2014年04月16日
今朝ニュースを見ていたらウクライナで親ロシアの反政府勢力の強制排除に乗り出したという記事を放送しており、いろいろ思うところがあったのでこれについて少し。
1 民族
今回はウクライナとロシアの問題ですが、分離独立を求める民族運動の様相も呈しております。そのため、ウクライナとロシアという形ではなく、一般論として少し考えてみたいと思います。
B国の少数派A民族は、隣の国では多数派で、A国はB国より国力が大きいとします。そうするとA国民としては、普段からB国を下に見る傾向があり、その意識はB国にいるA民族でも同じというのが一般的かと思います。
ところがB国にいるA民族は、B国内では少数派となると、経済的にも政治的にも割をくうことになります。
それに、実際問題A国がB国を下に見ていることはB国内では周知のことでしょうから、当然A国に対する悪感情もあり、それが直接向けられるのはB国内にいるA民族となるので、彼らにしてみればたまったものではないでしょう。
2 民族独立
そうなると、B国内のA民族としては、国境の線引きが間違っているという主張をしたいという話で、国境の線引きを変えてくれ(自分たちのいるところもA国に含めてくれ)という話になるのは容易に理解できます。
しかしB国としては国土(土地、資源だけでなくそれに付随する人口)が減るということで、容易に飲める話ではありませんし、もしそんなことが可能であれば、国家にとって最も大事な国境が不安定になってしまうという弊害も起こります。
同じ民族同士が国家をつくるというのはわかりやすい話ですが、個々の事案を見るといろいろ歴史的要因などがあり、ことは簡単ではありません。
それに国に限らずどこの団体でも同じですが、広い意味で、自分たちの利益を守るために団体をつくるのであれば、当然その団体から利益を得るものが出てくるわけで、そういった人たちにしてみれば、現在の枠組みの変更など容易に認められるものではありません。
3 保守と革新
極端に単純化してみれば、保守とは現在の体制から利益を得ているので、現在の体制を変更したがらない人、革新とは現在の体制から思うように利益を享受できないので、体制変更を目指すものといえるかと思います。
そういう意味では分離独立を目指すものは革新、現状の国境を維持しようとするものは保守という話になりますが、物事はそれほど単純ではありません。
保守は現在の体制から利益を受け取れるから現在の体制の維持を望んでいるだけという方も多いでしょうし、革新も自分が利益を得られるような体制が出来上がるとそれを守ろうというするのは良く聞く話です。
4 最後に
他団体との折り合いがつかず、いろいろ紛争が起こるということは良くある話です。紛争が起これば、どちらにとっても利益どころではないわけですが、相手への憎しみなどが先に立つとこうした利益を度外視することも容易に起こりえます。
それが戦争の恐ろしいところで、普段理性的に考えればどう考えてもあり得ない選択肢も人間感情的になると(極限状態に追い込まれると)、選択することもあるという話かと思います。
本来自分たちの利益のために作った団体(国も含む)のはずなのに、この団体を守ることが先に立ってしまうと容易に紛争が起こり、逆に自分たちに不利益になるのはかなり皮肉なことだなと思ったが故の今日のエントリーでした。
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この記事へのコメント
ウクライナ・ロシアの問題と関係ないかもしれないが、今の台湾はどんどん「中華民族」の意識が弱くなって、「台湾民族」という意識が強くなった。「台湾はラトビア・フィリピンなど国と同じ、長い時間で他国から支配される小国です。悲劇な運命から解放することは必要ですから、独立を目指す」ような考え方があった。それは「この119年間、中国と台湾の運命の違う」のせいです。
1895年の下関条約から今まで、中台統一の期間は国共内戦の4年間しかありません。それ以外の114年に、台湾は中国と別な政権がら統治された。だから台湾アイデンティティは作りやすい。・・・中台再統一を目指す中国政府から見れば、この「台湾民族」という意識は一番怖いかもしれない。
おっしゃるとおり、民族とは「歴史」の問題などが絡んでくるので、いろいろやっかいです。
そのため、中国のように「中華民族」という意図的な概念を使ってこの問題をクリアーしようとするところもあります。
アメリカの場合は意図的に民族という概念を捨て去り、「自由」「民主主義」で国をまとめようとしたわけですが、ある意味「人造国家」と考えてもよいのかもしれません。
やはり中国してみれば台湾問題が一番頭のいたいことでしょうが、すでに台湾の人は中国とは違うという意識は強くなっているので、これをどうこうしようというのは無理があるかと思います。
なんといっても、一応日本人は「単一民族」ということで今までやってきていますから。
もちろん、数千年というオーダーで考えると、南方から縄文系の人たちが来たり、大陸から弥生形の人たちが来たりしているわけで、その混交が今の「日本民族」なわけですが。
何より、江戸時代に鎖国をしてその間に「俺の目を見ろ何にも言うな」、「黙って俺についてこい」という文化が成立してここまで来ているわけで。
そういう文化の中では、「異民族」の入り込む隙間がまずない。
とはいうものの、昨今の社会情勢を考えると表面的には「日本民族」でも内面的には「異なる民族」というべき人たちが増えてきたと思います。
そして、そういう人たちには「黙って俺についてこい」が通用しなくなっている。
まあ、自分にしても、どこに連れて行かれるかわからないので「俺についてこい」といわれても、うかつについていく気にはなりませんが。
ある意味、古い世代と新しい世代の間の確執は日本における「民族問題」のひとつの形かもしれないですね。
それと、相互不信もあるでしょうし。
まず、B国の少数民族A国が多数を占めるA国が大国ならばB国にとって大きな懸念になりますが、実はA国が小国でも、B国にとってゆゆしき問題となりえます。
ルワンダはまさにそのケースで、面積的にも人口的にもはるかに大国のコンゴに軍事介入しコンゴの政権に強い影響を与え続けています。
また、A国はB国内のA人居住地を分離独立させることが目的かというと、必ずしもそうではありません。A国にとっては、B国内のA人を利用してB国全体をコントロール下に置きたい、衛星国としたい、あわよくばB国全体を併合したいケースも少なからずあり(ナチス・ドイツにとってのチェコ、現在のロシアにとってのウクライナがそうです)、その場合はA国はむしろB国内の分離独立を「綺麗に」成功することは望んでいません。綺麗に分離してしまえばとっかかりがなくなってしまうからです。
またまた、A国はB国内のA人の急進派を便利な存在として支援しますが、このB国内A人急進派が暴走し、B人と血を血で争う抗争が激化すると、修復不能な溝ができてしまいます。そうすると、紛争地帯と化したB国は、むしろA国にとって重荷となってしまいますが、歴史的な背景から捨てるに捨てられず、泥沼に嵌った状態になることもよくあります。南スーダンなどはそのケースでしょう。
まさに自分たちの利益のために泥沼化を選択したはずが結果的に不利益になってしまうわけで、ここに民族問題の難しさの1つがありますね。
つまり、人種とか歴史とかを「ハード」と考えた場合、思想とか主義主張を「ソフト」と考えるわけです。
そういう意味では、中国やアメリカは「ソフト」面で「民族」を構成していると言えるわけで。
また、現代のネット社会は国境を越えて色んな人が、「ソフト」を共有することが出来るので、今までとは全く違う、新しい「民族問題」が発生する可能性もありますし。
例えば、フランスに住んでいる人でも、日本のアニメや文化を熱愛している人は、「ハード」的にはアングロサクソン(白人)でも「ソフト」的には「日本民族」と言えるわけですし。
集団就職による村落共同体の崩壊で連続性は失われて、保守を名乗る資格がある人は多くが消滅したのではないでしょうか。
高度成長前期の日本政府や中国共産党のような開発独裁型は古い共同体を破壊する側なのですから、明白に革新の立場ではないでしょうか。国家社会主義という呼称が使われることがその実質を表していると思います。
羊頭狗肉の詐称が多いので混乱を招いているだけかと。
今は従来の保守と革新の枠組みに疑問を感じない人が「新保守」と言えるかも知れません。
必要以上の空腹感や食べ物の美味しさも食料不足の時代の名残ですが、今では人間自身の利益に反する働きになってしまいます。
どっちも煽るのが簡単、鎮めるのは難しいです。
私はこの「単一民族」という神話がどうも好きになれません。
アイヌもいれば、琉球民族もおりますし、コメを耕していた人たちだけでなく、サンカのような人たちも存在しておりました。
それらを無視して、日本人は昔からコメを作って○○というのはどうかと思っております。
結果、「普通」と違うものは排除されてしまうという話で、私的にはもっと多様性を求めたいところです。
大変興味深い御指摘ありがとうございます。
本当はこのA国B国のモデルはもっといろいろなことを考えてみたく続きを書こうかとも思っていたのですが、面倒くさくなってやめてしまいました。
場合わけもおっしゃるとおり、様々なパターンが考えられ、様々な状況によって、いろいろなことを考えるわけで、機会があれば、ぜひ続きを書いてみたいネタです。
確かに、一般論として「変化に対して腰が重いのが保守、腰が軽いのが革新」ということが言えるかと思います。
ただ、権益の問題がからむと、どの層の権益を代表するかという問題が出てくるわけで、自民党でも農業者票は欲しいものの、農業者は減りつつあり、工業経営者との利害対立も顕著化になっております。
こうしたとき、どちらに加担するかによって、農業者、経営者から自民党は違ってみえるだろうという話で、いろいろな見方があるかと思っている次第です。
ナショナリズムという感情が出てきたのは、近代国家が成立して以降なので、近代からかと思いますが、似たような感情は確かに以前からあったかと思います。
自分が所属している集団以外の者を憎み、生存権までも認めず、同類でも獲物や野菜のように殺すという点ではチンパンジーなど一部の動物でも見られる行動ですね。
また外的脅威が薄くなれば、集団内抗争や下剋上が激しくなり、殺人(殺猿)事件が起こったりします。
この「単一民族」というのは、表面的には「外見から違いが分からない」という程度の意味しかないでしょう。
実際の話、ほとんどの日本人は髪の色が黒で、目の色も黒か褐色で、肌の色も肌色で外国人のように、髪の色や肌の色での区別がつきにくいですから。
まあそれは、ほとんどのアジア人(東洋人)に共通する特徴ですが。
その一方で、アイヌ民族や琉球民族は、あとから大陸から渡来した「弥生系」にいわば辺境に追いやられた、「縄文系」と言うべき人たちのようです。
また、「古事記」のヤマトタケルの神話における「熊襲退治」は弥生系民族による、縄文系民族に対する圧迫の歴史とも言えるわけですし。
そして、現代の我々はほぼ、弥生系の末裔だと言えるわけで。
大切なのは、我々の出自がハード的にどうであったかではなく、ソフト的に国境やイデオロギーを超えて世界規模で共有できるような、価値観を発信することだと思います。
あと、今日のインフォシークニュースで、「今後20年間に日本で起こる最大の変化=「違うものとの共存」」という記事が、紹介されていますが、読んでみると面白そうです。
ご提示いただいた内容は生物学的に見るか、社会学的に見るかによってかなり異なって見える事象かと思います。
私も以前は騎馬民族征服王朝説などを喜んで読んでおりましたが、最近は少し傾向が変わってきたようです。
おそらく以前は新しいこと=良いことだという発想があったのでしょうが、最近は年をとったせいかどうもそうではなくなってきたようです。
そういう意味で日本人の先祖は云々という話もどうも安定感を求めるようになってきているようで、自分でも少し驚いている次第です。

