2013年08月29日

 以前にも似たような話題については、触れたことがありますが(教師に対する評価と教育の平等(自由化))、たまたま、生徒が教師の評価を行っている学校があるという話を聞いていろいろ思うところがあったので、これについて少し。


1 事業評価

 「評価」と聞いて私が真っ先に思い出されるのが一時期かなり話題となった事業評価です。民主党政権下で当初は持ち上げられた「事業仕分け」も同じような発想かと思います。

 PDCAサイクルに限らず、事業をやりっぱなしにするのではなく、事業の成果、必要性を検証するということは極めて大事なことで、それなくしては、漫然と必要でない事業が毎年行われてしまうというのはそのとおりかと思います。

 ただ、「事業仕分け」がある意味典型かもしれませんが、どうもパフォーマンスだけで終わってしまったところがないわけでもありません(政治家の「外遊」)。

 というのは、評価をする、それを活かすとなると、それだけの見識と権限が必要となるわけですが、一言で言ってしまうと、理想論的傾向が強かった民主党には(細野幹事長と民主党と理想論田中眞紀子議員を例にした民主党の敗因)、そのどちらも欠けていたということかと思います。


2 評価

 一口に「評価」と言っても単純な話ではなく、どう評価するかという問題が発生します。営業成績などであれば、数字で示されるので、わかりやすい話ですが、成果を数字で表せないものも多くあるのが実情かと思います。

 それに数字化したから良いとも限りません。企業などでも「成果主義」を盛り込もうとした結果、個々人が成果という数字だけを追い求める様になり、社内の横の連携がおかしくなったという話は良く聞きます。

 また、評価を行う者がきちんと評価できるかという問題もあります。基礎研究となると海のものとも山のものともつかないものをやることが多く、ただでさせ何の意味があるのかわからないものが良くあります。

 それが最先端の技術となればなるほど、専門化が進み、他分野の者がどこまで何をしているのか本当にわかっているのかという話もあります(ただ、他人がわからないのを良いことに、結構無茶苦茶をやる者がいないわけでもないのが、情けないところではありますが)。


3 生徒の評価

 ここで、最初の本題に戻るわけですが、私が何と言っても最初に疑問に思ったのが、生徒にきちんと教師の評価ができるかという話です。つまり上の例で言うと生徒に教師を「評価」する能力があるのかということです。

 高校まではカリキュラムがあるので、教える内容(知識的な話)はそれほど問題にならず((学校)教育の目指すものは何か)、教え方という観点かの評価になるかと思います。

 ただ、これも皆から評価をもらうためには万民向けの無難な感じになりそうですし、最後はテストの点数となると、テストで点数をとるための技術論ばかり教えれば良いという話にもなりかねません。

 また、大学以上となると、カリキュラムそのものが存在しないので、教える内容は教師の専門となるわけですが、はっきり言って学部生と教師とでは専門分野の知識においてかなりの差が存在し、普通の学生が本当の意味でどこまで判断できるかも疑問です。


4 評価の必要性

 ただ、それと同時に思っているのが、何だかんだ言ってどうしようも無い教師というものもいるのは確かで、こうした教師を排除する手段としては、実際に授業を受けている生徒の声を聞くというのは大事だということです。

 そのため、事業評価と同じで全否定するつもりはありませんが、やり方を間違えるといろいろ弊害(現場に混乱しか巻き起こさなかった「仕分け」がその最たる例かと思います)が起きるという話です。

 それに、ただでさえ難しいところに、いろいろ加味する用件が多いのも実際のところです。例えば、生徒も自分の身が第一なので、下手に自分が在学している学校の評判を下げるようなことはしたくないと考えて行動にでることもあります(桜宮高校の体罰問題に対する橋下市長と保護者の見解の違い)。

 そのため、世間一般とはかけ離れた発想で行動することもなくはありません(その典型がカルト)。こうしたことを考えても、本当の意味で評価をしようと思えば、加味せざる要素は大きく、より困難ことなるのは間違いないと思っています。



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凜amuro001 at 05:39│コメント(4)トラックバック(0)教育 │

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この記事へのコメント

1. Posted by さや   2013年08月29日 14:45
要するにただの人気投票になっちゃうんですよね。
いい授業やっても、単位に厳しい先生は嫌われ、
いい加減な授業やっても、単位に甘い先生は評価が高くなり。
ま、ここまで単純には言い切れませんが、本質はそんなところでしょう。
過日、NHKの地方局で、小学校の校長が先生を児童に評価させる番組を流してましたが、あほかと言いたい。
校長もあほだし、NHKもあほだし。
2. Posted by k_endou   2013年08月30日 00:17
生徒側からの教師に対する評価ということですが、上記コメントにあるように、評価の位置づけ、目的等を履き違えると、往々にしてポピュリズムに陥ることになってしまうのでしょう。
このケースで指摘しておきたいことは、教育本来の目的から言えば、教育行為の評価は教えた事柄がどれだけ教えられた側にとって、内容の理解に繋がっているかという点から評価されるべきであって、この点から言えば、ある教科なりで行われるテストの結果が、実は教師にとっても自身の評価を如実に示すことになるんじゃないかと思います。
生徒側のテスト結果の捉え方は言うまでもないですが、教師側からしてもテスト結果が悪ければ、自身の教え方が理解度の向上に繋がっていないわけですから、それはそのまま自身の教え方への評価を内包していると捉えられます。
こうした観点から言うと、生徒が出したテストの結果から教師の評価を行うということも、あながち不可能ではないと、言うことができるのでしょう。
3. Posted by 凜   2013年08月30日 21:41
>さや 様

 おっしゃるとおり、「人気投票」になってしまうとうのが難しいところかと思います。

 その際、生徒にあまければ、評価が高いということにもなりかねず、それが本当に生徒のためになっているのかと言われれるとかなり疑問です。

 おそらく1つだけで評価するのは難しいので、複数の尺度で評価することが最低でも必要かと考えます。
4. Posted by 凜   2013年08月30日 21:46
>k_endou 様

 確かにそれも一つの方法かと思います。何をして「成果」とするのが、成果主義の極めて難しいところで、「成果」の指標をきちんと設定するというのが腕の見せ所のような面もあります。

 確かに生徒も悪い点よりは良い点をとりたいでしょうから、意図的に変な行動を取る可能性も少なく、そういう意味からも興味深い提案だと考えます。

 年齢や対象によっても評価の仕方を変える必要があり、一概にどうこう言えない面はあると思いつつ、かといって何もしないのも如何なものかと思っています。 

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