモにはいろいろな形態があり、もし今後日本でデモの数が増えていけば、これまでと違った形態のものが生じる可能性もあり、どのようなデモが行われる様になるのか、それが多少気がかりではあります。

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