2014年07月26日
ろくでなし子さんが自身の女性器を3Dスキャナーで撮影し、そのデータを頒布したとして逮捕されましたが、これについて少し。
1 わいせつ
最初に私の考えを述べておくと、私は今回の逮捕は基本的に行き過ぎだったのではないかと思っております。
日本の場合、どうも男性器・女性器に対する関心ばかりが強くそこをぼかせば良い的な発想はあまり好きではありません。
ただ、その一方で、こうした「秘め事」を全て白日の下にさらしてしまうのもどうかと思っており、過剰にこういう情報に触れることができる社会というのもあまり感心はしません。
実際、日本でこれだけのエロ文化が育ってきたのは、すべてを見せることができないが故に、それ以外の部分で客を呼ぶしかなかったという面が否定できないと考えます。
2 分離
そういう意味で私は基本的に見たい人(当然成年以上)がそれなりの対価を支払って、見る分にはあまり国家が介入すべきではないという発想です。
ただ、その一方で見たくない人もいるわけですから、その人の権利も排除されるできではなく、広く自由に見られるというのはどうかと思っております。
そういう意味で、日本の状況を見ると、コンビニやスポーツ新聞でも簡単にエロが手に入る状態で、私はこれについてはあまり賛成できません。
コンビニあたりでは形だけは成人向けコーナーを作って分けているようですが、それがあの狭い店内で、どこまで効果的かはかなり疑問です。
3 軽いエロ
日本にいる時は何とも思わなかったのですが、外国にいて良く指摘されるのが、日本のアニメの女性のコスチュームがエロチックであるという点です。
慣れてしまっている面もあり、普段は何とも思っていない面も否定できませんが、あれをコスプレで実際の女性がやられている姿を見ると、「確かに」と納得できる面もあります。
こうしたものは文化の違いもあるので、別にこうした日本の漫画やアニメが悪いとは思いませんが、そう思う人もいるという話です。
4 規制
そうなると当然規制の話になるわけで、あの悪名高い東京都の条例の話なども出てくるわけで、かなり難しいところです。
私は基本的にこうした規制については、反対しますが、確かに見たくないという人もいるのは確かで、彼らの権利を一概に否定するつもりはありません。
最後は特定の人にだけ見せる形で販売すればという話になるわけですが、商売となると、新しい読者(視聴者)を開発していかなくてはならず、それも難しいところです。
5 最後に
そういうことを考えると、一般の漫画やアニメの規制についてはいろいろバランスが難しいのが現実かと思います。
つまり、こうしたマスに対する規制となると、表現の自由などがあり、いろいろ難しい面もあるので、一概に確信的なことは言えない、そこまで考えがまとまっていないというのが私の現状です。
しかし、今回の事件の様に特定の方に対する配布まで国家が口を出して規制するというのは、どうかと思っており、限られて人たちの間で行われているエロ行為には国家だけでなく、他人がどうこう言うのは野暮というのが私の大原則です。
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この記事へのコメント
凛さんも書かれていますが、日本ではコンビニなどでエロ雑誌が売っていて、それが普通のこととして受け入れられていますが、これは多くの国からすればとんでもないことです。子供の目につくところに、それもコンビニのように子供が日常的に出入りする場所にエロ雑誌を置かせる国は非常に破廉恥に思えます。
また、風俗店が繁華街のそばに堂々と看板を出していたり、風俗の宣伝がそこら中で見かけるのも、非常にいかがわしく見えます。なお、日本では本番行為のある風俗、そうでない風俗、ただのキャバクラと厳密に区別しますが、海外、それもフェミニストはそれをほとんど同義にみなしています。女性を売りにした店という意味では、本番行為があろうがなかろうが(あるかどうか客観的に確かめようもないですし)いかがわしいのです。
また、最近ようやく取り締まりが厳しくなってきましたが、未成年の子供を性の対象とすることに日本は著しく甘いわけで、これも海外からみればとんでもないことです。
先週、ラスベガスに行ったのですが、ラスベガスでは若い女性が下着の上にシースルーの服を着て出かける(水着姿でまちなかをうろつくようなものですね)のがトレンドになってました。これなども、日本人の感覚からすれば破廉恥きわまりないことでしょう。(まあ普通のアメリカ人から見ても破廉恥ですけどw)
海外の多くの国ではそれが子どもや一般人の目につくところにない、というのが日本と大きく異なる点です。
もちろん、日本だけが他の国と違うわけでありません。ヨーロッパとアメリカでも異なる点は少なく無いですし、厳格なイスラムの国からみれば、アメリカやヨーロッパは非常識きわまりなく破廉恥な国です。
どれが正しいというわけでもないのですが、互いの国を行き来する旅行者が増え、互いの国を簡単に見られるようになった現代ではそれらの違いが問題になることが増えてきたということです。
ただまあ、日本だとそれがあまり意識されてない気もしますね。
あるいは意識していても、男性も女性も(大人も子供も)それをむしろ楽しみにしている点が少なからずありそうです。
本題の3D女性器ですが、これまた難しい問題ですね。
これの元データが彼女の女性器ではなく、自分でデザインした架空の女性器だと言っていれば、データ内容が全く同じであったとしても、警察は逮捕しなかった気もします。つまり、警察はデータがどういうものかではなく、その由来を理由に逮捕にしたということです。
一方で、警察はろくでなし子さんが芸術活動の一環として行ったかどうかは判断基準にしてないようです。
私的には、そのあたりの警察の芸術への無理解を感じさせるところに反発心を覚えます。
まあ、完全に野放しはいかがなものかとは思いますが、幼児ポルノを禁止して、子供にポルノを見せなければ、それなりに寛容にしていいのではないかと個人的には思っています。
つまり、「外が30度以下であり、かつ30度越えているという前提から、局部の3Dデータをネットで分布する行為がわいせつであるという結論を導け」。という文章があった場合、今日の温度は30度を超えているので、「局部の3Dデータを分布したのがわいせつである」という結論が出てきます。
要は、「そこに書いてある内容を結論として、導き出すために、「形式的」に論理を整えるものが「形式論理学である」」こう考えるのが分かりやすいでしょう。
これを悪用すると、どれほど理不尽で不合理なものでも、「真」として成立させることが出来ます。
例えば、「電車が空いており、かつ、空いていないという前提から、赤ちゃんをベビーカーに乗せて電車に乗る母親が迷惑である。という結論を導け」。
という、文書があった場合、「ラッシュアワー時に、ベビーカーを押して電車に乗る母親は迷惑である」という結論になります。
そして、実際にそういう「思考」をする人はいるわけですね。それで、トラブルになったりもします。
要は、カルチャー教室で教える、フラダンスや社交ダンスと、ナイトクラブで男女が酒を飲みながら、体を密着させて行う「ダンス」を同一視して、「規制」すべきだ。こういうわけですが。
ここで、問題なのは、最近子供たちの間で流行っている、ヒップホップやストリートダンスの教室でしょう。
これも、上記の例で言えば「風営法」で規制すべきですが、果たして、子供相手ですることに風営法が、適用できるのでしょうか?
このような形での、「誘導」は最近マスコミでよく行われているように思えます。
その典型が、「集団的自衛権」に関する報道でしょう。
ここでの最大の問題は、そこに書かれている内容(記事の内容)だけが、「全て」であるという先入観が発生して、その背景に何があるのか等に関する「思考と判断」が停止することなのですが。
たとえば、「集団的自衛権の行使」が「国連憲章で認められている正統的な行いである」ことを集団的自衛権の行使を否定する人たちは、どれだけ「知って」いるのでしょうか。
本題とは関係のない内容になりましたが、「形式論理学」の悪用と、濫用の危険性を訴えるために、あえて書いてみました。
で、その出資者の中には「女性」もいたようですが、彼女たちにとって、「自分の性器」は「わいせつ」なのでしょうか?
結局、今回の事件は「わいせつ」がどうこう言うよりも、「「3Dプリンタ」を悪用すれば、こういうこともできてしまいますよ」。という「誘導」を行うことが目的であると思います。
服装という面では文化の違いはよくありますね。アメリカ人女性の恰好などは、ご指摘のとおりいろいろ思うところがあります。
中国関連でも以前、中国で流行っていた(当時、素材がそれしかなかった)布はかなりシースルーでいろいろ思ったことがあります。
男性が夏場、上半身裸でいるのが普通というのも、いろいろ考える人がいるでしょう(中国国内でも分目的ではないと批判があります)。
台湾のホットパンツなどもどうかと思う人もいるかもしれません。
そう考えると、こうした問題に外の目という話をすると、最後は文化の違いということになるのかもしれませんが、いろいろ考えてみると面白いとおもっております。
そういう意味で、今後ともアメリカの事案をお教えいただければ幸いです。
相手を説得しようと思った場合、それなりに「論理的」であらねばならないわけで、そういう形で書かれております。
ただ、読んでみるといろいろ突っ込みところがあるものが多くあります(中国の社説などが典型ですが、何も中国のものに限った話ではありません)。
私のパターンとして、そうしたツッコミが多く、結局他人の褌で相撲をとっている面がなくもありません。
そういう意味でも、単なるツッコミではないエントリーも増やしていきたいと考えております。
確かに、相手を説得するためには「論理的」になる必要があります。
当然、自分も一定の「論理性」を保って文章を書こうとしているわけですし。
それで、「形式論理学」の特徴は、限定された前提と、そこに書かれてい内容からだけで、突飛で、非常識な結論を導かせることにあります。
以前書いた例で言うと、「義経の母がナポレオンである」ということになりますが。
この例があまりにも、突飛過ぎたために、この問題を出された学生は、単位を諦めたとか。
問題は、前提と書かれた事例が「常識」の範囲に属する場合はどうなのか? ということです。
他のところで書いた例で言うと、「アニメファンは犯罪予備軍である」これも、「形式論理学にもとづく結論」になるでしょう。
また同様に、ウクライナでの親露派と反露派による内戦や、イスラエルとパレスチナの殺し合いの背後にも、「形式論理学」にもとづく対立関係があると思われます。
結局、二分法にもとづく対立や、パッシングの原因はたいていの場合、形式論理学である可能性があり、そして、その「結論」に流され影響される人が、増えていることが、大きな問題だと思います。

