2016年11月15日

公共貨幣でイノベーションはできるのか

本日つなぶちさんが主催する「未来市場創造会」という集まりで
「瞑想が創る未来 向き合っていない恐怖が未来を阻む」というテーマで少し話をする機会をもらいました。
http://www.futuremarketcreation.com/event/?p=569

集まってきている人たちがとても面白い人たちで、ビール片手にみんなで語る雑談が刺激的でした。

直接テーマに関係はなかったのですが、早速、今の関心事である「公共貨幣貨幣」についても話をしたところ、会に元銀行マンの人が出席しており、なるほどと思う鋭いフェードバックをもらいました。

民間銀行によって勝手に信用創造することで社会全体のお金の量が増えたり、減ったりすることで経済が不安定になることを解決するためにも公共貨幣が提案されているのですが、民間銀行が信用創造ができない場合、新しいイノベーションを生み出す投資のお金がどのように調達されるのかという問題が出てくるという指摘です。

山口さんの公共貨幣のプランでは、銀行が貸し出し、投資に回せるお金は、預金者から預かったお金に限定されます。つまり社会全体でだぶついて預金に回ったお金が新たなイノベーションを起こすために投資に回りますが、それ以上のお金を必要とする事業に挑戦することができなくなります。

もしそのような場合に、公共貨幣を発行する機関が投資するかどうかを決めて実際にお金を作るということにすると、今度は、投資するしないの判断をその機関だけが決定することになり、社会主義計画経済と変わらなくなります。


それに対して元銀行マンの方の提案も面白いものでした。

電気事業における発送電分離方式と同じような考えに基づき、民間銀行が現在持っている為替業務と融資業務を分離し、為替業務は公的な業務なので国の事業にする。
民間銀行は融資業務だけとして、自己責任で信用創造によって新たなお金を作って融資事業を行う。失敗したらその責任を負う。


いまの民間銀行が融資事業に失敗し、巨額の赤字を生み出しても、金融安定化という名の元で国民の税金でその赤字を埋めるということが起きている。銀行が為替事業を独占しているので、銀行は潰せないということになる。

しかし為替事業を公営化、国営化しておけば、融資に失敗した場合は、銀行は自己責任で倒産してしますことが可能になってくる。
実際の日々の決済を行う為替業務は社会のインフラともいうべき公的な役割を持っている。
これが公営化、国営化していると為替業務がストップするというような壊滅的経済的混乱は避けられる。


この観点から考えると、現行の民間企業が無からお金を作って投資する方法は、自律分散的な信用創造であ流。
一方、公共貨幣という形で当局が無からお金を作って投資するとしたら、それは中央集権的信用創造である。
イノベーションをどちらが起こしやすいかと問われたら、前者の自律分散型の信用創造ではないかと思う。

もうすこしこのあたりのことも考えてみたい。





anandtao at 22:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

「公共貨幣」が世界を革命的に変える!

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このブログでも繰り返し語ってきた現在の貨幣制度が、いまの社会を見えない形で支配し、その結果、バブル、不況、失業、経済格差、赤字財政、そして戦争や環境破壊まで起こしている根本原因だという理解が、今、世界中で広がってきている。

現在の貨幣制度がなぜ問題を起こしてしまうのか
実際にどのような問題を起こしてきたのか
どのようにして通貨制度が極めて少数の人間に世界を支配できる力を与えるのか

そして
それに代わる貨幣制度はあるのか
そして
それはどのようにして可能なのか

これらの問いにわかりやすくまた体系的に答えている素晴らしい本がある。
山口薫『公共貨幣』
https://www.amazon.co.jp/dp/B01532FV30/
公共貨幣
山口 薫
東洋経済新報社
2015-09-11


貨幣制度をめぐる政治的な熾烈な闘争などの歴史的事実も丹念に調べられており、社会のOSである貨幣制度が、世界大恐慌や戦争、リーマンショックなどを起こし、いまも爆発寸前の時限爆弾を抱えている欠陥だらけの危険な代物であることがよく理解できる。

制度的欠陥の仕組みと歴史を解明した上で、山口薫さんは「公共貨幣」という新しい貨幣制度を提案している。

簡単に説明すれば、現在の貨幣制度(山口さんはこれを債務貨幣システムと名付ける)では、例えば日本で流通している円の84%は、銀行がだれかに対して貸し付けることによって生まれたものである。

銀行はバランスシートの資産の側に貸し付け金額を書き、貸し付けた相手の預金講口座にその金額を書き込み、バランスシート上の負債とするだけである。銀行は無からお金をこうやって作り出す。

「信用創造」という銀行にだけ与えられた人類史上最大の利権である。

しかも銀行は、無からコスト0で作ったお金に利子をつけて貸し出す。

さらに銀行以外は、銀行のようにお金を作れないので、社会全体として銀行への利子返済が絶対にできない。

利子返済用のお金も、銀行以外は作れないから。銀行以外のだれかがお金を作ったら、それは偽札で犯罪になってしまう。

返せない利子を巡ってだれかが犠牲になるか、だれかがさらなる借金をしてお金を増やすしかない。

しかしお金を作るともれなく利子がつく。
さらにだれかが犠牲になる。

こうやって国の借金も1000兆円まで膨らみ、今後も雪だるま式に増えるしかない。
なんと民間銀行はお金を作れるが、国はお金が作れない。国も日銀や銀行からお金を借りるしかないからだ。

誰かが借金をするとお金が生まれ流ということは、銀行にだれかが借金を返済するとその分のお金が消えてしまうということでもある。

これがバブルの発生とバブルの崩壊という繰り返されるパターンである。

さらに利子によって、お金を持っている人のお金は自然に増えて、お金も借りている人は借金が自然に増えていく。

働けど働けど我が暮らし楽にならず じっと手を見るという形で富がどんどん移動して格差は広がる。

こうやって銀行がお金を通じて社会全体を支配する。しかも株式会社という方式で、企業の経営権もお金で支配できる。

これがいまの貨幣制度である。よくできてるなあと感心してしまうぐらい、あっぱれである。

山口薫さんが提案している『公共貨幣』は、銀行がお金を作るという制度をやめて、国がお金を作る制度だ。

実はこれと同じ発想の提案を世界恐慌後にアメリカで、当時のアメリカ経済学会会長であるアーヴィンフィーシャーもルーズベルト大統領に提案していた。そのあたりのことも本書で詳しく書かれている。

日本銀行という公の期間がお金を作っているのではとみんななんとなく思っているが、実は日本銀行は株式会社で政府は55%しか株を持っていない。

アメリアの中央銀行であるFRBは100%民間銀行資本である。

そこで日本銀行を一度解体し、完全に公的な機関として再編する。
いま日本で流通している84%は民間銀行が「信用創造」で作り出したお金であるが、民間銀行は「信用創造」をできないようにする。
民間銀行が貸し出せるお金は預金者から集めた預金だけとする。

そして日銀に代わる公的な機関が100%情報公開のもとでインフレやデフレ、バブルや不況にならないように経済の実態を見極めながら、「公共貨幣」の発行量を決めて、流通させる。

現在の国の借金、国債もこの「公共貨幣」で買い戻す。
この方法によってインフレはデフレ、あるいは不況やバブルにもならず国の借金を返済できる。

消費増税する必要はない。そもそも現在の国の借金は消費増税をしても返済できない額になっていて、いまの財政健全化のための消費税増税という議論はまやかしにすぎない。余談であるが。

債務貨幣システムから「公共貨幣システム」に移行しても外に悪い影響を与えることはないので他国からの内政干渉を受ける危険性もない。

唯一の問題点は、現在の債務貨幣制度という人類最大の利権を銀行が手放すかどうかというところにかかっているが、山口さんは銀行に対しても新しい役割を提案する。

銀行は信用創造という利権を手放すが、その利権に不可避的についてまわる不安定さからは解放される。決済口座の手数料とともに、預かった預金を元に新しい事業に投資するという本来の銀行業務として期待されている創造的な役割を担うことになる。

日本でも少なからずの人がこの貨幣制度を問題視し、論していたが、この問題に正面から向かいあっている日本の経済学者に初めて出会った。

その人こそが山口薫さんであり、この素晴らしい本だ。

定価3800円と高価な本だが、現在の社会の問題が気になる人、これからどうすればよい社会ができるのかと考えている人には必読の書である。

山口薫さんのこの本によって問題点と解決策は明確になった。

あとは

1.  多くの人のフィードバックによってさらに「公共貨幣」をよりよいものにする作業
2.問題点「債務貨幣」と解決策「公共貨幣」をできるだけ多くの人が知り、政治的課題とする作業

この2点に集中すればよいだろう。

1について、いまの時点では

*公共貨幣でベーシックインカムを配布するプラン
*公共貨幣を国だけではなく地方自治体が公共地方貨幣を作るプラン
*ピークオイルによる使えるエネルギーの総量が減ってきていることへの対応策
そして他の人が指摘していてなるほどそうだと思った
*公共貨幣の発行量と国、自治体の予算額、集める税金の額との関係

この4点に対して山口さんの考えを聞いてみたいと思っている。

いずれにせよ、いまの世界全体が抱えている問題の根本原因と解決策は明確に定義された。

新しい方向は決まった。

新しい時代を切り開く記念碑的な本である。

マルクスの「共産党宣言」以上のインパクトだと思う。
マルクスも貨幣制度に経済問題の根本原因があることを見抜けなかった。
それぐらい貨幣制度のからくりは250年ほど巧妙に隠されてきたのだ。

この本を教えてくれたタカさんにも感謝。

そして最後におまけ。

著者の山口さんは、アメリカで経済学とシステムダイナミクスを学んだ学者だが、ヨガの叡智を求めてインド中を旅し、ガンジス川の源流のあるヒマラヤの山奥で聖者とともに瞑想をした求道者であることも本書の中で知って、さらに嬉しくなったことも付け加えておきます。

合掌
LOVE&PEACE







 

anandtao at 17:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2016年11月11日

貧困問題の根本原因はピークオイル、使用できる石油の量が減ってきているから

現在の貧困問題、格差問題、すべての経済問題の根本原因とは何か。

そのことを理解するためには経済とは何かを理解する必要がある。

しかし経済とは何かを知るために難しい経済学とか経済用語を知る必要はない。いや逆にそれらの知識こそが経済の本質を見誤らせる原因となっている。

経済とはエネルギーを使って物質を変形さ、移動させる物理的活動で手ある。
我々が生きるための根本である食料生産から、巨額の利潤を生み出しているネットビジネスに至るまで、全てはエネルギーを使って物質を変形させて、移動させるという活動である。

だから、豊かさとは大量のエネルギーを使える状態であり、貧困とはエネルギーを十分に使えない状態のことである。

そして20世紀から今日に至る経済活動を支えてきたエネルギーは石油である。人類は歴史上最も強力なこのエネルギーを利用することで、世界経済は爆発的に豊かになった。

ところが2004年以降、この石油の生産量は増えていない。これをピークオイルと呼ぶ。当たり前の話だが、石油は当然有限な資源であり、どんどん使っていたらいつかはピークにいたり、やがて枯渇していく。
そのピークが来てすでに10年以上が経っている。
使えるエネルギーが増えないのだから、何をやってもこれ以上、世界経済が発展することはありえない。

アベノミクスでどんなにお金を刷ろうが効果はないのである。それはまるで雨乞いのために祈祷しているようなものである。

どんなにお金をばら撒いても、使用できるエネルギーの全体量は増えない。しかしお金でエネルギーを手に入れられる社会なので、お金を持っている人は今まで以上にエネルギーを使うい、お金を持ってない人はこれまで以上にエネルギーを使えなくなっている。
エネルギーのゼロサムゲームなのでトリクルダウンは原理的にあり得ない。

限られたエネルギーしか使えない中でみんながよりエネルギーを使おうと競い合っている。それが現在の世界経済の根本で原因であり、それが戦争まで引き起こしている根本原因であり、格差問題であり、貧困問題である。

石油というエネルギーをもうこれ以上使えない段階に来ていることが根本の問題であることを私たちがきちんと理解した時に初めて、現在の経済問題、戦争や紛争や格差や貧困の問題と正しく向き合える。

逆に言えば、いまのお金を単位として組み立てられている経済学という物理的実体に即していない間違ったレンズで経済を見ている限り、正しい解決策はうまれてこない。
いま起きている事態である。

問題を正確に認識することから全ては始まる。






anandtao at 18:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

新しい世界、公共貨幣とベーシックインカム

先日スイスで、ベーシックインカムの国民投票が行われましたが、今度は民間銀行の「信用創造」の是非を問う国民投票が行われるようです。
https://www.rt.com/business/327118-switzerland-money-banking-referendum/#.WCUyeegJkdU.facebook

イギリスでも貨幣は公共財であり、民間銀行が発行するべきではないという運動が、メジャーメディアでも取り上げられるようになって来ているそうです。

山口薫『公共貨幣』という本も出ているようです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4492654747

現在のお金は「信用創造」という銀行にだけ許されている権利で民間銀行は、無からお金を帳簿上に作り出して、それに利子をつけて貸出すことで造られます。民間銀行ですから、利益を得る目的で勝手にお金を創造するので、バブルが起きたり、また回収がうまくいかなくてバブルが弾けたりします。

銀行はバブルが膨れ上がっているときの利益はしっかりと手に入れますが、バブルが弾けた時は、銀行ではなく国民が「金融安定のため」という名目で税金で穴埋めをさせられます。
極言すれば、現在の金融は民間銀行の博打です。しかも銀行が勝っている時は銀行が儲けて、博打に失敗すると関係のない我々国民がそのツケを「公的資金投入」というそれっぽい名前で払わされています。

スイスではそれはあまりにひどいから止めよう、止めて 本当に必要なところにお金が流れるように民間銀行に任せるのではなく公的に貨幣の流通、投資を行おうという国民投票が行われることになったのです。

利子付きの負債として生まれている貨幣ではなく公共の財である公共貨幣は、貨幣の量を公共の目的に沿ってコントロールすることで現在の格差をひたすら拡大させる持続不可能な制度的原因は取り除くことができます。

いまの格差、貧困問題や環境破壊問題はを本気で解決しようとするならば、個々人の良心に訴えるだけでは無理です。その根本原因、民間銀行が利子をつけてお金を貸出すことでお金が生まれるという制度を変えなければ、いまの経済システムは個々人の意思とは関係なく地球を破壊し尽くすまで拡大を止められないのです。

さらに公共貨幣によってベーシックインカムを配布することで生存のためにガムシャラに働かなくてはならないという個人的原因も取り除くことができます。ベーシックインカムで人はサバイバルの恐怖から解放されます。

経済制度的原因と個人的なサバイバルの必要性が取り除かれることで、私たちは自然と調和し、お互いに争わないで安心して暮らせる基盤を作り出すことができます。

その土台の上で、どのような未来社会を意図的に設計するかという話し合いも余裕を持ってできるようになります。

この時、エネルギー単位を指標とするようなエネルギーと資源に基づき、さらに市場メカニズムにAIを加え、地球と人類に最適化した新しい経済も生まれてくるのでしょう。

人類の新しい冒険が始まるステージへと向かうことができます。


anandtao at 16:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 社会 | 経済

2016年10月19日

久高島で怒られた

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久高島に2泊3日で行った。

今年2回目の久高島。前日までの天気予報は 雨と風マークで久高島に渡れるのかなと思っていたが、晴れ間も出て午前中の船に乗れた。

一年前に久高島で出会ったかおるさんと港から坂を上りきったところにある食堂「けい」で再会。
文化人類学者で離島経済学を教えているという人とも知り合い、エコビレッジの話などもする。

「薬師庵」の西銘潔さんは 建築の方の仕事で大阪に出張で今回は会えなかったが、けいこさんにブーブーの治療もしてもらった。右の腰からいっぱい毒素が出た。

さてその毒素と関係していたかもしれないことが起こった。

「たまき」で自転車を借りて、「MOMOや」の一階和室に荷物を下ろし、 縁側からサンダルを引っ掛けて水着姿で早速、伊敷浜に向かい、いつものようにだれもいない海で泳ぎ、浜に戻ってきたら、
「あんた日本人?」ときつい感じの言葉を白髪を後ろで縛ったおばあに投げかけられた。
「はい」と答えると、「ここで泳いではいけない」という言葉が飛んできた。
いままで何度も伊敷浜で泳いできたが、一度もそんなことは言われたことがないと答えると、ここは神聖な祈りの場所で泳いではいけないし、裸も許されないと、水着姿のぼくに向かって目を三角にしながら言った。
そのおばあは、女性三人を案内していたのだが、ぼくは彼女が真栄田苗(なえ)という人であることに気づいた。
実は、神の島と言われている久高島を7、8年前に初めて訪れた時、彼女をノロとして紹介され、彼女に島を案内してもらったのだった。ノロとは神とつながっている女性のことだが、その後、彼女はノロではないということを知り、それからは久高島を訪れる時は、彼女に会ったり、連絡をとったりすることはなかった。
それがこんな形で再会となったわけだ。もちろん、そんなことを彼女は知る由も無いだろう。
「他の人にも確認してみます」とぼくが答えると、他の人とはだれだと目に怒りの色を浮かべて聞くので、「他の島の人たちに聞きます」というと、「では、パトロールのものがそう言っていたと言いなさい」という言葉が返ってきた。

夕方まで伊敷浜でいたのだが、気持ちは沈んでいた。久高島の海でひとりでただただ泳ぎ、潜り、浮かぶことが好きでずっと久高島に通っていたのに、もし本当に泳いではいけない禁忌の海になっているとしたら、それは自分が思っている久高島ではないし、もう二度と戻って来る気も起こらないような気がした。

そんな暗澹たる気持でとぼとぼと帰っている途中で島の人に会った。
がまんできずに「伊敷浜で泳いでいたら怒られました。伊敷浜では泳いではいけないのですか」と聞いたら、「そんなことはないよ」という答えが返ってきてぼくは躍り上った。「ですよね、泳いじゃダメなんてことないですよね」と思わず喜びの声が出で、彼に抱きついていた。

「当たり前だよ、海なんだから。だれがそんなこと言ったんだ」と聞かれたので「多分、真栄田苗さんだと思います」と答えると、島の人はそうかという顔をした。

「困ったもんだ、彼女には。勝手なことばっかり言って島のみんなは困っている。ノロでもないのにノロと名乗り、島に来る人を案内しては高い金を請求したり、車に乗せて金を後から請求したり、旅行者を叱ったり、随分苦情も出てるんだ。口は達者だから、おとなしい島の人間は黙ってしまう」
その人は教えてくれた。

翌日から、何人もの島の人に、怒られたんだってと声をかけられた。みんな彼女には困っているようだった。
翌日も、その翌日も、伊敷浜に行って泳いだ。
彼女と会ったら、海で泳いでいいと神様が言っていますと彼女に言おうと思ったが、会わなかった。

その後出会った旅行者の中に、彼女をノロだと信じて、彼女に会いに来たり、案内してもらったりした人が少なからずいたので、彼女はノロではないという事実を伝えた。


禁止することが、いかに人の意識に影響を与えるマインドコントロールの手段となるのか、今回、よくわかった気がした。
禁止することで、人の意識に罪悪感が生まれる。人の罪悪感に働きかけることで、人をコントロールする権威と権力が生まれる。

だから宗教はいろいろなことを禁止する。
だから道徳や法律はいろいろなことを禁止する。

そして彼らは権威と権力を手にいれる。

しかし私たちは自由なのだ。そのことを忘れないでいよう(笑)。













 

anandtao at 20:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2016年10月06日

ノーベル文学賞受賞の講演でアメリカの国家犯罪を厳しく断罪したイギリスの劇作家ハロルド・ピンター

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2005年のノーベル文学賞を受賞した劇作家ハロルド・ピンター氏が、授賞式でのスピーチでアメリカを厳しく断罪したことを知った。その中でニカラグアのサンディニスタ革命政権とアメリカの交渉の席上で彼自身が体験したことを語っている。

ぼくもちょうどサンディニスタ革命後のニカラグアで平和行進に参加した時に、ニカラグアの人々が喜びと誇りを持って新しい社会について語りかけてきたことを思い出した。

アメリカが無垢なる人々を抑圧し、殺戮し、世界を支配している現実を、曇りなき眼と真実に対する妥協のない姿勢で語っている。

ひとりでも多くの人に彼のノーベル章授賞式のスピーチを読んでもらいたい。真実に直面してもらいたい。
真実から目をそらさないならば私たちの中の良心は強く成長し、真実と嘘の違いを見分ける精神は研ぎ澄まされていくだろう。
真実から目をそらし、嘘偽りの甘い言葉を受け入れるならば、良心は鈍磨し、自己欺瞞の中で精神は腐っていくだろう。

アメリカのプロパガンダ報道をそのまま垂れ流し、国民を洗脳している日本のメディア関係者は、ハロルドピンターのこのスピーチをどんな気持ちで読むのだろうか。彼らに良心は残っているのだろうか。仕方がないという呪文で自己欺瞞の中に沈んでいる彼らが、真実を語る時は来ないのだろう。もし彼らに良心が残っていたら、これまでに真実を語っているだろうから。そのチャンスは何千回、何万回もあったのだ。

 そんな世界の中で、ノーベル文学書授賞式でこのような講演を行う人がいたということを遅まきながらも知ることができたことが嬉しかった。

彼が2008年12月24日に亡くなったことも今日、知った。享年78歳。美しい人に合掌。

*以下ハロルドピンターのスピーチの1部から(大沼安史氏訳)

全文
http://onuma.cocolog-nifty.com/…/…/for_the_record__962d.html) 
原文
http://www.nobelprize.org/…/laure…/2005/pinter-lecture-e.pdf

「戦後、ソ連や東欧全域で何があったか、誰もが知っています。組織的な暴行、広汎な残虐、独立した思想に対する容赦のない弾圧。すべては完全に記録され、確証されました。
 
 しかし、わたしが言いたいのは、同じ時期、米国が行った数々の犯罪は、表面的に記録されているだけだということです。文書化もされなければ、認められもせず、そもそも犯罪を犯したことさえ気づかれずにいる。これはきちんと決着をつけるべきことであり、そこで明かされるべき真実は、わたしたちの世界がよって立つものに相当な影響を及ぼすものと、わたしは信じています。ソ連という存在によって、一定程度、抑制されていましたが、世界各地での米国の行いは、好き勝手なことができる白紙委任状を自分たちは得ているのだと自ら結論づけていることを、はっきり示しています。

 主権国家を直接的に侵略することは、たしかにこれまで、アメリカ好みのやり方ではありませんでした。アメリカはこれまで、主として「低強度紛争」といわれるやり方を好んで来た。低強度紛争とは、爆撃で一撃のもと死ぬのではなく、より緩慢(かんまん)に数千人の人びとが死んでいくことです。それはある国の中心を侵し、悪を増殖させ、壊疽(えそ)が広がるのを見ていることです。人びとが制圧され――殴り殺され――それは同じことですが――たあと、権力の座に快適に座る、あなた方の友人たち、軍や大企業のみなさんが、カメラの前に出て来て、デモクラシーが勝利したと言う……。これはわたしが言及した戦後期の米外交に共通するものです。

 ニカラグアの悲劇は、高度に重要な事例です。わたしはこれを、世界における自分の役割をアメリカが当時も今もどう見ているかを示す、有効な例として提示したいと思います。
 
 1980年代の終わりごろのことでした。わたしはロンドンの米国大使館での会議に参加していました。
 
 米国の連邦議会・上院は、ニカラグア政府に対するコントラの攻撃への資金援助を増額すべきかどうか、まさに決定しようとしていたときでした。わたしはニカラグア政府のために発言する代表団の一員でした。そのなかで、もっとも重要なメンバーは、ジョン・メトカルフ神父でした。対する米国代表団のリーダーは、レイモンド・ゼイツ(当時は大使に次ぐポストにあり、その後、大使に昇格しました)でした。メトカルフ神父は言いました。「議長。わたしは、ニカラグアの北部の教区を預かっている者です。わたしの教区の信者たちは、学校を建て、健康センターを開き、文化センターを開設しました。わたしたちはこれまで平和のうちに暮らして来たのです。数ヵ月前、わたしたちの教区を、コントラの部隊が攻撃しました。彼らは全てを破壊しました。学校を、健康センターを、文化センターを。看護婦や女教師を凌辱し、最も残酷な方法で医者を殺した。野蛮人のようなふるまいでした。こうした恐るべきテロリストの行為への支援をやめるよう、米国政府に要求していただきたい」

 レイモンド・ゼイツは分別があり、責任感があり、高い教養を備えた人物として、評判がとてもよかった人です。外交サークルでは非常に尊敬されていました。彼はじっと聞き入り、息をついだあと、重々しく、こう言ったのです。「神父さま。わたしにも言わせてください。戦争では、罪もない人びとが常に苦しむものです」。凍りついた沈黙があとに続きました。わたしたちは、まじまじと彼の顔を見ました。しかし、彼はたじろぎませんでした。

 その通り。罪もない者が常に苦しんでる……。

 誰かが最後、こう言いました。「しかし、この場合、その『罪もない人びと』とは、あなたがたの政府によって支援された、恐るべき残虐行為の犠牲の一部です。上院がもし、コントラにもっと資金援助することを許せば、同じような残虐行為がもっと起きる。これは重大なことではないのですか? あなたがたの政府が、主権国家の市民の殺害と破壊行為の支援に、責任がないとでもいうのですか?」

 ゼイツは動じませんでした。「提示された事実があなたの主張を支持していることに、わたしは同意しません」と言いのけました。

 米国大使館を退去するとき、ひとりの大使館員がわたしに近寄って来て、わたしの劇を楽しんでいる、と言いました。わたしは返事をしませんでした。

 わたしはみなさんに、当時のレーガン大統領の以下の言明を思い起こしていただきたいと思います。「コントラは、われわれの建国の父たちと道徳的に等価である」

 米国は40年にもわたって、凶暴なソモザ独裁政権を支え続けました。サンディニスタに率いられたニカラグアの民衆は1979年に体制を転覆させました。息をのむほどの民衆革命でした。

 サンディニスタも完全ではありませんでした。傲慢さを世間並みに持ち、その政治哲学には矛盾点が数多く含まれていました。しかし、彼(女)らは知識を持ち、理にかなっていて文明化されていました。彼(女)らは、安定的で上質な多元的な社会の建設に乗り出していたのです。死刑も廃止されました。数十万の貧困にうちひしがれた農民が、死者の国から呼び戻されました。10万を超える家族に、土地の所有権が与えられました。2000の学校が建設されました。まさに特記にあたいする識字キャンペーンが展開され、この国の文盲を7人に1人まで減らしたのです。無償の教育も確立しました。無料の医療サービスも受けられるようになった。幼児死亡率は3分の1、下がりました。小児麻痺は根絶されました。

 米国はこうした成果を、マルクス・レーニン主義による体制転覆だと非難しました。米国政府にとって、危険な前例が生まれてしまったわけです。もし、ニカラグアに社会的・経済的な正義の基本的な規範の樹立を許したならば、医療ケアと教育水準の向上と社会的な団結と国民的な自尊の確立を許したならば、近隣諸国も同じ問いを問い始め、同じことを始めかねない……。実際のところ、当時、隣国のエルサルバドルでは、支配の現状に激しく抗議する抵抗運動が起きていたのです。

 わたしは先ほど、わたしたちを包み込む「嘘の織物」についてお話しました。レーガン大統領はニカラグアのことを、「全体主義の穴倉」だと言い続けました。これをメディア一般は――英国政府は、正しく、公正なコメントとして――取り上げていたのです。しかし、事実は、サンディニスタ政権の下、暗殺団というものは存在しませんでした。拷問の記録もありません。組織的、あるいは軍隊による公的な残虐行為の記録もありません。ニカラグアでは(サンディニスタ政権下)ひとりの神父も殺されませんでした。それどころか、政府部内にジェスィットが2人、マリークロールの宣教師1人の計3人の神父が参加していたほどです。全体主義の穴倉は、隣のエルサルバドルやグァテマラにあった。米国は1954年、グァテマラで、デモクラティックに選出された政府を崩壊させ、その後の軍事政権の支配下、20万人を超える人びとが独裁の犠牲になったと推定されています。

 サンサルバドルのセントラル・アメリカン大学では、最も著名な6人のジェスィットが、米国のジョージア州フォート・ベニングで訓練されたアラカルト連隊の大隊によって、1989年に無残に殺害されています。とても勇敢なロメロ大司教は、ミサで説教していたところを暗殺されました。7万5千人が殺されたと推定されています。彼(女)らはなぜ、殺されなければならなかったか? よりよい生活は可能であり、達成されるべきだと信じたから、殺されたのです。そう信じた者は、すぐさま、共産主義者とみなされました。彼(女)らはなぜ、死んだのか? それは現状に対し――際限のない、貧困と病気、腐敗と弾圧の高みに対し、問いを投げかけたからです。それが彼(女)らの生まれつきのものだと言われていたものに。

 米国はそのサンディニスタの政権を最終的に崩壊させました。何年もかかりました。かなりの抵抗もありました。しかし、容赦のない経済的な迫害と3万人もの死が、遂にニカラグアの民衆の意気を殺(そ)いだのです。彼(女)らはふたたび、疲れきり、貧しさにあえぎ出したのです。カジノが舞い戻って来ました。無償の医療と教育は終わりを告げました。巨大企業が復讐心をみなぎらせて帰って来た。「デモクラシー」はかくして広がったのです。

 しかし、この「政策」は中央アメリカに限ったことでは決してありません。全世界で実施されて来たものです。終わりのないものですが、まるで、なかったかのようなものでもあります。

 米国は第2次大戦後、多くの場合、世界の右翼軍事独裁政権をつくって来ました。わたしが言っているのは、インドネシア、ギリシャ、ウルグァイ、ブラジル、パラグァイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グァテマラ、エルサルバドルのことです。そして、もちろん、チリのことも。1973年、米国がチリにもたらした恐怖は、忘れることができないものであり、決して許されないことです。

 こうした国々では数十万の人びとが死亡しました。ほんとうに起きたの? 全部が全部、米国の外交政策のせいなの? 答えはイエス。それは実際に起き、アメリカの外交のせいなのです。しかし、みなさんは知らずにいた。

 だからそれは起きなかった。なにひとつ、起きなかった。それが起きつつある時でさえ、それは起きなかった。どうでもよかった。なんの関心もなかった。
 これらの米国の犯罪は、組織的であり持続的であり、悪意に満ちて情け容赦のないものでした。にもかかわらず、それについて発言する人はほとんどいなかった。すべてをアメリカの手に委ねてしまわなければならなかった。アメリカは一方で普遍的な善のための力を偽装しつつ、世界中で権力の臨床操作を行って来たのです。それは、頭のいい、機知にさえ富んだ、すばらしい成功を積み上げて来た催眠術でした。

 わたしは米国こそ、疑いなく、巡業中の最も偉大なるショーであると言いたい。残虐で冷淡で、嘲りに満ち、容赦のないところがあるにせよ、非常に賢い。セールスマンとして旅に出ており、その最も売れ筋の商品が自己愛なのです。米国は勝利者です。アメリカの大統領がテレビでいう言葉を聞いてごらんなさい。「アメリカのみなさん(The American people)」という言葉が、次のような文章のなかで出て来ます。「アメリカのみなさんに向かって、わたしはいまこそ祈りのときであり、アメリカのみなさんの権利を守るときであると言いたい。そしてわたしはアメリカのみなさんに、いまアメリカのみなさんのために行動を起こそうとする、あなたがたの大統領を信じてほしいとお願いしたい」

 眩いばかりの戦術です。実際問題として、思考を窮地に追い込むべく、言葉が使われています。「アメリカのみなさん」という言葉は、なんども安心させる、ほんとうに官能的なクッションです。考える必要などありません。クッションに身をゆだねるようしていればいい。そのクッションは知性と批判精神を窒息させるかも知れませんが、とても気持ちのいいものなのです。もちろん、この言葉は、貧困線下にあえぐ4000万人のアメリカ人や、米国各地に広がる牢獄につながれた200万人の男女に当てはまるものではありませんが……。

 米国は最早、低強度紛争のことで頭を使うこともありません。口を噤んだり、遠まわしの言い方で逃げることに意味を見出さなくなりました。恐れることなく、あるいは親切心もなく、テーブルの上にカードを曝(さら)け出すようになっている。米国が無力で無関係とみなす、国連や国際法、批判的異見など、どうでもいいものと、ただただ思っているのです。そしてそれは、弱々しい子羊を背後に引き連れている。病人のように無気力な英国という羊を。

 わたしたちの道徳感覚に、いったい何が起きたのでしょうか? そもそも道徳感覚を持ったためしがあったでしょうか? いまやこの言葉にどんな意味が残されているのでしょう。最近はきわめて稀(まれ)にしか使われなくなった良心という言葉を指しているのでしょうか? 自分の行動だけでなく、他者の行動の責任を分かち合う、良心? すべては最早、死に絶えた? グアンタナモ・ベイを見なさい。数百人にも人びとが3年以上も、自分の罪状さえわからず、弁護士もつかず、正当な法の手続きをなく、機械的に永遠の囚われ人になっています。この完全に不法な機構は、ジュネーブ条約を無視して維持されている。それは容認してはならないものであるばかりか、いわゆる「国際社会」にとって、考えられないことです。この犯罪的な非道は、自分自身を「自由世界のリーダー」と称する国によって行われていることです。グアンタナモ・ベイの住人を、わたしたちは考えてみることがあるでしょうか? 彼らについて、メディアは何と言っているか? 新聞の6ページあたりに、小さな記事がたまに顔をのぞかすくらいです。彼らはそこからの生還がかなわないかもしれない無人の地に放り込まれているのです。彼らの多くが、いまこの瞬間もハンガーストライキを行っています。強制的に栄養を投与されています。英国人も含まれています。この強制投与にはなんの気配りもありません。鎮静剤ももらえなければ、部分麻酔もかけてんもらえません。チューブを鼻から喉へ通すだけです。血を吐いてしまいます。これは拷問です。これについて、英国の外務大臣は何と言っているか? 何も言っていません。英国の首相は何と言っているか? 何も言っていません。米国がこう言っているからです。グアンタナモ・ベイのわれわれの行為を批判することは、非友好的な行為に他ならない。お前たちは味方なのか、敵なのか? そう迫られてブレアは口を閉ざすのです。
 
 イラク侵略は、無法者の行為です。国際法の概念を絶対的に侮蔑する、あからさまな国家テロリズムです。イラク侵略は、嘘の上に嘘を重ね、メディアを――ということは公衆を――操作したことで喚起(かんき)された、恣意(しい)的な軍事行動です。ほかの口実がみな失敗したので、最後の手段として引っ張り出して来た、解放という仮装を纏(まと)いながら、中東におけるアメリカの軍事・経済支配の強化を狙った行動なのです。
 数千人もの罪もない人びとの死と人体損傷に責任を負う、軍事力の圧倒的な行使。

 わたしたちは拷問を、集束爆弾を、劣化ウラン弾を、手当たりしだいの無数の殺戮(さつりく)を、悲惨を、生活破壊を、死を、イラクの人びとにもたらしました。そしてそれを「自由と民主主義を中東にもたらす」ものだと言った。

 大量殺戮者、そして戦争犯罪人と彼らが呼ばれるようになるまで、いったいどれくらいの人間を殺さなければならないのか? 10万人? わたしが思いつく限度を超えた数です。だからこそ、ブッシュとブレアを国際刑事裁判所の法廷に立たせることは、正義にかなっていることです。しかし、ブッシュは賢かった。国際刑事裁判所条約を批准しなかったから。それゆえ、もしアメリカの兵士や政治家が法廷に立たされようものなら、海兵隊を送り込むと、ブッシュは警告することができたわけです。しかし、トニー・ブレアは条約を批准しています。だから、訴追(そつい)もあり得ます。わたしたちは、もし国際刑事裁判所が関心を持つなら、ブレアの所在を知らせることができます。ロンドンのダウニング街10番地にいますと。

 こうした文脈のなかで、死は無意味化されます。ブッシュもブレアも、誰が死のうとお構いなし。イラク人の武装抵抗が始まる前に、少なくとも10万人ものイラク人がアメリカの爆弾やミサイルで殺されました。死んだ人びとは、見向きもされなかった。彼(女)らの死は、存在していません。空白のままです。死んでいる、と記録もされない。「われわれは死者のボデー・カウントをしない」と、アメリカの将軍、トミー・フランクは言いました。

 イラク侵略が始まって間もないころ、イギリスの新聞の第1面に、トニー・ブレアがイラクの小さな男の子の頬にキスしている写真が載りました。写真説明はこうでした。「感謝する少年」。それから数日後、新聞の奥のページに、両腕を失った、別の4歳の男の子の話と記事に掲載されました。少年の家族は、一発のミサイルで吹き飛ばされていたのです。そして、この子だけが助かった。少年はこう言いました。「ぼくの腕をいつ返してくれるの?」。その記事はその後、削除されました。そうです、ブレアはその子を抱かなかった。腕や足をなくしたどんな子も、血まみれのどんな死体も、ブレアは抱きませんでした。血は汚れているのです。血は、テレビで誠実そうに演説する、シャツやネクタイを汚すのです。」



anandtao at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2016年09月26日

ベーシックインカムの政治論

関曠野さんの ベーシックインカム論は、現在の社会のOSを根源的かつ徹底的に変えてしまおうというものだ。

以下の講演録では、「お金」と「銀行」と「政府」という私たちの社会の三本柱がワンセットになって、我々を経済的に支配している姿をはっきりと暴く。
こう書くと陰謀論のように響くかもしれないが、先入観なく読めば、関さんの論に同意するだろう。どのようにしてこれらの制度が我々を経済的に支配しているか、そのメカニズムをきちんと客観的に論じているからだ。

そしていまやその制度が限界に達している。

結局、虚偽は真実に勝てないからだ。

真実に背いた社会制度は、いつかは破綻する。

熱力学第二法則が支配するこの宇宙で、無限に成長することを前提とした経済はいつか破綻する。

人が人を搾取する経済はいつか破綻する。

人を騙して搾取する社会はいつか破綻する。

新たな制度の中で、自然にベーシックインカムは実現されるべきものとなる。

関曠野講演録「ベーシック・インカムについて考える ― マネーは何のためにあるのか」

 

新しい社会への第一歩は、私たちがシステム的に支配されているという事実に気づくことだ。
この社会の中で私たちが感じている違和感、生きづらさは事実に基づいている正しい感覚だと気づき、なぜこの社会に違和感を感じ、生きづらさを感じてしまうのか、その原因と理由を客観的に理解することだ。

私たちは力を合わせることで、もっとすばらしい、想像もできないような豊かで自由な世界を意識的に創ることができるのだ。









 

anandtao at 22:14|PermalinkComments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2016年09月25日

アナスタシアと言葉の力


いろいろな人から勧められ、随分前に買って、何度か読もうとしてやめていた「アナスタシア」を読み始めたら一気に読み通してしまった。

シベリアの森の奥に自然と一体になって暮らす美しい女性アナスタシアと出会ったロシアの起業家が その体験を書いた話だ。そもそも持っていた素晴らしい英知やざまざまな力を自然とのつながりを失うことで忘れてしまい、機械やテクノロジーなどの幼稚な方法で補っている現代人の倒錯を、アナスタシアは教える。地球の自然すべては、人間が何の心配もなく何の不自由もなく生きていけるようにサポートしようとしているのに、人間は、その自然の恵み、差し伸べられる手を自ら拒否、自然から孤立し、不安と恐怖に苛まれながら、力ずくで自然を搾取し、同胞を搾取し、生き残るために奮闘している。
その倒錯が起きたことの原因について、アナスタシアは闇の勢力という名を挙げている。詳しくは説明されていないが、いまの人類は闇の勢力の力に支配されている。しかし人は元々、光の存在であり、自らの中の闇に気づき、それを浄化し、解放されることで、光の存在となり、地球も光に包まれるという。
アナスタシアがロシアの起業家と会ったのは、彼がアナスタシアとの出会いと体験、そして彼女の言葉を本として世界に伝えてもらう目的があった。この本「アナスタシア」の中の言葉のつながりが、光のエネルギーを 伝えると。真実の言葉、自分の純粋な意図と直接につながった真正な言葉が、この本を通して世界中で光のエネルギーが自らの内側に感じる人を見出すだろうと。

初めに言葉ありき、 言葉は神と共にありき、 言葉は神であった。

言霊のさきわう国

 


anandtao at 18:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

成長幻想から仏教経済学へ

仏教経済学という言葉を知ったのはE.シュマッハーの名著「Small is beautiful」だった。それは21世紀の時代を的確に見通していた1970年代の世界的ベストセラーだった。シュマッハーが見落としていた唯一の点は、「貨幣」とは何かという根源的な問いではなかったか。「貨幣」とは何かということを根源的に問わない限り、いまの世界の問題は解決しない。OSの問題はアプリケーションレベルでは解決しないという意味において。

関曠野さん講演録「成長幻想から仏教経済学」
http://bijp.net/transcript/article/423 
において、政府発行通貨を財源にしたベーシックインカムという提案がなされている。 
いまの経済社会をOS レベルで変えようという非常に面白い提案である。



 





anandtao at 02:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2016年04月28日

暗号通貨によるベーシックインカムプランB #2

ベーシックインカム口座は地球上希望するすべての人が一つ持つことができ、 すべての口座には全員毎月 同じ一定額が入金される。ベーシックインカム通貨で決済をする人、企業が増えていけば、自ずからグローバルなベーシックインカム通貨圏が出来上がる。

というすごく単純なものです。

信用を担保する方法は、ビットコインのようにブロックチェーンを使う。その計算の原資となるコンピュータパワーは、この通貨に参加したコンピュータになりますが、ビットコインのように採掘という個人的メリットが報酬になるのではなく、ベーシックインカムという理念を地球全体に広げることへの貢献がコンピュータパワーを提供する報酬になりますし、個人的にも、この通貨圏が広がれば広がるほど、自分が使える用途が広がるので得するということです。

素人考えなので、これをたたき台にさらに専門知識のあるみなさんに検討していただければと思います。

anandtao at 11:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 社会 | 経済