日本人論
2016年05月03日
『環球時報』が掲載していた社説「日本外相访华,摆样子还是真修好」がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
岸田外相の訪中を受けて書かれた社説で、内容を簡単に翻訳して紹介すると以下の通りです。
前回の日本の外相の訪中は2011年で、その後、2012年に日本が中日の釣魚島を「購入」して以来、両国の関係は厳しい。
彼は訪中前に、中国に対して言うべきことは言うと述べていたが、対日外交が中国にとって最もとらえにくい。
中米関係は非常に複雑で、緊張しているが、論理は比較的はっきりしていて、予測しやすい。フィリピン、ベトナムは中国は領土紛争があるが、対立点や利害関係は理解できる。
インドとも大きな領土問題があるが、共に大国で、中国とインドの関係は安定しており、予想可能性が高い。これらと比較して、日本は特別だ。
中日関係が低調な理由は、日本のアメリカへの傾斜で、東アジアで中国を牽制し、時には中国と公然と敵対することも厭わない。これは地縁政治の原則に反しており、自分の独立性をなくしているが、その目指すところは何か。
日本の高官は中国との友好関係の発展について述べるが、絶えず中国をあげつらうだけでなく、彼らの行動と口で言っていることはよく矛盾している。まさに裏表のある日本である。
これについては、中国の飛躍に直面し、日本が心理バランスを失っているという説明がよく聞かれる。より大きな原因は、今でも日本がアメリカに「軍事占領」されていることにある。
経済大国でありながら、主権の一部が欠けている。そのため、こうした危機感やコンプレックスなどから混乱しているのではないか。
2 外交
本当はもう少し続くのですが、私的にはここまでで十分「へー、そう考えるんだ」という感じだったので、ここまでにしておきます。
先に述べておきますが、『環球時報』は共産党機関紙『人民日報』の傘下にあるもので、中国の愛国主義者御用達の新聞で、かなり独自の論理展開をしております(中国紙『環球時報』は日本に対して批判的か?)。
今回の話にしても、もし中国がアメリカの外交を予測できるのなら、その「配下である」日本の予測をすることも極めて簡単な話のはずです。
それに何も中国との友好関係を強調しておきながら、態度が異なるのは日本だけではありません。どこの区の首脳も中国を訪問した際には当然「友好」を強調するわけで、総論賛成・各論反対という極めて当たり前の話にしかすぎません。
3 友好
トランプ候補のような例外もおりますが(トランプ候補の人柄と政策)、一般に政治家が外交をする際には、口では甘い言葉を述べつつも実際は裏でいろいろ画策しているもので、裏表がない外交が存在するはずもありません。
実際、中国の方が「友好」という言葉を多用しつつ、日本の一部の方々を篭絡してきたわけですが、それこそ、私的には裏・表の最たるもののような気がしてなりません。
念のため補足しておきますと、私は「友好」が悪いと言っているわけではありません。あまりに(一方的に)相手を信用しすぎるのはおかしいと言っているだけです。
外交の目的は何かというと、いうまでもなく、相手に気に入られることではなく、自国の利益になることを目指すのが目的で、そのためには駆け引きも必要です(習近平訪韓の意義を強調する中国と、韓国の対応)。
結果として、時には「友好」を論ずるのも必要ですし、相手の敵と手を組むことも必要です。実際ロシアなどは表面上は中国と仲が良いわけですが、実際は自国のことしか考えていないことは明確です(ロシアの経済危機と中国)。
4 最後に
確かにこうしたことがわかっていると予測が立てやすいというのは確かかと思います。そういう意味でロシアにしてもアメリカにしても最後は自国のことしか考えていないので、そこから推測すると何を考えているかわかるという面はあります。
その点日本はこれが徹底していないので、時には本気で中国のことを気にしているのではないかということを平気ですることがあります。
そうなると中国としては、喜ぶわけですが、直ぐに揺り返しが来て、中国にとって良くない方向に舵がぶれるというパターンが良くあります。
結果、確かに中国にしてみればよくわからないということはあるのでしょう。ただこれは、思うに日本がお人よしで、自国の利益より、中国との関係性を重視するというわけのわからないことをしでかしてしまうためかと思います。
つまりその時が単に譲歩しすぎただけで、それを中国が過度に期待しすぎると裏切られたという思いになるという話かと思います。
2016年03月09日
『朝日新聞』が掲載していた「国から出向の大分県課長、ブログで県を『とんちんかん』」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
「林野庁から出向してきている大分県林務管理課長(46)が、ネット上の自身のブログに、県の国への提言を『とんちんかん』、県議会への対応を『不毛感がつきまとう』などと書いていたことが、わかった」という記事です。
この「課長は2013年に県に出向し、14年から現在のポスト」につき、匿名のブログを書いておりましたが、「課長と特定できる内容だった」そうです。
具体的には「昨年4、5月、林務管理課が属する農林水産部が補正予算で財政課に提案した草刈りロボットの試作について、『多分駄目だろう、と思っていたバクチ的な予算がすんなりと通ってしまった』『注意や指摘をしてくれる人というか、止めてくれる人がいない。ある意味、いけいけどんどんという状況』と書いていた」そうです。
2 予算要求
確かに国の予算などをみていると、本当にこれが必要なのかというものに多大な金がつぎ込まれ、どうなのと思うことがあります。
現場で見ている人にしてみれば、実態が見えるだけによけい何故という気持ちになることもあるのではないでしょうか。
これは別に予算要求に限った話ではなく、仕事をしていても、稟議を出す前から予め指示(大まかな方向)がおりてきており、何故こんな無駄なことをと思いながら仕事をするということは皆多かれ少なかれ経験したことがあるかと思います。
3 意思決定
政治学では政策決定過程という学問分野が存在し、どのようにして政策が決定されるかと研究することがあります。
よくあるパターンでしょうが、最初はきちんとした目的があったものが圧力団体などの様々な圧力をうけ、いろいろ修正が加えられた結果、よくわからないことになるという事案は多々存在します。
最近の事例では、消費税増税に伴う負担軽減の問題があります。健全財政のために増税を行う一方で、低所得者のためにある程度の負担軽減を図るという目的で自民党はまとまっておりました。
ところが、いつの間にか、公明党案を踏まえていくということがトップダウンで決定され、あまりに多くの例外が設定されることとなり、健全財政という点ではかなり疑問の残る決定になってしまったと考えます。
更には、いつの間にか全く議論されていなかった新聞なども最終的に追加され、誰がいつこんなことを決めたのかというのが私の本音です。
4 空気
今回の事案ではブログを書かれた方は、予算要求を行う課の課長だったわけですから、本来すべてを決める決定権をもっておられます。
ただ、現場では何がほしい、何をしたいということを声高に騒ぐ人がおり、こうした方を抑えることができないと、おかしいと思いつつもそれが課の決定になってしまうこともあるのではないでしょうか(船越英一郎氏の離婚騒動からみる日本人論)。
課長とは言え、部下の機嫌取りも必要でしょうし、それに腹の中では、予算要求の段階で通ることがないという思いもあったのかもしれません。
それが結果、誰も止めず、最後まで行ってしまい、「どういうことだ」という思いが募り、そうした本音をブログに書いてしまったというところでしょうか。
なおかつ、自分が要求した課の責任者である以上,表だっておかしいとは言えませんし、下手をすれば、予算が通って良かったと言われるとすれば、ますます鬱屈したものが溜まったとしても想像に難くありません。
5 最後に
一言でいってしまえば、課を抑えきれなかった課長の手腕のなさがそもそもの原因でとても同情できる類のものではありません。
更にそれをブログに書いて、世間に公表したとあっては、益々自業自得としか言えないという話にもなるでしょう。
ただ、同じブロガーとして思うところがあったのと、仕事をしていると思い通りにならないことが多いのは事実で、全く同情する気にならないわけでありません。
2016年03月07日
『サーチナ』が配信していた「中国人が驚く、日本の公立小学校教育の『均質』ぶり・・・どのように成し遂げたのか=中国メディア」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
最初に、日本の小学校について中国との比較を念頭においた上で説明しています。
具体的には「公立小学校が日本国内の小学校の99%を占めて」いること、「児童は各学区の小学校に選抜試験なしで入学できる」こと、「校長を含めた教員はみな公務員で、数年ごとに地域内でローテーションを行うこと、大都市でも農村でも音楽室、プール、グランド、体育館といった設備が整っており、校舎も地域の避難所にもなるほどの安全基準で作られていること」などが紹介されているそうです。
その上で、「『役所などの行政機関の建物がボロボロなのに比べて学校の建物はちゃんとしている』と解説し」、「『学校などの公共設備の充実を後回しにして、立派な庁舎を建てる』という中国の『逆転現象』を意識している」ともしています。
他にも、「公立小学校は授業料がなく、給食費などを納めればいいこと」、「中国とは異なり『校門に迎えに来た保護者が群がる』ことはなく児童が自分で帰宅し、地域社会や保護者組織であるPTAなどが子どもの登下校の安全を確保」していることも紹介されています。
その上で、「日本の小中学校の義務教育における均質化が教育の普及、公平化推進という面で成功したものの、強い『平均主義』を生み能力や個性の突出を奨励しないという『副作用』も生んだと説明」しているそうです。
2 安全安心
中国で生活していると、この安全安心という考え方が日本とはだいぶ異なっているという実感することが良くあります。
日本では、「安全第一」のスローガンのもとに、安全を徹底することについては反対しずらい雰囲気があります。
結果、時には、徹底的に安全であろうとするあまり、学校や家庭でも「あれをするな、これをするな」とかなり厳しい管理体制が敷かれることがあります。
それに対して中国の場合、かなりいい加減で、何とかなっていれば良い、今回何とかなりさえすれば良いという感じが見て取れます。
とにかく走りながら考えるという感じで、リニアモーターカーにしてもあれだけ早く着工できるなどの利点があったのは間違いないかと思います。
ただ、一方で事故があったとしても、事故は必ず起こるのだから、その原因解明を徹底しようというより、臭いものに蓋をしてしまえば良いという感じの行動をとるような気がしてなりません。
その典型的な例が2011年に温州市で起こった高速鉄道の事故でしょう(中国が時速500㎞の高速鉄道試験車両を開発)。他にも2015年に起こった長江の客船の転覆事故などいくらでも思い当たるものがでてきます。
3 人命
実際こうした事故が起こった際、最初は大騒ぎして、誰が責任をとるのかという話になりますが、最後はうやむやという感じかトカゲのしっぽ切りで、根本的な原因究明がなされることはありません。
この典型的な事例が、本来一番安全であるはずの学校だけが倒壊した2008年の四川大地震の時の中国の対応かと思います(アジア一の立体交差橋で多数の亀裂発見)。
結果、人命が軽んじられる様な印象をうけてしまうわけですが、中国の場合中国国内で先進国と発展途上国があるような状態で、貧富の格差が激しいこともあり、人の命が平等だということは口ではともなく、意識としてどこまで本当に思っているか疑問です(現実には重さが異なる命と平等に来る死)。
ただ、経済が発展するにつれて、人々の要求が高まっていることは間違いなく、それに伴いこうした要求が強まっていることは間違いないわけですが、それでも大きな力の前には沈黙せざるを得ないのが中国の現状かと思います。
4 平等主義
私は日本の平等主義には、結構批判的ですが、これが日本の治安の良さなどの根本にあることは間違いないと思っています。
何をしているか、常に誰かに見られ、他人と同じことをすることを要求されていれば、変なことはできないわけで、それだけ息苦しい社会ともいえますが、結果安全です。
中国ではそうした社会の目は存在せず、自分だけが何とか勝ち抜けようという発想が強いため、学校の送り迎えなども社会全体での安心を強めるという発想ではなく、自分の子供だけを何とか守れれば良いという発想に行きがちです。
5 最後に
結局何が言いたいかというと、物事には一長一短があるという話です。
平等であるということ、他人と同じであることが要求されるということは、行動規範(モデル)が存在するということで、何も考えなくて良いわけですが、それが嫌いな人には耐え切れません。
自由であることは素晴らしいわけですが、何をするか常に自分で考えなくてはなりませんし、他人と違う自分を認めてもらうためには、自分と違う他人も認めなくてはならないので、自分と全く違う行動様式、思考パターンと接する可能性が高くなります。
結果、どうしても受け入れられないものを排斥したり、無理をして受け入れようとした結果ストレスが溜まる可能性も高いわけで、理想は素晴らしいわけですが、これはこれで結構大変なことには間違いないと思っているという話です。
2016年01月15日
滅多にやらない芸能ネタです。船越英一郎氏と松居一代氏の離婚問題が大きく報道されているので、これについて少し。
1 束縛
どこまで本当だかネタだかわかりませんが、松居氏の船越氏に対する束縛はかなりの者があったようです。
浮気をするからとあれだけ稼いでいるのに、小遣いも3万円に制限されたり、出張でも定時連絡を要求されたりとかなり束縛されていたと報道されております。
本人が好きでやっていれば良いのでしょうが、愛情が醒めて冷静に考えてみると、ひどいことを要求しているのは明らかです。
こういうものかというマインドコントロールのようになってしまえば、特に疑問にも思わずに言われるがままということになるのでしょう。
ただ、何かをきっかけに(今回は故川島なお美氏との交際暴露と言われておりますが、詳細はわかりません)、考えなおしてみるとおかしいということに気付くのでしょう。
2 エスカレート
こうした要求に対して、日本人はどうも唯々諾々と従う傾向があります。
相手にしてみれば、何も反論しないし、黙って言うことを聞いてくれるので、その関係に甘えてしまい、更なる要求をだすことが良くあります。
ただ、要求を出された方は、こんなものかと思って従っていたのが、ある日突然我慢できなくなり、これまでの嫌な思い出も全て思い出され、爆発するというパターンが散見されるようです。
以前は離婚などあり得ないくらい、一度できた縁(関係)を大事にすることが求められていたので、こうしたことも可能だったのかもしれませんが、配偶者といえでも他人なわけで、何でも言うこと聞かなくてはならないという関係は極めておかしいと思います。
3 空気
こうなってしまう原因ですが、日本の場合、空気を読むということが要求されるので(日本の「度量」と同調性)、他人が何を欲しているか、何を望んでいるかを察することが要求されることと大きな関係があるのではないでしょうか。
結果、相手がこれを望んでいるならとなるわけで、特に婚姻(含む恋愛)などの通常より深い絆が要求される関係となると、良好な関係を維持しようとしてより一層相手にあわせようとします。
相手があわせてくれていることを受けて、だったら自分もとなってくれれば良いのですが、逆に味をしめて、だったらと更に支配欲を強めることもなくはありません。
皆が皆空気を読むという前提で形成された習慣なので、これを逆手にとる人がいれば、おかしくなってしまうのは当然かと思います。
4 日本人のイメージ
そこで思い浮かぶのが従順な日本女性と突然キレる日本人という日本人のイメージです。この従順さは上の空気を読んでいることの典型かと思います。
かといって、人間なのだから嫌なことをあるわけで、それが積もり積もれば、ある日急に爆発もするでしょう。
外国人にしてみれば、嫌だったのなら、何故言ってくれないのかとなるのと、突然手のひらを返したかのような対応の違いにびっくりするということになります。
我慢をするということはストレスになりますし、特に国際社会では、極端な話相手には言葉で言わないと通じないことが多々あります。
5 最後に
日本では、自己主張(弁解)をしないことが望ましいとされてきた時代もありましたが、これからは諸外国を相手にする以上、きちんと自分の主張、望みを提唱することは大事で、それなしには駆け引きも何も存在しえません。
更にやっかいなのは、一度決まってしまったルールは自分に不利でも改正するのは極めて難しいということです(中国の発展戦略と国際基準)。
決まったことで後で文句をいう(酒場でくだをまいて憂さをはらす)ということは国際イメージを悪化させるだけですし、ルールを守らないのは最悪の結果を招きます。
ふと離婚騒動をみて、国際化に対応していくためには、日本人も変わっていかなくてはならないと思ったが故のエントリーでした。
2016年01月07日
日本に帰ってきましたが、相変わらずの時差ボケで、眠いだけで、ロクに何も手につかない状態です。そのためブログの更新も滞りぎみで、誠に申し訳ありません。
1 偶然
前回書いたとおり(フランス旅行雑感)、今回は行きも帰りも北京空港で乗り換えの、中国国際航空会社を使用しました。
そこで思ったのが、東京から北京までの対応は本当に良いのですが、北京からパリまでの対応がかなり違っていたということです。
行く時はもしかしたら、たまたまそうなのかとも思いましたが、帰りもそうだと、偶然というよりは意図を考えた方が良いと思った次第です。
2 問題対応
パリから帰ってくる時、座席の前のテレビが壊れて映らなかったのですが、その時、フライトアテンダントにその旨をいったら、壊れているから席を代われというだけで、案内もしてくれません。
テロの影響か、結構空席があったとはいえ、エコノミーの3列のどこに座るかは結構大きな問題で、そんなに簡単なことではありません。
文句をいったら、隣が空いている席を探し出してもらえたのですが、本当いやいやという感じがミエミエで、これにはかなり閉口しました。
3 サービス
それに対して、東京-北京間は物腰も丁寧ですし、言い方も本当に穏やかで、かなり訓練されていることが見て取れました。
邪推するに、日本―中国は競合相手(航空会社)が多いことや、利用する日本人(含む団体客)が多いので、いろいろうるさいクレームなどがはいることなどが原因かと思います。
それに対して、北京-パリはそれほど有力な競合相手もいないでしょうし、利用する人も中国人を想定している感じで、本当にフライトアテンダントもかなりフランクな対応となっていました。
4 一部
ここまでが前書きで、ある意味ここからが今日の主題です。こうした「東京-北京」と「北京-パリ」の対応を受けた人がどう感じるかと言う話です。
前者だけを見た人は、中国のサービスもかなりの水準に達したとみるでしょうし、後者だけを見た人は、まだまだと感じるでしょう。
同じ航空会社、同じフライトアテンダントとは言っても、全く違った印象を与えてしまうわけです(中国を知っていますか?(中国と化石2))。
実際、これまで何度も書いている様に中国は本当に大きな国と人口を持っているので、能力、個性千差万別です。結果、素晴らしい人も多ければ、どうしようもない人も多くいるという話になります。
その、どちらを見るかによって、中国に対してかなりうける印象が異なってしまうわけですが、どうしても悪い方が目立ちやすいので、そちらの印象を持つ人が多いようです(中国人観光客の「悪習」とその原因、中国人海外旅行客の買い物の評判)。
5 理想主義、合理主義
あと1つ述べておきたいのが、日本と中国の違いです。日本であれば、精神性というか、理想が先に立ち、サービスは書くあるべきだ、客には丁寧であるべきだという発想が最も優先されます。
しかし、中国の場合、もっと合理的で必要なところを丁寧にすれば良いと考えるようです。結果、日本の場合は皆にそれなりのものを提供しますが、どうしても平準化しがちです。
それに対して中国の場合、特定の人、必要なところには重点的に資力、労力を投入します。結果、(日本人)トップが真っ先に懐柔され、そのため部下が苦労するというパターンになりがちです。
6 最後に
もちろんどの制度にも一長一短があるわけで、日本であれば、同調意識の強さ、それについて来られないものを排除するイジメという話になるのではないでしょうか。
また、理想を追い求めた結果、細かいことにこだわりすぎて、全体が見えなくなることもあるかと思います。
中国の場合であれば、こうした意識の違いが、貧富の差を容認することになったり、関係と呼ばれるコネを優先する思想(自国の法制を全く信用していない中国人、中国の縁故採用等)に繋がるのではないかと勝手に思った次第です。