経済発展

2014年03月06日

 『夕刊フジ』が掲載していた「韓国、反日工作が裏目に… 米で広がる『竹島』『独島』併記」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。


1 記事の紹介

 「韓国が思わぬブーメランに慌てている。米国の教科書に『日本海』とともに韓国政府が主張する『東海』を併記する運動を進めていたところ、米議会調査局の報告書などで、韓国が不法占拠する『竹島』と韓国名の『独島』が併記される動きが広がっている」という記事です。

 例として「ナショナル・ジオグラフィック協会(本部・ワシントン)のネット地図では、『独島/竹島』と表記。同協会が2009年に発行した地図では『独島(竹島、リアンクール岩礁)』と記されていたことを考えれば、日本側に有利な記述に改められたといえる。」ことなどが挙げられています。

 「韓国系団体が、法案成立を目指した背景には、『独島が『日本海』にあると、日本領海内にあるようで適切ではない』という韓国政府の主張がある。だが、日本海呼称をめぐる動きが『竹島』『独島』の併記につながれば、韓国側にとっては本末転倒といえる。」ともしています。


2 ブーメラン

 相手を批判することはある意味自由ですが、他人も同じく自分を批判することが自由です。格闘技が典型ですが、相手を殴れる位置に近づくということは、相手も殴ることができる位置に入るということを意味します。

 韓国が日本を批判するということは、韓国も同様に日本から批判されるということを覚悟してから行うべきですが、果たしてそういうことまで想定して行っているかという話です。

 実際問題として、朴大統領が行っている「告げ口外交」はどうか私は思っており(朴槿恵大統領の「告げ口外交」とその効果)、日本もそれなりの対抗策をとるべきだとは考えますが、同じことをするのはかなり恥ずかしいというのが正直な感想です。

 ただ、むろんこれは日本にも言える話であり、私は日本のヘイトデモなどは全く賛成できず(「在日」関連の2つのデモ)、こうしたことが逆に国際的に日本の印象を悪化させている可能性もあり、もう少しいろいろ考えて行動すべきかと思っています。


3 負の連鎖

 先に述べたヘイトデモが典型かもしれませんが、どうしても批判されて腹が立つと、それに対して何か仕返しをしたくなります。人間のやっかいな特徴として、他人に親切にしたことはした方は忘れないのに、された方は忘れやすい(下手をすると何かしてもらったという認識すらないこともある)一方、嫌なことをされるといつまでも覚えているという傾向があります。

 そうすると、やられた方は、この前された嫌なことしか思い出さず、仕返しとなるわけですが、仕返しされた方は、親切にしてやったのに何だとなってしまいます。そうして感情的になると相手の嫌な面しか見なくなり、更に憎しみなどの負の感情を強めるという話です。

 実際これまでの例を見ても戦争が起こる際に、どちらが侵略したという議論があります。その際、確かに軍事行動を先に起こしたのは○○だが、挑発をしてきたのは相手側だ、その前にこういう伏線があったということはよくあることです。


4 最後に

 これに関連して、中国がよく主張する何故外国(特に西欧)は中国の悪い面しか見ないのだという話はわからないではありません(良い中国、悪い中国)。

 中国政府にしてみれば、「世界最大の発展途上国」だった国を、ここまで経済発展させ、国民の飢えを解消し、(いろいろ問題はあるものの)衣食住すべてにおいてこんなに改善させたという思いがあるかと考えます(『中国の平和発展』白書)。

 そういう意味で、国民の生活を保障するということを成し遂げた中国のそちらを見ないで、言論の自由だ報道の自由といった西欧的価値観で中国を批判するのはおかしいという思いもわからないではありません。

 確かに、これまで中国が成し遂げたことは認めないわけではありませんが、だから欠点を見ないで良いという話にもならないわけで、他人を批判する前に自分も改めるところは改めるべきだという話かと思います。



凜amuro001 at 22:21│コメント(116)トラックバック(0)

2013年09月24日

 NHKスペシャルで10月13日に「"心のより所"探る13億の民(仮)」という放送をするそうで、その紹介がいろいろ興味深かったので、これについて少し。

1 紹介文

 NHKサイトでの紹介は、以下の様な内容となっておりました。

 “先に富める者から豊かになれ”鄧小平氏による改革開放の壮大な実験から始まり、急速に経済成長を続けてきた中国。

 しかし今、貧富の格差が拡大するなど、13億すべての民に「豊かさの約束」を唱え続けることが難しくなってきている。2回目は、経済的な成功に代わる新たな“心のより所”を模索し始めた中国の人々の内面に迫る。

 今、人々の間で急速に求心力が高まっているのが、2500年の伝統を誇る中国生まれの“儒教”だ。

 「他人を思いやる」「利得にとらわれない」ことを重要視する儒教にこそ、中国人の心の原点があるとして、儒教学校の設立や、儒教の教えを経営方針に掲げる企業が続出。現代風にアレンジした新興グループまで登場し、中国全土に儒教ブームが広がろうとしている。

 国も、かつては弾圧の対象でもあった儒教を認め、支援することで人々の心を掌握しようとしている。

 孔子の故郷、山東省曲阜では国が主催する孔子生誕祭が盛大に行われるなど、仁徳の国を復活させるための取り組みも始まっている。拝金主義の夢から覚め、「心の平安」を求める人々――。次なる時代へと向かおうとする中国の姿を描く。

2 中国の拝金主義

 私も以前言及したことがありますが、中国の拝金主義にはなかなかすごいところがあります(中国の拝金主義(『朝日新聞』記事より))。ただ、これはある意味、発展途上国であったこと(貧しかったこと)を考えれば、やむを得ない面もあったのではないでしょうか。

 というのは、いくら綺麗事を言ったとしても、人は金がなければ食べていけず、生きていけません。そうなれば、如何に金を稼ぐかを考えるのも当然という話です。

 それに、プロテスタントとは全く違う、この豊かになりたいという気持ちが中国をここまで発展させた原動力だと思いますが、ある意味わかりやすく(それが故に模倣など手段を選ばないという発想が出ているのかもしれませんが《パクリを後悔しはじめている中国≫)、全否定するつもりはありません。


3 心のより所

 生きていくのに精一杯のときは、何も考える余裕などないわけですが、人間余裕ができてくるといろいろ考え始めます。

 中国のその段階に達したという話で、日本でも高度経済成長期には、「会社人間」などという言葉があった様に、夫は何も考えずに(家庭のことなど顧みずに)、会社(仕事)のことだけを考えていれば良かったわけですが、今はそうはいきません。

 以前はある程度、結婚にしても何にしても標準と呼ばれるモデルのようなものがあり、それに従って生きていればよかったわけですが、それがなくなってしまった今、確かに自由ではありますが、何でも「自己責任」の名の下、自分で選択して行動しなくてはなりません(婚活と労働と規制緩和)。

 中国もこれだけ変化が激しい現在、モデルとなる生き方などはなく、どうしたら良いか考える人が出てきたという話です。その1つの選択肢として、伝統に頼るという話は良くあることで、それが儒教だったということかと思います。


4 最後に

 中国よりいち早く日本は低成長時代を迎え、「心の時代」などという言葉が言われて久しいわけですが、NHKの紹介文を見ていて、日本人の「心のより所」とは何か等と考えたのが今日の出発点です。

 結局、私自身まだ良く整理できておらず、そこに辿りつく前に終わってしまったような感じですが、生きていれば、皆いろいろあるものの、何とか折り合いをつけて生きているというのが本当のところかと思います。

 ただ、どうも「心のより所」というと、新興宗教にのめり込んでしまう方の様に、どうしても1つだけと思ってしまう方がいますが、私は保険の意味でもいくつかあった方が良いと考えています(ふかわりょうが安室奈美恵を批判できた理由から学ぶべきこと)。

 これだけ何が起こるかわからない時代だと、頼りにしていたものが駄目になることなど良くある話で、その時1つしか頼るものがないとそれはそれで結構きついものがあるのではないでしょうか。



凜amuro001 at 05:16│コメント(2)トラックバック(0)

2012年02月07日

 『中国新聞網』が「他们是一群被社会遗忘了的可怜人」(彼らは社会から忘れ去られた可哀そうな人々)という特集(24枚の写真を掲載しており、1つ1つに短い事案紹介がついています)を組んでおり、いろいろ考えさせられるところがあったので、これについて少し。

1 忘れ去られた英雄 

かつての英雄

 この方の事案はまさに「忘れ去られた」という表題にぴったりの例外的事案です。彼女は1969年(27歳の時)に勤めていた工場が火事になりました。しかし、国家の財産を守らなくてはならないとわが身を顧みず消火活動にあたり、全身に大やけどを負いました。

 この行為が認められ、全国の人民が学ぶべき「英雄」となり、教科書にも載りましたが、それから数十年が経った今、彼女は貧しいままで、病気と闘う毎日だそうです。


2 障害に苦しむ人々

 これ以外に圧倒的に多かった写真は障害者もしくは貧困に苦しんでいる人々です。

眼病(親子)

 この方(父親)は結婚して子供を2人をもうけたが、眼病を患って眼が見えなくなってしまいました。そしたら長男も又看病を患ってしまったという事案です。そのため町で物乞いをしているわけですが、よく嘘をつくなといわれるそうです(中国のニセ障害者ホームレス参照)。

 他にも脊髄に異常を持ち立って歩くことができない娘二人を抱えた母親や、心臓に病気があってもお金がなく、病院から追い出されてしまった母親を持つ娘の苦悩などを紹介した記事があります。

 こうした事案は日本であれば生活保護が認められれば、医療費が免除されるので、手術等の適切な治療を受けることができる事案です。また、障害者保険制度などが完備されていればある程度の生活はできる事案です。

 そのため一番上の事案は確かに「社会から忘れ去られた」という言葉がぴったりという事例です。しかし、下の障害者の事案などは、私に言わせれば中国政府の福祉方面の不備故の結果でかしかないと考えます。


3 貧困に苦しむ人々

お祭り

 これは、82歳のおばあさんが夫の薬や食べ物を買うために何時間もかけて町に来たが、丁度お祭りで道を渡ることができず、早く帰らないと暗くなってしまうのにと困っているところだそうです。確かにこうした人々にとってはお祭りなどは邪魔ものにしか過ぎないかもしれません。

 他のも軍で習った二胡を見せて金を稼いでいる老人(朝鮮戦争などにも参戦したことがあるそうで、軍は二胡を教えてくれたから感謝しているという言葉が印象的でした)や、大学生息子の学費のために夫婦で廃品回収を頑張っている夫婦などが紹介されておりました。

 こうした社会格差の問題もある意味政府の責任で、本来であれば国家の再分配機能がおかしいのではないかという話になるかと考えます。


4 腎臓移植
 
 

腎臓移植

 これはこうしたものとは少し毛色が違うものです。31歳のこの方は尿毒症を患ったため、腎臓移植が必要となりました。弟と弟の嫁は移植に同意したものの、型が合いませんでした。母親は型が合ったのですが、健康被害を恐れて移植を拒みました。

 これを聞いて絶望したこの方は、息子のことを頼むと遺書を残して自殺してしまったそうです。ちなみに上の写真は入院中に息子の手に腕時計を書いてやっているところと書いてありました。

 短い概略しか書かれていないので、どのような葛藤があったかなど詳しいことはわかりません。たった1枚の写真ですが、こうした解説を読みながら見るといろいろなことを考えさせられます。

 皆それぞれ自分の人生があって、頑張って生きているわけですが、やはり人生にはいろいろなことがあります。そして、都市部の経済発展は目覚ましくても、中国にはまだまだこうした取り残された人がいるなと改めて思いしらされた写真でした。



凜amuro001 at 21:38│コメント(5)トラックバック(0)

2011年12月28日

 今日は以前書いた「人助けも難しい中国の現状」の続きです。簡単に概要を述べると、30代の婦人がめまいを起こして倒れてところ、誰も面倒を恐れ助けようとしませんでした。そこへ見るからに金持ちの娘といった感じの高級車に乗った13才位の少女が現れ、この婦人を助けようとして、運転手に命令して、車に乗せ病院につれて行かせたというものです。


1 ポルシェ少女

 このとき「高級車」とだけ書いたのですが、青いスポーツカーです。写真が小さくてよくわからなかったのですが、実はポルシェでした。そのため「ポルシェ少女(保时捷少女)」として一躍話題になってしまったようです。


人助け3


写真は『広州日報』「“保时捷女孩救人”颇有巾帼小英雄风度【图文】」より

 実際、『広州日報』は彼女が広州市にある中学校の2年生であることをつきとめ、学校まで行って彼女にインタビューをしております(「“保时捷少女”救人续:系初二女生 不怕被人说炒作」)。そこでいろいろ聞いているわけですが、運転していた男性は誰かと聞いており、彼女は叔父と答えています。

 記事の印象では親子という感じではなかったので、私は運転手かと思っていたのですが、中年男性の運転するポルシェにのる少女ということで、二人の関係をいろいろ気にする人がいたということでしょうか。


2 中国における報道

 中国ではこうした目立つ活動をすると「ツリ(やらせ)」の可能性があり(「金持ちの息子」の言葉を信じた慈母2)、今回も『銭江晩報』が「保时捷少女救人无关贫富」の中で、写真にはっきり顔が映りすぎているので、ツリではないのかという意見をあったことを報道しています。

 記者からの質問に対し、こうした意見については特に気にしていないという回答をしていたものの、ポルシェに乗っていたことから、「金持ちの娘」と呼ばれていることにはかなり気にしていると答えていました。

 興味深かったのは担任が生徒(彼女)をかばうために、インタビューを引き継ぎ、彼女を教室に帰した後の内容です。彼女は一躍時の人になってしまい学校でも有名人となってしまったわけですが、「普通」の少女ということを強調しておりました。

 これが『新華網』になると、先に紹介した(中国人助け2題)我が身を省みず交通事故にあった女性を助けた方や、マンションの10階から落ちた女の子を受け止めたために腕を複雑骨折した女性と一緒に今回のことを紹介し、こうした道徳を重んじる「和諧人間関係」を形成しなくてはいけないと、宣伝に活用しております(「新华网评:无须刻意渲染“保时捷少女”救人」)。

 ま、これは国営の『新華社』としては現代において、薄れつつある「道徳」というものを何とかとりもどそうという人民教育の面もあったのかと考えております。


3 最後に

 前回は、中国で下手に見知らぬ老人を助けると、何か悪いことをしたから、親切にしてくれたのだろうと金を騙しとられる可能性があることを紹介しました。今回はそうしたことはなかったわけですが、一躍時の人になってしまったため、平穏な生活を遮られてしまったわけです。

 しかもポルシェに乗っていたことから、そのことを興味半分で話題にされ、「ポルシェ少女」と呼ばれたり、「金持ちの娘」としていろいろ言われることとなったのですから、何にしろ中国で人助けをするのは難しいなと改めて思った次第です。



凜amuro001 at 21:08│コメント(0)トラックバック(0)

2011年12月21日

 中国の古くて新しい話題というか、ホームレスも変わってきたなと思える記事「男子装残疾乞讨多年称月薪8千也不干」(障害者と偽ってホームレスを何年も行っている男性が月給が8000元でも就労はイヤだと述べる)が『大河網』に掲載されていたので、これについて少し。


1 中国のホームレス

 中国におけるホームレスは街中でも結構見るので、見たことがある方も多いのではないでしょうか。その際良く見るのが、手足のない障害者だったり、子供だったり、老人だったりすることがあります。

 特に子供については五体満足だと同情を引くことができないので、子供をさらってきて、このためだけにわざと障害者にするという話は良く聞きます(「我々の募金はどこへ行った」)。そうなると青年男子などは全く相手にされないわけで、結果として障害者を偽る者も出てくるというわけです。


2 青年ホームレス

 この記事はそうした者の1人を河南省鄭州市で、記者が取材したものです。これが記事に掲載されていた写真で、これを見ると左足がないので、仕方なくはいつくばっているように見えますが、実はこれは演技だということです(写真はどちらも上記HPより)。


物乞い1



 

 その証拠にきちんと当人が立っている写真も掲載されておりました。何でもこのズボンには穴があいており、左足をうまく折りたたむと外からは見えず、足が無いように見えてしまうというわけだそうです。


物乞い2



 

 この青年はまだ17才で、父親が死んで、母親がいなくなり、姉は結婚して家を出て行ったので、家には70才なる祖母しかいないそうです。こうした家庭環境だったことや、学校でいじめられたこともあり、小学校も4年までしか行っておらず、その後は家を出て既に6~7年こうして転々としてきたと述べています。


3 変わりつつあるホームレス

 1日に150元(日本円にして1800円)位の収入はあるそうです。だた中国も変わってきたなと思ったのが、記者がインタビューに中で、まだ若いのだから正式に働いてみないかという感じで、月給1500元(18000円)のガードマンの仕事を紹介した時の回答です。

 彼はたとえ月8000元もらったしても、イヤだと断ります(中国で8000元といえばかなりの高給取りです)。その理由が自由がなくなってしまうからで、こうして1日2時間いれば食べるのには苦労しないので、何者にも縛られないこうした自由な生活が良いと述べています。

 今後どうするのかという話をしても、一生こうした生活ができるとは思っていないが、1日2時間こうして這い蹲っていれば、食べていくのに苦労はしないのだから、もうしばらくはこうしているという回答でした。

 以前であれば、食べていくのがやっという状態の者が多かったのに、こうした記事を見ると、本当に中国も豊かになったものだとつくづく思います。


4 最後に

 考え様によっては、2時間で1800円、時給900円で、それで生活していけるならという考えもわからないではありません。しかし、寒いときも上の写真のような恰好で這い蹲っているのはかなりつらいものがあると思います。

 トイレにも自由に行けないのがツライといっていましたが、左足がなくて歩けないことになっているのですから、確かにそうでしょう。

 どうも記事を見ると、この青年ホームレスは煙草2本で、調子にのって取材に応じてこうしたことをばらして写真も撮らせたようです。ただこの記事は全国紙『環球網』等いろいろな所に転載されているようで、鄭州市のどこどこにいるとまで書かれて今後どうなってしまうのでしょうかと、他人事ながら多少心配です。



凜amuro001 at 06:42│コメント(0)トラックバック(0)