中東

2015年02月05日

 最近はエントリーが「イスラム国」についてばかりとなっております(「イスラム国」と命の重さテロの恐怖と他人事

 もともと中東にはそれなりに関心があったわけですが、それだけ今回の事件でいろいろ考えることが多かったという話かと思います。

 日刊サイゾーが掲載していた「『僕はISISが好きだ──』18歳の韓国人少年を“イスラム国”合流に導いた、孤独と疎外感の正体とは」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 韓国人の18歳の少年が「2014年の9月ごろから、Twitter上にアラーをたたえる文章を掲載」し、「イスラム国」ISISと合流したそうですが、それの原因などについて記事にしたものです。

 この方は、「小学校で暴力を受け、3回にわたり転校。中学にもなじめず、入学早々から休学となる。その後、自宅に引きこもり、ほとんど外に出てこない生活を長く続けていた」そうです。

 そのうち、「Twitterなどオンラインで“友人”になったイスラム国メンバーらしき人物たちは、キム君にとても優しく接し」、「両者が“Brother”と呼び合うようにな」ったとしています。

 他にも、「現代は男性が性差別を受ける時代。僕はフェミニストを憎む。だからISISが好きだ」というメッセージも残していたそうです。

 記事では、彼が「韓国社会で孤独感を感じており、自分を認めてくれる居場所になるかもしれないISISに、深く惹きつけられたのではないかと」しています。

 その上で、「もし、世界中の若者がISISに合流する動機のひとつに、社会に対する孤独感や疎外感があるならば、看過できない問題ではないだろうか」ともしています。


2 疎外感

 この「疎外感」は難しい問題で、傍から見ても成功しているとしか思えない人が強い疎外感を抱いている例もあるそうです。

 ただ、一般論としては良く聞くのは、自分が思い描いている「本来」の姿と、現実の乖離というパターンではないでしょうか。

 そのため、元記事の性差別の話が典型かと思いますが、韓国の様な儒教社会では男性であるだけで評価されたことがあり、そういう認識を持っていると何故自分を敬わない(大事にされない)という認識になるかと思います。


3 隣の芝生

 今回の事案もそうですが、このパターンの典型は、今いる所で自分は大事にされないから、大事にされる(大事にされそうな)ところに移るということになるかと思います。

 このパターンとして類似のものとして挙げられるのものとして留学があるかと思います。私は留学を否定するつもりはありませんし、自分のいる世界と違う世界、価値観の異なるところを見て見分を広めるというのはとても大事なことかと思っています。

 ただ、その一方で「留学」に過度の期待を抱き、留学しさえすれば、当該国の言語が覚えられる、かなり極端な意見になると自分の人生が変わることさえできると考えている方もいるようです(留学の現実)。


4 勉強

 少し考えてみれば当たり前の話ですが、自分の見たことのある単語(言葉)にしか、人は反応できません。 

 そのため、その国の言語を覚えるということは、どれだけその言葉を目にしたか、耳で聞いたかという話になります。つまりドラマだけひたすら見ていればそこで出てくる単語はわかるようになるかもしれませんが、ニュースなどの単語はどこまでわかるのかという話です。

 それに、自国で勉強の出来なかった者(関係図書を読まなかった者)が、環境を変えれば勉強するようになるというのはなかなかある話ではありません。

 結果、留学だけすれば語学ができるようになるなどということはありませんし、苦労して勉強した知識しか身につかず、どれだけ自分が積極的に動くかという話なのは、自国内にいるときと何の違いもありません。


5 最後に

 つまり、どこにいようが自分でどれだけ動くか、努力するかという話でしかないわけですが、今いるところと違うところに行きさえすれば何とかなると思っている方がいるという話です。今回の韓国人少年のそのパターンだったという話かと思います。

 それによく中世の貴族社会に憧れる方がいますが、確率から言えばあの時代に生まれていれば、貴族より農奴になっていた可能性が圧倒的に強いわけで、憧れていた「イスラム国」も所詮使い捨ての兵士しかなれないという可能性が高いわけです。

 何にしろ、こうした現実を見たくないが故に、社会との関係を断ち切っていたわけでしょうから、結果、騙される可能性が強くなるというわけで、最後はつらくても現実を見てそれに適応するしかないという当たり前の話かと思います。



凜amuro001 at 23:26│コメント(6)トラックバック(0)

2015年02月02日

 今回の「イスラム国」の日本人人質殺害事件についていろいろ思うところがあったので、これについて少し。


1 恐怖

 今回の行動をみておそらく多くの人が思ったのがあんなに簡単に人を殺す「イスラム国」の常軌のなさかと思います。

 外国人を人質として誘拐し、法外な身代金を要求したり、一方的に期日を設けて勝手な要求を行い、それが満たされないと、簡単に人質を殺してしまうやり方にはとても話が通じる相手とは思えない怖さを感じます。 

 実際問題イスラム国がここまで勢力を拡大し、一時は不敗神話を打ち立てた要因がこうした徹底した行動で、負けて捕まると殺されるとなれば、戦う相手の心理的負担は如何ばかりのものがあったか想像に難くありません。


2 テロ

 それと同時に、こうした恐ろしいことを平気でできてしまうのがまさにテロ(英語terror、中国語 「恐怖」)です。

 それと9.11にしても日本は自分たちが直接攻撃の対象となっていかなったこともあり、どことなく他人事というか遠い別世界のでき事という認識でいたような気がしてなりません。

 実際、以前書いた様に今回の事件が起こるまで、「イスラム国」がどこにあり、何故こうした勢力が台頭してきたかについてよくわからなかっいた(興味を持っていなかった)方が大半ではないでしょうか(「イスラム国」と命の重さ)。


3 他人事

 これと関連して、今回日本が今後標的にされると明言されたわけですが、思うに自分がテロの対象になっていると考えるか、他人事と思っているかについてこの「テロ」についての思いもかなり異なるのではないでしょうか。

 下手をすれば、テロの標的となった明日殺されるかもしれないとなれば、そうした団体が存在することすら許しがたいという話で、「徹底的に弾圧しろ」という意見を述べる方がいたとしても不思議ではありません。 

 それに対し、自分は関係ないとなれば、より寛容的な態度で臨むべきだという意見も出てくるかと思います。

 こう言ってはなんですが、いわゆる人権派と呼ばれる方も、自分が狙われるとなれば、他人の命(人権)より自分の命という話になるのではないかと考えます。


4 無差別

 どうしても私の場合中国ネタになるのですが、以前中国で無差別テロが起こったというエントリーをしたことがありました(中国昆明で「テロ」を起こした弱者と犠牲になった弱者)。

 その時、中国国内のテロというと、それ以前は政府関係(特に取締りを行う公安関係)が対象だったものが一般市民に拡充したことの問題ということを考えたことがありました。

 どうしても中国というと、ウイグルやチベットなどの民族弾圧の結果かという話が先にくるわけで、どこか自業自得という考えを持つ人がいるかと思います。

 確かに、政府機関であれば、そういう話もあるでしょうが、一般市民となれば全く話は異なります。しかし、どうしても「中国」となると、一般市民も政府も一緒にしてしまい、いろいろなことを言う人がいるという話です。

 これに対して中国は、無差別テロである以上、その原因をどうこう言うのはおかしい(欧米のダブルスタンダードだ)という主張です(ウクライナ問題と中国昆明「テロ」事件の扱いの違い

 私は、中国の主張を全面的に肯定するつもりはありませんが、テロで犠牲になった方のことを思うとという話で、かなり難しい問題となります。


5 最後に

 そういう観点から今回の事件を見ると、同胞(自分)がテロが犠牲になるかもしれないという観点からの発想を否が応でも考えさせられたと思います。

 確かに今回痛ましい結果になってしまったわけですが、問題はそこから何を考えるかという話で、テロの恐怖を日本人に考えさせるという観点で、大きな意義があったのではないかと思います。

 今回の事件いろいろ考えることが多いわけですが、私的にはこう思ったという話で、他の方がどう思ったか今後いろいろ意見を拝見していきたいと思っております。



凜amuro001 at 22:48│コメント(86)トラックバック(0)

2015年01月30日

 以前書いた「イスラム国」による日本人人質事件(「イスラム国」と命の重さの続きです。

 いつもお世話になっているBLOGOSに雨宮処凜氏の「イスラム国による人質事件。の巻」というエントリーがあったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 (別に彼女だけでありませんし、私も人のことをどうこう言えませんが)雨宮氏の主義主張は常に終始一貫しており、日本(安倍政権)批判のものが多いわけですが、今回も基本的に同じトーンとなっております。

 彼女に言わせると「『なぜイスラム国が台頭したのか』を考えていくと、イラク戦争にぶち当たる。『大量破壊兵器』という存在しなかったもののために始められた戦争。それを真っ先に支持したのは日本政府だ。」だそうです。

 そして、 元イラク帰還兵で現在反戦運動を行っているアメリカ人男性の話をだし、「『知らない』ということの怖さ」という話をします。

 つまり、イラクで何故激しい抵抗運動起こるかというと、アメリカがそれだけイラクにひどいことをしたからであり、そうしたことを彼は戦場に行くまで知らなかったと自戒しているそうです。

 こうしたことを踏まえ、「知らないことは、時に罪だ。少なくとも、イラク戦争を真っ先に支持した日本に住む私たちは、決して無辜ではないと思う。」とまで述べています。

 そしてこの「知らないこと」に関連して、日本人人質がいることを知りながら、中東でテロ支援などを表明したことが人質殺害につながったとしております。


2 知りたいこと

 私もこの知ることは大事だという発想には全面的に賛成します。ただ、難しいのは「知る」と言っても何を知るかという話で、人にはそれぞれ嗜好(好み)があるので、自分の都合の良いことを知る傾向があります。

 例えば反中や嫌韓などがその典型ですが、中国(韓国)にはこういう欠点があるという話をよくして、だからダメなのだという結論に至る方を良く拝見します。

 確かにそういう欠点があるのは確かもしれませんが、得てして長所と短所はワンセットなっていることが多く、状況が変われば長所と思われていたものが欠点になることは往々にしてあります。

 例はいくらでもありますが、韓国のナッツリターン事件が世間を賑わせていた頃、韓国は財閥支配だからダメなのだという話が良く聞かれました。

 しかし、これもそれ以前はサムスンが何故あそこまで成長できたのかという議論がなされた時には、財閥であるが故のワンマン体制、政策の決断が早いことなどが、理由として議論されることがありました。


3 「イスラム国」

 「イスラム国」が台頭した理由はいろいろあるので、一言でどうこう言うつもりはありませんが、私の理解ではイラク戦争というよりは、シリアの内戦ではないかと思っております。

 もちろんイラク戦争に(開戦のきっかけからして)問題がなかったと等とも思っておりませんし、イラクのように様々な文化や民族が入り乱れた国家であれば、強権が外れた後、バラバラになるのはかなり早い段階で予測できたと考えます。

 しかし、それを言い出せば当時迫害を受けていたクルド人等はそのままで良かったのか、独裁政権がそのまま継続しても良かったのか等いろいろな問題があります。

 確かに結果論としてみれば、現在の様な混乱が起こるのなら独裁の方が良かったというのもわからない話ではありませんが、これは結果から見ているからそう見えるだけで、一概にそう言ってしまってよいのかはかなり疑問です。


4 知ること

 そういう意味で一概に「知る」と言っても何を知るかが問題です。というのは、中国では歴史認識などが散々議論され、旧日本軍の様々な行為が強調されていることは周知のことかと思います。

 結果、日本人が中国人に囲まれると、そうした行為を知っているかと聞かれることになるわけです。確かにいろいろあったと思いますが、現在中国のことを考えるにあたって「知る」のはそれだけで良いのかというのがいつも思うところです。

 確かに、戦後の勝利(日本の敗北)という結果、中国共産党が政権を握ることとなったわけで、権力の正統性という意味ではとても大事な事件ですが、その後の大躍進や文化大革命、天安門事件など様々な出来事があって今の中国ができたわけで、本来それらも同様に知る必要があるかと思います。

 韓国にしても同じで、確かに日本による支配の時代があったわけですが、それ以降自分たちがどのように歩んできたのか、独裁政権がどうだったのかなど、本来日本が「かつて行ったこと」同様に「知る」べきこと、同様に議論されるべきことは多々あると考えます。


5 最後に

 そういう意味で、「知る」ことはとても大事で、いろいろなことを知らなくてはならないわけですが、全てを知るのは無理で、どうしても取捨選択がなされた中で特定のことだけを「知る」こととなります。

 そういう意味で特定の面だけを強調して、これを「知るべき」だというのはどうかなと思ったが故の今日のエントリーでした。



凜amuro001 at 19:41│コメント(10)トラックバック(0)

2015年01月26日

 生活パターンが滅茶苦茶になっており、更新の頻度が空いてしまい誠に、もうしわけありません。

 イスラム国による日本人人質事件が連日トップニュースとなっているので、これについて少し。


1 責任

 これについては、勝手に行ったのだから自己責任だという意見と、安倍首相が資金提供などのパフォーマンスを行った結果起こったものであり、安倍首相の責任だとする意見などがあります。

 こうした意見について言わせてもらうと、どれも極論にしか思えません。というのは、日本人が海外で何かあったと時に外務省(在外公館)などが存在するわけで、勝手に危ないところにいったのだから何もしなくて良いという意見には賛成できません。

 当然できることとできないことがあるわけですが、日本人が海外にいって危険な目にあうことはどうしてもあり、それを無視されたのでは、怖くてとてもどこにも行けません。

 また、安倍首相の責任云々は正直、私的には言いがかりにしか思えません。確かに、このタイミングで人質事件が公表されたのは無関係ではないでしょうが、こうしたことまで全て責任を負えというのは無理かと考えます。


2 関心

 ただ、今回のニュースの取り扱い、国民の関心という意味で、私が思ったのが日本人が犠牲になるかどうかによってここまで違うかというのが1つです。

 これまでも「イスラム国」は存在し、外国人の人質が捉えられたことは多々あります。しかし、殆ど大きなニュースになることもなく、遠い中東の良くわからないところでのニュースとして終わっていたのではないでしょうか。

 実際、これまで「イスラム国」がどこにあるか、どういう過程でここまで大きくなったのか、日本人のうち、どれだけの人が知っているか正直疑問です。

 多分、その程度の存在にしかすぎなかったものが、今回のことで大きくクローズアップされることになったのは間違いないかと思います。


3 命の重さ

 そういう意味で思うのが命の重さ(関心)です。私はもともと一人一人の命が平等だなどとは全く考えておりません(現実には重さが異なる命と平等に来る死)。

 現実問題、発展途上国でどれだけ簡単に人が死ぬか、人間扱いされていない人がどれだけいるかを見てきたものとして、それは常々思います。

 イスラム原理主義者絡みでも、フランスのシャルリ―・エブト社が攻撃された事件では、世界中であれだけの関心が集まり、言論の自由などの問題が盛んに論じられました(言論の自由と読者の感情)。

 しかし、ナイジェリアではボコ・ハラムによる女子学生誘拐事件に代表されるように、誘拐事件や殺人事件が日常茶飯事になっております。

 しかし、これらについて、日本をはじめ世界でどれだけの人が関心を持っているかという話です。数からいったら犠牲になっている方々はこちらの方がはるかに多いわけですが、私は過分にして、国内でこれらについて突っ込んだ報道がなされたことを見たことがありません。


4 最後に

 確かに日本人が犠牲になったことは痛ましいことで、こうしたテロ事件を許すことができないのはいうまでもありませんし、大きな関心を払うべきかと思います。

 ただ、問題は日本人が犠牲にならなければ、他のテロ事件には関心を持たなくても良いかという話で、そんなことがないのは言うまでもないかと思います。

 ただ、どうもナイジェリア、フランス、日本、犠牲になった人の国籍でこれだけ大きな差が出るのはやはり、どうしても違和感があり、いろいろ思うところがあったが故の今日のエントリーでした。



凜amuro001 at 08:19│コメント(14)トラックバック(0)

2014年08月04日

 今日はたまによる中東ネタです。AFPが「反イスラエルに染まる中南米諸国、痛みが生んだガザとの連帯」という記事を掲載しており、いろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 「イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)への攻撃が続く中、中南米諸国の指導者がイスラエルを『テロリスト』と呼んだり、駐イスラエル大使を召還したり、パレスチナ人を断固支持する姿勢を表明したりするなど、イスラエルへの批判を強めている。」という記事です。

 具体的な動きとしては、ボリビアのエボ・モラレス大統領が「イスラエルを『テロ国家』に指定し、イスラエル国民に対する査証(ビザ)免除措置を打ち切った」ことなどを挙げております。

 他にも、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領が「先週、イスラエル軍の作戦は『虐殺』だと発言」したことや、「その1週間前の時点でブラジルが駐イスラエル大使を召還し」たそうです。

 更には、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、「『大量虐殺(ジェノサイド)』という言葉でイスラエルを批判した」ことも紹介しております。

 斯様に「中南米各国はイスラエル軍の苛烈な軍事作戦を強く批判し」ているわけですが、その理由として、「今日ではある国が明確に反イスラエル姿勢を示しても国際的な規範からの逸脱とみなされなくなっていることや、イスラエルと密接な関係を持つ米国への反感を挙げ」ています。


2 イスラエル

 確かに言われてみるとそのとおりで、一昔前までは、「イスラエル=可哀想なユダヤ人が頑張ってつくった国」というイメージがあり、表だって避難することは、憚られるような雰囲気がありました。

 されにイスラエルのバックにはアメリカがついていたので、イスラエルを批判することはアメリカを批判することにもなりかねず、更に憚られていたようなところもありました。

 実際、アメリカではユダヤ票が1割と言われているようで、確かに選挙の体制をどうこうする程の力はありませんが、候補者同士が接戦となっている時には、かなりの効力を発揮することもあり、アメリカ政界もイスラエルを見捨てることはできないようです。



3 パレスチナ

 結果、パレスチナが悪者とされることも多かったわけですが、そうした例の1つが『オリエンタリズム』を表したザイードに対する偏見です。



 もともとザイードが表した『オリエンタリズム』そのものが西欧人の東洋に対する偏見やゆがみを批判しており、こうしたものが結果として植民地主義につながったと批判しております。

 その延長線上と見ても良いのかと思いますが、彼が表した『パレスチナ問題』などでは、アメリカのイスラエル寄りの姿勢などが批判されていました。

 確かに一部では受け入れられたと思いますが、どこまで支持を得ることができたかというと疑問で、アメリカ国籍を有していたパレスチナ出身の彼としては、こうした運動が原因で様々な悪影響を受けたようです。


4 最後に

 日本でどうかというと正直あまり中東に関心がなく、よくわからないという無関心の方が多いのではないかと思います。

 しかし、北朝鮮の国連決議違反はあれだけ批判するのに、イスラエルの国連決議違反には何ら制裁らしい制裁がないのはおかしいのではないかというのは、良く言われる話で、そういう意味でダブルスタンダードと言われても仕方のない面はあるかと思います。

 確かに今回の中南米のイスラエル批判はアメリカの影響力の低下と見ることが可能かと思いますが、私はそれ自体はあまり悪いことと思っておりません。というのは、結果いろいろな意見が言えるようになったきたということは確かだと考えるからです。

 しかし、厄介なのは、結果中国の様に、アメリカの言うことを聞かない国もでてくるという話で、単純にアメリカの影響力の低下を喜ぶわけにもいかないのが難しいところかと思います。



凜amuro001 at 23:14│コメント(6)トラックバック(0)