ドイツ
2015年09月08日
欧州の難民問題はについていろいろ思うことがあったので、これについて少し。
1 現実
これについては、本当に難しい話で、国際政治の世界では南北問題などで、困っている人がいるのだからその人たちをどうするという形で以前から提起されている問題です。
ただ、南北問題と大きく違うのが、これまでは貧しいアフリカなどの地域への援助という形でどの程度のことをするかという問題だったのが、今回は「難民」という形で自分達の目の前にいるということです。
なんだかんだ言っても自国からは遠い外国の問題という形で対処していればよかったのが、自分達の国で、自分の目の前にいて、食料や住居を求めているとなれば、話が変わってきます。
2 同情
報道などによるとドイツに入った難民の方々がいろいろもてなしをうけたそうです。これ自体はわからない話ではありません。
苦労して祖国から逃げてきた方々が、ヨーロッパを何日もかけて歩いてゴールと思われるドイツに来た姿を見れば間違いなく人の心をうつと思います。
特にドイツの場合、第二次世界大戦時の記憶や西ドイツが東ドイツを吸収統一した後の苦労などを思いだすと、どうしても他人事とは思えなくなってしまうのかと思います。
3 現実
現在の浮かれきっている状態を否定する気はありませんが、まさにドイツが再統一した時の状態と同じようなところがあるのではないかとも思っています。
あの時は統一さえすれば、旧東ドイツの人は豊かな暮らしができると思ったわけですが、現実はそんなにあまくありませんでした。
今回も同じで、ドイツにたどり着きさえすればと思っている人が多いと思いますが、現実はそんなにあまくないでしょう。
毎日押し寄せる難民、彼らへの援助をどうするか、最後は税金しかないわけですが、そうなるとその不足分を自分達の福祉を減らすなどの形で、負担しなければなりません。
それに対して、当然良しとしない方が多いわけで、難民排斥という話にもなりかねません。実際私もドイツでは少し嫌な思いをしたことがあるので、特にそう思います(ドイツ人とフランス人を白人として一緒にすること)。
それに、難民が来て本当に困るのは豊かな人ではなく、貧しい暮らしをしている人たちです。結果、貧しい生活をしている人たちが難民を憎むという弱者が弱者を排斥するという悲しい事象も起こりがちになります(格安航空会社とドイツのトルコ人)。
4 国
国境などはある意味人為的に後からつくったものなので、どうしても陸続きの歩いていけるところに安全で食料のある地域があるとなると、そこに行きたいと思うのは当然です。
かといって、今は国というシステムを通して国民から税を集めそれを国民に再分配するというシステムが構築され、国民も負担を負っております(「革命」後のエジプトと「自由」)。
そのシステムには治安なども含まれており、難民が来ると彼らへの直接の支援以外に社会の維持などをどうするかという話にもなります。
難民として来た人も職を見つけることができず、生活が苦しいとなれば、犯罪を考える人も出てくるでしょう。
そうなれば、「○○人=犯罪者」というイメージを持つ人も出てきて更なる悪循環に陥ることも考えられます。
5 最後に
難民問題は一朝一夕に片付く問題ではなく、特効薬もないので、私もどうしたら良いなどという話を簡単にするつもりはありません。
更にやっかいなのは気が付いたらものすごい数が自国にいるということで、急いで処理をしなくてはならない問題が山積みとなることです。
最近の中国の景気低迷などを見ていると、日本も他人事でないわけで、この問題については、他人事、遠くの国のことと思わずに、自分達の問題として、真剣に考えることが必要だということだけは間違いないと思った次第です。
2014年08月22日
相変わらず格安航空会社しか使えないので、それでパリに戻ってきたわけですが、いろいろ思うところがあったので、これについて少し。
1 格安航空会社
あらかじめ断っておきますが、私は経済とか経営の方にはうとく、もしかするとこれから書こうとしている内容はそちらに詳しい人にとっては常識となっているものかもしれません。
正直日本で格安航空会社が運行を始めたと聞いたときはどうやって利益を上げるのがかなり疑問で、整備の外注化、使用する飛行機の統一化で経営の合理化を図るとされていましたが、今一疑問だったというのが本当のところです。
ただ、今回ある種ぎりぎりまで削減された運航を見て、これならやっていると勝手に感動してブログを書いているという話です。
2 合理化1
機内サービスの有料化は、前に書いたとおりですし(格安航空会社とドイツのトルコ人)、これは私も以前から聞いたことがありました。ただ、そんなもので合理化できる金額はたかがしれており、どうやったら差別化が図れるのか疑問だったというのが正直なところです。
今回自ら経験したのはベルリンからパリ行きです。飛行機が遅れて、出発ホームがぎりぎりまでわからないわけですが、余計な案内は一切ありません。
ただ、これも考えてみれば当たり前で、ヨーロッパ各国では母国語が異なる以上下手に案内をながせば何ヶ国語で流せばよいのかということなので、勝手に案内をみて自分で出発ゲートまでたどり着けという話です。
そして原則荷物は手荷物の持込のみとしてしまえば、トランクの取り出しに余計な時間がかかることはなく、航空会社も楽だし、そういう乗客はそのままセキュリティチェックに進めてしまえば、乗客も余計な待ち時間がなくて済むことになります。
3 合理化2
先に書いたように、飛行機が遅れ、4時のフライトで3時半ゲート閉めとなっていたけですが、実際搭乗ゲートの案内が出たのが3時15分ころという状態でした。
そして、搭乗ゲートについたものの飛行機が来ておらず、3時半になっても姿を見せない状態で、これはどうなるのかと思っていた3時35分頃飛行機が到着、しばらくして乗客が降りてきました。
そしてある種予想していたとおり、乗客が降りおわるとすぐに搭乗開始で、4時6分には離陸となり、たった6分遅れで飛び立つことができました。
4 新幹線
これを見て思ったのが新幹線などの清掃です。終点にたどり着くと、清掃員の方がいっせいに入ってわっと清掃をして短時間で終わらせるのは大変すばらしいことだと思います。
ただ、同時に混雑時にホームで待っている人にしてみれば、着いたのならさっさと乗せてくれとう思いもないわけではありません。
念のため補足しておくと、私は掃除をしなくても良いといっているわけでもなければ、こうしたことが無駄だといっているわけでもありません。
5 散髪
散髪の例がわかりやすいと思います。以前は高い金をかけて散髪するしか選択肢がなかったものが、髪を切る以外のサービスを除外してしまい、低料金を実現させたわけで、床屋に髪を切ることしか求めない人にとってはありがたい話となっています。
飛行機も単に移動機関としてそれ以外の機能を省けば、私が今回体験したようになるわけで、こうしたものを望む人にはありがたい話かと思います。
そのため、どちらが良いとか悪いという話ではなく、金をかけてこうしたサービスを享受したい人はすべきだと考えます。私としては、選択肢が増えることは良いことといえるのではないかと思っているだけです。
6 最後に
本当は飛行機に乗りながら、こうしたEU域内を自由に動く人たちを見て、「国」とかグローバリズムとは何かをボーッと考えており、それを書こうと思っていたのですが、そこまでたどりつきませんでした。
機会があって、それまでに私も思考がまとまっていれば、何か触れてみたいと思います。
2014年08月21日
今回はベルリンに用があったので、本当は最初からドイツに入ればよかったのですが、諸般の事情により、パリ経由となっており、かなりきつい日程となっております。
1 偏見
最初にことわっておきますが、私はこの世に「真実」などというのがあるとは思っていないことは何度も書いているとおりです。
そういう意味で今回たまたまドイツ人とフランス人を比較する機会に恵まれ、ふと思うところがあったので書いてみたいという話にすぎませんし、これが「真実」などとも思っていません。
当然私が見たものなど観光旅行レベルのものなので、たかが知れています。それでも第一印象は結構変わらないものなので、長期滞在者から見れば、甘いといわれるのは承知のうえで、思うことを書いて見たところです。
2 ドイツ人
私は始めてドイツ人を「見た」と言えるのは中国留学中で、同室の方がドイツからの留学生でした。最初、私のドイツ人に対する印象は「まじめ」というもので、確かに最初はうまくやっていたのですが、途中からいろいろあり、最後は喧嘩となってしまい、最悪でした。
そのため、私はもとからドイツ人にあまり良い印象は抱いていないのですが、今回総じて見て思ったのがフランス人と比べると、いまいち親切ではないというのが正直なところです。
おそらく困っている人に対する態度の違いが典型ですが、フランスであれば積極的に何かしてあげようとしてくれる人が多いのに対して(親切について(日本、フランス、中国の比較))、ドイツはあまりそうではないようです。
人との接し方の距離のとり方かと思うのですが、フランス人よりは人と少し距離を置いて接するというのが、私の印象です。
3 ドイツ人2
もちろん、これも人様々で、店の店員などはかなり人懐っこい方もいるわけで、個人差があるのは当然ですが、私が全体的に受けた印象がこうだという話です。
これを見てふと思ったのが日本人との比較で、日本人と他人とは結構距離をとりますが、買い物で何でもある程度、関係(縁)ができてしまうと親切にする傾向があるように思います。
ここいらは本来であれば、もう少しいろいろ比較対象を増やした上で書ければよいのですが、私の限られた経験ではこの程度だという話です。
4 ドイツ人3
これが良い悪いという話ではなく、やはり国民性というのはあるなと思ったというのと、以前アメリカ人にヨーロッパの人についてどう思うか聞いたときのことが思いだされました。
そのアメリカ人は、ドイツ人というと体格が良いという印象を持っていると話してくれましたが、確かにそのとおりで、フランス人はあまり背が高くないという感想を持ったのに対して、ドイツ人はかなり大きくて体のつくりがしっかりしているというのが私の感想です。
結果フランス人女性というと「かわいい」という印象を受けるのですが、ドイツ人女性にはあまりそういう印象はうけませんでした。
もしかしたら、フランスがドイツより日本のアニメを受け入れやすい背景にはこうした違いもあるのかと勝手に思っていたという話です。
5 最後に
散々、勝手に国民性などを語っているわけですが、当然例外はたくさんあり、私も「日本人」だという理由で、勝手に決め付けられるといろいろ思うところがあります。
実際、今回も一人で歩いていたらいきなり、前から来たドイツ人に「Guten tag Vietnamese」と笑いながらいきなり声をかけられ、黄色人種というだけで一緒くたにする愚は身をもって知らされたところです。
ドイツはフランスと比べて植民地がなかった関係からか、街中で殆ど黒人を目にすることはありません。しかし、以前書いたとおり、トルコ人などはよく見かけ(格安航空会社とドイツのトルコ人)、ヨーロッパの人種問題も、やはり結構根が深いなと改めて思ったという話です。
2014年03月07日
『新華経済』が配信していた「メルケル首相、中日の舌戦に巻き込まれるのを避ける 習主席の大虐殺記念碑視察に同行せず―ドイツ誌」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストの記事を翻訳して紹介しているものです。それによると「4日付のドイツ誌デア・シュピーゲルは2人の政府情報筋の話として、中国と日本が第2次大戦の歴史をめぐる争いを激化させる中、メルケル政権は『巻き込まれたくない』と思っていると報じた。」そうです。
「ドイツ政府は、習近平国家主席が来月のドイツ訪問でユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)記念館を視察したいと打診したがこれを断」りました。
「次に、首都ベルリンにある戦没者追悼施設「ノイエ・ヴァッヘ」をメルケル首相の同行で視察することを希望したが、これも拒否」し、「ドイツ政府は習主席が単独で訪問するなら構わないとしている」と回答したそうです。
「中国政府は・・・戦争に対するドイツの贖罪の姿勢と日本の矛盾した立場の違いを鮮明にしようとしていた」わけですが、「メルケル首相は『微妙なバランス』を保とうとしている」と報じています。
2 パワー(中国)
中国はかつて力がないが故に半植民地にされたという苦い歴史があるためか、「パワー」を重視する傾向があります。それはそれでどうかと思わないでもありませんが、問題はパワーのない国をバカにする傾向があることです(フィリピンやベトナムを「小国」「蚊」扱いする中国)。
天安門事件後の人権問題などで中国は西側諸国から総攻撃をくらったわけですが、その時は、主権を理由に内政干渉を頑なに拒み、かつてはネルーと周恩来が平等互恵等で発展途上国の連携、大国の干渉排除などを唱えたわけですが、自分の力が強くなるとそんなことは忘れてしまったようです。
「パワー」といったとき、ジョセフ・ナイが提唱した様に、軍事力といったハードだけでなく、その国の文化の与える影響(ソフトパワー)ソフトパワーがあります(「価値観外交」とソフト・パワー)。
他国にソフト面で負けることは中国も良く自覚しているためか、過度にハード面に頼る傾向があり、それが中国のイメージを損ね、さらなるソフトパワーの低下という悪循環に陥っているような気がします。
3 パワー
そして外交でソフトだろうがハードだろうがパワーが大事であるというのはいうまでもありません。外交は駆け引きなので(「韓流ブーム」に関する左右の意見と日韓外交等)、パワーが強ければ強いほど各分野での影響力が大きいという話で、それだけ交渉カードを保持できるということになります。
そういう意味で今回メルケル首相が日本と中国どちらにも組しないと考えたのはわからない話でありません。
ドイツにしてみれば、GDP3位と2位の日本と中国との関係はどちらも大事で、どちらと関係を悪化させてもドイツにとって得るものはありません。
結果、今回のような対応になったわけですが、これは裏を返せば、もしも日本と中国の影響力の差が大きかったらそうはならなかっただろうという話になります。
そういう意味でパワーは大事だという話で、実際韓国が反日攻勢を強めてきているのは韓国が自信を持ってきたからという面もなくはないかと思っています。
極端な話、経済的に日本に依存していれば、ここまで日本との関係悪化を望むはずはなく、サムスンなどの韓国企業が日本企業に「勝った」という思いなどが最近の「反日」に影響を与えている面もなくはないと考えます。
そして、そうしたことを面白くないと思っている日本人にしてみれば、韓国のパワーの源が経済なので、韓国経済はサムスンはもうすぐ破たんするという話が大好きになるということなのではないでしょうか。
4 最後に
中国は何かと言うと、ドイツの戦後処理という話を引き合いにだして日本を批判します。私的にはドイツは単にナチスというスケープゴートを見つけただけで、ドイツの戦後処理も全く問題がないとは思っていません(ドイツの戦後処理を賞賛する中国は妥当か?)。
ただ、日本の場合、誰を批判して良いのかすらわからないので、中国にしてみれば鬱憤がたまるという面はあるかと思います。
2012年02月21日
『環球網』が「社评:民间情绪会牵制中国对欧政策(社説:民間感情が中国の対欧州政策を牽制)という記事を掲載しており、いろいろ興味深かったので、これについて少し。
本当、ブログを書くためだけに愛読している『環球網』ですが、やはりその独特の感性というか、主張は大変ユニークで、こういう主張もあるかといつも新しい発見があります。
1 『環球網』の記事
前置きはこの位にして記事の紹介にいきます。これは欧州が債務危機に陥ってしまったため(参考「ギリシャ危機と民主主義」)、経済発展著しい中国に対し、支援を求めていることを受けて書かれたものです。
全部訳すのは結構たいへんなので、概訳で勘弁させてもらいます。
中国人は欧州が債務危機に陥っており、中国から金を借りたいと思っていることを知っている。また欧州は高福祉国家で、(欧州)人が少しなまけものであることも知っている。
しかし、欧州が先進的あることは疑いなく、もし欧州が中国に対しいろいろうるさいことを言わなかったから中国はもっと欧州を尊敬したのに。
欧州では中国の崩壊を望む声が強いが、中国ではそんなことはない。特に国際政治を理解している中国人にとっては、欧州が強くなることは、世界が多極化の向かうということで望ましいことであり、アメリカが中国の発展を過度に用心することを分散できることを知っている。
だからこそ、多くの中国人は欧州が中国に対し様々な政治的圧力をかけてくることが理解できない。欧州がそうすることによって、中国人の中には欧州は中国の発展や中国との友好を望んでいないのではないかという思いが生じている。
こうした民間の気持ちは中国の対欧州政策に対し、影響を与えている。何故なら今や、中国における世論の力は益々強くなりつつあり、中国政府も今や民間の反応を見ながら政策を決めて行かなければならないからだ。
外交において、経済が大きなウェイトを占めており、双方の民間の交流も盛んだ。国の外交は民間の交流のためという部分もあり、グローバリズムの中、官が発揮できる影響力は小さくなりつつある。
中国と欧州の関係は、共に利することが大事で、協力関係を強化していくべきで、欧州が中国を攻撃すれば、それは欧州にとってマイナスとなって返ってくる。欧州は中国が必要なのは、中国が欧州が必要なのと一緒だ。欧州は中国を尊重すべきだ。
2 皮肉の効いた批判
私は大変面白い主張と思いました。これまで中国は共産党独裁で、民間(国民)の意見を尊重しない云々という批判を欧州(西欧)から散々あびております。おそらくそうしたことを逆手にとった主張です。
中国政府としては欧州を援助したいのは山々だけれども、欧州がいろいろ中国国民を怒らせるようなことをするから、中国国民に慎重論が根強く、そのため積極的に援助することができないではないかというわけです。
欧州に対し、欧州の論理で皮肉を述べつつ、その上、中国に対し政治的圧力をかけるのは止めろと言いう。その上、中国の主張であるアメリカ覇権主義という一極化に対抗する「多極化」も盛り込んだ、なかなかうまい社説となっております。
3 個人的感想
ただ1つだけひっかかったのが、かつての日本と重なるところがあったところです。例えば、80年代アメリカが貿易赤字に苦しんでいるのは、日本人が頑張って働いているのに、熱心に働かないアメリカ人が悪い的な論調がありました。
実際今回の問題でもギリシャの高い年金やあまりにも多すぎる公務員といった問題もありますが、欧州の人々に対し、「なまけもの」呼ばわりしているのを見ると、どうも上記のような論調が思いだされます。
ただ、もしかするとこれは、金を貸す立場にある者が共通して持つ認識(何だかんだ言って貧乏人に同情的で、金持ちに対して批判的になりがちな世の論調を受けて、金持ちを批判するな、働かない貧乏人が悪いのではないか云々といった様なもの)に過ぎないのかもしれません。
こうしたことを見るにつけ、思うのは金の力は偉大だということです。日本も80年代ODAで何だかんだ言っていろいろ外国に言うことを聞かせていたわけで、それと今の日本の外交力を思うにつけ、隔世の感を感じずにはおれません。