【PJニュース 2011年12月5日】郵便不正事件に絡む大阪地検特捜部のFD改ざん事件で、犯人隠避罪に問われ起訴された元大阪地検特捜部長、大坪弘道被告と元大阪地検特捜副部長、佐賀元明被告の第15回公判が11月30日に、大阪地裁(岩倉広修裁判長)であった。
この日の公判は、大坪被告の被告人質問が行なわれた。大坪被告はダークスーツ姿で入廷し、証言台に立った。被告人質問は弁護人の質疑から始まり、まず大坪被告の検察官としての経歴を振り返った。
弁護人は、大坪被告が平成6年4月に大阪地検特捜部に所属したことを皮切りに、東京地検特捜部、神戸地検特別刑事部に所属し、13年間独自捜査に携わり、長いキャリアを持っていた事実に言及。古巣の特捜部について語らせた。
大坪被告は「特捜部は特殊な組織。部員は強い信頼関係、強い絆で結ばれていました」と語った。さらに、弁護人は、大坪被告が平成15年4月から平成17年1月まで、法務省保護局の総務課長の職務に就いていたことに触れた。その時の職務について、大坪被告は「不祥事や予算要求が仕事でした。全国の保護観察所の危機対応の責任者です」と述べた。
大坪被告は、東京地検特捜部時代に、一連のオウム真理教事件で、幹部信者から教団の関与を裏付ける供述を引き出すことに成功。大阪地検特捜部時代の平成10年には、和歌山市長による職員採用汚職事件で、否認していた市長の取り調べを担当し、自供を得た。法務省保護局の総務課長の職を経て平成17年4月に神戸地検特別刑事部長として着任。元阪神タイガース、球団職員の直告事件着手を皮切りに、元宝塚市長汚職事件、元神戸市議汚職事件捜査を精力的に指揮した。
前田検事と最初の接点
平成20年10月に大阪地検特捜部長に就任。大坪被告は、この時、はじめて前田検事と接点を持ったという。弁護人の「音楽プロデューサーの小室哲哉氏による詐欺事件や、郵便不正事件の主任検事に指名したか」という問いに対して、「指名しました。卓越した捜査能力と取り調べ能力がある検事。かつ特捜捜査の経験も長く、スピードも速い。統率力もあるし、起案能力も非常に優れたものがある。総合力で彼に勝る者はないな、という感じでした」と述べた。【了】
この日の公判は、大坪被告の被告人質問が行なわれた。大坪被告はダークスーツ姿で入廷し、証言台に立った。被告人質問は弁護人の質疑から始まり、まず大坪被告の検察官としての経歴を振り返った。
弁護人は、大坪被告が平成6年4月に大阪地検特捜部に所属したことを皮切りに、東京地検特捜部、神戸地検特別刑事部に所属し、13年間独自捜査に携わり、長いキャリアを持っていた事実に言及。古巣の特捜部について語らせた。
大坪被告は「特捜部は特殊な組織。部員は強い信頼関係、強い絆で結ばれていました」と語った。さらに、弁護人は、大坪被告が平成15年4月から平成17年1月まで、法務省保護局の総務課長の職務に就いていたことに触れた。その時の職務について、大坪被告は「不祥事や予算要求が仕事でした。全国の保護観察所の危機対応の責任者です」と述べた。
大坪被告は、東京地検特捜部時代に、一連のオウム真理教事件で、幹部信者から教団の関与を裏付ける供述を引き出すことに成功。大阪地検特捜部時代の平成10年には、和歌山市長による職員採用汚職事件で、否認していた市長の取り調べを担当し、自供を得た。法務省保護局の総務課長の職を経て平成17年4月に神戸地検特別刑事部長として着任。元阪神タイガース、球団職員の直告事件着手を皮切りに、元宝塚市長汚職事件、元神戸市議汚職事件捜査を精力的に指揮した。
前田検事と最初の接点
平成20年10月に大阪地検特捜部長に就任。大坪被告は、この時、はじめて前田検事と接点を持ったという。弁護人の「音楽プロデューサーの小室哲哉氏による詐欺事件や、郵便不正事件の主任検事に指名したか」という問いに対して、「指名しました。卓越した捜査能力と取り調べ能力がある検事。かつ特捜捜査の経験も長く、スピードも速い。統率力もあるし、起案能力も非常に優れたものがある。総合力で彼に勝る者はないな、という感じでした」と述べた。【了】
【PJニュース 2011年9月15日】郵便不正事件に絡む大阪地検特捜部のFD改ざん事件で、犯人隠避罪に問われ起訴された元大阪地検特捜部長、大坪弘道被告と元大阪地検特捜副部長、佐賀元明被告の初公判が9月12日、大阪地裁(岩倉広修裁判長)であった。
初公判は、午前10時から始まり、裁判官、検察官、弁護人、傍聴人らが着席し、報道機関の法廷内撮影が行われた後、両被告が法廷内に入った。
大坪被告は、紺の背広にエンジ色のネクタイを締めた姿で入廷し、まず、裁判官に一礼した。次に傍聴席に向かって一礼した後、被告人席に、着席した。佐賀被告は、黒の背広に薄い水色のネクタイを締めた姿で入廷し、大坪被告と並んで座った。
岩倉広修裁判長は、両被告を証言台の前に立つよう促し、人定質問を行った。人定質問は、裁判長が被告人に対して、氏名、年齢、職業などを問い、人違いでないことを確かたうえ、検察官が起訴状を朗読しなければならないと規定されている。(刑事訴訟法第291条)
大坪被告は、「現在、無職でございます」と言った後、堂々とした口調で「元検察官」と付け加えた。佐賀被告は、「現在、無職です」と語っただけだった。
起訴事実は、「大坪被告と佐賀被告は昨年2月1日、元主任検事が証拠品のデータを意図的に改ざんしたと知りながら、事実を知る同僚検事らに口止めして隠蔽。2月2日ごろ、元主任検事には、「過失と説明するように」などと指示。同地検の検事正、次席検事にも「公判担当検事が騒いでいるが、言いがかりで問題はない」などと虚偽の報告をし、捜査は不要だと思わせ、元主任検事が刑事罰に問われないようにしたとされる」というもの。
検察官の起訴状朗読が終わると、裁判長は、両被告人に対して、(1)初めから終わりまで、あるいは個々の質問について、黙っていることができること(黙秘権)、(2)陳述したければ陳述してもよいこと、(3)もし陳述すれば、自己に不利益な証拠とされたり、利益な証拠とされることを告知したうえ、両被告人に陳述する機会を与えた。
大坪被告は、「3点につき申し述べたい」と述べたうえ、「わたしが、特捜部長として捜査を指揮した厚生省事件において、前田検事による証拠改ざんという予期しない、信じ難いことが起き、それにより、検察の信頼を失墜させたことは慙愧に絶えず、私の責任を痛感している」「次に、本件について、上司として、監督責任はあったとしても、刑事被告人として法廷に立たされるべき理由は存しない」「最後に、本件公訴事実については、犯人隠避の犯意や、元副部長との共謀は存せず、私は無罪です」と、堂々とした口調で述べた。
佐賀被告は、「証拠品改ざんがあった認識はない」「起訴内容は事実と異なる」などと述べ、両被告とも起訴事実を全面否認。無罪を主張した。【つづく】
初公判は、午前10時から始まり、裁判官、検察官、弁護人、傍聴人らが着席し、報道機関の法廷内撮影が行われた後、両被告が法廷内に入った。
大坪被告は、紺の背広にエンジ色のネクタイを締めた姿で入廷し、まず、裁判官に一礼した。次に傍聴席に向かって一礼した後、被告人席に、着席した。佐賀被告は、黒の背広に薄い水色のネクタイを締めた姿で入廷し、大坪被告と並んで座った。
岩倉広修裁判長は、両被告を証言台の前に立つよう促し、人定質問を行った。人定質問は、裁判長が被告人に対して、氏名、年齢、職業などを問い、人違いでないことを確かたうえ、検察官が起訴状を朗読しなければならないと規定されている。(刑事訴訟法第291条)
大坪被告は、「現在、無職でございます」と言った後、堂々とした口調で「元検察官」と付け加えた。佐賀被告は、「現在、無職です」と語っただけだった。
起訴事実は、「大坪被告と佐賀被告は昨年2月1日、元主任検事が証拠品のデータを意図的に改ざんしたと知りながら、事実を知る同僚検事らに口止めして隠蔽。2月2日ごろ、元主任検事には、「過失と説明するように」などと指示。同地検の検事正、次席検事にも「公判担当検事が騒いでいるが、言いがかりで問題はない」などと虚偽の報告をし、捜査は不要だと思わせ、元主任検事が刑事罰に問われないようにしたとされる」というもの。
検察官の起訴状朗読が終わると、裁判長は、両被告人に対して、(1)初めから終わりまで、あるいは個々の質問について、黙っていることができること(黙秘権)、(2)陳述したければ陳述してもよいこと、(3)もし陳述すれば、自己に不利益な証拠とされたり、利益な証拠とされることを告知したうえ、両被告人に陳述する機会を与えた。
大坪被告は、「3点につき申し述べたい」と述べたうえ、「わたしが、特捜部長として捜査を指揮した厚生省事件において、前田検事による証拠改ざんという予期しない、信じ難いことが起き、それにより、検察の信頼を失墜させたことは慙愧に絶えず、私の責任を痛感している」「次に、本件について、上司として、監督責任はあったとしても、刑事被告人として法廷に立たされるべき理由は存しない」「最後に、本件公訴事実については、犯人隠避の犯意や、元副部長との共謀は存せず、私は無罪です」と、堂々とした口調で述べた。
佐賀被告は、「証拠品改ざんがあった認識はない」「起訴内容は事実と異なる」などと述べ、両被告とも起訴事実を全面否認。無罪を主張した。【つづく】
【PJニュース 2011年6月29日】旧証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載など)の罪で実刑が確定したライブドア(LD、現LDH)の堀江貴文元社長が6月20日、東京高等検察庁に出頭した。同日、東京拘置所に収監され堀江受刑者となった。堀江受刑者はこの日未明、インターネット短文投稿サイト「ツイッター」で出頭と弁護士会館前(東京・霞ヶ関)での会見を予告。当日のテレビ報道などによると、東京・霞が関の弁護士会館前での会見には、ツイッターを見て駆けつけた報道関係者や市民ら約300人が集合した。この現象は、堀江受刑者自らで、ツイッターの伝播性の高さを知らしめたことになるだろう。
堀江受刑者の収監の模様は、動画共有サイト「ニコニコ動画」で「緊急生放送!密着 堀江貴文収監のすべて」と題して、一部始終、生中継された。ニコニコ動画の発表によると、この中継に、11万2507人の来場者があったという。
中継終了直前、同サイトで、同日夜10時からも、「緊急特番!堀江貴文とは何者だったのか?」というタイトルで、堀江受刑者に関する放送を告知。この放送には、11万8279人の来場者があったという。
収監当日のメディアの状況を、堀江受刑者は、どのように感じたのだろうか。堀江受刑者は、収監前、メディアを通じて「メールマガジンも獄中からということになると思いますが、発信していきたい。 貴重なレポートになると思う」 と発言。自身が発する「獄中レポート」の重要性を強調した。収監後、はじめて発行された6月27日発行のメールマガジン「堀江貴文のブログでは言えない話」―「ビジネスモデル教えちゃいます塾」―の項で、収監当日のメディアの状況について、次のように発信している。
『ネット動画とかで、どこででも中継できちゃうシステム』
「今回の収監でたくさんのTVメディアに加え、ニコニコ動画などネットメディアの活躍も目立った。ニコニコ動画にはユーザー生放送といって、ユーザーが放送することができるモノもある。このユーザー生放送で登録すれば誰でも可能なのだが、そういう人たち向けに向けたロケ地で放送するための完全なパッケージがあると便利だろうな。そうすれば世界中どこでも中継ができるようになるし。ちなみに今回ニコニコ動画では『LiveU』という通信各社のモバイル端末をいっせいに繋ぎ、電波がひとつでも繋がっていれば中継ができる機器を導入していたらしい。こういうのを気軽に貸し出せるようになって欲しいものだ。」【了】
堀江受刑者の収監の模様は、動画共有サイト「ニコニコ動画」で「緊急生放送!密着 堀江貴文収監のすべて」と題して、一部始終、生中継された。ニコニコ動画の発表によると、この中継に、11万2507人の来場者があったという。
中継終了直前、同サイトで、同日夜10時からも、「緊急特番!堀江貴文とは何者だったのか?」というタイトルで、堀江受刑者に関する放送を告知。この放送には、11万8279人の来場者があったという。
収監当日のメディアの状況を、堀江受刑者は、どのように感じたのだろうか。堀江受刑者は、収監前、メディアを通じて「メールマガジンも獄中からということになると思いますが、発信していきたい。 貴重なレポートになると思う」 と発言。自身が発する「獄中レポート」の重要性を強調した。収監後、はじめて発行された6月27日発行のメールマガジン「堀江貴文のブログでは言えない話」―「ビジネスモデル教えちゃいます塾」―の項で、収監当日のメディアの状況について、次のように発信している。
『ネット動画とかで、どこででも中継できちゃうシステム』
「今回の収監でたくさんのTVメディアに加え、ニコニコ動画などネットメディアの活躍も目立った。ニコニコ動画にはユーザー生放送といって、ユーザーが放送することができるモノもある。このユーザー生放送で登録すれば誰でも可能なのだが、そういう人たち向けに向けたロケ地で放送するための完全なパッケージがあると便利だろうな。そうすれば世界中どこでも中継ができるようになるし。ちなみに今回ニコニコ動画では『LiveU』という通信各社のモバイル端末をいっせいに繋ぎ、電波がひとつでも繋がっていれば中継ができる機器を導入していたらしい。こういうのを気軽に貸し出せるようになって欲しいものだ。」【了】
【PJニュース 2011年5月24日】2005年7月12日、出版物やホームページでプロ野球、阪神タイガース球団の元職員らやパチンコ会社のアルゼの関係者を中傷したとして、西宮市の出版社「鹿砦社」の松岡利康社長が神戸地検特別刑事部に逮捕された。社長は同年8月1日に起訴され、公判は神戸地方裁判所で2005年10月から始まり、2006年7月4日、懲役1年2月執行猶予4年の判決を言い渡された。社長は判決を不服として、最高裁まで争ったが、2007年6月25日、最高裁は松岡社長の上告を棄却。懲役1年2月執行猶予4年の判決が確定した。
鹿砦社のHPなどによると、判決確定後に、同社は新たに2つのルートから名誉毀損などで刑事告訴されたようだ。そのうちの一つの案件は、2007年秋ごろに、アルゼ関係者から名誉毀損、業務妨害など刑事告訴された件。もう一つの案件は、旧「鹿砦社裁判を支援する会」代表世話人らからの刑事告訴の件としている。これらの案件の捜査は昨年(2010年)春ごろから始まったようだが、昨年9月1日の取り調べ以降、「郵便不正事件」に絡むフロッピー改ざん問題で、神戸地検特別刑事部長(前大阪地検特捜部副部長)の佐賀元明検事が、犯人隠避の容疑で最高検に逮捕(10月1日)されたあおりを受け、取り調べが中断しているとしていた。
その後、一つ目の案件である、アルゼ関係者から名誉毀損、業務妨害などで刑事告訴された件は、昨年12月27日、松岡社長が神戸地検から呼び出しを受け、この案件を不起訴処分とし、捜査が終結したことを告げられたそうだ。その際、もう一つの告訴案件である、旧「鹿砦社裁判を支援する会」代表世話人らからの刑事告訴については、捜査継続ということを告げられたという。
この捜査は、その後、どうなったのか。5月15日付けの「デジタル鹿砦社通信」によると、松岡社長は5月18日に神戸地検から呼び出しを受けていることを明らかしている。社長は、18日の呼び出しで、どういう結果になるか注目されるとし、この日、昨年末のように不起訴を告げられるか、あるいは起訴、身柄拘束などの最悪の事態に陥いれば、同社の経営に一定の影響が出ることを懸念する胸の内を明かしている。
果たして、18日の結果はどうだったのか。社長は、結果は直ちに報告するとしているが、この件に関して、現時点で、同社のHPで報告はされていない。松岡社長が懸念するように、この案件で身柄拘束や起訴という最悪の事態になれば、経営面の影響もさることながら、執行猶予中の犯罪行為で厳罰が下される可能性もある。今後の神戸地検特別刑事部の動きに注視したい。【了】
「名誉毀損事件」刑確定の出版社社長。神戸地検特別刑事部が「第2次告訴事件」を捜査中?
鹿砦社のHPなどによると、判決確定後に、同社は新たに2つのルートから名誉毀損などで刑事告訴されたようだ。そのうちの一つの案件は、2007年秋ごろに、アルゼ関係者から名誉毀損、業務妨害など刑事告訴された件。もう一つの案件は、旧「鹿砦社裁判を支援する会」代表世話人らからの刑事告訴の件としている。これらの案件の捜査は昨年(2010年)春ごろから始まったようだが、昨年9月1日の取り調べ以降、「郵便不正事件」に絡むフロッピー改ざん問題で、神戸地検特別刑事部長(前大阪地検特捜部副部長)の佐賀元明検事が、犯人隠避の容疑で最高検に逮捕(10月1日)されたあおりを受け、取り調べが中断しているとしていた。
その後、一つ目の案件である、アルゼ関係者から名誉毀損、業務妨害などで刑事告訴された件は、昨年12月27日、松岡社長が神戸地検から呼び出しを受け、この案件を不起訴処分とし、捜査が終結したことを告げられたそうだ。その際、もう一つの告訴案件である、旧「鹿砦社裁判を支援する会」代表世話人らからの刑事告訴については、捜査継続ということを告げられたという。
この捜査は、その後、どうなったのか。5月15日付けの「デジタル鹿砦社通信」によると、松岡社長は5月18日に神戸地検から呼び出しを受けていることを明らかしている。社長は、18日の呼び出しで、どういう結果になるか注目されるとし、この日、昨年末のように不起訴を告げられるか、あるいは起訴、身柄拘束などの最悪の事態に陥いれば、同社の経営に一定の影響が出ることを懸念する胸の内を明かしている。
果たして、18日の結果はどうだったのか。社長は、結果は直ちに報告するとしているが、この件に関して、現時点で、同社のHPで報告はされていない。松岡社長が懸念するように、この案件で身柄拘束や起訴という最悪の事態になれば、経営面の影響もさることながら、執行猶予中の犯罪行為で厳罰が下される可能性もある。今後の神戸地検特別刑事部の動きに注視したい。【了】
「名誉毀損事件」刑確定の出版社社長。神戸地検特別刑事部が「第2次告訴事件」を捜査中?
【PJニュース 2010年10月14日】2005年8月、出版物やホームページで阪神タイガース球団関係者らの名誉を毀損したとして、出版社「鹿砦社」の松岡利康社長が神戸地方検察庁特別刑事部により起訴された。公判は、2005年10月から神戸地裁で始まり、2006年7月4日、懲役1年2月、執行猶予4年の判決を言い渡された。松岡社長は判決を不服として、最高裁まで争ったが、2007年6月、最高裁は松岡社長の上告を棄却。懲役1年2月執行猶予4年の判決が確定した。
判決が確定してから3年4ヶ月。松岡社長はさらなる取り調べを神戸地検特別刑事部から受けていることを自社のHPで公表している。松岡社長はその取り調べを「第2次告訴事件」と呼称し、9月1日の取り調べ以降、「郵便不正事件」に絡むフロッピー改ざん問題で、神戸地検特別刑事部長(前大阪地検特捜部副部長)の佐賀元明検事が、犯人隠避の容疑で最高検に逮捕(10月1日)されたあおりを受け、取り調べが中断しているとしている。
法務省は10月12日、佐賀元明容疑者の後任として、神戸地検特別刑事部長に佐藤洋志・大阪地検堺支部検事を充てる人事を発令した。10月1日から指揮官が不在となっていた神戸地検特別刑事部。指揮官が決まったことで松岡社長の取り調べは近く、再開されるのか。今後の捜査に注視したい。【了】
判決が確定してから3年4ヶ月。松岡社長はさらなる取り調べを神戸地検特別刑事部から受けていることを自社のHPで公表している。松岡社長はその取り調べを「第2次告訴事件」と呼称し、9月1日の取り調べ以降、「郵便不正事件」に絡むフロッピー改ざん問題で、神戸地検特別刑事部長(前大阪地検特捜部副部長)の佐賀元明検事が、犯人隠避の容疑で最高検に逮捕(10月1日)されたあおりを受け、取り調べが中断しているとしている。
法務省は10月12日、佐賀元明容疑者の後任として、神戸地検特別刑事部長に佐藤洋志・大阪地検堺支部検事を充てる人事を発令した。10月1日から指揮官が不在となっていた神戸地検特別刑事部。指揮官が決まったことで松岡社長の取り調べは近く、再開されるのか。今後の捜査に注視したい。【了】
【PJニュース 2010年3月5日】障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽の証明書を発行したとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の第11回公判が4日、大阪地裁(横田信之裁判長)であった。この日の公判は、弁護人側による証人請求で、石井一参院議員(75)が証人として出廷した。
石井議員は、裁判官の前で、宣誓書を読み上げたうえ、まずは、弁護人の尋問に返答した。
倉沢被告を知っているか
石井議員は「倉沢を知っているか」という弁護人の質問に対して「もちろん知っている。1982年に公募で秘書を募集したときに採用した」「わたしは、1983年12月18日、選挙で落選した。その後、(倉沢は)事務所を離れた」「その後、倉沢君は、転々と仕事を変えた後、わたしの弟の秘書になった」と話した。
さらに、2006年の選挙のとき、選挙スタッフとしてわたしの事務所に出入りすることはあったと話し、2001年から2009年までに倉沢被告が事務所に顔を出した回数は、年に1〜2回程度だったと述べた。
倉沢被告から「凛の会」の話を聞いたか
弁護人は、「倉沢さんから『凛の会』の話を聞いたことはあるか」と問うと、石井議員は「1回だけある。2006年11月6日に、倉沢くんはわたしの事務所を訪ねてきた。そのときにはじめて『凛の会』を知った」と返答した。
検察側主張では、石井議員が実体のない障害者団体「凛の会」元会長で元秘書、倉沢邦夫被告(74)=公判中=からの依頼を受け、厚労省の元部長(58)に電話で発行を要請したとされている。これに対して、石井議員は、「厚労省に連絡をしたことは全くない」と検察側の主張を否定した。
2004年2月25日、石井議員の手帳の内容
倉沢被告は公判で、自身の手帳の記載をもとに、2004年2月に議員会館内の事務所を訪ねて石井議員と面会した際、「『厚労省に知り合いがいるから、電話してやっていいぞ』と言われた」と証言した。弁護人は、倉沢の手帳を示し、「2004年2月25日午後1時に、倉沢さんと会ったんですか」と問うた。
石井議員は、「会ってない。わたしは自分の記憶を手帳につけている。過去40年間、当日あった会合、そこで会った人、用件、内容を手帳に書き込んでいる」、「手帳は2ヶ月で使いこなす手帳です」と述べ、自身の手帳を示した。そのうえで、「手帳に書いていないから、倉沢とは会っていない」と反論した。
弁護人は、2004年2月25日の石井議員のスケジュールについて問うた。石井議員は、「千葉県成田のゴルフ場にいた。国会は、集中審議が行われていたが、予算委のメンバーではなかったので出席せず、ゴルフに行った」、「古賀一成衆議院議員、妻らとプレーした。朝から事務所に入っていない」、「かなり早く出て、ワンラウンドプレーをして、向こうを出たのが4時ごろだったと思う」、「6時から東京で、議員との懇親会があったので、それには出席しなければならなかったので、それまで時間があったということです」と話した。
昨年9月の事情聴取について
弁護人は、「昨年9月11日に、前田検事から事情を聞かれたか」、「前田検事は、この法廷の場にいらっしゃいますか」と、問うた。石井議員は、「いらっしゃいます」と返答。弁護人は、捜査検事が、公判に出廷していることを示した。
さらに、「前田検事に事情を聞かれた際、手帳の話はしたか」と問うと、「しましたよ。大阪のリーガロイヤルで話した。当日、2004年の手帳を持って行った。具体的にその日についての議論はしなかった。(手帳は)前田検事の前に積んでみせた」、「事情聴取は細かいやりとりではなかった。わたしは被疑者で呼ばれたわけではないので、なごやかな雰囲気の中で話した」と述べた。【了】
石井議員は、裁判官の前で、宣誓書を読み上げたうえ、まずは、弁護人の尋問に返答した。
倉沢被告を知っているか
石井議員は「倉沢を知っているか」という弁護人の質問に対して「もちろん知っている。1982年に公募で秘書を募集したときに採用した」「わたしは、1983年12月18日、選挙で落選した。その後、(倉沢は)事務所を離れた」「その後、倉沢君は、転々と仕事を変えた後、わたしの弟の秘書になった」と話した。
さらに、2006年の選挙のとき、選挙スタッフとしてわたしの事務所に出入りすることはあったと話し、2001年から2009年までに倉沢被告が事務所に顔を出した回数は、年に1〜2回程度だったと述べた。
倉沢被告から「凛の会」の話を聞いたか
弁護人は、「倉沢さんから『凛の会』の話を聞いたことはあるか」と問うと、石井議員は「1回だけある。2006年11月6日に、倉沢くんはわたしの事務所を訪ねてきた。そのときにはじめて『凛の会』を知った」と返答した。
検察側主張では、石井議員が実体のない障害者団体「凛の会」元会長で元秘書、倉沢邦夫被告(74)=公判中=からの依頼を受け、厚労省の元部長(58)に電話で発行を要請したとされている。これに対して、石井議員は、「厚労省に連絡をしたことは全くない」と検察側の主張を否定した。
2004年2月25日、石井議員の手帳の内容
倉沢被告は公判で、自身の手帳の記載をもとに、2004年2月に議員会館内の事務所を訪ねて石井議員と面会した際、「『厚労省に知り合いがいるから、電話してやっていいぞ』と言われた」と証言した。弁護人は、倉沢の手帳を示し、「2004年2月25日午後1時に、倉沢さんと会ったんですか」と問うた。
石井議員は、「会ってない。わたしは自分の記憶を手帳につけている。過去40年間、当日あった会合、そこで会った人、用件、内容を手帳に書き込んでいる」、「手帳は2ヶ月で使いこなす手帳です」と述べ、自身の手帳を示した。そのうえで、「手帳に書いていないから、倉沢とは会っていない」と反論した。
弁護人は、2004年2月25日の石井議員のスケジュールについて問うた。石井議員は、「千葉県成田のゴルフ場にいた。国会は、集中審議が行われていたが、予算委のメンバーではなかったので出席せず、ゴルフに行った」、「古賀一成衆議院議員、妻らとプレーした。朝から事務所に入っていない」、「かなり早く出て、ワンラウンドプレーをして、向こうを出たのが4時ごろだったと思う」、「6時から東京で、議員との懇親会があったので、それには出席しなければならなかったので、それまで時間があったということです」と話した。
昨年9月の事情聴取について
弁護人は、「昨年9月11日に、前田検事から事情を聞かれたか」、「前田検事は、この法廷の場にいらっしゃいますか」と、問うた。石井議員は、「いらっしゃいます」と返答。弁護人は、捜査検事が、公判に出廷していることを示した。
さらに、「前田検事に事情を聞かれた際、手帳の話はしたか」と問うと、「しましたよ。大阪のリーガロイヤルで話した。当日、2004年の手帳を持って行った。具体的にその日についての議論はしなかった。(手帳は)前田検事の前に積んでみせた」、「事情聴取は細かいやりとりではなかった。わたしは被疑者で呼ばれたわけではないので、なごやかな雰囲気の中で話した」と述べた。【了】
【PJニュース 2010年2月26日】郵便不正事件で、偽証明書作成に関与したとして虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)=官房付=の第8回公判が24日午前10時から、大阪地方裁判所であった。この日の公判には、偽証明書を作成したとして同罪で起訴された部下の元係長、上村勉被告(40)が証人として出廷し、検察側の尋問に答えた。
裁判のこれまでの流れ
郵便不正事件は、障害者団体向け割引制度を悪用したとされる事件で、偽証明書作成に関与したとして虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告の初公判が1月27日から大阪地裁(横田信之裁判長)で始まった。
起訴状によると、村木被告は障害保健福祉部企画課長だった04年6月、係長だった上村勉被告(40)に指示し、河野克史被告(69)と石井一・民主党参院議員(75)の元秘書、倉沢邦夫被告(74)=3被告とも同罪などで起訴または公判中=らが設立した「凜(りん)の会」(解散)を障害者団体と認める偽証明書を作成させたとされる。
村木被告は、初公判で「私は無罪です。虚偽の公文書作成に一切関与していません」と起訴内容を全面否認し、無罪を主張した。
検察側の冒頭陳述では、会に実体はなく、当時衆院議員だった石井議員の発行要請を受けた上司(部長)に便宜を図るよう指示された村木被告が、上村被告に「決裁なんかいいからすぐに証明書を作って」と指示して作らせた証明書を、倉沢被告に手渡した。また04年5月中旬、倉沢被告に頼まれ郵政公社(当時)幹部に電話し、割引制度の適用を図るよう依頼したとされる。
上村被告の証言 「凛の会」を知ったいきさつ
上村被告は、「係長になるときに、前任の係長から業務の引き継ぎを口頭で受けたと思うが、凛の会のことを聞いた記憶はない。『凛の会』関係者の名刺を引き継いだ記憶はない。『凛の会』から連絡があって、はじめて『凛の会』を知りました」と述べ、「凛の会」を知ったいきさつを語った。
ウソの稟議書作成状況
ウソの証明書作成前にウソの稟議書を作成していた上村被告は、「04年のゴールデンウィーク明けごろ、人がいないのを見計らって、夜中に自分の席で稟議書を作った。稟議書は『凛の会』にファックスをした後、原本の紙は細かく破り捨てた。」、「ウソの稟議書を作った理由は、『証明書はどうなっているのか。早く出せ』ということがあったので、それをなだめるつもりがあった」と話した。
「ウソの稟議書などを作ることは犯罪になると思わなかったのか」という検事の質問に、上村被告は、「悪いことだと思ったが、バレないと思った」と答えた。
ウソの証明書作成状況
ウソの証明書を偽造することを最終的に決断したのは、「04年6月1日ごろ」と述べ、「ウソの証明書は自分の席で作り、6月1日朝8時ごろ、公印を押した。公印は、誰でも取り出せる状況にあった。うその証明書は、クリアファイルにとりあえず入れ、自分の机の引き出しに入れた」と話した。
ウソの証明書を河野被告に手渡した状況
「その後、「凛の会」に連絡を取り、その日のうちに河野さんに渡した」、「渡した場所は、厚生労働省の隣の弁護士会館の中にある喫茶店だった」、「このとき、河野さんと倉沢さんの名刺を貰い、倉沢さんの名刺の左に石井一事務所と手書きで書いてあり、すごく印象に残った」、「石井一先生は、民主党の国会議員という認識を持っていたので、国会議員の人も、絡んでいるのかなと思った」、「河野さんに証明書を渡して、長話しをしたりせず、走って職場に帰った」、「河野さんに証明書(ウソ)を渡した後は、上司、同僚に一切話さなかった。これで縁が切れたと思った」と述べた。
ウソの証明書のコピーを保持していた理由
「ウソの証明書のコピーを持っていたのは、あとで、取り繕うときに必要だと思った」、「それぞれ決済権者のはんこを押して、社会参加推進室の中に入れておこうと思ったが、しなかった」、「2年経って、異動してしまったので、できなくなった。2年間やらなかった理由は、ほかの業務に手を取られ、忘れ去っていた」、「証明書さえ渡せば、事は済んだと思った。早く、忘れたかった」、「独断で、証明書を偽造した。犯罪の認識はあったが、自分の胸にさえしまっておけば、絶対にバレることはないと、ずっと思っていた」と述べた。
ウソの供述調書
上村被告は、「09年5月26日午前8時ごろ、検事が自宅に訪れ、『東京地検に行こう』と言われたことがきっかけで、東京地検に出向くことになった。12時ごろまで、東京地検で検事に話した後、『これから大阪に行きます』と言われ、大阪に連れてこられた」と話した上、「担当検事は、紳士的で普通の人だった。ただ、ぼくが言う話は、信じてくれない。聞いてくれない。ぼくの言っていることは、きちんと調書に書いてくれなかった。悔しい思いでいっぱいです」と涙声で述べ、声を詰まらせた。
「ぼくが独断でやったと言っているのに、検事さんは、まわりの人がこういう風に関わっている。実はこうだったんじゃないの?と、誘導していくのです」と述べた。「『供述調書』は、検察の作文」とも述べた。
検事は、上村被告に09年5月31日に作成した供述調書を確認させ、「『村木さんが関わっている』という内容のことに、署名・指印しているので、それを認めたことになる」と説明すると、上村被告は、「供述調書を声に出して読み上げられることはなかった。黙読して、意思とは違うが署名・指印した」と述べた。
検察官は、5月31日、6月5日、6月6日に供述調書を作成したことをあらためて確認し、供述調書を作ったころの上村被告の精神状態について問うた。上村被告は、「眠れなかった。新聞を見ていると、事件がどんどん大きくなっていっていた」と述べた。
この日の証人尋問は、午前10時から午後3時まで行われた。【了】
裁判のこれまでの流れ
郵便不正事件は、障害者団体向け割引制度を悪用したとされる事件で、偽証明書作成に関与したとして虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告の初公判が1月27日から大阪地裁(横田信之裁判長)で始まった。
起訴状によると、村木被告は障害保健福祉部企画課長だった04年6月、係長だった上村勉被告(40)に指示し、河野克史被告(69)と石井一・民主党参院議員(75)の元秘書、倉沢邦夫被告(74)=3被告とも同罪などで起訴または公判中=らが設立した「凜(りん)の会」(解散)を障害者団体と認める偽証明書を作成させたとされる。
村木被告は、初公判で「私は無罪です。虚偽の公文書作成に一切関与していません」と起訴内容を全面否認し、無罪を主張した。
検察側の冒頭陳述では、会に実体はなく、当時衆院議員だった石井議員の発行要請を受けた上司(部長)に便宜を図るよう指示された村木被告が、上村被告に「決裁なんかいいからすぐに証明書を作って」と指示して作らせた証明書を、倉沢被告に手渡した。また04年5月中旬、倉沢被告に頼まれ郵政公社(当時)幹部に電話し、割引制度の適用を図るよう依頼したとされる。
上村被告の証言 「凛の会」を知ったいきさつ
上村被告は、「係長になるときに、前任の係長から業務の引き継ぎを口頭で受けたと思うが、凛の会のことを聞いた記憶はない。『凛の会』関係者の名刺を引き継いだ記憶はない。『凛の会』から連絡があって、はじめて『凛の会』を知りました」と述べ、「凛の会」を知ったいきさつを語った。
ウソの稟議書作成状況
ウソの証明書作成前にウソの稟議書を作成していた上村被告は、「04年のゴールデンウィーク明けごろ、人がいないのを見計らって、夜中に自分の席で稟議書を作った。稟議書は『凛の会』にファックスをした後、原本の紙は細かく破り捨てた。」、「ウソの稟議書を作った理由は、『証明書はどうなっているのか。早く出せ』ということがあったので、それをなだめるつもりがあった」と話した。
「ウソの稟議書などを作ることは犯罪になると思わなかったのか」という検事の質問に、上村被告は、「悪いことだと思ったが、バレないと思った」と答えた。
ウソの証明書作成状況
ウソの証明書を偽造することを最終的に決断したのは、「04年6月1日ごろ」と述べ、「ウソの証明書は自分の席で作り、6月1日朝8時ごろ、公印を押した。公印は、誰でも取り出せる状況にあった。うその証明書は、クリアファイルにとりあえず入れ、自分の机の引き出しに入れた」と話した。
ウソの証明書を河野被告に手渡した状況
「その後、「凛の会」に連絡を取り、その日のうちに河野さんに渡した」、「渡した場所は、厚生労働省の隣の弁護士会館の中にある喫茶店だった」、「このとき、河野さんと倉沢さんの名刺を貰い、倉沢さんの名刺の左に石井一事務所と手書きで書いてあり、すごく印象に残った」、「石井一先生は、民主党の国会議員という認識を持っていたので、国会議員の人も、絡んでいるのかなと思った」、「河野さんに証明書を渡して、長話しをしたりせず、走って職場に帰った」、「河野さんに証明書(ウソ)を渡した後は、上司、同僚に一切話さなかった。これで縁が切れたと思った」と述べた。
ウソの証明書のコピーを保持していた理由
「ウソの証明書のコピーを持っていたのは、あとで、取り繕うときに必要だと思った」、「それぞれ決済権者のはんこを押して、社会参加推進室の中に入れておこうと思ったが、しなかった」、「2年経って、異動してしまったので、できなくなった。2年間やらなかった理由は、ほかの業務に手を取られ、忘れ去っていた」、「証明書さえ渡せば、事は済んだと思った。早く、忘れたかった」、「独断で、証明書を偽造した。犯罪の認識はあったが、自分の胸にさえしまっておけば、絶対にバレることはないと、ずっと思っていた」と述べた。
ウソの供述調書
上村被告は、「09年5月26日午前8時ごろ、検事が自宅に訪れ、『東京地検に行こう』と言われたことがきっかけで、東京地検に出向くことになった。12時ごろまで、東京地検で検事に話した後、『これから大阪に行きます』と言われ、大阪に連れてこられた」と話した上、「担当検事は、紳士的で普通の人だった。ただ、ぼくが言う話は、信じてくれない。聞いてくれない。ぼくの言っていることは、きちんと調書に書いてくれなかった。悔しい思いでいっぱいです」と涙声で述べ、声を詰まらせた。
「ぼくが独断でやったと言っているのに、検事さんは、まわりの人がこういう風に関わっている。実はこうだったんじゃないの?と、誘導していくのです」と述べた。「『供述調書』は、検察の作文」とも述べた。
検事は、上村被告に09年5月31日に作成した供述調書を確認させ、「『村木さんが関わっている』という内容のことに、署名・指印しているので、それを認めたことになる」と説明すると、上村被告は、「供述調書を声に出して読み上げられることはなかった。黙読して、意思とは違うが署名・指印した」と述べた。
検察官は、5月31日、6月5日、6月6日に供述調書を作成したことをあらためて確認し、供述調書を作ったころの上村被告の精神状態について問うた。上村被告は、「眠れなかった。新聞を見ていると、事件がどんどん大きくなっていっていた」と述べた。
この日の証人尋問は、午前10時から午後3時まで行われた。【了】
【書評】草薙厚子著『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。』
【PJ 2009年01月29日】− 今、新聞紙上などでジャーナリストの取材源の秘匿について、論議が巻き起こっている。この論議は『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。』(光文社)の著者、草薙厚子さんが、2006年に奈良県で起きた医師宅放火殺人事件について書いた本『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)から端を発したものだ。
この出版をめぐり、少年の鑑定医が2007年10月、秘密漏示の罪に問われ奈良地検に逮捕された。奈良地検は関係者の取り調べを進めた上、鑑定医を起訴。供述調書漏出事件として、昨年4月から始まった鑑定医の公判内容が、新聞などで報じられている。
草薙さんは今月14日の公判で証人として出廷し、取材源が鑑定医であったことを明らかにした。公判後、自身のブログで取材源を明示した理由について「ジャーナリストとしては、情報源を言わない事が良かったのかもしれません。しかしジャーナリストである前に、私は1人の人間です」と綴った。
草薙さんは、これまでの記者会見などで、取材源の秘匿はジャーナリストとして絶対に守るべきものと主張していた。このほど、草薙さんの心境を変えたものは、一体何だったのか。
わたしは、そんな草薙さんの心の動きに関心を持った。書店で手に取った『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。』。これには、草薙さんが、奈良地検で19回にわたり取り調べを受けたときの検事とのやりとりが詳細に書かれている。草薙さんは、取り調べにおいても、かたくなに取材源の秘匿を固持する。検事が「あなたには相手のことを考えてほしい。あんな風に情報源の特定されやすい本を書いた責任があります。相手のことを第一に考えるのは、ジャーナリスト以前に人間として当然のことではないですか?」と取材源の明示を促すが、草薙さんは、かたくなに拒み明示しなかった。
検事との会話が横道に逸れる場面もある。検事が草薙さんの信仰心について問うのだ。検事の「誰を信じているんですか」という質問に、草薙さんは「私はここ15年、毎年イタリアのアッシジという街にある聖フランチェスコ教会と聖キアラ教会へ祈りに行っています。私は中世に生きた2人の聖人を尊敬しています。2人のように人のために生きたいと思っています」と答える。
草薙さんは、カトリックの洗礼は受けていないが、いつ受けてもいいと思うくらいにキリスト教の精神に神髄しているようだ。草薙さんは、取り調べを終えて、ホテルの部屋に戻ったとき、ほっとして、部屋に置いてある新約聖書を取り出した。何気なく開いたページに使途行伝第27章のパウロの話が目にとまった。「遭難していた船に乗っていたパウロは万策が尽き、精根尽き果てたのだが、それでも他の乗組員たちを励まし続けていた。そして最後に神に身を任せた結果、一人の犠牲もなく、陸地に到着することができた」というパウロのエピソード。その話を読んで、草薙さんは希望と光ととらえ、ベッドの中へ入ったという。この記述は、草薙さんの神聖な心と事件が穏便に終結する願いを表す描写だ。
本の中には、草薙さんが体験した女性として悲しい出来事も公表されている。2007年5月22日、『僕はパパを殺すことに決めた』の出版日に、長勢甚遠法務大臣(当時)が、閣議後の会見で「一般論として、少年の審判は非公開で行っているので、供述調書が外に出されることは望ましくない。内容を見たうえで調査するかどうか考える」と述べた。この発言を受けて報道機関からの取材が殺到し、草薙さんの生活環境が一変した。自分が書いた著作物が世間に歓迎されず、まるで悪魔の子であるかのような批判的なマスコミ報道は、草薙さんにとって強いストレスにもなった。
当時、草薙さんは妊娠中で、強いストレスは切迫流産の危険性をもたらせた。その後、東京法務局から事情聴取したい旨の連絡があったことなどから、さらにストレスが強まった。草薙さんはお腹の中の小さな命を守りきれなかったことを思い出し、取り調べ中に涙を流した。このあたりの記述は、女性ジャーナリストの悲しい胸のうちが、痛いほど伝わってくる。
供述調書漏出事件の判決日は近い。判決はどのように下るのか。本書は、ジャーナリストの取材源の秘匿について考察できる参考の一冊だ。【了】
【PJ 2009年01月29日】− 今、新聞紙上などでジャーナリストの取材源の秘匿について、論議が巻き起こっている。この論議は『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。』(光文社)の著者、草薙厚子さんが、2006年に奈良県で起きた医師宅放火殺人事件について書いた本『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)から端を発したものだ。
この出版をめぐり、少年の鑑定医が2007年10月、秘密漏示の罪に問われ奈良地検に逮捕された。奈良地検は関係者の取り調べを進めた上、鑑定医を起訴。供述調書漏出事件として、昨年4月から始まった鑑定医の公判内容が、新聞などで報じられている。
草薙さんは今月14日の公判で証人として出廷し、取材源が鑑定医であったことを明らかにした。公判後、自身のブログで取材源を明示した理由について「ジャーナリストとしては、情報源を言わない事が良かったのかもしれません。しかしジャーナリストである前に、私は1人の人間です」と綴った。
草薙さんは、これまでの記者会見などで、取材源の秘匿はジャーナリストとして絶対に守るべきものと主張していた。このほど、草薙さんの心境を変えたものは、一体何だったのか。
わたしは、そんな草薙さんの心の動きに関心を持った。書店で手に取った『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。』。これには、草薙さんが、奈良地検で19回にわたり取り調べを受けたときの検事とのやりとりが詳細に書かれている。草薙さんは、取り調べにおいても、かたくなに取材源の秘匿を固持する。検事が「あなたには相手のことを考えてほしい。あんな風に情報源の特定されやすい本を書いた責任があります。相手のことを第一に考えるのは、ジャーナリスト以前に人間として当然のことではないですか?」と取材源の明示を促すが、草薙さんは、かたくなに拒み明示しなかった。
検事との会話が横道に逸れる場面もある。検事が草薙さんの信仰心について問うのだ。検事の「誰を信じているんですか」という質問に、草薙さんは「私はここ15年、毎年イタリアのアッシジという街にある聖フランチェスコ教会と聖キアラ教会へ祈りに行っています。私は中世に生きた2人の聖人を尊敬しています。2人のように人のために生きたいと思っています」と答える。
草薙さんは、カトリックの洗礼は受けていないが、いつ受けてもいいと思うくらいにキリスト教の精神に神髄しているようだ。草薙さんは、取り調べを終えて、ホテルの部屋に戻ったとき、ほっとして、部屋に置いてある新約聖書を取り出した。何気なく開いたページに使途行伝第27章のパウロの話が目にとまった。「遭難していた船に乗っていたパウロは万策が尽き、精根尽き果てたのだが、それでも他の乗組員たちを励まし続けていた。そして最後に神に身を任せた結果、一人の犠牲もなく、陸地に到着することができた」というパウロのエピソード。その話を読んで、草薙さんは希望と光ととらえ、ベッドの中へ入ったという。この記述は、草薙さんの神聖な心と事件が穏便に終結する願いを表す描写だ。
本の中には、草薙さんが体験した女性として悲しい出来事も公表されている。2007年5月22日、『僕はパパを殺すことに決めた』の出版日に、長勢甚遠法務大臣(当時)が、閣議後の会見で「一般論として、少年の審判は非公開で行っているので、供述調書が外に出されることは望ましくない。内容を見たうえで調査するかどうか考える」と述べた。この発言を受けて報道機関からの取材が殺到し、草薙さんの生活環境が一変した。自分が書いた著作物が世間に歓迎されず、まるで悪魔の子であるかのような批判的なマスコミ報道は、草薙さんにとって強いストレスにもなった。
当時、草薙さんは妊娠中で、強いストレスは切迫流産の危険性をもたらせた。その後、東京法務局から事情聴取したい旨の連絡があったことなどから、さらにストレスが強まった。草薙さんはお腹の中の小さな命を守りきれなかったことを思い出し、取り調べ中に涙を流した。このあたりの記述は、女性ジャーナリストの悲しい胸のうちが、痛いほど伝わってくる。
供述調書漏出事件の判決日は近い。判決はどのように下るのか。本書は、ジャーナリストの取材源の秘匿について考察できる参考の一冊だ。【了】
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PJニュース 小田光康編集長の記事
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