2014年10月14日
『週刊ポスト2014年10月17日号』に掲載されていた「元『デキる会社員』 退職後に過去の肩書きをひけらかし不評」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
「近隣との人間関係をいかに良好にしていくかは充実した老後のカギ。だが、現役時代の肩書きやプライドが男同士の対立を引き起こしてしまうことはよくある」という記事です。
例として挙がっているのが、「大手メーカーで広報部長を務めたA氏(68)」で、Aさんは「定年退職後に妻の勧めで地域の町内会に参加し」ました。
「最初は大人しく周囲に従っていた」ものの、毎年恒例の餅つき大会のポスターを見るなり、「これじゃあダメだよ。何が特徴なのかわからない。誰も来たいと思わないだろう」。「私は大手メーカーで広報部長をしていた。経験もノウハウもある。私がポスターを作り直します」と言い出しました。
結果、「ポスター作成を長年担当していたBさんの怒り」をかい、取っ組み合いの喧嘩になりそうになりました。
ところが、「結局、A氏に賛同する者は現われ」ず、「居場所を失ったA氏は、次回から町内会の集まりに顔を出さなくなってしまった」そうです。
2 排他性
日本人なら、この事案でAさんが悪いという話になるかと思いますが、おそらくいろいろな国の人に話を聞くと、必ずしもそうはならないかと思います。
実際、Aさんの主張していることは正論であった可能性があります。広報部長を勤めてこられた以上、それなりのノウハウもあったことは確かかと思いますので、確かに話を聞けば得るものがあったのは間違いないと考えます。
もちろん、町内会と大手メーカーではやり方が全く異なる可能性もあり、そうしたことを踏まえない全く頓珍漢な意見を出す人もいないわけでないのですが、今回そこいらまで考えると話が進まないので、その可能性は割愛します。
3 人間関係
そこで、前提として、今回Aさんが提示した意見はかなり建設的で、傾聴すべき点であった意見として話を進めます。
では、そうした建設的な意見を出したAさんが何故、今回誰の賛同をも得ることができなかったのかという話になるわけですが、これはAさんが町内会という場の秩序(人間関係)を乱したからという話かと思います。
つまり、町内会レベルであれば、人材が豊富というわけではないので、得意分野というか、ある程度できる人がその仕事を常に担当する傾向があり、結果、特定の人が特定の仕事を毎年繰り返し行ってきているというのが結構あるかと思います。
そうであれば、最初は嫌々であったかもしれませんが、長年続けてくれば、プライドも出てくるというわけで、それを新参者に全否定されたのでは、腹も立つという話です。
その人が怒るのはそういう理由だとして、問題は他の方々です。どうしてAさんに賛同しなかったのかという話になるわけですが、他の方は意見の良し悪しではなく、新参のAさんより、これまでつきあってきた、町内会に貢献してきたBさんを選択したということかと考えます。
4 同質性
結果、和を乱したとして、Aさんが排除されてしまったわけですが、本人にしてみれば正論を述べているのに何故という話でしょうか。
確かに、Aさんには悪気はなかったかもしれませんし、親切心からできることを手伝おうとしただけかもしれません。ただ、それが町内会の人間関係を乱してしまった以上、Aさんがその場から排除されてしまうということは日本の場合良く起こり得ます。
特にAさんが大企業の元部長という肩書を振りかざしてそういうことを言ったとなると、町内会という、近所の人同士という、皆が同じ立場で行う会合にはふさわしくない行為として、益々排除の対象になったことは想像に難くありません。
5 最後に
私自身こうした同質性は全く否定するつもりはありません。こうしたものがあるからこそ、皆同じ仲間なのだから、皆で助け合っていこうという気持ちが生まれやすいなど良い面もあることは確かです。
ただ、物事には長所があれば短所があるという話で、こういう長所がある反面、悪平等に陥りやすく、正論より他人との人間関係を尊重しなくてはならないことが多いのが実情かと思います。
そのくせ、そうした人間関係を重んじて、理に合わないことをしてしまい、万が一後で問題化すると、今度は正論で攻撃されるという困った短所もあるのが日本の現実かと考えます。
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この記事へのコメント
恐らく現役時代なら相手の反応を見つつ、自分の主張を通せる話し方ができたはずで、一線を退いたらその辺の感が鈍ったか、気を使う気力がなくなったかで、うまくいかなかったんだと思います。
これは肩書やプライドの問題なのか?という気がします。
もし、自分の専門分野でお粗末な出来のものを見かけたら(言い方には細心の注意を払うとしても)、一言言いたくなるのが人間です。
また、それなり以上の会社であれば、エキスパートが新しく入ってきたのなら、その能力を活かすように体制を変えるのが普通です。
しかし、ローカルな町内会ではそうはならないことは容易に想像できます。
凛さんのおっしゃるとおり、こういう町内会の同質性はメリットもありますから、そういう体制が必ずしも悪いというわけではありません。そもそも、町内会は企業と違って他と激しく競争して生き残ることを義務づけられてるわけではありませんし。
第二の人生を円滑に行うためのマインドセットは容易ではないという教訓ですかね。
地域社会は会社組織とは違います。高等教育から直接会社社会に入ってしまったサラリーマンは会社がすべてだと思いがちですが、実際は世の中の一部にすぎないことを思い知るべきです。
Aさんはつい現役の頃の修正が残っていて会社という営利企業の組織と町内会の組織がごっちゃになったんでしょうね。
またつい、このド素人の無知の田舎者が作ってるからまともなポスターも作れないのだという蔑みな心が出たのでしょうね。
利害関係の塊の組織と利害関係より人間関係を重んじる組織の違いが理解できなかったんでしょうね。
私の住んでいるマンションでも居るんですよね。
華やかな過去の(今では幻影としか言えない)肩書をひけらかしたり話の端々に自慢話を散りばめる勘違いな人種が。
このような人は敬遠されてしまうのがオチと思います。
で、本にはなんで敬遠されているのかも理解できないと云う・・・・。
で、問題は、件のAさんはそれまでは自分の会社という「メンバーシップ」の枠の中で、「部長」というポジションにいたが、その「価値」はその「枠」の中でしか意味を持たないことに、気づかなかったことにあると思います。
確かに、町内会などは閉鎖的な体質を持っていたりして、異質なものを排除しようとするところはあると思います。
逆を言えば、その人間集団の間の「絆」を大切にしたいという気持ちが、その「異質なものに対する排除」という形で表れるのでしょうが。
とはいえ、自分たちのことだけ考えて、その枠からはみ出すものをそれだけで、攻撃するようになると、その延長線上に「ネトウヨ」の「ヘイトスピーチ」があったりするので、注意が必要だと思います。
この手の問題を考えるための材料として、以前ハフィントンポストに掲載された、「「MBAでは、八ッ橋は売れません」320年つづく老舗和菓子店が教えてくれた"京都の商い"」
http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/03/kyoto-shogoin-kanako-suzuka-_n_5925218.html
という記事があるので、リンクを張っておきます。
この記事では、あの八橋の社長さんのお嬢さんで、専務取締役の鈴鹿可奈子さんの家業を継ぐ上での奮闘ぶりを、紹介していますが、彼女はアメリカに留学して、MBAの基礎を学んだそうで、その経験を生かそうとしたところ、いろいろとお父様と衝突したのだそうです。
要は、彼女がMBAで学んだ経営のノウハウからは到底「無駄」にしか見えないものがいくらでもあり、それを彼女は排除しようとしたわけですが、それがかえって、彼女を「浮いた」存在にしたようです。
興味のある方は、読んでみてください。
自分の何十年来の専門領域で、粗末な成果物を見せられて黙っているのは相当に難易度が高いと思います。
ところで、もしアメリカの自治団体なだったらどうなるかを考えました。
たとえば、うちのコンプレックスのHOA(日本で言う自治会みたいなものですね)だったら、まあまず問題は起こらないだろうと思われます。
まず、Aさん側はBさんの仕事を"Wow, you are doing wondeful job!" とにこやかに褒め称えます。
そのうえで、"Let me give you some pro tips" あるいはもっとへりくだって "How about ...ing? My two cents though." とさりげなく提案します。もし、B さんが聞き入れなくても意に介さないでしょう。
一方のBさんも、Aさんがその分野の専門家だとわかった時点で喜んで、"Join us! Help us!" と言う可能性が高いです。
どうしてそうなるかというと、アメリカでは多様な人間、つまり目的意識やスキルレベルが全く違う人たちと接することが子供の頃から多く、新しいコミュニティに入った時の対人距離の取り方が相当に訓練されているからです。また、論理的に正しい指摘に対して素直に従う文化も大きいです。
もちろん日本の文化にはよいところも沢山ありますが、こういう新しい環境に自分をフィットさせる、あるいは別の人がコミュニティに入ってきた時にスムーズに受け入れるソーシャルスキルは育ちにくい文化ではないかと感じますね。
このコメントから見えてくるものは何かというと、日本の社会の強みと弱みでしょうね。
「絆」という言葉は、言うまでもなく3年前の東日本大震災における、復興のシンボルとして、「流行語大賞」になった言葉であり、日本の社会における「思いやり」や「お互いに支え合う強さ」を物語るものです。
ですが、その裏側で日本社会の基本は「二重規範」つまり、グループの内部と外部で適用される規範(ルール)が違う等の問題点を持つ「共同体」としての構造を持っています。
それが、図らずも現れたのが、今回のお題でしょう。
二重規範の一例として、ユダヤ人は利子を取らないと言われますが、それはあくまでも、自分と同じグループに属する、ユダヤ人から利子を取らないというだけで、ユダヤ人以外からはいくらでも利子を取ることが挙げられます。
要は、自分たちの仲間以外のものに対しては、何をしても良い、こういう論法で共同体は動いているわけです。
そして、そういう問題が色濃く出ているのが、学校における「いじめ」であり、会社における「各種ハラスメント」です。
なので、今回の話は、町内会におけるAさんに対する「ハラスメント」としての性格も持っていると言えますね。
そうやって考えると、これらのトラブルが存在するのは、日本の社会の「弱み」でしょう。
こういう形の共同体を「ゲマインシャフト」と呼びます。
これを踏まえて、高田さんのコメントを読むと、アメリカ社会が「ゲゼルシャフト」であることが、分かると思います。
ただ、ゲゼルシャフトにも当然「弱み」があるわけですが。
その「弱み」の典型例は、「社会的機能」を果たさない者は排除するというものでしょう。
こうやって考えてみると、望ましい社会の形は、ゲマインシャフトの人間的な結合を重視しながら、ゲゼルシャフトの「職能」を発揮させる土壌を生み出させていくことなのだと思います。
ずっと議論の成り行きをウォッチしておりましたが、現実社会ではチョッと違う様に感じます。
先ず、週刊ポストの記事については、本質は男のプライドや嫉妬に収斂するとしても、其処に書かれているのは経緯省略と誇張の産物の様に思われます。...心の中で思っている事を言葉で表しているとか。
次に凛様の 前提からの原因推定である、「A氏の主張は正論、人間関係(秩序)を乱した為」 は、良く有りそうな話ですが、その先の考察が同質性やそれに因る人間関係というのは如何なものでしょうか?
もちろん、御指摘の
> 万が一後で問題化すると、今度は正論で攻撃されるという困った短所もあるのが日本の現実
と云うのは、確かにその通りと思うのですが。 また、それを受けて共同社会や利益社会の差に還元して行くのもどうかと。
...高田殿は、米国の自治会を引合に遠回しにそれを述べていらっしゃるのでしょうか?
機能集団、利益集団である会社組織でも、指揮命令系統外でA氏の様なアプローチを受けたら、無視されるのが一般的と思います。
続く...
私が経験した範囲(仕事での付き合い)の欧米の会社でも、取っ組み合いの喧嘩に至る事は無いでしょうが無視されるでしょう。 それは、
→ 他者を尊重しない者の言辞は、他者に尊重されない...国等に拠らず、人間関係の基本でしょう。
→ 局外者の売込は、現物やサンプル無しで検討される事はない
...国等に拠らず、実質的にメンバーと認知されるかどうかは重要です。参加資格の有無ではありません。
...また、経歴の売込みのみで任せようとする事はないでしょう。せいぜい、一緒にやるとか提案を持って来てとかになるでしょう。
ですので、日本特有の和を乱した例としては、如何なものかと。
私が見聞きした例は、A氏の案とB氏の案と出されて、A氏の案が良いと思われながらも皆がB氏の案を選ぶようなケースです。
...会社組織でも、こんな例、幾らでも有りますよ。さすがに進退が掛かった場面で責任者がその様な選択をしたのは見た事が有りませんが。
「もちろん、町内会と大手メーカーではやり方が全く異なる可能性もあり、(中略)今回そこいらまで考えると話が進まないので、その可能性は割愛します。
3 人間関係
そこで、前提として、今回Aさんが提示した意見はかなり建設的で、傾聴すべき点であった意見として話を進めます。」
と、つまり、この話は「限定された条件でのことですよ」と最初に凛様は断っているわけです。
で、高田さんも自分もこの限定された条件の範囲で、文章を書いていると言えるでしょう。
ただし、自分はかなりの「拡大解釈」を加えて、コメントを書いていますが。
その上で、muffさんのコメントを読んでみると、muffさんは、凛様の本文が「限定条件付き」であることを無視していませんか?
例えば、AさんとBさんがナポレオンに関して、会話をしていたとします。そこへ新たにCさんがやってきて、「ナポレオン三世」の話をするわけです。
すると、AさんとBさんは「いや、自分たちが話しているのは、ナポレオン一世のことだから、三世のことは、ちょっと」というわけです。
ただ、AさんもBさんもCさんの話に興味がある場合には「よし、それじゃ三世も含めたナポレオン一族の話をしよう」こうなることもあるわけですが。
と、そこへ、Dさんが加わって、魚のナポレオンフィッシュやブランデーのナポレオンの話をしだしたら、さすがに収拾がつかなくなると思うのですが。
要は、どこまで話を広げて考えるのか、ということです。
まあ、muffさんのご意見もいろいろと、興味深いテーマを持っているので、ごもっともだとは思います。
さて、小生に当てられたコメントの様ですので、何か Excuse しましょうか(笑)
凛様の題材に触発されて、私も条件を付けて(凛様とは違った)色々と記述させていただいたのですが...。
原題との関係性が薄くてチョッと掛け離れたものだったでしょうか? まぁ、ナポレオン1世に対するナポレオン3世ぐらいの関係で、ブランデーとの関係性よりは近いと思っていたんですが(笑)
まぁ、「日本の現実」 との部分から色々と考え込みまして述べてしまいましたが、凛様の題材に何か書きましたのが気に障りましたら笑い飛ばしていただければと。
確かに元記事にあるような言い方をしたのであれば、こうなるのは当然かもしれません。
おっしゃるとおり、同じことを伝えるにしろ、言い方の問題というのはあったかと思います。
日本人論という形でまとめてしまいましたが、町内会の論理が企業の論理と違うということはあるかと思います。
ただ、どうしても今まで企業で働いていた人にしてみれば、企業の論理が抜けず、そうした発想で行動しがちというのはあるかと思います。
企業に限らず、大学なども独自の論理で動いている面があるので、就職したばかりの方が苦労するというのも同じ話かもしれません。
おっしゃるとおり、会社の価値観など数ある価値観の中の1つにしかすぎないわけで、それですべてを行うというのは驕れ以外の何物でもないと考えます。
町内会には町内会のルールがあり、価値観がある、当たり前の話ですが、それをわからない人は結構いるということかと思います。
退職しても昔のままのつもりで職場に顔を出して、そのうち煙たがられる人という話は聞いたことがあります。
所詮、その職に敬意を払っていただけなのに、自分に価値があると思いこんでしまっている人は結構多いということなのでしょうか。
ご紹介いただいた記事拝見させていただきました。
最後は「郷に入っては郷に従え」ということなのでしょうか。
どこの国でも外国のものをそのまま受け入れているわけではなく、ある程度自分たちにあうように修正したりして使っていることが多いわけですが、今回の事例もある程度自分を変える必要があったという話かと思います。
本当に元記事で書かれている様な言い方をしたのか疑問ではありますが、そうであれば、確かに提案の仕方に問題があったという面はあるかと思います。
漫画などでは、こうしたいざこざがあった時に、勝負だとなって、かなり明確な形で、欠点が明らかとなり、それを判断する人がいるという素晴らしい展開なわけですが、現実にはそれほど簡単ではありません。
どっちが良いとなっても、明確な理由を説明できることは少ないでしょうし、下手に競争などしようものなら、返って問題となることも多いかと思います。
既存のものにとって代わるというのはどのような事案であれ、難しいということかと思います。
レスポンス、ありがとうございます。
さて、凛様は週刊誌に掲載された記事を題材に、条件を仮定して日本社会の「排他性」や「同質性」について、意見を述べられたものとお見受けしました。
小生は凛様の仮定とは別に、その記事の通りのやり取りが現実に起きたものとして、何に原因した問題なのかについて論考を述べ、
そして、凛様が論じた日本社会の「排他性」や「同質性」については、記事に有るやり取りの展開?を元とするよりは別な事例を元とする方が適切ではないか? と感想を述べた次第です。
この感想を述べるに至った理由は、凛様の題材から社会の形へと論を発展させて行きますと、迷走するのでは?...と思ったからでございます。
小生が述べましたのは、「題材とした記事の 提案の仕方にフォーカスして 論じるべき」 との様な意図をもったものではないと、御理解いただければ幸いです。
その上で、
> 既存のものにとって代わるというのはどのような事案であれ、難しいということ...。
は、また新しい切り口でのテーマとして、成程と思います。
昨今は様々な観点から評価を受け、問題が提起されるケースが多い様に思います。その為か、「戦闘証明付」の案でなければ採用され難く、既存路線踏襲のリスクが読める無難な案に終始しがちかと。
この状況について色々と考えを詰めてみるのも面白そうかなぁと思いました次第です。
コメントありがとうございます。
上のコメントを読むと、muffさんが凛様とは違った角度から今回の件を考察したことは、理解できました。
それは、それでいいと思います。
実際の話、山梨県側から見ようが、静岡県側から見ようが、富士山は富士山ですから。
また、どのような角度から、物事を見るにしても「迷走」したり、「収拾がつかなくなること」はありますね。
ただ、問題なのは相手が自分と違った角度から、物事を見ているからといって、「迷走する」とか「如何なものでしょうか?」というのは、どうでしょうか。
それは、自分の「収拾がつかなくなる」というのにも、言えることですが。
これは、そのまま今回の件における、AさんがBさんの書いたポスターにケチをつけた形になり、それで喧嘩寸前になったのと、同じことだと思います。
なので、こういう場合は、「あなたの見解は面白いが、その一方でこういう考え方もあるのですが」という方向で、自分の意見を提示すればいいのだと思います。
そうすることで、自分意見であるA案と、自分とは違う意見であるであるB案を両立させることができ、なおかつ、A案とB案のハイブリッドであるC案を作ることもできるでしょうから。
こうやって考えてみると、今回の件におけるAさんの主張の仕方として言うと、「自分は広報関係の仕事をしていたのですが、自分の案を取り入れてもらえれば、このポスターをよりよい物にすることができるでしょう」、と述べてこのポスターをBさんとの共作という方向に、持っていければよかったのだと思います。

