マスコミは、野田社長に解決策について、取材しています。(以下、昭和31年11月20日付け「スポーツニッポン」記事より抜粋)

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記者
「青木スカウトの解職で、反主流派の選手たちの態度が硬化しているが、こういう措置は紛糾解決のためには、良策だったと思われるか」

野田社長
「青木スカウトを解職したのは、結果的に見てよかったのではないか、少なくとも現段階においてはね」

記者
「今夏、青木自身が退職を希望しているのを、社長が引きとめながら、突如解職するというのは、辻褄の合わない話だと思うが・・・」

野田社長
「先に退社を申し出たのは、給与の点で、他社へ移った方が多いということなので、スカウトをしておれば、いろいろの点で金も入用だと思って、給与をよくしてやった。これで青木君が思いとどまったのだ。その時、球団の改革を約束したなどというのは、とんでもないデマだ。しかし、新代表が就任して以来、いろいろと調査した結果、どうも青木君が各選手の間をまわって、面白くない工作をしているということがハッキリしたし、このうえは、百害あって一利なしという結論を得たので解職した」

記者
「ところで、先に鈴木セリーグ会長と会われたが、鈴木会長は、この紛糾について、どういう示唆を与えたのか」

野田社長
「鈴木会長は、監督忌避という問題だけで、12人もの選手が集団で脱退するというのはよくないことだ。もしこういうことが許されるなら、プロ球界にとっては由々しい問題だから、万全を期してもらいたいと言っていた」

記者
「会社側は藤村留任の線を打ち出している模様だが・・」

野田社長
「それはまだ判らない。今後調査を十分にしてみなければ、留任するかどうかはわからない」

記者
「では、藤村監督を留任させないことも考えられるのか」

野田社長
「今は、藤村君をどうするということは、考えていない。しかし、藤村君自身にも問題があるので、例え留まったとしても、いままで通りではすまされない」

記者
「岸技術顧問を、監督に復帰させるというウワサがあるが・・・」

野田社長
「そういうことはない」

記者
「松木大映監督や、藤本前大映監督に交渉したとも言われているが・・」

野田社長
「全然、そういう交渉をしたことはない。とくに松木君の場合は大映に移ったのだし、これから彼の大映における責任も重いのだから、むしろ迷惑だろう。藤本さんにも、タイガースを引き受けてくれというような接渉は全然していない」

記者
「それでは、タイガースは、監督を外に求めるというような考えは全くないと考えて差し支えないのだろうか」

野田社長
「いまのところは、他から監督を持ってくるという交渉は全然やっていない」

記者
「しかし、紛糾の原因は、監督問題なのだから、これが解決しなければ、どうにもならないのではないか」

野田社長
「どんな困難な問題でも、人間の社会で起こった問題なのだから、絶対解決できないというようなことはない。私は、今度の問題も解決する自信はある」

記者
「それでは解決の具体策だが、監督留任の場合、金田主将の退団を要求するのか」

野田社長
「そういうことはない。金田君に退団を要求するということは考えていない」

記者
「では、双方無傷で解決するという自信を持っておられるわけですね」

野田社長
「そういけばよいのだが・・」

記者
「では、解決のためには反主流派の選手の中から、整理される人が出るというのか」

野田社長
「整理選手は、例年やっていることだ。今年も例外ではない。今年も整理する選手は整理する方針に変わりない」

記者
「監督も、主将も傷つけないようにして、解決できるとして、球団の再編のために、外部から潤滑油の役割を果たすような人を求めることは考えられないのか」

野田社長
「それはいい方法だが・・とにかくファンの方々のためにも、できるだけ早く解決したい。契約も例年通り、来月15日ごろまでに、すましたいと思っている」

(つづく)

球団側は、11月中ごろ、その青木さんに、まず、解雇通告したんです。当時、父(渡辺省三)、小山(小山正明)、大崎(大崎三男)が、阪神のエース・トリオと言われていました。マスコミが、この問題について、父らに取材を求めてきたんです。昭和31年11月20日ごろのことです。(以下、昭和31年11月20日付け「スポーツニッポン」記事より抜粋)

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記者
「今度の青木スカウト解職は、君たちには大きな打撃であったと思うが」

大崎
「青木さんが解職された理由が我々をそそのかした首謀者であるということだけなら、それは大間違いだ。青木さんの場合、あくまでも青木さん個人の球団に対する言い分を主張されたことだし、すでに7月に辞表まで出している。せっかく獲った選手も入団後契約当時の条件と全く違うというのだから、青木さんにしても不満はあるでしょう。その点を会社側が考えて欲しいと思う」

小山
「今度の我々の行動が、青木さんに扇動されてやったんだとみられることは心外だ。もちろん青木さんが反主流派の一人に名を連ねていたからそう見られるんだろうが・・・」

渡辺「青木さんの場合と我々の場合と、その目的こそ同じだけど、行動はあくまでも別なんだから」

記者
「青木氏が、戸沢専務に解職を申し渡されたとき、両成敗という意味で、下林常務もそれによって退陣すれば、それで所期の目的は達することができるんだから・・といっていた」

大崎
「それでなければ、青木さんも、ここまでやった甲斐がないでしょう」

渡辺
「会社のやり方があまりにも一方的すぎる」

小山
「青木さんの解職によって、一応、会社側の出方が判る気がするし、藤村さんの留任という見方が非常に濃いとみていいだろう」

大崎
「それならそれで僕たちの信念はあくまでも、押し通すまでだ。鈴木会長が来阪して、その目的が今度の問題のあっせんということでなかったにしても、社長や下林さんと会っただけで、円満解決とか何とか、意見を述べられるのも一方的だ」

小山
「我々の言い分も聞いてほしかった」

渡辺
「一年の監督生活で、結果を出すということは間違っているという声もあるが、昨年だってほとんど藤村さんが采配を振ったんだし、以前にも代理監督をやったことがある」

大崎
「要するに監督としては、あまりにも感情的すぎる。プレイヤ―としての立場ならそれでいいけど、監督としては不満を買うだけだ」

小山
「僕たちの言いたいことは、藤村さん一人を攻撃するんじゃない。我々が明るい気持ちで、真剣にプレーと取り組めるチームを作るということが最大の目的なんだ」

渡辺
「その目的を達成するためには、監督を代えなければということになってくる」


(つづく)

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8月10日には、巨人に3.5ゲーム差をつけ首位に立ち、優勝できる意気込みでした。

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9月に入ってあと16試合で勝負がつくというころ、9月5日付けのデイリースポーツ一面には、「リーグ随一の防御率 20勝へ ともにあと一歩」と題して、優勝に込める記事が掲載されています。

内容は、以下の通りです。

阪神
小山投手
渡辺投手
大崎投手

⚾️・・・大阪タイガースから3人の20勝投手が生まれようとしている。3割打者、20勝投手と言えば、
牋賣瓩梁緻昌譴任△蝓▲廛輒邉紊任呂泙査捻ν磴紡阿垢覽録であろう。まして一つのチームから20勝投手が3人も生まれるということは前代未聞。別所、大友、中尾が絶好調を誇ったころの巨人でさえ成し得なかった快挙である。

⚾️・・・もっとも大崎が19勝、渡辺が18勝、小山が17勝と3人とも20勝へあと一歩というのが現状だが残る18試合での6勝は、決して無理なペースではない。無理どころか優勝を狙う以上、少なくとも3人で10勝以上はかせがねばならない大事なときである。3人が順調に星を重ねればタイガースの前途は明るくなるし、反対に20勝を割るものが1人でも出たら、優勝は来年へのお預けということになる。

⚾️・・・3人は年齢も大差ないし、技量も伯仲していて、犒擦燭蠧颪、弟たり難し瓩箸いΩ鼎瓩しい形容がぴったりくる。大きなカーブを武器にする大崎は、底抜けの楽天家で決してクヨクヨしない。快速球が売り物の小山は、これまた竹を割ったような性格、沈む球が生命の渡辺省は、無口でとっつき難いが心の優しい好青年だ。この3人に西村を加えた4人は、タイガースの屋台骨を背負うクワルテットであり、セントラル・リーグの誇りでもあるわけだ。

⚾️・・・いままでのタイガースは、いくら打っても投手が非力でたちまち取り返されていた。1リーグ時代ベスト・テンに6人も名を連ねながらチーム成績5位というひどい年もあった。ところが今年は、立場がすっかり逆になり投手団は、リーグ随一の防御率を残している。敗戦の責任が打力にあることは誰もが認めるところであろう。若手投手が互いにいい意味の競争を続け、研究に研究を重ねてここまで伸びてきた努力は、高く買ってやらねばなるまい。

⚾️・・・藤村監督はいつか「3人には公平に勝たせてやるつもりだ。だれか一人飛び抜けるとお互いに気まずい思いをするから・・・」と笑いながら語ったことがある。3人は、監督のこの細かい気の配り方を知っているのか知らないのか「だれが勝利投手になってもチームが勝てば同じですよ」と異口同音に語る。選手権という晴れの舞台でこの3人に思う存分投げさしてやりたいと思うのは記者だけだろうか・・・【高瀬】
(以上、昭和31年9月5日付けデイリースポーツ記事より抜粋)

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ところが、この後、阪神の藤村監督の采配に異変が生じたようです。
それは、好調の小山投手を登板させないという異変です。
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その結果、巨人から4.5ゲーム差の2位という結果に終わりました。

シーズン終了後の11月に入って、父ら12人の選手が集まって「藤村監督退陣要求書」を作成し、会社に提出したんです。
父らが、そんな強行な態度に出たものですから、戸沢球団代表は、こりゃ大変だということで、これ以上事態を悪化させないように、選手一人一人と話し合い、事態の収拾に必死でした。マネージャ兼スカウトの青木一三さんも、父らと同じような意見もあり、同時期に、同じような動きをされていました。

(つづく)

父が入団後、思わぬ「事件」があったんです。62年前のことになります。この事件には、「藤村排斥事件」と名前がついています。1956年(昭和31年)11月上旬に、父ら一軍選手12名とマネージャー兼スカウトをされていた青木一三さんが「藤村監督退陣要求書」という書面を阪神の野田誠三社長に提出したんです。
この書面は、この年の藤村富美男監督の指揮に納得いかず、藤村監督を退陣させてくれなければ、僕らは来季の契約はしないと主張するものです。
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これをスポーツ新聞が、「内紛」と騒ぎ出し、本来、内々で収まった問題が、公になったんです。今で言うリークを、球団内部の者がマスコミにしたんでしょう。

当時、球団上層部が、米大リーグ・ドジャースの教書を参考にしたと言って、「敗戦につながる50カ条」を勉強する時間があったようです。

例えば
1、外野手が間違った塁に送球し、次の走者に余分な塁を与える。
2、犠牲打を打てない
3、相手の投手に四球を与える
4、後に強打者がいるのに、弱い打者を歩かせる
5、外野のフライに対し、外野手が大きな声を出さない
6、スコアを考えずに走塁する
7、進塁する時、先行走者に注意しない
8、投手が正しくベースカバー、バックアップをしない

この50カ条の定義は、もちろん、「これらの行為をすると、敗戦につながるから、行わないように努力しましょう」ということですが、これらの行為をすると、負けることができるということを、簡単に箇条書きしたものでもあるわけです。

プロ野球は、昭和25年に2リーグ制に移行しました。阪神の監督には、戦時中にチームを離れていた松木謙冶郎さんが復帰して、監督に就任されました。松木監督は、プロ野球再編問題の際に、主力選手の移籍で弱体化した阪神のチームの再建に尽力されたんです。父が、昭和26年に入団テストを受けて、阪神に入団できたのは、松木監督の一声があったお陰です。

松木監督は、昭和29年オフに辞任され、昭和30年から岸一郎さんが後任監督に起用されました。岸監督は、それまで、プロ野球界での経験が全くなかった方でした。選手起用は、ベテランも若手も分け隔てなく行われ、これに、ベテランの藤村さんらが、激しく反発されたそうです。結局、その反発の激しさから岸監督が辞任されました。

昭和31年から、藤村さんが選手兼任のまま正式に監督に就任されました。このシーズンは、7月から8月にかけて勝ち進みました。

(つづく)
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「金本監督続投方針で注目集める「阪神監督1年契約」の伝統」ーNEWS ポストセブンの記事が、金本監督が来季も続投の方針であることに絡み、不振時の阪神監督の契約状況を記事にしている。

記事は、1949年に2リーグ分裂以後、1978年まで、最下位はなく、この年、最下位で、監督が辞職したというものだ。


阪神は、そもそも、最下位であろうがなかろうが、選手も監督も、1年契約なのだと思う。

私の父は、監督ではないが、選手、コーチ、スカウトとして、毎年1年契約で、46年間、阪神と永続契約した。

金本監督の3年契約というのは、異例中の異例だろう。不振にもかかわらず、契約維持する阪神の意図は何なのか、知りたいところだ。


「金本監督辞めろ!」などとネットで野次を飛ばす人たちもいる。

その昔、選手たちが
「監督辞めろ!辞めないなら、オイラが辞める」

言ったこともあったのだ。

それがいわゆる阪神の内紛の始まりと言われているものだ。

今の選手たちは、そういうことは、しないのだろうか。

やってみてもいいかもしれない。

以下、物語風に書き進めることにー。

阪神
「監督辞めろ!辞めないならオイラが辞める!」物語




父が入団後、思わぬ「事件」があったんです。62年前のことになります。この事件には、「藤村排斥事件」と名前がついています。1956年(昭和31年)11月上旬に、父ら選手12名とマネージャー兼スカウトをされていた青木一三さんが「藤村監督退陣要求書」という書面を阪神の野田誠三社長に提出したんです。


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この書面は、この年の藤村富美男監督の指揮に納得いかず、藤村監督を退陣させてくれなければ、僕らは来季の契約はしないと主張するものです。


【続く】

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新聞報道などによると、
阪神は8月14日、元球団非常勤顧問(スカウト)の岡田悦哉氏(87歳)が11日に肺炎のため、東京都三鷹市内の病院で死去したと、発表した。

 岡田氏は、2003年に星野仙一監督(当時)に誘われて阪神入団。非常勤顧問(スカウト)として、鳥谷の自由枠での獲得に尽力したという。


2003年ころのスカウト
岡田氏が阪神に非常勤顧問として、招聘された2003年ころは、阪神のスカウト部門が空中分解していた。


阪神は、1998年に26年間、スカウト職にあり、スカウト部門の中枢で活動していた渡辺省三スカウトを不審死で亡くし、当時、チーフスカウトであった末永正昭氏が編成部長として、スカウトをまとめることに。

末永氏は、渉外部門も兼務する形で、編成全般を総括する編成部長のポストに就任。
だが、1年後、渉外部門の権限は末永氏から野崎専務に移行。球団は、末永氏をドラフト戦略だけに集中させたが、任務を果たせなかった。

その結果、2000年12月1日、末永編成部長は低迷を理由に解雇されることに。

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低迷

逆指名枠で獲得を目指した立命館大学の選手らに蹴られ、続いて新日鉄広畑の選手にも指名を
断られるなど、思うようにスカウト活動の成果が出なかった。

また、逆指名制度が導入された1993年以降、本来なら入団後、レギュラーとして活躍が期待できる選手が、ほとんど活躍していないとされ、ドラフト戦略の失敗を指摘された。

球団は、末永氏を関連会社のタイガースゴルフクラブに出向させることに。

加えて、谷本稔スカウト、切通猛スカウトも解雇した。

末永氏退任後は、長年スカウト職にあった今成泰章氏がチーフスカウトの肩書きのもと、手腕を振るうが、2002年夏、シーズン途中で退任という珍現象が起きた。

機能不全のスカウト部門を、
見るに見かねない星野仙一氏が、2003年から、岡田氏を招聘したに違いない。


そんな、てんやわんやの部署に、非常勤顧問として尽力された岡田悦哉さん。
お疲れ様でした。
ご冥福ををお祈りいたします。

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サンケイスポーツの記事によると、阪神は12日、西宮市内の球団事務所でスカウト会議を開催。高校生を50人弱リストアップしたという。

こういう記事を目にすると、つい、20年前のスカウト会議のことを書きたくなる。
父も、天国で思い出しているに違いない。

20年前の1998年ー


4月ころ、
阪神は、秋のドラフトで、上位2名の逆指名を、「投手なら上原、野手なら二岡」の戦略のもと、渡辺省三スカウトを密着させた。


6月30日の第1次スカウト会議では、上原浩治選手(大体大)、二岡智宏選手(近大)に加え、矢野英司選手(法大)、松坂大輔選手(横浜高校)も、候補者として公表した。

8月15日の第2次スカウト会議で、横溝桂編成部長、末永正昭チーフスカウトの決済の下、「第2次 平成10年ドラフト候補者調査リスト」を、関係者に配布した。

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リストによると、A評価の候補選手は、高校生は、松坂大輔選手、新垣渚選手、大学生は、上原浩治選手、矢野英司選手、二岡智宏選手、社会人は、福留孝介選手、岩瀬仁紀選手、部坂俊之選手、戸部浩選手であった。


8月29日、渡辺省三スカウトは、滋賀県皇子山球場での二岡選手が出場する試合を視察した。


8月31日午前11時ごろ、渡辺省三は、甲子園球場内の球団事務所のスカウト室に出向き、二岡智宏選手を視察した状況について、報告書を書いた。

その様子を見ていたのは、横溝編成部長と末永チーフスカウトだった。

渡辺省三が、甲子園球場内の球団事務所で、二岡選手に関する報告書を書いて約2時間後の午後1時15分、渡辺省三は、神戸市内の11階建てビル前で、転落遺体として、通行人に発見される。

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通行人は、即、管轄の生田警察に通報。通報を受けた警察官は、現場に急行。

転落遺体を確認の上、身元の判明作業を行なったが、身元がわかる所持品を持っていなかったので、身元不明の変死体として処理した。
その時刻は、午後2時ごろだった。


ところが一方、末永チーフスカウトは、その時刻に、渡辺省三が亡くなったことを、球団の事務員から知らされたのだという。

その点を、渡辺省三の遺族は、おかしいと思っているのたがー。

それはそれとしてー

渡辺省三スカウトが亡くなって約2ヶ月後の11月20日に開催されたプロ野球ドラフト会議において、候補選手の中で、社会人の部坂俊之選手が、ドラフト4位で阪神入りし、候補選手にあがっていない藤川球児選手がドラフト1位、候補者リストにもあがっていない金沢健人選手がドラフト2位で阪神入りする結果となった。

まぁ、20年前には、こういうミラクルがあったので、今年も、50人のリストアップから、どんなミラクルがあるのか、その日までわからないと思う。

ただ、「死人だけは出さないで!」

と、思ってしまう。

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今、アマチュアボクシングの問題で、会長職にあった人が、暴力団と繋がりがあったことが、マスコミの話題になっている。

プロ野球の阪神タイガースも、暴力団と繋がりがあったのではないのか。

2003年11月号の「サイゾー」の父の不審死を報じる記事内には、次のように記されている。
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「阪神は以前から、暴力団対策を専門としてきた警察OBを顧問に据えるなど、選手に近寄る暴力団関係者の存在に頭を悩ませていた。過去には、有名選手の薬物使用疑惑や、主力打者による暴力団幹部名義の高級車使用問題が表に出そうになったこともある。渡辺さんは、そういった事件の処理にあたることもあったという噂があり、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性も完全には否定できない」(前出記者)

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この記事によると、少なくても20年以上前は、暴力団と関係があった選手がいたようだ。

それにしても、その処理にあたった可能性がある父が、何らかの問題に巻き込まれて殺されたのであれば、これほど理不尽なことはない。

この点の真実がこの先暴かれれば、阪神タイガースの責任問題にも発展するだろう。

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スポーツ界のおかしな事の報道が、

アメフトからボクシングにシフトした。

アメフトの問題が、第三者委員会の調査結果が出るやいなや。

この際、ドンドン出てくるといいと思う。






昨日、母と昼食を食べながら、テレビを見ていると、私にとって、ゆかりの人、今西憲之さんが、今日の「バイキング」(フジテレビ昼の情報番組)に、出演していた。

今西さんの役割は、
45歳の女性が、年の離れた若い夫を死体遺棄容疑で逮捕された事件についてのレポだ。

母は、87歳になり、何かにつけて、忘れっぽくなっているが、
今西さんの顔と声は聞き覚えがあるようだ。

 親しみ深くテレビ画面を見つめていた。

私は、今西さん、貫禄が出てきたなぁと思った。

私が、はじめて今西さんと会った時は、まだ、青年の雰囲気を
醸し出したジャーナリストだったがー。

今西さんとの出会いがなければ、今、私がこうやって、インターネットの世界で、父の事件を発信することはできなかったかな??と思ったり、感慨深く画面を見つめた。

そういう意味においては、恩人だ。


今から13年前。
今西さんも、神戸地検特別刑事部の任意の取り調べに応じている。

今西さんは、私との出会いや、『タイガースの闇』出版に関することを次のように話している。
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「私は、確か、2001年夏ころ、名前はどうしても思い出せませんが、ある同業者から、「自殺した阪神タイガースのスカウトの娘さんである渡辺直子さんが、色々と調べている。渡辺直子さんの話によれば、自殺ではなく、阪神タイガースの職員が、殺した可能性もあるらしい。一度、会ってみたら面白いんちゃうか」と、言われました。

それを聞いて、私は、興味を持ったことから、西宮市にある渡辺直子さんの自宅に行き、渡辺直子さん本人と直接会って、数時間話を聞いたり、それまで書きためていた文章を見せてもらったりしました。

私は、その文章が、素人のおばちゃんにしては、なかなかの出来栄えだったので、もしかしたら記事に出来るかもしれないと思い、その後、週刊現代の記者を、渡辺直子さんに紹介しました。

ただ、その記者の話によれば、阪神タイガースというのは、人気球団なので、なかなか記事にするのは難しいとのことだったので、私は、雑誌よりも書籍で出せないかと考えました。

そして、私は、ちょうど、渡辺直子さんの自宅のすぐそばに事務所を構えていた松岡さんのことを思い出し、松岡さんに連絡を取って、鹿砦社から書籍を出せないかと相談したところ、松岡さんがとても乗り気だったので、私は、松岡さんに、渡辺直子さんを紹介したのでした。

私としては、その当時、渡辺直子さんを紹介したことで、自分の役割は終わったと考えていたのですが、その後、松岡さんから連絡をもらい、
『あの原稿は、出版できる。ただ、あのままでは駄目だから、ゴーストライターとしてまとめてほしい』と依頼されました。

私は、そのころ、鹿砦社が赤字経営で苦しんでいることを知っており、もし、引き受けても、ギャラが貰えないのではないかという不安がありましたし、ちょうど他の仕事が忙しい時期でもあったので、すぐには返事しませんでした。

ただ、年が明けて2002年に入ったころ、私は、松岡さんから、
『どうしても、プロ野球の開幕に合わせたい。今西さんにやってもらわないと、あの原稿が日の目を見ることができない』
と、しつこく頼まれたので、原稿料と企画料と経費を合わせて60万円くれることを条件に、渡辺直子さんのゴーストライターの仕事を引き受けました。

その際、私は、松岡さんから、
『渡辺直子さんの書いた原稿の意味合いを変えずに、極力原稿を生かして欲しい』ということと、
『文体を女性らしい語り口にしてほしい』
ということの2つを指示されたので、その指示に従いつつ、いかに商品として読者にわかりやすく伝えることができるかということを考えながら、渡辺直子さんの原稿に手を加えることにしました。

私が実際に渡辺直子さんの原稿を書き換えていったのは、2002年1月ころから2月ころにかけてだったと思いますが、詳しい日付については、今手元に資料がないのでわかりません。

ただ、私は、渡辺直子さんとメールでデータのやり取りをしていましたので、そのメールを見ていただければ、私と渡辺直子さんが、いつ、どのようなやり取りをしたか、正確にわかると思います。

私は、渡辺直子さんとの原稿のやり取りの中で、具体的にどのような手を加えたか、はっきりと覚えていませんが、商品としてどのような内容にすれば読者にわかりやすいかという視点から、手を加えたことは間違いありません。

ただ、一つわかっていただきたいことは、阪神タイガース職員の実名を書くかどうかについては、私の判断ではなく、松岡さんの判断でした。

私は、長年フリーライターをやっておりますので、当然、阪神タイガース職員の実名を挙げることが、名誉毀損になりかねないという恐れは持っていました。

ただ、私は、松岡さんから、
『固有名詞については一切変更しないように』と指示されていたので、渡辺直子さんの原稿に書かれてあった阪神タイガース職員の実名を、そのまま残すことにしました。

また。私は、阪神タイガース職員の実名をことさら強調するつもりで、渡辺直子さんの原稿に手を加えたことはなく、あくまで、渡辺直子さんの原稿の趣旨に忠実に手を加えたつもりでした。

ゴーストライターというのは、出版社との関係では、単なる下請け業者に過ぎず、出版社から実名を書けと言われれば、そのリクエストどおりに書くしかできないものなので、その点は、検察官にもお分かりいただきたいと思っています。

このようにして、私は、ゴーストライターとして、渡辺直子さんの原稿に手を入れて完成させ、2002年4月ころ、無事、『タイガースの闇』が出版され、60万円も、受け取ることができました」
(2005年7月20日付 今西憲之さんの供述調書より抜粋)


本の出版後、さらに今西さんは、私に、インターネットでホームページの開設を促してくださった。

この促しがなければ、私が、ホームページを開設することは、絶対になかったと思う。
ホームページ開設は、大変な作業で四苦八苦したが、いまではそれも、懐かしい思い出だ。

とにかく、今西さんには、
感謝、感謝。❣️

これからも、気骨のあるジャーナリストとして、頑張ってほしい。



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