生活

2016年04月11日

 トピックニュースが掲載していた「高学歴で大手に勤めた知人の悲痛な声が話題『定年までただ働くための人生』」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 「あるTwitterユーザーが、高学歴で大手の会社に入ったという知人の悩みを投稿をし、反響を呼んでいる」そうです。

 投稿の中身は、「知人が『期待されるまま、死ぬ思いして受験合格して就活戦争も勝ち抜いたけど、こんな定年までただ働くためにこれまでを費やしてきたのかと不意に思えてきて、人生を深く考えるのが怖い』と話していた」というものです。


2 人生

 人生の目的は何かということを考えるとおそらくかなりばらばらな答えが返ってくるかと思います。人それぞれやりたいことと違いますし、何を目的とするかによって生き方も全く異なってきます。

 また、先のことより今の楽しみが大事だとばかりに金を使う人もいれば、将来何かあったときのために金をためておくことが必要だという風に性格の違いというのも生き方に反映してくると思います。

 ただ、現実問題として、生きていくためには金が必要で、金を稼ぐためには仕事をしなくてはならないということだけは確かかと思います。


3 仕事

 そういう意味で仕事は大事ですが、現実問題として仕事にはかなりの労力を割かれます。中には、「かなり」どころか、殆どの労力をつぎ込まないと間に合わないという方もおられるかと思います。

 結果、仕事が第一になってしまうと本来金を稼ぐという手段にすぎなかったことが、中心になってしまうわけで、今回のツイッターもその一例かと思います。

 会社に入ってしまえば所詮は歯車でしかないわけで、ある程度の安定と引き換えに面白くもないことをひたすら回りの人と協調しながらやっていくだけの生活となります。


4 冒険

 そうなると、そこからはみ出したくなるという気持ちもわからないではありません。確かにチャレンジしない人生はおもしろくもないのは間違いありません。

 また、自分に何ができるか試してみたいという気持ちもわからないではありません。

 ただ、現実問題として成功する方が少ないのは事実ですし、自己判断はどうしても他人がするよりかなり甘めになるというのもよくあることです。

 結果、失敗したらどうなるかということを考えると挑戦できないまま、歳を重ねていくというパターンになってしまうということかと思います。


5 最後に

 やっても後悔、やらなくても後悔ならやった方が良いという方もいるでしょう。ただ、やる以上は自己責任という話がついてくるのは当然かと思います。

 中にはどうしても失敗するのが明かとして思えないことに挑戦する方や、やるべき努力をせずに当然成功しないかたもおられます。

 最後はその方の一生なので、私ごときがどうこう言う話ではありませんが、私的にはどうしても違和感を持ってしまうという話です。

 もしかすると私自身が既に冒険心をなくしてしまうほど、歳をとってしまっただけかもしれませんが、何かをしたいのであれば、それをするだけの経済力を備えるか、それなりの努力をすべきというあたり前の話がしたいだけです。



凜amuro001 at 22:26│コメント(7)トラックバック(0)

2016年04月07日

 ここのところ、引っ越しでばたばたしていたことや、新しい職場になじめずいろいろあってとてもブログを書く余裕がありませんでした。

 今日は、諸手続きのため休みをとってやっと一息ついている状態なので、更新でもしようかと思った次第です。


1 身内

 ただ、そう思っていた矢先に朝メールがきて私が親しくしている人がガンでステージ4と宣告されたとの知らせを受けました

 2ケ月程前に、その方に合ったばかりでしたが、その時は本当に元気にしていただけに全くショックを受けてしまって何も手がつかなくなってしまいました。

 ガンでは本当に大勢の人が命をなくしておられます。それは頭ではわかっているのですが、あの元気な人がいきなり緊急入院をしたと思ったら手術をして病床に臥せっておられるということがあまりにも突然で、頭の整理ができていないという話です。


2 客観

 そういう意味でいつもえらそうにどこか達観したようなことを言っている自分が少し恥ずかしくなったのと、今の気持ちを整理しておきたいというのが、ブログを書いている理由です。

 無我の境地というか、全てのものをそういうものだ(いずれは誰もが死ぬ、形あるものはいつかは壊れる)と割り切れれば多分気持ち的には楽なのでしょうが、口で言う程簡単ではありません。

 また、そうしてしまえば親しい人であろうが、親しくない人であろうが、扱い(思い)が同じにするという話にもなってしまいますので、それはそれでおかしいと思いますし、私もそうしたいとは思いません。


3 平等

 何度か書いておりますように、人の命は平等ではなく、自分にとって大事な命と、関心の薄い命のあるのは仕方のないことかと思います。

 ただ、自分にとっては関心が薄いかもしれませんが、その命に多大な関心を持っている方はいるのは間違いありません。

 そういう意味で、そうした関心を持っている方がいるということを思いだすことは極めて大事で、それがないとどうしても他人の命に無関心になってしまうと考えます。


4 最後に

 今後その方がどのようになるか予断を許さない状態ですが、これから闘病生活を送っていかなくてはならないことは間違いありません。

 普段ガンについて私は大した感慨を持っておりませんでしたが、今回改めて思いしらされたという次第です。

 あまりとりとめのあるものではありませんが、私自身かなりいろいろあってまいっている状態で、それを記録に残しておきたいが故の今日のエントリーでした。



凜amuro001 at 20:13│コメント(0)トラックバック(0)

2016年02月01日

 突然ですが、どちらかというと左よりの方から、誰もが貧困に陥る可能性があるのだから、福祉を充実すべきという意見をたまたま聞く機会があり、思うことがあったので、これについて少し。


1 セイフティネット

 極端な意見に、人生何事も挑戦で、失敗しても生活保護があるからやってみるべきだという意見があります。

 私がお世話になっているBLOGOSでもHayato Ikeda氏などがそういう意見を述べられたことがあると記憶しております。

 私もセイフティネットは多ければ多い程良いと思っておりますが、如何せん、こうしたものには金がかかるので、一定の限界が必要だとおもっておりますし、最後は自己責任という考えも必要なのではないかと思っております。


2 敗者復活

 確かに日本の社会は、敗者復活という面では確かに道が少なく、一度失敗したものには厳しい面があることは確かです。

 就職にしても、基本的には新卒一回勝負ですし、受験にしても、中学、高校、大学で一度落ちこぼれれば、大半の方は、それまでです。

 ただ、他の国でもある意味これは共通している面があるかと思います。ヨーロッパ(特にフランス)などは典型的なエリート教育で、日本以上に厳しい選抜が行われています。

 転職率が高いので、アメリカなどの敗者復活率は高いと思っている方がいるかもしれませんが、限られた階層内での転職が可能なだけで、階層を超えての本当の意味での敗者復活は難しいというが私の理解です。


3 安全

 思うに発想自体が逆で、人間はもともと不確定要素の強い人生を生きてこざる負えなかったわけで、それがたまたま科学技術、制度の進歩でそれなりに安定した生活をたまたま送れるようになっているに過ぎないと考えるべきなのではないかというのが私の出発点です。

 長い歴史の中で、否応なしに自然の驚異にさらされてきたのが人類の歴史で、不安定な天候、災害などいくらでも生活に脅威をもたらすものは存在します。

 現在、ある程度コントロールできるといっても限界があるわけで、阿部謹也氏の言を借りると小宇宙に生きる人間は大宇宙を恐れざるを得なかったということかもしれません。


 それがたまたま、ある程度コントロールできるようになったわけで、金銭面で余裕のある人であれば、高技術の医療をうけることができるようになっています(特にアメリカ)。


4 公平

 そうなると、それを見て、人は平等なのだから、自分もそこまではいかなくても、ある程度の生活は受けたいと考えるのはわからないではありません。

 しかし、あるものを獲得するためには、それなりの対価を支払わなければならないわけで、そのためには嫌な仕事もしなくてはなりません。

 また、先に見たように、もともと人生は不確定要素が多く、何が起こるかわからない以上、備えが必要で、保険や年金などの準備も必要かと思います。

 ところが、中にはそういう準備をせずにいるうちに体を壊した、歳をとったなどの理由で働けなくなる人もでてきます。

 そうした場合に本来どうすべきか、どうあるべきかはもう少し真面目に考えても良いのではないかと私は思っています。


5 最後に

 何度も繰り替えているように(現実には重さが異なる命と平等に来る死)、人が平等などというのは私はフィクションにしか過ぎないと考えています。悲しいかな安い命は地球上にたくさん存在します。

 かといって命が尊いのに間違いはなく、準備をしてこなかったが故に、死ねというのも極論かと思います。

 しかし、その一方で、財源に限りがある以上、全ての人(何も準備をしてこなかった人を含めて)に一定以上の福祉を提供するというのも限界があるかと考えます。

 そうであれば、基準とかペナルティとかを設けるというのも一案かと思いますが、その基準となると本当に難しく、下手に差別と騒がれるとそれこそ政治的に大問題になりかねません。

 結果、現在のような一律が無難という話になるのでしょうが、財源が無尽蔵でない以上、今後増え続ける福祉をどうするかは本当に国民が考えていかなければならない問題で、そこには痛みが伴うことも覚悟しておかねばならないというのが私の出発点です。

 それをただ、理想論だけ掲げて「最後は生活保護」的発想をする人の意見をたまたま聞く機会があり、ふと思うことがあったが故の今日のエントリーでした。



凜amuro001 at 23:06│コメント(5)トラックバック(0)

2015年02月15日

 いつもお世話になっている 『BLOGOS』で木曽崇氏が書かれていた「日本の都会の街並みは、それはそれで美しい」がいろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 これはもともとMay_Roma氏がDMMニュースに書かれていた「日本のヒドすぎる『景観』の根底にあるもの」に対する批判的な記事です。

 May_Roma氏は、そもそも「ネトウヨ諸氏と安倍政権」が提唱しているとされる「美しい国」日本を否定し、「少なくとも景観に関しては、我が母国を「美しい」と褒める外国人はそれほど多くはないのは事実」としています。

 そのうえで、日本を「美しいとは言えない混沌と混乱」と形容されています。

 それに対して、木曽氏は、「街並みを構成するそれぞれの要素の下には、必ずそこで生活する個々の人間の営みがある」として、「景観の中に本当に見るべきものを見ていないだけ」と批判されております。


2 景観

 私の意見はどちらかと言うと、木曽氏に近く、中国大陸(今回の場合は香港の方が適当かもしれませんが)で生活したことのあるものとしては、やはり都市は活気があってこそという気がします。

 多分これは、個人の趣味の問題とか、海外と一言で言ってもどこで生活されたかによって大きく意見が異なるところなのではないでしょうか。

  May_Roma氏が生活されているイギリスやフランスなどでは、「景観」という言葉が重んじられ皆が同じ色彩の家を建てるなどいろいろな制約があります。

 ただ、私の意見としては、それを一方的に「良い」ものと簡単にみなすのはどうかと思っており、そこから一方的に他の価値観を断罪するようにダメ出しするのはあまり好きにはなれないという話です。


3 価値観

 確かに人にはいろいろな価値観があるので、欧州の様にきちんと統一された色彩に基づく街並みが良いという人もおられるでしょう。

 ただ、そう思っていない人もいるという話です。実際、私は都市は、こうした何でもありの方が活気があり、常に変化し続けるべきだと思っています。

 それと、「外人」の意見を出して日本の景観を批判しているMay_Roma氏のやり方があまりに時代遅れで、好きにはなれないという面もあります。

 つまり、ここでいう「外人」とは欧州の景観になれたいわゆる金髪蒼顔の白人のことを指しており、アジアの人などは想定してないのは明らかです。

 なぜなら、アジアには日本以上にごみごみとした地域はたくさんあり、こうした地域から来た人にしてみれば、十分きれいだと考える余地は多いにあるからです。


4 最後に

 それとおそらく、May_Roma氏は安倍首相に対する批判(あてこすり)をしたくて、「美しい国」をからかったのでしょうが、だったらこうした形ではなく、首相の主張している内面なども含めて批判すべきであって、こうした形での批判はどうかと考えます。

 また、批判をしたいのであれば、「外人」の意見などに頼らず自分の意見ですべきで、こうした虎の威を借る狐的な発想はあまり私は好きにはなれないという話でもあります。



凜amuro001 at 23:24│コメント(19)トラックバック(0)

2014年04月28日

 今日は、たまたま高須クリニックのCMが話題になっているという記事を見て、思うところがあったので、これについて少し。


1 CM

 これについては、画像をみていただくのが早いと思うので、まずは下の動画をご覧ください。

 

 ネットでは、「意味がわからない」「カオスすぎる」などといった意見が出されていたそうです。


2 意味

 人はあることに意味を持たせようとすることがよくあります。その典型が自分の人生で、何も意味がなかったなどと考えるのはとてもつらいことなので、必死になって自分が生きてきた意義(意味)を探すことが良くあります。

 実際死んでしまえば全てがお仕舞なわけで(当たり前だけど死んだらお仕舞い)、後に何が残るかといえば、何も残らないことが殆どです。

 よく聞く話ですが、生前苦労して集めたものも、遺族が価値を理解することは少く、売られてしまうということは良くあります。多分その典型が本で、古本屋の腕の見せ所なるのはいろいろ思うところがあります(のこされたもの)。

 ただ、それでも自分の人生何が意味があったと考えないとやっていけないのが人間で、何も意味がなったとは考えたくありませんし、自己満足と言われても意味を見つけるようにしたいと思っております。


3 意味2

 それが他のものに反映されるとこれだけ金をかけたのだから、あれだけの大作をつくったのだから、何か意味があるだろう、伝えたいことがあるだろうと思ってしまうのかもしれません。

 ただ、政策決定でも理由は後からつけることがあり、単に首長(社長)の趣味でそうなったとしか言いようのないことが良くあります。

 バブル華やかなりしころ、地方自治体の国際交流がもてはやされたことがありますが、実際自治体レベルで何ができるかという話がありました。そんな時、ある村でモンゴルとの交流を積極的に行っていると話題になったところがあったそうです。

 そこで他の自治体の方が何故そこまで積極的に行えるのか確認したところ、担当者の答えが「村長の趣味」だったという笑い話にしか聞こえない回答があったという話を聞いたことがあります。


4 趣味

 何がいいたいかというと、今回のCMも単に高須クリニックの社長の趣味で、交際している漫画家の西原理恵子氏とドバイに遊びに行きたかっただけで、それ以外の意味はないのではないかという話かと思います。

 実際彼らほどの金持ちになれば、やりたいことはかなりやりつくしており、普段の観光旅行などでは満足できないでしょうから、ヘリコプターを思いっきり操縦して見たかったとかそういう普段できないことをしてみたかったのではないでしょうか。

 ただ私はこの2人には悪い印象はなく、実際、何度か西原氏は取り上げております(『毎日かあさん』『この世でいちばん大事な「カネ」の話』)。私自身とても彼女のような生き方をしたいとのは思いませんが、ある種共感できるところはあります。

 高須院長にしてもいろいろ好き嫌いは分かれるところでしょうが、自分で稼いだ金をどう使おうがその人の自由だというのはそのとおりで、あそこまでいくと清々しさすら感じます。


5 最後に

 エヴァンゲリオンが話題になったときも、いろいろ謎解き本などが出たことがありますが、私的には監督はそこまでのことを考えて作っていたとは思えず、視聴者がいろいろ考えすぎた面があるのではないかと勝手に考えています。

 ただ、エヴァンゲリオンが面白いことは間違いなく、そうした謎解きも否定するつもりはありません。各自が好きな様な見れば良いだけで、自分の人生と同じように自分で意味を見つけ出せばよいだけかと思っているという話です。



凜amuro001 at 05:33│コメント(15)トラックバック(0)