2011年10月30日
以前書いた「深センの農民運動会不参加表明」の続きのような記事「每月一两个 大型运动会是不是太多了」(毎月1、2回大型運動会を開くのって多すぎない?)が『人民日報』に掲載されていたので、これについて少し。 1 規模が大きければ大きい程、参加人数が多ければ多い程、成功と考えるため、「歴史的に最大」であることを追い求める。その結果、参加人数は最初の数倍にも膨れあがっている。中には必要なものがあるだろうが、水増しも多い。こうした「注水運動会」では交通費、接待費、警備費などにも多額の費用が必要となり、何十億元、何百億元という費用がかかる。
1 多すぎる大会
私もこの記事を見て初めて知ったのですが、2011年に中国で開催された全国規模の運動会は、全国中学生運動会、世界大学生運動会、全国少数民族伝統体育運動会、全国障害者運動会、全国都市運動会などが目白押しだったそうです。
それ以外にも来年1月には全国冬季運動会が始まります。その結果下半期は月に1回(ひどい時は月に2回)はどこかで全国規模の運動会が開催されていたわけで、いくら何でもこれは多すぎないかというのが記事のいわんとしていることです。
こうしたことが行われるようになったきっかけは2008年の北京オリンピックだそうです。あの時の熱気が全国を席捲し、いろいろな国際大会も開かれるようになったとしていますが、こうした各種大会を開催することによって中国は世界にさまざまな貢献をしていると記載されているのが、如何にも中国的です。
何にしろこうした運動会は他にもいろいろなものが開催されており、全国紅色運動会、全国智力運動会、全国水上運動会など様々なものがあるそうです。これらが開催されることとなった原因の1つにセクショナリズムがあり、体育総局、教育部、農業部、中国障害者聯合などが、それぞれの意義に基づいて開催しているとしています。
2 運動会の問題点
ただ、当然これだけの数が開催されるとなるといろいろ問題が起こるのは当然のことであり、その1つが以前紹介した深センの農民運動会不参加事件です。深センは形式主義だと批判して開会式には参加したものの、農民を運動会そのものには参加させませんでした。
この記事でも真っ向から全部の運動会を批判できないものの、こうした「非理性的な現象は日に日に突出してきており、人々の質疑と不満を誘発している」として以下の4つの批判を行っています。
2 運動会のために大型の施設が建設されるが、大会後は無用の長物となってしまう。大衆が普段使うのは多様性に富んだ小型施設だ。それに大型施設は郊外に建設されるので、利用するにしても不便で、使う人も少なく、維持費も高い。
3 異なった部門が開催するので、同じ選手が異なった身分で参加することもしばしばで、時には学生、時には農民、時には労働者として参加する。その結果、身分や年齢を偽ったり、ドーピングなども行われることとなる。
4 大会が多くなると、同じような種目が多くなるし、大規模な開会式を開催しても、踊りなどで歴史の紹介をしたり、歌手を呼んできて歌を歌わせたりするが、どうしても同じようなものが多くなり、見る方も飽きる。その結果せっかく開催しても「またか」という感じになってしまう。
3 最後に
結論として、だからこんなに開催する必要があるのか、見直しをすべきではないのかとしております。なかなか辛辣な意見で、なおかつ正論であり、中国の記事にしては読んでいて、久々に納得させらえるものでした。
確かに今の中国は高度経済成長成長に支えられ、「行け行けドンドン」の風潮があり、やった者勝ちのようなところがあります。しかし、上海で不動産価格が値下がりし、高い値段で買った市民が怒り狂うという事件がおこったように、少しづつ風向きが変わってきているのかもしれません。こうした記事が掲載されるようになったのは、こうした背景があるのかと、考えた次第です。
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この記事へのコメント
おっしゃるとおりかと。私は基本的に中国では地方都市でしか生活したことがないので、あまり実感がありませんが、知り合いからは、アメリカの大統領などが来たときは、通行止めなどが行われ、交通渋滞がひどい等、いろいろ不便を強いられたと聞いております。
ま、こうした強権的なことができるのも中国ならで、ある意味何がおこっても不思議ではない国ですから。

