2015年12月09日

フィンランドが月約11万円を国民全員に支給するベーシックインカム導入へ

フィンランドが月11万円を全国民に支給するベーシックインカムを実施するようですね。
オランダも実験的導入を予定とか。

これまでの経済は、生産力が上がることが社会全体へ還元されず、失業を生み出し、ちっとも労働からの解放と結びつかなかったですが、社会全体への還元のひとつとしてベーシックインカムは直接的でわかりやすいですね。

フィンランド、オランダ、スイスなどの試みが日本にも広く知られてくると、ベーシックインカムに対する抵抗感も減り、その意義を多くの人が理解できるようになってきますね。

本来、経済は、みんなで助け合い、全員が豊かになっていく共同の活動です。 
その意味で、社会全体が豊かになっていた分をみんなで平等に受け取るベーシックインカムは自然な流れだと思います。 


anandtao at 16:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2015年11月27日

ナチュラルヴィレッジ株式会社の株主への手紙

ビジネスとは富を創り出し、お金を儲け、お金を周りに流すことで富を分かち合う素晴らしい活動だと思います。 


ビジネスて成功するためには、多くのたゆまない努力をし、信頼も勝ち得えなくてはならないし、強い意志を持ち、勤勉に働く必要があり、結果として人間性も磨かれるでしょう。社会に還元しているからこそ多くを受け取っているのだと思います。

良い商品やサービスを生み出し、たくさんのお金を稼ぎ、周りにも分かち合い、社会に富を生み出すという活動は、富を一人占めしようとしない限り、素晴らしいサットカルマだと思います。


しかし、それとは別に、いまの社会では、「お金」という制度が大きな問題を作り出しています。

お金の作られ方と利子が問題を作り出しているのです。


いまの社会では、例えばAさんが銀行から100万円を借りた時に100万円というお金が生み出されます。銀行はいわば無からお金を作り出して人に利子をつけて貸します。これを経済学では信用創造というもっともらしい名前で呼びます。


例えばその利子が年率10パーセントだったとしたら、1年後にはAさんは110万円を銀行に返さなくてはいけません。


Aさんは借りた100万円を元手に素晴らしい商品やサービスを作って稼ごうと一生懸命にビジネスを行います。


さて、ここで、銀行しかお金を作り出せないということを思い出してください。


Aさんが素晴らしいビジネスを行って大成功して、例えば元手100万円で一億円を稼ぎ出したとしても、社会全体でのお金の総量はちっとも増えないということに注意してください。


Aさんが銀行に100万円の借金をして100万円というお金が社会全体で増えたように、また誰かが銀行から借金しない限り、社会にあるお金の総量は増えないのです。つまりたとえAさんが1年後に一億円を稼ぎ出したとしても、社会全体ではAさんが借りた100万円の利息分10万円がお金が足りないのです。


なぜなら、くどいですが、お金を作り出せるのは銀行だけだからです。我々がお金を作ると贋金作りの犯罪です。


これってなんだと思いますか。


椅子取りゲームです。いまのお金の作られ方、信用創造を変えない限り、銀行によって社会は常に11人で10個の椅子を取り合う状態に置かれるのです。


本来であれば余るほど豊かな世界に、無理やり人工的に「足りない」状態を作り出しているのが、いまのお金の制度なのです。


人間の問題の根本原因がエゴであるのと同じ意味で、いまのお金の制度が世界の根本原因なのです。


個々のビジネスは社会に富を生み出す素晴らしい活動なのですが、その活動がいまのお金の制度を前提とする範囲内で動いている限り、格差や貧困、搾取、差別や紛争、戦争、そして環境破壊に至るまで人間活動が生み出している問題解決を行うことはできないのです。


もし私たちがナチュラルヴィレッジで、新しい文明を生み出すことに本気でコミットするつもりならば、個々の事業の採算性が上がればそれでよしという通常のビジネス目標よりもさらに高い目標を掲げて事業をする必要があります。


ナチュラルヴィレッジの事業目標をどのレベルに置くかは、みなさん一人一人違うと思いますが、ぼくはそのレベルを事業の目標にしたいと思います。


お金のない世界を目指すというのはそういう意味です。

もっと正確に言えば、いまのお金の制度をなくすことを目標としない限り、本当の持続可能で誰もが豊かに暮らせる社会を作ることは不可能なのです。


さらにもっと言えば、エゴとお金の制度は同じコインの裏と表のような関係にあります。どちらもが分離感を生み出し、あるがままでは満足できず、もっともっととい動きを生み出します。


だからワンネスの心にはそれにふさわしいお金の制度がきっとあると思います。


ナチュラルヴィレッジを作るということは、ぼくにとってはそういう意味です。



anandtao at 14:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2015年11月26日

Sくんからの手紙4

Mくん ご配慮ありがとう。  


私としては意外なところに着地したような気がします(笑) でも、The Beatles が歌っているように "All You Need is Love" ですね。 


ただ、今回の「春画展」は大英博物館で大きな話題になったにもかかわらず、 日本の美術館ではどこも開催を引き受けるところがなく、室町時代から続く大名家である細川家によって設立された永青文庫でようやく開催されたものです。


 入館は18歳未満には禁じられており、また、春画は書籍などでは無修整で刊行されるのが当たり前になっていますが、週刊文春がグラビアで取り上げたところ、社長によって編集長は3ヵ月、休職を命じられています。  


The Beatles にも "You've Got To Hide Your Love Away" という歌があるように、love というのは時として他人には目にしたくない場合もあるということも一面の真実であると私は思います。

なかなか一筋縄ではゆかないというか、難しいですね。  


2001年公開の映画ですが "i am sam" はご覧になりましたか? 
 


私にとっては、先に引用した二つの曲も含め、love についていろいろ考えさせられました。  


また、お会いできる日を楽しみにしています。
 

お元気で。



anandtao at 00:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2015年11月25日

Sくんへの手紙3

Sくん   返事ありがとう。  


ぼくのグルであるOSHOは、今以上に性的な抑圧の強かった1960年代のインドで集まってきた何万にもの聴衆に向かって、セックスを通して超意識へ向かえると突然語り出して、聴衆だけでなくそばに控えていた一部の側近や弟子たちをも心底驚ろかし、人々の多くの怒り、憎悪、敵意が向けられました。   


インドでは聖者は禁欲でなければならないという何千年にも及ぶ霊的な教えが続いていました。

 

OSHOは、性を悪いもの、恥ずかしいものとするのは、政治家と宗教家の陰謀であるとさえ言いました。  


彼らが、無垢な人間に対して、性を罪深い、抑圧すべきものだと条件付けることで、人々は自らの中に深い分裂を生み出してしまう。

自らの内に分裂を持ったものは自らの力を失い、支配しやすくなる。だからこそ政治家と宗教家は、ずっと、性を悪者として攻撃してきた、と。


OSHO「 愛を遊びにあふれたものに」 

  



合掌



anandtao at 15:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

Sくんからの手紙3

Mくん 真摯な返事をいただきありがとうございました。 


お互いに困難な事態に直面していることがよく分かりました。 決してくじけることなく歩み続けることが大事なことなのだと思います。

 

そして、人は状況はそれぞれであっても同じようして生きているのではないでしょうか? 


自分を見失わないよう心身の平安を保つこと、難しいことですが、その必要性を強く感じます。

包み隠さず話し合える友人がいることは、とても心強く感じます。 


ところで、現在、目白台の永青文庫で公開されている「春画展」はもうご覧になりましたか? 


知人に薦められて昨日、10時ころから約1時間、楽しい時間を過ごすことができました。


話題になっており混雑しているということでしたが、早い時間はそうでもないようでした。 


図録の解説によると「春画」は江戸時代には「わらいえ」と言われていたそうで、いつの世も変わらぬ人の営みをおおらかに描いている春画に何度も口元がほころびました。美術品としても興味深いものでした。 


思わず脱線してしまいましが、自らの能力を発揮するためにはリラックスすることが大事だと、何かで読んだことがあります。


 Mくんの意図とは違った返事になってしまったかもしれませんが、とりあえず受け取ったボールをお返しします。



anandtao at 15:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

Sくんへの手紙2

Sくん  
メールありがとう。  


 持続可能な暮らしを生み出すというVISIONのもとに新しく仲間で起業して1年経った会社は、わずかな資本金をおおかた使いながら何の実績も作り出せていない瞑想ならず迷走状態です(苦笑)。 


1年前、情熱を持って動き始めた会社事業だったのにいつの間にか情熱を失うだけなく苦しみの元にまでなっていました。  なぜそうなってしまったのか、きちんと自覚できず悶々とした日々が続き、このまま事業からは身を引こうと決意するところまで行きました。  


そんな中で原因を自覚することができました。

新しい文明を創る
その雛形となる暮らしを実現するヴィレッジを創る

それが新しい会社のミッションであり、そのために集まった仲間が立ち上げた会社だと思い、長年ずるずると続けてきた世間からしたらとても恵まれたぬるま湯的サラリーマン生活を止めて中年起業したつもりでした。


 しかし新しい会社が新しい文明を創るにふさわしい組織文化を作り出せないままいつのまにか普通の会社のように業務を遂行していくなかで、サラリーマン時代に身につけてしまった日本の組織原理であるところの権威主義、付和雷同、日和見傍観主義の癖が出てしまい、それに対してきちんとした異議申し立てや対論の提示ができないまま、ずるずると流されてしまい、不満だけがたまってしまいました。


その間に会社の資本金はどんどん減ってしまい、ぼくはストレスばかり溜め込んでしまいました。  


なぜストレスを溜め込んでしまったのか、やっといま自覚ができ、言葉にすることができるようになりました。しっかりと原因に気づくのに1年もの時間がかかってしまったのは、まず何より自分の馬鹿さ加減ですが、また長い間のサラリーマン時代に身につけてしまった「見て見ぬ振り」という習性だと思います。  


とはいえ1年前の原点に戻ることができました。 その代償がほとんどなくなった資本金と1年という時間ですが、いまとなっては必要な学びのプロセスだったと思います。30年以上の間に日本の会社組織の中で自ら身につけてしまった「見て見ぬ振り」という保身の習性をより深く自覚するのに必要だったのでしょう。


 これからどうなっていくのかわかりませんが、年末の株主総会に向けて、株主、経営陣と話し合っていきます。  


新しい酒は新しい皮袋にしか入りません。  


新しい文明は新しい組織、新しい人のつながりの中からしか生まれない。 


 そのことを忘れないようにしたいと思います。



anandtao at 15:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

Sくんからの手紙2

Mくん 貴重な情報をありがとう。 


とりあえず「スライブ」のダイジェスト版を観ました。 とても興味深かったです。


 Zeitgeistも、ぜひ観てみようと思います。


 ところで、今週、渋谷のユーロスペースで公開されている映画、 「みんなのための資本論」を観ました。 


クリントン政権の労働長官であったロバート・ライシュが、 カリフォルニア大学バークレーで行った「貧困と富」と題する講義の記録で、 米国社会が1%の富裕層によって支配されている状況が、 いかに形成されていったかのかが分かりやすく説明されていました。

 

すでに日本でも多くの人に共有されている知見ですが、 改めて問題点の整理がなされていると感じました。 


同時期に「美術館を手玉にとった男」という映画も公開されていて、 こちらの主人公は実在する人物で統合失調症の当事者であり、 精巧な贋作を全米の美術館に寄贈するという行為を30年にわたって 繰り返し、芸術と金という問題を浮き彫りにしました。


 追伸 ブログの件は了解しました。例によってネットに疎いので公開される結果を楽しみにしています。テロの件は確かに勇み足でしたね。ただ、今後の事態の推移は注意深くしていたいと考えています。



anandtao at 15:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

Sくんからの手紙

靖国神社テロ事件について

 

 自民党政権は「テロ事件」との見解を即座に表明したが、この件に関して想起されるのは、

1933年1月30日、ヒトラー内閣が成立し、議会を解散、政権基盤を固めるために3月5日に総選挙を行うことを決定した後、2月27日、国会議事堂が放火されるという事件が起き、ナチスは共産主義者の犯行とのプロパガンダを行って、反政治勢力に対する徹底的な弾圧行い、結果的にナチス党は199議席から288議席へと躍進したという歴史的事実です。

 この放火事件は後年、一党独裁を目指すナチス党によって仕組まれた政治的陰謀であるとの見方が有力です。つまり、今回の靖国神社テロ事件についても同様な可能性が考えられるのではないかという危惧があります。戦前の治安維持法を彷彿とさせる「共謀罪」を提起するなど、現在の自民党は、まさに「ナチス」と同じ道を歩もうとしているということを強く感じます。

 



anandtao at 08:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

Sくんへの手紙

Sくん  メールありがとう。  Sくんのメールは考えるきっかけを作ってくれます。ありがたいです。  

歴史は繰り返す、それも2度目は茶番として、というような言葉をマルクスが書いてのでしたっけ。確か柄谷さんがどこかで書いていたのを脳内コピペです。  

ぼくは今回の靖国神社の件に関するそこまでの陰謀説に対しては、現時点では保留です。  イスラム国は、モサドが作ったというスノーデンの暴露情報もあるようですから、陰謀説を頭から否定しているわけではありません。ただ自分には白黒つける情報量がありません。  

話は少しそれるけど「スライブ」という映画知ってます?
見たことなかったら是非みてください。
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI  
世界で何千万人もの人が観ています。
 
Zeitgeistも面白いですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=MuKqUhxPLfA

「聖なる経済学」のことは前に伝えましたっけ。
念のため。
 https://www.facebook.com/SacredEproject/?ref=aymt_homepage_panel 

有志でこの本を訳しました。  
以下のサイトで無料で翻訳全文をダウンロードできます。  https://sites.google.com/site/sacredeconomics2012/home/fulltext

 世界が支配/被支配の構造でできており、またそれがなるだけわからないように情報操作されているということは間違いないと思います。

そしてこの支配/被支配の構造から自由になりたいし、世界を解放したいと切実に思います。  

ですよね。

 でもどうやって?

戦争もそれに対抗するテロも、この構造の中でぶつかり合う人間のエネルギーです。
圧倒的な武力と権力と情報力を持つ勢力とそれに向き合う勢力の不均等に、判官びいきのぼくはどうしても少数派、弱い側に気持ちが向くのも正直なところですが、この構造からみんなが解放されない限り、弱い者が傷つけられ、苦しめられるというこの世界は変わらないでしょう。

 支配/被支配の構造を支えているものは何か。

 お金です。

地獄の沙汰も金次第。

ぼくらの世界は拝金教の一党独裁唯神論的世界ですよね。  
お金がなければ生きていけない。  

ではお金の背後にあるものは何か。  

恐怖です。

私たちの中にある恐怖がこの世界の構造を根本のところで支えている。

私たち一人一人が自分の中にある恐怖をしっかりと認めて、向き合い、恐怖から自由になること。  

そこからしか世界の解放はないと思います。  

恐怖がないとき愛がある。  

愛がないとき恐怖がある。  

まずは自分のなかの恐怖を無視せずに、恐怖とは何かを自分の目で確かめること。  

そこから新しい世界が立ち現れてくる。  

そんな風に感じている今日この頃です。  

ご自愛ください。  

追伸 このメールを自分のブログでも公開させてください。

anandtao at 02:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2015年11月02日

デフォルト後の新しい世界へ向けて2

日本がいつデフォルトになってもおかしくなことは明らかだ。

2015年度予算を家計に例えると、
年収545万円、借金368万円、パート収入49万円で、
借金返済234万円、生活費728万円、医療・介護費315万円、親への仕送り(地方交付税)155万円、家の修繕費59万円、教育費53万円、防犯費49万円の合計963万円の暮らしを賄う。
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_yosanzaisei20150114j-03-w430
そして家計の借金は今年末には1億1670万円に膨らむ。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL10HQ8_Q5A810C1000000/

デフォルトがどのようなきっかけで起こるのか、ぼくにはよくわからないが、どこかで破綻するしかない刹那的でどこかやけっぱちな暮らしを我々が行っていることは確かである。
そのことをだれもが無意識に感じているのではないだろうか。

立花隆さんは、ある本のあとがきで、財政破綻は自分たち戦中派が生きている間に起こったほうがよいと書いていたことを思い出す。敗戦で何も無くなって大変ではあったが、妙にすがすがしく自由な気持ちを感じていた自分たち世代が、デフォルト後の大混乱で役に立つだろうからと。そんなことを読んだ記憶がある。


ここでは、デフォルト後にどんな新しい暮らしをしていきたいのか、そのことに絞って考えていきたい。

僕自身、デフォルト後の世界を考えることにわくわくしている。デフォルトが、ゼロベースで新しい社会について自由に考え、創り出していく絶好の可能性と機会を私たちに与えてくれるからだ。

いまの制約の中で最善の解を探すのでなく、いまの制約を超えて、自分たちが本当はどんな風に暮らしていきたいのかを考えて、それに向かって動き出すのってすごく楽しくない?

与えられたゲーム、しかもつまんないゲーム(おっと失礼!)をプレイするのではなく、面白いゲームを創り出すというゲームをプレイする方が面白いよね。



そのことに気づかせてくれた原田武夫さんにはこころから感謝し、お礼をのべたい。
https://www.facebook.com/takeo.harada1/posts/10207385741184794?comment_id=10207392476993185&notif_t=like
原田さん、ありがとう。


大切にしたい新しい社会のポイントをまず挙げてみよう。

<地球、自然と調和した社会>
人類は、ひたすら経済成長するために自然と人を搾取し続けながら、がん細胞のように増殖し、地球全体を覆い、食い尽くそうとしている。いまの人類の活動を支えるには本来地球1.5個分が必要であり、すで0.5個分オーバーして地球の資源を再生不能にまで食い散らかし、滅亡かブレークスルーの瀬戸際に来ている。
http://www.wwf.or.jp/earth/
人類もまた他の自然と同じように循環するサイクルへと回帰し、持続可能な自然も人も搾取しない宇宙船地球号の乗務員としての責任ある美しい役割を果たすことができるのだ。

<ヒエラルキーのない自由で個人が尊重される社会>
戦後の大量生産に向いたヒエラルキー型の組織の中で個人の自由な創造性が封じ込めらている。自由がない組織は硬直し、外部の環境変化に対応できず、自己保身という自家中毒を起こし内部から腐敗しているのがいまの日本の組織ではないだろうか。
世界がダイナミックに多様に変化している中で、ひとりひとりがそのままで尊重され、個人の多様性と創造性が自由に発揮されるネットワーク型のダイナミックな社会こそが柔軟に生き残っていくだろう。

<平和で安心な社会>
「人」という字が表すとおり、人は支え合い、寄り添いあって生きる生き物だ。しかし私たちはいまそのことを忘れて、分離感、孤独感とともに生きていないだろうか。お互いに支え合っていることが実感できる社会こそ本当に平和で安心な社会である。分離感の先にあるのが格差であり、差別であり、戦争であり、分離感の消えたときに平和がある。

この3つの目標をどのように達成するのか、それをこれからフリーハンドで考えていく。

(続く)






anandtao at 15:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 革命 | ワールドシフト

2015年11月01日

デフォルト後の新しい世界へ向けて1

日本の借金が1000兆円を超え、さらに日銀は異次元的緩和で大量の円を発行し続け、国家予算は、目先の自己利益しか考えない既得権益へのばら撒きで赤字など気にせず膨らむばかり。
冷静に考えれば、国家破産の道へとまっしぐらにひた走る。

その国家破産を起死回生の戦争によって一気に解決するべく、機密保護法、安保法制、武器輸出解禁、マイナンバー等、国家権力を強化、集中する体制を整えつつある安倍政権。

日本、アメリカ、世界は、またもや戦争によって国家的、世界的な問題、矛盾を破壊し、ご破算にしようとしているかのようだ。

日本、アメリカ、世界のいまをわかりやすく分析している記事がある。

原田武夫
「安倍晋三総理大臣への公開書簡」

http://haradatakeo.com/?p=60502 
「カイロス化する世界とその帰結」
http://haradatakeo.com/?p=60258


もし原田氏が示唆しているように日本のデフォルトが、敗戦後70年続いたアメリカへの政治・経済・文化的従属を一気に断ち切り、新しい未来を創り出す起死回生の道だとしたら。

デフォルトとは国家の破産宣言、国債を返せないと宣言すること。それがどのように起死回生の道を開くのか。一体だれがその宣言をするのだろうか。時の権力者が、自らに死刑宣言を下すような決断ができるのだろうか。考え出したら、結構わからなくなってきたぞ。

そこはとりあえず置いておいて、デフォルトが起きたらと、もう少し進めてみよう。


日本の国債は、日銀28.5%、銀行30.1%、生保19.2%の主な所有者三者で8割を保有し、海外の保有は9.2%である。
https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/breakdown.pdf

とはいえ1割以下の海外の保有額でも、95兆4,278 億円であり、世界経済を揺るがしかねないと騒がれているギリシャの借金41兆5,615億円の倍以上だから、いかに日本の借金が大きいかがわかる。日本の国債を外国人が買わないのもよくわかる。

銀行、生保が持つ5割は、元を正せば、国民の貯金であったり、保険掛け金であり、結局、国民の金である。デフォルトによって、国民が汗水垂らして貯めたお金がごっそりと消えてしまう。
さすがのおとなしい国民でも暴動のような大騒ぎになるだろう。もちろん時の政府は倒れるだろう。果たして自分の首を絞めるようなデフォルトを政府がわざわざ行うだろうかという疑問にやはり行き着く。

日銀が持つ3割は、日銀が異次元的緩和と称して日銀券を大量に刷り(正確にはデジタル的に数字を作り出しただけだ)、国債と交換したものだ。これも消えるが、これは元々無から有を作り出し、また無に戻るということで、なんてことはないな(笑)。とはいえ会計上(これもまたバーチャルだけど)は、日銀は破綻するしかない? すると円の信用度が急激になくなりハイパーインフレ? 新しい日銀とともに新円発行?

外国に対して国債を返済しないと宣言したら、国際的信用度は0になるが、その結果はどうなるのだろうか。2001年にデフォルトしたアルゼンチンと2008年にデフォルトしたアイスランドをざーと調べると、減額や支払い延期交渉をして返してはいるようだ。
詳しい話を知っている人いたら教えてください。


しかしここで全く別の見方をしてみよう。

以前、「お金」というバーチャルなシステムと実体経済は別物だという話を書いた。

成長の限界
http://blog.livedoor.jp/anandtao/archives/52349660.html
リアルとバーチャル
http://blog.livedoor.jp/anandtao/archives/52349731.html


日本国家がデフォルトになり、日銀が破綻し、国民の貯金が消えたとしても、それはあくまでも「お金」とそれが作り上げた「信用制度」の破綻でしかない。地震などの天変地異とか原発事故とかという物理的ダメージはなく実体経済はいわば無傷なのである。実体経済を支える「信用制度」が破綻しただけであり、新しい「信用制度」によってすぐさま実体経済を回していけば大丈夫なはずだという見方である。
上記のブログ記事で触れたとおり、いまの「お金/信用制度」はいずれにせよいまの地球環境、世界情勢にふさわしくない、いやそれ以上に人類の破滅の原因になりかねない時代遅れのものになっており、絶対に新しいものに更新する必要がある。

実体経済が物理的なハードウエアとしたら「お金/信用制度」はソフトウエアである。
ハードウエアには問題がないが、ソフトウェアに致命的な問題があり、ハードウエアにも問題をおこしている。だったら古いソフトウェアをアンインストールして新しいソフトウェアをインストールしようというわかりやすい話ではある。

(続く)














 

anandtao at 18:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ワールドシフト | 革命

2015年10月12日

自由へのプラットフォーム4 ひとつのスタート Natural Village

簡単に私たちのこれまでの世界を語ってきたが、では、いまからどのようにどの方向に向かって進むのか。

その一つのスタートを述べてみたい。

世界は人からできている。

新しい出会いから新しい世界は生まれてくる。

新しい出会いを生み出す場所を作ることから、ひとつのスタートを切ることができるのではないだろうか。

その場所をNatural Villageと呼ぼう。

場所はどこでもいいのだ。

新しい世界を創ろうという意思をもった人たちが集まる場所、サロン。

新しい世界を創るためには、古い世界の有り様を理解している必要がある。
理解してこそ古い世界から自由になり、新しい世界を創りだせるのだ。

では古い世界の有り様はどのように理解すればよいのか。
自分と周りの世界を先入観をはさまずに観察すること。

サロンは、そのための場所と人の出会いを提供する。
そのサロンは都心の小さなマンションの一室かもしれないし、美しい自然に囲まれた雨漏りのする古民家かもしれない。そこに人は集まり、互いの疑問、理解、アイデア、考えを持ち寄り、交換し合い、語り合い、出会い、分かち合う。

やがてそこに人は暮らし始めるかもしれない。さまざまなことが創り出されていくだろう。新しい世界を体現した村が自然に生まれてくるだろう。

Natural Villageができてくるだろう。

それは古い世界の常識では考えもつかなかった自由で楽しく豊かな生き方が生まれてくる場所になるだろう。

そしてそんなNatural Villageが日本中、世界中に雨後の筍のように生まれ、つながり、ネットワークになっていく。

Natural Village株式会社
http://naturalvillage.co.jp




 

anandtao at 15:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 革命 | ワールドシフト

自由へのプラットフォーム3 リアルとヴァーチャル

物理学の基本単位が質量gであったり、エネルギーJ(ジュール)であったりするが、これは物理量であり、絶対的な量である。それらの絶対的に計測された量を元に、物理学は客観的な科学として成り立っている。

 その意味で経済学の基本単位はお金である。
経済学はお金を基本単位として価値を計測している。一見、お金は数字であり、絶対的な量に見える。
しかし実際には、市場で同じ1Kgの金の価格が常に変動しているように、お金は絶対的な単位ではなく相対的なものでしかない。

経済学は相対的な単位を元に成立していて、絶対的な単位を元にしてできている自然科学とはまったく違うしろものであることを理解する必要がある。

この経済学というレンズを通して実際の経済を観察すると1kgの金の価値が変動しているように見える。
こういうけったいなシロモノが経済学である。

けったいな経済学は一旦脇において、実際の経済について考えてみよう。
経済の基本は何か。分業である。すべてのモノ、すべてのサービスは、さまざまな分業の網の目の中で作られ、流通している。そして分業こそが私たちの社会の豊かさを実現している。

分業の本質が意味することは何か。
すべての人が自分以外の人のために働いているということである。
分業とは利他的な行為の連なりだ。
客観的な事実として、経済活動は分業という私たち全員の利他的な行為によって成立している世界なのである。

しかしその客観的な経済的活動と私たちが日々体験している経済社会の実感は異なっている。
私たちが経済学というレンズを通して経済を見るように条件付け、もっと端的に言えば洗脳されているからだ。
近代経済学の父であるアダムスミスは、この分業を自己利益のために行っていると解釈した。
近代経済学は、「人間は自分の利益を最大化することだけを考える合理的なエゴイスト」であることを前提に組み立てられている。

しかしそう解釈しているのはだれか。
それはエゴそのものだ。エゴがエゴの世界観によって客観的世界を解釈している。

私たちは、日々自分たちが行っている利他的な分業による経済活動を、「利己的な動機で人は経済活動をしている」というエゴのレンズを通して見て、体験している。

私たちは利他的な経済活動をリアルに行いながら、近代経済学というレンズを通して「利己的でだれもが限られた資源を奪い合っている」ヴァーチャルな経済世界に生きている。もっと露骨にいうならば、ヴァーチャルな世界に集団的に洗脳され、組み込まれている。
その姿は、リアルな世界から遮断されて悪夢を見ている夢遊病者のようではないか。
経済学を通して見ている世界がMatrixなのだ。

1929年に起きたニューヨーク市場の株価の大暴落に始まる大恐慌も、リーマンショック後の世界経済の不況も、ギリシャのデフォルト騒ぎも、すべてはお金に基づいて組み立てられた「経済」の中でつじつまが合わなくなったというヴァーチャルな矛盾、破綻である。それは実際の経済活動、つまり人々の日々の利他的な労働による分業活動には何も関係ないし、影響を受ける必要もないのだ。
しかし現実には、利他的分業によるリアルな経済活動よりも「お金」に基づくヴァーチャルな「経済」を維持し、死守することが優先されるために、リアルな経済活動はヴァーチャルな「経済」の犠牲にされ、その結果、多くの人が多大な苦しみを受けている。

どこまでも貪欲であり、自己利益を最大化するエゴを前提にしたヴァーチャルな「経済」を優先するのか、分業という利他的な労働によって成立しているリアルな経済活動を優先するのか、我々には選択肢があり、選択できるのである。

ヴァーチャルな「経済」こそが何があっても死守しなくてはならない、命より大事なものであり、それが壊れれば大変なことになると、我々はずっと洗脳されて来たし、日々、洗脳され続けている。

しかし毎日の経済ニュースや解説を聞いて、なんだかわかったようなわからないような気にならないだろうか。

わたしたちは、人のことなどどうでもよくて自分さえよければいいというそんな人間なのだろうか。
そのことを自問してみるといいと思う。

そしてわたしたちの答えがそうではないというのならば、私たちが日々行っている利他的な分業による経済活動を正確に把握できる本当の経済学を、他の自然科学と同じように事実観察、計測、実験等によって発展させることができるはずだ。







 

anandtao at 13:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 革命 | ワールドシフト

2015年10月11日

自由へのプラットフォーム2 成長の限界

個人的な「成功」こそが自由への道である現代文明は、その個人の自由への情熱を原動力として、ダイナミックに経済成長をしてきた。起業、投資、競争による経済的自然淘汰によって、より利益を生む資本が生き残り、拡大し、他の資本を飲み込んでいった。

その経済成長は、年間成長率で測られるような 指数関数的な成長である。

その指数関数的な成長を促したのが、貨幣制度である。

貨幣は銀行によって作り出され、利子をつけて市中に回る。
すべてのお金の出所は、元を正せば銀行が貸し出した利子付き借金なのである。

銀行から借りたお金をお金として使っている我々は、銀行に借金は返さなくてはならない。しかも利子をつけて。

あなた個人が、自分は借金をしていないと言ってもそうは問屋がおろさないのである。

社会全体が銀行が貸し出したお金を貨幣として使っている限りは、あなたも銀行に借金があるのである。
そのために社会=我々は年利がついて指数関数的に、つまり雪だるま式に増えて行く借金を、去年よりも今年、今年よりも来年とより働いて返さなくてはならないのである。

指数関数的な経済成長を、個人的意思なぞおかまいなしに何が何でもやり遂げなければならない理由がそこにある。
とにかく何が何でも経済成長をしなければ社会全体が借金が返せないのである。私たちは止まれないのである。

美しい地球の自然を掘り返し、破壊し、無駄としか思えないような物が無理やり生産され、多量の宣伝費を使って無理やり買わせて、あふれかえるほどの大量のゴミや廃棄物を作り出して、それでも経済成長することが最優先されなくてはならないのである。

なぜなら経済成長が止まると、銀行に借金が返せなくなる。

だから政府も企業も必死に経済成長させるために労働者を叱咤激励して働かせる。

経済成長を達成するために労働者が過労死もいとわず働き続ける一方で、銀行は利子をつけて貸したお金(=市中にお金が生まれる)の利子を生むを言わさず巻き上げることができる。

それでもやはり思った以上に経済成長できなくて銀行に借金が返せなくて、借金が焦げ付くときもある。そんなときは、「金融の安定」のために我々の税金が「公的資金の注入」として銀行に支払われる。
だから我々はもっともっと働き続けて、とにかく要らないものでも無駄なものでも作って、作りまくって、宣伝して、売って、売って、GDPという数字、お金の量を増やさなくてはならないのである。

我々はそういうルールの中で生きている。

しかし経済とはお金、数字の話だけではない。経済とは実際に人々がエネルギーと物質を使ってさまざまなモノをつくる物理的な営みである。我々は、石炭、石油という化石燃料を発見し、莫大なエネルギーを人類は手に入れた。これが、指数関数的に増える成長を物理的に支えることを可能にした。
石油という極めて良質なエネルギーを手に入れた人類は、一人で100人の奴隷を持つほどの力を手に入れたとどこかで読んだ覚えがある。そのエネルギーを使って大量の物質を操作し、大量の商品を作り出す力を得た。

我々の文明は石油をじゃぶじゃぶ湯水のごとく使うことで成り立っている。

一番自然な営みと思われる農業でも、米1キロカロリーを作るために石油10キロカロリー分を使うそうだ。石油があってこそ年10%だ、5%だ、1%だという経済成長を可能にした。

その石油の生産量が天井を打ったという統計があり、それがピークオイルと呼ばれている人類に突きつけられた大問題だ。

有限なモノはいつかはかならずなくなる。かつては中東の砂漠に井戸を掘れば、勝手に石油が噴き出してきた。いまや中東の油田には大量の水を流し込んで圧を高めて石油を掘り出したり、深海の底から石油を掘り出したり、シェールオイルという極めて質の悪い石油を大量の環境破壊を行いながら取り出している。

経済を回すエネルギーが良質な石油から質の悪い石油に変わることで、もはやどんなに頑張ろうがかつてのような経済成長を果たせななくなってきているのだ。高品質のガソリンで走っていた車が、低品質のガソリンではどんなに頑張ろうが、かつてのように走れないのと同じことである。

つまり我々は、物理的に成長の限界に来ているのである。

人類の指数関数的に成長する経済活動によって破壊され続けている自然環境が再生し、維持することができなくてっている地球からすれば、これは福音である。

しかし指数関数的に増える借金を基盤にしている経済制度にとっては、経済成長できないということは制度の破綻を意味する。

いま世界中の国家が大量の借金を抱え、財政破綻の危機に瀕している。
それがまさにいまの貨幣制度の破綻が来ているという現実である。ギリシャ、アメリカ、そして断トツに借金を抱え込んでいる日本。

もはや質のよい石油を大量に使えなくなったために経済成長できなくなっている物理的な現実は、どんなに大量のお金を刷っても変えることはできない。その客観的な事実を前にしながら「経済成長によって財政再建」と唱えてる人々の姿を見ると、頭がくらくらしてくる。

それはさておき、この危機は人類にとっても福音になりうる。

この危機とは、自然環境を破壊してまでもっともっと働き、稼がなくてはならないという社会がこれ以上存続できないということだからだ。
自然と共生し、ゆったりのんびり暮らせる社会を作るチャンスが到来したのである。

「お金」という制度、お金の利権を握っている人にとっては、この危機、破綻は死活問題であるかもしれない。円やドルやユーロというお金が実はとてつもない利権を生み出していることがばれるとやばい、ともきっと思っているだろう。

何が何でもいまの「お金」の制度を死守しようとして、いま世界ではいろんなことが起きている。
もはや破綻するしかないことを無理やり延命させようとしているから、当然ながら、無理なことばかりが起きている。

ニュースが伝えている世界の姿だ。
命よりも「お金」の制度が大切な世界。
自然よりも「お金」の制度が大切な世界。
人よりも「お金」の制度が大切な世界。

しかしその世界の背後で静かに新しい世界が生まれつつある。








 

anandtao at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 革命 | ワールドシフト

自由へのプラットフォーム1 ファシズムと革命を超える

人は自分の好きなように自由に生きることもできるし、ヒエラルキーの中で自ら支配されることを許し、自ら奴隷となり、そのストレスを自分よりヒエラルキーが下のものを支配し、発散するという生き方もできる。
 

人間という種が持っている性質だろう。
 

いまのヒエラルキー社会に生きざるをえない私たちのほとんどは、自らを奴隷化させ、人を奴隷化せよという絶えざる圧力の中で生きている。その圧力に全面的に屈してしまうか、その圧力に抗いながら自由を希求するか、という二つの選択肢に我々は常にさらされている。
 

その二つの選択肢から自由になる第三の道が「成功」である。現在のヒエラルキー社会は、少数による多数への搾取から成り立っているので、必然的に「成功」するのは少数であり、多数の残りの人間は少数の「成功者」を支える「使用人」にならざるをえない。
 

社会からのドロップアウトや自給自足という例外的な方法を除けば、「成功」が、ヒエラルキー社会の奴隷化の圧力から解放される唯一の手段であり、多くの人は個人的な「成功」を目指し、そのエネルギーが、さらなるヒエラルキーを生み出す原動力になり、ヒエラルキー社会はさらにエスカレートしていく。
 

我々はその悪循環の中にいる。
 

このヒエラルキーは、社会のあらゆる部分に浸透している。
 

本来ならば、ヒエラルキー社会からの解放を願い、自由や平等を目標にしたグループでさえ、いつのまにか少数の「リーダー」とその他多数の「フォロワー」からなるヒエラルキーを生み出している。

素晴らしい理念、理想、教えをかかげた政治結社、宗教団体、共同体、さまざまなグループが、結局のところヒエラルキーを内部に作り出している。
 

ヒエラルキー社会の絶えざる奴隷化の圧力の中で、弱い人間はその圧力に屈し、自ら「奴隷」となり、他人を奴隷化することでストレスを発散させるファシズム的な人間となり、強い人間は圧力に抗い、はねのけ、ヒエラルキー社会の階段を登り、「成功者」になっていく。どちらにもなれない大多数の普通の人は、日々、奴隷化の圧力に自分なりに抗い、折り合いをつけながら生きる。
 

そのようなヒエラルキー社会で、本来自由に生きることを本性とする人間は様々なストレスにさらされ、やがて個人では耐えきれないストレスを社会全体で抱え込むようになって、社会全体が不安定化して来る。

その時、社会は「強いリーダーシップ」を求め、ストレスの社会的な発散を求める。
それが、潜在的に高まっていたファシズム的構造が一気に社会的な構造となって立ち現れる瞬間だ。
 

ファシズム的な社会は、社会に溜まっているストレス、すなわち個々人の中に溜まっていたストレスの総和を顕在化させ、構造化させ、それを発散するべく「敵」を作り、ストレスを組織的に、攻撃的に発散させる。

それは最後には戦争という形にまでエスカレートし、敵のみならず自らを破壊するまで突き進んでしまう。
何かの本で、日本が太平洋戦争の宣戦布告を宣言したとき、人々はうきうきしたというのを読んだことがある。
 

このファシズムが社会構造として立ち現れようとするとき、それに対抗するべく「革命」的動きも立ち現れるだろう。
それは、そもそものストレスの原因を生んでいるヒエラルキー社会自体を変えることによって問題を解決しようとする動きである。

この動きは絶えざる奴隷化の圧力に自分なりに抗い、折り合いをつけながらストレスを抱え込んできた人たちのストレス解放の場を作り出すかもしれない。その場を組織化できれば、この「革命」的な運動は大きなものになるだろう。

それはいまのヒエラルキー社会を壊そうとする巨大なエネルギーになるかもしれない。

しかしこの「革命」的なエネルギーはストレスから生まれたものであり、根底には破壊的な性質を持っている。それが新しい社会を創るという創造的なエネルギーになるためには、新しい経済社会のビジョンが必須であり、同時に個々の人間が自らのエネルギーを律することができるかどうかの自覚が求められる。
 

しかし未だ明確で包括的で具体的で、なおかつ多くの人に共有されている普遍的なビジョンは生まれてきていない。
このビジョンと個々人の自覚なくしては、革命は破壊の後に、新たな別のヒエラルキー社会を創り出してしまうだけであろう。
 

私たちは自由に生きられないのか。自由な社会を創れないのか。ファシズムでもなく革命でもない第三の道はないのか。

その第三の道が見えてきた。
 

その報告を少しずつしていきたい。



anandtao at 12:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 革命 | ワールドシフト

2011年04月15日

新しいメディアは




anandtao at 20:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Wombat | 社会

2011年04月14日

新しい文明は、女性の美しさから生まれる



anandtao at 10:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ゴールデンエイジムーブメント | 社会

2011年04月10日

メディアには瞑想的な意識が必要




anandtao at 20:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Wombat | 社会

2011年04月09日

新しいメディアが必要だ




anandtao at 05:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Wombat | 社会

2011年04月08日

日本再生のための新しいメディア




anandtao at 01:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Wombat | ゴールデンエイジムーブメント