2013年05月03日
『朝日新聞』がシリーズで掲載している「敵がいる」を見ていろいろ思うところがあったので、これについて少し。
1 「敵がいる」特集
因みにシリーズ名を最初に紹介しておくと以下のとおりとなっております。
在日攻撃 牙をむく言葉(敵がいる:1)(4/28)
「北朝鮮」触れられぬ空気(敵がいる:2)(4/29)
沖縄攻撃 ゆがみ増幅(敵がいる:3)(4/30)
監視強まる生活保護(敵がいる:4)(5/1)
「加害者を潰せ」正義暴走(敵がいる:5)(5/2)
如何にも『朝日新聞』といった感じの記事となっておりますので、是非時間のある方はお読みいただければと思います。大きくまとめてしまうと「在日」「北朝鮮」「加害者」など、「敵」にされた者に対する「攻撃」が日本社会で、見られるがこれで良いのかという記事です。
2 「敵」の存在
昔から良くある手法ですが、仲間の団結のために一番手っ取り早いのが「敵」を作ることです。そして、仮に組織(団体)にいろいろの問題があったとしても、「敵」がいる以上、「敵」に対する対応が第一となり、組織に対する批判なども抑えることができます。
斯様にこうした手法にはいろいろ問題があるわけで、例えば女子柔道で体罰問題が起こった時、自分たち執行部の責任を棚上げし、全日本柔道連盟の役員がこうした困難な状況を勝手に「敵」として、いすわりを決めたことなど、こうした手法はどこにでもあります。
そういう意味で私も「敵」をつくる手法は好みません。そして「敵」にされた者がどれだけ苦労するかという話です。
3 大津市のいじめ事件
そういう意味で最も典型的なのが、特集の「5」で、私もこれまで何度か意見を述べさせてもらっている(日本の「いじめ」(大津市の「いじめ」事件より))大津市の「いじめ」事件に関連して起こった事件についての記事です。
この事案は、確かにかなりひどく、加害者の母親と名字が同じだったというだけで、誹謗中傷を受けた方の例が挙げられております。「正義」の「暴走」と言われてもおかしくない事案で、自分たちは「正しい」という信念のもとにかなりひどい攻撃を受けられた様です。
結果、誤解に基づく誹謗中傷だったわけで、こうした行為がどうかというのもよくわかります。しかし、私が思ったのはこれを『朝日新聞』が言うかという所です。
ある事件が起こると集中砲火的な報道をしたり、犯人が逮捕されただけで有罪が確定したかのような報道をしたり、あげくの果てには犯人の写真を間違って掲載するところもあったりで、他人のことをどういう言う前にまず自分達の態度どうにかすべきかと思います(ネットの影響力とマスコミの責任逃れ)。
4 在特会
他にもいろいろ言いたいことはありますが、長くなってしまうので、一番最初の「在日」について述べさせてもらって終わりとします。これは以前にも少しとりあげてことのある(日本の「ネトウヨ」を中国紙が紹介するとこうなるという記事)「在特会」の行動を批判したものです。
私自身も中国滞在時に「日本人」というだけでいろいろあったので、「韓国人」というだけで一概に排斥するような運動には賛成しかねます。しかし、『朝日新聞』の報道の仕方にもいろいろ疑問を感じざるを得ません。
記事では、以前は運動に参加していながら、決別した人が例として挙げられていました。その人が決別する理由として以下のようなことが契機になったそうです。
「ネットで都合よい情報ばかり集めては、身内でそうだそうだと盛り上がっていただけではないか」
立場の異なる人が書いた本を読んでみた。在日韓国・朝鮮人がなぜこの国にいるのか。歴史的な経緯を初めて知った。
具体的に「立場の異なる人」とはどの様な人か記載されておりませんが、記事の感じから言って、第二次世界大戦中の「強制連行」などについて書かれている本を読んだのではないかと推測されます。
私的には、これまで知らなかったのかと思うと共に、だったら、終戦後の「帰国運動」で帰国したはずの韓国(朝鮮)人が何故今もこれだけ日本にいるのかも考えてみるべきかと考えます(朝鮮王朝儀軌が日本にある理由)。
斯様に考えるべき問題は多いのも関わらず、自分に都合の良い方向についてのみ報道するのは如何にも『朝日新聞』的で、私もこうした運動そのものには賛成できませんが、『朝日新聞』の様な報道の仕方にも賛成できません。

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この記事へのコメント
朝日の記事は見るところ、一人の人間が運動に入り込み距離を置くまでの軌跡を淡々と描いてるだけに過ぎないと思われます。
彼は運動から距離を置きましたが、運動の過激化に対して違和感を感じてるのであって、「立場の異なる人の書いた本」の趣旨に心から賛同し、涙を流して悔い改め、朝日の熱心な購読者になった訳ではないのです。
ブログ主様の言われる「考えてみるべき事」を彼はいずれ考えるかも知れないし,考えないかも知れません。思考が移り変わるのには時間が必要であり、彼はその時間の中にいるのです。その思考の遷移の過程にある彼の「今」を切り取った記事を、「自分に都合の良い方向についてのみ報道する」と断じるのは何の根拠があるのでしょうか?彼はブログ主様の求める知的水準に達していないから報道してはならない、とでも?
繰り返しますが彼は「立場の異なる人の書いた本」の趣旨に心から賛同し、涙を流して悔い改め、朝日の熱心な購読者になった訳ではないのです。
「立場の異なる人の書いた本」の趣旨に心から賛同し、涙を流して悔い改め、朝日の熱心な購読者になった
………なんて書いて無い件について。
自分にとってカチンとくる記事があると「おまえの言いたいことはこうだこうだこうにちがいないキィィィィイ」ってなる人いますけど。
あなたは違いますよね?
なにからこんな発言をひねりだしたん?
そこがなんか不思議ー☆(ゝω・)vキャピ
朝日新聞の記事について。
必要な情報を隠匿する事で読者をミスリードし煽動するようです。
安部のミックスについても同様であり購読を止めるに至りました。
一個人の公開するHPやブログと異なり、新聞には社会の公器としての責任があると思いますが、どうも朝日新聞にはその自覚が欠如しているように思えます。
ちなみに、私個人はノンポリであり左も右もありません。
韓国の国是で反日教育、親日罪、1000年恨むと大統領が言いながら、日本に住み反日運動をしている韓国人の変さ、を取り上げないで、在特会の悪さの一部分のみを一方的に取り上げて報道する、朝日の反日自虐体質とその評判をそのままの記事と相まって、
不自然さ,白々しさを感じたのは私も同じです。
この場はコメント者同士が言い争いをする場ではないことは承知しておりますが、私の投稿が誤解を招く表現があったとは思われるのであえて返信の形で追記させていただきます。
私にはブログ主様の後半の論理展開が良くわかりません。取材された彼が「立場の異なる人が書いた本を読んでみた」ことが「自分に都合の良い方向についてのみ報道する」ことと、どう繋がるのか理解しかねるのです。
立場の異なる人が書いたというその本が何だったのか、読んで彼が何を考えたか、彼の意見はその事でどう変わったのかは記事は何も触れていません。彼はただ「ネットで都合よい情報ばかり集めて」いたことに疑問を感じるようになったというだけの事なのです。
ブログ主様は、その辺の記事の抑制を批判します。彼の読んだ本の内容を推定し、その推定の上でその本に対する批判を展開し、さらに朝日が同様の推定をしない事及び推定の上で彼への批判を行わない事を論難しています。新聞社が推定を働かせて報道しないのは「賛同しかねる」とまで言ってるように見えます。この辺の論理展開が私には良く分かりません。
何がブログ主様の筆をここまで走らせたのか?と考えると、何かこう、ありえないような想像をしてしまってるのではないかと思われてしまい、おちょくったような書き方になってしまったわけですな。お詫び申し上げます。
>立場の異なる人が書いた本を読んでみた。在日韓国・朝鮮人がなぜこの国にいるのか。歴史的な経緯を初めて知った。
在日側は「なぜ自分たちは差別されているのか」についての「歴史的経緯」の説明として強制連行以外のロジックは使ってないのだなぁこれが(๑╹ڡ╹๑)
「強制連行」以外のことを「推定できる」ので「推定にもとづいて語るなかれ」という場合はあなたの論理はマルですよ。マル。なのであなたは強制連行以外に推定できるものを並べればそれでいいんですよ。文字を多くしなくても大丈夫だお!!( ´∀`)bグッ!
後半部分は確かに私の推測も入っております。
記事にあった「在日韓国・朝鮮人がなぜこの国にいるのか。歴史的な経緯を初めて知った」という言い方は『朝日新聞』のこれまでの経過から「強制連行」を指しているのではないかと勝手に推測したに過ぎません。
ただ、私が言いたかったのは、いろいろ自分の考えを改めたという方は、単に、ネットの情報からたまたま読んだ一冊の本の内容が「真実」に思え、それを信じてしまっただけではないかという点です。
別にその本が正しいかどうかは、いろいろな見方があるので、私はどうこういう話ではありませんが、そんなに簡単に信じて良いのかと思ったのが今回の出発点です。
そして私が『朝日新聞』に覚えた違和感はこうしたことを正しいとしているかのような報道姿勢です。
もちろん「在特会」の行動も問題がありますが、それに反対する意見を単純に持ちあげるのもどうかと思ったに過ぎません。
おっしゃるとおり、私は「立場の異なる人の書いた本」の趣旨に心から賛同し、涙を流して悔い改め、朝日の熱心な購読者になった」とは思っておりません。
ただ単に、『朝日新聞』が主張したいことに同意したものを好意的に報道する威勢に大いに違和感を覚えたにすぎません。
はじめまして。
私自身この世の中に「真実」などは存在しないという発想に基づいて生きている人間なので、別にマスコミ偏った意見を報道してもある意味仕方のないことかと思っております。
しかし、マスコミの場合、ある特定の意見にしかすぎないものを、如何にも正しいこと(正義)の様な顔をして報道する姿勢にはいろいろ思うところがあり、特に『朝日新聞』にはその傾向が強いと思っております。
本当、こうしたことを報道しないから、逆に「真実」はネットの中にしか存在しないと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。
実際、ある問題が生じた場合、一方だけが悪いということは少なく、もう一方も問題がある場合が殆どですので、少なくとも物事を論じる時には両面から見ることが必要かと思っております。
暫く前、複数の反日ブロガーが一斉に在特会に対して「差別ヘイトクライム」という欧米受けする言葉で在特会攻撃に入ったと思われました。
其処へきて、この朝日新聞の記事で、なんだ反日ブロガーの後追い参戦かよ! 全国紙も落ちたもんだ、と思った人が多いと思いますよ。
当然、反日紙だから、新たな反日ツールの「差別ヘイトクライム」の拡散と思いますね。
今後は、慰安婦⇒セックススレイブ 、とおなじ流れで 「差別ヘイトクライム」が頻繁に見られるようになるのでは。
ついでに 「加害者を潰せ」正義暴走などは、マスコミ週刊誌、朝日新聞の個人版と考えれば、其のままですよ。
確かに私自身「在特会」を支援するつもりは毛頭ありませんが、一方的にヘイトデモだけを以て攻撃するのはどうかと思っております。
反原発デモでもそうですが、最近おとなしいと言われていた日本でもデモが起こる様になり、個人的には望ましい傾向と思っています。
こうした背景には、ネットなどで容易に同好の者が集まれるようになったということがあるわけで、今までのようなマスコミによる世論形成とは全く別の行動パターンで、こうしたこともマスコミ的には面白くないのかと邪推してしまいます。

朝日新聞をずっと読んでいたら、あなたが「いかにも朝日新聞」というような記事は、ずっと、減ってきています。
今回の記事は、朝日新聞としては、かなり がんばって やっと 載せられたものではないでしょうか。
それに対して「いかにも朝日新聞」という言い方をするのは、要するに、あなたは、そういう あなたが「いかにも朝日新聞」的な記事をきらっているということですよね。たしかに甘い部分はあるでしょうけれど、その甘い部分への批判は、あなたが 書かなくても、ほかのメディアがいっせいに 書き立てるにちがいないことです。一方、その「甘い」部分をとりのぞいた、朝日新聞としては ひさびさに がんばって書いた記事の核心は、朝日以外では、ますます、載らなくなっている内容だということをどう考えますか? それでいて、「甘い」部分を揶揄して書くということは、けっきょくは、あなたも朝日たたきをする 多くの他のメディアの記事の側に よりそっているということなんじゃないでしょうか。

強制連行でつれてこられたのでなければ、ほかは密入国かスパイだとでも思っているのでしょうか? そうではないですよね。「日本は朝鮮半島を放棄したんだから朝鮮へ帰れ」ということは、当事者にとっては、出生地の生活基盤を失ったうえに、現在の生活の地の両方で生活基盤が失うことを意味します。解放後の分断から朝鮮戦争にいたる局面で、法的には国籍喪失が確定するまでにも相当の時間があり、あらゆることがあいまいな状況のまま、日本人が引き上げることだけが当然で、日本と同じく米軍の支配下にあった南朝鮮から弾圧や戦火をのがれて日本に渡ってきた終戦後の在日一世のことを「歴史的経緯」として、あなた自身がどれほど学ぼうとしたうえで、この記事を書いたのでしょうか。
在特会の運動を離れたという朝日の記事に出てくる人が読んだのは、まさに、そうした終戦後の在日一世の歴史的経緯なのではありませんか? わたしは、そう“臆測”いたしますが。
私はマスコミは各社によりそれぞれ特徴があると思っており、それ自体は大変良いことだと考えています。
ただ、マスコミは他者を散々批判してきているわけですが、そのためには、まずは我が身をどうあるべきか考えるべきと思っているにすぎません。
「強制連行」については、終戦後朝鮮半島に帰還したものの、朝鮮戦争のごたごたで再度日本に来た「在日」の方も多いわけで、それを彼らの責任にするつもりはありません。
しかし、それが日本の責任かというとこれまた疑問で、それらを踏まえて「強制連行」という話かと思っているに過ぎません。