結婚について

2016年03月26日

 乙武洋匡氏の不倫問題がいろいろ話題になっているようなので、これについて少し。


1 初めに

 初めに断っておきますが、私のスタンスとしては、彼の不倫問題は彼の家族内のことであり、本来他人があれこれ言う話ではないと思っております。

 ただ、今回この話題に触れようと思った原因が、これについていろいろ言う方が多いわけですが、その中にこれは少しおかしいのではないかと思う意見があり、それで題材にした次第です。


2 古市憲寿氏の意見

 『ディリーニュース』の「古市憲寿氏、友人の乙武氏問題に言及」によると、「親交がある社会学者の古市憲寿氏(31)」は、「ツイッターで『庇う気はありません』」としながらも、「今回の現場で起こっていたことは、普通『不倫』と聞いて想像する光景とは、かなり違っていた気もする」と記したとあります。

 何でも、古市氏は「『忘れている人がいるかも知れないけど、乙武さんには手足がありません。だから自分では服を脱ぐこともできないし、相手の服を脱がせるなんてとてもできない』と切り出した」そうです。

 そのうえで、「『TVで知ったであろうお子さんのことを思うと胸が痛むし、庇う気はありません』と断ったうえで『ただ…今回の現場で起こっていたことは、普通『不倫』と聞いて想像する光景とは、かなり違っていた気もするんです』と指摘した」そうです。

 何でも「『不倫相手』がしていたことは、愛情表現としての実質上の介護に近いものだったろうし、奥さんは3人の子育て中だった。確かに『不倫』には違いないんだけど、当事者しか知らない、何か別の名前で呼んだほうがいい関係がそこにあったんじゃないのか…?そんな風に想像してしまいます」という主張です。

 そして、「最後に『いま僕が間違いなく言えるのは、乙武さんが奥さんや子どもたちと離れたくないってずっと思っていたし、今もそうなんだろうということ』と綴った」とあります。


3 介護

 これを読んでものすごい違和感を覚えたのが「介護」を出してきていることです。

 確かに乙武氏は障碍者で、介護を必要とされているわけですが、介護とは身の周りの世話をすることであって、今回問題となった性の問題とは全く関係ありません。

 確かに障碍者の性の問題も無視すべきではなく、これはこれで考えるべきことですが、少なくとも今回の「不倫」と関係があるとは思えません。

 というのは、介護に従事されているヘルパーは介護者の自宅を訪問しなくてはならないわけで、理性がきかなくなってしまっている高齢者の方々を相手にすることもあります。

 結果、セクハラまがいのことをされたという報告を目にしたこともあり、常々大変な仕事だと思っている次第です。

 そうした方々が苦労されている現状があるにもかかわらず、「友人」を弁護するためだったかもしれませんが、こともあろうに「不倫」の理由として「介護」の問題をだしてくるのは、現場で苦労されている方々を愚弄するにも程があると思った次第です。


4 妻

 それと、今回の問題で私自身どうしても納得できないのが、本来何の責任もない奥様にまで声明文を出させたことです。

 ネット上では、参議院選挙をにらんで、妻の許しを得たことにしたなどの意見も散見されますが、本来責任を取るべき方が発表すべき声明に被害者たる方の「許し」の声明を入れることにかなりの違和感をもっています。

 例えば、交通事故などを起こした加害者が被害者も下記のとおり、許してくれておりますという感じの声明をだしたら普通の方はどう思うかという話です。

 単なる自己保身以外の何物でもなく、私的にはこうした声明を出さざる負えなかった「被害者」の境遇に同情するだけです。

 私の勝手な想像ですが、奥様は3人の子供を育てられているわけで、これが離婚となれば、今後の生活がどうなるかなども考えなくてはならなかったかと思います。


5 弁護

 古市氏の弁護に戻りますが、「乙武さんが奥さんや子どもたちと離れたくないってずっと思っていたし、今もそうなんだろうということ」というのであれば、彼の行動を非難すべきであって、擁護すべきとは思えません。

 当たり前ですが、「離れたくない」のなら、それなりのことをすべきであり、最低限度の守るべきことは守るべきだと思うだけです。

 それをしかなったから、今回これだけの問題になったのであり、そういう点でも私は古市氏の主張にはかなりの疑問を持っているという話です。


6 最後に

 最初に述べたように、私は基本的に彼の不倫についてどうこう言うつもりはありません。ただ、私は不倫はされた方のことを考えるとどうかと思っています(日経記者がAV女優をしていたことが話題となる理由)。

 また、乙武氏の場合、教育者としてどうなのかという話はついてくると思っております。

 そのため、今後彼が子供の教育問題についてどのような発言をするのか、子供の教育に必要不可欠な家庭の問題についてどのように発言するの、興味深くみてみたいと思っています。

 また、参議院に立候補して国民の代表となりたいのであれば、声明文を出して終わりではなく、国民の前にでてそれなりの謝罪をするなどのけじめはつけるべきかと思っているという話です。

 そして、その際には間違っても奥様を引きずり出すような真似はしないでもらいたいと思っているだけです。



凜amuro001 at 21:45│コメント(9)トラックバック(0)

2015年12月14日

 前回エントリーした「「同性愛は異常」と無邪気に思えること」はありがたいことにBLOGOSに転載いただき、いろいろな意見をいただくことができました。

 正直この話題で、これほどのコメントがつくとは思っていなかったのですが、それだけいろいろな考え方があるということかと思います。

 今回はそのコメントを受けての感想と、前回の補足について少し。


1 言葉狩り

 コメントの中に、私が「異常」という言葉にこだわって言葉狩りをしているだけではないかというものがありました。

 私自身、マスコミが自主検閲で行っている「言葉狩り」については、常々疑問に思っており、単なる言葉についてどうこういうつもりはありません。

 県議の思想の後ろから透けて見える、「ストレート」だけが絶対で、それ以外は認めないという態度がおかしいのではないかというのが出発点です。


2 相対主義

 そういう意味で散見されたのが、相対主義なら、県議の意見も認めるべきではないかというものです。

 私は基本的に彼の様な人がいることは排除しません。ただ、自分の主張・思想だけが正しく、それと異なるものは排除すべきだという態度がおかしいと言っているだけです。

 そういう意味で以前書いた様に、私は他人が頭の中で何を考えようが、どのような極端な思想を持っていようがそれを排除しようなどとは思いません(性的マイノリティへの偏見や差別をなくすにはどうしたらよいか)。

 ただ、それを表に出すので、あればそれで傷づく人もいるということを考えるべきで、そうした配慮が必要ではないかと言っているだけです。

 法律学的に言えば、思想の自由は無制限で認められるべきだが、それを公表するとなると公共の福祉や他(人)の自由権との整合性が必要になるという話です。

 もしかしたら、これは礼儀と言い換えた方がわかりやすいかもしれません。例えば他人の容姿についてどうこう言う人がいれば、それは礼儀としてどうかという話で、人の性癖も同じかと思います。

 ただ、ツイッターなどで、当事者との距離が遠くなってしまうと想像力が働かなくなるのか、こうした礼儀しらずな発言をして、炎上する人がいうという話と通じるものがあるかと思います(ツイッター炎上と発言基準)。


3 生物学

 生物学は門外漢で、確かに私の説明にも言葉足らずの部分がありました。それに竹内久美子氏については、確かにトンデモな部分があることは私も否定しません。

 例えば、彼女はツバメの雄のしっぽの長さから寄生虫への対応を雌が判断している(結果もてる)という説から、人間の女性もだから長い脚の男性が好きなのだと言う結論に至ったことなどがありますが、これはかなり無理があると思っております。


 ただ、言いたかったのは簡単に同性愛を「異常」といって良いのかという話で、コメントして下さった方もいるように、動物でも同性愛は多々みられ、特にボノボなどの事案では、本当に有名です。

 竹内氏を引用したのは、彼女の場合、結論はともかく、こうした学説を数多く紹介してくださっており、最初から排除するのはなく、そうした例を知れば、また考え方もかわるかなと思ったという次第です。


4 排除の原因

 紙屋高雪氏がこれまた『BLOGOS』で「同性愛を『気持ち悪い』と思うこと」というエントリーを行っております。

 この中で、「ぼくがふだん接する人たちの大半は、彼ら・彼女らが性的な存在であることは伏せられている。伏せられたままつきあうのである。いちいちそのセックスやいちゃいちゃぶりを想像したりはしない」という前提に立ちます。

 ところが、「こと同性愛者にかんしては、性的存在であることを、ことさらに思い出してその情報をつけて思い起こそうとする。また、話題にする」から「気持ち悪い」と思ってしまうのではないかという興味深い論考をしておられます。

 まさに卓見で、同性愛というと、どうしてもどう愛しあうのかとか、彼(女)と彼(女)がとか、そういう思想が先にたつのでしょう。


5 男性の排除の原因

 あと、私が思うのが今回の県議もそうですが、男性の男性に対する排除の原因です。

 男性にしてみれば普段はレイプの被害などは考えません。ただその例外足りうるのが、この同性(男性)からのレイプです。

 普段安全地帯にいるものが、同性から望まない性行為をされるというトンデモナイことの被害者となりうることもあるわけで、これはかなりの恐怖感をもたらすかと思います。

 というと、江戸時代では陰間などが普通に存在したではないかという話になりそうですが、あくまであれは「攻め」に過ぎません。

 つまり、自分の男性性は維持したまま、性行為の相手を買っているだけで、自分の優位性(主体性)は揺らぎません。


6 最後に

 ま、結論としては、私は同性愛がだめという方にそれを強制するつもりはありませんし、私自信も強制されたくありません。

 ただ、他人の性癖(嗜好)を勝手にどうこう言うのはおかしいと思っている話で、頭の中でそれを思う分にはいくら思ってもかまいませんが、それを態度や言動で当事者に対して示すのはどうかと思っているという話に過ぎません。



凜amuro001 at 22:44│コメント(9)トラックバック(0)

2015年12月11日

 時事通信によると(「同性愛は異常」とやじ=岐阜県議、ツイート問題質疑で)、同性愛について、岐阜県議会で県議がいろいろ発言したことが話題になっていたので、これについて少し。


1 「同性愛は異常」

 「岐阜県の男性職員がツイッターに『同性愛は異常』などと投稿した問題で、藤墳守県議(74)=自民=が10日、この問題に関する議会の質疑中、本会議場で『同性愛は異常』とやじを飛ばした」そうです。 

 「藤墳県議は取材に応じ、『差別的意識でなく、同性愛を認めれば少子化が進み、国も地方も成り立たなくなるという趣旨だった』と説明。発言は撤回しない」とも報道されています。


2 「正常」

 おそらくこうした発言をなされた藤墳県議は自分は異性が好きな「ストレート」なので、「正常」だという発想があり、結果今回の発言になっているのかと思います。

 しかし、外国で暮らしてみればわかりますが、日本での「常識」だとか、自分が「正常」だと思っていることなどは全く通用しないことがよくあります。

 例えば、日本人がよくやる背広に財布を入れたまま、背もたれにかけておくなどというのは「バカ」としか言われません。

 当然悪いのは盗んだ相手となるわけですが、そんなことをしておくのが悪いという話で、下手をすると、そんなことした方が「異常」、「世間知らず」と言われても仕方がありません。


3 少子化

 県議が主張された同性愛を「認めれば少子化が進」むですが、これもとても説得力があるとは思えません。 

 子供の数という意味では、確かに晩婚化、結婚数の減少なども問題もありますが、日本の現実としては堕胎の数の多さの方が問題となるかと思います。

 そういう観点から考えると、子供を生んで育てることができない現状をどうするかということが大事なわけで、政治家であれば、そうした観点から政策を考えていくことが彼のやるべきことかと思います。

 また、生物学の観点からみれば、人は単なる遺伝子の乗り物でしかないという考えもあります(ドーキンス『利己的な遺伝子』)。


 だったら、同性愛はおかしいのではないかとの主張もあるわけですが、これについては竹内久美子氏などが興味深い論考を行っておられます(『同性愛の謎―なぜクラスに一人いるのか』) 。



4 最後に

 斯様な点から見ても、「同性愛は異常」などとは簡単に言えないかと思うのですが、それが言えてしまうのは怖いところかと思います。

 どうしても、自分が正しいと思うと、それが当たり前と考え、更にはその発想を他人に強制してしまうことがあるわけで、その典型がISかと思っております。

 できれば、彼らには、彼らがアラーの神を信じるように、他の者も他の神を信じる自由があると思ってもらいたいのですが、一神教という性格上それが難しいのかもしれません。

 私は相対主義者なので(相対主義)、他人の価値観を尊重することが大事だと思っております。そういう意味で、今回の県議の意見それ自体を否定する気はありません。

 ただ、私的には、彼が他人の意見(嗜好)を尊重しない態度がおかしいと思っているだけで、この点は前回の杉田元議員に対する批判(「夫婦は同姓であるべき」という「理想」)と通じるものがあります。



凜amuro001 at 22:16│コメント(4)トラックバック(0)

2015年12月07日

 いつもお世話になっている、『BLOGOS』で杉田水脈氏が「夫婦別姓〜賛成の人が増えているようですが。」というエントリーをなされていたので、これについて少し。


1 記事の紹介

 彼女は「選択制夫婦別姓について」いろいろな理由を述べ、反対意見を表明されております。彼女も「結婚して姓が変わりましたが」、「おめでとう、よかったね。」など「返ってきたのは祝福の言葉ばかり」だったそうで、「不便なんて一度も感じたことが」ないとしています。

 選択制になって喜ぶのは少数でしかないのだから、他の「もっと早急に取り組まなければならない課題」を処理すべきともしています。

 「他の先進国はすべて、夫婦別姓」かもしれないが、「日本には世界に誇る戸籍制度があり」「青年海外協力隊でアフリカに行っていた友人が戸籍制度があるのとないのとでは、『命の重さが違う』と、言ってい」たという意見を紹介し、「他国の真似をする必要は」ないとします。

 「結婚して姓が変わったとたん、今まで書いた論文や研究の実績がすべて消えてしまった」という意見に対しては、「結婚して姓が変わったくらいで消えてしまう実績や論文はそれだけのものだったということだと思います。残念ながら内容の問題だと」断言されておられます。

 更に選択制にすると、「両親がそれぞれ『選択して』違う苗字を名乗る家庭で、子どものアイデンティティはどうなるのか」と疑問を呈され、「むしろ離婚は増え、もっと家族崩壊は進むと考えられます」としておられます。


2 選択制

 最初に私の意見を述べておくと私は選択制に賛成です。私は基本的に価値観は多様であればあるほど良いという発想なので、当然こうなるという話です。

 同時に私は他人を説得しようなどとおこがましいことを思ったことはありません。人の価値観にはいろいろあってしかるべきなので、こういう考え方を持っている人がいることは承知しておりますし、それを否定しようとも思いません。

 実際、杉田氏も「『話を聞く』=『同調する』ではありません。」「いくら話を聞いてもやはり自分の考えは変わらないこともあります。」としておられます。


3 疑問点

 ただ、彼女の挙げた理由にいろいろ私自身は納得いかないところがあるという話です。最初の、結婚して姓が変わったことにより、「祝福の言葉ばかり」だったそうですが、結婚の報告を受けて、祝福以外の言葉を掛ける人がいるかという話で(いたらそんな知り合いを持っている人がおかしいという話です)、これが何の理由になるのか私は疑問です。

 アフリカとの命の重さの違いに戸籍制度の有無が何の関係があるのか私はさっぱり理解できません。発展途上国で命が軽いのは事実ですが(現実には重さが異なる命と平等に来る死)、戸籍をつくればその命が重くなるとでもいうのでしょうか。

 苗字が変わったことにより、「論文や研究の実績がすべて消えてしまった」ことに対する批判は私的には非情の一言です。

 確かに本当に有名な方であれば、改名してもそれを広く世間に訴える機会はあるでしょうが、残念ながら大半の人はそうではありません。

 発表の場すら限られているのが現実で、やっと獲得した機会なわけですが、それを能力不足と言うのであれば、現場を知らない強者の理論ですし、極端な話をすれば、政治(家)の自己否定にもなりかねません。

 というのがこの理屈が成り立つのであれば、貧乏は稼ぐ才能がなかったか、努力しかなかったのが原因ということになるので、生活保護などは一切必要ないという話にもなりかねません。

 それに政治家の大好きな衰退産業への補助金なども間違っても支給してはいけないということになります。


4 最後に

 私が常にこうした方々の主張として疑問に思っているのは、根底に「日本はすごい」のだから、他国の真似をする必要はないという発想があるのに、一方でそれと逆行するような態度をとっていることです。

 今回の事案であれば、離婚率の低さが日本の美徳であったので、それがおかしくなってきているというのが根本にあるかと思います。

 私的には、たかだか夫婦別姓にして位でおかしくなってしまうもの(それも1つの選択だと思っていますが)を後生大事守る必要はないと思うのですが、どうもこうした方々は違うことを考えている様です。

 おそらくこうした方は先に理念型(もしくはイデア)とでもいうべき、あるべき日本の姿というものがあってそれに適合しないものは、おかしいという発想で動いているような気がしてならないという話です。



凜amuro001 at 22:19│コメント(6)トラックバック(0)

2015年09月14日

 『All About』が掲載していた「経験者が証言!田舎に移住したい人が知っておくべき3つのこと」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 実際に田舎に移住された方が、ご自分の経験をもとに「住まいをどうやって見つける」かの実践論、田舎で生活するにあたってとても大事な人間関係などについて書いている記事です。

 「農業、学校、病院」などの具体例についても記載してくれております。

 その上で、「移住する際に注意すべき点を挙げてみました。『こんなはずじゃなかった』と思うのではなく、事前にさまざまな可能性を考えてから、移住を決断しましょう。」と最初に前ふりをして「実は私の実感は違います」と以下に結論を書かれています。

 移住なんて勢いでするものです。したいと思ったらしちゃってください。そのあとに不満や文句が沢山出てきつつも、豊かな自然やとびきりおいしい食べ物たち、静かで穏やかな生活、子どもたちとする釣りや川遊び、カヌー、焚き火、虫取り、そして畑仕事、家のセルフビルドなどの楽しさが捨てられなくて、結局文句を言いながら移住生活を続けるのではないでしょうか。

 移住生活には中毒性があります。都会生活と田舎での移住生活を繰り返してきた私は、そんなふうに感じています。

2 勢い

 この勢いというのは本当にその通りかと思います。移住もそうですが、結婚もおそらく同じでしょう。

 結婚は、ある意味博打と同じで、予め慎重にいろいろ考えても、実際に一緒に長期間暮らしてみないと(ふたを開けてみないと)わからないことは多々あります。

 当然、全く何も考えないで結婚という一大決心をするのは当然論外ですが、かといって初めからいろいろ考えすぎては何も前には進みません。

 結果、あれやこれやと難癖をつけて引き延ばした結果、一生独身ということにもなりかねません。

 仕事でも何でも最後は思い切って提出してしまうということが必要で、公募でももっと良い作品ができたら等と思っているうちに、ズルズルという話はよく聞きます。


3 好きなこと

 人生最後は運ということはよくあることで、受験でも最後の勘でつけた選択が当たった結果合否をわけることはよくあります。

 スポーツなどでも本当に最後は紙一重ということはよくあるわけで、その時たまたまうまくいった結果、普段なら勝てない相手に勝ってしまったという話も良く聞きます。

 当然そこに至るまでの努力をしたうえでの話ですが、努力しても最後は運ということは人生いくらでもかるかと思います。まさに「天は自ら助くるものを助く」の世界です。

 人生どうなるかわからない以上、やはり好きなことをしてみるという思いきりも時には必要です。


4 最後に

 ただ、ここから先が厄介なわけですが、中には先のことを何も考えずに思い切りだけでやってしまう方もおり、正直如何なものかと思うことがあります。

 他人のことはよく見えても自分のことは見えないというのはよくある話で、傍からみるとあんな馬鹿なことをしてということもよくあります。

 そうなると人の意見を聞くということも大事なわけですが、人の意見ばかり聞いていても前には進まないというのも当然の話です。

 最後は自己責任という話になるのでしょうが、国としてセイフティネットを用意しないわけにはいきません。

 結果、若いときに好き勝手やって、年をとったら生活保護というパターンにもなりかねず、どうかなと思った次第です。

 ま、最後はいつも通りのバランスをどうとるかという話です。



凜amuro001 at 22:22│コメント(0)トラックバック(0)