大震災

2016年04月17日

 熊本での地震は東日本大震災の傷跡もまだ癒えない時に起こった大地震で、本当にびっくりしました。

 東日本大震災当時の余震が思いだされ、被害にあわれた方、今も余震に不安な思いをなされている方のことを思うと本当に何とも言えません。


1 当事者

 避難されている方、被災された方のことを思うと本当に何とも言えません。

 ただ、その一方で、どうしても自分から距離が遠くなってしまうと実感として感じる思いが薄くなってしまうというが正直なところです。

 そういう意味で、前回の記憶があるからこそ、本当に大変だと思っているわけで、それがなければどこまでわが身のこととして思いいたることができたか自信がないというのが正直なところです。


2 現地

 何故、こんなことを書いているかというと、中国の環球網に「中国留学生亲历日本地震:连被子都能震掉」という記事が掲載されており、それを読んで思うところがあったからです。

 中国政府は今回の地震について正式に哀悼の意を示しております。そして中国だけでなく、台湾やイギリス、ロシヤなども哀悼の意を示すとともに、支援の申し出も行ってくれているようです。

 確かに甚大な被害でそうした申し出はありがたいと思う一方で、どこまで現地の状況をわかっているのか、どこまで自分が同じ目にあったらという思いでいてくれるかという思いもないわけでありません。


3 自国人

 というのは、前記の記事の視点があくまで「中国人」だからです。確かに記事の前半部分で、熊本における被害の状況などを説明しております。

 しかし、直ぐに20人の日本を旅行していた中国人が地震に巻き込まれたが無事脱出したとか、日本にきたばかりの4名の交換留学生が熊本を脱出したという記事になっているからです。

 そして、最後は日本の地震に対する意識の高さ、小さいころからなされる教育の様子などについて記事がまとめられております。

 念のために補足しておくと、私はこうした記事のつくりを批判しようと思っているわけではありません。


4 日本人

 日本でもおそらく同じような報道になったでしょうし、下手をすれば、自国民のことについてより関心をもって報道していたかもしれません。

 実際、東日本大震災前のニュージーランドで起こった地震の倒壊で大勢の日本人留学生が亡くなった時は、かなり日本よりの報道がなされておりました。

 ま、当時は中国も同じようにかなり中国よりの(というか、かなり独自の)報道がなされてもいましたが(ニュージーランドの倒壊ビル捜索が再開したのは中国のおかげ?)。


5 最後に

 つまり何が言いたいかというというとどうしても自分から遠いとそれだけ自分のこととして考えられるかという話です。

 これは、悪い意味で言っているわけではなく、難民等今も世界中で大勢の人が苦しんでいますが、それを全て自分のこととして、考えていたら身がいくつあっても足りません。

 どうしても自分に関係が強いか弱いかで線引きをしていくしかないわけで、悲しいかなそれが現実かと思います(フランスのテロを自分の問題として捉えること)。

 当然、私にとって今回の地震はかなり関係が強いわけですが、そうでない世界の人は多いという話です。実際2008年のときの四川の大地震をどこまで自分のこととして思う日本人がいたでしょうか。

 特にあの地震では中国の手抜き工事に焦点が当てられた結果(アジア一の立体交差橋で多数の亀裂発見)、
日本とは違うという意識を持った方が多いのではないでしょうか。

 こうしたことも四川大地震を自分の問題として考えるという姿勢をより少なくしてしまったような気がしてなりません。



凜amuro001 at 16:01│コメント(7)トラックバック(0)

2016年03月11日

 やはり今日は震災がらみだろうということで、震災について少し。


1 あれから5年

 テレビなどでは、あれから5年経って、復興がどうなったのかという形で被災者のインタビューなどを交えて関連番組などが放送されています。

 これについては、復興した面もあれば、原発の様に未だに数々の問題を抱えているところもあり、どこに焦点を当てるかによってかなり異なった見方ができるかと思います。

 震災当時いろいろ手助けをさせてもらった時の記憶がよみがえってきます。特に印象に残っているのが、家をなくして避難されて来た方々の今後どうなるのかと戸惑っておられた様子です。

 体育館の中で、家族ごとに寄り添って、何も考えられないでいる様、食事を喜んで受け取りに来る子供たちの様子。

 本当に震災というあれだけひどい状況にありながらも、元気な子供たちにどれだけ私も心が和まされたかわかりません。

 今彼(女)らがどのような暮らしをしているのか、知るすべもありませんが、元気でやっていてくれればと思うだけです。


2 日常

 今でも忘れられないのが、自分達が勝手に永遠に続くと思っていた日常などは簡単に崩壊してしまうということです。

 3月11日以降もひっきりなしに続く余震を体験すると、地面が動かないなどということは、思い込みにしか過ぎないと本当に思いしらされました。

 店に商品があるというのも、流通がきちんと整っており、一日に何度も配送されるという限られた条件下でなされることだとも実感させられました。スーパーに何もないという状況は今でも忘れることができません。 

 それから見ると今では、特定の避難区域を除き、「日常」が戻ってきております。そういう意味では間違いなく復興が進んだと言えるでしょう。


3 原発

 それに対して未だに復興が進まないことの象徴となってしまっているのが原発です。そもそも廃炉作業自体がいつになったら終わるのか全くわかりません。

 中間貯蔵施設のための用地取得も遅々として進んでおりません。結果、放射性廃棄物の仮置き場からは未だに撤去されないままとなっております。

 ただ、その一方で除染が効果を挙げてきていることも間違いなく、都市部では放射線量が明らかに下がっております。

 原発処理の問題をコスト面だけから考えれば、今より早い解決策があるのでしょうが、これまでそこに住んでいた人のことを考えると難しいところです。


4 死者

 やはり思うところが一番あるのは、人の命の問題です。亡くなってしまった人は帰ってはこないわけで、震災であれだけ多くの方が亡くなったことを思うと何とも言えない気持ちになります。

 それを受け止めている遺族の方々の気持ちに至っては私如きがどうこう言えるものだとも思っておりません。

 今まで一緒にいて、いることが当たり前だった方が急にいなくなるのは、どういう気持ちか、それに耐えてこられた遺族の方々の心境は想像に難くありません。


5 最後に

 本当に多くの方が亡くなられ、あまりにたくさんのことが変わってしまいました。

 ただ、その一方で、日常を生きるにあたり、目の前のことや自分の生活が大事で、普段は思いだすことも少なくなってしまいました。

 もう5年経ったのかという思いと、5年経っても多くの問題が山積みとなっている現状を思うと、当時のことが思いだされて目頭が熱くなります。

 私的にはあまりに大きな影響を与えられた震災ですが、第二次世界大戦の時の記憶と同じで、これもだんだん薄れていくのでしょう。

 悲しい記憶が多いので、かくあるべきと思う一方、そうあってほしくないという思いもあり、あまりに多くの思いが沸き上がり、私自身、整理ができないままとなっているのが現状です。



凜amuro001 at 22:32│コメント(4)トラックバック(0)

2016年02月28日

 すいません。愚痴その2です(その1は「別の見方をすることと「逃げ」)。

 「意識高い系」というとどうも悪い意味で使われることが多いようですが、私がこれまで遭遇した方々について少し。


1 ボランティア

 もちろんボランティアそのものを否定するつもりはありませんが、本当の意味で役に立つボランティアをしようとするとかなり大変です。

 既に組織化され、単なる労働力としてきまったことをするのなら誰でもできるわけで、実際災害があったときの清掃作業などは本当に人手が必要です。

 しかし、困ったことにいわゆる「意識高い系」と言われる方々はそういう仕事をあまり好まないようです。 

 また、ボランティアといっても医者などの専門技術があるかたならそれをやればよいわけですが、普通の方に何かそうした特殊技能があるのかというとむろんありません。

 何かしなくてはという気持ちを否定するつもりはありませんが、何もできない方がその気持ちだけで、現場に行ってどうなるのかという話です。

 それにボランティアの人も当然食事をしなくてはならないわけですが、災害などの現場には満足な食事などがあるはずもありません。

 しかし、こうした方々程、ボランティアに来てやっているのだから感謝して当たり前、食事位用意していて当たり前という発想をするようで、見ていてどうかなと思った次第です。


2 語学

 これも単なる私の経験則ですが、語学ができる方ほど、できることを自慢しません。実際しなくてもその方ができることは何かの機会に皆に知れ渡っているので、そういうことをする必要がないのかもしれません。

 私が閉口した方に、それほど語学ができるわけでもないのに、できるようなふりをするために、勝手に歌謡曲を英語に翻訳して、忘年会などで無理矢理それを披露して悦にはいっておられる方がおられました。

 こうした方法をとるのはわからないでもありません。実際、歌であれば、多少発音がおかしくても誰も何も言えません。

 更に私の出会った方の中には、英語ではどの程度できるかがわかってしまうために、それ以外の言語を習得したと吹聴し、他の方を煙にまくことを常とする方がおられました。

 当然、本物ではないので、普段は吹聴しているくせに、本当に話せる人やネイティブが近くにいると絶対に話そうとしませんでした。


3 発展途上国

 これも結構目にするパターンですが、発展途上国に行ってボランティアらしきことをして悦に入っている方々です(発展途上国を自己満足のために利用する人たち)。

 これも1のボランティアと同じで、何もしないよりは良いのは間違いありません。

 ただ、私が結構目にするのは、「貧しい発展途上国を助けてあげているすばらしい自分」に酔いしれている方々です。

 発展途上国の人々の貧しさは本当に底なしで、構造的な問題を解決しない限り、本当の意味での解決はできません。

 だから何もするなと言うつもりはありませんが、無法図に金をやっても何にもならないので、やるのならせめて系統たててやるべきだと思うのですが、そうなると単なる「歯車」になってしまいそれが気に食わないようです。


4 目的

 私が見て、本当にどうかなと思った事例をもう一つ紹介させてもらいます。

 その方は東日本大震災が起こった際に、何かしなくてはという意気込みから、ボランティアとして東北に入ったそうです。

 あれだけの災害ですから、やることが多くあり、それなりに何かをしていたようですが、ボランティアに入った際に、いろいろ思うことがあったようで、仕事を辞めて東北に来られました。

 最初はある程度蓄えがあったことや、ボランティアとしての人でも必要だったので、それなりに食べていけたようですが、震災が落ち着いてくるとボランティアもそれほど必要でなくなります。

 するとどうやって食べていくのかという話になるわけですが、仕事を辞めてしまっておりますので、金はありません。

 結果、現地の人にたかるような感じで、何とか仕事らしきをもらって食べていたようですが、住むところもないので、これまた現地の人の好意に甘えていたようです。

 そうなると本来その土地の人を助けるという高尚な目的のために現地に入ったのに、何のためにいるのかという話だなと思った次第です。


5 最後に

 何が言いたいかというと、やはり地に足をつけることが大事だという話です。

 頭でいろいろ考えてやることは当然大事ですが、相手のことを考えるということは、方法や手段が伴います。

 それなくして、思い入れだけで、何かをしようとしても、単なる空回りや自己満足に陥ってしまうという話で、人を支援するにはそれなりの技術を、語学を習得するためにはそれなりの努力(個人的体験に基づく留学の現実)が必要だという当たり前のお話でした。 



凜amuro001 at 21:00│コメント(0)トラックバック(0)

2014年03月11日

 あの震災から今日で3年となり、テレビなどでは、震災特集などが放送されております(マスコミの震災特集と普段とのギャップ)。

 ただ、原発事故はとても収束したとは言えない状況で、東電の対応を後手後手に回っている感じで何とも言えないものがありますが、その一方でもはや東電一社だけでどうこうできる問題を超えているのではないかという気もしております。


1 あの日のこと

 ただ、私が今日書きたいと思っているのは別に東電についてどうこうという話ではありません。正直、3年前のあの日は、何が起こっているのかわからず、すごい地震があった位の気持ちで家に帰りました。

 そしていつもの様に、インターネットを見ていたわけですが、徐々にただごとではないことがわかり、愕然としたものです。

 そして本当にいろいろなことがありました。物資が不足して、「飽食日本」などと言われてきたことが所詮は物流が途絶えてしまえば、それまでだということを嫌と言う程思い知りました(震災により破壊された「終わりなき日常」)。

 放射能を巡っては、日本の安全神話など「神話」にしかすぎなかったことも良くわかりました。

 確かに暴動や食料の奪い合いなどは起こらず、それについて海外からも賞賛を浴びたという報道もありましたが、その一方で、放射能に対する偏見はかなり強いものがあったようで、あの当時流れた「日本は一つ」というキャンペーンにはかなりの違和感を覚えたものでした(放射線と差別)。


2 日常

 そして3年が過ぎ、大半の人にとっては、日々の暮らしがあり、いつも通りの日常を忙しく過ごしております。

 そうするとどうしても普段は忘れているわけですが、こうしたテレビなどの特集を見ると、やはりあの日の気持ちや、当時行っていた活動などが嫌でも思いださせられるという話です(震災に対する援助と机上の空論)。

 私の様に震災前と同じ日常に戻れる者はなんということはないのでしょうが、あの震災で家族や家などを亡くされた方は「戻るべき」日常はもうないわけで、そうした方々のお気持ちは私ごときが察することさえできないのかとも思います。


3 死者

 国際政治などをやっているとどうしても○○による死者何万人、何千人という話はよく聞きます。普段は単なる数字でしか認識されないわけですが、その亡くなった方々の数字の裏にはそれ以上の苦しんでいる遺族がいます。

 そして、死ななかったというだけで、一生障碍に苦しめられる方もいれば、生活の基盤を失ってしまった方などが大勢います。

 私の専門はどうしても中国関係なので、こうした話で、現時点で真っ先に思い浮かぶのは昆明で起こった「テロ」とマレーシアから北京行きの飛行機が消息を絶っていることです。

 特に飛行機については、わからないことが多く、何とも言えませんが、もしテロだとすれば、中国国内で飛行機に乗ることがある私としては他人事ではありません。


4 最後に

 だからというわけではありませんが、自分の身近なことに置き換えて考えてみると、単なる数字が、いろいろ別なものに見えてくるのではないでしょうか。

 物事は何でもそうで、単に「中国」「韓国」とひとまとまりにしてしまうと、「反日」行動を起こしている憎いやつ位のイメージしかわいてこないのかもしれません。

 しかし、いろいろな人がいて、皆自分の生活を頑張っているわけで、そういう一人一人を見るとどうこう言えなくなってしまうと私は考えるのですが、どうもそうではない人もいるという話です(「本当」の中国人を見ることを台湾に要求?)。

 そういう意味で、新大久保等で頑張っている「在日」の方々を「在日」という理由だけで、脅かすようなことはすべきではないと考えますし、「日本人」だという理由だけで、震災で亡くなった人たちを愚弄するようなこともすべきではないと考えます(震災一周年に日本人の死を願う韓国人とそれに対する中国人の感想)。



凜amuro001 at 04:59│コメント(18)トラックバック(0)

2013年11月16日

 『ハフィントンポスト』が「【台風30号】中国のフィリピン支援寄付金は日本の1/5、IKEAよりも下回る その理由は?」という記事を配信しており、いろいろ思うところがあったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 「観測史上最大級の台風30号『ハイヤン』が直撃し、壊滅的な被害を受けたフィリピンに対して、中国がわずかな援助しか行っていないことに非難が高まっている」という記事です。

 「中国のような経済大国からの寄付が120万ポンド(約1億9000万円)」で、「スウェーデンの家具チェーン・イケアの援助額は170万ポンド(約2億7000万円)」にも劣るとしています。

 「専門家によると、中国が相対的に寄付金の額が少ないのは(当初はわずか12万5000ポンド[約2000万円]だった)、中国とフィリピン両国が国境紛争(南シナ海のスカボロー礁[中国名・黄岩島]をめぐる領有権)で緊張関係にあることが原因」という指摘を行っています。

 他国を見ると、「日本はテントや毛布、医療スタッフの派遣を含んだ620万ポンド(約10億円)」「韓国は310万ポンド(約5億円)、インドネシアは210万ポンド(約3億4000万円)、アメリカは1200万ポンド(約20億円)、そしてオーストラリアは1700万ポンド(約27億円)」となっています。


2 度量

 昨日は言論の自由に関連して、中国の度量は狭すぎるのではないかという話をしましたが(山本太郎議員に対する脅迫と度量の広さ)、これも同じ話です。

 確かに中国とフィリピンとは領土問題でもめておりますが(中国とフィリピンの1ヶ月近くの睨み合い普段激しい言葉使いをしている『環球時報』がフィリピン国防大臣の言葉使いをネトウヨ的と批判)、仮に領土問題でもめていたとしても、当然人道的支援は行うべきだと考えます。

 逆に、相手がわだかまりを持っている時に、支援をすることによって相手(周辺)国の印象は大分変ることもあるので、本来であればもめているからこそ、より熱心に行うべきではないかとも思います。

 こうした発想が打算的だというのであれば、どんな方でもその方が困っている時に、どれだけの支援をしてあげられるかが度量の見せ所といったところでしょうか。

 相手(国)が恩を仇で返すようなことをしてきた場合は相手が周辺国からそれだけの批判を受けるだけなので、そう思って気にしないこととするしかないと思います。


3 東日本大震災

 さて、どうしても今回の被害に関連して思いだされるのが、東日本大震災で、当時日本も各国から大きな援助を受けました。

 ただ、「反日」で日本に対し複雑な感情を持つことが多い中国や韓国では援助を巡っていろいろありました。

 実際、あの津波の被害を見て「日本沈没」などと言える中国人((震災に対する中国の以前と同じ論調のコメント)や、「地震で死んで下さい」などという韓国人(震災一周年に日本人の死を願う韓国人とそれに対する中国人の感想)には嫌悪感しか抱きません。

 ただ、結構韓国では勘違いをしている方もおり、援助したのに、日本では未だに竹島問題で譲歩しないという発想から、こうした日本の態度が上で述べたような「恩を仇で返す」行為と思っている人もいるようです。

 だったら日本も韓国に援助をすれば、韓国は領土問題で譲歩するのかという話で、自分に都合の良い様にしか考えないというのはどこの国にもあることですが、すこし度が過ぎているような気がしてなりません。


4 最後に

 日本の援助についてもいろいろ下心があってやっているのではないかとの意見があります。当然全く下心がないとはいいませんし、今後の関係強化を目指してという部分があるのも間違いないかと思います。

 ただ、本当にフィリピンがすごい被害を受けていることは連日報道されており、日本もかつて同じような被害を受けた者として彼らの苦しみがわかるから援助を行って当然だという発想もあるのは間違いないと考えます。

 仮に今回の被害が韓国で起こったとしても、そして日本国内にはいろいろ「嫌韓」の意見(わだかまり)があるわけですが、それでも同じように援助をしたと思いますし、援助をしたからといって、相手に竹島問題で譲歩を迫るようなマネはしないと思います。

 それこそが「度量」というもので、日本はまだまだ大きな度量を有していると私は信じております。



凜amuro001 at 05:10│コメント(4)トラックバック(0)