原発事故

2015年08月11日

 川内原発が再稼働されたので、これについて少し。


1 反対

 テレビなどを見ていて、思ったのが反対の意見が多いという感じのニュースになっているなという点です。実際、真っ先に報道されたのは、市民団体などが川内原発前で派手に反対運動を行っている様子ではないでしょうか。

 当然全てが全て反対というわけではなく、賛成派もいるのでしょうが、集団的自衛権の時のデモなどのような、こうした人目を引く行動が、見ている人にもわかりやすく、先に報道されるということなのでしょう。

 『毎日新聞』の行った世論調査(「本社世論調査:川内再稼働に反対57%」)によると、再稼働に「反対」は57%で、「賛成」は30%となっております。

 これを見ると、全国的な規模でみると、再稼働に反対2に対して賛成1といったところでしょうか。


2 反対の意見

 反対する人の意見というのはわからないではありません(原発事故に関する「言論統制」)。実際、福島原発ではあれだけの被害を及ぼし、未だに家に帰ることができない方が大勢おられます。

 考えようによっては、今回はこれですんだが、次回はもっとひどいことになるかもしれませんし、今回の事故も未だに終結していないのではないかと言われればそのとおりかと思います。

 それなのに、如何にも問題は全て解決したような顔をして、再稼働となれば、何だそれはと思う方がいたとしても何の不思議もありません。

 斯様に心情的にはわからないでもないのですが、中には多少行き過ぎた行動をとられる方もおり、これにはかなり反発しているというのが正直なところです(震災がれき受け入れ反対と新興宗教)。


3 賛成

 その一方で賛成の方もおられます。その最大の理由は経済的なもので、原発立地に依存しているところなどでは、再稼働されなくては街の活気がという意見もあります(『産経新聞』「『やっと日常が戻った』地元住民、再稼働に安堵の声」)。

 実際、火力発電に頼っていたのでは、原油輸入量が馬鹿にならず、日本の経済にとって悪影響だと考える方もおられるかと思います。

 同様に電力会社にしてみれば、原油を確保するコスト、発電もできない余剰設備となってしまっている原子力発電所の稼働という観点から、できるだけ早く再稼働してくれというところでしょう。

 最初に触れた、企業(原発)城下町の様なところや、原発を誘致したことによる補助金で街を維持してきたり、原発関係の雇用がかなりの部分を占めているところでは、当然賛成という話になるかと思います。


4 距離

 人は立場が違えば、意見(考え方)が違うというのは当然です。私ももし電力会社に勤めていたとすれば、現時点で表だって再稼働賛成と言えるかは別として、間違いなく内心では早く再稼働と考えていると思います。

 原子力と離れた立場にいるとすれば、「安全第一」で、もし再度事故が起こったらと考えると思います。そういう意味で賛成:反対が1:2というのは、普段原発から離れている人が多いということも無関係ではないでしょう。

 距離という点では、極端な話、賛成する以上はそのリスクも負う覚悟を持つという話で、原発の近くで原発に依存している以上は、ある程度の覚悟も必要かと考えます。

 万が一にも事故があっては困りますが、「絶対」などというものは存在しませんし、事故がないという想定でいること程怖いことはないというのは、今回嫌という程体験したかと思います。


5 リスク

 そういう意味で、最後はそういう選択をして原発の傍で生活するという選択肢もあるかと思います。

 それが嫌な方は遠くに行く、その際原発からあまりに近いとなれば、基準を設けて引っ越し費用も負担する位の話があっても良いのではないかと考えます。

 その一方、自分で選択して残った以上は、もし何かあったとしても、被害者面をしない。そういう選択があっても良いのではないでしょうか。

 海外で危険な目にあったときに「自己責任」という意見を言われる方がおられます。別にこれは海外に限った話ではなく、国内でも自分の身の周りでもよくあることで、人生は自分で選択した責任は自分で負うのが原則だと私は思っているという話です。 



凜amuro001 at 21:48│コメント(4)トラックバック(0)

2014年06月09日

 ソーシャルメディアプロデューサーの熊坂仁美氏が書かれた「『ほんとに福島で撮ったのか?』と海外から疑われている『HAPPY福島版』登場人物の背景」という記事をたまたま拝見する機会があり、いろいろ思うところがあったので、これについて少し。


1 「HAPPY福島版」

 これは、「ファレル・ウィリアムスの大ヒット曲『HAPPY』にのせて様々な人たちが踊る動画」の福島版を熊坂氏がつくられましたが、その背景を紹介しているものです。

 私がどうこういうよりまず映像を見ていただいた方が早いので、まだご覧になっていない方は是非ご覧になってください。




 彼女がこの映像を撮ろうと思ったきっかけが、「美味しんぼ問題」で、「鼻血と放射線の因果関係というよりは、地元住民ですら判断できないことを、外部の人間がちょっと取材したぐらいで、あるいは福島に来てもいないのに『そこに住むべきではない』などと断言することが腹立たしかったのだ。」と述べておられます。

 そして「福島に住んでいる人というのは『なんとなく』ではなく『それでも福島に住む』と決めた人たちだ。」として、彼(女)たちの福島で生活している様を「HAPPY」に合わせて踊って表現しております。

 また、「『HAPPY』福島版のYouTubeのコメント欄は、そのほとんどがポジティブなものだが、一部海外の『放射脳』の人たちの凝り固まった議論の場にもな」っているとてしており、「福島がハッピーだって?何を言ってるんだ」「よくできた東電の宣伝だ」「政府のプロパガンダにのせられた間違った人たち」といった意見なども紹介されています。


2 住めば都

 こうした映像を見てまず思うのは、「福島」云々以前に、どうしても都会に住んでいるというだけで、田舎を馬鹿にする人はいるという話です。

 確かに人口が多いということは、されだけ多様な多才な人がいるということを意味しており、素晴らしいことです。しかし、だからそこに住んでいるだけで素晴らしいかというとそれは別問題で、こうした映像を見ると本当に自分の生活を大事にしている人がいるということがわかって大変好感が持てます。

 どうしても人は人種等、様々な理由で、相手を差別することがありますが、こうした映像を見ていると人にはそれぞれの生活があり、生き方があるわけで、当人がそれで満足しているものを他人がどういうのはどうかということを改めて思い知らされます。

 そういう意味で、高知に移住することを高らかに宣言し、「まだ東京で消耗してるの?」などと、逆に東京生活者を批判するようなこともどうかと考えております。


3 「美味しんぼ問題」

 いろいろ話題になった「美味しんぼ」は私も拝見させていただきました。「鼻血」などが表現が適切だったかという問題はありますが、確かにいろいろな意見があってしかるべきで、全否定するつもりはありません。

 ただ、元記事にあるように、住んでいる人にしてみれば、「『そこに住むべきではない』などと断言する」のはどうかと思います。

 実際問題、確かに放射線が人体に与える影響について、当然サンプルが少なく、完全に解明されているわけではありません。そのため、わからないことがあることは確かで、そのため避難された方がいるのも当然かと考えます。

 ただ、いろいろな理由からそこに残ることを選択した方もいることは確かで、それを考えずに、ただ「そこに住むべきではない」と断言してしまうのは、あまりにもそこに生活する人たちのことを考えなさすぎるのではないでしょうか。


4 コメント

 また、コメントの主張もわからないではありません。踊っていれば問題が解決するのかというと、そんなことはないわけですし、東電の責任という問題もあることは確かかと思います。

 しかし、人は生きていく時、希望やほこりがなければ生きていけないわけで、今自分がしていること、自分が生活しているところにほこりを持つというのはとても大事なことと考えます。

 そういう意味で、そこに住んでいる人たちが自分たちの生活は「HAPPY」だと訴えるこうして映像は見ていて本当に気持ちが良いと思ったという話です。



凜amuro001 at 23:55│コメント(26)トラックバック(0)

2014年03月14日

 j-castニュースが配信していた「東京、神奈川などから九州への自主避難者 『一定の汚染ある』と賠償請求、に疑問相次ぐ」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 「原発事故後の不安から、東京や神奈川など関東地方から九州に移り住んだ自主避難者らが国や東電を相手に損害賠償を求めて提訴すると報じられた」ことを受けての記事です。

 「福島県からの避難者らが国などを提訴し」ましたが、「関東からの自主避難者らも9月までに訴訟を起こすことも報じられ」ました。

 「避難者らは、事故後の放射線拡散の不安から九州に転居し」ましたが、「住み慣れない土地で精神的苦痛を受けたと訴えている」とのことです。

 記事では、「東京都葛飾区から福岡県内に家族3人で避難した元高校教諭の男性(60)」が紹介されており、「40年の教師人生で培った人間関係が断ち切られたことが一番悲しい。国と東電の責任を追及したい」と会見で話したそうです。

 これを受けネットでは、「ホットスポットの問題はあるものの、自主避難で賠償まで求めるのはどうなのかと疑問が相次いだ」という記事です。


2 不信

 確かに原発事故はかなりの不安を巻き起こし、特に小さい子供を持たれていた家庭ではかなりの不安があったのは確かかと思います。

 それに政府の対応にも問題があり、本来真っ先に出すべきデータを開示しなかったことや(原発事故に関する「言論統制」)、データの公表に問題があったり(原発事故2題)「大丈夫」と言っておきながら、結局避難せざるを得なくなってしまった地域もあります。

 こうしたことが政府に対する不信感を招いたことは間違いなく、私自身も当時の政府や東電の対応は大いに批判されてしかるべきかと思います。

 ただ、その一方で、国民の対応についてもどうかと思うものがあったことも確かです(放射線と差別)。

 また、確かに政府発表が信用できないとは言っても、全てが全て信用できないという態度もどうかと思っており(震災がれき受け入れ反対と新興宗教)、全く信用できないから九州まで逃げる、それに掛かった金額の賠償を求めるというのもどうかという話です。


3 裁判

 裁判は個々の事案で判断されるべきなので、一概にどうこうというつもりはありませんが、一般論として、それほど危なくないところから「自主避難」したのであれば、それは基本的に自己責任の範囲内ではないでしょうか。

 あとは個別具体的に近くにホットスポットなどがあったのであれば、転居の必要性は認めるが、果たして九州が妥当だったかという判断をしていき、賠償額を決めるという話になるかと思います。

 ただ、ここでやっかいなのは、「それほど危なくないところ」と言うのは、後になってわかるという話で、往々にしてわかってから逃げたのでは間に合わないことが良くあります。

 人は何かをなすとき、自分自身で様々な情報を得て判断していくわけですが、必ずしも全てが全て最良の選択ができるわけでありませんし、当時の切羽詰まった状況では、得られる情報も限られていたでしょうし、先に述べたように信用できなかったいうのもわからないではありません。

 結果、後から考えると、おかしな行動になってしまうことはよくある話ですが、そのことについての「責任」といった場合、どこまで他人の干渉があり、どこまでが自分の責任と認められるかという話ではないでしょうか。


4 最後に

 取り返しがつかなくなる前に行動しようというのもよくわかる話で、後から特に子供の健康を第一に考えれば、はっきりしていない状態なのだから、最も安全な策をとろう、最悪のことを考えて行動しようというのもわからないではありません。

 なければないでこしたことはないものの、実際、万が一ということもあり、もしかしたらということのために行動するという心理は大変良く理解できます(ただ、程度問題で、これが行き過ぎると不安障害などになってしまうわけですが)。

 そういう意味で一概にこうした「自主避難」という行動を批判するつもりはありませんが、自分の行動(選択)には自分で責任をとるというのが原則である以上、自分でした避難という行動(選択)について、損害賠償まで求めるのは特別の事情がない限りどうかというのが私の基本的な意見です。



凜amuro001 at 04:47│コメント(11)トラックバック(0)

2013年12月16日

 東京電力の福島原子力発電所の事故に伴う除染処理では、中間貯蔵施設の見通しが立たないため除染の遅れを招いているという批判があります。

 こうしたことを受けて、政府は福島県と原発周辺の3つの町に対し、中間貯蔵施設の建設の受け入れを正式に要請しましたがこれについて少し。


1 地元の不安

 今回一言で「地元」と書きましたが、これについては何をして地元とするかという問題があります。福島県では地方自治体の改選に伴う選挙で現職が相次いで負けるというで事態が発生しております。

 これはまともに考えれば、東日本大震災後の行政の対応に対して不満が高まっているという話であることは間違いないかと考えます(新人が勝利した福島市長選挙と「草の根」と『毎日新聞』)。

 農作物観光業などの風評被害はあるは、除染は進まないとなると、当然こうした不満が募るのもわからないではありません。

 そういう意味で、原発から離れていながら放射能漏れの被害を受けて福島市、郡山市などにしてみれば、除染が進むことは望ましいことと考えているかと思います。

 その一方で、原発から近い今回の3つの町にしてみれば、国有化され自分たちの土地がなくなるわけです。なおかつ処理に30年となれば、国有化された周りの人も帰ってこれるかという話で、町の存亡にも関わる話です。


2 地元の対立

 そういう意味で一口に「地元」と言っても、意見が1つというわけではありません。実際、以前書いたように同じ福島県の被災者といっても、原発の避難民とそれを受け入れたいわき市の軋轢なども起こっています(避難者を受け入れて人口が急増したいわき市の問題と移民問題)。

 おそらくもっと有名な事案が諫早湾の干拓事業でしょう。農地等を確保したい長崎県と漁業被害が出ている佐賀県などの対立から、司法も巻き込んで相反する判決が出される異常事態となっており、開門調査の目途も全く立っていません。

 そういう意味で一口で地元と言ってもいろいろなわけで、今回の事案も「福島県」「地元」と言っても様々な意見が存在することは間違いありません。


3 政治責任

 確かに、中間貯蔵施設とは言っても、このまま実際的な最終処分場になってしまうのではないかという懸念は皆思っているかと考えます。しかし、その一方で、では他にどういう政策があるのかという話です。

 中間貯蔵施設がなく、除染で発生した大量の「ゴミ」などを保管する場所がないために、除染か進まない現実があるわけで、どこかに造らなければならないわけですが、そうなれば場所はおのずと限られてくるというのは皆思っていることではないでしょうか。

 最後は痛みを伴う決断を誰がするかという話なわけで、政治とは配分できる資源が限られている以上、どこを削減してどこに配分するかという決断が必要で、今回その決断がなされたということかと思っています。


4 八方美人

 これまでも民主党の理想論を散々批判してきておりますが(細野幹事長と民主党と理想論田中眞紀子議員を例にした民主党の敗因)、政治は理想だけではできるものではありません。

 時には「公共の福祉」のために、誰かに痛みを負わせることも必要となるのは間違いないわけで、あとは十分な補償という話になるのかと思います。

 ただ、問題はこの配分加減で、こうした痛みを過度に押し付けるのは間違っています。かといって、全く押し付けないまま「ゆでガエル」の様に、何も有効な政策が打ち出せずに国が衰退していく様でも困ります。


5 最後に

 当事者にしてみれば自分たちの今後の生活がかかっているわけですが、大変な話で、よそ者が思い知ることができないところもあるのも間違いありません。ただ、だからこそ大局的に物事が見れないという面もあることは否定できないかと思います。

 かといって、自分たちのことを自分たちで決定できないというのもおかしい話で、最後はやはりバランスという話になっていくのではないでしょうか。



凜amuro001 at 05:46│コメント(3)トラックバック(0)

2013年11月18日

 任期満了に伴う福島市長選が11月17日に即日開票され、無所属で新人の小林香元環境省東北地方環境事務所長が、自民、公明などの支援を受け4選を目指した現職の瀬戸孝則氏にダブルスコアーという大差で初当選しました。

 これに伴う『毎日新聞』の報道がいろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 3つ紹介させていただきます。まずは「放射線対応 住民『裏切られた』」ですが、「市民一人一人の現状への不満が大きなうねりとなり、地滑り的な勝利をもたらした」として、「事故後、子育て世帯の自主避難が相次」いだものの、「市から地区振興策が具体的に示されたことはな」かった事例などが紹介されています。

 2つ目は、「『福島を変えて』草の根の声届く」ですが、一人で行った記者会見や「母校の同級生や同市内の親戚を中心に、友人から友人へと草の根で支持を広げる地道な活動」が紹介されています。

 そして、最後に敗れた現職陣営の声として、「実績と具体的政策を持つ瀬戸氏こそ復興を進められると考えたが、事故後の対応について理解をしてもらうことが難しかった。反応は良く、自民党への批判とは受け止めていないが、無党派層に訴えが届かなかった」を紹介しています。

 3つ目が「除染市町村任せのツケ」で、今回の結果を「原発周辺以外の除染を国が市町村に任せっきりにしてきた現状に異議を突きつける結果」で「ダブルスコアの票数で表れた福島の怒りを政府・与党は重く受け止めるべきだ」としています。

 ただ、その一方で、小林氏陣営の声として、「現職でなければ誰でもいいとの声があったのは事実だ」という意見を紹介したり、「選挙戦で小林氏は現市政を批判したが、現状を打開する対案を示せたわけではない」ともしています。


2 市民運動(草の根)

 記事では「草の根」の勝利とされているところもあります。確かに既存大政党に「市民」が異議を唱えたという構図もなりたたなくはありません。

 私自身、中央の大政党がどこまで地元の思いを汲み取っているかとなると、確かに疑問で、今回の結果を見ても不満がかなり積っているというのは間違いないかと思います。

 ただ、その一方で、私は市民運動に諸手を挙げて賛成する気にもなりません。現状に不満を言うこと(現政権を批判すること)は簡単なことですが、問題はだったらどうするかという話で、菅元首相が典型ですが、現状の解決策を提示できなければ何の意味もありません(市民運動家と政治家の違いと原発停止)。

 政治家は国民に対し、具体的な政策を示すことが求められます。理想が高くとも現実に使える資源(金や人力)は限られており、それらをどう配分するかが政治なわけで、理想だけを追い求めた失敗例の典型が民主党政権だったかと考えます(田中眞紀子議員を例にした民主党の敗因)。


3 地方自治
 
 そういう意味で、今回勝利した小林新市長がどのような政策をとってくれるのかという話になるわけですが、正直私はあまり期待しておりません。

 というのは、日本では地方自治といいながら、中央が金や政策決定権を握っているのが実情で、地方だけで、どこまでできることがあるかと言われるとかなり疑問だからです。

 正直誰がやってもあまり変わり映えしないが故に、自治体では長期政権となることが多く、今回の瀬戸氏も4選目を目指したことからわかるとおり、既に12年という長期に渡って市長を務めてきたわけで、今回原発の問題がなければ、更に続いていた可能性が高いのではないかと思っています。

 当然、皆これで良いとは思っていないわけですが、有る程度安定した生活が送れていれば、何も無理をして変える必要もないというのが本当のところで、不満の高まりがそれほどでなければ現状維持を選択するというのはどこの国でもあることかと思っています(山本太郎議員に対する脅迫と度量の広さ)。


4 最後に

 どちらかと言えば「反原発」よりの、『毎日新聞』なので、「草の根」という単語を見たときは、単純に「大政党=悪、市民運動=善」という形で記事が構成されているのかと思ってしまいました。

 しかし、必ずしもそういうわけではなく、放射能漏れという未曽有の事態に、誰がやっても難しいことは間違いないという前提と、はたして新市長にどこまでできるのかという視点は保持しており、そういう意味で好感が持てる記事だったが故の今日のエントリーでした。



凜amuro001 at 05:48│コメント(2)トラックバック(0)