2013年07月17日

 今日取り上げるのは、最近いろいろ話題となっている「スクールカースト」についてです。


 『J-castニュース』が掲載していた「自分が好かれているかが気になって仕方がない 女子大生悩ます『カースト』問題の深刻」という記事が興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 「女性向けファッション誌・JJ8月号が、女子大生をとりまく人間関係の悩みを『女子大生カースト』と名付け特集を組んだ」ことを紹介している記事です。

 「こうした『スクールカースト』の決定には、一般に人気やいわゆる『モテ』の要素が大きく絡んでいると」して、「『カースト』を感じた女子大生8人の体験談を特集し」ているそうです。

 なお、この特集はSNSとの関連を強調しており、「SNSのカースト最上位は『知らないコや一度会ったコから申請が来る』、最下位は『友達の数が100人以下の、友達の少ないコ』」としております。

 様々な体験談が掲載されており、「私がいない時に、みんなが『いつか行こう』と言っていたカフェに行っている写真をFacebookで見たときは、携帯を握り締めながら心臓のドキドキが止まりませんでした」といったものも紹介されておりました。

 ネットでもこうした「カースト制」について、いろいろ思い当たる方がいるようで、「面白いけど、気の毒」、「俺も中坊の頃彼女さえいれば権力者になれる!って思ってたなぁ」「私は全くカースト上位ではなかったが、『カースト上位に憧れる気持ち』は正直あった。でもねえ、カースト上げる努力より勉学しといたほうが本当にいいよ。女の子達へ」「女子大生って大変なんだなw」といった様々な意見が寄せられているそうです。


2 同調性

 こうした日本的「カースト制」の特徴は、肌の色や成績などによって、明確な基準があるわけではなく、よくわからない内に身分制度のようなものが、漠然とした形でしか出現しないことにあると考えます。

 そして、はっきりした形でなく、こうしたよくわからないもやもやした形でしか出現しないのは、日本独特の同調意識とでもいうべき、変な平等主義が蔓延している結果ではないかとも考えています。

 極端な話、民族差別のように明確な形で現れるのであれば、法律で禁止するなど対処のしようもあるのですが、日本の場合、皆「同じ日本人」なのだから、他人と同じであるべきという意識が強く働いており、露骨な形ではの差別は行えないのではないでしょうか。

 かといって「差別」が存在しないのかと言えばそんなことはなく、「同調意識」を重んずべきというものが最初にあるため、山本七平がいうところの「空気」が形成され、それにうまく乗れるものと乗れないもので、差が生じることとなります(橋下市長の大阪市立桜宮高校の入試中止に関するコメントについて)。

 結果、「同調意識」が強すぎるが故に、全くこうした「空気」に同調しようとしないものを排除するという形で「いじめ」が行われる(カーストの最底辺が発生する)のではないかとも考えています(日本の「いじめ」(大津市の「いじめ」事件より))。


3 わずかな差異

 軍隊や警察組織が典型ですが、階級により、指揮系統が明確化されていれば、こうした問題は生じません。逆に、かつての士農工商の様な形で、「身分」が決まっていたり、肌の色によって上下関係が明確化されていれば同様に問題は生じません。

 皆同じであろうとする以上、わずかな差異で、差別をし、「カースト制」を作りあがていくしかないのが、日本の現状かと思います。

 高校や大学となれば、既に「学歴」という形で学校対学校の明確な「差別」が存在します。本来はこうした「差別」の方が将来の進学や就職にとって、大きな問題となるわけですが、人はあまりに大きな差異を感じると鈍感になってしまいます。

 逆に同じレベルと思っていた者の間でこそ、わずかな差異が見つかると、嫉妬などの感情が起こり、結果激しい「差別」に繋がるというのは、人のどうしようもない性のようなものかと考えます(中国に「反日教育」は存在しない?2(経験則と差別意識について))。


4 最後に

 最初の例でも、例えば、女子大生はわずかな差で「カースト制」をつくっているわけですが、社会にでれば、年齢や職業(大企業か中小起業か)、勤務形態(正社員か非正規か)で否応無しに明確な差が設けられているわけで、こうした差に比べれば、わずかな差でしかありません。

 こうした、差別をなくそうとすればするほど、わずかな差異で、差別が生じるというところが、差別のやっかいなところだと私は思っております。

 あと興味深いのは、学校内の「カースト制」といった場合、あまり成績は重視されない傾向があることです。

 あくまで私の想像ですが、「ガリ勉」は勉強ばかりしており、あまり「空気」を読むことが得意ではないのと、実際はともかく表面上は学歴重視を排除しようという社会傾向があり、そうしたことが影響を与えているのではないかと考えます。



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凜amuro001 at 21:16│コメント(4)トラックバック(0)日本人論 │

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この記事へのコメント

1. Posted by 未熟   2013年07月18日 20:26
大学ではないけど、高校であったかなあ
モテてかわいいイケてる女の子たちが掃除当番に来なくて
残りの子だけでやったけど
ゴメンも言わないで自分はそういう身分なので当然と思っている女の子たち
近代社会の人間として未熟だと思う

身分が上だとそこらにゴミを撒き散らし
乞食の身分がさっさと掃除するインドを思い出す

逆に平等な近代化された社会の洗練された人々は
汚く見えないように周囲を自分でせっせと掃除して
自立を見せ付けるためにいろいろ自分でこなし
コミュ力や社会力を見せ付けるためか、身分や立場を理由に人への接し方を変えるようなことをしない

SNSの友達の数とかも友達の数が多いほど
逆にうすっぺらい人なのだなあと思うけど

狭い社会の思い込みカーストにとどまらず
広い社会を良く見て自分をしっかりと持つのが大事
2. Posted by    2013年07月18日 23:11
>未熟 様

 確かに友達の数を誇るのは、「うすっぺらい人」なのかもしれません。

 自分自身年賀状の数とか、そういうものが多ければ多い程良いと思っていた時期があるので、何とも言えませんが、今にして思うと数だけを誇っても何になるのかとつくづく思います。

 本当に大事なのは、如何に深い関係を築くかという話と自分自身がどういう人間になるかという話かと思うのですが、自分で自分自身の評価をするのはなかなか難しいのが現実ですので、いろいろ目に見えやすいものに頼る人が多いという話かと思います。
3. Posted by Platoon   2013年07月19日 01:22
これって、日本的な問題?その国の文化的な影響を受けて形態は変われど、どこの国でも存在する問題のような気がするんだけど・・・特にアメリカのホームドラマなんかでよく見る「ジョック」と「ナード」とかって一種のスクールカーストみたいなもんじゃない?
4. Posted by    2013年07月19日 04:55
>Platoon 様

 確かにどこまで日本独特の問題かというと、私の持っている印象論しか根拠がないのは否めません。

 ご指摘のあった「ジョック」や「ナード」等との差異はいろいろ考えてみたいところです。ご指摘ありがとうございました。

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