2014年08月26日
何とか帰国したものの、時差ボケがひどく、体調が思わしくなく、更新が遅れぎみとなっており、誠に申し訳ありません。
1 批判
明治天皇の玄孫で作家をしておられる竹田恒泰氏が、自身のYouTube公式チャンネルで、舛添要一東京都知事が訪中した際、中国側から印鑑をもらっていたことを批判しておりました。
名前だけは存じ上げていたのですが、今回彼の放送を見た正直な感想は、批判をするにしても、もう少しきれいに批判できなかったのかということです。
外国や他人を批判するということは、常に自分も批判される可能性を自覚していなくてはならないということで、中国の民度などについて批判をするのであれば、自分の民度にも気をつけるべきではないかと考えます。
2 目立つこと
ま、作家としてやていく以上は他人以上に目立たなくてはならないということがあるのかもしれません。彼の場合「明治天皇の玄孫」という売りがあるわけですが、最初は使えても、いつもでもとなるとおそらく無理があるでしょう。
結果、自分にいろいろキャラ付けをして、他の作家との差別化を図ることが必要となっているのかもしれませんが、私的には悪目立ちの様な気がしてなりません。
もちろん、私ごときが他人の生きざまをどうこう言える話ではないのですが、それは彼も同じで、言い方にあまりに品がなく、もう少しやりようがあったのではないかと思っているという話です。
3 印鑑
散々YouTubeでは、「卑弥呼か」とおっしゃっていたわけですが、それは「親魏倭王」という文字が金印に彫られており冊封体制下でなされた行為を想起させるという話かと思います。
日本の場合どうしても、「漢委奴国王印」の金印が有名なので、金印が真っ先に思い浮かぶわけですが、地位に応じて玉印・金印・銀印・銅印が授与されたようです。
そのため、今回本気で舛添都知事の印鑑を問題とするのであれば、材質や書かれていた文字なども全て踏まえたうえで、どうかという話をすべきかと思いますが、「印鑑」というだけで脊髄反射的に批判しており、これもどうかと思ったものです。
4 最後に
良くあるパターンですが、相手を馬鹿にするあまり、自分もかなりひどい行動をとってしまうことがあります。
自分としてみれば、相手がやってきたからそれに対抗しているだけという話かもしれませんが、第三者にしてみるとどっちもどっちにしか見えません。
そういう意味で日本のヘイトスピーチだけをどうこう言うつもりはありませんが、あまり見ていて気持ちの良いものでないことは確かで、ふとそれに共通する物言いだなと今回のYouTubeを見て思ったという話です。
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この記事へのコメント
この両者は、「雇用」という視点から見ていますが、これを社会のあり方に拡大して、考えると、テンニースの言う「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」に行きつくでしょう。
「ゲマインシャフト」は地縁血縁にもとづく共同体であるのに対して、「ゲゼルシャフト」は機能体組織、利益社会を意味するそうです。
また、共同体には「二重規範」という性質があり、仲間内では禁止されているようなことでも、外部のものに対しては平然と行うことができるという弊害があったりします。
今回の竹田さんの振る舞いのような行為は、その典型に当たるでしょう。
そして、日本においては、ゲマインシャフトの構造が、江戸時代に完成したようです。
正確にいえば、ゲマインシャフトの基本単位となる「家制度」が江戸時代に完成したとのことですが。
では、なぜ竹田さんの事例のようなことが起きるのか言うと、簡単に言えば、日本にはいまだに「江戸時代」から抜けきっていない部分があるということです。
ただ、この「江戸時代」の部分が、同時に崩れようとしている日本を、支えているところもあるので、どうバランスを取るのかが、問われるところなのですが。
テンニースは、「人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結びついた自然発生的なゲマインシャフトとは別に、ゲマインシャフトとは異なり利益や機能を第一に追求するために人為的にゲゼルシャフトを形成していくと考えた」そうです。
そうやって考えると、今の日本が抱えている諸問題は、実は「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」のいわば「悪いところ取り」が原因となっていることが分かると思います。
例えば、ブドウとメロンをかけ合わせたら、ブドウのように小さいメロンが一個だけ実ったという「ブロン」の話のように。
ただ、注意すべきなのはどちらかが○でどちらかが×という話ではなく、あくまでもそのバランスをどう調整していくかが、重要なのですが。
中国ツアーをした時、現地ガイドから印鑑(掘ってない石棒と箱)のプレゼントが客全員にありました。
「何も掘ってないので、希望者には1000円で帰りまでに希望の字体で掘って差し上げます、持ち帰って日本で掘っても結構です。」との事で、
格安なのと、その様な文化産業が残る事は結構な事と思うので、申し込みました。
余り、こじつけて考えるのは良くないですよね。
作家じゃなくてネトウヨ芸人って名乗った方が、この人の顧客層に受けるんじゃないですかね?
確かに逆にここまでこだわるとかつての歴史に対する劣等感という風に解釈される可能性もあるかもしれません。
日本人からすると確かにそう思えるかもしれません。
ただ、これは文化の違いとしてもうあきらめるしかないのではないでしょうか。
日本型雇用をゲマインシャフトと捉えるかゲゼインシャフトと捉えるかはいろいろ議論があったと記憶しております。
特に日本の場合、雇用を家族関係と対応させて考える考え方もあり、そこからいろいろと議論されたようです。
こうした発想そのものが、あくまで欧米の事例を発展させた理念系でしかないので、それを各国にもってくれば、いろいろあるのは当たり前ということなのでしょうが、そこが面白く、お国柄がでるところかと思います。
他に何をもらったかわからないので、触れなかったのですが、もしも書道セット一式という話なら、本当にその1つとして印鑑があったという可能性もあり、そういう意味でも一概にどうこうとは言えない話と思っております。
それだけ注目を集めなくてはならないということで、それもどうかと思っております。
確かに、物事は複数の面を併せ持っているので、単純に「日本の雇用はゲマインシャフト型である」とは言えないでしょう。
まあ、割合として言えば、7体3くらいでゲマインシャフトの面が、ゲゼルシャフトに勝っているというところでしょうか。
しかし、そのゲマインシャフトも崩壊が始まっているというのが、現実でしょうね。
ただ、ここで言いたいことは、「共同体」の二重規範による弊害についてで、表面的な事象だけを見て、「ヘイトスーチがー」と言いたてても、それを生み出す土壌に対する手を打って行かなければ、意味はないでしょう。
これは、日本だけではなく中韓にも言えることですね。
結局中韓の反日も根っこにあるのは、日本が彼らにとっての「メンバーシップ」の枠組みから、外れていることでしょうから。
そのため、彼らは日本人には何をしても良いと思っている。
ちょうど、竹田さんが彼にとってのメンバーシップの枠から外れている、舛添都知事に何を言っても良いと思っているように。
もちろんこれらは、欧米やイスラム勢力についても、言えることですが。
それとも、深い意味なく普通にあげるものなのでしょうか?
印鑑といってもいわゆる玉の高級品などは良く土産物として売られております。
その延長で考えることも可能ですし、書道セットの1つの可能性などもあり、印鑑1つだけを抜き出してどうこうというのはやはり、私的にはひっかかるという話です。

